前穂高岳・奥穂高岳・涸沢岳に登る
                 2007/9/2ー9/4


内炭さん主催の「穂高」山歩きに参加した。
コースを地図でお示ししましょう
第一日目(9/2) 近鉄高の原駅バスターミナル〜上高地(西糸屋山荘泊まり) 
第二日目(9/3) 上高地〜岳沢〜前穂高岳〜奥穂高岳〜穂高山荘泊まり 【歩行約9時間】
第三日目(9/4) 穂高山荘〜涸沢岳〜穂高山荘〜涸沢ヒュッテ〜横尾山荘〜徳沢園〜上高地 【歩行約7時間】
            〜高の原駅



第一日目(9/2)

近鉄高の原駅バスターミナルをバスで7時に出発する。
今回の参加者は10名で、内炭夫妻の総勢12名である
このうち、4名は内炭奥さんの引率で、横尾山荘に泊まり、奥穂高に登る予定である。

12.07分に上高地バスターミナルに到着する。
 
河童橋まで歩き、ここで昼食する。
7月末に槍ヶ岳登山に来た時よりは人は少なめであるが、
けっこう大勢の人でにぎわっている
 
13.12分 昼食後河童橋で記念写真を撮る
晴れていれば、奥に明神岳、前穂高、奥穂高の山並みが見られるのであるが、
今日はあいにく雲に覆われて見えない。
ここで、2つのグループに分かれての行動である。
 
我々グループは、内炭さん(ご主人)、宮地夫妻、奥村さん、西畑さん、倉井さんの総勢7名である

今日は河童橋を渡った側にある「西糸屋山荘」泊まりである。
時間つぶしに、まずホテルにリックを預け、田代池まで散策ことにする。
さっそく猿さんのお出迎えである
木の葉を食べて、都会の猿のように人間のお菓子などを取って食べるような飢えた猿さんは見当たらない
  
ウエストン碑がある。案内板には次のように書かれている。

ウエストン碑
英人牧師ウォルター・ウエストンは、明治21年(1888年)から同28年(95年)までの日本滞在中に、槍ヶ岳や穂高の山々を数多く歩き、わが国に近代的な登山意識をもたらし、日本山岳会結成のきっかけを作りました。
また、その間の紀行文「日本アルプスの登山と探検(明治29年)」により、中部山岳会を世界に紹介するなど、その業績は高く評価されています。
ここにあるレリーフは、日本山岳会が昭和12年にウエストンの喜寿(77歳)を祝って作ったもので、昭和40年にかけなおされています。




「六百山と霞沢岳」と書かれた案内板がある。今日は雲に覆われて山頂は見えないが、看板には写真が載っている。
  
穂高の名声に隠れがちですが、梓川左岸の山にも捨てがたい魅力があります。あまりにも近すぎるため、全容を望める場所がかえって少ないのですが、このあたりは二つの山がもっともよく見えるところです。





「田代池」について次のように案内板に書かれている。

この池は、正面に見える六百山や霞沢岳などから砂礫層を通って湧き出てくる伏流水に養われています。
池は、枯れた水草などが底に積もって少しずつ埋まり、長い年月をかけて湿原になっていきます。昭和50年夏の大雨では大量の土砂が流れ込み、池の半分以上が埋まりました。





この付近には白樺の木が多い。「シラカバ」について案内板がある。
案内板には、「シラカンバとダケカンバ」について次のように書かれている。

シラカンバは、普通シラカンバと呼ばれています。木肌が白粉を塗ったように白いのがシラカンバで、ダケカンバはやや赤味をおびています。
この付近で見られるのはほとんどシラカンバで、ダケカンバは主に山腹の針葉樹林の中や、さらに高いところに生育しています。


宮地さんと奥村さんが、「この木はシラカバだ。これがダケカンバのようだ」とさかんに言い合っている。
これが典型的な「シラカンバ」の葉である
 

風呂に入り、夕食をする。明日は5時に出立することにする。明日の朝食は今晩中にお弁当を貰っておき、出発前に食べて出掛けることにする。明日の山歩きに備えて早く寝る。

第二日目(9/3)

4時に起床。出発準備を終えて、弁当を食べる。
5時に部屋の窓から前穂高、奥穂高への吊尾根がはっきり見られる。
天気だ! よかった! 心の中で叫ぶ。
 
5.20分 「西糸屋山荘」を出発する。
5.31分 河童橋からの眺めである。
 
ここで、今日歩くルートを写真で図示しましょう。
この写真は河童橋から見た穂高連峰の写真である(’7/7/31撮影)
今回は黄色線のように、上高地から岳沢を登り、前穂高から吊尾根と呼ばれる稜線を歩き、奥穂高に登るのだ。
上高地の標高が1,505mである。前穂高岳(3090m)、奥穂高岳(3190m)であるから、
標高差1,700mを一日で、歩行約9時間かけて登るコースである。 


河童橋から10分ほど梓川沿いに歩く。
5.46分 「穂高・岳沢登山路」の道標がある。
ここから左手に登山道を上るのだ。
内炭さんが、「ここから岳沢ヒュッテ跡までは緩やかな上りだが、その後、前穂高まではこんな急な上りになる」と手で表現する。「体力の配分が重要で、前穂高まで0.6(6割)で、前穂高から奥穂高までの吊尾根というところを歩く。細い道で足を踏み外したら命がない。0.4の体力を残しておくように」という事前の注意である。
  
朝のすがすがしい樹林帯を歩く。
6.24分 「岳沢名所天然クーラー 風穴」と書かれた看板がある。
この沢沿いに風が吹き抜けるため、ひんやりするらしい。
たしかにヒヤッとする感じがする。

6.31分 砕けた岩だらけの上を歩く。
ここからが河童橋から岳沢を見たとき、雪渓のように白く見えるところである。
 
振り向けば、白く梓川と河童橋が確認できる。

6.36分 写真を撮って、さあ、出発だ。
これからは右の山裾を巻いて歩くのだという。

岩だらけの岳沢を左手に見ながら、樹林帯の道を歩く。
左方向には、西穂高岳から天狗岩あたりの山並みが見られる。
 
7.40分 振り向けば、焼岳が見えてきた。焼岳を拡大したのが右の写真である。
  
7.46分 「小屋見峠」に着く。ここから「岳沢ヒュッテ跡」が見えている。
7.53分 「岳沢ヒュッテ跡」に着く。河童橋から約2時間かかっている。
「岳沢ヒュッテ」は雪害をうけ、今は営業していない。
現在、小屋の再建中である。小屋には「岳沢ヒュッテ登山相談所」の看板が掲げられている。
大工さんが屋根に上って工事をしている。休憩する。
内炭さんが、「前に来た時には、このヒュッテに泊まって、翌日、前穂高、奥穂高に登った」と言われている。
一日目で此処まで登って、泊まれれば、翌日の行程は体力的に楽だと思う。
  
8.18分 の光景である。晴れ渡って稜線がくっきり見えている。
 




8.20分 荒々しい岩肌が見えてくる。

8.21分 前穂高は右の奥の方にあるらしいが此処から山頂は見えない。
 
8.21分 お花畑がある。花の名は知らぬが、幾種類かの花が群生している。
 
8.46分 急な岩上りになってきた。鉄ハシゴの上りもある。
急な上りが続く。
  
8.49分 振り向いて見れば焼岳が相変わらずくっきり見える。
  
9.07分 「カモシカの立場」と白ペンキで岩に書かれtいる場所を通り過ぎる。
9.11分 休憩しながら記念写真を撮る。
休んでいたら10人ぐらいの女性のパーティが下山してきた。
どう見分けたのか知らぬが、「韓国の女性だ」と宮地さん等が言っている。
みな体格のいい女性だった。日焼け止めのため一人はウルトラマンのように顔中覆面していた。
 
鉄ハシゴを上ったり、鎖の張られた岩場もある。
内炭さんが事前に、「岳沢ヒュッテから前穂高までが3時間が大変だ」と言われていたが、
まったくその通りだと痛感しながら登っている。
  
9.53分 休憩。晴れているのが幸いである。
こんなところを雨の日に登るなんて疲労度が倍増しそうである。
奥村さんは、ジャンダルムから天狗の頭あたりの切り立った稜線を眺めながら、
「あそこを歩いてみたい」と意欲を燃やしている。
ファイト満々の宮地さんも一緒に同調するのかと思ったら、
「いやぁ、あんな危ないところは歩く気にならん」と尻込みしている。
 
10.20分 右の方にコブが見えるが、前穂高はこの奥の方にあるらしい。
 
10.31分前方に前穂高の山頂らしきものが見えてきた。
 
10.33分 左手には明神の1峰から5峰の山並みが見られる。
 
10.33分 「雷鳥広場」を岩に白ペンキで書かれているところを通る。
ここからハイマツが多い。雷鳥の姿は見えないが、たしかに雷鳥が居そうなところだ。
10.53分 「紀美子平」と呼ばれる分岐点に着く。
10人ほどの登山客が休憩している。
昼食をする。
  
11.20分 昼食を終えて、リックは此処に置いて、前穂高山頂まで往復することとする。
山頂までは約30分ほどだ、という。
   
11.58分 前穂高山頂に着く。記念写真をとる。標高3090mである。
内炭さんから、「前穂高まで0.6の体力配分」と言われていたのだが、
これではもう0.9ぐらい使い果たしたのじゃないか、と思われるような感じである。

前穂高山頂から見た奥穂高である。12.25分 足元に気を付けて下り始める。
 
12.50分 「紀美子平」まで下りて、記念写真を撮って奥穂高に向かって出発する。

ここから女性が内炭さんとロープを結び、歩くこととする。
奥穂高から西穂高への稜線がはっきり目の前に見えている。
景色に見とれて一歩踏み外せば奈落の底に落ちて、おだぶつだ。
脚の疲れもあるので、一歩一歩、けつまずかぬように気を付けてマイペースで歩くことにする。
8月の新聞で、2件ほどこの穂高で転落事故の記事を見たが、
疲れなどで、ちょっとバランスを崩しただけで事故につながっているのだろう・・・・と思う。
  
前穂高から奥穂高までの吊尾根と呼ばれる途中からの、ジャンダルム方面の眺めである。
13.48分 奥穂高から西穂高への稜線がはっきり目の前に見えている。








  
14.23分 「南陵の背」と書かれた道標が立っている。奥穂高は目の前に近づいてきた。
  
14.33分 「穂高神社」と書かれた小さな祠がある。ここまで無事に登れたことに感謝のお詣りをする。
  
14.35分 奥穂高山頂に着く。標高3190mである。
 
奥穂高山頂より穂高山荘に向かう途中から見たジャンダルム方面の光景である。

15.26分 垂直に近い鉄ハシゴを下りるような急な斜面が続く。
「穂高山荘」の赤い屋根が霧の中にうっすら見えてきた。
  
15.34分 「穂高岳山荘」に到着。
河童橋を5.35分にスタートしたのだから、10時間かかっている。
 
内炭の奥さんが出迎えて、記念写真を撮ってくださる。
まだまだ元気そうな姿とこの笑顔・・・・・

涸沢から奥穂高に登った4名(川畑さん、滝北さん、尾仲さん、大林さん)はすでに部屋でくつろいでいる。
5時から夕食である。それまでの時間を休憩室で、それぞれ飲みものを注文して雑談。
宮地さんが、「上高地から奥に入ってくるほど、ビールなど飲み物の値段が高くなっている」という。
「あそこではいくら、あそこはいくら」と値段を言っている。よ〜く覚えているなあ、と感心する。
僕はビールで祝杯をあげたかったのであるが、明日無事に下山してから祝杯をあげよう、と、我慢、我慢・・
400円のお茶ポットを注文。都会で120円〜150円のお茶ポットも、ここでは400円である。
まあ、ヘリコプターで荷揚げするんだからしょうがない、と思う。
小屋の泊まり客には韓国人も多い。日本の山もこんなに外人も多くなったのかとビックリする。
夕食を終えて、早めに寝る。ムニャムニャ・・・・

第三日目(9/4)

4時に起床。
朝食は5.15分からである。食事前に日の出の写真と撮ろうと外にでる。4.54分の光景である。

食事を終えて、写真を撮る。朝食中に陽が昇っている。
5.25分の光景である。今日は素晴らしい天気だ。
これから登る涸沢岳は、朝陽をうけて輝いている。
  
山荘の裏側に回って見れば、雲海のうえに笠ヶ岳の山頂が輝いている。ジャンダルムの稜線もくっきり浮かび上がっている。
  
5.50分 小屋にリックを置いて空身で涸沢岳に登る。6.05分山頂に到着。標高3110mである。
 
山頂から遠くに槍ケ岳、すぐ目の前に北穂高岳が聳えている。
















  
6.15分 山頂で記念写真を撮って下山する。
 
6.36分 「穂高岳山荘」に戻り、リックを担ぎ、さあ、涸沢に下山開始する。
歩き出したら、ヘリコプターが飛んできて、荷物を積み上げて飛び去っていった。
 
下山途中の休憩で、奥村さんから頼まれて写真を撮る。
前穂高の山頂から6峰へと続く山並みをバックに立つ奥村さん。
この峰峰に何か秘められた思い出があるらしい。
  
7.58分 涸沢に残っている雪渓を横切りながら・・・下る。



涸沢にはカラフルなテントが張られている。昭和40年に僕もこの涸沢にテントを張ったことがある。
この時には涸沢小屋も涸沢ヒュッテも建っていなかった、と思う。
四十年以上のこととなると、まったくその時の印象が残っていない。
風景を眺め、初めて訪ねてきたようにしか思えない。
 
8.30分 「涸沢ヒュッテ」に着く。おでんを食べながら休憩。
 
休憩後、「涸沢ヒュッテ」から少し下ったところからの眺望である。

10.00分  屏風ノ頭の岩壁が見られる。
内炭さんが、かつて此処を登ったことがあるという。昔はロッククライミングの場所であったらしい。
「ここを上っているとき、上から大きな岩が落ちてきて、背中のそばを落ちていった。ロープはズタズタに切られた。間一髪のところで命拾いをした」と感慨深げに話をされている。
 
10.44分 横尾山荘に到着。休憩する。
 
休憩後、上高地に向けて出発。
上高地まで約2時間かかる。
もう何回も同じところを歩いているので、うんざりだ。
11.40分 徳沢園に着いて、昼食する。
13.46分 河童橋に着く。振り返って昨日から歩いた岳沢から前穂高、奥穂高へのルートを眺め、
「あぁ・・、あそこを登ってきたんだなぁ」と感慨深く思う。
好天に恵まれ、素晴らしい山歩きができたことが嬉しい。
無事であったことを感謝する。

13.54分 上高地バスターミナルに到着。

「上高地アルペンホテル」で風呂に入り、汗を流す。
無事に下山できたことを祝って、ビールで乾杯!
その美味さは格別であったことは言うまでもない。

          ― おわり ―