剣尾山(784m)〜横尾山(785m)を歩く
                        2013/4/17

「山歩き」の会の「剣尾山と横尾山」歩きである。
近鉄天理駅を7.40分に出発

今日のコースは、行者口→剣尾山→横尾山→能勢の郷である

9.40分 阪急バス「行者口」停でバスを降りて、出発である。
 
9.47分 玉泉寺に着く。案内板には次のように書かれている。
 
青龍山 玉泉寺(真言宗)
もと玉泉坊といい、剣尾山月峯寺の一坊であったが、兵火にかかり行者山下に下山した。慶長四年(1599)に良海阿闍梨が、島田屋敷へ移して玉泉寺と号し、宝永五年(1708)宝雲上人が現在地に再移した。当寺には平安時代(十一世紀前半)の薬師如来坐像を始め、元禄九年(1696)宝山湛海刻の不動明王坐像の優作(大阪府有形文化財)を安置している。なお、参道入口の大日種子(梵字)板碑の二基は、雄勁な鎌倉中期以前の遺品として貴重である。
能勢町観光協会






10.08分 登山口に到着。「行者山の史跡と由来」と書かれた看板のところに着く。
「右 是れより行者道」の石碑も立てられている。
案内板には次のように書かれている。
「行者山の史跡と由来の史跡と由来」巨岩を行場に利用して古く巨岩を行場に利用して古くから行者山と呼ばれるこの一帯には、こんな歴史や言い伝えがあります。
〔奈良時代〕 役行者が行場を開く、爪で自分の姿を岩に刻んだというのが「爪刻行者像」。
〔平安時代〕 醍醐寺で開いた理源大師が行場復興に訪れる。理源大師像はそのなごり。
〔江戸時代〕 玉泉寺の宝雲上人らが行場を整える。本堂を建て、役行者の金銅仏を奉安する。奈良県の大峰山に対し摂津大峯と呼ばれるまでににぎわう。
〔昭和10年〕 本堂を今の場所に移し、エボシ岩に不動明王を刻む。
剣尾山は、飛鳥時代、山頂に月峯寺を開き護摩を焚いている時不動明王の降魔の剣が降ってきたというところ、その登山口の行者山では、今でも護摩場で4月13日に紫燈大護摩供が行われています。





10.18分 巨岩ある。「大日如来座像」の標柱が立てられている。岩には仏が線刻されている。
  


10.21分 ちょっと眼下に集落が見られる

10.23分 行者堂に着く。
立派なお堂が建てられている。
正面には、「弘法大師・藤隆大菩薩・不動明王」と書かれた額が掲げられている。
  
お堂の横には巨岩があり、その窪みには仏像と達磨石が安置されている。休憩する。
  
10.34分 鉄はしごがあり、
 
登ればこんな景色が眺められた。

10.39分 「行者山」に到着。記念写真を撮る。
その案内板には、
標高469m、摂津大峰として知られる古くからの修験場。下方の行者堂の周囲には東西ノ覗、胎内めぐりなどの行場があり、約一時間で一周できる。歩道沿いには大日如来仏が刻まれた巨岩もある
と書かれている。

10.53分 「風の峠」の表示板が掲げてある。
  


「炭焼窯跡」と書かれた標柱がある。
炭は栗・牛とともに「能勢の三黒」として有名であった。こうした山中に造られることが多かった。能勢の炭は池田炭として茶湯などで使われている。
と書かれている。







11.21分 六地蔵に着く。
これの反対側に、岩陰地蔵がある。
  
11.27分 「月峯寺本堂跡」である。「井戸跡」も見られる。
 
11.35分 剣尾山(784m)に到着し、昼食する。
  
12.02分 記念写真を撮る。
 
剣尾山頂からの眺望である。目の前の山が、半国山(774m)とその奥が小和田山(612m)であろうか。




 
昼食後、岩を三点支持で上る講習がある。全員が岩場の上り方を練習。
 
12.38分 「大阪、摂津 国界」と書かれた標柱がある。

12.44分 横尾山(785m)の山頂に着く。

横尾山頂からの眺望である。

12.51分 記念写真を撮って下山開始。

ヒノキの植林地帯を通る。ヒノキの若木の根元部分は鹿に食害防止のためカバーで覆われている。


  
13.13分 送電用鉄塔に着く。休憩。

鉄塔からの眺望である。

13.39分 花のもとにて花が咲く???


  

 



  
14.27分 能勢温泉に着く。これで無事終了である。
 
その後、奈良に戻り、懇親会。
この「山歩き」の会も、2003年4月に開講されて、10周年となる。
当初より参加されて7名の方々が講師より感謝状が贈られる。
当初30名ほど入校されたそうだが、今日まで生き残った逞しい面々の7名である。
これからも元気で山歩きを楽しもう!!


           ― おわり ―