わたしが出会った人々ー信頼への道筋ー
 
                          日本聾話学校校長 川 田  殖(しげる)
一九三一年(昭和6年)網走市の生まれ、 国際キリスト教大学、京都大学に学び、 国際キリスト教大学、大阪医大、山梨医大などで西洋古代哲学を教え、現在、日本聾話学校校長を勤める。
                          き き て    金 光  寿 郎
 
金光:  長野県北東部を佐久、上田、長野盆地へと流れ る千曲川、十月中旬の風は既に真冬の冷たさで す。佐久大橋のたもとから眺めた浅間山山頂は 雲に覆われていました。小海(こうみ)線の中込(なかごみ)駅から東 へ向かい、日本聾話学校校長の川田殖さんをご 自宅にお訪ね致しました。川田さんは、今から 五十年前、京都大学哲学科在学中に、縁があっ て夏休みを此処佐久平の寺で過ごし、三十数年 前にはお住いも此処に定めました。大学卒業後には、佐久からは遠い各地の大学 に勤めましたが、お住いを移すことはありませんでした。今日は、川田さんの人 生の歩みの中で、大きな影響を受けた方々のことをお伺い致します。
 

 
               〈一〉
 
金光:  私、佐久平へお邪魔したのは初めてなんですけれども、
 
川田:  そうですか。
 
金光:  佐久という言葉を聞くと、「暮れ行けば浅間も見えず歌哀し佐久の草笛」という島 崎藤村の『千曲川旅情の歌』がありますね。
川田:  みなさん、そのことをおっしゃいます。
 
金光:  此処の場所からは小諸(こもろ)はどちらに?
 
川田:  小諸はそこの丘の向こう側にあたります。
 
金光:  浅間は?
川田:  浅間はそれのもっと右側と言いますか、東側になります。
 
金光:  千曲川は?
 
川田:  この影の小諸のところを触れて回って、ずーっと今度は左側の 方へ曲がっていって、長野の方へ流れていきます。
 
金光:  向こうへいくわけですか。
 
川田:  はい。
金光:  こうやって見ますと、山間でけっこう建物が建っていますね。
 
川田:  建物がとっても多くなりました。私が参った三十年前頃は、こ の近所はむしろ人跡疎らな所でしてね。
 
金光:  その頃からお住いで、こちらに?
 
川田:  はい。三十年以上こちらに住んでいます。
 
金光:  そうですか。でも、実際のお仕事の場所は、今は東京の町田の方ですね。
 
川田:  そうです。三十年住んでいましても、長野県内で定職を頂いたことが一度もあり ませんので、必ず外で仕事をしながら折々こっちへ帰って来るというような生活 を三十年以上続けてきました。
 
金光:  お生まれになったところは北海道網走と伺っておりますが─。
川田:  ええ。
 
金光:  こちらにお帰りになる、いわば第二の故郷みたいな感じになり ますか?
 
川田:  第二の故郷以上の懐かしさとまた親しみをもって、それこそ墳 墓の地というぐらいのつもりで、主観的には考えています。
 
金光:  じゃ、お帰りになると、非常に落ち着かれた?
 
川田:  まあそんなことが楽しみでこっちに参ります。
 
金光:  そうですか。じゃ・・・
 

 
               〈二〉
 
金光:  ところで、川田先生は、お勤めは国際キリスト教大学であった り、大阪医科大学であったり、山梨医科大学とか、恵泉女学園、 全部此処の佐久の土地でないお勤めなのに、何で此処の佐久へ お住いをお作りになったんですか。その辺はどういうところか らかちょっとお聞かせ頂けませんか。
 
川田:  いや、そのことを聞かれると、なんといっても外すわけにいか ないのが、この近所の正安(しょうあん)寺というお寺の先々代位になる塚田 耕雲(こううん)という和尚さんとの出会いです。出会いというものが、私の一生をいろいろ なところで導いてくれましたけれども、おそらく人間的に言えば最大の出会いの 一つが、私を佐久にこうやって引き留めてくれている一番大きな原因だと思いま す。
金光:  そのきっかけはどういうことなんですか。
 
川田:  これは、今から四十五年以上昔、私が京都大学の学生だった時 に、そのお寺に世話になりましてね。
 
金光:  住むようになった?・・・京都でしょう、学校は。
 
川田:  そうそう。
 
金光:  何でまた此処へ来られたんですか。
 
川田:  そこまで遡ると、もっと時代が先へいくんですが、私の家は前 に申したように北海道の網走という港町の漁師なんです。親父 がもともと学問には関心がなかったし、進学にも反対だったん ですけども、私が飛び出してきたことも一つの原因になって、 家が潰れちゃったんです。家に帰ることも出来なくなった。
 
金光:  それは京大時代?
 
川田:  そうです。
 
金光:  それで此処へいらっしゃった?
 
川田:  ええ。それでまあ言うなれば緊急避難の場所ですね。始まりはそんなつもりで来 ました。しかし、その場所がもう五十年近くも自分の終(つい)の棲家になるということ は思いもしませんでした。
 
金光:  その最初の出会いはどうだったんですか。お二人との話し合い?
 
川田:  問答というのは、禅宗の専門ですが、私は禅宗の信者でもありません。当時信州 によくあった夏の、いわゆる学生宿というか、学生たちが泊まっていた所の一つ でした。当時の彼らは一種の唯物論者で、宗教のことも哲学のこともバカにして いた。そういう仲間と話し合いながら、夜更かしをして、時には般若湯を飲んで いた。ところが、夜中に私が小用に起きようとした時、外でガサガサという声が する。私は思わず臆病になりまして、一旦布団を被って寝たんですけども我慢す るわけにいかない。そこでそっと起き出して外を見たら、なんと和尚が宗教をバ カにしていた学生の部屋から排泄物を汲み取って、百メートル以上も離れた畑の 肥溜めに運んでいるんですよね。
 
金光:  夜中に?
 
川田:  ええ。三時半だった。流石に私もその時にはハンマーで頭を殴られたような衝撃 でした。
 
金光:  それまでの印象はどんな和尚さんだったんですか。
 
川田:  さっきもちょっと言いかけたけど、とにかく口数の少ない方だった。何を言って も、「ほう」と「なるほど」ぐらいしか返事のないお方でね、私は生意気にも、「偉 い、偉い」と聞いていた和尚だけど、こんな和尚のどこが偉いのだろう、なんて ほんとに思っていた。もしかしたら担がれたのかも知れない、と思っていた。と ころがその一つの場面を見て、これはただの偉さではない、普通、「偉い」という と、日本では有名人だとか、特別な何か人に持てはやされることをした人とかが、 「偉い」と言われるじゃないですか。ところが、私はその時に、ほんとの偉さと いうのは、人の知らないところで、頭の下がるような生き方をしている人、これ がほんとに偉い人なんだ、と思った。それから僕は、学問は田中美知太郎先生に 教わってお世話になってきているんですけれども、「学は京都で学ぶべし、人は信 濃で学ぶべし」、こう思った。人間というものをそこでしっかり学ばにゃ、哲学を 学んでも理屈を捏ねているだけでは、本当に自分の生きていく力にならんと思っ た。
 
金光:  その姿をご覧になって、後でいろいろ話して教えを聞いたということではまった くない?
 
川田:  ないですね。和尚は大体私に教えるということをなさらなかった、口で。むしろ 生活で真実を求めて生きるものの生き方がなんであるかということを、生活全体 で私に問い掛けて下さった。
 
金光:  でも、肥桶を担がれるそれだけじゃないわけでしょう?
 
川田:  ええ。朝は三時前から起きて、坐禅堂に入って、判子で押したように三十分、四 十分お坐りになった後で、
金光:  お一人で坐禅する?
 
川田:  そうです。
 
金光:  そういうのを、その後ご覧になるとだんだん気付かれたわけで すね。
 
川田:  いや、気付くというよりも背中がゾゾゾッとするような、ほとんどショックと言 っても いいほどのチャレンジですよね。「人間の生き方というものを、お前は分 かっているのか」ということを、生活そのもので問い掛けてくるわけです。私も そういう中で、生活を賭けた「無言の問い」というものは口先だけの問いよりも 遙かに力のある、威力のある場合がある、とほんとに思いました。
 
               〈三〉
 
金光:  それまでに川田先生は京都大学で哲学の勉強もなさっているし、国際キリスト教 大学でキリスト教の勉強もなさっている。
 
川田:  まあまあ両方とも上っ面をなぜたような薄っぺらなことですけどね。
 
金光:  その前は確か北海道の、さっきおっしゃった網走というのはオホーツク海の沿岸 でございますね。
 
川田:  漁港です。
 
金光:  それで、そのお寺へ行くまでの間にも、いろんな方との出会いというのを経験な さっている?
 
川田:  まだそれこそ小さい時ですが中学の、いま此処では私しか名前を知らない宮本金 次という先生に、「人の心が分かるということがどんなに嬉しい、大切なことか」 を教わりました。
 
金光:  なんの先生ですか。
 
川田:  国語の先生でした。しかし、歴史も詳しくて、万葉集を語れば、日本の上代(じょうだい)の歴 史を語り、ギリシャとの比較を語り、ギリシャ神話やホーマー(Homer:ギリシャ の詩人)の話までして下さるようなお方でしたね。ですから、私は、今でもそう ですけども、書物に負けないぐらいやはり人から影響を受けたと思います。
 
金光:  それじゃ、後年、哲学の方にいかれたというのは、その一番の元は中学時代の宮 本先生の直接の影響じゃないかも知れませんけども、
 
川田:  宮本先生は国語や歴史を教えて下さったけれども、人間の生き方や考え方にやは り深く徹していらっしゃった方だと思う。で、私が悩みでもないような悩みを打 ち明けに行きました時に、「川田君、君が今悩んでいるのは、昔の人がみんなそれ ぞれ、悩み、考えた道なんだ。例えば、こんな人もいるんだよ」と言って渡して 下さったのが、古ぼけた岩波文庫、『ソクラテスの弁明:クリトン』という、プラ トンの書いた本の翻訳だった。しかし、当時の私ですから分かるはずもないわけ です。ただ尊敬する、信頼する先生が貸して下さったというので、とにかく読む には読みました。その中に今でも心に残ることが二つありまして、一つは、何よ りも「魂」、今でいうと、「いのち」とか、「人間そのもの」だね。「それを大事に しなさい」と書いてある。戦争の時代には人の命がまったく軽んじられていた、 そして、戦争に負けるとこんどは「命よりも物が大事だ」と言われそうな時代に なった。このような中でそういう言葉を聞いて、これは他人事(ひとごと)じゃないなあ、と 思ったのです。もう一つは、「反省のない生活は人間の生活じゃない」という言葉 が書いてあった。これも当時の私にとってはショックだった。大体私はそれまで 反省ということをしたことのない人間ですから。気に入らないこと、嫌なことが あれば片っ端からそれを他人のせいにする。いわゆる責任転嫁の名人でした。
 
金光:  まあ大体悪いのは相手であって、自分が悪いとは思わない。
 
川田:  反省ということは全然ない。悪いのは他人のせいにしていた。「僕じゃないよ」と 言っていた。
 
金光:  やっぱり『ソクラテスの弁明』なんかを拝見すると、そうじゃないわけですか。
 
川田:  「反省のない生活は人間の生活じゃない」ということは、まず自分自身がどうな んだということを自分自身に問い掛けてみろ、ということです。
 
金光:  そうですね。自分の無知を知れ、という。
 
川田:  そうそう。それで私の生活は人間以下の生活だったわい、と気がつき、ソクラテ スという人物はどんな人物か分からんが、とにかく気になることをいう奴だ、こ れからちょっと離れられないなあ、と思ったですね。それが私を引きずり回して 五十年、今でもソクラテスの目から自分自身を見たらどうか、ということを考え させられているわけです。
 
               〈四〉
 
金光:  でも、それで中学校、高等学校を卒業されて、また国際キリスト教大学が出来た 時に、キリスト教の大学へ進んでいらっしゃいますね。ソクラテスからそちらと いうことなんですか。
 
川田:  それも変でしょう。ソクラテスからいきなりキリスト教に繋がるわけじゃなくて、 それまでに私の生活の挫折だとか、いろいろあるわけです。そして、反省すれば するほどおれはダメな人間だ、ということが自分でも分かってくるわけです。今 までは人の悪口ばかり言っていたけど、反省してみればその殆ど全部が自分に返 ってくる。それでいてけっこう不平不満も絶えず、毎日不安や不満をもって生き ている。そういう中で出会ったのがご承知のドストエフスキーの『罪と罰』とい う小説です。あれにはご承知の、ラスコーリニコフという不平不満のかたまりで、 俺が偉くなった時にはいいことをしてやるんだから、まあ少しぐらい悪いことは、 その時に帳消しになるわいと考えている人物が出てくる。彼はそう思って金貸し の老婆を殺す。しかしその後で彼は、さっきの自己反省、良心の呵責に苛まれて、 いわゆる知能犯ではあるけれども、人の見ていないところで、心の葛藤のドラマ が熾烈に展開して、生きていく気力を失ってしまいそうになる。そんな時に、人 にバカにされている売春婦のソーニャという娘に出会って、まったく不思議な力 と心を知る。その土台になっているものがどうもキリスト教と称する得体の知れ ないものらしいということが、まあ薄ぼんやりの僕にも、あれを読んでみると分 かってきましてね。いや、これはソクラテスも大事だけども、どうも自分の本当 の姿を知るには、こっちの方もしっかり見ておかなければいかんのじゃないか、 という気がしたんだけども、何しろ網走でありますから、監獄はあっても教会は あんまりない。あっても、その当時の私は見える形のキリスト教というものには 毛嫌いしていましたから、容易に足が向かない。しかし、イエス・キリストとい う人物に関心はある。で、これは東京辺りでも行って少し学んで来なければ、と 思いました。当時の私の頭には、キリスト教という名前の付いている大学はない わけです。立教、上智、青山、明学、みんなキリスト教の学校ですけども、キリ ストと書いてない。その時にたまたま「国際キリスト教大学という学校が出来そ うだ」という話を聞いたんで、これに飛び付いたわけですよ、無反省に。そんな ことがキリスト教大学にいくきっかけでした。
 
               〈五〉
 
金光:  それで、国際キリスト教大学にはいい先生がいらっしゃったと思いますが、例え ば、どういう方がいらっしゃいますか。
 
川田:  まあ、たくさんおられましたけど、私がギリシャや聖書の世界に手ほどきを頂い た先生は、神田盾夫(かんだたてお)という先生です。この先生には随分お世話になりましたけど も、もっと私にとっては殆どショッキングというほどの影響を受けた先生は、エ ーミル・ブルンナー(Brunner,Heinrich Emil:1889-1966)という先生です。この 先生は今の若い人たちはあまり知らないかも知れませんけども、 私たちの頃で思想に関心のある人は、知っている人はたくさん いましたし、翻訳も出ていましたので、当時、信仰のなかった 私も名前ぐらいは知っていました。つまりスイスのチューリッ ヒ大学の学長をなさったお方で、当時、世界三大神学者の一人 と言われた権威です。
 
金光:  そうすると、有名なバルトとか、
 
川田:  ええ、カール・バルト(Karl Barth:スイスの神学者:1886-1968)、エーミル・ブ ルンナー、ラインホールド・ニーバー(Niebuhr,Reinhold:1892-1971)、そういう 先生の一人だったわけですよ。その先生が始まったばかりの私たちの学校にスイ スの大学を辞めて、ただの教授として来られるなんてことは、当時の私の常識を 遙かに超える、ほとんど考えられないことでした。しかし考えられないことが事 実として起こる。ブルンナー先生がお出でになった。そのことだけでも驚きなの にもっと大きな驚きは、ブルンナー先生が私たち一人ひとりに、いわゆる権威と して、高く離れたいかめしさで望むんではなくて、私らのような右も左も分から ない学生に、ほんとに親しく友だちになって下さった、ということです。
 
金光:  最初の、いわばご対面はどういう状況だったんですか。
 
川田:  これは、授業でしたけどね、私の場合は。多くの先生から、「ブルンナー先生にお 習いできるなんていうことは、君たちは一生のうちに二度とない。だから一言も 聞き漏らすまじく、全身を耳にして聞きなさい」などと注意され奨められていた ものですから、始まりはもうカチカチになっていたわけです。ところが先生はツ カツカと教室に入って来られて、まずみんなを見回してニコッとなさいましたよ。 その後で先生の母国語はドイツ語なんですけども、私たちはドイツ語が分からな いということをちゃんとご承知で、ご自分も第二外国語である英語で、「Ladies  and gentlemen,l am Emil Brurnar from Switzerland」とこうおっしゃった。そ の後で、「I come here,not as a theologian,but as a friend of everyone of you」とおっしゃった。
 
金光:  要するに、神学者として来たのではない。あなたたちひとりひとりの友だちとし て来たんですよ、と。
 
川田:  私はそれを聞いて、電撃のような感動を受けましたね。まず第一に、ほんとに偉 い人は威張らない。そして、私たちのようなものの友だちになって来て下さる。 こういう方が目の前に立っている。もしかしたら、自分がまだ分からないイエス という人物もこういう心で人たちの前に立ったんではあるまいか。僕はちょっと ピンと感じた。で、今までお聞き頂いたように、私のそれまでの歩みが、意外な こと意外なこと、逆転逆転の連続だったんですけども、これは本当に意外な逆転 現象でしたね。そして、私は、その時に、自分は今まで「こうだから、こうだ」 という論理に繋げて、物事を考えていた。しかし、人間の関係の中には、「こうだ から」ではなくて、「にも関わらず」そうなんだ。いわゆる「Therefore」ではな くて、「けれどもin spite of」という繋がりが人間にはあるんだ、と。そして自 分自身のことをよく考えて見ても、これは私の心の中のドラマにもある。「人の前 を繕って、一人前のような顔をして生活しているけれども、中には人に見せたく ないような汚らわしい嫌なものがいっぱいある。それを人に見せたら相手にして 貰えないんじゃないか、というような恐れもある。そういうようなことを知り抜 きながら、けれども尚かつ私のことを友だちと呼んでくれる。そういう方がこの 世の中にもしいるとしたら、私はそういう人に付いていきたい」と思ったんです ね。
 
金光:  チューリッヒ大学の学長と言ったら、もう功なり、名遂げたという、学問的に も世界的に知られている人が、「にも関わらず」、
 
川田:  私たちのところに来て、身を低くして、友だちになってくれた。これは後から気 が付くんですけども、キリスト教では、神様の使い、あるいは子と崇められたイ エスが貧しい大工の子として、飼い葉桶の中で生まれて、人にバカにされたよう な人たちの友になった、という。そして、それ故に、当時の宗教専門家たちから 敵視されて、十字架にまで追いやられることをイエスはこばまなかった。そのこ との意味が後で分かるんですよ。後で分かるんですけども、ブルンナー先生の姿 と存在というものを通して、イエス・キリストを指差す存在というのは、ああい う存在なんだということが私に感じられたんですね。これは百の説教よりも、私 には、先程の塚田和尚の話に負けないぐらい大きなショックであり、また呼び掛 けであったわけです。
 
               〈六〉
 
金光:  そういうニコニコした姿勢というのは、その後もずっと続くわけですか。
 
川田:  続きます。しかし、ブルンナー先生は人間的に見て欠点のない方じゃありません。 ある時などは、授業に、「学生の集まりが悪い。もう講義しない」と言って、怒っ てさっさと帰られたことがあります。
 
金光:  そうですか。
 
川田:  しかし、後で学生の代表がお家まで行って、心からお詫びした時に、ブルンナー 先生は、ご自分の頭を叩いて、笑って、「いや、自分は短気でカッとなる欠点があ る。これは神さまにお許しをして頂かなければいけないといつも思っていること なんだけども、今回もまたやっちゃった」と。
 
金光:  あ、そうですか。
 
川田:  「短気で軽率だった。許してくれ」と言って、先生がですよ、そんな若造の我々 に深々と頭を下げられた。これも意外です。私は大体自分が教わった先生から頭 を下げられて、「ご免なさい」と言われたことは一度もありません、それまでは。
 
金光:  「そうか、お前たち分かったか」。
 
川田:  「分かったらいい。今度からはちゃんとやれ」とか言われて、帰って来ることぐ らいが落ちです。しかし、先生のその言葉は、叱って私たちを出席させるより遙 かに強いインパクトを持ちました。どんなことがあってもこれからブルンナー先 生を怒らせたり悲しませたりすることはしないようにしような、とみんな考えた。 これがやっぱり本当の薫化(くんか)ということだと私は思いますね。
 
金光:  なるほどね。「何すべし」ということではないわけですね。
 
川田:  ええ。存在そのものをもって問い掛け、呼び掛け、そして、温かく包み、力を与 えていく。教育というものの姿の土台には、こういうものがやっぱりあるんだな あ、と思った。
 
金光:  そういう中にキリスト教の精神というものはここにあるのか、というふうにだん だん─、
 
川田:  私は予感したですね。その頃にそれまで聖書の「せ」の字もないわけです。
 
金光:  また聖書の文字だけ読み通すだけだと、読み過ごしと言いますか、あんまりよく 分からないところがありますから、しかもいろんな奇蹟物語があって引っかかっ たりしますし、
 
川田:  ええ。ブルンナー先生は、その後で、「キリスト教の真理は出会いとしての真理だ」 ということをおっしゃった。私はさっき「出会い」ということを二、三遍使いま したけどね。その時、私はハッと思ったんです。本を読むということは、ただ字 面をなぞって、考え方の筋道を心得るだけではダメなんだ、と。それを書いた人 の心臓の中に脈打っている鼓動を自分がほんとに感じて、そしてその鼓動と共に、 その著者の生き方や考え方と自分を重ね合わせて、自分もそれに応えて生きる、 ということなんだなあ、と思った。そういうつもりで聖書を読まなければ、単な る教訓として、或いは自己満足の慰めの書として読むだけで、本当の呼び掛けや 問い掛けを受け取ることは出来ない。応える、ということがなければダメだ。そ のことをブルンナー先生は言葉だけではなくて、行動そのもの、生活そのもので、 私たちに教えて下さっている。どんな聖書よりも先生のそういう生涯が、真理と いうものを見る私たちの目の付け所を示して下さっているように、僕には思えて ならなかったですね。それから何十年か経って漸く昨年ふとしたきっかけで、チ ューリッヒに行き、ブルンナー先生のお墓の前に額ずいて、妻と一緒に、自分の 一生を今まで導いて下さった先生をお送り下さった神さまに感謝をして祈ってき ました。まあ人間の一生というものは、どんなに見積もっても七十年か八十年、 長くて百まで生きる人は少ないでしょう。その中で「本当に変わらないもの」と ともに生きる。聖書はそのことを、「永遠のいのち」というふうに言っているけれ ども、「永遠のいのち」は、ただ長生きをするということではなくて、そのような 神さまの御心に繋がって生きるということだ。そして、それをいのちのリレーの ようにバトンタッチして生きていく。そういうところに、僕は人間というものの 目の付け所があるんじゃないかということを、先生方を通して教わった気がしま すね。それにしては、甚だ情けない、おぼつかない今までの私の歩みで、こんな ことをみなさんの前でお話する資格もないんですけどね。
 
               〈七〉
 
金光:  でも、そうやって感動なさって、じゃ、そのまま牧師さんの道でも歩まれるかと、 聞いていると、そういう方向に行かれるかと思うんですが、国際キリスト教大学 を卒業されて、京都大学の哲学科の方に編入して、哲学の勉強の方に行かれます ね。
 
川田:  それがまたおかしいところですね、私の。先程のソクラテスのことばが、私の胸 にずーっとそれまであったわけですよ。ところが、ブルンナー先生は、ある時、 講義の中で、「I once was a Platonist, but now I am ashamed of it」といわれ た。
 
金光:  ということは?
 
川田:  「自分はかつてプラトンの信奉者だったけども、今そのことを恥ずかしく思って いる」とおっしゃった。これも私にとってはショックでした。ブルンナー先生は そういう意味ではショックを与える方なんですよ。私はよっぽどその時にブルン ナー先生に詳しいお話を聞きたいと思ったんですけれども、しかし、「待てよ、ブ ルンナー先生に今私が聞いても、ブルンナー先生は私に反論出来ない形でお応え になるに違いない。或いは、そこまで私の理解力が及ぶ筈がない。だから先生が そうおっしゃったことを自分の胸に受け止めて、自分自身で、自分の目で頭で本 当にプラトンを読み、それとともに生きることは恥ずかしいことなのか、という ことを、自分で納得のいくまで確かめてみたい」と思った。
 
金光:  そこで宿題を貰ったようなものなんですね。
 
川田:  私の性格は本当に外からみたらアホみたいなものですよ。心に ひっかかることがどうしても納得の出来るところまで確かめた いという気持で、神田盾夫先生に相談したら、「うん。そうか」 とおっしゃられて、「まあ、日本でプラトンを読むんなら、田 中美知太郎君のとこだなあ」とおっしゃった。
 
金光:  有名なギリシャ哲学の大先生、
 
川田:  お二人は本当のお親しい間柄ですからね。私は軽率ですから、神田先生がそうお っしゃったから、もうそこしかないと思って田中先生のところへ飛び込んだとい う、そういう感じですね。
 
金光:  田中美知太郎(1902-1985)先生とのご対面というか、初対面はどういう印象でご ざいましたか。
 
川田:  そうですね。勿論、私は少しは読んでいましたよ、田中先生の本を。先生は分か り易くて、しかも考えさせる文章をお書きになっていましたから読んではいまし た。で、田中先生も勿論私が行ったことは歓迎して下さいまして、「そうか。じゃ、 君は三年生の専門段階からやるということにして、ギリシャ語を少し習ったか」。 「神田盾夫先生から『新約聖書ギリシャ語入門』というのを少し習いました」。「ギ リシャ語は少し違うが、まあ初めから何でも分かるわけではないから、みんなと 一緒にプラトンを読んでみるか」とおっしゃられて、行った四月からプラトンの 原文を読むことになったわけです。
 
金光:  しかし、新約聖書のギリシャ語とは大分違うでしょう。
 
川田:  ええ。これはちょっとオーバーだけども、夏目漱石と源氏物語ぐらい違うわけで すよ。ですから、漱石をボツボツ読んでいても、源氏物語には歯が立たないでし ょう。初めから分からないわけですよね。まあ告白しますけれども、一晩徹夜し て読んでも八行位しか分からないわけですよ。あとは全部分からないままで演習 に出るわけですから、たまたま当たったところを「答えろ」と言われても、ほと んど詰まって答えられない。
 
金光:  「そこは分かりません」ではダメなんですか。やっぱり当てられるわけ?
 
川田:  田中先生の演習では、「分かりません」というのは禁句でした。
 
金光:  禁句ですか。
 
川田:  答えるまで先生は二分でも三分でも五分でもジーッとお待ちになるんです。その うちに私の背中から冷や汗がジリジリでてきましてね。先輩たちは、「とんだへま をやっているわい」と思って見ていらっしゃるということもあって、毎時間が難 行苦行でしたね。
 
金光:  一週間毎ぐらいに?
 
川田:  いやいや。一日おき。
 
金光:  一日おきにくるんですか。
 
川田:  月、木、金でしたかね。
 
金光:  へえー。これは大変ですね。
 
川田:  ですから、一日おきに徹夜ですよ。それでも今いったような、
 
金光:  冷や汗、
 
川田:  冷や汗。私が三行ぐらい読むでしょう。しどろもどろの訳を付けますよ。先生は 端から一つ一つ、「文法的にどうなのか。前後の関わりがどうなのか」と聞かれる わけです。
 
金光:  日本語に翻訳されているものを参考にしながら、「こうこうです」なんていうわけ には通らない?
 
川田:  だって、その単語そのものがどういう形で、他とどういう意味をもっているか、 ということを厳しく問われるわけです。
 
金光:  それに答えられないと、また待たれるわけですか。
 
川田:  それに答えられるまでジッと待たれて、とうとう終いには今度はもう一学年上の 学生に、「じゃ、誰君」と訊くわけです。そういう形でいくものですからね。ま あ毎日が、
 
金光:  これはしかし身に付きますね。
 
川田:  ストレスの連続で、
 
金光:  そうでしょう。
 
川田:  しかし、問われたこと、失敗したこと、他人の答えたことに関しては、死んでも 忘れませんがね。そういうような日々を送ってきました。
 
金光:  で、そうやってトレーニング、訓練を受けられた結果は?
 
川田:  先生のところへ行って、「先生、入れて頂きましたけれども、私はお邪魔虫で、と てももう続きません。力が足りないので、大学院辞めさせて貰おうと思います」。
 
金光:  覚悟されたわけですか。
 
川田:  言いました。
 
金光:  そうしたら?
 
川田:  先生は、「辞めてどうする?」とおっしゃった。「辞めて社会科か、何かの中学の 免状でもとって教師になろうと思います」と言ったら、「うん、そうか。しかし、 社会科であろうと何であろうと、本物の教師になるのは、今よりももっと大変だ ぞ」とおっしゃった。
 
金光:  ほおー。
 
川田:  「本物になるのにはな」とおっしゃった。それに、「この学年は君しかいない。だ からまあもう一年とにかく続けてみろ」とおっしゃった。その後で、先生、ポツ ッと呟くように、「語学は実は僕も嫌いだ」と。
 
金光:  へえー。あの先生が。
 
川田:  僕は信じていませんけどね。「勿論、語学がよく出来て、スラスラ読めるというの は一つの才能だ。それはそれでいい。しかし、一つ一つ引っかかりながら、字引 を引いて確かめているうちに、読み飛ばしては分からないようなことに気が付く ということもある。そういう読み方があってもいいんじゃないか」と言われた。 もう毎日字引と首っ丈の私を、先生はお見通しで、自分の無力もすっかりご承知 のうえで、「もう少し続けろ」とおっしゃった。それがそのまま五十年のプラトン との付き合いを続けていく元になったと思います。
 
               〈八〉
 
金光:  それで宿題であったブルンナー先生とプラトン解釈の違いみたいなものがそこで 生まれてきたわけですか。
 
川田:  それが分かるのには二十年、三十年とかかりました。
 
金光:  ほおー。
 
川田:  ということは、ブルンナー先生の言葉の土台にあるのは聖書だと思います。そし て、プラトンにも勿論テキストがありますから、両者を対比し字面を重ね合わせ て、何とか辻褄を合わせるというようなことは、西洋の歴史が何度も何度もやっ てきたことです。しかし、私はそういうようなことではなくて、聖書の招きとソ クラテスとの問い掛けを絶えず自分の身体のうちに受け止めながら、目覚めて生 きつつ、かつ愛と真実を与えられて生きていく。そういう自分の生き方を続けな がら目ざめ、支えられた人生を生きていくより他にないなあ、と。理論で整理す る前に、生き抜いてみる。それしかないなあというふうに思ったのが、二十年、 三十年経ってからです。
 
金光:  なるほど。文字の上だけで、「こうこうだ」ということで、結論がでるような問題 ではないでしょうし。
 
川田:  それが分かったのはずっとあとのこと。ブルンナー先生が、「自分はそのことを恥 ずかしく思う」ということをおっしゃった意味は、むかし自分がプラトンの信奉 者、つまりプラトンの思想だけで、あらゆることが解決すると思っておった。し かし実際に生きてみてそういうようなのは自分の無知と思い上がりであった。そ ういうところに気づかなかったのが恥ずかしいということであったのかなあと思 うのです。しかし考えてみると、ソクラテスも無知と思い上がりについては厳し く自制している存在です。ソクラテスは、「本当の智者は神だけなのかも知れな い」という言葉を『弁明』の中で言っています。そういうソクラテスの生き方と 自分の生き方と考え合わせながら、同時に真(まこと)の神さまに助けられて生きなければ ならない自分の姿というものを忘れないで生きる、というところに自分の生き方 の基本があるのではないかと感じています。これ間違っているかも知れませんよ。 間違っているかも知りませんけども─自分としてはそういう生き方の中で、先生 の言葉を自分の中に反芻(はんすう)しています。また田中先生があれほど厳しく問い掛けら れたのは、哲学を勉強する人間としても世の中に通用する一人前の人間になって 欲しい、と考えて、些かの妥協もなく、私に問い詰めて下さった、先生のそこに は本当に深い深い愛があった、というふうに思うんです。そう考えてみますと、 私は、偉大な思想というものの土台には、やはり偉大な人間というものがある、 と思うんですよ。そして、偉大な人間の土台には、やはりそう言った愛と真実と いうものがある、と僕は思う。それに出遇うということが、本当に人に出会い、真(ま) 人間にさせられるということの大切なファクターだというふうにかねがね思いま すね。
 
金光:  プラトンという人は、ソクラテスという人に出会って、ということですが、ソク ラテスの場合、聞くところによると、あの「デルポイの神託」なんかお告げを聴 いた、と。いつも歩いている時でも、立ち止まって瞑目して、何かずーっと瞑想 するというほどの、いわば神さまとの交流、
 
川田:  会話をしていた、というふうに僕は思いますね。神さまとの対話というのをキリ スト教では「祈り」と言います。ですから、そういう意味では、ソクラテスなり の祈りというものがあった。そういうものが私には考えられてなりません。そし て、神さまとの対話の中で、ソクラテス自身が本当に自らの無知を知らされ、ま たその意味を知らされ、人と対話する存在にされたという。それにプラトンは出 会って、彼の人生は新しい方向にねじ曲げられていくわけですよ。そういう意味 でのプラトンの生涯を考えてみますと、私なりにソクラテスとプラトンとの出会 いというものがどんなものであったかということを、これは乏しい自分ですけど、 何かそれなりに体感することが出来るような気がしますよ。そういう人生の生き 方というものを、私は今まで自分の思想の精神の一番深いところで与えられてき ましたし、そういうような「真理」と「誠実」、この二つが集まってこそ「真実」 ということになるんだと思います。
 
金光:  なるほど。
 
川田:  このような真実を人とともに分け合いながら、助け合いながら生きていく。それ が私の先生方に対する御恩返しだなあ、と。また先生方が導いて下さった真理に 対する自分の応答でありたいなあというふうに思っています。
 
               〈九〉
 
金光:  神さまとの対話、祈りのお話がでましたけども、普通にキリスト教の解説なんか を簡単に読んでいますと、「神さまは人間を神に似せてお造りになった。だから人 間は神さまに似ているんだから、人間の思うようにすればいい」と、意外に表面 的なところで受け取っている解釈もけっこうあるんじゃないかと思いますが、こ の人間と神さまとの関係というのは本当にどういうことなんですか。
 
川田:  これはプラトンの用語でいうと、モデルとコピーとの関係ですよ。例えば、実物 を知っている人が写真を見たら、「この写真は誰に似ている」と言うでしょう。
 
金光:  それはそうですね。
 
川田:  だけど、反対に実物を見て、「あなたはこの写真に似ている」とは言わない。
 
金光:  そう言いませんね。
 
川田:  そこの混同があらゆる混同の原因なんだ、と僕は思うんです。「人間は神さまに似 ている」という時の人間は、非常にラフな、喩えて言えば、不完全な写真みたい なものです。不完全な写真を見て、完全な方と速断し、自分が完全な方なりに何 か出来ると思うのは、人間の傲慢であり、かつ迷妄です。ちょっとした間違いの ようだけれども、実は巨大な間違いが神さまや仏さまを、我々がどう捉えるかと いうところの根本に潜んでいると思いますよ。我々日本人はうっかりすると、自 分流に神さまでも仏さまでも考えるんですよ。
 
金光:  自分に役に立つ神さまは有り難いけども、役に立たない神さま、仏さまはあれは 効き目がない。
 
川田:  ということは、もう一方よく考えてみると、神さま、仏さまを判定する主人公は 自分なんですよ。その人にとっては。自分が神や仏になっているんですよ。とい うことは、コピーしか知らないで、実物を知らないで、「これしかない」と言って いるのと同じことなんです。そこに発見の必要があるわけです。その発見はどう してなされるかと言えば、私の経験でいうと、今言ったよき人々との出会いとか、 交わりとか、そういうものによって、自分の今までの思惑が片っ端からひっぱが され、ひっくり返され、目を洗われて、ますます自分の頼りなさと、しかし、に も関わらず生かされている存在の大きさとに、目が開いてきて、いっそう謙虚に なり、いっそう心が広くなり、いっそう正直にものを言ったり受け取ったりする ことが出来るような人にされてくる時に、ほんとうの神さまを神さまとして認め 従う素直な子どものようになるんですよ。「幸いなるかな、心の貧しきもの」とか、 「汝ら幼子の如くならずば」とか言われるような心になってきた時に、自分自身 というものと、神さま、仏さまとを混同しないで、自分自身の姿と生き方の土台 というものがはっきり分かってくることになるのではないか、と思います。
 
               〈十〉
 
金光:  「自分を知る」ということは、しかし、自分というものが独立完全なものだ、と。 完全でないにしても、足りないなら足りないにしても、これでいいということが できるところがあるんでしょうか。「自分を知れ」とソクラテスはいいますが、し かもそのソクラテスに問い詰められた人はしどろもどろになって、それまで自分 が優位に立っていると思ったのが、足元が壊されて、いわばバラバラになるよう なことがありますよね。
 
川田:  その人たちは自分以上に自分のことを知っているものはない、と思いこんでいま す。
 
金光:  大体自分のことは分かっている。ほっといてくれという。
 
川田:  そして、俺もけっこうこれで一かどの者だと、大抵思っていますよ。ですから、 何か批判されたら、必ず怒りますよ。しかし、「本当にあなたは自分自身の姿は分 かっているか」ということを率直に問われ、吟味されてみると、自分が分かって いると思っていたこと自体が単なる迷妄であったり、希望的観測であったり、自 惚れであったりするようなことが分かってくるわけです。そういうような時に、 自分自身をほんとに知る、ということの第一歩は、如何に自分が自分自身を知っ ていなかった、ということに気付くことですよ。
 
金光:  しかし、自分自身がそうやって見にくいものである。足に足らないものであると 思ったら生きていく元気が出てこなくなる?
 
川田:  にも関わらず、相手になって対話をしてくれる存在がいる、ということ。そこに 人間というものが、単なる個としてあるだけでなくて、関係の中で、初めて信頼 関係、心の繋がりの中で初めて人間として存在することが出来るんだ、というこ とに気が付くことなんです。その時、初めて思い上がらないけれども、しかし、 有り難う、これだけ期待をかけられている自分も奮発して、これからいっそう打 ち込んでやるぞ、というやる気がそこから出てくる。本当のやる気というのは、 そういうところから出てきた時に、人を生かすものになるんです。そうでないや る気は、人に負けないとか、人をやっつけるとか、人を踏み倒して自分のものを たくさん取るとかというような形でのやる気というものを駆り立てるような形で の社会というものからは、人を生かす形でのそういう努力というものはなかなか 出てこない。本当に人を生かす力が出てくるのは、今言ったような自分自身の姿 と、にも関わらずみんなこんなに助け合いながら、自分を盛り立ててくれている ということに対する認識と感謝と、それに応えようという本気の自分たちの中の 意欲ですよ。それが競争社会を、「共生社会」というものに変えて行く力になるの ではないか。
 
金光:  「共・生き」の方ですね。
 
川田:  そうですね。共に生きる、これが人間の本来の姿なんですよ。一人で生きていか れませんし、また親は子供に自分のいのちを譲り、でしょう。子どもはそれを受 け取ってまた譲っていく。一人占めしていったら生命の継承などはどこにもあり ませんよ。
 
金光:  そうですね。
 
川田:  そういう形で、頂きながらあげていくのが「いのち」のリレーですよ。「いのち」 を頂きながら差しあげていく。そういう「いのち」の授受関係というものの中に 「いのち」というものは繋がっていく。その中でものが生かされるか殺されるか は決まっていくんだ、と僕は思います。人類の英知というものが、今まで私に教 えてくれていたようなことの一端はそういうことなんです。今日の社会といった ようなものと、いろいろ考えてみます時に、やはりこの点にしっかりと目覚めて、 自分や自分たちの姿というものに目覚めながら、間違っても競争原理というもの だけが人間や社会をよくするものだ、というふうに思わないところに今も昔も変 わらない人間の目の付け所があるだろうと思います。そんなことを思いながら、 若い時からの先生や友だちの中で読まされてきた書物の意味を、今日はこんな形 でちょっとお話することになりました。
 
               〈十一〉
 
金光:  国際キリスト教大学、それから大阪医科大学、山梨医科大学、その後恵泉女学園 の園長をなさって、現在は日本聾話学校の校長をなさっていますね。またその仕 事先も随分バライティに富んでいらっしゃるんですが、今のお仕事の中でもそう いう今おっしゃったような、お互いの心の交流、出会い、日々新しい人にも出会 いになると思いますが、やっぱりそういう延長線での仕事は変わっても同じ路線 を歩いていらっしゃる?
 
川田:  まず私は聾話学校というのは耳の聞こえない子が行く学校だと思っていまし た。
 
金光:  そうじゃないんですか。
 
川田:  しかし、行ってみましたら、耳が聞こえない子は一人もいません。
 
金光:  え!そうですか。
 
川田:  聞こえ辛いのです。この頃は非常にそういう意味では医療や技術が発達してきま して、昔は聞こえないというふうに判断されていた子どもたちが、僅かながら残 存聴力があるということが分かってきました。だとすれば、メガネと原理は同じ ことで、それを補助し、強化するものがあれば、その聞こえはいっそうよくなる わけで、その点、非常に優れた補聴器がこの頃は出てきました。またそれでも難 しい子は、この頃は人工内耳手術と申しまして、耳鼻科の医療手術をやるわけで すけど、電極を耳に入れて、音をキャッチするという方法が出てきました。それ でいくと聞こえない子というのはまずないんです。聞こえるのであるならば、聞 こえない子のようにして教えるのは間違いです。あくまでこれは努力をしながら 聞こえるというところをいかして、しかも耳を通して口で表現する。つまり話を することができる学校というので、「日本聾話(○)学校」という極めて珍しい名前をこ の学校はもっているということが分かりました。それからもう一つ第二には、今 まで教育というものを、私はどちらかと言えば、育てるよりも教えるという方に 重点があるというふうに考えていました。学校で、教える、教える、教え方。そ ういうふうに習ってきました。しかし、此処へ来て分かりましたことは、教える 前に育てなければダメだ、ということが分かりました。まず第一に、子どもが耳 が不自由でどこへ行ってももう尽くす手段がないということが分かった時、一番 悲しみ、落ち込むのは親です。ことに母親です。その時に、子どもと一緒に死ぬ しかないとまで思い詰める母親がいるんですよ。その親にお説教してみたってダ メです。その親の肩を抱いて一緒に涙零しながら、「お母さん、辛いよなあ。しか し、一人でそのことを抱え込んじゃいけん。一緒に私たちもやるから、やろう」 と言って、いわばパートナーとして、親と歩み、その親とのいい関係の中で元気 を回復し、希望をもって子どもを育てていく土台というものを作っていかなけれ ばいかん。こういうことは普通の学校のPTAにはありません。
 
金光:  でしょうね。でも、それは本当のいわゆる教育の根本になければ。
 
川田:  そうです。もしかしたら今の教育の土台に、そういう親との心の繋がりが小さい 子どものうちから上手く出来ていない、ということが、あるかも知れないという ことに気付かされたのが、この学校へ来てからです。第三は、そういうような関 係の中で、初めて「信頼」というものが生まれます。そして、心を開くのは信頼 によってです。そして、本当に心が開かれて初めて心のこもった言葉のやり取り ができるんです。でなければ言葉というものは心なき言葉です。親と子、先生と 子、子ども同士の信頼関係の中で言葉が心の成長とともに心の開けとともに育っ てくる。そこには教師が子どもを本当に信頼して可愛がり、親も先生を信頼し、 子どもも、「先生、聞いて!聞いて!」と言って近よってくる。そういう中で初め て対話の土台が健全に成立するんです。それを作り上げるために気の遠くなるほ ど年月がかかる場合もあります。しかし、先生は諦めません。神さまが造って下 さったこの子どもに、神さまが無駄なことをなさらないと信じながら、半年、一 年と目立たない愛のいとなみを続けるんです。そのうちに口をパァーッと開いて くる。その時の喜びは何にもたとえられない。親も先生も手を取り合って喜ぶん です。対話というものの出発点がそこにあるということを、私はソクラテスから ではなくて、聾話学校へ来てから教わりました。
 
金光:  でも、お話をずーっと伺っていますと、最初の塚田老師とのお出会いもこれ信頼 から始まっている。
 
川田:  そうです。
 
金光:  ブルンナー先生とも信頼ですね。
 
川田:  そうです。
 
金光:  田中先生も厳しいけれどもずーっと生涯続いて信頼の関係に生きられた。
 
川田:  つまり先生かたの土台にはやはり育てる心というものがあったと思うんです。育 てる心は母心、親心、そして神さま、仏さまの心です。その心を土台にしながら 育てていく。いや、育てさせて頂く。そういうことが教育というものの土台だろ う、と。この学校の子らを見に来て下さる方々は、「子どもたちは、何て明るい、 素直ないい子なんだろう」と言ってくれます。そして、「ほんとに励んで、進んで やる、いい子だ」と言ってくれます。そういう子どもたちに育っていくというの が、私の生涯の最後の奉仕だと思っております。また良かったらどうぞ聾話学校 にもお出で下さい。お待ちしています。
 
金光:  どうも今日はいいお話を有り難うございました。
 
川田:  失礼致しました。
 
 
     これは、平成十四年十二月二十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。