聴くことの力
 
                            カウンセラー 内 田  良 子(りょうこ)
                            き き て  迫 田  朋 子
                                  (NHK論説委員)
 
ナレーター:  子どもの心をめぐる相談に取り組んできた、カ ウンセラーの内田良子さん。三十年に亘って、 保健所の子育て相談や、病院の心理室で、子ど もや親の悩みを聴き続けてきました。二年前、 勤めていた病院を退職し、「モモの部屋」と名 付けた相談室を開きました。不登校やいじめ、 子育ての不安など、子どもをめぐる相談は年を 追って増え続けています。仕事を始めた当時は、 カウンセラーという職業も、カウンセリングの方法論もまだ確立されていません でした。一歳半の子どもを抱え、病院の小児科に併設された心理室に職を得た内 田さんは、手探りのスタートを切りました。


 

迫田:  三十年前、今でこそカウンセラーというのはよく聞く言葉です けど、当時はまだそんなに必要だと、みんなが認識していない 時代じゃないですか。
 
内田:  そうですね。雇われた理由も、むしろお医者さんたちが学会に アレルギーの専門外来があったんですけども、学会で報告する のに、アレルギー、喘息やアトピー皮膚炎に関しては、心理的 な要因が絡むので、心理テストをして欲しい。テスターとして 採用されたんです。
 
迫田:  じゃ、話を聞いたりとか、そうのではなくて、
 
内田:  最初の段階ではね。だけど、テストをやってみて、ある結果が でたとしても、その子の喘息が楽になるか、症状が改善される か、と。それは違うわけですよね。
 
迫田:  そうですね。
 
内田:  私たち、どうもテストということにあまり信頼感をもっていませんでしたから。 その時代は学園闘争なんかの影響もあって、人を判定するとか、 そういうことについて、疑問をもつ。そういう問題意識があり ましたので、私たちは何を考えたかというと、テストする前に は、子どもとの信頼関係がとても大事なんですね。それで結果 が全然違ってきますので、だから、「子どもとの信頼関係を作 るために」というので、まあ一緒に遊んだり、お喋りしたりっ て、それに時間をかけ、テスト全然しなくてサボっていたんで す。それでそういうことをしていたら、医者の方が、「心理テ ストの結果があがってこないんだけど、心理室に行く子どもた ちや親御さんたちが随分落ち着く。発作も起きなくなった」と いうふうなことで、逆に私たちのやっている活動を認めてくれ て、それからいろんなおねしょとか、言葉の出が遅いとか、そ ういう小児科で受ける心理的なことを関与しているお子さんに ついて紹介してくれるようになったんですね。で、そういうこ とについて、またいろいろお話を聴いて、問題を私たちなりに 気が付いて、お母さんやお父さんと相談して、やってきましょ う、というふうになったら、随分、身体の具合が悪くて来る子どもたちがよくな っていったんですね。そんなことがあって、心理相談室でずーっとやっていた。 そういう点では当時草分け的な時代でしたし、心理室のある病院ってほとんどな かったですから、いろいろ勉強させてもらったし、勉強させてくれた相手は、子 どもとお母さんだったんですね。これは、とても印象に残る、私の相談活動にと っては、原点になる経験があるんですね。それはダウン症のお子さんが保育園に 入れないというんで、その支援活動をやっていて、一年が終わって、忘年会をし ようということになったんです。あるお家に集まっ て、みんなで、子どもたち はジュースで乾杯し、私たちはお酒で乾杯して、楽しくやっていたんです。その 時に、あるお母さんがジャーナリストなので、もう暮れも押し迫って、公官庁は お休みだというのに、「これから取材に行って来ます」ということになったんです ね。で、そこのお子さんは、多分一歳八ヶ月なんですけど、その子が遊びに夢中 になっているから、そっと置いて黙って出て行ったんです。「宜しくお願いね」っ て。そうしたら、暫く遊んでいて、その子が気が付いて、「ママがいない」と言っ て、泣き始めたんですよ。幼稚園の先生がいたり、共同保育をしている方がいた り、子育てのセミプロの方も混じっていてね、いろんな形で慰めたの。「けんちゃ ん─けんちゃん≠ニいう子だったんですけど─けんちゃん、男なのに泣くなん ておかしいよ」とか、「いつも泣かずにお留守番しているのに、今日はどうしたの」 とか、いろいろ言うんですけど、大人としては声を掛ければ掛けるほど、「わあっ」 と、怒ってというか、泣き声が高くなっていく。誰が慰めても泣き止まないとい うことがあったんで、私がフッと、「けんちゃんは、お母さんが、ママが黙ってお 仕事へ行っているから怒っているんだね」と言ったら、「ウン」と言うんで、凄く 勢い良く泣いているんですけども、ちょっと泣き声が止まるんですよね。そして 「けんちゃんは、お母さんが断って言ったら、今日は待てたのに、それがないか ら怒っているんだね」と言ったら、それは彼の自尊心でも響いたんだと思うんで す。で、私が、「ママが黙って出掛けて行ったのは悪かった。ママが帰って来たら、 けんちゃんが泣いて怒った、ということをちゃんとお話しておくからね」って。 「ただ、今日はお母さんが帰って来るまでみんなで遊んで待っているから安心し ていいんだよ」というふうに言ったら、だんだん泣き声が落ち着いてきて、お母 さんが帰ってくるまで待っているし、お母さんにちゃんと言っておくし、という ふうなことで、彼が怒っているということが分かって、そのことについて、「お母 さんにね」という話をしたら、泣き止んだんですよ。一歳八ヶ月なんですね。彼 は、話せば分かる。だけど、分かっているんだけど、逆に話せなかったんですね。 それで通じないとドンドン泣き方がエスカレートしていったんです。それをちゃ んと道筋を立ててほんとに話合ってみたら、彼は納得したんですね。一歳八ヶ月 でもそうなんだ、ということが分かったんで、もうそれからは、子どもの話をち ゃんと聴いて、そして子どもの言いたいことを、言ってみれば、翻訳するという んでしょうか、いろんなことをすることというのは、一つ子ども相談では大事か なあと思って、そのことを心懸けるようになったら、子どもがほんとに次々面白 い顔を見せてくれるんですよ。
 
迫田:  内田さんのカウンセラー、三十年の長い人生の最初の一番大事な出来事?
 
内田:  まさに私にとって、ある意味で師匠なんですね。
 
迫田:  一歳八ヶ月のけんちゃんが、
 
内田:  何かの時に、まさにそのけんちゃんの泣いている泣き顔と情景が今でも思い出さ れるんです。
 
迫田:  今は不登校の子供さんのことを、或いは親御さんのいろんな話を聴いて、されて いらっしゃるわけですけども、そもそも登校拒否ということに出会ったのはかな り前のことだったそうですね。
 
内田:  当時は、私が現場に出て、その登校拒否の子どもたちと出会った頃は、日本の社 会で、私の勉強不足ということがあったのかも知れませんけれど、「アメリカに学 校恐怖症という子どもたちがいる」と。一九六○年代にそういう子どもたちがい るということがあって、そういう情報なんかが入ってきて、ちょっと聞いた覚え があると、そんな感じだったんですね。ほとんど登校拒否についての情報がなか ったということが一つあったのと、その学校恐怖症というのは、母子分離不安が あって、学校が恐い、親から離れられない。その結果として、学校に行かなくな る。「学校恐怖症だ」と言われていたんですね。で、私のところに、例えば、心理 室に紹介されて来る子どもたちというのは、「頭が痛い。お腹が痛い。熱を出す。 場合によっては吐いたり、ひにょうになったりする」ということで、小児科や関 連の科を受診して、それで医療上の検査をしても、どこも具合が悪くないんで、 「じゃ、心理室に行ってご覧なさい」と言って、紹介されて来る子どもたちだっ たんです。病院に来た子どもが、見落としがあったら大変ですので、私たちも心 理室にいた方のお話を非常に丁寧に聞き込んだんです。閑でしたし。閑古鳥が鳴 いていて、むしろ私も教えて貰いたい、ということがあったのです。そして、「頭 が痛い、お腹が痛い」というふうに言って来る子どもたちが、検査ではどこも具 合が悪くないわけですから、「いつ頃具合が悪くなるの?」。それから、「一日中 具合が悪いの?」「毎日続いて具合が悪いの?」というふうに、思って聴いてみた ら、そうではなくて、一日のうちでも、具合が悪くなるのは、朝。それもどうい う具合に悪くなっていくかというと、明け方辺りから徐々に具合が悪くなってい って、登校時間辺りがピークになる、と。「もうこれは学校に行かれないね」とか、 「お医者さんに行って診て貰おうね」というふうに言って、学校に行かないとい うことが定まると、なんか状態が落ち着いてくる、というんですね。それから、 「毎日ですか?」と言うと、そう言われてみると、一週間に何回か、月曜日と木 曜日とか、火曜日と金曜日とか、そういう感じで毎日じゃないんですよね。ただ、 起こる時は同じような状態になる、というので、学校で曜日が決まっているとい うのは、時間割りと学校給食ですので、それを聞いてみると、体育なんですよね。 後は給食がある日のその子の苦手なメニューが出る日。給食指導の厳しい先生と か、それから体育のある日というので、「どうして体育の日かな?」というふうに 聞いてみると、要するに、「教室は机一つ、椅子一つ、自分の居場所は決まってい るから、そこは安全だ」というんですよ。だけど、体育の時間というのは机と椅 子がないから、虐められていたり、無視されている子どもというのは、そこで集 中的に批判に遭いますので、だから具合が悪くなるということがあるんですね。 そういったことが一つ分かってきたんです。だから、「これは母子分離不安と違う な」というのは、具体的なこと一つひとつの積み重ねで分かってきたんです。そ ういうことをたまたま私たちは病院で仕事をしていましたので、そういう方があ る時間ほんとに増えてきましたので、お一人おひとり丁寧に聴いていくと、デー タが一つ一つ増えて、一人ずつ増えてきて、あ、これは間違いない、ということ になりましたね。
 
迫田:  最初の頃に出会った少年というのは、非常に印象に残っているそうなんですが、
どんな感じだったんですか。
 
内田:  忘れもしませんけども、非常に体格がよくなって、九十キロを越えていたのかな。 その若者は十六歳でした。それで糖尿病とか、そういう身体的な状態に何か問題 があるといけないから、ということを理由に連れて来られたんですけれども、心 理室に紹介されて来て、出会ったんですね。そして、「今日どうしてここへ来るこ とになったの?」というふうに訊いたら、「多分学校に行っていないからだと思い ます」と、本人がいうんですね。それで訊いてみたら、中学を除籍されていたん です。ですから、中学二年から学校に行っていなくて、中学三年も行かなかった ので、義務教育課程だったのにも関わらず、除籍処分になっていたんですね。そ れで彼は家にずーっと閉じこもっていて、「そんなに学校へ行きたいと思っている の?」と言ったら、「いや、そんなことはない」というんですね。だけど、「周り が学校に行かないと、とても心配して悩んでいて、僕もそこから抜けられないん だ」というんです。「学校へ行きたくなかったら、学校って行かなくっていいんじ ゃないの」と、そんなふうに思ったんですね。その通り伝えたんです。でも、日 本の社会だと、中学を卒業していないと、生きていかれないし、そのことで、な んとしても学校へ行かそう。卒業資格が必要だったら、中検というのが当時から あったんですね。中学卒業資格認定試験があるので、「中検を受ける方法もある し、もし大学へ行きたいといいうんだったら、大検という方法もある」という話 をしたら、彼は非常にビックリしまして、「学校に行かなくっていいんですか?」 と言うんですよね。それで大学の教授をしていて、心理室の室長をしている方が 当時おられて、その方は、登校拒否のことについて、いろんな知識をもっていら っしゃるので、当時は、「子どもが学校へ行かないのは我が儘である」とか、「怠 けである」とか、そういう認識だったんですよ。だから、彼にどうも説教しちゃ ったらしいんですね。そして、そのことについてお母さんと電話でやり取りして いたら、「室長の偉い人には二度と会いたくないし、あの病院にも二度と行きたく ないんだけど、最初に会った若い人とは話してもいいと思ったから、家に来てく れれば会う」という話だったんですね。
 
迫田:  内田さんのことですね。
 
内田:  はい。そうです。私は閑でしたから、「じゃ、家庭訪問行ってもいいんですか?」 と言ったら、「是非どうぞ」というんで、そこで家庭に伺って、彼といろいろ話を することになったんです。その時、もう一つ、彼から聞かせてもらった話で、凄 く印象的だったのは、彼は、「自分が思っていること、感じていることを喋ろうと 思ったんだけど、自分が語りに足る言葉をもっていないことに気が付いた」と。 「思っていたり、感じたりしているんだけど、言葉が出てこない」というんで、 自分自身がやっぱりなんか自分が語れる言葉というのがどっかにある筈だ、とい うんで、ほとんど家から出なかった彼が、夜中にというか、夜本屋さんの終い際 に、本屋さんには出掛けるようになったんですね。いろいろ本棚を見て、「ここら 辺にどうも自分が喋りたいことについて書いてあるものがあるんじゃないか」と いうコーナーを発見した。それが、「哲学書が置いてあるコー ナーだ」というんですよね。アリストテレス、プラトンからず ーっと読み始めて、読み進んでいって、サルトルとか、唯心論 哲学のところへきたら、自分の思っていること、考えているこ とが書いてある、と。それに出合うんですね。そしてそれを読 んで、「あ、自分は全然間違いていなかったんだ、ということ に気が付いた」といいましてね。私が彼と話して思い出したの は、学園闘争で、学校のあちこちに出ている立看を読んで歩い たんです、私は。「学びは誰のためにあるのか」というふうな ことを書いてあったんですけど、彼はほぼ同じような中味を言 うんですね。「学問の自由のことについて、登校拒否をしてい る子どもというのは、資本の原資的な蓄積のない植民地みたい なものである。だから、独立したくとも蓄えがないので独立出 来ないのだ」と。
 
迫田:  それが彼の口からでたんですか?
 
内田:  そういうふうな話をするんですね。だから本当に学生たちが立看で主張している ことと、彼が言っていることって、本当に共通するんです。で、彼だけではなく て、その後やって来た子どもたちと話していても、同じような話が出てくるんで すね。最初の少年が、「大学に行きたい。心理学をやりたい」。「じゃ、大学へ行く んだったら大検を取る必要があるね」というんで、夫が大学の教員をしていたの で、身近にそういう教えることの出来る人たちがいたので、「紹介しようか」と言 ったら、彼が、こういうことを言ったんです。「僕はどこまで分かっていて、どこ から端が分からないか、その分かっていることと、分かっていないことが、どう なのかが自分で分かっていないので、先ずは独りでやってみます」と。「独りでや ってみて、分からないことがあったら、また相談に来ますから、その時には相談 にのって下さい」というふうに言って、彼は教科書を取り寄せて、自分で勉強を 始めるんですよ。それで、「どうもよく分からないので、ちょっと見て欲しい」と いうふうに、数学の問題をもって、夫のところに来たんですね。夫が見ていて、 帰った後で、目を丸くして、「彼は凄い」と言うんですね。「数学の定理や公式を 一生懸命考えている」と。普通、私たち、定理や公式はこうしてこういうものだ から、これにあてはめて、
 
迫田:  覚えちゃって、マニアル化して、
 
内田:  こっから先を、ということですよね。だけど、彼は、それの成り立ちを一生懸命 考えていて、それで自分で解いてきたところもあるんですね。だけど、「ここから 先はどうも自分で分からない」というふうに言って来て、「君はそれは」というん で、「ここからはきっと人に教わった方が分かるかも知れないし、この定理や公式 についても、解るように話してくれる人がいるから、一緒にやってみたらどうか」 というふうに言って。それから、彼が、つい一緒にやった方は、大検で当時大学 に入った方でしたね。自分の経験もあって、いろいろ教えて、一緒に学んで、と いうことだったと思います。
 
迫田:  大検で大学へ入って、
 
内田:  合格した。だから、彼は、それで大学に入った時に、同年齢の人より、一年か二 年しか時間差がないんですね。だけど、自分でそういうふうに考えてやってきて、 ある意味で成熟していますからね。体格が良かったということがあって、ニック ネームは教授≠ニいうニックネームだったんです。クラスメイトに、「教授」と 言われるのはあれなんですけれども、授業が終わると、終わった後で、担当の先 生が、次の授業の教員が待っているのかと思って、彼にマイクを渡した、という くらい堂々としていたみたいですね。
 
迫田:  そうですか。それが本当に自分の身になり、力になっている、ということなんで すね。登校拒否の時間が。
 
内田:  彼は、結婚をする時は、中小企業の社長業をやっていて、かなりの人たちを使っ て仕事をしていたんですけども。それで、そういう社長業なんかをやる時って、 登校拒否の関係はすべて役立つ。百パーセントどころか、百二十パーセント役立 つ。昼夜逆転を飽きるほどやっているから、夜を徹してやる仕事がきても、全然 平気である。そういうことがあるし、いろんな本を山ほど読んでいるんで、外国 の方とのお付き合いをしても、そういう考え方の問題、価値観の違い、発想の違 いなんかについても、柔軟に対応出来るし、それから会社にやっぱり非常に個性 的で、同僚と上手く仕事が出来ない人なんかが入ってくることがある、と。そう いう時なんかも、その彼の持ち味・特性を、一緒に仕事をして、把握して、そし てその彼が仕事が出来るように用件整理する。そういうことなんか全部登校拒否 をした自分の経験が役立っている、と。
 
迫田:   学校に行かない少年が、立看と同じようなことを言っている、と。内田さんは その時、どんなふうに思われたんですか。
 
内田:  専門家が書いていたり、専門書に書いていることって、これは、「間違いているん じゃないか」って思ったんですね。「目の前で語っている子どもの言うことを信頼 するか、専門書に書いてあることを信頼するか」と言ったら、もう紛れもなく目 の前に喋っている子どもたちが、本当のことを喋っているというのは、やり取り で分かりますから、「あ、これは凄い誤解や偏見が日本の社会の中にあるんだな」 ということを、会うごとに確信しましたので、私としたら、私のする仕事という のは、彼らと語り合うこと、彼女らと語り合うことに併せて、やっぱり世の中の 誤解や偏見をやっぱり少しでも取り除いていく。それが私のもう一つの役割じゃ ないかな、って。若かったですから、私もちょっとそういう希望に燃えていまし たから、そういうふうに思って。当時日本で病院の先生の相談ではなくて、私た ちを選んでくれる人がいて、どうしてなんだろうと思ったら、「気軽に、普段着で 出掛けて行って、普段の飾らない言葉で話が出来るということがあるから、気が 楽だからいいです」って。だから、「あなたが話を聞いて下さい」というふうに、 選んでくれる方が出てきたので、「あ、これでいいんだ」ということと、要は、な んか専門的な知識を相手の方は求めているわけではなく、って、「私の話を聞いて 欲しいのよ」って、いうのがあるんんですよね。そして話をしていくと、自分の 気持が─話をするというのは、主語が必要で、述語が必要で、主語から述語に至 るところに至る道筋の中のさまざまなことを描写しながら語るわけですから、心 の中で堂々巡りをしている心配事や悩み事が、秩序だって整理して、言葉にされ てくるのが話ですよね。だから、それを私たちはほんとに、「謙虚に聞いていれば いいんだ」ということが分かったんですね。そして話すだけ話して、「今日いろい ろ有り難うございました」。私、何も言わないんですけども、というふうに思うん だけども、「本当に今日は有り難うございました」って、帰って行かれるんです。 私は、「そうですか、はあ」と言って、「なんて言えばいいんだろう」と言いなが らね、こちらは心の中でこう思っているんですけども。そうすると、ずーっと時 間いっぱいお話されて、話初めは表情は暗くて、悩ましげだったのが、帰り掛け にはほんとに爽やかな顔をして帰って行かれるのを見て、「あ、ほんとに話を聴け ばいいんだ」というのは、実感として教えて貰いましたね。ですから、けんちゃ んに出会ったことと、彼に会ったことというのは、私にとってその後随分道を見 せて貰ったという気がしましたね。
 

 
ナレーター:  子ども相談室、「モモの部屋」の名前は、ドイツ人の作家・ミヒャエル・エンデ の童話の主人公に因んでいます。時間を奪われ、ギスギスと生きるようになった 人間たちに、時間を取り戻してくれた少女・モモ。その特技は、 人の話を聴くことだったのです。モモに話を聴いてもらう人は、 みな話しているうちに、自分で解決の糸口を見えだしていきま した。内田さんは、この「モモの部屋」が、日常の慌ただしさ から離れ、じっくりと話をしたり、聴いたり出来る場であるこ とを願ってきました。不登校の少年が、自分の道を見えだして いく姿に多くを学んだ内田さんは、その後も学校に行かない子 どもたちの問題に取り組んできました。相談を受けると同時に、 大切にしてきたのが、社会の偏見や誤解のために孤立して、苦しんでいる親と子 が、集う場を作ることでした。同じ悩みを抱える人が本音で語り合う会が、毎月 開かれています。
 
 
内田:  よくおっしゃる方がいるんですけど、なんか悩み事を抱えてい ると、つい目線が下になるので、それで道端に花があったり、 こういうテーブルの上に花があったりすると、ホッとするとお っしゃるのですね。だから、通りを俯いてなんとなくみなさん 歩いて来るので、足元に小さな花が咲いていると、ホッとされ るんですって。それで成る可く足元で咲く松葉ボタンだとか、 日々草だとか、そういうのを植えているんですね。極めて無造作なんですけれど も。

 

ナレーター:  この日は虐めや不登校をきっかけに、家に引きこもるようにな った若者の家族が集まりました。追い詰められ、家族とのコミ ュニケーションが難しくなることも多い若者たち。その心のう ちに、どう耳を傾け、理解すればいいのか。「モモの部屋」で、 他の人の言葉を聴き、自分のことを語る。そうした中から、自 ら解決の糸口を見出していく姿に、内田さんは何度も出合って きました。
 

 
出席者A:  息子の場合、やはりちょっと物にあたる。暴力が出たり、それから強迫観念、行 動もありまして。結局は、その時に、私が息子のことを、一応勉強会には出て来 ておりましたけれども、正確に伝えていなかったようなんですね。要するに、息 子の言葉を、今、電車の中でずーっと考えてきたんですけども、息子の言葉を伝 えていたのかしら、と。そうしますと、言葉を伝えるということはどんなに精神 的にダメージを受けていても、言葉を話すということは、いくらでも話せますよ ね。なんと言っていいか、そこは私も上手く言えないんですけれども。ですから、 そこのところが、正確にこういう場で話してこなかったのかな、と。そういう部 分がちょっと私自身、今、まだハッキリ整理出来ていませんけれども。
 
出席者B:  だから、「先生に伝えていなかった」って、こちらのことを聞いて、私も息子の ことをちゃんとね、伝えていなかったな、と思ったんですけども。だから、ほん とに親が考えていることと、子ども当人の辛さが本当に分かった時にはほんとに 可哀想なことをしちゃったと思うんですが。自分が楽になりたくて、こちらに来 ていて、子どもを楽にするために来ているんじゃなくて、自分も楽になりたいと いう感じなんか。ちょっとそこら辺は、私もちょっと整理仕直して、ほんとに子 どもの言葉をちゃんと伝えていかないと、問題は解決しないなあ、って。
 
内田:  この会は何よりも、まず楽にならなかったらほんとに大変ですものね。
 
出席者C:  家は四年生で、行かなくなった子が下で、その時上の子が中学一年生だったんで すよ。「ほんとにお前はバカだ」「死ね」「お前は生きている価値がない」って、 毎日言うんですよね、上の子が下の子に対して。で、もうそれが容赦ない攻撃が ズーッと何時間も毎日続くと、こっちも聞いていて痛んでしまうし、この子はこ んなに大変なのに、という思いがあったりして、それこそさんざん間に入ってみ たり、納得みたり、話してみたり、怒ったりみたりと、いろんなことをやったん だけど、全部ダメでした。説得しようとすれば、もっと火種が大きくなる、とい う家の場合は理屈があったような気がして、そういうのはほんとに気が付かせて もらったのがこういうところの仲間だし、ほんとに何でも心が激しく痛んでいる 子の肩をかばいたがる私なんだけれども、「激しくいう子の肩を抱けるようになっ たらね」と言われたのが、「ああ、こっちの子を、みたいな、こんなに攻撃してい るんだから、凄く元気がいいし、ほっとけばいいし、あんた反省しなさい≠ニ 言っている子の方の心の中を」と言われた時に、ビックリして、「ああ、そこをみ たいと思っている私がいなかった」。
 

 
迫田:  「モモの部屋」で話される内容を、最初の頃、とても厳しいお母さんたちも悩ん でいらっしゃる。しかも世の中がどんどん厳しい時代になって来て、特に心の問 題というのは、今、一方で脚光を浴びていますけれどもね。そうすると、だんん だん身が重くなってしまうんじゃないかなあと思うんですけども。
 
内田:  ええ。そういう点では、私はよく、「カウンセリングとか、カウンセラーなんて大 変なお仕事ですね。身は持ちますか?」と訊かれるんですけどね。私は全然そう 思わないんですね。子どもの状態が理解出来ない。親の思うように子どもが動か ない、ということがあって、凄く悩み込んでいる方というのは、ほんとに自信を なくされていて、ちょっと表情も厳しかったりするんですね。ところが、グルー プなんかで他の方の話を聞いたり、子どもって不思議なことに、人の話を聞いて いて、手に取るように我がことのように聞こえてくると、その後で自分の子ども が言っていることが聞こえてくるんですね。自分で心配事で、心がいっぱい、頭 がいっぱいの時は、子どもが言っていることが殆ど聞こえていないんです。人の 話を聞いていて、余所のお宅のお子さんが、お家の中でいろんなことを言ったり、 やったりしている、というのを聞いていると、我が子が言っていることが聞こえ てきて、家へ帰ると子どもの言っていることがまた聞こえてくる、という状況な んですね。で、ある子が言っていたんですけれども、「お母さんが会に出て、お家 へ帰って来る。玄関から近付いて来る足音を聞いていて、あ、お母さんが分か ってくれた∞帰ってくる足音で分かりました=vって。
 
迫田:  そうですか。
 
内田:  「その時から、私は動くことが出来るようになりました」って。だから、やっぱ り親が理解してくれるというのは、子どもが自分の思いに合わせて動けることの 第一歩というところがあるみたいなんですね。
 
迫田:  それは別に直接話したわけではなくて、ここでお母さんが、他の人の話を聞こえ るようになった、って。それが家に帰って来る時に足音で、
 
内田:  足音で違うって。玄関に近付いて来る足音と、玄関を開ける音。「ただいま」とい う声を聞いて、「あ、お母さんが分かってくれた」って。
 
迫田:  ああ、そうですか。
 
内田:  それくらい子どもの側は、全身これ耳にして、聞き取ったり、感じ取ったりして いるんですよね。これは、「親の育て方が悪い」というふうに誤解されそうなんで すけれど、そういうことではなくて、やっぱり学校へ行かなくなったり、家の中 に長らく過ごすようになると、親御さんって、凄く心配になるんじゃありません か。しなくていい心配をするといいうふうなことがあって、その心配が邪魔立て することが多いんですよ。心配のあまり焦って、こうしたら良かろう、ああした ら良かろう、と言うんで、折角塞がっている傷口を開いてみたり、そういうこと をすることが多いんですね。まあそういうことがあるんで、いろいろお家の中で、 小競り合いというか、小さな衝突を繰り返されるんですけど、それが分かってく ると、ほんとに、「あ、この方は分かり始めたんだな」というのは、見ていて分か るんですね。表情が変わってくるんです。厳しい顔をしていた、こういう感じだ ったのが、ほんとに柔らかい顔になってきて、どちらかというと笑顔が増えてき て。そうするとなんというんですか、人が成熟していくというのかなあ、そうい ったら烏滸がましいんですけれども、器が大きくしている時というのは、ほんと に素敵な表情になられたり、それがそこで語られる言葉というのが、一言半句聞 き漏らせない。ほんとに勿体ないくらい素敵な言葉がいっぱい語られるんですよ。 特に、今、家に居て、「引きこもり」ということが言われるようになっているので、 家にいて、「これで大丈夫か」というふうに、脅かされる親御さんと子どもたちが 増えているんです。それでいろんなちょっとした行き違いから、閉塞状況ですか ら、エスカレートしてしまって、お互いに言わなくてもいいことを言ったりして、 傷付き合うということがあったりすると、一時期相互不信になって。で、お子さ んがそうすると、非常に不安定になって、夜も寝られないとか、ジッとしていら れなくて、家の中を動き回るとか、そういうことが起こってくることがあるんで すね。そんな時に、私は思い出すんですけれども、あるお母さんが、子どもの状 態が心配になって、自分がパニックを起こしてしまった。オロオロしていて。そ うすると、親がオロオロすると、それに増幅されて、子どもはもっとパニックを 起こす。そういう中で、「お母さん、お願いだから子守唄を歌って頂戴」。オロオ ロしてウロウロするお母さんに対して、「お願い、子守唄を歌って頂戴」。で、お 母さんが子守唄を歌い、子守唄だけでは間に合わなくなって、それで日本の童謡 ですね─赤トンボだとか、いろんな童謡を歌って、まずお母さん自身が自分で歌 を歌いながら、落ち着いてきた。すると、お母さんが落ち着くのに合わせて、子 どももだんだん落ち着いてきて、寝ないで一日、二日って、オロオロとなってい た子どもが、横になって寝た、というんですね。横になり、そしていつのまにか 寝入って、明け方を迎えた、ということがあって。結局、精神安定剤なんかでも 落ち着けなかった子どもが、「子守唄を一晩中お母さんが歌い続けて、それから日 本の伝統的な童謡を歌い続けていたら、子どもが眠ったんですよ」というふうな 話を聞かせて頂くと、これはほんとにこういう場で聞かせて頂かないと、教科書 には書いてありませんのでね。当事者である子どもが教えてくれるというのは、 ほんとにそういう場面にいっぱいあるんです。丁寧にお話を聴いていくと、一部 始終を聞いていくと、答えはそこで出てくるんですね。それを追認する、共有す る、ということをしていくと、なんか相談というのは、いろんなことが分かって くる。
 
迫田:  こちらが何かを用意している、というよりは、どちらかというと、みなさんから まあ教えられるというか、みなさんがもって来られるというか、そういう感じな んですね。
 
内田:  そうなんですよね。それが気持の中で、心の中で整理出来ていないので、話すこ とによって整理をしていく。整理をすると、問題が何であるかと、核心が分かる ということだと思うんです。もう一つ私が心がけているのは、そういうふうに大 きな心配事を持っている方というのは、どうかすると、相談という形で心配事を 預けて帰りたいんですね、私の方に。それは私はちょっと、「人が悩むとか、心配 をするというのは、もう人生である意味で、真剣になることだし、大切なことだ から、それだけはお持ち帰り下さい」と。心配事というのは、風呂敷に心配事を 包んできた、とすると、全部風呂敷を開いて、いろいろお話するのは、好きなだ けやって頂くのはいいと思うんです。でも、「最後はそれを縛って、しっかりお持 ち帰り下さいね。これはあなたの大事な荷物ですから」って。それは気を付けて します。というのは、人の相談や心配を、私が引き受けてしまったら、その方が 自分で解決を考えたり、改善に向かう道筋を逸らすということから、ちょっと離 れちゃうんですよね。「どうしたらいいでしょうか?」と言って、相手から答えを 求めるような関係に変わってしまうものですから、それは違うんだろうな、と思 って、「どうぞ忘れずにお持ち帰り下さい」って。
 

 
ナレーター: この日、「モモの部屋」には、かつて引きこもりを体験した青年が訪れていまし た。内田さんと出逢って十三年。今、教師となった青年にとって、自分の足取り を話すことが、これまでの体験を整理し、生かしていくための大切な機会だ、と いいます。
 

 
青年: 自分は小学校の頃から虐めにあったんですよね。やっぱり虐めると、やっぱりそ の人の欠点を指摘しようとすると、一番言いやすいのは外見ですよね。どんな外 見でも虐めの原因に出来ちゃうわけだから、あること、ないこと、さんざん言わ れて、ニキビができれば、パッチだなんだと言われたんで、中二から中三の間は 鏡を見たことがなかったです。で、最近高校、中学時代の修学旅行の写真を見た 時に、一応人の顔を知っているのを確認しました。この前、ついこの間です。自 分が三十二ですけども。それ位その頃の自分の顔というのは、自分の顔じゃなか ったし。だから、今でもその外形のコンプレックスというのはもっていますし、 こうやって人前に出られるようになったので、一応どうにか自分としては生活許 容範囲内に入れたというだけのことで、傷はあるじゃないかなあという。
 
内田:  小学校? 虐めがあったのは?
 
青年: 中学校ですね。
 
内田:  その時は、虐めたというのは、もっともっと違う。まさに存在を否定されるとい う感じだったのかしら。
 
青年: ずーっと、というわけじゃないですけれども、でもやっぱりそういう時期は一年 間位ありましたかね。やっぱり差別待遇というか。で、当時は荒れていたという のもあるけど、自分だけじゃなくて、他にそういう人がいましたね。
 
内田:  されていた人が?
 
青年: 例えば、やっぱり違うところから転校して来て、制服が違う。カバンが違う。そ んなものが原因になったりすることもあったですね。環境が変わって、みんな自 分のことを知らない人たちと、自分が心を開いて仲良くすることが出来ないとい うことに気付いて、休学して、結局、退学してしまったんですけど。そっから先 ですね、自分の傷の痛みを感じ始めたのは、言ってみれば。それこそ半狂乱にな って、もう俺はダメだと言って、手足を振り回していることがあって、特に十九 か二十歳、いや二十二位かな。その頃、だけど、家の父親に取り押さえられまし て、取り押さえられるということは、まだ自分も本気で暴れてはいなかったんで すね。家の父親に、こういうふうに言われて、「お前のことはよく分からないけど も、一生面倒見てやるから心配するな」と言われたんですよ。意外に支えになり まして。その時、「有り難う」という余裕もなかったんですけどね。今も言ってい ないんですけどね。
 

 
迫田:  そもそも最初に出会った青年ですか、不登校で学校に行きたくない。行かない。 「行かなくともいいんだよ。行かなくてもいいんじゃない」とおっしゃったわけ ですよね。それは普通世の中だと、「みんな行かないといけない」と、みんな思っ ていたわけですよね。
 
内田:  多分、そうでしょうね。
 
迫田:  内田さんはどうして、そういうふうに、「じゃ、行かなくともいいんじゃないの」 と言えたんですかね。
 
内田:  というのは、私は仕事をして、初めて気が付いたことなんですけど、私はとても 身体の弱い子だったんですね。
 
迫田:  内田さんご自身が?
 
内田:  はい。朝鮮半島から引き揚げてきて、長野県の八ヶ岳の麓の農村に引っ越したん ですけれども、とても身体の弱い子で、しょっちゅう学校を休んでいたんです。 頭が痛いとか、お腹が痛いとか、熱を出して。どうも自分の記憶の中では、三分 の一以上休んでいたような気がするんです。纏めて休んでいる場合もあるし、飛 び飛びに休んでいる場合があるんですね。それは何故かというと、引揚者の子ど もですから、当時の田舎では、着物にもんぺみたいなものを履いて学校へ行って いたんですね。それに対して、引き揚げで、そういうものが手に入りませんから、 母が、自分の姉からもらった洋服なんかを解いて、私たち子どもに洋服を作って くれていたんです。洋服を着て行くし、それから植民地で生活していましたから、 言葉も標準語なんですよね。そうすると、「東京っぺみたいでおかしい」というん で。
 
迫田:  「東京っぺ」?
 
内田:  よく「田舎っぺ」という言葉がありますけれども、田舎に入ると今度は、「東京っ ぺみたいで可笑しい」。少数ですからね。それで虐められて、随分虐められていた んですね。だからとにかく学校に行きたくなかったんです。
 
迫田:  登校拒否だったわけですね。
 
内田:  そうです。今風に言えば、登校拒否なんですよね。ただ、あの時代は、学校を子 どもが休むのは当たり前。身体が弱くて栄養状態も悪いし、健康状態で休むのは 当たり前。それから農繁期─田植えだとか、稲刈りの時は、子どもも大事な働き 手ですから、その頃は教室の半分以上が、歯が抜けたように休みますので、休む のは当たり前だったんですよね。で、「登校拒否」なんて言葉はなかった。だけど、 どうも私は身体の不調がしばしば出て、学校に行きたくなくて、よく休んでいま したので。だから学校ってそんなに行く必要があるところというふうに思ってい なかったんですね。それから、後々その頃のことが役に立ったなあというふうに 思うことがもう一つあって、小学校に上がる時に、母が私に言 ったことで、こういうことを言っているんですね。「学校に行 ったら、先生のいうことを信じちゃいけないよ」と。
 
迫田:  「信じちゃいけないよ」?
 
内田:  それは「登校拒否」と言ったお子さんや親御さんたちが、「学 校に行ったら、先生のいうことをちゃんと聞きなさい」。それ から先生が父母に対しても、「子どもの前で、先生の批判をしないで下さい。子ど もが先 生ということを聞かなくなるから、間違ったと思っても、その子どもの 前では批判しないで欲しい」というのを言われるんですよね。幾度も言われて、 「子どもさんをここまで追い込んだのは、どうしてだと思いますか」と言ったら、 「学校の批判をしてはいけない」というふうに言って、子どもが、「先生こうやっ ているからおかしい」とか、「友だちがこういうふうにして、それに対する先生の 指導が変だ」とか、言っているのを、「先生にもお考えがあるんじゃないの」とい うふうに言って、「子どものいうことを全部蓋をしてきちゃっていた。そのこと が、子どもを追い込んで、ここまで登校拒否のさらに深刻な事態までやっちゃっ た、と思うんで、凄く後悔しています」とおっしゃる方が多いんですね。だって、 私の母は、「学校へ行ったら、先生の言うことを信じてはいけないよ。何故かと言 えば、先生は1+1=2とか、漢字の書き方はこうだと言って、教える知識は間 違いていない。正しい。それはその通りなんだけども、自分たちの時代は、学校 の先生の言うことを聞いて、戦争をした時代なんだから、先生のいうことを丸飲 みしちゃいけないよ。まず疑って掛かりなさい」と言われたんですね。
 
迫田:  小学校に上がる前に?
 
内田:  そうです。小学校に入る時に。そして、「自分で正しいと思ったことは、ちゃんと 言いなさい」と。それで、「正しいと思ったり、間違いていると思ったことはちゃ んと言いなさい。それで通らなかったら、分かって貰えなかったら、お母さんが 学校へ乗り込んで行ってあげます」というふうに言ってくれたんですよ。そうい う母でしたね。当時は、引揚者の子どもとか、それから戦争で、父親が戦死した 子どもとか、それから都会から疎開して来た子どもとか、言ってみれば、違う異 質の文化をもって農村社会に入ってきた子どもたちも、それから親たちも、共同 体に上手く入れなくて、村八分にあったり、虐められたり、そういうことが当た り前にあったんですね。だから、我が家の中で一番先に学校に行って、いろんな 苦労を一身に引き受けた兄の場合なんかも、凄く虐められているんですね。クレ ヨンなんか全部へし折られて、川に流されるとか、それから雪が一メートル位当 時積もったんですが、その雪に埋められてしまうとか、そういうことの虐めを随 分受けていたんです。母は、兄がそういうふうにいろいろな目に遭うので、今で 言うPTA総会に出て行った時に、校長先生に、「自分の子どもが、文房具を全部 川に流されたり、一メートルもある雪に埋められたりするので、なんとかして欲 しい。指導をして欲しい。命に関わるかも知れない」というふうに抗議している んです。そうしたらそれに対して校長先生が、「まあまあ、そんなに思い詰めない で欲しい」と。要するに、「鶏の小屋でも、新しい鶏を入れるとみんなで突っつき 散らかして、血が出るほど突っつくものだけど、暫く一緒にしていると馴染んで 突っつかなくなるから、そんなに気にしなくってもいいんですよ」というふうに 言ったらしいんですね。そして、母がそれに対して、「自分は子どもを学校に入れ たと思ったんですけども、校長先生、家の子どもが入っているのは、鶏小屋です か」というようなことを言って、そこでまた異議申し立てをしているらしいんで すね。そんなことでやっぱり何かあると事ごとくにキチッと言っていく。
 
迫田:  意見を言って、
 
内田:  そういうようなことを、「こういうふうにやったからね」というふうなことの話 を、私たち多分聞かされていた、ということがいろいろあったので、だから凄く 心丈夫ということがありました。虐められるのは分かっていたし、虐められてい たけれども、心丈夫ということがありました。
 
迫田:  そうですか。
 
内田:  「昔も今も虐めがあった」って、よく大人たちが言うし、「昔の虐めの方がもっと 酷かった」って、言いますけれど、私はその現場の相談をしていて、そういうふ うに思われないんですね。今の方が大変だと思うんです。というのは、私が子ど もの頃というのは、「白いカラス」と、母は言っていましたけれど、余所者や、そ れから引揚者だったりすると、虐められたわけですよ。だから親も我が子が虐め られている、とよく知っているし、子ども自身も、そういう違う文化をもってき ているから虐められる、ということを、暗に知っていたんですよね。だけど、あ る時期から、「子どもたちが虐められると、虐められる子どもの側にも問題があ る」。それから、「虐められるような、ある意味で、弱い子どもを育てた親の側に も問題がある」という。そういう言い方がかなりこう一般化してきて、個人と家 庭の問題になってしまったんですね。そのために子ども自身が自分が虐められて いる時に、「自分が虐められるような子だ」というふうに、自己認識することがと ても辛くて、虐められていてもなかなか認めにくいとか、虐められていることを 人に訴えにくい。「自分が虐められている」というふうに、親に訴えたり、学校の 先生に訴えたりすると、「虐められるような子なのか」というふうに思われてしま う。そうすると、「自分の作ってきたいい子としての像が傷付いてしまうので、そ ういうことをなかなか言えないんだ」というふうに、いう子どもたちが増えてき ているんですよね。だから、そういう点では個人の問題にするということの、社 会や学校や地域の認識というのは、子どもをとても追い詰めているし、そういう 点では、今の方が子どもって大変だなあと思いますね。

 
ナレーター:  子どもを巡る問題が、個人や家庭の責任と捉えられることが多 くなる中で、内田さんには気がかりなことがあります。ラジオ や雑誌など、相談現場で、子どもを育てることの重圧に苦しむ 母親の訴えが、目立つようになったのです。



 

 
内田:  どのような相談でしょう。
相談者: 長男のことがあまり可愛いく思えなくて、可愛いく思えないん だけど、可愛いがらなくちゃと思ったり、変にこう子どものな んというのかなあ、言ったことに一々敏感に反応して、なんか こうスムーズにいい関係が作れないというか、そんな気がする んですね。長男を叩いてしまったり、冷たくあしらったりする。 今はほんとにベタベタしてくる。それがもう嫌で堪らないとい うこの気持をどうしたらいいのか。このままだとなんか長男が ダメになっちゃいそうな気がするし、私自身もなんか後悔はしているんです。だ からここから抜け出したいなあと思って。
 
内田:  それで、その可愛いく思えないんだけども、可愛いがらなくちゃというふうにこ う相反する気持でいつもなんというんですか、葛藤するということがある、とお っしゃいましたよね。
 
相談者: ええ。
 
内田:  ですから、子どもをこんなふうにちゃんと育てなくちゃいけないという、ある意 味でマニアルというか、思いがあって、それと現実との食い違いが、一つは大変 みたいですね。
 
相談者: そうなんでしょうかね。いい子に育って欲しいから、テレビを見てもいいんだけ ど、こっちのちょっとこっちの勉強もやりたいね、とか、思い通りにやっぱり子 どもがやってくれないと、ついイライラして、「三十分と言ったでしょう!」と か、なんかつい長男に特にきついんですよ。身体に触られることも、そこまで、 「止めて」って、あの子に言っちゃうと、あの子はなんか何時でも私に、「嫌だ」 と言われているんじゃないかなあ、って。
 
内田:  そのことは分かっているんだけど、その中で受け入れられることと、受け入れら れないことがあるわけよね。
 
相談者: ええ。
 
内田:  そのことを素直に言ったらいい、と思うんです。
 
相談者: 言ってもいいですか?
 
内田:  言っていいんですよ。そういうふうにして、自分を殺さないでということがとっ ても大事なんです。というのは、子育てって、子どもがやってくると、朝から寝 るまでお母さん役をやってしまうけれど、私という一人の人間が、喜怒哀楽をも って生きているわけですから、私にとってこのことは、不愉快で受け入れられな いの、ということは、子どもに分かるように言ってやった方が、お母さんは、「僕 が嫌いでなくて、このことをされることが苦手なんだ」ということが分かるわけ ですからね。凄く安心するんですね。
 

 
迫田:  今は特に子育ての中で、母親たちに掛かるプレッシャーって、凄く大きなものが あると思うんですね。さっきお話があったように。実際、どんなプレッシャーが どんなふうに親たちに掛かっているんですかね。
 
内田:  そうですね。「ほんとに子どもはこう育てなければならない」とか、そういうふう に出来ない子どもがいると、父親でなくて、「母親の育て方が悪い」というふう に、非常に、「ねばならない」という、そういう社会的な意味でも、母親自身の認 識、それはとても強くなっていると思うんですね。それからその通りに実際は出 来ていない時に、「社会が見る目がとても冷たくなっている」ということがありま す。で、外国で生活して、例えば、夫の仕事の関係で欧米に行く方も、アジアに 行く方も、アフリカに行く方もいるんですけれども、外国から帰って来た方たち が、共通にいうのは、「日本に帰って来ると、社会の目がとっても冷たい」という んです。で、例えば、子どもが泣いていると、「何泣かせている」という感じがあ るんだけど、来てあやしてくれたりする、そういう言葉がけ、声かけがまったく ない。外国だと一緒にあやしてくれたり、そうでなくとも、子どもを連れて街を 歩いていると、みんながとっても親切にしてくれるし、子どもも可愛がってくれ るけど、日本は、「何をやっているんだ」という視線は痛いほど浴びるけれども、 「手伝いましょうか」ということはない、というんですよ。例えば、学校の場合 なんかもそうなんですけども、子どもは学校の生徒さんなんですけれども、母親 も学校の生徒さんなんですよ。いい母親は生徒さんをさせられちゃうんですね。 それで、誰かが、「よく出来ましたね、というふうに丸を付けてくれる。丸を付け て貰えるようなことをしないとダメなんだ」という認識があるじゃないでしょう かね。
 
迫田:  そうすると、「なんかしなくちゃならない。ねばならない」と思うと、子どもが何 をしているとか、子どもが何を言いたいかと、聞き難くなってしまう。
 
内田:  それよりもまず最初に自分がいい母親を演じる。それは周りの大人たちの目、社 会の目を意識して、その合格点が得られるようにやるんですね。だから、とって も大変だと思うし。
 
迫田:  それはご自身の子育てにはどうでした。
 
内田:  私は、家の子どもが一歳半で、子ども相談に出るようになって、心理相談員とい うことだったんですけども、その時代というのは、もう時代が変わっていて、子 どものことで何かあると、やっぱり親の育て方が悪いということを、核家族化し ている状況の中で、「親の育て方が悪い」というふうにいうと、「母親に責任がく る」という状況になっていたんですね。だから、母親というと、「育て方が悪いと か、未熟だ」とかと言われる、そういう時代状況の中で、子育てをしていたので、 なんとなく、「お母さん≠ニ呼ばれたくないな」とかね、自分自身の中にそうい う思いがあったんですね。それからもう一つは、「奥さん≠ニ言われたくな い」。夫のあれとして、やっぱり固有名詞で、名前で呼んで貰えるような、そうい うふうなことでやっていきたいなあと、なんとなく思っていたんですね。で、上 の子が生まれて、私たちは子どもが欲しかったから、ほんとに子どもは私たちの 生活にやってきたというんで、凄く嬉しかったんですけども、お互いに、「お父さ ん」とか、「お母さん」というふうには、夫婦では呼び合わなかったんです。子ど もが生まれても、お互いに名前を呼び合っていたんです。で、私のことを、「良(りょう) さん」と呼び、夫のことは、「ゆうさん」というふうに、お互いにそう言っていた ら、子どもが、口が利けるようになったら、当然のことながらなんですけれども、 私のことを、「りょうちゃん」と呼んだんですよ。
 
迫田:  ああ、「お母さん」と言わないで。
 
内田:  「ママ」とか、「お母さん」と言わなかったわけですね。だから、「お母さん」と いう人は家の中に誰もいなかった。子どもはまあ親の生活を見て学ぶわけなので、 私のことを、「りょうさん」と言い、夫のことを、「ゆうちゃん」というふうに言 って、名前で呼んでくれるようになったんですね。で、子どもが名前で呼んでく れる関係になってみたら、これは心地がいいんですよ。お互いに名前で呼び合う 関係、いくら小ちゃくとも。そうすると、やっぱり親風は吹かせられないんです ね。
 
迫田:  「お母さんのいうことを聞きなさい」と言えない。
 
内田:  とても言えないんです。「良ちゃんに向かって何ですか」とか、 「良ちゃんのことを聞きなさい」と言ったら、これは我が儘以 外の何ものでもない。非常に横暴だということが非常にハッキ リするんですよ。だからそういう時、一生懸命に相手に分かる ように説明しなきゃというと、結構これは、子どもがやったこ とも道理に適っているし、説得するには難しいことが多いです ね。「親に向かってなんですか」とか、「親のいうことを聞きなさい」というよう なことというのは、ある意味で力関係が互角の問題が多いということが分かって、 そんなことがありましたので、名前を呼び合う関係というのは、対等な環境を作 る基本だというのが、子どもから学んだという気がしますね。
 
迫田:  それはそのままそっくり相談の場面にも応用が出来るというか、両方が繋がって いることですよね。
 
内田:  そうですよね。だから親子を考えているんですけれども、「思うように子どもが動 きません」って。例えば学校に行くこと一つについても、勉強することについて もそうなんですけど、ほんとに「子どもと親って別の人格ですよね」ということ をハッキリ伝えられる。そんなことをお伝えしてみたら、「私は、というようにな ったら、子どもとの関係が五分五分になってきた。子どもから物やおちゃわんが 飛んでくることが、ほんとに減りました」というお話を聞きますのでね。やっぱ り対等な関係をどう作っていくか、という時に、子どもと一緒に作り合った家庭 の関係、家族の関係というのは、参考になったなあと思いますね。むしろ、子ど ものことが心配な時というのは、合わせて自分自身の何かこう真っ正面から見る のがちょっと不安な現実を、大人自身が家庭的にもっている場合もあるだろうし、 社会的にもっている場合もあるだろうし、個人的にもっている場合もあるだろう し、というようなことがあるので、まあ最後は、「自分の問題だよね」というとこ ろで、いつも「モモの会」って、終わるんですけれど。そういう点では、「私たち 大人がどう生きるか」。それから、「自己実現しながら、自分の人生を生きている か」というところが、「子どもから絶えず問われている」ということが、多分ある んじゃないかと思いますね。
 
                                  
       これは、平成十四年十月二十七日に、NHK教育テレビの
       「こころの時代」で放映されたものである