法隆寺で祈る
 
                             作 家 立 松(たてまつ)  和 平(わへい)
昭和二十二年栃木県生まれ。小説の題材は自然や社会、仏教など幅広い。代表作に、「遠雷」「卵洗い」「毒風聞田中正造」「光の雨」など、現在仏教雑誌に「救世聖徳太子御口伝」を執筆中。
                             ききて 中 川   緑
                            (アナウンサー)
 
ナレーター: 奈良県斑鳩の法隆寺。聖徳太子が建立した お寺です。飛鳥時代、仏教興隆に努めた聖徳 太子。その徳を偲(しの)んで、毎年法隆寺では、さ まざまな法会(ほうえ)が営まれてきました。法隆寺金 堂。本尊は聖徳太子ゆかりの釈迦三尊像です。 ここでは新年の一月七日から十四日までの一 週間、修正会(しゅしょうえ)と呼ばれる法会が営まれていま す。法隆寺の僧侶たちにまざって、七年前からこの行(ぎょう)に参加しているのが、作家 の立松和平さんです。立松さんは、毎年修正会の手伝いをしながら行に励んでい ます。法隆寺で過ごすこの一週間は、立松さんにとって、聖徳太子や仏教につい て、思いを巡らす大切なひとときです。
 

 
中川:  やっぱり木って、いいですね。
立松:  いいですね。こんな建物は他にないですよ。綺麗ですね。
 
中川:  でも、千何百年前の人もこう眺めたんでしょうかね。
 
立松:  そうでしょうね。鎌倉時代ですから─。
 
中川:  此処は。この建物は違いますね。
 

 
中川:  そもそも立松さんが、最初に仏教に惹かれていった何かきっかけというのはあっ たんですか。
立松:  もう子どもの頃から、おばあちゃんと一緒にお寺へよく行きま したね。子どもの頃は、何が何だか分かりませんよ。仏教とい うのは、いいなあ、というふうに、意識し始めたのは、インド に二十歳(はたち)ちょっと過ぎ位の時に、リックサックを担いで、放浪 まがいの旅をしていたわけですよ。その時に、荷物をあまり持 っていけないので、いつまでも、何度も読める本と思って、中 村元(はじめ)先生の翻訳した『ブッダのことば』という文庫本を持って行ったんです。大 した深い意味もなく。でも、それを朝起きて、安い宿のベッドの中で読んだり、 カレー待ちの町の食堂で読んだり、一行一行読んでいるうちに、なんか凄く心が 惹かれたんですね。
 
犀(さい)の角(つの)のようにただ一人歩め
 
という言葉が書いてある。仏陀の言葉に限りなく近いと言われている原始仏典を、 知識もなく読んでいって、それ以来、もう繰り返し繰り返し読みますね。今でも 読んでいます。易しい言葉なんだけども、内容が深いからなかなか分からないん ですよ。難しい言葉ではねつけられるんじゃないですよ。
 
中川:  字面(じづら)は易しそう、
 
立松:  優しく抱擁されるような感じなんだけれど、やっぱりよく分からない。
 
中川:  「犀の角のように一人歩め」。分かりませんね。
 
立松:  その揶揄は、要するに、「一本角が立っていて、何処へ行っても、一人でスクッと 立って、どこでも一人で生きなさい」という。仏教で言えば、「自灯明(じとうみょう)」「法灯明」 の教え─「法を灯火として、自分を灯火として生きなさい」ということなんでし ょうけどね。僕は、そのインド体験が非常に大きいですね。要するに、それから 二十年位経って、温めてきたものが、「卵を手の中に入れて、無精卵だ≠ニ思っ たものが、二十年も経ったら、ヒヨコになった」みたいに、ゆっくりと時間をか けて、そういう世界に入っていった感じがしますね。なんか急ぐように読まれる けど、そうでもないですね。随分時間がかかっている。僕は、いつもこんなこと を感じるんですよ。ある時、イギリスのロンドンだったんだけど、街の中に大き な公園があるんです。ほとんど「森」と言っていいような公園で、その道を歩い ていて迷ったんです。迷って、自分は何処にいるか分かりませんでした。うっす ら道があるので、歩いて行ったら、看板が出ていたんです。地図が書いてありま して、そこに赤いポチがあって、「現在地」というふうに、日本語では書いてある んだけど、英語では、「you are here」と書いてあった。
 
中川:  「you are here」・・・あなたは此処にいる、と。
 
立松:  「お前はここだ」という赤い点があった。それからまたしばらく行って、同じ地 図の上に「you are here」が動いていたわけです。同じ道を歩いて行くと、最初 の看板を見た時に、自分の位置は分かったわけだけど、なんかその時に、フッと 気が付きましたね。いつも僕らは道を歩いているわけですよ。どっちの方向か。 ともかくいつも時は流れていく。諸行無常ですから、留まるところなく、流れて いく中にいるんです。僕は、自分がジッといるつもりでも、周りの時は流れてい くものですから、「you are here」というのは、たえず変わるわけでしょう。いつ も動いているわけですよ。ところが、我々は、その地図がないんです。僕が、ロ ンドンで見たサインボードの地図がないから、「you are here」は動いているんだ けども、動いた位置の関係を認識できないんですよ。
 
中川:  自分が、「全体の中の何処にいるか」という、「全体が見えない」ということです か?
 
立松:  動いているのに関わらず、動いた形というのが見えないんですね。
 
中川:  足跡が見えない?
 
立松:  見えない。でも難しい本とか、一生かかって読む本を持っていると、地図が分か るんですよ。要するに、例えば、それは、『ブッダのことば』でもいいですよ。『ブ ッダのことば』は、二十歳位で読んで、何のことだか分からなかったのが、四十 になって、フッと分かったり、五十になって分かるんです。これは、地図が動い ている「you are here」なんですよ。僕は、この法隆寺に来始めて、八年経ちま して、八年間の「you are here」の変遷も分かります。お寺は何にも変わってい ないんですけど、自分が変わっていますね。それは勉強して、少しはよくなった と思いたいです。
 
中川:  「よくなった」というと?
 
立松:  いろいろな知識、ものを考えられるようになった。ものが見えるようになった。 「それは、どう見えるのか」と言われても、それは応えられるけど、応えること は恥ずかしいから応えません。でも、そういう感じはしますね。僕は、いつもた えず動いている人間の動きの行方を知らしめる何かが必要ではないでしょうか。 そうしないと、ただ迷ってばかりだ、と思いますよ。
 

 
ナレーター: 修正会では、毎日三回、法会(ほうえ)が営まれます。 立松さんは、そのすべてに承仕(じょうじ)として関わっ ています。「承仕(じょうじ)」とは、修正会の準備運営 のために、お寺に奉仕する人々のことです。 修正会が始める前に、金堂の中に入り、仏前 のお供えを整え、灯明を点けます。法隆寺の 修正会は、奈良時代の七六八年に始まったと 言います。金堂の釈迦三尊像の左に安置され る吉祥天(きちじょうてん)。修正会では、この吉祥天に一年 の罪・過(あやま)ちを懺悔(ざんげ)し、新年の平安を祈願し ます。吉祥天に悔過(けか)、即ち罪を悔いることか ら、「吉祥悔過(きちじょうけか)」とも言われています。修正 会の間は、十人ほどの僧侶が、金堂で行(ぎょう)に 励みます。古来、「金堂十僧(じっそう)」と呼ばれ、大 変名誉ある勤めとされてきました。立松さん は、承仕として、僧侶たちを金堂に導く大切 な役目も果たしています。僧侶たちは、経典、 「金光明最勝王経(こんこうさいしょうおうきょう)」の教えに従って、五穀(ごこく)豊穣(ほうじょう)や国家安泰(あんたい)などを、次々に吉祥天 に祈願していきます。修正会の最中、立松さんは灯明の油を足すなどの奉仕を続 けます。僧侶たちは、節(ふし)を付けて、仏の徳を讃えます。声明(しょうみょう)です。立松さんもこ の声明に加わっています。全員で声明を唱えながら、金堂の中を巡ります。仏を 供養し、そのご加護を祈願するのです。立松さんは、声明を繰り返しながら、仏 の世界に近付こうとしています。
 
 
中川:  私は、修正会の様子を初めて拝見したんですけれど、普段拝観 させて頂く金堂の中の様子と、また空気が違う、場が違うよう な印象を受けたんですが、実際、参加されていて、どうですか。
 
立松:  これは、行いで、祈りをしているわけですよ。どうしても普段 来ると、美しいものを見に来たという、観光的な感じになりま すね。実際、此処の金堂での修正会は、吉祥悔過というんです。 行の中味は、吉祥天にいろいろ罪・咎(とが)を告白して、そして、新 しい気持で新年を迎えるという行です。今年で、千二百三十五 回目の行ですよ。法隆寺というのは、祈りの場所です。お寺で すからね。そういう祈りをやっているとは、なかなか外から見 えにくいんです。毎年毎年、千二百三十五回もやっているんで すよ。僕は、行に参加させて貰っていて─小坊主なんですけど ─お手伝いをしながら、自分も行に参加させて貰うと、外側か ら見ているのと、全然違いますね。
 
中川:  そもそも最初に、この行に参加されるようになったきっかけはなんだったんです か。
 
立松:  高田長老さん─今、長老さんになりましたけども、前の管長さんと知り合いまし てね。中国に行く船に乗り合わせたんですよ。で、すごく親しくなって、「奈良仏 教のことを勉強したいんなら、お出で」と言われたんです。それで最初来たんで す。「小坊主やれば」と言われて。そういうきっかけです。まあ縁を頂いたんです ね。此処は、本来は、「法隆学問寺」と言いまして、学問するお寺なんですね。い ろんなお坊さんがたくさん来て、勉強してきたところなんです。親鸞聖人も来ら れているんですよ。勉強したいという気持がありましたので。勉強と言っても、 ただ本を読むだけではないですから、実際にお寺の祈りのことを知ったりしなが ら、勉強になるわけです。生きた学問ですよ。最初、来始めた頃は、みんなにく っついていくのが精一杯だったんです。だんだん余裕が出てきて、自分が何をし たらいいか、というのも分かってくるわけです。まあ余裕の中でいろいろなこと を考える。一種の瞑想ですね。坐禅のように、無になるのではちょっとないと思 います。ただ、どっかでいい瞬間があるんです。必ずあるんですよ。何か仏と一 体になるような気持が時々ありますね。お坊さんたちも、そんなことをよく話し ていますよ。
中川:  そうですか。
 
立松:  此処は美しいですからね。そういう中で、昔の人たちがやって きたように、自分も此処で祈ることが出来る。幸せですね。特 に、僕は、朝五時半に起きて、すぐ金堂に来るんです。真っ暗 で、寒くて、お灯明を点けて、そこから始まるんです。なかな か光がボーッと広がると、釈迦三尊像も、その光の中に浮かん でくるわけですよ。
 
中川:  お顔が?
 
立松:  お姿が全部ね。薬師如来も阿弥陀如来も。ほんとに美しい仏さ んが、今、此処に現れたかのように、闇の中にボーッと現れて くる。闇の中から金色の光の中に出てくるんです。壁画の仏さ んたちもそうです。そうやって、僕らが、お灯明を点ける度に、 此処に今現れたなあという感じですね。実際はずっと此処にい らっしゃるんだけども、そんな感じがしますよ。
 
中川:  毎年、欠かさずに参加されるというのは、何か意味があるでしょうか。
立松:  最初はそういうつもりはなかったんです。来ているうちに、一 年の初めの一週間、此処でお籠もりするということが、何か僕 にとって、年の始まりの当たり前のことになってしまいました。 一週間、普段の生活と違う時間を送れることはとてもいいです よ。此処でものを考えることもできる。行は、一日二時間位ず つ、三回やるんですが、その他の時間は、別に何をしてもいい わけですよ。ですから、本を読んだり、自分の仕事の整理する こともできるし、お寺の中を歩くこともできる。最初、五重の 塔の屋根に登ったんですよ。
 
中川:  え!屋根のうえですか?
 
立松:  いろんなお手伝いをするために、登ったこともあります。小さ な冒険だったけどね。
 
中川:  行の中で、たくさんのいろいろなお経を唱えたり、いっぱい読 み上げるところありますね。その中で、「ここが特に好き」と か、「この言葉が」というのは、どんなところですか。
 
立松:  それはいっぱいありますね。既成のお経というと変だけど、「法華経」とか、「般 若心経」というものは普通に読むんです。ここの行にしかないというお経という のもあるんですね。それはストーリーになっていて、「仏さんに示現(じげん)して貰って、 願いを聞いて貰って、そして、吉祥天に対する祈りなので、自分は吉祥天に帰依 します」というふうなストーリーになっていくわけです。その気持を歌いあげる んですね。だから、吉祥天がここにきて、自分の中に、「正入大地」というんです けども、「自分の中に入っていって、自分が豊かになって、その上で人が生きられ る」というような意味の言葉があって、その時はみんな立ち上がって喜びを表す んです。結局、何を祈っているか、というと、「大地に力を下さい」。そして、「田 の物が出来て、人々が幸せになりますように」という祈りなんですよ。だから、 お正月の吉祥悔過は、吉祥天に対して、それを祈っているんですね。
 
中川:  じゃ、その一年のいろいろな過ちとかを、懺悔するような意味合いというのは、 別に個人のこととかではなくて、もっと広い意味ですね。
 
立松:  そうです。不倫しちゃったとか、そんなんではないですよ(笑い)。例えば、我々 のことを考えると、何にも自分は悪いことをしていない、と思う人もいるかも知 れない。それは認識不足ですよ。例えば、こうやって道を歩いているだけで、ア リを踏み潰しているかも知れないでしょう。僕らが生きていくうえで、食べ物を 食べますでしょう。結局、他のいのちを食べているわけですよ。植物連鎖という のは、そういう意味ですよ。生きていく中で、そのことの痛みみたいなものがあ るわけですよ。それから、法隆寺では、「夏安居(げあんご)」といって─夏の安居─夏季大学 という形になっている。本来、お釈迦様の時代に、夏というのは、雨期で、いの ちが沸騰する季節なんですね。やたら歩き回ると、虫を踏み殺すわけですよ。そ れから、インドでは雨期ですから、道が流れたり、橋が流れたりするんです。本 来、仏教徒というのは、遊行(ゆぎょう)して歩いている、旅ばっかりしているわけですね。 一カ所に住まないで。お釈迦さまがそうでしたね。それで、やたら夏なんか歩き 回ると、いろんないのちを無意識のうちに殺してしまうから、「安居をしなさい。 一カ所に居て、勉強しなさい。瞑想しなさい」と、九十日間、夏の安居をするん です。我々は生きていくうえで、多くのいのちを、意識しないでも殺している、 という認識があって、そういう自分自身が罪深いという認識があるわけですよ。 それを吉祥天に懺悔するという。行動としてはそうなんですね。
 
 
中川:  西円堂はよくいらっしゃるんですか。
 
立松:  此処は、僕の大好きなところ。静かでね。
 
中川:  こちらの方まで、あんまり人はいらっしゃらないですよね。
立松:  普通の観光客は来ないかも知れませんね。この西円堂は、人は あまり来ないけども、信心深い人が来るんですよ。よくお百度 参りしている人が来るんです。しょっちゅう見かけますよ。
 
中川:  ご近所の方とか。
 
立松:  ご近所とか、まあ祈りたい人でしょうね。どこから来るのか分 かりませんけど、殆ど毎日、誰か見かけますよ。
 
中川:  そうですか。なんか法隆寺のイメージとちょっと違うと言いま すか、雰囲気が違って、ちょっと特別な場所という感じがしま すね。
 
立松:  庶民信仰の場所ですね。薬師さんですよ。
 
中川:  お詣りしていらっしゃいますね。
 

 
ナレーター: 法隆寺の西北にある西円堂は、本尊に薬師如来を祀っていま す。奈良時代の僧、行基(ぎょうき)が建立した、と伝えられています。薬 師如来を祀ることから、古来、病気平癒を願う人々の信仰を集 めてきました。
 

 
中川:  立松さんは、法隆寺のことを、いつも「祈りの寺」と、いろん なところでお書きになっていますけども、「祈りの寺である」というのは、どうい うことなんでしょう?
 
立松:  長い間、人が祈り続けてきた、そういうお寺なんですね。現在もそうです。だか ら、この西円堂は、そういう感じがしますよ。西院伽藍の金堂とか、あちらは、 どちらかというと、「鎮護国家」というふうに、聖徳太子から、人々の幸せを、ど ちらかというと、上の権力を執った人たちが、「国を平らかなれ」というふうに祈 るところですね。ところが、此処の西円堂は、庶民信仰なんですね。個人の心の 中のことを祈っているんですね。法隆寺というと、西院伽藍の方へみんな行って しまいますけど、此処は端っこです。此処は入るのに入場料も要らない。みんな そのために祈っているわけじゃないけど、ほんとに祈りたい人が来て祈っている 姿をよく見かけます。近所の方たちが、掃除したり、お花を持って来たり、そう いうことをするところですね。この西円堂の中には、昔から職人の人が道具を納 めたり、武将が刀を納めて戦勝祈願をしたり、一番自分の人生の中で、祈りたい 時に来る。そういう場所ですね。片付けて整理したけど、ちょっと前に見た時、 凄いいろんな道具が奉納されていました。
 
中川:  そうですか。
 
立松:  凄いですよ。人の気持ちが集まってくるんですね。今の時代というのは、祈りが 薄くなったのかどうか。要するに、科学の方に、人間の気持ちがいっていまうわ けですよ。科学で多くのことが説明できますからね。結局、説明しきれないこと もたくさんある。人が生きているのも、そんなに整合したところで生きていませ んので、混沌とした分野、迷いの部分を受け止めてくれるものが必要でしょうね。 幸いにして、この法隆寺は、大きな災害にも遭わなかったし、戦乱にも巻き込ま れなかった。だから残ってきて、祈りが一貫して続いているんですね。仏像も壁 画も全部そういう祈りが凝縮したように思われますね。
 
中川:  この法隆寺は、千三百年以上、ずっと人々によって支えられてきたところですけ れども、その支えてきた、そのいろんな力がありますよね。勿論、お坊さんたち もいらっしゃるし、信仰する人もいるし、建物としてもずうっと守られてきたと いうのは、凄い力を感じますね。
立松:  そうですね。僕は心の底から感じるんだけども、この法隆寺の 大伽藍を守ってきた匠の力というものがあるわけですよ。それ はもともといい材木で、いい技術で作ったお寺ですよ。今はと ても出来ないですよ。材料も技術も。それだから残ってきたか というと、そうでもない。ずうっと代々お祀りしてきたお坊さ んの力が強いと思いますけどね。それから、それを信仰をして きた周りの人たちの力も強いんだけれど、毎日お寺を見回って、 どこか傷んだところがあれば、パッとメンテナンスする人がい たわけですよ。メンテナンスして、此処の木がちょっと腐ってきたら、そこを埋 木していくわけですよ。そういうふうに絶えざるメンテナンスをしていったこと があるんですね。僕は、このお寺で行をさせて貰って、一つ感ずることがあるん です。今、昭和の大修理が終わって、あと三百年位は修理しなくていい。大修理 はね。ところがやっぱり三百年後か、四百年後に大修理しなくちゃいけない。今 の日本の森を考えると、この法隆寺の、例えば、五重の塔の心柱、柱にするよう な材がないです。
 
中川:  木、自体がね。
 
立松:  木がない。檜(ひのき)じゃないとダメなんですね。その檜があまりないです。そうしたら、 今から植えれば間に合うんじゃないかと思う。だから、何とか僕は呼び掛けて、 一人では勿論出来ないけども、それをやりたいんですよ。「古事(こじ)の森」という名前 まで付けているんです。
 
中川:  何の森ですか?
 
立松:  「古事記」の「古事」の字です。神社も入るから。そういうふうに木造建築が日 本の文化でしょう。木の文化でしょう。ですから、森がなければ、この文化は続 かないんですよ。そういう大切な木造建築、木の文化を守っていく、根底を支え る森。細かく切らないで、三百年後に切る森。どうですか。一緒にやりませんか。
 
中川:  いいですね。つまり自分の生きている間には、絶対見届けられない夢だけれども。
 
立松:  三百年生きればいいんですよ(笑い)。無理だけど。
 
中川:  でも、思いとか、祈りとか、願いとかというものは、引き継いでいけば繋がって いくんだ、ということですよね。
 
立松:  そうです。そうやって、このお寺は守られてきたわけですから。大工さんとか名 を残していませんでしょう。でも、そういう人たちが、現にいのちを繋いでいっ て、今もお守りしているわけです。お坊さんを中心にして、みんなでお守りして いる。こういう精神を受け継いでいくために、いろんな人の力がなければ、特に これからいけないでしょうね。
 

ナレーター: 法隆寺百済(くだら)観音堂。国宝の百済観音像を納 めるため、平成十年秋に建てられたもっとも 新しいお堂です。この百済観音堂の周囲に、 立松さんゆかりの木々が植えられています。 お堂建立の祈念に、立松さんの仲介により、 北海道知床(しれとこ)から移植されたものです。
 

 
立松:  この周りの百済観音堂を飾る木として、これを四百本近く持ってきたんです。こ れは、「イチイ」の木なんですよ。
 
中川:  イチイの木、
 
立松:  北海道では、「オンコ」というんです。「オンコ」の木なんで す。これは、聖徳太子の持っておられる杓ですね。杓を作る木 なんです。とってもいい木でね。
 
中川:  ああ、そういうことなんですか。それで聖徳太子ゆかりのお寺 だからということで。
 
立松:  そうです。北海道の知床の木なんで、「奈良の斑鳩に根が付か ない」と言われていたんですよ。
中川:  気候が違いますものね。
 
立松:  あまりにも違うんでね。でも、観音様の力か何か、根が付きま したね。
 
中川:  これが全部そうですね。
 
立松:  そうです。
 
中川:  若い木、植えてあるのが─。
 
立松:  若くもないんですよ。イチイの木というのは、育ちが悪くて、なかなか大きくな らないんです。だから、小さくとも相当古いんです。知床の人の思いがあって、 山にあったり、農家の庭先にあった木がどんどん寄贈された。四百本近くです。

 
ナレーター: 知床の自然を愛する立松さん。山小屋を建 て、農園を作るなど、知床と深い関わりをも ってきました。五年前、立松さんは、知床の 斜里町(しゃりちょう)に地元の人々と一緒に小さなお堂を建 てました。聖徳太子堂です。お堂に安置され たブロンズの聖徳太子像は、法隆寺から贈ら れたものです。去年の夏、聖徳太子堂で行わ れた法要には、知床の聖徳太子を慕って、宗 派を超えたさまざまな人々が集まりました。 聖徳太子と結ばれた知床の人々は、法隆寺へ の恩返しに、イチイの木を贈ったのです。
 

 
中川:  知床に造った聖徳太子堂というのは、ほんとにいろいろな宗派の方とか、全国各 地から集まって来られるそうですね。
 
立松:  そうです。ほんとにまったく宗派を問いませんね。新興宗教の人まで含めて、殆 どの方がいらっしゃいます。誰でもいいんですもの。
 
中川:  そういうのは、とっても不思議な感じがするんですけど、それを受け入れてしま うもの、って、何がそうさせるんでしょうね。
 
立松:  いま、聖徳太子に会いにきているという要素が強いと思いますね。聖徳太子とい うのは、日本の仏教のお父さん母かも知れないけど、要するに、始まりの人で すから。聖徳太子の時代には、宗派は勿論なかったんですからね。ですから、根 本中の根本のところなんで、誰もが聖徳太子に向かっていく気持というのは、純 粋なんですね。それぞれの宗門の祖師とはちょっと違う。スケールが大きな、そ ういう包み込むようなところがあるんですね。何で知床に移像させるのか、とい うのは、不思議といえば不思議なんですけど、でも、縁というものだと思います。 出来たものを若い人たちに繋げていきたい。行くと、ほんとに老若男女、もの凄 いいろんな人が来る。鹿まで来ます(笑い)。狐も来ます。(笑い)
 
中川:  「包み込む」と、さっきおっしゃいましたけど、聖徳太子の何が包み込む力をも っているのでしょうか。
 
立松:  聖徳太子の生き方というのは、今の我々に向かっての言葉というのは、僕らには 今も届くんですよ。それは、最初に聖徳太子が考えたことというのは、いま僕は 非常に強く感じます。「何で日本に仏教をもって来ようとしたか」というと、それ は、「人々に生き方を教えていって、その生き方の果てに、国を造ろう」としたん です。それは日本の古代国家の中で、初めて国というビジョンをもったのは、聖 徳太子だと思います。遣隋使を送って、外国から見た日本の輪郭というのを、ち ゃんとしたのは聖徳太子ですね。自然発生的に、国が出来ていったんだろうけど も、でも、外側との関係で、国の輪郭というのが出来てきますね。聖徳太子は、 古代国家を拵えていった人ですけれども、その思想に仏教をもってきたわけです よ、国の思想にね。聖徳太子が考えていたことというのは、仏国土を造ろうとい う。究極の理想ですから、仏教をもってくるというのは。
 
中川:  仏の国土?
 
立松:  そうですね。要するに、菩薩の国です。
 
中川:  菩薩の国?
 
立松:  すべての人が、「心が柔和で、慈悲に、光に満ちて、優しい人たちがいる国」、こ れを理想としたんですね。聖徳太子は、「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を説かれました。この法隆寺 の根本の教えなんです。「三経」というのは、三つのお経です。「法華経(ほっけきょう)」「維摩(ゆいま) 経」「勝鬘(しょうまん)経」です。「法華経」というのは、有名なお経で、仏教の根幹をなす教 えですね。それを初めて正式に取り入れたのは、聖徳太子です。「法華経は、菩薩 行の経典だ」と、よく言われます。それはどういう意味かというと、法華経とい うのは、「白い蓮の華の教え」という意味です。それはそもそも仏教の根本認識に、 「この世は苦しみだ」というものがあるんです。苦の認識、「四苦(しく)」といいまして、 「生(しょう)・老・病・死」。人は、若くて健康なのが、だんだん病気になり、年取り、 死ぬ。この運命から逃れられない。お釈迦様がそういう認識を最初にした。苦し みの認識ですよ、最初から。苦しいという認識があるわけですよ。
 
中川:  生きること、そのものが?
 
立松:  苦しいし、この世の中が苦しい。苦に満ちている、という。そこから出発してい るんですね。法華経というのは、蓮の花ですから、ドロの中に根を張って、そし て花を咲かせるわけです。ドロの中にしか生きられないわけですよ。しかし、蓮 の花は、汚いドロに染まらないで、綺麗な花を咲かせる。根っ子はドロの中にい て、花の咲くところは綺麗なところですよ。つまり、我々も苦しみのドロの中に しか生きられないんだけども、その中でその苦しみに染まらない美しい花を咲か せましょうという。これは「菩薩行(ぼさつぎょう)」というんです。「菩薩道」と言ったり、「菩 薩行」と言ったりする。それをどうしたら良いか、ということが書かれてあるの が、法華経なんです。要するに、この世の中でどうやって生きようか、というふ うな、積極的なお経なんですよ。普通の社会に生きる我々のためのお経なんです よ。ということは、聖徳太子は、在家ですから、お坊さんではない。政治家、天 皇家の人ですけど、非常に苦しい生き方をした人でしょう。戦もやって、聖徳太 子が亡くなってから、皆殺しに遭うんですから。一人も残らないような状況にな って、苦しい人生ですよ。それで聖徳太子は、出家もしないで、こういう綺麗な お寺を建てて、そしてこの世に踏み止まった人です。つまり、在家で最後まで生 きた人ですよ。この在家の教えというのは、聖徳太子の教えだと、僕は思います。 僕はお坊さんじゃないです。たまたまお寺に居て、行をさせてもらっている。袈 裟を付けているわけではない。「小坊主」と言っているけど、小坊主は坊さんでは ないです。そういう聖徳太子の生き方というのは、割りと、普通の生活をする我 々には身近なんですよ。聖徳太子という人物像は、なかなか古代の人だから、見 えてこないところがあるかも知れないけれども。
 
中川:  「在家にありながら」という聖徳太子の姿勢、そして、「ドロの中に住むしかない 我々だけども、綺麗な花を咲かせる蓮の花のように」という教えは、立松さんご 自身にとって響くものですか。
 
立松:  響きますね。
 
中川:  例えば、何か具体的にありますか。こういう時に感じたと─。
 
立松:  いつも感じていますよ。それは誰でもこの世に生きて居て、自分も歳取ってくる し、病気にもなる。今年は特に家族が─妻と母が病気だったんです。二人一遍に 病気だったんです。やっぱり生老病死の真っ直中に生きているわけですよ。今、 幸せでも明日はどうなるか分からないです。
 
中川:  みんなそうですものね。
 
立松:  それはみんな平等ですよ。僕らは精一杯生きているつもりだけど、やっぱり競争 社会に生きているものでしょう。その競争が、「ほんとにこれでいいのか」と、い つも自問自答しながら生きているわけですよ。だから、「この世は苦しみだ」とい う釈迦の認識というのは、二千五百年前の認識だけど、今も何にも違っていない です。それは根本の認識だからでしょうね。だから、聖徳太子の、こういう美し い伽藍を造るのも、これもやっぱり美しい理想なんですよ。こういう美しいとこ ろに菩薩たちが居る。そして 苦しみの世の中で、懸命に生きて、苦しみに染ま らない人たちがたくさん居て、そういう人の国を造ろうとしたんですよ、聖徳太 子は。だけど、果たせるかな、聖徳太子の理想は、まったく実現されてないです ね。それは悲しいくらい実現されていない、と思います。だから、僕は、正月の この時期に来れば、聖徳太子のことを考えますから、聖徳太子に対する思慕の念 というのは強くなってきますね。聖徳太子が考えたことを、僕は僕なりにこの時 代状況の中で、自分の条件を背負いながら考えたい、と思っているんです。
 

ナレーター: 一月十四日、一週間に亘って営まれてきた 修正会は、最終日の結願(けちがん)を迎えます。金堂で は、結願の作法に基づいて、最後の声明が唱 えられます。今年の修正会が無事結願を迎え たことを、仏に感謝し、国家万民の安寧を繰 り返し祈願します。立松さんの最後の勤めは、 厄除けのお札を参拝者に配ることです。立松 さんの年頭の行は、こうして終わりを迎えま す。
 

 
中川:  修正会に参加されて八年目になりますでしょう。私どもから見ると、修正会に参 加するというのは、在家の一般の私たちから、出家なさっているお坊さんたちへ の道の途上にあるのではないか、というふうに見えてしまうんですが、そうでは ないんですか。
立松:  もっと複雑ですよ。そのまま真っ直ぐ行けばお坊さんというん ではない。そうなるかも知れないし、ならないかも知れない。 今日は結願なんですね。今晩から僕は俗人です。普通の生活を するし、すぐやらなければならない仕事もいっぱい抱えている。 締め切りもありますしね。家に帰って、普通の五十の親父とし て生きていきますよ。だからそれはお寺から形のない、いろん なものを貰って帰るんです。それで帰って、来年また来られた ら来たいんですけどね。そうすると、「you are here」が、ち ょっと動いているような実感もあるわけですよ。これは説明しようもないことで す。だけども、一年間の時の流れというのは、ハッキリと感じますね。「you a- re here」もしかすると、毎年来ている、今度の修正会は、「you are here」を確 認する作業なのかも知れないですね。今、気が付いたんですけどね。そういうこ とが言えるのかも知れない。要するに、何か人間のいのちを遙かに超えた、こう いう時の流れるお寺に来まして、このお寺も、お釈迦様が言っているように、「形 のあるものの中に、永遠というものはない」というふうに、その諸行無常から逃 れることは出来ないと思います。でも、我々のいのちから比べれば、遙かに悠久 の、いのちの長いものですね。そういう中に、自分の短いいのちを、毎年毎年置 いて、その一年間を振り返ることを無意識のうちに、そんなことをしているのか も知れませんね。あまりそんなに整理されてはいないんですけど。
 
中川:  そういう変化によって、立松さんご自身は、例えば、日々の暮らしとか、生きて いかれる中で、苦しみとか、迷いとかというのは、減るものですか。それとも、 それは変わらないんですか。
 
立松:  全然減らないですね。新しい迷いが出てきたり、苦しみが出てきたりする。法会、 行に来ていると、何か自分で心をもってきたなあ、という感じがするんですよ。 この美しいお寺の中にいると、美しい心になりますよ。不思議なものですね。僕 は、パリ・ダカールラリーに、およそ十年前に、二回ばかり出 ているんですよ。アフリカのサハラ砂漠を横断しているんです。
 
中川:  車で、レースに参加されたんですか?
 
立松:  そうです。ナビゲーターだったんですけどね。そんなことばっ かりやってきたんですよ。今でも時々そんなのをやります。そ の時に、幾つも幾つも砂丘を越えていくわけですよ。凄い砂丘 なんです。とても越えられないような砂丘なんですけどね。調子がいい時には、 スイスイいくんですよ。何かよく分からないんだけど。その砂山が─此処には、 五重の塔がありますけど─そういう仏塔のように見えるわけです。ところが、ち ょっと調子が悪くなって、心が挫けていくと、すぐに止まってしまうんですよ。 心が風景に負けるんです。どんどん負けていって、最後にダメになるんですね。 条件は何にも変わっていないんですよ。車も機械ですから、性能以上のことは出 来ませんから。そうやって、「自分の心が、ほんとに自分が思った以上に、自分に 対する影響力が強い」というのを何度も経験しました。例えば、知床の流氷を美 しいと思うか恐いと思うかで、全然違うんですよ。美しいと思ったら美しいです よ。恐いと思ったらほんとに恐い。お互いの人間関係もそうだと思います。全部 心が決定していくんです。それは仏教の基本的な唯心(ゆいしん)論ですけどね。分かり易く 言えば、そういうふうに、「心がその人を確(し)かと決定していく」ということなんで しょうね。こういう美しいお寺や美しい景色の中に、人は成る可く長くいる必要 があるんですね。そういうことが大切だと思います。
 
中川:  最近よく「癒(いや)し」という言葉が使われますけども、みんな知らず知らずそういう 心の浄化を求めているのかも知れませんね。
 
立松:  そうでしょうね。いろんな浄化してくるものとは、いろんなものがあるでしょう けどね。神社・仏閣巡りというのも、その一つに間違いないですね。美しいもの を見る。例えば、僕は外国、例えば、モンゴルのフブスブル湖という山奥の湖に、 ロシアの作家たちとモンゴルの作家と行った時に、ほんとに美しくて、ロシアの 作家たちは、キリスト教徒なんだけども、「神様が創った湖だ」というんですよ。 「そのままの湖だ」と。僕もほんとに美しい湖だと思いましたね。我々は、日本 に居て、既に壊れたものしか見ていないんじゃないかと思った。自然のほんとに 美しいものを見ていない。壊れたもの、ゴミだらけだったら、自分もゴミ捨てま すよ。ほんとに美しいものを見てしまうと、それを壊そうとか、自分のものにし ようとか、欲を超えた清らかな気持になる心が、いろんなものを決定していくん だと思うんですよ。だから、美しいお寺に来た方がいいです。あるんですから。 それをまた必死でお守りしている人たちがたくさん居て、伝えてきているんです からね。
 
中川:  毎年、修正会に参加なさって、新年に思うことがおありだと思うんですけども、 今年の修正会で、一年を振り返って、ご自身のこと、或いは、世の中全体のこと、 どんなことを思い起こされましたか?
 
立松:  ちょうどアメリカの同時多発テロが起こった時に、奇しくもというか、法隆寺の お坊さんたちは、この周りの人たちと仏跡巡礼をしていて、
 
中川:  たまたまその時期に行っていらっしゃった?
 
立松:  そうです。カシガールにいたんですよ。もうパキスタン国境です。その近くまで 行きましたが、全然知りませんでしたね。僕は、すぐに報復するというふうなこ とになった時に、中村元先生が訳した『法句(ほっく)経(ダンマパーダ)』という、これは 原始仏典ですけど、その一句をパッと思い浮かべましたね。
 
恨みに恨みを以てすればついに恨みのやむことはなし
 
という言葉です。要するに、恨みがあって、それに対する報復というのは、恨み によってそれを恨みを返すことでしょう。要するに、「心の問題だ」という話をず っとしていますけども、確かに酷いことをされて、すぐ恨みの心で世界と向き合 ったならば、この世は壊れますよ。そういう因果の海というものを断ち切る英智 というものが、仏教にはありますよ。そういうことの因果を、地獄みたいな恨み に対してまた恨みが出て、また恨みが出ていく。際限もない連鎖の世の中になっ ているような気がして、恐いですね。しかも、巻き込まれるでしょう。今度もた くさんの人が死んだでしょう。この世に対して悪いことをしていないような人も たくさん死んでいる。なんかそういうふうに、世の中に、悪意がドンドン溜まっ ていくような怖さを感じますね。こんな時こそ、清らかなことを考えるべきじゃ ないかと思うんですね。
 
中川:  そういう今の世の中の状況、今に限らず、ずーっと戦が続いてきていますけど、 見ていますと、改めて聖徳太子の十七条憲法の最初の第一条に掲げた、
 
和を以て貴しとなす
 
という、あの言葉の重さというか、意味が響いてきますね。
 
立松:  そうですね。聖徳太子も、やっぱり「恨みに対する恨みをもってすれば、ついに 恨みの止むことはなし」という時代を生きていたんですよ。凄まじい血で血を洗 う権力闘争の中に生きていましたから。その中で、「和をもって貴しとなす」とい う、なんか死にものぐるいの叫びのような感じがしますよ。理想と言えば、理想 なんだけど、でも、その意味というのは深いですよ。今こそ必要なんじゃないで しょうか。「やられたんだから、やり返すのは当然だ」と多くの人は、マスコミの 論調も、そういう傾向が強かったですね。それは、僕は間違いだと思いますよ。 なんか酷いことをされて、「全部ゆるせ」とは言わないけども、「同じことをすぐ 相手に返そう」という論理は、少なくとも仏教の世界にはないです。もっと別の 英智をもって解決することが出来る筈なんですけどね。結局、強いものが相手に ものを言わせない時代になるんですよ。そうなっていますね。だから、去年の一 年はなんか歴史的な転換の年になっていく可能性がありますね。悪い方の展開で すよ。だからこそ、僕は、聖徳太子の、「和を以て貴しとなす」という理想を、敢 えて言いたいですね。静かに言いたい。だから法隆寺の存在というのは、静かな たたずまいの中に、静かに永遠の真理を解き起こす、お釈迦様や、聖徳太子の姿 勢を守り続けている場所なんですね。だから祈りの場所なんですよ。最終的に、 人は祈るしかないんですよ、究極はね。そういうことをやり続けてきた場所だと 思います。
 
 
     これは、平成十四年一月二十七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである