神のみ業(わざ)が現れるために
 
                     塩釜キリスト教会名誉牧師  齊 藤  久 吉 (さいとう ひさよし)
明治三十六年、大阪府に生まれる。東京学院神学部に学び、奈良、大阪教会牧師を経て、昭和五年から塩釜教会牧師、昭和六十一年筋ジストロフィー患者の自立ホーム、養護老人ホームなど、教育、社会福祉に奉仕を続けている。
                     き き て         金 光  寿 郎
 
金光:  仙台市と塩釜市の間に広がる宮城郡利府町(りふちょう)、かつて農村開発のための技術を農村の青年達に教えていた聖農(せいのう)学園の跡地の一角、小高い丘の上に、塩釜キリスト教会の地区会堂が建っています。現在、塩釜キリスト教会の名誉牧師齊藤久吉さんは昭和五年、一九三0年の春、二十七歳の時、遥々関西からこの地へ牧師として赴任して来ました。以来、六十五年、地域の信仰、教育、社会福祉に亘る巾広い活動に携わって来ました。以前、ご自宅をお訪ねしてから、六年の歳月が流れましたが、現在も矍鑠(かくしゃく)としてお仕事を続けておられると伺い、久しぶりに利府町の土を踏みました。
この会堂は出来て、どの位経つものですか。
 
斎藤:  九年になりましょうか。
 
金光:  先生はお幾つ位の時ですか。
 
斎藤:  八十四ですか。
 
金光:  そうすると先生、九十三。
 
斎藤:  九十三過ぎました。
 
金光:  そうですか。随分若く見えますね。そうですか。さあ、どうぞ。
 
斎藤:  はい。有り難うございます。
 
金光:  毎週日曜日にはこちらへお集まりになって。
 
斎藤:  家内と二人で前の方に並んで坐るのが、例になっておりまして、古い信者の方々は、私達が前に坐っているので、安心して来るような状態でございます。
 
金光:  そうですか。この前、この番組でお伺いしたのは、もう随分前のような気がするんでございますが、確か社会福祉のお仕事なんかをなさっていらっしゃいますので、人間はみんな障害を持っているようなものだということでお話をお伺ったと思うんですが、その後、教会の機関誌の『更生(こうせい)』に、齊藤先生、随分そのテーマで連載されていらっしゃいましたですね。あの頃はやはり先生ご自身も人間の障害と言いますか、ハンディというようなことについて、いろいろお考えになっていらっしゃったわけでございますね。
 
斎藤:  丁度、教会の機関誌の『更生』に、あの後、私自身が問題を感じたと申しますか、テレビをご覧になった方が、非常に感銘したという反響や、どうもその斉(ひと)しく障害を負うんだという意味がよく分からんというふうな、ご質問なんかあったものですから、それで『更生』に毎月書き始めたわけでございました。初めは先ず、そういう問題の背景になっているものは、人間というものは誠に不可思議なものだという感じからですね。数回、人間不思議なもの、或いは不可思議なものと言いますか、そんなことで書き始めたわけでした。先ず、最初に不可解を感じましたのは、十七世紀の人間学の権威と言われますか、パスカルが『パンセ』という名書の中で、「人間は自然の一部で、一茎(ひとくき)の葦(あし)に過ぎない。まことにもっとも弱いものだ。けれども人間は考えることをする。自然は考えない」というふうな言葉や、それから同じ十七世紀ですが、デカルトという哲学者がいろんなこのことに、疑惑を持ち、また否定的な態度に出て、追求しております中に、結局、「疑ったり、否定したりしている自分があるということは、これは否定することが出来ない。疑うわけにはいかない」と言って、「われ思う故にわれあり」と言った。成る程、人間というものは弱いものであり、愚かなものであるけれども、考えることをするということで、人間はそれなりの賢い道を見出していくものだなあというふうに感じたことでございました。それから不可思議なものというところから、聖書の言葉、例えば、『旧約聖書』の「創世記」の一章の二十七節にですね。
 
金光:  神は、このように人を
      ご自分に似せて、理性と
      道徳をわきまえる不滅の
      霊を持つ者として
      創造された。
       (旧約聖書・創世記)
 
という二十七節はそうなっていますね。
 
斎藤:  これは現代訳ですが、元訳を見ますと、「神は、このように人をご自分に象(かたど)って」、と訳してありますね。「象って」という意味、或いは、「似せて」という意味は、結局、現代訳にありますように、「神がご自身の心と等しいようなもの」、即ち、ここでは「不滅の霊を持つものとして創造された」とありますが、そういうふうな人間には神の心と通じる神に象って創られた霊を持つ者として、お造りになったんだというふうに、私は考えまして、人間が神の心を心として、生きる時にこそ、その弱さも、愚かさも、虚(むな)しさも、みな生かされて行くんではないかと、そういうふうに感じたわけでございました。もう一つは「ローマ人への手紙」の七章の二十二節以下に、ー聖書をお読み頂きましょうか。
 
金光: すなわち、わたしは、
     内なる人としては神の
     律法を喜んでいるが、
     私の肢体には別の
     律法があって、わたしの
     心の法則に対して戦いを
     いどみ、そして、肢体に
     存在する罪の法則の中に、
     わたしをとりこに
     しているのを見る。
       (ローマ人への手紙)
 
という、先程のご説明の霊と肉の法則について触れて、その後、二十四節に、
 
     わたしはなんという
     惨(みじ)めな人間なのだろう
     誰がこの死の体(からだ)から
     私を救ってくれるであろうか。
 
という、悲痛な言葉を出していらっしゃるわけですが、
 
斎藤:  パウロはここでは、人間を「内なる人と、外なる人」、別な箇所では、「肉の人と、霊の人」というふうに呼んでおりますが、結局、そのことは人間の不可思議を私に感じさせるのでありますが、そこにまた深い意味があると思って、「コリント人への第二の手紙」の四章の十六節ですね。
 
金光:  先程の言葉の解決と言いますか、その方向についてのお話ですが、
 
     だから、わたしたちは
     落胆しない。たといわたし
     たちの外なる人は
     滅びても、内なる人は
     日ごとに新しくされていく。
     なぜなら、このしばらくの
     軽い患難は働いて、永遠の
     重い栄光を、あふれる
     ばかりにわたしたちに
     得させるからである。
       (コリント人への第二の手紙)
 
私達はだからと言って先程のように、内なる人と、外なる人とのせめぎ合いと言いますか、それがあるにしても、落胆する必要はないのだと。「わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」
 
斎藤:  そうですね。やっぱり、人間の愚かさや弱さというものによって生ずる艱難(かんなん)や、或いは虚(むな)しさや障害や、或いは試練などが、軽い患難は働いて、やがて永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるという信仰、そういうものが人間の不可思議な中の大きな希望だろうと、そういうふうに感じているわけです。
 
金光:  それは最初にご紹介頂いた「創世記」の不滅の霊をもっていると、そこに繋がるわけですね。
 
斎藤:  はい。その通りでございます。
 
金光:  それでそういう一番大事な基本線を押さえて、毎日の生活を続けて行きますと、これは非常に人間それぞれ、ほんとに同じ人間は一人もいないわけで、いろんなそれぞれの違い、肉体的な違いもあれば、精神的な違いもあるわけですけれども、そういう違いがマイナスに働かなくて、却って、プラスの方向に働くという新しい方向が出るわけでございましょうか。
 
斎藤:  そうなんですね。結局、前のタイトルにもありました「人はみな斉しく障害を負うもの」、これと同じ意味に感じまして。不可思議な一つの面は人間というものはみな何らかの障害を持っているものだというふうなところに、一つの調和があるように思ったわけです。それでその後、斉しく障害を負うものという意味について、少し『更生』に続けて書いたわけでした。
 
金光:  その問題を考える時には、バイブル中心で、先生はお考えを展開させていらっし    ゃると思いますが、そのバイブルですと、どの辺を、
 
斎藤:  「ヨハネによる福音書」の九章ですね。
 
金光:  有名な盲人の方をイエス様がご覧になったところですね。
 
     イエスが道をとおって
     おられるとき、生まれつき
     の盲人を見られた。
     弟子たちはイエスに尋ねて
     言った、「先生、この人が
     生まれつき盲人なのは、
     だれが罪を犯した
     ためですか。本人ですか、
     それともその両親ですか」。
     イエスは答えられた、
     「本人が罪を犯したのでも
     なく、またその両親が
     犯したのでもない。
     ただ神のみわざが、彼の
     上に現れるためである。
        (ヨハネによる福音書)
 
斎藤:  当時の人は、殊に障害というものが、その人の罪、或いは親の罪の結果というふうに見たわけですね。イエスがそれに対して、「いやそうじゃない」と。「親の罪でも、本人の罪でもない、神のみわざがその本人に現れるためだ」とおっしゃった。あなた自身の不幸は決して神の、或いは親、本人の罪の結果ではなくして、神様がその障害の中で、何かあなた方に与えるようとしているんだというふうにおっしゃったと思うんですね。
 
金光:  原因はどうかというのは、過去に向かって探ることですし、それから神のみわざが現れるためということは、未来に向かっての積極的な未来志向ということになるわけでございますね。その後に、「わたしをお遣(つか)わしになった方の業(わざ)を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る」ということで、この世にいる間に、その働きをしなければならない。働かなければならないということをおっしゃっておるわけですね。
 
斎藤:  その前に、私達人間がこの世に生まれて来るということは、神が私達を何か意味ある生き方をして、人間の罪や試練や障害などを乗り越えさせる、即ち、その本人に神の栄光が現れる為に世に遣わされたんだと。人間は世に遣わされているというのが、人間が生きているという意味なんで、その生きている間に、さまざまな障害や艱難を乗り越えて、神の心に目を覚ましていくというふうに、そういうご計画だというふうな意味だと思うんですね。丁度、これの教訓に、非常に私に深い感銘を与えている一つの事実がございます。それは昭和三十年頃でしたか、本町(もとまち)の教会の二階に、一人の婦人が訪ねて来られました。話を聞きますと、進行性筋ジストロフィーという難病の子供を三人抱えたお母さんが、上の二人の子供を大学病院に入院させておったんですが、大学病院では、この病気は原因は分からないし、治療の道も無いと。だからこういう子供は、大学病院では預かっておくわけにはいかないと言って退院させられた。それでお母さんは途方に暮れて、一番頼る大学病院でさえも手を離したんだから、そして看病、治療の道もない。そういう希望を失って、七ケ浜の家から塩釜を途方に暮れて歩いていた。で教会を見て、訪ねて来られた。その時に私はいろいろお慰めして差し上げた聖書の言葉がございました。「コリント人への第一の手紙」の十章の十三節でございますね。
 
金光:  「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない」という、ここのところですね。
 
     あなたがたの会った試練で、
     世の常でないものはない。
     神は真実である。
     あなたがたを耐えられない
     ような試練に会わせる
     ことはないばかりか、
     試練と同時に、それに耐え
     られるように、のがれる道も
     備えて下さるのである。
       (コリント人への第一の手紙)
 
もう一度、読みますと、「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない」。これは非常に、常識を外れた言葉のように思いますね。「世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」。
 
斎藤:  試練や障害、苦難があるというのは、特別、自分だけが残酷な取り扱いを受けているんじゃなくして、人生、人間は生きていく上に、これはもう無くなることはない。何らかの試練や障害はあるんだと。しかし神は真実な方であるから、無意味な試練や苦しみを与え賜う筈がないと。一つはその苦しみに耐えられる力を必ず与えて下さるから、耐えられないような試練は世の中にないと。どんな苦しみも耐えられる範囲内だということ。これは私自身、病気したり、いろいろな苦労をしてみて、どんな苦しみがあっても、耐えられる範囲だということは、非常な慰めと言いますか、大きな力になると思います。この聖書の箇所はそういう意味で、決して耐え得る範囲内だということと、そして試練と同時に、耐えられるように、逃れる道、それに打ち勝って、乗り越えていく道を開いて下さるというふうな励ましの言葉だと思うんです。で聖句に、外与子(とよこ)というお母さんでしたが、感動しまして、元気になりまして、そして同じような病気を抱えた人々のお母さん方と集まりまして、私も協力して、西多賀病院に無理に入れて頂きまして、そういう難病の子供達が西多賀病院に入れるようになりました。そして「ありのまま」の運動の最初が、そこで出まして、病気解明と同病者に、社会が理解して助けてくれるように、働きかける運動をなしたわけです。
 
金光:  それがこの番組でもお話頂いた、山田富也さんがいらっしゃる「ありのまま舎」のスタートということでございますか。
 
斎藤:  そうです。はい。それから、富也君がやがて同じような病院に入るようになりました。病院の中で、最初は酷いと。神様はおれたちの青春を無視して。いわゆる『車椅子の青春』という詩集を、なんぼか出しまして、腹を立てた、怒りの姿勢でですね、自分は無神論者だと。私が時々行きましても、なかなか富也君は素直に受けてくれませんでした。しかしだんだん兄さんが死に、そして自分が頼りにしておった育児院の副院長の大坂誠先生を頼って、「ありのまま舎」が社会福祉法人になりました。富也君がその頃、『車椅子の青春』という詩集に、「僕ならきっと」という詩にあるんですが、
 
金光:  「僕ならきっと」ですね、
 
     僕ならきっと
 
     僕が体が不自由なのは
     神様が僕ならきっと
     苦しみに耐えられるからと
     思ったからだ
     僕は神様に選ばれたのだ
        (山田 富也)
 
斎藤:  自分のこの病気になったのも、実は、神様が自分を選んで、苦しみに、この男なら耐えれると思って与えたんだと。自分はその苦しみに耐えて、難病を解明の為に、同病者の救いの為に働こうと。私はその為に神に選ばれたんだというふうな信仰的な姿勢になりまして、運動が非常に飛躍的に発展したわけでございました。
 
金光:  ただこの今のというか、先程の耐えられないような試練は与えられないと、与えてあるのは全部耐えられるということだと。聞かされると、でも人間死ぬではないかということが次に来ると思いますが。その死ということについては、やはりもう一つ先の生があると言いますか、その死を必ずしも全てが無くなるというふうに、ご覧になっていらっしゃらないところに、耐えられない試練は与えられないという、そういう言葉が生きて来るわけでございますね。そこのところがないと、苦しんだ後、死んでしまうではないかという考え方というのが、現代の人には頭に浮かんで来るんではないかと思うんですが。
 
斎藤:  大体、人間の不可思議に繋がるんですが、人間は自分がそういう悩みや苦しみの中にあっても、その苦しみや悩みは、誰の責任、原因なんていうことよりも、神の深いご計画に基づくものであって、その苦しみ、試練に耐えていく中で、自分は生きる意味、生きる喜びを発見して、苦しみと、障害と共に生きている中で、神と出会い、救いの道を発見していくというふうに、受け取るように聖書は、それが神の栄光が現れるためだという意味だと思うんですね。
 
金光:  そうしますと、現実にそういう問題も、自分で個人的には解決出来ないような状況でも、それを自分の身に試練を引き受けて生きていかれる。そういうケースも齊藤先生の場合はいろんな方の中でお会いになっていらっしゃいますでしょう。
 
斎藤:  こういう話が思い出されるんですが、ある有名な画家が、若い頃、天使の絵を描こうとして、非常に有力なご家庭の赤ちゃんをモデルにして、天使の絵を描いた。その画家は年老いてから、たまたま悪魔の絵を描こうと思って、そして死刑囚をモデルにして悪魔の絵を描いた。描いている内に、何かしら妙な感じがして、そして調べてみたところが、実は天使のモデルになった子供が、今死刑囚として、刑務所に入れられているんだという話を聞いたことがあります。ということは人間は天使のモデルになるような美しい素直な心であっても、罪というものがあって、そういう悪魔になってしまう。人間というのは天使にもなれるが、また悪魔にもなってしまう不可思議なものだというふうな意味を、私はそこで学んだことがあります。でその全ては罪の問題ですね。罪というものは、聖書によれば、アダムもイブも失楽園にありますときに、神の戒めを破って、そして神から離反する。神の心から、離れてしまう。そこに罪が生じ、災いが生じ、不幸が生ずる。だからそういうことを通して、人間が神の心に帰る。本心に帰る。そこに新しい展開が生まれて来る。逆に言えば、悪魔のような人間も、やがて天使のような素晴らしいものになっていく可能性というか、それはむしろ、そうなることは当然だと思うんです。それが神の栄光が現れるためだと言う意味だと思うんです。山田君は、丁度、二十二、三でしたかあの時、ある日、私のところに来て、「先生、結婚式して下さい」と言うんですね。で「誰の結婚式だ」と言ったら、「僕のです」と言うんですから、「何、君、結婚するのか」なんて、私は失礼なことを言ってしまったんです。その頃、私はですね、障害者に対するほんとにこの今思っているような正しい理解を持ち得ませんでして、「君、結婚するのか」と言ったのは、まだその頃、難病者で結婚した人なかったんです。で聞いてみますと、富也君を看病している看護婦さんなんですね。看護婦さんなら、その病気をみなどんものか知っていて、結婚すると言うんなら、当人同士の決意ならよかろうと思って、本町の会堂で車椅子の結婚式をして挙げました。そしてその翌年に『続車椅子の青春』の詩集が出まして、奥さんが受付に赤ちゃん抱いている。そうしたらそれが富也君の赤ちゃんなんですね。それで結局、難病者で結婚し、難病者で始めて子供を生んだ。そういうケースを見まして、ああ、これは神様のお導きとは不思議なものだなあと思って驚いたんです。その後、彼は飛躍的に活躍を始めまして、そして社会福祉の資格を取り、そして自立ホーム、この前ご覧なりました自立ホームを作り、難病者が自立生活をするように、行って見て、驚きますことは、脳性マヒで手も足も十分動かないのに、自分で一時間もかかって食事をする。施設に入っていれば、全部やって貰えるんですね。施設から出て自立ホームに来て、自分で食事を作って、そして生活の中で、読み書き自由ですから、自分が絵を描き始めまして、車椅子のこの人々が全国に「読売絵画展」を計画しまして、そして多くの人々が参加しまして、障害者が全国で組織を作りまして、毎年「読売障害者絵画展」をやって、「三笠宮(みかさのみや)賞」だとか、「ありのまま舎賞」を作ってやっております。私はその人々の不自由の中に、自立して生きようとする姿に感動しまして、少々、自分老人で不自由なことありましても、なあにこの人々のことを考えたら、まだまだおれは歩けるし、まだ何か出来るというふうに、逆に励まされております。そしてその二年後に、結局、自立ホームにおった中島という子が、自立ホームでは生活が出来なくなりまして、病院に入って、そこで「自立ホームに帰りたい、帰りたい」と言いながら死んだんです。富也君はやっぱりホスピス型の施設が欲しいと。死ぬまでこういう自立ホームのような生活を自由にさせながら、死を迎えることが出来るような施設を作りたいと。富也君がホスピス型養護施設、重度障害者、難病者自立施設を作ろうと。ところが今までですね、順調に協力して下さって、三笠宮も喜んで協力して下さったのに、このホスピス型の養護施設の計画には絶対に反対です。で三笠宮は私のところに、もう一時間半も電話をかけて寄越されまして、「齊藤先生、富也のあの計画を止めさせて下さい。無茶だ。富也を殺すようなもんだ」と非常に激しい口調で、二日間、電話で一時間位も、長電話で、
 
金光:  作って出来ていますね。完成したわけでございましょう。
 
斎藤:  それでですね、三笠宮は反対、理事会でも反対の人がありましてね、富也君に「君、計画はみなね、賛成し難いんだ」と言ったら、富也君は泣くようにですね、「いやあ、先生、これは先に死んだ兄貴達も、僕ももうこれが最後の願いなんだ。これが目標なんだ」と。「静かに死を、希望を持って迎えるような施設が欲しいんだ。どうしても、死んでもいいからやらせて下さい」。こう言うもんですから、私が中へ入って、理事会の了承を得て、富也君がここまで言うんだから、やれるならやらせてみようということになりまして、それが二年後に出来たわけです。
 
金光:  出来たわけですね。ほんとに重度の不便さの中で活躍していらっしゃるわけですが、むしろいわゆる健常者と言われている、普通に活動出来る人よりも、遥かに色んなことを実行なさっていらっしゃるわけでございますね。こうなって来ると、人間の、それぞれのハンディと言いますか、違いというのは、違っているからどうこうという問題ではないような点があるようでございますね。
 
斎藤:  「ありのまま舎」の総裁をして下さっている三笠宮寛仁親王(みかさのみやともひとしんのう)という方が、よくおっしゃるんですが、「百パーセントの障害者もなければ、百パーセントの健常者もいない。必ず重度の障害者であっても、残存機能がある。何パーセントか残っている。山田富也のように、重度の障害、難病を持っておっても、百人の健常者も出来ないような仕事をやっている。やり得る。自分も何かスキーの連盟の総裁なんかやっておりまして、足の片足の人が、スキーで優勝したり、させたりして、そういう人の奨励をやっているんだ」と。「自分も何回もガンの手術をして、障害者だ」と。「だから、いわゆる人間を障害者として決めつけて、その人を無視するようなことじゃなくして、障害者であっても、残存機能を活かして、人間の喜び、人間の生き甲斐を発揮すべきだ。それは出来るんだ」というふうに等しく障害を負うものの一つの大きな意義をそういうように解釈して下さったんですが。
 
金光:  そういう行動の面でのハンディと同時に、或いは精神的な面ではこれはやっぱり人によっていろいろ違いがあるようでございます。その辺も殊に信仰の場合には非常に問題になるようでございますね。
 
斎藤:  それは結局、障害という言葉、例えば逆に健康ということは WHO(World Health Oraganization:国連世界保健機構)を見ますと、「健康とは、単に身体に病気がないとか、身体が弱くないというだけでなく、肉体的にも、精神的にも、社会的にも、完全に調和のとれたよい状態である」とあります。ただ体に障害がないとか、或いは内臓にも障害がないという意味ではなくして、身心ともに健全である。それが健康の意味だと。だから精神障害もあるし、機能障害もあるし、情緒障害もあるし、そう考えると、障害のない人なんて一人もいないと。みんな、殊に私達は人間は神から離れた罪の障害がある。これはどんな人にあっても、そういう心の、魂の障害者だと言わざるを得ない、というふうに解釈しているわけでございます。丁度、富也君が始めて私達と関わりが出来たその頃、昭和三十一年、一九五五年でございました。私は数年前から、宮城刑務所の特殊面接員をしていまして、何人目かの担当を、一九五五年の一月から引き受けました。それが瀬戸重登(せとしげと)という死刑確定囚でした。彼は東京で刑務所に入っておりまして、その中で信仰を得まして、そして模範囚のようになって、宮城刑務所に移りました。私は一九五五年の一月から、面接員として指導をすることになりまして、一年間指導を致しました。ちょっと、東京から宮城刑務所に移った時には、もう少しそういうことを知っております、分かっておりましたから、荒れまして、非常にちょっと、反抗的なところがありました。直に彼は信仰的に立ち直りまして、それから本当に私が毎月欠かさず行ってもですね、実によく聖書を読んでいる。死刑確定囚は仕事がないんですから、朝から晩まで、晩から朝まで、夜も目が覚めれば聖書を、ほんとにまあ彼ほど聖書を読み抜いた人はないと思うくらいです。私は時々行っている中に、逆に私の方が教えられる。ある時こんなことがありました。丁度、尚絅(しょうけい)の責任を持っておりまして、
 
金光:  尚絅女学院ですね。
 
斎藤:  午後用事が出来たので、午前に訪ねました。ところが刑務所では困りまして、「先生、ちょっと午前の面会は刑務所ではしていないんです」と。「どうしてですか」というと、「処刑は午前にやるんです。お昼ご飯が出ると、死刑囚は、あ、今日はもう助かったと思って、安心するんです。午前に呼び出しがあったら、今度はいよいよ来たと思って動転する」と言うんです。それでまあ、私、ちょっと困ったんですが、しかしと言って、その日にやらないと、もう一ヶ月会えないからと思って、「いや、よく説明してやって下さい」と言って、面会室で待っていましたら、瀬戸君はね、聖書を持って来ましてね、そして私が「瀬戸君、吃驚させてごめんね」と言ったら、瀬戸君は「いや、先生、これです」と言ったのは、「ビリ人への手紙」の一章の二十一節で、「私にとって生きるとはキリスト、死ぬことは利益なのです」と。その聖書の箇所をちゃんと示して、私のところへやって来たんです。だから、「いや、よかった、よかった」と言って。それ位、信仰的になりました。その十二月二十五日に、私のところにクリスマスカードを寄越しまして、
 
金光:  「主イエス・キリストの御降誕(ごこうたん)をお祝い申し上げます」というこれですか。じゃ、読まして頂きましょう。
 
「主イエス・キリストの御降誕をお祝い申し上げます。いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、主の喜び給う人にあれ、先生と共にこの聖なる日を迎え、祝福させて頂けますことを、心より喜び感謝致します。もっとも卑しき馬糞の臭いのする馬小屋に生まれ給いし、救い主なるイエス様は死刑囚と名の付く廃人の私の住まう、更に卑しきこの獄舎にも御降誕し給うことを感謝致します。主イエス・キリストの御降誕のもっとも意義深きこの聖なる日に、私はこの世のすべての人の心の中に、主が御降誕なさいますように切に祈ります。先生もお祈り下さい。御降誕の主イエス・キリストのご恩寵が先生の上にますます豊かにありますよう、お祈り申し上げます。アーメン。一九五五年十二月二十五日。花園の祈りの家において。重登より。
齊藤先生へ」    
 
と書いてありますね。
 
斎藤:  これはですね。その頃の死刑確定囚の独房というのは、凄く悪かったんです。窓というと鉄格子がちょっとあるだけで、あとは板の間でですね。狭いところに、万年床の床が敷いてあるだけで、そういうその殺風景な所を、「花園の祈りの家」と。彼から十何通手紙を頂きましたけれども、何時でも終わりのところは、「花園の祈りの家にて、罪人の頭、瀬戸重登」とこういう終わりなんです。もう本当にそれだけで驚き感心致しました。翌年の二月二十五日に、刑務所から電話がありまして、「先生、いよいよお召しがありましたので、立ち会って頂きましょうか」という。私は早速その日、仙台駅に九時に約束通り着きましたら、刑務所から車が迎えてくれまして、そして九時半頃ですが、刑務所に入りました。いろいろ話をしまして、教育部長に是非瀬戸君の為に聖餐式(せいさんしき)をやってあげたいと言いまして、刑務所では未だかってやったことがないんですが、聖餐式の用意をして貰いました。丁度、粉雪の吹く寒い日でした。十時に私は処刑される絞首台のあるところに参りました。高いレンガ塀に囲まれたところにですね、処刑する絞首台があるんです。私は教育部長に案内されて参りますと、瀬戸君は看守数人に、引きつられまして、入ってきました。見ると青い肌着一枚です。そこへ粉雪が飛び込んでいました。そうしたら教育部長が「瀬戸、齊藤先生がいらしているよ」と言ったら、瀬戸君は顔を見せて喜んで、私は握手しました。瀬戸君は独房の中で書き綴った手記をですね、私のところへ持って来てくれました。教育部長はそれを直接渡させないで、引き取りました。で聖餐式に入りました。ほんとに聖餐式の間ですね、彼の優れた姿勢。彼は聖餐式が終わりましてからお祈りをしました。それはちゃんと分かっているんですね。死刑確定囚が十八人、この刑務所におるが、かって自分は信仰が無いときは夜も眠られず、食事も喉を通らなかったと。今もそういう兄弟達の為に、「主よ、どうぞ、救いを与えてあげて下さい。」と祈っていました。それから落ち着いて、死の饅頭を。今まで刑務所の話だと食べた人がない饅頭を食べまして、そして遺書を二通書きました。終わりますと、教育部長が「瀬戸、献体(けんたい)をしたいが、判を押してくれるか」と言ったら、瀬戸君は「先生、どうしたらいいでしょう」と。「いや、良いことだからやったら」。「じゃ、しましょう」と、実に落ち着いてですね、そうして絞首台に昇って行きました。本当に私も七十年、牧師生活をしておりまして、多くの人の死を間近に見て参りましたが。目隠しを断ってですね、自分の足で絞首段を、踏みしめ踏みしめ昇りながら、「主のみ許(もと)に近づかん」という讃美歌を歌いながら、昇って行きました。その崇高な姿、私はこんな厳粛な聖餐式も初めてでしたし、こんな自分の死を迎える崇高な姿を見たことはありません。何か彼がよく言った、「神共にいます」という彼の信仰がまざまざとこう姿に現れて、何かこう瀬戸君が昇っていく横に、主イエスが一緒に付いていらっしゃるような感動を覚えました。刑務所長はですね、はあ!と感動しましてですね、「はあ、おれは瀬戸の足下に及ばん!」と言いました。見守った他の看守達も、もう感動致しましてね、刑務所始まって以来の出来事だと言いました。その時に書きました遺書がございます。ちょっと読まして頂きますが、
 
「先生、長い間のお導きとお祈り有り難うございました。主イエス・キリストのお赦(ゆる)しと御救(みすく)いに預かり、全ての罪、咎(とが)を赦して頂き、天国の故郷(こきょう)に帰ることを赦されました。ハレルヤ。先生、私は喜び勇んで神の国に召されて行きます。この日の来るのを心楽しみに待っていました。この時が今やって来ました。ハレルヤ。先生、私の喜びを想像してみて下さい。私の前には義(ぎ)の冠(かんむり)が備(そな)えられてあります。これを信じ、絞首台をしっかり踏みしめ、主の御下(みもと)に参ります。”汝、今日我と共にパラダイスにあるべし”と救い主が仰せられます。先生、今やまさに私は永遠の御園(みその)に入ろうとしています。ハレルヤ。絞首台より天翔(あまがけ)る日、罪人(つみびと)の頭(かしら)、瀬戸重登(せとしげと)」
 
これが遺書の一通でございました。
 
金光:  これはその日にお書きになったのですか。
 
斎藤:  ええ。私の前で。聖餐式を終わりましてね、遺書を書く時間を与えられるんです。そこで二通書きましたね。その一通です。
 
金光:  じゃ、もう死のほんとに直前に。
 
斎藤:  はい。直前。そしてもう刑務所の看守達が言いましたが、みな平常は強いことを言っている男でも、絞首台の前に行ったら、みなもう足が立たなくなって、引きずり上げるんだそうです。瀬戸君は目隠しも断って、自分の足でしっかり踏みしめて、讃美歌を歌いながら昇って行ったです。その姿は、私の生涯忘れられませんね。
 
金光:  やっぱりそこには自分の中の罪というものを、日頃の生活の中で、イエス様に、何と言いますか、罪を認めると同時に救われる道を歩いているという生活の中での実感があったということですね。
 
斎藤:  そうですね。聖書を通して。で私達の信仰の土台は、「ヨハネ福音書(ふくいんしょ)」の三章の十六節にありますように、「神は独(ひと)り子(ご)を与え給うほどに世を愛していらっしゃる」。即ち、本当の真実の神は罪で滅びることは当然なんで、律法や、或いは道徳や、倫理で正しくやれば、良くなるとか、救われる。それでは見込みない。人間は罪の遺伝や罪の結果、どうにもしかたがない。滅びるのは当然、必然だと。だから結局、神は御子(みこ)を与えて、十字架の贖(あがな)いによって赦す。福音は神の愛はすべての罪を赦す。信ずれば永遠の命を与える。無条件ですからね。それが聖書の中に約束されている福音ですから。で彼はキリストの十字架の贖いによって、自分は何ら正しいことをやったんではなくして、罪ばかりやったけれども、赦して下さる。それはキリストの十字架の贖いのお陰だという信仰ですね。その赦しの神がイエス・キリストを通して、自分をすべて神に帰らせて下さる。天に招いて下さるというのが、これはイエスと外(ほか)二人の死刑囚が十字架にかけられたとき、その一人の死刑囚がキリストに、「お前がキリストなら、お前自身と我々を救ってみろ」と言った。ところがもう一人の死刑囚は、「主よ、どうぞ罪深い私をお赦し下さい。主が天国においでになるときには私を思い出して下さい」と言った。その時にキリストが、「汝、今日、我ともにパラダイスだ」とおっしゃった。その信仰を彼は確保していたのです。
 
金光:  今のお話を伺っておりますと、人間が良いことをしたそのご褒美として、救ってあげるということとは、ちょっと違うようでございますね。
 
斎藤:  そうですね。もう人間は『旧約聖書』に、ダビデという一番尊敬されて、慕われたダビデという大王がおりますが、その人が「詩編」の中で、「自分の母は自分を罪の中に生んだ」と言っているんですが、ダビデ大王が自分の罪を懺悔しながら、「実は罪の中に母に孕(はら)まれた」というふうに。結局、人間は生まれる時から、長いアダム以来の罪の原罪が続いているんで、ただそういうふうに人間はもう生まれながら、救われる見込みはない。掟(おきて)があっても、掟を守ることは出来ない。結局、神はそういう義をもって人を助けるんじゃなしに、赦し、愛を持って赦すという、それが福音(ふくいん)だと思うんです。そうですから、おっしゃる通り、ただ神の愛を信ずる、そして自分の罪を赦される為には人の罪も赦さなければいけない。毎日、私はお祈りしますが、主の祈りにあります通り、人の罪を赦しますから、私の罪を赦して下さい。祈りですね。だから先ず自分が人の罪を赦すことなしには、赦されないというふうに、私達は信仰生活をさせられておるんです。ですから、神は無条件的な赦しを、イエス・キリストを通して、約束されたんです。それを信ずれば、それで救われるというのが、瀬戸君の信仰になっていたと思うんです。
 
金光:  そこにはそうしますと、歳を取っているから、或いは病気だからというような条件は全くないわけでござますね。
 
斎藤:  その通りですね。ただ信ずるということに。信ずるということは結局、心を神の心に結びつけることですね。心の時代で、結局、私は人間の心の本源である神の心に帰る、立ち帰ること。そうすれば、もう後のことは、行いは自然によくなっていく筈だというふうな意味に取れると思うんでございます。
 
金光:  そこにはそうしますと、死の問題も超える世界があるということでございますか。
 
斎藤:  はい。「ありのまま舎」の第十回の生活福祉講座があります。この十回を私、ずうっと挨拶させて、進めて参りましたが、毎回三笠宮寛仁親王が座長して、一時間講演をなさるんですが、その十回の福祉講座を通して、私はこういうことを学び取りました。”老いても、病んでも死の障害があっても、神と共に生きる。或いは永遠の希望を抱いて生きる”です。実は、私が重責を担わせられています仙台キリスト教育児院内に「シオンの園」という「養護老人ホーム」が三年前開設されたのですが、私がこのホーム開設の模範としましたのは、浜松にあります「十字の園」特別養護老人ホームなのです。この「十字の園老人ホーム」の医師であり寮母である林富美子女史は、多年、多くの老人の死を看取りながら、素晴らしい看護日記『夕暮になっても光はある』を出版され、その中に”移行”があります。この中に、「老いることは脱皮することである。苦悩を通り抜けて成長することです。物質的世界、自己中心的世界から抜け出して、宇宙の中に移行することです。待っておられる神様の御下に立ち帰ることです。そこでは死は終局ではなく、新しい出発なのです。人間が死ぬということはいろんな世の中の罪との戦い、苦難、すべてのものを通り抜けて、神のところに帰ることです。移行することです。」と、そういうふうに林富美子女史が言って、そういう精神で養護老人ホームを作っているんです。私もこの福祉活動を通して、自分が老いても、色んな障害があるし、罪もこの歳になっても、やっぱり罪人の頭でしかあり得ない。弱いものでしかない。腹を立てる。言わんでいいことも言う。ほんとに自分の心霊障害を感ずるんですが、それでも神の赦しがあること、神の愛で、愛の赦しの神であることを信じて人を赦して、小さいご奉仕を、隣人を愛すべしとおっしゃるキリストのお言葉に従って、隣人を愛していく。そうする時に、死は神の国に移行することだと。決して終わりでないと。そういうことで、私は生活福祉活動を通して、老いても、病んでも、死の障害があっても、神と共に生きる。永遠の希望を抱いて生きると、そういうふうに自分の信仰生活の結びにしたいと考えているわけでございます。
 
金光:  でもお話をずっと伺っていますと、とても九十歳を越えたお歳とは見えない、お若さでお元気でいらっしゃるようでございますので、まあこれからもどうぞ今のような形で福祉の仕事を続けてやって頂ければと思います。本当にありがとうございました。
 
 
     これは、平成八年九月一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。