泥にこそ花開く
 
                      愛知専門尼僧堂堂長 青 山  俊 董(しゅんとう)
昭和八年愛知県一宮市に生まれ、五歳の時、塩尻の無量寺に入門。十五歳で得度、愛知専門尼僧堂で修行。その後、駒沢大学仏教学部、同大学院、曹洞宗教化研修所を経て、愛知専門尼僧堂に入り、昭和五十一年から堂長。尼僧の教育に当たる一方、無量寺の住職を兼ね、華道・茶道の指導もしている。著書「美しき人に」「禅のまなざし」「もう一人の私への旅」「道はるかなりとも」他
                      き き て     亀 井  鑛(ひろし)
                                (同朋新聞編集委員)
 
ナレーター: 名古屋市にある愛知専門尼僧堂は九十年あまりの歴史を持つ由緒ある尼僧堂です。現在、ここでは全国から集まって来た十八人の女性達が生活を共にしながら、尼僧になるための修行をしています。坐禅、托鉢など曹洞宗(そうとうしゅう)の伝統に従い、早朝から夜遅くまで厳しい修行が続けられています。この尼僧堂の堂長を二十年前から務めているのが、青山俊董さんです。五歳の時、曹洞宗の寺に入門して以来、仏の道一筋、日本を代表する尼僧です。青山さんの著書『美しき人に』、この本は英語、ドイツ語など四カ国語に翻訳され、禅の考え方を分かり易く説いた本として、多くのファンを持っています。また二十五年前にインドを訪れて以来、マザー・テレサと共に奉仕活動を行う等、海外でも活躍しています。去年はイタリアに招かれ、講演と坐禅の指導を行いました。今年六十三歳になる青山さんは今、この尼僧堂で修行を続けながら、後進の指導と禅の普及に力を注いでいます。
 

 
亀井:  今日は曹洞宗の尼僧堂で堂長さんとして、沢山の女性求道者(ぐどうしゃ)の方々をご指導して頂いております青山俊董先生にいろいろお話を承(うけたまわ)らせて頂きたいと思っております。先生、今日の番組はおそらく沢山の女性の方々もご覧になっていらっしゃるだろうと思いますので、最初に私たちの人生の中の女性、母親と言ったような役割とか、使命と言ったようなことについて、お話を承らせて頂きたいと思いますけれども、青山先生のお母様の関わりと言ったようなことから先ずお話を承らせて頂きたいと思うんでございます。
青山:  そうですね。母に至るまでに、ずっとこう思いを起こしますと、私の今ある背景というものをこう考えてみますのに、何代かに亘って、蒔いてくれた仏の種と言うんでしょうか、私は愛知県の一宮(いちのみや)の在で、生まれは農家でございまして、寺でも何でもないんですよ。でただ、非常に仏縁の篤(あつ)い家柄であったことは有り難いと思うんですが、三、四代遡っただけで、十人近い坊さんを在家からですから、みな求めて入った発心(ほっしん)の坊さんということになりましょうかね。まあ、そういう方々を十人前後も私がちょっとこう知っただけでも、その位のお坊さんを出しているというような家で、代々に亘って仏の種を蒔き続け、それからそういう田地(でんち)田畑(でんぱた)を耕し続け、いくら種を蒔いても畑を荒らしてしまうと種が生えなかったり、枯れてしまったりしますけども、それを受け継ぎ、耕し続け、育て続けてくれたというようなそんな背景を頂戴している。その中で、直接には私のお爺さんというのが、御岳山やら、立山の修験道(しゅげんどう)の先達(せんだつ)だったようでございます。そのお爺さんが私が母のお腹に宿った途端に、「この度、お腹に出来た子は出家するだろう」というような予言があったということで。それから生まれると直ぐにまた、このお爺さんが長野県ですね、「信州で出家するであろう」と、細かな予言があったというんだそうですよ。それを伝え聞いて、私の叔母(おば)が信州の無量寺(むりょうじ)で出家しておりまして、その叔母の従姉妹(いとこ)と、二人が信州の無量寺(むりょうじ)(長野県塩尻市)におりましたんですよ。
 
亀井:  塩尻にいたんですね。
 
青山:  そうです。その二人が予言を伝え聞いて、大変喜んで数えの五歳になるのを待って、迎えに来たというのが事の次第で、結果的には予言通りになったことでございますけれども。そういうような先祖の種、そして直接にはお爺さんの予言、それを受けて立ってくれた母。父が弱かったものですから、子供が少なかったんですよね。四十代半ばで父が少し病気が治った時に私をつくってくれたというように、本当に晩年の子供でございましたけれども、晩年ながら、子供が授かったと、両親はほんとに喜んでいたようでございます。その喜んでいる矢先に、そのような予言があり、それを泣き泣きでも受けて立ってくれた母というんでしょうか、涙ながらにも、送り出して、その私を受け止めてくれたのが、叔母(おば)である塩尻の周山(しゅうざん)という叔母であり、その従姉妹(いとこ)で出家していた仙宗(せんしゅう)庵主(あんじゅ)と、この二人の師匠の中に育ったわけです。その叔母のところに入門して、その日から叔母は温かい人でしたが、一面厳しい人でもありましたね。その日からお経の学びが始まったわけですよ。で一番先に習いましたのが『舎利礼文(しゃりらいもん)』、二つ目が『般若(はんにゃ)心経(しんぎょう)』でした。まだ五歳位ですと、『舎利礼文』も『般若心経』も歌を覚えるように、簡単に覚えちゃうわけなんですよ。で一つ覚えますと、カタカナで葉書を母に送るわけですね。「般若心経を覚えました」とか、「舎利礼文も覚えました」とかと言って書いて送るわけです。その「般若心経を覚えました」と送りました時に、母から手紙が参りまして、「お前は小さいのによく早く覚えたね。私はいつまで経っても般若心経が終わらないんだ。」と言うんですね。『般若心経』をご存知の方はお分かりと思うんですが、故心(こしん)と故得(こうとく)という一カ所を間違えると、
 
亀井:  紛らわしいところがあるわけですよね。
 
青山:  そうなんです。直ぐ終わっちゃうか、いつまで経っても終わらないという一カ所があるんですよね。母は「終わらないんだ」と言うんですね。で「私の為にカタカナでいいから、般若心経を書いて送っておくれ」という手紙が参りましてね。五歳の私は得々と致しまして、母より先に覚えてしまったと思いまして、カタカナで般若心経を書き送った覚えがございますんですよ。しかしながら、ずうっと後になりましてね、これは母の老婆心だったなあということに気付かせてもらったんです。私の上にずっと離れて兄がおりますけども、その兄が、後にこの話をしてくれました。「貴方の五歳の時のカタカナの般若心経。母は畑へ行く時も、何時いかなる時も、懐に抱いて、大事に持ち歩いて、時々そっと出して、読んで涙ぐんでいたよ。」といったような、そんな話を兄から聞かせて貰いましてね。これは母の老婆心だったなあと。修験道、御岳山は般若心経を読みますのでね。私の家は浄土宗でございましたけどね。ですから一番奥の仏間には、一間が仏間、一間が神棚。で両方に母は誰よりも早く起きますと、お水を供えて、般若心経を唱えて、それから台所へ行く。これが母の日課でございましたから、母が般若心経を読めなかった筈はないので、一度(ひとたび)覚悟してお坊さんにする為に、送り出した限り、何としても一人前のお坊さんになって欲しいという母の願いがそういう形で、「お前はちっちゃいのによく覚えたね。私はまだ覚えられない。ちっとも終わらないんだよ」という形で、一カ所間違えると終わるか、終わらないかという危ないところがあることをそれとなく教えながら、激励してくれた母の愛であったなあ、老婆心であったなあということを後に気付かせてもらいましてね。
 
亀井:  そうですね。
 
青山:  その母が一方では、共に過ごすことの出来ない私の為に、手織も本来好きではございましたが、自分で飼ったカイコで糸を紡ぎ、そしてお前の好きな色は何なのか、お前の似合う色は何なのかと。お前の一生着るものは織り残しておいてやりたいと。まあ法衣からお袈裟、帯、要するにお坊さんの衣装を織り続けくれ、送り届けてくれ、生涯着きれない程のものを織り届けてくれましたんです。その理性の母は坊さんとしての衣装を織り続け、届け続けてくれましたけど、一方の母は私が生まれたその日から、まあ私の嫁入りの為の貯金も密かにし続けていたようでございます。
 
亀井:  そんなことまでちゃんと想定しながらですね。
 
青山:  そうでしょうかね。兎に角、五歳で母の元を去って、十五で頭を剃りましてね。ここの道場修行を終えて、東京の大学に十一年遊ばして頂いてもらって、三十一でここの講師に戻るまで、母は黙って嫁入りの貯金をし続けていたんですね。そして着る筈もない打掛やら、帯やら、要するに嫁入り道具の一式を送り届けて寄越したんですよ。
 
亀井:  なるほど。
 
青山:  着る筈もありませんから、直ぐに仏様の本堂の荘厳、柱掛けですとか、いろいろな荘厳道具に作って、普段掛かっているわけでございます。
 
亀井:  それで今日も尼僧堂のご本堂でお話を承っておりますけれど、この両脇に掛けてありますね。打ち掛けを、これは何と申しますか。
 
青山:  これですか。柱掛けとか、水引きとか呼んでおりますですね。
 
亀井:  仏具として、活用して頂いているわけですね。
 
青山:  そうです。普段掛けに三十年も掛けておりますから、大分色褪せましたけれども。どんなにその道が素晴らしくあっても、本人が良しとしない限り、やっぱりどうしようもありません。万一、本人が嫌だと、嫁に行きたいと言ったら受けて立ってやろうというね、どうなっても受けて立ってやろうという母の大きな愛であったかなあと、そんなふうに思うんです。そういう受けて立ってくれた母の愛、先祖代々育て続けてくれましたその種とか、それを頂戴して今の私があるんだなあとほんとにそう思うんですね。
 
亀井:  そうすると、お母様が青山先生の将来を思い、どう生きてくれるかということを願いながら、種を蒔いて下さった。
 
青山:  そう思います。その種蒔きなんですが、種が蒔かれなきゃ芽が出ようがありませんから、種を蒔かなければならん。この種蒔きは親の責任ですからね。丁度一年を考えてみましたら、春蒔くように、人の一生の上においても、一生の春に当たる早春に当たる成る可く小さい時に蒔いてやる。昔から「三つ子の魂、百まで」と言いますけれども、やっぱり幼い時に、蒔きつけることの大切さを思います。
 
亀井:  親一般の責任ということですね。
 
青山:  そうですね。その幼い時に蒔くとなれば、少なくとも三、四歳までの百パーセントの責任は母親にあるような気がするんですよ。
 
亀井:  そうですね。
 
青山:  抱いてオッパイを授けて育てる一番身近なところにあるのはお母様ですから、種蒔きというものの責任が、何としても母にあるような気がしてなりませんですね。
 
亀井:  父親でも同じことが言えるんでしょうけれども。
 
青山:  勿論そうですね。
 
亀井:  そこで、今から種を蒔いてやるぞ。私が種を蒔いてやったんだぞというような、そういう姿勢でない。
 
青山:  そうですね。やっぱり確かに親は生き見本に過ぎない。違いないけれども、生き見本だと本人が思ったら、驕(おご)りだろうと思うんですよ。生き見本には違いないけども、私は間違いない生き見本だと、もし思ったら、これはとんだ驕りであって、やっぱり子を鏡としてという謙虚な姿勢が欲しいですね。私の好きな詩ですけども、山村(やまむら)暮(ぼ)鳥(ちょう)の詩にありますよね。
 
     ある時
     よくよく見ると
     その瞳の中には
     黄金(きん)の阿弥陀様が
     ちらちらうつっているようだ。
     玲子(れいこ)よ 千草(ちぐさ)よ
     とうちゃんと呼んでくれるか。
     自分は恥じる。
       (山村 暮鳥(ぼちょう))
 
そのような詩があったように覚えております。
 
亀井:  私も山村暮鳥の詩で読んだことがございますけれども、
 
青山:  確かそんなことのような詩がね。「ある時、よくよく見ると、その瞳の中には黄金(きん)の阿弥陀様が、ちらちらうつっているようだ。玲子よ、千草よ、父ちゃんと呼んでくれるか。自分は恥じる」。子供の前に自分の姿を、子を鏡として映して、自分の至らなさを恥じる。そんな謙虚な姿の親。それが本当のやっぱり親の姿なんじゃないかなあと思います。
 
亀井:  子を鏡にして、我が身を映す。親の我が身を映した時には、立派な親、親らしい親でなくて、親の名に値しない親と言ったような自分が映る。それを認めるということが大事なことですね。
 
青山:  それが大事ですね。自分は、「父ちゃんと呼んでくれるか」。
 
亀井:  この言葉の中に非常に実感が籠もっていて、私達も身につまされるます。本当にそうだなあという思いが致しますね。
 
青山:  そうですね。
 
亀井:  そういうような親の風上にもおけないと申しますか、親の名に値しない親の私ということを自覚せしめられる。そういうところに生き見本というような一番それらしい姿があるということでございましょうか。
 
青山:  そうですね。見本だと思ったらお終いですから。
 
亀井:  成る程、成る程。
 
青山:  ですから、見本、素晴らしい掛替のないお父さんの姿、お母さんの姿だというのは子供の方なんで、親が思ったらお終いなんです。
 
亀井:  本人が思ったらお終いだと。
 
青山:  そうだと思います。本人は落第だという謙虚な姿があって初めて子にとっては素晴らしい親ではないんでしょうかね。
 
亀井:  そういうふうに親、取り分けてお母さんが蒔いて下さった種、それが今度は私自身の上にどのように芽を出し、枝葉を茂らせ、花となり、実となるというそういう今度は私自身の歩みということがそこにございますんでしょうか。
 
青山:  素晴らしい種を蒔いて頂いても、その種というのが、例えば、幸せきりですと眠ったままでいっちゃうかも知れませんですよね。蒔かれた種が発芽する直接の契機に割に成りやすいのは、むしろ悲しみ、苦しみ、泥なんでしょうね。
 
亀井:  泥というね。
 
青山:  泥なんですね。どんなに泥にあっても、種が蒔かれていないと、発芽はしませんけども。種さえ蒔かれていれば直接には泥を肥料として、種が目覚め、そして育っていく。そんな気がするんですよ。例えばですね、江原(えばら)通子(みちこ)(一九二○年生、随筆家)先生という女性の随筆家で大変素晴らしいお方がいらっしゃるんですね。最近お目にかかることがありまして、その江原先生がご自分が『法句経(ほっくぎょう)』に出合われた背景というもののお話を聞かせて頂きまして、大変感動したんです。
 
亀井:  そうですか。
 
青山:  江原通子先生は二十一歳で江原家にお嫁に来られたらしいのですね。この江原家のお姑さんというのが大変厳しいというんでしょうか。まあ厳しいことにおいては、先生は何とも思わなかったとおっしゃる。例えばお手洗いに行くのに、お母さんの、お姑さんですね、お母さんのお部屋の前を通らなければならんのだそうですよ。お母さんのお部屋の隣の柱のところで手をついて、「厠(かわや)に通わせて頂きます」と言って、
 
亀井:  それはちょっと厳しいですね。
 
青山:  「どうぞ」と言って貰わないと便所にも行かれなかったと言うほどだそうですね。まあ、そのことは先生は何とも思わなかったけれど、大変ものの是非が、良い悪いが、その時の気分で変わるんだそうです。例えば、たった鮭一切れがその時の気分で大変良かったり、悪かったりということで、それに大変苦労されたようでしてね。もう時には泣き伏して、どうしようもなくて、泣き伏すこともある。言い募(つの)られて台所で泣き伏している。その時に、フッとそこに包丁の光ったのが目に入ったと言うんですね。それはそれこそ心では包丁をお母さんに投げつけるような一瞬の思い。しかし実際は何事もなくて済んだけれども、しかし心の上で一瞬なりと、包丁に目がいったというその自分ですね。いくらそのお姑さんがどうあろうとも。たとえば、川柳に、
 
     たとえ姑は鬼でも蛇でも
       主を育てた親じゃもの
 
というのがありますけどね。そういうふうにどうしてもなれない自分の辛さ。それに耐えかねて、どうしょうもない中で、フッとお母さんが花嫁衣装の中に、『法句経』を入れてくれたのを思い出すんですね。江原先生のご両親という方はもう大変な仏教信仰の深いお方だったんですね。その上に直接にはお嫁に行かれる時に、そっと嫁入り道具の中に『法句経』を入れて下さった。それを思い出すんですね。お姑さんへの怨(うら)みということが引き金となり、アンテナとなって、『法句経』を出すわけですね。そしてその『法句経』というのはご存じの通り、四百二十三偈(げ)からなるお経ですよね。お釈迦さんの教えの一番元の姿を伝えているものですね。
 
亀井:  短い詩のような形に四百いくつかあるものですね。
 
青山:  そうですね。分かり易い詩ですね。その四百二十三偈もある中の怨みのこと、怨み心は怨みなさによってという詩に出会うんですね。
     まこと怨みごころは
     いかなるすべをもつとも
     怨みを懐(いだ)くその日まで
     ひとの世にはやみがたし
     うらみなさによりてのみ
     うらみはついに消ゆるべし
     こは易(かわ)らざる真理(まこと)なり
        (法句経五番)
 
というこの怨みという一句にアンテナが、ピシャッと電波が通うというのは、江原先生の怨み辛(つら)みのどうしようもない悲しみ。泥と言えば泥。その泥、そこに耳が開け、アンテナが立って、四百二十三偈の中の怨みのところに、カチッと出合って、それを通して『法句経』に出合うと。そのことをお聞き致しまして、嬉しい思いをしました。
 
亀井:  お姑さんに散々厳しい中で泣かされた。その思いがまさに江原先生の泥であったわけですね。
 
青山:  そういうことですね。それと同じことが私自身の上にもあるんですよ。私の『法句経』との出会いはここの尼僧堂に十五歳で入ったわけですよね。私も大変な夢を描きまして、最高のところへ最高の方々が集まり、例えば、雲水も、生徒も、先生も、兎に角、これ以上に理想的なところはないところへ行くという思いで入堂しました。
 
亀井:  仏教界というのは私達は屡々そういうふうに思い描くことがございますね。
 
青山:  そうですね。同じ人間の、同じ業(ごう)を持った人間が作る世界に、特別の世界がある筈がないんですけれども。若さがその最高にいいところがあると思って入って来るわけですよ。入って来て、待っているものは絶望ばかりというので、こんな筈ではなかった、あんな筈ではなかったと。先生方の欠点を論(あげつら)ったり、友達もこんなんじゃない、あんなんじゃないと、人の批判ばっかり。批判の固まりになってくるんですよ。
 
亀井:  人を裁くわけですね。
 
青山:  そうですよ。こんなんじゃ坊さんになるんじゃなかったというところまで最後行くんですね。やっぱりそれは大変辛いことなんですよ。夢に、理想に燃えて来たそこが理想通りじゃなかった。大変辛いわけなんですね。その辛さの中で『法句経』の中の「他人(ひと)の邪曲(よこしま)を観(み)るなかれ、他人(ひと)のこれを作(な)し、かれの何を作(な)さざるを観るなかれ、ただおのれの何を作し、何を作さざるを想(おも)うべし。」の一句に出合うことが出来た。人の欠点ばかり見えてしようがないという私の悲しみ、苦しみ。そこにアンテナが立って、『法句経』の中の
 
     他人(ひと)の邪曲(よこしま)を
     観(み)るなかれ
     他人(ひと)のこれを作(な)し
     かれの何を作(な)さざるを
     観るなかれ
     ただおのれの
     何を作し
     何を作さざるを
     想(おも)うべし
       (法句経五十番)
 
という一句に出合うことが出来た。これは嬉しいことですね。
 
亀井:  人をあれこれ論(あげつら)うなと。人を批判するなということは、人を裁くなということでもあるわけですね。
青山:  そうですね。
 
亀井:  裁く時には自分が高いところに立っている。
 
青山:  そうですね。仏法の受け止め方は難しいもので、一つ間違うと、法を盾に取って、人を裁くわけです。そうではなくて、本当は法に照らされて私の泥を見るわけですね。法に照らされた私の姿を見る。法に照らして頂いた時、自分の欠点が見させて頂けるわけですよね。
 
亀井:  先程から、お話を伺っております泥というのは、江原先生の場合には、お姑さんから厳しい躾に会って、怨み、辛(つら)みの思いが出て来た。一時は包丁を見た時に殺意さえ描いたというような、それが江原先生の場合の泥であり、青山先生の場合は仏教界に幻滅を感じて、人ばっかり裁いていた、そういう自分の心の動きが泥であるということですね。
 
青山:  借り物でない自分の泥が大事なんですね。「百八煩悩」なんて言いますけど、みんな持ち合わせておる中での一番今の悲しみ、今の辛いところ。今日只今の私の中の泥。借り物でない私の泥。これが大事ですよね。それに導かれて行く。
 
亀井:  成る程。親鸞聖人の場合ですと、罪というような言い方で言われている。そういうことですね。
 
青山:  そうですね。同じことですね。
 
亀井:  その泥ということを先程からよくお聞かせ頂いておるんですけど、私達の人生の上で、どのように泥というものが働いて下さる。働きをなすものでございましょうか。
 
青山:  その泥が大事なんですね。昔から、それこそ、仏教ではご存じのように、蓮の華に喩えております。
 
亀井:  ええ、よく伺いますね。
 
青山:  お寺へ行けば必ず木蓮華が飾ってあります。残念なことに熨斗紙(のしがみ)に蓮が付いていると慶弔の弔にになってしまっていることはまことに残念ですけれども。ほんとはこんなお目出度い素晴らしい喩えはないんですよね。その蓮華に喩えての仏法の話というものが、昔から仏様も蓮台に乗っていらっしゃる。お持ちになっておるものも蓮華の華です。この蓮華の意味というのはどろんこの中に身を横たえながら、泥の姿も臭いも残さずにみごとに消化して、それを肥料として、華を咲かせる。その教えが人生の悲しみ、苦しみ、どうしようもない愛やら、憎しみやら、さまざまなるものを泥に喩えて、それがなかったら華も開かないんだよという教えを蓮華に喩えてあると思うんですよ。
 
亀井:  蓮華のことを「淤泥華((おでいげ)」というような言い方もされますね。泥の華という。
 
青山:  そうですね。ところがここで気をつけて頂かなければいけないと思うことがいくつもあるんですよね。よく聞く喩えに、「蓮華は泥に染まなくて、清らかな華を咲かせるから」というような説明をしているのに出合うことがあります。
 
亀井:  そうですね。時々そういう説明を聞きますね。
 
青山:  これは違うんじゃないかと思うんですよね。「泥に染まなくて清らかな華を咲かせる」というと、泥は厭(いと)うべきもの、捨てるべきもの、切り捨てるべきもの、他に清らかな世界があるというふうな受け止めがありますでしょう。そうではないんです。泥を切り捨てたら花も咲かないので、泥が大事なんですね。泥がなければ花は咲かない。厭い捨てたら花は咲かない。別の所にあるんじゃないということですね。「泥多ければ仏大なり」という言葉もあります。泥は仏作る材料であり、泥がなければ花が咲かない。そこのところが別ではないというところをしっかり押さえておかなければならない。厭い捨てたら花も咲かないんだよということですね。ここを先ず一つ押さえておかなければならないと思います。「泥多ければ仏大なり」という言葉を一般的言葉に直せば私どもの世界ですと、「煩悩即菩提」とよく言います。
 
亀井:  聞きますね。
 
青山:  「煩悩即菩提」。煩悩が泥に当たる。菩提が花に当たるわけですよ。蓮華の花に当たるわけですけれども。しかし、「煩悩即菩提」とは言っても、もう一つ気をつけなければならいのは即という一字ですね。泥が仏を作る材料だけれども、泥が即はイコール (equal) ではないのだということですよ。
 
亀井:  イコールではない。
 
青山:  泥がイコール仏じゃないわけです。泥はやっぱり泥なんですから。泥はイコール花じゃないんですから。ですから、泥が仏を作る材料、泥が花を咲かせる材料にはなるけれど、イコールではない。この二点ですね。切り捨てたら花も咲かない。しかしながらそのままではやっぱり花ではないとこの二点ですね。難しゅうございます。
 
亀井:  微妙なところをですね。
 
青山:  そうですね。やっぱりそこに、大きな転換がなければならないと思うんですよ。その辺が泥をどう転じて、消化して、また昇華しですね。食べ物の消化の消化でもあり、或いは花として昇華するの昇華でもある。泥が質的な大転換をして、花にするかというところが大事なところでしょうね。その辺の二点をしっかりと押さえて置きたい。その為にね、やはりこれも江原先生とのお話の中に出た『法句経』の一つがあるんですよね。お釈迦様がお弟子さん達と川を渡っていらっしゃった。船に乗って川を渡られた。船が朽ちていたんでしょうね。浸水し始めたわけですよ。お釈迦様がお弟子さん達に声を掛けて、「水を汲み出そうじゃないか」と言って、お手にお持ちになった鉢か何かで、こう水を汲み出し汲み出し向こうの岸まで着かれた。向こうの岸にお着きになったところで、お釈迦様が弟子達にお説きになった言葉と言われて伝えられている法句経がね、
 
     比丘(びく)よ
     この船より水を汲(く)むべし
     汲まば
     汝の船は軽く走らん
     貪(むさぼ)りと瞋(いかり)を断(た)たば
     汝は早く
     涅槃(さとり)にいたらん
       (法句経三六九番)
 
とこうお説きになったと言うんですね。このお話を江原先生としている時に、江原先生がフッとこうおっしゃったんですね。「船を沈める水も、浮かべる水も一つ」とおっしゃった。
 
亀井:  本当にそうですね。
 
青山:  私、これは当たり前のことのようでしたが、フッとそれまで見逃しておりましたが、その一言を聞かせて頂いて、一つ目の鱗(うろこ)が落ちた思いが致しました。「沈める水も浮かべる水も一つ」。これは凄いことなんですね。これは分かり易いお話で言いますと、こんなことがこの間ありました。私の無量寺の方の寺は自給自足の田畑が結構ある寺です。いろんな弟子達がやって参りまして、都会育ちの弟子の一人が、一生懸命草を取ってくれていましたんですよ。その草を取っては山道か何かに捨てに行くわけです。それを見ながら、私は、「その草捨てない方がいいよ」と言ったんですよ。作物を育てる養分も、雑草を育てる養分も同じ養分なんだから、そのまま放っとくと雑草が繁茂して作物をダメにするけど、取って埋めてやれば作物を育てる肥料になるわけですね。
 
亀井:  そうですね。
 
青山:  ですから、「捨てない方がいいよ」と言ったんです。これ同じなんですね。放っとくと沈める水。外へ汲み出すと浮かべる水になる。放っとくと作物を枯らす雑草、埋めれば肥料になる。同じですね。問題はどう転ずれば、浮かべる水になり、肥料としての草になるか。そこがまた一つの問題点なんですよね。
 
亀井:  そうすると、それは水の方の話ではない。雑草の方の話ではない。それにどう対応するかというこちらの問題になって来るわけですね。
 
青山:  そういうことです。それをどう受け止めて、転じて行くかということでしょうね。今の『法句経』の後半は「貪(むさぼり)りと瞋(いかり)を断(た)たば」とあるわけですけれども、例えば、一つの欲だけを考えた時にうっかりしますと、欲はイコール煩悩のように思いますけど、そうじゃないですよね。欲は命のエネルギーなんですから、欲がイコール煩悩じゃない。大変大事なものですよね。その欲が小さな我欲の為だけ、エゴの私の為だけに無限に延ばしていくと煩悩となり、そしてそれが自分を沈めていってしまう。ダメにしていってしまう方へ導くんじゃないでしょうか。その欲の方向付けが出来て、小さなエゴの私ではない、世の為とか、人の為というのは嫌いな言葉ですけども、もっと使うべき方向に、或いは道の方向に、向上の方向にと、欲の方向付けが出来た時、この欲は私の言葉で言えば、「誓い」、「誓願(仏の世界へ向かう、本来の人間のあり方)」となる。そういうものではないかと思うんですよ。欲というものが小さな私、一個のものではなくて、天地一杯から頂いた命のエネルギーの姿だと、こう気付いた時に、欲の方向転換が出来る。その方向転換が出来た時、これは「誓願」になって行く。それは教え照らされなければ、気付いていかないものですよね。
 
亀井:  私達が学ばせて頂いたお話の中で、忘れられない話があります。欲というのは本能。本能というものは人間誰でも持っているものなんだと。それが自我意識で濁らされたりすると濁って来る。その本能が濁ると煩悩になる。濁点を二つ打ちますと。
 
青山:  成る程、成る程。
 
亀井:  こういうような言い方でですね、本能と煩悩と違う。欲というのも本来本能なんでしょうけども、それが自我意識で何か汚されると濁ってくる。濁ってくるとそれは煩悩として厭うべきものになる。
 
青山:  成る程ね。やっぱり自我というものが入って来た時、自我の枠の中に閉じこめられて来た欲は、船を沈める水なんでしょうかね。それをどう浮かべる水に変えていくか、そこが学びの為所(しどころ)かも知れませんですね。
 
亀井:  今の無量寺のお寺の方で、お弟子さんの方が捨てようとなさったのを、「それを土に埋めれば肥やしになるよ」というふうに言われたのは、こんなものは邪魔物だ、こんなものは値打ちのないものだと自分中心のところで、価値判断して切り捨てるのでない。そういうような教えの意味がそこにあるのでございましょうね。
 
青山:  さっきの捨てるんじゃない。一つのものなんですからね。大事な命なんだからということでしょうね。
 
亀井:  そんなところに仏法の教えの一つの機微と申しますか、明治の念仏者の清沢(きよざわ)満之(まんし)(一八六三ー一九0三:明治の仏教学者)という先生が自我中心の心を「主我心」とおっしゃった。それに対して仏法というものは、「公共心」に向かうものなんだということをおっしゃって下さいました。天地一杯というお言葉、お話をよく先生からも承るんですけども、そうことが言葉を換えて言えば「公共心」、その反対が「主我心」、我を主にする心ですね。
 
青山:  そうですね。小さなエゴの私を常に先として、そこの方向にしか向けられない時、おっしゃる煩悩になっていくんでしょうね。
 
亀井:  先生、今のお話で雑草の喩えをお話頂きましたんですけども、自分中心の狭い世界にに立っておると、こんなものは役に立たないからと言って、むしりとって捨ててしまう。だけど、より大きな一つに繋がった命というところに立てば、これがまた土の下に埋めてやれば、次の命を育む大きな力になるのだという形で無駄がない、そういう世界に出させて頂けるということがあるわけでございますね。
 
青山:  雑草を育てる養分という話ですが、言い換えれば人間の欲のところへそれを持っていって見て頂ければ、欲というのは天地一杯から頂いた命の姿ですね。天地一杯から頂いた命のエネルギー、働きですから、その本当の姿に気付いたら、小さなエゴの私の為に使えなくなる。むしろそういうことでしょうね。例えば、食欲も授かり、眠りも授かり、呼吸一つするのも天地一杯からのお働きのお陰と。そのように私一人がやって、自分の思いでやっているんじゃないんだという。途方もないお働きの直中に呼吸一つが出来、食欲もあり、眠ることも出来と。欲は厭うべきものではなくて、天地一杯からの仏様からの授かりのお働きと気付かして頂いたら、自ずから自我の中の閉じ込めから、解き放すことが出来る。方向付けをしないでおれなくなる。そういうことじゃないかなあと思うんですね。
 
亀井:  そういうことを新しい言葉で言えば「公共心」とか、そういうような言い方でも言い表されると思いますね。
 
青山:  言えると思いますね。
 
亀井:  しかし私達はともすればそういう自我中心のところに立って、小さい限定された自分というものからしか、ものを見ないということがございますね。
 
青山:  そういうその大きな世界に目覚める為には、教えに導かれないと目覚めませんから。そういう意味では、先ず教えに出合わなければなりませんけど。その教えが聞けて、教えに導かれて教えに出合うということのもう一つ前に、教えに出合う為のこっちにアンテナが立たんければならないわけですよね。聞く耳が開かれなければならんわけです。いくら出合っていても、こちらにアンテナが立たなければ、聞く耳が開けねば教えに出合えませんから。
 
亀井:  聞く気がないとダメなんですよね。
 
青山:  そうなんですね。その聞く気を起こさせる。言い換えれば、求道心(ぐどうしん)です。求道心を起こさせる背景として、苦を持ってきたということね。これは凄いことだと思うんですよ。お釈迦様が、「苦(く)・集(しゅう)・滅(めつ)・道(どう)」の四諦(したい)(釈尊の教えの四つの根本的原理)ということをおっしゃっていますね。
 
亀井:  四聖諦(ししょうたい)ですね。
 
青山:  四聖諦ですね。諦(たい)という字は真実という意味ですよね。
 
亀井:  明らかに観るということですね。
 
青山:  そうですね。四つの真実の教えの最初に苦を説かれた。これは凄いと思うんですよね。求める心を起こせという前に、先ず求める心を起こす原動力としての苦をお説きになった。考えてみたら、大変これは素晴らしいことです。
 
亀井:  本当ですね。「人生というのは苦である」とお釈迦様は最初におっしゃった。何か私達は、無気力な人生というのは苦しいもんだよというような意味でしか、消極的な形でしか受け止めておりませんが、今のお話聞いておりますと、そうではないですね。
 
青山:  そうじゃないんです。苦しみは深い程に、求道心も強く起きると。例えばですね、大変面白いと思うんですけれども、お釈迦様は、よく医者と薬と患者に喩えていますよね。それで病気はどんな辛い病気でも自覚がなければしょうがありませんけどね。苦の自覚がなければ、病者の自覚がなければしょうがないですがね。
 
亀井:  痛いとか、苦しいとか。
 
青山:  はい。病気は辛い程、苦しい程に待ったなしに医者へ行こうとする。医者の言うことを聞こうとする。薬を飲もうとする。求道心ですよ。聞く耳ですよね。呑もうとする、聞こうとする。その求道心が苦しみは厳しい程に、病苦は厳しい程に求める心が強く起きるわけでしょう。だから苦の深さ厳しさと、求道心とは平行するわけですよね。そこでお釈迦様が求める心を起こす前に苦の自覚を説かれて、第一番目に苦を持ってこられた。
 
亀井:  非常に積極的な意味あるんですね。
 
青山:  そうなんです。そして苦に導かれて耳が開け、アンテナが立ち、教えが聞けて、その教えに導かれて自分の非に気付く。教えに照らされることで我が非に気付く。我が泥に気付く。聞く耳が開けることで、教えに深く出合う程、教えに出合い、或いは教えを説いて下さる人に出会う。正師ですね。人に出会う。人に出会い、教えに出合い、導かれるこの世界が深まる程、高まる程、明るくなる程に、私を照らして頂くのも、明るく照らしだされて来て、自分でも気付かなかった自分の中の泥。非がくっきりと浮き出されて、見せつけて頂けるわけですよね。これは非常に大事なことだと思うんですよ。「罪悪(ざいあく)深重(じんじゅう)・煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)」と親鸞様がよくおっしゃって、「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」とおっしゃれる親鸞様というのは、自分の中のこれほどに酷い泥というものをご自分が自分で見据えておられる。これは親鸞様を照らす光がどれほどか明るい証拠だと思うんですよね。光が薄ければ見えませんわ。闇ならもっと見えませんわ。「松風の暗きは月の光なり」という句がありますね。
 
     松影の暗きは月の光なり
 
松が立っている。松が黒い影を引いていることを見せてくれるのは月が照っている証拠ですよね。
 
亀井:  そうですね。
 
青山:  月の光が薄いと影も薄い。月が明るくなる程に黒々と影を映し出して見せてくれます。私を照らして下さる光が明るくなる程に私の非が、泥が見せて頂ける。見せて頂ける程に謙虚になっていく。「罪悪深重」と、親鸞様が自分のことをそうおっしゃるのは、親鸞様を照らす光がどんなにか明るい証拠なんだなあと思うんですね。
 
亀井:  そうしますと、お釈迦様が苦の自覚ということを私達に先ず一番最初に促して下さったということは、何か苦を自覚すれば、暗い滅入ったような気持になりがちに、私達はフッと思うんですけども、そうでないんですね。
 
青山:  そうですね、苦だけを見ていると、闇だけを見ていると、闇に照らし出された我が暗闇だけを見ていると、暗いですけども、照らして下さった光を見ると感謝ですよ。気付かなかったら軌道修正も出来ませんから。
 
亀井:  そうですね。
 
青山:  はい。自分が非に気付かなかったら、高慢になるだけですが、自分の非に気付かして頂けるだけで謙虚になる。そして気付かして頂けるから、軌道修正させて頂きましょうという誓願の姿にもなる。そういう意味で仏に出合い、教えに出合い、仏の光、光に照らして頂いたお陰で我が非に気付かせて頂いたと。こう頂けたらこれは嬉しいですよ。
 
亀井:  そうですね。
 
青山:  明るいです。
 
亀井:  そうしますと、自分の間違いに気づかされたということはもう間違っていないところに自分が身を置いているわけですね。
 
青山:  そうですね。結局は我が非を非と見る。泥を泥と見る私は清らかです。泥は泥を、闇は闇を照らし出しはしませんから。ですから我が泥を泥、私は間違っていたなあと気づく私は清らかな私でなければ見れません。清らかな私というのは仏。仏心と一つの私なんでしょうね。まあそこのところを、例えば沢木老師(沢木興道:一八八0ー一九六五:曹洞宗僧侶)の言葉を借りますと、沢木老師は、「西方十万億土(さいほうじゅうまんおくど)とは、自分から自分への距離だ」とおっしゃったんですよ。
 
亀井:  面白い表現ですね。
 
青山; はい。「自分から自分と」、沢木老師は同じ言葉でおっしゃったけど、これを「自我から自己へ」と、言葉を変えればいいかと思うんですよ。エゴのどろんこの自分と、もう一人の、分かり易い言い方をすれば、もう一人の私。仏の目を頂戴した、仏の側に立ったもう一人の私。このもう一人の私のことを仏教では、「大人(だいにん)」、大人(おとな)ですね。
 
亀井:  大きい人。
 
青山:  そうですね。私ども普通の言葉に変えれば大人(おとな)ですけど、仏教では「大人(だいにん)」と呼んで、お釈迦様ご自身が遺教(ゆいきょう)、最後のご遺言の中に八つの大人(おとな)としての教え、「八大人覚(はちだいにんがく)」として説いていらっしゃいますけど。言い換えれば、仏教というのは大人になる教えだと言ってもいいんじゃないかと。そういうもう一人の私を教えに導かれてドンドン育てる。この私が大きく育つ程に、明るくなる私がある程に、暗い私、どうしようもない私が一層見えて来る。従って、「西方十万億土は、私から私への距離」ということになって来ますでしょうね。しかしながらこのもう一人の私の行くところ、歩むところはどこもかも素晴らしいお浄土になるんじゃないでしょうか。そこのところはやはり『法句経』の中にありますね、
 
     村の中に
     森の中に
     はた海に
     はた陸(おか)に
     阿羅漢(こころあるもの)
     住みとどまらんに
     なべてみな楽土なり
       (法句経九八番)
 
この「なべてみな楽土なり」。「阿羅漢(こころあるもの)」、これがその大人としてのもう一人の私。教えに照らされ、導かれて育っていったもう一人の私。これが阿羅漢(こころあるもの)という表現をしたものであろうと思うんですが。
 
亀井:  阿羅漢(あらかん)というと何か特別の人のように、私とは別の人のように思いますけど。
 
青山:  はい。そうじゃないですね。ああ、いけなかったなあと気付くもう一人の私が、そちら側でしょうね。そのもう一人の私の住みとどまるところ行くところ、どこもかもそこが楽土、良いところだと。だから例えば彼岸という言葉がありますけれど、或いはお浄土という言葉がありますけど、彼岸もお浄土も土地の問題ではないですね。地理の問題ではないと思うんですよ。或いは時間的に死んでから行くというような問題ではない。今日只今、即刻一歩一歩どう生きるか、その人の心のありよう一つで、いかなるところにあっても、なべてみな楽土なり。彼岸と転じて行く。そういうことじゃないでしょうかね。
 
亀井:  これは私の体験でございますけれども、私は会社を経営しておりました。今は第一線を引いておりますけど。現役の社長の頃に、こういう仏教の方のお仕事もいろいろやっておりましたので、どうしても仕事に身が入らない。どちらかというと金儲けの商売よりも、こちらの方に一生懸命になってしまうということで、従業員の人が、「亀井さんは仕事をやっているのは、嫌々仕事をやっているのが見え見えですよ」とよく言われた。でその証拠には今日の仕事を直ぐ明日に延ばす。もういろんな仏教行事があれば当然延ばしますからね。それで「亀井さんはまた一番遅く会社に出て来て、一番早く家に帰ろうとする」。「そんなことで今の厳しい生き残りの競争をかけた世の中、渡って行けますか」と。「あんたはそのダメ社長だ。経営者失格だ。」と言われてよく批判されました。そういうことを従業員から言われますと、やっぱりムカッとするんですよね。社長の私に向かって、従業員の分際(ぶんざい)でというようなことを思う。これはやっぱり煩悩だと思うんですね。腹が立って来る。人を見下している。で「今日は忙しいから、今日は帰れんかも知れんぞ」と言って車に乗って、外へ飛び出しますけれども、車を運転しながら別に当てはありませんから、車に乗っている中に、そうか言われて見ればその通りかなあ、僕は仕事に穴ばっかり空けている。それなのに従業員は社長の私に憎まれてもあれだけ言わずにおられないから言ってくれる。むしろそれ有り難いと思わなければいかんじゃないか。もう一人の私の声がやっぱり仏法を聞いておりますと、そういう声が聞こえてくるわけですね。泥まみれの自分の姿に気付かされたところから我が非を覚っていく。
 
青山:  そこにのみ超えていく世界があるのですね。
 
亀井:  超えていく世界ですね。
 
青山:  そうです。非に気付く。泥に気付かして頂く。そこにのみ泥を超えて泥を転じていく世界がある。まあ自覚としてはしょうもないものと懺悔(さんげ)さして頂くところに、むしろ彼岸が展開していくんでしょうね。
 
亀井:  それが彼岸の世界と言ってよろしゅございましょうか。
 
青山:  そうですね。
 
亀井:  それがまた「煩悩即菩提」とか、
 
青山:  そうですね。転換しているんでしょうね。即というところで転換したということで、イコールではないということなんですね。
 
亀井:  即というのはそういう一つの否定性がある。
 
青山:  そうですね。前を絶対的に否定、厭い捨てるんじゃないけども、我が非と、
 
亀井:  間違っていましたと、それを受け止めていく。
 
青山:  そういうことです。
 
亀井:  受け止めていくわけだから、捨てるわけではないですね。
 
青山:  捨てるわけではない。
 
亀井:  これだけしか持っておらない私だという。
 
青山:  それともう一つ、苦のお陰で、その泥のお陰で、苦に、泥に導かれて求道心がおき、教えが聞け、教えに導かれてわが非に気付かして頂けましたと、泥が拝めたとき、苦は苦でなくなるんじゃないでしょうか。苦が、むしろ仏の慈悲の贈り物と、こう頂戴出来たらもう苦では無くなるんですね。
 
亀井:  そんなところに私は、「煩悩即菩提」という言葉を、そのまま「南無阿弥陀仏」というような言葉として頂いておりますが。
 
青山:  同じですね。
 
亀井:  先生のお話の中に王様とお后のお話がありましたですね。あれもそんなような心の展開を言い当てて下さっているお話ですね。
 
青山:  ハシノク王ですね。お釈迦様の祇園精舎の直ぐ近くの舎衛(しゃえい)城にいたハシクノ王がある日しみじみと妃にこう言うんですね。「自分をよく振り返って見たら、誰よりも自分が可愛いという結論にしか達しなかった。お前はどう思うか」と言うんですね。それに対して、お后がよく考えて、「私も誰よりも自分が可愛いという結論にしか達しませんでした」。二人はどうも落ち着かないんですね。「我よりみんなを愛せ」と。慈悲をお説きになるお釈迦様の教えに悖(もと)るような気がして。それで二人で祇園精舎を訪ねまして、お釈迦様にそのことを申し上げるんですよ。二人が、「誰よりも自分が可愛いという結論に達しましたけれど、どうも落ち着きませんが」と言うと、御釈迦様が、ジッとそれを聞いておられて、こうおっしゃるんですね。
 
     人のおもいは いずこへもゆくことができる
     されど いずこへおもむこうとも
     人は おのれより愛しいものを
     見いだすことはできぬ
     それと同じく 他の人々も
     自己はこの上もなく愛しい
     されば おのれの愛しいことを知るものは
     他のものを害してはならぬ
         (相応部経典)
 
みんな自分は可愛いんだよ。誰よりも我が身可愛いというどろんこの自愛ですね。その誰よりも私が可愛い。誰よりも傷つけられたくない。その本能とも言うべき我が身可愛いどろんこ。そこを土台として、だから他を害してはならぬという転じ方。この辺がやっぱり転ずることの一つでしょうけど難しいところですね。
 
亀井:  それを先生は先程もおっしゃって頂いたと思いますが、煩悩から誓願へという。
 
青山:  そうですね。しかしその土台、背景として、光に照らされるということがなければ、ハシノク王にしても、マツリカ(ハシノク王の妃)にしても誰よりも自分が可愛いという自分の泥の姿が見えませんものね。
 
亀井:  よき人に導かれ、良き教えに出合うことで初めて道が明らかになる。
 
青山:  そうですね。教えに照らされることで、非に気付くということのもっとも分かり易い話に、私どもは集合写真が出来てきますと、もう百人が百人、先ず自分の顔を探すと思うんですよ。そしてその自分の顔が良く撮れていると、これは良い写真だってね。自分が目をつぶったり、横を向いていると、他の方がどんなに良く撮れていてもこの写真そのものがもう価値のないものに見える。それほどに写真一枚にさえも、我が身可愛い思いを先として見ている。しかもそのことにも気付いていない。でも教えに出合うと、そういう自分に気付かせてもらう。ここが大事ですよね。やっぱり無限に教えに出合うことで、教えに照らされることによって気付かせて頂き、師匠に導いて頂くことで、目を育てていただくことで、どうしょうもないあらゆるところに我が身可愛い中心の動きしか出来なかったという。そういう泥を見せて頂ける。見せて頂けた時、感謝ですね。そして、そこにのみ、泥を超えていく世界がある。そんな気がするんですよね。
 
亀井:  泥が泥のままで、泥を超えた世界。
 
青山:  そうですね。また泥を拝めてくるとか。悲しみ苦しみとか、泥というものが仏からの授かりとして拝めて来る。その時、質的転換が既になされている。そういうものではないでしょうか。
 
亀井:  それを先程来、おっしゃって下さっております。「即」という言葉は、たった一字でもってそれを表している。
 
青山:  そうですね。そこに「即」というのが、微妙でしょうね。教えに照らされたり、光に照らされて、質的転換がなされなければ、そう花は開かないわけです。と言って捨てるわけではないわけですから。そこに教えの聞きどころ、修行の為所、胸落ちの為所というのがそこにあるわけでしょうね。
 
亀井:  今日は先生、お母様の思い出のお話から始まって、私達が生活の中で、生活を通して、どのように求道していくかという。そういう足取りを、御釈迦様の苦の自覚ということから、それを更に深めて我が非を覚る。我が非を知らせて頂く。そういうところから、より広い大きな命に、一つになっていく世界というものを、一つ一つ、こと細かに手に取るように教えて頂きました。まさにこの岸から彼の岸へ一歩一歩歩ませて頂く。その足取りを手を取って教えて頂くというような思いが致しました。有り難うございました。
 
青山:  有り難うございました。
 
 
     これは、平成八年九月二十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」に放映されたものである。