二度、生まれる
 
                       長崎県社会教育長 竹 下  哲(さとる)
大正十二年長崎市生まれ。広島高等師範学校(現広島大学)卒業。長崎県教育長、県立長崎図書館長、県教育センター所長、県立諫早高等学校長、県立長崎西高等学校長、長崎県社会教育委員長を歴任。著書に「心のうた」「いのちのうた」「くらしのうた」他。
                       き き て    金 光  寿 郎
 
金光:  今日は長崎市にお住いの竹下哲先生にお越し頂いております。竹下先生は長い間、県の教育委員会のお仕事や高等学校の校長先生などのお仕事をなさっておいでになった方で、その間に探求され実践されてきた人間の生き方について、いろいろお伺いしたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
 
竹下:  どうぞよろしく。
 
金光:  今日のテーマは「二度、生まれる」ということになっているんでございますが、その一度目のお生まれは、いつ頃、どちらでお生まれになったんでございましょう?
 
竹下:  大正十二年、長崎市で生まれました。それでもう六十九歳になってしまいました。
 
金光:  お生まれになったご家庭は、どういうご家庭だったんでございましょうか?
 
竹下:  私の家は四人兄弟でございまして、私が長男でございます。父は国鉄に勤めておりまして、駅長なども致しておりました。そういうことで、大変質素な堅実な家庭でございました。父も母も念仏者でございまして、そのために家庭には宗教的な雰囲気が漂っていた、と思います。それが大変有り難いことだ、と今にして思うのです。
 
金光:  しかし、子どもの頃はあんまりそういうのが、あまり有り難いとも、おそらくお感じにはならなかったと思いますが、子どもの頃の竹下哲少年はどういう少年だったんでございましょう?
 
竹下:  そうですね。腕白で遊ぶのが好きで、山や川を跋渉(ばっしょう)してですね、そんな生活を致しておりました。
 
金光:  だんだん大きくなられて、自分はこういう方向にいけばいいんじゃないか、というふうにお考えになるようなきっかけがいくつかおありだったと思うんですが、最初にどういうところで、よし、こういう方向にいってみよう、とお考えになったんでございましょうか。
 
竹下:  中学校三年生の時に、母が、「今日は偉い方がおいでになって、仏教の講演会があるから、お前、学校の帰りに聞きに行きなさい」というのです。それで、私、カバンを小脇に抱えて、半ば義理で講演を聞きに行ったのです。その時の講師が山本晋道(やまもと しんどう)という先生でいらっしゃいまして、大変頭の切れ味の鋭い、情熱的なお話をなさいました。今思いば、『歎異抄』の第二章のご講義だったのです。私は、内容は十分には勿論理解できませんでしたけれども、先生のお人柄、直向(ひたむ)きなそのお姿、そしてご承知の通り、『歎異抄』第二章は、「おのおの十余(じゅうよ)か国のさかいをこえて、身命(しんみょう)をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御(おん)こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。」で始まりますね。「身命(しんみょう)をかえりみずして」―命懸けで、というところに強く打たれまして、その一言が少年の私の心を貫いた、とこういってもいいかと思います。その時何か人生の方向が定まったという、そういう実感が致しました。
 
金光:  山本晋道という方はどういう方だったんでございますか?
 
竹下:  この方は、在家の方で、東大の英文学科をご卒業になりまして、旧制中学校の英語の先生だったんです。頭のいい、情熱的な、また正義感の強い先生でした。しかし、人生は正義感が強いとか、情熱だというようなことでスムーズにいくわけじゃありませんで、いろいろなことで行き詰まられたんですね。その時に、川を隔てて、お寺から鐘が鳴り響いてまいりまして、その鐘の音を聞いて、「あ、お寺があるな。そこで自分の悩みを解決してくれるかも知れない」ということで、お寺に行かれたんです。そこの老僧にお会いされて、諄々とお話を聞かれて、その時に心が開けまして、そして、「そうだ。この道一筋に行こう」ということで、中学校の先生を辞めて、そしてお坊さんになって、山本晋道(やまもとしんどう)と名乗られたんです。中学校の先生をお辞めになったものですから、たちまちに家計が困難になります。一家路頭に迷うということになりました。先生はそれで野菜を担いで、野菜の行商をされたんです。それほど徹底した方でしたね。やがて梅原真隆(うめはらしんりゅう)(1885-1966)先生に師事されて、そこで勉強されまして、そして福岡とか長崎とか、或いは熊本なんかに聞法(もんぽう)道場をお作りになりまして、そこでお説教をなさっておりました。私はたまたま福岡で生活を致しておりまして、福岡で始めて先生のお話を聞いた、というふうなことでございます。
 
金光:  そういういわば体当たりで道を求められる方のお話だっただけに、非常に印象が深かった、ということだと思いますが、その中学校で、「ああ、こういう生き方があるんだな」ということをお感じになった後、今度は大学はどちらへお行きになったんでしょうか?
 
竹下:  広島の高等師範学校に学びまして―今の広島大学の教育学部でございますが、そこでまたいろいろと先生方のお教えを頂きました。
 
金光:  どういう先生方がその当時お出でになったんでしょうか?
 
竹下:  広島はご承知の通り安芸門徒(あきもんと)の本拠地でございまして、念仏の声が町中に響き渡っているというふうな町でございました。そこで金子大栄(かねこだいえい)(明治十四年〜昭和五十一年:仏教学者・真宗僧侶)、藤秀すい(しゅうすい)(明治十八年〜昭和五十八年:広島文理科大学講師・真宗僧侶)、白井成允(しらいしげのぶ)(明治二十一年〜昭和四十八年:倫理学者・元京城帝大教授)がおられました。(註:「藤秀すい」の「すい」は、「王」偏に「翠」と書く)
 
金光:  いずれも非常に有名な学徳兼備な方でございますが、その金子先生の講義は学校でお受けになったんでございますか?
 
竹下:  いいえ、そうではありません。私は国文学の専攻なものですから、直接に先生の正式の講義に座ってお話を承ったということではなくて、随時仏教の講演をなさっておられまして、そのご講演を拝聴した、ということでございます。
 
金光:  藤秀すい(しゅうすい)先生は講師をなさっていたそうですが、藤先生とはどういうご関係であるんですか?
      (註:「藤秀すい」の「すい」は、「王」偏に「翠」と書く)
竹下:  藤先生のお話も、学校でも随時伺いましたけれども、特に先生のお宅に何度もお伺いして、いろいろと懇切に教えて頂きました。今思うと、ほんとに若造の私に懇切に教えで下さいまして有り難かったなあ、と思うのです。
 
金光:  白井成允(しらいしげのぶ)先生も非常にたくさん感化を受けた方がお出でになる方でございますが、白井先生とはどういうご関係であったんでございましょう?
 
竹下:  白井先生も仏教の講演をあちらこちらでなさっておられまして、まだお若い先生でした。特に『歎異抄』の講義をなさっておられまして、そのご講義を胸を躍らせて伺ったものであります。思えば、いろいろの先生方のご縁に出会わせて頂いた、という思いがしきりにするんです。  
 
金光:  そういうご経験の後で、いわば決定的な影響をお受けになったのは、弟さんのご病気のことだ、と伺っておりますが、それはどういうことだったんでございますか?
 
竹下:  弟は昭寿(あきひさ)と言っておりまして、私どもは「昭(あき)ちゃん、昭(あき)ちゃん」と言っておりました。昭和三十四年に体の調子が悪くなりまして、食欲がありません。それで、「昭ちゃん、どうしたんだ」と言いますと、「どうも食欲がないんだ。力がないんだ」とこういうのです。それで長崎に是真会(ぜしんかい)病院という病院がありまして、そこの院長先生が高原憲(たかはらけん)先生で、念仏者でいらっしゃいました。その先生に診て頂きました。胃を切り開いてみましたら、驚くことに、ガンは胃の全体を冒して、もう手遅れだ、というのです。後は死を待つばかりなんですね。家に連れて帰りまして、家で療養することになりました。刻々痩せ細っていきます。忘れもしませんが、昭和三十四年三月二十五日に、先生がお出でになりまして、ガンの宣告です。それこそ死の宣告をなさいました。「昭寿さん、あなたの病気は胃ガンなんだ。手遅れなんだ。どうかお念仏を申してくれ」とこういうお話でありました。
 
金光:  しかし、言われた昭寿さんはまだ三十歳の若さでしたね。
 
竹下:  ええ。三十歳でした。弟は静かに先生のお話を聞いておりまして、先生のお話がすんだ時に、「先生、有り難うございました」と。しみじみとお念仏を申すようになりました。そして、四月十七日に亡くなるんですけども、それまでの生活の見事なことですね。輝くばかりの生活を致しました。そして、四月十七日にだんだん呼吸が切迫してきます。母が弟の手を握りまして、「昭ちゃん、このまんまよ、このまんまよ。もうすぐ楽にさせて頂けるのよね。・・・ナンマンダブツ」とお念仏を申しますと、弟は目にいっぱい涙をたたえて母の顔を見つめておりました。やがて呼吸が衰えてきます。そして手を合わせて、かすかに呟くように、「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」とお念仏を申して亡くなりました。見事な往生でした。その弟が死の宣告を受けたその日から、「兄ちゃん、僕たちは『歎異抄(たんにしょう)』を今まで勉強して良かった。今から毎朝兄ちゃんが出勤する前、僕の枕元で『歎異抄』を読んで頂戴」というのです。私は毎朝弟の枕元で『歎異抄』を広げて読みました。悲しくてですね、名残惜しくてですね、三十歳の弟ともう別れるのかと思うと、涙が溢れてなかなか先に進みませんでしたけども、梅原真隆先生の現代語訳を読みまして、弟はとても喜びまして、頷いて聞いてくれました。
 
金光:  その場合、弟さんは、いわば『歎異抄』の世界というのは、お浄土の世界ということだと思いますが、今日のテーマの「二度、生まれる」という、その実感というものをもう味わっていらっしゃったんでございましょうか。
 
竹下:  ええ。そういうお浄土に目覚めて生きていったんだと思います。ですから、胃ガンですから、体の苦痛は酷いです。ですけど、心は安らいで、実にほんとに輝くような日々を送っておりました。弟ながら見事だ、と私は思いました。
 
金光:  人間というものは、一度はどうしても死ぬという、そういう性質をもって生まれてきているわけでございますが、やっぱりその中でほんとに人間らしい生き方ができるようになるのには、ただ生まれて食べて亡くなるだけじゃ、ほんとの人間にはなれないということでございましょうか。
 
竹下:  そうですね。人間以外の動物は、犬でも猫でも牛でも馬でも一回生まれただけで、間違いなく犬であり猫であり牛であり馬であるのです。ただ不思議にも人間だけは、一回生まれただけでは本当の人間にならない、と思うのです。二回目の誕生が必要だと思うのです。その二回目の誕生というのは、私に言わせれば、「仏法にご縁があって、お念仏を申す身にならせて頂くことだ」とこう思います。第一回の誕生はいうまでもなく、お母さんのお腹からオギャと生まれることです。それは生物学的には人間でしょうけども、まだ本当の人間になっていないんだ、と思うのです。第二回目の誕生が必要ですね。第二回の誕生で、「念仏申す身になるということは、本当の人間に生まれ変わることだ」と思うのです。もっというならば、目覚めてこの人生を生きていくんだ、と思います。よく宗教というのはうっとりして恍惚状態になるんだ、というふうに誤って言われておりますけども、そうではなくて、目覚めて生きていくんだ、と。是非そういう二度目の誕生が必要だ、と私は思っております。
 
金光:  竹下先生にとっては、弟さんのガンの宣告を受けられて亡くなられるまでのご生活を見ながら、一緒に、しかも『歎異抄』などを読まれて生活なさったそのことが、その後の生き方というのに大きな決定力を持っていた、ということでございますか。
 
竹下:  はい。今申しましたように、小さい頃から宗教的な雰囲気の家庭に育ちました。山本晋道先生によって点火されました。そして、金子先生、その他の先生方から導いて頂きました。そして決定的にしたのは弟の死ですね。弟が命を懸けて私に教えてくれたんだ、と思います。それで、二回目の誕生と言いましたが、さらに言いますならば、三回目の誕生があると思うんです。それは今生の命が終わって、お浄土に往生にして仏になして頂く。それが三回目の誕生であろう、というふうに私は思っております。
 
金光:  今日は、二度の誕生ということがテーマになっているわけでございますが、じゃ、そういうお話を聞いて、自分もそういう人間になりたいと思う場合に、どういうふうに目覚めて生きていけばよろしいでしょうか。
 
竹下:  それはなかなか難しいですけども、仏法に出会って、お念仏申す身にならせて頂くと、いろいろなことに目覚めることができるように思うのです。三つ差し当たってあげることができると思うんですが、その第一番目は、自分一人で生きているんじゃないんだ。みな一緒に助け合い、保ち合って生きているんだ、という目覚めを与えられるんだ。そういう目覚めを賜るんだ、というふうに私は思うのです。
 
金光:  「みんな一緒」というと、人間みんな、という意味でございますか。
 
竹下:  勿論人間も、あの人この人と一緒にだし、それだけではなくて、「草木虫漁(そうもくちゅうぎょ)」と言いますね。草も木も虫も魚も、馬も牛も諸(もろ)ともに一切万物が助け合いながら一緒に生きている、こういうふうに私は思うのです。そういうことになんか目覚めさして頂いた、という感じが致します。
 
金光:  たしかに人間というのは、人間同士だけではなくて、空気にしても太陽にしても、いろんなものの中で頂いて生かされているということでございますね。
 
竹下:  よく仏教で「重重無尽(じゅうじゅうむじん)の因縁(「華厳経」)」と言いますね。それぞれ重なり合い繋がり合って助け合いながら生きている。それを「重重無尽(じゅうじゅうむじん)」というお言葉があります。そういう存在として、私も生き、あなたも生きているんだ。それの自覚というものが大事ではないでしょうか。
 
金光:  そういう自覚があれば、草や木も人間の都合のいい時にだけ勝手に使ってしまうということにはならないわけでございますね。
 
竹下:  そうだと思いますね。今どんどん木が切られております。「地球温暖化」というふうに言われております。やっぱり木を大事に、花を大事に、動物を大事に、一緒に手を握って生きていく、ということが大事だと思うんですね。
 
金光:  これは現代たしかにその通りだと思うんですが、もっと以前にもそういうことにちゃんと目覚めて述べていらっしゃる方も当然お出でになるわけでございましょうね。
 
竹下:  仏教の先覚者はみんなそうなんですけども、近いところでは有名な宮沢賢治ですね。宮沢賢治も仏教に生きた方ですけれども、宮沢賢治(1896-1933)の言葉に、
 
     世界がぜんたい
     幸福にならないうちは、
     個人の幸福は
     あり得ない
       (宮沢賢治)
 
こういう有名な言葉があります。自分一人幸福になることはないのですね。世界全体が幸福になって、はじめて自分の幸福もあるんだ、と。ですから、例えばベトナムとかカンボジアで難民があるということは、私たちもやっぱり不幸でもある。或いはアフリカで飢えている人がいる、ということは、私どもの痛みでもある。みんな一緒に生きているんだ。そういう自覚が大事なことだ、と思っております。
 
金光:  「重重無尽(じゅうじゅうむじん)」という言葉を、今の言葉で言い換えられたのが、「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」というふうに考えてもいいわけでございますね。
 
竹下:  はい。そうだと思います。
 
金光:  今、宮沢賢治の例が挙げられたんですが、他の方も随分おっしゃっているわけでございましょうね。
 
竹下:  ええ。たくさんの方がおっしゃっていまして、例えば広島時代に学びました金子大栄先生はこうおっしゃっています。
 
     露しげき雑草の土に帰することなくば
     巨木も生い立つにところがない
 
というお言葉があります。露をいっぱいはらんでいる雑草ですね、やがて土になります。その土を土台として大きな巨木が亭亭(ていてい)と聳えているんですね。だから巨木は雑草に手を合わせる必要があると思うんです。また雑草も巨木が葉を茂らせて秋になると葉を落とします。それが土に帰って養分になります。その養分を頂いて雑草も生きるんですね。お互いに保ち合って、お互いに合掌しあって生きていく、ということが道理のある世界ではないでしょうか。
 
金光:  そういう目でみると、草も木もそうですけれども、いろんな新しい気付きというのがあるわけでございましょうね。
 
竹下:  卑近な例ですけども、ご承知の通り長崎は坂が多いのですね、石段が多いのです。先だって、石段の上の空き地に家が建ちまして、新築工事が始まっているんです。ふと見ておりましたら、馬が―小さな馬なんです。対馬(つしま)で産する馬なんですけども、忍耐力が強くて従順で力も強いのです。その馬が建築用材の砂利を運び、材木を運び、瓦を運んでいるんです。それを見たとき、グッといましたですね。朝暗いうちから、陽が暮れるまで、黙々として、上り下り、上り下り・・・何十回じゃありませんよね、何百回も材木を運び、砂利を運んでいるんです。黙々としてですね。思わずその馬の額を撫でてあげました。馬よ有り難う、と。そうなんですね。私ども立派な家に住んでいる。それは快適でいいでしょうけども、自分の力ではないのであって、例えばそういう馬が一生懸命働いてくれている。馬の汗も涙も滲んでおるんだ。そういうことを感じて生きていく、ということが人間らしい生き方だ、と言えるんじゃないでしょうか。
 
金光:  これは、しかしそういうふうにお話を伺うと、そうだと思いますが、大人でなくても、子どもでもそういう感じをちゃんと感じている場合もあるわけでございますね。
 
竹下:  そうですね。むしろ子どものほうが純情ですから感受性が強いんじゃないでしょうか。それで先だって子どもの詩集を読んでおりましたら、小学校一年生の男の子が、「風になって」という詩を作っているんです。
 
     「かぜになって」
     かぜになったら
     かあちゃん
     かせいでっとこさいって
     あせひっこめてやるんだ
     すっと
     うんとかせがれっぞい
       (小一男子の詩)
 
という言葉です。私、爽やかな風になったら、お母さんが、―「かせいでっとこ」というのは、稼いでいるところ、ですね。働いているところに風になって飛んでいって、お母さんの汗を引っ込めてやるんだ。「すっと」というのは、「そんなら」「そうすると」でしょうね。そうするとお母さん稼がれるぞい。ウンと仕事ができるでしょう。素晴らしい純情な詩ですね。お母さんと一体となっています。風と一体となっています。そういう感覚というものは非常に大事なことだ、と私は思うんです。
 
金光:  先生は長年教育の畑で仕事をなさっていらっしゃるわけですが、今のお話を教育の場で考えますと、どういうことになりますですか。
 
竹下:  そうですね。いろいろなことが言いますけども、例えばよく聞かれるんです。「先生、叱るのはどう叱ったらいいでしょうか?」とかね、「誉めるのはどんなふうに誉めればいいでしょうか?」と。誉め方叱り方をよく聞かれるんですね。誉めることも必要だし、叱ることも必要です。ですけども、そのもっと根底に、叱るのではなくて悲しむのだ、と思うのです。
 
金光:  相手がなんかしくじった場合に、叱るんじゃなくて一緒に悲しむ。
 
竹下:  「どうしてそんなことをしたの?」と悲しむのですね。誉めるのではなくて喜ぶんだと思うのです。「よくやってくれたね。先生、嬉しいよ!」。そういう悲しむ、喜ぶという一体感ですね。子どもと一緒になる。そこからはじめて、叱るということが意味を持ち、誉めるということも意味を持つんだと思うので、ただ叱る誉めるだけだったら、自分は安全地帯におって、「お前はダメだ」「お前は良かった」というだけのことだと思うのです。教育というのは、子どもと一体になる、ということが原点ではないでしょうか。
 
金光:  そういういろんな場所で、そういうふうに周りの者と共感を持って生活できるというと、これは毎日の生活が非常に厚みを持って、といいますか、味わいが非常に深くなるということでございましょうね。
 
竹下:  そう思いますね。ですから一人だけで生きているんじゃなくて、あの方、この方、あの人、この人、草や木とともに生きているということは、そういうもののお蔭で生きているということなんですね。それで思い出したけども、佐々木信綱(のぶつな)(1872-1963)という先生がいらっしゃいます。
 
金光:  有名な歌人の方ですね。
 
竹下:  有名な国文学の第一人者であり、また有名な歌人でいらっしゃいます。その佐々木信綱先生のお歌に、こういう歌がございます。
 
     ありがたし今日の一日(ひとひ)もわが命
       めぐみたまへり天(あめ)と地と人と
         (佐々木信綱)
 
という歌ですね。思えば、朝目を覚ましてみると有り難いことである。今日の一日(ひとひ)も、私のいのちも恵んで頂いた。恵みたまえりですね。それは天、例えば太陽の光、或いは雨が降ってくださる。大地。いろいろの穀物、野菜を作ってくださる人、いろいろ額に汗して働いてくださって、例えば一杯のご飯でも炊いてくださる。お米でも作ってくださる。そういうお歌があります。やっぱり第一人者にしてこの言葉あり、と私は思うんですね。
 
金光:  そういうことはもっと昔の方も気が付いていらっしゃったことだと思いますが、そういう言葉が残っているものでございましょうか。
 
竹下:  ええ。『浄土論』と言いますけども、天親菩薩(てんじんぼさつ)という方が、そういうご本を作っておられまして、棒読み致しますと、
 
     普共諸衆生(ふぐしょしゅじょう)
     往生安楽国(おうじょうあんらくこく)
       (天親菩薩「浄土論」)
 
と棒読みで読みます。読み下しますと、「普」というのは「あまねく」ですね。あまねく諸々(もろもろ)の衆生とともに、安楽国に往生せん、ということです。「あまねく」ということは、みんなですね。特にあなたもあなたのままで、私も私のままで、みなさんもみなさんのままで、それがあまねくです。おしなべてではないですね。おしなべてはもう平均してしまいます。あなたはあなたのままで、私も私のままで、みんなもろもろの衆生とともに一緒に安楽国に往生致しましょう、という天親菩薩の『浄土論』のお言葉です。そういう世界なんですね、仏法の世界というのは。
 
金光:  天親菩薩(四世紀頃の西北インドの僧)という方はたしか世親菩薩(せしんぼさつ)とも訳される方で、世親菩薩というと、唯識という仏教を確立された方ですが、その方にこういう言葉があるわけでございますか。
 
竹下:  ええ。
 
金光:  ただなかなか「みなともに」というのが難しいことでざいますね。
 
竹下:  私どもエゴで生きておりますので。やっぱりお念仏申させて頂く時に、エゴのこの身は変わらないけども、いつの間にか広い世界に出させて頂く。広い世界を賜るとでも言いましょうか、そういうふうに私は思います。
 
金光:  そういう世界に生きますと、やっぱり自分だけではなくて、いろんな人間、いろんなものと一緒に、ともに生きていくという、そういうことができるようになるわけでございますか。
 
竹下:  ええ。だんだんそういうふうな味わいを深くさせて頂くんじゃないでしょうか。
 
金光:  何かそういうことを表現して言葉がございますでしょうか。
 
竹下:  第二番目に申し上げたいと思っておることですけども、『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』というお経の中に、
 
     各各安立(かくかくあんりゅう)
     (「大無量寿経」)
 
という言葉があります。各々ですね、あなたもあなたも私も、―「安立」の「安」は、自分というものに安んじて、「立つ」というのは、自分の花を咲かせる。
 
金光:  めいめいが自分に安んずる、ということですね。
 
竹下:  それは能力とか性別だとか、或いは歳をとっておる、若い、そういうこといっさい関係なく、それぞれみんな存在の意味を持って生きておるんだ、と。それが「各各安立」という言葉だ、というふうに私は頂いております。
 
金光:  たしかにそういうふうにできればいいんですが、なかなか現実に直面すると、総論としては賛成でも、自分がその場にいくとなかなかできにくい、という面があるんじゃないかと思いますが。
 
竹下:  ええ。そういう「各各安立」ということが道理ですから、日常生活もいろいろのことで思い当たると言いますか、そうさせて頂いております。神谷美恵子(かみやみえこ)(1914-1979)さんがいらっしゃいます。
 
金光:  有名な方ですね。精神科のお医者さんで、
 
竹下:  長い間、長島愛生園(ながしまあいせいえん)の精神科医長をなさって、或いは津田熟大学の教授もなさった方ですけども、その方のお言葉にこういうのがあります。
 
痴呆(ちほう)におちいった老人でも、そのような姿で存在させられているそのことの中に、私たちにはよくわからない存在の意義を発揮しているのであろう。私たちは人間の小さな頭で、ただ有用性の観点からのみ人間の存在意義をはかってはならないと思う。
 
こうおっしゃっています。でも有用性を問題にするんですね。役に立つか、役に立たないか。頭が良いかどうか。或いは仕事ができるかどうか。有用性も必要でしょうけど、もっと根元的には寝た切りの老人でも、そうしてこの世におるということは、私どもにわからんけども、存在意義を発揮しているんだろう、と。神谷美恵子さんはおしゃっています。大変含蓄の多いお言葉だと思います。
 
金光:  先生は随分教育畑で長くお過ごしになっていらっしゃるわけですが、そういう普通の人が考える有用性だけで考える世界と違う「各各安立」の実例をいくつかご存じだと思うんですが、一、二ご紹介して頂けませんでしょうか。
 
竹下:  有用性だけでいくと、子供たちは育たないのですね。それでせっかくそういうお尋ねですから、東井義雄(とういよしお)(1912-1991)先生から承ったお話を思い出しました。それは、広島県のある高等学校の話です。大変荒れた高等学校だったそうです。夏その高等学校で学級対抗の水泳の競争が、四人一組で競争があたんだそうです。あるクラスで三人はすぐ選手が決まったんです。後の一人がなかなか決まらなかったそうですね。その時にその学級の番長が、「Aにしよう」と言ったんです。Aさんというのは女の子で、しかも小さい時に小児麻痺を患っていて、身体が十分でないのです。泳げるんですけども早く泳げないんです。その子をどうして指名したかというと、みんなで笑い者にしよう、という魂胆なんですね。いよいよ当日がやってきました。Aさんの出番がやってきました。Aさんはプールに飛び込みましたけども、何しろ小児麻痺を患った身体ですから、一生懸命泳げば泳ぐほど滑稽なんですね。みんながドッと笑いました。その時にです、一人の男の人が背広を着たままプールに飛び込みました。その学校の校長先生だったんです。その校長先生は背広のままその子と泳ぎながら、「しっかりね!しっかりね!校長先生も泳ぐからね!我慢してしっかりね!」涙を流して一緒に泳がれたそうです。その光景に全校生徒が粛然とし、その二人が長い時間をかけてやっとゴールインした時に、みんな泣きながら拍手をしたんだそうです。そのことがあって、次第にその学校は平静さを取り戻したということです。それは運動神経が鈍いからダメだではなくて、小児麻痺なら小児麻痺の子どもとして輝いて生きていっているんだ。それを認めた校長先生の偉さ素晴らしさでしょうね。それが全校生徒を感泣させたんだ、と私は思うのです。
 
金光:  多少身体が不自由な生徒さんの場合も一生懸命やっている。その姿が非常に感動を与える。やっぱり身体が十分動かなくても、人間というのはいろんな働きができる。先ほど神谷先生の言葉にもあるように、そういう働きが人間にはあるわけでございますね。
 
竹下:  頭が良い悪い、仕事ができるできない、ということだけで切り捨ててしまいますけども、そうでなくて寝た切りの老人もいつの間にかお役に立たして頂いているんじゃないでしょうか。実は先だって、ある方のご本を読みまして大変感銘を受けました。その方は七十歳近い方です。心筋梗塞で倒れて寝た切りに―しばらくの間ね―その時に看護学校から実習生が派遣されて来た。十九歳の女の子だそうですよ。その少女が三週間その方の看病をしたんだそうです。とても親身で、三度の食事、それから熱がありますから氷枕を取り替えてくれる。親身に世話してくれるんだそうです。そして五日間通じがなかったそうですけども、やっと通じがあったんだそうですね。粗相(そそう)してシーツを汚してしまった。大変恐縮していると、その子が飛んで来て、奇麗に拭いてくれて、「おじさんよかったですね。気持がスーッとしたでしょう」とこういうんです。あんまり親切に言うものですから、「あなた親切ね、どうしてそんなに親切にしてくれるの」とこう聞いたら、「おじさんが役に立って下さっているんです」と、その子が言うんだそうです。「へぇ、どうして?」と言いましたら、「私におじさんぐらいの歳の父が故郷(くに)にいます。ガンなんです。看病したいけども、私、学校におりますので看病できません。おじさんを見ると、父親みたいな感じがします。父親と思って看病させてもらっています。おじさんのお蔭で、私、親孝行させてもらっています。ありがとうございました」というんだそうです。そして、三週間の実習が済んだ時に、看護のレポートを持って来て見せるんだそうです。「おじさんのお蔭で、こうして立派なレポートを作ることができました。ありがとうございました」というんだそうです。その方はとても感銘した、と。そして、一つのことを覚(さと)ったというんですね。「おれは役に立っているんだ。役に立つんだ、と。頑張るのもいいかも知れんけれども、しかし寝た切りのこの私であっても、いつの間にかみなさんのお役に立たせて頂いているんだなあ、ということを私実感しました」と、その本に書いてございました。そうでしょうね。役に立っているんだ。ある意味で傲慢ですものね。あの人がおるんで上手くいかん。あの人がおらんならもっと上手く仕事ができるのに、と人を傷つけ、人間関係をダメにするんじゃないでしょうか。よく若い人たちで、「おれはもうダメだ」なんていう人多いです。それはむしろ賜ったいのちに対する冒涜(ぼうとく)だと思いますよ。人それぞれに生きる意義を与えられて生きているんじゃないでしょうか。自分の花を咲かせることが大事なこどではないでしょうか。そういうことを思うのです。
 
金光:  これは、例えば花の場合ですと、タンポポに「バラのようになれ」とはどんな人だってそういうことは言わないと思いますが、人間の場合には、どうもそれに似たことが、「羨ましいと思うような人に自分の子どもをしたい」とか、そういうところがあるようでございますね。
 
竹下:  草花のような世界が本当の道理でしょうね。バラも美しいです。タンポポも地味であるけど味わい深い花ですよね。そのタンポポに向かって、「お前ダメだ。バラみたいになれ」と言ったって、それは無理です。またその必要もありません。また教育において、「なんかタンポポに対してバラになれ」と言っているんじゃないでしょうか。言うならば、「タンポポよ、立派ね。立派なタンポポの花を咲かせてね」というふうに激励することが大事なことではないでしょうかね。タンポポもタンポポでいいんですよ。そしてまた卑近なことで大変恐縮ですけども、先だって家内が台所で野菜料理を作って、野菜を刻んでいるんです。そして、誰にいうともなく、「野菜は奇麗な素晴らしい色をみんなしていますね」というんですね。人参の赤さ、大根の白さ、ジャガイモのあの黄色、或いはネギの緑ですね。それぞれに素晴らしい色でしょう。そして野菜料理を引き立てていますものね。家内がいうのは、「人参の赤いのを刻んで、野菜料理の中にいれると、お料理全体が華やかになりますね。野菜全体を引き立てますね」と、家内がいうんですね。私もははた心を打たれました。そうなんだ。各各安立です。人参を人参でいいのです。人参はあんまり好まれませんけども、人参はあの味でいいのです。あの赤さでいいのです。人参に向かって「白くなれ」と言ったって、それは無理だし、ネギみたいに「緑になれ」って無理です。赤でいいのです。ということは、やっぱり君は君でいいんだよ、ということではないでしょうか。
 
金光:  そういうそれぞれの持っている世界で花を咲かせることが、それで十分なんだ、と。そういう世界が、言葉を換えると、「お浄土の世界、二度生まれで感ずる世界」ということでございましょうか。
 
竹下:  そうだと思いますね。お念仏を賜って、お念仏申す身にならさせて頂くと、「ああ、私は私で良かったのね。あなたもあなたで良かったのね。自分の花を咲かせましょう」。なんか安堵感といいますか、自分に安心して生きていくことができるんじゃないでしょうか。
 
金光:  お経本の中にもそういう言葉がございますですか。
 
竹下:  『阿弥陀経(あみだきょう)』というお経がありまして、私の大変好きなところなんですけども、こういうお言葉があります。
 
     池中蓮華(ちちゅうれんげ)、
     大如車輪(だいにょしゃりん)。
     青色青光(しょうしきしょうこう)、
     黄色黄光(おうしきおうこう)、
     赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)、
     白色白光(びゃくしきびゃっこう)。
     微妙香潔(びみょうこうけつ)。
     (「阿弥陀経」)
 
というのですね。お浄土の池の中に蓮の花が咲いています。大きさは車輪のようです。そして青い蓮の花は青い光を放っています。黄色い蓮の花は黄色い光を放っています。赤い蓮の花は赤い光を放っています。白い蓮の花は白い光を放っています。その光がお互いに反射して荘厳なお浄土の風景であり、また言いも言えぬ香りが辺りに漂っています。こういう大変美しいところですね。私はこの経文を読みまして、「ああ、それぞれの花が自分の花を咲かせているなあ」ということに感心しました。それを一歩進んで、「君は君でいいんだよ、という世界だ」と思うのですね。青い花に向かって、「青い花はダメだよ。白い花を咲かせなさい。赤い花を咲かせなさい」それは無理です。必要ないのです。青い花は青い花を咲かせて、それでいいのです。十分お役に立っているんです。赤い花もそうです。黄色い花もそうですね。各各安立の世界だ。そしてお互いに助け合っている世界だ、というふうに私は思うのです。
 
金光:  そうすると、学校の場合ですと、英語が得意な生徒はそのままでいいし、数学が得意な子どもはそれでいいし、あなたはそれでいいんだよ、君はそれでいいんだよ、ということになるわけですか。
 
竹下:  いや、そういうことではないのですね。例えば数学ができない、それでいいんだよ、昼寝しておればいいんだよ、そうではないんです。「それでいいんだ」というのは、根底的に、君は君のために役目・使命と言いますか、そういうものをちゃんと持ってきているんだよ。自分の花を咲かせるんだよ。自分の花を咲かせる養いとして、「英語も勉強しなさいよ、数学も勉強しなさいよ」ということでしょうね。
金光:  安立して、進歩がない、ということでは勿論ないわけですね。
 
竹下:  そうなんですね。そうじゃなくて、ただ上の学校に、偉くなるために、そういうことだけのために尻を引っぱたいて、「勉強、勉強、勉強」というのは、子供たちも可哀想、親もやっぱり可哀想じゃないでしょうか。
 
金光:  それだと、「青い花に白くなれ」というのと同じようなことになるわけですね。
 
竹下:  同じことですね。このままでいいんですけども、立派な青い花を咲かせてね、という世界ですね。それで、私は高等学校の校長なんかしておりましたけども、千五百人の生徒がおります。生徒みんなに言ったことは、「君は君でいんだよ。君も君でいいんだよ。自分の花を咲かせるんだよ」と、いつも言い続けておりました。そういう意味で、「勉強もしっかりしなさいね。運動もしっかりしなさいね」というと、生徒が安心するんですね。私は、今の教育において大事なことは「安堵感(あんどかん)の教育だ、安堵する教育だ」。別の言葉で言うならば、「存在の肯定の教育」ですね。「あなたの存在を頷くという教育」が根底にないといけないんじゃないでしょうか。
 
金光:  「君はダメだよ、ダメだよ」ということでないんですね。
 
竹下:  じゃなくてね。そういうふうに生徒に語り掛けると、生徒が、「先生、私でいいんでしょうか」というので、「そうだよ。君がいないと世の中成り立たないんだよ。しっかりね」というと、安心して、自分の花を咲かせるようになるのは、大変そういう意味において楽しい教育生活をさせて頂きました。
 
金光:  そういうふうな目で、みんながそれぞれ安堵して、安心した世界で自分の花を咲かせようとしていると、やっぱりそういう世の中の周りの見方と言いますか、景色も自然に変わってくるわけでございましょうね。
 
竹下:  ええ。お念仏申す身にならさせて頂きますと、自然に周りのものが仏さまとして拝まれてくる。そういう世界を賜るんだ、と私思うんです。ご承知ですね、宇野正一(うのまさかず)先生がいらっしゃいます。宇野正一先生のことを今思い出すのですけども、宇野先生は、おじいさん、おばあさんに育てられたんですね。おじいさん、おばあさんが篤信(とくしん)の念仏者でいらっしゃって、いつも、
 
     食べものさまには
     仏がござる。
      (宇野正一)
 
とおっしゃったそうですね。「食べ物様には仏がござる。拝んで食べなさい」と、いつもおっしゃっておったそうです。そして、その宇野先生が小学校に上がって、小学校五年生の時に、理科の時間に顕微鏡で物を観る時間があったんだそうです。宇野先生は、「ああ、おじいちゃん、いつも食べ物様には仏がござる≠ニ言っておった。ご飯の中に、顕微鏡で見たら仏があるだろうか、と。弁当箱の一粒のご飯粒を取り出して顕微鏡で覗いたんだそうです。ところがボウッと白く霞んで、仏さまは見えなかったんだそうですよ。それで先生に尋ねたんだそうですよ。「おじいちゃんは、食べ物様には仏がござる≠ニいつもいうんですけど、先生、ご飯の中に仏が見えませんでしたけども、仏いるでしょうか?」と聞いたんですね。学校の先生が、「そんな馬鹿な話があるか」と。「お前のおじいさんは迷信だ。ご飯の中には含水炭素とタンパク質と澱粉と水があるんだ。仏なんかあるもんか」とおっしゃったそうですよ。宇野先生は家へ帰りまして、「おじいちゃん、嘘ついた」と。おじいちゃんをなじったんですね。おじいちゃんは、孫のいうことを黙って聞いておられて、しばらくしてから仏さまの前に坐って、長い間涙を流して坐っておられたそうです。その姿が宇野少年の心を貫いたんですね。食べ物様には仏がござる。そうですよ。今の問題は、食べ物を単なる栄養補給源と考える。ビタミンCがどうだ、タンパク質がどうだ、それだけのことなんですね。その底に食べ物がいのちを持っている。いのちあるものである。仏さまである。そういうことが今一番欠けておるんじゃないでしょうか。
それで篤信の念仏者であられました木村無相(きむらむそう)さんの詩に「自炊」という題の詩があります。
 
     「自炊」
     たなの上で
     ネギが
     大根が
     人参が
     じぶんの出を待つように
     ならんでいる
     こんな
     おろかな
     わたしのために
     (木村無相)
 
自炊生活をしておられます。棚の上に、ネギとか大根とか人参が、自分の出を待つように並んでいる、というんですね。何のためにか。こんな愚かな私のために、自分のことしか考えないエゴの私のために、大根も人参もネギも自分のいのちを捧げてくれる。こう木村無相さんが詠まれる時には、ネギを拝み、大根を拝み、人参を仏さまとして拝んでおられたんじゃないでしょうか。そういうひろやかな世界が開けてくるんだと思うんです。
 
金光:  しかし、大根、人参なんかはよく名前を知っておりますけれども、魚なんかになると、我々、これは美味しいとか、不味いとか、名前なんかほとんど知らないのが普通なんですが、なんか先生のお宅で奥さまに一本取られたお話があるようでございますが。
 
竹下:  大変恥ずかしい話ですけども、先だってですね、夕食のお膳につきましたら、お皿に焼き魚が載っているんです。箸でちょっと突いて、口に含んでみました。とても美味しいです。とろけるように美味しいです。それで家内に、「この魚、美味しいね。なんという魚?」と聞きましたら、家内が、「時々あなた食べているでしょう。名前ぐらい知って食べないと、罰が当たりますよ」というんですよね。「そうね、じゃ、ちょっと考えるから」と。暫く考えてから、「そうそう、わかった。このお魚はアジだろう」と言ったんです。そうしたら家内が笑い出しまして、「アジじゃないですよ。これはカマスじゃないですか」というんですね。一本取られまして、家内が、「名前も知らないで食べては、罰が当たりますよ」というのです。ごもっともです。ほんとにその通りです。カマスは自分の体を捧げているんですものね。自分の体を捧げて、私の身体を支えて下さっているんですから、カマス菩薩ですよ。カマスを拝まないと申し訳ないんじゃないでしょうか。
 
金光:  そういうふうに、そこに働いているいのちといいますか、仏さまといいますか、そういうものに気が付くというのは、いろんな場合にあるわけで、こういうお話を聞いて感じる場合もありますが、子どもさんなら子どもさんでまたそういうことを感じる、そういう場合も当然あるわけでございますね。
 
竹下:  実は先だって長崎にお住いの、ほんとに念仏の薫り高いご家庭ですけれども、そこの小学校四年生のお嬢ちゃんが、―此処に持って参っておりますが―「先生、読んでください」と言って、小学校四年生ですから十歳でしょう。その女の子が作文を私に送ってくれたんです。題は「愛犬リー」というので、ちょっと読まして頂きましょう。
 
昭和五十六年十二月六日。これは私の誕生日だ。私が生まれた時、もう既にリーは生まれ、家の家族となっていた。私はリーより二歳年下だった。まだ幼い私は、リーが家の犬だと知らなかった。私が四歳になった時、リーと見つめ合いながら写った写真が今でも残っている。世界中みな生きとしいけるものたくさんの生き物が生きている。その中で人間に生まれた私、犬に生まれたリーが出会いたのだ。とても不思議だ。その時はまだ若くて元気だったリーであった。しかしだんだん衰えていくリーの姿は不思議でならなかった。一日餌をやり忘れたこともあった。しかしリーは何一つはぶてなかった。―「はぶてなかった」というのは文句を言わなかった。苦情を言わなかったという意味でしょうね。―そんなリーを見ていると、自分がとても恥ずかしかった。ちょっと嫌なことがあるとすぐはぶてる自分。なんと我が儘だ。ついにリーは目が見えなくなった。今までは目が見えていて小屋の中にウンチをすることもなかった。しかし目が見えなくなってからは、小屋の中にウンチをすることもたびたびあった。その目が見えないまま、三ヶ月が過ぎた。平成三年十二月二十三日。この日は天皇誕生日だ。朝なんともなく動き回っていたリー。それが夕方の四時十六分頃、私が見ていると、倒れてもがいていた。私はそんなに苦しんでいるリーをジッと見つめて、「リー頑張れ」と小さな声で叫んだ。リーは目は見えなくても、耳だけはかすかに聞こえていた。しばらくすると、リーは起きあがった。私は良かったと思った。そして私はしばらくその場を離れていた。そしてもう一度来て見た。するとリーは石段に首を垂らし、舌を出して息を引き取っていた。私はそのとき、何がどうなっているのかわからなかった。驚きのあまり腰を抜かしてしまった。リーが死んだのは四時二十分ぐらいだった。あんなに朝まで元気だったリーが死んだとはとても信じられない。私はリーが死んでからやっと気付いた。リーは私に「お念仏をしなさい」と教えてくれた。本当は仏さまなんだ。リーは自分の体を犠牲にしてまで教えてくれた。そのためにもリーの死をムダにしないためにも、お念仏でリーを思い出し、リーに厚く感謝しなければならない。私は今になってこう思う。リーはきっと死ぬ時に私を求めたに違いない。リー、ほんとにすまなかった。私はお念仏でリーとまた会いたい。リー、また親さまのもとで会おうね。さらばリーよ。
 
こういう作文です。
 
金光:  小学校四年生の方がちゃんと「親さまの世界」ということをおっしゃっていらっしゃるわけですね。「親さまの世界」なんていうのはなかなか目にも見えないし、形も見えないし、そういう意味ではわかりにくいですが、ちゃんとここにはその世界が出ているわけでございますね。
 
竹下:  そうですね。犬が身を犠牲にして、私に知らせてくださった。仏として拝んでいる。有り難い。そういうご家庭がやっぱり素晴らしいんだと思いますね。それで親鸞聖人のお言葉なんですけども、『唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』というのがありまして、その中に、
 
     法身(ほっしん)は、
     いろもなし
     かたちもましまさず。
     しかれば、
     こころもおよばれず、
     ことばもたえたり。
     (「唯信鈔文意」)
 
というお言葉があります。「法身(ほっしん)」というのは仏さまです。私ども目に見える色もありません。形もありません。ですから想像することもできないし、表現もできませんですね。じゃ、我々と無関係の存在かというと、そうではなくて、続いて『一念多念文意(いちねんたねんもんい)』という中に、
 
この如来、十方微塵(じっぽうみじん)世界にみちみちたまえるがゆえに、無辺光仏(むへんこうぶつ)ともうす。
 
というお言葉があります。十方微塵世界に充ち満ちていらっしゃる。だから無関係ではなくて、ご飯となり、お魚となり、いろいろのものになって働いてくださる。
 
金光:  見えないけれども我々に充ち満ちている、ということでございますね。そのことが先ほどの作文にもありますし、それからこれまでのずっと話して頂いたお話の中でも、その充ち満ち給える如来様の働きというものをいろんな例で実証して頂いた、ということになるわけだと思いますが、今日はいろいろと大変貴重なお話を聞かせて頂きまして有り難うございました。
 
竹下:  有り難うございました。
 
     これは平成四年三月八日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである