タゴールの贈りもの
 
                      名城大学教授 森 本  達 雄
一九二八年和歌山市生まれ。同志社大学神学部卒業。インド国立ヴィシュヴァ・バーラティ大学準教授、名城大学教授を経て、現在名城大学名誉教授。現代インド思想、文学専攻。著書「ガンディー」「インド独立史」、訳書「タゴール著作集」「インドのうた」「ガンディー『わたしの非暴力』」「タゴールの生涯」他。
 
ナレーター:  私は苦しみ絶望し死の悲しみを知ったが、しかしこの偉大な世界の中に私がいることは歓びである。
 
アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩人ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)の言葉です。タゴールはその八十年の生涯を通して民族と国境を越えた人間への愛を歌い、さらに時空を越えた遙かな永遠をひたすら求め続けたのです。
 
インド独立四十周年を記念して、今、日本でインド祭が開かれています。その一環として東京で開かれているタゴール展が人々の静かな注目を集めています。タゴールは詩人であるだけでなく、小説家、劇作家であり、音楽家、画家、教育者、また時代の予言者でもありました。その多彩な活動、それは天賦の才能に恵まれて瞬間の現象の中に宿る永遠なもの、一本の木や一陣の風に宇宙の美とリズムを感じ取る豊かな感性から生まれたものです。タゴールは人類の運命に熱い眼差しを注ぎ、一早く現代文明が孕む危機に警鐘を鳴らし続けました。第二次大戦の終末をその目で見届けることなく、八十歳の生涯を閉じたタゴール。タゴールは人間のいのちの中に大いなる宇宙に連なる神の存在を見ていたのです。名城大学教授の森本達雄さん。森本さんはタゴールの設立したインド国立ヴィシュヴァ・バーラティ大学(タゴール大学)で三年間教鞭をとったことがあります。森本さんはアジアが生んだ巨人タゴールと出会い、そのスケールの大きな思想に感動して現代インド思想を研究する道を歩んできました。
 

 
森本:  敗戦の翌年で、大学の長期休暇の時でございます。その頃アメリカの宣教師が私たちの町にやって来られまして、そしてその宣教師に日本語の勉強のお手伝いをしておったんですが、私もまた英語を勉強したいと、そういうことでその宣教師さんの書棚から、「分かり易い英語で、しかも内容のある本を貸して頂きたい」と、そのような注文を出したわけです。そうしますと、その宣教師さんが、「あなたは東洋人だから、この英語は分かり易くって、しかも内容がありますよ」と言って、お貸しくださったのが、タゴールの『ギタンジャリ(歌のささげものの意)』だったのです。『ギタンジャリ』というそのタイトルは、私にはなんのことかわかりませんし、まあお借りして帰ったわけです。そして第一頁目を開きましたら、「Thou hast made me endless」という言葉から、詩集の第一行目を読んだ途端に、私は初めは辞書でも引きながら英語の勉強のつもりで読み始めたんですが、ほんとに誇張ではなしに、自分の背中に稲妻が走ると言いますか、そういうような感激を受けたんです。と言いますのは、「おんみは私を永遠なものにお造りになった」という言葉だったわけです。で、私は自分の生命(いのち)が、自分のこの世の中に生まれてきた五十年か六十年か生きられる、そのいのちが永遠なものだ、そんなことは夢にも考えたことはなかったわけです。それで、「お前のいのちが永遠だ」と言われた時に、ほんとに感動致しました。その小さな詩集―全部で百三篇の詩集なんですが、どの詩も短い短い詩なんですけれども、それをノートに書き写しまして、そして自分で辞書を引きながら拙い訳を―その訳は勿論内容をよりはっきりと理解したいということで拙い訳を付けていったわけです。そしてどの詩からも同じような感動を受けました。それが私とタゴールとの最初の出会いでございます。
 

 
おんみは わたしを限りないものになしたもうた―
それが おんみの喜びなのです。
この脆(もろ)い器を おんみはいくたびも空(から)にしては、
つねに あらたな生命(いのち)で充たしてくれます。
この小さな葦笛を
おんみは丘を越え 谷を越えて持ち運び、
その笛で 永遠(とこしえ)に新しいメロディーを吹きならしました。
おんみの御手(みて)の不死の感触に、
わたしの小さなこころは 歓(よろこ)びのあまり度を失い、
言葉では尽くせぬことばを語ります。
おんみのとめどない贈り物を
わたしは この小さな両の手にいただくほかはありません。
幾歳月(いくとしつき)かが過ぎてゆく、
それでもなお おんみは注ぐ手をやすめず、
そこにはまだ 満たされぬゆとりがあります。
         (『ギタンジャリ』から)
 

 
森本:  この詩に感動したのは、まず、おんみは―いわゆる神は、この脆い肉体を持った私たちを、ちょうど神が笛吹きのように、私たちの人間を笛のようにして、そして私たちの人間を通して神が何かを創造しているんだ、と。そういう歌なんですね。この歌を読んだ時に、自分が無意味だとか、人生は無意味だとか、つまらないんだとか、そういうことではなしに、自分が神の前に立った時に、神が人間に対してなにかしてくださるんだ、と。人間が神に対してするんじゃなしに、神が人間に対して何かをしてくださるんだ、と。私を使ってくださるんだ、と。そういうことを歌っているわけですね。その人間の人生の意味というものを、この中から、―当時、私はまだ青年でしたから大したことはわかりませんが、なにか生き甲斐を求めるというか、生き甲斐があるんだと。そういう予感をしたわけです。その予感といいますか、感動がこの詩に対して私の思いだったわけです。
 

わが生命(いのち)の主なる生命よ、
わたしはつねにわが身を清くしておくよう つとめましょう―
おんみの御手が 活き活きと
わたしの五体の隅々にまで触れるのを知っているからです。
わたしはつねに わたしの想念(おもい)から
いっさいの虚偽を遠ざけるよう つとめましょう―
おんみこそは わたしの心に理性の灯(ひ)をともしてくれた
真理そのものであることを知っているからです。
わたしはつねに わたしの心から
いっさいの悪意を追い払い、
わたしの愛を花咲かせておくよう つとめましょう―
わたしのこころの内なる聖堂(みや)に
おんみがいますことを知っているからです。
そして、わたしのもろもろの行為のうちに
おんみを顕(あら)わすことを わたしのつとめといたしましょう―
わたしに行動する能力(ちから)をさずけてくれるのは
おんみの威力(ちから)であることを知っているからです。
           (『ギタンジャリ』から)
 

 
森本:  この詩は「わが生命(いのち)の主なる生命よ」ということばで始まるんですが、タゴールが「おんみ」と、或いは「神」と、或いは「あなた」と、いろんな呼び方で自分のいのちのなかのもっと大きいいのちを呼ぼうとするわけです。タゴールの神というのは、人間の外にあって人間を支配する、という神ではなしに、人間の生命のすべてを統(す)べる大きな生命―言い換えますと、人間を小宇宙と致しますと、その小宇宙に対する大宇宙というのが神なのです。ですから、タゴールの神というのは、人間の外にあって、人間とは隔絶した神ではなしに、その神の一部を人間が持っているんだ、と。そして人間も生命を持っているんだ。その生命の大いなる生命が神なんだ、というふうにいうわけです。ですから、その神に対する呼び掛けとしては、非常に親しく「あなた」とか、或いは時には「おんみ」とか、或いは時には恋人のような呼び方を致します。そしてその神にいろんな呼び方で近付き、その時その時の思いで神を呼ぼうとするわけです。人間の中にある生命というものは大いなる神の一部だ、という考え方。人間と神とは一つである、という考え方、それがタゴールの神の考え方の一番中心になるわけです。ここからいろいろなことが、宗教的思想というものが展開される。一番元になるのはタゴールの場合には、「いのちのいのち」と―英語で言いますと、「life of life」と書きまして、そして生命(いのち)の大いなる神のほうを、英語では非常に便利な言葉の書き方がありまして、大文字で書いています。大文字の神というのが大いなる神で、そして小文字の生命(いのち)がそれぞれ人間個々であるという考え方をするわけです。タゴールがこのような生命体験と言いますか、神体験を致しましたのは、ちょうど彼がイギリス留学から帰りました若い頃だったんです。ある時、カルカッタにある兄さんの家のベランダに立って、朝日が昇ってくるのを見ておったわけです。その時に彼の神秘的な、或いは精神的な大きな体験をするわけです。
 

 
タゴール: わたしが十八歳の時、宗教体験の突然の春風がはじめて私の生活に訪れた。ある日、朝早く太陽が樹々の向こうから光線(ひかり)を放っているのを眺めながら立っていると、不意に、霧が私の視界から一瞬にして霽(は)れあがり、朝の光が歓びの輝きを啓示(けいじ)しているかのように感じられた。日常性の目に見えない垂れ幕が、すべての物や人から取り除かれ、物事や人間の究極的な意味が、私の心の中で強められた。それこそが、美の明確化であった。この経験で忘れられないのは、それのもつ人間的なメッセージであり、私の意識が超個人的な人間世界へと突然ひろがったことである。
 

 
森本:  朝日がちょうど目の前の樹々の一枚一枚の葉っぱに同じように輝き渡っている。それがもう歓びに充ち満ちていると。宇宙的な生命的な歓びに充ち満ちている。そういう体験をするわけです。そして彼はイギリスから帰った頃までは非常にメランコリック(melancholic)な、と言いますか、文学青年のメランコリズムを持っておったわけですけれども、そういうものを乗り越えて、そしてこの宇宙の一枚一枚の葉っぱにも、太陽が当たり、そして太陽の心が輝いている、と。同じように、この世界を見る目が、今までの憂鬱な目からこの世界に輝いている歓びというものを、彼は体験するわけです。そしてその体験が四方に―「四方に広がる」と書いておりますけれども、辺りにすべてのつまらないもの、当たり前のもの、これまでなんとなくただ見ておったもの、そういうもの一切に生命的なヴィジョンを見るわけです。それがこのタゴールの思想の出発点になるわけです。この体験は、「第二の誕生日」とも呼ばれますが、この宗教体験からタゴールの本当の人生が始まるようなものなんです。タゴールは一八六一年、ちょうど日本の明治の数年前に、この世にカルカッタで生まれます。それはちょうどインドでは、「セポイの反乱(1857-1859)」という大きな叛乱がございまして、その反乱が鎮圧されてインドが完全にイギリスの支配下に入ってしまう、という時期なんです。ですからタゴールが生まれた一八六一年からタゴールが亡くなった一九四一年までの八十年の生涯というのは、ちょうど歴史的に考えますと、イギリスとの反英闘争の歴史をそのままタゴールがこの世に生を受け、ともに歩み、そしてインドが独立するのを目の前にしながら亡くなった、ということになるわけです。その意味でも、タゴールの人生というのは、インドの国民にとっては非常に重要な意味を持つわけです。生まれましたのはカルカッタの非常に大きな豪商の家に生まれまして、おじいさんは大きな銀行も持ち、或いはいろいろな貿易をやりまして巨大な富を築きました。お父さんという方はおじいさんの跡を継いで事業を営むんですけれども、非常に宗教的な一面を持っていて、できれば宗教者になりたいという考えを持っていたような方なんです。タゴールは十四人の兄弟がございまして、その一番下なんですが、兄さん方がそれぞれ宗教家であったり、哲学者であったり、音楽家であったり、いろんな文化の担い手として、「インドルネッサンス」と言われる、「ベンガルルネッサンス」と言われるベンガルの文化運動の中心的な役割を果たしたような人たちなんです。タゴールは小学校に入って勉強を始めるんですけれども、どうも小学校でみなさんと一緒に並んで、鞭を持った先生から暗記物を中心に教えられるというようなことには向かない子どもで、三回も都市を変えて入学するんですけども、そのたびに辞めてしまって、結局彼は小学校にも行かず、学校は一生涯どこも出ず、ということになってしまいます。ただ兄さんたちから家庭でそれぞれ厳しい勉強を受けまして、早くから教養を積みます。で、音楽的なリズム、或いは言葉のリズムというものに非常に小さい時から恵まれた天才的な、と言いますか、恵まれた子どもでして、八歳ぐらいからもう既に詩を書き始めています。そして十四、五歳の時には、もう彼の詩が公開の場で読まれるということもあるわけです。十七、八歳の時にイギリスに渡りますが、これもやはり向こうで一年間ロンドン大学で勉強致しまして、学位も何も取らずに帰国してまいります。家の人たちを失望させるわけです。ただその一年間に西洋音楽とか、或いは西洋の文学とかというものをしっかりと身に付けて帰ってまいります。そんな時に、彼が、今申しました精神体験をするわけです。ただその間に、一つ重要なことがあるんですが、十二歳の頃お父さんがタゴールを連れてヒマラヤの麓に旅行に行きます。とにかくヒマラヤで見た大自然が、彼の一生涯心に自然を見る目として大きな影響を及ぼすわけです。そして毎日夕方になると、お父さんから天文の話を聞いたり、或いは大声を出して返ってくるこだまを聞いたり、そういうことが詩人としての目をだんだんに育てていくということがあります。もう一つ大事なことは、独立運動を自分の一生涯とともにその時期を歩んだということで、どうしてもこのインドの独立に関わりを持つわけです。そして自らも独立運動の第一線に立って闘った時期もございます。或いはまた四十歳の時に、自分が小さい時に学校に行ってはうまく勉強できずに、先生の鞭が恐くて、或いは暗記物ばかりを強制されるという教育に我慢ができずに飛び出しちゃったという経験を生かしまして、四十歳の時にシャンティニケタンという小さな田舎に自分の理想の学校を造ろうとするわけです。初めは生徒は五人で、その五人の中の一人は自分の子どもというふうな小さな学校から始めます。それが今日、インドの国立ヴィシュヴァ・バーラティ大学(タゴール大学)という国立大学になっておりますけれども、彼の理想は自然の中に子どもを置いて、そして自然から子どもが学んでいかなければならないという考え方をもつわけです。ここの大学では木の下に子供たちが坐りまして、そして先生から鳥の鳴き声を聞きながら勉強するということが今まで行われているわけでございます。その頃ちょうど学校を造って間もない頃に、タゴールは奥さん(ムリナリニ・デヴィ:二十九歳)を亡くします。そして一九○一年からと言いますか、ちょうど四十歳から五十歳にかけて、奥さんを亡くし、その次ぎに娘さん(レヌカ:十二歳九ヶ月)を亡くし、そしてもっとも敬愛していたお父さん(マハリシ:八十八歳)を亡くす、という、十年間で自分の肉親三人を失うわけです。その時の悲しみ、そして一方では独立運動の先頭に立って闘う時期でもあるというようなことが重なりまして、一九○一年からちょうど一九一○年辺りまでの十年間、いわゆる四十歳、男の働き盛りの頃に彼の人生の苦しみ、悲哀、そして闘争、そういう一切のものを自分の中に体験するわけです。その悲しみというものを歌ったのが次の歌になると思います。
 

 
わたしの願望(ねがい)は数多く、
わたしの叫びは哀れっぽい。
それでもおんみは かたくなな拒絶でわたしに救いの手をさしのべる。
そして、その厳しい慈愛は
わたしの生命(いのち)のうちに十重二十重(とえはたえ)に 織りこまれる。
日ごと おんみは 求めずとも
素朴で大きな贈り物をとどけてくれる―
この空と光、この肉体と生命(いのち)と精神(こころ)を。
そしてこの身を その贈り物を受けるのにふさわしいものにしてくれる―
過度な欲望の危険から 私を救いながら。
ときには もの憂(う)げにためらい、
ときには 目覚めて 目的地を求めてひた走ることもあるが、
おんみは 非情にも わたしの前から姿をお隠しになる。
日ごと おんみはわたしの願いをつぎつぎ拒むことで
この身をして おんみを完全に受け容れるのにふさわしいものにしてくれる―
あさはかな 漠然とした欲望の危険からわたしを救いながら。
               (『ギタンジャリ』から)
 

 
森本:  その時のタゴールの体験というのは、タゴール自身は裕福な家の家庭に生まれまして、食べることとか、そういうことにはなんの苦労もなしに、ここまで生涯暮らしてくるわけです。ただここで自分の肉親を相次いで亡くしたという人間的な苦悩が、彼を大きく成長させます。この苦悩は奥さんを亡くした時には、バルコニーに立ったままで、朝までじっとあちらこちら歩き回って、そしてその苦悩をジッと堪えていたということが書かれております。誰一人自分の傍に寄せ付けなかったということが言われておりますけれども、人間としての苦悩をこれほど何度も短い期間に受けたということは、彼にとっては、今まで自分が信じていた神を捨てるのか、或いは神をより求めるのか、という大きな岐路に立ったと思うんです。もう神は自分を見捨てたんだ、と。或いは自分を愛してくれていると思っていた神が、こんな仕打ちを自分にしたんだ、という苦悩は実に大きかったと思うんです。ただこの時彼は、神に対して、私の願いは数多い、と。人間の欲望というのは数限りない。あれもこれも、これもあれもと神に求める、と。ところが神はそれを頑なに拒絶して、自分をより大きいものへ導いてくださるんだ、という確信に入っていくわけです。この飛躍と言いますか、この苦しみから乗り越えて神を信ずることへの飛躍というのが、この十年間のタゴールには大きな宗教的成果であったと思うんです。彼はこういう思想を抱くようになった若い時の体験から、こういう思想を抱くようになったのは、ヒンドゥー教徒である彼に、考え方の一つの基盤になっているものがあるわけです。それはヒンドゥー教のウパニシャッド思想の一番中核的なものであります「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の思想であったと思います。大宇宙と、その大宇宙の中の人間の心に宿る魂とが一つである、という考え方です。この梵我一如の思想が、人間なるものが有限なるものに宿っているという考え方。これがタゴールの思想の一番大切な中核的な思想になるかと思うんです。一方タゴールは、神というものを抽象的な、或いは論理的な、そういう神を求めは致しませんでした。彼はあくまでも神を自分の心の中で求めて、そして自分と対話できる神というものを求めたわけです。それではその神はどういう神かといいますと、人間というものでなければいけない、と。彼は神を人間の姿において見たというのではありませんけれども、人間である以上、大きな神の姿を自分の中に迎えようという気持、その気持を突き付けていきますと、神にも一つの人格があるんだ、という考え方を持ったわけです。神の人格の面というのがタゴールの場合に神を非常に親しく身近に感ずる動機になったかと思うんです。アインシュタインとの非常に面白い対話がございます。
タゴールがアインシュタインに会った時に、アインシュタインが、「あなたは神を信じますか?」とタゴールに言います。「勿論、私は信じます」と。「あなたの神はどのような神ですか?」と、アインシュタインがタゴールに尋ねるわけです。そう致しますと、「それは人間と神との間における神である。あらゆる真理は、人間がいなくてはなりたたないんだ」というような話をするわけです。科学的真理或いは抽象的真理というものは、アインシュタインは科学者ですから考えるわけです。ですから、「もしこの地上に人間が一人もいなくても、宇宙というものは存在するだろう」とアインシュタインがいうわけです。それに対してタゴールは、「人間がいなくて宇宙は存在する筈はない。何故なら宇宙の存在を感じているのは人間なんだ。その人間がいなかったら存在しようがしまいが、それを判断できる誰もいないんじゃないか」というふうにタゴールは問い返すわけです。アインシュタインは、「いや、そうではない」と。「自分は宇宙の実在というものを信ずる。その宇宙の実在がなければ科学というものも成り立たないじゃないか」とアインシュタインがいうわけです。それに対してタゴールは、「科学そのものも人間が生んでいるものじゃないか」と。「そして、この実在を感じるのも人間じゃないか。もしも人間がいなければ、この世界そのものは無に等しい」というようなことをいうわけです。ですから大宇宙というものが、ブラフマン(梵)というものが、人間の心の中に宿ってこそ、この大宇宙のブラフマン(梵)というものは存在しうるんだ、と。もしそれを宿し、それを感じ、それを愛する人間というものがこの世の中に存在しなかったら、宇宙はあるもないも、或いは真理も有るも無いも、何もないじゃないか、ということをいうわけです。そういうタゴールでありましたが、彼は自分の信仰と致しましては、人間がどこまで真実に近付き得るかということは、彼にとって大きな関心だったわけです。あらゆる人間が真理に向かって歩いて行って、どこまで人間が真理に近付くことができるか、と。そのことを突き詰めていきますと、彼はブッダ(仏陀)にその理想像をみるわけです。そしてブッダにおいて、二つのことをタゴールは感じています。一つは人間の可能性の極限というもの、人間がどこまで真理に近付き得るか。先ほど申しましたような、悲しみや或いは憎しみや、人間の中にはいろんなものがこもごも混ざっているわけですけれども、それをどこまで消化して、どこまで人間として完全に完成に近付きうるか、という一つの理想像をブッダにみるわけです。もう一つタゴールがブッダを非常に敬愛したのは、インドにございますカースト制度でございますけれども、ブッダは早くに「四姓平等(しせいびょうどう)」を唱えて、大宇宙を心の中に宿している人間の尊さというものを説き、そしてブッダは「四姓平等」を唱えた、と。同じようにタゴールも自分自身はバラモンの階級に属しておりましたが、早くからそういう人間的な差別というものを乗り越えて、自らすべての人間が神の前で平等である、という考え方を抱くわけです。これが梵我一如の思想の中の我の思想が、すべての人に梵に対してすべての人に宿っているとするならば、そこに何の相違があろうか、という考え方を持つわけです。ですからタゴールがいろんな仏教をテーマに致しました戯曲がございますが、その戯曲のテーマと致しますのは、みなこのブッダの人間的な偉大さと、そしてブッダの四姓平等の考え方というものを彼は戯曲にして、彼自身は仏教徒ではございませんでしたけれども、仏教を非常に身近に感じて、そしてブッダを尊敬した、ということでございます。
 

 
ブッダは語った。
「互いに他を欺いてはならない。どこにあっても、誰をも軽んじてはならない。腹を立ててお前の肉体と言葉と思想によって、誰かを苦しめようと思ってはならない。あかたも母が己のいのちを賭して独り子を護るように、生きとし生ける一切のものに対して、お前の限りない愛の心をもち続けなさい。上に、下に、そしてお前の周囲に、世界全体に対して、お前の同情と限りない愛の心をもち続けなさい。妨げようとしたり、傷つけようとしたり、敵意を持って憎んだりしてはならない。立っている間も、歩いている間も、坐っている間も、臥(ふ)している間も、眠らないでいるうちは、このような〈愛の〉想いの中に住み続けること、これをブラフマンの中で生きるという。」
このことは、ブッダの考えている無限なるものとは、際限ない宇宙的な働きをもつ霊というようなものではなくて、善と愛の積極的な理想のうちにその意味をもち、従って、人間的なもの以外の何ものでもないことを示している。慈悲深くあり、善であり、愛に充ちていることによって、人は星々や岩の中に無限なるものを実感するのではなく、人間のうちに啓示されている無限なるものを実感するのである。ブッダの教えは、「ニルヴァーナ」(涅槃=いっさいの煩悩から解脱した不生不滅の平安の境地)を最高の目的として語る。ニルヴァーナの真(まこと)の性質を会得するには、そこへ至る道を知らなければならない。すなわちその道は、たんに悪しき思想や行為の否定によるのではなく、愛に対する一切の限界を除去することによるものである。それは、愛そのものとも言えるような真実において自我を純化することを意味するものでなければならない。我々が憐れみと奉仕を捧げなければならない一切のものを、その胸のうち深くに結合している愛の真実において・・・
                   (タゴールの講演「人間の宗教」から)
 

 
森本:  タゴールはブッダを人間的な可能性の一つの理想とみなしますが、じゃ、具体的にどういうものかということになります。それはブッダが、愛、慈悲の化身であったというふうにタゴールは考えたからです。人間は神に近付くのに、いろんな方法があるわけです。例えば苦行を致しまして、自分の体に針を刺したりとか、いろんな苦行をして、それで神を見ようとする人もいるわけです。或いはまた知識によって、勉学によって神を考えようという見方もあるわけです。インドにも昔からいろんな考え方があるわけです。それをそれぞれの「ヨーガ(Yoga)」と申しますけれども、タゴールが言ったのは、愛によって神に近付く道というのがタゴールの一番中心の考え方になります。タゴールはそれをブッダにみるわけです。ブッダも同じように、若い頃には苦行致しまして、厳しい厳しい苦行を致しまして、その苦行が無意味であると、ブッダは覚るわけですけれども、タゴールも同じように、この現実を否定して、そして苦行してみたところでなんの神にも達することはできないんだ、と歌った詩がございますので、それを朗読して頂きます。
 

 
解脱は わたしにとって 現実放棄のなかにはありません。
わたしは 歓びの無数の絆のなかにこそ 自由の抱擁を感じます。
あなたはつねに さまざまな色と香りの新鮮なあなたの酒を
わたしのために注いでくれる―
この土の盃に溢れんばかりになみなみと。
わたしの世界は 幾百というそれぞれ異なる燈明(とうみょう)に
あなたの焔(ほのお)で灯(ひ)をともし、
それをあなたの寺院の祭壇の前に ささげるでしょう。
いや、わたしは わたしの感覚の扉を けっして閉ざしはしません。
見る喜び、聞く喜び、触れる喜びのそれぞれが、
あなたの歓喜をとどけてくれることでしょう。
そうです、わたしのすべての幻想は
歓喜の照明となって燃えあがり、
わたしの欲望は残らず熟(う)れて 愛の果実となりましょう。
              (『ギタンジャリ』から)
 

 
森本:  苦行主義というものをタゴールは否定致します。そして詩人本来の柔らかな感受性で持って、この世の中の一切のものを享受しようと致します。私たちが周囲を見回しましたら、山には奇麗な色がありますし、海にも奇麗な色がありますし、さまざまな色彩でもって、神はこの世の中をお造りになったんだ、と。それは人間を喜ばせるためなんだ、と。そしてまたこの世の中にはさまざまな音がある、いわゆる音楽がある。小鳥の声、それから小川のせせらぎ、そうしたすべては、神が人間を喜ばせようとして、自然を通じて音の世界をつくっているんだ、と。或いはまた感覚的にも、私たちは神にあらゆるものを通して神に触れることができるんだ、と。ですから、人間の五官を、それぞれに十分に発達させ、そして神に近付いていくというのが、一つの芸術家としてのタゴールの歌であると思うんです。ですから彼は山の中に一人閉じ籠(こ)もって、そして家族と断ち切って、その中で修行するというようなことは致しませんでした。彼はむしろ積極的にこの現実の中で生きよう、と。そして現実の中で自分の人生を十分に生きることによって神に近付こうと致します。そうしたらタゴールが当然この世の中の社会問題に関心を持つようになったのは、むしろ当然と言えるかと思うんです。
 
ナレーター:  タゴールはその生涯で五度日本を訪れました。タゴールは、日本人が培(つちか)ってきた繊細な美意識や伝統、自然と調和する心を深く愛しました。麗しい国と呼び、憧れさえ抱いていた日本が、日増しに軍国主義化していく当時の姿を目にして、タゴールは人類への愛の立場から、日本の大陸侵略を厳しく批判しました。
 

 
もとより私は、日本が自己防御のための現代的な武器を取得するのを怠ってよいというつもりは毛頭ありません。しかし、このことは日本の自衛本能の必要最小限以上に決して出てはならぬものであります。真(まこと)の力というものは武器の中にあるのではなく、その武器を使用する人々の中にあることを、日本は知るべきであります。もし人々が力を求めるに急なあまり、自分自身の魂を犠牲にしてまで、武器を増強しようとしたならば、危険は敵の側よりも、その人たち自身の側にますます大きくなっていくものであるという事実を日本は知らなければなりません。
                    (来日講演「日本の精神」から)
 

 
ナレーター:  日本は、タゴールがアジアで初めてノーベル賞を受賞した時、喝采を送りました。しかし日本は、その歪んだナショナリズムを批判したタゴールの警告には耳を傾けず、悲劇への道をひたすら突き進んでいきました。
 

 
昼となく夜となく わたしの血管をながれる同じ生命(いのち)の流れが、
世界をつらぬいてながれ、律動的(リズミカル)に鼓動をうちながら 躍動している。
その同じ生命(いのち)が 大地の塵のなかをかけめぐり、
無数の草の葉のなかに歓びとなって萌え出で、
木の葉や花々のざわめく波となってくだける。
その同じ生命(いのち)が 生と死の海の揺籠(ゆりかご)のなかで、
潮の満ち干(ひ)につれて ゆられている。
この生命の世界に触れると わたしの手足は輝きわたるかに思われる。
そして、いまこの刹那(せつな)にも、幾世代の生命の鼓動が
わたしの血の中に脈打っているという思いから、わたしの誇りは湧きおこる。
                  (『ギタンジャリ』から)
 

 
森本:  彼は、今お読み頂きました詩にございますように、この大宇宙の鼓動を自分の心の中に同じリズムを感じるわけです。そして人間が大宇宙のリズムと外れた時に、或いはそれを裏切った時に、人間は自然の中で、自然の一部として、ほんとに良い人生は送れないんだ、という考え方を持ちます。インドの乾期と言いますのは、シャンティニケタンでは八ヶ月、九ヶ月間も乾期が続くわけです。その間は雨一滴降らないというような厳しい時期を過ごすわけです。やがて夏が過ぎて、雨期がやって来ます。一度に空がかき曇って、雨雲からザッーと雨が降り始めますと、それこそ大宇宙が恵みを受けて、二、三日で新しい草が、或いは木の葉が萌え出でるという時期でございますが、そういうふうに雨が降ってくると、タゴールは思わず家の中から外に出て、そしてその雨を受けながら天に向かって顔を向け、雨を身体全体に受けながら躍(おど)ったというんですね。そのリズムが、大宇宙のリズムそのものを、自分の生命のリズムとしていたところに、タゴールの詩の秘密があると思うんです。タゴールの詩の美しさはそのまま音楽に変わりますが、タゴールの書いた詩は、ほとんど二千ばかりが音楽として歌われているわけですけれども、その歌は、全部今申しましたように、大宇宙のリズムを音楽としたものであると言われております。
 

 
おお、太陽よ。
空のほかにあなたの姿を宿すことのできるなにがあるのでしょう。
私はあなたを夢見ています。
けれどもあなたに使えることは私には望めませんと、
露は泣きながらいった。
私はあまりに小さくて、あなたを私の中にお迎えできません。
大いなる神よ。
そのために私のいのちはすっかり涙なのです。
私は限りのない空を明るく照らしている。
けれども私は、一滴の露にも、私自身を与えることができるのだ。
このように太陽は言った。
私はほんのひとひらめきの光になって、
お前をいっぱいに満たしてやろう。
そうすれば、お前の小さないのちは笑いにきらめく玉となるだろう。
                 (太陽と露との会話)
 

 
森本:  大宇宙の中の小宇宙、いわゆる一粒の露の中に宇宙全体を宿すことができるんだという考え方、或いはまた大自然が一粒の露の玉の中に、ほんの閃きの時間となって、凝集されるという考え方、そういうものが非常にうまくタゴールの思想が表現されている歌だと思うんです。この思想を彼は一生涯持ち続けてきたわけでございます。ですから、このひとひらめきの宇宙の中の、ひとひらめきの露の中にほんとうの生命が宿っているという考え方は、生命は儚(はかな)い、つまらないもんではないんだという考え方に通じるわけです。それは私が一番初めに『ギタンジャリ』を読んで、なんのことかわからずに、ただ感動した、そのことと一脈通ずることがあると思うんです。それはタゴールの思想の一番根本は、人間がこの世界、私たちが住んでいる世界、この世界を天国にすることであって、この世界を否定して天国を望む、或いはこの世界を否定して神を求めるということではなしに、神の愛、或いは神の意思、そういうものをこの地上において生かそうじゃないか、と。この地上を天国にしようじゃないか、という考え方なんです。それが彼の社会問題にも通じますし、或いは国際的な批判にも、ナショナリズム批判にも通じますし、すべてがこの一粒の露の歌の中に歌われている、というふうに考えます。
 

 
いまあたりを見まわす時、高慢な文明の崩れゆく瓦礫(がれき)が廃物の山となって方々に散在しているのを私は見る。それでもなお、私は、今日の挫折を決定的なものとみなして、「人間」への信仰を失うという痛ましい罪を犯しはしないだろう。私はむしろ、大動乱が過ぎ去った後の、歴史の新しい章の始まりを、奉仕と犠牲の精神で浄められた晴朗な大気を待ち望みたい。おそらくそのような夜明けの光は、この地平から、太陽の昇る東洋からさし昇るだろう。いつの日か、不滅なる人間が、失われた人類の遺産を取り戻すために、あらゆる障害を乗り超えて、かつての征服の道を引き返す日が来るだろう。今日、我々は権力の無礼な大きな危機に瀕しているのをこの目で見ている。古(いにしえ)の賢者が宣言したことの真理が完全に立証される日がやがてくるだろう―
 
「不正によって人は栄え、望むものを得、敵を征服する。されど本質においては滅びているのだ。」
    一九四一年四月
                 (「文明の危機」から)
 

 
森本:  只今読んで頂きましたのは、タゴールの最後の人類に与えたメッセージであります。死のほんの二、三ヶ月前に書かれたものでございますけれども、タゴールは第一次世界大戦の後、世界を経巡(へめぐ)って、そして世界の文化の協調、愛、それを唱えて歩くわけです。人類愛を唱えて歩くわけですが、最晩年に再び第二次世界大戦という人類の大きな悲劇をみるわけです。そして彼は小さい時から西洋文明というものに憧れ、そして人類は西洋文明によって栄えるであろうという確信を持った時期もあったわけです。しかし、その西洋文明が生んだのは、人間が人間を否定し、人間が人間を傷付ける科学の使用であったり、或いはナショナリズムであった。そういうことを体験致します。それで彼は、「今、自分の周囲に瓦礫のように世界が崩れ落ちていくのを見る」と。それは第二次世界大戦のことを言っているわけです。しかし、「この大戦の後で、再び人類は立ち上がるだろう。そしてその救いというものは東洋から来るだろう」ということを言っているわけです。東洋から来るということは、いわゆる科学万能の世界ではなしに、人間が心を大切にする、再びそういう文明を生み出さなければならない、と。そして昔ブッダが教えた慈悲の心、そういうものがもう一度新しい自分たちの生活原理として生まれてくる、ということを彼は期待して、「私は今でも人間に絶望することはないんだ」といったのが最後のメッセージになります。そしてタゴールは、一番始めの『ギタンジャリ』の詩にありましたように、神が人間を葦笛のように持ち歩いて、それで美しい歌を奏でているんだということをいっておりますけれども、その次ぎにお読み頂きました詩にもございましたが、人間が自らをそのために清くしなければならない、というのがタゴールの宗教思想の元にある重要な問題になると思います。すなわち神が私たちを持ち歩いて、そして私たちを葦笛を吹き鳴らすことによって、人間性の中から、神が考えられなかったほどの素晴らしい可能性というものが生まれるかも知れない、ということをタゴールは言っているわけです。ですから神が何回も何回も人間を満たしながら、なおゆとりがある、ということを『ギタンジャリ』に歌っております。そのゆとりというのは、人間に残された可能性であるわけです。その可能性、自由というものは、今度は逆に人間が人間をいじめ抜く可能性にもなるわけです。地球を破壊する可能性にもなるわけです。神は人間を、或いはこの世界を完全なものとしてお造りにはならなかった、と。すなわちゆとりを残した、と。そのゆとりが人間がなすべきことである、と。それは人間の自由である。どうしようと人間の自由である、と。その自由をどう生きるかということが、私たちのこれからの問題になるかと思うんです。それがタゴールが私たちに残した大きなメッセージです。そして、神が人間を笛のように吹き、そしてその人間から美しい音を奏でるということが私たちに与えられた使命と言いますか、私たちに与えられた歓びでもあるわけです。神と人間とのことをタゴールは「遊び」―「リーラー」とインド語で呼んでいます。「遊び」というのは、神が人間を愛し、人間が神を愛することによって、創造の可能性というものが最大限に活かされるんだ、ということをいっているわけでございます。そして彼が死のごくわずかの、数週間前に歌った詩の中では、「世界は味わい深く、この塵の一粒までも、私は愛している」と歌っておりますけれども、タゴールは、私たちが、無視し、そして汚いと思う一つの塵にすら美を認め、そしてその世界の中の美を、私たちは傷付けることのないように、といったのが、タゴールのメッセージというふうに考えます。
 

 
世界は味わい深く美しい。
世界の塵までが美しい。
こんな大いなる讃歌を、私は心に歌う。
その讃歌は、私の人生を意味あるものにする。
日ごとに、真理の宝石が贈り物として私に届けられるが、
その美しさは色あせることはない。
そのために、死の国の岸辺に立って、
なお、こんな大いなる賛歌が、歓びの心にこだまする。
世界を味わい深く美しい。
その塵までが美しいと。
私が世を去る前に、最後に大地に触れる時にも、
私は高らかに宣言するだろう。
塵の中に書かれた名誉の印が、私の額の上にあるのだと。
悪の幻影の背後にも、私は永遠なるものの光をみてきた。
真理の美しさが、地上の塵の中に形づくられている。
このことに気付く時、私は塵にまで挨拶を送る。
 

 
森本:  タゴールは人生と世界を肯定し、そしてこの世界の中で、自分の死の最後の瞬間まで、この世界を愛するということが、タゴールの宗教観であった、と思うんです。タゴールは決して山に閉じ籠もったり、或いはまた僧院に閉じ籠もったりして、悟りを開こうとしたのではありません。彼は現実の一人の人間として、生き、そして自分に与えられた生命を最後の瞬間まで生き切るということによって、「人間の宗教」或いは「詩人の宗教」と彼がいった宗教を生きたと言えるかと思います。私自身もタゴールから学ぶことはこの生き方です。現実を肯定し、世界を肯定し、また自分に許された人生をできるだけ一生懸命に生きよう、と。そして神によりよい葦笛の笛を吹いて頂こうというために、自分の身を浄めようという、その心構えだけども、タゴールから学びたいとそういうふうに考えております。
 

 
おんみは わたしを限りないものになしたもうた―
それが おんみの喜びなのです。
この脆(もろ)い器を おんみはいくたびも空(から)にしては、
つねに あらたな生命(いのち)で充たしてくれます。
この小さな葦笛を
おんみは丘を越え 谷を越えて持ち運び、
その笛で 永遠(とこしえ)に新しいメロディーを吹きならしました。
おんみの御手(みて)の不死の感触に、
わたしの小さなこころは 歓(よろこ)びのあまり度を失い、
言葉では尽くせぬことばを語ります。
おんみのとめどない贈り物を
わたしは この小さな両の手にいただくほかはありません。
幾歳月(いくとしつき)かが過ぎてゆく、
それでもなお おんみは注ぐ手をやすめず、
そこにはまだ 満たされぬゆとりがあります。
         (『ギタンジャリ』から)
 
     これは昭和六十三年六月五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである