失ったもののあとに
 
                        哲学者 アルフォンス デーケン
一九三二年ドイツに生まれる。ミュンヘン大学卒業後、フォーダム大学大学院(ニューヨーク)にて哲学博士の学位取得。一九五九年来日。上智大学で人間学・死の哲学等を担当。「生と死を考えるセミナー」を主宰し多くの関心を集める。上智大学名誉教授。
                        ききて 道 傳  愛 子
 
ナレーター:  哲学者・アルフォンス デーケン(Alfons Deeken)さんは、こ の春、人生の節目を迎えました。三十年に亘って教壇に立って きた大学を去り、研究のため、母国・ドイツへと旅立つことと なったのです。デーケンさんが教えた「死の哲学」は、いつか は訪れる死と向き合い、今を如何に生きるべきか、を考えるも のでした。避けて通りがちな死の問題を真っ正面から取り上げ る講義には、毎年たくさんの学生が集まりました。
 
 
デーケン:  これは私にとって思い出の教室です。長年、毎週此処で「死の 哲学」を教えましたね。そして今年の一月二十五日は、私にと って最終講義でした。その時はこの教室はまたいっぱいでした。
 

 
ナレーター: デーケンさんは、しばしば不治の病や肉親の死に直面した人々 を講義に招き、その体験を話して貰いました。学生たち一人ひとりの人生に訪れ る死のあり方を、自分の問題として考えて欲しい、と願ったからです。「死の哲学」 を教え始めた七十年代半ば、経済成長を続ける 日本の社会には、ガンの告知の問題や終末期医 療のあり方など、解決の難しい問題が横たわっ ていました。医療や福祉、哲学や宗教など、ジ ャンルを超えて、この問題に取り組むパイオニ アの一人に、デーケンさんも名を連(つら)ねました。 デーケンさんが、上智大学聖三木図書館に集め た「生と死」に関わる本、千六百冊のコレクシ ョンは、三十年に亘る日本の死生学の歩みをも示す貴重なものです。
 

道傳:  上智大学ではデーケン先生の「死の哲学」というのは大変有名 なんですけれども、最初にその「死の哲学」を日本にもってい らっしゃった時期というのは、どういう時代でしたでしょう。
 
デーケン:  その時はまだ死のタブー化の時代でしたね。ですから私は初め て「死の哲学を教えたい」と言いました時は、いろんな同僚か ら、「それは止めた方がいい」と言われましたね。つまり「死 はタブーですから、学生もあまり集まらない」と言われましたね。実際は、学生 はけっこう大勢集まって、何年か後ですけれども、たまに千人以上も登録した年 もあったんですね。ただしその時は社会全体の雰囲気は、「死についてまだ話さな い方がいい」ということでしたね。
 
道傳:  日本という国を考えますと、一九七○年代は、大変に国としては成長の最中にあ って、勢いがある時代でした。そういうふうに映りましたか、先生にも。
 
デーケン:  そうですね。まあ逆に言いますと、みんな一生懸命経済に力を入れて、或いは戦 争中で年寄りの方もたくさんの死を体験しましたから、もう死 というテーマに触れたくないということ、例えば、私はよく上 智大学の卒業生の結婚式の後の披露宴でスピーチをやらなけれ ばならないんですね。みなさんに、どれほど優秀な学生であっ たかを、みんな伝えなければならないんですね。しかしその時 は二人の学生が私の研究室に来ました。「先生、披露宴のスピ ーチのことでちょっとお願いがあります」と言われた。「何で しょうか?」「田舎から親戚の年寄りが大勢来ますから、私た ちが先生の死の哲学を受講したことは言わないでください」と言いましたね。遅 かれ早かれ私たちはみんな体験するでしょう。おじいさん・おばあさんの死、お 父さん・お母さんの死とか。大体日本の教育のレベルは、国際的にみても凄く高 いんですね。しかし教育で私たちは将来の人生のためにやっぱり難しい試練とか、 或いは試験のために準備するんです。勉強するんですね。けれども、長い人生で 一番苦しい試練は、明らかに身近な死の体験と、自分自身の死に直面する体験で しょう。ですからそれを教育で完全に無視するのはちょっといけない、と感じま したですね。
 
道傳:  最初は死というものがタブーとされている中で、でもそういう国でこの死の哲学、 死の考え方を根付かせていかなければいけない、というふうに思いになったのは、 どうしてなんでしょう。
 
デーケン:  その時は、私の専門は哲学ですけども、「人間は自分なりの生を全うしなければ ならないと同じように、自分なりの死をも全うしなければならない」と思ってい ますね。ただ「消え去る」じゃなくて、やっぱり積極的な面もあるんですね。私 の母国はドイツですが、ドイツ語で、動物の死のことと、人間の死のことは、二 つの違う動詞さえもありますね。動物は、「verenden」─ただ消え去るんですね。 しかし人間は、「sterben」。「sterben」ということは、やっぱり積極的な面もある んですね。人間のために絶対いつも「sterben」と言いますね。「sterben」の意味 は、日本語では、「死」ですけれども、人間は例えば肉体の衰弱のプロセスの中で も、また人間として成長できるんですね。つまり人間は例えばガン告知を受けて からもまた素晴らしいことをやる。例えば黒沢明監督の映画の「生きる」という 映画にもありますね。やっぱりあんまり長い時間がないと分かってから一生懸命 また子どものために遊園地を作るという、何か積極的なことをやる。或いはアメ リカの俳優のジョン・ウェイン(1907-1979)はガン告知を受けてから、一生懸命 友だちや知り合いに電話して、「ガン研究のために寄付して下さい」と、膨大な寄 付を集めて「ジョン・ウェイン ガン研究所」が出来たんですね。ですからそうい う意味で「死の哲学」の中で、「人間らしい死に方は何であるか」ということを伝 えたいんですね。ただ動物のように「消え去る」じゃなくて、できるだけ「最後 まで精一杯生きる」とか、そうして、「出来ればただ自分のことだけ考えないで、 他人(ひと)のために生きる」ということ。やっぱり「人間らしい死に方は、同時に最後 まで人間らしく生きることだ」と思いますね。そういうことを、私は教育の中で 伝えたいんですね。
 
道傳:  じゃ、「人間らしく死ぬ」ということと、「人間らしく生きる」ということの意味 が同じ意味である、と。
 
デーケン:  同じ意味ですね。ですからそういう意味で、私は、「死の哲学は、同時に生の哲 学である」と、いつも強調していますね。こういうテーマは家族の中でディスカ ス(discuss)すれば、非常にいいコミュニケーション(communication)の場になれ るんです。「哲学」ということは、ただたくさんの知識を学んで、試験のために勉 強するよりも、「自分で考えることが一番大切だ」といつも言っています。しかし、 ちょっとユーモラスに言って、私の名前は、「デーケン(Deeken)」ですけれども、 やっぱり私の講義内容も大切で、試験のために役立ちますけれども、私のスロー ガンは、「講義内容よりも自分で考える」。「考える」は、ドイツ語は「デンケン (denken)」ですね。ですから私のスローガンは「デーケン(Deeken)よりもデン ケン(denken)」ですね。みんな笑っていますけども、考えるようになれると思い ますね。
 
道傳:  まさに自分のこととして、自分の家族のこととして、考えるところから始めない といけない。
 
デーケン:  そうですね。やっぱりそれによってただアカデミックなテーマとか、ただ試験の ためのテーマではなくって、ほんとに実存的なテーマと言いましょうか、或いは 自分にとって身近なテーマと考えるようになる、と思いますね。
 

ナレーター:  北ドイツの町で過ごした死と隣り合わせの少年 時代が、デーケンさんの哲学の原点です。デー ケンさん、七歳の時に、第二次世界大戦が勃発。 故郷は爆撃の通り道となり、度重なる空襲に見 舞われました。戦争を押し進め、人間を蹂躙(じゅうりん) するナチスドイツに疑問を抱いていた祖父や父 は、密かに反ナチスの活動をしていました。熱 心なカトリックの信仰を持っていた一家は家族でその志を支えました。
 

(ドイツの故郷に帰った場面)
 
デーケン:  こんにちは。
デーケンの兄:久しぶりだったね。
デーケン:  元気だった?
兄さんの妻:  ええ。順調な旅だった?
デーケン:  このパイプはおとうさんのだ。
      おじいさんのもあるね。
      よく家の前で吸っていたね。
 
 
ナレーター:  一家はナチスへの抵抗に命を懸ける一方で、父・アロイスさんの温かな愛情とユーモアに包まれて暮らしていた、と言います。
 

 
道傳:  デーケンさんのご家族のみなさんが、その思いを一つにして、 ナチスというものの考え方や体制に対して反対していらっしゃ った。それは大変勇気のいることでしたでしょう、その時代は。
 
デーケン:  私たちは例えばナチスのプロパガンダ(propaganda:特定の主義や思想などを一 方的に強調する宣伝)は、やっぱり「アメリカ人は悪い人」とか、「イギリス人は 悪い人」と、よく言われました。けれども、私の父の実の姉は、ドイツ人であり ながら、カトリックのシスターとしてアメリカに行って、ずーっと一生涯をアメ リカで働いて、黒人の学校で教えたこともありますし、後でずーっとシカゴの老 人のホームを経営した人でしたね。私たちは時々その伯母からアメリカの雑誌を 貰って読んだりした。そして私たちは、夜ドアを閉め、窓を閉めて、BBCのラ ジオも聞きました。それで家族で中でデスカッションしたんですね。その時はリ スクは多かったですね。例えばある夜、近所の一家も逮捕されて消え去ったんで す。どこへ行ったか分からない。後で強制収容所に運ばれたらしいんですけれど も。やっぱり大変なリスクでしたけれども、私の父は、それはもの凄く大切なこ とですから、私たちは努力しなければならない、命を懸けても。その時私の今イ ンドネシア人になった姉は、カトリックのシスターとして、今ずーっとインドネ シアに働いています。彼女は、同級生を集めて、夜はドイツの軍隊の施設を壊し たこともあったんですね。大変なリスクで、私たちはもの凄く 心配でした。そのお陰で、うちの町に連合軍の戦車が入った時 は、そこで戦いにならなかった理由はこれでしたね。ですから そういう意味で大勢の命を救ったと思いますね。私も小学生で ありながら、やはり反ナチ運動に協力して、例えば、一九四一 年に、ミュニスター市のカトリックの司教のフォン ガーレンは、 反ナチの説教をした。父はそのテキストを手に入れて、私は何 百回もタイプライターでコピーしました。そしてロシアで戦っ ているドイツの兵隊に送ったんですね。それはナチのイデオロ ギーを批判する説教でしたね。それは今ドイツの中学校の教科 書にも載っていますね。
 
道傳:  その時代としては、まさに死と隣り合わせであるような、そう いう空気でしたでしょう。
 
デーケン:  そうでしたね。私にとって、非常に苦しい体験は、午後、一緒 に遊んだ小学生が、次の朝、焼夷弾で焼かれた黒焦げの死体の姿を見た、という ことです。戦争は何と残酷なことだ、という。或いは私自身もたまに学校から戻 って、連合軍の飛行機が近付いて機関銃で機銃掃射を体験して、自分の耳に触れ た弾もあった。逆に言いますと、その時、自分がもしちょっとだけ頭が動いたら、 生きていなかった、という。その時こそ私は、飛行機は去った時、「ああ、今まだ 生きている。生きる」と凄く感じましたね。逆に言いますと、死に直面している 時は、生の素晴らしさを凄く感じました。「生きている」ということを。場合によ って、週に三回位も防空壕で夜は過ごしましたね。またサイレンの変な音を聞い て、母は子どもをみんな集めて防空壕へ走った。母は、熱心なカトリックで祈り を称えながら、時間を過ごしたんですね。若きアイフォンスは割合に早く寝てし まいましたけども。目が覚めた時、母はまだ祈り続けていたという姿は凄く印象 的でしたね。その時、防空壕で爆撃の音を聞いて、また誰か殺された、というこ とを凄く強く感じましたね。勿論誰が殺されたか分からないけれども。しかし、 逆に飛行機の中でパイロットはただ手元の地図とボタンだけ見て爆撃する。そし てまた夜は家へ戻って家族でお祝い事ができるけれども、逆に此処でまた誰か親 しい人を失って嘆き悲しむ人がいる。そういうコントラストを凄く感じました。 ですから私は、防空壕の中で、戦争をやっている大人に対する怒りを強く感じま したね。家族の中で、その時はもう一つの苦しい体験は、四歳の妹の死でした。 それは戦争のためではなくて、四歳の妹が白血病になって、もう治らないと分か った時は、私たちみんなは、遠い病院の中で死ぬよりも、家族の中で最後の日々 を過ごした方がいいと思って、私たちは交代で介護しました。それは凄く私はコ ントラストして、暴力による死─戦争の死と、今家族で温かく見守られている妹 の死のコントラストを感じましたね。彼女はカトリックの家族で、当然であるか も知れませんけれども、最後にみんなに「さようなら」を伝えて、そして「また 天国で会いましょう」と言いながら、静かに亡くなったんですね。
 
道傳:  まだとっても小さい妹さんで。
 
デーケン:  まだ四歳でしたね。私は八歳でした。それも苦しい体験でしたけども、どっちか というと、戦争による暴力の死とは随分違うことですね。今、日本でも三人に一 人はガンで死ぬ時代でしょう。ですから、そういう運命的な死、やっぱり避けら れない死はあるんですね。しかし戦争による死は避けられる死ですね。人間は戦 争しない、人を殺さないということは人間の選択ですね。
道傳:  今のデーケンさんがおっしゃる死の哲学の原点が、まさに妹さ んの死を迎えた時にある、ということですね。
 
デーケン:  そうですね。その時は随分「生と死」について考えさせられま したですね。
 
道傳:  まだその頃、八歳でいらっしゃいましたから、ほんとに平和でしたら、楽しく遊 んでという、平和な少年時代であった筈ですよね。
 
デーケン:  そうですね。ある意味で、戦争のお陰で、少年時代は奪われたんですね。ですか らそういうことは、私にとって大変苦しい「喪失体験」でしたね。普通の楽しい 子ども時代の少年時代を過ごすことができなかった、という喪失体験ですね。小 学生でしたけども、ナチ時代の学校で大変でしたね。
 
道傳:  どんなことを体験されましたか。
 
デーケン:  私にとって特に辛かったのは、ある日に校長先生から呼ばれて、その時のドイツ のシステムとして、毎年各小学校は、一人はナチスのエリート養成学校に選ばれ た。進学のために。そうして、その年は、「私がナチス学校に行くようになった」 と、彼は言った。私は、その時、ハッキリ、「ノー」と言って、「私はそこに行か ない」と言ったんです。そうしたら、校長先生は怒っていました。「君を選んだん ですよ」と。そして同級生は、後で聞いて、同級生からバカにされたんですね。「何 で君はドイツの一番いい学校へ選ばれたのに行かない」。私は理由を言えなかった でしょう。
 
道傳:  どうしてですか。
 
デーケン:  理由は、私は家の家族は反ナチ運動をやっているのに、もしそういうエリート学 校に行くと、私はそういうナチの協力者になるでしょう。将来のドイツのナチの 児童を教育する学校でしたからね。そういう協力者になりたくないでしょう。私 は、その後は随分バカにされて、虐められて、孤独の道を歩むようになったんで すね。しかし、その時、私は毎朝、学校へ行く前にカトリック教会へ行って、ミ サに預かって、祈って。それによって自分は独りぼっちじゃなくって、やっぱり 神の近さを感じました。そしてその時は、毎日新約聖書を読むようになった。そ の時から私は、新約聖書はただ書かれた文化じゃなくって、それは神さまの私に 対するラブ・レター(love-letter)でもあるということを意識するようになった んですね。これは凄く救われたんですね。しかし辛かったですね。学校生活も、 戦争の体験も、そして妹の死も、それは簡単な答はないでしょう、いくら考えて も。どうしてみんなお互い同士殺すか、ということ。どうしてそういうようなナ チのイデオロギーが生まれたか。やっぱり聖書に正反対のイデオロギーでしょう。 その時、どうしてナチは弱い人を殺すのか、とか、例えば強制収容所ということ なども随分考えました。ですから、どうしてみんなが悪を行うことが出来たか、 ということを随分苦しみましたですね。
 

 
ナレーター:  何が善で何が悪なのか、周囲から孤立し、孤独の道を歩んでいたデーケンさんは、 人間に愛を説く聖書の言葉への思いを深めていきました。そんな中、ドイツ敗戦 の時、デーケンさんの人生にとって決定的な出来事が起こります。長い間反ナチ 運動に命を懸けてきた祖父は、解放軍として町に進攻した連合軍を歓迎しようと、 白旗を掲げて近付きました。しかしその彼がデーケンさんの目の前で、連合軍の 兵士によって射殺されたのです。祖父の不条理な死は、連合軍を美化していた少 年の心を一瞬で打ち砕きました。と同時に親から受け継いだ信仰を自分自身のも のとして実践できるのかどうか、問われる瞬間にもなりました。
 

 
デーケン:  どうして祖父は、今その兵隊から殺されたか、ということは、私も理解出来なか った。けれど、私にとって非常にその死は大切な決断の日にもなったんですね。 つまりもうすぐ後、その兵隊は家宅捜索でしょう。家にも入ると分かっていまし たね。けどその時、私は小学生として─私は、幼児洗礼で、生まれた時からカト リックだと分かっていましたけども─信仰ということについて、随分考えた。そ してある段階で、私はその信仰をただ親から受けたんじゃなくて、自分で選ばな ければならないんですね。つまりクリスチャンであるか、ないかということね。 その時、私は勿論新約聖書の主な教えは、「愛」ですけれども、その中でイエスも ハッキリ「敵を愛しなさい」ということは、今そういうような実存的な時がくる とわかっていましたね。私の祖父を殺したこの兵隊が家へ入ったら─私は、今 「敵」という言葉を使いたくないんですけれども、その時はやっぱり敵と思った んでしょうけれども─やっぱりその人も今愛さなければならない、というのは不 可能じゃないか、と感じたんですけれども、今そのカイロスですね。もしほんと にクリスチャンでありたいなら、
 
道傳:  カイロスとはどういうことですか。
 
デーケン:  カイロス(kairos:ギリシャ語で「時」、言いかえれば一回限りの機会の意)は 大切な瞬間ですね。決定的な時ですね。つまりそれは出来るか出来ないか。それ によって自分はやっぱりクリスチャンであるか、ないかということを、自分で選 ばなければならないんですね。そして遠くから祖父の亡骸を見たんですけども─ 兵隊さんは家へ入って来た。私は一所懸命その兵隊に向かって、手を差し出して、 「welcome」と言ったんですね。
 
道傳:  そのお祖父様が目の前で亡くなられた、という。それは今私が伺っていても、ど うしてそんなことが起きてしまうのだろうかと思うわけですけれども、そういっ たことへの問い掛け、何故だろうというのは、やはりお気持ちの中におありでし たでしょうか。
 
デーケン:  そうですね。その時、私は祖父の本棚で見付けた本の中で、ド イツの倫理学者・哲学者であるマックス シェーラー(Scheler, Max:ドイツの哲学者。現象学的立場からカント倫理学の形式主 義に反対、また社会哲学・宗教哲学などの領域に業績があり、 晩年には哲学的人間学の樹立を試みた:1874-1928)の本(『人 間における永遠なるもの』)を発見しました。私は目の前で射 殺された祖父は非常に尊敬する人でしたから、どうして彼はど れほど勇気を持ってこういう反ナチ運動が出来たか、というこ と。或いは自分の価値観とか、イデオロギーはなんであるか。もしかしたら彼が 読んだ本がちょっと鍵になるんじゃないかと思った。私は、その本を読んだ時、 そこでマックス シェーラーという哲学の中で、一つの非常に私の一生涯のための 大切なテーマを見付けました。それはやっぱり人類の位置ですね。彼は第一次世 界大戦の後で、これからのヨーロッパの使命とか、或いは人類 の使命は、やっぱり人類位置のための努力だとかね。ですから そういう生涯の願いということは、彼の哲学の中の一つ大きな テーマですね。そしてある意味で、私はそのお陰で、後ずーっ と暫くヨーロッパの中でも活動しました。いろんな国で生活し たんですけれども、やっぱり後で日本に来て、ただヨーロッパ の中だけではなくて、もっと広いスケール─ヨーロッパ、アジ ア、アメリカもっと国際的なスケールするような平和の時代の ために努力しなければならない、という使命感を、ある意味で祖父から頂いた宿 題でもあった感じでしたね。今もずーっと日本で生活し、教えたということは、 ある意味でそこでも一つのきっかけになった感じがしますね。
 
 
ナレーター:  信仰と哲学への目を開かれたデーケンさんは、イエスズ会の修 道士となりました。平和のために働きたいと願っていたデーケ ンさんが、死と向き合うための哲学を深めたいと願うようにな ったのは、ミュヘン大学で学んでいた時のことでした。
 

デーケン:  ミュンヘンで哲学を勉強しながら、同時にボランティア活動も随分やったんです ね。ただ病院の中のボランティアでしたが、そこでまた一つの私の人生の転機に なった体験があったんですね。
 
道傳:  平和のために何かをしたいということと、そのボランティアと、どういうふうに 繋がってくるんでしょう。
 
デーケン:  ボランティア活動は、いわゆる戦争のイメージの「英雄になる、支配する」の反 対ですね。「奉仕する」という意味ですね。そういう意味で、戦争で「自分は勝つ」 とか、「自分は支配する」という、そういう間違ったナチイデオロギーの価値観で した。正反対は、新約聖書の精神は、「奉仕する」ということです。そうすると、 「奉仕する。他人(ひと)のために働く」ということが、「ボランティア活動だ」と思った んですね。そこで私は、他人(ひと)のために何かやっただけではなくて、患者さんから も学んだことも多かったんですね。
 
道傳:  どんな体験をなされましたか。
 
デーケン:  一つは私にとって特に大切な病院の中の体験でした。ある中年期の男の人は東ド イツからの亡命者でしたね。彼は、西ドイツには親戚・友だちが一人もいなかっ たんですね。彼は末期ガンでした。そして私は医者から言われました。「彼はあと おそらく三時間位ですけれどもよろしく側に居て下さい。ほかに誰もいないから ね」と。私はその時初めて、「あ、後三時間で死ぬという。何を話していいか」と か。その時、気が付いたのは、普通の人間関係の話題にするのは、政治であると か、天気であるとか、或いは野球である─ドイツは野球であるよりもその時はサ ッカーでしたけれども。例えば誰が勝った、或いは負けたか。そのようなことは 後三時間で死ぬ人にとって全然興味がないでしょう。何がほんとにそういう人に とって大切であるか、と。私は、そこでモーツアルトのレコードを持っていまし た。それをかけて音楽を聴きながらいよいよ一緒に祈るようになったんですね。 その時、祈りながら、彼は凄く喜んだ、と感じました。その時、私は気が付いた のは、私は、「今何をするのか」よりも、「側にいる。共にいる」ということ。英 語でいつも「doing」と「being」をよく区別しました。「何をするか」よりも、「共 にいる。側にいる」ということが重大だ、と感じましたね。そして私は、その時、 自分の人生の一番長い三時間になったんですね。
 
道傳:  末期ガン患者にとっては、その時間で新たに何か治療を受けるわけでもありませ んでしょう。そのデーケンさんが側にずーっといらっしゃった、ということは、 どういう意味を持ったんでしょう。
 
デーケン:  私は手を握って側に坐ったんですけども、今振り返ってみますと、彼はそれほど たくさん話すこと出来なかったけども、もしかしたら、「ああ、やっぱり私は独り ぼっちではない」ということは、その握手によって感じたんじゃないか、と思い ますね。彼の親戚は西ドイツには一人もいなかった、亡命者でしたからね。です からそういう意味で、「誰か側にいる」ということは、彼にとって最期の時の孤独 を乗り越える道だったかも知れませんね。
 

 
ナレーター:  この体験の二年後、デーケンさんは、哲学者・ガブリエル マル セル(Marcel,Gabriel:フランスのカトリック思想家・哲学者。 パリ大学教授、モンペリエ大学教授を歴任。また一方で文筆活 動をおこない、劇作・詩・評論活動を通じて欧州思想界を指導、 その思想はキリスト教実存主義の立場をとる:1889-1973)と出 会います。人間が直面する現実を、「問題の次元」と「神秘の 次元」とに区別して考えるマルセルの哲学は、その後のデーケ ンさんの考え方の基礎ともなりました。
 

 
デーケン:  フランスの実存哲学者・ガブリエル マルセルの講義を聴いた時は、もの凄く印 象に残ったのは、「問題」と「神秘」ですね。フランス語で、「問題」は「problème」、「神秘」は「mystère」。英語も、「probleme」と「mystery」という区別 がありますけども、それは私のいろんな今までの問いに対する鍵のようになった んですね。「問題」ということは、これは私たちは客観的に見て、「how to」で、 問題を解決出来るんですね。例えば医者は、もし患者がガンになって、どのガン で、どの手術をやって、どの薬で治すことが出来るか。これは問題解決のレベル ですね。けれども、私は今まで体験したことは、例えば治らない患者ですね、例 えば妹である、或いはこの一緒に過ごした患者、或いは例えば悪という戦争とか、 殺すこととか、或いは勿論聖書の愛とか、出会いとか、単なる問題のレベルじゃ なくて、もっと深い次元がある。これはマルセルによれば、それは神秘のレベル ですね。私たちは完全に理解出来ないんですけども、そういうこともあるという こと。「問題」は知識です。知識によってhow toで解決出来るということですね。 しかし「神秘」ということは、やっぱり違う態度が必要ですね。例えば「驚き」 とか、昔からギリシャ人も、「驚きは哲学の初めなり」という有名な文章がありま す。「驚き」とか、そして「畏敬の念」、そして、「謙遜に自分の限界を認める態度」 ですね。自分でコントロール出来ないでしょう。最後の段階で患者は死ぬんです ね。もう医者もそれはコントロールできないんですね。「自分の限界を謙虚に認め る」という基本的な態度は、「神秘に対して大切だ」と、マルセルは強調したんで すね。私はその講義を聴いてから、ほんとに今までずーっと理解出来なかった問 いに対する大切な答えになった感じでしたね。何故妹は死ななければならなかっ たか。何故祖父は射殺されなければならなかったか。簡単な答はないんですね。 けどもそういう体験があったから、私にとって大切な転機になった。例えば、「死 について考えさせられた」とか、或いは、「時間の尊さを発見した」とか、「いろ んなプラスもあった」と思いますね。しかし簡単な問題解決はあり得ないんです ね。簡単な答もないんですね。今までもまだ分からないんですね。でもそういう 「深みのある、神秘である次元がある」ということは凄く重大だ、と思いますね。
 
道傳:  そういう「神秘のレベルもある」ということに気が付きますと、人はどういうふ うに変わることが出来るんでしょうか。
 
デーケン:  例えば具体的に、末期患者さんは、「もう治る可能性がない末期患者である」と 言われて、それで大勢の医者は、「あ、何も出来ない」と言っていますね。何も出 来ないということじゃないんですね。まだ患者さんにとって残されている僅かな 時間ですけれども、「大切な時間だ」ということは、「見捨てないで、最後に側に いる」ということもまだ出来るんですね。しかし大勢の医者は、治すことが出来 ないと、「何も出来ない」という間違った表現をよく使っていますね。私は、時々 家族や遺族からそういう怒りも感じますね。「医者は家の父に向かって、母に向か って何にも出来ない」と言ったということを凄く怒っていますね。
 
道傳:  手の施しようがない。
 
デーケン:  そう。「治すことは出来ない」という意味ですね。しかし「何にも出来ない」と いうことではないんですね。
 

 
ナレーター:  祖父の本棚で見付けたマックス シェーラーの哲学が、死に瀕した人にとっても 重要であると気付いたのは、デーケンさんがニューヨークの大学院で哲学を研究 しながら、病院付きの神父・チャプレンとして患者の傍らに寄り添っていた時の ことです。シェーラーが、第一次大戦への反省と、ヨーロッパの再生を願って書 いた論文『悔恨と再生』。シェーラーは、人間は過去の行為を悔いることを通して 取り返しの付かない過去に新たな意味を与え、人間として再生することが出来る と説いています。近付いてくる死を感じながら、人生に悔いを残す患者に、何が 出来るのか。病院やホスピスなどターミナルケアの現場でなすべきことを、デー ケンさんは哲学を手掛かりに深めていきました。
 

 
道傳:  ホスピスやチャプレンとしての仕事をなさりながら、同時にマックス シェーラ ーの文献を通して研究を進められた、と。
 
デーケン:  私は、一方ではシェーラーが書いたことをもっと深く体験し、理解するようにな った感じでしたね。そして例えば、「悔恨と再生」ということは、やっぱり末期患 者は案外多いんですね。まだ未解決なテーマが残っている、人間関係でね。罪を 赦さなかったということとか、そういうような再生の可能性があるということは、 私はマックス シェーラーは、それを書いただけではなくて、実際末期患者にとっ て、これはどれほど重大だということは分かったんですね。やっぱりその『悔恨 と再生』の中で、彼は、「客観的な時間」と「人間の時間」の区別をしますね。「客 観的な時間」は川の流れのようですね。川は此処まで進んだらもう戻ることは出 来ないでしょう。しかし「人間的な時間」─「ヒューマン・タイム」ですけれど も─人間的な時間の中で、みんなはいつでも、また戻ることが出来ますね。例え ば前は人間関係で大きな誤解とか衝突とかあった時は、まだ悔恨、また赦し与え る、赦すことによって、和解するので、またある程度で直すことは出来るとかね、
 
道傳:   生き直すことが出来る。
 
デーケン:  生きるそれは再生ですね。また新しい人間になれるんですね。そういう人間的な 時間の中で、私たちはいつまでもまた前の時へ戻ることは出来ます。例えば二人 同士の問題があった時は、勿論起こった問題はもう変わらないんですね。例えば いくら言葉で話しても、そういうことはあったんですね。しかし私たちは赦しに よって、赦し与える。或いは赦しを得る。或いは和解することによって、その過 去へ戻って、その変わらない出来事に新しい意義を付与出来る、と思いますね。 つまりいま消すことは出来ませんけれども、人間関係はそれによって直ることは 出来ます。今までずーっとそういうことがあったから、人間関係はダメになった とか、お互いに挨拶しないという人もいますし。けども、今和解によってやはり そういう新しい意味を作ることが出来る、と思います。人間関係をある意味で直 すことは出来ると思いますね。
 
道傳:  私はよく、まさに死を迎える方にとってなるべく安らかに平和に死を迎えさせて あげたい、ということを願う中で、過去に犯してしまった過ちですとか罪に、も う一回気持を立ち直らせるという、そこまで立ち返らせる。ちょっと酷かも知れ ない、というような印象もちょと一方であったりするんですけども、決してそれ はそういうことではない?
 
デーケン:  大体一つの解放のような体験ですね。罪赦されることは、「そういう精神が重荷 から解放される」という体験は、末期患者でよく気が付いたんですね。今までこ ういうような人間関係のトラブルがあったのは、一つの大きな精神的な重荷であ ったでしょう。それが今「赦される」こと、「和解する」ことによって、やっぱり 死ぬ前は大変素晴らしい「解放のような体験」ですね。私は、シェーラーの哲学 をもっと深く理解し、或いはシェーラーの哲学によって、或いはマルセルの「問 題と神秘」というテーマについても、もっと深く、末期患者の気持と、或いは家 族や遺族のことをもっと深く理解出来るようになったんじゃないかと思います ね。フランスに有名な「Partie,c'est mourir unpeu」という諺があります。日本 訳は、「別れは小さな死」です。やっぱりその通りですね。例えば患者が死ぬ時は、 患者の死だけではなくて、やはり家族や遺族にとっても小さな死のような体験で すね。つまり「今まで一緒にいることによって精一杯生きることが出来たんです けども、愛す相手は亡くなってから、自分の人生も一部が死ぬ」という意味です ね。
 
道傳:  誰かの死に直面すると、その死によって自分の中のある部分も死を迎える、こと。 小さな別れであると。
 
デーケン:  そうですね。ですから私は、「別れは小さな死だ」というフランスの諺に基づい て、いわゆるターミナルケアはただ患者さんのためだけではなくて、家族のため、 或いは後で遺族のためのケアも含まれていますね。
 

 
ナレーター:  上智大学で「死の哲学」を教えるデーケンさんの仕事は、大学内に留まりません でした。一九八二年には、一般の人や医療従事者に向けた「生と死を考えるセミ ナー」を開講。その翌年には、「生と死を考える会」を発足させました。終末期医 療の充実やホスピスの普及を目指すとともに、 人々が、「死とどう向き合い、どう生きるのか」 を考えさせる、死への準備教育の場や死別体験 を乗り越えるための場が必要だ、と考えたから です。そうしたデーケンさんの志に賛同する人 々の輪は、現在全国四十七団体、五千人にも広 がっています。八年前、デーケンさんは、自ら のガンの告知と闘病を体験しました。それまで 喪失の苦しみや悲しみから、人間が如何に立ち直っていくのかを、独自の理論に 纏めていたデーケンさんは、以後会に集まる人々の話に一層深い共感を抱くよう になったと言います。
 
(「生と死を考える会」の会場で)
 
出席者A: 二年前に私は父を事故で亡くしました。死というのは、私にと っては遠い存在だったんですけども、こんなに身近に、簡単に 起こり得るということを感じましたし、それからベッドの上で 死ぬものだというのが、私の中ではあったんですが、そうでは なくて、コンクリートの上に叩き付けられて死んでいくという こともあるんだということを身を持って感じたんですね。それ でここに来るようになりまして。
出席者B: 私は実は自分がずーっと病弱であったんですね。それで人生の 価値は長く生きることにあると思っていました。ところが息子 が亡くなってしまったんですね。その時に死というものは自分 の中ではもうほんとに避けて通りたいものだったんですが、目 の前に避けられないものとして現れた時に、今まで如何に自分 が死に対して無知であったかということをまざまざ思い知らさ れまして。
 

 
ナレーター:  多くの人々が語る死に直面した苦しい体験。しかしデーケンさんは、その悲しく 辛い体験の中にあっても、愛やユーモアと言った人間の持つ底知れぬ力が、人々 を癒し、また人間として豊かに成長させることを目のあたりにしてきました。
 

 
デーケン:  私は決定的な死とユーモアの密接な関係はニューヨークでしたね。私の親しい友 だちのお母さんが亡くなった時は、彼女は九十一歳でしたね。十一人の子どもを 立派に育てて、「その夜でおそらく亡くなる」と医者が言った時は、十一人の子ど も・孫は部屋に集まったけども、彼女─お母さんはもう昏睡状態のように見えま したね。長男がカトリックの神父で、彼はみんなに、「残念ながら母と話すことが 出来ないんで、祈りましょう」と。そしてミサを捧げて祈ったんです。ミサを終 わった時、突然、お母さんは、「わざわざ私のために祈って、ありがとう。ウイス キーを飲みたい」と言ったんです。みんなショックを受けました。あと一夜位で 死ぬ予定のお母さんが、「今、ウイスキーを飲みたい」。一人は慌ててウイスキー を捜して、グラスに入れて、彼女はちょっと飲むと、「温(ぬる)いから少し氷を入れて下 さい」と言った。またみんなショックを受けた。後三十分で死ぬのでは、と思わ れていたのに、今、氷の心配をする。彼女は、あんまりウイスキーを飲まなかっ たそうですね。そしてウイスキーを飲んで、「美味しい、美味しい」と、全部飲ん で終いましたね。その次ぎに今度は「タバコを吸いたい」と言ったんです。また みんな時計を見て、またショックでした。長男は勇気を出して、「母さんね、医者 は、タバコ吸ってはいけない、と言っていますよ」と。お母さんの返事は、「死ぬ のは医者ではなくて、私なのです。タバコを頂戴」。タバコを吸い終わって、みん なに感謝して、「天国でまた会いましょう」と言いながら、ゆっくり亡くなりまし た。しかし、その最後のウイスキーとタバコは、決して彼女は飲みたい、吸いた い、ということではなかった、と思うね。私も、長男の彼も解釈したのは、お母 さんは十一人の子どもを育てたから、いつも役に立ちたいということで、今日最 期で、後は何も出来ない時は、ユーモアの話を残しながら最後の愛を残したかっ た、ということです。ほんとに笑い話を残しながら死にましたんですね。それで 普通は、お母さんが亡くなりますと、みんな悲しいでしょう。けども、ところが、 お母さんの兄弟同士も孫までも、「素敵な死に方だった」と、みんな笑いましたで すね。
 
道傳:  死という悲しい瞬間を迎える時に、そう言ったユーモアがあることで、周りの人 たちもちょっと救われるような気持になった。
 
デーケン:  ある意味で、お母さんの価値観とか、人生観は、最後までそういう形で現れたと 思いますね。その時から私はいつも、「ああ、やっぱりユーモアというのは、人間 にとって美しい愛の表現である」と感じていますね。
 
道傳:  ただ、死を迎えたり、誰か親しい人が死を迎えるという時に、なかなかユーモア が出てくるような余裕がないんじゃないかしら、と思うんですけれども。だから こそなんでしょうか。
 
デーケン:  ドイツ語の一番有名なユーモアの定義は、「ユーモアとは、にもかかわらず笑う こと(Humor ist,wenn man trotzdem lacht)」です。「にもかかわらず」の意味は、 「私は今苦しんでいます。でも、それにかかわらず、相手に対する思いやりとし て笑顔を示します」という意味ですね。私は、この「にもかか わらず」ということは素晴らしい、と思いますね。私は今苦し んでいる。にもかかわらず相手に対する思いやりとして微笑み します、ということは美しい愛のユーモアだと思いますね。
 
道傳:  ご自身も少し前にガンの告知を受けられて、そのことが、生き るということ、或いは死について考えることにどういう作用が ありましたでしょうか。
 
デーケン:  非常に複雑な気持ちでしたね。自分が悪性のガン告知を受けた時は、正直言いま すと、もの凄くショックでしたね。そして自分がいくら死について勉強しても、 今、もしかしたら自分が亡くなるかも知れん、ということは大変なショックでし た。私にとって、その時、一つの大きな心配は自分のライフワークがまだ未完成 であるということでしたね。まだやりたいことがいっぱいあったんです。私はず ーっと本を書く仕事をやっていたんです。二つの大切な原稿がまだ未完成である。 一つは、「死とどう向き合うか」という。もう一つは、「ユーモアについて」の本 で、まだ未完成であった。どうしてもこの二つの大切なテーマは、完成したい。 もし今死ねば、そのいうことが出来ないという、フラストレーション(frustration:欲求不満)を凄く感じましたですね。しかし今振り返ってみますと、不思議 なパラドックス(paradox:一見矛盾しているようで実は真理をついている議論) を感じますね。一方では、もう二度とガン告知を受けたくないんですね。しかし そう言っても同時に、そういうガンの体験とガンの手術を受けたことがあって良 かった、と思いますね。
 
道傳:  それはどういう意味でしょう?
 
デーケン:  一つの重大なポイントは、私はたくさんのガン患者に会いますけども、それによ って少しガン患者と共感できるようになったと思いますね。やっぱりいくら本を 読んでも、勉強しても、講義しても体験がないとなかなか深いレベルで共感でき ないでしょう。私は、全国で講義すると、時々講義の後で誰か来て、握手して、「先 生、私もガン患者だ」と言われる。勿論、私はその人を今治すことは出来ないん ですけども、握手しながら、やっぱり共感を感じるんですね。共感の力は凄いこ とですね。つまり二人は同じ体験があるということは、お互いに共感し合い、一 つの励ましと心のレベルの癒しにもなれると思いますね。人間はどの年代であっ ても、自分のライフはまだ未完成であると誰も感じていると思いますね。しかし 若ければ若いほどまだ未完成だと思う人が多い。ある意味で私たち人間の人生は 喪失体験の連続ですね。ドンドン失う体験がありますね。ですからどんな喪失体 験に出逢うかは、私たちは自分で選ぶことは出来ないんですね。しかしそうした 喪失体験の後をどう生きるかは、ある意味で自分で選ぶことが出来ますね。です から私は死への準備教育を通して、死の哲学を通して、何が運命的なことである か。何が自分で選べるか。そういう区別も意識するように努力しますね。つまり 喪失体験があるかどうか。私たちはコントロール出来ないんですね。いつか来る んです。けども、その後の生き方は一つの大切な選択ですね。それによってもっ と人間として成長する人はいっぱいいますね。私は、全国「生と死を考える会」 を回って、そういう死別体験者と、場合によって一年後、二年後、また会います と、ボランティアとして働く人が多いんですね。最初に会った時はただ悲しみ苦 しみばかりでしたね。今それによって自分はそういう苦しい時代があったからこ そ、今周りの人のために奉仕して、ボランティアの活動をやる人が凄く多いんで すね。これは見ていて、いつも嬉しいことですね。
 
道傳:  新たな意味が加わっているわけですね。
 
デーケン:  そうですね。
 
道傳:  その後の生き方に。
 
デーケン:  そうです。それによって新しい生き甲斐を発見する人もけっこういますね。
 
 
     これは、平成十五年四月二十七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである