生死をみつめて
 
                     大谷大学名誉教授 雲 井  昭 善(くもい しょうぜん)
大正4年大阪府和泉市生まれ。昭和16年大谷大学文学部仏教学科卒。31年大谷大学助教授、36年教授。のち、文学部長、大学院部長を歴任。大谷大学名誉教授。のち仏教大学文学部教授。平成11年天台宗の死刑制度に関する特別委員会委員長として死刑廃止を提言。また「パーリ語仏教辞典」を編纂。著書に「仏陀と人間」「仏教興起時代の思想研究」「業思想研究」「仏教の伝説」「インド仏教」ほか。
                     き き て   有 本  忠 雄
 
有本: 愚かさ、無知によって、迷いの生活の根底がある。執着によって老死という悲しみ、嘆き苦しみ、憂い、悩みが起こる。愚かさのない時、迷いの生活の根底がなく、執着のない時、老死という悲しみ、苦しみ、憂いがない。このようにして私に正しく見る智慧が生じ、私の心の解脱は不動となった」。
十二月八日は、今から二千五百年程前に、ブッダ(仏陀)が悟りを完成した日と言われます。各地の寺院ではこれに因(ちな)む成道会(じょうどうえ)への法要や行事が行われ賑わいます。例えば、ここ京都の千本釈迦堂でも、毎年この日には中風に罹らないようにと、大釜で煮た大根を食べる”大根だき”が催され、境内は釈迦の成道(じょうどう)を偲ぶ大勢の人達で賑わいます。そこで、今日は仏教学者の雲井昭善さんにブッダの成道について伺うことに致します。先生、どうぞよろしくお願い致します。
 
雲井: よろしく。
 
有本: 今から二千五百年程前、ブッダが悟りを開かれた成道の日と言うことなんですが、ブッダが悟ったと言いますか、成道というのはどんなことなんですか。
雲井: そうですね。”成道(じょうどう)”というのは”道を成就する”ということですけれども。平たく申しましたら、”悟った”、或いは”目覚めた”ということですね。では何に目覚めたかと言うことですね。これは人生の最大の問題であります”生と死の問題”ですね。仏教で申しましたら、”生死(しょうじ)”と言いますけれども、生死の問題を、どういうふうに解決出来るかと。そのことを釈尊は悟られたと。つまり問題を解決される方法を、自分なりに体験されたということでございますね。
 
有本: 現代も勿論そうですが、当時もやはり死を忌避(きひ)すると言いましょうか、避ける、或いは死への恐れというのはあったんでございましょうね。
 
雲井: そうですね。死の問題はお互いに永遠の別れということで、どなたも恐怖と言いますか、恐れを持つわけですね。釈尊も悟られる前ですね、こういう一つのお考えを持っておったということを、後(のち)になって、つまり成道されてから後に、お弟子さん達に話されたお経があるんですね。それを見ますと、「自分は若い頃に町に出て、歳の老いた老人と、病に喘いでいる病人と、そして死人を見た」と言うんですね。「その時に、自分は若いものですから、老人と言え、病人と言え、死人と言え、自分は歳を老いることも、病むことも、また、死ぬことも、まだ遠い未来のこと、つまり今の自分とは関わりのないものだという気持があった」と言うんですね。それをご自分では、「老人に対して、若いという若さの驕(おご)り(驕慢(きょうまん))」ですね。それから「病人に対しては、自分は健康だというその考え方、驕(おご)り(驕慢(きょうまん))」ですね。「死人に対しては、命があるという驕(おご)り(驕慢(きょうまん))」。この三つの驕(おご)りがあったと、そういうふうに告白されている。「しかし、やがて自分も老い、病み、そして死んでいく身であるということに気がついた時に、こういう考え方は自分には相応(ふさわ)しくない」ということを感じとって、そして自己を告発と言いますか、自己批判をされたわけです。そういうことで、やはり若い時は、どうしても人間というのは、まだ死の世界とは遠い先のこととして、誰でも避けて通ると言いますか、頭に考えないという考え方が、釈尊の場合も、おありになったんじゃなかろうかと。釈尊も人間ですからね。
 
有本: 釈迦は釈迦族の王子として生まれるわけですね。多分豊かなと言いましょうか、生活をなさっていた釈迦が、何故出家までしてという、大変大きな疑問と言いましょうか、問題があるやに思うんですが。
 
雲井: そうですね。その当時のインドの社会では、跡継ぎの子供さんが出来ると、当時の一般的な生活の一つのコースですね、ライフコースですか、遊行(ゆぎょう)生活というものに入っていくわけですね。ですから、釈尊の場合も、その遊行生活に入られるということは、当時の社会一般の考え方から見れば、必ずしも特殊ではないと考えてもいいんではないかと。ただ、国王となる地位を捨てたというところが、大いなる選択、決断だと思いますね。おっしゃるように、帝王学ですね、王子の時ですから、その当時の学問、武術、そういうものを全て学ばれたし、それから、ご両親も何不自由ないように、例えば、暑い時には、暑い為の宮殿ですね。雨期が多いですから、雨期の時は、雨期の宮殿。冬の時には、冬の宮殿。そういう宮殿を造って、そして何不自由ない生活を釈尊の為になさっておられたようですね。だけど、やはりどうしても、自分の行動の中に、先程申しました生と死の問題ですね。人生の最大のテーマに対して、やはり、どうしても道を求めていく遊行者の生活というものに心を惹かれたようですね。インドの当時の都・町ですね、大都市と言いますね。城壁を囲んで一つの町の形をとる。東南西北という門が、四門(しもん)があるわけですね。その門から出掛けられて、最初に老人をご覧になった。南の門から病人をご覧になった。西の門、西というところは太陽が沈むところですから、そこで死人を見た。最後に北の門から出て、そこにたまたま出家、遊行者ですね、出家している修行者をご覧になって、その顔の清々しい姿を見て、そこでいよいよ決断ということになったわけですね。
 
有本: 二十九歳で出家して、そして三十五歳ですか、いわゆる悟りを開かれるまで、どんな修行をさなったんですか。
 
雲井: ここに『スッタニパータ』という経典がございましてね、その経典の中に、
 
     眼ある人(釈尊)はいかにして出家したのであるか、
     かれはどのように考えたのちに、
     出家を喜んだのであるか、
     かれの出家をわれは述べよう。
     「この在家の生活は狭苦しく、
     煩わしくて、塵のつもる場所である。
     ところが出家は、ひろびろとした野外であり、(煩いがない)」
     と見て出家されたのである。
        (スッタニパータ:〜出家三・一〜)
 
これは阿難(あなん)(アーナンダ)、お弟子さんのアーナンダ(阿難)の言葉として伝えられるものですが、釈尊は、「「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家は、ひろびろとした野外であり、(煩いがない)」と見て出家されたのである」。これは非常に古い経典の中の一つの言葉でございます。『スッタニパータ』という経典の中に出て来るんですけれども。そういうふうにして、釈尊は出家されまして、当時の修行者が一般に歩んでいた実践、これは”禅定(ぜんじょう)を修(おさ)める”か、”苦行(くぎょう)する”かの二つですけれども、この二つの道をとられたわけですね。
 
有本: 「この在家の生活は」というカギ括弧の中が、いわゆる釈迦の言葉ということですが、「この在家の生活は」というのは、お釈迦様の生活ということですか、それとも一般市民の生活ですか。
 
雲井: それは一般市民の、自分を含めて一般市民の生活と思われますね。つまり一般の社会というものは、何時の時代でもそうですけれども、富とか、権力とかですね、そういう蠢(うごめ)いている世界ですね、そういう世界、同時に自分はまた太子として、国王になる関係に置かれておりますから、そういう生活一般を、やはり指して、この在家の生活というのは、家庭生活いろいろと煩いが多いと。それよりも広い野外で、飛び込んで見たいと。これはおそらく自分の精神の問題と同時に、全ての人の精神の問題に関わるわけですから、そういうことで野外の生活の出家の道を選ばれたと、そういうふうに私は解釈しているんですけれどもね。
 
有本: 出家を決意なさる。それは非常な選択である。しかも大きな選択である、とおっしゃいましたけれども、出家なさって、具体的にはどんな修行をなさるわけですか。
 
雲井: そうですね。その頃のインド、釈尊の在世時代ですね、修行者がどういう修行方法をとっておったかと言うと、二つあるんですね。一つは”修定(しゅうじょう)”と言いまして、禅定の定(じょう)を修(おさ)めると書くわけですけれども。禅定に入ることによって、つまり、コンセントレート(concentrate)することによって、精神の高まりですね。つまり、”もう自分は何も思わない、無念無想、何も思うのでもない、思わないでもない”というような、そういう高い境地まで精神を高めていくという方法ですね。もう一つは”自分の肉体をさいなまして、痛めて、そして霊の解放”と言いますか、そういう方法を模索した。これが二つの当時の修行方法ですね。
 
有本: 精神的な修行と、肉体的な修行と。
 
雲井: そうそう。肉体的な修行が、当時一番盛んに。現在インドに行きましても、実際にそういう苦行なさっておる修行者を見ることが出来ますけれども。これは大変な苦行でして、最終的には苦行によって、肉体を痛めてしまうわけですから、そうすると、最終的には死を待つよりしかたがないわけですね。一方の禅定、修定にしてもですね、その精神的に高めていくことが出来ても、その状態が永続しない。ある時点でそういう境地に達することが出来ても、そこからまた退くかも分からない。その点でその二つを非常に熱心に修行され、苦行されたと。釈尊の言葉では、「私は誰にも劣らない修行した」と、そういうふうに経典は伝えておりますけれどもね。
 
有本: その結果は如何なんですか。
 
雲井: はい。そこがですね、釈尊の独自の、また、これから道を求める方法になってくるわけです。釈尊は、自分は修定と苦行ですね、「修定と苦行を一生懸命やったけれども、それは本当の智慧に導くことはない」と。同時に又、最高の安らぎの状態、”涅槃(ねはん)”と言いますけれども、「最高の安らぎに至っていく、その道じゃないということに、自分は気が付いた」と。そこで苦行と修定を捨てて、そして”自分独自の瞑想の方法”ですね、”三昧(さんまい)”に入って、新しい方法を考えていくという方法をとられた。
 
有本: どんな方法を今度はお取りになるわけですか。
 
雲井: これが、”瞑想”をですね。つまり身心一如の立場で、苦行によって、もう身体が疲れてしまったわけですね。そこでブッダガヤー、釈尊の悟られた処ですけれども、ブッダガヤーの近くに尼連禅河(にれんぜんが)という川がありまして、その向こう側に前正覚山(ぜんしょうがくざん)、インドにいらっしゃった方は聞くと思いますけれども、悟られる前の山という山がありまして、その山で苦行されておったのを、止めてですね。尼連禅河(にれんぜんが)に下りて来られて、そこでガヤーの村のスジャーターという娘さんから乳粥(ちちがゆ)ですね、それを戴いて、先ず肉体的な回復、今で言えば、リフレッシュしてですね、そしてブッダガヤー近くの菩提樹の下で、静かに瞑想にふけられて、”何故、私は生老病死ということに対して、苦しむのであろうか”、ということを静かにお考えになられたわけですね。
 
有本: で、十二月八日、菩提樹の下で悟りを開かれるということなんですが、まあ最初、生死ということなのだということなんですが、もうちょっと詳しく悟りの境地をご説明頂けませんか。
 
雲井: これはですね。釈尊の、これは仏教の一番基本になる考え方ですけれども、”縁起(えんぎ)という教え”なんですけどね。
 
有本: 縁起がいいとか、悪いとか。
 
雲井: そうですね。世間では縁起がいいとか、悪いとか、どうもちょっと変わった呼び方をしていますけれども。一番基本になるのは、”縁起説”。最後に、これは十二縁起という、”十二因縁、乃至十二縁起”というふうに、お悟りの内容をつめているんですけれども、それの一番要約したものに、こういうことを言っているんですね。
 
     これあるときかれあり
     これ生ずるときかれ生ず。
     これなきときかれなし。
     これ滅するときかれ滅す。
       (サンユッタ・ニカーヤ)
 
これは『サンユッタ・ニカーヤ』という、ニカーヤというのは『阿含経(あごんきょう)』ですから、阿含の中の南方仏教に伝わっております『サンユッタ・ニカーヤ』の古い言葉ですけれども。もう少し詳しく申しますと、十二の十二縁起と、十二の支分からなっているわけですね。先程、言われましたような、一番初めに自分が生死の苦しみが、何故あるかということを、ずうっと辿っていって、最後に”無知”があると。”無明(むみょう)”という仏教語ですが、無知があると。”無知、愚かさ”ですね。愚かさというものによって、迷いのある人間生活を形作る行為があると。そして”行(ぎょう)”と言うんですけれども、行為の行。行によって、”識”、つまり対象に向かって動いている心があると。識によって、”名色(みょうしき)”、名称と形態をもった対象があると。今度は対象を受け入れる為に、”六つの感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)”というものがある。六つの感覚器官によって、外界と心のとの接触する、”接触”というものがあると。
 
有本: 六つの感覚というのは眼だとか、耳だとか、そういうことですね。
 
雲井: そうそう。で接触によって、心による外界の感受、受け入れる”感受”というものがあると。感受することによって、一番初めに無知、愚かさがあるものですから、そこで”渇愛(かつあい)と欲望”が現れてくる。で渇愛によって、”執著(しゅうじゃく)”が起こってくる。とらわれるという心ですね。その執著(しゅうじゃく)によって、”生存”というものがある。その生存によって、我々の生まれという、”出生(しゅっせい)”というものがあると。出生する、生まれるということによって、”老死”という苦しみが起こってくる。これは無明から始まって、”生老死の苦”までの、一般に仏教では”順観(じゅんかん)”と言っているんですけれど、順ずるですね。それに対して、逆に無明があますところなく、消滅していくと、つまり智慧によって、消滅していくと、順次に行(ぎょう)が、行為を形づくるものですね。それから我々の認識とか、対象とか、最後に老死の苦しみというものが、無くなってくる。つまり無明によって、行がある。乃至無明によって、生老死の苦がある。無明が無いときに、生老死の苦がない。そういうことになるわけですね。これは十二縁起、十二支縁起(じゅうにしえんぎ)と言っておりますけれども、それを要約しますと、
 
     これあるときかれあり、
     これ生ずるとき、かれ生ず。
     これなきとき、かれなし。
     これ滅するとき、かれ滅す。
 
というこういう詩でもって結ばれたわけでね。ですから、例えば、私なら私が、両親によって、生まれた。これは縦の関係ですね。しかし私がなんと言いますか、ここにあるということは、小さいときから今日まで、色んな方の縁によって、今ここに、横的なですよ、空間的なそういう縁に支えられて、今日あるわけですね。ですから、”因と縁”というものをですね、これを大事にするのが縁起の教えですね。もう少し平たく申しますと、例えば、ここに朝顔の種があるとしましょう。朝顔の種というのは、朝顔の花を付ける為に、朝顔の種がなくちゃ花が咲きませんね。今のDNDでは他のことになるかも知りませんけれども。朝顔の種をアスファルトとか、机の上に置いておいたところで、因があっても花が咲きませんね。土の中に種をやっぱり植え付ける。しかし土の中に種を植え付けただけで、朝顔の花が咲く場合もあるけれども、咲かない場合もありますね。例えば、鳥が飛んで来て、種を啄(ついば)んでしまえば、食ってしまえば終わりですね。ですから、その縁(えん)に熱と太陽の光とか、水とか、或いは綺麗な花を咲かしたいという、色んな世話があってですね、縁ですね、これがあって初めて花が咲く、そこのところですね。
 
有本: 菩提樹の下で悟りを開かれた。それは生死の問題であるというふうなことでした。じゃ、生と死というふうなことで言えば、今の縁起説はどんなふうに。
 
雲井: 生と死というのは、一般には、我々でも、何か先程申しましたように、死というのもを、生とかけ離れた遠いところにある。
 
有本: 対比している。
 
雲井: ええ、対照的に見がちですけれども、これで申しますと、生があるときには死がある。死があるときには生があるわけですから。何時も死というものは、生の向こうに対照的にあるんじゃなしに、”常に生を考える時には、死を考えていく”という、そういう考え方ですね。これがやはり生と死との捉え方ですね。釈尊は、ですから、”生と死とを、生があるから、死があるんじゃなしに、生によって、死あり。生あるとき、死あり”ですから。その考え方で申しますと、”常に死を受け入れる、死をも受容する、死を見定める気持を、生きながら常に捉えておられた”と、こういうように申し上げていいんじゃないかと思いますけれどね。
 
有本: 本当に、現代でも生と死というのは切り離しがちですが、お釈迦様は生と死を切り離さないということなんですね。
 
雲井: どうしても、人間というのは自分だけは例外でありたいという、そういう欲望を持ちたいものですがね。しかし、必ず生きながら死を背負っていくと言いますかね。だから、そういう気持を、もう既に釈尊は、悟りの時点で、はっきりと掴まえた。そういうふうに思いますね。
 
有本: 生死一体、或いは縁起説について、古い仏典の中には、何かおっしゃっているんですか。
 
雲井: はい。生と死というのはですね、例えば、その当時の修行者が修行する場所ですね、大体静かなところで修行しますね。森林とか、野外とか、野外でも窟(くつ)の中、洞窟(どうくつ)の中とかね。釈尊は「墓場、死体のある墓場で、修行しなさい」。それはどういう意味かというとですね。「常にその死を見つめ見定めて、今の自分の生を問いなさい」と。そういうことを言っておられるわけですね。だから、そういう十二縁起で言われた「縁起という法を常に見ていけ」と。そういう修行の仕方を勧(すす)められたと。で、「縁起を見るものは法を見る、法を見るものは縁起を見る」。これが『マジマ・ニカーヤ』の言葉ですけれども、『ニカーヤ』の経の中に、
 
     縁起を見る者は
     法を見る。
     法を見る者は
     縁起を見る。
      (マジマ・ニカーヤ)
 
絶えず頻繁に出て来る言葉ですけど、法というものは、代表は”真理”ですね。仏教には無数の法がありますが、代表すれば、これは縁起であると。「縁起を見るものは真理を見るんだ」と。「真理を見ようとするものは縁起を見るんだ」という言葉が、経典の中に頻繁に表れてくるわけですね。
 
有本: 法というのは、その真実の道、真理の道ということなんですね。お釈迦様は八十歳で亡くなるわけですが、いわゆる三十五歳で成道ということですが、八十歳まではどんなふうに教えを広められたわけですか。
 
雲井: インドというところは、インドへいらっしゃった方はお気付きのように、日本と違いまして、環境、風土ですね、非常に生活に厳しいところですが。そこで三十五歳から八十歳、四十五年間の間、釈尊はインドの、主として東部から中部に亘(わた)ってですけれども、伝道生活に入るわけですね。伝道生活に入るわけですけれども、やはり自分が悟った法、”縁起の教え”というものを、先ず誰かに伝えたいという気持が湧いてきたと思うんですね。勿論、釈尊は自分が出家する時は、自分の悩みを解決するという気持だったと思うんですね。ところが気が付けば、生死の問題は万人に共通のテーマであるということで、何とかこの自分の悟った教えを、人々に告げたい、という気持がおありになったんですね。縁起説というのは万人の、万人というよりも、”普遍の真理”ですね。釈尊は、「自分が作ったものではない、縁起の法を見出したんだ」と、こう言っているわけですね。そういう”普遍の真理”というものを、誰に先ず伝えようかということを考えられて、かつて自分が禅定を修めた時のお師匠さんを思い出したわけですね。これは当然、師に対する報告としてね。ところが師匠はもう亡くなっている。次に思い浮かんで来たのが、自分と一緒に修行しておった五人の修行者ですね。そのことを思い出して、それでバーラーナシーに向かわれて、そこで、かつて自分と修行、苦行しておった五人の修行者に、最初の説法をなさるわけですね。経典では『初転法輪(しょてんほうりん)』というお経でございますけれども、最初の説法ですから、非常に内容的に、かなり深いもんだと思いますね。その『初転法輪(しょてんぼうりん)』というのは、”四つの真理の教え”と、それから”八つの実践の教え”ですね。その”四つの真理”というのは、先ず現実が苦しみの世界であるということの認識ですね。つまり結果である”四苦八苦(しくはっく)”と言われる苦しみの世界ですね。
 
有本: 苦諦(くたい)ですね。
 
雲井: ”苦諦”ですね。苦という諦(たい)、”諦(たい)”というのは真理ということですけれども。では次に、何故その苦の原因があるかということを”集諦(じったい)”。集諦(じゅうたい)、集まるという字で集諦(じったい)と読みまして、集諦(じったい)と。苦しみの原因として渇愛(かつあい)として”欲望”ですね。それと無知の”無明(むみょう)”と二つがある。では悟った状態はどうかというと”滅諦(めったい)”と言うんですね。無くなった滅。滅という真理。それは最高の安らぎと言われる”涅槃(ねはん)の世界”。そして最後に四つ目に、じゃ、そこへ行く為にはどういう方法、つまり実践の道ですね。どういう道があるか。つまり、苦しみを滅する実践の道(どう)として”道諦(どうたい)”。道という真理ですね。これを、”四聖諦(ししょうたい)(苦・集・滅・道)”というわけです。では、四聖諦の一番大事な実践への方法は何かと言うと”八正道(はっしょうどう)”と。八つの正しい実践道ですね。
 
有本: 道諦の実際の教えということになるわけですね。
 
雲井: 道諦の内容ですね、
        
     八正道(はっしょうどう)
 
     正しい見解(正見(しょうけん))
     正しい思惟(正思惟(しょうしゆい))
     正しいことば(正語(しょうご))
     正しい行ない(正業(しょうごう))
     正しい生活(正命(しょうみょう))
     正しい努力(正精進(しょうしょうじん))
     正しい念(おも)い(正念(しょうねん))
     正しい精神統一(正定(しょうじょう))
 
それは正しい見解、これは”正見(しょうけん)”ですね、正しい思惟、”正思惟(しょうしゆい)”。正しい言葉、”正語(しょうご)”。正しい行い、”正業(しょうごう)”。そして正しい生活、”正命(しょうみょう)”。命(みょう)というのは命(いのち)というんですけれども。正しい生活、”正命”。正しい努力、”正精進(しょうしょうじん)”、正しい念(おも)い、”正念(しょうねん)”。正しい精神統一、”正定(しょうじょう)”。この八つですね。この八つは釈尊は”中道(ちゅうどう)”とおっしゃっておられるんですね。真ん中の道、中道。自分は中道によって、法を説く。即ち八正道であるということをおっしゃっておりますね。
 
有本: もうちょっと平たくお話を頂きますと、どういうことになりますでしょうか。
 
雲井: これはですね。平たく申して、釈尊は経典の中で、「偉大なる医師だ」と、「お医者さんだ」と。「良医」という言葉が、経典の中によく出て来るんですね。それは医者は、先ず患者の病気の現状を診て、その次にどこに病気の原因があるかという原因を見つけて、じゃ、これを治すにはどういう方法があるか、つまり治療があるかという、そして最後に健康の身体にもう一度返すということですね。釈尊のことを”大医師”ということに、良医、或いは医師というふうに喩える場合があるんですけれども。ですから人間の苦しんでいるという現実を、何故苦しんでいるのかということを考えて、じゃ、その現実を、どういうふうに展開していけばいいかという方法ですね。模索していく。これが四聖諦、八正道の教えだと思いますね。
 
有本: お釈迦様は名医であると。成る程。
 
雲井: これはやはり、正命(しょうみょう)、正しい生活ですね。先程申したように、生活の上に具体的に実行され、現れてこなくちゃ仏教の教えを受け取ったということにはならないわけですね。ですから、先ず正しい見解があって、 それを日常生活の上に具体的に現して、その精神を忘れずに、ずうっと続けていくということですね。ですから、経典の中にこういう喩えがあるんですけれどもね。私の好きな喩えの一つですけれども、ある旅人が広い原野(げんや)ですね、広野を彷徨(さまよ)って、暑いところで喉が乾いてしかたがないわけですね。どこかに水がなかろうかと思って水を探していくわけですね。そして探し探し探しあぐねた末に、小さな井戸を見つけるわけですね。ひょっと底を覗くと、そこに、井戸水が漂っておった。旅人はその井戸水を見て、「あ、水だ!」と喜んだんです。しかし果たして、それで喉の乾きが取れたでしょうか。”甘露(かんろ)の水”と言いますね。その甘露(かんろ)の水は自分が飲み干してこそ、初めて喉の乾きが取れるわけですね。ですから、真理の教えというものを見るだけでは、もとより見ること、聞くことは大事なことですけれども、それを自分が実際に日常生活に体験して、生活の上に具体的に日常の生活の中で現れてくる。そういう生き方こそ大事であるということを、今の旅人の喩え、井戸水の喩えで申し上げたわけですけれども。ですから、釈尊が”如実知見(にょじつちけん)”、ものをありのままに見ていく知見を、つまり智慧ですね。真実の智慧というものを、「単にものを対照的に見るんじゃなしに、自分のものとして、具体的に受け止めなさい」ということをおっしゃるわけですね。
 
有本: 最初の説法、初転法輪では、五人のお弟子さん達、お弟子さん達も高僧ですから、いろいろ理解はするんでしょうけれども、今のお話のように頭だけじゃダメだよということで、厳しくお弟子さん達に説かれたわけですね。
 
雲井: どうしてもお弟子さんは、釈尊の教えというものを身に付けていかなければなりませんね。最初に初転法輪(しょてんぼうりん)で、五人のお弟子さんが出来まして、釈尊を入れて六人、それで初めてサンガというものが、僧伽(ソウギャ)というものが出来るわけですね。それからだんだんと広まって来るわけですけども。その時に釈尊の言葉があるわけですね。それは、
 
     (汝(なんじ)ら)比丘(びく)たちよ遊行(ゆぎょう)せよ。
     多くの人たちの利益(りやく)のために、
     多くの人たちの安楽のために、
     世の人びとの哀愍(あわれみ)のために、
     人(にん)・天(でん)の義理、利益(りやく)、安楽のために、
     二人して一つの道を行く勿(なか)れ。
       (長部(ちょうぶ)経典第二巻)
 
 
「汝ら、比丘たちよ」比丘というのは修行僧ですね。「汝ら比丘たちよ遊行せよ。多くの人たちの利益のために、多くの人たちの安楽のために、世の人びとの哀愍(あわれみ)のために、人・天の義理、利益、安楽のために、二人して一つの道を行く勿れ」。これは”伝道宣言”と、私は受け止めておるわけですけれども。こういう気持ちで、釈尊の伝道宣言を受けて、五人の比丘がだんだん広がって、そうして大乗(だいじょう)経典の中に、きまり文句で出て来ますですね。「ある時、仏はどこそこに在(ましま)した」と、「千二百五十人の比丘と共に在(ましま)した」という言葉が出て来るわけです。そういうふうに教団が初め五人から、だんだん大きくなってくるわけですね。
 
有本: 多くの人達の利益(りやく)の為に、多くの人達の安楽の為、世の人々の哀れみの為にということで、多くの人、世の人々を強調していらっしゃるんですね。
 
雲井: ですから、出家の時点では、自分一人の、おそらく人生観の解決だったと思うんですね。しかしお悟りになって、世の多くの人達の為に、つまり自分の教えというものを広く大衆と共にですね、つまり開かれた宗教として、閉鎖されたじゃなしに、大衆と共に歩んで行く、そういう一つの立場というものを捉えられたと思いますね。
 
有本: 当時、大衆に説法するというふうなことは、なかなかなかったということなんですが、ご苦労もあったわけですね。
 
雲井: ですから、釈尊が悟られて、後に、仏伝(ぶつでん)の中で悪魔が出て来ましてですね、「お前はもう一人で悟ったんだから、もう一人で去れ」とこう言うわけですね。その時、釈尊は、「まだ去るわけにはいかない。自分の教えを広めて、自分の弟子達、将来の弟子達が全てそれを実行するまでは、なかなか涅槃に入ることが出来ない」と。大衆に説法することを決意したわけで、これは大変な勇気ですね。その時に、大衆に説法する一つの心得ですね。お弟子さん達が、勿論、釈尊の教えを聞いているわけですから、十分わきまえていると思いますけれども、その一つの心得として、こういう言葉を残されているわけですね。それは、
 
     足(た)ることを知り
     人びとに対して
     害する心なく
     生きとし生けるものに対して
     自制することは楽しい。
     世間に対して
     貪(むさぼ)る欲望を捨てて、
     「われがわれが」という
     慢心を制することは
     この上もない
     楽しみである。
       (ウダーナ)
 
『ウダーナ』というのは、釈尊が経典に、説法ではなしに心の中から燃え上がってきたものを書かれたもの。”自説”、自ら説くというウダーナ。そういう心でもって、ここで一番大事なことは、貪る欲望を捨てて、足ることを知って、そして生きとし生けるもの、人間だけでなしに、生きとし生けるもの、凡そあらゆる全て、人間を含めて生物全てのものに対して、我が我がという慢心を捨てて、欲望をコントロール(contorol)していくことが楽しいと、そういう気持で、お弟子さん達が伝道に励まれたと。釈尊を初めとしてですね、と思いますね。
 
有本: まあ、ほんとに近代に問われる伝道でもあるわけですし、少欲、知足とでも言うんでしょうかね、なかなか欲望には切りがないし、
 
雲井: そうですね。
 
有本: 足りたという心境になかなかなり得ないんですけれどもね。
 
雲井: 釈尊はさっき申したように、千二百五十人と言いますけれども、釈尊のお弟子の中で、十人の代表するお弟子さんがおられるわけですね。”十代弟子”と呼んでおりますけれどもね。その中に、摩訶迦葉(まかかしょう)という、大迦葉(だいかしょう)という一番長老のお弟子さんがおられて、この人は釈尊のお弟子さんの中で、衣食住について欲望を捨てた第一人者だと呼ばれておった方ですね。その摩訶迦葉(まかかしょう)が、常にそのボロボロの衣を身に付けて、そして伝道に励まれる。釈尊は「大迦葉よ、お前はもう歳がいって、その衣では重いだろうから、もっと新しい衣を付けたらどうか」と、こう言うわけですね。それに対して、「いえ、私はこのボロボロの衣で十分です。私にこれが一番相応(ふさわ)しいです」。そして衣食住について欲望を捨てたと。つまり、”少欲(しょうよく)、知足(ちそく)”。少欲、知足ということは、釈尊の時代の修行者、出家の教団ですから、托鉢に行って、托鉢食(たくはつじき)で生活するわけですから、色んな意味がありますけれども、やはり人間の欲望というものは、先程おっしゃったように、一つを求めれば、また次のものも欲しがる。これは、求めればまた次のものを欲しがるというふうに切りがありませんね。欲望というのは際限なく続くわけですね。その中で最小限のそういう生活を保っていくという気持が、もう一度現在、我々が考えるべきことではなかろうかと思いますね。どうしても、何と言いますか、つい、社会の風潮に慣らされて、そういう精神を忘れてしまうのが人間であろうかと思いますね。
 
有本: 八十歳で亡くなるわけですが、まあお釈迦様ですから、自分の死期(しき)をお感じになると言いましょうかね。或いは、いよいよこれが最後の説法だよというようなことで、遺言的なことはおっしゃるんですか。
 
雲井: ええ。釈尊は、『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』という経典の中に縷々とですね、伝えておるんですけれども。それは釈尊がマガダ国の王舎城(おうしゃじょう)のところの霊鷲山(りょうじゅせん)を出発して、最後は故郷の釈迦国の都、カピラ城という所へお帰りになる旅をなさるわけですね。八十歳ですよ。その道中のクシナガラというところですね。クシナガラのサーラ(沙羅)の双樹という木に寝床を作って、沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で病に罹られて、最後の死を迎えられるわけです。やっぱり八十歳の人生を回顧されるわけですね。そして自分が歩んで来た道を振り返って、「どこそこは楽しかった。あの街は思い出がある」ということを、阿難に語られるわけですね。阿難というのは二十五年間くらいですね、釈尊の側に付いておられた一番その身の回りの世話をなさったお弟子さんですけれども。聞法(もんぽう)第一、法を聞くこと第一と言われるお弟子さんですけれどもね。その阿難が、釈尊に、「もう少し命を長らえて頂けないでしょうか」と、こう言うんですね。釈尊は、「生まれて来たものは必ず死ぬ。生あるものは滅するんだ。それは何時もお前に話していることではないか」と、こう言って、窘(たしな)められる。そして、こういう言葉を釈尊は阿難に遺言として、残されるわけですね。それは,
 
     アーナンダよ、それ故に、
     この世にありては
     自らを灯明(とうみょう)・洲(しま)とし(自灯明(じとうみょう))、
     自らをよりどころとし(自帰依(じきえ))て
     他人をよりどころとせず、
     法を灯明・洲とし(法灯明)、
     法をよりどころとし(法帰依)て
     他のものをよりどころとせずにあれ。
(       阿含経典 仏伝)
 
これは『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』の中に出てくる有名な言葉です。これは「比丘たちよ」という言い方もあるわけですね。いずれにしましても、日本の仏教界では、”自帰依、自灯明、法帰依、法灯明、つまり、釈尊の真理というものを鏡として、灯明(ともしび)として、その真理をよりどころとして、生きなさい”と。これから後は、”自らを灯明(ともしび)として、自らをよりどころとしなさい”ということをおっしゃったわけですね。
 
有本: アーナンダ(阿難)、或いは、比丘達はこの遺言をこう受け止めてどんな心境だったでしょうかね。
 
雲井: はい。ここで、”自らを灯明とする、自らをよりどころとする”ということですね。ともすれば、自分をたよれと、自分の好きなようにしろというふうに理解しがちです。そうじゃないので、『法句経(ほっくきょう)』、ダンマパダと言われておる法句経典の中に、「自己のよりどころは自己である」と。自分のよりどころは自分である。「その自分は、よく調(ととの)えられた、調御された自分が自己の主(あるじ)である」という言葉を『法句経』の中に言っているわけですね。つまり、欲求、欲望に基づいて生存の快楽にとらわれたような自分では解脱がないと。解脱するのは自分であるけれども、欲望に基づいたそういう生き方では解脱出来ないと。と言って、他人が解脱をさせるものではない。自分が大事だということを言われている。それが「自らをよりどころとせよ、自らを灯明とし、帰依し」、自帰依、自灯明ということになるわけですね。もう一つ、その釈尊は最後の言葉として、いよいよ息を引き取られる時に、残された言葉が、
 
     さあ、修行者たちよ、比丘たちよ、
     われはお前たちに告げましょう。
 
どういうことを告げるか。
 
     およそ因縁によって生じたものは
     因縁が壊れれば滅するものである。
 
つまり、”諸行無常(しょぎょうむじょう)”ということですね。生じたものは滅するものである。
 
     汝らは怠ら(放逸)ず道を励め
 
と、怠ら(放逸)ずですよ。それは、もう少し他の言葉で補いますと、人間というのは、どこかに隙が出来るわけですね。「隙があれば、必ず悪魔が」”悪魔”というのは心の中のエゴ、それが「飛び込んで来るから、常に怠ら(放逸)ず、修行せよ」という、こういう言葉を残されて、八十歳で完全なる涅槃、大般涅槃(だいはつねはん)に入られた。非常に厳しいけれども、私達に切々と訴えるものがあると思いますね。「阿難(アーナンダ)」とか、「比丘たちよ」と言われているけれども、私自身にですね、問いかけている、与えられた遺言として、受け止めておるわけなんですけどね。
 
有本: 確かに、涅槃図を見ますと、先程の生きとし生けるもの、人間だけじゃなくて、小鳥や動物達も涅槃図の中に出て参りますよね。
 
雲井: だから、何回も、その土地の人は最後の涅槃に入られる時に、「どうぞもう暫く命を留めて下さい」。皆、頼むわけですね。その時には「必ず生あるものは滅する」と。「今迄、私の説いた法というものを」、法の鏡ですね、「鏡として受け止めて欲しい」と、これが最後のお言葉だったんですね。
 
有本: お釈迦様の成道の前後を、それから中味、そして入滅ということを、短時間の中に伺って参りましたけれども、そのお釈迦様の成道、現代を生きる我々はどう受け止め、或いはお釈迦様は現代人に、何をこう訴えたかったでしょうかね。
 
雲井: 成道というのは、釈尊がお悟りになった日でございますけれども、これは二千五百年という一つのタイムを通り越してですね、今、生きている私達の一人一人に問いかけている生死の問題のテーマだと思いますね。釈尊は丁度その道を自分なりに確かめられたこと。それを万人共通のテーマとして、教えられたと。ですから、先程ありましたように、法を灯明とする。法に帰依するという、その気持ちですね。真理に何時も自分は照らしだされながら、自分の生存というものを確かめていくこと。もう少し具体的に申しましたら、生と死というものを、相対立するものとして見るのではなしに、生きながら、常に死を受け止める。死を受容する。そういう心掛けで、そうして一方において、生を充実する。生きているということの意味合いを、十分受け止めて、同時に生かされて、生きているという、その命の尊さ、そういうものを十分に受け止めて、一日の生活を、やっぱり十全ならしめるような、そういう気持を訴えられているのではないかと。私達に、釈尊の成道を通して、そういうふうに問いかけていると考えますね。
 
有本: ”生死一体”というふうな言葉が、悟りの根本であるというお話でした。最近は対比するのではなくて、”生死一体”という考え方、現代人の中にもありますし、最近は、”死の教育”と言いましょうか、”death education”という言葉をよく言いますけれども。
 
雲井: そうですね。”death education””死の教育”ですね、嘗て十年程前は、”生き甲斐の探求”という言葉が流行ったんですね。流行語にね。この頃は死の受け止め方、特に、高齢化社会になってですね、私も高齢なんですけれども、高齢社会になって、老いというものを、死をどういうふうに受け止めるかということが、非常に問題になってきましたですね。死を軽視する状態から、死を十分に見つめていくという、”death education”、それからそれに続く”ターミナルケア”ですね。臨終に際するどういう受け止め方をするかと。そういうことが社会問題として掲げてきましたですね。まあ、仏教界でも、それから、医学の世界でも、その問題を、非常に真剣に受け止めておりますね。ですから、”生死事大(しょうじじだい)”。生も大、死も大、同時に生と死は”常道(じょうどう)”。常の道、”生死常道”と、或いは、”生(しょう)死一如(じいちにょ)”という言葉が、仏教の経典に出て参りますけれども、そういうことで如何に自分の生を充実させ、如何に死を受け止めるかということが、釈尊の成道会を通して、問われているんではないかと。で釈尊のダンマパダという、『法句経』の中にですね、一一五の偈(げ)に、
 
     最上の真理を見ないで、
     百年生きるよりも、
     最上の真理を見て
     一日生きることのほうが
     すぐれている。
       (真理のことば −ダンマパダ 一一五−)
 
勿論、ロングライフは大事です。誰しも長く生きたいですけれどね。しかし、たとえ一日でも、そういう気持ちで生きていくということが大事だ。経典の中に有名な言葉ですけれども、私達はどうしても、「あの時は良かった」と、過ぎ去った過去を回想し、懐かしむわけです。そういうことも大事ですけれどもね、
 
     過去を過ぎ去ったことを追うなかれ
     未来を頼むなかれ。
     ただ現在を観察して
     今日まさになさるべきことをなせ
     誰か明日の死を知るべきや。
 
という有名な詩がございますけれどもね。ですから、今日一日、今の自分を一つ振り返って見る。一つのよすがとして、或いは契機としてですね、本日の釈尊の成道会を受け止めることが出来れば、私は成道会の意義というものが、単に仏教の寺院でなされる行事、セレモニーとして受け止めないで、一人一人につきさした一つのテーマとして、受け止めていくことが、この成道会の意味合いじゃなかろうかと、そういうふうに思いますけれどもね。
 
有本: どうも有り難うございました。
 
雲井: どうも失礼致しました。
 
 
     これは、平成八年十二月八日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。