生命(いのち)を賛(たた)える
 
                             作 曲 家  荒 井  哲(てつ)
昭和四年に東京で生まれ、武蔵野音楽大学を卒業。多年日本の音色をいかした現代音楽を創りつづけてきた。代表作に「平家物語抄」「遊行」「観」などがある。
                          き き て  有 本  忠 雄
 
有本:  今日は嘗て東京から滋賀県の山間部に移り住む日本の伝統の音をベースに現代音楽を創ってこられた作曲家の荒井哲さんをお宅にお訪ねして、いろいろお話を伺います。お邪魔すると、いきなり庭に案内されました。
 

 
有本:  犬や猫がいるんですけれども、何匹、いま居るんですか。
 
荒井:  そうでございますね。犬が三匹、猫が九匹でございます。
 
有本:  はあ、やはり、いわゆる野良猫、野良犬の類(たぐい)もいるようですね。
 
荒井:  そうでございます。すべてがそうでございます。
有本:  全てが。
 
荒井:  やはり、あの子達も生命がございますし、命の尊さということを考えますと、ちょっと捨て置けないというような感じになりますね。
 
有本:  荒井さんだけでなくて、奥様の協力と言いますか、奥様の方がお好きなんでしょうか。
 
荒井:  はい、かえって家内の方が好きでございまして。ですからよく冗談に、「あなたがあの世に行ったら、犬や猫に銅像を立ててもらえるんじゃないか」なんて、そんなことをよくしゃべることがございますが。
 
有本:  最近は犬猫を飼っているお宅も多いんですけれども、小さい頃とか、自分でいろいろお世話出来る頃は可愛がりますけれども、まあ歳を取った犬猫ですと、ほんとに放り出すような方もいらっしゃるんですが。
 
荒井:  これは大変な問題でございまして、ご自分が最後まで面倒見られないようでしたら、初めから飼わないのが、私はよろしいと思うんですね。犬や猫は私達を非常に頼って生きているものですから。それを無碍に放してしまうということは、ちょっと人間の本当の心があればそのようなことをやらないんじゃないかと、私自身は思っております。特に捨てられる犬猫もそうなんですが、大体女の子が多いんですよね。ですから、そのまま放って置きますと、ネズミ算式に増えてまいりますし、大変な問題でございますね。動物というのは自分の子を命に代えても守る。非常に今、私達はこういう問題でとても大事な時に来ていると思うんです。やはり避妊手術とか、しなくては、猫或いは犬自身も困りますし、それからそれを飼っている周りの方々にも非常に迷惑をかけるということがございまして、私達のところでは避妊手術をしてから飼っております。
 
有本:  ところで荒井さんはお生まれは東京で。
 
荒井:  本籍は東京でございますが、群馬の方に幼い頃からおりまして、旧制中学校を卒業し、そののち終戦まで向こうにおりました。
 
有本:  終戦の年はお幾つでございましたか。
 
荒井:  十六でございました。
 
有本:  十六歳。その子供の頃から音楽家を目指していらっしゃったんですか。
 
荒井:  そうでございますね。今いろいろ考えてみますと、家の母が、私がお腹にいる時、いわゆる胎教と申しましょうか、その頃、箏(こと)を一生懸命練習したという、そういうことを後で聞かされまして、〈はあ、胎教というのは、なるほど、それはあるのだなあ〉ということを感じました。もしそれが無かったら、或いは違う職業を選んでいたんではないかなあというふうに思いますね。そしてまた教えて頂いた先生に、偶然いい先生にお会いしたということ、これがやはりとてもよかったように思うんですね。小学校五年生の時に、栗原という大変ピアノの上手な先生が担任になって頂きまして、その時に聴音(ちょうおん)と言いまして、ちょっとお分かりにならないと思いますが、ピアノの音を聞きまして、それをノートに取るわけです。これを聴音と申しますが、先生から出題されたものを、私自身はきっとこうだろうと思って書いておりますのが、全て当たっているらしいんですね。それで先生が「おお、君は随分前から音楽をやっているのか」ということを問われたことがございます。「いえ」と申します上げますと、「凄い耳を持っているね」ということを一言おっしゃられたんですね。それが音楽家になる決定的な言葉でございました。
 
有本:  そうですか。音楽大学に在学中に哲学の道へもというふうなことがおありだったようですね。
 
荒井:  そうでございますね。その動機と言いましょうか、私は多くの優秀な方とお付き合いさせていただきまして、特に僧侶と言いますか、僧籍を持ったお家の方とのお付き合いが多うございました。やはり知らず知らずの中に、そのような方向に惹かれて行ったというようなことがございますね。勿論、学生時代はヨーロッパの音楽が中心でございますから、それにはその一番基盤をなしているものが宗教ということで切り離すことが出来ません。その方の勉強もしたいと思いまして、ヨーロッパのいろんな方々の哲学の本を一生懸命読みました。ところがどうも日本人と合わないと言いますか、風土性に合わないと言いますか、そういうことを観じたんですね。私の友人がいろんな本を見せてくれますが、やはり東洋のものに惹かれていったといいますか、これがやはり今の現代音楽を、東洋の音即ち日本の音で構築するという原因だと思います。
 
有本:  ああ、そうですか。今、お話を伺っているお部屋が、荒井さんが作曲なさるお部屋でもあるわけですが、
 
荒井:  そうでございます。
 
有本:  お邪魔しまして、仏教辞典だとか、仏教音楽、或いは日本のお祖師さんと言いましょうか、親鸞(しんらん)さん、法然(ほうねん)さん、いろんな仏教者の書物があるんで、〈ええ、これが作曲家の先生のお部屋かなあ〉と実はビックリしたんです。
 
荒井:  お恥ずかしいです。
 
有本:  随分お読みになっていらっしゃいますね。
 
荒井:  はい。本は好きでございまして、一つの音楽を構築するのに、単なる自分の感覚だけでは非常に粗野のものが出来てしまう。やはり内面的なものから、音というのは創りあげなければならない。こう考えますと、このようないろんな書物を読むということに徹するようにしています。
 
有本:  そういう若き荒井哲さんが専門家の作曲家として歩まれますね。最初はどんな音楽を、どんな曲を作曲なさるんですか。
 
荒井:  そうでございますね。まあ、いろんなものがございましたが、例えば、日本の伝統文学と言いますか、特に、私は日本人であるという意識が非常に強うございますから、万葉集とか、古事記とか、日本書記とか、それから出来れば懐風藻(かいふうそう)などにも、音を付けたいというようなことを前々から思っておりました。ですから、東京から奈良や京都に三十年も、四十年近くも通いました。そしてやはりそういう中からきっとこうだろうというような考え方で音にしてまいりました。
 
有本:  例えば、仏教音楽ですと、声明(しょうみょう)とか妓楽(ぎがく)だとか、或いは法要(ほうよう)の時にいろんな宗派の方々によって多少違うでしょうけれども、いわゆる音楽的なものをベースにした行事がございますよね。
 
荒井:  ございます。
 
有本:  はあはあ。そうするとルーツはやはり声明であったり、舞楽であったり、そういうものも取り入れていらっしゃるわけですか。
 
荒井:  はい。特にインドから発祥しました舞楽(ぶがく)というのがございます。これはシルクロードを辿り二つのルート、シルク北部と南部を通りまして、日本に参ったんでございますが、日本が一番最後の終着地。皮肉にも日本の地のみ今は残っていないんですね。この舞楽の音というのは、また大変私には大事なものでございましてね。また声明というのはそれとはちょっと違っております。声明はこれは今から二千五百年も前、インドに初めから声明としてではなくて、これは非常に豊かな生活をしていらっしゃる富豪の方々の為に、教養としての発音とか、美しい歌が相応しいというようなものが原形でございまして、しばらくして仏教界でこれを基に声明を創ったのですね。非常に深い歴史があります。感覚的にも気品がございますし、私には大事な音でございます。
 
有本:  ともあれ、荒井哲さんが作曲した仏教音楽、或いは仏教を音で綴ると言いましょうか、どんなものかご紹介したいと思うんですが、最初はどんな曲をご紹介頂けましょうか。
 
荒井:  そうでございますね。一遍上人(いっぺんしょうにん)(一二三九ー一二八九:鎌倉時代の僧、時宗(じしゅう)の開祖)の『語録』がございます。やはり私に取りましては、非常に感動させられ、そして自分のこれから行こうとするものに示唆を与えて頂けるようなものが沢山ございます。その中の一つ、『遊行(ゆぎょう)』という、私は題を付けたんでございますが、一遍さんは全てを捨てて、捨て聖(ひじり)≠ニいうことを、みなさんおっしゃられます。私もその通りだと思いますね。ご自分では寺も仏も持たない。そして野や山に自分の理想郷を求めて、そして修行して歩く。これは大変厳しい修行だと思いますね。それを音にしたのが、この音楽でございます。(曲が流れる)
 
     遊行
 
     春すぎ
     秋来れども
     すすみ難きは
     出離の要道
     花ををしみ
     月をながめても
     をこりやすきは
     輪廻の妄念なり
     ・・・・・
 
有本:  これはトータルでは何分くらいの曲になるんでございますか。
 
荒井:  普通ですと、約一時間位の曲になりましょうか。
 
有本:  そうですか。『一遍上人語録』を曲にということですが、例えば、『語録』を読むとか、或いは活字のものを読むというのは、ある程度理解をしたり、ところがそれを音に置き換える。並大抵のご苦労ではないと思うんですが、どうでしょう、この『遊行』だけではなくて、お創りになった作品それぞれにご苦労があったと思うんですが。
 
荒井:  ございますね。実は私を育てて下さった棚瀬正民(たなせまさたみ)という作曲家がいらっしゃいました。もうお亡くなりになったんですが。この方に三十年位就かせて頂きました。今の作曲家の方々はちょっと違いますが、私の修行は精神的に徒弟制度と想うのです。自分の師匠に対しては宗教的な信頼感と言いますか、そういうものを持っておりました。非常に厳しい師匠でございました。しかし、音楽以外のことも非常に豊かな教養をお持ちの方で、私はこの方に普通ですと観じないと言いますか、そういうものまでいろいろ喚起させられるようなことを指導されまして、どれほど私は幸運だったか分かりません。やはりあらゆる方向から音を追求するというものが教えでございまして、例えば、北斎が一つの絵を描かれる時に、彼はあらゆる角度から、死角なしに描くことができると想います。書にも様本がありますように絵にもあるとおもいます。それを徹底的に体得するということ、これが大事だと思うんですね。そういう方法を私も随分長いこと修行致しました。これが精神的なものを音にするという原動力になったというふうに思われますね。
 
有本:  さあ、荒井哲青年作曲家の頃から、仏教音楽を幾つか作曲なさって、今日に至るわけですが、どうでしょう、二曲目、どんな曲をご紹介頂けましょうか。
 
荒井:  そうでございますね。私はここに参りまして、今までお目にかかったこともない城、彦根城がございますが、これを見た時に、〈ああ、やはり雄大な、そしてまた優雅なもんだなあ〉と思いましたね。これは〈単なる砦ということよりは、人間の心の豊かさ〉と言いますか、〈そういうものがこれの中に兼ね備えてあるな〉ということを観じました。そして偶然にも、世界古城博というのがございまして、その時にこの城を題材にして、曲を書いてくれないかということがございました。さあ、実はこちらに来て間もないことでございましたので、はたと困りました。と申し上げますのは、その風土に自分がドップリ浸からないとよく分からないんですね。それでほんとに書けるだろうかということを、とても自分で懸念致しました。いろいろ考えた挙げ句、曲の名を『観』としました。城が人の世の移ろいを三百年近くみたという想定です。曲の流れは三つの部分から構成しました。(一楽章)城と淡海との対話からはじまり庶民との対話(二楽章)安政の世の動乱、彦根藩にしのびよる悪夢。伊井直弼の死、藩の没落(三楽章)明治に入り城無用に昔を懐かしみ今様を嘆く城の様子、などどうぞお聴きください。(曲が流れる)
 

 
有本:  はあ、まだまだ何曲か作品がおありなんですが、もう一曲だけご紹介頂きましょうか。
 
荒井:  そうですか。これは『平家物語抄』という題が付いておりますが、実は耳なし芳一がございまして、奢る平家の結末と言いますか、それを芳一が語るところでございます。やはり全体を通して、その無常観と言いますか、奢れる者も久しからず、あの独特の語りですね。この曲は壇ノ浦で平家が滅びる潮鳴(しおな)りの音から始まりまして、それがまたフルートと尺八という楽器でやっております。表現と言いますと、なかなか大変でございまして、特にこの奢る平家の様子をフルートできらびやかにだすところがございます。これは日本の古い音ということよりは、私が独特に創り上げた現代音で、ここのところは表現しております。(曲が流れる)
 

 
有本:  まあ、当然のことながら、寺、或いは外国で今の作品をご紹介なさることがおありだと思いますが、お客様と言いましょうか、反応はいかがなんでございますか。
 
荒井:  それが予想外に反応があります。それに音楽を構築する音が全く向こうと違います。ですから、よく外国の方は日本人が作曲したものを当地に持ってまいりますと、〈ああ、日本人も少しはやるなあ〉というふうな感覚が多うございます。それはヨーロッパの音での作品ですから、私の場合は「どうしてこんな少ない音からこういう深い音が出るのか」というようなことを向こうの方によく聞かれるんですね。この裏面に何があるんだということをですね。これはヨーロッパの方になかなかご理解頂けないと思いますが、私としてはやはりそこに日本の伝統的な、いわゆる美学と言いますか、それから仏教哲学的なものを中に入れておるつもりでございますので、そのようなことを申し上げますと、「やあ、これは素晴らしい」ということで、ステージの上まで駆け上がって来て握手を求めるということがございました。それからやはり向こうの文化人は「今までのキリスト教的なものの考えで、(宗教観で)曲を作っているのは駄目だ。やはり東洋の仏教哲学から学ぶべきじゃないか」と、音楽学者もそのようなことを唱えておりますので、その点非常に有り難いことでございまして。
 
有本:  お話を伺っておりまして、仏教、或いは人間の魂に根ざした深い音楽世界を創造していらっしゃる。勿論、ほんとにアウトラインなんですが解りました。で荒井さんは毎朝と言いましょうか、勝鬘経(しょうまんきょう)をお上げになるということですが、かなり在家の人としては深い仏教徒でいらっしゃいますね。
 
荒井:  お恥ずかしいですね。やはり自分の生き様と言いましょうか、一日の行動と言いますか、そういうものを私なりに仏に誓うという。ちょっときざっぽいような言い方ですが、そのような気持ちを持っております。ですから、一日のうち無駄なくと言いましょうか、なるたけ自分は生きているんだという充実したものを持つということは非常に大事だと思います。ですから、仏に自分の生き様をご覧頂きたいというような、そんな気持ちがございまして、そして朝仏に誓うのです。
 
有本:  勝鬘経を上げることによって仏に帰依する、そして今日一日がこれからスタートするんだという、精神的な張りにもなるわけですね。
 
荒井:  そうでございますね。
 
有本:  これは何十年も続けていらっしゃるわけですね。
 
荒井:  ええ。相当前からでございますね。奈良に法輪寺(奈良県斑鳩町にある名刹、斑鳩三塔の一つ)さんというお寺がございまして、法隆寺さんの直ぐ裏にあたりますその法輪寺さんとは、もう三十五年、四十年近いご縁がございまして、私が初めて二十歳の後半に伺ったことがございました。その時には今亡くなられた僧侶が、丁度私と年齢が同じ位でございまして、学僧でございました。お寺そのものが御仏が住んでいらっしゃる。そんなことを一目で観じるようなお寺でございましたね。お家の方の人柄ということも勿論ございますが、亡くなられた康生さんとおっしゃいますが、このご住職のいろんな薫陶を、今でも忘れないことが沢山ございますね。いまだにいろいろとお付き合いさせて頂いております。残念ですが、その当時から比べますと、随分あの辺の様子が変わりましてね。初め伺った当時は、ほんとに昔の荷馬車が通(かよ)うような細い道でございました。ですから、私流(りゅう)の方法ですがその土地に行きますと、靴を脱いじゃいまして裸足で歩くんです。
 
有本:  へえ。
 
荒井:  というのは、その風土に自分を接して、そしてその風土性というものをキャッチするのには、靴を履いていては伝わってこないんですね。ですから、ある時にはグシャッとしたところに入ったり、蓮華がずうっと一面に咲いたり、小ブナが跳ねていたりというような道でございました。それがあそこの斑鳩(いかるが)のお寺さんに、景色としては非常に合うというような感じがするんです。今はもう舗装道路が出来まして、そして風致地帯と思いますが、いろんなものが建ってまいりますと、〈ああ、昔は良かったなあ〉というようなことをつくづく感じますね。
 
有本:  今はこの栗東(りっとう)町の山の中と言っては失礼なんですが、環境のよいところにお住まいですね。京都の寺、奈良の寺、もう行こうと思えば、直ぐとんで行ける。東京時代とはやっぱりお仕事の上でも相当プラスをして。
 
荒井:  そうでございます。まず、ここに参りまして感動しましたのは、月や星の美しさと言いますか、〈大自然の中にほんとにいるんだなあ〉という感じがしますね。やはり東京では星が見えないんですよ。ですから、ここに参りますといろんな星が見えて参りますね。そうしますと、大宇宙と自分との関わり合いに非常に興味を感じるようになります。そのことはほんとに自然な形だと思います。やはりそこで仏教でいう唯識(ゆいしき)の世界と言いますか、〈こういうこともやってみたいなあ、調べてみたいなあ〉なんていうものを観じましたですね。
 
有本:  唯識論ですね。ほう。
 
荒井:  はい。
 
有本:  弥勒から無着、そして世観(せしん)兄弟ですね。
 
荒井:  唯識の論理というのは、それに没頭して三年という修行期間がいるということだと思いますが、私が今観じている唯識と言いますのは、その基本的な考え方として三性の一つ「依(い)他起性(たきしょう)」という言葉がございますね。「円成実性(えんじょうじつじょう)」という言葉がございますね。大変難しい文でございますが、「円成実性」というのは、もうご承知のように、あなたも私も全く同じだ、同円の仲間だ≠ニいう非常に縁の深さと言います。そして違う言葉で申し上げますと、視点を変えますと、相手の方のお気持ちに代わって、こちらが察知する≠ニ言いましょうか、そういうことだと思うんですね。そしてまた逆にこう言っていますと、「依他起性」というのは、そのご縁があればこそ、そこに何かが起きる≠ニいうそういう教えでございますね。ですから、この様に今、有本さんと、お話をして居るのもやはりその一つかなあというふうに思いますね。それでいて大宇宙というのは「遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)」と言いますが、みんなバラバラである。バラバラであって、しかもそれが何かの関わり合いを持っている。私もよく若い音楽家から、「先生、唯識ってなんですか」ということを聞かれる場合があるんですが、そうですね、なかなか口では説明し難いことがございまして、それを私は日本のいろんな仏教の本を見ているうちにハッと気が付いたことがございまして、実際私もそのものを見ておるんですが、奈良の春日大社の裏に当たります忍辱山(にんにくせん)円成寺(えんじょうじ)(奈良市忍辱山町)という寺がございます。そこには運慶が父親の康慶(こうけい)に手伝ってもらいながら、確か二十歳の時に作ったと思うんですね、大日如来像(奈良市忍辱山町にある古刹の本尊として著名、一一七六年作)がございますね。それは非常に美しいです。多くの方はご覧になったと思いますが、今は大きなガッチリしたお厨子の中に入ってしまったんですが、元はちょこんとお部屋の角(かど)の障子の陰にありまして、私はその大日さんと対峙(たいじ)するというのは生意気ですが、拝まして頂いているうちに、一時間位経ちますと、非常に圧迫感を感じるんですね。これはどういうことだろうということを、その当時は解らなかったんですが、やはり何と言いましょうか、若い運慶はこれでもかというそういう気負いがそれを作られる時にあったと思いますね。ところがやはり彼の晩年の創作で世観(せしん)と無着の像がございますが、確か六十か七十位の時にお作りになったと思いますけれども、それを比較してみますと、なにものも慈悲という、仏の慈悲というものを無着や世観(せしん)から観じるんですね。ですからこれが運慶が残してくれた実存の世界と言いますか、この唯識の形だったというふうに、私はそう取っているんでございましてね。ですから若い方にそのようなことを申し上げますと、ジッと見まして、「ああ、凄い」と言うんですね。やっぱり一つの修行過程と言いますか、その厳しさをやり抜いてきた大仏師の姿でございましょうね。
 
有本:  成る程。仏像に唯識の存在を見る。荒井さんは音に置き換えて唯識をということになるんでしょうけれども、仏教というのは大変大きな教えでございますから、簡単にお話頂くわけにはまいりませんけれども、仏教を通じて、或いは仏教音楽を作曲している荒井さんの立場から、人は何を目指して生きていったらいいんだろう、生きるべきなんだろう。如何でございますか。
 
荒井:  それは私の方がお聞きしたい方でございましてね。やはりそれを成就するのには私の心がけといたしまして、よくものを見ることだ≠ニ思いますね。それから、よくものを知ることだ=Bそれから、ほんとに真に知ることだ=Bそして成ることだ=Bこれは私のご尊敬申し上げている哲学者の方のお言葉なんですが、全く私も同感でございまして、これがやはりこれからの自分というものを余生を送るものとして、大事な教訓じゃないかというふうに思いますね。やはりそういう理論を含めた人間の愛と言いますか、そういうことを音にしたいという。これは全く先程、先生も何回かおっしゃって頂きましたが、音楽は万国共通の言葉でございまして、これをもってやはり人間としての愛情というものを、結局最終的には表現にするんじゃないかなあという、まあそんなことでございましょうか。生きるということは自分が生きているということへの、そのものでございますからね。ですから、それを自分で如何に表現するか、生命賛歌といいますか、これは我々音楽をやるものにとっては非常に大事だと思うんですね。やはり生きるものの尊さと言いますか、一口に言えばこれに尽きるんじゃないかと思います。これによってやはり普通の言葉でいいますと、生き甲斐と言いましょうか、そういうことに繋がるんじゃないかなあと思いますね。やはりこの音楽を通して、そして仏教を語ろうというようなそういうものから、私としてはある程度のことが少しずつ見えてきた。しかしまだまだきっかけでございまして、私自身もまだほんとに修行の身でございますから、これは一生出来ないと思いますけれど、まあまあ、兎に角、執着をもってやるほかないと思っておりますね。
 
有本:  七十にお近いわけですけれども、修行の身というお言葉が出るあたりはなかなか。
 
荒井:  それはほんとうでございます。これは決して言葉上の問題ではなくて、芸術に志した者というのは、最後の最後までという、そういうものがございますね。ですから、私、例えば、西行は仏道と歌道ですね、その二つの柄杓(ひしゃく)と言いましょうか、それで汲み合いながら彼の人間形成というのが出来上がり、またあのような和歌ができたと思いますね。ですから、そういうことから言いますと、丁度同じ世代に生きて居りました定家ですね、定家という独特な、私としては非常に現代音楽に通ずる彼の作品を見ることが出来るんですね。八百年近い前に、〈へえ、そんなことないだろう〉と普通の方は思われましょうが、彼は今でいう現代音楽の精神的なルーツだと思うんです。私は定家というものを非常に評価しておりますし、それからその中に現代音楽に通ずるということを申し上げましても、ちょっと皆さん、「え、どこがですか」ということだと思いますので、その定家の現代音楽に通ずるという一つの和歌を詠ませて頂いてよろしいでございましょうか。
 
有本:  どうぞ。
 
荒井:  これは西行から、彼が二十五歳の時に、「二見浦の百首というものを作ってみないか」と言われ、そして定家が作ったんですね。その中に、
 
     藤原定家の和歌
 
     あさなぎにゆきかうふねのけしきまで
       はるをうかぶるなみのうへかな
 
という和歌がございまして、私は本当に感動致しました。あの時代に斬新な感覚で景色をとらえる。絵でいうゴッホに近い感覚だと私は思うんですね。そこには光線、光というものが入っておりますね。そして現代音楽に通ずる人間不在なんです。人間が不在であって、優美の世界と言いますか、或いは耽美(たんび)の世界と言いますか、その美しさを追求する彼の並々ならない感覚がここに吸い込まれているんですね。普通の方では到底捉えることのできぬものでしょう。私はこの定家の論理、また芭蕉が最晩年に語りました軽(かろ)みの理論。これ等は人間の時空を超えた人類への美学だと思うんですね。特に音で表現する私には分野が違いますが、非常に私のこれからを示唆する哲理だと思うんですね。
 
有本:  西行が出て来たり、定家が出て来たり、芭蕉が出てきたり、なかなか深い教養の持ち主でいらっしゃるわけですが、
 
荒井:  とんでもございません。これはですね、そういう方々がどのような道を歩んだか、今生きている私はどうすべきかということを考えますと、また当然、日本の心というものを歌にするからには、曲にするからには今までの流れというものは大変必要でございますし、単なる古いということだけで片づけるものではないと思いますね。人類の続く限り、この論理というものは消えることはないと思いますですね。
 
有本:  逆に現代人間喪失の時代に生きている我々にとっては、西行であったり定家であったり、芭蕉から学ぶ心、しかも非常に新しい心なんですね。先人ではあるけど。
 
荒井:  そうですね。
 
有本:  これからもどんな作曲を心掛けていらっしゃるんですか。
 
荒井:  いや、それが欲張りなものですから、しかし最近、これから何歳生きるかなんということを時々考えることがございまして、特にやらなくちゃならないものは幾つかあるんですが、浄土真宗の中の教典がございます。その中のものをどうしても創りたいと思いますし、それから禅の世界に十牛(じゅうぎゅう)というのがございまして、
 
有本:  十牛図(じゅうぎゅうず)。はい。
 
荒井:  あれはやはり私の人生の中で一つの目標でございますね。ただあれは非常に難しゅうございましてね。特にやって見ようと十年以上前から考えておるんですが、はたと突き当たってしまうところがありましてね。それは悟った後の世界というのが、あの中にあるんですよ。悟らない人間が悟った後の世界をどのように表現するだろうと、そういうあたり、これはまだまだ私は若いなあというふうに、修行が足りないなということを思います。
 
有本:  その他構想と言いましょうか、頭の中でこれを素材にしてこういった仏教音楽というのがありましたら、ご披露頂けませんか。
 
荒井:  はい。そうでございますね。いろいろあり過ぎるんですよ。そうですね、今の長岡京跡(京都府乙訓(おとくに)郡向日(むこう)町)、桓武(かんむ)が長岡京を何故あそこに設定したか、そしてまたその都が出来きれないうちに、また平安京にいかなくちゃならなかったか。いろんな長岡京跡に残された伝説と言いますか、伝説というよりは史実がございまして、それに基づいたものです。いま完成に近いですが創っております。これはやはり大変難しい時代でございます。天平(てんぴょう)の末期から平安の初めでございますし、いろんな世相の変わりつつあった時代でございますから、それを音にするというのは非常に難しいですが、これは実はドイツに持って行きたいなあという希望がございましてね。それから和泉式部もやはり書いてみたいと思っております。
 
有本:  夢が沢山あって時間が幾らあっても足らないと思いますね。
 
荒井:  そうですね。
 
有本:  伺いますと作曲家、或いは芸術家の方は我々と違って、朝と夜が逆の生活の方々がいらっしゃるように伺いますが、荒井さんもまるで逆なんですって。
 
荒井:  まるで逆なんです。四十年近く逆ですね。それにこうして対談されて頂くとお分かりだと思いますが、非常に私は頭が悪うございましてね。
 
有本:  何をおっしゃいますか。
 
荒井:  ですから、兎に角、人の何倍もやらなくてはなりません。努力は惜しまないつもりですね。ですから、寝る時間を三時間から四時間、若い時からずうっとそれを続けて参りましたので、寝る時も一所懸命寝なくちゃならないですよ。
 
有本:  一生懸命。そうですか。
 
荒井:  一生懸命寝ないと、その時間帯で次の行動に移せないものですから。
 
有本:  成る程。ほんとにいろいろ貴重なお話を有り難うございました。どうぞこれからもいい作品をどんどんお創り下さいますように。
 
荒井:  はい。そのように心がけて精進させて頂きます。
 
有本:  ほんとに有り難うございました。
 
荒井:  有り難うございました。
 
 
     これは、平成九年四月十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。