わたしの掃除哲学
 
                     株式会社ローヤル社長 鍵 山 秀三郎(かぎやま ひでさぶろう)
昭和8年、東京都生まれ。昭和27年岐阜県立東濃高校卒。昭和28年デトロイト商会入社。昭和36年専務。同年ローヤル(現イエローハット)設立。昭和37年株式に改組し専務。48年社長。平成12年取締役相談役に就任。
                     き き て      金 光 寿 郎
 
金光:  今日は「わたしの掃除哲学」というテーマで、株式会社ローヤルの社長鍵山さんにいろいろお話をお伺い致します。鍵山さんは自動車部品を扱う会社で、年商一千億円の実績を上げていらっしゃるということでございますが、その経営の精神は掃除の哲学にあるというふうに伺っておりますので、これまで掃除を通して、どういうふうにお考えになって、或いはどういう体験をなさって来たか。その辺のところを中心にいろいろお話を伺いたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
 
鍵山:  よろしくお願い致します。
 
金光:  そもそも何故掃除をなさるようになったのかというところから、お伺いしたいんでございますが、最初から会社を勿論経営なさっていたわけではございませんですね。
 
鍵山:  はい。
 
金光:  最初はどういうところからお務めと言いますか、お仕事を始められたんですか。
 
鍵山:  はい。昭和二十八年に私は東京へ単身参りました。その頃は朝鮮半島の動乱が終わった後で、大変世の中が不景気な時代でございました。まず仕事がない。
 
金光:  就職難。
 
鍵山:  そういう時代でございました。そんな中で自動車部品を扱う会社に就職を致しました。その会社で大変よくはして頂きましたけど、どうしても会社というものに対する考え方の違いで、私は八年お世話になりましたけれども、昭和三十六年に独立をして、今の会社を始めたわけでございます。
 
金光:  その頃から、もう掃除ということは実行なさっていらっしゃったんですか。
 
鍵山:  はい。前の会社におりました時は掃除はよくやっておりましたが、特に独立をして、零細な仕事を始めた時に、止むにやまれない気持ちを持って、やらざるを得ない、そういう気持ちで始めたものでございます。
 
金光:  ということは、もう少しどういう事情だったんですか。止むに止まれずというお気持ちになられたというのは、どういうところからそうお考えになったんでしょうか。
 
鍵山:  はい。これは零細なる仕事というのは、大体その仕事に従事する人は方々へ出ますと、いろんな厭なことに出会いまして、心を荒(すさ)ませるわけでございますね。私はこの会社の人たちの心の荒みを、どうしたら穏やかに出来るか。それには先ず、綺麗にすることが一番大事だと思い付いたのが、この掃除に熱心になった大きな理由でございます。
 
金光:  でも、みんなで、「じゃ、掃除しよう」なんと言っても、みんな直ぐ〈掃除をやりましょう〉という気持ちにはなかなかなりにくいものでございましょう。
 
鍵山:  それはもう先ず、掃除そのものが世の中で一番低い次元のものだというふうに、みんなから思われておりましたから、そういうことをやること事態が、自分の身分を落とすような、そういうふうに錯覚をしておられますね。
 
金光:  一般的には、そういうふうに思われているでしょうね。
 
鍵山:  ですから、みんな本当に嫌いました。私は会社の人たちに強制をしたり、規則にしたりしないで、先ず自分でコツコツと、自分一人でやれることに取り組んできた。そんな考え方で始めたことでございます。
 
金光:  でも、みなさん出勤して、そこで社長さんが一人で掃除をしていることは、やっぱり当てつけみたいに思われたりするということもあると思うんですが、あんまり目立たないように早めにいらっしゃるとか、そういう形でなさったんでしょうか。
 
鍵山:  成る可く。特にトイレ掃除はみんな来る前にやっておこうというふうに致しましたですね。みんなの見ている前でやりますと、当てつけがましいとか、そういうふうにどうしても思われがちでございますのでね。
 
金光:  でもそうやって綺麗に掃除をなさっても、社員の方が外へ出て営業なんかで、不愉快な目に会うということは、それは急には変わるということもございませんでしょう。
 
鍵山:  これは掃除をしたからと言って、急に情勢が劇的に変わったり、そういうことはありませんで、むしろ会社の人たちは、〈こんな掃除なんかをやっているから、だから何時までも会社は力が強くなれないんだ〉というような、そういう見方を長年に亘ってしておりましたですね。
 
金光:  でもやっぱり、最初に綺麗にすると、気分が荒まないだろうと思ってやっていらっしゃっても、それで例えば、半年やり、一年やり、目に見えた効果が上がるかというとそうでもないし、〈これは無駄かなあ〉というふうに、お考えになるようなことはございませんでしたか。
 
鍵山:  はい。それはもう確かに、私自身の中にも、そういう気持ちが湧いて来たことがしばしばございます。果たして、この自分が正しいと思ってやっていることが、ほんとに正しいのかどうかというふうなことですね。しかしその時に、私は内村鑑三先生の言葉を思い出すんですが、
 
     境遇に強いられしところにより、
     事を行えば、
     そのことは必ず成功する
 
という言葉でございますが。
 
金光:  「境遇に強いられしところにより、事を行えば、そのことは必ず成功する」。
 
鍵山:  そうでございます。
 
金光:  そうすると、いま掃除をしなければいけないと思われるような境遇に自分がいるんだと。そこで、そこに基づいてやれば必ず成功する筈だと。
 
鍵山:  はい。人間の心の荒みを取る方法はいろいろあるんですね。憂さ晴らしをするとか、いろんな方法はございますが、私はどう考えても、綺麗にすること以上にいい方法はないというふうに思いたったわけでございます。
 
金光:  それで、そのままずっとそういうことで思い直しては、ずうっと続けていらっしゃって、社員の方がやっぱり社長のやる掃除というのは、〈これは効果があるなあ〉と言いますか、〈良さそうだ〉と思われるようになったのは、どの位後でございましょうか。
 
鍵山:  少しそういうふうになって、みんなの人たちが協力をし始めたのに、十年かかっておりますね。勿論それまで、通り一遍のことはみんなもやっておりましたけれども、それはあくまで世間でいう普通の掃除でございます。それから更に十年を過ぎて、最初から二十五年経った位の時に、初めて掃除というものの本当の意義、それから持つ力というものを知ってくれるようになったと思います。
 
金光:  その辺のところは、実際掃除をやって見ないと分からない境地というのが、やっぱりあるんだろうと思いますけれども、その具体的な例として、そうやって伺っていると通り一遍の掃除と、それから掃除というものは良いもんだと思いるようになる掃除の違いというのは、どういうところから出て来るわけですか。
 
鍵山:  はい。先ず、通り一遍の掃除の場合には、箒の持ち方一つから姿勢が違いますね。
 
金光:  そうですか。どう違うんでしょうか。
 
鍵山:  これはちょっと私、言葉では説明し難いですけれども、箒の使え方、塵取(ちりとり)の使え方、雑巾の絞り方一つに、その人の全人格が現れてまいりますね、
 
金光:  例えば雑巾ですと、バケツがありまして、持って、こうやって、こう絞る、こうやるのか、どういう絞り方ですか。
 
金光:  例えば、雑巾を絞る一つでも、通り一遍の絞り方ですと、取り出して団子に丸めたまんま、ただ絞ると。私の場合には、その雑巾を二つにキチッと折って、でちゃんと縦に真っ直ぐにして、それをまた更に二つに折って、手の平、手首、肘、肩、全部の力が、両方の力がここに一点に集中するように絞るわけでございます。それが通り一遍ですと手首だけというようなふうに、折角の人間の持てる力が、ほんの一部分しか使われないというふうになります。ですから、箒を持ちましてもほんの手首だけで、ただ箒の先だけ動かしているに過ぎないという掃除もあるわけでございますね。
 
金光:  やっぱり、それも体全体を使って、
 
鍵山:  そうでございますね。
 
金光:  周囲の状況に応じて、窪みがあったり、山があったり、そういうのはそれに応じて掃くということになるんでしょうか。
 
鍵山:  はい。それでこのゴミをどこまで掃いて、どこで止めて、どこで塵取に取るかですね。
 
金光:  その止める場所も状況によって、考えた方が非常に綺麗になるし、効率もいいと。
 
鍵山:  そうでございます。無意識にやりますと、塵取で取りにくい場所にゴミを溜めてしまって、取る時に苦労するとか、綺麗に取れないとかというふうに、まあ道路の掃除一つでも、意識的にやるのか、そうでないのと大きな違いが出てまいります。
 
金光:  そうしますと、日本の人は、割に段位というのが好きな上昇志向というのがあるわけですが、掃除で非常に上手な人と、下手な人というのは結構いるわけでございますね。
 
鍵山:  そうでございますね。年齢ではございませんで、その人がどの位自分の気持ちを込めてやるかどうかによって、僅かな間に非常に良い掃除をする人もあれば、何年経っても、最初と一つも変わらない掃除をする人と分かれてまいります。
 
金光:  結果も当然違って来るということでございますね。非常に状況に応じて、ちゃんと的確に判断して、しかもその気持ちをそこに集中して、工夫して掃除をする人と、そうでない人の掃除の後というのは、結果としても違って来るということになるわけでしょうか。
 
鍵山:  そうでございますね。勿論、それは掃除だけではなしに、その人の全人生に、私はそれは大きな影響があると思います。
 
金光:  現在、日本だと、例えば受験なら受験目標の教育というのが行われておりまして、その受験で受かればいいじゃないかと。途中はいいじゃないかというような、結果が良ければ全て良しみたいな考えが、随分あるようですけれども、今のお話を伺っていると、結果よければそれで良しということとは、大分お考えが違うようでございますね。
 
鍵山:  そうでございます。私はどういう方法で結果を得たのか、その過程の方を大事にしております。勿論、結果も大事でございますが、それを到達する為の道順ですね、その道のりの方がもっと大事だという考え方を持っております。
 
金光:  これは人間の生きている問題を考える場合でも、結果主義、考えると、人間というのは全員必ず亡くなるわけですから、全員死ぬなら途中どうしてもいいじゃないかと、それで良いかと言うと、とってもそうではございませんで、途中の一刻一刻が非常に大事なわけですが、掃除でも、どうもそういう結果だけではなくて、途中を大事にしないと結果もいい結果が出ないという、そういう体験と言うか積み重ねが鍵山さんの場合はおありのようですね。
 
鍵山:  はい。必ず過程をキチッとすれば結果は必ず良くなると、
 
金光:  付いて来ると、
 
鍵山:  はい。これが私の基本的な考え方でございます。
 
金光:  その場合に、結果重視の場合は、綺麗になればいいと思ってやるわけでしょうけれども、ところがなかなか汚れたものは、一度には綺麗になりませんでしょう。
 
鍵山:  そうでございますね。この長年かかったものを、五分、十分で元通りにしようということはできません。やはり一つの便器でも二時間位かかる。時によっては、もっとそれ以上時間をかけて掃除をすることがございます。その時にほんの僅かな汚れも見逃さないというような気持ちで取り組んでまいりますと、この小さなものを積み上げるということの力の大きさというものをつくづく、その時に学んでいくわけでございます。
 
金光:  それで今、トイレの話が出ましたから、その前から伺おうと思っておったんですが、掃除の中でも、特にトイレを重視なさるというのは、これはどういうところからなんですか。
 
鍵山:  はい。トイレ掃除が掃除の中で一番凝縮されたエキスのような気が致しますね。
 
金光:  一般には、一番汚いところというふうに考えられておりますね。
 
鍵山:  はい。一番汚くて人が嫌がってやりたくない。そういうところに、先ず取り組むという勇気ですね。人間というのは不思議な者でございまして、目で見た時は非常に臆病で、〈ああ、汚いな〉というようなですね。
 
金光:  やはり〈汚いな〉と思いになるわけでしょう。
 
鍵山:  湧いて来るわけでございますが、それを、手を触れてしまいますと、目より手の方が勇気があって、一旦手を触れてしまいますと、今までの臆病な気持ちが、全てそこで消えていくんですね。
 
金光:  目より手の方がある意味で敏感でもあるし、勇気があるわけですか。
 
鍵山:  そうですね。
 
金光:  面白いですね。そうですか。最初に手を出すというのは、ちょっと勇気が要りますでしょうね。
 
鍵山:  そうでございます。ですから、大勢さんが集まってやる時に、やはり中には後(しり)込(こ)みをされる方はいらっしゃいます。そういう時に、この経験をされた方々が率先して、手を突っ込んでやるように致しますと、何時の間にか、最初後込みしていた方も、自分の中に勇気を持って、同じように取り組むようになってまいります。
 
金光:  鍵山さんご自身も、最初にトイレ掃除なさる時は、最初から手をこうやるということが出来にくかったんじゃございませんか。
 
鍵山:  はい。それは、私は有り難いことに、少年時代、岐阜県の疎開先で農業をやっておりまして、あまりそういう人が汚がるものに対して、大きな抵抗はございませんでした。
 
金光:  肥料をやるのに、トイレの汲み出しなんかもおやりになったり、じゃ、あまり生活の中で多少馴染んでいらっしゃったんだという気持ちもおありだったわけでしょうかね。
 
鍵山:  はい。
 
金光:  そうやって一度、手で実際掃除をしてみると、やっぱり汚れに対する気持ちも、以前と以後では、随分変わって来るものですか。
 
鍵山:  そうでございますね。例えば、トイレ掃除でも、最初見た時に、〈ああ、大して汚れていないなあ〉こういうふうに思うこともあります。しかしそれを一つに、しっかり取り組んでやり始めると、最初に目に付かなかったゴマ粒みたいな汚れ、或いはほんの僅かなシミ、こういったものを発見しますと、まるで宝石でも発見したように、これをキチッと取らずにはおれないという、放っておけないという気持ちが湧いてまいります。そういうものに取り組んでいる中に、今まで気が付かなかったことに気が付いていくという、大きな効果を得て来たと思います。
 
金光:  そうしますと、掃除を通して、掃除だけではなくて、一般の仕事についての気配りだとか、気づきだとか、或いは世の中の仕事に対する態度に付いての気づきだとか、その辺とことの繋がり、だんだん広い視野でものが見えるようになるという、そういう効果もあるようでございますね。
 
鍵山:  そうでございますね。掃除をする前に大雑把だった人が、掃除に二年三年と取り組んで行く中に、非常に木目の細かい、よく気の付く人に変わっていくという例は大変多うございます。
 
金光:  それでは、そういう掃除について、具体的にどういうふうにおやりになるか。最近はそういう意味での研修会なんかもなさっているようですが、実際の写真を拝見しながら、具体的な掃除の仕方の説明を聞かして頂きたいと思います。これはどこかの研修の写真でございますか。(写真@)
 
鍵山:  これは今、「日本を美しくする会」という会がございまして、その会の方々と一緒に沖縄へ参りまして、学校のトイレ掃除をさせて頂いた時の写真でございます。
 
金光:  これはよく公衆トイレなんかで拝見する汚れですが、これはもう早速中の水漉(みずこし)を取って、手を入れていらっしゃいますね。(写真A)
 
鍵山:  そうでございますね。この時は先程映った写真と、これは便器がちょっと違いますけれども、同じ学校でございまして、中に一杯汚れたものが詰まっておりまして、とても水も引いていかないという状況でございました。水漉を取って中に溜まっているゴミを、
 
金光:  今、手で出していらっしゃるわけですね。(写真A)
 
鍵山:  素手で、手で取れるものは、先に全部手で取ってしまうわけですね。
 
金光:  それでも残っているわけですね。汚れというのは残るわけで、これは中の水漉でございますか。(写真B)
 
鍵山:  そうでございます。この水漉に石灰分やら、尿石、そういったものがしっかり付いておりますので、これをいろいろな道具を駆使して、水漉を傷めないように、傷つけないようにしながら、汚れだけを取るという。
 
金光:  今、これレバーを使っていらっしゃるわけですか。
 
鍵山:  これはスクレーパー(scraper)と言いまして、物を削る時使うヘラのような刃物でございます。
金光:  そうやって中も綺麗になり、それから水漉も綺麗になると、結果がこういうふうになる。(写真C)
 
鍵山:  はい。二時間か、二時間半位かけて磨き。
 
金光:  一カ所で二時間もかかるんですか。
 
鍵山:  はい。一つの便器にその位かかりますが、磨き上げると、新品の時以上に綺麗になってまいります。
 
金光:  和式のものでも同じ様に綺麗にされるわけですね。
 
鍵山:  そうでございます。よく黄ばんだ汚れがこびり付いておりますね。そういったものを削りとるわけでございます。
 
金光:  今、トイレの掃除の実例を伺ったんですが、道路なんかも毎日掃除なさっていらっしゃるそうですね。
 
鍵山:  今、映っていますのは、これは道路の端にある排水溝でございますが、長年の間に土や落ち葉、ゴミが、
 
金光:  タバコの吸い殻なんかが落ちておりますが。
 
鍵山:  いっぱい詰まってしまいます。(写真D)
 
金光:  上の蓋を取ると、よくありますね。あちこちよく見かけますが。(写真E)
鍵山:  先ず蓋を取ること事態が大変な作業で、
 
金光:  こびり付いている。
 
鍵山:  それを取って、今度はその中にあるものを全部掬い出します。
 
金光:  落ち葉を取ると中は土ですね。(写真F)
 
鍵山:  はい。もう長い間には殆ど土になってしまっておりますね。
 
金光:  それで中はスコップと、右の方ではバールか何かで、金槌で打っていらっしゃるわけですね。(写真2のB)
 
鍵山:  中に石なんかが詰まっておりますので、詰まった石なんかを砕いて取り去るようにしております。
 
金光:  これだけの場所ですと、かなりの量の砂とか、ゴミが埋まっているわけでしょう。
鍵山:  はい。もう場合によっては深いものがございまして、そういうものを出しますと、大きな箱に三つも四つも中から土が出てまいります。これを取り去りますと、ご覧のように、ほんとに今、作ったばかりのように綺麗になります。(写真G)
 
金光:  外の蓋も綺麗になって。(写真H)
 
鍵山:  そうでございます。そうしますと、ほんとに今、この工事が終わったばかりのように道路が生き生きとして変わってまいります。
 
金光:  いろんな道具を使っておやりになるようですが、もう少し、じゃ、具体的な工夫された道具と言いますか、最初の頃はおそらく道具なしで、何か雑巾とバケツと、もうちょっとタオル、或いは多少、ブラシ、束子(たわし)みたいなものをお使いになっていたかと思うんですが、ちょっと今、使っていらっしゃる掃除道具を、今日、お持ち頂いておりますので、少しそれを見ながら。この三種類のブラシがありますが、これはやっぱりそれぞれ使い道があるわけですね。(写真3の@)
 
鍵山:  はい。一番右の端のものは、小便器の水漉を取った中の指が入らないような狭い場所がございますので。(写真IのA)
 
金光:  指が入らないような所でもこの大きさで入るんですか。
 
鍵山:  はい。これは芯が細いものでございますから、狭い場所でもグルッと回して入ることになっております。
 
金光:  その隣は。(写真IのB)
 
鍵山:  その隣はパイプの中を奥深く掃除をする為に用意されたものでございまして、パイプの中も綺麗にしておきませんと、どうしても後から臭いが出てまいりますのでね。
 
金光:  これはやっぱり人間の手じゃ届かないような所をこれでなさる。
 
鍵山:  はい。とても手が入りませんので、ああいうものを用意しております。
 
金光:  その隣の細い、小さいのは何ですか。(写真IのC)
 
鍵山:  この狭い方は便器で使うというより、換気扇とか、蛍光灯なんかを外しました時に、狭い細かな場所を掃除する時に使っております。
 
金光:  これもともと掃除道具として作られたものじゃないわけでございましょう。
 
鍵山:  私共で、このメーカーさんにお願いして、使いいいように、大きさ、太さ、長さ、こういうものを指定して作って貰っております。
 
金光:  その隣にはこれピンセットのようですね。(写真JのA)
 
鍵山:  はい。これは何に使われるんですか。
 
鍵山:  よく洗面所なんかにゴミが詰まっておりまして、取ろうとしたら中へ落ちてしまう場合がありますね。そういう目で見えているものを先に、中に落ちないように拾い上げてしまう時に使います。それから排水溝の鉄(かね)の蓋を取りますと、狭い場所にゴミが一杯詰まっております。そう言った場所のゴミを排水溝の中へ入らないように、先に全部拾い出してしまう。
 
金光:  成る程。
 
鍵山:  そういう時に使っております。
 
金光:  その隣には金槌、ハンマーがありますね。これは何に使うんですか。(写真JのB)
 
鍵山:  これは小便器の水漉なんか、長年使いっぱなしにしておりますと、もう汚れで、すっかりコンクリートで固めたようになってしまいます。なかなか引っ張ったり、揺すったり位では取れません。そうしますと、その横に見えておりますタイヤレバーでございますね。このレバーを使って、隙間に入れて、このハンマーで少しづつ叩いて、隙間を作りながら、この水漉を取る時に使っております。(写真JのC)
 
金光:  あれより、もっと大きいのを手元に持って来て頂いておりますが、具体的にはどういうふうに、
 
鍵山:  この水漉がありますと、その水漉の間にこれを入れて、あんまり強くやりますと、壊れてしまいますので、ここにあてがって、そして軽く叩きながら周りをずっとやってまいりますと、少しづつ動くようになります。動くようになれば後はもう上に持ち上げて取ることが出来ますね。(写真K)
 
金光:  それで、そうやって取って後、この次はどういう道具を使われるわけでございますか。これはドライバーですね。(写真L)
鍵山:  はい。この水漉を取った中には、大変たくさんの汚れたものが詰まっていますね。最初はこういう大雑把な道具で取ります。更にきめ細かく取る時に、だんだんああいう細い先の尖ったもので少しづつ砕くようにして。
 
金光:  丁寧に細かい作業を。だから右のドライバーの大きなのはそれなりに、もっとちょっと微細なものになると、その隣のという、そういう形で。
 
鍵山:  そうでございますね。
 
金光:  十字ドライバーもありますね。
 
鍵山:  はい。これは換気扇や、それから天井の照明なんかを、
 
金光:  ネジで止めてあるようなもの、
 
鍵山:  取ってそれまで綺麗に致しますので、そういう時に使っております。
 
金光:  それからその左には、お好み焼きのなんかヘラ見たいなものがありますが。(写真M)
 
鍵山:  これはスクレーパー(scraper)と言いまして、物を削る時に使います。
 
金光:  なんかゴミかなんかを削る。
 
鍵山:  はい。割合簡単に削れば取れるような汚れもございます。そういう時には、ああいうもので粘土を削るように、汚れを削って取るということもございます。
金光:  その隣は何でございますか。(写真N)
 
鍵山:  これは先程のスクレーパーやドライバーで汚れを取った後、まだ沢山汚れが付いておりますので、それから長年の間に付いた黄ばみとか、或いは水垢、こういったものを削り取るわけでございますね。
 
金光:  サンドペーパーじゃなくて、そのメッシュに、ヤスリと言うか、あれが付いているわけですね。
 
鍵山:  そうでございます。これがメッシュになっておりますので、陶器を傷めずに汚れだけを取るのに有効でございまして、こちらがメッシュになっておりますので、あまり使いますと、指が擦れてしまいますので、こういう道具を使いまして、ここにはさんで、そうしてこれでやりますと、手を傷めずに力が入ります。(写真OP)
 
金光:  これもそれぞれ特別に作って貰ったものですか。そうじゃないですか。
 
鍵山:  これはもともと自動車の整備に使う道具でございまして、私がある日思い付いて、便器に使って見ましたら、とても効き目がございますので、今では自動車に使うより掃除に使う方が多くなりました。
 
金光:  そうやって綺麗になりました。さあ、それからその次はどういうものをお使いになるんでしょうか。
 
鍵山:  特にこのメッシュですね。
 
金光:  この細いのがありますね。これは何ですか。(写真3のEのB)
 
鍵山:  洗面台のですね、水道の栓なんかあります。その周りは非常に狭い場所で指が入りませんので、こういう細く切ったものを向こう側に回して、その狭い場所を掃除するようになっております。両方で引っ張ってですね。
 
金光:  それで大分綺麗になりました。その隣は何ですか。
 
鍵山:  この隣にネズミ色に見えるのが砥石でございまして、平らなタイルに長年の間に付いた傷ですね、こういったものはあの砥石を平らに使って研ぐように使います。(写真QのA)
 
金光:  その傷を隠すわけですね。
 
鍵山:  そうでございます。それから、その左に映っておりますスポンジと束子(たわし)、これはもう一番最初から使っていた原始的な道具でございまして。(写真QのB、C)
 
金光:  じゃ、最初から使われていたスポンジ、束子では綺麗にならないものを今までご説明頂いたような道具を利用して綺麗にされたと。
 
鍵山:  そうでございます。
 
金光:  それで最後の仕上げがこの辺になって来るわけですね。
 
鍵山:  はい。このスポンジ、束子を使う頃になりますと、殆ど最後の方でございます。
 
金光:  一番左の、束子の左のブラシ、これは何ですか。(写真RのA)
 
鍵山:  これは便器の水漉何かは入り組んでおりまして、角になっていたり、陰になっていたりですね、そう言ったところに使ったり、それからタイルの目地がですね、どしても非常に汚れていて、鉄の錆やなんかで、汚れていて取れないなんていう時に、あのブラシを使っております。
 
金光:  その左の太いキリみたいなものは何ですか。(写真RのB)
 
鍵山:  これはヤスリでございまして、
 
金光:  丸いのもヤスリですか。
 
鍵山:  はい。便器の水漉には穴が開いておりまして、この穴がやはりコンクリートで固めたように、塞がって何かしておりまして、このヤスリでかけて、その穴をちゃんと元通りに開ける時に使ったりしております。
 
金光:  あの平たいのもそういう最後の仕上げに使われるわけですか。
 
鍵山:  そうでございますね。あれもヤスリでございます。
 
金光:  それからお手元にあるちょっと変わった道具がありますね。それは何ですか。
 
鍵山:  これは男性用の小便器にネジで止まった水漉なんかございまして、これも長い間取らずにおりますと、もう錆び付いて、くっついておりますですね。手ではとても回わせんので、ここにこういうボッチを穴の中に入れて、そうして回すわけです。こうしますと、水漉を傷めずに回して取ることが出来ます。(写真S)
 
金光:  これ動くわけですね。サイズに応じて、
 
鍵山:  はい。その間隔が調節出来ますので、どんなサイズにでも使えるようになっております。
 
金光:  これは自動車何かに使われるわけですか。
 
鍵山:  いえ。これは水漉を取る為に作ったものでございます。
 
金光:  それでもう一つのこれは何と言うんでしょうか。細長い。(写真21)
 
鍵山:  これはパイプ全体がフレキシブルになっておりまして、手の入らない、曲がったところ、奥に詰まっているゴミを、で奥に入れてからこうして押しますと、先が開きます。そして中に詰まっているものを摘んで、そして引っ張り出す。よくこれで活躍を致しますのはコンパクトなんかを落として、水で流してしまって、中に詰まったという時に、これで出して来るなんていうことがございます。
 
金光:  これも特注ですか。
 
鍵山:  いえ。これはもう早くからこういう道具が出来ていたものでございます。
 
金光:  そうですか。これはもともと何に。
 
鍵山:  台所の下水の中に落ちたゴミを拾ったり、
 
金光:  ちゃんとそういう時の為に、それは出来ていたわけでございますか。
 
鍵山:  そうでございますね。それを今、トイレ掃除に使っております。
 
金光:  随分、いろんなものを利用して掃除なさっていらっしゃるわけですが、そうすると、場所によって、今、拝見した道具だけでは、まだ痒いところに手が届かないというような場合もおありでしょうから、その時はまた、何か工夫なさるということでございますか。
 
鍵山:  はい。まだ今日、ここには持って来ていない道具も、まだ数種類ございまして、実際には、学校や駅のトイレ掃除に参ります時は、そう言ったもとを全部揃えて行っております。
 
金光:  さて、そういうふうに掃除を、いろんな工夫をなさって綺麗になさってきたわけですけれども、まだ一般にはまだ、最初におっしゃいましたが、掃除というのは自分で掃除するよりも、結果が綺麗になればいいから、誰か他の人にして貰って、楽をした方が幸せではないかと思っている。私なんかもどっちかと言うと、〈自分でするよりは〉という気持ちがないわけじゃないわけですけれども、その辺の考え方については、どうお考えでございますか。
 
鍵山:  兎に角、掃除というものが、非常に次元の低いものだというふうに、みんな考えております。ですから、そういう次元の低いことをやるより、もっと自分は価値あることをやった方がいいということを考えますね。
 
金光:  レベルが上なんだというみたいなことを。
 
鍵山:  はい。ということで、もっとより価値のある、もっと付加価値のあるものを追い求めて行くわけでございます。そして何か特別なことをすれば、自分が特別な人間になれると、こういうふうに思うわけでございます。私は世の中に特別なものというものは一つもない。特別に見えることも、全部元を辿れば些細な小さなものの積み上げられたものに過ぎないという考え方を、私は持っております。ですから、私は人様が見捨てたり、見逃したりする小さなことを、丹念に拾い上げて、そしてそれをコツコツと積み上げて、そうしますと、気が付いた時には、最初には想像も出来なかった大きなものに変わっているということを、今までの体験で知ってまいりました。ですから、こんないいことを是非一人でも多くの方に知って頂きたいという、そういう願いを持って、トイレ掃除の運動を広めるようにしております。
 
金光:  でも、やっぱり少ない労力で、最大の効果を上げるのが最も近代的な生き方であるというふうな、何となく大きな努力をして、小さな結果しか出ないのは詰まらないではないかというふうな考え方というのは、以外に多いと思うんですが、大きな努力をして小さな結果しか出ないと、詰まらないとはお考えにならないわけですか。
 
鍵山:  はい。その大きな努力で、小さな成果ということが詰まらないという以前に、それでは小さな努力で大きな成果を手に入れた場合どうかと言いますと、非常に不安定で。
 
金光:  それはそうですね。
 
鍵山:  そして何時失うか分からない。そういう危険性を持っております。それからまたそういう歩み方をした場合に、必ずどっかに後味の悪いものを残したりしがちでございます。一方、大きな努力をして、小さな成果を手に入れた場合には、大変大きな喜びがあって、後味もいい生き方になるんではないか、そんな考えでございます。
 
金光:  確かに戦後間もなくの時代に生きていた日本の人で、五十年後、今のような日本になると予想された人は、恐らく一人もいなかったと思いますが、いろんな、みんなが努力した結果がこうなったということも言えると思うんですが、逆にそういうマイナスの方向に、少しづつ積み重ねていくと、酷い結果が出て来るという。このこともまた方法が違うだけで、同じようなことになる可能性があるわけでございますね。小さな努力だけで、大きな結果を得ようと思う方向で行っていると、ひっくり返った時の結果も、非常に酷い結果が出るということも当然考えられるわけでございますから。
 
鍵山:  そうでございますね。今の世の中を見た場合に、いずれも小さな努力で大きな成果を手にしようとして、失敗したことばかりでございますね。ただ単なる失敗ではなしに、大勢の人に迷惑を掛けるようなことが、沢山起きております。一方で、名もなく、この町の片隅で大きな努力をして、そして小さな成果を手にしながらいる人達も多いわけですね。こういった人達が実際には世の中を支えているんではないかと、私は思うわけでございます。
 
金光:  具体的に、掃除のことについてのお訊ねなんですが、今のお話を聞いて、〈じゃ、自分も掃除してみようか〉と、で、ちょっと掃除をして見ますね。その掃除をすれば、例えば、十五分なら十五分掃除をすれば、それは良い結果が得られるかというと、ことはそうもいかない。ただ掃除をすればいいということではないんじゃないでしょうか。
 
鍵山:  そうでございますね。よく学校でも、それから企業でも、朝十五分掃除をすることになっている。そういう規則になっているという会社や学校は多うございますけれども、それでキチッと出来ているかと言うと、殆どが出来ておりませんですね。十五分間の間に、どういう気持ちで、それに取り組んでいるかということの方が大事でございまして、時間の長さではなしに、どんな気持ちでそれに取り組んでいるかということの方が、私は大きな意味があると思います。
 
金光:  ただ、どういう気持ちでということになると、それは心掛け主義で、気持ち主義で、それこそ近代的ではないというか、現代的ではないという考え方がどうもあるようでございますが、その辺については如何でございましょう。
 
鍵山:  先ず、私はこの掃除をしたら何かが得られるというような打算があったら、この掃除の意味はなくなると思います。
 
金光:  ああ、そうですか。
 
鍵山:  先ず、只管(ひたすら)美しくすることに、自分の全ての気持ちを込めていく。そしてこの掃除をする前と、掃除をした後との違いに、自分がそこに大きな意味を見えだしていく。そういう毎日の心がけが、その人の人生を変えていくものだというふうに、私は思っております。
 
金光:  〈その辺、少しゴミがあったのが、ちょっとゴミがなくなったくらいで、そんなに世の中が変わるわけではないだろうに〉というような考えも当然出てくるだろうと思うんですが、やっぱりそこにゴミがあると、ないで、そこに大きな違いと言いますか、自分の気持ちの上、或いはものの見方なりの感動の仕方とか、その辺の一種の心の柔軟さと言いますか、そういうものがあるか、ないかによる違いというのが、その辺に出てくるのかなあと、何となくそういうことも思うんですが、〈ちょっとくらい綺麗になったって、大して変わりないじゃないか〉というような考えについてはどうお考えでしょうか。
 
鍵山:  確かにおっしゃる通りでございまして、十年掃除をしたから、自分の人生が、ガラッと変わってしまったという程の大きな力ではございませんです。ただ私が自分で長くこれをやって来て、こういうふうに思いますね。人間は最初から高尚な思想や哲学をもっているんではなしに、毎日、自分がどんなことをやっているかによって、思想や哲学が生まれてくるように思います。ですから、それをただ只管信ずる他にないと思っております。
 
金光:  もう一つは信ずるということも、頭で考えてこうに違いないと思うというのと、それが実際の体験を積んでいらっしゃると、別に信じようと思わなくても、自然にそういうもんだと、もう意識して信じるとか、そういう必要のない段階もあると思うんですが。
 
鍵山:  そうでございますね。
 
金光:  やっぱり〈掃除というのは、いいもんだと思う〉と思っているような段階だと、これはなかなか続かないんじゃないかと思いますが、続ける秘訣というのは、どういうところにあるんですか。
 
鍵山:  はい。秘訣というと、強いて言えば、絶えず工夫して向上するということですね。
 
金光:  成る程。
 
鍵山:  継続の秘訣でございます。
 
金光:  同じようなことをやっているけれども、つねに工夫する材料というのはあるもんですか。
 
鍵山:  そうでございますね。例えば、外の掃除でも、雨降りの後の掃除、それから風の吹いている日、それから無風の時の掃除、それぞれ掃除の仕方は違うわけで、使う道具も変わってまいります。その時に毎日条件が違うのに、同じ道具を使ったりしていては、だんだん向上心がなくなって、厭になってしまいますね。今日は落ち葉が多いから、この箒で、先ず広がっているゴミを、道路の端へ寄せてから掃き取ろうとか、今日は風が吹いているから、こまめに取って、そして三人一組で取ろうとかというふうに工夫をしていきますと、掃除が非常に意味が出てまいりまして、これが継続の秘訣でございます。
 
金光:  また、その継続しながら、そういうふうに新しい工夫をしていると、そこに何というか、楽しみと言いますか、〈ああ、今日はこの前と違って、こうなって〉という喜びみたいなもの、当然湧いてくるでしょうね。
 
鍵山:  そうでございますね。大体同じ場所を同じ時間、何時もかけているようだとしたら、それはもう工夫がないわけですから、だんだん厭になりますね。同じ場所なら時間が短くなる。同じ時間なら、場所が広がるというふうに、掃除の工夫の成果が目に見えてまいりますと、それが自分の継続をしようという気持ちに繋がってまいります。
 
金光:  そうなると、掃除というのも一般には〈掃除なんか〉という考えがあるようですけれども、掃除は決して雑事と言いますか、どうでもいいことではないことになりますね。
 
鍵山:  そうでございますね。どうしても〈こんな詰まらないこと〉という気持ちで、その気持ち、そのものを雑に持ちながらやる人が多うございます。そうしますと、それは態度にも現れますし、自分の気持ちも何時まで経っても、そういう雑な気持ちに支配されますので、それでは継続出来ませんし、継続出来たとしても、無理があるかと思います。
 
金光:  やっぱりそこには、そういう一見詰まらないと思いるようなことでも、そういう平凡で単純なことだけれども、中にやって見て継続していると、いろんな価値と言いますか、やりがいというのか、感じられてくるようになるようでございますね。
 
鍵山:  そうでございますね。今の現代の思想が何か大きなもの、或いはインパクトのあることでないと、関心が持てない人が多くなりましたけど、私は小さなことによく気が付いて、小さな物事にも感動出来るような気持ちになった時に、初めて人間の幸せというものがあるかと思います。
 
金光:  ただ、小さなことに感動出来るというのには、余程気持ちが落ち着いて、柔軟でないと、〈何だこんな詰まらないこと〉というふうに、つい思いがちでですから、そういう意味では平凡なというか、詰まらないと思われる掃除を、一つの窓口として、掃除によっていろんな価値とか、いろんな新しいこれに気づくという、そういう態度は、他のことにも応用出来るわけでございますね。
 
鍵山:  そうでございますね。この掃除をするということを通して、今まで雑なものの見方、或いは雑な、粗暴粗野な行動を取っていた人が、だんだん穏和な行動に変わって来る。そうしますと、人との関わりが先ず変わってまいりますね。いい関わりが出来てまいります。必ずいい縁が出来てくる。そこから生まれてくることは、必ず、事の大小は別として、いいことが自分の身辺に起きてくる。私の周辺にも大変そういう方が多うございます。
 
金光:  結果主義、或いは大きなことという考えですと、例えば、会社なら会社の経営でも、状況が上手くない時に、何か新しいもの、新しい仕事とか、今までと違う方向のことを考えるということになるのが、普通だと思うんですが、これまでのご経験の中で、そんな〈外ばっかり向かないで、もっと足下を見れば良かったじゃないか〉と、〈いいではないか〉というふうな意味の掃除の延長での具体的なケースなんか、何かあったら、ちょっとお話頂きたいんでございますが。
 
鍵山:  はい。どうしても事業というのは売り上げを上げる、或いは利益を上げるということが、最優先ですね。
 
金光:  そうですね。
 
鍵山:  そうすると、〈少々おかしいなあ〉とか、〈どうもこれは良くない〉と思いながらも、それを強行していくという例が大変多うございます。そんな中にあって、それまでの生き方を変えて、先ず会社を徹底して、綺麗に掃除をして、それから工場の機械も綺麗に磨き上げられましたら、そうしましたら、今まで不良品が出ていた不良率が、業界の常識を遙かに越えた不良率に低下をしたり、或いはこの会社の人たちの人間関係がよくなったり、前には九時、十時まで残業しても出来なかった仕事が定時で、キチッと終わるようになったというような、そういう会社も出てまいります。
 
金光:  ご自身の会社の例でも、何かやっぱり経営を大きくする為には新しい商品を扱うとか、というふうに目が向くというのが、普通でしょうけれども、何かみんながあんまり目を付けていないようなもので、利用価値をもう一回見えだしたらいいじゃないかという、何か方向で成功された例もおありだとか聞いておりますが。
 
鍵山:  はい。これも商品というのは、次々と新しいものが出てまいりますので、どうしても新しいものが出ますと、今までのものが、急に興味や関心を失ってしまうことがよくございます。しかしその人間が興味や関心を失ったからと言って、その商品の持つ価値が下がったわけではないわけですね。私はその商品が持っている価値を、もう一回見直しをして、その意義をお客様に知って頂ければ、必ず、お客様に買って頂けるということを、今までも何度も体験をして来ております。人様が全然目も当てなかった商品を取り上げて、非常にそれを大ヒットの商品に仕上げたこともございます。
 
金光:  そんなのが、ヒットするようなこともあるわけですか。
 
鍵山:  はい。しかもその中にも創業以来三十五年間、まだ売り続けている商品というものもございます。
 
金光:  そうですか。それもやっぱり普通の人がもうこれも古いから、あんまり売れないだろうと思われるところに、新しい価値と言いますか、〈これは使いるんだ。こういう方向でやればいいんじゃないか〉という、そういう気付きが生まれたわけですね。
 
鍵山:  はい。この商品は古いからということでなく、ある方が作られて、市場に出したんですけれども、どなたもが省みなかった商品を、私が一人でそれを売り歩いて、で三十五年間続いているという、今の世の中にしては不思議な商品もございます。
 
金光:  そういうお話を聞くと、確かに今迄の話を伺ったように、掃除は〈いいもんだ〉とは思う人も、多いと思うんですが、でもそれだったら、例えば会社なら会社で、朝、勤務時間の中で、何時から何時迄は掃除の時間と、そういうふうに決めて、会社の中の勤務の中で掃除をなさっているんだろうと、普通は思うんじゃないかと思うんですが、必ずしも掃除の時間というのは決まっていないんだそうですね。
 
鍵山:  私共は何時から何時までというふうに決まっておりません。まあ早く来た人が順番に掃除に取りかかって、しかも誰がどこをやるというふうに決めてあるわけではないんですけれども、始業時迄には、みんなの手で、職場、会社周辺を含めて、全部綺麗になるようになっております。
 
金光:  ということは、業務として「掃除をしなさい」ということではなくて、〈綺麗なのが当然である筈だ〉と言いますか、何か〈身綺麗にして仕事を始めましょう〉と、〈始めた方がいいんじゃないんですか〉という、何となくそういう感じでしょうか。
 
鍵山:  そうでございますね。勿論、職場も綺麗にすると同時に、その掃除に携わったことによって、必ず人間の気持ちも清々しくなっているわけでございますので、その両方が大きな効果をもたらしているかと思います。
 
金光:  やっぱり綺麗になると、事故とか、そういうものも減るもんですか。
 
鍵山:  そうでございます。先ず、車は自分の手で綺麗に磨き上げていれば、事故というものは起きないようになりますね。人任せにしたり、或いは汚いまんま乗っておりますと、どうしても乱暴な運転になったりしがちでございますから、事故に結びついたりするものなんでございます。
 
金光:  それは現実の会社の成績で、そういうのは実感として感じていらっしゃるわけですか。
 
鍵山:  そうでございますね。私共も残念ながら、創業時はよく事故が起こりました。それがこうして車も社屋も綺麗になるようになってから、非常に事故というものは少なくなりました。
 
金光:  今のところ、ずうっと伺いながら感じていたんですが、そうしますと、生きて人間として生まれたら、一つドンと大きなことを一発やって、それをやったら、それでいいやというのとは、ちょっと正反対のお考えのようでございますね。
 
鍵山:  そうでございますね。もともと私が学歴も、特殊な才能も、技能も、何も持たずに社会へ出てまいりましたので、当たり前の平凡なことを、コツコツやるということを心に決めておりました。特別なことを探し求めるより、平凡なことを非凡にしようといいますか、そういう考えをずうっと持ち続けてまいりました。
 
金光:  そうしますと、結果がどうよりも、どういうふうに生きているか、どういうふうに自分は生きたらいいのかとか、そこのところをずうっと押さえて、その方向で歩いて来られたということになるわけでしょうか。
 
鍵山:  そうでございますね。途中に迷いがなかったと言ったらウソになりますが、有り難いことに、迷いつつも、何時も元に戻ると。そうしてこの平凡なことを、或いは小さなことを積み上げる微差、僅差の積み重ね、これが私の人生観でございます。
 
金光:  でも今の経営学から言うと、「ちょっと古いんじゃないか」と言われるんじゃないでしょうか。
 
鍵山:  そうでございますね。いや、随分多くの方から、「そんな考え方では事業は成長しない」ということを断言されたこともよくございました。
 
金光:  そうでしょうね。
 
鍵山:  ですから、そういうことを聞きますと、〈果たして、自分の歩んでいる道は、人を幸せに出来るだろうか〉と思って、考えたこともございますが、しかし、やはり考えても、自分の今の道の方が正しいというふうに、思い直してきたわけでございます。
 
金光:  まだ現実に新しい仕事も、ご自身の方から新規開拓なんかなさらないでも、お客さんの方から、注文が来るような状態だとか伺いましたが、やっぱり今までの話されたようなことを実践なさっているところに、そういう結果が出てきたということなんでございましょうね。
 
鍵山:  そうでございますね。普通ですと、新規開拓、新規開拓に回るべきところを、お客様の方が私共の方に来て下さるという、ほんとに有り難い事業に育って来たわけでございます。
 
金光:  まあ、そこにあるのは如何に生きるかという一刻一刻の過程を大事にして、自分が後味の悪いと思われる方向は避けて、ずうっと通してこられた掃除を通してのそういうお気持ちが、今のような結果になって来ているというふうに思われる。そういうことでございましょうね。
 
鍵山:  そうでございますね。
 
金光:  どうもいろいろ有り難うございました。
 
鍵山:  有り難うございました。
 
 
     これは、平成九年二月二十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」に放映されたものです。