いのちの安らぎ
 
                        元神戸商科大学長 井 上  善右衛門 (いのうえ ぜんえもん)
明治41年神戸市に生まれる。昭和7年神戸商大(現神戸大学)を卒業後、京大文学部大学院にて倫理学専攻。法隆寺にて佐伯定胤について成唯識論を学ぶ。昭和17年出征、昭和24年シベリヤ抑留より帰還復員。昭和36年文学博士、昭和46〜48年神戸商科大学学長。昭和49年から55年まで、神戸女子大学文学部長(神戸商科大学名誉教授)。平成10年5月ご逝去(90歳)。
                        き  き  て     有 本   忠 雄
 
有本:  今日は元神戸商科大学の学長で名誉教授の井上善右衛門さんに「いのちの安らぎ」と題しまして、仏教についてのお話をして頂きます。お話を伺うこの建物は、昭和の初めに建てられた芦屋仏教会館です。六甲山を正面に仰ぐ高台にあって、眺めが美しく、この前の震災でも大きな被害はなかったということです。先生、宜しくお願い致します。
 
井上:  今日は「いのちの安らぎ」という大変よい題を与えて頂きまして、これは現代の日本中の方、いな、世界中の人々が求め願っておる、もっとも人間にとって、根本的な問題かと思います。
 
有本:  宜しくどうぞお願い致します。先生は明治四十一年二月のお生まれということですから、来年の二月が来ますと、満九十歳。お元気でなによりでございます。九十年振り返りますと、先生の人生、いろんなことがおありかと思いますが、今、九十を間近に致しまして、先生のお気持ち、先生の信仰に変化はございましょうか。
 
井上:  九十年省みますと、いろいろさまざまなことがございました。何か今おっしゃったような問題につきましては、深い密林の中を分けてやっとここまで来たという、そういう感じですなあ。戦争、シベリア、そういうところを経ながら、よくまあ生きておったことだと、その点は恵まれた命でございました。
 
有本:  先生のご体験を中心に、しかも先生、ご専門の真宗、念仏の神髄を中心にお話を伺って参りたいと思いますが。先生は最初、商科大学で勉強なさるわけですから、いわゆる経済を中心にした勉強でございましたね。それがまた何でこの宗教、或いは哲学の道へお進みになるんですか。
 
井上:  はい。私の中学を五年卒業する頃、大正終わりですが、その頃、神戸には高等商業と高等工業と、この二つしか国立の学校としてはなかったんです。それで私の父がもう歳をとっておりましたので、家を離れてしまうということは、何か気にかかりまして、そうすると、神戸の高商(こうしょう)(高等商業学校)、当時、水島哲也という校長が、非常に立派な優れたお方で、そういう点から、特長のある高等商業になっておりました。東京の高等商業と並んで、神戸の高等商業というのは、名が響いておりました。そういう関係で家も近いし、いろいろな諸点を考えた結果、高商に入学したわけです。
 
有本:  神商をご卒業後は旧制京都帝国大学の大学院で哲学を勉強なさるわけですね。それはもうご自宅から近いところで、という事情は別で、
 
井上:  その時は最早父が亡くなっておりました。それで些か自分勝手なことで家を空けるというようなこともしたわけです。
 
有本:  大正、昭和の初期と、学生時代をお送りになる方々は、現代の学生と違って、「人生とは」というふうなこと、大変悩むやに伺っておりますが、先生も学生時代、「人生如何に生くべきか」というふうな、精神的に随分お悩みになったこともございますか。
 
井上:  はい。中学五年の間は、一向そういう問題には無頓着でしたが、中学卒業をして、高商に入学した頃から、何かどうも自分が宙に浮いているような感じがしまして、今おっしゃる「何の為に生まれて来たのか」というようなことは、繁く私の内面から私自身に問いかけて来るものがございました。そこで神戸の高商には水島先生のご配慮もあったことかと思いますが、佐々木圓梁(えんりょう)というドイツ語と、それから哲学倫理を教えておられた先生がありまして、そういう方々がおられる学校でしたので、学生の集いもいろいろ仏教青年会、或いは参禅会、それから日蓮讃仰(さんごう)会、いろいろ昔はその精神的な分野のものございましたね。
 
有本:  そういう先生の青春時代の「如何に生くべきか」というふうな人生の悩みを、当時の仏教界と言いましょうか、そういう集いで先生の気持ちを和らげようというお気持ちだったわけですね。
井上:  まあ、ただ今申しました佐々木圓梁(えんりょう)先生には大変お世話になりましたが、その佐々木先生のご縁で、白井成允(しらいしげのぶ)(明治二十一年ー昭和四十八年)という、後の広島文理科大学の教授、その方にお出会いを親しくすることが出来るようになりまして、そんなのが私の何か人生を与えて来て下さった、そういう気持がします。
 
有本:  京大の大学院にお進みになった年は、もう西田幾多郎博士は引退なさって、田辺元先生にお教えを受けられたということでしたね。
 
井上:  丁度、西田先生がお退きになって、田辺先生が哲学の教授として立たれた時でございまして、昭和七年、八年というような頃は、それでもっぱら田辺先生の講義を聴かせて頂きました。
 
有本:  先生は京都大学の大学院で勉強の傍らですか、卒業後ですか、法隆寺でも暫くいらっしゃったということですね。
 
井上:  これはご承知と思いますが、大乗仏教に『成唯識論(じょうゆいしきろん)』という書物がございまして、これは玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)がインドから中国に戻って、そうして十冊の書物になっておるんですが、それが読みたいのですが、何とも一人では歯が立たん。そういうことで、かねて法隆寺にご縁がございましたので、当時の佐伯定胤猊下(じょういんげいか)のところへ参って、「一つ私に講義して下さいませんか」というようなことを、厚かましく申した。そうしたら、「いや、わしは今忙しゅうてなあ。ちょっとその時間がないので」副住職をしておられた「佐伯良謙(りょうけん)という、その良謙和上に話しておくから、良顕さんについて、一つ学べ」と、こういって下さったのがきっかけ。
 
有本:  そんなご縁で法隆寺に暫くいらっしゃった。
 
井上:  いや、それは週に一回。今も覚えています。水曜日ですが、神戸から出まして、通いました。お弁当を持って、向こうで昼食をして、そして、夕方、そうですね、四時頃まで、一人対一人の講義を聞かせて頂いたんですが、あんな恵まれたことは、おそらく今日では不可能なことだと思っております。
 
有本:  最初に、「先生、九十年を振り返って如何でございますか」という時に、戦争に行かれたこと、或いはシベリアで抑留生活をお送りになったこと、おっしゃいましたけれども、兵隊に行くのは法隆寺に通っている頃なんですね。
 
井上:  そうです。法隆寺に通っております。これは残念なんですけれども、途中で打ち切らざるを得なかった。召集令状が来たものですから。それは昭和十七年の時、大東亜戦争が始まって、その明くる年、召集が来ました。それでもこれは老兵なんですけれども、三十五歳で軍隊に入りました。何も軍隊のことは分からない二等兵で。
 
有本:  戦争中のお話を皆さんに伺いますと、「辛くて辛くて」。しかも旧ソビエトに抑留された方々は本当に大変な生活だったようですが、先生の抑留生活如何でございました。
 
井上:  私もシベリアで実は満四年過ごしました。そして世の中にはいろいろあるものだなあということを感ずると同時に、どこへ行っても良い人と悪い人がいるという、そういう実感ですね。
 
有本:  青年時代に「人生如何に生くべきか」というふうな悩みと同時に、また厭な思い出ですけれども、抑留生活も「人生如何に生くべきか」というふうなことで問い直す時間でもあったと。
 
井上:  まあ、そういう後から振り返ってのことですけれども。その時はもう無我夢中でして、後から振り返りますと、やはりこれも私を育てて下さるものの一つであったという、そういう感じは持っております。
 
有本:  青年時代から軍隊生活を経ての先生の前半のお話を伺いましたけれども、先生は今、真宗信者でもいらっしゃるわけですが、どうでしょう、回心(えしん)、或いは先生が深く信仰の道にお入りになるきっかけと申しましょうか、その辺は如何なんでございましょう。
 
井上:  それは学生時代に暗中模索しておったわけですね。そこへ今申します白井成允先生にお出会いすることによって、何か行くべき方向を気付かされたと、そういうことで始まります。
 
有本:  白井先生のお話を、また詳しく伺いますけれども、白井先生のおっしゃったお言葉、非常に今でも頭の中に焼き付いているというふうなことございますか。
 
井上:  あります、あります。特に先生は非常に堪能な歌人でもありまして、歌集は亡くなられた後に、我々で編集致しましたが、まあ、その中には、もはや忘れようとも思っても、忘れられないようなお歌がたくさんございますが、その一首を申し上げますと、
 
     いつの日に死なんもよしや弥陀仏の
       みひかりの中のおんいのちなり
           (白井成允)
 
と、こうい一首が頭に焼き付いています。
 
有本:  先生、たくさんの本をお書きになっていらっしゃいまして、先生、ご自身が今の白井先生のお言葉、或いは歌から、非常に得たもの、それから先生ご自身のお言葉もたくさんご本の中に紹介されておりますが、先生のお言葉で「解脱」についてお書きになった文章がございますので、ちょっとそれを引用しながらお話を進めて参りますが、
 
井上:  それは一つ、有本さんお読み下さいませんか。
 
有本:  はい。それではちょっと私の方から、
 
これは内面に現れて来る奇しき出来事でありまして、それが即ち阿弥陀仏の本願に会うということであります。その仏の願いの大道を行くより他に、私の進むべき道のないことは、私のいのち、そのものが証するところであります。迷いと業と、煩悩を離れた私を見い出すことは出来ませんけれども、しかも、その業と煩悩の私が大いなる究極の真実に包まれ抱かれ、貫かれておるという事実があるのでありまして、その全体的な真実のいのちが、この私の中に働き及び、必ず摂め取るという実際の出来事が現れるのであります。
 
ちょっと長いんでありますが、まさに迷いの業と煩悩を離れることの出来ない私達。毎日の生活でございますね。先生のおっしゃる「いのちの安らぎ」をイメージして頂くと、どんなことになりましょうか。
 
井上:  もとより人間の身体と精神というものは、一体のもので分かつことの出来るようなものではございませんけれども、いま問題点を明らかにする為に、二つに分けて申してみたいと思います。一つは身体としてのいのち。一つは人間としてのいのち。この二つをやはり私共は十分に見つめておく必要があろうと思いますね。身体としてのいのちというのは、これはもう肉体が全てでございますからね。肉体が無くなれば、同時に何もかも消滅する。焼いて灰になって終えば、何も残らない。そういういのちを今日一般にいのちと言いますと、何か念頭に持っておるのでなかろうかと。人間としてのいのちというものに、果たして眼(まなこ)が開かれておるのであろうか。その点から一つ味わってみなければ、問題の所在は明らかにならないと思います。それで今日よく「いのちの尊重」というようなことを申しますけれども、どういう意味で言うているのか、また自分は思っているのか、その辺が極めて曖昧で、おそらく今申した身体としてのいのち、それを「いのち、いのち」と言うておるのではなかろうかと思いますがね。
 
有本:  先生、今、「人間としてのいのちに眼を開くように」とおっしゃいました。さあ、「人間としてのいのちに眼を開く」どういうことでしょうか。
 
井上:  はい。これは元へ戻りますが、「天地宇宙の究極の真実」と申しておきましょうか。まあ、それをご承知のように、仏教では「真如(しんにょ)」とか、「法性(ほっしょう)」とか、「一如(いちにょ)」とか、まあ、難しい言葉で呼びさされておるのでありますが、そういうものと、人間との根元的な関わりというところに、人間としてのいのちの、親鸞聖人のお言葉を借りるならば「志願(しがん)」(願い求めるこころざし)ですね。そういうものに、まず気付くべきことではなかろうかと思いますんですね。この「天地宇宙の究極的な真実」というものが、実は不思議ですが、人間としてのいのちには、向こうから道が与えられておるんですね。それでそういう与えられておるものは、己自らを問い直すという、そういう声になって、若き日には現れて来る。その間柄というものを、私共はこの気付いていなければならんと思います。まあ、一番私の頭に残っておりますものの一つは、堺の吉兵衛(きちべえ)さんの言葉なんですが、
 
     私は死んで行けませぬ
 
という、そういう言葉を、この胸に抱いて、良き師がおられるとなれば、昔のことですから、おそらく不自由であったと思いますが、腰弁当で、その師を訪ねて、自分の胸の内の問題を聞き質(ただ)した。やはり先程申しました人間のいのちというものになりますと、ただ、食べて飲んで寝て起きてというだけでは済まされないものが、各自の胸の中に、必ずや宿っておるかと思いますですね。全ての人のいのちの中に宿されておる、ということは、そういう大いなる真実の働きと言うていいんでしょうか、活動と言うていいんでしょうか分かりませんけれども、それが私共に働きかけておるという。
 
有本:  そうしますと、堺の吉兵衛さんという人のエピソードは、「私は死んでゆけませぬ」それはまだ大いなる真実に目覚めていないんで、私はまだまだ死ぬことが出来ません、ということでございましょうか。
 
井上:  はい。それは非常に素朴ですけれども、意味深い言葉だと思います。死んで行けるも行けないも、寿命が尽きれば人間死ぬんですけれども、しかし、それでは人間としてのいのちは満足しない。それでこれは有名なペスタロッチの『隠者の夕暮』の中にある言葉で、私の胸に焼き付いておりますんですが、ご存じだと思いますが、
 
     多くの人類はその生涯を終っても
     その生涯が彼らを満足させなかったと、
     臨終において、声高く叫ぶ
     人間とは、そもそも何であるか。
     何を彼は必要としておるのか。
     何が彼を高め、何が彼を低くするのか。
     何が彼に力を与え、何が彼から力を奪うのか。
       (ペスタロッチ著『隠者の夕暮』より)
 
その問題点が忘れられておるところに、人間としてのいのちのもっとも根本的な問題が潜んでおると申して良かろうかと思いますね。
 
有本:  自己の根本的な問題を満たしていない。それで肉体的ないのちが終わっていいのか、問いかけているわけですね。
 
井上:  この肉体と区別して、「人間としてのいのち」と言う言葉を使わせて頂いたのは、そういう点を一つ明らかにしていくことが、現代的にも、全世界の人間にとって大切なことだと思うんですね。先程も申したように、必ずや一度は内面の声に触れるんですけれども、おっしゃるように、忙しい明日の仕事が待っておるというようなことで、追われ追われて、人間のいのちを終えてしまう。これは、私、勿体ないことだと思います。
 
有本:  本来の自分を自分自身が気が付かない、或いは本来の自分がどこにあるんだろうというふうなことを、曖昧に考えている。それがまあ現代人。どうでしょう、先生、その辺、人生の処方箋と言いましょうか、そういう現代の人間に、もっと本来の人間、本当の人間に目覚めて欲しいと、処方箋を書いて頂くとしたら、どんなことがございましょう。
 
井上:  人間のいのちというのは、これは人さまざまなものと思いますけれども、しかし、根本の問題を何かこう見い出して、それと同時に、光明(ひかり)を気付くということがなければ、人間のあるべきあり方を全うせずに死んでしまうということになるんですね。今日(こんにち)は「いのちの安らぎ」という題ですが、この「安らぎ」ということも、これはそのもの自体の根本的なあり方に適うということがなければ、本当の安らぎ、満足というものは現れてはこない。例えば、何事によらずですから、例えば、ここに夫婦があるとする。お互いに愛し合い、互いに思いやりの心をもって助け合うという、そういうことであるならば、おそらく貧しくとも、その夫婦の中には流れる安らぎというものがあろうかと思います。それが殆ど何か物質的なもので覆い隠されてしまって、そして、あるべき真(まこと)のあり方というものに、気付かないものですから、そこに人間の、先程のペスタロッチの言葉ではございませんが、いよいよいのちが終わる時になって、「この自分の一生は、私を満足させなかったと、声高く叫ぶ」という、そういうこれはよく言っておると思うんですね。
 
有本:  先程、「光明(ひかり)が見えない」、「光明(ひかり)」とおっしゃいましたけれども、やはり先生のご本の中に、『高僧和讃(こうそうのわさん)』でございますか、ご紹介がございまして、
 
     無碍光如来(むげこうにょらい)の名号(みょうごう)と
     かの光明智相(ちそう)とは
     無明長夜(むみょうじょうや)の闇(あん)を破(は)し
     衆生の志願(しがん)をみてたまう
      (親鸞聖人『高僧和讃』)
 
と、ご紹介がございますね。この「衆生の志願」私達が是非希望する、こうあって欲しいということでございましょうが。
 
井上:  先程、申しました「究極の真実から、現れるところの働きというもの」それが私共の中に、常に働き続けて来て下さっておる具体的な姿の一つが阿弥陀仏です。これはキリスト教と違うところで、究極の真実というのは、今申しますように、「真如(しんにょ)」とか、「法性(ほっしょう)」とかというものなんですが、それが具体的に、私共のいのちに呼び掛け、私共のいのちに働き掛けるという、その具体的な姿が阿弥陀仏にまします。そういうことだと思います。ですから、その阿弥陀仏の呼び掛けと、そして、私のいのちの根源をそこに納めとって下さるという、人間としてのいのちの真(まこと)のあり方、そういうあり方に適うところを、先程おっしゃった親鸞聖人は「衆生の志願をみてたまう」と。ただ、虚しい物語を聞くのではない。私共のいのちと対決して、そして、いのちの中から、最後に私共の人間としてのいのちの志願を満足ささなければ、それは真(まこと)の安らぎは現れて来ない。真(まこと)の安らぎは先程申したように、物事が本当のあり方に適うた時、その時に、安らぎというものはあるものでございますからね。その他にいろいろ人間が欲望を持って、満足に変えるということをしてみましても、それは一時のことに過ぎないことであって、真(まこと)の満足というものは、即ち安らぎというものは、現れては来ない。そう思います。
 
有本:  まあ、大海に船出をして、舵を切る人、そして、船長さんが居て、目的に沿った航海が出来るわけでしょうけれども、どうやら、我々一人一人がそういう主人公ではなり得ないと言うか、主人公ではないんだということでございましょうかね。
 
井上:  一人一人が、その主人公なんですけれども、それを末とおって(徹底的にの意)解決をしようとする、そういう意欲がやはり人間には忘れられておると言いましょうか、薄らいでおると言いましょうか、偏(ひとえ)に物質的なもの、肉体としてのいのちの欲求満足ということに関わり果てておる。現代文明の一番大きな問題点、盲点は、そこにあると思いますなあ。
 
有本:  そうしますと、本来一人一人はいのちの安らぎ、本当のいのちについて、本当のいのちを持ち得る人間なんだけれども、どっかに置き忘れたら気付かない。「早く気付きなさいよ」ということになりますね。
 
井上:  はい。「早く気付きなさい」と言うて、朝に夕に私共の耳元で囁(ささや)いておられる仏の御働きを、私共は無明の闇と。それから、煩悩でもって覆い隠しておるんですね。その人間のいのちに宿されておる大いなるものからの働き掛け、それを私共の「人間的知性」と言いましょうかね。或いは、「理性」と申しても宜しいが、そういうものが返って現代人には邪魔になっておる。ところがご承知の出雲(いずも)の温泉津(ゆのつ)の才市(さいち)さんの如き人は、無学ですからね。文字も十分書けなかったという人ですから、そういう理性の働きというものを超えたところに頂くことの出来る真実にかえって、何と言いましょうかね、直接に飛び込むことが出来た。ですから、これは浅原才市さんの道理理屈が言わしておる言葉ではなしに、いのち、そのものの迸(ほとばし)りという、そういうものと言わねばならんかと思いますが、結局、才市さんの安らぎというのは、大いなる働きに抱かれ包まれ貫かれた時の安らぎですなあ。それで私、こういう才市さんの句の一つがあると思いますが、雄大な言葉です。
 
     わしのよろこび
     虚空(こくう)のごとく
     世界のごとく
     虚空世界も南無阿弥陀仏
     ここにわたしを
     住まいをさせて
     くださる慈悲が
     南無阿弥陀仏
       (浅原才市)
 
と、拝んでいるんですなあ。ああ、やっぱりこれはまさしく究極的真実に触れた人の胸の中から、迸り出たところの理屈、道理ではない。そうではなしに、「いのちの叫び」とでも言うていいような、そういう言葉ではないかと思いますなあ。
 
有本:  成る程。それと、先生、
 
     仏の心は
     不思議なものよ
     目には見えねど
     話しができる
     仏と話しをするときは
     称名念仏
     これが話しよ
       (浅原才市)
 
井上:  私も山陰地方へ参った時に、才市さんの家を訪いましたがね。こういうところに、こういう人が生まれ出たのかなあ。ああ、私共よく省みて見なければならんと、つくづくその時、思いましたが、
 
     ありがたいなあ
     照らしぬかれて
     照らしとられて
     なもあみだぶつ
       (浅原才市)
 
という句がございますがね。これ何かも、才市さんでなければ言えない言葉、そういう気が致しますなあ。
 
有本:  確かに、「有り難いなあ」という、私達は日常よく使いますけれども、この才市さんの「有り難いなあ」というと、何かこう感動の迸りを感じますね。
 
井上:  そうですね。
 
有本:  「照らしぬかれて、照らしとられて」、
 
井上:  真にその通りだと思います。
 
有本:  自己が自己を超えたものになるということでございましょうか。
 
井上:  さあ、そういう自己が自己を超越した立場にするというのではなしに、無明の煩悩、そのものの中で、しかもその私を摂め取り、抱きとっておられる。そういう実感でしょうなあ。もう末とおって何ともならん己を、いま現に阿弥陀仏の本願の中に救い取られておるという、それが照らし抜かれた結果、照らし取られたという、そういう言葉になって迸っておるんですなあ。
 
有本:  先程、先生、「現代人は知性で、理屈で」というふうな話がありましたが、「そんなものじゃないんだよ」ということですが、遂こう才市さんの詩を読んで、これはこんなことを言っているのではないかなあと、勝手に解釈をしがちでございますが、先生、才市さんの、
 
     浄土を早く拝みたい
     拝みたいなら
     六字に拝め
     六字は浄土の
     南無阿弥陀仏
      (浅原才市)
 
という詩がございます。「浄土を早く拝みたい」真実がそのまま輝いている世界に早く私も、ということで、才市さんはまさに感動的に、そういう言葉が出て来たと。
 
井上:  特に親鸞聖人の御教(みおし)えは浄土真宗でございますから、浄土ということを離れてはあり得ない御教えでございます。それで浄土ということが、現代人には何か観念化されまして、遠い世界であるとか、或いは、さぞかし言葉には尽くせないところであろうとか、そういう人間的な時間と空間の中で浄土というものを思い、語っている場合が多いと思います。しかし、浄土というのは、そんなものではないと思います。何かこう死んでから行く世界というような観念が付きまといますと、真実の浄土をかえって覆い隠すものではなかろうかと。ですから、浄土ということを、昔の方は、「後生(ごしょう)の一大事」というような言葉で言い表して来られたんですけれども、禅の方から言いますと、
 
     後生の一大事とは現在只今のことなり
 
という言葉がございますね。これは正受(しょうじゅ)老人の言葉と伝えられておりますが、現在をおいて死後に何かがあるというのは、やっぱりこれは一つの人間の観念の影ですわ。そんなものを期待しておる信仰というものは、私はおそらく間違ったものであろうと思いますね。
 
有本:  まあ、浅原才市さんの歌も幾つかご紹介頂きましたけれども、先生は現代の童謡の中にも、その意味合いをよく表現したものがあるということで、
 
     お母さん
     お母さんてば お母さん
     何も用事はないけれど
     なんだか呼びたい
     お母さん
         (童謡)
 
この童謡を挙げていらっしゃいますね。
 
井上:  これは、私共人間としての生活の中で、各自が実感することなんですが、本当の親に対する喜びと言いましょうか、追慕(ついぼ)と言いましょうか、そういうものは道理、理屈を超えたところに、親子の通いというものはなされていた。それが今おっしゃる「お母さん お母さんてば お母さん 何も用事はないけれど 何だか呼びたいお母さん」という、こういう言葉になっておるので、本当の母親を慕うことは、私はこういうものだろうと思いますなあ。
 
有本:  まさに才市さんの、「仏の心は不思議なものよ 目には見えぬが話が出来る」。「お母さんはいつでも私の話し相手だ」この「お母さんてば お母さん」この童謡は共通点がございますね。
 
井上:  現代はそういう親子関係が薄らいでおることは事実だと思います。心の底には真の親子のあり方というものから迸(ほとばし)る感情があるんですけれども、それをさて置いて、親というものは頼みもしないのに、この世に私を生んでしもうたという、そんな思いより他ないようなことになりつつあるのではなかろうか。これでは人間としての真(まこと)のいのちの根源に私共は立ち帰るということは出来なくなってしまう。何かそれからどんどんと離れていくような、そういう傾向もございますね。
 
有本:  そういう傾向にブレーキを掛けて、何とか本当の自分に目覚める。先生、如何でしょう。本当にそれで良いよというようなことで流されては困るわけで、やはりブレーキを踏んで、早く軌道修正なり、早く本当の自分に目覚める。如何でございましょう。
 
井上:  私はその時、申したいことは、やはり真実に触れるということは道理理屈を幾ら聞きましても、無駄なことで、やはりこの人格を通して、そういう大いなるいのちのにじむものに触れることではなかろうかと思います。そういう点において、良き人に会うということ程、今おっしゃっる何か人間に忘れられようとしつつあるものを、本当のところへ立ち直らせて下さる、そういうものを、やはり私は人格を通じて現れることではなかろうかと思います。この仏教会館を設立された丸紅の初代の社長伊藤長兵衛さんですが、現在は伊藤長堂翁と申しておりますがね。若き日に、あれは元々大津商人でして、あちこちへ、やはり商売上の関係で行かれることがあった。それで九州の博多の万行寺(まんぎょう)に七里恒順という大徳がおられた。その七里和上のお話に感動されたのが、この会館が建つもとですわ。それで何とか自分の業(ぎょう)を、道を修めることが出来た曉には、皆さんがこの真実を聞いて下さる、そういう場所を作りたいという、そういう願いが起こって、この会館となったわけです。私にしましても、先程、申しました良き師に会うということがなければ、現在の私はなかったろうと思います。これはなかなか人に会うというのは、捜して会えるものではございませんのでね。これはやっぱり恵まれる結果というより他ないのではないかと思います。
 
有本:  先生も先程からいろんなエピソードをご紹介下さって、先人の言葉であったり、或いは信仰に生きた方々のお話であったりということなんですが、肉体的ないのち、そして人間としての本来的ないのち、「現代人はとかく人間としてのいのちを忘れている。だから本当のいのちの安らぎを得ることが出来ないんだ」というお話でございますが、ブレーキを踏んで、そうは言っても、現代人はやっぱり本当の人間のいのちの安らぎを求め捜したい、先生、おっしゃる素晴らしい人との出会いがありますよと。如何でございましょうか。
 
井上:  まあ、これが仏教で縁と申されております言葉の姿だろうと思いますが、良き師に巡り会うということは、一つは先程申しました吉兵衛さんが、自ら「これでは死んでいけません」と、自分自身こう感じたんですね。事実。死んで行くも行けるもない。肉体が私だということであるならば、そんな言葉は出ようがない。それではなしに、人間としてのいのちの中に、今生きておる私の本当のいのちのあり方に適うた、そういう状態に私共が達することが出来た時に、そこから自ずと安らぎというものが現れるものだと思います。それをさて置いて、何かどうも安らぎが他にあるかのように考えておることも多いのですが、いやいやそんなものではない。やはり今申しますように、それが為には良き師に会うという心構え。だから、吉兵衛さんは弁当下げて歩き歩いた。それは考えて見ますと、本当にこの人間としての私というのは、何を今までして来たのか。歳を取れば取ったで感じることですが、いろいろ覚えたこと、知ったこと、だんだん老いと共に忘れて行きますね。本当に役にたっているものがあるならば、それは無くなる筈がない。何か影法師を追うて、勉強したという結果でしょうか。歳を取るに従って、深く感じることですが、それに付けても神戸に稲垣瑞劔(いながきずいけん)(明治十八年ー昭和五十六年)という、これは本来の名前は稲垣才蔵とおっしゃるんですが、私は中学時代から、お世話になった先生の一人ですが、あれは確か八十歳になられた時、自らを省みて、
 
     八十年なにを聞いたか覚えたか
       南無阿弥陀仏ただ一つ
 
という、そういう句を頂いた。私は本当だと思いますね。私も詰まらん学問への執着を持って、書物はいろいろ読むには読んだですけれども、それが全部残っておるかと言うと、決してそんなものではございませんね。歳と共にどこかへ消えて行く。消えて行かないものは「南無阿弥陀仏ただ一つ」という、そういう実感を語られた句だと思いますがね。私、尊いお言葉だと思って、常に思い出しておるわけなんです。
 
有本:  素晴らしいお話でございました。本当に歳を取る。今まで歩いて来たことを、時には忘れたり、右から左へということがあるけれども、今の句で言えば、「南無阿弥陀仏ただ一つ」。それは、「本当の自分、いのちの安らぎを見出すことが出来ましたよ」という、メッセージでございますね。
 
井上:  そうですね。そうだと思います。
 
有本:  どうぞ先生、これからもお元気で。今日は本当に有り難うございました。
 
井上:  いや、どうも失礼致しました。
 
 
     これは、平成九年十月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。