わたしの一茶
 
                    洛西キリスト教会牧師 パトリク・マケリゴット
昭和十四年英国生まれ、海外宣教師として、昭和四十年来日。以降、主に滋賀県で活躍した。その間、一茶の研究にも取り組んで、博士号を修得。現在各地から招かれ講演行脚をして回っている。
                    き き て      有 本  忠 雄
 
有本:  今日は「わたしの一茶」というテーマで京都洛西キリスト教会牧師のパトリク・マケリゴットさんにお話を伺うことに致しました。どうぞ宜しくお願い致します。
 
マケリゴット:  宜しくお願い致します。
 
有本:    マケリゴットさんはイギリス、ロンドンの生まれでございますよね。
マケリゴット:  そうなんです。
 
有本:    今、お幾つでいらっしゃいますか。
 
マケリゴット:  今は五十八歳です。
 
有本:    イギリスでは少年時代というのはどういう少年だったんですか。
 
マケリゴット:  ロンドンで生まれたんですが、私は五歳か六歳位の時に、父も母も失業しまして、家族として困りました。結局、六歳から十一歳まで施設と言うか、孤児院、そういうところに入れられ、家族がバラバラになりまして、社会福祉ですから、ドンドン施設から施設へという移りがありまして、十一歳迄は五つの小学校へ行ったわけです。ですから、そういう落ち着いた家庭生活はその当時に味わっていなかったわけです。十一歳の時に、父も母も共稼ぎとなりまして、市営住宅も与えられて、やっと何年振り、八人家族となったわけです。とっても嬉しかったんですけれども、その市営住宅はロンドンの下町の下町で、いわば荒れた社会と申しましょうか、犯罪率の高いところで、小学生や中学生が育つには難しい地域ですね。結局、十一歳からプンプンと、タバコを吸ったり、十二歳から酒の味を覚えたりして、十三歳の時に、万引きで捕まえられたり、その時に私は一人で万引きをしたわけではないんです。私に万引きを教えてくれた、「くれた」と言うのは言い難いんですが、これは私の母なんですね。
 
有本:    ほう。
 
マケリゴット:  あまりお金がない家庭でしたので、自分の子供がボロ服で学校へ行かせたりするということは、我慢出来なくて、我々子供への愛のあまりか分かりませんが、毎週のようにデパートに行きまして、子供の服のみを盗んだわけです。自分の為に何も盗まなかった。我々青年を育てて、二人で万引きすることになったわけですね。それで母と共に捕まえられました。それで母が刑務所に入れられたんですね。万引きと言う罪ではなくて、青年に万引きを教えているという罪が重いと言われて、刑務所に入れられたんです。でも、その時から私も泥棒ですね。年寄りの部屋に忍び込んで年金を盗んだり、最初にやった時に、「これは最初で最後」と自分に言い聞かせながら、止められなくて、毎月のように部屋に入り、年金を盗んだわけです。
 
有本:    で、何故キリスト教の世界にと言うか、きっかけはどういうことなんですか。
 
マケリゴット:  そうですね。そのきっかけと言うのは、やっぱりスポーツでした。スポーツも熱心で、特にイギリスのサッカとか、そしてクリケット、卓球、水泳ですね。そういうどんなスポーツでもやってみる精神でありましたので、その荒れた地域にはスポーツ青年団があったんです。しかし、それはキリスト教の伝道所に属しているグループでありましたので、私はスポーツをやる為に、その小さな教会みたいなところに出入りするようになって、そこでは聖書の話がよくありましたが、私自身には聖書の話には聞く耳がなかったわけですね。あんまり興味がなかったわけです。スポーツをやればやるほど、上達するんですね。私、卓球のチームに入ったんですが、四人だけでしたけれども。そのチームのキャプテンが敬虔なクリスチャンでした。そうしてその人が私を友達にしてくれまして、十七歳の時でしたけれども、彼が私をあるパーティと言うか、誕生日会に誘ってくれました。彼のガールフレンドの誕生日でしたね。土曜日の夜でしたが、私は楽しみにして、「パーティ」という言葉が大変楽しい響きがあるわけでしょう。それが楽しく行ったわけですけれども、そのガールフレンドの家に入った時に、何や、騙されたという気持ちになった。何故かと言うと、そのところまでの私に対する「パーティ」というものが酒を飲んだり、賭事をやったり、騒いだり、踊ったりというものでしたけれど、彼のガールフレンドの誕生日会には酒がない。そして踊りがない。みんなジュースを飲んだり、子供を出(だ)汁(し)にゲームをやったり、〈これは騙されたなあ〉と思って部屋の片隅に座り込んで新聞を読んだんですよ。参加する気持ちも何もない。十時頃になって、パーティが終わりと。もうみんな解散という。あれも驚きました。土曜日の夜、十時で終わるパーティは私、そのところまでないものですから、驚きました。そして、私を誘って下さった卓球チームのキャプテンが、私に重いレコードとか、レコードプレーヤーを、「運んでくれませんか」と頼みをしたわけです。
 
有本:    彼の家に。
 
マケリゴット:  そうです。彼の家へ。彼の市営住宅と私の市営住宅は近いですので、同じバス停へ帰るんですからね。私は、「ああ、いいですよ」と言って、彼の市営住宅まで行きました。アパートですけれども。彼の玄関先に着いた時に、十一時頃ですね。そして彼が私に、「コーヒ飲むか」と言って、内に入るように誘ってくれたんですね。まだ夜の十一時ですから、家に帰るわけないんです。早すぎる。だから、彼の市営住宅の台所に入って二人でコーヒを飲みながら、ずうっと話したわけですね。少し彼が提供した話は全部スポーツの話ですね。サッカとか、クリケットとか、卓球とかですね。そして何倍もコーヒを飲みながら、もう十二時になって、朝の一時になって、そしてずうっと話していたんですけど、朝の二時になったんです。その時に彼がスポッツの話を止めて、本棚から大きな聖書を取り出したんですね。そしてその聖書を読みながら、私にキリスト教のことを教えようとするんですね。そうされた時の私が、〈また騙された〉と思ったんですね。彼がずうっと待っていたんですよね。私にキリストのことを話したかったらしいんです。私はキリストの話を聞く耳がないものですから、議論したんですね。彼が何を言っても、私は頭から反対したんですね。しかし、彼は非常に不思議な青年でした。私がいらいらしたり、怒ったりしても、彼は謙遜で、静かに聖書を開いて、「でも、神様の言葉にはこう書いてあるんだ」と。そして私は反論するんですね。しかし、彼は、「でも、神様はこうおっしゃるんだよ」と静かに言う。私はほんとに厭でした。で、三時頃になりました時に、彼がその大きな聖書ですが、音を発てて閉じて、本棚に返したんですね。そこで私は〈勝ったなあ〉と思った。彼が〈諦めたなあ〉と思いました。もうそこで私は立って自分の家に帰ろうと思っていたんですね。しかし、彼が私にこう言ったんです。「帰る前に、もう一つの話を聞いて下さい」と。でも、私は〈もう勝った〉と思っていたんですから、油断しているんですよ。だから、「いいですよ」と私は言ったんです。その時に彼がこういう話をしたんです。「例えば、二人の仲良い友達が道を歩いているんです。一人が向こう側の店に入りたい為に、道の真ん中を渡っている。そうしている中に、ダンプカーが急スピードを出して、彼にぶつかりそうになっているんですが、彼が意識していないんです。分かっていないんです。しかし安全なところに立っている仲間がそれを見て、彼を助ける為に、道の真ん中まで走って、彼をダンプカーの前から押しだんですね。押した瞬間、助けに行った人がダンプカーに跳ねられて、即死した」。私の友達が私に、「もしも、あなたが助かった方であるならば、どうしますか」と言うんですね。そうして私自身がどうするかというレベルで考えていないんです。私はこう思いました。この人を驚かせるほど、賢い答えは何であろうかと思ったわけですね。そして、「二、三分与えてくれ」と言ったんです。そして私は考えたんですね。〈賢い、ある意味で気高い答えは何だろうか〉と。そして私は自分自身も感心するほどの答えを拵えたんですよ。私はこう言いました。「もしも、私の為に死んでくれたならば、私は彼の両親、お父さん、お母さんのところに行きます。そして、そのお父さんとお母さんの前に、私はこう言います。「あなたの息子が私の為に死んで下さいました。先ず、私は心からお礼申し上げます。有り難うございます」と。そしてそれだけではなくて、「あなたの息子が私の代わりに死んで下さったんですから、私はあなたさえ宜しければ、あなたの息子になります。どうぞ、私を受け入れて、私はあなたの言う通りに人生を運びますから」と。〈なかなかいい答え〉と、私自身は思っていましたね。そしてその答えを聞いたその十七歳の友達が何をしたかと思いますか。彼が本棚からでっかい聖書を、また取り出して、何の解説もなく、私にこの言葉を読んで下さいました。
 
     わたしたちがまだ弱かった時、キリストは定められた時に、
     不敬虔な者のために死んでくださいました。
     正しい人のためにでも、死ぬ人はほとんどありません。
     情け深い人のためには進んで、或いは死ぬ人が或いはいるでしょう。
     しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、
     キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
     神はわたしたちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
 
これはローマ書の五章六節から八節までのところです。彼がそれを読んで下さいました。先ず、私が感じましたのは、〈私さえも真の神様に愛されている〉という、そのことが分かったんです。つまり、〈もしもキリストが私の為に死んで下さったならば、それによって神様の私に対する愛が、この言葉通りに示されているならば、私は今までの生き方を止めることが出来る〉〈私には別の生き方があるんだ〉というふうに感じました。私は言葉を聞くだけで、クリスチャンになったりとか、そんなことはなかったわけですけれども、〈私さえも愛されている〉という、そのことを分かった時に、反論を止めました。素直に彼が私に教えている聖書の言葉に耳を傾けるようになったんです。そして彼が私にいろんな聖書の言葉を聞かせて下さって、私はもう感動しました。やっぱり〈愛されている〉という喜びがあったわけですね。最終的に彼が私に聞かせて下さった聖書の言葉はこの言葉です。
 
     もし、罪がないというなら、私達は自分を欺いており、
     真理は私達の中にありません。
     もし、私達が自分の罪を言い表すなら、
     神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、
     全ての悪から私達を清めて下さいます
 
と。この言葉によって、彼がこのように説明して下さいました。もしも私達、自分の罪、過ち、それを言い表す、いわば悔い改める。そういう祈りをするならば、神様がイエス・キリストの十字架に免じて、私達の罪を全て赦して下さる」と。そして彼がこれを読んだ時に、彼が私にこう言うんです。「あなたはクリスチャンになりたいですか」と。そして私は、「なりたい」と言うんです。そこで彼がとんでもないことを言ったんです。「なりたければなりなさい」。「どういうことですか」と聞きますと、「今、この御言葉通りに、お祈りしなさい」と。「ここですか」と聞いてみると、「はい。ここです」と。そして、結局、私は彼の市営住宅の台所の床に跪(ひざまず)いて祈りました。「天のお父様。キリストが私の為に死んで下さった。私の身代わりになって下さった。私は十七歳ですけど、一度もそのことに関して、感謝の祈りをしたことはない。勘弁して下さい。そして私の今までの全ての罪を赦して下さい。悔い改めます」と、祈ったんですよ。単純な祈りでしたけれども。その時にほんとに私は別人にな りました。
 
有本:    それがマケリゴットさんの回心(かいしん)と言いましょうか、と言うことなんですが、その後はそうしますと、クリスチャンにおなりになって、学校か何かに行かれるんですか。
 
マケリゴット:  いや、高等学校も大学も行かなかった。就職をしました。キリストに出会ってから、一年半位経って、その当時イギリスでは徴兵ですか、みな兵隊になる。その時に私は健康でしたので空軍に入ったんです。三年間でしたけれども。空軍に入ったということは、私にとっては良かったです。と申しますのは、その中でこれからの人生はどうしたら良いかという、そういう考える時間が一杯ありました。
 
有本:    空軍の生活を送りながらね。
 
マケリゴット:  そうなんです。それで、私、クリスチャンになりましたので、これからの自分の人生を神様に捧げるという、そういう思いがありましたので、私はこれからどうするか、ということを、お祈りしているうちに、海外宣教師、いわば、伝道師と言うか、キリストの愛を述べ伝えるという、そういう導きを得ました。ですから、二十二歳の時に、空軍から解放されて、二週間経たないうちに、私はキリスト教の宣教師育成学校に入学しました。そこで二年間、聖書の学びをして、その後から一年間、キリスト教の出版部、そういう実際的訓練を受けて、キリスト教の文章を述べ伝えると言うか、いわば、配るという、そういう為に、日本に来ました。
有本:    お幾つの時ですか。
 
マケリゴット:  それは二十六歳の時でした。
 
有本:    初めて日本にいらっしゃったのが二十六歳の時。
 
マケリゴット:  はい。
 
有本:    そうですか。どこへいらっしゃったんですか。日本の。
 
マケリゴット:  まず、東京。今でもあると思いますが、御茶ノ水キリスト教学生会館。その中に本屋があるんです。私、まず最初にそこに務めました。日本語を勉強しながら。
 
有本:    しかし、全く日本語が出来ない方が日本に来て、伝導生活に入られる。しかも、今日は一茶のお話も伺うんですが、一茶の研究者におなりになる。一茶の研究の道にお入りになる動機というのは、どういうことですか。
 
マケリゴット:  それはどうせ日本語を学ばなければならないということが分かりました。そして私にとっては日本語という言葉が多少難しかった。それで私はロンドン大学と関わりをもって、修士号を目指すことになったわけですね。五年間かけて、独学で、大学の、いわば資格を得ようと思って。そして修士号の勉強の中では、日本の古典文学を英語に翻訳するという部分があったわけですね。そこで私は初めて日本の俳句に出会ったんです。その勉強の中では、芭蕉、蕪村、一茶の、いわば三大俳人の幾つかの句があって、それを英語に翻訳しなさいという勉強でしたね。そして私は芭蕉の俳句を読んで意味深いと多少解りました。蕪村の俳句を読んで何か文学的に輝かしいということも感じました。そして初めに一茶の俳句を読んだ時に共感を覚えました。というのは、まず、庶民的、実際的、弱者の友。そしてひねくれたヒューモアと言うんですか。あれを読んだ時に、それが私が少年時代から経験したロンドンの国民と言えば、日本で言えば江戸っ子ですね。あの地方のヒューモアとピッタリあっているんです。だから、〈いや、この人、私が解るかも知れない〉という。この人の作品ならば、私が何か近いものを感じたんですよね。ですから、この一茶の俳句をもっと知りたいなあと思って、勉強がドンドン進んでいったわけですね。そうしてイギリスに帰りまして、ロンドン大学の修士号の試験を受けたわけですね。それも案外成績が良かったですので、博士号の、いわば大学院の勉強も許されたわけです。大学院の勉強でしたら、自分自身が論文の概論を提供しなければならない。自分で選ぶわけですね。それで一茶のことをもう少し徹底的に研究しようと思って、『一茶の作品と生涯』という論文を六年かけて、一茶のことを研究したんですね。
 
有本:    そうしますと、ロンドン大学から博士号という学位は貰われたわけですね。
 
マケリゴット:  やっとそうしたんですけれども。
 
有本:    素晴らしいですね。
 
カケリゴット: いや、もう大体の方ならば、三十代で得るものですが、私は四十代になりかけているところで、まだまだ勉強しているんですが、いわば、遅いと言っていいと思いますけど。
 
有本:    これから一茶の俳句をご紹介頂きながら、お話を進めてまいりますが、お好きな俳句を幾つかご紹介頂きながらお話を、と思いますが。
 
マケリゴット:  京都の古本屋さんを廻って、いろんな一茶に対する本を集めたわけですね。そうしますと、私には二種類の本があったわけです。こちら側には聖書と、この聖書の注解書とか、そうしてこちらは『一茶全集』と、一茶に対する本がある。全く別世界と私は思いました。しかし、学べば学ぶほど、こちらの聖書の勉強して、説教の準備をしているうちに、勝手に一茶の俳句が頭に入ってしまうんです。また逆にもなったわけですけれども、一茶の俳句を学びながら、聖書の言葉が連想するようになったわけです。最初に私は聖書の話を準備しているうちに、私の頭に入って来た一茶の俳句、それは私のある意味で一番好きな俳句になったわけですけれど、無名な句だと思いますが、こういう俳句ですね。
 
     蓮(はす)の花虱(しらみ)を捨(すつ)るばかり也
         (寛政三年紀行)
 
こういう俳句です。
 
有本:   蓮の花 虱を捨るばかり也
 
そうですね。まあご存じの方も勿論たくさんいらっしゃいましょうけど、それほど有名な一茶の句ではないんですね。
 
マケリゴット:  何故、私はそれが好きになったかと言うと、その俳句の背景ですね。一茶が俳句の旅をしているうちに、安っぽい宿に泊まったり、また野宿をしたりすることもあったと思いますが、そういう旅をしているうちに、虱が衣に付くんですよね。今は不潔ですけれども、昔の人にとっては虱が付くというのも、旅の友じゃないんですけれども、普通でしたかと思いますね。そしてそのまま一茶があるお金持ちの俳句仲間の大邸宅に着いたわけですね。立派な家でありまして、裏には綺麗な庭園というか、お庭があったわけですね。その庭園の中に池があって、蓮の花が見事に満開している。清い花でしょう。そして一茶がそれを見て、客人としてその美しいものを称賛する俳句を作るべきという気持になって、「蓮の花」という頭の言葉を書くんですね。しかし一茶が綺麗な俳句作れないんですね。ここでは何故かというと、「蓮の花」という言葉を書いて、私達の期待感が湧いてくるわけですが、それを書いた瞬間、虱が動き出して、痒(かゆ)くなって、もうそれを「捨(すつ)るばかり也」という、その時に私が学んでいった聖書の言葉はこの言葉でした。
 
     わたくしは、わたしの内、すなわち、私の肉の内に
     善が住んでいないのを知っています。
     わたしには善をしたいという願いがいつもあるのに、
     それを実行することがないからです。
     わたしが自分でしたいと思う善を行わないで、
     かえってしたくない悪を行っています。
 
これは「ローマ書」の七章十八節と十九節ですけれども、そこでやっぱり私自身の姿が見えたわけですよね。いわばもう泥棒止めたかったんですが、止められなかったという自分の弱さというか、一茶が美しいものを賞賛したいんですが、目の前に美しいものがあるのに、それをほんとに誉める、描写する俳句を作らずに、途中でもうとんでもない俳句を作ってしまうわけでしょう。「虱を捨るばかり也」という。自分は善いことをやりたいんですが、自分自身は邪魔になっているという。醜い自分、邪魔になっている。だから、私はその俳句を聖書の言葉の説教の中に入れたわけなんですね。それを聞いた人達が、「成る程、その俳句に会って、少し聖書との親しみを感じた」とおっしゃって下さったんですね。そのように一茶の俳句が、私の説教に少しづつ入ってきました。後からこの手紙を書いたパウロがこう言うんです。
 
     私はほんとに惨めな人間です。
 
そうでしょうね。少し後から彼が書きますのはですね。
 
     私を救えだしてくれるのは、何でしょうか。
     私達の主イエス・キリストの故に、ただ神に感謝します。
 
と書いてあるんですね。つまり、「こういう惨めな状態から、私達を救い出して下さるのが、キリストだ」とパウロが言ったんです。私の体験はそうでした。
 
有本:    成る程。
 
マケリゴット:  ですから、その俳句が、〈成る程〉と、私にそういう印象を与えて下さったんですね。
 
有本:    次はどんな俳句になりますか。
 
マケリゴット:  そういう体験をしましたので、私は説教の準備をしているうちに、もう度々俳句が私の頭に入ってくるわけですね。例えば、これは別に有名な俳句ではないんですけれども、こういう句がありますね。
 
     はづかしやおれが心と秋の空
        (七番日記・文化期)
 
そこで一茶が秋の空という。これはもう澄んだ清い雲一つもない空という意味だと思いますが、そういう美しい完全に近い自然界を見る時に、一茶が自分の心が、やっぱり十分ではない。いわばこの自分を恥ずかしい。自分の実状というかね。恥ずかしいという。そういう俳句、またもう一つ、そういう人間は我に返って自分の実状を見つめるという。一茶の俳句には、こういうのがありますね。
 
     長き夜や心の鬼が身を責(せめ)る
         (七番日記・文化期)
 
夏の俳句でしょうね。暑き夜を寝られない。暑い。一人で。その時に自分自身を見つめる心の鬼。これは良心でしょう。身を責める。罪意識が生まれてくるわけですね。一茶の俳句にはそういう俳句が幾つかあると思いますね。例えば、こういう俳句も、
 
     花の陰寝まじ未来が恐ろしき
        (句帖写・文政十年)
 
これも一茶が百姓さんの息子でありながらも、全然畑をやらないという、そういう意味もあると思いますが。寝られない未来が怖ろしいという。罰が当たるという意味。そこで人間がやっぱり自然界を見て、自分の足らなさを覚える。また一人になって、我に返って自分自身が、やっぱり足らないという。そういう意識を持つようになるわけです。また、
 
     又人にかけ抜かれけり秋の暮
         (文化句帖補遺)
 
確かに、高度成長になって、日本の社会こそ競争の烈しい社会はないと思いますね。ほんとに競争が烈しいんです。で、そういう競争社会の中に生きていく時には、先頭優位の人はいいんですけど、しかし、結果的に落ちこぼれが多いと思います。学校の世界でも、また窓際族とか、会社生活の中にも、落ちこぼれ。勝てないと言うかね、そういう人が非常に多いと思います。そして聖書の中にもいろんな箇所の中に出てくるわけだと思いますが。そういう落ちこぼれというか、そういう話しが出てくるわけですね。例えば、「ヨハネによる福音書」の五章には、ある池の話が出てくるわけですね。エルサレムの中にある池があって、先に入る人が癒やされるという、そういうちょっと不思議な話ですけれども、そしてその池の周りには病人が大勢集まったわけですよね。しかし、こう書いてあるんです。
 
     そこには三十八年もの間、病気に罹っている人がいた。
     イエス・キリストは彼が伏せているのを見、彼に言われた。「良くなりたいか」と。
 
そういう話しがあるんです。いわば池の周りに大勢の病人がいるんですが、競争なんです。先に入る人だけ幸せになると言うんですね。しかし、そこで三十八年間位の病人が居て、彼が勝てないんですね。実際にこの聖書の箇所を読みながら、有名な一茶の俳句を思いだしますね。
 
     痩蛙(やせがえる)まけるな一茶是(これ)に有(あり)
        (七番日記・文化期) 
 
その一茶が弱者の友なんですから、弱いものをよく同情心をもって見たわけですから。ですけれど、芭蕉ならば、「この道や行く人なしに秋の暮」。つまり先頭ゆえの俳句だと。草分けしていますので、一緒に進んでいく人は殆どいないという。それに関して、一茶がもう「かり抜かれけり」という、追い越されているという人生が。イエスの人生はそうでした。師匠に認められませんでしたね。いくら頑張っても、自分は生きている間に認められませんでした。しかし、この競争の社会に負けるということは、それが聖書からいきますと、一番負けてる。競争に勝てない人の側に、キリストがわざわざいったわけです。
 
有本:    そうしますと、一茶の句を、今ご紹介した句を含め、人生の応援歌と言うか、一茶は、
 
マケリゴット:  そうですね。やっぱり一茶がおっしゃっていることと、聖書がおっしゃっていることとの共通点があるんです。勿論、一茶が、
 
     痩蛙まけるな一茶是に有
 
と言われても、あの蛙の力になるわけないんですよね。で、私の場合には、「負けること負けるなキリスト ここに有り」
 
ほんとに力になるんですよ。
 
有本:    もう一度繰り返して、
 
マケリゴット:  「負けること 負けるなキリスト ここにあり」。五七五に合わないんですけれども。つまりキリストの愛、つまり、十字架の愛と、二つの力によってイエスさまが我々の人生の応援歌だけではなくて、実際的な助け主ですからね。一茶、これ文学と信仰の相異だと思います。基本的にはね。ですから、一茶を私が好きなのは、やっぱり弱いものに対する同情心があるから、好きということが言えるんですが、その文においてはキリストとよく似ている。ですけど、実際的に一茶が弱いものを助けたわけないんですね。同情したわけです。一茶はイエスさまが同情して下さると同時に、生きる力を与えて下さるわけですから、そこの差だと思いますね。
 
有本:    しかし、俳句の魅力というのは、当然あるんでしょうが、五七五という、十七文字の中に大きな宇宙とか、深い信仰と関わるようなことが描けることは素晴らしい文学ですよね。
 
マケリゴット:  そうなんです。それは日本語の特異と言うか、やっぱり五七五の中で広い世界を描写出来るということは大変素晴らしいものだと思いますね。
 
有本:    いくつかご紹介頂いたんですが、説教で、或いは講演もよくなさるということなんですが、お使いになる一茶の俳句は他にどんなものがございますか。
 
マケリゴット:  そうですね。PTAの講演会ですか、また教育委員会とか、そういう依頼がよくきます。その中で、私はよく引用する俳句、これも無名ではないんですが、有名でもないんですが、一茶の俳句の中には、こういう俳句があるんです。
 
     花さくや目を縫(ぬわ)れたる鳥の鳴(なく)
           (文化句帖)
 
という俳句があるんです。これは花見の俳句ですね。桜が見事に咲いています。そして一茶が花見に出掛けていますが、途中で彼の耳に鳥の鳴き声が入るんですね。しかし、それは囀る小鳥の鳴き声ではなくて、ギャアギャアギャアと五月蠅くなくカモの声。ガチョウと言うか、カモの声だと思いますね。しかし、その鳥達がある人の庭先に群がっているんです。そして注意深く見ておみますと、誰かが鳥の両目を糸で閉じていますね。見えないように閉ざされているんです。それは何故かと言うと、一番よく認められている解説ですけれども、それはペットでも野生でもない鳥です。それは料理屋さんの鳥、つまり料理屋さんが鳥達が飛ばないようにとすることなんです。目の見えない鳥は飛べませんしね。そして料理屋さんがその鳥の餌を毎日同じ場所で何回も置きます。そうしますと、何も見えない鳥が餌場から離れないんですね。だから、走り回ることも、遠く歩くことも、飛ぶこともない鳥です。運動しない鳥です。そうしますと、余計早く太るんですね。脂肪が付くんです。料理屋さんの都合にいいことですね。やっぱり脂肪が付いている鳥の方が料理し易いし、美味しいと。何故PTAの集会、また講演会でそれを引用しますかと申しますと、それは私、最初にその句を読んだ時に、過剰管理教育と、我慢と、無言の家庭しか知らない多くの今の子供達の生活を連想しました。日本人に申し訳ない連想かも知れませんけれども、やっぱり過剰管理教育と、我慢と、無言しか知らない家庭であるならば、子供達の世界は狭くて、暗い世界になるんですよ。その鳥達とそれほど変わらない。だから、俳句を引用する意味はそこなんですね。いわば子供が自発精神、生きる喜び、冒険心、責任感。この家庭で生まれて良かったという感動を持ちながら、生活するべきものでありながらも、教育の圧力と家庭の、いわばある意味で人間関係が崩れていく、その中の子供達なら、やっぱり幅広い人間となりにくいんじゃないかなあと思うんです。そういう意味においてこういう句を引用するわけですね。
 
有本:    おっしゃるように、過剰管理教育というふうなことは言われておりますし、まあ登校拒否であったり、非行の少年がいたり、或いは今、家族とか、家庭のあり方というのが、非常に日本人に問われておりまして、ご講演でそういうお話をなさるやに伺っておりますが、その時には今の俳句を引用なさったり、家族、或いは家庭のあり方、そういうものを問われた時にどんなふうにお答えになっていらっしゃるんですか。
 
マケリゴット:  そうですね。PTAの講演会などで、私が何よりも強調する文章があります。実際に私自身が若い父親となった時に、この言葉を読んで助かったんです。どこで読んだか今覚えていません。聖書の言葉じゃないんですが。ですけど、ある時に、私は自分自身の家庭について思った時に、この言葉に出会ったんです。
 
     一人の男として、自分の子供への最大の益、最大の幸せをもたらすことは、
     その子供の母親を愛することです。
 
と。私が思いましたのは、生まれてくる子供が、どのように幸せになるかと。私と子供と、どう関わっていくべきかということをいろいろ考えたわけですよ。しかし、今読んだ文章によって、私の基本的な間違いが指摘されました。子供の幸せを決定することは、親子関係よりも夫婦関係である。だから、私は単純な私でしょうと思いますが、子供の幸せの為にも、私はこの妻をより愛さなければならないと決心したんですよ。良かったです。あの原則はとっても大事だと思います。そのことを聖書を読みます時に、こういう言葉が書いてあります。
 
     夫達よ。キリストが教会を愛し、教会の為にご自身を捧げられたように、自分の妻を愛しなさい
 
と。そこなんですよね。やっぱり家庭を思います時に、親子関係が大事なんです。大事なんですけれども、より子供の幸せを考えるならば、夫が妻を愛する。妻は夫を愛するということの方がいいんじゃないかなあと思いますね。これは今の日本社会の中で核家族になりましたし、子供の数が少なくなりましたし、自分のお父さんとお母さんから温かい人間関係を学ばない限り、子供達はどこで温かい人間関係を学ぶことが出来るでしょうか、と思います。それをPTAの講演会でかなり強調したんですが、
 
有本:    大変いいお話です。
 
マケリゴット:  いや。
 
有本:    マケリゴットさんは五十八歳。もうイギリスの生活よりも、日本での生活が長くなりましたですね。
 
マケリゴット:  そうですね。丁度、人生の半分以上、この日本で過ごしていますね。
 
有本:    今、お話を伺ったように日本の高度経済成長、大変経済的には豊かになったけれども、今のお話のように親子の関係であるとか、夫婦の関係であるとか、或いは学校は本来楽しいところであるべきなのに、学校へ行っても面白くないという子供達がいたりで、これはやっぱり日本にマケリゴットさんがいらっしゃった三十数年の日本の姿なんですよね。
 
マケリゴット:  この一人の外国人にとっては、丁度、一九六五年から今に至るまで、日本にいますので、丁度その高度成長の時期とピッタリ合っていますね。ですから、そういう変化も見つつ、生活をして参りました。一番印象的に残るのが、やっぱり家庭は社会的競争によって、やっぱり圧倒されているということですね。犠牲になるのは、子供が多いと思いますけど。
 
有本:    まあ会社人間というふうなことを言われてまいりまして、その時に父親の言い分が、「あなた方の為にお父さんは頑張っているんだよ」と。口癖のように、「あなた方の為に頑張っているんだよ」と。「頑張って来たんだよ」と。世のお父さん方はおっしゃるんですが、如何ですか。
 
マケリゴット:  もうその通りでしょうと思いますね。確かに多くのお父さん達ががむしゃら働いているのは、家族の為、妻の為、また子供の為に。しかし、その家庭の中の人間から見ますと、特に中学生位になる子供にとっては、「私の為に」ということよりも、「私と共に」いるお父さんが望んでいるんじゃんばいかなあと思いますね。つまり、「為に」よりも、「共に」ということが子供から見ますと奥さん方から見ましても、より大事だと思うんですよね。無理なケースが多いと思うんですが、私なら、兎に角、社会に対する仕事に対する責任を全部果たしてしまってから、自分の家族を中心にして生きて行きたかったわけですね。子供と共にいるということは、私の喜びでしたけど。
 
有本:  マケリゴットさんから一茶の二万句の以上の俳句の中から、幾つかご紹介頂きました。いろんな人生を詠っているわけですが、一茶は六十五歳で確か亡くなったんですか、今年が百七十年目ということですが、一茶の宗教観、或いは死生観と言いましょうか、そういうものを詠っている俳句と言いますと、どんな ものがありましょうか。
 
マケリゴット:  それは一杯あります。彼の人生の後半なんですが、しかしそこまでの一茶の俳句の中でも、ある時に、一茶には自殺願望というのもあったんじゃないかと言う説もありますが、そういう気持の中からの俳句というのは、幾つかあると思います。その一つ、かなり強烈な俳句ですけれども、こういうのがありますね。
 
     死支度(しにじたく)致せ致せと桜哉
       (七番日記・文化期)
 
という。いわば、この桜を見て死ぬ準備をしなけりゃならないという、そういう意味をもっている俳句だと思います。それはやっぱり宗教家ですから、死ぬということは何を意味しているかということ。また死ぬ準備とは何かというんですね。絶えず考えなければなりませんし、しかし幸いに聖書の中で、死支度というとは、一体どういうことであろうかということは、ハッキリ教えて下さるわけですね。例えば、こういう言葉があります。
 
     あなた方は心を騒がしてはなりません。
     神を信じ、また私を信じなさい。
 
と、キリストがおっしゃったんですね。
 
     私の父の家には住まいがたくさんあります。
     もし無かったら、あなた方に言っておいででしょう。
     あなた方の為に、私は場所を備えに行くのです
 
と。つまり、ほんとに心からキリストを信ずるということは、私にとっては死支度と、死ぬ準備であります。安心して生きる。安心して死ぬことが出来るという。しかし一茶の俳句の中で、やっぱり準備せよ、準備せよという叫びです。またその一茶の俳句の中では、そういう、いわば生きる苦しみという俳句もありますね。例えば、
 
     世の中は地獄の上の花見哉
          (文化期)
 
つまり、人生においてはほんとに良い時があるわけでしょうけれども、しかし一茶にとっては自分の子供が、四人がおられたのに、次から次へと病気とか、いろんなことでもう二歳にならないんですね。最初の子供達。で、彼がやっぱり子供に死ぬ別れたという、そういう体験を次から次へとしました。そしてそういう体験の中で、一茶の物凄い、とっても有名な俳句が生まれてくるわけですけれども、その中での一つとして、これです。
 
     露の世は露の世ながらさりながら
        (おらが春・文政二年)
 
という。あれは自分の子供が死んだ。諦めなければならない。しかし諦め切れないんですよね。諦め切れないんですよ。死ということはほんとに終わりだろうか。
 
     もう一度せめて目を開けぞせん
 
という句もあるんですよね。もう一度、目を開けてくれと自分の子供の棺の前に作った俳句ですけれども、あれは人間の願望ですね。死は終わりではないように。でも、聖書を読みます時に、イエス・キリストがこうおっしゃいました。
 
     私はいのちであり、甦りであり、私は信ずるもの、死んでも生きるもです。
 
という、徹底的な言葉だと思います。いわば永遠の命への約束です。ですから、我々はみんな一茶の体験をしなければならないんですよ。友人は死にます。愛する家族の方々が死にます。その時にはほんとに諦めきれない気持を涙の中に体験すると思うんですが、最終的に聖書の御言葉にあって、「死んでも生きるのです」という、ほんとに大きな希望と平安を与えて下さる聖書の言葉です。
 
有本:  ほんとに有り難うございました。
 
マケリゴット:  こちらこそお礼を申し上げます。有り難うございました。
 
 
     これは、平成九年十二月十四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。