看取りの思想
 
                   大阪大学教授
                   淀川キリスト教病院名誉ホスピス長 柏 木  哲 夫
昭和十四年兵庫県生まれ、大阪大医学部卒業。精神神経科で勤務後、米国ワシントン大に三年間留学。昭和四十七年、淀川キリスト教病院に移り、内科医研修を受け、昭和五十九年同病院にホスピスを開設し、ホスピス長に就任。平成五年から大阪大学教授(臨床老年行動学)も務める。わが国のホスピス界の先駆者的存在である。
                   き き て            有 本  忠 雄
 
有本:  人は誰でも必ず死を迎えます。そして最後の一時(ひととき)には大抵どなたかに看取られることになります。一方、最近は看取りを専門にする施設、いわゆるホスピスの施設をもっと増やそうという要請も高まってきました。そうなって参りますと、先ず私達の社会全体がお互いに看取りの心を、一つの体系を持った思想にして、結び合わせなければ、肝心のホスピス(hospice: 末期ガンなどの患者の苦痛や死の恐怖を和らげる医療、またはそれを目的とした施設)も上手く動きません。では看取りの思想を形作る基本になるものとは一体何でしょうか。今日はこれまでおよそ十四年間、大阪の淀川キリスト教病院でホスピスを実践し、研究をしていらっしゃいました大阪大学教授の柏木哲夫さんに看取りの現状と将来展望についてお話をして頂くことに致します。先生、どうぞ宜しくお願い致します。
 
柏木:  宜しくお願い致します。
 
有本:  お忙しいのに時間を割いて頂きまして有り難うございます。先生は昭和十四年、兵庫県のお生まれということですが、大阪大学では精神神経科がご専門ということですが、これもやはりご自身で精神神経科をお選びになったわけですか。
 
柏木:  そうですね。沢山の専門科があるんですけれども、初めのうちは内科とか、外科とか、小児科とか、そんなことを考えていたんですけれども、次第次第にいろんな先生方の講義を聞いていくうちに、人間の心というものに関心を持ち出しまして、最終的にはある意味で人間を丸ごと見ることが出来るというふうなこともあったんでしょうか、精神神経科の医者になろうということを決断したような次第です。
 
有本:  卒業後、母校に三年お務めの後、アメリカに留学なさいますね。アメリカではやはり精神神経科の勉強を深めようという。
 
柏木:  精神科のレジデント(resident: 実習医)を三年間やったんですけれども、レジデントというのは精神神経科の専門の医師になる為の研修期間なんですけれども、アメリカ人の医師と全く同じ仕事を三年間やりました。
 
有本:  帰国後、大阪の淀川キリスト教病院に勤務なさるわけですが、精神神経科医として迎えられるわけですね。
 
柏木:  そうですね。当時、淀川キリスト病院に精神神経科がなかったものですから、それを開設して欲しいという要請がありまして、帰国後は精神神経科の責任者として赴任致しました。
 
有本:  精神神経科のお医者さんが何故ホスピスに関心をお持ちなのか、その辺は如何なですか。
 
柏木:  そうですね。手短に話致しますと、アメリカで精神科のレジデントをしておりました三年目ですが、一九七二年に当時アメリカではホスピスというものはなかったんですが、末期の患者さんを、医者や看護婦やソーシャル ワーカー(social worker:社会福祉事業家)や牧師というようなものが、精神科の医者も含めてですけれども、チームを組んで支えようという、そういう末期患者のチーム アプローチ(team approach)というのがありまして、私は精神科の医者として参加をして、とっても新鮮な驚きだったんですね。というのは亡くなっていく人をチームで支るというのは、一体どういうことなのか。今でこそ当たり前のことになっておりますけれども、一九七二年当時は非常に新しいアイデアだったんですね。そういう体験がありまして、帰国後精神科の医者として働き出したんですが、内科や外科の先生から、ガンの末期の患者さんのいろんな精神症状、例えば不安であるとか、鬱(うつ)であるとか、時には混乱とかですね、そういうものを末期の患者さんの精神的な問題に対して、相談を受けるようになりました。それでそういう患者さんのもとに行ったわけですね。そうすると、ほんとに大変複雑な多くの問題を持っておられることが分かりまして、これはやっぱり「チームを組まないと、とても上手くやっていけないぞ」と思いまして、その時にアメリカでの体験を思い出して、みんなに呼びかけたところ、「じゃ、チームを作ろう」ということで、一九七三年にチームを作りまして、それがホスピスの母体になったわけです。
 
有本:  世界的に見てもまだまだホスピスの歴史は新しい。日本ではほんとに柏木先生の病院が、日本では草分け的な存在の一つなんですが、あれから十四年ということですが、その看取った患者さんというのはどれくらいの数になるんですか。
 
柏木:  この前、少し計算してみたんですけれども、二千名を少し超える位の患者さんを看取りました。
 
有本:  年間百五、六十人ということですね。
 
柏木:  ここ数年では大体年間二百名位の患者さんが亡くなられます。
 
有本:  アメリカで勉強なさった。日本にお帰りになって日本でもホスピス的な病棟が必要ということでお始めになるわけですが、アメリカで勉強なさったこと、それから日本の風土と言いましょうか、我々一人一人の人間にマッチしたようなホスピス病棟と。理想もありましたでしょうし、目標もありましたでしょう。
 
柏木:  そうですね。
 
有本:  どうですか、十四年振り返って、まあ当然道半ばでしょうけれども、先生、よくやったなあ、よく出来たなあという、
 
柏木:  そうですね。国民性の違いというのがあるということは確かですし、しかしそれと同時に、やはり〈人間どこでも同じだなあ〉という側面も、やはりあるんですね。同じだなあと思う側面は、やはり〈苦しんで死にたくないという気持ち〉これも国民性とか宗教性とか、そういうことを完全に超えて、まあ言えば〈全世界の人類共通の望み〉だと思うんですね。それはアメリカでも〈死ぬことは覚悟出来るんだけれども、苦しんでだけは死にたくない。痛みだけは取って欲しい〉という、そういう気持ちを皆さん持たれますね。それは日本でも全く同じです。ですから苦痛の緩和ということに関してはどこの国でも同じですね。違いということになりますと、やはり例えばアメリカの社会というのは契約社会と言いますか、ですからホスピスの働き一つ取って見ても、患者さん自身が全部病名を知っておられて、自分の命が短いということも知っておられて、そして状況の中で自分がホスピスへ入りたいということで、もう百パーセント病名を知っておられる方、病状を知っておられる方が、自分の希望で入って来られる。日本では例えば私共がホスピスを始めた一九八四年には、入院して来られる患者さんが、入院の時に病名告知を受けておられる患者さんというのは、三十パーセントに過ぎなかったんですね。ですからホスピスへ入院されてから、「病名告知をどうするのか」というふうな、非常に複雑な問題が起こったわけです。これはちょっとアメリカと事情が違いますね。しかし最近では私共のホスピスへ入院して来られる患者さんは、殆ど百パーセントご自分の病名を知っておられて、ご自分の希望で入って来られる方になって来ておりますので、やはり日本の社会も少しずつ変わってきているということが言えると思います。
 
有本:  先生が草分け的な存在とご紹介したんですが、今は日本の病院でホスピスの病棟を、専門の病棟をお持ちの病院というのは幾つ位あるんですか。
 
柏木:  現在、「全国ホスピス緩和ケア病棟連絡協議会」と、ちょっと長い名前の協議会がありまして、私、会長させて頂いておるんですが、そこに登録しておる施設が六十施設あるんですね。ですからそういう意味では全国六十カ所位にホスピスがあるというふうに考えて頂いていいんですが、ただ政府が認定している公のホスピスと言いますか、正式のホスピスと言いますか、それは今三十六カ所ですね。
 
有本:  ガンの患者さんというのは死因では一位ですか、今。亡くならないまでもガンで苦しんでいる方もいらっしゃる。もう人ごとではなくて、ホスピス的な病棟というのは、ほんとに需要が多いと言いましょうか、もっと必要ですよね。
 
柏木:  そうですね。例えば大阪府には私共のホスピスしか無いんですね。ホスピスがまだ無い県というのは大分ありまして、三十六カ所しか無いわけですから、当然ホスピスのない県があるわけですね。ですからまだまだホスピスの数が増えていかないといけないなあというふうに個人的には思っております。
 
有本:  具体的には末期のガンの患者さんということで病棟に入院している期間というのはどれ位なんですか。
 
柏木:  最後の平均の入院期間というのは大体一ヶ月です。「最後の」と申し上げたのは、ホスピスへ入院された患者さんが全部そこで亡くなられるかと言うと、決してそうではなくて、症状のコントロールが上手くいって、一時退院をされて、こちらから訪問看護で繋いで出来るだけご家庭で過ごして頂くという努力をしていますので、三、四回出たり入ったりされる方があるわけですね。そういうことも含めて最後の入院の平均というのが大体一ヶ月ということですね。
 
有本:  ホスピスの治療と言いましょうか、ケアと言いましょうか、患者さんの苦痛を和らげることが大きな目標だとおっしゃいましたけれども、これもやはり十数年前のお始めになった頃と今を比べますと、苦痛の緩和は相当進んだと言いましょうか、治療法も開発されたんでございましょうか。
 
柏木:  そうですね。例えば痛みのコントロールということ一つを取ってみましても、随分いろんな方法が開発されて参りましたですね。ちょっと専門的になりますけれども、例えば私共がホスピスを始めた十四年位前というのはモルヒネ(morphine:アヘンの主成分アルカロイドの一種で麻酔・鎮痛作用がある)がなかなか効かない痛みがありまして、例えば直腸ガンの再発でガンそのものが座骨神経に侵入すると言うか、食い込むと言うか、そういう痛みはなかなか上手くモルヒネだけでは取れなかったんですね。それがここ数年の間に鎮痛補助剤と言いまして、モルヒネにプラスして痛みをコントロールする、補助をする薬、いろんな薬があるんですが、それが開発されて参りまして、モルヒネだけで効かない痛みでも、そういう補助剤を一緒に使うとかなり上手くコントロール出来るというふうなことが分かって参りました。ですから十年位の間に痛みのコントロール一つを取って見ても随分発達したと思います。
 
有本:  ホスピスの病棟を十数年間ご経験、いろんなことを勉強なさって、勿論亡くなっていく方の側面、或いは患者さんと家族との側面、或いは先生方のお世話なさっているチームの方々の側面、いろんな面から看取りの思想なるものを構築していかなければいけないと思うんですが、先生のご経験からまず患者さん、看取られる側の側面から、そういう思想というようなことで言えば如何でございましょうか。
 
柏木:  そうですね。具体的な例をお話するのが一番いいかと思うんですけれども、非常に印象的に思い出しますのは、若い方で三十六歳の男性だったんですけれども、この方は直腸ガンで、ご自分の病名を勿論知っておられて、命が短いということもよくご存じで、子供達が二人おられたんですね。「父親が病と闘って、立派に死んでいったということを、子供達に見せるということが、私の人生の一番最後の任務だと思う」というようなことを言われまして、それでただ、「立派に死ぬ為には、痛みに苛(さいな)まれるというようなことがあっては、それが出来ないので痛みを何とか取って欲しい」ということで、ある病院で治療を受けておられたんですけれども、痛みの方が上手くコントロール出来なくて、我々のホスピスに来られまして、幸い痛みをゼロにすることは難しかったんですけれども、かなり上手くコントロール出来て、ほんとに立派に亡くなられたんですね。それで私も看取りの場に居たんですが、子供さん、お二人が声を揃えて、ほんとにコーラス(chorus)のように「お父さん有り難う、お父さん有り難う」というふうに、そういう声の中で亡くなったんですね。その「お父さん有り難う」という、その「有り難う」という言葉の奥に、「最後の方(かた)の生き様に対する感謝」と言いますか、「子供からの感謝」と言いますかね、それが現れていたと思うんですけれども、やはり死を迎える人が、「自分がちゃんと死んでいくんだ」「よく見ておけよ」という、そういう亡くなりかたをする人がやっぱりあるんですよね。それを見ていると、「やあ、人間って凄いなあ」と思うんですね。普通、例えば私自身がガンで死んでいかざるをいなくなった時に、周りのものに、「最後の死に様をちゃんと見ておけよ」「儂は立派に死んで行くぞ」という、そんな気持ちに自分がなれるどうかというのは、はなはだ自信がないんですけれども、現実にそういう方がおられるのを見ていますと、人間というのは強いなあというふうに思うんですね。
 
有本:  家族の方と患者さんが上手くいった例では。
 
柏木:  そうですね。いろんな宗教的な側面等が少し関係すると思うんですけれども、これも一人非常に印象的な別れをされたご家族ですが、亡くなったのはお母さんなんですが、お母さんも娘さんもクリスチャンの方で、この方も私は臨終に立ち会った人なんですけれど、最後まで意識が割合しっかりしていまして、次第次第にこう脈が触れにくくなって、呼吸も浅くなって、側におられた娘さんが手を握って「お母さん、行っていらっしゃい」と言ったんですね。このちょっと珍しい別れの言葉で「行っていらっしゃい」というのは、「天国へ行っていらっしゃい」という意味。「私も後から直ぐ行きますからね」そう言わなかったんですけれど、そういう意味を込めた言葉で、その言葉の中に、やはり「再会の希望」と言いますか、「再び会うことが出来る希望」があって、不思議に悲しいんですけれども、その悲しさの中に希望があるという、それはご家族から亡くなっていく患者さんに対する言葉の中で、凄く印象的な言葉だったんですね。それが今、有本さんが言われた家族の側からと言うことに、ピッタリするかどうか分かりませんけれども、印象的に残っている言葉でした。
 
有本:  二千人の方を看取られたということですから、いろんなドラマ以上にドラマティック(dramatic:劇的な)なものが多分おありだと思うんですが、
 
柏木:  そうですね。チームが頑張って少しドラマ的なことが出来上がる、出来上がったというのは変ですけれども、最後の希望を叶えたというふうな例があるんです。卵巣ガンの末期の患者さんで、だんだん弱っていかれる中で、かなり強い鬱状態になられたんですね。それで何か理由がある筈だと私達は思ったんですけれども、あんまり我々には話をされなくて、いろんな経済的なこととか、ソーシャル ワーカーが中に入っていくんですね。ソーシャル ワーカーの方に娘さんの結婚の話をされまして、若い十九歳の娘さんがおられましたんですけれど、婚約をしておられて、式の日取りも大体、半年位先に決まっていたんですね。ところが患者さん自身は自分の弱りを身体で感じられて、どうも式に間に合いそうにないというふうに思われて、それが非常に悲しかったんですね。そのことをソーシャル ワーカーに言われて、みんなでその患者さんの鬱というのは、そういうところに関係しているようだというので、何とか式を早められないかという。式を早めるというのは結婚式を早めるということですけれど、ソーシャル ワーカーの方が娘さんに、お母さんの状態を話されまして、「どうもあなたの式に出にくい。出ることが出来ないということが鬱の原因らしい。少し早めることが出来ないでしょうか」と話しました。娘さんもハッと気付かれて、「分かりました」ということで、フィアンセ(fiance:婚約者)の方に来て貰って、みんなで話し合った。しかしそのフィアンセの方は「そうしたいんだけれども、田舎の両親が田舎で式を挙げる日にちを決めて、地方のホテルを予約している。それを変えてくれるかどうか自信がない」と言われる。「私、ちょっと言いにくいので、ソーシャル ワーカーの方が直接両親に掛け合ってくれたら」というような話になりまして、そしてソーシャル ワーカーが電話を掛けて、今度はほんとに来て頂いて、みんなの善意の結果なんですけど、その話がなされた一ヶ月半位あとに式をすることになりました。親戚の方に両腕をこう抱き抱えられるような状態で、式に少し出られて、出られてからほんとに安心をされて、丁度二週間位で亡くなったと思いますね。だけど式に出られてからほんとに顔がスッキリしました。鬱の顔というのは独特の顔なんですが、ほんとに憂鬱そうな顔だったんですが、それがほんとにスッキリされて、「良かったなあ」と、これはやっぱりチームと家族の協力で、その患者さんの最後の望みを達成することが出来た一つの例ですね。
 
有本:  今のお話を伺いますと、まさにホスピスは先生や看護婦さんを中心としたチームワークだということがよく分かるんですが、患者さんの側からすると、先生にはお願い出来ない、言えないようなことを看護婦さんに、看護婦さんにも言えないことを、例えば三番目の結婚式の例で言えば、ソーシャル ワーカーの方にお話をする。
 
柏木:  医学というのはどうしても治療するもの、されるものというふうな感じで、患者さんというのは直ぐに入院と同時に弱者になってしまうんですね。私もちょっと前に肺炎を起こして入院した経験があるんですけれども、自分が患者体験をしますと、例えば医者が自分のベッド サイドに立って話をするだけで、随分圧迫感を感じるんですよね。目線が上から下へ来ますし、声も上から下にきますので、凄く圧迫感を感じる。それは入院と同時に私は弱い者、弱者になって、医師や看護婦は強い者、強者ですね。強者弱者の関係、それから上下関係というのが患者さんの方でも感じてしまうんですね。ですから側に座って目線を揃えてくれるだけで随分楽になるんですね。やはり死を間近に感じておられる患者さんというのは、弱者のうちのもっともっと典型的な弱者ですから、少しでも上下関係というようなものを少なくする。そういう意味で、私は〈看取りの思想の中で、この平等意識というのが凄く大切だ〉というふうに思うんですね。
 
有本:  死は間違いなくやって来る。これはもうほんとに冷厳な事実なんですが、私もまだまだ人ごとに考えがちですが、今日の番組を契機に、ほんとに死というものをもっと真摯に受け止めなければならないと思うんですが、先生はよく「死の教育が大事だ」というふうなことをおっしゃいますけれども、「死の教育が大事だ」という側面はどんなところから、
 
柏木:  そうですね。今は、日常生活から死が姿を消している時代だと思うんですね。厚生省の統計の発表によりますと、今、国民の八十パーセントは病院で死ぬんですね。 死因の第一位であるガンだけに限りますと、ガン死の九十五パーセントが病院で亡くなるということで、子供達、若い人達が人が死ぬというのは一体どういうことなのかということを、全然体験せずに成人すると言いますか、人が死ぬということが日常の生活の中にしっかりと根付いていた終戦直後ぐらいの時代では、九十パーセント以上の人が自宅で死を迎えていましたから、人の死ということを生きた教科書として見ることが出来たわけですね。ところが死が姿を消してしまったので、〈みんなが見ている死というのは虚像の死だ〉と思うんですね。テレビで人がほんとに簡単に死ぬ。それから最近はちょっと恐ろしいことだと思うんですが、よくテレビ ゲームで、子供達が戦闘の場面で、侵入して来た敵をボ タン一つで殺す。ゲームが終わって、次のゲームでまた直ぐ生き返ったり、そういう「虚像の生、虚像の死」というものが氾濫している中で、やはり「人が死ぬというのはこういうことなんだ」という、〈死をしっかり見つめることが出来るような、そういう教育をしていかないと、それは結局は生の教育に繋がっていかない〉。私はいつも「死の教育というのは生の教育に繋がるんだ」というふうに思っているんですが、〈死を見据えて生きていくということと、死を忘れて生きていくということの差はもの凄く大きい〉と思うんですね。ですから人は確実に死ぬんだ。死というものはこういうふうにして起こるんだ。死ぬ。死んでいく患者さんというのはこういう気持ちで死ぬんだ。〈人が死んだ後、それを看取った遺族というのは、こういう悲しみを背負うんだというふうな死に纏わる現実的なことをしっかりどこかで教えておくということ。これは凄く大切だ〉と思うんですね。私がアメリカにおりました時に、私の家の隣に小学校四年生の子供の子が、アメリカ人ですけれども、いまして、その家に遊びに行った時に、教科書を見せて貰ったんですね。そうすると、「ペット(pet)の死と人間の死」という項目がありまして、それで皆さんが飼っているペットというのは、必ず死を迎える。そういう経験をした人もあるだろう。それと同じように人間も死を迎える。必ず死ぬんだと。後の詳しい内容は覚えていませんけれども、兎に角小学校四年生の子供の教科書に人間の死ということがきちんと書かれているわけですね。おそらく日本の今の教科書に人間の死を扱った、少なくとも小学校の教科書に人間の死というようなことが扱われているようなことはないと思うんですね。そういう教科書の中にほんとにちょっとでも死が入る。ですから学校教育の中に人間の死を扱うものが出ていくということ。それから例えば大学教育の中で、私は今大学で「老いと死」を教えているわけですけど、死を教えるということが大学で少しずつなされつつあって、「死生学」というような講座が少しずつ出来つつありますね。それだから学校教育の中で死を教えること。それから生涯教育というようなことが非常に今盛んになってきておりますね。中高年のガン年齢になった人達に、例えば結婚記念日には、「ガンを語り合って下さい」というふうな提言をするとか、生涯教育の中で死を教える。ほんとに死が近付いているご老人ですね、例えば老人大学の中で、私は何回か「人間の死」というようなことを試みたことがあるんですが、これは死に近い人達に死を語るというのは、非常に難しいんですけれども、とっても熱心に聞いて下さるんですね。ですからなかなかシステム的に死の教育ということが実現するにはまだまだ時間がかかると思うんですけれども、今出来ることを少しずつ、いろんなところでしていくということ位から、スタートするのがいいのかなあというふうに思っておりますけれども。
 
有本:  そういう死を、やはり受容出来る環境の人達が、先生が看取ってきた患者さんの素晴らしい最後を遂げると言うのか、そういう死を受容した方が素晴らしい死を迎えられると。
 
柏木:  そうですね。「何が良き死であるか」ということは、これは非常に難しいと思うんですね。確かに受容して、受け入れて亡くなって下さった方というのは、こちらも安心が出来ると言いますか、しかしみんなそういうわけにはいかないので、例えば、「闘いの死」と言いますか、最後まで一生懸命病と闘って、闘って亡くなる人もありますね。それはそれなりにその人らしい死かなあと思います。それから「否定の死」というのもありまして、「自分は死なないんだ」「もっともっと生きるんだ」「死なない、死なない」と、死を否定しながら亡くなる人もありますね。そういう死はちょっと切ないんですね、やはり。そういう意味では受容して亡くなって下さるのが、一番我々としては有り難いんですけれども、それは強要出来るようなものでもありませんし、その人の生き様というのが、やっぱり死に様に反映されますから、今までその人がずうっと歩んで来られた人生を、一ヶ月位で根こそぎ変えるということは、当然出来ないわけですから、我々の出来ることというのは、限られてはおりますけれどもね。
 
有本:  それと先程の三人の方々の例で、二番目の方々はお互いに宗教、信仰をお持ちだとかというお話がありましたが、これはやはり信仰をお持ちだというようなことは、非常にプラスに働くわけですよね。
 
柏木:  そうですね。キリスト教というようなハッキリした信仰を持っておられる場合は、天国という非常にハッキリ行き先というのがありますね。分かりますね。ところが日本人の中でハッキリと「何々教」というふうなことを言われなくても、何か「死というのは終わりの終わりで、後は何にもないんだ」というふうに思っておられる人というのは、なかなか死ににくいと思うんですね。ところがハッキリとした宗教を持っておられなくても、何かやはり新しい世界と言うか、「あの世」と言う言葉をよく使われますけど、この前も亡くなったご婦人が娘さんに対して、「もう直ぐおじいちゃんに会えるかなあ」というようなことを言われたんですね。その後で、「あの世で」という言葉は省略されましたけれども、娘さんがフッと、「お母さん、きっとお父さん、待っているよ」というふうに言われたんですね。そうすると、これは亡くなっていかれる患者さんも、それから見ておられる娘さんも、先に亡くなっておられる患者さんのご主人がおられる世界が、非常にハッキリとではなくて、なんかあって、そこへ患者さんは行くんだと。娘さんは自分の母親をそこへ送るんだと。自分もやがてそこへまた行くんだと。そういうふうな、それはモヤッとしたものであっても、なんか「あの世観」というものがあれば、それだけ死というものは、怖さが相対化されると言うか、もう絶対こう触れることが出来ないというふうな、難しい言葉で言えば「絶対硬直」というような言葉があるんですけれども、硬直してしまうと言うんじゃなくて、「まあ何とか話し合えるぞ」と言う相対化出来る側面がそこに出て来ると思うんですね。ですからそういう意味では、「宗教」とか「宗教観」というものは、〈安らかな死の中でかなり重要な部分を占めるだろうなあ〉と思いますね。だから行き先が非常にハッキリしているということが、とても平安な死の条件としては大切だと思いますね。
 
有本:  そういった人生観、或いは死生観、今の宗教観、大変大事であるということがよく分かりました。看取りの話をずうっと伺って参りました。いい看取り、或いはいい看取られ方、個々に、これが絶対だというようなものは勿論無いんでしょうが、一人がどう看取られ、どう看取っていくかと言うようなことが問われるんでしょうが、二人の男の子に、お父さんの死を、女々しくではなく、雄々しく伝えたというお話を伺いました。あの方はほんとに自分で死を受容し、個の確立と言いましょうか、自分をしっかり持っていらっしゃった例じゃないかと思うんですね。
 
柏木:  そうですね。最近、「自己決定権」というふうなことがよく言われますけれども、「任せてしまうというのではなくて、自分でどういう看取られ方をしたいのか」ということをしっかり持っておられる方が、少しずつですけれども増えて来ている。その人達の一つの受け皿として、ホスピスというものがあると思っていますね。サービスが多ければ多いほど、選択肢が多ければ多いほどいいサービスが出来るわけで、今までは抗ガン剤その他の副作用が多い。そういうものをしなくて、症状の緩和ということに徹底して欲しいというふうに思っている人でも、ホスピスがなかった時代はそういう選択が出来なかったわけですね。それが今では出来るような時代になっている。ただ大切なのは、一人一人が、「自分はどういう看取られ方をしたいのか」という、「個人の看取りの思想」と言いますか、「看取られる思想」と言いますか、それを持っている必要があると思うし、同時に、家族が死を迎える場合に、「一体自分の夫は、自分の妻は、自分の両親はどういう看取られ方がいいのだろう」というのを考える。自分の死を「一人称の死」、家族の死を「二人称の死」というふうにすれば、「一人称の死」と「二人称の死」ということを、「どんな看取られ方がいいのか」という側面からしっかり見ておく。だから、「看取られ方を自分の手の中に入れておく」と言いますか、そういうことが非常に重要視される時代に将来はなる。現在なりつつある。将来確実にその方向に向かうというふうに私は思っておりますね。
 
有本:  先程、在宅ケアのお話もありまして、例えば一般的には、「畳の上で死にたい」というのが一般的で、現実は圧倒的に病院で亡くなる。その点、先生の病院のホスピス病棟では畳の部屋があったり、それから病院の料理が美味しくなければ、「家からでもどうぞ」「温かいものをどうぞ」「何時でもどうぞ」「病院の中に家庭を」と言うんですか、そういう思想と言うのが出ているんじゃなかろうかと感心するんですが。
 
柏木:  私は両側面が必要だと思っているんです。というのは一つの側面は今言われた 「病棟の中に一般家庭を移す」と言いますか。ですからホスピスの病室では今まで患者さんが使っておられた家具とか、椅子とか、壁掛けとか、そういうものを全部持って来て頂いていいと。だから病室という感じよりも家庭の延長。それから今言われたように畳部屋がありますし、家族の畳の部屋もあります。そういう思想というのは〈一般の家庭を病院へ持って来る〉という思想ですね。もう一つは〈家庭の中に病院を持っていく〉という思想なんです。というのはガンの末期でさまざまな痛みのコントロールの為に、例えば装置がいる場合がありますね。持続化注入器というふうな徐々に痛み止めを注入するようなポンプというようなことですね。これをもし、それは普通病院で使うものなんですけれども、貸し出して、「家庭で使うようにしましょう」というふうにすると、在宅でかなりの時間過ごすことが出来るわけですね。病院で使ういろんなものを貸し出す。だから病院を家庭へ移動されると言いますか、臨機応変に家庭を病院へ持ち込んだり、病院を家庭へ持ち込んだりすることによっていい看取りが出来る場合がありますので、両方の方向が必要だと思うんですね。
 
有本:  成る程。この看取りということで、ご専門のお医者さんの立場から、患者さんなり家族への注文と言いましょうか、ございませんか。
 
柏木:  ちょっと繰り返しになりますけれども、やっぱり看取りという全体のプロセスとか、考え方を自分のものにして頂きたいと思うんですね。今まで、どうしても医療者側に任せてしまうと言うか、「私達は素人だから、よく分かりませんので、兎に角宜しくお願いします」と言うことで任せてしまうという「お任せ医療」というようなことが言われますし、そうしますと、任された方は自分が持っている技術を提供してしまうわけですね。医者というのは、これは医者だけに限らないと思いますが、自分が持っている技術で勝負をしようとしますから。例えば外科の医師はどんな患者さんが来られても、「この患者さん、手術出来るか出来ないか」という目で見るわけですね。手術が出来るということになれば、自分の技術を提供出来る患者さんには一生懸命になれる。ところが手術は出来ない状態になっているということになると、自分の技術が使えないわけですから、後、手段がないわけで、そこで関心を失ってしまう。そういう医療者側の問題と、患者さんの方は〈自分の状態をしっかりと自分で知って、自分が一体どのような場所で、どのようなケアや治療を受けるかというのを、自分で決めるという習慣と言いますか、自分で決める為には知る必要がある〉わけですね。〈知らなければ自分で決めることが出来ないわけですから。だから知って自分で決める〉という、そういう基本的な考え方が浸透していくことが重要かなあと思いますね。これは非常に残念なことなんですけれども、例えば一般病棟で亡くなる患者さんを見て見ますと、例えば外科の主治医が主治医として存在する。手術をして、上手くいかなくて、再発をして、その医師が最後までちゃんとその患者さんの元にいることが出来る医師であればいいんですけれども、沢山忙しい仕事を抱えている。手術をしないといけない。そうすると物理的に患者さんの側にいるということが出来なくなる場合もあるわけです。それと同時に、先程言いましたように、自分で提供することがない。本当はあるんですよ。〈本当はあるんだけれども、何かをすることが、自分が提供出来る唯一のことだと思っている医者は、そこにいるということが患者さんが役に立つんだという、そういう思想が理解しにくい〉と言いますか、ですから〈看護婦さんに任せてしまって自分は何もしない〉ということになってしまう。そういう意味から言えば、これは近代ホスピスの母と言われるD・C・サンダース(1918〜: ホスピス運動の創始者。近代ホスピスの母と呼ばれる)の言葉なんですけれども、ホスピ スターミナル ケア(hospice terminal care:ホスピス終末期ケア)の真髄というのは、「not doing,but being」という、そう言葉を彼女が言っているわけですね。「not doing」何かをすることではない。しかし「but being」患者と共にそこにいることなんだ。存在することなんだという。だから、「患者さんから逃げ出さないで、ジッと側に居てあげるということが、それがほんとのケアの真髄なんだ」ということを言っているんですが、まさにその通りだと思うんですね。ちょっと話が横道に逸れますけれども、とても示唆的なことを聞いたことがあるんですが、ある大きな病院のペイン クリニック(pain clinic:痛みを取り除く医療)、痲酔科の専門医なんですが、ペイン クリニックの医師がホスピスを見学に来まして、いろいろ話をしていたんですが、その中で痲酔科の先生が私に、「ペイン クリニックで働いていて、特に末期の患者さんの場合に、痛みが取れると、私は非常に困るんです」と言われたんですね。凄く逆説的な言葉で、「どういう意味ですか」と言うと、「痛みを取るのが私の仕事で、患者さんの痛みが残っているうちはいろいろ工夫が出来る。こういうやり方をしよう。今度はこういう薬剤を使ってみよう。針を少し長くしてみようとか、いろんな工夫が出来る。ところが、「先生お陰様でほんとに痛みが取れました」と言われたらですね、後、何をしていいか分からない。特に患者自身が何か寂しそうにしているとか、何か憂鬱そうにしているとかということが分かるんだけれども、自分はそれに対して何も出来ない。その何も出来なさに凄く不善観を感じてしまう。だから痛みが取れたら困るんです」と、こう言われたわけですね。だからこれは非常に象徴的な話で、医者というのは何か技術として提供するものを持っていて、それを提供して何かしているという時には何か充実感があるんですけれども、それが功を奏さなくなった途端に困ってしまって、患者さんから身を引くということになってしまうわけですね。だけど、それでも患者さん自身はやはり主治医に来て欲しい。側に居て欲しい。優しい言葉を掛けて欲しいと。一日一回は必ず顔を出して欲しい。これはもう当然の願いなんですね。兎に角、「being」居て欲しいという、その基本的な患者さんのニード(need:必要性)になかなか応えることが出来ないのが、医師の姿かなあ。それをどう乗り越えるのかがホスピス ターミナル ケアに携わろうとする医師の重要なことで、それを乗り越えられるというか、そういう世界に身を挺する医師がそう多くない。これは世界的な傾向なんです。日本だけじゃなくて、それが一つの非常に大きなチャレンジかなあというふうに思いますね。
 
有本:  そういった人生観、或いは死生観、今の宗教観が大変大事であるということもよく分かりました。二十一世紀目前にガンの患者は増える。ガンで亡くなる方も多分増えるであろうと。ほんとに看取りの医療というのは、ほんとに必要。しかし現実は全国には六十ヶ所位ということなんですが、医療の現場から、或いはチームを率いてリーダシップを取っていらっしゃる先生の立場、或いは我々一般市民の立場から、今後の課題と言いましょうか、どんなことを、どんなふうに手を付けていったらいいだろうかということなんですが。
 
柏木:  そうですね。日本の全体の看取りのシステムと言いますか、そういうことから言えば、私は三つの柱が必要だろうなあと思っているんです。三つの柱の第一は、やはりホスピスとか、緩和ケア病棟とか、そういう専門の施設がもっともっと増えていかないと一般のみなさんの為にならない。少なくとも各都道府県に一つずつは少なくともホスピス緩和ケア病棟が必要だろうと。二番目に、一般の病棟で亡くなる人が殆どなので、一般の病棟、一般の病院でホスピスの心を持ったケアと言いますか、英語では、「hospice minded care」というような言葉がありますけれども、それは症状のコントロールを中心にして、少なくとも医師とナース(nurse:看護婦)がしっかりとしたチームを組んで、末期の患者さんのケアに当たるという、そういう体制が作られるということが大切です。三番目には、在宅ケアの充実ということですね。やはり多くの患者さんと接していると、「家で死にたい」というふうに希望される方がかなりおられますけれども、家族の受入体制のこととか、こちらの在宅ケアのシステムがまだ確立されていないというようなことで、なかなか在宅ケアが上手くいかない。この三つがほんとに同時に前進していくということが必要だろうなあと思っております。
 
有本:  その辺、まだまだやはり看取りの思想なるものが日本の風土の中に生かされていないというのか、出てきていないということなんでしょうか。
 
柏木:  そうですね。日本語の「生命(せいめい)」というのと、それから「いのち」というのと、少しやっぱり差があるというふうに思うんですね。「生命」というのは二つの特徴をもっていて、それは「有限性」と「閉鎖性」と言いますか、ちょっと難しい表現ですが、「いのち」というのは、「有限」で、例えば心臓が止まって、呼吸が止まれば、それで生命は終焉を迎えるわけですね。最近は、「脳死」というようなことで、脳の機能が停止していても人工呼吸器で繋げば生命は何とか維持出来る。ところがその生命維持装置を外せばそこで生命は終わるわけですね。だから、〈生命というのは非常に有限性〉がある。それから肺とか、心臓とか、臓器に生命があるということで非常に閉鎖をされている。身体の皮膚でこう覆われて閉鎖されている。だから「有限性」と「閉鎖性」というのが生命の特徴であろうと。しかし私達が、「いのち」というふうに言った時に、それはまた二つの特徴があって、「無限性」と、それから「開放性」と言いますか、「いのち」というのはずっと続く。ある人がこの世に生きてその人の存在とか、価値観とか、いわゆる「その人のいのち」というのは、〈その人が亡くなっても、ずっと頭で人に影響を与えて持続していく〉という意味で、非常に「有限に対して無限だ」と。それから、「閉鎖されているものではなくて、拡散性がある。広がりがある」と言うんですね。そういう意味では、私達、今まで医学の世界の中でずうっと〈生命だけを見てきた〉のではないかというふうに思うんですね。直ぐに血圧がどうとか、心臓の働きがどうとか、肺の働きがどうとかいう、いわゆる〈人間が有限の世界、閉鎖された世界の中で云々している生命にだけ目を向けて、何とかその生命を延命しようという努力〉をしてきた。しかし、〈人間が持っている「いのち」というものにあんまり医学は目を向けて来なかった〉のではないかと思うんですね。だから「いのち」という言葉、非常にいろんな意味合いを持っていると思うんですけども、私は、〈その人の存在そのものとか、その人の持っていた価値観とか、そういうものが「その人のいのち」だ〉と思っているんです。ですからそういう意味では〈生命というのが少し短くなっても、最後に「その人のいのち」が輝けば、その方がずうっとその人にとって重要である場合もあるであろう〉というふうに思うんですね。ほんとに具体的に小さな例ですけど、こういう例があったんですね。肝臓ガンの末期の患者さんで、黄疸が非常に強くなりまして、昨年の春のことだったんですが、「最後に弘前の桜が見たい」と言い出されたんです。弘前の桜ということに、その人の人生の転換期が訪れたある出会いがあって、その出会いの場が弘前の桜を見ながら出会いの場があったと。どうしても見たい。ところがそういうことを言い出された時に、随分末期で、そんな旅をすると明らかにそれこそ生命は縮むということは、短くなるということは明らかだったんです。みんなで話合って、しかしほんとにこの人の最期の望みなので、実現させてあげるのがいいのではないかということで、幸い数名の友人の方が付き添って行くということで、結局、車椅子で弘前の桜を見て来られた。随分疲れてくたくたになって帰って来られた。ところがこの方の帰って来た時の身体全体から〈いのちの輝き〉というのを我々は見せて頂いた。生命は衰えたけれども、いのちが輝いたという感覚が凄かったんですね。それから丁度一週間程して亡くなられましたけれども。弘前へ行かなかったら、少なくとももう一週間位は生命は延びたかも分からない。だけど生命の短縮というよりも、いのちの輝きの方が彼女も大切だと思ったし、我々も大切だと思った。そういう考え方というのが、なかなか浸透しにくい世界が医学の世界で、とても一般病棟で許可しないんです。それは「いのちが縮む」と言うんですけど、それはほんとは〈生命ということだけに目がいっていて、その人全体のいのちということに目がいっていない〉というところですね。それをやはり〈取り戻す必要があるというのが、この看取りの思想の、非常に重要な一側面であろうなあ〉と思いますね。
 
有本:  最後に素晴らしいいのちの輝き、いい言葉ですね。先生のご提案の中に「誕生日に、或いは結婚記念日に死やガンのことを考えなさい」。今日番組をご覧の皆さんも是非、死やガンなりを皆さんとお話し合いをして頂きたいなあと、つくづく思いました。今日はお忙しい中、有り難うございました。
 
柏木:  有り難うございました。
 
 
     これは、平成十年三月八日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。