苦しみと喜びと
 
                   ペデスダ奉仕女母の家 理事長 深 津  文 雄
                   き き て          金 光  寿 郎
 
金光:  千葉県館山市、城跡の公園から館山湾が穏やかな春の光に輝いて見えます。湾に注ぐ蟹田川を遡った山間に、「社会福祉法人ペデスダ奉仕女母の家」が運営する「かにた婦人の村」があります。昭和三十一年に、「売春防止法」が成立し、行き場の無くなった女性達が施設に引き取られました。その時、牧師の深津文雄さんが一部の女性を引き取りました。そして、深津さんはここにコロニーを作り、「かにた婦人の村」と名付けました。深津さんは明治四十二年のお生まれで、現在もかくしゃくとして、理事長を務めておられます。四月の初めの暖かな日、深津さんをお訪ねしてお話を伺いました。
 

 
金光:  ここは広さは今どの位ありますか。
 
深津:  ここは、坪で言ってよければ、三万五千坪。僕が厚生大臣に会って頼んだ坪数は百万坪。
 
金光:  ずいぶん桁が違いますね。
 
深津:  「そんなこと言ったって無理だよ」と言って、十万坪で出発したんだ。それがとうとう三万五千坪に値切らちゃった。
 
金光:  そうですか。ここに入られた頃はこの辺の様子はどういうことだったんですか。いま、随分家が建ったりしていますが。
 
深津:  これは戦後二十年荒れ放題に荒れていた旧海軍の砲台です。
 
金光:  そうですか。
 
深津:  この下に、ずうっと何十本というトンネルがあるよ。防空壕が。
 
金光:  上は荒れ放題の雑木林。
 
深津:  元の地主は、国家に取られて、戦争中に。そして下は返して貰えた。けども、上は大蔵省が押さえて返さなかった。
 
金光:  それが「かにた村」へ。いろんな経緯があったんでしょう。
 
深津:  国家としては、やっぱり元の地主に返さないで、国家的な見地から、この山を使いたいという考えがあったんだね。いろいろ考えていたようだが、うまくいかなかったんで、「是非ここを使ってくれ」と、大蔵省が厚生省に頼んで、それで、課長が僕を連れて来てね。僕は「嫌だ」と言ったんだ。三万五千坪じゃ、百万坪と話が違い過ぎる。「出来るものが出来なくなるじゃないか」と言ったら、「もう予算が取れたから頼む。一遍行ってくれ。そこで狭すぎたら、また余所へ引っ越せばいい。その頃にはここの時価が騰がって、もっと広いところを買えるようになる・・・」と、騙されて来た。
 
金光:  それから、今に到るまで、いろんなことがお有りだったと思いますが、それはまた、あちらで伺わせて頂きます。
 
深津:  そうですね。
 

 
金光:  管理棟に入ると、深津さんの筆で「かにた村」の由来が書いてありました。
 
     「かにたとは
     そこを流れる
     小さな川の名前でした
     赤手蟹が
     チョロチョロとはう
     田圃のいみでしょうか
     そのほとりに捨てられた
     いと幸うすき女性
     百人の共に住む村の
     名称に成りました」
 
こちらのかにた村へいらっしゃる前に、東京の方で「いずみ寮」という、ここの前身のようなお仕事をなさっていらっしゃったそうですが、それは普通の教会ですと、牧師さんは信仰の指導をなさるのが、お仕事だと思うんですが、深津先生はここの前身の「いずみ寮」をどういうところからお始めになろうと思われたんですか。
 
深津:  「牧師のくせに(・・・)何でこんな仕事をするんだ」と。
 
金光:  「くせに」とは申しませんが。
 
深津:  言う人がある。だけど、私は牧師だから(・・・)・・・。「イエスを見ろ。マグダラのマリヤを救ったじゃないか」。頼みもしないのに日本に生まれ、生まれて見たら、世界一性倫理の低い国。自分では知らないけども、「神代以来女ならでは世の明けぬ国」という。殊に豊臣秀吉以来、政府が税金を取るために許可を与えた公娼(こうしょう)というものが出来た。徳川時代にはもの凄いものだ。「国の華」なんだね。これではいけないと、明治の初年から気付いたキリスト教の婦人たちが、「矯風(きょうふう)会」というものを作って、廃娼(はいしょう)運動ー「これだけは止めましょう」ーと。それが実って、何度も転んだけどね。「売春防止法」という笊法(ざるほう)が出来た。笊というのは水を入れても洩ってしまうということなんで、言ってみれば、捕まえても捕まえても逃げてしまう。有って無きが如きもの。しかし、僕はこの国がよく「売春防止法」を通したと思う。それも難しかったんだ。まあ進駐軍が上から押さえていた時代の直後だから出来たんだけどね。これはやらねばならんと思った。僕は元来汚いものが嫌いなんだ。勿論、女郎買いに行ったこともないし、そういうものを自分の考えの中に入れることさえイヤなんだ。まあ目を瞑って通り過ぎたい。だから(・・・)やったんだ。僕の本性が汚いもの嫌いだから、本当は目を瞑って通り過ぎたいんだけれども、それではいけないと。まあ自己否定と言うか、一つの精神修養のつもりで、とうとう手を染め、足を染め。これで人生は終わっちゃうよ。
 
金光:  でも、婦人相談所へいらっしゃった時に、そういう人達がいろんなところで「更生」と言いますか、保護されていたのに、「そういう処で持て余して人達を、私の所に寄越して下さい」とおっしゃったとか、伺ったんですが、それはまたどういうことですか。
 
深津:  まあ見栄坊だったんだね。それから人の出来ることは俺はしない。
 
金光:  成る程。
 
深津:  出来ることなら他の人にどうぞ・・・。だけども、これは出来ないというところがあったら、僕の出番。これは誰から習ったかな。神様から直接電話がかかったんだなあ。
 
金光:  でもその時には自分には出来る筈だという自信と言いますか、見通しはお有りだったでしょうね。
 
深津:  いや、なかったね。ただ、意地だよ。あ、ディアコニッセを連れて行ったんだよ。
 
金光:  「ディアコニッセ」と言いますと。
 
深津:  ドイツ語だけどね。
 
金光:  日本語に訳して。
 
深津:  ドイツには多い時には五万人も居たという。信仰によって一生を捧げた女性。それが神に仕えるように、貧しいものに仕える。
 
金光:  カトリックのシスターのような、
 
深津:  そうです。カトリックで言えば「修道女」、それを真似したのがフリートナーのディアコニッセ。ディアコニッセでは解るまいから、日本語を拵えて「奉仕女(ほうしじょ)」と言ったんだ。その奉仕女が付属する団体を「母の家」と言った。母の家じゃないんだ。ムッターハウスというというのは、「母館」かなあ。「母館」と言うと、海軍の母艦みたいになっちゃうけどもね。
 
金光:  でも休めるところ、帰って来られるところ。
 
深津:  今の天皇がまだ皇太子のとき、園遊会で僕の名札を見て、「お子さまはどうしていらっしゃいますか」と聞かれたんだ。「母の家」と書いてあるものだからね。お母さんばっかり集めているかと思って、
 
金光:  ああ、そういう質問ですか。
 
深津:  春子が袖を引っ張ってね。「そうじゃないの、「母の家」という意味が分からないから、それを説明して」、
 
金光:  奥様が傍から、
 
深津:  園遊会でね。それで僕は「母の家」とは拙い訳だと思ったが、そこが根城、修道院。そして献身するんだけれども、ただお祈りして居ればいいと言うんではなくて、神に仕えると思って、貧しい人に仕える。「いと小さき者の一人になさざりしは、我になさざりしなり」という言葉に、フリートナーという人は感激して、そして始めたんだ。もう百六十年ほど昔のことだけど。その話を聞いて、ドイツのキリスト教は深いなあ、偉いなあと思ったんですね。その頃は教義学という訳の分からない理屈ばっかり、何千ページ、何万ページと書く男が居たんですが、僕はそれには懲り懲りしていた。けれども、喋らないで、やる。取らないで与える。偉いもんだなあと思って、教会で説教したんですよ。「見ろ、ディアコニッセを」と。そうすると、それを聞いた若い一人の銀行員が、「私をディアコニッセにして下さい」と。後へ引かない。「ちょっと待てよ。今日のは話だよ。して下さいと言ったところで、入れるところもなければ、資金もない。先生もない。どうやってやるのか分からないから、ちょっと待って」と。それで兎に角、「看護婦の勉強して来い」と言って、聖路加へ入れたんだよ。聖路加を僕はよく知っていたから、喜んで受け取って、あれ四年かな、看護婦の教育をしてくれた。いよいよ卒業する時になったから、どうかしなければならない。そこへひょっこりドイツから若いディアコニッセが一人来たんです。シュウェスター・ハンナ・レーヘフェルトという。そして僕と握手したんだけれど、冷たい手だった。寒かったんだなあ。けども、何とも素晴らしいんだね。素晴らしいって、一目惚れってあれだなあ。僕が考えていたものがそこに具現している。それで意気投合し、ろくに言葉も通じないんだけれども、「ベデスダ」というものを始めちゃった。今、下にいる天羽と、それからシュウェスター・ハンナと、「私も、私も」というのが、二三人出てね。とうとう終いに僕を館長に、責任者に、ディレクターにして、「ベテスダ」という、それは「慈悲の家」と言う意味だけどね。聖書に出てくる名前なんだが、それを始めたんだ。
 
金光:  それで、そこへ持て余されているような人を引き取られたわけですね。
 
深津:  そうしてディアコニッセが一年の教育を終わって、実習を始めるんだけども、その当時、教会関係の社会事業とか、教会に起こってくる救貧問題なんというのは、実に詰まらないもの。そこでドイツへ問い合わせたら、ドイツのディアコニッセは全部看護婦、病院を持たなければなりませんと言われた。
 
金光:  ドイツではね。
 
深津:  ええ。日本で今さら病院を我々がしなければならない時代ではない。さっき言ったように、僕がしなければならないことではない。もっと下があるだろうと。それが売春婦だったんだね。一人のディアコニッセが、日本人が、「私にやらせて下さい。新しい法律が出来たのだから」というので、売春防止法完全実施の日、一九五八年四月一日を期して、さっきお尋ねの「いずみ寮」を作った。たった五十人だけどね。東京都の郊外に広い土地を買って、そこへ木造平屋の瀟洒なものを建てて、東京都の婦人相談所長に、中野彰という人ですが、ご挨拶に行ったらば、取っ付き、「手に負えないものを預かって下さい」と言われたんだ。軽いのを預かっても、重いものを預かっても補助額は同じなんですよ。病院なんかの場合にはそうじゃないけど、区別がないんですね。そうすると、仕事としてするんだったら、軽い方を持ちますよ。そして全国に五十、「婦人保護施設」というものが出来たんだけれども、誰も低いもの取らなかった。東京都にも七つ、施設が出来たが、やっぱりお払い箱。所長が「低いのを取って下さい」というはずなんですよ。何故と言ったら、ディアコニッセを連れて行ったから。「偉そうなことを言うんだったら、これをやって見ろ」というわけなんでしょう。僕ははじめ「ノー」と言おうと思ったんだ。だけど、ここで「イエス」に切り替えてね。法螺吹いたと言えば、大法螺ですね。だから知能は低い。身体は弱い。そのうえ悪い環境の為に性格異常という、ほんとに一人満員ー。その人が居たらみんな出てしまう。そういうことを七年もやって、その後で、東京都内だけの低い人を預かっていたんじゃダメだと。全国から捨てられた人を引き受ける気持ちになった。もう一つは東京都内で一千坪や二千坪の土地で、いつ出ていくとも分からない人を、早く出て行けというような指導をしていてはダメ。それが僕が非常に早く厚生大臣に会って、日本の総面積を日本の総人口で割ると、一人当たり千坪ある筈だと。「それを出せ」と言ったんです。
 
金光:  それがいまのここの「かにた村」なのでしょうけれども、「いと小さき者の為にすることは我にすることだ」とか、「しないことは我にしないことだ」とか、といういい言葉がありましても、いざ実際そういう方たちを引き受けて見ると、これはまた具体的にどうして良いかというのは、大変でございましょう。
 
深津:  おっしゃる通り「もう逃げ出したいですよ」という答えと、「出来ました。えらいもんでしょう」という答えと二つあるのです。その今のマタイ二十五に現れる「いと小さきものの一人になしたるは我になしたるなり」の我というは神が言っているわけだけど、「神様神様とお前達言っているけれども、神を愛するということは、いと小さきものを愛することでなければならない」。これは誰も気が付かないんだね。
 
金光:  何か上の方にいらっしゃって。
 
深津:  頂点志向の中で、宗教が終わっているわけだ。ところがそれはとんでもない 見当違いであって、「底点」・・・、
 
金光:  「辺」じゃないんですね。
 
深津:  「辺」じゃない。「辺」というのはまだ真ん中なんだ。人間というものは自然に自分を真ん中において、上はこうなった、こんな山を拵えているわけだ。その真ん中に自分がいると思っている。偉い人はいっぱい居るから、頭をぺこぺこ下げなくちゃならない。最後は一人と。下は大勢有象無象泣いているけれども、そんなのは切りがないと。こういう社会観で上ばっかり向いて、上を向いて歩こうよだなあ。ところが実際はもう一つ逆の三角形が下にある。当然。底辺というけども、底辺に下りて見ると、ぶすぶす潜ってしまう。そしてその最低のところへ足が届いた時はたった一人なんだ。「この人よりもこの人の方が可哀想だ」「この人よりもこの人の方が可哀想だ」と、ドンドン選んでいくと、上が一人であるように、下も一人なんだ。これは僕の発見なんだ。だから、あなたがいま言った「大変でしょう」というけど、僕は大勢の人にニコニコしてはいないんだ。「お前も退け。お前も退け。お前も退け」「まだ助けなければならん人が下にいる」と。「今日のところはこれで終わりか。ではそこから始めよう」。これが僕の拵えた「底点志向」という言葉。「底(テイ)」は底(そこ)だ。「点(テン)」は「頂点」の「点」。
 
金光:  頂点に対する一番底の点ですね。
 
深津:  神を愛するんなら、いと小さき者を愛しようと。それでなければ愛じゃないと。さっき言った僕の大嫌いなもの。そこからやる。
 
金光:  でもそれを今度は清く正しく美しい方向へ導いていくなんていうことだと、そう簡単にはいかないでしょう。愛するということはそこから・・・
 
 
深津:  「愛」というのは心の問題なんだ。物の問題じゃない。心を開いて嫌いなものを好きにする。敵を愛する。最も惨めなものを受け入れてやる。これだけ狭い家しかないけども、そこへ辿り着いて来て、「ここへ置いて下さい、他へ行くところがないんです」といえば、「じゃ、一杯の飯を半分にして食うか」と。初めは「おい、この茶碗消毒してよ。口に付けた茶碗だから、梅毒がついているかも・・・」と、心の中ではビクビクだよ。だけど口ではウソついているというか、「アガペー」というのはウソをつくことなんだよ。「愛とは好きなものを愛することでない。嫌いなものを愛するから愛なんだ」と書いてあるんだよね。そこのところで方向転換をしなければならない。そうすると、案外軽いんだなあ。一対一だから。持ち上がらないこともない。食わせられないこともない。いと小さきもの一人なんだよ。一人。二人じゃない。そして、「愛する」というのは受け取ることなんで、何を与えることでもない。けども都会の真ん中では出来ない。ちょっと出れば悪いものが一杯ある。そして彼女達は身体を売った方が早い。簡単に金が手に入る。他に行きようがない。お出で、お出でをする男は一杯いる。これじゃどうしようもないから、人の居ないところへ入ろうと。そしてさっき言った一人当たり千坪。日本人に生まれてきたということは、一人千坪の地主に生まれて来たことに他ならない。神の前ではね。ところが人間共が、強い奴が取っちゃって、踏んづけて、無茶苦茶に・・・。「それ戻してやれ」と。こうして大自然の中に人間を放り込むと、骨まで腐っていると思う奴が生きているんだからね。幼子のように、「川が流れているよ」「蟹が這っているよ」「鳶が飛んでいるよ」。それで生きていけるんだなあ。そして、「小さい時に、私も田舎に居てね」なんてことを言い出す。終いには、「お母さんが・・・」と言い出す。この、人間が「お母さん」とか、「お父さん」と言うようになったらしめたもんだ。
 
金光:  最初はそういうことばは出てこないわけですね。
 
深津:  反抗しているわけだ。恨んでいるわけだ。自然の中に置いておくというと、自然のオーダーの中で・・・。だから、コロニーという広い場所さえあれば必ず出来る。ただ、飢えては困るからから、食物を作らなければならない。自給自足かなあ。そうして着る物は乞食したんだ。とても店へ行って流行の物を買って来る金は無いから、お古を頂戴して、今では日本一の古着屋になってしまったわけだ。そして、成るものを絶たなければいけない。
 
金光:  そうですよね。今までの習慣のまま入って生活されたら成り立ちませんでしょう。
 
深津:  「テレビのないところなんか、私、行かないよ」と言う。
 
金光:  それはそうでしょう。
 
深津:  「お酒を飲んでいけないの。それじゃ、私は逃げだす」。
 
金光:  お酒もダメ?、タバコもダメ?
 
深津:  タバコを吸っていた奴はウロウロし始める。その辺の吸い殻を拾って来る。
 
金光:  禁断症状?
 
深津:  「ここへ来たら、来た瞬間にそういうものと別れなさい」と。お化粧道具とかね。
 
金光:  でも、これはなかなか、「はい」と、その日から言われても、なかなか落ち着かないでしょうね。
 
深津:  一週間はダメだなあ。
 
金光:  そうでしょうね。
 
深津:  けども、ソロソロやりなさいと。一日四十本が三十本、三十本が二十本、そういうことではダメ。酒もそう。ちょっとは良いでしょう。ちょっとはいいよ。ちょっとはいいけども、それがちょっとでは終わりはしないんだ。結局、破滅にいたる。だから、僕は頭で切ってしまう。それが最大の愛だなあ。
 
金光:  それでそういうところで、ある意味では強制的に、と言いますか、与えない状況に、そういう人達が入って来ると、今度はどうなって来ますか。
 
深津:  そう。ロビンソン・クルーソーが無人島へ泳ぎ着いたみたいなものだよね。何とかして生きていかなければならないからね。ちょっと自然のオーダーに乗ったやり方をするね。恐ろしいことに、人間というものはそんなに中まで腐っているものはいない。仏教で、「仏性」と言うでしょう。キリスト教でも、「神の子」と言うんですよ。神の子をイエスキリストだけにして、「おいら違うんだ」という。それは大間違いで、みんな一人づつ神にとっては大事な子なんですよ。そういう悟りと言うか、復帰と言うか、修繕というか、それはもう一秒でできますよ。ここへ来た途端に、「お父ちゃん」と、僕に泣きつく。それで終わりですよ。抱きしめてやるんですよ。
 
金光:  でも、知能指数の低い人の知能指数が上がって来るわけじゃないでしょうし、身体のかなり悪くなった人が途端に元気になるわけでもないんでしょうし、それぞれの与えられているその時の状況というのは急には変わらないわけでしょう。その能力がいろいろ出てくるものですか。
 
深津:  一生変わらないものがありますよね。知能指数なんでいうのは、ここへ入って来た時に三十と、普通の人は百あるものが三十、これはどうにもならない。箸にも棒にもかからないと。特殊教育さえもが捨ててしまうというのが、実際は計り違いで、十年、二十年、三十年経ってみたら、四十五あったと。そういうことはありますよ。けども、五十にはならないし、百にはなりませんよ。それを要求する今日の教育というものが狂っているんですよ。IQ二十しかない。自分の名前も知らない。歳も分からない人間に、泣いてばっかりいたから、僕が「おいで、おじいちゃん、粘土細工しているんだけど、手伝ってくれないかい」。「あ、いいよ」。初めは雑巾掛けをする。その次の日はお豆を拵えて、その次の日は蛇を拵えて、手についたドロを落とせば蛇になるんですよ。ミミズに。それをドンドン積み上げていったら、こんなものが出来ちゃったんですよね。
 
金光:  ほう。
 
深津:  「何だ。お前は二十世紀に生まれて来たから、バカと言われるけれども、今から一万年前に生まれたら天才だ」と。そこで「縄文人」と呼んだんですよ。すると「先生、縄文人て何」と言っているんです。「いや、そんなこと分からないでもいい」。僕は一人の一番低い女性と五年間、毎日粘土細工しました。朝から晩まで。夜も夜通し窯を焚かなきゃならん。あそこへ行ってご覧なさい。もうウンといろん なものが出来ています。本を開けて見ては、「これ作ってみようか」「あれ作って見ようか」と言ってね。これみんな名作をコピーしたものです。これなんか平安朝の国宝の壷を真似して拵えたけど、これみんなサッちゃんがね、紐積みと言いますけど、「じゃ、そこで止めて」。ドンドン開いていっちゃうから、「先生がまとめてやる」と言って、肩から首だけを僕が作ったんですよ。だから首までは段々見えて、上は轆轤(ろくろ)でやっているから。見る人が見れば分かるんだけれども、これが僕とサッちゃんの合作です。これ全部。そういう奇跡ですね。
 
金光:  しかし皆さんが陶芸なさるわけじゃなくて、たまたまその方は陶芸が良か った。他のものの場合もいろんな例が。
 
深津:  みんな僕にくっついて、粘土細工が出来ればいいと言うけども、他に出来ることがあると、僕は受け取らない。いと小さきもの、最底点なんだなあ。この人がこの村で一番低いから、そして他の先生には指導出来ないから、僕は自分でやろうと。僕は五年でやめちゃったんだ。後継者が出来たからね。そしてまた後継者が出来たけど、彼女は今でも続けているよ。
 
金光:  ああ、そうですか。
 
深津:  喜々としてやっているよ。そして僕よりも早く来て、お夕飯食べてからまた現れてね。例えば窯出しの日なんか、千三百度の窯が、燃料を止めて、蓋を開けて出てくる空気なんてたまったものではない。それを手袋二枚填めて、フウフウ言いながら出すんだ。これもそうだよ。
 
金光:  ああ、そうですか。これも、
 
深津:  そうだよ。「おーい、サッちゃん」と言うと、それを受け取ってくれる。木の台の上に置くと、まだ熱いから木が焦げる。そして窯を出すと、このテーブル一杯、もっと沢山いろんなものが出て来る。窯出しとは知らないだろうけど、良いものが出来たかなあと思って、これは「釉の溶けがちょっと悪かった。生だなあ」なんて、どれが良いか思うわけです。気に入るのがなければ、みんな捨てちゃって、一つだけ残す。その場合、「これが一番いい」なんて、自分で独り言を言いながらやっているわけです。「サッちゃんね。これは仮に、たとえだけどね、ホントじゃないんだよ。だけども、一つお前にあげると言ったら、どれ取る」。すると僕が一番良いと思ったやつを取るんだなあ。お客さんが来て、「良いですね、良いですね」と。「君、どれを取るか」と聞くと、全然当たらないんだ。僕に言わせればだよ。僕の審美眼とIQ二十の最低の女の審美眼とがピシャッとそこで合う。
 
金光:  それは要するに、人間は知力だけで計るとおかしなものになる。
 
深津:  そうなんだよ。IQなんというのはとんでもない間違いなんだ。間違いというか、部分的なものであって。
 
金光:  これはしかし、今の教育の間違いがここに端的に出ていますね。
 
深津:  そうなんだ。何が悪いかと言ったら、「頂点志向」という、友を「愛せよ」じゃなくて、「憎め」「叩き落とせ」「突き刺せ」「殺せ」、そして、「上へ上がれ」と、そういうことしか教えていないんだから。
 
金光:  まさに「かにた」の教育の反対を教えている、ということになるわけですが、その「かにた」へ来た方は、そうしますと、誰でも「この人はダメだ」「もうはずれてしまう」という人はいないということになりますか。
 
深津:  ない筈なんだよね。ここでは三十三年間に百六十人そこらしか入っていないだろう。そして、死んでいくだけですよ、減るのは。殆ど流れていない。そして脱走者も、ほんとに脱走したのは一人だけ。行方が分からなくなったのは。後は、県へ戻って、家に現れたり、何とか社会復帰している。しかし僕はそんなものを点数に数えない。ここは行くところがない人を預かったんだから出て貰うつもりはない。逃げ出すのは残念だけれども、「ほっとけ」と。
 
金光:  成る程。そうすると、もう家庭にも帰れないような人がこちらにいるわけですか。
 
深津:  そう。行くところがない人、孤独な人、それからあってもダメな人ね。だから逃げる習慣がついているから、今までの習慣で逃げるけども、「二、三日待っていれば帰って来る」「お祈りして待って居ろ」と、奉仕女に言うんですよ。「帰って来たら叱るな」と。「何故かと言ったら、逃げ出したその足で戻って来るんだから、聖書にある家出をした息子が家へ帰って来たと同じなんで、口では言えないかも知れんけど、心ではごめんなさいと言っているんだ」と。「前の誰誰と同じ人間が帰って来たと思うから腹が立つけれども、そこで受け取ってやれ」と。黙って、「飯食ったか」「風呂が沸いているよ」「寝よう」「話は明日聞く」と、こういう台詞を教えているわけですよ。
 
金光:  成る程。
 
深津:  しかしまた逃げるんですよ。やっぱり友達との関係が悪かったり、先生の関係が悪かったり、食べ物がうまくなかったり。まあいろいろあるでしょう。けども、僕はまた待っていてやるんですよ。そして三回か四回繰り返せば止めますよ。
 
金光:  やっぱりここの方がいいということになるんでしょうね。
 
深津:  そうなんです。今度は、「出ていけ」と言っても出ていかない。いや、その代わりに飯をよくしなければダメですよ。普通の施設みたいなものを食わせていてはダメです。それがここの農園、それから牧場、それからパン工場。
 
金光:  成る程。広いところで自給が出来ているわけですね。
 
深津:  そうです。一つの王国ですよ。ほんとに全部回って、綺麗にして、そして僕が三十三年、ただ一つ心に誇っていることは、一日三食を彼女達と同じものを食べてきたということですよ。そして四十年の施設長としての生活は、足らなかったら注ぎ足すということですよ。そういうと、みっともないかも知れないけど、僕が貰った給料をどの位寄付して、彼女達の一日の食事費が、初めは四十二円だったのを七十円に引き上げ、毎日三十円づつ足したんですよ。そこで政府も、「それじゃ、申し訳ないから」ということで、今は千円位に。貨幣も下がったんだけど、しましたね。うまい物を食わせるとは言わないけど、これで十分なものを与えるということ。
 
金光:  そうやって食べるという点については心配ないと。後、しかし、何というか、元あちこちで持て余されていたような人達が、どういうふうになるんですか。多少、人間が・・・
 
深津:  幼子のようになり、そして表面の汚れが落ち、それから何というか、不信頼の関係から、信頼の関係に戻っていく。
 
金光:  「ああ、やりなさい」「こうやりなさい」ということではないわけですね。
 
深津:  いや、そんなこと、口で言ったってダメ。それから手本を見せるというけども、いい手本はない。僕は、「信仰」とは神を信ずること。見えない神をあると思って生きることが出来るのなら、隣人の中に見えない、仏性というか、神の子を信じてやればいいんです。頭から。これは頂点志向の世界にはないものです。
 
金光:  ないものですね。
 
深津:  何でもないことで、信ずべからざるものを信じてやれば、無かった筈の信頼関係がそこでいつしか生まれてくるんですよ。
 
金光:  頂点志向だと、目の中に入らないものが、
 
深津:  そうです。
 
金光:  見えてくる。
 
深津:  そうです。それを聖書で、「アガペー」というんですけど、「愛」という言葉がいい訳ではないし、「アガペー」という言葉も僕は嫌いです。全然空々しい響きしか持っていない。やっぱり磔に遭うまで十字架の道を歩いた二千年前の死刑囚がいなかったら、僕はこんなバカなことをしなかった。思いつかなかった。頂点志向の中では全然考えられない。逆転ですよね。それが考えられる。それから生まれ、行動される。そして今、国を越えて、地球の向こう側までそれが伝染しちゃったんですね。
 
金光:  と、言いますと。
 
深津:  アフリカ大陸の一番高いところに、ウガンダという、ビクトリア湖の畔に、緯度は丁度赤道直下だから、一番熱い筈なんだけども、海抜千メートル。だから、一年中二十二度位の素晴らしい国があるんですよ。ところが長い間、英国に搾取され、独立したけれども、内乱で、
 
金光:  内戦でちょっと酷かったですね。
 
深津:  それで英国人が教えたから、キリスト教信徒の率は八十五パーセントかなあ。カトリックが半分で、後、プロテスタントだね。全部クリスチャンだと言っていいんですよ。こういう連中が入って来ますよ。
 
金光:  これはウガンダに出来たこちらのカニタ?
 
深津:  ここの倍ほどの土地を買って、エイズ孤児、行くところのない、ほんとに家もない、着物もない、食べ物もない、それを預かってね。
 
金光:  これは何ですか。
 
深津:  診療をやっているんだね。看護婦が病人を集めて、そして循環診療をやっているところでしょう。これが去年の八月二十四日に開所式をしたウガンダのカニタです。ここより倍も大きい。日本で集まって多すぎて困っている衣料を、ドンドン小包にして送ってやると、向こうは喜んで、涙を流して手紙をくれる。
 
金光:  でもここの人が向こうへ出張して、何か作られたということではないんでしょう。
 
深津:  向こうの人が来て此処を見て、ろくに話もしない先に、「帰ったら、ウガンダにカニタを作っていいですか」という。「どういう意味なんだ」と言ったらね、
 
金光:  長く居た訳ではなくて、ここをご覧になって、
 
深津:  一日泊まっただけで。これは素晴らしい男でね。
 
金光:  幾つ位の方ですか。
 
深津:  今、四十かなあ。
 
金光:  まだ若いんですね。
 
深津:  聞いて見たら、間違いじゃないから、即ち野心でないから、頂点志向でないから、これは大丈夫と思って、オーケー出したんですよ。オーケーと言ったって、「僕がやって上げる」とは言わないんで、「もしも神の御心に叶ったら、神が道を開いて下さるでしょう。前進しなさい」と。そうしたら、がむしゃらにやってですね。ここに集まる中古衣料の売上金をそっくり向こうへ持っていって、土地を買い、建物を建てて、それからこの人達を食べさせなければならないでしょう。そこで畑を植えて、そして今度は水を引き揚げて、丁度ここみたいに小川が流れているんですよ。そこから、素晴らしいポンプ・アップをして、そして極めて近代的な、と言っては可笑しいけれども、ウガンダにしては贅沢な生活形態を作り上げた。そして、「これを大学まで広げていく」というんですよ。「ちょっと待ってくれよ。おれ間に合わないよ」と言ったんですね。そうしたら、長女が、「おじいちゃん死んでもね、続けられるように頑張る」と言うんですよね。これは大変ですよ。大変ですけども、もう一億円近い金を送ったと思います。
 
金光:  でも、しかしお金を聞いてから伺うんですが、ここの「かにた村」にしたって、自給自足だけで、とても出来ることじゃないでしょうし、これだけ長い間、維持出来たのは、何かそれなりの組織と言いますか、そういうものがなければ出来なかったんじゃないでしょうか。
 
深津:  「かにた」を作ると言っても百万坪でしょう。それが十万坪に減され、三万五千坪になるまでには、騙され騙されて、首吊ろうと思ったこと何度もありますよ。今、五十歳位の社長が首吊るでしょう。そうすると、僕みたいだなあと思うんですよ。けども、その苦しみを慰めてくれた、支えてくれたのは後援会員です。名簿を作ろうと思うけれども、作れないくらい多いし、作ったらかえってご迷惑になるような方もいますから、ジッと心の中で温めているんですが、今、日本中で二万五千人の男女が、僕の考えた「かにた」に賛同し、そしてそれに寄付をする。中には、「俺が死んだらそっくり「かにた」へ」と言う、その遺産ですね。子供が無いからだろうけど。ある銀行から電話かかってきて、「名前は言えませんけども、口座番号だけ教えておいて下さい。埼玉にもあるし、愛知にもあるし、奈良にもあるから」と。それから死んだ人の遺物、遺産、切手、それからいろいろとやっぱり日本では捨てるものが多いんですよ。狭いところで、置いて置けないから、それを「かにた」へ送れば使って貰えると信じて送ってくれるけど、実際には使えないものもありますよ。
 
金光:  それはそうでしょうね。
 
深津:  運賃掛けて、地球の向こうまで持って行けば喜んで。日本人としてはそんなことする必要ないんですよ。けども世界人としては、神に電話を掛けると、「やってくれ、お前しかない」と言うから、本気にしてやっているんだけど。世界中の切手が集まるんですよ。これなんかニュージーランドから切手を送ってきたり、これはウガンダの旗ですし、
 
金光:  だんだんそういう国からの関係までこの「かにた村」で出来てきたわけですか、
 
深津:  そうです。先ず韓国、中国、ウガンダ、今度はガーナ、それからフィリッピン。ずっと「かにた」を見て帰って「かにた」を作るという一つの信念ですね。地球の向こうまで飛んだ種が生える。違った形で、違った場所で。僕はそれを信じて死んでいけばよい。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、ただ一つである。死ねば多くの実を結ぶ」という、イエスが十字架に掛かる五日前に言った言葉だけどね。僕は、「そうだ、ここで死刑囚になることが要求されているんだなあ」と。本当は地に落ちて死ななければならない。そして、「みんなに背かれて、そして大失敗して、それがどっかで別作業の形で芽生えてくるのを信じているよりしょうがない。種まきというのは撒いて出ないと思ったら撒けませんよ。
 
金光:  それはそうですね。
 
深津:  必ず出ると思うから撒くんです。必ず出ると信ずるということは偉大なことですね。逆さまに撒いても撒いても芽が出ないのは、これは種が間違っているんじゃないかと、いま僕はキリスト教の牧師として、「福音、福音」というが、本当にこの種を撒いたら出るのかえと。神様に電話を掛けて、「二十一世紀の扉を開く鍵は何ですか」。それを残しておきたいと思うんだね。「お金、お金」と言って、目が覚めるような人生でないところを作らなければいけない。考えて見ると、お互いにそういうところに働いているんだ。したくないことをしているんだ。
 
金光:  そうです。そういうところがあります。
 
深津:  それは金に対する反逆だよ。人間じゃない、そんなものね。じゃ、どうしたらいいんだと。金の為でない働きというものが始まるんだよ。これみんな働くのが面白いから働くんだなあ。働くのが嫌だけど、金を貰わなければならんから働くんじゃない。
 
金光:  前に、「この世を去る時に、持っていけないものは持たない主義だ」というふうなことをおっしゃっているのを見ましたけれども、これはやっぱり若い頃から、ずうっと今までそのお気持ちでいらっしゃった。、
 
深津:  やっぱり、だんだんそう思うね。
 
金光:  だんだんそうですか。
 
深津:  「貯金通帳がゼロになって死にたいなあ」という。これは藤井武という内村鑑三の愛弟子が本当にやったことなんだ。死んだ時に通帳見たらゼロだった。みんなそれを真似たいんだ。だからこのキャピタリズムの世の中で貨幣を否定したってしようがないけども。僕の親戚なんかで、会社の社長なんかが居て、莫大な金を、「深津さんは金は要らんというけども要るだろう」と。「それは要る、要る」と。「ここで困っている」「此処で困っている。だからくれよ」と言うと、「こんないい仕事を、助ける喜びを与えてくれて有り難う」と言って、死んでいったよ。「お裾分けしなさいよ」なんて、「仕える喜び」「寄付する喜び」と言うんだなあ。それを分かってくれる人が出てくる。二万五千の後援会員、これは結局、僕の友で、仲間で、味方であると。そしてその中には坊さんが沢山入っているんだ。本当に宗派を越えて、真理の為に、黙って協力してくれる人がいっぱいいるね。
 
金光:  ほんとにそういう人達が増えると、世の中は平和になるでしょうし、変な事件も少なくなるということは間違いないことだろうと思います。どうも有り難うございました。
 
深津:  いや、
 
     これは、平成十年四月二十六日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。