われ汝を護らん
 
                           龍谷大学教授 浅 井  成 海(じょうかい)
昭和十年福井県生まれ。昭和三十四年龍谷大学文学部仏教学科真宗学専攻卒業。昭和三十六年龍谷大学大学院修士課程修了。昭和三十九年同大学院博士課程単位取得満期依頼退学。昭和三十九年神戸成徳学園高校宗教科諭。昭和四十四年龍谷大学短期大学講師。昭和五十五年龍谷大学文学部教授。著書に「いのちを生きる」「いのち華やぐ」「真宗を学ぶ」「親鸞思想入門」「浄土教入門」「法然と親鸞」ほか
                           き き て  有 本  忠 雄
 
有本:  仏教では、「仏に帰依した人を仏は必ずその腕に収め取って下さる」と教えます。私達が窮地に陥って本当に困り果てている時、私達の帰依(きえ)や信心によって、仏様は実際にどのような導きを示して下さるんでしょうか。今日は龍谷(りゅうこく)大学教授浅井成海さんにお話を伺うことに致します。先生、宜しくお願い致します。
先生、今日は絵図までご用意頂いたんですが、「二河白道(にがびゃくどう)」の譬えを詳しくお話頂くわけですね。
 
浅井:  はい。大変素晴らしい求道(ぐどう)の譬えがありますので、これを考えさせて頂きながら、「現代に本当の宗教とは何か」、そして、「私達が本当の宗教が必要かどうか」或いは、「現代人は何を考えていったらいいのか」というようなことまで深めさせて頂きながら、「二河白道」のお話を中心にさせて頂けたらと、こういうふうに思っております。
 
有本:  先生は一九三五年、昭和十年、福井県にお生まれだということですが、大学は現在の龍谷大学へお進みになるわけですか。
 
浅井:  はい、そうですね。
 
有本:  大学は母校、龍谷大学ご出身ということですが、大学院をご卒業後は直ぐ龍谷大学にお進みということなんですか。
 
浅井:  博士課程の時から縁がありまして、神戸の成徳(せいとく)学園という高等学校がありますが、女子学園ですが、そこで宗教の時間というのがありまして、それを担当しておりました。八年程担当していたと思いますけど。
 
有本:  そうですか。浄土真宗本願寺派の宗門校ですか。
 
浅井:  そうですね。
 
有本:  具体的にはどんなお話をなさるんですか。
 
浅井:  やはり、テキストがありますので、「お釈迦様の伝記」とか、それから「日本仏教の歴史」とか、それから「親鸞聖人の教え」とか。なかなか学生が聞いてくれませんので、苦労しながら、「本当の意味での宗教とか、仏教というのは大事なんだぞ」と、「今は解らないけれども、いずれは大事なんだぞ」というようなことを講義していくんですけれども。
 
有本:  女子高校から龍谷大学の短期大学の先生にお変わりになりますね。
 
浅井:  ええ。丁度その時に、病気をしまして、一年十ヶ月程結核で入院をしまして、その時に、「大学へ帰ってこんか」という縁がありまして、こちらの短大の方へ帰って勉強するようになったんですけれども。
 
有本:  龍谷大学の文学部の教授にご就任は、昭和で言えば、何年頃なんですか。
 
浅井:  そうですね、短大から文学部の方へ移りまして、五十五年位だと思いますね。
 
有本:  そうですか。今は大学では何をご専門に。
 
浅井:  そうですね。「真宗学」という学問がありますので、主に「親鸞聖人の教え」、或いは「親鸞聖人の思想的な背景」とか、「親鸞聖人以後の教学」というのが専門なんですが、特に私の方は、「親鸞聖人の先生の法然上人の教義」とか、それから法然上人の教えがそれぞれ門下の方々に分かれていきますので、浄土宗とか、西(せい)山(ざん)派とか、いろいろ分かれていきますので、そういう「法然上人とその門下の研究」、固い言葉で言いますと、「初期鎌倉浄土教の研究」というようなところが自分の専門なんです。
 
有本:  お父様は、最初当然住職でございますね。先生が住職におなりになるのはいつ頃なんですか。
 
浅井:  私は実の父が早く亡くなりましたので、今の父は育ての父なんです。先代の住職ですけれども、去年七回忌勤めました。私達、義理の子供をよく育てて貰いました。そうですね、副住職としては大学に帰って来た時分からお寺の手伝いはしていましたですね。そして、大体、大学で教授になった時分に、正式に父の跡を継いで住職になりました。父も元気でしたですけれども、もう八十過ぎていましたので。
 
有本:  病気をなさったということでしたね。
 
浅井:  ええ。
 
有本:  その病気の時、やはり自然にお念仏が心から出て来るものでございますか。
 
浅井:  そうですね。実は私は普段は元気なんですけれども、何度か大病をしまして、大学の四年生の時に、自分の不注意で怪我をしまして、大腿頸部骨折というんですが、折れてしまいまして、丁度卒業論文を書いている最中だったんですが、下書きのところだったんです。その時もやっぱり親鸞聖人の教えを専門に勉強しながら、今のおっしゃられたように、逆にお念仏などが出てこないので、自分の勉強してきたことと、現実の苦しみを乗り越えていくことが出来ないという、非常にその時に挫折感がありましたね。それからもう一つは今申し上げました結核になって、一年十ヶ月入院しました。それからもう一回この脚が悪くなりまして、やっぱり九、十年前ですけれども、再手術ということになりました。しかしそういう私にとっては、病気をしたことが「立ち止まる」というんですか、「御聖(おしょう)教(ぎょう)を読ませて頂きながら勉強していくこと」と、「本当の教えの素晴らしさにあわせて頂く」というご縁になったと思いますね。
 
有本:  先程、「立ち止まること」とおっしゃいましたけれども、なかなか現代人忙しいものですから、つい、前へ前へということになりますね。
 
浅井:  そういう意味ではやっぱり少し良い格好して言えば、「挫折があることがプラスになっていくし、また挫折があることがプラスにしていかないといけない」のではないでしょうかね。今はひた走りに走って、そしてうまくいかなかったら「もうダメだ」というような、そういうことが多いように思いますね。
 
有本:  先生の恩師とおっしゃいましたら、どういう方が、
 
浅井:  私もいろいろな先生方の教えを頂いて、「どの先生、どの先生」と限定は出来ないんですけれども、やっぱり私に影響を与えた先生は、特に今取り出して、ということになれば、三人おられると思います。一人が桐渓順忍(きりたにじゅんにん)(昭和六十年没)先生、もう一人が石田充之(みつゆき)(平成三年没)先生、それから西元宗助(にしもとそうすけ)(平成四年没:元京都府立大学名誉教授・教育学者)先生。この先生に出会わせて頂いたということが、やっぱりいろいろなことを教えて頂いたと思いますね。
 
有本:  最初の桐渓先生はどんな先生でございますか。
 
浅井:  そうですね。大変我々、西本願寺系では有名な先生で、学者であると同時に、伝道者であったと思いますね。そして、我々の学問はそういう親鸞聖人の教えなり、先主の方々の宗教的な歩みを学ばせて頂きますので、その場合に絶えず「自分を問うていく」と言うんでしょうか、御聖教、そういう教典とか、それにこういうふうに書いてあっても、それを「私が身体で読んでいるかどうか」「私の問題として読んでいるか」という、そういう「私の問いかけ」を先生からは教えて頂きましたですね。
 
有本:  「自分に問う」という。
 
浅井:  そうですね。
 
有本:  石田先生は如何ですか。
 
浅井:  石田先生は、私が先程申しました「鎌倉初期浄土教の研究」の直接的な恩師で、非常に学問的に厳しい先生でしたね。我々に、「ああしなさい」「こうしなさい」とはおっしゃらないんですけれども、いつでも我々に「後ろ姿」と言うんで すか、「勉強していく後ろ姿」を見せて下さって、絶えず学会でも発表されるし、新しい論文を発表していかれますですね。そういうところで、先程申し上げた「私に問う」ということが、「私だけの独り善がりになってはいけない」。それを特に学問の世界で、客観的にと申しますか、「私の思うことはあなたにも通じますよ」「あなたにも通じますよ」「何時の時代でも通じていくんですよ」というようなことで、「文献を押さえていく」と言うんですか、そういう学問の厳しさを教えて頂きましたね。
 
有本:  三人目の西元先生でございますか。
 
浅井:  そうですね、西元先生も大変有名なお方ですから、早くから西元先生のお名前も知っておりましたし、西元先生のお話もいろいろ聞かせて頂いていたんですけれども、亡くなられる十年位前かな、ご縁があって、先生のお宅での「『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を読む」という勉強会がありまして、そしてそこにいろいろな先生方と一緒に、『教行信証』を読ませて頂く。そこで西元先生に教えて頂きました。
 
有本:  先生、若い頃怪我をされて、或いは肺結核で入院生活。その時は、でも今のお三人の先生方の教えなり、おっしゃることはどうなんでしょう。
 
浅井:  そうですね。苦しい時は苦しい、悲しい時は悲しいんですけれども、「教えに全然出会っていない時」と、やはり「教えのご縁がある時」と言うんですか、そのご縁があると、なんかやっぱり「私の中に染み通っている」と言うんですか、「育てられている」ことがあるんじゃないでしょうかね。それが後で気付かされて、「ああ、これはあの時に先生がこうおっしゃったなあ」とか、「こういうことはこうだなあ」というようなことを教えられますね。
 
有本:  先生が伝道、或いはお念仏申す、「随分、私のお念仏も深くなったなあ」というのは、何時頃からでございましょうか。
 
浅井:  いや、とても「深くなった」ということよりも、「そうなんだなあ、そうなんだなあ」「気付かせて頂いているんだなあ」という受け止めですね。「深くなった」ということよりも、「いろいろ教えて頂いているなあ」ということですね。そしてそれは「いろいろな体験を通しながら、一生涯かかる」かも分かりませんね。「一生涯」じゃないでしょうかね。問題が後から後から起きて来ますので、一つの問題が解決されても、又次のいろいろな問題が起きてきて、そこでまた読ませて頂く。ですから、私だけでなくて、教えにご縁をもって頂いた方はみな同じことかも分かりませんね。「やっぱり、一生涯かけて御聖教を読ませて頂いたり、お念仏申させて頂いたり、そうなっていくんだ」と思いますね。私はそういうことを非常に分かり易く解いて下さっている譬えがありまして、それが「二河白道」という譬えがあります。これは中国の善導(ぜんどう)大師(六一三ー六八一:中国僧、浄土五祖の一人)がお説きになった譬え話なんですけれども、これが「教えを求 めて行く者」、そして「教えに入って来てもなかなか見えてこない」と言うんですか、「悩み続けて行く者」、そういう人にとても分かり易くお説き下さいました「二河白道」というのがありまして、それがやっぱり現代においても大変大事な教えとの出会い、「私とは何か」「愚者」とか、「愚禿(ぐとく)」と親鸞聖人はおっしゃっておられても、我々はなかなか「自分が愚者だ」とか、「愚禿」ということが、「何をおっしゃっておられるんだろうかなあ」と、「自分とは全然無縁のことをおっしゃっておられるんじゃないかなあ」と思うんですけれども、やっぱりこの「二河白道」の譬えなどを読ませて頂きますと、とてもそれが響いてくるものがありますね。
 
有本:  善導大師というのは中国浄土教の代表的なお一人でいらっしゃるということですね。具体的にはストーリーと言いますか、
 
浅井:  そうですね。この浄土教はやはり中国の歴史の中でなかなか理解されなかったんですね。やはり「自分の力で悟りを開いて」、そして「私の中に素晴らしい世界があるんだから、この世の中が心の持ちようや修行次第によっては、この世が浄土なんだ」という考え方がやはり中国の仏教でも主流を占めていたと思うんです。そういう中で、それはやっぱり限られた人であるから、そういう修行に耐えられる人、非常に素晴らしい高僧方とか、聖者の方はそれで道が開かれるだろうけれども、本当に生活に追われる者とか、難しい仏教の理論は分からない者、そういう者が人生の拠り所を持ち、私達にはお釈迦様もおっしゃられます「生老病死」という根本の問題がありますので、それをどう乗り越えていったらいいのかというようなことを、善導大師は浄土彼岸の世界に生まれていくという道で明らかにされましたので、なかなか市民権を得ることが出来なかったんですね、最初は。いろいろ批判があったんですね。
 
有本:  「二河白道」については、浄土宗のお寺とか、或いは真宗のお寺へ参りますと、絵図がありまして、和尚さんに説明して頂くことがありますが、今日は先生と私の後ろの方に絵図がございますが、これを使いながら、もっと「二河白道」のお話を進めて頂きたいと思うんですが。
 
浅井:  そうですね。実はこの絵の前に物語がありまして、火の河と水の河の真ん中に、四、五寸の白道があって、そこに手を合わせて歩いているのが旅人なんですが、その旅人が実は真っ暗な昿野の中を一人旅をしている時に、こちら側の岸のところに刀を持った人とか、弓を持った人、それから虎とか狼、蛇みたいなものがおります。「群賊悪獣」と表されていますが、盗賊や猛獣がこの旅人を追いかけてくるんですね。食い殺そうとして。そこでその旅人がひた走りに走りまして、真っ暗な昿野の中を走り続けますと、この火の河と水の河の岸辺に辿り着くと。もう後ろに下がることも出来ない。それら逆巻く波と火の海の中に、四、五寸の白道が見えますけれども、進んで行ったら、火の河、水の河に落ちるんじゃないか。先に進むことも出来ない。ジッとしていることも出来ない。もう後ろへ帰っても、前へ進んでも、ジッとしていても、死よりないと。もう絶対絶命の状況に先ず旅人が置かれます。その時に旅人が実は決断するんです。「よし、もうどうしても死よりないんだったら、この道を行こう」と。「たとえ、河に落ちてもいいからこの道を行こう」ということで、踏み出そうと決心した時に、あの向こうの光線が入っておりますが、向こうの岸から阿弥陀如来が、そしてこちらの岸からお釈迦様が、「この道を行きなさい」「間違いなくあなたを護って上げるから」という呼び声に従って、白道を進んで行きます。この絵は丁度今、もう白道の中に足を進めているところですね。その前に今いう「人間の孤独さ」とか、「求道(ぐどう)」という問題が出てきて、そしてそこで決断する。そこにもう既に仏の声がかかって、そして進んで行くという物語ですね。しかも尚暫く進んで行くと、この人達が、この絵ではちょっとハッキリ分かりませんけれども、声を掛けて呼び返す。「帰って来なさい、帰って来なさい」「そちらへ行ったら落ちてしまいますよ」ということなんですね。これに善導大師はいろいろ解釈を更に加えておられまして、今おっしゃいましたように、お釈迦様が、「こちらから行けよ」とおっしゃるこちらの世界は『法華経』にも出ている「火宅」と申しますが、火に包まれて、自分には気が付かないんだけれども、周りが火事になっているんだと。火に包まれている世界、「無常、変化の世界」をこちらの世界。それから図の向こうに美しい建物が見えますが、あれが「仏様の世界、彼岸の世界」。そして火の河は「私達の怒りの煩悩」、水の河は「私達の、あれも欲しい、まだまだ欲しい、まだまだ欲しいという飽くなき欲望」と申しますか、「貪(むさぼ)りの煩悩」というようにおっしゃっておられますね。そしてしかも仏様が呼んで下さって、これは難しい言葉で、「なんじ一心正念にしてただちに来たれ」と言うんですけれども、「この道を来なさい」「必ず護るから」と、そういう呼び声ですね。「汝」というさんずい偏の汝は、「お前」という意味ですけれども、
 
     西の岸の上に人ありて
     喚ばひていはく、
     「なんじ一心正念にして
     ただちに来たれ。
     われよくなんじを護らん。
     すべて水火の難に
     堕(だ)することを畏(おそ)れざれ」と。
       (『観無量寿経疏』より)
有本:  「旅人よ」ということですね。
 
浅井:  そうですね。「旅人よ」、一筋に、お念仏のところで申しますと、「本願を信じて、念仏申しなさい」。そして「この道を来なさい」「私が必ず護るから」と。その「護る」というのは、この火の河水の河を歩いて行く、そこに護られているということになりますね。ですから、この図でいろいろ考えられるんですけれども、絶望だけれども、現実は非常に厳しいと。「気が付かないけれども、現実はさまざまな問題があって、死よりない」と言う設定になっておりますから、「絶対危機だけれども、道は開かれているぞ」ということですね。ただその場合に、「四、五寸」ですから、本当はもっと大きい道であったらいいのですけれども、「四、五寸」と書かれてあるところが、善導大師のご解釈では、「私達の煩悩の身体なんだ」と。「限りある限界の身体を四、五寸」と表して、「その中にその願いに従って、呼び声を聞いていく信心の心が生まれてきている。それが白道なんだ」というようにおっしゃっておられますね。
 
有本:  此岸(しがん)に、群賊であったり、悪獣であったり、「こっちへ来いよ」「帰って来い よ」ということを言うけれども、その旅人は決断をして、彼の岸へということですね。
 
浅井:  そうですね。
 
有本:  だから、決断をするという、狭い白道だけれども、真っ直ぐ渡って行こうという、その決断するところに旅人の本物があるような気が致しますね。
 
浅井:  そうですね。やっぱり私はその「決断ということが大事なこと」であって、それは「このままでいいのかなあ」「こういう生き方でいいのかなあ」「もっと深く自分の生き方を考えていかないといけないんじゃないかなあ」と。或いは「もっと別な生き方があるんではないか」という「私の深い心の中にある宗教心」と申しますか、「本当のものを求めていく心」と申しますか、そういう心が決断という形になって出て来ていると思うんですよ。これ、法然上人や親鸞聖人の他力のところで言いますと、「それも仏の働きなんだ」と。もっとそこのところを考えますと、もう実は、「白道は最初からあったんだ」と。走っていく、白道はあるわけですから、そこは私の決断でありますけれども、「もう既に道は開かれているぞ」というような思いが、この浄土教の中にはあると思いますね。
 
有本:  日本では法然上人(一一三二ー一二一二:日本浄土宗の開祖)、親鸞聖人(一一七三ー一二六二:浄土真宗の開祖)が「二河白道」の譬えを、当時の日本人にいろいろお説きになったと思うんですが、法然上人はこの「二河白道の譬え」をどんなふうに日本人向けにと言いましょうか、アレンジなさったでしょうか。
 
浅井:  法然上人の場合は二つ考えられると思うんですが、いろいろなお書きになったものの中にも書いておられるんですが、一つは善導大師の「二河白道」をそのままお引きになって、そして「それに何もご自分の解釈を加えておられない」というのがあります。これは『選択集』とか、『要義問答』とかいろいろ本がありますけれども、そういうところではそのままお引きになっておられる。ただ、法然上人は和語の御聖教(おしょうぎょう)が多いので、それがとても解り易く、漢文では一般の方はなかなか解りませんので、それが大和(やまと)言葉で、和語で書かれて、そしてそれが門下の方々やいろいろな方々に影響を与えていくと。もう一つはやはり「浄土を願う心、願生(がんしょう)の心」ですが、その願生の心にひたすらお念仏を申していくのか、或いはお念仏を申しながら、白道を歩みながら、やっぱり少し迷って、いろいろな行(ぎょう)を行じていこうとするのか、そういう白道を歩んで行く行者の願生の心のところで、「飽くまでも他力のお念仏ですよ」というように分析しておられる御聖教がありますね。
 
有本:  「がんしょう」というのはどんな字を書くんですか。
 
浅井:  「願い、生まれる」。「彼岸の世界に生まれたい」「真実の世界を拠り所としたい」という心ですね。
 
有本:  「浄土という素晴らしい死後の世界があるんだよ」ということと、「そういうところに生まれるという心があなた方になければいけませんよ」というのが法然上人の教えということでございましょうか。
 
浅井:  そうですね。「なければいけませんよ」と言うよりも、いま彼岸の世界に、この白道を進んでおりますから、実際は火の河水の河を進んで行くのだけれども、しかし、「ただひたすらにお念仏申していく、そこが真実への歩みなんだ」と。向こうに目的はあるんですけれども、「その目的がまた働きかけてくる」というんですか、「仏様が呼んで下さる」わけですから、ですから「今生きていくことが真実への歩みなんだ」と。その中に「不純な心があってはいけない」というように解釈しておられますね。しかも解り易いので。ですから法然上人のお流れを汲まれた方々はこういう「二河白道図」を沢山作られまして、善導大師のこの「二河白道図」は国宝になっているものもありますし、あちらこちらで、伝道の場で、こういう絵解きで、具体的に我々に念仏の教えに帰依していく道を伝えて下さったんですね。
 
有本:  親鸞聖人はどういうふうに、
 
浅井:  そうですね。親鸞聖人は非常にこの「二河白道」を大事にされて、書かれた著述の中で、いろいろ書いておられます。幾つかありますけれども、白道に、「白い道」、その他に「白路」、それから「黒路」黒い道、そういうようなことも言われるんですね。ということは、「本当に仏の呼び声の中で本願を信じた生活をしているかどうか」「違う道を歩いているんではないか」「自分は白道を歩いているつもりでも、白道でない道を歩いているんではないか」というような一つ一つの自分の歩いていく白道についての吟味と、それからもう一つはやはりそれは「白道を行くということは信心を仏様から与えられるということなのだから、仏から与えられる信心」。それからもう一つはやっぱり「なんじ一心正念にして、ただちに来たれ」という私への呼び声を非常に大事にしておられまして、「汝」と言われた時に、普通考えますと、仏様が呼んで下さって、私が聞こえて、そして、「ああ、そうか」と、こういうように頷くんですが、「仏様が呼んで下さった時が、もう白道を歩いていても、後へ帰らない。必ず救えの道が開かれているんだ」という解釈をしておられますね。
 
有本:  この「二河白道」の譬え話に、今仏教の歴史の上で、或いは説話の効果という点で如何なんでございましょうか。
 
浅井:  そうですね。私はいろいろ仏教は比喩が沢山ありまして、その譬えの中でも代表的な譬えの一つではないかと思いますね。特に日本ではこういう図も描かれまして、教えというものが解り易く、解り易く、人々に染み込んでいく大きな役割をした譬えだと思いますね。
 
有本:  浅井先生はいろんな方々とご縁があって、今日まで、この「二河白道」の譬え話をお聞きになって、「あ、そう言えば、あの人が」と、思い出すような方はいらっしゃいます。
 
浅井:  そうですね。先程申し上げましたように、自分が実感するかどうかは別として、この「二河白道」の譬えは、そういうところをそれぞれの人が歩いて行くんだと思います。いろいろな挫折もありますし、本当に大きい悲しみも出合って行きますから、気付くと気付かないとは別で、全ての人が大きなテーマを抱えて、「二河白道」のような譬えの中で歩いて行くんだと思いますけれども、先程申し上げました西元宗助先生が大変ご苦労なさっておられて、そして求道のプロセスをよく先生が伝道の場、教えを伝えて下さる場でお話をされました。先生はいろいろご苦労なさっておられて、「親鸞聖人の教えにご縁を持つようになって、お育てを受けたんだ」とおっしゃっておられるんですが、特に私が印象に残っておりますのは、先生が戦争中ですか、旧満州に大学の教授として行っておられる時に、ソビエトと宣戦布告と言うんですか、戦闘状態に入りましたですよね。そして直ぐソビエトの軍隊が南下して来て、それで先生ご自身が貨物列車に乗せられて、シベリヤへ送られて行った。そういう体験をおっしゃっておられまして、その時に貨物列車で運ばれるそうですけれども、どこへ行くのか分からない。みんな非常な不安の中で、中には「南へ行くのではないか」と、「このまま日本の方へ返されるのではないか」と。ご家族は残っておられるわけですね。ご自分だけ、みなさん方と抑留されて、そして貨物列車で行くんですね。「北へ、北へ」と送られて行くことが分かった時に、本当に絶望のどん底ですけれども、その時に、先生がおっしゃっておられたのは、「まあ、仏さんなんかいない。仏さんなんか居るものか」。先生の言葉では、先生は、「バカたれ!」とおっしゃっておられました。自分の思いの中にですね。「仏さん、バカたれ!」という思いが起きてきたと。もう絶対絶命のそういう状況で、私に救いはないと。しかしその中で先生がお念仏申しておられると。「仏さん、バカたれ!」とおっしゃって、「なんまんだぶ(南無阿弥陀仏)」「なんまんだぶ(南無阿弥陀仏)」と、「お念仏が口をついて出て下さっているではないか」と。そこの体験のところを先生がおしゃっておられるんですが、「私がどんなに仏様を見捨てても、仏様の方では見捨てないんだ」「仏様の方がむしろ私を包んで、そして私に気付かせて頂く世界」と言うんですか、「その体験を捨てても捨てても、仏様の方は捨てないんだ」というようなことをおっしゃいましたね。
 
有本:  西元先生の「二河白道」のお話を伺ったんですが、西元先生、もうちょっと詳しく、どんな先生でいらしたのかご説明頂けますか。
浅井:  そうですね。私がお聞きしているのは鹿児島のご出身で、お寺のご出身ではなくて、何かご家庭が大変ご法義のご家庭で、浄土真宗の信心の篤いご家庭に育ったようですね。そして京都にお出でになられて、京大のご出身ですけれども、京大の学生さんの時に、至心寮という寮があって、そこで若い皆さん方と仏教の勉強をする、或いは親鸞聖人の教えを学ばれるご縁があって、そして足利浄円という先生がおられまして、大変素晴らしい先生ですけれども、この先生に会われたことが大きなご縁になったようですね。先程の、戦後引き揚げて来られた後に、京都府立大の先生をなさり、それから京都産業大学の先生をなさって、教育学がご専門なんですけれども、と同時に教えていかれながら、親鸞聖人の教え、或いは仏教の教えを伝えていかれるという、そういうご縁を結ばれましたですね。
 
有本:  確かに、戦後、旧満州で抑留され、シベリヤへ送られた方々、悲惨な生活をよく伺いますけれども、西元先生も最初は「日本へ帰れるんじゃないか」「白道の道をひた走っているんではないか」という思いだったのかも分かりませんね。
 
浅井:  そうですね。ですから、白道の図のあそこに火の河と水の河が描かれていますね。「自分は教えを拠り所としている」と思いつつも、逆巻く本当の悲しみや苦しみの中で、逆巻く煩悩の火の河水の河に取り巻かれますと、今のように、「仏さんなんかあるものか」「バカたれ」というような、そういう煩悩の中に、しかし、「仏様が呼んで下さっている世界がある」ということだと思いますね。ですから、「仏さんなんかあるものか」という、そういう受け止め方に二つあると思うんですね。何か利害、打算のところで、「これだけのことをしたら、これだけのことを返して貰えるんじゃないか」「これだけのことを今まで信心をして、仏様にもこれだけの功徳を積ませて頂きました」と。そうすると、それがうまくいかなかった時に、「もう仏さんなんか信じません」「そんな宗教なんてありません」と。そういう立場と、やっぱりそういうギリギリのところに差し掛かった時に、「逆巻く自分中心の思い」と言うんですか、それに「気付かせて頂く世界」がある。そういう「本当の姿に気付かせていく世界」が、この「二河白道」の中にあると思うんですね。
 
有本:  中国で抑留され、シベリヤに送られ、地獄を見、「仏なんか居るものか」という境地から「二河白道」のお話に引用される。とても説得力がありますね。生きた教材と言いましょうか。
 
浅井:  そうですね。今でも思い出すんですが、亡くなられてから後、奥様にお聞きしたんですが、伝道のお話をされるご縁があった時に、お念仏のお話をされる時にはもう汗ビッショリになられるので、これは奥様の話ですが、もうシャツなど塩っ辛くなる程、熱心にお話をされたようですね。そして先生がおっしゃっておられたのは、今、この真宗の流れは西本願寺とか東本願寺とか、大きい流れに分かれておりますけれども、それに拘りなくいろいろな所にも出掛けられましたし、お東の学者の方々の本も読まれ、お西の方々の先生方の本も読まれて、そしていろいろな所で伝道されましたですね。ですから、悩みがありますと、先生のところに学生とか、いろんな方が質問に来られたり、相談に行かれると、カウンセラーのようなことで、それをキチッとよく覚えておられて、そしてまた後から電話を掛けたり、或いはいろいろ手だてを、「こうしたらどうか」というような工夫をなさったですね。
 
有本:  お聞きする立場の人達は感動致しますね。
 
浅井:  そうですね。感動致しますね。そしてご法座なんかが終わったら、先生の方が先に、それも場所にもよると思いますけれども、入り口の方に行かれて、聞きに来られた方に一人ずつ握手なんかされまして、「有り難う、有り難う」とおっしゃられたそうですね。
 
有本:  西元先生のご体験、現代的な「二河白道」の譬え話だと思うんですけれども、二十一世紀、間もなく迎えようとする我々現代人がこの「二河白道」のお話をどんなふうに受け止め、どんなふうに活かしていったらいいのか、お話を進めて参りたいと思うんですが、浅井先生は、現代人は「二河白道」の譬えをどんなふうに受け止めて欲しいと願っていらっしゃいましょうか。
 
浅井:  そうですね。これはいろいろな先生もお書きになっておられますし、いろいろな方々が味わっておられることですけれども、「人間は本来孤独」なんですね。人間は本来孤独なんだけれども、「孤独だということに気付いていない」んではないでしょうか。善導大師は真っ暗な昿野の中を一人の旅人が旅を続けていくと。それは人はいるんだけれども、「本当の教えを説いて下さる先生に会わないんだ」、或いは「本当の教えに出合わないんだ」と。そういう形でこの人間の孤独さというものを表していると思います。ですから、今は「寂しかったり、苦しかったりすると、それから逃げようとします」。しかし善導大師、特にお釈迦様がそうなんですが、先程申し上げましたように、「生老病死」という、そこを押さえていくということは、それは暗い見方ではなくて、むしろ厳しい見方で、「現実というものを厳しく見極めて、そこから出発して行こう」というのが、先ず一点あると思いますね。それから先程申し上げました「群賊悪獣」ということを、善導大師ご自身は非常に難しい言葉を使っておられますけれども、私なりにそれを解釈しますと、「私の身体があること、私が生きていく為には、いろいろな物の命も頂いていかないといけませんし、他の人を犠牲にして、踏み台にして、自分は気付かないけれども、自分の道を切り開いていくこともあるわけです」。ですから、「この世にいのちを賜って私が存在していること自体が、実は本当に抵抗があるかも分かりませんが、罪深い存在なんだ」と。「他の犠牲なくしては私の存在はあり得ないんだ」と。「そういうところにもっと気が付いていく」と言うんですか、「生かされているという世界を、もっと気付いていく」ということが、やはり二番目にあると思いますね。それで三番目は三定死のところですが、私達の苦しみというのはいろいろありますけれども、苦しみの深さというのは、「一晩寝たら直る」「どこか解決出来る苦しみ」もありますし、それは「どうにもこうにもならないような悩みとか、苦しみを抱えて生きていくこともある」と思いますね。テレビを見て下さっている皆さん方の中にも、本当に深い悩みで、人生の孤独なり、人生の不安なりを持っておられる方があると思いますけれども、「それほど人間の苦悩というものは深いんだぞ」と、気付いているかどうかは別ですけれども、「それが教えの上では見通されている」んですね。人間としてですね。「人間というのはこういうものなんだ」と。しかし先程申し上げましたように、「絶望ではないんだ」「道は開かれているんだ」と、そういうところにやっぱり「拠り所を見えだしていく」ということですね。それからもう一点は、いろいろな宗教がありますから、いろいろな宗教の中にはやっぱり人を傷付けたり、或いは経済的に非常にマイナスのような、そういう宗教もありますから、皆さん方の中には、宗教という名前を聞いただけで、「嫌なんです」「怖いんです」とか、「恐ろしいんです」「馬鹿馬鹿しいんです」というような受け止め方があると思いますね。そうじゃなくて「本当の宗教」「正しい宗教」と言うんですか、そういうところに「お互いに気付かせて頂いたり、求めさせて頂く」という大事なことであって、それは群賊悪獣が呼び返すとか、いろいろな形でこの譬えは出ていると思いますね。
 
有本:  現代人は「神も仏も」という方も沢山いらっしゃいますし、先程「人間本来孤独なんだよ」と言っても、なかなか「自分一人だ」という自覚がなかなか持てない、持ち得ないと言いましょうか、だから「神も仏もない」というふうになったり、或いは現世利益(げんぜりやく)と申しましょうか、仏様を信ずること、神様に手を合わせる、何かご利益があるやに、私達は期待したり、錯覚をしたり致しますが、これもやはり現代人の間違いというふうになるんでございましょうか。
 
浅井:  そうですね。考えますと、どんなにお願いしても、どんなにお祈りしても良いことが重なることもありますし、また悪いことが続いてくることもありますね。網の目のような条件の噛み合わせで、私達はいろいろなことに出合っていきますから。ですからむしろ「本当の宗教に出合わして頂く、或いはそういう教えに帰依していく」ということは、網の目のような条件の噛み合わせの中で、大きい問題を乗り越え乗り越えしていかなければならないこともあるし、また喜びの連続のこともある。そういう人間の姿を教えて頂くのが正しい宗教のあり方だと思いますね。ですから、「二河白道」のところで言いますと、仏様の呼び声に気付かされて、そして歩いていくわけですね。火の河水の河があって、それは「自分の煩悩」ですから、先輩の方が書いておられるのは、時にはこの自分の足元が波に浚(さら)われそうになる、或いは自分の着ている着物が、服が焼けそうになる。「煩悩で」ですね。しかしそれを「乗り越え乗り越えしていくんだ」と。こういうことですから、むしろ「いろいろなことに気付かされて、本来の私のあり方や人生に、仏様の導きの中で目覚めさせられていく」ということだと思いますね。
 
有本:  「二河白道」の絵図を以て、いろいろご説明頂きましたけれども、現代でそれぞれが火の河、水の河を側を歩いていると言うのか、でも白道は狭いけれども確実にあるんだということですね。
 
浅井:  そうですね。親鸞聖人の御和讃の中に、「現世利益和讃」というのがありまして、
 
     南無阿弥陀仏をとなふれば
     観音・勢至(せいし)はもろともに
     恒沙塵数(ごうしゃじんじゅ)の菩薩と
     かげのごとくに身にそへり
       (親鸞『浄土和讃』より)
 
南無阿弥陀仏を唱えれば、観音菩薩、勢至菩薩に護られて、それから阿弥陀如来の光の中にあって、無数の諸仏、菩薩に護られていると、そういう御和讃があります。それは「護られている」ということは、その受け止めですけれども、そのように御和讃をお書きになりながら、何か感覚的な仏様が私を護って下さるという受け止めではなくて、九十年の生涯を生きていかれる時に、足を強く強く踏み出していかれる生き方ですね。「ああ、そうだったのか、そうだったのか」という歩みを進めていくことが、「実は護られている」ということなんだと。それを具体的に言えば、手を合わせて、「有り難うございました」とお念仏を申し、お念仏を聴き、そういうことだと思いますね。普段一般に「護られている」と言うと、「何か良いことだけ、悪いことはどっか行って下さい」と。むしろそういうことでは無くて、「マイナスをプラスにしていく」「マイナスの中にプラスにしていくような工夫をしていく」というんですか、そういうことが「白道を歩いて行く道の中に開かれて来る」と。しかも火の河水の河ですから、「火の河水の河が無くなってしまう」と言うのではないんですね。そこにやっぱり浄土教の特色があると思うんです。もう火の河水の河が無くなってしまったら、この世で私は悟りを開いてしまうことになりますし、この世が浄土になってしまいますし、この世は願いはそうだけれども、なかなか争いとか、憎しみとかは絶えないけれども、しかし「呼び声の中に、火の河水の河を歩かして頂くことによって、少しでも少しでも仏様の願いに導かれながら実現して行こう」と言う、そういうことがあると思いますね。
 
有本:  そうしますと、火の河もあり、水の河もあり、それを肯定して、私達は白道を、ということですね。
 
浅井:  そうですね。その肯定していくことがもっと深く考えると、火の河あるが故に、水の河あるが故に、というむしろ、これは仏光寺派の方で、私もいろいろ影響を受けましたが、藤谷秀道(しゅうどう)(昭和五十八年没:元真宗仏光寺派学匠寮長)という、この先生も大変素晴らしい先生がおられまして、九十まで生きられたんですが、「私が今日まで教えに会うことが出来たのは煩悩のお陰です。私の煩悩があるが故に、今日まで教えに会うことが出来ました」とおっしゃっておられますから、「煩悩が転ぜられる」という、そういうことなんですね。
 
有本:  先人の教え、我々は凡夫であるんだと、愚者であるんだと、それを認めた上で白道を進むんだということになりましょうかね。
 
浅井:  そうですね。ですから、なかなか「仏教は難しい」「お念仏の教えも難しい」「自分とは縁遠い」とお考えの方もあると思いますけれども、しかし孤独であることとか、悩みを抱えて、それから先行きのいろいろ不安を抱えて、「どうしたらいいんだろうかなあ」と、思い悩んでおられる方もあると思いますので、少しでも少しでもやはり深い教えに近付いて頂いて、ご縁を持って頂いて、焦らずに、何か今日聞いて明日分かるということではなくて、中国、日本の先人の方々がこういうようにして解り易く、譬え話を通しながら、私達に本当の生き方や求道を教えて下さって、しかもこういう絵解きまでして下さって、お勧め下さっているので、やっぱりそれを大事にしてご縁を結んでいきたいと思いますね。
 
有本:  どうも貴重なお話をいろいろと有り難うございました。
 
浅井:  どうも失礼致しました。
 
 
     これは、平成十年五月十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。