老いて教えられること
 
                           エッセイスト  高見澤 潤 子(じゅんこ)
明治37年東京都うまれ。昭和・平成期の作家、随筆家、評論家。日本ダイヤモンド株式会社の創立者であり、日本で初めてダイヤモンドの研磨技術を習得し蓄音機のルビー針を開発した技術者である小林豊造は父。文芸評論家の小林秀雄の妹。東京女子大学英語専攻部卒業後、1928(S3)漫画家の田河水泡(高見澤仲太郎)と結婚。矗江の筆名で戯曲などを発表。『サザエさん』作者の長谷川町子(10-1-4-3)が、田河水泡の弟子入りをする際に、町子の母が「どうぞ町子を、よろしくお願いいたします。何も望みはございませんが、たった一つ、日曜日には、どこの教会でもよろしいのですが、お近くの教会の礼拝に、出席させてくださいませんでしょうか」とお願いした。このことをきっかけに、潤子は町子と教会に通うようになり、受洗した。その後、「信徒の友」(日本基督教団出版局)編集委員長、荻窪教会長老会会長などを歴任。基督教関係の著作物を多数執筆した。それ以外の主な著書に『兄小林秀雄』『兄小林秀雄との対話』『のらくろ一代記』『のらくろひとりぼっち』『ミス・マープルと十三の謎』『長く生きてみてわかったこと』『九十三歳の伝言』などがあり、女性評論活動として『愛されるよりも』『愛の重さ』『愛のあるところ』『愛すことの発見』『ほんものとの出会い』『真実の愛を求めて』などの作品も残している。老衰のため平成16年死去。享年99歳。
                           き き て   金 光  寿 郎
 
ナレーター: 文筆家でクリスチャンの高見澤潤子さん、明治三十七年生まれ、今年九十四歳を迎えます。漫画『のらくろ』で有名な田河水泡(たがわすいほう)さんと結婚。文芸評論家小林秀雄の実の妹でもあります。長年キリスト教の雑誌『信徒の友』の編集委員長を務められてきました。高見澤さんがキリスト教の信仰に入られたのは、夫、田河水泡さんのもとに修行に来ていた漫画家の長谷川町子さんと姉妹のようにお付き合いをしていたのが、きっかけだということです。近年信仰について、また兄小林秀雄について、多くの評論やエッセイを書かれています。九十歳を過ぎても元気に活動されている高見澤さんに「老いをいきいきと過ごす心構え」について伺います。
 

 
金光:  今日は九十歳を過ぎられた高見澤さんのところに、人生をどう生きたらいいかというような、人生の知恵のようなことを伺いしたいと思って、お邪魔したんですが。最近もお忙しいご様子でございますけれども、特にどんなところに関心をお持ちでございましょうか。
 
高見澤:  そうですね。私、よくこの頃、「もっともっと人間というものを知らなければならないんじゃないかなあ」と思います。医学のことは非常に進歩しておりまして、有り難いことですけれども、医学は身体だけでしょう。人間というものは身体だけじゃないんですね。
 
金光:  勿論、そうですね。
 
高見澤:  兎に角、身体と、心と言いますか精神と言いますか、それが一緒になって、また感情もあります。そんなことがいっぱいあって、生活しているものですから、随分複雑なんですね。その複雑さ難しさで研究出来ないかもしれません。私も随分長いこと生きておりますけれども、この頃本当に身に沁みて感じることは、「やっぱり人間は一つ与えられた、天から与えられた才能と言いますか、自分が出来ること、そして自分がこれを好んでやること、そういうものをどうしても一つ持っていなければいけないんじゃないか」ということを考えます。そうしてまた私がここまで生きていられて、まだ仕事をやっているという、それがとても有り難いことで、それは何かと言いますと、自分の力だけじゃないんですね。「周囲のみなさまが力を与えて下さる。みなさまのお陰で、ここまできたんだなあ」ということをよく考えます。それから歳をとっても、非常に強く感じることは、やっぱり感謝でございますね。何か本当に有り難いと思います。誰に対しても有り難いと思います。そんなような気持でいるんです。
 
金光:  でも、九十年以上いろんな人にお会いになったり、いろんなものをお読みになったり、随分いろんなことをお書きになっていらっしゃいますが、やっぱり人間の、なんか不思議さと言いますか、そういうものは一向に関心は薄くならないものですか。人間はこういうものだということじゃなくて、
 
高見澤:  そうですね。やっぱり不思議ですね。不可解ですね。人間が人間を研究し尽くすなんてことはとても出来ないと思いますね。
 
金光:  最近ですと、おそらく戦後間もなくの頃に比べると、科学の方でも、人間の遺伝子だとか、DNAだとか、いろんな今まで分からなかった不思議さみたいなのが出て来ているようでございますが、そういうこともご関心の中に入っていますか。
 
高見澤:  はい。それは素晴らしいですね。私、特に二十世紀で、医学で大きな発展、進歩と言いますか、発見は遺伝子だと思うんですね。遺伝子の本を頂いたものですから、はじめて遺伝子のことを読んだんですけれども、兎に角、人間の生命というのは、遺伝子が働いているからこそ生きていられるんで、遺伝子というのは、私から言えば、神様がお作りになったもののような気が致しますね。人間は遺伝子など、とっても作れない。それが素晴らしい働きを、私達一人一人にあるんですからね。その働きだけ考えても、これは人間わざではない。一番もとは神様が人間をお作りになったんじゃないかというようなことは、しみじみと感じますね。
 
金光:  それは六十年前に御洗礼を受けられて、それでキリスト教の信仰の道に入られたわけですが、そういうキリスト教の信仰の世界と、近代科学の探求している遺伝子の働きみたいなものと、これは全く矛盾はお感じになりませんか。
 
高見澤:  しないですね。私は洗礼を受けた時は、何も分からずに洗礼を受けたんで、だんだん少しづつ分かってくるんですね。私はバカだから、そうなんでしょうけど。皆さんは受洗出来れば、神様とほんとに一つになって、という気持におなりになるんでしょうけども、私は洗礼を受けた時は、ただ神様がほんとに存在するということは分かりますけれども、それ以外のものは何にも分からないで、少しずつ分かってきたですね。だんだんだんだん歳を取ってから分かったといっていいくらいですね。
 
金光:  そうですか。
 
高見澤:  でも矛盾はしませんね。
 
金光:  今のお話で、ある時代、若い時に、私はこの道を進むんだとお決めになったら、もうそれでいいということじゃなくて、年月が経てば経つほど、味わいというか、そういうものは増えて来るものですか。
 
高見澤:  増えますね。私は、「歳を取ったからもういいや」「もうみんな終わちゃったんだから、楽しんで生きればいい」というのはウソだと思いますね。私は歳をとってから分かったことが幾らでもあります。九十歳以上になってから。
 
金光:  ほう。
 
高見澤:  私が兄と田河と一番長く生活しておりましたけれども、その人達の理解というものも、私はみんな二人とも死んでから後になって分かるんです。私、一人かも知りませんね。他の方は分かっていらっしゃるんだと思いますけれども。
 
金光:  確か、お兄さまの小林秀雄さんがお書きになったものに、「人間は生きている間 は、まだ本当の人間ではなくて、動物的なものが、だんだんその死に近付くに連れて、本当の人間になってくるんで、亡くなった後に、本当の人間が残るんじゃないか」みたいなことをお書きになっていたような気がするんですが、実感としてお感じになっていらっしゃる。
 
高見澤:  それはほんとに実感致します。「歳を取れば取るほど、だんだんと、人間が出来ていくような」自分でもですよ。「人間が完成されていくんじゃないか」というようなことと、それから、人に対する気持、愛といいますか、愛情なんていうものは、私は相手が生きている間はよく分からなかったんですよ。愛情というよりか親切。「親切でそういうことまで気がついてくれるんだなあ」くらいで済ますちゃうんですけど、歳を取ると、「それがほんとに私に対する愛情だったんだなあ」と。だから田河の愛情も小林の愛情もみんな亡くなってからしみじみわかったんですよ。
 
金光:  面白いですね。生身の人間同士が向かっている時は、そんなに感じないことが、エピソードというのか、出来ごと事態は変わりないわけでございますね。それが思い出として浮かんでくると、意味が違ってくるわけですね。
 
高見澤:  変わってくるんですよ。だから、「それ程、私を思ってくれたんだなあ」ということが、その時には分からないんですね。だけど、亡くなってから思い出して、「ああいうことをした」とか、「ああいうことを言ったのは、あんなにまで私のことを思ってくれたこと。どうして有り難いとも思わないし、尊敬もしないし、ほんとにバカだったなあ」と思うんです。
 
金光:  そうですか。
 

 
ナレーター: 高見澤さんの兄、小林秀雄は明治三十五年東京生まれ。東大フランス文学科を卒業した翌年の昭和四年、『様々なる意匠』を発表、文芸評論家としてデビューしました。その後、人間や神について思索を深めた『ドフトエフスキイの生活』や、日本の古典文学の世界をテーマとした、『無常という事』などの作品を表します。戦後になると、その評論活動は音楽や美術、さらに文芸論へと広がり、『モーツアルト』『ゴッホの手紙』『考えるヒント』などの優れた作品を次々生み出します。長い研究の末に完成した『本居宣長(もとおりのりなが)』は、その頂点をなす作品と言われています。高見澤さんは最近ますます兄小林秀雄の思い出や言葉の中に、人生を生きる為の貴重な何かが残されているのを感じています。
 

 
金光:  私なんかが拝見している小林秀雄さんというと、何となく恐ろしい方というか、大変お会いしても緊張するだろうなというのが、イメージなんですが、身近にご覧になっていたお兄さん小林秀雄さんという方は、どういう方でございました。随分お若い頃には、何か悩まれたとかという話を聞きますが、その頃はどんな感じでございました。
 
高見澤:  兄は、そういうふうに皆さまに、「ほんとに難しいものばっかり書いて、分からないから」というんで、随分批判された人です。でも今から考えますと、若い時から、兄はほんとに私なんかには、非常にくだけて話してくれたものでした。でもあんまり喋らないんですよ。無口で。ですから、兄の家に行って挨拶ぐらいして、二人で黙って座って、景色でも見ているくらいなもの。時々、「いいレコードを買ったから聴かしてやろうか」とか、それから、「今度はこういうものを買ったんだよ」とか。あの人はいろんな古いものが好きで、古董(こっとう)なんかを集めてましたが、私なんか全然分からないのに、見せてくれたりする。でもお酒を飲みますと、本当にいろんなことを喋ってくれた。ですから私は夕方出かけて行って、夕飯を一緒に食べる。兄の夕飯というのは長いんですよ。お酒をチビリチビリと呑みながら。また舌が肥えていますから、美味しい、いろんなものがあるわけです。それで寒い時なんかはブリ。鎌倉は魚が非常に美味しいです。それも一番美味しいという魚屋から取るんです。「此のブリはうまいだろう」と、私のお皿にとってくれる。そして私が食べると直ぐ、「うまいだろう。とてもこれはうまいんだ」と。「もっと美味しい方法があるよ」なんて言って、横に長火鉢があって、火がカンカン起こってる。それに網を載せて、ブリの切り身を焼くんですよ。ジュッジュッと油が垂れて、その熱いところを、お醤油に付けて、私にくれるんですよ。「直ぐ食べなきゃダメだ。熱いところがうまいから」と。これ食べるともう本当に美味しいんですよね。だけど、「うまいだろう」「うまいだろう」と、とっても得意そうに、私にその美味しいものを食べさすという、愛情があったんですよ。愛情なんというのは、私はその時、感じないで、「美味しいものだ。こんなふうに誰にでも奨めるんだろうか」と思って、食べていたんですけどね。今から考えると本当にそれは愛情でしたね。だから、私は兄と黙って座っている時でも、鎌倉でこれから一緒に食べて話すんだなあと思うと、楽しくてしようがなかったわけですよ。そういう人でしたね。ほんとに実行に現すんですよ。
 
金光:  でも小林秀雄さんは最後まで受洗だとか、特別なグループに入られるということはなかったように聞いておりますが。
 
高見澤:  ええ、なかったんです。
 
金光:  でも、非常に宗教的なものと言いますか、信仰的なことには関心はお持ちになっていたんですか。
 
高見澤:  持っていましたね。私も洗礼を受けるまでは何にも分からないで、ただ大きな人間以上の、大きな絶対者と言いますか、私は「神」と言っていいと思うんですけれども、「大きな偉大なる、私達が及びも付かない素晴らしい能力を持った存在というものはあるなあ」と学生の頃から思っていました。ところがそれを兄は何時でも言っていました。
 
金光:  どういうことを、
 
高見澤:  「絶対者というものを考えなければ、何にも出来ない。創作も出来ないし、人間として生きていくことも、本当は出来ないんだ」ということを言っておりました。「絶対者を考えなければいかん」と。「人間以上の、絶対者」ということは、私は兄から随分言われましたね。書いてもおりますよ。「絶対者というもの」、それと、「大いなる魂」とも言っていました。
 
金光:  そうですね。
 
高見澤:  「大いなる魂というものがあるということを、どうしても信じなければいけないんだよ」ということは言っておりましたね。私も、「成る程、そうだなあ」と。兄からも言われましたし、まあいろいろな本を読みました。兄はそういうことを考えておりましたね。宗教は入らなかったですね。
 
金光:  妹さんの信仰について何か聖書のことなんかもお話になるようなことは。
 
高見澤:  それはありますよ。兄は、『ドストエフスキイ』を一番先に書きましたでしょう。ドストエフスキイはクリスチャンだったですよ。
 
金光:  そうですね。
 
高見澤:  ですから、「聖書を読まなければ、本当のドストエフスキイは解らない」と言っ て、聖書を、とてもよく読んでおりました。私よりもずうっとよく読んでおりました。私はお説教を聴くようなところだけ、チョチョっと読んだ切りで、全体を通して、全部読んだなんていうことは、本当にないんですけどね。本当に不勉強なんですけど、兄は聖書を一生懸命ドストエフスキイを書くために読みましたね。ドストエフスキイは牢獄で随分聖書を読んだんですね。それと同じ気持ちになって読んだんですね。だから私と義姉、兄の連れ合いなんかと、いろんな人の悪口なんか言っていると、「人のこと、言うな」「聖書にはさばくな、と書いてあるじゃないか」と。聖書の言葉を引いて、言うんですよ。叱られちゃうんですよ。
 
金光:  そうしますと、「無私」ということ、「私の無しの無私」ということをおっしゃるのも、そういう「大いなる」と言いますか、そういうものを感じると、自分を出せないと、そういうものの働きに自分の方が従うと言いますか、そういうお気持ち、
 
高見澤:  ほんとにそれがあったと思います。だからほんとうに神というものを本当に信じていましたね。ただ、「キリスト教とか、仏教とか、何々教とかというのは、みんな人間が作ったものではないか。神様がお作りになったものではない」と言うんですよ。そういう宗教は、みんな派が違うでしょう。キリスト教だって、幾つも派があるんですよ。一つなのに、何故そんなにたくさんあるのか。「同じ人間が作ったものなんか、俺は信じないよ」って。
 
金光:  そういうものを感じるということが、それぞれの人が、「相手のことを考えなさ い」と言われる場合には、人それぞれに与えられているものがあると、それを与えられている場で発揮しなければいかんというようなことに繋がるわけでしょうか。
 
高見澤:  ほんとに繋がりますね。与えられたものですね。だから自分というものを、自分の力とか自分の能力というものを、あんまり出さない人でしたね。みんな上かた与えられたものだと、そういう気持でいましたね。
 
金光:  じゃ、「俺はこういうことをやったんだ」というような、そういう感じは、
 
高見澤:  ぜんぜんなかったですね。
 
金光:  そうですか。
 
高見澤:  私なんか叱られましたよ。「お前、自分にこれだけの才能があるからここまで成功した。成功したのは自分の力だとか、能力だと思っちゃいかん。成功させられたと思わなくちゃいかん」「偉大な神というべきものから与えられたもの、また多くの人達から、みんな教えられたものだ」という。「そういう多くの人達から教えられたということ」はいつも思っておりましたね。
 
金光:  そういう姿勢と、それからお仕事の方の本居宣長の研究なんかに打ち込まれたこととは、これはやっぱり繋がりがあるんでしょうか。
 
高見澤:  私はあると思いますね。兄の批評精神ですよね。「無私の精神」と言っておりました。批評というものは、「大抵の人は相手の作品を読んで、「ここが悪い」「ここ、こんなこと言っちゃ困る」とか、欠点ばっかりを探り出して、そしてそれを評論として出す。そうじゃないんだ」と。
 
金光:  ある自分が立場をもっていて、批判する場合が多いですよね。
 
高見澤:  そうです。そうじゃないという。「自分はなんにも無いと思って、その人の中に入り込んで、その人がどういうことを良いと思ったか、どういう考えでこういうことを書いたのか」と。そういうふうに、「入り込まなければいかん」ということをいつも言っておりました。
 
金光:  そうしますと、その基盤にあるのは、「相手の人も、やっぱり大いなるものの働きで、一緒のところで動いているわけだから、その立場に無私の気持でならなきゃダメだ」と。本居宣長の研究も、やっぱりそういう何か心に触れるところがあって、随分長く時間をかけていらっしゃいましたでしょう。
 
高見澤:  二十年位かかったと思いますね。随分長く。本居信長が源氏物語が好きで、とってもよく読んでいたという。「俺も読まなければいかん」と言って、本居宣長の原稿を止めちゃって、源氏物語を一生懸命読んだんです。それでまた遅れちゃったりしてね。
 
金光:  それもそうしますと、本居宣長の気持と、
 
高見澤:  「何故、源氏物語がよかったか」。源氏物語は、私もあんまりよく読まないんですけど、いいですね。とっても。紫式部という人は偉かったと思いますよ。本当に人間というものを隅から隅まで分かっているんですね。上っ面ばかりでないです。ほんとに深いところ、随分いろんな点を書き並べておりますね。
 
金光:  でも、そうやって、本居宣長を研究なさるということは、本居宣長の考えというものが、現代の人間にとっても、欠けているところだとか、或いは大切なところがあるではないかということを、自分でお感じになって、なさったという。
 
高見澤:  私は感じたんだと思いますね。私もほんとのところが分からないんですけど、本居宣長の書いたものやなんかを、ちょっと読みますと、「ほんとに人間というものをよく見ているなあ」と思いますね。だから曖昧なとこが随分あるんですよ。「こうだ」とちゃんと言わないで、「こうかも知れないけれども、こうだ」ということは、そうでなければ言えないものがあるんですよ。
 
金光:  それはそうでしょう。「こうだ」と言えないものがありますね。
 
高見澤:  そういうものを掴まなければいけないんですよね。私達は。
 
金光:  大いなる魂というものは、なかなかこうだと断言出来ないところで、働いていますから。
 
高見澤:  そうなんですよね。
 
金光:  「心情」と書いて、「こころもち」と仮名を附っていらっしゃいましたですね。そういう人間の論理的な言葉だとか、そういうものよりも、一種の感性と言いますか、そういうものの方が根本になければいけないということですか。
 
高見澤:  いけないと思いますね。だから見えないものを感じるということですよね。信仰なんかもそうですよ。神様なんて分からないですよ。何にも、どんな人だか。何にも分からないけど、信じなければ、感じなければいけないですね。やはり身体で感じますね。
 
金光:  小林秀雄さんの先程の言葉でいうと、「無私になって、対象を見つめる。入る込 む」という気持、それからいろんな随分難しいものも書いていらっしゃると思いますけれども、妹さんからご覧になっていて、残されたもので、一番大事なものと言いますか、やっぱりいろんな話だとか、お書きになったものなんかにいい言葉が随分あるようですけれども、その中で根本に置きたいというのは、どういうものをお感じになっていますか。
 
高見澤:  そうですね。兄が残した言葉というのは、兄が死んでから読んで、少しづつ解ってきたというのが、たくさんあるんですよね。ちょっと言い切れないですけれども、インドにマザー・テレサという方がいらっしゃいましたね。あの方は、「愛というものの反対は憎しみだ、ということをみんな思っているけれども、そうではない。感じないこと、人の気持を感じないこと」といいました。ですから反対に、「その人の身になって、その人の気持に入り込まなければ、その人がほんとに分からない」という考えで、みんなと接しただろうと思いますね。「教育は愛なり」と言いますけれども、教育だけじゃないんですね。すべて根本に愛がなければ何も出来ないんですね。
 
金光:  現代という時代は、どちらかと言うと、知識というものが非常に尊重される時代ですけれども、知識だけでは愛は養われないということになるんではございませんでしょうか。その辺のところが、随分鋭い言葉でおっしゃっていますけれども、根本は単なる知識を尊重される方ではなかった。
 
高見澤:  なかったですね。知識とか理性とか知性とかというものと、本当に情とか心とかは違うということを絶対的に言っていましたね。だから感動ということをもの凄く言ったわけですね。「感動しなければ何にも出来ないぞ」と。ドストエフスキイに感動して、ゴッホに感動して、本居に感動する。「感動しなければ、自分は創作出来ない」。「批評論というものは、人の悪いとか、人の欠点を探り出すものではない。創作なんだ」。よく「自分の創作なんだ」ということを言っておりました。「そうだと、自分から出たもの。自分がこういうふうな、と書かなきゃならないものというものを創作だ」と言っておりましたですね。
 
金光:  それで、そういうお兄さまが、「最後に」と言いますか、高見澤さんに書いて下さった色紙というのがあるんだそうですね。
 
高見澤:  ええ。本当に、あの人は色紙書くのは嫌いで、本当になかなかくれなかったんですけど、一つだけもっております。
 
金光:  どう書いてあるんです。
 
高見澤:  「頭寒足熱」と書いてある。「頭寒」頭をつめたくして、足が温かくすること。「頭寒」と いうのは、ほんとに冷静に。逆上せ上がっちゃいけないから、頭は冷静に。どこからどこまでも理性と言うか知性とかが働かなければいけないけれども、人間として、温かいところを持っていなければいけないと。「足熱」足だけ温まれば良いということではなくて、身体全部を、温かい情操の豊かなもの。そういうふうな豊かな人間の本当にもっていなければならない大事な情操というものも入っているんじゃないかと思いますね。それは兄がそういう人でしたから、よくそういうことを書いたんだなあということは分かります。
 

 
ナレーター: 高見澤さんの夫は漫画『のらくろ』で有名な田河水泡さんです。田河水泡さんは明治三十二年生まれ。美術学校に学んだ後、村山友義(ともよし)等と前衛芸術運動に参加します。高見澤さんが田河さんと知り合い、結婚したのは、昭和三年のこと。高見澤さんはまだ売れない画家でした。生活の為、雑誌に創作落語が書いたことがきっかけとなり、昭和の初めから漫画の道に進むことになります。『のらくろ』は雑誌少年倶楽部に連載された漫画です。兵隊になった野良犬の黒吉、略して、「のらくろ」は、何をやっても失敗ばかり、年中上官から叱られますが、少しもへこれません。お人好しの性格とユーモアに溢れた行動で、「のらくろ」はたちまち全国の子供達の人気者になりました。
 

 
金光:  田河水泡さんとの出会いはどういうことだったんでございますか。
 
高見澤:  それは偶然と言いますか、何と言いますか、田河が長屋に住んでいたんです。同じような長屋が軒もあって、それぞれ住んでいるわけです。大家さんが居まして、二間か三間の。その大家さんというのは大変いい方だったんです。田河は独身で、丁度その時はもう田河は抽象画のグループに入りまして、村山友義さんなんかと一緒になって、ちょっと分からないような抽象画の走りですね。一番初めにああいう絵を描いたというのは、大変に素晴らしいとは思うんですけれども、その頃は全然芸術として認められない。「こんなでたらめのような絵は絵ではない」というような時でした。
 
金光:  世間一般には、
 
高見澤:  抽象画なんか描く人は居なかったわけです。村上友義さんがドイツに行って、そういうものを覚えて来たんです。
 
金光:  でも、失礼ですけども、抽象画なんか描いていらっしゃると、おそらくあんまり収入もないということは察しられると思うんですが。そういう方と結婚しようと踏ん切られたのは、どういうところなんですか。
 
高見澤:  それは、大家さんの奥さんというのが大変インテリでして、英国へ留学して帰って来た人です。英語がペラペラなんです。それで英文が凄いですから、世界的に有名なおとぎ話を翻訳して、本なんかをドンドン出していて、私もその時はちょっと手伝ったものです。それで田河の話は、翻訳していた大家さんの奥さんから聞いたんです。私を見かけていたらしいんです。
 
金光:  じゃ、田河さんの方が、
 
高見澤:  そうです。「小林秀雄の妹だ」とか言われたと思うんですけれどね。
 
金光:  ここに素晴らしい人がいると思われたわけですね。
 
高見澤:  「素晴らしい」と。まあそうでしょうけども。そんなことで田河のことは、奥さんから「ちょっと話がある」というので、お茶を飲みながら、大家さんの家で聞いた時に、「へんてこな絵を描く絵描きさんが、私に聞いてくれ」と言った。「私に今結婚したい人がいるかどうか。そして結婚しようと思っているかどうか。そういうことを聞いてくれ」と。私の母はとっても弱い人でしたから、見てやらないけない。私が一緒に居てやらないと困るんです。それで私は結婚の話なんか全然。私はバカな癖に、野心家だったものですから、「自分でやりたいことがある」と。その頃の結婚なんて言うのは、奥さんというのは、旦那さんの家庭に入り込んで、自分のことなんか出来ないでいるような奥さんだったように考えていたわけですね。それでその時、「私は結婚のことは全然考えてはいません。弱い母を見なければならないし、それに、私は自分のしたいことがありますから」なんて、偉そうなことを言ったら、奥さんは、「結婚というものは、自分の問題だ。それも一生の問題だ。そんな大事な自分の問題を、人がこうだから、こういう差し支えがあるからということは間違っている。あなたは自分のしたいことがあったら、どこまでもしたらいい。そういうことを許してくれるような男ばね。お母様のことだって、何でもどんどん言いなさい」と言った。私はその通り、みんな言ったんです。田河に会って。みんな言ったら、田河は、「いい」って。「どこまでも自分のしたいことがあったら、何でもやってもいい」と。それからお母さんだって、田河は一歳の時に、生みの母と分かれてしまって、叔父夫婦に育てられまして、今までお母さんと呼ぶ人はいなかった。だから、「これから、お母さんと呼ぶ人が出来たら、ほんとに俺も幸せだと思うから構わない。一緒に住むから」と。
 
金光:  それはしかしいい言葉ですね。そう言われたら、「この人は」と思われるでしょ う。
 
高見澤:  そうなんです。私は大家さんの奥さんがそう言ってくれたから、そういうことをジャンジャン言ったんです。正直に。そうしたら、ほんとに、「いい」と言ったんですね。それからその時には、言わなかったんですけども、「それじゃ、結婚してもいい」というようなことになって、私は、でも兄に相談してみようと思って、兄に手紙を書いたんです。「こういうような話があって、とても私に何をしてもいいし、お母さんも一緒に居てもいいと言ってくれた人がいる」という。そうしたら返事をくれました。そして、「田河という人はあんまり深く付き合わないから、ほんとの人間ということは分からないけれども、あの人は純粋な人だ」と。純粋ということは、その時、分からなかった。どんな人が純粋なのか。だけど、「兄がいう純粋というのは、きっといい意味を以ているだろう」と。そういうふうに思って、「それじゃ、結婚してもいいなあ」と。それで私は決めたんです。「そういうことを全部してくれるなら」。そして、「そういうことなら結婚してもいい」と。「他に誰もいないから」。それで決心してから、テニスコートがありまして、みな奥さんやなんかと一緒にテニス。下手な癖にテニスなんんかしていたんです。その時に、田河はとってもお酒のみなんです。田河はもうほんとに若い時はべらぼうに呑んで、往来に寝ころんじゃって、そのまま朝になって、外套の上に霜が降りていたなんという、そんなような人だったんです。私は、「お酒のみは嫌いだ」と言ったんですよ。そうしたら、「ウン」なんて、頷いていましたけど。どういうことになるかなあと思ったら、禁酒同盟に入っちゃったんです。大家さんの奥さんのお父さんがクリスチャンで、その関係の禁酒同盟に入ったんです。小さいバッジ貰って付けた。結婚式の時には、ちゃんとバッジを付けて、結婚致しました。だけども、直ぐダメなの。やっぱり一月か二月経つと。それからさっきの仕事のことですけれども、その頃叔父叔母夫婦に育てられましたでしょう。随分昔で、その頃の下町の大人の娯楽というものは、寄席しかなかったんですよ。カラオケなんか無かった。小学校に上がる頃になると、その寄席にいいものがかかると田河を連れていくんです。そして小さい時から、ユーモアとか、滑稽というようなものが、だんだん身に沁みて覚えてきたらしいですね。それで滑稽なものなら書けるかも知れない。その頃、娯楽雑誌、講談社なんかから出た娯楽雑誌に落語が載っていたんですね。だけど、みんな古い落語です。新作落語というのを書いたら少しは書けると、初めて新作落語というものを書いて、そして講談社に持って行ったわけですよ。そうしたら、「大変面白い」と言われて、「これなら雑誌に載せてもいい」と言って、直ぐ取られたんです。
 
金光:  じゃ、そちらの方で生活なさったということですね。
 
高見澤:  はい。まあ少しずつですね。大した貧乏でしたけれども、少しずつ収入が出るようになって、新作落語で初めて、そういうものが出来たわけです。
 
金光:  それで田河さんは大分後になって、奥様と同じように受洗されますね。何かやっぱり信仰に入るきっかけというものは、特別なことがあったんでしょうか。
 
高見澤:  それはやっぱりお酒ですよ。結婚式の時、禁酒同盟なんかに入ったりしたんですけれども、それはほんとの短い間で、ちょっとの間のうちに、また少しずつ呑むようになりました。それから忙しくなれば、「仕事に疲れた」なんて、たくさん呑むようになりました。だんだん元の黙阿弥になって、もう人が来れば、幾ら忙しくたって、夜中でも出掛けちゃって、どっかへ行っちゃったり、夜中、帰って来ないんですよ。朝、午前様で帰って、そんなことが幾らもありましたけどね。そうしたら、自分で、だんだん歳も取って来ますし、あんまりお酒を呑んだら人に迷惑をかける。ほんとに迷惑ばかりかけたんです。その頃、お正月に門松というのを立てる。いろんなところへ新年には年始回りなんていうのがあったでしょう。年始回りどころじゃなく、呑み回りで、酔っぱらっちゃって、余所の家の門松を引っこ抜いちゃったりして。
 
金光:  でも、その時は本人は分かっていなくても、後で気が付くと、やっぱり一種の地獄責めみたいなものがありますでしょう。
 
高見澤:  そうですよ。後で、とっても後悔するんですよ。それで私は随分謝りに行ったことがあります。私にも随分いろんなものを買ってきてくれた。お詫びのしるしに大島の反物を買って来てくれたり、「酒をのみすぎて悪かったなあ」と。だんだん歳を取って、戦後になって、一時、また復刻版というのが出まして、『のらくろ』が盛んだったんです。だんだんとまた、酔っぱらうことが多すぎてね。何かしっかりした強い力がなくては、と神のこと、信仰のことを思うようになったんです。しかし、「信仰というものは、神様というものをよく知っていて、神様はこういうものだというのをよく知っていなくちゃ、持てないものだ」と思っていたんですって。で、牧師さんに聞いたんですよ。「先生は神様がよくわかっているんですか」と聞いた。そうしたら、「分かりません」って。「神様は、どういう方かわかる人はありません」。「牧師さんがそうおっしゃるなら、いいじゃないか。分からなくたって、信仰に入っていいじゃないか」と思って、「少し信仰の話を聞きたい」ということになったわけです。その牧師さんがちょっと面白かったですね。
 
金光:  でも、それだけでは踏ん切りがなかなか付かないんでしょう。
 
高見澤:  なかなか踏ん切りが。その前まで、かなり自分一人で、迷ったんではないでしょうかね。こんな生活ばっかりしてしようがないということを。
 
金光:  やっぱり一つの飛躍みたいなものが、
 
高見澤:  そうそう。それから牧師さんに「じゃ、信仰って、どうしたら持てるんでしょうか」と聞くと、「あなたは、自分が崖っぷちに立っているんだから、こうしてこうしたいことがあって、向こうに崖があれば、思い切ってそこまで飛ぼうとしたらどうですか。飛んだところが信仰なんですよ」と言われたんです。そうしたら、田河は、「もしも飛び損なって、谷底に落っこちたらどうしますか」。「じゃ、おっこったら、落ちてごらんになったらいいでしょう」と言われたんです。「落ちてごらんになったらいいでしょう」というのが、効いたんですよ。それでなんか決心が付いたと言っていました。
 
金光:  その後は、
 
高見澤:  それでその後は、もう先生のいうことを聞いて、信仰生活とはこういうものだということを教わりますね。それを準備して、それで決心したんです。やっぱり子供っぽいんですね。純粋ということは童心ということですよ。田河も童心をもてたんですよ。その童心が嬉しくてしようがないんですよ。受洗する前に嬉しくてしようがない。私なんかそんなの感じない。だけど、嬉しくて、子供ですから、「お赤飯を炊け」と言うんですよ。お赤飯を炊いて、牧師さんのところへ持っていくと、牧師さんビックリしちゃって、「あんた、まだ洗礼を受けないうちにお祝いしちゃダメですよ」なんて言われた。もうほんとにそういう人でした。
 
金光:  やっぱり人間は生まれると、必ず死ななければいけないということがあるわけですが、なんかそういう信仰の延長で、お亡くなりになる時も随分静かに。
 
高見澤:  そうです。私にはなんにも言いませんでしたけども、自分では分かっていたと思います。もう死ぬのは間近だということを。それで孫たちがみんな見舞いに来たんですよ。大勢ぞろぞろ。土曜か日曜じゃないと来られないものですから。それで、「俺はもう居なくなるからね」なんて言っていたけど。そして、一番最後にやっぱりユーモアで。ユーモアで死んだということは、三人の弟子に、「のらくろ」を書いてもいいという契約書を書いた。その三人がベッドを囲んでみんな缶ビールを飲むんですよ。その時、田河が、「みんなお前たちは俺みたいないい師匠を持って幸せだなあ」と言うと、弟子の一人が、「先生も いい弟子を持って幸せだなあ」と言って、みんな笑った。そういうユーモアに包まれて、それが最後なんですよね。そして、私には、「ほんとに俺はいい人生を送ったね」。そういうことを言って、それが最後の言葉でした。でも後は意識不明になって安らかに。
 

ナレーター: 高見澤さんの毎日の日課は読書。古典から現代の科学まで人間について記したさまざまな書物を読むのが楽しみになっています。最近では、先人の言葉に触発され、生きること、老いることについて、自らの思索を纏めた書物を何冊も発表されています。
 

 
金光:  今、読書会をなさっているそうですが、テキストはどういうものを、
 
高見澤:  随分いろんな本を読みました。随分長い間続いていますのでね。ですけど、『本居宣長』は一度やったことがあるんです。ですけども、その頃は、みんな解らないで済ましちゃったものですから、「もう一度読もう」というので、二、三年前から、もう一度それじゃ、『本居宣長』を読もう」ということになって、今読んでいますけれども、やっぱり読めば読むほど、なんか解らなかったことが解ってくるような気がするんです。やっぱり本居宣長という方は、ほんとに大きな広い気持を持って、狭いところでずうっと書いているんでなくて、ほんとに人間というものをよく理解して、そして、歴史、過去のこと、そういうものの大事さというものをほんとによく理解して、兄は書いた宣長ですから、やっぱり兄が本居宣長を解ってくるようなところにだんだん近付いていくように、今まで分からなかったことが分かって来ますね。それはもうほんとに有り難いことだと思っております。
   
金光:  随分大部のものでございますが、どの位、どういう形で読んでいらしゃるんでしょうか。本居宣長は随分厚い本で、
 
高見澤:  厚い本で、やっぱり時間が限られておりますから、少しずつしか読めませんけれども、ずっと続けて読んでいます。それでその時にするものを、大抵その方たちは読んでいらっしゃいますから、大体のところは分かっていらっしゃるでしょうけど、細かい古い言葉が随分ありますからね。そして、私だって分からないところがあるんですよ。「この次まで出来るだけ調べてきます」と逃げますけど。難しいからということもありますけども、私は兄に、「あんたの書くのは難しくてみんな分からなくて困っている」というと、「どうして、何遍も読んでくれないか」ということを、兄はよく言っていました。「一度だけスウッと読んで、難しいなあというのは、ダメだ」って。「もしも、この『本居宣長』という本に愛情を持ってくれれば、何遍も読んでくれ」。二遍、三遍、こんなこと言うと大変ですけれども、「その位の読み方をしなければいかん」ということを、私、かえって叱られたことがあります。
 
金光:  やっぱりご本人が何十年も時間をかけてお書きになった。
 
高見澤:  そうなんです。二十年もかかったんだから、ほんとに。それは短時間で読むものじゃないですね。
 
金光:  今年で高見澤さんも満九十三に、
 
高見澤:  九十四になりました。
 
金光:  九十四になられた。それだけ長い人生、長いと言えば、長いですけれども、その中でいろいろお感じになっていることがおありだろうと思うんですが、自分で考えられて、「ああ、これはやっぱり自分の生き方の中では、大事なことだったなあ」と思われるようなことがあると、幾つか教えて頂きたいと思うんですが。
 
高見澤:  それは先程申し上げたように、やっぱり「思いやり」ですね。「人を思いやる」ことですね。今、一番なくなっているものではないでしょうか。「人のことを思いやる」とか、「人の身になって見る」とか、自分のことだけですよね、今は。ほんとに自分さえ成功すればいいんですよ。自分さえいい世の中で出世すればいいんですよ。ですけど、そうじゃないんですよ。どんなに苦しんで、どんなに悲しい人がいる。どんなにいるか分からない。そういう方々をほんとにその人の身にならないと分からない。その人の経験を知らないと分からないから、そういうことをほんとに少しでもよく知ろうと思うことが、ほんとに大事なことじゃないかと、そういうことを私は考えますね。それから、ほんとに有り難いと思わなければいけないですね。感謝しなければ。何でも感謝するということですね。それから、「大いなる魂」ということを、ほんとに信じて頂きたいですね。そういう方があるということを、人間以上に、そういうことは大事ですね。
 
金光:  いまだんだん高齢社会ということで、高見澤先生と同年輩の方も随分いらっしゃると思うんですが、身体が衰えるというのは、これはしょうがないと思いますけど、「老いを生きる心構え」と言いますか、「ご自分でこれは良かったと思われるようなこと」を幾つか教えて頂けませんでしょうか。
 
高見澤:  そうですね。老いて、「こんなに歳を取って、もう私は何にも出来ないのだから、何にもしないで、皆さんがよくして下さるから、それでいい」ということはいけないと思いますね。出来ることはあるんです。寝たっ切りになっても読むことは出来るし、見ることも出来る。聞く出来る。聞けない人は書くことが出来る。何か一つでも出来ることがあれば、出来ることはどんどんやらばければいけないし、出来るだけ、死ぬまでやらなければいけないです。大きな魂という私たち一人一人をよく知っていらっしゃる方が、必ずそういうものを一人一人ささやかでも与えていて下さる筈です。「私は手芸だけしか出来ない」。手芸だって、折り紙だって、何だっていい。何でも一つは出来ることがあると思うんです。それを「もう私はダメだから」ということはいけない。いつまででも、その大きな魂が見ていて下さる。大きな魂の方がいのちをおとりになるんだから、そういう方のご命令に従って。だけども、人間としてまだ生きて、まだ息をして生きている。「あなたはまだまだ生きているんですよ」というご命令だと思って、何かしなければいけない。口が利ければ、口だけが利けるという人は口を利いて、いいことを喋ったらいいでしょう。為になるようなことが言えなかったら、楽しみになること、喜ぶことでもいいし、何でもいいから、自分が言いたいことを言って。だけども高慢にならないことですよ。自慢しないことです。いい気にならないこと。いい気になっちゃってダメなんです。いい気になって、ということは得意になることですよ。得意になって、自慢してはいけない。謙遜な気持でやることはやらないけないなということを一つ思うことですね。それが一番大事なことなんじゃないかと思います。「いい気になるな」ということと、それからほんとに、「謙遜な気持で、神様の思し召しに従って、私は死にます」という気持になって、そういう平安さを持って、すべてに任せて、ということが必要なんじゃないでしょうか。
 
金光:  そうなって来ますと、そういう姿勢でいらっしゃると、例えば、「今度いついつお話をして頂けませんか」言うと、それも与えられたこととして受けていらっしゃる。
 
高見澤:  ほんとにそうだと思います。出来るだけ、まだ喋れますから、喋るだけは喋ってもいいというお許しが出たんだなあと思いますので、出来るだけの、その代わり一生懸命やらなければダメですね。それこそ誠実にやらなければダメですね。
 
金光:  まだ書く方もなさっていらっしゃるわけでしょう。
 
高見澤:  いまちょっと原稿を書いておりますけれども。
 
金光:  それは、これからも出来る限り続けていらっしゃる。
 
高見澤:  そうですね。やっぱり春にも頼まれたもので、「秋に出版するから」と言うんで、今やっているんですけれども、ほんとに頼まれたことは、やっぱり誠実に出来るだけのことはしなければいけないですね。もう出来なくなれば、諦めなければいけないでしょうけれども、出来ると思ったらしなければいけないと思いますね。やっぱり頭をこういうふうにいつでも使っていると、やっぱり呆けないと思いますよね。頭を使わなければいけないですね。それからやることをやるということですね。
 
金光:  でも、そうやって、毎日お仕事をいろんな形で出来ることを誠実になさっていらっしゃるのが、高見澤さんの若さの秘訣ということなんでございましょうね。
 
高見澤:  そうですね。そうかも知れないですね。やっぱりそうして、「年寄りがしなければいけない」とって、いわゆる忠告もされますから、その忠告は出来るだけ守らなければいけない。そんなこと要らないなんて、そんな突っぱねることはないですね。やっぱり素直に生きなければいけませんね。だから聖路加病院の日野原先生が、「人間は身体は弱って来ます。老化して来ます。目が悪くなったり、耳が遠くなったり、足が動けなくなったり、だけれども、人間の精神というものはどこまでも成長していく」とおっしゃったんですよ。それは私、本当だと思いますね。精神というものは成長しますね。成長度が遅いかも知らない。若い時のようにスウッといかないかも知れませんけれども、徐々に徐々に分かってくるものがありますね。
 
金光:  これは意識的にご自分で分かろうとなさらなくても、自然にそういうふうに気が付くものですか。
 
高見澤:  そうですね。気が付きますね。思い出す度に気が付くんです。「あの時、そんなに感じなかったのか」「どうしてあの時に感謝しなかったか」「ほんとにバカだったなあ」と。
 
金光:  今は幾らでも感謝出来る。
 
高見澤:  はい。申し訳ないですけれども、どこでどういうふうに聞いていてくれるか分からないけれども、「どうもほんとに有り難うございました」と言って、感謝致しますね。
 
金光:  でも、そういう亡くなった方の思い出の中で、感謝の気持が育ちますと、例えば本だとか、或いは他の方のお話だとか、そういうことに対しても、感受性はだんだん鋭くなるわけですか。
 
高見澤:  ええ。ほんとに鋭くなりますね。ですから本なんか読んでも、呆けちゃダメですけれども、みな頭がしっかりしていれば、私は、「若い時に、読んだよりか、もっと深いものが分かってくる」と思いますね。だから、「歳を取ったら、本を読まなければいけない」と思うんですけどね。
 
金光:  ああ、そうですか。じゃ、同じ本でも昔お読みになったのと、聖書なんかでも、やっぱり昔お読みになった時と今とでは、随分意味や感じが違って来ますですか。
 
高見澤:  違って来ます。若い時は随分違ってきます。こうだんだんにね。ですけれども、歳を取って来ると、そういう急激なことは分からないけど、しみじみ胸に響いてくるものがあるんですね。今まで沁みなかったものが、実際にありますね。
 
金光:  そうしますと、毎日そういう、「こういうことだった」「私がバカだった」「有り難いなあ」という感じで、「あ、世の中にはこういうことがあるんだ」とか、「人間というのはこうだ」ということが分かると、毎日が退屈しないですね。
 
高見澤:  そうですね。退屈どころか、ほんとに、「今まで申し訳なかった」「どうしてあんな気持だったのか」「もっともっと有り難いと思って、もっと感謝して、もっと私からそっちに尽くさなければいけなかったのに、全然出来なかって、ほんとにごめんなさい」と。
 
金光:  ますますお元気なご様子、大変羨ましいと言いますか、感心しながら、お話を伺ったんでございますが、どうも今日は有り難うございました。
 
高見澤:  こちらこそ有り難うございました。
 
 
     これは、平成十年七月五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。