ダルマを歌う
 
                            南無の会会長 松 原  泰 道(たいどう)
明治四十年東京生まれ。昭和六年早稲田大学文学部卒。岐阜県瑞龍寺で修業。昭和二十六年〜二十八年臨済宗妙心寺派の教務部長。昭和十一年〜五十二年龍源寺の住職を務めたあと、辻説法を行う南無の会♂長に。経典の啓蒙活動に定評があり、五十年軽井沢にだれでも参加できる坐禅堂・二月庵を建立、幅広い教化活動を行う。他に全国青少年教化協議会理事、仏教伝道協会理事などを兼務。著書に「般若心経入門」「禅語百選」「観音経入門」「法華経入門」「一日一生」「松原泰道全集(全六巻)」ほか。
                            き き て  金 光  寿 郎
 
金光:  今日は南無の会会長松原泰道さんにお出で頂いて、「ダルマを歌う」という題で、いろいろお話して頂きます。松原さんは現代辻説法の会として発足しました「南無(なむ)の会」の会長として、現在まで二十七年、九十歳の現在も全国をお歩きになって、仏法の話をいろいろしてお出でになります。どうぞ宜しくお願い致します。
 
松原:  こちらこそ。
 
金光:  ところで、今日のテーマである「ダルマ」というのは、一体どういうもの、或いはどういうことなんでございましょうか。
 
松原:  世間では「ダルマ」と言いますと、子供さんがよく歌います「ダルマ(達磨)さん、ダルマ(達磨)さん、睨めっこしましょう」。あのダルマ(達磨)さんは人間なんですが、今日、お話申し上げる「ダルマ」はインドの言葉で、漢訳しまして、法律の「法」ですね。これは「真理」とか、「教え」とか、それから「森羅万象(しんらばんしょう)」と言ったような沢山の意味がございます。今日はそのお話をするので、そのダルマ、真理を悟ったお方であるから、菩提達磨、敬称を付けて、菩提達磨大師、禅の最初のお祖師さまになります。この方は歴史的実在のお方です。今日はその達磨さんがお悟りになったその元のダルマ、真理、そのものをご一緒に勉強してみたいと考えております。
 
金光:  ということは、達磨さんがお悟りになったその元は、お釈迦様がお悟りになった「法」ということでもあるわけですね。
 
松原:  それはそうなんです。お釈迦様まで行かなければいけません。
 
金光:  ということになると、非常に難しいもののような気もするんですが、松原さんは全国をお歩きになっていらっしゃったですね。「ああ、ここにもそのダルマのことを知っている方がいるなあ」とか、「ダルマのことと関係があるなあ」と思われたようなことがございますでしょうか。
 
松原:  旅していますと、一つ一つそういうことを感じます。序でに申しますと、「ダルマ(dharma)」というインドの言葉を、漢字で当て字して、皆さんご存じの「達」という字と、それから下に「磨く」という字を書きます。私もよく名命を頼まれると、この「達さん」と付けさして頂くんですが、「達」でも結構ですけれど、意味は「あまねし」という意味があるんです。どこにでもある。それがもう一つの法の説明になります。どこにでもあるんだ。ただ「磨」が下で磨くんですね。磨くことによって、それが自分のものになる。ですからすべてが勉強の気持で歩いておると、東山魁夷(ひがしやまかいい)先生がおっしゃっておりますが、「歩いていると、花を見ても、花の方から絵を描いて、私を描いて下さい」と。そのような気持が感じられる。それはどなたにもおありだと思います。私が今もフッと思いましたのが、かなり前ですけれども、第二次世界大戦後の最初の日本の一番大きなダムという佐久間ダム。旅先で案内を頂きまして、静岡県の佐久間にありますダムを拝見しました。かなり前で、写真も撮っておりませんので、場所もハッキリしませんけれど、言葉だけはハッキリ覚えているのです。それは設計されたお方だと思いますけれど、青山、お名前もちょっと覚えておりませんが、博士の言葉が碑に刻まれて建っている。それがいい言葉でした。ご紹介申し上げたいと思うんです。
 
     万象(ばんしょう)に天意(てんい)を知る者は幸いなり。 
           (青山博士)
    
この「万象」は森羅万象(しんらばんしょう)で、さっき申し上げました「法」、ダルマの中に「森羅万象」という意味があるのです。ですから仏教的に見れば森羅万象の中に、「天意」というのは法の意味を知る者は幸いだと、こういう事柄になってきますね。ですから、もう私達は教えの真ん真ん中にいるんで、ちょっと求めようとか、学ぼうという謙虚な気持になってくると、みんなのものから、何か教えて頂いているような感じになりますね。
 
金光:  そうすると、遙か昔の達磨大師、或いはお釈迦様の昔のことというよりも、現在生きている私達の生きている世界のことでもあるわけですね。
 
松原:  はい。「生きている世界」でなければいけませんね。「何時でも今、今、此処(ここ)」というところで法は生きていますから。
 
金光:  そうすると、現代の人でもそういう世界に気が付いている方は、その青山博士以外にも随分いろいろいらっしゃるわけでございますね。
 
松原:  たくさん宗教という、仏教と限る必要ありませんので、もう歌でも、それから絵でも彫刻でも何もかもその気持になると、吉川英治さんが、「我以外はみな我が師なり」とおっしゃったようですね。謙虚な気持できますと、何かが、メッセージと言いますか、あるわけです。宗教家でありますよりも、在家の方々にそういう方が沢山いらっしゃいますね。とくに浄土真宗では、昔から妙好人と言われていますけれども、世間的の学問は別として、親鸞の教えを手堅く得られたお方、妙好人、その一人の方によくこの教育テレビでもお出でになって、金光さんが対談されます榎本榮一さん、どちらの方で、
 
金光:  あの方は東大阪ですね、今。
 
松原:  東大阪ですか。私よりお歳上だと思いますが、お元気ですか。
 
金光:  足がちょっとご不自由で、横になっていらっしゃるようですけれども、随分いろいろ詩を作っていらっしゃいますね。
 
松原:  そうです。あなたからもご紹介頂いて、私も非常に感銘を受けたんですが、今日のテーマのダルマということについて、一つ榎本さんのを読んで下さいませんか。
 
金光:  それじゃちょっとご紹介させて頂きましょう。
 
     夜 かすかな雨の音
     風の音
     これは佛さまが
     この人の世を
     おあるきになる足音です
       (榎本榮一『煩悩林』
 
松原:  これは今の合理的なものの考え方をなさる方は、こんな不合理なことはないとお考えになるんです。しかし不合理とそれから非合理と似ておりますけれども、大変違いますんで、不合理ということは道理に合わないことですから、これはもう問題にならない。しかし世間には道理に合わないことも沢山あります。それを非合理と言っているわけですね。ただ非合理のことを合理的に解釈しようと思ってもダメなんですよ。今の榎本さんの雨は雨、風は風ですけれども、それがさっきのように天意を知る者になってきますと、この全てが自然のままに、それが一つの大きな囁きになってくると、そういう事柄で、さっき申し上げました、どこにでもあることですから、ちょっと目を付けると、そこにもここにも、私のために何か教えでいてくれますな、ということを感じるわけですね。
 
金光:  雨と言うと、何だ水蒸気が上がって、それが水滴になって落ちているだけだ、みたいなことを考えている人には、聞こえない、見えない話になるわけですね。
 
松原:  ですから、雨も別に説法しているわけじゃないんですよね。向こうは雨だから、今のお話の落ちるんで、風だから吹くんですね。そのままの状態で、こちらの受信装置が豊かになってきますと、なんでもない現象の中から、いわゆる「真善美」と言いますか、そういうものが受け取れてくるんですね。これは仏教語で、「無情説法」と申します。この「無情」は世間で言っている無常と、大へんに意志が違います。人間のように感情とか意志をもっていない山とか、川とか、石とか、草とか、木とか、そう言ったものを無情と言っております。それが説法するということは、合理的には考えられないことですけれども、こちらが感受性が豊かになってくると、そんなふうに聞こえてくるんですね。見るんじゃなくて。
 
金光:  これは榎本さんの先程の詩も、そういう聞こえて来た世界が仏様の足音だと聞こえたということで、
 
松原:  そうなんです。
 
金光:  「無情説法」と言う言葉は、これは昔からやっぱりそういうふうにちゃんと聞いていた方はいろいろお出でになるわけですね。
 
松原:  とくに禅の思想は、中国の唐と宋の時代で非常に発達しますので、その頃からこの無情説法というのがあるんでしょう。決してむずかしい話じゃないんです。例えば小野(おのの)道風(とうふう)、正しくは「みちかぜ」と読むのだそうですけれど、道風(とうふう)さんですませておきます。ご承知の柳の垂(しだ)れ枝にカエルが飛び付く。初めは面白そうに見ていた。そのカエルが柳の枝に失敗を重ねて最後に飛び付いた時に、「やった」と言う。と同時に、やっぱりそこで聞こえるものがあったんでしょうね。「為せば成る。何でもやれば出来るんだ」という、そういう気持をです。柳はしだれ柳ですから、下がっているのが、当然なんです。カエルは飛び付くのが当然なんで、別に小野道風さんに説法してやろうなんて、そんな考えじゃないんです。自然に下がって、自然に飛び付く。そこをこちらの受信装置が豊かになってくると、何か受け止める。それが今のお話の仏の知慧ということになる。
 
金光:  ということは、仏様の教えが仏教ということでございますけれども、仏教も最初から法というのはあったにしても、仏様の法を知るということ、気付くということは、最初にお釈迦様がお出でになったから気付いたということでございましょうし、そのことの意味も、やっぱり教えを深く聞けば聞く程、同じお釈迦様が出て説かれたにしても、その味わい方がまた変わって来るということでございましょうね。
 
松原:  そうです。同じ現象でもこちらの受信装置が緻密になってきますと、あらゆる電波が掴めるんですね。電波が流れていても、受信機がなければ、キャッチ出来ないのと同じじゃないんでしょうか。
 
金光:  その辺のところを日本の昔の歌とか詩とか、そういうもので、いろいろ表現、同じ仏法を味わうにもいろんな表現があるようでございますが、今日お書き頂いたものでは、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の中にあります『法華経』の「壽量品(じゅりょうぼん)」のところを歌っている歌がございますね。『梁塵秘抄』から。
 
     釈迦の正覚(しょうがく)成ることは
     このたびはじめと思ひしに
     五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)よりも
     あなたに佛と見えたまふ
         (『梁塵秘抄』巻二)
 
「あなたに」というのは、向こうの方にという。「私、あなた」ということじゃないんですね。
 
松原:  そうじゃなくて、彼方(かなた)ですね。ずっと昔です。
 
金光:  お釈迦様の、「釈迦の正覚」というのは、お悟りですよね。お悟りになられたのは、この世にお釈迦様が生まれて修行されてお悟りになったのが初めてだと思ったのにという、前の方はそういうことなんでしょうか。
 
松原:  今の「正覚」は悟りですね。お釈迦様がお悟りになったというのは三十五歳の十二月八日にお悟りになったと思ったら、『法華経』の 中で、ご自分でおっしゃって、「いや、私はもうずずうっと昔」、「五百塵点劫」というのは説明すると、大変なんですが、古代インドの人は日本人のように、「永遠の昔」なんていう抽象的じゃ、満足しないんですね。どこまでも数字で表さわなければ。それに振り回されたら、とってもこちっちは大変なんですから、勘弁して頂いて、日本人の遠い遠い遠い永遠の彼方に、遠い昔の方に、既に仏になっていたんだ、と。ということは、この法が、釈尊が悟っても悟らなくても、釈尊が生まれても生まれなくても関係なしに、ずうっとあったんだと。ただ忘れていたのを、気が付いたのが私だという。ですから丁度引力が、ニュートンが発見してもしなくても、物は上から下に落っこちるんですよ。引力はニュートンと関係なく、昔から引力はあった。それと同じで、昔からあったということを。だから後にお話が出ますと思いますけれど、悟った人間のお釈迦様と、それからお釈迦様が悟りになった「ダルマ、真理」、これを人格化しまして、法のほうもお釈迦様。ですからお釈迦様が二人出て来るような妙なことになるんです。一人は真理そのものを人格化した釈尊、それを悟った人間の釈尊という、お二人のお釈迦さまが出ていらっしゃいます。
 
金光:  「久遠実成(くおんじつじょう)のお釈迦様」というような表現もあるようでございますけれども、そうしますと、古い昔のことだ、二千五百年前のこと、というよりも、先程からのお話にもありましたように、今生きている法ということでございますね。今も教えを説いていらっしゃるんだということになるわけですね。それに似た言葉は、日本、東洋だけの考え方でございましょうか。
 
松原:  はい。キリスト教でも、例えば新約聖書の中にみなさんよくご存じと思うんでありますけれども、『ヨハネ福音書』の第一章に、初めに出て来ますね。口語訳もありますけれども、やはり格調の高い文語の方が、私は好きなものですから、書かして頂きましたが、
 
     はじめに ことばあり
     ことばは 神と偕(とも)にあり
     ことばは 神なりき
        (『ヨハネ福音書』1・1)
 
この「はじめに」これは初めという何かポイントがあるようですけれど、そうじゃないんで、この意味は、「初めに既に」という意味があるんだそうです。ですから、「はじめに」ですから、初めの時に既にもっと昔があるというわけで、非常に深い意味だと思うんですね。それから言葉というのは、私がこうやって話している、そういう言葉じゃなくて、ロゴス(logos)ということだと教わっておりますが、ロゴスということになってくると、仏教的に受け止めますと、やはり法ということになるんじゃないでしょうか。だから立場は違うでしょうけれども、同じような受け止め方をしておられる。「ことばは神と偕にあり」神も遠い遠い昔から。だからこの神は創造の神と、ちょっとニューアンスの違う神だと、私は感じます。真理というものはずうっと昔からあったんだ、ということは、同じ角度だと思います。
 
金光:  しかもその後に、「ことばは神なりき」とありますから、要するに先程 からの東洋、仏教的な表現で言うと、法は、ダルマは仏様、如来であるというのと、言葉は神というのと、非常に何か共通した雰囲気があるようですね。
 
松原:  感じられますね。何遍も読んでいるうちに。だから私はバイブルを自分の書斎の手の届くところに置いてあるんですね。何かの時に旧約でも、新約でも拝見しますと、その時にハッと教えて頂くものがあるんですね。だからいつもバイブルを側に置いております。
 
金光:  ある神父さんから、「言葉というのは、先に先ず事があって、事から派生したのが言葉だ」というふうに教えて頂いたことがあるんですが。成る程、言葉と言うと、何か日本語だとか、英語だとか、そういう言葉というふうに思いがちですけれども、事となると人間が考える。言葉で出す以前に、先ず事があるとなると、随分意味が深くなるなと思って、感心して、記憶に残っておるんですけれども。何かこの場合の言葉というのは、やっぱりあるそういう事があって、そこから出てきたものが、「はじめにことばあり」というような意味かなあというふうに、今、お話を伺いながら思い出したんですが。
 
松原:  それはいいことを教えて頂きました。「事のば」ですか。だからよく言霊(ことだま)と解されますけれど、私はあれはどうかと思いまして、その説は採らないようにしておる んです。
 
金光:  でもそうなりますと、『ヨハネによる福音書』の冒頭のことをおっしゃったわけですけれども、その辺のダルマと如来との関係というようなことは、これは仏教がずうっとそこのところを追求している世界でございましょうから、現代に生きていたような方も、その辺のところを、いろんな表現、歌なり、短歌なり、或いは俳句なり、いろんな形で表現なさっていらっしゃる方はお出ででございましょうね。
 
松原:  やっぱし、法は今お話のように、流れて生きておりますから、その時々の人達がその時々の考えで、生きたと、今、この場で掴んで、俳句などに一番よく出てくると思います。その一つ、三島の龍沢寺(りゅうたくじ)の中川宗淵(そうえん)老師(一九0七ー一九八四)という近代の禅の名僧がおられました。生きてお出でになると、私と同年の方なんですが、私のような一山幾らの人間と違いまして、天下の名僧で、しかも俳句をよく作られました。飯田蛇笏(いいだだこつ)門下の俊英でありましたし、また禅の心が現じ込まれているんで、格調の高いんですが、
 
     たらちねの 生れぬ先(さき)乃 月明かり
           (中川宗淵老師)
 
「たらちね(垂乳根)」は両親の枕詞ですが、転じて両親そのもの、父、母ですね。両親も生まれる前からの月明かりだと。これを文学的に表現しますと、今、空に輝いている月光は両親が生まれぬ先から輝いているんだ、ということにされると思います。しかし作ったお方が中川宗淵老師ですから、ここには仏教の心が含まれている。当然これはダルマを読まれたものだ。すると、「たらちね」というのは、父と母ですけれど、これは大乗仏教の一般の論理の持ち方ですけれども、右とか左とかという相対的な考え、悪とか善とか、こういう相対的なものの考え方を非常に忌むもんです。だからこの場合も、たらちねは父、母でなくて、その右とか左とか、悪とか善とかという、相対的考えが生まれる前の月明かりということになってくると、月明かりを、法そのものということになってくるでしょう。
 
金光:  禅の方で、「父母未生以前の面目」というようなことを尋ねられるそうですが、 父母(ちちはは)、両親が生まれる前のお前はどうかとか、やっぱりその辺の消息、
 
松原:  それなんです。そこなんです。言って頂いて有り難うございました。
 
金光:  そこのところは、しかし、「こうこうだ」というよりも、自分でそこのところを、それこそ達磨じゃございませんけれども、磨いて、受信装置をよくすると、自ずから、「ああ、そういう世界か」というのを感じるということなんでございましょうか。
 
松原:  そうですね。浄土宗の法然上人でも、
 
     月かげの至らぬ里はなけれども
       ながむる人の心にぞすむ
 
という有名なお歌がありますね。お月様の光はどこでも輝いている。ただ月光として受け止めるか、浄土門で申し上げれば、阿弥陀仏の知慧として頂くか、眺むる人の心にぞ住む。この「すむ」は、止まる住むと、それから綺麗だという意味の澄むと両方かけてございますね。
 
金光:  その辺のところは昔からの仏教の言葉、禅の言葉なんかでも表現されていることでございますか。
 
松原:  はい。禅の方ではそういうところを、その人が自分で作るのもありますし、それから中国にありますいろんな、例えば古い詩で、『唐詩選』とか、そういうものの中から持って見えます。
 
金光:  お書き頂いているのがありますが、これもその一つということになりますね。
 
松原:  そうですね。
 
     月は照らす千古の秋
         (月照千古秋)
 
ずうっと昔から、お月さまは照らしていらっしゃると。仙崖(せんがい)さんにもそんな歌がありますね。お釈迦様は星の光をご覧になって悟られたけれど、あのお釈迦様がご覧になった星の光が今仙崖を照らしていてくれるというような、いつも現時点に止めておられて、千光年、千古の昔から月は照らしておるように、如来様のお慈悲は、私を隈無く照らしていて下さるという、自然の中から、何か頂戴していくという気持になりますと、だんだん私達の心が豊かになってきて、そこでさっき最初に出ました、「天意を知るものは幸いなり」と。
 
金光:  そうですね。
 
松原:  何を見ても何かを教えて頂ける。ダルマの教えでないものは、何一つないということでしょうか。
 
金光:  「たらちねの生まれぬ前の月明かり」とか、「月は照らす千古の秋」。そういうのを聞いていると、何となくこの世のざわざわしたものと、もう一つ違ったと言うか、深い世界と言いますか、何かそんなにあくせくしないでもいい世界があるんだなあというような気が何となくするような気がしますが。
 
松原:  ほんとに今、月で思い出しましたが、何年前になりますか、初めて月世界に、アメリカ人が到達した。あの時、私、テレビを見ておりまして、日本中、各テレビ局が取材をしてくれました。そしてスタジオではどこのテレビでも学者先生が集まって、いろいろと解説をしてくれました。ところがどの先生方も、「月、月」なんですね。「月世界、月世界」。ちょっと名前は忘れましたが、月世界の隕石をアメリカから贈られた、故人になられたそうですが、若い先生だけが、「お月さま お月さま」。私はこの敬虔さが必要だと思うんです。自然の天体だと合理的に解釈されると同時に、もう一つ、突っこんだところで照らして下さるんだという態度になってくると、科学者でも、「お月さま」と手を合わせる気持があると、照らして頂けるんだという非合理の世界が受け取れてくるんじゃないんでしょうか。その点、あの時にどこの海岸でありますか、日本海岸で、月の光を仰いでいる漁師さんにアナウンサーがマイクを向けて、感想を聞いたら、「そうか。分かって見ても、やっぱしお月さまは有り難いなあ」と 言って、手を合わせるのを見まして、「こちらの方が勝ちだ」なんて考えたことがありました。
 
金光:  やっぱりその辺の受け止められる感受性と言いますか、感覚。これはあんまり雑事に追われている中だと、気づき難いところで、やはり、「あ、そういう世界があるんだな」ということに気付く時には、ある一つの何か新しい、「あ、そうか」というような、そういう何か起因と言いますか、何かそういう感覚みたいなものがあるんでございましょうかね。
 
松原:  ありますね。例えば、今、人間というものは結構なことだけれど、価値観が非常に強いんですね。万物霊長ということが考えられて、人間の尊厳とか、価値観だけは盛んですけれども、今、自分がどうして此処(ここ)にあるか、という存在感を失われている。これも一つの問題だと思います。その存在感を確かめようとしていきますと、何かの時にハッと気付くんです。
 
金光:  その気付きがあると、「あれがいい、これがいい、これが好きだ、これが嫌いだ」というだけじゃない。もう一つ違う世界に気が付くということになるわけでございますね。
 
松原:  そうですね。
 
金光:  その辺のところはやっぱり言葉として表現されたものはご存知でしょうか。
 
松原:  これはポエム、詩だと思いますね。お経そのものがポエム、詩ですから。私は目を開かせて頂いたのが、岡本かの子(歌人・小説家。漫画家一平の妻)さん、「仏教の経典を読む時は法律や何かを読むようではダメだ。文学作品、ドラマを読むような気持で、何かが象徴されている。そういう気持で読みなさい」。それから初めて法華経なんかよく分かってまいりました。
 
金光:  成る程。
 
松原:  その一つはきっかけが何か必要ですね。
 
金光:  現代の詩人の方の作品で、何かそういうところを歌っていらっしゃるものをご紹介頂けますでしょうか。
 
松原:  私は室生犀星(むろうさいせい)(一八八九ー一九六二)さん、あの方は小説家であると同時に詩人ですね。作家の方が専門でありましょうけれども、詩もなかなか素晴らしいですね。
 
金光:  ではその室生犀星さんの詩、「何者ぞ」という中の一部でございますか。
 
松原:  「何者ぞ」の一部でありますがね。
 
     何者か割れたり 我が中にありて
     閉じられしもの割れたり 
     かれらみな声を挙(あ)げて叫び出せり
     桃の実のごときもの割られたり
     星のごときもの光出(いだ)せり
         (室生犀星「何者ぞ」)
 
この詩が、評論家は、「大きく言えば、新しい生命が閃いた作品だ」と推薦されていますね。それから室生犀星さん自身には、この詩、同じようなレベルの高い詩があるんですが、その時、作るのは自分の中に何かつっかえているものがある。そのつっかえているものを蹴飛ばして、そしてそこに何か新しいものを見付けたいと、こんな気持で自分はこの頃詩を作っているということなんですね。
 
金光:  今おっしゃっていたようなことが、こういう詩になって、確かに何か邪魔になっていたものがパカッと割れて、新しい世界が見えてきたという感じでございましょうかね。
 
松原:  この詩、私、好きなんですが、私は、「静かな爆発」とこう申しております。心の中で、静かに、丁度卵が、雛が中からついばんで、外から親鳥が啄(ついば)んで、それがセーム タイム(same time)でないといけないわけです。丁度そんなものと、それから釈尊の悟りと、この時の室生犀星が多分三十七歳か三十八歳位だと思うんです。お釈迦様のお悟りになったのは三十五歳です。亡くなったのが七十八歳位で、お釈迦様も八十歳ですから、何だか似たようなものを、この作品の中から私は感じまして好きなんです。
 
金光:  仏教という、仏教だというと何か抹香臭いだとか、なんとか、非常に狭くイメージをお持ちの方がいらっしゃるようですけれども、もっともっと広いこの世の生きている、生きて働いている全てがダルマであるというふうな、そういう受け取り方のほうがなんか本来のダルマの味わいに近いような気が致しますね。今の室生犀星さんの詩も仏教のことをとくにお考えだったかどうか、その辺は分かりませんけれども、やはり一つのダルマの発見と言うか、目覚めの詩であるというふうに思ってもよろしいんでございましょうか。
 
松原:  そうなんですね。芸術作品はそうだそうですね。出来た時はむしろ未成品で、それから多くの人が鑑賞することによって完成していく。だから個々の完成というものがあると思うんですね。子供の作ったさり気ない童謡でも、心ある大人が読んで、何か学んでいけば、そこで作品が成長していくんです。やっぱり生きているんです。
 
金光:  そうすると、大体、人間は自分の思いと言うか、自分の自我の枠でいろいろ判断して、「良い、悪い」とこう言いがちなんですけれども、仏様の説かれた教えというものも、ある昔に説かれたその時点で、もう終わったというふうに考える必要はないわけですね。
 
松原:  ないんです。むしろ仏様とか神様とか、名前を付けたから間違って、いろんなことになってくると思うんです。だから、そこに妙なセクト的な考えがあるんで、私はむしろいま仏様とか神様とかという言葉を使わずに、「宇宙の意志」ということの方がいいんじゃないだろうかと。その「宇宙の意志」を法に当てはめますね。その「宇宙の意志」が全てのものを生かそう生かそう、分かってくれよ分かってくれよ、というわけでしょうか。この間も、私のところの玄関先きが舗装されているんですが、コンクリートが割れまして、その僅かなところから草が生えて、見ている間に成長して、花を咲かせているのを見まして、宇宙はこんな小さな草までも、一生懸命に生かそうとしているんだなあということを見たら、自分もいのちを大事にしていかなければいけないんだ。だから真理というものは、いつでも今此処に生きているという、それをキャッチするかどうかということになりま す。
 
金光:  やはり昔の教典でも、お釈迦様がお説きになった時代から、随分何百年も後になって成立したと言われている『法華経』なんかでも、その辺のところをちゃんと言葉として出していらっしゃるようですね。今日、ここにお書き頂いたもの、
 
松原:   常に霊鷲山(りょうじゅせん)に在(あ)るなり
       常に此に住して法を説くなり
         (『法華経壽量品』
 
ということは、お釈迦様が亡くなる。その時に、非常に分かり難いんですが、釈尊が、「私は死ぬのだが、本当は死んでいない」という。結局分かり難いんですが、死ぬということは肉体を具え釈尊。だから釈尊はいつも、「私を信仰の対象にしてはいけない」と。「私は人間に生まれて、必ず死ぬんだから、滅びるものをいけない。私が悟った法を信じなさい」と。死んでいく釈尊が、さっき申し上げました人間の釈尊です。それから人間釈尊が悟った真理が、もう一人の釈尊ですね。そのもう一人の法の釈尊は目に見えない。目に見えないけれども、私は死んでも常に霊鷲山、霊鷲山は釈尊がよく説法されたところで、今でもお住まいの跡が残っております。だからいつもこの霊鷲山におるんだと。姿はないけれども、此処におるんだと。そうして此処に、住してというのは止まる意味なんですが、此処に留まって、今説法をしているんだ。これは『阿弥陀経』の中にも、今、阿弥陀仏が法を説いているとあるのと同じになりますね。
 
金光:  そうですね。その辺のところは、現代の人ほど、むしろ何百年前の過去で、生まれたのは何時で、亡くなったのは何時で、なんというのは、何とかこう調べようというような、ある一点を確定したいという気持が、科学的な考えの中には非常に強いようですけれども、昔の人はお釈迦様の肉体は亡くなられても、此処に説法しているんだという日本の昔の人もちゃんと歌に詠っていらっしゃるようですね。
 
松原:  何と言いますか、ものの考え方が非常に柔軟で弾力があったんでしょうね。理屈だけでは見えない。
 
金光:  先程も紹介して頂いた『梁塵秘抄』の中の今のところを歌われた『法華経壽量品』ですね。それを『梁塵秘抄』の中に、日本語の詩として、
 
     沙羅林(さらりん)に立つ煙
     上(のぼ)ると見しは虚目(そらめ)なり
     釈迦は常に在(ましま)して
     霊鷲山にて法(のり)ぞ説く
       (梁塵秘抄・巻二・一二九)
 
松原:  この『梁塵秘抄』というのは、平安末期に出来ました後白河法王が編集されたものですね。ところが、この書がその後存在が分からなくなっていたのですが、明治時代にその一部分が発見されたのですが、その中に、『法文(ほうもん)歌(か)』の篇があります。お経を易しい今様の七五調の、七五七五で、四句で終わっております。当時天台のお坊さんあたりが翻訳されたのでしょうが、一般の庶民達がこの法文歌いながら、都大路を歩いたと言うのですから、仏教への関心は今よりも多いと思いますね。
 
金光:  前の二行は人間釈尊が亡くなられたところを歌っているわけですね。「沙羅林に立つ煙、上ると見しは虚目なり」。で、後ろの方が法を説いていらっしゃるということなんですね。
 
松原:  「壽量品」のところでありますが、「沙羅林」は沙羅の林の木です。この沙羅の木は釈迦族を象徴する木なんだそうです。釈尊が亡くなる時もやっぱり沙羅林です。ご承知のように沙羅の林の中で亡くなる。亡くなってから火葬にした。時間がそこが省略していますけれども、亡くなってから火葬にして、煙が上がって、そしてお釈迦様はあの煙と共に空に消えてしまったんだと誰も見るが、それは「虚目」と。今使いませんけれど、「空耳」というのはよく言います。
 
金光:  よく言いますね。
 
松原:  聞こえないものが聞こえてくるような一つの錯覚、それを目にもってくればいいと思うんですけれども、煙が上った。釈尊はあそこでもう全部空(くう)になってしまったのだというのは、それは虚目で、間違った見方であると。で釈尊は亡くなる時におっしゃった通り、姿、形は無くなっても、釈迦はまさにここにいる。霊鷲山で、ここでいま説法をしているんだという真実のこころ。よく読み上げていると思いますね。
 
金光:  やっぱりお経の文句だけだと、唱え難いのが、こういうふうに今様になっていると、日常でも口ずさむことが出来るということでございましょうね。
 
松原:  ご詠歌とか、和讃とかが、やっぱり多くの人達に親しまれますし、親鸞聖人もたくさんご和讃をお作りになった。あのご和讃が何より多くの信者達に、字が読めなくても、リズミカルですから、暗記し易いですよね。だからむしろ字を知らなくて、暗記をすることによって、かえって妙な理屈にとらわれずに、お釈迦様や阿弥陀さまに直結することが出来るでしょう。それが『法文歌』と言われるところでしょうね。
 
金光:  やっぱりその辺の消息は、しかし人によって、言葉もガラッと変えて道歌だとか、歌の形にしていらっしゃる方がちょいちょいいらっしゃるようですが、有名なのを書いて頂いている。これはよく聞く歌でございますが、
 
松原:  読んで下さい。
 
金光:  一休さんの歌だと言われている、伝一休和尚ですね。
 
     いま死んだ どこへも行かぬ ここに居る
       尋ねはするな ものは言わぬぞ
これは亡くなられる前に作っていらっしゃるわけですね。
 
松原:  伝としてございますように、一休さんの作品の中には、この歌はないんですね。
 
金光:  ああ、そうですか。
 
松原:  ですから、おそらく後の人が一休さんの心を踏まえて、詠んだんだと思うのですが、一休さんでもやっぱりこんな歌をお詠みになるんだろうと思うんです。
 
金光:     いま死んだ どこへも行かぬ ここに居る
          尋ねはするな ものは言わぬぞ
この「常在霊鷲山(じょうざいりょうじゅせん)」(常に霊鷲山に在す)と言いますか、同じことでございますね。肉体の方はちゃんとここにいるんだと。この前は肉体もいるんだけれども、もう一つは肉体だけではなくて、法(のり)、生かしてくれている法(のり)は、現に存在しているんだ、働いているんだよという。しかし尋ねてもものは言わないようになっているけれども、法を説いているんだよという、そういう先程からの『法華経壽量品』なんかの意味を含んでいる歌だというふうに考えて宜しいんでしょうね。
 
松原:  いまさっきお話が出ておりました、やはり、「今」で受け止めているところが、この歌の大事な点ですね。五十年前にじゃない。それからどこにでもなくて、「今、ここ」ですね。サイパンで死んだとか、どこそこで交通事故で死んだではなく、「今、ここ」なんですね。それを押さえて頂くと、この一休さんの伝としておきますけれども、身近に親しいお方を亡くされたお方を、一休さんの歌を何遍も読んで頂きますと、お釈迦様という、遠いところへもっていかずに、亡くなったお父さんでも、お母さんでも家族のもので亡くなった時にこの歌を思い出すと、非常に慰められますね。どっかへ行ってしまわれたんだとか、いやお仏壇の上だとか、お墓の下だとか、そういう場所を限定せずに、どこへも行かぬ此処におる。この此処におる。これは第一ヒントで申し上げれば、お互いの胸を想定してもいいでしょう。もう少し深めてまいりますと、此処ということは、自分の足元です ね。その足元ということが転じられていくと、自分の心になってくるわけですね。自分の中に求めよと。遠く求めてはいけない。真理も遠いところへ求めてはいけない。自分の中に求めなさい。真理は、法はうちにあるんだということが、大乗仏教の一番大事なところですね。
 
金光:  成る程。
 
松原:  そこまで説き及ぼして、尋ねはするなものは言わぬぞ。ありのままに、さっきのように物が上から下に落ちる。その事柄がそのまま引力を示しているんだ。だから引力は何かと問われたら、上からものを落っことせば、一番いい説明になるでしょうね。目に見えない法、真理が、目に見える物に現れている。だから単なる物とか、現象や自然ではなくて、それが真理の象徴的な存在だという意味になってくるわけです。
 
金光:  ここにおるという此処、自分というものが此処にいま生きているということを、非常に大事にすると、日常生活の一見常識的な損得から見ると、損だと思えるようなことでも、いま心に自分が何をすべきかという立場から見ると、損に思いても片づけないと気が済まない。そういうような事柄も気付いてくるようですね。その気付きのところ、やっぱり自分の肉体だけに拘っておると、なかなかそうは言えないわけですが、ここにご紹介頂いたのは、高村光太郎さんのこういう詩があるんですね。
 
     たらちねの
     母は死ねども
     死にまさず
     そこにも居るよ
     かしこにもおるよ
       (高村光太郎)
 
やっぱり先程の、「どこにも行かぬ、ここにおる」というのを、「たらちねの 母は死ぬども 死にまさず そこにも居るよ かしこにもおるよ」という形で、高村光太郎さんは表現なさっていらっしゃるということでございましょうか。
 
松原:  この詩はどなたにもよく分かると思いますね。お母さんは死んだんだけれども、私なんかは母をとっくに亡くしましたけれども、やっぱり私と一緒にいてくれるという感じの親近感を掘り下げていきますと、そのまま法に繋がるんで、いきなり難しいところを言ってもダメですけれども、こういう身近な、いや、むしろこのお母さんが生きていらっしゃる時は、故郷なら故郷という、場所が限られていますよね。新潟が故郷だとすれば、新潟へ行かなければお母さんも、東京にはいらっしゃらない。姿、形のあるお母さんはいらっしゃる場所は決まっている。でも姿、形がなくなると、どこにもおる。自分が泣いている時は、お母さんが泣いている時だと。自分が喜んでいる時はお母さんが喜んでいる時だと。だからここにもおるよ、かしこにもおるよ。この高村光太郎さんの詩と、それから岡本太郎さんがやっぱりお母さんのかの子さんを思って、ロンドンでしたか、お母さんが亡くなったのを聞いて、何故お母さんは死んだんだと、走りまくりながら、
 
     母は我がうちに生きつつあれば悲しからず
 
ということを、お父さんのところへ電報を打っているんです。お母さんは自分の心の中に生きて居るんだから、少しも淋しいことはないというところから、永遠というもの、形が無くなった時に、法が見えるんじゃなくて、見えてくる。感じられてくる。これは知識ではないわけです。
 
金光:  そうですね。今日、ご用意頂いているちょっと詩訳があるようにも思いますけれども、その繋がった世界、これは窪田空穂(くぼたうつぼ)(一八七七ー一九六七)さんの、
 
     程もなく移りゆくべき家と見つ
       障子の破(や)れをつくろひにけり
          (窪田空穂「鏡葉」)
 
松原:  この歌は、私は印象が深くて、早稲田大学を卒業する時に、どの教授の最後の授業は極めて時間が短くて、どの先生も、「お前達、世の中に出たとき」という、一つの人生観を教えて下さいました。窪田先生も、「今日は君達が卒業する餞(はなむけ)に」とおっしゃって、黒板にこの歌を書いて下さいました。窪田先生は、それまでは借家住まいをしていらっしゃったのですが、今お住まいの目白の新宅にお移りになる時、その借家には、二度と住むことはないけれども、障子が破れているところを切り張りをしたんだ。そこで終業のベルが鳴って、先生の教えが切れたんですけれども、私共若かったから、これは引っ越しをする時のエチケットだぐらいに考えておったんですね。二度と来ないんだからと言って、掃除もせずに出て行ってはいけないぞと。ちゃんと今日まで雨露を凌がせて下さったんだから、綺麗にして、障子の破れも直していけ。ところがこれもやっぱりこちらがだんだん歳を取って、感受性が豊かになって来ますと、法というものは永遠に流れているんだけれども、さっきからのお話の通り、今ということが大事なんで、その今をどのように生きていくかということによって、その法が自分の身に現れて来ますね。だから障子の破れは同時に、私達の心の破れ、償いというところにまで深読みをしていきますと、自分の中に、この法が生きているということがよく分かられると思うんです。
 
金光:  ということは、永遠の中に、永遠と言うか、そういうところに生きている現実を見ると、障子が破れているところを直すのが、永遠をどう生きるかと、具体化ということになるわけですね。
 
松原:  そうなんです。法の上では何かと言えば、よく、「一大事」と言いますけれども、一大事は今此処なんです。今此処をどう生きるかによって、法に触れることが出来るかどうかということになってきます。
 
金光:  ここに種田山頭火(たねださんとうか)の句がありますが、
 
     いつ死ぬる 木(こ)の実(み)は播(ま)いておく
これももう死んだ先のことは知らないと言うんではなくて、「いつ死ぬる木の実は播いておく」という同じような消息と思って宜しいんでしょうか。
 
松原:  永遠の心の中に、いま自分は何をすべきことなのかと。自分の力で生きるのではなく、生かされて生きているのだから、何かそこに、後に残しておこうと。今、 ふと思い出しましたが、与謝野晶子(よさのあきこ)さんにも、
 
     劫初(ごうしょ)より作りいとなむ殿堂に
        われもこがねの釘一つ
 
それと同じようなこと。
 
金光:  その辺のところを、禅の場合は坐というところで押さえるわけですね。
 
松原:  はい。これは「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」と言いますね。「行」は歩く、「住」は止まる、「坐」は坐る、「臥」は横になるんですね。その中で、一番中心になるのがこの坐になるわけです。坐は坐禅でありますけれども、この字が示しますように、土の上に人が二人坐っているわけです。
 
金光:  そこのところで自分の姿を知る。それがダルマを知るということにもなるというお話と伺いました。どうも有り難うございました。
 
 
     これは、平成十年六月七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。