しあわせな生と死ー在宅ケアの立場からー
 
                             医 師 内 藤  いづみ
昭和31年 山梨県六郷町生まれ。昭和56年福島県立医科大学卒業。三井記念病院内科で研修後、昭和58年東京京女子医科大学呼吸器内科などに勤務後、昭和61年英国グラスゴー市プリンス・オブ・ウェールズ・ホスピスで研修を受ける。平成7年甲府市内にふじ内科クリニックを開業。在宅ケアを実施している。平成10年日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大学の大会会長を務める。著書に「ホスピス最後の輝きのために」など。
                             ききて 金 光  寿 郎
 
金光:  雪を頂く富士の姿を南に見晴るかす山梨県甲府市。私が訪れた三月中旬は、まだ桜の季節に少し早い時期でしたが、雨上がりの街に、麗らかな春の光が燦々(さんさん)と注ぐ長閑(のどか)な日でした。私がお訪ねしたのは、市内で内科の診療所を開いている内藤いづみさんです。内藤さんが、小さなビルの二階に診療所を開設したのは、平成七年のことでした。内藤さんは大学で医学を学び、病院に勤務した後、ご主人のイギリス転勤の機会に、ガンの末期患者の世話をするホスピスでボランティアとして働き、入院せずに在宅のままで患者を診ている在宅ケアのあり方に目を開かれました。現在はその体験を活かして、この診療所での医療の傍(かたわ)ら、在宅ケアの実践にもあたっています。内藤さんは現在、「日本ホスピス在宅ケア研究会」の常任理事で、全国大会の会長を務めるなど、活発な活動を続けています。午前中は診療、午後は在宅患者のケアというお忙しい合間にお話を伺いました。
 

 
金光:  内藤先生は、医大を出られてインターンがあります。それでやっぱり病院で勤務なさっていると、全員治られる方ばかりではなくて、だんだん病状が悪くなって亡くなられる方にも立ち会うような時がおありだったんじゃないかと思いますけれども、そういう中で、現在のお仕事をなさっていく上で、「ああいう方を看取ったから、今の方向へ来たのかなあ」と思われるような患者さんがお出ででないでしょうか。
 
内藤:  そうですね。私は、医者になって、漸く二十年位なんですね。私が医者になりたての修行時代はまだまだガンの告知ということが、特に、内科ではあまりされていなかったんですね。かなり臨床的に症例の多い病院で研修しましたので、「さようなら」と言って、帰って、それで治ってしまう方は本当に嬉しかったんですね。でも、その方々が再発して、病院にお帰りになった時に、看護の看護婦さんも、医者としても、告知を通り越していない方に対して、大変苦しみや悩みがつのりました。
 
金光:  やっぱり、二度目だと、どう言おうか。一度目は退院されても、二度目だとなかなか退院し難(にく)いということがあるでしょうから。
 
内藤:  そうですね。やっぱりある時に患者さん方が、「ああ、もう何を言っても無駄だ」というような時がきます。
 
金光:  だんだん分かるわけですね。
 
内藤:  そうですね。
 
金光:  いろんな治療をされても、よくならないと、
 
内藤:  信頼関係が持てなくなっていきます。看護の方も、医者の方も、患者さんと本当の会話が出来ないということの苦痛を大変感じました。でも当時、社会的にみなさんが、「告知をまだどうしようか」という風潮になっていませんので、「ああ、こうしなければいけないのか」ということが、随分辛いなあという感じがありました。「ガンという病気が治らない」ということを、本人がご存じでないと、やはり、今のように、「お家に帰りたい」とかという選択も出来ませんので、私達医療者に囲まれた臨終ということが、当時、ほとんどだったように思います。
 
金光:  そういうところに立ち会われると、何となく心に重いものが残る、と言いますか、何かさっぱりしない、という感じが、
 
内藤:  「さっぱり」というよりは、この患者さんが、最後取り囲まれたいのは器械なんだろうか、私達なんだろうか。一番最後の場面で手を取り、囲んで一緒にいたい相手は、私達ではないのではー。家族は臨終の場は、病院だと外に出されることが多いんですよね。ですから、そういうことがとっても解けきれない問題で修行時代に起こりました。
 
金光:  そういうケースがだんだん溜まってくると、この方にはそういう器械だとか、管(くだ)だけじゃないところで、というふうに、何とかして上げようというお考えは、
 
内藤:  そうですね。大学病院でちょっと働く時期があったんです。大学病院は新しい治療を求めていらっしゃる患者さんも多いですし、最新の治療をなさる場所なんです。そこで若い女性に巡り会いまして、二十六歳で若いんですね。ただもう病状的にはいわゆる「末期」と言ってもいいだろうという。末期という方は余命が私達から見て、三ヶ月から六ヶ月位かなあ、という患者なんですね。二十六歳の才能溢れる女性で、やはり辛いですよね。ご両親も何とか助かる道は無いだろうかと。そういう段階でその女性と私が心を通じることがありまして、私は彼女に、「どうしたいか」ということを聞いてしまったんですね。「これからどうしたい」という。それはある意味で告知はしていませんけど、「あなたの病状を考えた時に、何を一番したいか」ということを聞いたんですね。そうしましたら、彼女が、「出来たら一度家に帰れれば嬉しいなあ」という話をしてくれたんですね。ただ、その時も、当時は今のように在宅ケアなんか、全くない時代で、大きな病院から往診もございませんでした。私は何をして良いかということは、皆目見当が付かなかったんですが、いわば、若気の至りで、よくご両親と話し合って、「一度彼女の望みを果たして上げることはどうでしょうか」と言いました。そうしましたら、最終的には、「一旦、家に帰ろうか」ということになったんですね。しかし、重症ですから、胸に水が溜まって、管が入っている。そういう子の退院のタイミングが難しいですよね。そこをキャッチして、そうしてお家に帰れたんです。で、結果的には最後までずっとお家に安らかに苦しみなく居られたんですね。
 
金光:  それはやっぱり管なんかは付けたままで、
 
内藤:  管は付けずに、
 
金光:  付けずにですか。
 
内藤:  はい。食べられなくなったら、ちょっと点滴を、私がボランティアで往診してするというようなことをしました。そうしましたら、彼女が自分の居るところが居間なんですよ。居間で隣がキッチンで、ダイニングがあって、そういうところに彼女が寝たり起きたりしているんです。そうしますと、玄関を開けて、高校生の妹が、「ただいま!」と帰って来ると、一番最初に来るのが居間ですよね。お母さんの台所の音とか、というのを聞きながら、
 
金光:  病院とは大違いですよね。
 
内藤:  大違いですね。それでずっと結果的に病院に戻らずに済みまして、お母さんの腕の中で安らかに。若気の至りで、そういうことに関わって、ご家族に後悔がなかっただろうか、ということを、勿論思いましたけれども。今も変わらずご家族とお付き合いをさせて頂いたりしています。それで、「残念だったけど、幸せな一生だった」というふうに、ご家族も今言って下さいますので、それは大きな体験でした。
 
金光:  そういうご経験をなさった後で、ご結婚になって、ご主人がイギリスに転勤になられて、内藤先生も一緒に、
 
内藤:  はい。結婚と同時位ですね。
 
金光:  向こうへいらっしゃって、それでホスピス(hospice:末期ガンの重症の患者を援助する場所。延命医術よりはいのちの質のために全人的な支えを提供する。イギリスでは在宅・入院とも可能)との関係はそこで、どういう形で始められたんですか。
 
内藤:  そうですね。その若い女の子は東京でした。東京の往診というのは大変ですね。私も当時、結婚しておらず家庭が無かったので、二十四時間、何時(いつ)でも呼ばれても応えるというようなことが多分出来たと思うんですが、一人でやるということの限界を考えました。実は、患者の病気だけを見るんじゃなくて、患者さんと、それを囲む家族の不安に応えることだ、ということを痛感したんですね。一人じゃ難しいなあ、と思っていたんですね。それで、機会があって、イギリスへ住むようになりました。イギリスというのは、「ガンになって治らない段階になった方を支える運動」が起きた本家ですね。「ホスピス」というものがあるわけです。医者で日本の臨床で、ガンの方を診た者にとって、ホスピスというのは、何かちょっと開かずの扉みたいな感じがする。末期の方を一人看ていただけでも大変ですね。沢山いらっしゃるそんな場所って、何だろう。大変私にとって実は恐怖があったんですね。バリアがあった、と言うか。でも、折角、その本家へ来たんだから一度見学しよう、ということで行きました。ホスピスが各地にあるんです。そこの院長にお願いしまして、
 
金光:  いらっしゃったのが、一九八六年でしたか。
 
内藤:  はい。
 
金光:  そうしますと、十三年程前。で、その頃イギリスのお出掛けになったホスピスは完全にスムーズに動いているというか、どういうところでしたか。
 
内藤:  そうですね。かなりホスピス運動が盛んになっておりましたけど、私がお訪ねしたホスピスは、丁度出発するところだったんです。
 
金光:  そうですか。
 
内藤:  それで、デイ ケア(day care:施設に入居していない在宅患者のための昼間のケ ア)と言われるようなものが出て、ボランティアの教育をして、そしてお医者さんも、かなりボランティアで関わって、患者さんがいらしているというようなところで、開発の途中のホスピスに巡り会いましたので、
 
金光:  丁度、いい処へいらっしゃったわけですね。
 
内藤:  院長先生が女性だったんです。で、「どうぞ」ということで、面接にパスしまして、本当に非常勤で、給与出さないけど、みたいな形で、本当に細く長く、
 
金光:  中へそのまますうっと入(はい)れて、
 
内藤:  そうですね。かなりオープンな形で入らせて頂いた、
 
金光:  週に何回か、という感じで、
 
内藤:  そうですね。患者さんとも顔見知りになったり、看護婦さんと顔見知りになったり、という中で。だから、そのホスピスが形作られていくところを、同時進行で見させて頂いた。その時は勿論そこにはベッドもないわけです。だから、デイ ケアだけがまず始まりました。
 
金光:  成る程。自宅から通ってくるわけですね。
 
内藤:  通って来る、またはこちらから往診する。スペシャリスト ナースがいるというような。
 
金光:  一人だった先生からご覧になると、どういう方がいらっしゃったんですか。
 
内藤:  そうですね。ホスピスは先ずお医者さんいますね。看護婦さんもデイ ケアの担当者がいますね。通院する方の責任者の看護婦さんが居て、またその方とは別に往診する看護婦さんが何人か地域毎にいる。そこにはマクミラン ナースという人達がいました。その人達はスペシャリストで、末期の人を往診出来る知識と実力のある方々がいる。その外枠を保護する人達が、ボランティアでひかえ目でありながら明るい人達がいる。あと宗教家の方もホスピスにいらっしゃいますし、あと、ドクターもいろんな方がボランティアで、常勤以外に、
 
金光:  内科だけじゃなくて、いろんな専門の方が、
 
内藤:  神経科とか、心療内科、外科とか、
 
金光:  同じガンでも、場所によって専門が違うということですね。
 
内藤:  はい。そういう方たちがいる。そしてイギリスはまたそれとは別に、ホーム ドクター(home doctor)が各地にいる。その連携の取り方とか、総合病院との連携の取り方というのも見させて頂いた。私もイギリスのシチズンシップ(citizenship:市民権)を取って、住ませて頂いた六年間は、半分イギリスに同化させて貰いながら、住み方を、それから暮らし方というのを。イギリスでたまたま赤ちゃんも生みましたので、イギリス市民として誕生の部分、それから生活する部分、それから命の終わる部分というのを学びました。
 
金光:  ホスピスに顔を出していらっしゃりながら、ご自分で赤ちゃんをお生みになって、その子育て、と言いますか、それも体験なさった。
 
内藤:  しながら。それで自分が生活する人として。最後の部分だけがスポットライトを浴びるだけでは良くはならない。それは命として、全部、最初から最後までを考える社会でなければいけない。だから、ホスピスが流行語になったりですね、そこの部分だけを良くしようとしても無理だ、というのが、何となく実感として分かりました。
 
金光:  それは言葉を変えて言うと、その患者さんが生まれてから、どういう経歴で、どういう生き方をして、現在に至っていらっしゃるか、というところまでを、全部踏まえた上での患者さんとの対応と言いますか、そういうことになるわけですね。
 
内藤:  それと、「社会が命をどう見ているか」という。「社会としての命の教育がどうか」というのに関わっているのではないかなあ、という気がします。
 
金光:  それは、例えば、日本の病院なんかでご経験なさったことと、イギリスの社会が、そういう末期の患者さんをご覧になる目とか姿勢、なんか大きな違いみたいなものをお感じになったことはございますか。
 
内藤:  そうですね。やっぱり、死ぬということは、私達は誰も経験していないことですから、恐怖ですよね。恐怖ですけれど、どうも病院の中で、私達が死を覆い隠しながら、死はある意味で治療する側としては敗北ですよね。その中で、恐怖心が募ったり、告知していない為に不安感が募ったり、ということで、患者さんを見た後で、イギリスのホスピスの患者さんを拝見すると、そこに患者としてではなく、なんかほんとに生活する人として、安心感が強いと感じました。
 
金光:  生活の場所になっているということ、
 
内藤:  その為にボランティアも勿論必要ですし、看護婦さんもお医者さんも 白衣を着ていませんから、なんか緊張しないで。その前に、その方が、「自立した人間として、こうしたい」という、意志が必要じゃないかなと思います。
 
金光:  成る程。
 
内藤:  頼って、「何とかしてくれ」というのではなくて、「自分はこう生きたい。だから、それを援助してくれ」という、そういう姿勢がないと。全て、「なんかどっかに縋れば助けてくれるんじゃないか」とか、そういうところも、時によってはちょっと違うかなあ、という感じがしますね。
 
金光:  そういう意味では、殊に、治療がうまくいかなくて、だんだん病気が進行してくるというような時には、患者さん自身の生き方、と言いますか、さっっき、「自立」という言葉をお使いになりましたけれども、自分がこういう姿勢で生きるんだ、というのが、日頃はっきりしている方と、そうでない方と随分違いますでしょうね。
 
内藤:  そうですね。「どうしたいのか」ということが、ある方は強いですね。
 
金光:  自分はこれからは、「こういう姿勢で生きるんだ」「こういうことで生きるんだ」というのが、ハッキリしている方と、お医者さんにお任せして、「宜しく」だけとは随分違ってくるんでしょうね。
 
内藤:  そうですね。今、カルテ開示なんかも問題になっています。そして、これからカルテ開示の時代になると思うんです。そういう前に情報を開示するということは、大変いいことだと思うんです。それをした上で、今後、患者さん方に求められるものが、かなり強いと思うんですね。ですから、もし自分たちが情報を貰うと、今度、自分たちが、「何をするか」という意志と責任が、ハッキリ求められると思います。
 
金光:  いろんなことが分かれば分かるほど、知る人の方もしっかりしていないと、どうしていいか分からないということも出て来るでしょうからね。
 
内藤:  ガンの場合は、ある段階から治らない場合がでてくる。治らないということは大変辛いことですね。治らないという、そういうところから、初めて、これからの「命の質」と言いますか、英語では、QOL(Quolity of Life)という流行語になっていますけど、それに関しては、やはり私は本人が選ぶことが大切だと思います。
 
金光:  それはそうでしょう。
 
内藤:  ところが、今は、QOLに関わるところも、家族が陰で選んでくれたり、ということになりますね。兎に角、「命が限られた」と言った時点では、ご本人が選ぶということが、基本的に一番大事かなあ、と思います。そうしないと、どの道を選んでも、必ず後悔は出るんですね、看取った家族にはね。
 
金光:  その通りですね。
 
内藤:  その時に、ご本人が選んだ、ということが、一番大事だと思いますね。難しいですけどね。
 
金光:  そういう意味では、しかし、単なる末期の患者さんを、どういうふうにすれば、という「治療の仕方、how to という、如何にすべきか」ということと、プラス、やっぱり日頃から、「自分はこういう姿勢で、今はこう生きるんだ」というのが、ハッキリするような訓練と言いますか、トレーニングを積んでいないと、いざという、そういう状況になった時、やっぱり慌てるでしょうね。
 
内藤:  勿論、狼狽(うろた)えますですよね。ですから、イギリスでの体験は、かなり私にとってもいろんなカルチャー ショック(culture shock)でした。日本人が居ないところで住んでいたんですね。ですから、自分にとっての、日本人としての原点も振り返えさせられました。でも、イギリスの人達からいろんなことを、六年の間教わったなあというふうに思います。
 
金光:  そうですか。イギリスでボランティアの方たちに接触されたり、そのホスピスでいろんなことを勉強なさったと思うんですが、例えば、私達、ガンになった時に、一番心配なのは痛み、ガンの末期というのは、「痛い」というようなことを見たり、聞いたりしているわけですけれども、その痛みについてはどういうふうになさっているでしょうか。
 
内藤:  そうですね。私がまだイギリスに行く前も、ホスピスケアが十年前位から始まっていましたので、ガンの人の痛みを、どうしたら取れるかということは、勿論ある程度分かっていたわけです。でも、なかなかそれが上手くいかなかったんです。
 
金光:  ということは、具体的に、もう人によって身体が違ったり、体質が違ったり、
 
内藤:  モルヒネというお薬を注射ではなくて、口から飲む。その当時はシロップというのがあったんですね。今は錠剤がありますけれど。そのシロップを飲んで頂くと、痛みが消える、と。ある程度痛みは消える方が出たんですけど、どうもそれが本当に、本でイギリスの先生が書いているように、「スッキリと痛みが取れて、普通の生活を送れますよ」という、そういう感じが、私も患者さんも持てない。どうしてだろう、ということがあったんですね。それで、そうやって、イギリスのホスピスで非常勤で研修させて下さる、ということで、患者さんをみました。通院というような週に一回とか二回。そうしますと、あの人達はほんとにホスピスの患者さんなのかしら、というような方が、ボランティアと混じって、トランプとか、ゲームをしている。どの人が患者だろう、という感じなんですね。
 
金光:  そうですか。
 
内藤:  「あの方は、今、モルヒネを、一日三回こうやって飲んでいますよ」というような話が出てくるわけですね。そうすると、なにか私達が今まで病院で使っていたやり方と、何が違うんだろう、ということがありました。どうも十分な話し合いの元に、本人が納得して薬を飲むということが一番大事だと思いました。自分はガンであると。ガンだけれども、痛みを取るということが一番大事です。そういうことを、本人が納得する。「この薬はきちんと飲むことが必要です。人によっては飲む量が違います。あなたの量は今のところこうです。それを飲みましょう。ちゃんと一日二回とか、三回飲みましょう」という了解がきちんと出来て、「副作用はこれがありますよ。百パーセント便秘が出ます。だから、下剤を飲みましょう」とか。「最初飲み始め、目眩とか、吐き気があります、多分ね。三分の一位の人におきます。その予防の薬を飲みましょう」とか、そういう納得がいっているから、安心してご本人も飲む。その痛みが取れることが、きちんと出来て来る、ということが、大変違うと思いました。それと、そうやって痛みがない状態で過ごしますと、先ず食べれますね。消化器ガンでない場合は。そして眠れます。ホスピスへたまに来て、楽しいことをする。そういうことをしている方に一週間前に会うとします。次の週に私が行きますと、来ないわけですね。「あれ、スミスさん、どうしたんですか」と聞くと、「ああ、内藤先生、二日前にお家で亡くなったのよ」なんて。「ああ、そうですか」。
 
金光:  一週間前に来ていた方が、
 
内藤:  非常に驚いたんですね。ウソじゃないかって。だって、在宅の訪問している看護婦さんに、お話をミーティングで聞くと、「実は、先週、ジョンソンさんという人に会って、来たんですよ」。「その時、どうだったんですか」と聞くと、「スペインへ旅行に行って」、末期の患者さんですよ、「丁度、帰って来たばっかりだ」と。「そうして、家で紅茶を」、紅茶好きですから、イギリス人の庭で飲みますね。鳥が鳴いて、「ああ、幸せだなあ。スペインもいいけど、家もいいね」と言う話をして、看護婦さんが体をチェックして、痛みもないことを確認して帰って来ますね。そうすると、電話が鳴って急変のしらせ。「実は、あの後、ガクッとなって、翌日亡くなった」とか。それは一体何だろう、と。とっても私は分からなかったんですね。日本の病院で延命治療が、当時はかなりありましたので、何か本当に点滴に繋がれて、亡くなる方を沢山見ていましたので、そういう人生の、ガンがあっても、終わる方というのが、想像付かなかったんですね。四、五年、そこで研修する間に、ああ、そういうこと出来るんだなあ、ということが、身に沁みて分かりました。
 
金光:  もう一つですね、モルヒネという言葉を聞いて、気になるのは、「モルヒネを飲むと依存症になる」「中毒になる」という話よく聞きますけど、その点はどうなんでございますか。
 
内藤:  これはいろんな国で、モルヒネがいま一つ十分に医学的に使われない一つの原因なんですけれども、モルヒネに対する偏見が幾つかあるんです。特に、「精神的依存」という麻薬中毒。これは実は殆ど問題になりません。何故なるか、というのは、健康な人が飲んだ場合は、麻薬中毒になるんです。でも、ガンの人で、痛んだ人に使う場合は、その副作用は出ないんです。ということが、もう薬理的にもだんだん解明されつつあります。
 
金光:  では、安心して飲んでいいわけですね。ガンになりたくないけれども、
 
内藤:  もう一つの偏見は薬が効かなくなって、量が増えるんじゃないか、と。だから、痛み止めは皆さん飲みたくないでしょう。しかし、それもまた一つ間違った考え方で、何故薬が増えるかというのは、薬で増えた耐性と言うんですけど、そうじゃないですね。ガンが実は大きくなった。そうすると、病巣が大きくなる。痛みも大きくなるということが一番大きな原因だと思います。
 
金光:  痛みが大きくなると、やっぱり飲む量が多くなる。
 
内藤:  量を増やす。「これはあなたにとって大事なことです」ということを理解して頂くということが必要ですね。
 
金光:  それで痛みが大きくなるに連れて、それに適用した量を飲んでいると、痛みがまた消えるわけですか。
 
内藤:  ないです。ただ、覚えておいて頂きたいのは、患者での教育プログラムに必要なんですけれど、痛みが消えると、私達は「消えた」といって、薬を止めちゃいますね。止めちゃいけないのです。何故ならば、元は治っていない。あるんですね、残念ながら。だから、元があるから、痛みが消えた量を、痛みが来る前にきちんと定期的に飲む、ということを、本当に詳しく納得して頂く。
 
金光:  何か日本で育つと、自然のままが一番いいので、薬というのは出来るだけ飲まないのが一番良いんではないか、というような思いが、どっかあるんですけれども、
 
内藤:  特に、痛み止めは身体に悪いと考える人が多くいます。だから、その人のこれからの人生にとって、特に、ガンの方の痛みというのは壮絶な痛みになるということが多いんですね。
 
金光:  そのガンの末期は痛いというのが染み付いている。
 
内藤:  そうなんですね。「その為に痛みを消すということが一番大事です。だから、この薬は大変大切な薬です」ということを、よくお話しますけど、一旦、一度ほんとに痛い思いを体験されて、モルヒネで痛みが取れた方というのは、本当に徹底して、本当に拝んで飲む、と言うか、もう神様がくれた薬じゃないか、と。向こうの先生方はモルヒネを、「God owns medicine」と。「神様が所有している薬」という方もいるくらい、本当に地獄の苦しみを味わった人にとっては、大切なお薬になりますね。依存はありませんし、精神的にボウッとしたりとか、変なことになるということはありません。
 
金光:  そうですか。
 
内藤:  これは適用の量をきちんと飲む限り大丈夫です。
 
金光:  そうですか。おそらくイギリスでも、「あなたはガンですよ」と告知を受けた方は、やっぱり精神的に、心の痛み、と言いますか、やっぱりそれまでの生活が、もうこれで終わりだとか、いろんなことをお考えになると思うんですが、そういう心の動揺に対しては、内藤先生のいらっしゃったホスピスでは、どういう形で対応なさっていたんでしょうか。
 
内藤:  そうですね。チームで、ということが基本ですね。チームということはいろんな方がいる。勿論、スペシャリスト ナースは精神的なケアをする、というトレーニングも受けておりますけど、もし、それでも難しいという場合には、精神科の先生に関わって貰ったり、あと、悩みがどこから来るか。例えば、家族への心配とか、財産をどうしようかとか、残す子供をどうしようか、とかという場合には、ソーシャル ワーカー(social worker)に入って貰うとか、いろんな方に、
 
金光:  それはそうですね。その人その人で、悩みの原因がそれぞれ違うでしょうから。そういうのは、チームの中の一番適している人が対応なさるということですね。
 
内藤:  そうですね。やっぱり精神科の先生に助言を頂くとか、ということも、勿論必要になってくる場合もありますし、国によっては、臨床心理士という方がベッドサイドでお話を聞くこともございますね。チャプレン(chaplain)と言われている、ホスピスにはそこ所属の牧師さんですね、宗教と言ってもいろいろございますね。文化が沢山イギリスは入っておりますので、宗教で差別をしないと。どんな宗教家でも、その人の望む方をお呼びするということは、勿論可能になっています。
 
金光:  そういう人がいらっしゃらないと、幾ら痛みが取れて、家族の心配も無くなったにしても、自分が後、期間が限られたところで亡くなってしまう、と。やっぱり死ということに対する恐怖だとか、死んでからどうなるんだろうか、とか、なんかそういう宗教的なそういう意味での悩みみたいなものを持つ方も、当然いると思うんですが、そういう方は今おっしゃったように、チャプレンのような方が対応なさるんですか。
 
内藤:  ということもありますし、自分が今まで関わってきた宗教家ですね。でも、やっぱり自分が元気だったり、生活していた時に、関わりのあった宗教家がそこにも来て頂くというのが、やっぱり一番いいことですね。
 
金光:  いろんな患者さんをご覧になっていると思いますけれども、殊に、死という問題になると、これは正直言って、臨死体験はあるにしても、死んで帰った方いらっしゃらないものですから、果たして、「この方が言う通りなのかしら」と疑いを始めたら、これは大変だろうと思うんですが、その辺は日頃の先生方やそういう宗教家との付き合いの中に培われた安心感みたいなものが、大事になるということなんでしょうか。
 
内藤:  生きている人への関わりを日常的にして下さる宗教家が、もしお付き合いしていたら、それは大変その人にとっては有り難いことじゃないですかね。つまり、死んでからどうかじゃなくて、今生きている。「いま生きている、ということは、どういうことか」ということを日頃、問いかけて下さる人。
 
金光:  そうですね。そこと同じところですからね。
 
内藤:  そうですね。私は、「死も生の一部だろう」というふうに思いますから。そうすると、より良き死ということは、より良き今の生き方。だから、本当にガンになって治らないという人は、体験しなければ分からないことが沢山あるわけですけれど、そうやってギリギリまで、その人らしく痛みなくくらしていける道がある。ただ、それはやっぱり私がイギリスで、そういう患者さんを見たということが、とても強いと思います。モルヒネを飲みながら、そうやって普通の生活が出来た、ということを見たから、かなり説得出来るんです。そういうことを見なければ、モルヒネは本当に最後に苦しんだ末、いろんなことを言われて、打たれる薬だ、見たいに思っている一般の方も多いと思うんですね。そうじゃない。その人が一日一日を大切に生きる為に、そういうことも一つの方法だということが、自信もって今少し伝えられるようになって嬉しいなあ、というふうに思います。だから、そういうことが分かって良かったなあ、と思います。
 
金光:  そういうふうに、六年間イギリスのホスピスで研修、勉強なさって、一九九一年に日本にお帰りになさった。それからどうなさったんですか。
 
内藤:  それで、リハビリテーションを中心とする病院に内科医として務めました。私がカルチャーショックを受けて、学んで来たことを新聞に連載しました。
 
金光:  「ホスピスはこうですよ」と。「ガンの末期の方もこういうふうな生活が出来るんですよ」というようなことを、
 
内藤:  はい。そうしますと、ホスピスということは、まだ今ほど表に出ていない時代でして、まだ、「高級なホステスさん?」という、そういう時代だったんです。それでかなり反響もございまして、講演活動も始めたりしたんです。先程、お話したような、「ガンの人が痛むことはないんだ」と。「今の研究では、スペシャリスト チームが関われば、九十パーセントは痛みから解放されますよ」という話を、私があちこちでしたんですね。そうしましたら、一番それに、ハッと思っていらっしゃる方は、患者さんなんです。ガン告知を受けている方です。告知を受けている方が、私の務めている病院にボツボツ訪ねて来られる。勇気がいったと思うんですが、いらっしゃった。そういう方々は私にとって思い出深い患者さんになりましたけども。
 
金光:  訪ねて来られるという方は、告知を受けていらっしゃるけれども、まだ身体は自由に歩けるし、痛みもそう大したことはないという方が見えるわけですか。
 
内藤:  そうです。入院生活の間でいろいろお考えになったり、見たり聞いたりして、どうしたら良いかということを悩んでいる方で、
 
金光:  それでどうなさったんですか。
 
内藤:  そういう方が外来に見えまして、この真ん中に寝ている方がそうなんですけど、四十歳の時にガンになったんです。
 
金光:  この男性の方が、
 
内藤:  告知を受けて、「どうしようか」ということで、ご家 族もありますし、若いので、かなり手術をなさったり、治療を続けたんですね。その中で、一番入院生活で、自分が、「これは困るなあ」と思ったことがあったそうです。ガンになった、ということは一応諦めた。そして、人間いつか死ぬんだから、ガンで死ぬということもある程度覚悟は出来た。一番困るのは、「痛むのは困る」と。かなり痛んだ人を見たらしいんですね。その方は私の講演を聞いて、非常にホッとして、次の日、私の外来へいらっしゃって、「今は大丈夫だけど、痛みが万が一出たら、内藤先生宜しく頼む」ということを言われたんですね。その約束というのは、かなり重大な約束で、イギリスのように、ホスピスがあって、スペシャリスト チームがいて、コンサルト出来る上司がいて、という状況じゃありませんので、私もこれは責任の重い約束だなあ、と思ったんですけれど、「最善尽くします」ということで、お約束をしました。そして、やはり半年位経ちましたら、痛みが出て来たんです。その時に、私がこの方と約束したのは、「正直に言って下さい」ということと、「こちらもあなたの知りたいことをお伝えするけれども、あなたも痛んだら、ウソを付かずに私に言って下さいね」と。というのは、患者さんはウソを付くのが慣れてしまっているんです。というか、気を使うというか、「痛い痛い」と言って、厭な患者だと思われたくないとか、面倒な患者だとか、そういう心理も患者さんにはある。お医者さんには、特に、偉い先生にはあまり皆さん緊張なさって言えないこともあるんですね。「申し訳ない」とか。「私は偉い先生でもないし、大丈夫だから、必ず言って下さい」ということを申し上げました。そうしたら、この方がある日、「痛くて眠れない」と言ったんです。
 
金光:  ほう。もうその時、入院なさっていたんですか。
 
内藤:  いえ。外来で。「痛くて眠れない」と。「深夜放送を聞いている。苦しいから」。「じゃ、これまでいろいろ一緒にお勉強してきましたから、痛みを取ることを始めましょう」ということで、段階的に、三、四日かけまして、モルヒネの量を調整しまして、この方は四日目に全く痛みが消えました。それは口から飲む錠剤です。かなり理解力がある方なので、「大丈夫です」ということで、きちんと腹薬が出来て、一週後には毎日ゴルフに行くようになった。
 
金光:  ええ。ゴルフに行ける。痛みが無くなって、
 
内藤:  兄弟は、「お前、本当にその病気なのか」「内藤先生の見立ては誤診じゃないか」というくらいお元気で、毎日ゴルフに行かれて、家族と旅行したり、そういうことをなさいました。でも、病気を消しているわけじゃないんですね。痛みを消しているだけだ、ということを、やっぱりどっかで私達が理解していないと。患者さんの希望を消すことは勿論必要ないんですけれど、そういうことがあるということを、どっかで覚悟しておくことが必要なんです。
 
金光:  やっぱり痛みがなくなると、もう普通の状態になった、と錯覚しないにしても、なんとなく、
 
内藤:  まあ思いたいですね。ご家族には、「痛みは消しています」と。「ただ、病気はある」ということをお伝えします。ご家族と一緒に過ごして、幸せな半年をお暮らしになったんです。そうしたら、ある時転移が来まして、病院で少し治療しなければ、いろんな症状を消せないような状態になりました。この日は十二月十四日で、誕生日だったんですね。最後の誕生日だろう、ということが、私達には分かりまして、仲間を集めて、エレクトーンで歌を弾いてくれる人や、山梨ですから、ワインを用意してケーキで、ここでお誕生会を小さいながらやったんですね。ご本人が一番ワインを空けられて、お代わりをなさったりしました。この一週間後にお亡くなりになりました。
 
金光:  そうですか。こちらの写真は、
 
内藤:  こちらの写真は、この方の奥様なんですね。そうやって、私達とお付き合いが今も続いているんです。細く長く。自然発生的に、「家族の会」というのがいま出来そうで、「野原の会」という名前にしたんです。その司会をして下さっているところなんです。この方のご挨拶に、「主人は四十三歳で亡くなって、非常に残念です。残念だけども、主人は幸せな一生でした」ということを言って下さって、大変私達にもプレゼントになりました。この方が病床で、毎日奥さんに、「僕幸せだ」と言い続けたんです。「痛まなくて幸せだ」と。それも大きなプレゼントでした。
 
金光:  痛いと、一番恐ろしいですからね。
 
内藤:  家族のことを考えられなくなる。痛みがすべてになってしまう、ということですね。思い出深いです。
 
金光:  この時、病院にお務めになっていらしゃったわけですね。
 
内藤:  はい。そういうふうに病院で診てあげることが、何年か続いたんですね。そうしましたら、イギリスで学んだことが思い出してきて、イギリスでは家で亡くなられる方もいた。じゃ、どうして日本ではしないんだろう、ということで、思い切ってやってみよう、ということで、大掛かりなことはいらないから、家に行って診て上げることが出来ないだろうか、そういうことを始める為に、この小さな診療所を開きました。
 
金光:  病院に務めていたら、なかなか病院の体制もあるし、そうは出来ないから、じゃ、もう独立して、そういう在宅の患者さんを診られるような形でやってみようと、
 
内藤:  可能かどうか試したかったのです。
 
金光:  それで何年前に出発なさったんですか。
 
内藤:  これで丸四年経った、ということですね。 
 
金光:  そうやって、四年間の間にはいろんな末期の方のお世話もなさったわけですね。
 
内藤:  そうですね。
 
金光:  イギリスでご覧になった、或いは、日本にお帰りになって、頭の中でお考えになったのと、同じような形での対応、と言いますか、それはいっているでしょうか。
 
内藤:  そうですね。いろんな方がいらっしゃいますけれども、この方は八十三歳位だった、と思いますけれども、この方も勿論ガンだったんですね。最初、高齢を理由に、息子さん達は、「告知をやめよう」と思っていたんですね。「可哀想だ」と。「言わないで、家で見たい」と。そうしましたら、本人が納得出来ない部分がだんだん出てきて、不安になっちゃったんですね。「もし、ガンでないんだったら、何で入院して治さないんだ」ということで、結果的には、告知を致しまして、「育ちの遅いガンだ」と。いろんな情報をきちんと伝えまして、「どうしますか」と言ったら、ご本人が、「家に居たい」と。「出来るなら、最後まで居たい」「その為にいろいろ助けてくれ」ということになりまして、それでボツボツと、私達もお家へ伺って、結局半年、「痛い」ということを一度も言わずにすごされました。
 
金光:  この写真なんか、非常にお元気そうですね。
 
内藤:  お元気そうでしょう。で、これが半年後の写真で、ちょっとお痩せになりましたね。半年経ちましてね。この隣りにいるのが、目の中に入れても痛くないたった一人の孫なんです。この六歳の孫がずっとおじいちゃんと一緒に居られて、実はこの写真の後、「ちょっと疲れた」と言って、お休みになって、十六時間位昏睡状態で、お亡くなりになった。だから、亡くなる前の日の写真です。このお写真を、私の講演で、スライドで使うことをご家族は許可して下さった。お見せすると、聞いて下さる方から、「ああ、いいなあ」という声が出ます。自分も、もしガンだったら、こうなりたいと。
 
金光:  ほんとに明るいですね。
 
内藤:  ですから、この孫はおじいちゃんの生き方と死に方を、生活の中で見させて貰って、本当に幸福じゃないですかね。
 
金光:  お孫さんにとっても、死の苦しみなんか無くて、過ごされると、死の恐怖みたいなものは感じることがなくて済んでいますね。
 
内藤:  そうですね。やはり、恐いという感じはなかったんじゃないかと思います。その十何時間、みんなで取り囲んで、おじいちゃんの好きな歌を歌ったり、写真を見たり、思い出を語ったり、という、そこの時間が非常に大事な思い出になりますね。いろんな方がいっらっしゃいますが、この方は見渡す限りの田圃をお持ちの方です。山梨の米処で、美味しい米を作る。その仕事をずっとやってきたんです。それで、病気になられて、痛みが出て、暫く寝た切りだったんですよ。その時に、私達が関わって、つい、私も、「痛み取れたら、何したいですか」と聞いちゃったんですね。「何したいですか」と聞くことは、生きている意味を問われることですよね。皆さんもそうだと思うんです。この方は、「もし痛みが取れたら田圃へ行きたい」と言ったんです。それが多分この方の生きていることの大切な目的。で、「行けるといいですね」と言いました。お口から呑むことが一番いいです、モルヒネは。それが吐き気があるとか、いろんな理由で出来なかった場合は、こうやって小さな使い捨ての器械を使って、血管ではなくて、皮下脂肪の処へ痛くない針を入れて、モルヒネがこの中に入っています。この場合は五日間分調合して入っておりますので、少しずつ浸みていくんです。
 
金光:  自動的に入る、
 
内藤:  自動的に。今これが厚生省の方でも在宅でしていい、という正式な許可がおりました。やっぱりそういうことが日本中で少しずつ広がっているんですね。この方はこれを付けましてね。
 
金光:  これが胸に付いている写真なんですね。
 
内藤:  はい。ポケットへ入れて、ずうっと稲刈りまで出来たんです。十一月の末にお亡くなりになりましたけども。いや、本当に家族も最初はそういう状態を受け入れることがむずかしかったと思います。
 
金光:  それは難しいでしょうね。
 
内藤:  でも、だんだん時間かけて、納得していく。時間をかけて納得していく、ということが必要です。そういう時間を私達に与えられるということが必要です。あまり短時間ですと、難しいと思いますね。実はこの方は昨日お亡くなりになったんです。
 
金光:  え!、あ、そうですか。
 
内藤:  だから、私には思い出がまだ生々しくて辛いんです。八十三歳ですかね。のどのあたりの病気ですね。ご本人が今まで病院にかかったことがないんです、ご健康で。それで病院はどうしても好きでない。ちょっと入院して頂いたんですけど、ご家族も、ご本人も、「やっぱりお家で」ということを決心されて、私達もかかわりました。苦しみがないように、何とか過ごされた。この写真は、お孫さん、曾孫さんが日曜日いっぱい来るんです。こうやっておじいちゃんを取り囲んで。これは亡くなる多分三週間位前だったと思いますね。次は亡くなる二週間前です。
金光:  ホースで水を撒いている。
 
内藤:  園芸がお上手な方で、庭の様子が気になるんですね。ちょっと暖かくなって、庭に行って、お花に水をやって。これは、お孫さんが全部お写真を撮ってくれたんです。十日前ですね。チューリップを植え替えた。自分が亡き後、咲くということをご存知なんです。
 
金光:  もう自分は居なくなる。でも、チューリップは咲く。
 
内藤:  だから、三月末にチューリップが咲いた時は、みんな日曜日、親族一同集まって、「おじいちゃんが植えたチューリップだなあ」というふうに、お話して下さるのかなあ、と思いますけどもね。
 
金光:  そうですか。でも、ほんとに最後までそうやって、自分の好きな園芸とか、そういう仕事をなさって亡くなられた、ということですね。
 
内藤:  そうですね。それで年齢というのは関係ないと思うんです。だから、どういう年齢の方にもきちんとお聞きするということが必要で、「どうしたいんですか」ということを、必ずお尋ねするようにしています。
 
金光:  でも、そういう為には、事実をお互いにしっかり把握していないと、隠していたりしていると、そうはいかないわけですね。
 
内藤:  そうですね。それで家族と信頼関係が出てから、私達が学んだことをお伝えします。それで、何をお伝えするか、というと、アメリカでホスピスの沢山の方を看取った看護婦さんが書いた本があるんですね。その本を読んだら、まるで自分達が書いたんじゃないか、というような、同じ体験がいっぱい書いてあったんですね。それは『最後の瞬間の言葉』という本なんです。最後に近くなって、死ぬ方がどういう体験をするか、と。臨死体験とも少し似ている臨死意識というのが出て来るんです。
 
金光:  そうらしいですね。
 
内藤:  それは期間が短い人もいますし、かなり前に経験する方もいるんです。そういう方の話をします。そうすると、今まで会いたかった人、でも、死んで居ない方です。それが、「見える」と言ったり、「どっかへ行きたい」と言ったりする。そういう時に、「否定しないで受け入れてあげて下さいね」ということを家族に伝えますね。それを言わないと、家族はびっくりして恐い。この家族も大体そういうことを理解して下さいまして、よく頑張ったと思います。
 
金光:  今までは割に男性の方が多かったんですが、女性の方の患者も当然いらっしゃるわけでしょう。
 
内藤:  そうですね。女性と男性といろいろ場合によっては、いろんな精神的な表現力が違うこともあります。この方は私のところへ、お嬢さんが先に相談に見えられて、「お母さんの今後のことについて一緒に考えて頂きたい」ということで、「治らないという段階になった」ということを、お母さんに告げる時が一番辛かった、とおっしゃっています。ガンということは知っていますけど。「もうこれ以上治療を重ねても、どうも病気の方が勝ちそうだ」ということを、告げる時はやっぱり一番辛かったそうなんですね。私達もかかわりまして、それを娘さんが言った時、お母さんはキリスト教の信仰のおありになるしっかりした方だったので、「ああ、そう。じゃ、もうね、病気の治療はいいわ」とおっしゃって、「そうすれば、副作用に苦しむ時間を、書く時間にかけられるから」と、自分が書道の先生で、大作をお作りになったんです。彼女は二百枚大作を書いたんです。もう麻痺して、だんだん辛い。二百枚から二枚お選びになって、一枚を出展して、一枚を私に下さった。達筆で読めないんですが。その書は本当に大事に取ってあるんです。そういうことをなさって、最後の日々をお嬢さんの献身的な看護で過ごされましたね。「こんなに楽に暮らせるのなら、早く選べば良かった」ということを、ご本人が私達におっしゃって下さいました。三、四ヶ月お家にいらっしゃることが出来まして、一緒にこうやって写真を撮らせて頂いた。この時はモルヒネを使って痛みを取っています。ご自宅でお亡くなりになりました。お葬式って、お亡くなりになって直ぐじゃないですか。私達はお葬式にはあまり出席しないんですね。いろんなご親戚も集まりますので。少し経ってからは、お詣りにいくということをしているんです。しかし、どうしても、ということで、この方の場合はお葬式に出させて頂いて、私が弔辞を読んでいるとこなんです。でも、ほんとにまいりました。今までこうやって生きていくということについて、一緒に過ごした方が、お骨になっているんですね。一緒にこうやって頑張っていた家族が、遺族になって立っているわけですね。胸がいっぱいになっちゃって、四百字の弔辞が読めないんです。もう二度としない、というふうに心に決めたんですけど。その時に、このお花が素晴らしい、綺麗なお花で、私はその娘さんに、「本当にお母さんらしい素敵ないいお花だったわねえ」と言ったら、「それも母の遺言なんです。お花代をケチるな、と言われました」と。そういうユーモアのある遺言を残せるような日々を過ごされましてね。ほんとにすばらしい患者さんと巡り合わせて頂きました。
 
金光:  そういうふうにいろんなご家族と接触なさっていらっしゃる。しかも、末期の患者さんのご家族とお付き合いになっていらっしゃって、ご家族の方や患者さんに対する対応の仕方を、こういうふうになさって良かったなあとか、こういうふうでなければ良かったなあとか、いろいろお気付きになったことがおありだと思うんです。家族の方としては、もう亡くなることが分かっている人に対して、どういうふうな対応の仕方、と言いますか、どういうことをすればいいんでしょうか。
 
内藤:  先ず、ご本人も初めての体験をなさっているわけですね。
 
金光:  それはそうですね。
 
内藤:  家族も初めてですから、自分達が想像も付かないようなことが起きる可能性もありますね。ですから、そういうことを受け入れることが一番大切です。私達がこの頃何人か見て感じることは、アメリカで書かれた本にも共通して、全く同じことが日本でも起きているなあ、という感じがあるんです。死に逝く患者さん達に、臨死意識というのが出て来る。それは期間が人によって違う。それは一番顕著なのは、死が近くなると、もう死んでいる筈の人に、「会った」ということを言い出すことが多いんです。その時に、家族が、「そんなバカなことないよ。あの人、もう死んじゃってるじゃないか」と言ってしまいますと、本人はもうそれ以上言わなくなります。そういう時に、どうも言いそうな感じがするなと、私達が予感がしたら、早めに家族に言っておくんですね。「こういうことがあるかも知れないけど、驚かないで。それもよくあることなのよ。ですから、その時は、「ああ、そう」と聞いてあげて。「こういう体験をした」と言ったら、「それは、どういう体験な の」と聞いてあげて、それを全部メモしてあげて。そうすると、何だか後で考えると、メッセージになっていることがありますよ」ということをお話します。そういうことが多いですね。
 
金光:  でも、そういう場合もあるし、それから患者さんに気を使うあまり、あんまり腫れ物に触るみたいに、喋ることも躊躇(ためら)ったり、いろいろ余計思い過ごしみたいなこともあるんじゃないかと思いますが、その辺のところ、と言って、事実をグサッと言っても具合が悪いでしょうし、その辺はどういうふうにすれば宜しいでしょうかね。
 
内藤:  つまり、「あんたのいうことは全部私達が聞いてあげますよ」と。否定しない。相手の言うことを、という姿勢が一番大事です。ただ、それを焦っちゃうとダメなんですね。家族がね。だから、そういう為に、「私達に相談して下さい」とか、「怯(おび)えないで下さい」とか、「パニックにならないで、刻々、私達になんか不安があったら相談下さい」と。そうすると、私達の体験の中からアドバイス出来ることも多数あると思います。
 
金光:  そういう患者さんの場合も初めての体験だとおっしゃいましたけれども、そういう段階がお薬によって、だんだん消えていく。そうすると、まあ自然の普通の生活が出来るようになるというようなお話として、ずうっと伺って来たんですが。そうしますと、病気というのも、やっぱり、たとえ、だんだんと死に近付くというような状況になっても、やっぱりその方の人間全体の中のある一部分という視点を外すとおかしなことになるわけですね。
 
内藤:  そうですね。その病気というものに、その人も家族も支配される。医療者も病気、臓器というものに目が行って、患者さんというのは、いろんな流れで、この世に生まれてきた、というか、まあ一つの小宇宙ですよね。そういう意識がないと、その病気というものに、全てが支配されて、それで終わってしまう、ということが、どうも起こりやすいかなあと。ですから、そういう意味でも、その方のことをよく理解してくれる医療者と巡り会ったり、それを支えてくれる、その人の人生をほんとに分かってくれる人達に巡り会うということが、一番幸せなことです。何でも我が儘を聞くという意味ではなくて、その人の人生の意味が何か、ということが、やっぱり問い直される。それがもしやりたいことであったら、みんなで協力してあげる。浮かんできたいろんなあれやりたい、これやりたい、ということではなくて、その人の生きている意味、英語では、MOL(Meaning of Life)というふうに言われておりますけど、それを聞く耳がみんなにあるかと。それを言い辛い人もいるでしょうし、
 
金光:  それはそうですね。
 
内藤:  それが改めて問われるということかなあと思います。
 
金光:  やっぱりそこのところで、自分の生きている意味を見直す。それによって見直した生き方が出来る人は幸せですね。
 
内藤:  そうですね。だから、ほんとにそういう意味では、生きている私達もそういう方たちに関わる過程で、自分にとっての人生の意味は何か、と。
 
金光:  当然直ぐ返ってきますね。自分自身に、
 
内藤:  でも、人間というのは忘れやすいですからね。ほんとにダメなんですけれど。そういうふうに教えて頂いています。患者さん方には、死というのが、私は宗教家でないから立ち入った話はあまり出来ないんですけど、死ぬということは「地平線の向こうに行っちゃった」と。「そうすると、地平線の向こうの方はよく分からないけど、でもひょっとしたらね・・・」というようなお話までする場合もあります。
 
金光:  成る程。死に直面した人達をずうっと見ていると、やっぱり生きている生というものの意味。それからその死というものと、全然別なものでなくて、生と死が繋がっているところで、常にそこのところをご覧になっていらしゃるわけですから、
 
内藤:  そこがぶっちり切れた断絶ではなくて、こう繋がっていくものの一部。で、多分、亡くなった後、私達はまた大きなものの中に入っていくのかも知れないですね。また、それが次の世代に繋がっていく。それが臓器移植で「命のリレー」ということを、新聞で見た時に、勿論、それも大切な命のリレーなんですけれど、そうじゃない大きな世界、宇宙の中での命のリレーということを、もうちょっと伝えたり、先程、お見せした患者さん方のように、孫に見せたり、伝えること、というのが、大切なもう一つの命のリレーかなあというふうに、この頃切に感じます。
 
金光:  お話を伺っていますと、私なんかも日頃死ということが、つい忘れて、いつまでも生きているつもりで、うろうろしているわけですけれども、やっぱり現在の自分の生き方というものを、死という立場からもう一度見直して見ると、また、新しい意味が見つかるのかも知れないのかなあと思いながら、お話を聞かせて頂きました。どうも有り難うございました。
 
 
     これは、平成十一年四月二十五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。