開拓伝道で学んだこと
 
                         福岡女学院大学教授 斎 藤  剛 毅(ごうき)
昭和11年東京生まれ。昭和35年国際基督教大学卒。昭和38年西南学院大学神学部神学専攻科卒。昭和49年サザン・バプテスト神学大学院(米国)博士課程修了。昭和38年明石市開拓伝道に従事し、41年受按。49年福岡長住バプテスト教会牧師、西南学院大学神学部講師、62年ジョージタウン大学客員教授、平成2年福岡女学院大学文学部教授。著書に「神と人とに誠と愛を」「バプテスト教会の起源と問題」ほか。
                         き き て     金 光  寿 郎
 
金光:  兵庫県明石市、梅雨の晴れ間の太陽に照らされて、明石海峡大橋が遠く霞(かす)んで見えます。海を見下ろす丘の上の住宅街に明石バプテスト・キリスト教会が建っています。西南学院大学の神学部を卒業した斎藤剛毅さんは昭和三十八年教会堂も無いこの地に赴任して六年間、開拓伝道から教会設立へと苦労を重ねました。その後、この地を離れて、アメリカに留学し、現在は福岡女学院大学で教鞭をとっている斎藤さんに、明石までお越し頂き、お話を伺いました。
 

 
金光:  斎藤先生が東朝霧丘(ひがしあさぎりがおか)へいらっしゃったのは何年前位でございますか。
 
斎藤:  丁度、私が西南学院大学の神学部を卒業しまして、妻と一緒に一九六三年の三月、
 
金光:  というと、三十数年前、
 
斎藤:  はい。三十六年位前になります。
 
金光:  その頃はこの辺りは今みたいに住宅地だったんですか。
 
斎藤:  いえ。住宅地ではありませんでした。
 
金光:  そうですか。
 
斎藤:  疎(まば)らに家がポツンポツンと建っている程度でございまして、私はその時はまだこの土地は全然知らず、明石城の近くの上の丸という場所におりました。
 
金光:  教会なんか無くて、
 
斎藤:  ええ。
 
金光:  教会が出来たのはその時から何年後ですか。
 
斎藤:  その時から二年後位になります。
 
金光:  場所はこの場所で、
 
斎藤:  ええ。市の分譲の土地でございまして、比較的安い場所でしたから、この高台の眺めの良い場所が手に入りまして。しかし、ちょっと高い場所でしたから、お年寄りの方とか、或いは赤ちゃんをおんぶした方などは、ちょっと大変でしたけれども、今は車の時代ですから。
 
金光:  教会が出来るまで、いろいろご苦労もあったと思いますので、そのお話をあちらへ行って、向こうで聞かして頂きたいと思います。
 

 
金光:  私がこれまで開拓伝道のお話を伺った方は、クリスチャン・ホーム、牧師さんの子供さんとか、クリスチャンの方のご出身の方が多いんですけれども、斎藤先生もクリスチャン・ホームの方のご出身でございますか。
 
斎藤:  クリスチャン・ホームであることには違いないんですけれども、両親が東京に出て参りまして、八人の子供がおりましたので、殆ど教会にいく機会がなくて、私と弟は東京で生まれたんですけれども、殆ど教会へ行くチャンスなしに育ったという背景があります。
 
金光:  牧師とか、宣教師の道を選ぼうと、子供の頃から考えていたということではないわけですね。
 
斎藤:  全くそういうことではございません。
 
金光:  という方が、何故開拓伝道をなさるような道を進まれたんでございますか。
 
斎藤:  私は実は高校に進学致しましてから、東京の有名大学の法学部に入って、外交官試験を受けて、将来、外交官として世界の舞台で活躍したいというのが、私の夢でございました。それはある意味で私の大きな志、大志(たいし)、悪い意味で言えば、野心であるかも知れませんけれども。しかし、私が高校二年生になりましてから、いろいろな病気を患(わずら)いまして、私の夢がだんだんと崩れていったんですね。その時に、両親はキリスト教信仰の感化を受けていたわけですけれども、実際、私はそういう影響があまりなく育った者ですから、私の人生観としましては、「人間は偶然に生まれ偶然に死ぬ」。私の夢が崩れた時に、果たして生きていく意味がどこにあるんだろうか、と。
 
金光:  「夢が崩れた」というのは、病気をなさって、志望校に行けなくなった、という感じなんですか。
 
斎藤:  ええ。そうなんです。
 
金光:  となると、外交官の道はもう閉ざされた、と。
 
斎藤:  そういうことなんですね。
 
金光:  さて、どうしようか、という、
 
斎藤:  そうです。自分の夢がかなり強かったものですから、その夢が砕かれた時、やはり私は死ということを考え始めたんです。
 
金光:  もう生きていてもしょうがない、と。
 
斎藤:  そうなんです。人生長く生きても短く生きても、偶然に生まれて偶然に死ぬのならば、所詮、無の中に入っていく虚無的な人生ならば、死ということも選ぶ権利はあるだろう、と。自分なりに勝手に思いましたね。
 
金光:  長生きしたってしようがない、と。
 
斎藤:  そうなんですね。そして自殺を考え始めました時に、たまたまウイリアム・シェークスピア(William Shakespeare:イギリスの劇作家・詩人)の書きました『ハムレット』がありますね。そのハムレット王子が父親が亡くなって、そして母親が叔父(おじ)さんと懇(ねんご)ろになっている姿を見て、大変悩んで、あの有名な「To be or not to be that is question」がありますね。本当に生きるか死ぬか、ということで、彼が悩んでいた時に、父親の亡霊が現れて、そして、何と驚くことに、父親はハムレットに語るには、「自分は昼寝の最中にハムレットの叔父さんに耳に毒薬を入れられて殺された。そして自分の妻が自分を殺したお前の叔父貴と懇ろになっていることは赦せない。どうか叔父に復讐をして平安を与えよ」という言葉を残して去っていく。あの父親の亡霊が恐ろしい形相で現れて消えていくんですね。私は初めてその時に、「もしかしたら、自殺して死んだ後も、人間の霊魂というものは、霊界で苦悩砂漠の中に生き続けるんじゃないか」という、
 
金光:  そのハムレットのそのシーンが頭の中に浮かんできたということなんですね。
 
斎藤:  ええ。実際に自殺をしようとした時に、「自分の前にパッと現れた」と、そう言った方がいいと思います。
 
金光:  無じゃないわけですね。
 
斎藤:  はい。それで私は初めて、「あ、このままでは死ねない」と思ったんですね。「もしハムレット王子の父親のように死んだ後に、苦悩の中に彷徨(さまよ)い続ける死後の霊界があるならば、これは平安の死後の世界をハッキリ確心するまでは死ねない」と思いました。初めて親の読んでおりました聖書を手に取って、私は教会に行ったんです。そこで初めて私の人生観が百八十度転回するという、コペルニクス的な転回体験を致しました。具体的にどういうことか、と申しますと、私は驚いたことに、神などは積極的には肯定していなくて、信じているとは言えなかったわけですね。ところが教会に参りますと、「天地を創造なさった神がおられて、しかも人格的な方で、「父」という名前をもっている方が、私たち人間を愛して、一人一人の人間がこの世に生まれてくる時に、使命と宿題を与えて、この世に送り出す」というような話を聞いたんですね。
 
金光:  偶然に生まれて、死んでいって無になるのと、全然違う世界ですね。
 
斎藤:  全然違うんですね。それで、私は「神の愛」ということの教えの中で、私自身の生きている意味を見い出しまして、洗礼、バプテスマを受けました。それは高校三年生の九月五日のことでございましたけれども。そして信仰に入りましてから、私は「何が私の人生における使命なのか」「神さまから与えられている宿題は何なのか」ということを祈り求め出したんです。そしてずっと祈り求めて、翌年の一月の末に、たまたま夕礼拝に集(つど)っておりました時に、前のベンチに、「アメリカの宣教師、スタンレー・ジョーンズ博士、日本に来たる。伊豆の天城山荘でアシュラム(退修会)という大集会があるので来たれ」というチラシを目にしたんです。受験前のことですから、行ける筈がないんですけれども、
 
金光:  高校の三年の一月と言うと、大変な時ですね。
 
斎藤:  ええ。本当ならば必死に受験勉強に専念しなければならない時なんですけれども、たまたまそのチラシが妙に私を惹き付けまして、親の反対を押し切るようにして、私は参加致しました。そこで出会ったのがスタンレー・ジョーンズ博士なんです。スタンレー・ジョーンズ先生は本当に「祈りの人」と言うんでしょうか、「神の霊に満たされている人」という感じでしたですね。スタンレー・ジョーンズ先生はこうおっしゃられるんです。「人間の自我が砕かれなければならない。その為には、この煩悩、罪を宿したままの人間の自我が、神さまの前に平伏(ひれふ)して、サレンダー(surrender)と言いますか、服従して、いっそのこと自分の全て醜い自己中心的な自己も含めて、神に委(ゆだ)ねてみよ。そうすると、神さまがその自我を清めて帰して下さる」。こういう非常に具体的な教えだったんですね。私はそれならば、「そのような方法によって、自分の自我というものを砕いて頂いて、神さまに清めて頂きたい」という思いがあったんですね。
 
金光:  非常にヒンズー教、仏教的なアシュラムの生き方みたいなものを、キリスト教の伝道の場でちゃんと消化して教えて下さった、という感じですね。何かピッタリきた、と。
 
斎藤:  そうです。
 
金光:  じゃ、それで宣教の道を歩こうと繋がったわけですか。
 
斎藤:  そうなんです。具体的にはスタンレー・ジョーンズ先生の言葉を通してなんですけれども、「日本には伝道者が少ない。若い伝道者が立ち上がれ」というんですね。具体的には、私が座っていた方を向けて、指をさして話されたんです。これは大変と思って、翌日は次の場所に座ったら、今度はこちらに向けて指をさされて、「これは何か特別に神さまが私に語りかけておられるんじゃないか」ということで、私は悩み苦しみながら、決心へと導かれていったんです。
 
金光:  それから西南学院の神学部へ行かれたということになるわけですか。
 
斎藤:  そうなんです。その前に、大学受験前にアシュラムに行くような男ですから、大学に失敗しまして、一年浪人して、浪人して悲しくも「肺浸潤(はいしんじゅん)」と言う、結核を患うことが起きました。
 
金光:  浪人の時にまた病気になって、
 
斎藤:  「何故、神さまはそのような患難苦悩を与えられるのか」と、私は謎だったんですけど。それは後(のち)に示される時が参りましたけれども。幸い翌年国際キリスト教大学に入ることが出来たんです。その四年間、私にとっては大変祝福された四年間でした。卒業論文を指導された酒井修(おさむ)先生は原書でキルケゴールの『死に至る病』を指導して下さったんです。その先生は後に京都大学の哲学の教授になられるんですけれども、四年生を終えます時に、「京都大学の大学院に来ないか」という誘いを受けるんですけれども、私は松村牧師の強い奨めがありまして、また経済的理由もあったんですけれども、西南学院大学の神学部に行って、伝道者の道を歩みだしたわけです。
 
金光:  松村牧師という方は、高校の時に顔を出された教会の牧師さんですか。
 
斎藤:  そうです。常盤台バプテスト教会の牧師をなさった方です。西南に行きまして、三年の学びの後、私は兵庫県の明石の此処に、開拓伝道に赴任したわけなんでございます。
 
金光:  しかし、開拓伝道というと、その地域にはこれまでバプテストの信者さんも殆どいらっしゃらない。
 
斎藤:  そうなんです。
 
金光:  そこで布教して、何にもないところからスタートなさるわけでしょう。
 
斎藤:  そうなんですね。
 
金光:  大変でございましょうね。
 
斎藤:  本当に大変でした。今から三十六年近く前のことでございました。これは私にとって過去なんですけれども、私が過去をずっと振り返っていきますと、歴史の流れの中で、喩えで申しますと、いろいろな六年間の兵庫県のこの明石における開拓伝道の思い出がいっぱい詰まっているんですけれども、そのいろいろな出来事の中で、「記憶の中に留まっていくものは何か」ということを静かに分析しますと、不純物などはみんな沈殿していきまして、そして、ある程度透明な液体になっていくんですけれども、その中で不思議にある出来事、ある一つの出会いというものは、いつまでもとどまっておりまして、そこに神の光がスッとあたりますと、ピカッピカッと光って、その光がお互いに関係付けられていく。かつて私が三十六年前に明石に赴任しました時には、とっても見えなかった六年間の出来事が、いま振り返りますと、不思議な関係の中で恵みの光をこう放っている、という。そういう中で私はいろいろな方との出会いの中で、恵みの体験の中で、私の心が豊かにされる。私の心がやはり開拓されていっている。地域の開拓と共に、心が開拓がされていっています。私自身の祈りがだんだんと深められていく、ということが起きています。
 
金光:  全く予備知識も恐らくお持ちでなかった斎藤先生は、どんなことを考えて、どうしようと思って、明石の地を踏まれたんですか。
 
斎藤:  はい。具体的に言いまして、無手勝流、
 
金光:  そうなんですか。行って見なければ分からん、と。
 
斎藤:  そうです。「開拓伝道」と言いますのは、私と共に力を合わせてくれるという人がいない、ということです。敢えて言いますと、妻一人位なんですね。妻は身重の状態ですから、積極的な活動は出来ませんから、私の働きに依存するわけですね。開拓伝道の困難な理由というものを考えますと、第一は教会堂がないということです。
 
金光:  全くないところですから、
 
斎藤:  私自身は先ず会堂が与えられる前、土地が与えられる前は、丁度、明石公園の入り口付近にアパートを借りまして、
 
金光:  普通のアパートなんですか。
 
斎藤:  そうなんです。その二階の玄関に細長い看板を掛けまして、
 
金光:  兎に角、看板を立てて、
 
斎藤:  それで、「明石バプテスト・キリスト伝道所」というように書いているんですけれども、やはりそれを見たってですね、
 
金光:  看板を見ただけじゃ訪ねて下さる方はいらっしゃらない。
 
斎藤:  そうです。ですから、やはり、人はどういう人なんだろうか、ということを警戒心を以て、ある意味の警戒心はある、と思いますね。一種の信頼関係が出来るまではなかなか人は心を開かない。
 
金光:  「此処へ来てくれ」なんと言ったって、それは来ませんでしょうからね。
 
斎藤:  そうです。ある意味で余所(よそ)者なんです。ですから、じっくり観察して、それから話を聞いてみようか、と思いになるのが普通だと思いますね。
 
金光:  待っていただけでは駄目でございましょう。
 
斎藤:  そうです。ですから、私は積極的に訪問する以外ないわけですけれど、しかし、まあ関西の方は大変優しい方たちですから、「行かして頂きます」と言う。
 
金光:  訪問なさると。
 
斎藤:  おっしゃっては下さいますけど、やはりいろんな事情があって、殆どの場合、いらっしゃることがないんです。
 
金光:  待っていても、日曜日にはいらっしゃらない。
 
斎藤:  そうです。私には地方で伝道しておられる先輩の牧師がいらっしゃいますけれども、その方の話などをお聞きしますと、「誰もいらっしゃらないので、毎日曜日、妻一人を相手に語り続けた」という話を、
 
金光:  そういう方がいらっしゃるわけですね。
 
斎藤:  はい。そうなんですね。私もそういうことが私の運命と心得て始めたわけですけれども、幸いに丁度アメリカから三人の方が、一人はキング牧師という方で、一人はグルーバーという音楽伝道者、もう一人はトウルエットさんという建築会社の社長さんなんです。
 
金光:  チームで見えたんですね。
 
斎藤:  チームで見えました。全部自費で。お金も時間も捧げていらっしゃる、という大変奇特な奉仕の精神を持った方たちが明石を訪れたんです。この時にトウルエットさんが、「何とか建築関係の人と会って話したい。出来たらキリストの話を伝えたい」ということで、私はフリーメソジストの内貴八郎右衛門(ないきはちろうえもん)牧師先生をお訪ねしました。この教会で代表執事をしておられた宮氏(みやうじ)さんという方が、兵庫県の住宅公社の理事をしている方で、大変熱心なクリスチャンの方が建築関係の方を紹介して下さいまして、そういうことが可能になったんです。大蔵中学とか明石高校とか、そういうところでの講演会も許されまして、その結果驚いたことに、このアパートにいっぱい若い学生が、
 
金光:  此処が最初の伝道所ということで。
 
斎藤:  はい。アパートでございますね。
 
金光:  その学校なんかいらっしゃったその後で、これだけ見えたわけですか。
 
斎藤:  家主さんがビックリしまして、「これでは天 井が抜けてしまう。此処での集会は困る」ということで、明石市の中心街にあります「汀(なぎさ)会館」というところで、伝道を開始するということが起きたんですね。
 
金光:  でも、これだけ集まって来られた時は嬉しかったでしょう。
 
斎藤:  ええ。それは本当に嬉しかったです。でも悲しいことに、やはりこういう中高時代と言いますのは部活があるんですね。クラブ活動。それで親の反対がありますね。だんだんと遠ざかっていってしまうんです。七人程熱心な中高生が与えられたんですけれども、伝道を開始して、半年近くでみんな去って行きました。一人だけ両親がキリスト教に非常に深い関心を持っておられた方は残ったんです。そういう状態でしたね。
 
金光:  しかしそうなると、先生としては、「自分の教え方が悪いんだろうか、といろいろ悩まれますでしょうね。
 
斎藤:  そうです。私自身本当に。聖書の言葉にもこういう言葉があるんです。ちょっと紹介させて頂きますけれども、「ヨハネによる福音書」の十五章の十六節の言葉なんです。
 
     あなたがたがわたしを選んだのではない。
     わたしがあなたがたを選んだのである。
     そして、あなたがたを立てた。
     それは、あなたがたが行って実を結び
     その実がいつまでも残るためである。
          (「ヨハネによる福音書」十五・十六)
 
これは、私は神さまから選ばれて召命を受けて、明石というところに遣わされたわけです。ところが行って実を結ぶ筈の場所に実が結ばれないという。「その実がいつまでも残るためである」という言葉は実現しないわけです。ということは、私の内面の中で、本当に「自分は伝道者として召されているんだろうか」と。
 
金光:  成る程。
 
斎藤:  「召命を受けているだろうか」という疑念が私の中に起きてきたことは事実なんです。そういう中で、私はたまたま東朝霧丘の明石の分譲の土地が与えられまして、そこで会堂、牧師館を建てるということになったんです。ところが私は全く建築関係においては無知です。そこで、もう一度宮氏さんという、チーム伝道でいらっしゃって下さったトウルエットさんのお世話して下さって、そういう建築関係の方たちに、トウルエットさんがお話されましたね。その時の世話をされたフリーメソジスト教会の執事の宮氏さんが思い浮かんだんです。 
 
金光:  やっぱり建築家の関係の方だから、あの方に相談してみようと、
 
斎藤:  一級建築士でありまして、住宅公社の理事もなさった要職にあった方で、県の何億という予算で建築をなさっていらっしゃる方ですが、その宮氏さんをお訪ね致しますと、宮氏さんはこう腕を組んで、予算を見つめて黙り込んでしまったんです。
 
金光:  「これで建てたい」ということを申し上げたら。ということは足りないわけですか。
 
斎藤:  小さな予算。というのは、会堂、教会堂のための予算は僅か二百万円。牧師館は百二十万円という。ですから、宮氏さんは何億という仕事をしていらっしゃいますから、もし、これに設計・監督料を、一級建築士に頼んで建てて貰ったら、ますますマッチ箱のような小さな教会と牧師館しか建たなくなってしまう。「困った」という顔をされたんですね。でも、私はその時、妻を一緒に連れて行きましたら、何故か宮氏さんは妻を懐かしそうに見つめておられまして、暫くジッと考えていらっしゃって、「分かりました。私が設計・監督料を捧げます」と。「私が全部図面を引きます。いい建築会社を捜して監督します」とおっしゃって下さったんです。これは私にとって驚きでした。この方はフリーメソジストです。私はバプテストですけれども、教派を越えて、このような奉仕の精神と愛情を示して下さる。その愛というものに、私は感激しました。その方は仕事が終わった後に図面を引かれて、そして立派な会堂の図面が出来上がりました。牧師館も図面が出来たんです。いよいよ建築会社ですね。そうしたら、建築会社の社長さんでカトリックの高橋衛(まもる)という方が請け負って下さることになりました。でも、五十万を捧げる、という形になったんです。それでないと建たないわけですね。「宮氏さんが設計・監督料を捧げるならば、自分も捧げます」と言って、二人の献身的なクリスチャンのお陰で、この建物が出来ました。
 
金光:  これが当時の、
 
斎藤:  そうなんです。これは宮氏さんと高橋さんの愛が結晶化したものなんですね。残念ながら、この教会堂は淡路阪神大震災の時に激震の中で崩れて、ヒビが入って、危険建築物ということで崩されてしまったんです。
 
金光:  そうですか。
 
斎藤:  この教会は一昨年新しく建て直したんです。ですから、この写真というのは大変記念すべきものでして、宮氏さんが精魂傾けて、愛と祈りによって建てられた会堂なんですね。
 
金光:  でも、宮氏さんという方が考えて、「捧げましょう」と言われたのは、宗派は違いますし、いくらクリスチャンの方と言っても、そう簡単に、「はい。捧げましょう」と。結構、時間もお金もかかることだと思いますが、奥さんが余程気に入られたわけですね。
 
斎藤:  そういうことじゃないんでして、実は、宮氏さんは妻を見ました時に、実は亡くなった妹さんのことを思い起こして、懐かしい思いで妻を見つめていたんですね。実は戦後まだ食料事情も大変乏しい時に、宮氏さんの妹さんは献身しまして、婦人伝道者として、ホーリネス系伝道者として、岐阜に単身赴任された。またその時に一緒に婦人伝道者が共に参加されたんですけれども。宮氏さんにとっては、「本部からの経済的支援も全くないところで、単身赴任していくというのは、全く無茶な無謀な話ですから、兄として断固反対した」というんです。いくらなんでも、経済的な援助も無しに、岐阜の街で伝道出来る限界がある。でも妹さんは堅い決心をしておられまして、お兄さんの言うことも聞かずに、岐阜の街へ出掛けて行かれたわけです。宮氏さんは、「この俺のいうことを聞かない。けしからん妹だ。本当に勝手にせい」という思いで、宮氏さんは妹さんを経済的支援をしないまま一年が経過したんです。その間、妹さんともう一人の婦人伝道師は大変苦労なさって、栄養状態の大変悪い状態の中で、いろいろと苦労なさった結果、いつの間にか二人とも結核で肺を患ってしまった。微熱や疲労に悩むものですから、それでお医者さんに診断してもらいますと、「よくも生きておられたものだ」というぐらいの悪い状態に達していたわけです。肺はレントゲンで真っ白になっていたわけです。それで自宅に帰って来た時に、宮氏さんが「しまった」と思われたそうですね。自分が「経済援助をしていたら、妹はこんなことにならなかったのに、という、そういう思いにかられた」とおっしゃっていました。
 
金光:  そのことを思い出されて、
 
斎藤:  そうなんです。宮氏さんは妹さんがもう手遅れの状態ですから、どんなに薬を飲みましてもダメですね。半年程療養の結果、お亡くなりになったんです。で、宮氏さんは「妹が幸せな結婚をして欲しかった。そして、もう少し長生きして欲しかった」「でも、こんな状態で死んでいくなんて神様酷いじゃないか」という思いを抱いていたんですね。宮氏さんは死が怖かったそうです。妹がどんな苦痛の中で死んでいくか知らないという思いで不安だったそうです。ところがいよいよ臨終の時が参りました。「牧師先生の祈りを聞き、そして家族、お兄さん達の為に祈って、本当に平和な平和な死を遂げられた」というんですね。その時、宮氏さんは自分の妹にこのような平和な死を与えたのは事実ですね。妹が死をかけて、自分の生涯を捧げた、それに値する方(イエス・キリスト)」というふうに、宮氏さんは、「そこで本当に教えられた」とおっしゃっていました。で、ここで悔い改めまして、宮氏さんもイエス・キリストを信じ、そして献身的に、その後、「妹が本来出来た筈の仕事を自分もしなければならない」という思いで、教会の役員をしながら、本当に奉仕をなさったわけです。宮氏さんがそういう妹さんを喪ったという過去を知らないで、私たちは訪ねて行って、宮氏さんのそういう恩恵にあずかったわけです。私は宮氏さんとの出会いというものは、やはりアメリカからいらっしゃったトウルエットさんの「献身と奉仕」(につながり)、そして、宮氏さんの「献身と奉仕」というものは、私の心を広げました。私は一人のプロの伝道者として当然すべきことをするわけですけれども、信徒の方が世俗的な仕事に従事しながら、しかも、時間と労力、お金を捧げて、そして全く無報酬で奉仕、献身的な働きをするということの中に、私の心は広げられたんです。豊かにされたんです。「こういう生き方があるなあ」ということが分かったんです。でも、こういうことを教えられながらも、いよいよ私の伝道の困難というものは少しも変わらないわけです。礼拝出席と言いましても、精々十人足らずです。でも、私の心の中にやはりある種の、聖書ではサタンという言葉が用いられますが、これは神への敵対者であり、誘惑者であり、そして神との関係を引き裂こうとする、神と人間、人間と人間の間を引き裂こうとする、そういう力、「虚無の力」と言いますか、「暗闇の力」として目には見えないんですけれども、人間の心に囁(ささや)きかけてくる、そういう存在がある、ということを、私はだんだんと感じたんです。
 
金光:  なかなか悟りと言わないにしても、いろんな良いことを、こちらの弱みみたいなものを、お前の思っている通りだぞ、と。
 
斎藤:  そうです。
 
金光:  「お前にそんなことが出来るのか」と。「止めた方がいいではないか」と、そういうのはよく出てきますよね。心の中に、
 
斎藤:  ですから、私に対する声はどういう形で響いてくるか、と言いますと、「お前は牧師、伝道者に向かない」と、先ずズバリくるわけです。
 
金光:  これだけしか集まらないのは向かないからだ、と。
 
斎藤:  そうです。「何よりも神への愛が無いからだ」。また、「人への愛が無いから、人は集まらないのだ」。こういう言い方で私を責めてくるわけです。私の大学時代の友人はみんな海外に出張して、海外で活躍して、それで早くも係長などになっているわけです。私はそういうこの世の名誉、栄達というものを全て捨てたわけですけれども。でも、やはりそこを突いてくるんです。「こんなことをしていていいのか」「精々十七人の小さな幼稚園の園長さんなんていうのは、恥ずかしいと思わないのか」。そして、私はそういう内面的な葛藤はだんだんと酷(ひど)くなりまして、もしかしたら、本当に自分は伝道者として召されているのだろうか、先程、聖書を読まして頂きましたけれども、「神が選んで立てて、そして送り出して下さったにも関わらず、実を結ばない。その実がいつまでも残るはずなのに、なかなか実を結ばない。それで私はやはり牧師として、伝道者として召されていないんではないか」という、その苦悩の中に、私はだんだん沈み込んでいったんです。
 
金光:  向いていない点を捜そうとすると幾らでも思い付きますわね。
 
斎藤:  そうです。
 
金光:  マイナスの方向ばっかりドンドン心が向くと、これは大変ですね。
 
斎藤:  そうです。私は一つの賭をしたんです。それは私の大学時代の恩師でありました高橋三郎先生です。無教会の優れた先生でございますけれども。高橋先生を伝道集会にお呼びして、先生の集会の間に何かが私の心の中に起きることを期待して、もし何も起きなければ、私は残念ながら牧師を辞めようと。
 
金光:  そこまで、
 
斎藤:  そこまでいったんです。で、高橋先生をお呼びしました。一日目、二日目、何も起きないんです。最後の日曜日の晩でした。集会が終わりまして、「主にのみ十字架を負わせまつり」という三百三十一番の教団の讃美歌を唄っておりました時に、これは私にとって、初めての体験だったんですけれども、丁度、大波小波がズッと押し寄せて来るように、圧倒的な神の愛の力が私の心にずっと迫りに迫ったんです。その中で、私の魂に小さな声で囁きかけるように。しかし、力強く、「私はお前を愛している。伝道者として立ち続けよ!」という神の声を聞かせて頂いたんです。もう私は嬉しくて嬉しくて、その時はもう涙がボオッとこみ上げて来ましてね。私はもう直ぐに隣の部屋に駆け込みまして、ワンワンと男泣きに泣いたんですね。いつまで経っても出て来ないものですから、高橋三郎先生は最後の集会を締めくくって下さいましたけれども。でも、その時に私は初めて自由になりました。聖書の中に、「コリント人への手紙」がございますけれども、三章の十七節に、こういう言葉があります。
 
     主は霊である。そして,主の霊のあるところには,自由がある。
          (「コリント人への手紙U」三・十七)
 
という言葉なんです。これは確かなことでございまして、神さまの霊が私に圧倒的に迫り満たされた時、「私は今まで自分が牧師には向いていない。伝道者として召されていないんではないか」とか、自分の欠点弱点をいろいろと数え上げる。その苦悩から自由にされたんです。
 
金光:  それは高橋先生の言葉を聞いて、自分で論理的に考えて、だから、「自分は辞めるべきではない」というような、そんな進み方ではないですね。全然、直接の関係はないにしてもいきなり、アッと教えられたわけですね。
 
斎藤:  私はそれを「恵み」という言葉でしか言いようがないんですね。
 
金光:  いまお話を伺っていると、「恵み」以外の何ものでもないですね。
 
斎藤:  私にはもともと伝道者としての資格はあると思っていませんし、牧師になるということにも、非常に葛藤を覚えた人間ですから、そういう人間がなかなかうまくいかないのは当たり前のことでした。ですから、辞めて当然と思ったわけですけれども、
 
金光:  「自由になった」とおっしゃるのは、そういうことも考える必要がない、と。そういう「お前は向いていない」なんていうことは、考えることがなくなったわけですか。
 
斎藤:  「一つは神さまが尚もこのような私をも伝道者として立てて下さった」という事実の確認ですね。
 
金光:  今まではマイナスの方向ばっかり向いていたのが、「お前でもそのまま進め」と。
 
斎藤:  そうです。それから私は「礼拝出席の数」とか、「人が何人救われるか」とか、そういう数にとらわれていたことからも、自由にされたんです。けっこう伝道者というのは、数に拘(こだわ)ります。
 
金光:  それはそうでしょう。それはやっぱりたくさん来て下さると嬉しいでしょうし、あんまり少ないと、「自分の話がどうなのか」「自分は向いているのか」とか、それは当然思うんでしょうけれども、そういうことがあんまり問題で無くなった。
 
斎藤:  そうです。
 
金光:  神さまの愛を如何に伝えるか。伝えよう。そちらの方に向かわれた。
 
斎藤:  ですから、神さまから愛を受けるままに、受けたら自由にそれを人に分かち与える。それまでは、「神を愛さねばならない」「人を愛さねばならない」「自分を愛するように、隣人を愛せよ」という、律法によって、雁字搦(がんじがら)めで攻撃されるわけです。私に対する誘惑者はそういう形で責めてきたんですけれども、そこから自由にされました。そして、私は不思議なことに、そこから人々の救いが起きてきたんです。
 
金光:  それでそれまで訪問だとか、いろいろなさっていましたね。そういう活動も少し変わったものが出てきたわけですか。
 
斎藤:  それまでは私はもともとどちらかと言いますと、人見知りのところがありまして、葛藤があるんです。
 
金光:  むち打って、という感じでいらしゃったわけですね。
 
斎藤:  祈りに祈って、やっと力を与えられて、呼び鈴を押したら居なかった。ホッとして。ガッカリしながらホッとしてということでしたけれども、そういうものから自由にされました。私は本当に喜びながら人に語り、喜びながら人を訪問する。
 
金光:  留守でも別に、
 
斎藤:  それは当たり前のこととして、
 
金光:  それはそうですね。急にいらっしゃると。ういうことが問題で無くなった。
 
斎藤:  そういう体験をした後に不思議なことが起きまして、実は神戸の玉津というところで結核患者に伝道しておられる岩内ハナという方がいらっしゃいまして、たまたま不思議なことからその方を知りまして、その方が私に電話していらっしゃって、「重度の患者なんだけれども、聖書研究しているので、自分には力が及ばないので、斎藤先生、聖書研究を指導して欲しい」とおっしゃる。
 
金光:  重度の患者さんのところを訪問なさっていた方ですか。
 
斎藤:  そうです。
 
金光:  「そこへ一緒に来て下さい」と。
 
斎藤:  そういうことです。私は車で岩内ハナさんをお乗せして、神戸の玉津というところまで行くわけです。
 
金光:  でも、先生は肺浸潤をなさっているわけでしょう。
 
斎藤:  そうです。ですから、内心穏やかじゃないんです。
 
金光:  やっぱりね。もしも「これで再発したら」なんて、お考えになるでしょう。
 
斎藤:  その頃、子供が生まれていましたし、もし私が再発してしまったら、やはり妻と子を路頭に迷わせることになりかねないんですから、
 
金光:  ということも思いながら、お出かけになった。
 
斎藤:  そうです。そこで聖書研究しますと、とっても喜ばれたんですね。でも、問題はその後なんですね。岩内ハナさんはいわゆる「聖書研究にも出席出来ない重度の患者さんを訪問する」と言うんです。
 
金光:  動いてはいけない方のところまで出掛けられる。
 
斎藤:  「病床に見舞う」というんです。「その方の所に行って、聖書を開いて、私に読め」というわけです。そして、「祈って下さい」というわけです。
 
金光:  立場としては断るわけにいかないでしょう。
 
斎藤:  そうです。一人の信徒の婦人の方が堂々とやっているのに、少なくとも牧師という名をもっている私は怖じ気づいて行かない、ということは、やはり私の信仰そのものが問われたわけです。「はい。行きます」と言ったんですけれども、実際、私は本当にそこで僅か三十分の訪問でも、八時間重労働位の疲労を覚える位のお見舞いの病床で祈りをし、聖書をお読み致しました。
 
金光:  岩内さんという方は平気なんですか。
 
斎藤:  はい。全然。というのは、「どうしてそういうことが出来るのか」ということが、後で岩内さんを私の教会の婦人の集会にご案内したんです。そうしたら、私は驚く話をお聞きしたんですね。岩内ハナさんは実は牧師の妻だったんです。戦時中の出来事でした。やがて応召されて、ご主人は戦地に行かれて、そして音信がプッツリ絶えてしまった時に、そのご主人は自分の子供の顔を知らないで戦地に行っていたわけですね。戦後となり、それでやがて次々と戦地から帰っていらっしゃる方の中で、岩内さんは一日千秋の思いでご主人の帰りを待っていたそうです。やがて電報が着いて、「横浜港に何時に着く。出向かうこと」という電報を頂いて、急行を乗り継いで横浜港に行ったんだそうです。そしてその埠頭にやがて着いた船から復員軍人が次々とタラップを下りて来る。その軍人の顔を目を皿のようにして見つめるわけですけれども、とうとう下りていらっしゃらなかったそう です。それでアナウンスがありまして、「病気の方は船内で伏せておられます。入って下さい」ということで、もしかしたら、夫は病気なんだろうか。不安の思いで船室に入ったんだそうです。ところがご主人はおられない。どうしてだろうか。念の為に、胸に付いている名札を頼りに見ますと、ご主人とは全く打って変わった、憔悴仕切って頭蓋骨のような状態の、
 
金光:  兵隊に行かれる前と全く変わっている。
 
斎藤:  本当に病気でやつれてしまったご主人の姿を見い出したそうです。そして声も息絶え絶えに、「ああ、ハナさん、あなたに会って嬉しい。私は神さまに祈って、何とかあなたに会って死にたいと思って、やっと祈りが聞き届けられた。これが私の息子か。ハナさん、私が伝道出来なかった分を頼むよ!」と言ってですね、フッと息を引き取って終われたそうです。
 
金光:  それでお終い。もう亡くなられたんですか。
 
斎藤:  ええ。そうなんです。それで岩内ハナさんはそこの場でワアッと泣いて、もうご主人の胸にしがみついて、揺さぶっても息を吹き返されなかったそうですね。それで、「神さま酷すぎます!」。
 
金光:  それはどうでしょうね。
 
斎藤:  「主人の祈りだけを聞いて、妻や子供に会うまでは命を守るとおしゃった。ならば、せめてもっと数時間、命を長らえて自分のどのような苦労の中で子供を育てたか。或いは戦地でどのような苦労を嘗(な)めたか、夫の話を聞きたかった。それなのに神さまはあまりにも突然命を奪うなんて酷すぎる」。そこでもう泣くだけ泣いた後、岩内ハナさんはもう「神も仏もあるものか。神さまは信じない」と言って、それで里に帰って、そして子供を苦労の中に苦労して育てて、やがてお子さんを関西学院大学に入学するまで育て上げたんです。そしてその時に、岩内ハナさんはやはり教会から離れたんですが、岩内ハナさんはどうしても意味が分からなかったそうです。
 
金光:  何故、ご主人が亡くなったか、と。
 
斎藤:  そうです。その時に話された岩内ハナさんの言葉を本当に思い起こすんですけれども、「ヨハネによる福音書」の十三章の七節に、
 
     イエス・キリストが、過越(すぎこし)の祭り前に、弟子たちと一緒に食事をする。
     その前に弟子たちの足を洗うことがあるんです。
     ペトロは「先生、何故私たちの足を洗うのですか」とお尋ねになりますと、
     イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、
     あとでわかるようになるだろう」。
          (「ヨハネによる福音書」十三・七)
 
この言葉に触れた時に、岩内ハナさんは、天から一条の光を受けたように感じて、「これだ」と。
 
斎藤:  何故あの時に夫をあのような形で奪われたのか分からない。だけど、「後で分かるようになるだろう」という、聖書の約束の言葉を信じて、それから聖書を読むようになり、祈るようになり、教会に行くようになった。子供をやがて育て上げて、「神さま、もう私はいつでも夫の元にいくことが出来ます。私に与えられた仕事を与えて下さい。使命の仕事を果たします」と祈っていましたら、重度の結核患者。家族に見捨てられて、殆ど家族は訪ねません。孤独です。で、死の不安に怯えています。そういう方のところに、岩内さん自身が苦難のどん底体験をしましたから、その人たちの気持ちが分かるんです。そこで聖書研究をなさり、病床に見舞ってお祈りし、時には花を飾り、聖句を読んで差し上げる。そういう出会いがあったんです。
 
金光:  そういう岩内さんのお話を聞かれた斎藤先生の気持の変化と言いますか、やっぱりそういう話を聞かれると、自分自身の姿勢だとか、それからいろんなことを考えさせられますでしょうね。
 
斎藤:  そうですね。実際、私は正直申しますと、重度の結核患者に接しながら不安でした。私は結核の再発を恐れていました。何ヶ月か、月一回でしたけれども続けていますと、風邪を引いたりしますと、いつもなら一週間以内に癒される風邪が、二週間、三週間続いて、風邪が取れない。咳が続くということになりますと不安になりますよね。私はレントゲンを撮りますと、お医者さんは「何ともない」とおっしゃる。「ああ、良かった」。「もういい加減嫌だなあ」と思うと電話が入る。その繰り返しでございました。また不安になって、レントゲンを撮って、「何ともない」ということで、私の中に、岩内さんが捨て身で自分の命を孤独で病んでいる人の為に捧げている生きたキリストの姿を、信徒の中に。現代で言えば、マザー・テレサが貧しき者の中の貧しい人の為に仕えている愛の姿を見せて下さいましたね。それと同じように岩内ハナさんが「結核患者の母」と言われるような太陽のような笑みを浮かべて、とかく心が沈みがちな人の心を浮き立たせ、失望を希望に変えていく。これが伝道者の姿なのに。私と言えば、怯えて、再発だけを怯え考えているというようなことではダメだ、ということで、岩内ハナさんを信仰から多く学びました。そしてやはり岩内ハナさんと同じように、捨て身でかからなければいけない、と。
 
     一粒の麦が地に落ちて死ななければ、
     それはただの一粒である。
     しかし、もし死んだなら、
     豊かに実を結ぶようになる。
          (「ヨハネによる福音書」十二・二十四)
 
金光:  有名な言葉ですね。
 
斎藤:  イエスさまが語られた言葉ですね。「もし、地に落ちて死んだならば、その実は五十倍、百倍になる」という、イエスさまの言葉通り、実は宮氏さんという方が妹さんの死というものに、その一粒の麦を見え出していますね。宮氏さんから後、私はいろいろ苦労して、会堂建築の後に岩内ハナさんに出会った。岩内さんはご主人の死ということを通してどん底の苦悩の中から神さまの言葉を頂いて、そしてそこからまた一粒の麦となろうとする。その奉仕の姿勢。それは私の心を非常に広げました。やはり伝道者であっても、信徒であっても、本当にそのような「キリストの精神に生きる、ということは、如何に大切か」「自我に死ぬことが如何に大切か」という言葉が私に与えられた一つの深い学びであったんです。ですから、私が過去の兵庫県の明石の六年間というものを振り返ってみますと、先程お話致しましたように、ピカッピカッピカッと光りながらいろんな出来事があったんですけれども、その一つ一つがある関係をもって、あることが人と繋がり、私がかつて浪人時代に結核を患ったことも、岩内さんと出会って協力するという気持になるわけです。というのは結核を患うということは絶えず不安があります。再発の不安。微熱や苦しみですね。そういうものを分かっていますから、私は「岩内さんに協力して聖書研究をしよう」と思ったわけです。そういう中で、私は岩内ハナさんとも出会い、宮氏さんとも出会い。そして高橋三郎先生という具体的な伝道者に出会い。私はそういう出会いの中で心が豊かにされ、心が広められていったのです。そういう意味で私の心は開拓伝道という、非常に厳しい状況の中で不思議に耕されているんですね。小さな自我が砕かれて、そしてそこに神の愛が注がれて、不思議にこんな私のような小さな愚かな者でも、無に等しい価値のない者でも、神さまが用いて下さる」という。丁度、宇宙飛行士が月に行きまして、普通ならば何の価値もないような石が宇宙飛行士の手に取って、地球に持ち帰られますと、大きな価値を持ちます。それと同じように、私は死を選ぼうとした本当に実はくだらん人間なんです。でも、こういう命を絶とうとしたような人間でも、神さまの手によって拾い上げられますと、神さまは恵みとしか言いようのない方法で、数々の出会い、数々の苦難艱難の出会いを通して、私を訓練したわけです。むち打たれて、鍛え上げていって下さった、ということが分かります。それは私は聖書を読んでいきますと、「ローマ人への手紙」の八章の二十八節に出会うんです。
 
     神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
     万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
           (ローマ人への手紙八・二八)
 
これですね。ですから、私はいろいろな体験の中で、「どうしてこんなことが起きるんだろうか」という、かつて謎がありましたけれども、それは「神の深いご計画、人間の思いを超えたところの出来事が、神さまのご計画の中に起きている」ことで、やがてそれが、その時は悲しく辛く、惨めに思えるようなことでも、後になれば、「ああ、これは神さまの最善の導きだった、という平安と感謝に変えられていった」ということが、私の過去を振り返る道筋の中で明らかになってきたわけなんです。
 
金光:  最後に一つお尋ねしたいのは、その開拓伝道の間にフォーサイス(Peter Taylor Forsyth)という人の『祈りの精神』という本を日本語に訳していらっしゃいますね。
 
斎藤:  実は自我が砕かれるというところにおきましては、スタンレー・ジョーンズ先生の話をさせて頂きましたね。具体的に人間の自我というのは、なかなか砕けないものです。ですから、それを神という偉大な大生命の大地の中に自我をそのまま埋めてしまうという、自我の殻が丁度麦の種がカチッと割れて、そこから芽が出て、
 
金光:  そうすると、「自分のしたいようにさせて下さい」ということではないですね。 「埋めてしまう。出してしまう」わけですね。我が思いを神さまにお預けする、と言いますか、それが祈りなんですか。
 
斎藤:  それが一つの祈りの行為なんです。ですから、「神さま、私は本当に自我、自己中心の強い、罪深い私ですが、この自我をあなたの愛の中に投げ捨てます。委ねます。どうぞあなたが私の自我を砕き清めて、私をあなたの必要なご用の為にお用い下さい」という祈りなんですね。
 
金光:  ああ、そうですか。「私を使ってお用い下さい」ということで、「私の言うことを聞いて下さい」じゃないわけですね。
 
斎藤:  ですから、イエス・キリストの説かれた主の祈りの中で、
 
     御心の天になるごとく、この身にもなりますように、
 
ということですね。ですから、「神さまの御心を行う者とならしめて下さい」という。私が「ああして下さい。こうして下さい」という。勿論、そういう自分の欲求を神さまに申し上げることも祈りの一つだと思います。だけど、祈りが深められていきますね。イエス・キリストがゲツセマネの園で、十字架に付かれる前に、「出来ることなら、この苦(にが)き杯(さかづき)を取り除けて下さい」。当然の祈りですよね。しかし、「我が思いではなく、あなたの御心がなりますように」と祈られたあの「御心がなりますように」というところが、私は祈りの究極だと思います。
 
金光:  そこのところの関心があったから、フォーサイスの『祈りの精神』をお訳しになった、ということでございますね。
 
斎藤:  実際にフォーサイス先生の『祈りの精神』を読みますと、実はそれが書かれているわけです。「人々は祈りというものは神さまにいろいろおしゃべりして、申し上げることだと思っているけれど、実はそうじゃない。祈りというものは神の前に静まって聴くことだ」「神の語りかけを聴いて、そして神さまの御心を行うことが出来るように祈ることなんだ」。そういう言葉が書かれていますし、更にいろいろな深い教えはあるんですけれども、私はフォーサイスの『祈りの精神』の中で、特に教えられたことは、「神が祈る」という言葉です。先ず、「神が祈ったからキリストがこの世に生まれた」。キリストがまたこの地上で人類の罪を贖う為に、十字架に架けられながらも迫害し、自分を信じたる者の為に取りなしになっておられますね。「父よ、彼らを赦してやって下さい。彼らは何をしているか分からずにいるのです」。これは神の御子の祈りとしか思えません。やがて復活されたキリストが天上から、今や目に見えない霊の姿で、いろんな形で人の心に働きかけておられます。父なる神が祈り、御子キリストが祈り、聖霊が祈る。三位一体の神が人間の為に、深く痛み傷付きながら祈っている、ということを本当に教えられたわけですね。
 
金光:  そうしますと、開拓伝道の間に斎藤先生はそういう祈りのほんとに大事なところを信者の方からも教えられるし、いろんな形で学ばれて、六年間の生活を終わられたということでございますね。どうもありがとうございました。
 
斎藤:  ありがとうございました。
 
 
     これは、平成十一年七月二十五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。