生死の一大事隠元禅師の教え
 
                             黄檗宗管長   林  文 照(ぶんしょう)
大正11年福岡県生まれ。昭和21年駒沢大学卒。昭和6年得度。21年から黄檗山万福寺禅堂・鈴木晧滋師家の下で修行。円通寺住職を経て、平成6年黄檗宗管長兼万福寺住職。
                             き き て  金 光 寿 郎
 
ナレーター: 梅雨明けの水を集めて流れる宇治川。平等院で知られるこの付近は平安貴族の別荘地として栄えたところです。この宇治川のやや下流にある黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)は江戸時代の初め、中国の僧、隠元(いんげん)禅師(一五九二ー一六七三)によって開かれました。山門の前には俳人菊舎の名高い句、
 
     山門を出づれば日本ぞ茶つみ唄
の碑が建っています。境内から見下ろすと、緑の木立に包まれるように、堂塔伽藍が広がり、その多くが重要文化財に指定されています。境内中央には、本堂大雄(だいおう)宝殿があります。寛文(かんぶん)八年、西暦一六八八年の建築です。本尊は造高二メートル五0センチの釈迦如来です。朝夕のお勤め、年間の儀式作法は全て中国式が守られています。堂内には個性的な表情をした十八羅漢の像があります。境内の伽藍はほぼ左右対称に並び、回廊で結ばれています。黄檗山には修行者のための専門道場があり、全国から雲水が修行に集まり、日々研鑽に努めています。禅堂の真向かいにある斎堂(さいどう)、いわゆる食堂にあたるところで、一度に三百人が食事出来る広さです。境内には六角の形をした隠元禅師の墓所があります。隠元禅師は一六五四年、六十三歳の時、来日。七年後に萬福寺を開き、八十二歳で亡くなりました。真夏の太陽が照りつける八月の初め、萬福寺に林文照さんをお訪ねしました。林さんは大正十一年のお生まれで、駒沢大学に学ばれ、平成六年に管長に就任されました。隠元禅師のご肖像が掛かる東の方丈(ほうじょう)でお話を伺いました。
 

 
金光:  こちらは黄檗宗ということでございますが、江戸時代の初めに、隠元禅師がお越しになった時は、黄檗宗ではなくて、臨済正宗(りんざいしょうじゅう)と言いますか、臨済の正しい宗派という臨済正宗ということだったそうですけれども。そうしますと、入り口に、「生死事大無常迅速」というどこの禅宗のお寺にあるような文字もちゃんと掛かっておりますし、このお寺で管長様が最初に修行なさった時は、どういう形でのご修行だったんでございましょうか。
 
林:  私は昭和十六年に駒沢の予科(よか)に通っておりました。昭和十八年、その頃になったら、だんだん負け戦で、どんどん志願をして行っておりました。僕も、「友達があんなに戦死した」という噂が入ってきます。「ああ、凄いなあ。あんなふうにお国の為に命が出されたらいいなあ」と、憧れもありました。それから私自身のことを考えると、今、死んだら、弟のことやら考えれば、というようなことで、学校も十八年に学徒動員令が下ると同時に、「これは本山に行って一つ修行しよう」という気になって、この門を叩きました。
 
金光:  その頃は若い人たちが割に兵隊に取られている時期ですから、こちらのご本山の雲水さんたちもかなり兵隊に行っている方々が多かったんじゃございませんか。
 
林:  ああ、多かったです。もう開店休業ですよ。本当に今までは三十人、四十人おったというのが嘘のようで、私が来た時には四人か五人。それも十四、五位の若い小学校出た、あの当時は小学校出たら本山に来る人もありましたからね。
 
金光:  数が少なくても坐禅とか、作務は規則通りおやりになるわけですか。
 
林:  その通りです。ちゃんと規則通りに朝念経をして、それから坐禅をして、それは規則通りにしてくれました。有り難いことだと思いました。父親も僧侶ですから、ここで修行したところで一緒に自分も修行して、そして命がのうなって、死ねば、それで縁が出来るわ、というような気持も働いておったでしょうね。そういうような、後で理屈を付けるわけですけれども。ある日、確か植岡龍門という方だったと思いますが、それが黄檗山の知客和尚でした。その植岡龍門という知客和尚は、足がお悪くて、兵隊には取られなかった、と聞いておりますが、その方でしょうか、私にある日、「山門の横の便所掃除をして来い」。東司(とうす)と本山では言いますが、「東司の掃除をして来い」と、私一人に言いました。大概三人居れば、四人居れば一緒に掃除をするのが習わしです。私だけに何故あんなことをいうのかなあ、という気持したんですけども、そのまま掃除道具を持って、山門の横の便所に行きました。そうしたら、その便所を見て驚いたんです。いま綺麗ですわ。水洗にもなっておりますし、それから掃除がよく行き届いていますけれども。その当時は観光客はありませんし、雲水はおらないし、もうほったらかしで、それから丁度公衆便所の代用になっておったんですね。広い本山ですから、横切ったら近く行けますからね。そういう人たちがちょっと用を足す時に使っておった。そこに行って見たらなんと哀れな、大の方の戸を開けたら、オシッコを立ったままするんでしょう。下が濡れておる。濡れた上にウンチが転がっておる。これをどう掃除したもんか、と思って、目を疑いました。しかし、言われたんだから、掃除をしなければいけません。持って来た道具、掃除にならん掃除を恥ずかしながらしたんです。学生気分が抜け切れませんからね。棒の先に雑巾を巻き付けて、クルクルと回したら、こっちへ扱(しご)く。クルクルと回してはこっちへ扱く、というような掃除が始まったんです。幾らしたって、それは掃除にはなりませんよ。美しくはなりません。そうしたら誰か後ろに来たような気配がしますので、ヒョイッと後ろを見たら、さっきの老雲水が、その人は四十前、三十代でしたが、手巾のところに手をやって、私の掃除の仕方をずうっと見ておるわけです。これにはちょっと驚きましたね。しかし私も横着構えていますから、急に止めるわけにもいきませんから、続けておりました。黙って見ていましたら、雲水は大きな手巾帯があるんですが、その手巾をタッタッタッと脱ぎ始めて、衣をパッと脱いで、それから今のように作務衣というのがありませんから、着物になりました。玉たすきがあります。腰からげをサッと、それから袂から日本手拭いをして、そして私が棒の先へやっているウンチの付いたシコのズタズタをむずっと握って、そして自分の方に取るが早いかバケツの中にザアッと入れて、シャッシャッ、ぎゅっと絞りまして、そしてピシャッと、そういう体勢になったその雲水のあの姿でもって、それを拭き始めたんです。これには驚きました。アッーと思って言葉にならない言葉で驚きました。「よしや、俺もやってやろう」と。それは先輩がもう言葉で言わずに、それをやられたら、私は二十歳、向こうは三十五、六。私に黙って、自分でサッサッサッとやられ始めましたら、それはビックリ仰天して見ておりましたけれども、真似をしまして、後は先輩の通りに自分も格好になりまして、始めました。先輩のする通り、彼が右をすればこっちは左をする。それで今度は大便の方が終わったら、今度はドンドン水も換えて、小便の方は、これも束子(たわし)で擦(こす)る。擦りながら考えました。これはえらいことした。儂の掃除は屁っ放り腰、先輩の掃除のようにやらなければいかんなあ。坐禅しておる最中にちょっとでも姿勢が悪かったり、眠り扱(こ)いたりすると、背中をビシッと打った後、合掌するでしょう。それでやられていますから。それをやられたばかりで、教えられたばかりで、これはやられるなあ、と。私は警策(けいさく)の使うことを、まあ一つのリンチぐらいしか考えていなかったわけですからね。やられるぞ。顎が吹っ飛ぶ程やられるぞ。背中をぶったたかれて、追い出されるようにやられるぞ、と思いました。そうしたらその知客和尚が、「お前さん、生死を明らめる底(てい)の雲水が、たかが浄穢(じょうえ)を明らめ得ずして、なんぞ生死の超越じゃ」。漢文口調で言うんですからね。向こうはちゃんと見てとっておるんです。私はもう学徒動員で死ななければいかん。兵隊へ行かなければいかん。悩んで来ておるんだ、と。それでその言葉を私に吐いて、そしてクルッと後ろを振り向いて、足が悪いですから、スタスタ、スタスタ体を揺すりながら帰って行かれました。
 
金光:  生死の、生き死にの問題を明らかにしたい、と思って来ている雲水が、たかがトイレが汚れている位で、
 
林:  掃除がろくに出来ないで、手に付いたら汚い、足に付いたら汚いから。お前のような掃除しか出来ない。なんで生き死にの問題の解決になるのか、というようなことですね。
 
金光:  叩かれるよりもきついですね。
 
林:  それは酷いです。それには応(こた)えました。呆然として佇んで、涙にならん涙がやっぱり出て来まして、考えさせられました。
 
金光:  そういうことは、しかし一生忘れないで残りますね。
 
林:  忘れません。これが私の後に僧侶となって歩く上においての一つの大きな目安と言うか、指針と言うか、それをその時に与えて頂いたと思って、今でも有り難いと思っています。やる気になってやったら、掃除、浄穢(じょうえ)は。手を後でちゃんとすれば綺麗になりますよ。それを裸になれん。ろくな掃除が出来ない。だから生涯の私の一つの指針になりました。
 
金光:  でも、その言葉をお聞きになったから、それで生死の問題が解決するか、と言うと、そう簡単にいかないわけですね。
 
林:  そんなものではありません。
 
金光:  やっぱり、ご出発前に何とかしようという思いだけはお続けになったと思いますが、その後どうなさいましたですか。
 
林:  学徒動員令が出ていますから、入隊の日にちはどんどん迫りました。あれは確か十八年十二月一日じゃなかったんでしょうか。宮城前で大学生が雨の中を閲兵行進をして、それで別れて行くシーンがありますね。あれは映画にとっておるんでしょうが。あの時には私は出ておりません。出ていなくて、本山におったと思いますが。いま言うたように、わけわからんで、本山出らして貰って兵隊に参りました。
 
金光:  兵隊にいらっしゃって、二十年八月、日本が負けて、復員なさって、また学校の方はどうなさったんですか。
 
林:  学校は中途退学をしておりますから、また戻りました。しかし、私はさっき申しましたように、禅宗坊主ですから、私は幸いに駒沢に行っていい先生にお会い出来たなあと思うのは、沢木興道(さわきこうどう)老師でした。
 
金光:  駒沢大学で、昭和十年代から坐禅の方の指導をなさっていらっしゃった随分有名な方なんですが、その当時はまだそんなに有名でもなかった頃でしょうか。お元気な頃ですよね。
 
林:  お元気です。元気のいい。歩くのでもそれは一風ありましてね。大黒帽(だいこくぼう)をかぶって、衣を風に揺らしながら歩いて、元気に歩かれている姿が目に映りますが、
 
金光:  最初の禅会の時の印象なんか如何でございましたか。
 
林:  やはり、私は、禅坊主は坐禅しないかんということは、自分では思っておりましたから、「沢木興道老師の座禅会がある。それで希望者は別館の講堂に来い」という。校門を入ったら、正面がビルと言うか、大きな講堂がありまして、左側が木造の大広間のある。「そこでやるから、今晩七時に来い」というようなのが掲示板に出ておりました。禅宗坊主になろうと思って駒沢に、昭和十六年に入ったんですが、初めて坐禅をしようか、という気持になりまして、そのビラを見て行ったんです。ところが玉川電車が、今はもうありませんけども、その当時は停電というて、
 
金光:  電気が途中で止まる。戦争中ですからね。
 
林:  電車が動かないのです。「坐禅は七時と出ておったが、遅れるなあ」と思って気が気でないけれども、案の定遅れました。五分か十分遅れたでしょう。その当時は靴もありませんから、下駄が多い。下駄でトットットッと走って、木造ですから、その下駄履きのまま階段を急いで、タッタッタッと上がったんです。遅れたと思って。そうしたところが、「喝!」。百雷一時に落ちると言うが、それこそ大きな声で一喝かませられました。丁度、曲がり角のところで、立ち止まりまして、さあもう帰ろうかしら、上がろうかしら、と大分躊躇しました。「シッシッ」と言って、上から声なき声がする。上を見たら、先輩の学生で衣を着たのが、「上へ上がれ」と手招きをしている。それについて中に入りました。そうしたところが、入ったら、主婦もおれば、旦那さんもおる。学生もおれば、いろいろ種々様々なのが四、五十人がサッと。向こうは面壁ですから、壁の方を向いて、サアッと綺麗に将棋の駒を並べたように、ジッと、ビクッともせんで坐っておるわけです。そこに案内されて、一番下座に座を設けてくれました。そこで初めて坐禅をさせて貰ったわけです。その終わりに沢木老師が、「学生諸君、儂(わし)が若い時になあ、越後でお寺で留守番をしておった。その時に、部屋で坐禅をやって組んでおったら、飯炊き婆さんがおってな。それが、「沢木さん、沢木さん」「興道さん、興道さん」と呼んだか知りませんが、儂を呼ぶけども、儂は坐禅中だから、坐っておったところが、その飯炊き婆さんが、儂の坐禅しておる部屋にやって来て、ふすま開けた途端に、儂の坐禅しておる姿が目に入ったら、その飯炊き婆さん、腰を抜かしおってなあ。その場にへたり込んで、「なむしゃかぶつ、なむしゃかぶつ、・・・」と拝み始めたんじゃ。儂は妙な気がしたよ。けれど、学生諸君、此処で儂が昼寝しておったならば、この婆さんが拝むか。儂がただ仏様の坐禅をしておっただけだ。それだのに腰を抜かして拝むほど驚いたのだ。昼寝していて拝むか。だから、一超直入如来地(いっちょうじきにゅうにょらいち)とはこのこっちゃ」。「一超」というのは 一飛び、
 
金光:  一足飛びに、ということですね。
 
林:  「一飛びで如来の姿に、その境地になれるのが坐禅じゃ。だからこれを忘れちゃいかん。一超直入如来地だから、文句はいらん。坐ればいいんだ。このところを忘れなきゃいいんだ。人間が何にも、人間の仕事を全部捨ててしまって、一超直入如来地じゃから仏様というのだ」というような、もっと立派な提唱なさったようでありますけども、私はそういうことを、
 
金光:  「一超直入如来地」という言葉を覚えていらっしゃった訳ですね。
 
林:  その言葉を覚えて、ああ、成る程。それで旦那さんもおれば、学生もおる。みんな種々さまざまの人がこんだけ黙って坐っている。そこに下駄で、ダダダダッと。俺はまあ何ということをしたんだろう、という反省と同時に、坐禅の凄さというか、それを老師の言葉の中から識り、その姿を見て、その時には、「一超直入如来地」を味わさせて頂きました。
 
金光:  最初に隠元禅師が臨済正宗だったという。臨済の流れを汲んだ方だということを伺っていて、お尋ねしたんですが、黄檗の方が曹洞の禅を習っても、これは可笑しくないんでございませんか。
 
林:  可笑しくありません。昔の祖師方は臨済であろうが、黄檗であろうが、他門の僧堂を二年も三年、四年、五年もそこで修行しておられます。即ち坐禅そのものに変わりはありません。
 
金光:  それで沢木老師というと、「宿無し興道」という名前で有名な方で、一生托鉢生活なんかをなさったと伺っているんですが、最初の時に強い印象をお受けになった林管長さまは、その後も沢木老師とのご縁は続いたんでございますか。
 
林:  お陰で、学生時代だけでなくて、続けさせて頂きました。
 
金光:  今、「宿無し」という名前を申し上げたんですが、そういう綽名(あだな)と言いますか、林管長さんも、最初は檀家も何もないところでスタートなさったとか、それはやっぱり沢木老師なんかのご縁の関係もおありだったんでしょうか。
 
林:  興道老師から直接、「どうしろ、こうしろ」というようなご指導は受けてはおりませんけれども、裸になることだけは大いに見習いました。人間裸に成りきらん坊さんが多すぎますなあ。貧乏寺は貧乏寺に成りきったらいい。貧乏寺でありながら、金持ちの寺の真似をするから苦しいのであって、貧乏寺は貧乏寺で托鉢して歩いたら、その生活で私は上等だと思います。むしろ、金持ちの寺の方が道の上から言うたら、難しいんじゃないんですか。
 
金光:  成る程。
 
林:  幸いにそういうようなお寺にご縁がありましたけれども、幸いに貧乏寺だったから、いろいろな有り難いことに出会いました。
 
金光:  そういうお付き合いの中で、例えば、よく黄檗宗の場合ですと、念仏禅だとか、阿弥陀様もお祀りになっているとか、お祀りするという、阿弥陀仏も一緒にご宗旨の中では、教えの中に入っているというふうに伺うんですが、その辺のところは最初から吹っ切れてお出でになったんでございましょうか。
 
林:  いや、私は吹っ切れておりません。しかし、結論から先に申し上げさせて貰いますと、本山の中で阿弥陀様は一仏もお祀りしてありません。
 
金光:  そうなんですか。
 
林:  一仏もお祀りしてありません。しかし、「阿弥陀」という声明 は称えます。坐禅道場は選仏場と書いてありますね。仏を選ぶ道場です。自分自身の仏を選ぶ道場ですから。
 
金光:  そういう意味なんですね。
 
林:  ですから、これは臨済も、曹洞も同じと思いますが、ご本尊は何もお釈迦様でなければいかん、というような、他の宗旨とか、宗教とは違います。キリストでいかんというようなことはありません、本尊は。だから、阿弥陀様をお祀りしてあるお寺もあれば、お釈迦様をお祀りしてあるお寺もある。不動様を祀っている寺もある。縁によって、各寺院はさまざまです。ところが駒沢へ行って、「曹洞宗は只管打(しかんた)坐(ざ)。黄檗は念仏禅である。念仏禅では正道(せいどう)ではない」というような講義があるわけですね、時々。私もやっぱり、「正道でない」と言われると感情的にまたなりまして、それが頭にこびり付いておったわけです。それから、沢木老師に、「老師、家(うち)の宗旨は「南無阿弥陀とう」という称名があるんだが、これどう思われますか。良いですか、悪いですか?。一言で返事を下さい」と言ったところが、沢木老師が言うことには、「あっていいじゃないか、阿弥陀で。世の中を見ればみ んな阿弥陀じゃ。お前も阿弥陀なら、俺も阿弥陀。あれも阿弥陀、みんな阿弥陀じゃ。阿弥陀でないものはない」と、一言ピシャリと言われました。普通の大学の講義とは天と地の次元が違いますなあ。次元が違います。だから、いつだか貴方がおっしゃった圓愚(えんぐ)と圓恕(えんじょ)ですが、
 
金光:  そうですね。こちらの第四代の方ですか、管長なさっていた獨湛(どくたん)と山城の圓愚と圓恕という二人の問答、これは白隠禅師の『遠羅天釜(おらてがま)』に載っているわけですが、「あなたの歳は幾つか」と言ったら、「阿弥陀様と同じだ」「阿弥陀様の歳は私と同じだ」と言ったという。その問答というのは非常にユニークで、いまだに印象に残っているんですが。それもやはりいまおっしゃった「全て阿弥陀だ」というのと同じところでの話ということでございますね。
 
林:  ええ。
 
金光:  そうなりますと、ここにあります、
 
     「脚下無私皆浄土(きゃっか、わたしなければ、みなじょうど)」
 
というこの言葉も同じような境地を表現しているものと考えて宜しいんでしょうか。
 
林:  そうですね。けれども、私共の方は、「無私ならばみな浄土」。それを味わうのには坐禅で味わいなさい、と。これが正道だ、と。真宗の方であるならば、阿弥陀様にお任せする。称名から入っていくんでしょうけれども、私共の方は、「坐禅こそ脚下無私、一無位の真人」を味わうのが、私共の教えです。
 
金光:  管長さんがお書きになっている「無位真人(むいのしんじん)」という書があるんでございますが、「無位」位の無い、地位の無い真の人、ということでございましょうが、これはどういうふうなお味わいなんでございましょうか。
 
林: 



 

赤肉団上に一無位の真人あり。常に汝等諸人の
面門より出入す。未だ証拠せざるものは看よ
看よ。

 
 
「赤肉団上一無位(しゃくにくだんじょういちむい)の真人あり」
 
金光:  「赤肉」というのは、「肉の、体」ですね。
 
林:  そうです。『臨済録』の一節です。「赤肉」赤い肉の、「団上」一つの塊(かたまり)、一無位の真人が、汝等の面門より出入する。出たり入ったりしておる。いまだ証拠せざるものは、それを看ていないものはそれを看なさい。私共は位の無い真人なんていうことを考えないんですね。生まれてからこの方、何かに着物を着て、そして着物が自分だと思っている。だが、それは間違いだ、と。だから、無位の真人を探求しなさい、というのが、『臨済録』の根底でしょう。
 
金光:  そうすると、「赤肉団」赤い肉の塊(かたまり)というのは、この体のことですね。
 
林:  そうです。
 
金光:  体も、体が自分だと思っていたら、これは一無位の真人とは直接の関係はないわけですね。何か体だけが自分だ、と。その人だと思っていると、改めて見なさい、面門より出入りしている、と言われても、ちょっと取り付く島がないみたいで、体じゃないわけですね。
 
林:  いや、体が一無位の真人ですよ。
 
金光:  体が。そうなんですか。
 
林:  一無位の真人、体があるからこそ味わえるんですから。赤肉団上一無位の真人あり。だから別物じゃないんです。だから、そこのところを坐禅をすることによって味わうわけです。
 
金光:  成る程。体が違うということになると、何か余所(よそ)にまた別物があると考えると、これまたおかしなことで、そうじゃない、と。まさにこの体だけれども、今そこにあるのを。但し、普通気が付きませんね。それはもう坐らないと。
 
林:  それを一歩一歩坐らせて貰うことによって、何でも深みが、人生の深みが出てくるわけですね。ここの本山は法堂(はっとう)から下をご覧になると分かりますが、真ん中にお釈迦様をお祀りしています。右が選仏堂、坐禅道場。左が斎堂、ご飯を食べる食堂です。それが向かい合って、同じ高さで、同じ間口で、同じ奥行きで、同じように向かい合って建っておる。
 
金光:  一方が上で、一方が下、ということじゃないですね。
 
林:  だから、坐禅そのものが食堂でなくちゃいかん。食事そのものが坐禅でなくちゃいかん。生活が即禅でなければならない。禅が即生活でなければならない。沢木興道老師の本に、『生活即禅』とかいう。『禅談(ぜんだん)』の前に出たと思いますが、そういう本があったですけどね。ちゃんとそれをここの本山では建物で示しておると思うんです。斎堂(食堂)と坐禅堂(選仏堂)とが高さが違ったりなんかしません。全く同じです。向かい合っているだけが違うんであって。だから坐禅はご存知のように、止の場所というか、動に対する、動かない場と。それからご飯を食べるところは、動く場所。動く場所と動かない場所とが、ピシッと同じようにある。これはやはり私共どう使うか。
金光:  そうしますと、管長さんがお書きになっている『臨済録』の言葉、
 


 

有途中不離家舎
 
 
この言葉も今のおっしゃっているのと、同じところを表現しているということでございましょうか。
 
林:  そうです。
 
金光:  「途中にあって家舎(かしゃ)を離れず」。途中というのは動ですね。途中で、ですから動いている。動いていながら、家舎というのは、
 
林:  動かないから、
 
金光:  静かで動かない。途中にあって、しかも動かないところを離れないという。いまの静と動、こう坐るところと、食事するのが別々じゃないというのを、こういう言葉で表していらっしゃるということですね。
 
林:  そうですね。それからこれはどんなところでも味わいます。「目的と途中」とでも表す。私共の日常生活、何にでも当てはまる言葉でしょうね。建物でも。いま金光さんが言って頂いたように、「動と静」のように味わっても頂いていました。それから一歩一歩が目的だ。私共は目的は向こうにあって、こちらから行くように思っています。けれども、人生は一歩一歩が真実、目的です。
 
金光:  成る程。先の方じゃなくて、今の一歩が直結しているわけですね。
 
林:  直結している。だから、あこに行こうと思ったら右足上げて、左足は下ろす。左足を下ろして、右足は一歩進む。この時にはちゃんと踏んまえておらんといけませんわ。だからこそ行けるんであって、目的が現実で、現実が目的。一歩一歩が。両方上げてしまったらひっくり返ります。
 
金光:  こちらの山内(さんない)を拝見しますと、いろんな建物の入り口の両サイドなんかに、「聯(れん)」というんでございますか。長い札に見事な字で書かれておりますが。聯(れん)にそれぞれの深い意味があるんでございましょうが、例えばその中の一句をご紹介頂くとどういう言葉をご紹介頂けますでしょうか。
 
林:  隠元禅師がお書きになったもので、斎堂と言って、食堂ですね、その場所に、
 



 

法眼圓明日費斗金非分外
偸心不死時嘗滴水也難消

 
 
「法眼圓明(ほうげんえんみょう)ならば日(ひ)に斗金(ときん)を費やすも分外(ぶんがい)にあらず。偸心(ちゅうしん)死(し)せざる時、滴水(てきすい)を嘗(なむ)るもまた消し難し」という聯(れん)が掛かっています。
 
金光:  どういう意味なんでございましょうか。
 
林:  法の眼(まなこ)が圓明(えんみょう)に自分たちに備わっておれば、一斗升に金を入れた程の大金を使っても間違った使い方はしない。ところが偸心(ちゅうしん)死せざる時は、邪(よこしま)な盗み心が消えない時には、滴水を嘗(なむ)るも、一滴の水を飲んでも仏罰を被(こうむ)るぞよ、と。
 
金光:  恐ろしい言葉ですね。
 
林:  これはやっぱり『碧眼録』の第五則に出てくるのが、
 
     雪峰衆(せっぽうしゅう)に示して云(いわ)く、
     盡大地撮(じんだいちさっ)し来(きた)るに、
     粟米粒(そくべいりゅう)の大(おお)さの如し。
     面前(めんぜん)に抛向(ほうこう)す。漆桶(しっつう)不會(ふえ)。
     鼓(く)を打って普請(ふしん)して看(み)よ。
 
というような教えがありますが、
 
金光:  今の言葉で話して頂くと、どういうことになるんでしょうか。
 
林:  雪峰禅師と言われる昔偉いお坊さんがおられました。「盡大地」というのは、大宇宙であって、その「盡大地」をよくよく見ると、「粟米粒」一粒のご飯、芥子粒の泡のご飯の大いさのようなものだ。この道理の分からないものは、鼓を打って、太鼓を叩くとビックリしますが、太鼓を叩いて、自分の心を驚かして、よくよく徹底して看なさい。心を驚かしてよくよく看なさい。
 
金光:  つまびらかにしなさい、ということですね。
 
林:  これを公案というものですけども。盡大地、宇宙の大いさのものとご飯の大きさが同じと言うんですから。よくよく考えてみたら、宇宙の大いさがあるからこそ、一粒が出てくるんですから、一粒は宇宙なんですよ。宇宙が一粒なんです。
 
金光:  そのことと、先程の盗み心が残っている間は、一滴の水を飲んでもいかんのだぞ、仏罰にあたるんだぞ、と。その代わり、仏法の眼が備わってくると、そこでお金を使っても、それはそれで結構なんだ。間違った使い方はしない、というのと、今の雪峰禅師の言葉が同じようなところを言っている。この宇宙全部と米粒と一緒になる。そんなバカな話と思っているようじゃダメなんですね。
 
林:  そうです。しかし、よくよく考えてみたら、一粒が出てきたのは宇宙ですから。それは時間的に無量寿と、空間的無量光との交差点が一粒ですから、宇宙です。一粒は。だから、大事にしなさい。だから、法眼圓明で、だから修行よくよくしなさい。よくよくする為であるならば、どんなお金を持たせても間違った使い方はしない。けれども、このごろ新聞を見ると、えらいことになってしまっていますけどね。
 
金光:  そうなりますと、この前、お伺いした時に、温泉津(ゆのつ)の浅原才市(さいち)さんの歌をご紹介頂いたんですが、
 
     才市は仏にあらず
     仏にあらざる才市が
     なむあみだぶつを
     となえる時
     なむあみだぶつ
     なむあみだぶつ
 
というのと、仏でない才市と、それから阿弥陀さんと称えるところで一緒だというのと、盡大地が阿弥陀さんで、才市さんが一つの米粒というふうに考えられないこともないような気がしますが、
 
林:  才市が仏にあらず、仏にあらざるこの才市がなむあみだぶつをとなえる時、阿弥陀さまであるというたら形容になります。ダメだ。「なむあみだぶ、なむあみだ ぶ」。そこで、だから、さっき言われた白隠が褒めたという獨湛(どくたん)に付いておった圓愚(えんぐ)と圓恕(えんじょ)。そこのところを白隠禅師は褒めて下さった。しかし我々は口の方からそこの真人を求めようとせずに、だから我々の黄檗は臨済正宗と隠元禅師がおっしゃって、書の関防の印(いん)も全てそのようにして掲げてこられた。ならば、その正法は坐禅から、その味わいを味わうのが正道(せいどう)だと思います。正道なんです。学者だったら、「私は思います」でしょうけど、私は思いますではダメです。それから出てきたところの念経であり、それから出てきたところの朝のお経ですよ。
 
金光:  自分の一無位の真人というのは、殊に禅の方ではいろんな言葉で表現されているようでございますが、例えばこれもやはり管長さん、お書きになっている、


 

石女拈來迦葉花
 
 
林:  「石女(せきじょ)拈(ねん)じ来たる迦葉(かしょう)の花」、お釈迦様がキリキリッと華を拈じられた時に、迦葉尊者だけがニコッとお笑いになった、
 
金光:  そうですね。「拈華微笑(ねんげみしょう)」という有名な、
 
林:  それがお分かりになった。だから、これはまあお茶人さんとか、お華活ける人も、心でもって活けなけらばならない、というつもりで、私は書いた書です。
 
金光:  「石女(せきじょ)」というのは、やっぱり無位の真人に代わる表現というふうに考えて宜しいんでしょうか。その辺は石女とか、木人(ぼくじん)とかよくありますですね。
 
林:  脚下無私なれば、無私を石女と表す。私共、普通人間は何かの着物を着ていますし、位をもっています。それで自分が生きているわけですけれども。それが本物ではないんだ。もっと尊いものがあることを、無位の真人として、教えて下さっておる。
 
金光:  要するに、着物とか、お金だとか、地位だとか、そういうのは全部取られてしまう。死んでから持って行けないものですよね。
 
林:  だから、そういう点から言うと、沢木老師は何でも直ぐ裸になれるお方でしたね。
 
金光:  それがやっぱりお釈迦様の伝統であるということでございますね。こちらには隠元禅師の最後の時にお書きになった遺謁(ゆいげ)が、ご直筆のものがおありだそうですが、今日はそれをわざわざ出してあちらに掛けて頂いておりますので、それを読みながらお話を伺いたいと思います。お読み頂けますでしょうか。
 
林:    
       
     西来(せいらい)の即粟(しつりつ)
     雄風(ゆうふう)を振(ふ)るい
     檗山(ばくざん)を幻出(げんしゅつ)して
     功(こう)を宰(さい)せず、
     今日(こんにち)身心(しんしん)倶(とも)に放下(ほうげ)す
     頓(とみ)に法界(ほっかい)を超(こ)えて一真空(いちしんくう)末後句
            四月三日 
            開山老人隠元書
 
金光:  「西来の即粟」というのはどういう意味なんでしょうか。
 
林:  隠元禅師は中国からお出でになりましたから、日本から見ると、西の方が中国ですね。だから、西からやって来た、「即粟」というのは、杖というような意味があるんですが、ここでは隠元禅師ご自身のことを申されておる。西からやって来たこの杖は、臨済正宗の雄風を振るって、八十二年間を終わりとする、と。「檗山を幻出して、功を宰せず」。私はこの「檗山を幻出」というのは、どえらい表現だと思うんです。後水尾(ごみずのお)法皇を初め、将軍家からこれだけ建物を建てて貰って、境内地も十万坪も貰って、それで宝の山ですよね。それを幻出というのですから、
 
金光:  幻(まぼろし)、
 
林:  幻であるならば、亡びる時はあろう。貰ったものを亡びるときがある。「檗山を幻出して功を宰せず」。こんなものを作ったけれども、それを自分の手柄だとは思ってもおらない。「今日心身ともに放下す」今日はこの体も心も借りを戻す。
 
金光:  ご自分でももう短いと、先が無いとご自覚になってですね。
 
林:  短いどころではない最後の呼吸の時です。ほんとの最後の時です。ほんとの最後の一呼吸(ひとこきゅう)の時です。もう最後の呼吸の時、
 
金光:  まさに心身を放下するわけですね。
 
林:  「頓に法界を超えて一真空」。これは無位の真人ですね。「頓に法界を越えて一真空」。これは前の「幻出」、この建物を問題としているんじゃなくって、我々にいのちを託しておるわけです。弟子にですね。「一真空」という公案を授けて、死んでおるわけです。これは俺は死んだ、無うなるぞ、と言うんではないんです。生きるのは一真空で、なんです。弟子に「一真空」という公案をさずけて、その中に生きておられるのです。我々末孫は「一真空」の公案を生涯も続けなければなりません。
 
金光:  だから、一無位の真人、
 
林:  無位の真人。これは生死は私共は見て心臓が止まったら、死んでしまうんだ、というふうなことで解釈をしますけれども、禅門であり、また心で生きている人間は一真空。ここで隠元禅師は教えを垂れておられるわけです。一真空。これ隠元禅師は寛文十三年に死んだんですけど、一月にもう予期されていまして、柏厳(はくがん)という弟子を連れて、それから托鉢をする時に笠を持たせて、そして柏厳(はくがん)と山内を一周するんです。山内を一周する時に、柏厳(はくがん)に向かって、「老僧は托鉢して、行脚し去らん」托鉢に出るぞ、と言われた。柏厳(はくがん)が、「一文銭を差し上げましょう」と言うたら、隠元禅師は喜ばれて、「ハアハアハア」とお笑いになったそうです。それが一月二日でしたかね。一月一日だったか、ちょっと語録を見れば直ぐ分かる。それを言われた。それから二月、三月。だんだんお身体がお悪くなって、四月三日、
 
金光:  それで末期の日、四月三日。
 
林:  それを末期の日の四月。それまで自分でお書きになって、
 
金光:  開山老人書 記す。
 
林:  それをお書きになった。気力でもって書かなければ書けるものじゃないですよね。だから、家(うち)の本山では、この末期の句は、これは滅多に出しません。大事にしております。「西来の即粟、雄風を振るう。檗山を幻出して功を宰せず。今日身心(しんしn)倶(とも)に放下(ほうげ)す。頓(とみ)に法界(ほっかい)を超(こ)えて一真空(いちしんくう)」。
 
金光:  じゃ、「無位の真人」とか、「一真空」という言葉をこれから味合わせて頂きたいと思います。どうも有り難うございました。
 
 
     これは、平成十一年八月二十九日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。