仏心を生かす
 
                             良覚寺住職 徳 本(とくもと)  道 輝(みちてる)
                             き き て 有 本  忠 雄
 
有本:  福井県敦賀(つるが)市は人口六万八千。日本海が深く入り込んだ湾の一番奥にある港町で、昔から北陸道の要衝を占めてきました。徳本道輝さんはこの町にあるお寺の住職です。毎朝本堂でこうして家族と一緒にお勤めをする徳本さんです。徳本さんはかつて幼稚園の園長を務めていました。そして今はもう一つの顔、会社の社長という顔をもっています。この会社は主に幼稚園向けの教材や遊具などを製作する会社です。徳本さんは幼児教育の方針も会社の経営方針は、結局はお寺での説法と変わりがないと言います。それは人は誰でも幼子(おさなご)の時から仏性をもっている。その仏性を信じ、仏性を育てることが仏の心に適(かな)う道だから、徳本さんはそう固く信じています。お寺の本堂で徳本さんに伺います。
 

 
有本:  もともとお生まれはお寺なんでございますか。
徳本:  そうですね。福井の方からちょっと山の中に入りました、二十キロ位離れておりますけれども、その山の中腹にあります寺の次男坊として生まれました。
 
有本:  昭和の初めでございますか。
 
徳本:  昭和五年でございます。
有本:  どなたかお世話でこちらにいらっしゃったんですか。
 
徳本:  ええ。たまたま大学に入りまして、その大学に私の義父になります父親が、「誰 か、いいのがおらんか」というようなことで、訪ねて参りましてね。それにご縁がありまして、敦賀へ参りました。
 
有本:  それは昭和何年頃の話ですか。
 
徳本:  二十四年位です。
 
有本:  戦後間もないですね。
 
徳本:  はい。
 
有本:  敦賀は終戦直前ですか、大空襲でかなり被害を受けたようですが、
 
徳本:  そうですね。全滅をしたわけです。元の私共の寺は港の近くにございました。従って、戦災の一番標的になりまして、七月十二日ですね。
 
有本:  一ヶ月位前ですね。
 
徳本:  はい。
 
有本:  寺はやられる。会社もかなり被害を受けたわけですか。
 
徳本:  全滅を致しました。
 
有本:  全滅、
 
徳本:  はい。
 
有本:  そもそもお父様がお寺の住職さんであると同時に創業者でいらっしゃるようです が、お父様がお始めになったのはいつ頃なんですか。
 
徳本:  大正五年に、父が大学の専門部を卒業して参りまして、そして敦賀市内で、「幼児教育を推進をしたい」という願いを起こしまして、市内の有識者の方々にお願いをして、そして、「幼稚園を作りたい」と。そして、「さみどり幼稚園」という幼稚園を建設することが出来たわけです。その幼稚園が発足しましたけれども、幼稚園で使います教材と言いますのは、当時はまだ全国に五百位しか幼稚園がなかったわけでございます。従って、教材がなかったわけですね。それを自分で作ろうとして、古い紙を頂いたり、いろんな材料を貰って来て、そして自家用の幼稚園教材を作ったわけです。ところがやはり同じ志を持った幼稚園もあるわけですから、そういう幼稚園が、「少し作ってくれ」と。従って、業として、仕事として発足したんじゃなしに、やはり同志の為に、何かをやろうと、そんなことを一生懸命やっておりました。社会事業として、そういう仕事を手伝って頂ける人も出来て参りましたものですから、それには業として、「保育会」という当時の名前でしたけれども発足を致しました。それがどの程度の規模だったかは、私も定かではありませんが、まあ終戦の時まで継続をして、細々だったと思いますけれどもやっておりました。それが戦災で全部全滅を致した次第です。従って、私が敦賀へ参りました時分は殆ど何にもなかったというようなことだと思います。
 
有本:  お寺の住職さんで学校の先生とか、或いは役所などにお務めの方々がいらっしゃいますけれども、会社の社長さんというのは非常に異色に感じますけれども、やはりこう両立されていく為にはかなりご苦労もあるんじゃございませんか。
 
徳本:  そうですね。まあ精神的にはそれ程ないわけですけれども。しかし、どう言うんですか、この法衣に着替えるとか、作業着に着替えるとか、また同時に幼稚園の園長も務めておりましたから、幼稚園の職員としての感覚、そうしますと、対象が全部違って参りますね。お寺の仕事をする段階でございますと、そうしたお檀家の方々を中心とした話題を持ち、また指導し、ということになります。また、幼稚園ですと、もっと年齢の低いお母さんのレベルに合わせて、いろんなお話をしたい、というようなことですから、ちょっと精神的なギャップがございまして、テーマに困ったというようなことも数々ありますね。それともう一つは時間的な制約と言いますか、お寺の仕事、そしてまた幼稚園の仕事、或いは会社の仕事となりますと、順番を付けまして、一番はお寺、二番は幼稚園、三番目の仕事が会社業務と、そういうような段階でずっとやって参りました。
 
有本:  ああ、そうですか。大学生活の頃は、ご自身はどうなんですか。やっぱり寺を継いでやろうとか、寺で仕事をしようとか、ということだったんですか。
 
徳本:  寺で生まれておりましたから、もう寺に入るのは当たり前という感覚だと思いますね。ですから、大学自身も大谷大学の専門部というところにおりました。全部住職になる人ばかりでございましたから、そのことについては違和感はなかったわけです。
 
有本:  どうでしょう。見込んだお父様なんですが、ご自身からお父様をご覧になって、お父様から一番学んだこと、或いは影響されたことというのはどんなことでしょうか。
 
徳本:  そうですね。家の父は進取の気性を持っておったと言いますか、大正の初めに寺の副業事業として、幼稚園を作るというようなことは、日本で五百番目位と言うんですから、大変進んだことですね。またそれと同時に、そうした社会事業の問題、或いはまたそれに付随したいろんな問題がありましたけれども、いずれにしましても、人の手の付けないようなことを進んで処理を致しましたね。その辺りはほんとに優れた感性を持っておったと思っております。
 
有本:  ご自身もそういう進取の気性に富んだお父様の気質を受け継いでいらっしゃる。
 
徳本:  かなり影響を受けておるかも知りませんね。
 
有本:  今、お話を伺いますと、非常に進取の気性に富んだお父様のお気持ちを受け継いで、寺、そして会社の経営ということなんですが、よく振り返ってみて、お寺の住職さんと経営の方を上手く両立されてきたなあ、という感じでございましょうかね。
 
徳本:  両立という、全然次元の違う仕事をしてきたつもりはないんですね。ですから、やはりお寺の仕事も、またこうした会社の仕事も、根本は同じだと思うんですね。ですから、人の幸せに繋がることを一生懸命やっていくということでございましょうから、精神的な支えなり、或いは経済的な支えなり、ということでございましょうから、違和感はなかったと思っておりますね。第三者方がご覧頂きますと、随分違った次元の仕事をしておるように思われますけれども、そんなことはありません。
 
有本:  今、檀家さんはこのお寺はどの位でございますか。
 
徳本:  大体、二百軒位、二百人と申しますかね。そういうふうに申し上げた方がいいんでしょうか。お家が大体幾つにも分かれたり、いろんなことがありますから、もう少し沢山あるかも知りません。
 
有本:  朝六時、お勤めということでございますが、ごく平均的な一日と言いますと、会社に出社ということもあるんでしょうけれども、どんな一日なんでございますか。
 
徳本:  そうですね。朝此処でお勤めをしまして、それから食事を頂いて、会社へ出社しますのが八時でございます。八時までに会社へ参ります。それから約一時間幹部の社員と一緒にいろんな打ち合わせと申しますか、報告を聞いたり致しております。それから後、一般的な公務も沢山あるわけでございまして、そんなものをこなしたり、お客様にお目にかかって、お話をお聞きをしたり、というようなことで、アッという間に一日が済んでおる、というふうに申し上げていいと思いますね。
 
有本:  住職さんであるということと、会社の社長であるということ、それから幼稚園の園長さんも兼ねていらっしゃるんですか。
 
徳本:  今は長男に譲りましたのですが、三十歳の時に幼稚園長を拝命しまして、それから三十七年間、幼稚園長を務めました。お寺の日常の法務につきましては、なるたけ長男の副住職にお願いしようということで、多少私が手が余っていましても、この長男の方にして貰うように、将来お寺をちゃんと継いでいって欲しい、という願いがあるものですから、そうさせて頂いています。
 
有本:  とは、言っても、住職という肩書きですから、やっぱり年輩の檀家さん、いろいろお話にいらっしゃったり、或いは法話の会を月一回おやりということですけれども、檀家さんや何かにはいろいろお話をなさるわけですね。
 
徳本:  そうですね。ご相談を頂いたりも致します。また、「若い副住職の方がいい」という檀家もいらっしゃいますので、いろいろでございますけれども、あんまり嵩が高く成りすぎたと言うんですか、やっぱりものの考え方が現代風でありませんから、まあ、若い方がいいという方もいらっしゃるようでございます。従って、大きなご法要、或いはご法事であるとか、或いはご葬儀を勤めなければいけない、という時には、私が執り行いますけれども、なるたけならば、長男の方にお願いしよう、というようなつもりでおります。
 
有本:  どうでしょうか。最近は一般的にお寺さんにお詣りをする機会が少なくなったとか、ほんとに不幸があった時、或いは法事みたいなこと、全く普段は寺と我々の間に距離があるやに言われますが、こちらさんでは如何でございますか。
 
徳本:  そうですね。あまり深刻に考えなくていいんじゃないか、と思うんですね。人間の気持ち、或いは本質というものは、時代が変化しましても、基本的には変わりがないと思うんです。従って、お寺へしょっちゅう足繁くお出でになることが本当に信仰心を持っていらっしゃる、或いはお寺に一度も足を向けないのが信仰心がない、というふうには言えないと思うんです。ですから、一度も足をお向けにならなくても、それなりに心の中でお寺を、或いは仏様のことを考えて頂く人がいらっしゃれば、それでいいのではないか、と思うんです。従って、これだけ世の中が変化をして、そして日常の生活の形も変わってきております。そういう変わってきておる中において、昔と同じ形式のことが無くなっていったから、それで云々、ということにはならないんじゃないか、と。私は家の檀家の方々、お寺へお出でになる方々を見て、そんなふうに思っております。昔の家の決まった作法であるとか、或いはいろんなきまり、考え方、それをそのまま踏襲する必要は時代と共に変えていく。それが仏様の教えでもある、というふうに思いますね。
 
有本:  先程、お父様から学んだこと、現在影響を受けたことが多々ある、というお話がございましたが、その他、仏教者なり、或いは、先輩の方々で、今、考えると、あの先生から、あの人から随分私は教えられたことが多かった、学んだ、というのがございますか。
 
徳本:  戦後、昭和二十八年に幼稚園を再建したわけです。戦災を受けてゼロになっておりましたものを。その時にお願いをした幼稚園の先生、当時敦賀市の校長先生をご退任になった方にお願いをしたわけです。その方の教えを、まあ随分厳しいご指導を頂きました。従って、その方がお亡くなりになって、その後、園長になりました。幼児教育に対する考え方については、藤本三郎先生と申しますけれども、大変お世話になりました。また、その時期でございましたけれども、一燈園(いっとうえん)の西田天香(にしだてんこう)先生(一八七二ー一九六八:明治三十八年に一燈園を創立した宗教家。元参議院議員)ですね。
 
有本:  京都の山科(やましな)にある西田天香さんから、どんなことを一番学ばれたんですか。
 
徳本:  そうですね。「私達は本当に頂いた〈いのち〉をもって、この生活をしているんだ」というような教えだったと思います。ですから、「許されて、私達が〈いのち〉を頂戴しているんだから、それを大切にしていこう」というようなことだったと思っておりますね。天香先生をお願いすることが出来ましたのは、私の家内、妻の父、酒井慶久(よしひさ)と申しますけれども、この方が天香先生に大変師事を致しておりまして、その方のことでいろんなそういうご縁を作らせて頂きました。また、五十歳を過ぎた時に大変お世話になった方ですが、北村西望(せいぼう)(一八八四ー一九八七:昭和五十八年に文化勲章をうけた彫刻家。井の頭公園に彫刻館がある)先生。
 
有本:  彫刻家の、
 
徳本:  彫刻の。長崎の平和記念像をお造りになりました先生でございます。丁度、当時、数えの百歳になり、百寿翁ということでございまして、そんな時に記念して、お目に掛かることが出来ました。この方は足が大変不自由をしていらっしゃいましたんですが、百歳において、まだ仕事を、一生懸命制作を努力していらっしゃいまして、私が最初にお目に掛かりました時に、「先生、お元気ですね」というふうに申し上げましたら、「おお、お陰でなあ。まだ三十年大丈夫と、医者が言うからね」。こうおっしゃったんですね。普通、今、私のような年齢になりますと、「もう七十なりましたよ」という言い方をするんですが、西望先生は、「まだ三十年大丈夫」そういうことをおっしゃったものですから、大変私も感銘しまして、丁度、五十三歳位だったものですから、もうこれで五十五歳定年だから、もう仕事もいいなあ、というぐらいに思っておったんですけれども、一念発起しまして、もう生涯現役として仕事をすべきだ、というような気持になりましたね。
 
有本:  本当に頂いた〈いのち〉を大事にしていらっしゃるというお二人、お手本なんですね。
 
徳本:  そうですね。西望先生は文化勲章をお受けになりました日本の彫刻界の大元老でいらっしゃったんですね。ある時、私が西望先生に、「ご成功になられた基本はなんですか」とこうお尋ねをしました。そうしましたら、「ああ、それはね、誠(まこと)があったからだ」とこうおっしゃるんですね。
 
有本:  誠実の、誠。
 
徳本:  誠実の。「誠とは先生どういうことですか」とこう申し上げましたら、「ああ、それはなあ、自分を欺(あざむ)かないことだ」というふうにおっしゃったんですね。そういうことを言いますと、どうしてもその時その時で適当なことを私達はしてしまいますけれども、やっぱりそのことをおっしゃっていらっしゃる。
 
有本:  成る程。「お父様が幼稚園経営の時に生きた教材作りを、というのが、そもそもスタートだ」と、先程伺ったんですが、今はいろんな分野でお仕事を広げていらっしゃる。会社が大きくおなりのようですが、どんなふうにご説明になるんですか。
 
徳本:  そうですね。「幼児と言いますか、子供たちの殿堂造りをやろう」というふうに思っているんですね。
 
有本:  子供たちの殿堂造り、
 
徳本:  はい。全てを一言で申し上げますと、そんなことですね。私達の基本は「幼子と共に、これから日本の次の世代を創っていく。そういう仕事をやっていこう」と。「こんなに素晴らしい仕事はない」というふうに自信をもって仕事を致しております。
 
有本:  実際、実践していらっしゃって、幼稚園も経営していらっしゃって、こちらの幼児教育の要諦というのか、これが基本だというのはどんなところでございましょうか。
 
徳本:  そうですね。先程も、まあ子供たちのことをどうかって考えておるんですが、私達の幼稚園の教育目標というものを作っておりますね。それは一番最初は、「みんなと仲良くすること」。それから、「自分のことは自分でする」。それから、「よく考える」。「強い体を持つ」。そして最後は、「やり遂げる心」。この五つを私達の幼稚園の教育目標としています。従って、あまり成績をよくするとか、知識を詰め込むとか、ということよりも、幼児期のこの時期に人間としてどう人の〈いのち〉を考えるか。どう生きて行ったらいいのかというようなことの芽生えをしっかり身体の中に定着をさせる。そういう幼稚園であって欲しい、というふうに考えまして、道徳教育と申しますか、道徳教育といかなくても、そうした道徳教育の芽生えを養うような、そういう幼稚園であって欲しい、というような気持で長い園長生活を終わりました。
 







 

   教育目標
一、みんなと仲良くする
一、自分のことは自分でする
一、よく考える
一、強い体を持つ
一、やり遂げる心

 
 
 
有本:  このお寺の直ぐ隣りに幼稚園がございまして、私も見せて頂きましたけれども、普通、外から入る時は上履きに替えたり致しますけれども、あそこも土足というのか、子供たちは土足、
 
徳本:  どこよりも早かったわけですね。
 
有本:  そうですか。それにしても随分清潔、綺麗だなあという印象ですね。
 
徳本:  そうですね。参観を頂く人がかなり沢山あります。しかし、その方々がみんなそうおっしゃるんです。ところがそのおっしゃる方々は、みなさんがお子さん方を信頼していらっしゃらないんですね。言うなれば、子供たちは何にも綺麗に出来ない。いっぱい汚すのが当たり前。出来ないのが当たり前、というふうに考えていらっしゃるからそうおっしゃるんです。ところが指導をちゃんとさせて頂ければ、大人よりも子供の方がすっかり素直に、ちゃんと綺麗にやりますね。ですから、外から泥を屋内に持って入るんじゃないか、或いはトイレを汚すんじゃないか、というふうに、みなさんが期待をすると言うんですか、そう決め付けていらっしゃる。それがそうではなしに、子供たちは先生のおっしゃる通りに、それが教育だと思うんですね。それが躾け教育というものだと思います。
 
有本:  それと、トイレが大変綺麗で、清潔で、しかも水洗でも、やはり子供たちの生活ですから、悪臭が、ということもありますけれども、全くその点も清潔そのものという感じで、
 
徳本:  本当ですね。「清掃に気を配っておるんじゃないか」というふうに、みなさんおっしゃるんですが、子供たちが汚さないんですね。ですから、一滴も便器の外に零(こぼ)さない、というような、そういうふうに子供たちが努めていますね。もう一つ幼稚園で考えておりますことは、普通、幼稚園、保育園の場合は、幼児用の便器と言いますか、小さな便器を全部設置をしていらっしゃるんです。私共の幼稚園では、全部大人の便器でございます。現実にご家庭でお子さん方の為に小さな便器を設置していらっしゃる人はいらっしゃらないですね。ところがご家庭で大きな便器でちゃんとしていらっしゃる方が、幼稚園にお出でになりますと、あなたは出来ないでしょう、と言わんばかりに、小さな便器を与えられる。幼稚園、保育園の方が間違っておる、というふうに、私は思っておりますね。
 
有本:  子供と言うか、幼児を信頼する。一人の人間として、こう認めるということなんでしょうかね。
 
徳本:  そうですね。大人よりももっともっと素直な、純真な伸びる力を持っておる子供たちに、大人の方が先入観で、そういうことをすること自身間違っておると思いますね。
 
有本:  自由にしても、子供たちが壊したり、汚したり、という心配はなさらないんですか。
 
徳本:  それは一切ありませんね。ですから、子供たちというのは、大人が考えるより以上にちゃんと何でも出来るという、そういう伸びる力を持っておるんですね。それを否定するか、否定しないか、という、そういうものじゃないかと思いますね。
 
有本:  そういう否定なさらない、と言うか、やっぱり子供は大丈夫なんだ。自分達もちゃんとやれるんだという、今、おっしゃるようなことは、お寺の住職さんという立場で言えば、この仏教の教えというのか、仏教の根底に幼子でもそういうものは持っているんだよ、というようなことはあるんでございましょうか。
 
徳本:  そうですね。仏性(ぶっしょう)(すべての衆生が本来もっている「仏」としての本性)と言いますか、そういうものだと思いますね。従って、基本的にその辺りを変えていくことは、私共は、今、「宮殿造り」と。子供たちの「宮殿造り」ということを言っておりますけれども、その一番基本にあるところです。もう一つは、例えば、大切なものを壊すということがどういう意味を持っておるか、というふうに考えますと、例えば、大切なものを一つ壊す、と。そのことで、その子供に与える大きな将来に対する宝というものがあるんじゃないかと思いますね。壊して、じゃこれは壊さないでおこうとかですね。だから今教材の中でも、例えば、壊れない食器なんていうのがありますが、本来は意味がないんでしょうね。ですから、壊して、次から壊さないで大切にしよう、という、それを学ぶことが出来たら、持っておる教材の壊れたことでない、プラスというのはいっぱいあると思いますね。
 
有本:  宗教、或いは仏教ということになるんだと思いますが、住職さんの立場で仏教の良さというのはどんなふうにお考えでございましょうか。
 
徳本:  仏様の教えと申しますのは、「なかなか得難い〈いのち〉を今持って頂いておる。その〈いのち〉を愛(いと)おしんで、そして大切に大切にして行く」ということではないかと思いますね。従って、長い人生ですね、戦後三十年も平均寿命が延びて参っておりますね。そういう中において、昔と同じような形式で、宗教に携わっていくということが、本当の宗教が存続していっておるということになるかどうか、大変疑問に思っております。従って、その方が生涯をどう生きていくかということを自覚しながら、何かにつけて、そんな思いで生活をしていかれればいいと思いますし、また、信仰心の問題につきましても、常にずっと保ち続けていく、ということは一番素晴らしいことでございましょうけれども、しかし、そうでなくて、何かの時にそうした心の支えになるというようなことがあれば、それはそれで十分なんだ、というふうに思いますね。近年になりまして、世の中が急速にいろんな問題も出来て参りますですね。昔は宗教心のあるというようなことでございますと、村社会と申しますか、その地域の単一した価値観の元に動いておる中で、宗教との関わりというのがあったと思います。ところがこれだけ日常、六道というようなことが言われておりますけれども、地獄、餓鬼、畜生というふうに、今の世の中が本当にこの荒(すさ)んだものだから、もっといい世界を求めたいというような、そういう究極の宗教観というものを考えなくても、日常が極楽に行っているような、いろんな面で楽しいこと、素晴らしいことがいっぱいあるような生活をしている中で、旧来の宗教感覚をそのまま皆さんに踏襲して下さい、と申し上げるのは、あまり縁遠いのではないかと思いますね。従って、私のこの寺につきましても、出来る限り、「ああ、家(うち)の寺があそこにある」というふうに、何処(どこ)かで思っているような寺作り、と申しますか、そういうものであっていい。ですから、各種の行事にご参加頂いていろんなことをして頂くということは、勿論一番素晴らしいことですけれども、そうでなくても、「家の墓があそこにある。その先祖の〈いのち〉を自分が頂いているんだから、この〈いのち〉は大切にしなければいけない」というようなことを、折節考えて頂くような、そういう心の基本と言いますか、そういう故郷と申しますか、そういうことの出来るようなお寺、そういうものであれば、各行事にご参加を頂かなくても、お寺としての意義はあるのではないかと、そんなふうに思っております。
 
有本:  五十年近い住職の生活の中で、インドを旅行なさって、目から鱗(うろこ)と言いますか、大変なショックを受けたように伺ったんですが、どんなショックだったんですか。
 
徳本:  そうですね。丁度、私も五十歳を迎える時になりまして、丸半世紀をこれで〈いのち〉を保ってきた。で、寺に住んでおりまして、寺の中で五十年生きてきたんだけれども、この機会に釈尊が説教された地域を、一度お詣りをさせて頂くのは、必要なことではないか、というふうに思いまして、丁度誕生日を挟みまして、インドに参りました。釈尊がお生まれになりましたルンビニ園であるとか、或いはお悟りを開かれましたブッダガヤであるとか、或いはまた、此処でお経を上げますこのお経の説かれたところの王舎城(おうしゃじょう)というようなところがございます。祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)であるとか、或いはまたお亡くなりになりました涅槃経(ねはんきょう)に記(しる)されておりますクシナガラというようなところを歩いて参りました。本当に私は自分でそんなに信心深い者ではないと思っておりましたけれども、やっぱり自分もインドへ行きますと、愕然とすると言いますか、そういうような大きな感激を持ちました。同時に、あの広大なるインドをずうっと歩いて参りますと、車で行きましても、一日掛かりで、一つ一つの地点が離れておりますね。見渡す限り平原でございます。そして、それを今から二千五百年前がどうあるんだろう、というふうに考える程、今のインドの農村地帯と言いますか、そういう町々の様子を拝見しますと、今でさえ、鳥が車のフロントガラスに当たる。道の傍らにはいろんな動物が出て来るとか、屋根の上にクジャクが飛んで来るとか、というような町。そして、そんな中で牛がおり、そして農耕して、そして村々があって、村々の中にこういう大きな木の下で人が寝そべっていらっしゃる。そういう中で、二千五百年前にお釈迦様がお生まれになり、そしてお悟りを開かれたのが三十五歳。そして、八十歳までのご生涯の間はそれぞれ遊行(ゆぎょう)をしておいでになって、そしていろんな方々にお話をされる。当時、恐らく今から二千五百年前のインドの平均寿命と申しますと、恐らく今の半分もなかったんじゃないかと思うんですね。その時に八十歳というご高齢まで、おいでになりましたね。それは身を以て、人にそれぞれの生き様というものを教えてお出でになったこと、というふうに思いますね。その基本は、「あなたはこう生きていきなさい。これはこうですよ」と。譬え話を交えられて、そしていろいろ教えられたことが、今この八万四千の仏典として残されてきておるわけでございます。しかし、基本はそんなに難しいことをおっしゃったことではない。「あなたはこうされた方が」「いのちを大切になさいよ」というようなことだけを、言葉を換えておっしゃってこられたというふうに、その時は感じましたね。
 
有本:  それが今、私達の現代、住職さんのお立場で反省の材料でもあるわけですね。
 
徳本:  そうですね。ですから、旧来の宗教のもっておる教え方と言いますか、宗派仏教と申しますか、そういう一つの側面と言いますか、一つの教え方と言いますか、一つの教理というものだけを墨守するというようなことが果たして良いのかどうかというふうには思いますね。
 
有本:  そうしますと、こちらのお寺では、檀家さんを含めて分かるように、理解出来るようにお説きになっていらっしゃる、と。
 
徳本:  なるたけですね、そのようにして申し上げよう、というふうに思っています。この寺では、阿弥陀様という仏様が私達を救って頂くんだ、というふうにお説きを頂いていますけれども、自分の〈いのち〉をしっかり見つめた時に、もっともっと自分の〈いのち〉を超えた大きな力というものが及んでおるということを自覚出来た時に、手を合わせて念仏を称えさせて頂きましょう。それが阿弥陀様のお力、お怒りというふうに考えるべきではないか、と。その日常の過ごし方としては、私はそんなに難しいことを、仏様はおっしゃっていられないと思う。従って、今を大切に、明日や明後日のことじゃなしに、今を如何に正しく生きていくか。そして、最善を尽くしていくか、ということが、仏様の心に適うんではないか、というような気持でお話をするようにしています。
 
有本:  ところで此処に社内報ですか、頂戴したのを、『幼な子と共に』というタイトルなんですね。「幼子の殿堂造り」というふうなことが、大きな社是でもあるわけですから、この「幼な子と共に」というのは、よく分かる気が致しますが、最近のものを拝見致しますと、「諸悪(しょあく)莫作衆善奉行(まくさしゅぜんぶぎょう)」という仏様の教えが書いてありますが、悪いことをしない。善いことをしようじゃないか、ということだと思うんですけれども、どうなんですか、悪いことはするなよ、と。注意しよう、というのは分かるんですが、善いことをしよう、ということで言えば、何かおやりになっているんですか。
 
徳本:  そうですね。今年に入りまして、丁度、私の誕生日の時にちょっとしたことがありまして、
 
有本:  誕生日はいつですか。
 
徳本:  一月二十九日なんでございます。その日にある社員が身体を不健康な状態でおられまして、従って、「あなたは煙草を止めたらどうですか」というふうに禁煙を薦めたわけですね。ところが、「じゃ、止めましょう」ということになりまして、みんなで、「じゃ、良かったね」というふうに斉唱をして、お祝いをした。「おめでとう」というふうに言ったわけですけれども、その日帰りまして、「そうだなあ、私もこの六十九歳という満年齢の間、殆ど病気をせずに、陣頭指揮で仕事が出来てきた。また、病院でベッドの上で寝たことがない」というようなことを考えますと、「本当に有り難い〈いのち〉を頂いたんだったら、それが同じように、一人でも病床に臥すということのないような手だてがないものか」と思っておりましたから、「じゃ、この禁煙というのを」。随分この効果のあるものである、と。その後資料を頂きますと、大体煙草を召し上がっておる方は平均寿命が短い、実際のデータがあるわけですけれども。皆さんは、「自分の命だから勝手にしろ」と。「私が命が短くなっても関係ないでしょう」というような気持で、皆さん方がいらっしゃるわけですけれども。今の時代ですね、煙草を喫まれるのは時代的に非合法の時代になったのではないかということで、これを全社員に一つ薦めてみたい、というふうに、その日決心を致しました。そして、翌日精力的に全社員に働きかけをさせて頂きましたところが、現在まで喫んでおりました三百余人を超えた方々が、私に同意を頂きまして、禁煙宣言を頂きました。また、この間は、お盆がございましたけれども、この本堂へ皆さんお盆ですからお詣りにお出でになります。お茶を一服差し上げまして、皆さんをおもてなしするんですが、お出でになった方々に、全部、一人ずつ、「煙草を如何ですか」というふうにお聞きをしました。煙草を召し上がっている人には、極力説得をさせて頂きまして、本当に、「今日は住職から言われたと思うと、大変腹が立つでしょう」と。「だけど、住職はこのご先祖の代官として申し上げておるんで、今日はお盆で御浄土の極楽浄土から帰って見えてですね、そして、あなた、煙草を止めたらどうですか、というふうにおっしゃっている。そして先祖の願いは、みんなが命を大切にして、そして、元気で頑張ってやって貰う、ということを、先祖の方々も願っていらっしゃいますよ。仏様も同じですよ」ということですね。手を出しましてね、「煙草を出して下さい」「ライターも出して下さい」というふうに申し上げまして、そこの仏殿に置いてありますけれども、煙草幾つかございますが、あれはその時、禁煙をご宣言頂いた方々が置いていかれたものです。
 
有本:  衆善奉行の一つであるということがよく分かりましたけれども。「インドに行かれて、大変ショックを覚えた」というお話を頂いた時に、「お釈迦様はそれぞれに分かるように法をお説きになった」ということで、徳本さんご自身も、檀家の皆さんを初め、皆さんに仏の教えを説く時に、「理解出来るように、今にマッチしたように」というお話がございましたけれども、どうでしょうか。今の檀家さんの反応と言いますか、受け止め方は如何なんでございますか。
 
徳本:  十人十色と申しますかね、そういうものでございましょうか。かなりですね、お寺を大切に考えて頂いていると思うんですね。大変喜んでおります。
 
有本:  この立派な本堂、お寺を再建(さいこん)なさる時に、檀家の皆さんを初め、大変な協力があったように伺っているんですけれども、具体的にお一人お一人の協力と言いましょうか、どんな協力があったんでございますか。
 
徳本:  いろんな行事を致しました。立柱式であるとか、上棟式であるとか、竣工式は勿論でございますが、そういうことをさせて頂きました時に、最終に終わりましたら、そうしたら、檀家総代の方々がやって来られまして、「住職大変だったろう」ということで、皆さんで、私達夫婦をご招待頂いて、そして、労(ねぎら)って頂く、というくらいのご協力ぶりを頂きました。大変感謝を致しております。私はこの縁というものを大切にいつも思っているんですが、ご本堂を作りますにつきまして、この材木の材質は全部ヒバ材と申しまして、正倉院の建物と同じ材料でございます。これが十九号台風という台風で、能登の方で倒木になりまして、倒れた木でございまして、どうしても切り出さなけらばいけない時に、たまたま能登に、私がブラッと遊びに行っておりました時に、山がこう倒れておるということから、それを、「じゃ、頂戴」ということで、こんなに太い立派な木が、普通でございますと、なかなか入手出来なかったんですが、仏様のお導きで、そのところへフラフラッと行ったというようなことがあったり。また、大工の棟梁さんですね。これは沖縄の首里(しゅり)城の再建を先般されましたね。その時に、向こうへ三、四年行っておりました棟梁の人達が向こうを終って、こっちへ帰って来られた時に、たまたまその一群の方々がこれにかかって頂いた。瞬間的にこの建物が出来ました。また、檀家総代の方々は大変ご協力を頂きまして、私はここの檀家さんの方に一軒ずつお願いに行くというようなことは、殆どしませんでした。皆さんが手を分けて資金を、募財を頂いたり、
 
有本:  そうしますと、このお寺の材木も少なくとも、三百年とか五百年、もっと樹齢がある木をお使いですから、
 
徳本:  この本堂は長く、あまり腐らない木、材質のもので、とそんなことを考えておりましてね。たまたま中国の敦煌(とんこう)の方に旅行をしておりました時に決心をしたことですが、本来この本堂は旧市内の、旧境内地の方に建てるつもりでございましたけれども、やはり長い風雪に耐える為には広い敷地の方がいいだろう、ということで、こちらへ持ってまいりました。従って、いろんな方のご縁で、此処に建立(こんりゅう)出来たと思っております。
 
有本:  十人十色、檀家さんにもいろんな方がいらっしゃいますよ、というお話で、当然だと思うんですが、分けても最近、若者の仏教離れ、と言いましょうか、とかく言われるんですけれども、住職さんからご覧になって、今の若者の仏教観と言いましょうか、どんなふうにご覧になっていますか。
 
徳本:  そうですね。旧来の感覚から見ますと、あまりご縁が少なくなっておるのかも知りませんね。しかし、此処におりますと、家族連れだって、そしてお寺へお詣り頂く方がかなり増えてきておりますね。ですから、お盆だとか、お正月だとか、という時には揃ってお詣りを頂くという方がいらっしゃいます。また、年末にはこの除夜の鐘をお寺として撞く式典をやります。この時は沢山の方が、特に幼稚園の小さな子供たちも連れて、撞きに来て頂きますね。ですから、それは今の時代として、昔のままの物差しでいきますと、そういう感性が少ないように思いますけれども、そのことは心配しなくてもいいんじゃないかと、私は思いますね。
 
有本:  信仰が必要だ、ということを認めていらっしゃる、ということになるわけですね。
 
徳本:  そうですね。
 
有本:  しかし、〈いのち〉の大切さ、頂いた〈いのち〉を大事ということで言えば、本当にいまいろいろお話を頂いたことを含めて、一人一人、それに気が付けば道が見えてくるというのか、ありますよね。
 
徳本:  そうですね。なかなか、私達自身、自分で反省しましても、小さな時分には、「悪いことをしたら地獄に落ちるぞ」ということが言われましたけれど、同じように一日の中で極楽におる時もありましょうし、また地獄に落ちておるような気持でいろんなところを経巡(へめぐ)っておりますけどね。従って、なるたけ、そうした心の落ち着きと言いますか、そういうものを持ったような時間を持てて、そういうものをずうっと全(まっと)うすることが出来たら、その人生は本当に仏様のお気持ちに添うようなものになると考えていいんじゃないでしょうか。ですから、ベトナム、スリランカに行きますと、ほんとにほほえみとか、合掌とかということが、ごく自然に皆さんやっていらっしゃいますね。ああいう姿がこの社会に実現出来たら、もっと違った社会になるかも知れません。しかし、そんなに捨てたものではないんではないか、と考えておいた方がいいと思いますね。「あそこの家ではあのお年寄りが亡くなったらどうなんだろうなあ」というふうにおっしゃるお家が、代が代わりますと、また、お父さん、お母さんがなさったのと同じことをちゃんと務めて頂くことが多いわけですよね。
 
有本:  来年はまたインドへご旅行という計画がおありになるんですか。やはり仏教のルーツと言うか、原点を見ることによって、また違った目で見られる、ということになるでしょうかね。
 
徳本:  私も五十歳の時に参りまして、それから還暦を迎えた六十歳の還暦もインドで迎えました。そのまま、また、南インドの方へ一度行って参りまして、竜樹(りゅうじゅ)菩薩とか、あの方々がいらっしゃった谷、その辺りも訪ねて来たんです。そうした昔のお釈迦様を祀りまして、ストゥーパの遺跡がございますね。そういうところもお詣りしたりして参りました。スリランカへ参りますと、ペラヘラ祭りというのがございますね。スリランカに仏歯寺(Dalada Maligawa:ダラダーマーリガーワ)というお寺がございまして、そこにお釈迦様の本当の御遺骨の歯が祀られておる、そういうお寺もございまして、そのお祭りが、盛装した象を町中に行列しまして、そしてお詣りをする。そのお祭りに合わせて、私もお詣りさせて頂きましたけれども。お釈迦様の本当の二千五百年前のご遺骨がここにあるとなりますと、やっぱり本当に身体がなんか顫(ふる)えるような気が致しますね。
 
有本:  良覚寺の住職さんとして、或いは、幼稚園を経営なさったり、幼子の殿堂造りという会社の社長としてのお仕事があったりで、今、お話を伺って参りまして、非常に大きな目標がおありで着々と実を結んでいるということがよく分かりましたけれども、どうでしょう。これから更に幼子の殿堂造りの為に、こんなことを目標に、こんなことをやってみよう、という抱負がございましたら伺いたいんですが。
 
徳本:  次のその子供たちが作る時代の日本の社会というのは、もっともっと素晴らしいものになるのではないか。そうさせてきた子供たち、それを信頼するような子供たちとして、みんなちゃんと出来るんですよ、というような気持で、出来るような、そういう社会が出来ましたら、私は多少違ったものが出来るのではないかなあと、そんなふうには思っておりますね。
 
有本:  どうもいろいろ有り難うございました。
 
 
     これは、平成十一年十月十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。