人生科の教材
 
                        敬和学園高等学校校長 榎 本 栄 次
                        き き て      金 光 寿 郎
 
金光:  阿賀野(あがの)川河口の東、海岸添えに広がる新潟市太夫浜(たいおはま)。昔、源義経が都落ちの途中、この地を通ったという伝説が残されています。海岸の松林を隔てて自然に囲まれた広い敷地の中に、三十二年の歴史をもつ敬和学園高等学校の建物が建っています。敬和学園高校はキリスト教精神に基づいて、一九六八年四月に開校され、一学年二百人、合計六百人の生徒が学んでいます。学園の一日は、昨年完成したばかりの新しいチャペルで朝の礼拝と共に始まります。
 

 
校長:  おはようございます。各学年で修養会が持たれました。それぞれによい体験をされたことだと思います。敬和学園は卒業旅行とか、修学旅行というのをしないで、毎年各学年、修養会というのをしています。これはみなさん方にこの人生にとって、最も大事なこと、聖書で言うと天国のこと。天国のこと、というのは、別に死んでからのこと、という意味じゃありません。本当のこと真理を意味します。君達の年代に学んでおかなければならない真理を学んで貰う為に、この修養会というものを大事な時にして貰いました。(話続く)
 

 
金光:  榎本栄次さんは昭和十六年、兵庫県に生まれました。立命館大学理工学部に入学した時、三浦綾子さんの小説、『ちいろば先生物語』のモデルになった十六歳年上の長兄保(やす)郎(ろう)さんが、京都市桃山の教会で開拓伝道をしていたので、その家に同居しました。貧しいながら、生き生きと伝道に力を尽くしている姿を見て影響を受け、自分も牧師の道を志しました。昭和四十三年、栄次さんも同志社大学神学部を卒業して、札幌の教会に務め、更に札幌市の北部に新しく拓いた教会が安定した頃に、此処、敬和学園高等学校から招かれ、平成二年に校長として赴任しました。朝の礼拝の後、午前の授業が始まり、静かになったチャペルの中でお話を伺いました。
 

 
金光:  今日は「人生科の教材」というような、まあ「人生科」という授業は、実際にはあまりないと思いますけれども、私達は否応なしに、こう人生の場で、いろんな勉強をさせられるというのが、一生だと思うんですが、榎本先生の場合、よく俗に、「三つ子の魂百まで」なんて言いますけれども、お小さい頃のご自分というのは、どういうふうに今お考えになっていらっしゃいますか。
 
榎本:  そうですね。私は自分のもっているものは、みんなあの田舎の川や山や畑や家庭の中に全部あったと思います。
 
金光:  淡路島でいらっしゃったですね。
 
榎本:  そうです。ですから、小さい時の教育と言うか、広い意味での教育が与えるものというのは計り知れないものがあると思います。
 
金光:  ご家族はどういう構成ですか。
 
榎本:  私は淡路島の出身で、昔、淡路島に淡路鉄道というのが走っていまして、そこの神代(じんだい)駅という駅の子供なんです。駅の子なんです、私は。
 
金光:  駅の子というのはちょっと、
 
榎本:  九人兄弟の、私は八番目です。二人の兄が小さくて亡くなったんです。
 
金光:  じゃ、駅の建物、そのものでご家族方はご生活なさっていた。
 
榎本:  そうなんです。家庭が駅と言うか、無人駅でして、私のところは飴を売ったり、切符売ったり、百姓したりしながら、駅兼店兼農家というような、そういう家庭でした。実は駅のドラマというのがいっぱいあります。戦後、特に闇米の仕事というのがあって、担ぎ屋さんがいっぱいいたんです。私の家なんかに、よく担ぎ屋さんが出入りしましたけれども、一切、父親も母親もその商売には手を向けなかったです。ある時、店にお金三万円、誰か忘れた人がいたんです。三万円と言うと、今で言うと、三千万円位になるでしょうかね。
 
金光:  そうですね。凄い金ですね。
 
榎本:  私のところはほんとに食べるのも、明日食べるものも窮する貧しい家庭でしたけれども、「ああ、これは忘れものだ」と言って、親父はそのことに全然目もくれないで、「その棚に上げて置いてやれ。取りに来るだろう」と言って、それで藁仕事をしていました。そうしたら、一人の人がもう血相変えて取りに来たんですね。「忘れていなかったか!」と言って。そうしたら父親が「おお、そこに置いてあるぞ」と言って、それはそれはビックリして、泣くようにしてお礼を言って帰られましたけれども。そういうようなことはほんとに幼い子供にとっては誇りになるんです。また、ある時に、私の家の前に汽車の石炭が置いてある、石炭小屋みたいな簡単な囲いがあるんです。ある時に父親がその石炭を取って風呂にくべたんですよ。自分の家のものでない、鉄道のものなのに、それはよく燃えますよね、戦後焚き付けがない時には貴重な燃料です。そうすると、母親がそれを見て、「お父さん、それはいけないよ」と。湯をみんな流してしまって。水を風呂にいっぱい入れるのも大変なのに。「そんな風呂に子供たちを入れたらダメだ」と言って、夫婦喧嘩していたのを、私達は覚えています。あ、それはやっぱり、ああいけないなあ。私たちはそれを尊敬して見ているんだけれども、それじゃ、私は真面目な生活をしているかと言うと、やんちゃやんちゃな毎日ですよ。
 
金光:  そうなんですか。じゃ、自分もそういうふうにというわけには、
 
榎本:  そういうわけにはいかないです。それは尊敬はするけども、自分はまた別なんです。なんか悪いことを出来ないか、というような、
 
金光:  要するに、エネルギーが溢れていたわけですね。
 
榎本:  そうなんですね。
 
金光:  ところで、ご兄弟には有名なご長男の保郎(やすろう)さんですか、非常に伝道に熱心な先生だったということで、有名な保郎先生という方がいらっしゃったんですが、先生、随分お年が十五、六離れていらっしゃるから、直接小さい頃、「ああしろ」「こうしろ」なんていうことはお聞きになっていらっしゃらないかと思いますが、その保郎お兄さんと榎本栄次先生とのご関係と言うと、どういうことでございますか。
 
榎本:  私が丁度物心付いた頃に、彼は帰って来ました。
 
金光:  兵隊から、
 
榎本:  戦争から。そして、まあ何か帰って来て、直ぐ殴るんですよね。ボカンと殴るんですよ。「歯を食いしばれ!」と言って、ボカンと殴って、もう散髪でもバリカンでガアッと、切れないバリカンでやってくれるんですけど、痛くて痛くて、涙ボロボロ流れるんですよ。痛い言うて、そうすると、「泣くな!」って、「歯を食いしばれ!」とバツンと殴る。そして、まあ殴られたから余計痛いから泣く。泣くとまた叩く。彼は荒れていましたね。
 
金光:  その頃、勿論、キリスト教を信じてはいらっしゃらなかった。
 
榎本:  絶望のどん底だったようです。彼はほんとにいわゆる軍国主義の教育で行ったんですけれども、それがやっぱりやぶれて、自分がほんとに傷心のまま帰って来たようですね。それで、彼はある時に、内村鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎』という本に触れて、それで、「あ、キリスト教が自分の新しい人生を。希望だ」と言って、キリスト教に入ろうとするんです。
 
金光:  そうですか。それで学校も、じゃ、キリスト教の勉強をしようということで、同志社の方にいらっしゃったということなんでしょうか。
 
榎本:  そう。同志社に行ったんですけども、家が貧しいものですから、みんな戦争から帰って来たら、家のためにみんな働いて、商売とかいろいろなことして、家を建てたりするのが、彼は、「大学で勉強する」と言っていたのを、父親が、「やってやる」と言って、別にキリスト教に理解があったわけじゃないんだけれども、「息子のいうことだ」と言って、応援して行かしたんですね。
高校三年生の時、私は淡路島の鉄道の車掌になろう、と思ったんですよ。五人受けたんですよ。五人の中の三人が受かる。二人が落ちる、という時に、私の知り合いが「任しておけ。儂(わし)は人事課へ務めている」と言うんだから、頼んでいたんですけども、その小父さんが来て、「榮ちゃん、ダメだった」というわけでガッカリしました。その時には、親父も丁度交通事故に遭って、大変でしたけれども、伯母(おば)さんがこう言いましたね。「榮ちゃん、キリスト教になっても、なんもいいことないのう」。
 
金光:  その時はもう洗礼を受けていらっしゃったんですか。
 
榎本:  ええ。高校一年生の時に、兄の影響で、教会に行こうと思って行き始めましたんです。高校三年生の冬ですけども。その時に、伯母さんに、「伯母さん、そうじゃないんだ。神様がもうちょっと私を大事な仕事に就かせようと思っているから、儂(わし)をダメにしたんだ」。私は心からそう思ったんですよ。それで京都に行って、数学が少し好きだったものですから、理工学部に行って、勉強しようと思って、立命館の方に入って、それで兄のところに居候したわけですね。
 
金光:  理工学部でそちらの方の勉強をされていた榎本先生が、また改めて牧師のコースを歩むようになられましたですね。これは何かきっかけがあるわけですか。
 
榎本:  まあ、そういう時に、自分が嫌と言うか、劣等感やら、そういうもので悶々している時に、兄の生活を見ていると、非常に貧しいのに、食卓が豊かなんですよね。別に、漬け物があって、煮干しがあって、それだけなんですけれども、ところが何か食卓が豊かなんですよ。それでやっぱり、「お金でないのかなあ」というふうなことをだんだん感じるようになってきて、牧師である彼が、「人生は賭だ」と言っていたんですよ。「神様がある、というふうに賭けると、それを徹底していったらいい。そうすると、ノーベル賞が貰えるぞ」と。「そして、神様が無いというなら、無いというところに徹底していって、それを証明したら、やっぱりノーベル賞が貰える。どっちにしてもノーベル賞が貰える」と、面白い話をご飯を食べながらするんですよね。それで私も「そうだなあ」と思って。賭事というのを、結構私は小さい時から隠れて好きだったんです。面子(めんこ)とか、ビー玉などをいっぱい取ってきたり、人の買ったやつ全部、自分買わないで取ったりしていたんですけども。でも、その賭というものは、「そうだなあ」と思って、「神様に賭けよう。自分の人生を。別に、勿体ない人生でないんだから、神様に賭けよう」と思ったんですね。それで丁度、理科の教師をしようと思っていたものですから、京都の公立の試験がありまして、それが日曜日の礼拝の時だったんですよ。
 
金光:  教師試験ですね。
 
榎本:  教師の試験が。ある有名な人の言葉を引用して、「キリスト者は日曜日、礼拝絶対守らなければいけない。日曜日礼拝守れないような職業だったら変えなさい」というような説教を聞いたんですよ。「ああ、そうだよな」と思って。日曜日に丁度試験があったものですから、私は、「これは受けないでおこう」と思ったんですよ。そして、あるミッションスクールに、兄が、「世話してやるから」と言うから、「数学の先生になる」と言って、面接に行ったんです。面接で校長先生が、「公立の試験をどうしましたか」という。私はこれはミッションスクールだから分かってくれるものと思って、「日曜日だから、受けませんでした。礼拝を大事にしました」と言ったら、それで断られました。そんな変な人に来られたら困ると思われたのでしょう。でも、私はその時に、「人生に下手なんだけども、賭けるということをしたなあ」と思います。そして、「それが自分の人生を牧師になろう、と思う方向に方向付けた」と思います。
 
金光:  でも、しかし、大変な教訓を得られましたね。
 
榎本:  いや、公立の試験を受けていてもダメだし、神様にしてはえらい迷惑な話だろうと思うんですけども、私なりの若い時の一つの人生の選択だと思います。
 
金光:  それであと、神学コースの方に編入試験を受けられましたね。
 
榎本:  はい。「牧師になろう」と思って、「編入試験というのは、比較的入り易い」と言われていたものですから、「試験を受ける」と言ったら、兄も、「よし、それじゃ、受けなさい」と言ってくれて、それで試験受けたんです。そして、受けて、「あ、今日、もう合格発表だ」と思って、同志社の明徳館というところに、私はいそいそと見に行ったんです。そして、私の名前をさがしたら、自分の名前が出ていないんですよ。要するに不合格なんですよね。ガッカリきましてね。それから御所へ一人でトボトボトボトボ歩いて行きました。私はそういう淋しくてトボトボ歩くのは、何とも言えない心地よい気持になるんですよ。どういうわけか知らないんですけども。そのトボトボ歩いているうちに、ひとつの祈りになってきたんですね。「神様有り難うございました。私がもしここで合格していたら、鼻持ちならない牧師になっていたと思います。今日、落第して、人の痛みの分かる、人の悲しみの分かる牧師にして下さい。今日、僕の牧師になる入学式にして下さい。神様、有り難うございます」と言って、そうして、泣きながらお祈り出来たんです。スッキリしてね。本当に、「これで牧師になろう」と思ったんですよ。帰って来ますと、義姉が合格したものと思って、「おめでとう!」と言って、ご馳走を用意してくれたんですけども、「ダメだったんだ。申し訳ない」。泣きながら、謝ったら、「そう」と言って聞いてくれたんですけども。丁度その時に理科の教師の口が一つありまして、京都市内で、理科の教師になって、それでボーナスも貰えるし、給料もちゃんと貰えるから、母親なんか、「栄次、理科の先生をしていた方がいいよ」と言ったんだけども、「僕は牧師になる決心したんだから」と言って、次の年、受けて同志社に編入したんです。
 
金光:  しかし、落第されても、「もうこれだったら、神様の思し召しは牧師になるのを止めろ」ということだ、というような受け止め取り方ではなくて、そこでいよいよ決心を固めて、また、次の年、お受けになったわけですね。
 
榎本:  はい。その時、私の日記を見ると、こういうふうに書いています。
 
「人はあれも出来る、これも出来る。あそこもある。ここもある。でも、それら一切捨てて神様に従います。僕の場合は違う。あそこもいけない。ここもいけない。こんなものも無い。あんなものも無い。だから、神様のところへ付いて行きます。神様すいません」
 
金光:  それで学校を卒業されて、札幌の方の教会へ伝道師として行かれた。伝道師という言葉を聞いても、実際の仕事もあんまり私は聞いたことないんですが、どんなお仕事をなさったんですか。
 
榎本:  そうですね。私の行った教会は、北海道でも一番大きな教会でした。それで主任牧師さんが居て、副牧師さんがおり、協力牧師さんが二人居て、そして、その下に伝道師がいる、というような感じの教会でした。二百五、六十人の大きな教会で、説教することもあんまりなくて、私のすることは、高校生や青年と一緒に遊ぶと言うか、そういうことでしたね。
 
金光:  学校で教えるようなこともなさったんですか。
 
榎本:  はい。北星(ほくせい)学園に行って、聖書の授業をしたりもしました。
 
金光:  高校生もクリスチャンの非常に純粋な生徒さんばかりということなら教え易いんですけど、必ずしもそうでもなかったようですね。
 
榎本:  そうですね。私が、そこで講師ですけれども、多くの生徒は、聖書の授業をバカにしているんですよ。「入試の役に立たないし、そんな聖書なんか勉強しても何になるんだ。俺は仏教だ」なんかいう生徒がいて、ある時に教室に入って行きますと、一人の生徒がテープをかけて歌を歌ってジュースを飲んでいるんですよ。「こら、何しているんだ。ちゃんとしなさい」と言ったら、「うるさい!お前なんか講師だべ。おれは仏教だ。キリスト教なんか要らない!」というから、「ここはキリスト教の学校だから、ちゃんとしろ」と言ったら、「うるせえ!」と言うので、「それではお前はこれは欠席だ」と言うと、「なあに、よーし、欠席か。欠席ならいい。みんなで暴れてやる」とか言って、騒ぎ出したんですよ。「騒ぐ。そんな授業を妨害するなら、欠席だけじゃない。俺は絶対お前の成績の単位出さんぞ」と言ったら、「この野郎。お前の家に火を付けてやる。スコップでぶん殴ってやる」と言いました。そうやりかねないような顔つきなんですよ。側(そば)にいたおとなしそうな子が、私の顔をしみじみ見て、「先生、おっかなくないのかい」と言うんですよ。「おっかないよ。俺だっておっかないよ。でも、彼から月謝貰っているだろう。そうしたら、教育する責任があるべさ。おれはそういうのをいい加減に出来ないよ」。「フウン」。この日は砂を噛むような授業でした。うるさいしね。こっちがやっていても聞いてくれない。
 
金光:  ガヤガヤやっている中で講義されたんですか。
 
榎本:  それはもう辛くてね。今度の時に、どうしようかと思うと足が重くなります。次の週そのクラスに行こうと思うと、もう「ほふり場に引かれる子羊の如く」という感じでした。そのクラスに行くのが嫌で、また、彼奴(あいつ)の顔を見るのかと思いながら行くと、机の前にゴミがバアッと開けているんですよ。教卓の上に、ジュースとか、牛乳とか開けて、そして、こっちの黒板に私の似顔描いて、「ハゲ」とか書いてあるんですよ。そうして、みんな面白そうにヤイヤイやっているんですよ。私は、「どうしてやろうかなあ」と思って、今度は、「きつくいくか、柔らかくいくか、どっちか徹底しよう」と思って、「徹底的に大げさに柔らかい方でいってやろう」と思って、雑巾とバケツ、ゴミ箱を持って来て全部掃除をしたんです。服が汚くなってね。あっちもこっちも汚れて。ところが、みんな私のやることを黙って見ているんですよ。私は出来るだけ大げさに、出来るだけ丁寧に、時間を掛けて、「これが授業だ」と思って、授業のつもりでゆっくりやっていたんです。生徒たちは黙って見ていて、終わったので、「さあ、それでは授業するぞ」と言ったんです。そうしたら、一番前に坐っていた彼が、「そこに一つ落ちている!」と言うんですよ。私はカツンときたですよ。「切れる」という言葉がありますが、切れかけたんですよ。切れかけた時に、ひょっと浮かんだのは、「待てよ。彼は手伝ったんだなあ」と思ったんですよ。みんなの手前、手伝うなんて出来ないですよ。裏切り行為になるから。
 
金光:  それはそうでしょう。
 
榎本:  「そこにあるよ」というのはこっちから見たら、物凄くけしからん言葉なんだけれど、向こうの側から見ると、手伝っているんですよ。「あ、そうだ。手伝っているんだ。勝った!」と思って、「お、有り難う」と言って、私は拾ったんです。そうしたら、彼等が、顔付きが変わったです。それから授業したら、シーンと聞いてくれました。授業の後で、彼がすごすごやって来て、「先生、俺に先生の持っている聖書」この聖書ですね、分厚い聖書、普通は新約聖書という薄い聖書だけだったんですが、「これを僕にくれ」と言うんです。「いいよ」とサインしてやったんです。次の日に、彼はやって来て、「先生、俺、教会に行くから」と言って、それで教会に五人程、仲間を連れて、エイエイ言いながら礼拝に行きましたね。
 
金光:  でも、それで、じゃ、真面目にずうっときたと、人間は簡単にはいきませんでしょう。
 
榎本:  そういうことではないんです。それで私もいい気になって、その礼拝に来た時に、「人が悔い改めたら、こうなるんだ」「あんなに悪かった彼がこうなったんだ」と、得意になって彼の話したんですよ。説教で。そこにおる彼を掴まえて。私はいい話をしたつもりなのに、彼にしてみたら、プライドが傷付けられた。俺を笑い者にした、ということで、教会から帰る時に、プッとして帰ったんです。帰り道、公園でシンナー吸ったらしいんですよ。やけくそになって。それでシンナー吸っているところを警察に見つかって。
私は学校の教師たちに、「彼もよくなったぞ」と言っていたら、「ほんとか。信じられない」と言っていたのに、「シンナー吸った」というので、私が学校へ行くと、「榎本さん、それ見たことか。やっぱり彼奴はダメなんだよ。腐ったミカンは腐ったミカンだ。早く退(の)けなければいけないんだよ。あれがおると学校中ダメになるんだから、もう退学だ」。決めてしまっているんです。「退学だ」と言って。「彼奴(あいつ)がおるために、他の生徒がどんなに迷惑しているか分からないんだよ。そんなヒューマニズムで騙されてはいけないよ。甘かったらダメだよ」と言うから、「ああ、そうか。すまんなあ」と言って謝るしかありません。「儂も甘かったなあ」と思って帰りがけに、彼の家を訪問しました。そうすると、彼がふてくされているんですよ。「担任をぶん殴って、俺は辞めてやる」と言っているんですよ。「お前、ぶん殴るのもいいけども、ぶん殴って辞めたら、お前、ほんとにお前の人生ダメになるぞ。お前なあ、もう一度赦してくれ。もう一度赦して、僕を学校に帰してくれ。僕の生活を改めるからチャンスを下さいと手紙を書け」とすすめました。「クラスと担任に。そうしても絶対辞めさせられるよ。辞めさせられても、そうして辞めたら、お前は一角(ひとかど)の者になる。必ずなる。だから、手紙を書け」。それで、彼は手紙を書いたんです。そうしたら、その手紙にほだされて、担任が、「僕の教師生命を彼に賭ける」と言って、職員会議で、「もう一回だけチャンスをやって下さい」とお願いしてくれたんですよ。今、稚内の北星学園大学の先生をしている浅川先生という先生ですが、その先生がお願いされたんです。そうしたら、職員会議は、「そこまで言うならば」というので、それで、「彼を復学するかどうか」という討論になったんですよ。クラスで討論すると、「彼奴帰って来たら、クラスが無茶苦茶になる」と。彼の仲間連中が、「いや、彼奴だって良いとこがある」と言って、その連中がまた騒いでいるわけだから。「どうするんだ」と大 議論になって、学校全体の討論集会になったんです。で、彼がいよいよ帰って来て、みんなの前で、自分の決意表明をしたんです。学校全体が、「絶対タバコを吸わない」「絶対酒は飲まない」「ベルが鳴ったらちゃんと席に着く」「ノートを取る」などの生活改善大運動というのを決議したんです。ですから、彼が途中でダメだったら、それで終わっていたんだけれども、彼がいた。腐ったミカンのようだったかも知れないけれども、人間はミカンじゃないんだ。人間は一人良くなると、周りがずうっと良くなるし、良くなる可能性をみんな持っているんだということです。「普通の人以上にそういうものを持っているんだ」ということを、私は凄く教えられたことでしたね。
 
金光:  それで伝道師の生活をなさっていた先生が、開拓伝道で、また新しい教会をお造りになりましたですね。そういう新しい小さい教会に来る人というのは、やっぱりいろんな人がいらっしゃるんじゃないかと思いますが。
 
榎本:  開拓伝道を始めるというのも、これは教会の無いところですから、私は一つの決心がいったんです。これは実は三番目の落第の結果なんですよ。一回目は電車の運転手になろうと思ったのがダメだった。二回目は神学部へいくのがダメだった。三回目は北光教会を辞める時に落第しました。どこかの教会で、私を採用と言うか、招聘(しょうへい)してくれるところがないかと待っていたのですが、どこからも招聘の口はありませんでした。どっこも空きがなかった。それと、「あの人を雇ったら大変だ」と思われたんだ、と思うんですけれども。私の方も頭下げて、「お願いします」というのも厭で、「僕は開拓伝道する」と。「来て下さい」という人が、一人もいないものだから、ついそう言ってしまったわけですよ。私の兄に電話して、「開拓伝道しようと思うんだけども、どうだろうか」と言ったら、「それは良いことだ。したらいいよ。祝福される」と言うのです。でも、普通は、「止めておけ」と言うのに。半分失望したんですけども、一年して、彼がロス・アンジェルス(Los Angeles)で伝道旅行をしている途中に亡くなったんです。葬式に私達家族が行きますと、お手伝いさんが、「北海道から来られた栄次先生ですか。一年前に開拓伝道 するかどうかで迷っておられましたね。あの時、電話していたのを、私、聞いたらいけないと思って、隣の部屋へ行っていました。帰って来たら、榎本先生、電話抱えて、オンオン泣いておられましたで。あんな榎本先生見たのは初めてですよ」と言われたんです。私はその時は堪らなかったですね。
 
金光:  電話の時は榎本先生はどう感じられたんですか。
 
榎本:  いや、私は、「冷たい人だなあ」と思いました。ほんとにお金もない。信者も居 ない。誰からも要請された訳ではない。土地もない。建物もない。「どうして親子四人食べていったらいいだろうなあ」と。彼にちょっと正直言ったんです。そうしたら、「栄次、なに言っているんだ。神様が養って下さるじゃないか。お前、神様に賭けるんだろう。中途半端な生き方するな」。そう言われて、「そうだなあ」と思ったんですよ。そして、半分、「冷たい人だなあ」とも思いました。その時、「よーし。俺に任せておけ。俺が教会世話してやる」と言ったら、兄を信じたと思うんですよね。兄が神様の方に、私を押し戻してくれたんだと思います。彼は、「必ず神様が導いてくれる」ということを信じていたんだ、と思いますね。
 
金光:  でも、そうやって足を一歩開拓伝道の方に踏み出されます。そこで先程からお話を伺うと、トントン拍子に、希望通りに、イエス様の後を従って、という形でなくて、歩いて来られた。その経歴というのが、実際牧師になって、開拓伝道なさっている時、普通に言うと、マイナス面みたいなのが、それが来る人にどういうふうな効果を与えますか。
 
榎本:  そうですね。私は最初始めた時に、家内と二人ですよね。そして子供が両方見ながら、「お父さん、誰も来ないの」と言うんですよね。私はほんとに、「泥棒でもいいから来て欲しい。私の教会に参加して欲しい」と思いました。それでガリ版で、B5版裏表に「週報しのろ」というのを刷って、教育の話とか、聖書の話を印刷して、千軒配ることにしたんですよ。千軒配っていると、ほんとにいろんな出会いがありました。そこで、やっぱり、「お金持ちが来てくれないかなあ」とか、「どうにかして有名な人が来てくれないかなあ」とか思い、「僕は三浦綾子さんを知っているんだよ」とか、「大学二つも出ているんだよ」とか言いたくなるのです。でも、そういうことは何の役にも立たんのです。そんなことはほんとに何にも役にたたんということを知りました。むしろ、実は私がこういうことで苦しんでいるんだ、という共観の方が大切です。ある時に、一人の女の教師が埼玉から来て、私の教会へ来たんです。辛い顔をしているんです。「埼玉から家出して来たんです。石狩川で死のうと思ったけど、死にきれなくて此処の小さな教会を訪ねました」と言って来られたんです。それで、「どうしたんですか」と聞いたら、「教師です。小学校の教師です」。黙っているから、「あなた、一生懸命黒板の前に立ったら、みんな騒ぐのかい」。「はい」。「騒いでいる姿を見たら、自分が実力ないということが分かるのかい。一生懸命頑張ろうと思うとみんな騒ぐのかい」。「はい」。「騒いで、また何か言うと、また、みんな余計騒ぐのかい」。「はい」と言って目を丸くするのです。
 
金光:  向こうは喋らないで、先生が、
 
榎本:  私が言うんですよ。何にも聞いていないんです。泣いて泣いて泣いて。それでフウッと私の顔を見て、「先生、どうしてそう分かるんですか。私のことを」。「いや、儂がそれだからさ。私が優秀でもない。私も教えるにはいろんなことで失敗して、自分がどうしようもないと思っているからさ。でも、神様はなあ、必ずいいものを教えてくれるぞ」と言ったんです。そうしたら、彼女はボオッと明るい顔になって、「これから家に電話をします」と言って、私のところから電話して、「いま、北海道のこういうところへ来ている。お母さん、元気にしているから心配しないで。これから帰ります」って、そして、帰って行ったんです。彼女は直ぐ私のところへ手紙をくれました。「先生が、ほんとに苦しんでいる人がそこで居て、しかも前向きに生きているのを聞いて、私は勇気を与えられて、もう一度教師になります」と言うて。「あんたはいい教師になるよ」と、返事をしたんです。そういうふうなことの出会いが開拓伝道の出会いで。最初は二人からでしたが、十四年間しましたが、八十五人位の、ほんとに町内から愛される素晴らしい教会に育てられていったと思います。
 
金光:  そうしますと、困っている人、悩んでいる人の立場が、スウッとお分かりになったということになるわけでしょうね。
 
榎本:  「スウッと分かった」と言うか、ほんとに私も、「同じだ」と思ってしまうんですよ。今でもそうなんですが。子供たちがなんか悪戯したり、悪いことをして、私がやっぱり注意したり、叱ったりするんですけども、半分自分の弟や、自分自身がそこにいるような気持で、他の先生が、「先生、叱って下さい」という時に、叱ることは叱るんだけども、その先生が、「ダメじゃないか」と言われていると、思わず、「スミマセン」と言いたくなるのです。
 
金光:  そういうのは生徒さんには何となく伝わることが多いでしょうね。
 
榎本:  そうかも知りませんね。「教育というのは、やっぱり大人がこちらに正解をもっていて、正解のところに連れて来ることじゃないなあ」と思います。そうじゃなくて、「その子供の現実のところへ行って、その子供から学んで、そして、そこから一緒に援助しながら歩き始める。それが教育だと思います。だから、それぞれに新しい意味がある」ということです。
 
金光:  でも、そうやってご夫婦、子供さんだけの教会が、八十人のメンバーを持つ教会に育って、いわばある程度安定してきたところで、高校の敬和学園にいらっしゃったのは、これはまたどういうことなんですか。
 
榎本:  そうですね。私共は一生そこの教会で過ごそうと思っていました。一生を本当に捧げるつもりで。その会堂が出来た時も、土に接吻するような気持がありました。他人(ひと)が家を建てたのと比べものにならないほど嬉しかったですよ。でも、ある時に、ここの理事長から、「是非来てくれ」と、お声がかかったんです。その時、「とんでもない」「高校の、しかも、校長なんという、私は身分でもないし、そういうちゃんとしたところは厭だ」と思い、お断りしたんですけども、「どうしても」ということでした。私は、「ああ、そうか。これはやっぱり自分が造った教会を、神様にお返ししなければいけないんだ」と。「これを自分の手の中にいたら、ダメなんだなあ」と思った。また、「全く知らないところだけども、受けて、遣わされて、また、教えられながら行こうかなあ」と思って参りました。
 
金光:   やっぱり取り上げられる時も、「神様ダメです」ということじゃなくて、「従わなければいけない」ということで。でも、前途に対する不安とか、多少はそういう未経験なところへいらっしゃる時は、いろんなことが当然頭の中に浮かんでくることでございましょう。
 
榎本:  それはそうです。私がここへ来た時は、敬和学園がどういう学校か、ということをよく知らないで来ました。どういう先生方がいるか、ということも分かりません。先生方にしては、二十年もの大ベテランがいるのですよ。「先生、教育方針を言って下さい」「どうするのですか。キリスト主義教育はどうなんですか」と言われても何も言えません。私はただ一つのことを提言し、「キリスト教主義というのは、聖書をやります。或いは、洗礼をこういうふうに授けます。こういう教義を教えます、ということじゃない、と私は思う」と。「そうじゃなくて、キリスト教主義というのは、神様が子供を育てて下さる。子供を育てて下さるのは、文部省でも、教師でも、親でも、或いは、大きなPTA、後援会でもない。神様が育てて下さる。学校の中心にドンと据えておく。形式でなくて、それを子供の指導から教育法から学校経営の全てにおいて、ドンと据えていることが、キリスト教学校だ、と思う」「私はそういうような学校をやっぱり造っていきたい。その為には、子供を中心にしよう」「子供の為に熱心であろう」「子供の為に喧嘩してもいい」「別に私を好きにならなくてもいい」「物凄い喧嘩しても、それも許されるだろう」と。「しかし、こと、子供に関しては力を合わせよう」と提案しました。このことについては、私達の教師はほんとに一致するんです。そうでないと、こっちの意見、あっちの意見と、こっち向いたり、あっち向いたりしたら、みんなバラバラなんです。そして、こっち人が良いと、あっちの人は怒るし、あっちの人と言えば、こっちの人が気を曲げる。みんなに気を使っていては堪らない。でも、「子供の為に」という時に、どの教師も一つになれる。やっぱり教師になったからには、子供の為にしたいんですよ。
 
金光:  「子供の為に」という前に、先程おっしゃった、「神様が子供を育てて下さる」という、そこのところがハッキリしているといいんですけれども、「子供は放って、自然にスクスクと育てれば、スクスクと大きくなるんだ」と。「自由にさせてやれば、それでよくなるんだ」というような、何かそういう程度の子供観みたいなものがかなり行き渡っているような気がするんですが。
 
榎本:  ある意味では、子供がほんとに自由にしてあげなければいけない部分があります。でも、しかし、子供に、私は、「岩盤」と言うか、「一番底にドーン!と突き当たらせなければいけない」ということも思っているんです。
 
金光:  その「岩盤」というのは、どういう意味ですか。
 
榎本:  やっぱり、「いけないことをした時には、絶対いけないぞ」「何かあっても、俺はいけない」ということを。「ああ、こう言ったら。誤魔化しておいたら」というふうなことで、上手く要領よく世間を渡る知恵というのはいっぱいあるんですけれども、小さなことでも徹底的にする。そして、そのことで学校が揺らいできても知らん、と。そのことで、生徒募集に関わっても、私は知らん、と。それほど神様に信頼せなければいけない。神様は必ず育てて下さる、と。いけないのに、見て見ぬ振りしたり、或いは、ランクで経営の為にどうのこうの、そんなことを考えなくてもいい、と。子供の為にやっぱり一生懸命していたら、子供はやっぱりスウッと育ってくる。その為に、私は、私も幾つかの失敗とか、岩盤にぶつかって、自分の足でグウグウグウと歩いて来たというか、一人称、単数で、きっと生きられる。そういう出会いというものをやっぱりして欲しい。そういう意味で、神様が一人一人にいのちを与えている意味があるし、育てて下さる。そんなもう生やさしいものじゃない。切った張ったの世界ですよ、学校というところは。
 
金光:  幾ら、「キリスト教主義の学校だ」と言っても、みなさん、じゃ、聖書の教えを守るような子供さんたちばっかり来るわけじゃございませんでしょう。
 
榎本:  それは勿論そうです。
 
金光:  言うことを聞かない子も勿論いるでしょうし、いろいろひがみも持っている子もいるでしょうし、
 
榎本:  私の学校は、「自分さがしの学校」と言っているんです。「ここの学校で、みんな自分をさがしなさい」。いろんな型で自分をさがそうとします。だから、いけないことをすることも自分さがしの一つと捉えます。「牧師さんの子供なんだけどもなあ」と言っても、「牧師さんの子供だから」と言って、生まれてきたわけじゃないから。また、教師の子供として生まれてきたわけじゃないわけです。「大学の教授の息子だ」と言って、生まれてきたわけじゃない。みんな子供なんですよ。そのことに関しては、親たちはみんな同じ青葉マークの初心者の筈なんです。
 
金光:  はい。そうです。
 
榎本:  そうだから、「ベテランの子供だ」と言うと、何か余計にそれを打ち壊しして、一から、やっぱり行きたいから、逆に作用する子もおるんです。でも、その子供たちに、どこの誰の子供だから、と言うんじゃなくて、一から自分の足で歩くことを提言し援助していくと、彼等は自分をつくり出すのです。
 
金光:  いろんな教科書と言うか、教育理論がありますよね。そういう場合に、「こういう子供はこうすればいいんだ」というふうな、いろんな項目がある、と思うんですが、「あなたはこうすればいいんですよ」なんて、いうようなことを言ったって、放っていたらダメでしょう。
 
榎本:  教育と言うか、人の心というのは、親孝行なオリンピックの選手の話を聞かしたり、或いは、有名人の話を聞かしたりして、それは感動するけど、そんなもんでは直るものではないですよ。だから、心というのは、手からです。手作業。
 
金光:  頭の中じゃない。
 
榎本:  頭の中じゃない。身体で体験して、ほんとに、心はこの手からさせないと入らない。だから、私達の学校では、毎週労作(ろうさく)というのをしていますけれども、働くことから学ぶのです。時々困った生徒がいたら、私の校長室と応接室を、「来て、毎日私の部屋を掃除しなさい」と言って、掃除してもらうのです。「うるせいな。校長室か」と言いながら、こうやっているんです。「校長先生お願いします」というような子を、私は校長室に呼ぶんです。時々お茶をご馳走しながら、「そういう掃除の仕方は、お前の生き方、そのものだ」と。「あっちやこっちや、やって、何もやっていないのと同じだ。隅からやれ」。「校長先生、そんなことやっていたら、みんなおれらのことを校長の犬になった、と言われる」。「それでいいんだ」と言って。そうしたら、だんだんだんだん自分を見付けるようになるんですよ。時には、こうやっていたら、「先生、ちゃんと大学推薦してくれますか」とか言って、「推薦と掃除とは違うよ」と、言うんだけれども。でも、掃除していた子が、そうは言っても推薦会議できっと校長先生は推薦してくれる、と期待して、担任も、「校長室掃除しているから、前は悪かったけれども、推薦してやって下さい」と言って。でも、「成績が悪かったからね、これはやっぱりいかんなあ」ということで、「推薦出来ない」ということになりました。そうしたら、彼は次の日、もう怒って来ません。私は放送で、「K君、K君、掃除が君を待っているよ」と言った。渋々怒りながら、彼は来ていました。で、彼は卒業して、一年して、私のところへやって来ました。「先生、有り難うございました。約束通 り、僕は、来春大学に入ることが出来ます。先生、約束通り焼き肉をおごって下さい」と言って訪ねて来ました。「大学に受かったら焼き肉を驕ってやる」と言っていた ものですから。「一年したらね、僕は勉強しました。先生はあそこでノーと言われたけれども、そうだ、と思って、頑張りました」。そのように一回失敗するなんてこ とは、何でもないことで、むしろそこには素晴らしいことがたくさんある、というふうに思っています。昨日もある生徒の結婚式があって、私は招かれて行って来たんですけれども、その生徒はほんとに此処で迷って迷ってしていたけど、卒業式に、「校長先生、僕の絵をプレゼントします」と言って、キリストの絵を描いてくれたのです。卒業生も在校生も大きな感動の声を「オー」と出しました。玄関に、いま、「敬和の宝物だ」と飾っています。その親が泣いて泣いて、二百人もいる会衆の前で、「ほんとに敬和学園で、この子は生き返ったんです。有り難うございました」と言って下さいました。
 
金光:  生き返る前はどういう生活だったんですか。
 
榎本:  いや、大きな会社の社長さんの息子で、お金がある。そして、立派な教訓と期待とばっかりが押しつけられていて、親の前ではちゃんとしているけれども、学校へ来たら、彼の言葉によれば、「人に当たらないで、物にあたれ」と、中学校の先生に言われたから、敬和学園ではいっぱいいろんなものを壊してくれました。それで何回か謹慎指導がありました。担任が家庭訪問ですが、夜中と言わず、朝と言わず、何回も行ったんです。そして、彼は最後に、「俺は変わった。俺は校長の言う九十九匹と一匹の羊。一匹の羊になった。今までは、カアッとして、後先わからんで人を殴っていたけれども、今は一歩下がって、人のことを聞けるようになった」と言いました。
 
金光:  そういうきっかけ、何かポイント、これでということじゃないんですか。だんだんそういうふうに変わっていく。
 
榎本:  いや、それは、大きなことは「謹慎」だったと思いますね。
 
金光:  謹慎、
 
榎本:  彼にとって困ったことがあったということですよ。見逃しちゃいけない。それはもう親にとっても、教師にとっても、本人にとっても、物凄く辛いことなんですけれども、私はそれが教育の絶好のチャンスだと思っているんです。それを時々親は誤魔化したり、「いいやないか」と言ってしまったりするんですけれども、それはキチッとすると、物凄く美味しいご馳走になる。
 
金光:  そこのところが岩盤に気が付くかどうかの境目みたいなことですか。
榎本:  岩盤に着くまで、「ノー出し」と言うか、「ダメダメ」と言ってやったらいいんですよ。そうすると、「冷たいなあ」と思ったりしますけれども、初めて、「ああ僕が相手なんだ。自分が問題なんだ」となるのです。それまでは校長が相手だ、親が相手だ、先生が相手だ、人が相手だ、あの人はここまでしたら認めてくれるか、ここまでしたら許してくれるか、そうじゃないんですよ。
 
金光:  外ばっかり見ているんですね。
 
榎本:  自分自身が、ほんとに「これじゃいけない。こうしなきゃ、僕はほんとに大損しているんだ」ということを、気付いてくれたら、もうそれでスカッといくんですよ。
 
金光:  ほんとの自分というのは、どういうものか、というのを気付かないところで、いろいろ動き回っている、と言うか、そういう感じでしょうか。
 
榎本:  そうですね。まあ優等生の子供さんも含めてドラマです。私たちの学校には、こんな子は何人居てもいい、というような生徒さんもいっぱいいます。どこの学校へ行っても優秀な、そのような子はたくさんいるんですけれども、そういう子供さんたちも含めて自分さがしをしているんだ。そしてそういう問題行動を起こす子は、代理戦争をしているんですよ。僕の代わりにやってくれている、とみんな密かに見ているんです。それを学校なり、親なりが、どういう対応してくれるんだ、と。キチッと対応すると、子供さんたちは素直になりますよ。ですから、ここの生徒は、ほんとに違反する子は沢山いますけれども、いわゆる、突っ張って、教師に食ってかかって、逆らったりする子は、ほんとに不思議にいないんですね。
 
金光:  ほんとに自分で、成る程自分のやったことは、自分の為に良くなかった、ということが分かると、それはやっぱりその姿勢で社会出ても、そのまま生きていけるということでございましょうね。
 
榎本:  それはもう随分いい経験にしていると思います。だから、本当の自分さがしを、みんなここでしてくれたらいいのです。とは言っても、みんなそれじゃ問題を起こして指導して貰わないと自分さがし出来ないのか、というと、そうじゃない。そんなことは少なければ少ない方がいいんだけれども、でも、そういうことは決してマイナスじゃない。いや、逆に言うと、マイナスが無ければジャンプ出来ないんですよ。背を低くしないと飛び上がれないんです。背伸びばっかりしていても、それだけの背丈でしかないから。やっぱり大きくなる為には身を低くしなければいけない。
 
金光:  そういう実際にある生徒さんが、そういう形で、謹慎なら謹慎が解けてきて、変わってくると、やっぱり他の周囲の生徒さんにも影響がありますでしょうね。
 
榎本:  あります。だから、よく腐ったミカンは帰って来たら、また腐るというけど、それはミカンの話であって、人間がよくなって帰ってきたら、物凄い影響を及ぼします。ですから、再入学した子供さんでも、マイナスとして彼を受け入れるんでなくて、彼を受け入れることによって、この学校が物凄く成長する。物凄い宝物を手に入れる、と思って入学させるんです。期待して、どの子にも、
 
金光:  決して、マイナス行動が、必ずしも悪い効果を及ぼすということじゃない。むしろ、それが次の飛躍台になるという、そういう現実があるわけですね。
 
榎本:  マイナスを、ただ、マイナスにしておくと、確かにマイナスですよ。腐ったミカンはそのままにしておくと、腐って、みんなに影響を及ぼします。物凄い影響力があります。でも、それをほんとに人格的に関わっていくと、決して、それは無駄なことじゃないと。私は自分の人生を振り返りながら次のように思うのです。
思い通りにならぬことばかりだった。思い通りにならなくて良かった。思い通りになっていたら、大変だった。神の御心が行われるように。
私は本心からそう思っているんです。生徒についても。思い通りになったら、ろくなことがない、と思います。建築家のガウディ(Antonio Gaudi:スペインの建築家:一八五二ー一九二六)という人が、「真理は直線ではない」とおっしゃって、「建築物はどっか曲がっているんだ。人間の造ったものは直線だけども、自然は必ずカーブしている」ということを聞いて、私は、「人間もほんとにそうだなあ」と思っています。それで、私は北海道の経験から、或いは、敬和学園の子供たちの付き合いの中から、川は曲がりながら大海に入る、ということを言葉にしました。
 
金光:  先生、それで詩を創っていらっしゃいますですね。
 
榎本:  はい。それじゃ、その詩を紹介させて頂きます。
 
「川は曲がりながらも」
 
     私は曲がっているのが好きだ
     曲がっているほうがいい
     そこにはやさしさがあるから
     川は曲がりながら大海に至る
     あの村この里を潤(うるお)しながら
     まっすぐだったら洪水になる
     真理だってまっすぐじゃない
     曲がりくねって
     一つのでき事になるのだ
 
私達、教育者であったり、宗教家であったりする者は、人間から毒をなくそうとしたり、真っ直ぐにしようとし過ぎるんですよ。そうすると、ほんとに味気のない、力のないものになってしまう。今の日本の中で情報が行き渡り、少子化現象で、核家族になってくると、もうバクテリアのようなものを全部無くして、ほんとに綺麗な真っ直ぐなものばっかりを造ろうとし過ぎるから、子どもはほんとに隠れる場所がない。隠れる場所がない水は、土管のようなもので、汚い水はそのまま移動するだけです。しかし、葦(あし)があったり、石があったり、いろいろなものがあったりして、曲がりながら清水になっていくわけですから。人間もそのようなことだと思います。教育はまさにそのことで、教室というのは間違わない場所じゃなくて、間違っていい場所なんです、学校は。それをやっぱり包容する学校であると、子どもたちは幸せです。そして生きる力が湧いてきます。それを体験さしてあげる。「どうでもいいよ」という学校はダメです。澱んで、ただ、ドブ地になって、腐っているだけです。でも、痛み悩みながら流れていったらいいんです。
 
金光:  どうもそれの一般に、クリスチャン、牧師さんだったら、こういう生活。清く正しく、みたいな、どうもそういうイメージが一般にあるようなんですけれども、なんか先生の場合の神様に対する姿勢は、ちょっと悪いかも知りませんが、要するに、一般の人が考えている信仰と、榎本先生のなさっている神様とのお付き合いと言いますか、大分ニュアンスが違うような気がするんですが。
 
榎本:  特に違っていると思いませんが、ある神学者がこういうことを言っていますね。
 
「神がいるか」と言った時に、「居ないよ」。あなたの手の中にある神様は居ない。神様の手の中にある私がいるんだ。
 
私はまさに、そうだ、と思うんです。私を信頼したり、私に真理があると思ったら、窮屈で堪らないんですよ。牧師さんなのに、クリスチャンのくせに。あれ、校長先生のくせにこんなことをしている。あんなことをしている。ガチガチになって、そんな窮屈な生活は厭ですよ。でも、私に真理があるのではなくて、神様に真理があるんだ、私はそっちに向かうだけ。神の真理を私達が頂いて、或いは、感謝しているのだと思います。これをしなければクリスチャンでないとか、こういうふうにしないとクリスチャンらしくないというようなことは、党派性であったり、或いは、自分の利害でしかないのです。それを神様はしちゃうことが多すぎると思うんですよ。神様というのはもっと大きく、広いものなのに、そういうもので子どもをしばりつけ、キリスト教徒はこうでなければならないというと、もうほんとに違ってくると思います。教師や宗教者の間でも信仰が違うから、或いは思想が違うから、話も出来ないよ、と言って、不幸な対立があって、結局、子どもを生かし切れないということが多いのではないでしょうか。私の中に神を入れようとすると、どうしてもそうなっちゃうけれども、神様の中に私がいると思う時に、他の人の真理に学んで行かざるを得ないということになると思うんです。それが楽と言うか、自由ということではないかなあと思っております。
 
金光:  そうしますと、日々、神様の中にいる自分を見つめながら、味わいながら、生かして頂くところに、本当の平安な世界があるなあ、というふうに伺いました。どうも有り難うございました。
 
 
     これは、平成十一年十月二十四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」に放映されたものである。