山あいのきずなー奧三河の炭焼き家族の日々ー
 
                             炭焼き職人 斎 藤  和 彦(かずひこ)
                             炭焼き職人 斎 藤  正 行(まさつら)
                             語 り   天 野  有 恒
 
(語り)炭焼き職人斎藤和彦さん、五十六歳。車の前を走る息子の斎藤正行(まさつら)さん。地下足袋を履いて走る。ちょっと太めの十九歳。正行さんはいま故郷の山里でお父さんの跡を継いで炭焼き職人になろうとしています。正行さんは知的障害を抱えた若者です。名古屋から車でおよそ二時間。愛知県北設楽(したら)郡設楽(したら)町西川(にしがわ)集落。段戸山(だんどさん)と呼ばれる山間(やまあい)。標高およそ六百メートル。ここが斎藤正行さんの家族が住む山里です。
 
(語り:和彦)私達が住む集落の真ん中に小さな川が流れています。ここは太平洋に注ぐ豊川(とよがわ)の源流部にあたります。かつて、ここに四十戸、二百人程が住んでいました。今、戸数はわずかに四戸。住人は十三人です。
 
(語り)ここに合掌屋根をもつ炭焼き窯、「山村(さんそん)夢工房」が完成したのは、一昨年(おととし)の秋のことです。痩せ衰えていく山里をもう一度甦(よみがえ)らせたい。そうした夢の拠点として、斎藤さんたちが築き上げたのが、この炭焼き窯です。斎藤さんたちは故郷(ふるさと)の山里と荒れ果てた森の再生を願って、この炭焼き窯を、「山村夢工房」と名付けました。斎藤さんたちはこの窯で、一年間におよそ三十回、八トンの炭を焼きます。正行さんは他の人の前では、声を出して話をすることが出来ません。去年の春、六年間寮生活をしながら、学んできた養護学校を卒業しました。そして、家に戻り、父の和彦さんに付いて、炭焼きの勉強を続けてきました。炭焼きは汗と泥にまみれる仕事です。
 
(炭を焼き終えた窯の中で)
和彦: 正君、上手に焼けたなあ。こういうふうに焼かなあかん。こういうふうに、これはいい。
 
(語り)この窯では主に杉の木を炭に焼きます。杉は軟らかく、火力も、普通、炭に焼かれる広葉樹の木に比べて、比較的弱いために、いい炭にはならないとして、これまでほとんど炭に焼かれることはありませんでした。林業家の斎藤和彦さんが、その杉の木を炭に焼くことをしたのは、山里で暮らす人々や、都市に住む人々が一緒になって、有り余る杉の木を間伐(かんばつ)し、それを炭に焼いていけば、やがて森と山村が甦る道も開けていくのではないか。そう考えたからです。
 
    (釜だし作業を終えて、汚れた顔を川で洗う)
和彦: もっと洗い。もっと洗い。もっといっぱい。
 
(語り)愛知県の北東部に連(つら)なる山々、奧三河(おくみかわ)地方、正行さんの住む設楽町は、山林の九割近くが、杉や檜などの人工林に覆われる町です。戦後復興、そして高度成長。都市の繁栄を支えながら、疲弊(ひへい)の一途を辿ってきたのが、日本の山村です。斎藤さんの家族が住む設楽町も、そうした山村の一つです。人口五千七百。この四十年間で、町の人口は半分以下に減りました。炭焼き窯「山村夢工房」のある西川集落は、町の中心部から、車で二十五分。さらに川を遡(さかのぼ)った山間の小さな谷にあります。
 
(語り:和彦)炭焼き窯「山村夢工房」は、二十一世紀を念頭に入れた多目的な炭焼き窯です。私達の夢に共鳴する人達や、ボランティアの手で、一年をかけて造り上げました。この窯はあらゆる種類の木を炭に焼くことが出来る窯です。耐火レンガや耐火セメント、セラミックウールを用いて築き、千四百度の高温にも耐えるようにしました。この窯では焼き物も焼けます。煙からは、いま注目されている木酢(もくさく)液も取ります。また、窯の上に高い屋根を設けて、煙を集め、その煙をさらに有効利用する工夫もしてみました。竹を燻(いぶ)して民芸品などを創るすす竹も作ります。さらに食品の薫製加工なども出来るようにしました。
 
(語り)新しい故郷を創ろう。そう斎藤さんが思い付いたのは、山里の暮らしに憧(あこが)れる町の人々がいることを知ったからだと言います。斎藤さんの心の中に、懐かしい炭焼きの風景が甦りました。炭焼き窯を造ろう。お年寄りの心にも火を灯すような窯。振り向かれなくなった山に、もう一度目を注がせるような、新しい炭焼き窯を造ろう。斎藤さんのそうした思いに共鳴する人々が集まってきました。過疎化の激しい波の中で、この故郷も衰退した。ここにもう一度、故郷の世界を構築したいと願った。心を許す人々が集(つど)い、熱い議論に時も忘れた。炭焼き窯を造ろう。赤々と火を焚(た)こう。そして、天高く煙を上げよう。ポツリポツリと努力は続き、ここに一つの炭焼き窯が造られることになった。窯は斎藤さんの家族、集落の出身者、また、町内や都会で暮らす多くのボランティアの手によって、一年をかけて造られていきました。正行さんも週末には養護学校から帰って来て、窯造りを手伝いました。斎藤さんは裏山の木を切りました。中学生の頃、父親と植え、手塩にかけて育ててきた杉の木です。山里の故郷を甦らせる夢を託した炭窯。その窯の上に、夢のシンボルとなる合掌の屋根を築くことにしたのです。屋根を葺(ふ)く板にも、杉の間伐材を使いました。この日、炭窯の上に高さ八メートルの合掌屋根が建ちました。みんな泥だら けになって夢づくりに励んだ。そして窯は完成し、十月二十六日、火入れ式の日が訪れた。秋の装(よそお)いに彩(いろど)られた谷間は、四百人を越す人々で埋まった。西川集落が始まって以来、こんなにも多くの人々が我が故郷を訪れたことは、かつてなかった。
 
(司会者)只今から、「段戸ふるさと会」を開催致します。 (拍手)
最終ランナーの鈴木隆敏君が只今到着を致しました。皆様方盛大なる拍手をお願い致します。
 
(語り)夢の炭焼き窯に灯す火。私達はこの火を故郷の山、段戸山の頂で取った。その火はリレーによって運ばれた。
 
(司会)最後は斎藤正行君の手によって、新しい炭窯に点火されます。
 
(語り)窯に火が入った。火は勢いよく燃えだした。赤々と燃え上がる火。昔からの父と母の友達。川下(かわしも)に住むお坊さんも、私達の窯にいのちを吹き込んでくれた。三十年ぶりに立ち上(のぼ)る煙。故郷の懐かしい炭焼きの匂いが戻ってきた。それは忘れかけていた郷愁を掻き立てるかのように思われた。
 
「段戸(だんど)讃歌」
 
初日(はつひ)受けたる 頂(いただき)に
拍手(かしわで)ひびく 神の庭
銅鐸(どうたく)出でし 弥生(やよい)より
段戸(だんど)は開け 二千年
 
蕗(ふき)のとう摘(つ)む 駒ケ原
鷹(たか)の巣山(すやま)に まんさくの
咲いて雪解(ど)け 水速(はや)き
木地師(きじし)の里の 水車小屋
 
石楠花(しゃくなげ)峠を 越え行けば
段戸本谷(だんどほんだに) あめのうお
せせらぐ水の 清らかに
流れは豊川(とよがわ) 矢作(やはぎ)川
 
段戸の湖(うみ)の 澄みわたり
野菊りんどう 咲く小道
弁天谷の 紅葉(もみじ)して
太古(たいこ)の森に 木(こ)の実降る
 
(語り)この日、故郷を讃える歌が披露されました。「段戸讃歌(だんどさんか)」。夢に向けて行動する斎藤さん。その情熱に打たれた人が詩を書き、この土地で少年時代を送った人が、曲を付けました。
 
(語り)三十年ぶりに、故郷に甦った炭焼きの火。人々との交流が、また、大きく広まった。ともすれば、埋没しがちな山の生活の中にあって、私の心は温かかった。地域での地道な生き方でも、こんなに多くの人達が見つめてくれる。そんな喜びを味わいながら、私はこの故郷の土になろうと思った。
 
(語り)炭焼きは木を炭化させる仕事です。まず、焚き口で火を焚いて、窯の中の温度を上げ、木に含まれている水分を、煙と共に追い出します。水分が出尽くして十分に温度が上がり、中の原木に火が付いた頃、焚き口の空気穴を細めます。そして、送り込む空気の量を少なくしていくと、熱い窯の中で、炭化が進んでいきます。空気を完全に断たなければ、木は燃えてしまい、炭にはなりません。窯から出る灰を練(ね)り込んで、粘(ねばり)り気のある泥を作り、その泥を壁に塗って、ヒビ割れをしっかりと塞ぐことが大切です。
 
(語り:和彦)窯は呼吸し、それは煙の色や匂いなどに現れます。煙の様子から、窯の中の状態を見きわめ、火と空気のコントロールを的確に行うことが、炭焼きの中で、最も大事で、しかも、難しい技術なのです。正行にそれを身体で覚えさせたい。それが私の考えでした。
(炭焼き窯の現場で)
和彦: 夕べと煙、違うだろうね。夕べはもっと重たい煙に出ておったけど、いま軽い煙に出ているでしょう。窯の中が凄く熱くなってきた。燃えて。煙が全然違うでしょう。もっと出てくるよ。今晩。これがもう少しすると、凄く辛い匂いになってきて、喉が辛く感じるから。その頃になると、中が凄く燃えてくる。そうしたら口を塞ぐ。だから、ここどの位熱いかなあ、ということと、それから煙の匂いがどんなふうかなあ、ということを、いつもこれからずっと見ていかなければあかん。もっと近づけなければ、こうやって、手で掬(すく)うようにして、ずうっと。どんな匂いがする。匂いがあるか。どんな匂いだ。
 
(語り:和彦)私達の集落は、明治二十九年、今から百年程前、六軒の木地師(きじし)が入植して、その歴史が始まりました。当時、この辺り一帯は御料林(ごりょうりん)でしたので、木材の払い下げを受けて、山から木を切り出していました。川には五つの水車が回っていました。その水車で轆轤(ろくろ)を回し、原木から木地物を引く仕事や炭焼きなどをして、成合(なりあい)を立ててきました。私達は山に寄り添え、山に生かされて、暮らしてきたのです。
(語り)今、炭を専門に焼いているのは、斎藤さんの一家 だけとなりましたが、最盛期には百五十人もいたそうです。西川集落には、学校の分教場も出来て賑わいをきわめました。正行さんの祖父利治(としはる)さん、八十歳。利治さんは暇さえあれば、裏の山に入って、下草を刈ります。かつて、周囲の山は殆どが国有林で、利治さんも杉の苗を作ったり、植林の仕事をしたりして、山仕事一筋に生きてきました。
 
(語り:和彦)この山の杉は私が中学の時に、父と植えた杉です。父がコツコツと下草を刈り、少しずつ間伐を続けてくれたお陰で、明るい日射しの射し込む美しい杉林に育ってくれました。
 
(語り)正行さんの祖母八重(やえ)さん。八重さんは暇を見付けては家屋敷の周りの草を毟(むし)ります。「ご先祖さまから預かった土地を、草だらけにしていては恥ずかしいし、申し訳ない」。八重さんの口癖です。
(語り:和彦)去年の春、正行は養護学校を卒業し、家に帰って来ました。そして、「僕も炭を焼く」と言いました。生来、何事もゆっくりしたところのある正行には、この山間のゆったりした時間が流れる故郷こそ、正行なりに、人間らしい生活が出来る場所のように思われました。私には子供が五人おりますが、うえ四人は娘です。昭和五十四年、五人目の子が生まれました。その子が願った末の長男正行でした。その正行は知恵遅れという障害をもって生まれました。障害に気付いたのは、三歳の頃だったと思います。
 
祖母八重:三歳になった頃ね、少し「正くん」と言うとね、何か目の球(たま)がね、横の方へちらっといったきし、こう目の球が動かなんだね。それで私はね、何で正行の目の球がね、あっちこっち動かんが大丈夫かなあ、と思って、心の中でね、思っておったけど。そのうちに爺ちゃが、私にこそっと言ったの。「正行はね、正行はどうしても、目がおかしいで。ちょっとあれはね」。私のお爺ちゃんが言ったの。それで私はそれでね、ショックでね。息子が、「夢でもいいでね。男の子を授けて欲しい。夢でもいいで、見させて貰いたい」ということを、しょっちゅう言ったもので、もうほんとに思う通りによく男の子が生まれてくれたと思ってね。
 
(語り):正行君は夢の子だったんですね。
 
祖母八重:ほんと夢の子でした。
 
(語り:和彦)人は好きなことはメキメキ上達するものです。正行の場合、自動車や大型機械がそれでした。試しに正行をこの重機に乗せてみたのは、正行が養護学校中等部の頃でした。その時、目を輝かせてハンドルを握った正行を見て、我が子には、確かな可能性がある、と思いました。知的には障害があっても、備わっている可能性を精一杯伸ばしてやりたい。家族みんなでそう努力してきました。正行はその通り、頼りがいのある若者に育ってくれました。逞しく育っていく息子の姿は、妻にとって、胸に抱き続けてきた悲しみを乗り越える力となりました。
 
(語り)父親の和彦さんは障害を背負った息子、正行さんに託した夢を詩に書きました。
 
「息子よ」
 
息子よ
野暮(やぼ)たくっていい
ぼさぼさの髪で怒鳴(どな)ったっていい
蕗(ふき)の葉で鼻をかみ
大声で喋(しゃべ)ったっていい
卒業したらお前の生まれたこの村で
この父や母たちと
一緒に住んでおくれ
菜の花やレンゲやタンポポを咲かせて
太い大根を作ってくれ
蕨(わらび)やゼンマイを摘(つ)もう
畑にはソバの種も撒(ま)こう
森に入って薪も集めよう
雨が止んだら二人でイワナを釣りに行こう
雪がふりしげる中で炭も焼こう
私達の息子よ
汗をポタポタと落として
黒い土と太陽が大好きな
そんな男になってくれ
 
(語り)斎藤さんの家から車で四十分ほどのところに、町の老人ホームが あります。正行さんの母親定估(さだこ)さんは、この老人ホームで働いています。この山の町では、高齢者が人口の三割を越え、全国平均の倍の勢いで高齢化が進んでいます。看護婦の資格を持っている定估さんは、人手が足りない時などに、町から頼まれて、お年寄りの健康を守る仕事をしています。
(語り:和彦)炭焼き窯が出来てから、大勢の人達が杉の間伐や薪割に登って来てくれるようになりました。
 
和彦: 今朝はどうも有り難うございました。私の息子なんですが、私は、四人娘が上におりまして、五番目に男の子が生まれたわけですが、ちょっと知的な障害がありましたので、何とか一人前の山男に育てたいと思いますので、皆さんの迷惑にならん程度に連れ回りますので、是非よろしくお願い致します。
正行: お願いします。
 
(語り)斎藤さんの父母や祖父母たちは、豊かな山に日々の糧を得、炭焼きなどをして暮らしてきました。斎藤 和彦さんも、子供の頃から炭焼きと親(した)しんできました。しかし、やがて炭焼きが途絶え、周りの山々も、杉や檜の人工林で覆い尽くされていきました。気が付いてみれば、集落から人も去って、額に汗して植林に励んだ山々も振り向かれなくなり、荒れ果てていったのです。山を甦らせ、豊かないのちの水を育む森を育てるために、一本でも多く間伐したい。そうした斎藤さんの呼びかけに、ボランティアも加わって、間伐とその木を有効利用する炭焼きが進められてきました。これまで殆ど利用されることのなかった杉の炭は、最近では土壌改良材や、床下の湿度を調節する炭として、また、杉の軟らかさを活かして、寝たきりの人たちが使う枕や布団の中に入れる炭として、注目されるようになりました。
 
(語り:和彦)杉の木を一本でも多く間伐出来れば、山は甦 る。一人でも多くの人に、関心を持って頂ければ有り難いのです。正行も訪れる人達との触れ合いを、少しずつ楽しむようになっていきました。
 
和彦: みなさん有り難うございました。お陰でね、僕たち、三日位かかってやらなければいけない仕事が、もう一日もかからず出来まして、本当に有り難うございました(拍手)。ずっと息子も此処で暮らしておりますのでね、また、十年位したら、お嫁さんをよろしくお願い致します。(笑い)有り難うございました。
正行: ありがとうございました。
 
和彦: 今日、全部正君と窯詰めしたですよ。中へ入って、
 
利治: そうだね。装束も大分汚れたのを、さほど苦になら んでやるちゅういうことは、やっぱし仕事に打ち込んでおるというとこが、多少あると思うんでね。
 
和彦: 頼もしい。
 
利治: 頼もしい、と思うんだわい。将来のあることなんでね。それなもんで、そこに育てるのは難しいところだで。
 
(語り)二人で播いた蕎麦(そば)の花です。ふとしたことで、この西川集落を訪れ、正行さんと知り合った作曲家只野展也さんが訪ねてきました。
 
只野: お久しぶりです。あの折りはお世話になりました。
 
和彦: 九月以来ではないですか?。
 
只野: ほんとですね。正行さん、逞しくなったね。日焼けしていない。今日は正行君、楽器を持ってきたからね。ちょっと今日、簡単な曲ですけど、やってみようかなあと思って楽器を持ってきたんです。
 
(只野さんが正行君に話かける)
只野: 雪って、いつぐらいから降る?。十二月頃? もっと早い?。雪が降ったら結構大変じゃない。炭焼きとかも。でも炭焼きやることに決めたでしょう。「お父さんとここで山仕事をすると決めた」と、はがき貰ったじゃ。「えいっ」と思って、結構感動しちゃったけどな。あれ見てさ。でもさ、友達とか、みんな町へ出ちゃったりとかしたじゃない。寂しくはないでしょう・・・寂しそうな顔じゃないからさ。勝手に決めているけど。寂しい?。一人じゃ、基本的に、こっちにいるとさ。友達とか遊びに来たりするの?。あまりない。寂しくない?。分からない?。一人でそうやっていくのは、大変じゃないのかなあと思うけどさ。でも、みんな仲間いるから寂しくないか。お父さんも元気だしね。みんな遊びに来るし、僕等も。正行君が決めたんでしょう。やっていこうって。やっぱり町へ出るより、こっちの方がいい?。なんで?・・自然があるから、やっぱり。こっちの方が面白いと・・・でも、これからお父さんが一緒に仕事をしていくんだから。もう一人前だよね。ここに来ると、葉っぱの音とか、風の音というの感じるんかなあ。晩秋だなあという感じ。ここはお父さんと正行君のこれからの桃源郷になるのかなあ。
 
(語り:和彦)知的障害者、知恵遅れ。まさか我が子が、願った末の男の子なのに、信じられずに、この愛(いと)しいいのちと、手を繋ぎ歩いた不安な道、あちこちの養護学校、授産施設、この愛する息子の行き先は、誰にも話せない、相談出来ない苦しみの日々は続く。これからずうっと先、妻や私が老いた時、この子は。学園に預け、後ろ髪を引かれる思いで帰って来たあの日のこと。六年経って、いま、息子は確実に成長したなあと思う。変わらず、慈(いつくし)しむ四人の娘達に励まされて、少しずつ二人で夢を語る。よーし、一緒にやろう。まだまだ頑張るよ。私達の大切な大切な宝物よ。
 
(語り)宝物ですか。
 
母定估: はい。今は正行が居なければ、斎藤家みんなの、ほんとの、もう正行がみんなを助けてくれていますね。正行の顔を見て、ちょっと話するだけで、なんか一日のモヤモヤしたものだとか、なんかイライラしたことが、スウッと消え去って、凄く精神的にも・・・正行が居てよかったなあ、と。
 
和彦: 自分の性格が変わったんじゃないかと思うんです。ひたすら前を向いて、一生懸命生活のために生きてきましたけども、障害を持った正行のことをよく考えて、何か自分が、まあ大げさですが、社会のために、人のために生きるというような気持を、ほんとに大切だと思うようになりまして、まだ、なかなかほんとにそういう気持には到達出来ませんが、それでもやっぱり毎日の正行と仕事の中で、いつもそう言うことを考えるようなふうになってきまして、私は、今はこういう生き方や、息子にほんとに感謝しています。
 
母定估: ほんと子供は宝というのは、ああ、こういうことなんだなあって、ほんと正行が一番の、ほんとにみんなの生き甲斐ですね。ほんとに正行が居て良かったですよ。だから、今は申し訳ないというよりも、正行で良かったのかなあって。生きてて良かったですよ。
 
和彦: 私は男の、男親の立場で息子を見て居ましてね。皆さん方が、「可哀想だから」ということで接して頂けるばかりでなくて、若いのに泥だらけになって、父親と一緒に、一日十時間も、十二時間も不平を言わず働く姿ですとか、そう言ったことを、皆さんが非常に大切に思って、接してくれるものですからね。また、本人もそういうような強いところが見受けられるもんですからね。何か可能性があるんじゃないかなあ、と思いまして。私のひょっとしたら、いいところを受け継いでくれたんじゃないのかなあ、と。その可能性に賭けてみたいと思うんです。
(語り)炭焼きは、日本の山河を救う。斎藤和彦さんにはそんな思いが あります。そうした父親和彦さんの思いを息子の正行さんは、炭焼きを学ぶ中で受け止めてきました。この集落で生まれ、育ち、この集落を去って亡くなった人のノートに、一つの言葉が記(しる)されていました。
 
     ふるさとは華の都にまさりけり
 
いつも斎藤和彦さんの胸にあるのは、山里に生きる誇りを教えるこの言葉です。
 
祖母八重:正行もそれなりに一生懸命頑張ってくれればね。そのうちには、何か話せるようになるかしらんと思ってね。そればっかりね、心待ちに待ってね。正行が自分で 思うことを、人様に声を張ってね、話す時がきてくれればね、私は何よりじゃ。それだけ思います。正行がどんなことでもね、自分の思うことをね、ああだ、こうだ、と言ってね。話せる時をみてね、それまでは私は頑張りたいと、そう思っております。
 
(語り)来年西暦二千年に、二十歳を迎える斎藤正行さん。泥と汗にまみれる日々。その中で正行さんの周りに優しい絆が深まっていきます。
 
 
     これは、平成十一年十月三十一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。