東洋の心を語る H苦を抜き楽を与える
 
                       東方学院院長 中 村  元
                       駒沢大学教授 奈 良  康 明
 
奈良:  毎月一回「東洋の心を語る」ということで放送してまいりました。早いもので九回になります。この四ヶ月から始めまして、十二月歳末ということで、間もなく新年がやってくるわけでありますけれども、このNHKの入り口にも,「歳末助け合い運動義援金募集」などとございました。人を助けることが別に歳末に限るわけじゃないと思うんですけれども、やはり一年の節目ということでありましょうか。本日は人を助けるということは一体どういうことなのか。それを「苦を抜き楽を与える」というテーマでいろいろと伺ってみたいと思います。お話を伺います方は、いつもの通り東方学院院長の中村元先生でございます。
先生、今申し上げた通り、「苦を抜き楽を与える」というのがテーマでございまして、端的にそれがどういうことなのか、その辺から少しお話を伺いたいと思うんでございますけれども。
 
中村:  「苦を抜き楽を与える」というのは、漢文の文章で申しますと、「抜苦与楽(ばっくよらく)」と申します。これは考えてみますと、慈悲の精神に基づいている、ということが言えると思います。仏教では、人を慈しみ、人と心をともにする。人が悲しんでいる時には悲しみをともにし、哀れむという気持を「慈悲」と呼んでいますが、それは心持ちの問題でありまして、具体的にそれがどう展開するかということになりますと、人々が苦しんでいる時にその苦しみを取り去ってあげる。そして、その人のために何か楽しいこと、良いことを実現するように努める、ということが言えると思います。つまり抜苦与楽というのは具体的な現れですね。
 
奈良:  慈悲心というものが具体的に現れる時のことをいうのですね。よく「慈悲」と一言でいうんですけれども、「慈」と「悲」というのは、本来意味が違う、ということがよく言われるようでございますが、まずその文章を一つご紹介をしていろいろとお話を伺いたいと思います。
 
     大慈とは、一切の衆生に楽を与え、
     大悲とは、一切の衆生のために苦を抜く。
     大慈は、喜楽の因縁を衆生に与え、
     大悲は、離苦の因縁を衆生に与う。
          (『龍樹・大智度論』)
 
『龍樹(りゅうじゅ)・大智度論(だいちどろん)』からの引用でありますが、ここで「慈」と「悲」というのが、「抜苦与楽」に分けて使われているんですね。
 
中村:  そうです。区別して説かれておりますね。この文句は龍樹(ナーガールジュナ)の『大智度論』第二十七巻に出てくる文句でありましてよく知られておりますが、「慈」と「悲」は一応言葉としては別なんですね。インドの元の言葉で、「慈」は「マイトゥリー」と申しまして、真実の友情というような意味です。それから「悲」と申しますのは、元の言葉で「カルナー」と申しまして、人に同情する、心をともにするという意味であります。具体的にどういうことになるかというのが、『大智度論』で説明されているわけでございますが、「大慈」というのは、褒め讃えて「大」というわけなんですね。一切の衆生に楽を与える。「大悲」というのは、一切の衆生のために苦を抜く。苦しみを取り去る、と。それからまた別の説き方と致しまして、「大慈」というのは、人々が喜び、楽しむようになるための原因、ゆかりとなるものを与える。「大悲」というのは、人々が苦しみから離れるように、そのための原因となるもの、何かの手段を与えるという意味でありまして、端的には人間のことをいうわけですが、さらに広く考えますと、生きとし生けるもののためにもこういう気持を及ぼすというので、それで衆生のために、ということをいうわけです。それで「大慈」「大悲」ということは、これはなかなか凡夫の実行し得ることではないというので、教義学者のうちには、これは仏さまの徳である、と決めることもございますけど、しかし仏さまの大慈大悲といえども、実はもとは仏さまだって人間だったわけですから、我々生きている人々のうちに、どこかにその気持は潜んでいる、そして働いているわけなんですね。
 
奈良:  私どもの日常の生活の中でも、「大慈」「大悲」という言葉がございまして、仏さまのように完全なところまでは、これはどこまでできるかわからないんですけれども、しかし私どもお互いに思いやりを交わし合い、助け合いをし、お互いにともに力を合わせながら生きている、と申しますか、生きさせてもらっている、という面がございますですね。ですからそうしたものも慈悲の具体的な現れでございましょうし、
 
中村:  そういうことになりますね。我々個人個人はそれぞれ別の存在として生きているわけですが、しかし決して他の人から切り離された存在ではないわけです。他の人と密接な連関の中で生きているわけでしょう。自分の気が付いているところでも、他人様から助けて頂いていることがわかります。また気の付かないところで、どれだけ世の人々からの、さらに天地自然の恩までも受けて生きているわけですね。その目に見えないところで不思議な因果、因縁の繋がりに助けられて生きているわけです。そこまで気付くと、決してお互いに孤立したものではない。世の中の苦しんでいる人というものは、これは我々と別の人々ではないのです。事実考えてみますと、災難に遭う方が世の中にありますが、これちょっと狂ったら、今度は自分自身が同じような場所に置かれて、同じような苦しみに悩んだに違いない、ということを思いますですね。
 
奈良:  「縁起の社会観」ということをよく仏教のほうで言いますね。目に見えるものだけでなく、目に見えないところで、いろいろなことが関わり合っている。人間同士も関わるんでしょうし、物も関わるでしょうし、一切の生き物もお互いに関わり合いながら、縁起しながら、この社会がなり立っている。そうしたとこの中にお互いに思いやりを交わしていく。そうしたものが「慈」であり、「悲」であろうかと思います。
 
中村:  そうです。「縁起」という言葉は、「縁(よ)って起こる」と書きますでしょう。つまり如何なるものも他のものによって起こっている。そのことわりを見通す。それが実践の面では慈悲になって現れるわけです。「慈」と「悲」と言っても、言葉は違いますけど、気持ち、心持ちも同じですね。
 
奈良:  何かを人に与える、ということに関しては、まったく同じことだと思うわけです。つまり苦を抜くというのも、苦のない状態を与えることでございますし、楽を与えるのも与えるわけだし、いずれにしても一緒に生きさせてもらっている人に、こちらの思いやりをこう差し向けていく、ということかと思うんです。結局そうしますと、「慈悲」をもう少し具体的にいいますと、「布施」ということにも繋がってまいりますね。
 
中村:  そうですね。他人様に何かを差し上げる、ということになるんです。「布施」というのは、「布(し)き施(ほどこ)す」と書きますですね。如何なる行いでも、あるいは個々の事物でも、他人様に向かってその徳が発現するような姿で生かすというのが布施の精神であります。元のインドの言葉で申しますと、「ダーナ」と言うんですね。「ダーナ」というのは「与えること」という意味なんです。西洋で寄付することを「ドネーション」と申しましょう。与える人を「ドナー」と言いますね。語源的に同じなんですよ。それが日本語に入ってきまして、世間では「旦那さん」と申しますね。その「旦那」というのは、サンスクリット語の「ダーナ」の音を写したわけなんです。
 
奈良:  音写語ということですね。
 
中村:  そうです。
 
奈良:  「旦那」というのはポピュラーに使われる日本語になっておりまして、昔は商店のご主人を「旦那さん」と言ったんですが、なるほど給料を与える人でありましょうし、奥さんが旦那さんを「旦那様」と、昔はよう言いました。きっとご主人は外で稼いで来て奥さんに家計費を渡すからでありましょうね。今は共稼ぎの家庭が多くなっていますし、理屈からいえば、旦那さんが奥さんを呼ぶ時にも、奥さんがご主人を呼ぶ時にも、いずれも「旦那さん」と呼んでいいわけでございますね。
 
中村:  語源からいうと、それでかまわないんですよ。ただ従来の社会では、男性が女性に何かをあげるとか、あるいはお金のある方がそうでない人に何か物をあげるというような場合に、与える側のほうの人を「旦那」と呼んだわけですね。その用法が今日でも日常の会話でまだ残っているんじゃないですか、。
 
奈良:  しかし、与えること、ということになりますと、何も物だけじゃなくて、何でもいいわけでございますね。
 
中村:  そうです。何を与えるか、ということが問題になるわけですね。これについて、仏教で三種類の与える仕方を説いているわけなんでございます。第一が、「法施」ですね。これは人に対して道理を説くこと、また教えを説く、ということにもなります。世の理を説いて理解させる。それから次に「財施」と申しますのは、具体的な財、形をなしたものを他人様にあげることですね。それから「無畏施(むいせ)」というのを加えていうことがありますね。「無畏(むい)」というのは「畏(おそ)れ無し」ということです。我々考えてみますと、日常生活においてもいろいろ不安があるわけでございますね。明日、どういうことが起きるかな、と。あるいは自分がどうなるか、というような不安があるわけですが、それでその不安に畏れおののいている。その恐れのないようにしてあげる、ということです。「無畏」というのは、西洋の学者は、「安全」―「セーフティ(sefty)」なんてよく訳しておりますね。人を安全にしてあげる、という意味ですね。一応その三つに分けて説きます。
 
奈良:  その「無畏施」とうのは、とても素晴らしいことのように思うんですね。ほんとに私ども生きている時にいろいろな不安があり、悩みがあり、人間て弱いものだと思うんですね。そうした時に、怖がらなくてもいいよ、と。恐れなくともいいよ、と。宮沢賢治の詩じゃありませんけども、心からそういうふうに言って、安心を与え得るということは素晴らしいことだと私は思いますし、それが布施の一つになるわけですね。
 
中村:  そうですね。また逆に精神面では特に大事なことじゃないでしょうか。ことに現代人はいろいろな点で満足し得る状態に達しつつありますけれど、しかし自分の存在の奥を振り返ってみますと、明日何が起こるかわからない、という不安があるわけですね。その不安に打ち克つような安心を与える、ということですね。
 
奈良:  仏さまと手の形の一つに「施無畏印」というのがございますですね。右手をこういうふうに出した形で。実は私、バンコックにおりました時に、向こうの高僧の方にお会いしましたが、ほんとに温和な、それこそ慈愛に満ちた、身体中から如何にも信頼できる方だな、という雰囲気がございました。その方が信者さんに対して、和やかに微笑みながら、畏れるなという手つきをされるんですね。ところが、若いお坊さんがおりまして真似をするんです。そうしますと、何をやっているんだろう、ということで全然畏れなき心持ちを与えることになっていないんですね。畏れ無きものを与えるという一つの形―形は心があるのでしょうけれども、その形を形として十全に働かせるためには、人格の光と申しますか、その中に如何にも畏れなくてもいいんだよと言い、ありがとうございます、と思わずお礼を言わせるだけのものがあって、はじめて「施無畏」ということになろうかと思いますが。
 
中村:  その「施無畏」という理想が、具体的な姿で具現されているのが観音さまのお姿ではないですか。
 
奈良:  なるほど。観音様の畏れ無きものという一句をご紹介を致したいと思います。
 
     この観世音菩薩摩訶薩(まかさつ)は怖畏(ふい)の急難の中に於て、能(よ)く無畏(むい)を施(ほどこ)す。
     この故に、この娑婆(しゃば)世界に皆これを号(なづ)けて施無畏者となすなり。
            (『観音経』)  
 
『観音経』の一句でございます。畏れ無きことを施すものなのですね。
 
中村:  そうですね。『観音経』はもともと「観世音菩薩普門品」として『法華経』の中に含まれているわけですが、独立の経典として『観音経』とも言われております。そこでは観音様の徳が讃えられているわけですが、その文句でありますけど、この観世音菩薩は道を求め、人々のために尽くす方ですね。それから「摩訶薩(まかさつ)」と申します「摩訶(まか)」というのは、インドの「マハー」という言葉の音を写したので、「大いなる」という意味です。それから「薩」というのは、「サットヴァ」の音を写したもので、「生けるもの」という意味です。だから、「摩訶薩」で「偉大な人」という意味なんですね。「菩薩」と言っても同じことになりますが。それで観音様は、人々が畏れている、災難に遭っている、そういう場合でも、畏れのないように安心の気持を施してくださる。心を安んじさせてくださる。だから、「この娑婆世界に」とありますが、「娑婆」と申しますのは、元の言葉で「サハー」という言葉の音を写したものですが、「サハー」というのは「耐え忍ぶ」という意味だと、一般に解釈されております。この世の中にはいろいろ思うに任せないで耐え忍ばねばならないことが多いから「サハー」というんだ、と言われております。けど、この世界で観音様は安心の境地を授けてくださる。だから「施無畏者となす」と。このお経の文句がありますものですから、観音様の霊場をお詣りしますと、よく額に「施無畏」とか「施無畏者」と書いてありますですね。そこに由来するわけです。
 
奈良:  それだけ私ども日本人にとりまして、いろんな形で観音信仰というものがもの凄く大きな意味を持っておりますし、それだけ偉大な力を持つ菩薩であるということかと思うんですが。
 
中村:  日本人ばかりじゃありませんね。アジアの国々も広く、中国でも韓国でも台湾でもベトナムでも観音様の信仰は盛んです。それから南のほうのセイロン(スリランカ)でも観音様の大きなお像が岩に刻まれておりますですよ。
 
奈良:  それだけ不安が多いこの世の中に生きていく時に、畏れ無きことを与えてくれる信仰の対象というものが大変大きなものかと思うんですが、畏れ無きことを与えると言っても、いろいろな方法があると思いますし、働きの現れ方もさまざまかと思います。大変これは日本の仏教史の中でも特異なといってもよろしいかと思うんですが、忍性(にんしょう)律師という方が、観音様の施無畏の理念をほんとに社会実践した方であるというふうに聞いておりますが、少し忍性さんの話を伺いたいと思うんですが。
 
中村:  忍性律師(1217-1303)は鎌倉時代の方で、人々の苦しみを救うために全生涯を捧げた方です。忍性律師のことを申し上げる前に、そのお師匠さんの叡尊(えいぞん)(1201-1290)のことをちょっと申し上げたいと思います。この叡尊というお師匠さんは、奈良の西大寺の高僧でありましたが、広く社会事業を興されました。叡尊律師がなさったことでありますが、例えばこの世の中に虐げられ苦しんでいる方を救うための施設を作る。それから獄舎に閉じ込められている人々のためにもいろいろ救う手だてを考えました。それから殺生禁断の地を作ったというんです。これはある地域を限りまして、そこでは一切生き物を殺さないようにする。命を貴ぶという思想に基づいているのです。それと同時に、殺生禁断の地を作りますと、そこに暮らしていた漁師のような人は生活に困るわけですが、そういう人のためには転業の手立てを考えてあげる。例えば茶を栽培するとか、そういうようないろいろな手立てを実現されたわけでありますね。
 
奈良:  仏教的な理念を実践する。そして、それが社会的な生活がなり立たなくなってまいりますと、それをカバーする生き方というものを与えていく。一つの社会福祉の理想的なあり方であろうかと思いますけれども。
 
中村:  今日の言葉でいいますと、「社会福祉」ということになるんです。その理想は古く、聖徳太子に由来するんですがね。その理想を鎌倉時代に復古したのが叡尊和上なんです。叡尊和上は小さい時にお母さんを失ったんですね。だから余計人々の苦しみとか、淋しさというものがよくわかったんでしょうね。それでほんとに人々を救うということに力を注がれました。そのお弟子が忍性なんですね。忍性という人は貴族の出でありますけれども、十六歳の時にお母さんと死別したのです。いろいろ思い悩むことがあったようですが、二十三歳で叡尊和上に出会って、そのお弟子になりました。特に文殊の信仰を頂いていたのですね。世に苦しみ悩む人々がおられる。その人々のために尽くすということは、その悩み苦しんでいる人々は文殊様の化身なのである。だからその人々に尽くすということは、文殊菩薩を拝むゆえんであるとじかに感じたわけなんですね。
 
奈良:  文殊様というのは、インド以来、智慧を象徴すると言われている菩薩でありますけれども、文殊菩薩を向こうに置いて礼拝するということの意味として、虐げられ、苦しんでいる人たちが文殊様の化身であり、現れなんだ。そうすると、その人たちの世話をすると言いますか、生きていくことができるようにさまざまなものを与えていく、ということが文殊菩薩を信仰し、崇拝する一つの具体的な道だ、とこういうことでございますね。
 
中村:  そうなんですね。ただ頭の中で考えているだけでは、妄想とか空想と区別がないわけですね。実際の行いに現れて、そこで意味を持ってくる。それが仏さまなり、菩薩を拝むゆえんである、と実行に現すことをいったわけです。
 
奈良:  インド以来、仏さまが、虐げられ、困っている方に尽くすということはいろいろとあったと思いますけれども、悩み苦しんでいる人たちが菩薩の化身である、と端的に言い切った例は、そうたくさんないんでございましょう。
 
中村:  そうたくさんはないと思いますね。ここに日本の仏教史の中でも一つの大きな展開があると思うんです。既にお師匠さんの叡尊に現れていることですが、当時、結崎(ゆうさき)の十郎入道(じゅうろうにゅうどう)という殿様がおりました。その人から「法華経の転読をするから来てくれ」と言われた。ところが叡尊は行かなかった、というんですね。けど、その殿様が後に殺生禁断の地を作って、生き物をすべて愛(いと)しむということを実行した。それを聞いて、それで叡尊は出掛けて行って教えを説いた、というんですね。そこに実際に命を貴ぶという思想が出ている。忍性はそれを受けているわけです。さらにそれを徹底されたところに忍性の特徴があると思います。
 
奈良:  現在でもお経の転読ということは行われておりますし、当時としても非常に功徳のある行為とされておりましたでしょうし、そのお経の転読の功徳よりも、もっと実際的な、そして具体的な形で社会に何かを与えていくという。極めて実際的な感覚をお持ちの叡尊和上、それに教えを受けた忍性律師ということでございますね。
 
中村:  そこまで来て、お経の精神というものが生きてくるわけですね。それを叡尊、さらに忍性は実現に努力された。注目すべきことだと思います。
 
奈良:  その虐げられた方とか、獄所に繋がれている人たちの救済というのは、具体的にはどういうことだったんですか。
 
中村:  これは大変な活動されたんですよ。歴史の書物に出ておりますが、要点だけ申し上げますと、例えば病人を救うための療養所をあちこちに作りまして、そこで治療を受けた人が六万七千人いたというんです。鎌倉時代のことですから大変ですよ。それからまた浴室というんですかね、今日で言ったら、温泉とかサウナということになりますかね、その建物も作った。それから苦しみ悩んでいる人々を収容する建物もいくつも作ったんですね。さらに社会的な意味で、大きな活動をしました。橋を百八十九カ所に作った。道を七十一カ所に作った。それから井戸を三十三カ所で掘って作った、というんですね。当時の人々が一番欲していることを実現したわけです。
 
奈良:  忍性律師は、主にどの辺で活躍された方でいらっしゃいますか。
 
中村:  これは関西の西大寺にもその根拠地があったんですが、特に知られているのは、鎌倉の極楽寺ですね。つまり鎌倉時代は鎌倉に幕府があったわけですから、いわば主都に極楽寺という大きなお寺を建てまして、今、古絵図、昔の絵図がそこへ出ておりましょう。建物も多かったんですが、そのはずれのところに病養所があるんです、病院ですね。向かって左の方に病院が見えます。まだ極楽寺のはずれの方にも、別のところにも作ってあったんですが、大したことをされたんです。
今そこに写真が出ていますが、これは奈良の北の方の般若坂を上がったところにありました病院です。北山十八間戸(きたやまじゅうはっけんど)と申しますが、此処に今日でいうハンセン氏病の人を収容して、治療し、病を治すように助けてあげた、というんです。そこで暮らせる人はいいけれど、病が重くなりますと、食を乞いにどこかへ行くということもできなくなるんですね。『元享釈書(げんこうしゃくしょ)』という書物の中に出ているんですが、重くなった病人を忍性律師は肩に担いで奈良の町まで行って、いろいろ買い物をしたり、薬を買ってあげたりしてまた戻る。そういうことを何遍も繰り返した。その病人が、「お師匠さま、本当に有り難うございました。このご恩は決して忘れません。私がまたこの世に生まれ代わってくることがありましたら、その時には額に痣(あざ)を留めていますから、ご注意ください」と言って、感謝しながら亡くなった、というんですね。そしてその後に、暫く経ってから弟子入りを申し出た人がいた。その人の額に痣があった。「ああ、これはあの病人の生まれ代わりだ」と、時の人々が話したという、そういう感動を与える物語も歴史の書物に記されております。
 
奈良:  本当の菩薩行ということでございましょうし、そうした世話を受けた人たちがどれだけ感激し、喜んだことかと思いに余りありますですね。
 
中村:  今の北山十八間戸がどうしてあそこにあるかわからなかったんですが、現地へ行っていろいろ調べて見てわかったんですが、あそこは坂の上でして高い所なんです。だから病人が病舎(病院)の窓から奈良の興福寺の塔だとか、遠くは法隆寺の塔を眺めて楽しむことができる。そういう眺めのいいところだった。そこへ作ったというんです。「ああ、なるほど。そこまで行き届いて考えておられたのか」と思って、私は感動しましたですね。これは世界の歴史でも非常に珍しいことなんです。社会福祉事業で最古のものと言われておりますのは、南ドイツのアウグスブルクという、昔からの交通の要所ですが、そこにあったフッゲライです。フッガーというお金持ちがそこにいたんですね。もう帝王以上の力を持っていたと申しますが、そのフッガー家が作った社会施設ですね。これは今日までも残っておりますが、それが一番古いと言われているけれど、忍性律師のほうがそれよりもさらに百五十年も前にこの施設を作っているんですよ。そしてその精神が我々を打つものがあるんです。そのフッガー家の社会施設は、当時として尊いことだと思いますが、条件があるんですね。フッガー家の雇い人でなければいけない。そこで働いていた人が老後に楽に暮らせるように、というわけなんです。そこが一つの条件。もう一つは、カトリック教徒でなければいけない。またあと年齢が五十八以上とか、何とかということがありますけど、それは別としまして、そういう制限があったわけです。ところが、忍性律師の建てた病院は、一切の制限がないんですね。如何なる人でも苦しみ悩んでいる人だったらみんな受け容れた、と。こういう尊い事業が大規模に我が国で行われたということは、これは祖先の残された尊い偉業だと思いますですね。
 
奈良:  あまり日本の仏教史の中で、叡尊和上、忍性律師のそうしたお話をいうのがあまり比較的知られていないように思うわけですけれども、こうした現代のさまざまな問題を抱えている時に、もっといろいろな形で知られ、そして再評価されるべきだと思います。一つの模範として、社会福祉なり社会制度なりのなかで、理念的にも実際的にも受け取るべきものがいろいろあるように思うんですけれども。
 
中村:  そうです。率直に言わせて貰いますと、日本における仏教史の評価というのは、大体宗派仏教ですから、宗派系譜に沿って人々を評価するわけです。それで、忍性律師の活動の跡なんて消えてしまったわけですが、しかし宗派の系列とは別に、こういう偉大なことをされた方がおられる。これは大したものだと思いますね。
今、極楽寺の後ろに大きな忍性律師のお墓があります。これは当時の人々が忍性律師を慕ってこれだけ立派なものを作った。しかも完全な形で七百何十年前のものが残っている。これは立派だと思います。具体的に、極楽寺には大きな薬鉢が残っているというんじゃないですか。伺いますと、そこの病人のために、この鉢でお薬を調合したというんですね。こんな大きなものがあります。
 
奈良:  大きなもので、それだけこれを必要とする人々が多かったということでありましょうけどもね。
 
中村:  苦しんでいた人が多かったんでしょう。また、それに対してそういう適当な策をとって実現したという、これは尊いことだと思いますね。ただ、その伝統は、日本でははっきりした形で受け継がれていない。これは残念だと思いますね。
 
奈良:  理念だけが残って、なかなか実践が伴わないという面がよく言われますし、多分にそうしたこともあろうかと思いますが、今お話を伺っておりまして、叡尊和上にしてもそうだろうと思います。忍性律師に致しましても、それだけ自分というものを捨てて人に尽くし抜いていく。生半可な思いつきなんかでできるものでございませんですし、俗な言葉でいえば、よほど自分というものを鍛あげる、あるいは自分を殺さないとできない。トコトンまで人に尽くしていくという姿勢は、単に人を助けましょう、困っている人ですから、なんていうそんな生易しいものとちょっと思えない。よほど自分の訓練といいますか、自分に対する厳しさと申しますか、そうしたものが根底にあってはじめて、完全な菩薩行、利他行(りたぎょう)というものが可能になるような気が致しますんですけども、その辺如何なものでございましょうか。
 
中村:  忍性律師という方は、非常に自己を律することの厳しい方だと思いますね。その誓願文―誓いの文句というのが残っておりますがね。忍性律師は衣もごく質素でして、絹は一切身に着けなかったというんですよ。これは蚕を殺して作るからという、殺生禁断の意味もあったと思うんです。それからこれはびっくりするんですが、お菓子は一切食べない、というんですよ。点心(てんしん)と申しますがね。
 
奈良:  律師でありますし、戒律を非常に厳しく守っている方でありますから、お酒とかお肉とかお魚を食べない、というのはよくわかりますけれども、お菓子もダメでございましたか。
 
中村:  お菓子は食べちゃいけない、という戒律はインドや中国にはないと思うんです。けれど、忍性律師は自らそういう誓いを立てたんですね。
 
奈良:  お酒とかお肉と違いますから、お菓子というのはお釈迦さま以来認められていますですよね。それも食べないということは、お菓子を食べたからどうの、というよりも、人が苦しんでいる人がたくさんいるのに、自分がそういう美味しいものを食べちゃ申し訳ないというか、一つの自己犠牲、自己を律する。
 
中村:  そうです。人々が苦しんでいるという、そういう事実が自分の心の中にしょっちゅうあるわけでしょう。そうすると、自分が楽しむ目にあうのが悪いような気になったんじゃないですか。まず人々に楽を与えて、後に自分も楽しむという、昔から言われているその気持ですね。
 
奈良:  人の後に楽しむ、というんで、後楽園というような庭園がございますけれども、言葉は言葉としながら、それがこういう非常に鮮烈な形で、宗教者としての社会実践として生かされてくるということになると、ほんとにビックリしてしまうし、壮絶な感じを持つわけなんですけれども。
 
中村:  それだけの覚悟があったから、だからあの大事業ができたんだろうと思います。
 
奈良:  それだけ慈悲行というものの根底に、自己犠牲があるからこそ、あるいは自分の心を浄めていくといいますか、自己浄化があってはじめて人を救うということが、何か自分をこちら高いところに置いて、相手を低いところに置いて、助けてあげるとか、何かポーズを作って与えるというんじゃなくて、ほんとに一つになりながら人に尽くしていく。それが結局自分の生き方にもピシャッと一つになっている。
 
中村:  ほんとに一つになると、今おっしゃった通り、仏教の言葉で「不二(ふに)」と申しますね。その「不二」ということを口では言いますけどね、それを具体的に実現するとどういうことになるか。これは忍性律師の行動の中によく現れているんじゃないでしょうか。
 
奈良:  有名な「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」という、仏教のもっとも基本的な偈(げ)がございまして、その中に実は自己浄化ということが出ておりますですね。言葉としては、私なども知っているんですが、改めて忍性律師のそういう話を伺いますと、単なる言葉ではなく、その裏にある凄まじいほどの宗教的心情と実践がわかる気がするんですが、読んでみましょう。
 
     すべて悪しきことをなさず
     善いことを行ない、
     自己の心を浄めること
     これが諸の仏の教えである。
        (『ダンマパダ』一八三)
 
『ダンマパダ(法句経)』の一八三偈でございます。同じことが漢訳されておりまして、これが有名な「七仏通戒偈」と知られているものでありますけれども、
 
     諸悪莫作(しょあくまくさ)
     衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
     自浄其意(じじょうごい)
     是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
       (『七仏通戒偈』)
 
意味は前の『ダンマパダ』と同じでございますね。「もろもろの悪をなすなかれ、もろもろの善を奉行せよ、自らその心を浄めよ。これが諸仏の教えである」と。
 
中村:  そうです。これは仏典のあちこちに出てくる言葉でありますがね。過去七仏、どの仏さまでも通じて説かれた教えであるというので、「七仏通戒偈」というんですね。仏教のぎりぎりのところは、ここに尽きているといわれるのです。これについて、白楽天の有名な話がございます。中国の詩人の白楽天が、道林(どうりん)禅師という有名な高僧を訪ねて行った。この方は林の中で始終坐禅を組んでいた人で、その時も木の上にのぼって坐禅を組んでいた。それで白楽天が、「あっ、危ない!」と言ったんですね。そうしたら、禅師が、「いや、三界の火宅―火のついた家の中に住んでいるような衆生が気が付かないでいる。そのほうがもっと危ないんだ」と言われたんですね。白楽天は、やっつけてやれ、と思って、「如何なるかこれ仏法の大意」と訊いたんですね。仏法の根本の教えは何ですか、と。そうすると、道林禅師がこの詩の文句を称えられたんです。そうすると、白楽天が、「何だ。そんなことなら子どもだってわかっていますよ」と言ったんですね。そうすると、道林禅師がすかさずパッと答えた。「いや、これは三歳の幼子と雖も口にすることができるけれども、八十の老翁もこれを行うこと難し」と。口にすることは誰だってできる。しかし、行うことは八十になってもまだできないぞ、と言われた。それでもう白楽天はペシャンコにやられて、それで禅師のお弟子になったというんです。
 
奈良:  よく雰囲気がわかるような気が致しますですね。要するに、「善いことをしなさい。悪いことをしなさんな。心を浄めなさいよ」といってしまえば、それだけのことで簡単なんですけれども、理屈で理解することはある程度できると思うんですが、それが自分の生活の中でどこまで実行できるかというのが、仏教の基本のところになってくるように思いますね。
 
中村:  そう思いますね。
 
奈良:  そうしますと、自らその心を浄めるというのが、今、忍性律師の素晴らしい例を伺っておりますと、まことに容易なことじゃない、というのがわかりますですね。ほんとに自分の欲望というものをギリギリまで抑えていく。いや、それが抑えるとか抑えないということじゃなくて、他人のためにいろんなことを尽くしていくという気持でもういっぱいになっている。なんか悪いことを考えないように寝ているんじゃなくて、もっと積極的に人のために尽くし抜いていくことが、きっと心を浄めていくことであろうかと思いますんです。
 
中村:  そういうことが言えると思いますね。
 
奈良:  先生にお選び頂いたこれは大乗仏教の非常に易しい言葉なんですが、大乗仏教の実践の一番根幹を示したような言葉がございますので、ご紹介を致したいと思いますが、
 
     かれらに幸せをもたらす行為であるならば、
     われをして何ごとでもなさしめよ。
     なんびとにとっても、
     わたしのせいで不幸がおこることは、
     決してあってはならない。
       (シャーンティデーヴァ『さとりへの行い―入門』(菩提行経))
 
これはシャーンティデーヴァという方の『さとりへの行い入門』の中の一節ですが、言葉は易しいんですけれども、これもまたよく読んで味わって、自分の生活に当て嵌めていこうとすると、なかなか奥が深いなという気が致しますんですが。
 
中村:  そうですね。人々のために積極的に行動せよということを教えたという点で、シャーンティデーヴァは非常に特徴があると思うんです。この人は、インドの西のほうにサウラシャップラとう半島がありますが、ボンベイの北のほうですが、そこの王族の出身なんです。年代はほぼ六百五十年から七百五十年の間だろうと言われておりますが、
 
奈良:  七世紀から八世紀の方ですね。
 
中村:  そういうわけですね。この人は仏門に入りまして、ガンジス河の流域に赴き―ナーランダーという昔の大きな大学がありまして、今日でも遺跡が残っておりますが―最後にはそこへ行って勉強して暮らしていた人です。この人はナーランダー大学のあったその辺りで飢饉が起きた時に、渇き、飢えに悩む数千人の人々のために食べ物を人々に差し上げた。さっきお話にでました布施―奉仕をしたわけですね。そういうことがチベット語で書かれた仏教史の中に出ているんです。だから彼が実際に行ったことと、説いていたこととが非常に合うと思うんです。
 
奈良:  仏教の基本、論理だけではなくて、そこに実践がないと仏教にならないということが仏教の基本だと思いますが、同じくシャーンティデーヴァの言葉をもう一つご紹介を致しましょう。
 
     わたしは、一切の人々のうちで、
     灯火(ともしび)を求めている人々のためには灯火となり、
     寝台を求めている人々のためには寝台となり、
     奴僕(ぬぼく)を求めている人々のためには奴僕となろう。
            (『さとりへの行い―入門』)
 
これが悟りへの行いであるとすると、悟りということは実践だ、ということでございますね。
 
中村:  そうなんですね。仏教のギリギリのところはどこにあるかというと、それは人々に対する奉仕の中にあるとシャーンティデーヴァは考えていたんですね。悟りというものは自分から離れたところにあるんじゃなくて、毎日毎日人々に奉仕しているが、その中に悟りの境地がある。そこに仏教がある、と考えていたわけなんです。
 
奈良:  何か一つ頭の中で、「ああ、そうか」とわかる、さとるというは無論あるかも知れませんけれども、そうしたことよりも、むしろそうしたいろいろな思いが身体の中にあふれ出てくる。それに促されながら毎日毎日を人のために尽くしていくという一つの社会実践、それが悟りである。悟りというのはある時に何かがわかったという理解ではなくて、実践の長いプロセスとして悟りをみていくということになりましょうね。
 
中村:  そういうことになると思いますね。悟りというのは何か恍惚の境地みたいなもので、そこへ入ってしまうと、後は何をやってもいいんだ、と考える誤解も世間にあるようですけれども、そうじゃないんですね。
 
奈良:  そうですね。日本の禅師も同じようなことをおっしゃっていると思うんですけれども、至道無難(しどうむなん)禅師のその辺の言葉をご紹介を致しましょう。
 
     物にじゅくする時あるべし・・・。
     仏道を修行する人、身のあくを去るうちはくるしけれども
     去りつくしてほとけになりて後は、
     何事もくるしみなし。
     又慈悲も同じ事也。
     じひするうちは、じひに心あり。
     じひじゅくするとき、じひをしらず。
     じひしてじひをしらぬとき、仏といふなり。
         (『至道無難』)
 
至道無難禅師の語録の中からの一節でありますが、やはりこれも悟りというものが一番完成した時には、それをしようという意識さえなくなって、自ずと行われる、熟しているということかと思うんですが、
 
中村:  そういうことになりましょうね。最初はなんか善いことをしようと思っていますが、なかなか腰が上がらない。自分で努力しなくちゃいけないわけですが、けれど、もうすることが身に付きますと、そんなに苦しまないで自分で意識しないでも自ずから善が実現され、人々のために尽くす、ということが行われるようになる、と。その境地をここで無難禅師は説いておられると思うんです。
 
奈良:  鈴木大拙(だいせつ)先生のお言葉の中に、たしかこういう意味のことがございました。「慈悲というものは訓練するものだよ」という言葉なんですね。何かいろいろ修行をして、いわゆる悟りを開いた立派な人間になったからといって、然るべき慈悲心を人に及ぼすことができるよ、ということではない、という意味だろうと思いますんですね。自分の心のほうがどこまで高い深みにいったかは別として、とにかく理想に向かって歩み続けていかなければいけないものでありましょうし、それが仏道の実践だろうと思いますが。
 
中村:  その「深み」というのは、人によって違ってかまわないと思うんです。ただその方向に進んでいけば、それが実践になるんじゃないですか。
 
奈良:  それが至道無難禅師の言葉によりますと、次第にそれが熟していく。熟す前はどうでもいいのかというと、そうじゃなくて、熟するように努力していくことが悟りの一つの展開だろうと思いますんですけれども、しかしはっきりいった言葉だと思いますですね、「慈悲熟する時、慈悲を知らず」と。
 
中村:  そうですね。本当の達人は、自分の芸の達したことをおそらく意識しないでしょうからね。
 
奈良:  自転車を習う時には大変自転車を意識しますけれども、運転に慣れてしまったら、自転車を運転しているということの意識がなくなるわけで、自ずと然るべく動いていますですね。
 
中村:  それを仏教のほうでは「自然法爾(じねんほうに)」なんていう言い方をするわけですね。その境地に達すると、自ずから達せられるというわけです。
 
奈良:  それだけに、最初からそういうふうにはなりませんから、即今只今からでもそうした歩みを進めていくということが、熟することへの道を歩き出すことであろうかと思いますし、その実践がおのずと熟してくることにつらなるわけでしょうね。そうしたことを纏めるような意味で、これはインドの『テーラガーター』から一つご紹介を致したいと思います。
 
     われは万人(ばんにん)の友である。
     万人の仲間である。
     一切の生きとし生けるものの同情者である。
     慈しむの心を修めて、
     つねに無傷害を楽しむ。
         (『テーラガーター』)
 
これも簡単なようでありますが、いろいろとポイントがあるようにも思いますんですね。
 
中村:  素晴らしい心境だと思いますね。この『テーラガーター』は、仏教の立派な修行者の心境を吐露(とろ)した詩を集めたものなんです。「自分は万人の友である。一切の人々とともにある。そして、一切の生きとし生けるものに同情する」と。これが慈しみの心です。こうなりますと、人を害(そこ)なうということはないわけです。「無傷害」とありますが、元の言葉は「アヒンサー」と申しまして、暴力をふるわないというようなことでも現代的な意味で使われております。
 
奈良:  前回ガンディーさんの話をしました時に、この「アヒンサー」が非常に重要な言葉として出てまいりましたですね。
 
中村:  「アヒンサー」というのはガンディーさんにとっては根本的なモットーになっておりましたですね。
 
奈良:  傷付けないということは、他人に対する思いやりということかと思いますが「無傷害を楽しむ」というと、なかなかその心境は難しいかと思います。結局今の最後の詩ではございませんけれども、自分は万人の友である。仲間なんだ。そして、一切の生きとし生けるものの同情者なんだ、ということが一番の基本の「慈悲」ということでございましょうし、その具体的な言い方が、「苦を抜き楽を与える」ということでございましょう。
 
中村:  そうでしょうね。万人の友であるという気持になって、そこで初めて理想的な世の中が実現されるんじゃないでしょうか。
 
奈良:  本日は大変ありがとうございました。
 
 
     これは、昭和六十三年十二月二十五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである