回生への祈り
 
                            松尾寺住職 松 尾  心 空(しんくう)
大阪府堺の生まれ。京都大学卒業後道場で修行。のち依頼されて松尾寺に入った。昭和三十二年バスによる霊場巡礼をはじめ、昭和六十二年からは、「古道のみを徒行で歩む巡礼」にかえて実践している。昭和六十二年、西国三十三所観音霊場の法灯リレーがきっかけ。
                            き き て 有 本  忠 雄
 
有本:  古来、いろいろの霊験話で知られます霊場めぐり、最近でもなかなか根強い人気があるようです。それではこの霊場めぐりは、我々現代人にとって、どのような意味合いをもっているのでしょうか。今日は霊場めぐっておよそ五千キロという豊富な体験をお持ちの松尾寺(まつのおでら)住職松尾心空さんに霊場まぐりの、いわば心といったことについて、お話を頂きます。どうぞ宜しくお願い致します。
 
松尾:  どうぞ宜しくお願い致します。
 
有本:  今年は晩秋も暖かく、まだ紅葉が楽しめますね。
 
松尾:  今年は残暑が厳しかったですから、その後ずうっとまだ平均気温が高いというのが、ご多分に漏れず、この山も同じことです。
 
有本:  ところで、「松尾心空」というお名前でいらっしゃいますけれども、「心空」とは随分大きなお名前でございますね。
 
松尾:  当山は代々住職の名前が「空」が付く、ということになっておりますので、たまたま上に「心」が付きまして、「心空」という名前になりました。かつて高田好胤(こういん)管長に、「ちょっと厚かましい名前だ」と言われたことがございます。
 
有本:  そうですか。お生まれが昭和三年でございますから、もう七十代、立派なお年寄りの仲間入りということですが、随分お若い感じですし、お元気ですね。
 
松尾:  まあ幸いに巡礼、「徒歩巡礼」というのを始めまして、気持だけは若く、かつまた、日に三十キロの徒歩巡礼には耐えることが出来ますので、それが健康の元かと感謝致しております。
 
有本:  そうですか。ところで、ここが西国巡礼二十九番札所でございますが、まあ歩くということについてはお寺の伝統でもありますし、でも、ご自分で実際歩いて、三十三ケ寺を廻ってみようという、このきっかけはどんなことなんですか。
 
松尾:  昭和三十二年から西国巡礼というのは致しました。これは、しかし、もっぱらバスでございました。ただ、歩いて巡礼する、ということについて、微かな憧れを絶えず心の中にはもっておったんでございます。昭和六十二年に、「西国霊場花山法王中興一千年記念」という節目を迎えた時に、一つ、「一番から二番、二番から三番」と言った形で「法灯リレー」、オリンピックの言葉で言えば、「聖火リレー」ですか、「それを一つ試みては如何と、有り難いことではないか」ということを申し出まして、各御山主猊下の賛同を得て、これが実現の運びになりました。当然のことながら、私の方からは三十番の竹生島(ちくぶしま)目掛けまして、古道でございますと、十九里半、ほぼ八十キロになるわけでございますが、この道を歩いたのが手始めでございます。
 
有本:  境内(けいだい)に「すぐちくぶしま(竹生島)道」という石碑がございましたけど、「すぐ」というのは私たち、「間もなく」というか、「もう直ぐそこですよ」と言う感じなんですが、竹生島まで相当ありますよね。ここからですと。
 
松尾:  はい。十九里半もあるんですから。いわゆる、今の言葉でいう「すぐ」じゃございませんで、「真っ直ぐ歩いて下さい」と、そういう意味でございます。
 
有本:  成る程。その「法灯リレー」をご提案なさって、各御山主の方々が、「大変結構なことだよ」ということでお始めになった。
 
松尾:  はい。
 
有本:  そうですか。
 
松尾:  それが手始めに、是非この機会に三十三所を我が足で巡礼したい、という思いが募りまして、爾後三十三カ所を十二のセクトに分けまして歩きました。平成三年でございましたが、一周致しました。非常に感動したものでございますから、もう二遍は廻ろうと、都合、三千キロを目指しまして、平成七年五月二十三日に三周を終えることが出来ました。爾後もやはり続けておりまして、ほぼ四周を我が足で歩くことが出来ました。
 
有本:  和歌山県の第一番札所から、最後の三十三番は確か岐阜県にございますね。そうすると、近畿二府四県、プラス岐阜で七府県ということになりますね。
 
松尾:  そういうことですね。
 
有本:  全部こう廻ると一千キロなんですか。
 
松尾:  はい。
 
有本:  それを歩いて。でも、計画をなさって、一千キロを歩こう。これは大変なことなんだなあとお思いになりませんか。
 
松尾:  ええ。まあ、当初大変だ、と思いましたが、歩いて、歩く喜びを知りますと、そんなにえらいとか、そういうことではなくて、むしろそのえらさが有り難さ、と言いますか。お四国もいま歩いているんですが、この前、お四国を歩きました時に、一つ歌碑がございまして、
 
     金とひま使いて歩む遍路道
       この疲れこの痛みありがたきかな
 
こういう言葉がございました。本当に疲れが一つの法悦(ほうえつ)と言いますか、有り難さになりました。これが巡礼の真骨頂だな、というような気持になるわけでございます。我々も一緒に歩いている人たちは、本当に歩くことの楽しさ喜びというものを満喫いたしまして、歩く中毒になった、と。これも喜びまして、我々は一緒に廻っているわけでございます。歩くというのは考えて見ますと、「止まることが少ない」と書いて、「歩く」と読む。
 
有本:  そうですね。「止まる」のが「少ない」。成る程、成る程。
 
松尾:  自動車に乗っておりますことは、人間は動いてはおりますけれども、止まっているわけでございまして、歩くことによって、初めて留まることが少なくなる。「どうして自動車で直ぐ行けるのに歩くのか」と。まあこうした質問も当然あるわけでございますけれども、ミハエル・エンデという人が『モゝからのメッセージ』というのを書きました中に、「インデアンの人たちにポーターになって貰って、中南米の奥地深く、研究に出た学者の人たちがおった。初め四日間は計画通りに、実に勤勉に、彼等は進んでくれたにも関わらず、四日目になると、車座になって、いっこう動こうとせんようになった。「賃金が不足なのか」と、時には、冗談混じりに銃口までそちらに向けても、彼等は動かない。二日間、そういう状態が続きまして、三日目に、また彼等は一斉に行動を取り始めた。「一体、どうしてだったんだ」と、些かの意思が疎通するようになってから、そのことについて質問したところ、「計画があまりに早く歩くように出来ていたので、我々の魂が後に残されておった。魂の到着を待っていたんだ」と、かように答えた」という話が出ておりました。非常に、私、これに興味をもったわけでございまして、「間もなく時速五百キロのリニアモーターカーの実現も近し」というような話も聞いておりますが、さて、東京、大阪間、それが走って、東京へ着いても、心が大阪に残されておる、と。大阪についても、東京に心が残っておる、と。こういうようなことに、近代文明は人間をおとしめていかないだろうか、と。魂と共に歩く、と。観音巡礼にとっては、この上ない好個の課題ではないか、と。そういう取り組みもございまして、私は歩くことに大変深みを覚えたわけでございます。
 
有本:  確かに文明の利器を利用して、早く廻ることも出来るわけですが、そういう楽をすると、本当の意味の苦が分からないし、苦の後の楽を感じる為には、ちょっと回り道をしても、一歩一歩歩いていこうということですね。
 
松尾:  にも関わらず、今の時代は例のコンビニエンスストアー、二十四時間開業、電気は煌々(こうこう)と点(つ)いて、人に便利を与えてくれる。まことにコンビニエンスですけれども、一方巡礼までコンビニエンス・ピルグリム、「楽々(らくらく)巡礼」というようなことを頻(しき)りに吹聴するようになりました。しかし、反面いろいろ事情を見ておりますと、特に四国辺りは歩いて遍路をなさる方々も随分増えているように思いますし、いずれこうして西国巡礼の方も徒歩巡礼なさっている方が増えていくんじゃないか。そういう先鞭をつけさして頂こう、と。まあこういう自負心も些か抱いているわけでございます。
 
有本:  そうしますと、時流というか、時代ですから、一概にそういうことは否定出来ないけれども、それをきっかけに、本当にご自分で歩いて見るというふうなことをなさったらもっといい、ということですか。
 
松尾:  そうですね。まあなんと言いましても、仮に千キロの道のりを、新幹線で突っ走りましたら五時間位でしょう。ところが、私のような形の巡礼を取りました場合、出入りの日も必要でございますので、どうしても、四十日は必要になって参ります。五時間座席に乗っておりましたのと、四十日出入りしたのとでは、まず触れ合いがまるっきり違って参ります。やっぱり自然との触れ合いということが、大きな一つの喜びでございます。野辺に咲く一本の花にまで、その名前を聞き、そのありようを教えて貰い、一つ一つのいのちをそこに拾っていくことが出来ます。それから、また人との触れ合いでございますが、私どもが一緒に歩きました中に、元従軍看護婦さんの方がおられました。当時、熊野古道はしとゞ雨の降る時でして、この方、ちょっと糖尿病の気(け)をお持ちになっておられる。俄(にわか)に血糖値が下がりまして、山の中で蹲(うずくま)ってしまったんです。大変困ったことになったなあと思っておりましたけれども、まあ気力を奮い立たして、また、お歩きになったんですが、その時、地元で元気な人が一本の縄を両端に結び目を作りまして、前を引っ張って歩きました。彼女は今、死出の旅に着る着物の襟に、その思い出に縄を縫い込んでおるわけでございます。どうして、こんなに高齢であるに関わらず苦難に耐えているのか、と。やはり、かつて戦野で散った数多くの若い兵隊さんたちの英霊を、なんとか慰めたいという慰霊の旅であった、というのが、彼女の巡礼の動機でございました。また、最近お四国を遍路致しておりまして、随分お接待を受けるのは有り難いことでございますが、私の小学校以来の友人も一緒に歩いておりまして、たまたま栗林公園で、我々グループが一応解散になったわけです。彼は栗林公園を見終えてから、帰るということで、公園を廻ってからハイヤーを拾いました。ハイヤーの運転手さんが、「今日は最初のお客さんに、有り難い遍路のお客さんに乗って貰った。私は般若心経をあげるんだ」と言いまして、心経を上げ始めた。友人夫婦も当然心経をあげることが出来ますから、一緒にあげまして、車内は期せずして、般若心経乗せながら目的地の高松駅へ向かう、というようなことになりました。丁度、心経が終わる時間位で、高松駅に着くわけでございます。料金が七百二十円で、「今日はこんな有り難いお客さんを最初に乗せたんだから、お接待にさせて貰う」と、こういう運転手さんの申し出で、といって、友だちの方も、「ああ、そうですか」とは言えず、結局は、「千円払って降りた」と言っておりました。たまたま乗ったハイヤーの中が、心経読経の場になる、などということは、やはり巡礼遍路の有り難さじゃないかと、しみじみ思うわけでございます。
 
有本:  まあ、お歩きになりますと、自然との出会い、そして、今の人との出会いということですが、本当にいろんなお話、エピソードがあるんでございましょうね。
 
松尾:  ええ。また、歴史文化との出会いということもございますね。『奧の細道』なんかにも出て参りますが、「旅は朝早く立つのがいい」ということで、私どももその慣いでございまして、六時半、七時といった時間に出発するわけでございます。仮に簡易保険センターなんかというところへ泊めて貰っておりますと、規定によって、朝食がその時間には出ませんので、それこそコンビニエンスストアーで買ってきました、何と言いますか、お湯で注いで、
 
有本:  インスタントの、
 
松尾:  インスタントのそれを食べて出発するというようなことになるわけです。ところが朝の間は、みなさん元気でよく喋っておるんですが、お昼ご飯が済んだ頃ぐらいから、大分元気が無くなってまいりまして、昼下がり午後三時ともなりますと、いかな雄弁家も沈黙を守り始めるわけです。丁度、天理の街に近い処を歩いておりました時、足も疲れ、身体も疲れて重い杖を引きずりながら、鉛のようになった足を運んでおりました。宿屋は今や近しという思いで、首を長くするような気持でございましたら、ふとその道端に句碑が目に付いたわけです。
 
     くたびれて宿かる比(ころ)や藤の花
 
芭蕉の句でございました。これは到底紙の上で印刷したものを見ておったんでは理解の出来ない、真綿に水が染み込むような感興と言いますか、思いがその時したわけでございます。これも一瀉千里で、自動車で走っておったんでは絶対出会うことのない出会いではないかと、こういうことがございました。
 
有本:  ひたすら、一歩一歩歩くことの意味合いが今のお話の中に滲み出てくるわけですが、西国三十三観音霊場の特徴と言いますと、例えば、お遍路さんの四国、或いは、全国に坂東(ばんどう)三十三カ所を含め、結構ありますよね。この西国三十三霊場の特徴と言いますと、何がございましょうか。
 
松尾:  随分歴史がございます。平安仏教のお寺が主でございますので、従って、勅願(ちょくがん)寺などもたくさんございますし、また、豪族が建てた寺というものもございます。一方、また修験の寺、とこう言ったものもございます。非常に階層が厚いと言いますか、歴史が長いと共に、その信仰のなさる方の階層が非常に厚うございます。こういうものがやはりお寺を強固に歴史の風雨に堪えながら支えてきたんではなかろうかと思います。同時に観音さまというのは、いわゆる我々の俗世の音、俗世の願い事をみそなわすと、聞いて頂けると、こういうことでございますので、やはり人間苦悩が無き者はないわけでございまして、その苦悩を和らげる、その苦悩を聞いて頂く、御利益(ごりやく)に預かりたい。こういう気持が観音信仰の道を、今日まで支えてきたんだと、かように思っております。
 
有本:  観世音菩薩の音は衆生の苦しみであったり、それを聞いて下さって、そう言えば、信仰心のない方というと語弊があるかも分かりませんが、判あつめのみの方もあり得るわけですが、本来、観音信仰というのは、日本人一般的と申しましょうか、私の苦しみを聞いて下さるんだ、ということですかね。
 
松尾:  観音信仰、地蔵信仰、お不動さん、この三つは非常に代表的な庶民信仰の代表でございますから。同時に、私、この音ということについて、特に興味を持っておりますのは、お母さんの心臓の脈拍の音が「ラ音だ」ということなんです。赤ん坊が泣いております時に、そのお母さんの心臓の音を出す玩具(おもちゃ)を置いてやると、赤ん坊が泣きやむ、と。非常に安らぎの調べになるわけですね。同時に、お寺にあります梵鐘(ぼんしょう)、この音が「ラ音だ」という。そうしますと、我々お詣り致しました時に、ゴーンと響く、この荘重(そうちょう)な響きが、実は母親の心音を聞いている、一番安らぐ音なんだ、と。だから音を聞かれる方が居られる。音を聞かせる場があり、そして、そこに何千年来の香煙が絶えることなく、香りが我々の鼻を刺激する、と。こういうふうなことがすべて揃って、この観音霊場というものが、皆さんに有り難さを鼓吹(こすい)しているんではなかろうかと思います。先程、おっしゃいましたように、「判あつめ」という類(たぐい)のお詣りも、なきにしもあらずで、そのことの為には先を争って、なんというお姿も、時に見受けるわけでございますけれども、まあ、これも一つ観音様のご縁を得たはしりで、また、どんな深い観音信仰がそこに芽生えていくか、育っていくか、という大らかな目でこれを認めて頂きたいと、かように思っております。
 
有本:  今のお話を伺っておりますと、静かな境内ですから、水の音がですね、しかも初冬の水の音ですから、春の、或いは夏の音とは違うんでしょうけれども、心を和ませてくれるいい音ですね。
 
松尾:  やはり水道の音と違って、自然の石清水(いわしみず)の音というのは、やはり心を和(なご)ませてくれます。やはり自然に戻らんと人間はいかんと思うんです。「歩く」ということも自然に戻ることですので。ギリシャの医学の祖でありますヒポクラテス(古代ギリシャの医師:前四六0ー三七五?)は、「歩くことは良薬である」と言っております。現在の世相を見ておりますと、「自動車の普及率に比例して、糖尿病患者が増えている」というようなことを聞くにつけましても、自然から遠ざかって、人は病むなあ、と。同時に、ヒポクラテスは、「人間は自然から遠ざかる程、病気に近付く」と、かようにも言っております。蓋し至言ではなかろうかと思います。私も出来る限り歩き続けることが出来るように、そこに丁度三十三段の石段がございますので、毎朝お勤めの前には十五回上がり下りすることに致しております。今年は特別暑かったですから、歩き終えて後、丁度今湧いております水で口を潤(うるお)しますと、大変美味しゅうございまして、
 
有本:  そういった日々の「ウオーミングアップ」と言いましょうか、「体力作り」ということだと思うんですが、やっぱり一般の方々が、「私も歩いてみよう」という時、体力、精神力が必要だ、と思うんですが、やっぱりある程度の準備は必要でございますね。
 
松尾:  そうですね。ただ、しかし、歩けるのに歩かない方があまりに多いような感じが致します。歩けるんだろうか、という不安を持ちながら、ご参加になりますけれども、「存外歩けるんだなあ」と、自分でやってみて、皆さん、自分の力に驚いておられます。同時に、こういうことの為には、地下鉄の二つや三つの駅を歩く。役所へ行ってもエレベーターは使わない。百貨店に行っても階段だ、と。こういうふうな心がけが出て参りますので、やっぱり積み重ねが随分健康に資するものが多いのではなかろうかと、かように思っております。
 
有本:  そうしますと、あまり体力、精神力というふうなことでなくて、歩こうという意志があれば自然に歩けるようになりますよ、と。
 
松尾:  そうですね。特別ご病気でもおありになれば別と致しまして、通例の生活をなさっておられる方でございましたら、歩くと、これまた、人間というのは意地になりまして、楽をすると辱めを受ける、というような気持で、多少の無理はしてでも、歩いて行こうという気持で、歩いてみたら、「あ、成る程、これだけ歩けるのか」と、こういうことではないかと思います。同時に、やはり精神的な深まりがあり、ここに大きな喜びがございます。『今昔物語(こんじゃくものがたり)』に讃岐(さぬき)の国の五位(ごい)という人の話が出て参りますが、「随分傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な男だったわけですけれども、ある時、お坊さんのお説教が元で、彼は落髪致しまして、首から吊し金を掛けて、「西の方に 阿弥陀さんがある」と言われた通りに、西を目指して、その吊し金を鼓きながら、「阿弥陀仏、おうい」と叫びながら、西の方目指してまっしぐらに歩き出すわけです。それこそ山の高きを避けることなく、川の深きを厭わず、西へ西へと歩きます。途中出会った住持(じゅうじ)が、それを訝(いぶか)しく思いました。後をつけて行きますと、彼は海辺に至りまして、海の彼方目がけて、やはり相も変わらず吊し金を鼓きながら、阿弥陀仏を呼ぶわけです。「もう七日経ったら、もう一度来てくれ」という五位の申し出に、住持は一旦引き返して、約束通り七日目に来るわけですが、彼は既に息絶えておって、そして、阿弥陀さんを呼んだその口から一本の蓮華(れんげ)が生えていた。あまりの尊さにこの蓮華を手折って、泣く泣くこの住持はその場を去った」という、こういう話がございます。かつてガン患者の方がモンブランへ登られたようなことがございました。或いはまた、アメリカの同じくガンで片足を落としました隻脚(せっきゃく)の青年が、大陸横断するというような途方もない計画にチャレンジ致しましたが、こういう方々の願ったことは、「何であったのか」と。私は、「西の方なる阿弥陀さんを求めての旅だったんではなかろうか」と。ある程度死期を察した方々が、今まで喜怒哀楽の波に弄(もてあそ)ばされて、時には人をねたみ、或いは人の悪口も言い、そういうような人生であった。そうした中で、今度は本当の自分の中の、今一人の自分、と言いますか、「阿弥陀さん」と言いますが、それを求めての旅であったんではなかろうか。私どもがいま歩いておりますのも、禅の言葉に、
 
     一寸(いっすん)坐れば一寸の仏、二寸坐れば二寸の仏
という言葉がございますが、私どもの足は、いわば彫刻する鑿(のみ)のようなもので、一歩歩けば一歩の仏を心中に刻(きざ)むんだ、と。二歩歩けば二歩の仏を刻むんだ、と。仮に熊野の古道ですと、二十九万歩位になるわけですが、二十九万歩の仏を我が胸中に刻んで、その仏さまとの出会いなんだ、と。そこにこそ徒歩巡礼の最も生き甲斐と喜びがあると、かように考えながら、今後とも一つ徒歩巡礼を続けていきたい。これが私の願いでございます。
 
有本:  そうしますと、「心の中に仏さまを刻む」ということは、自分の内面に、自分自身が本当の自分の姿はどんな姿なんだ、ということを考えるということでもあるわけですね。
 
松尾:  左様でございますね。御大師様の言葉に、
 
     仏法遙かに非ず、心中にして即ち近し
 
と。或いは、白隠禅師のお言葉に、
 
     衆生本来仏なり
 
と。そういう仏法、或いはまた、本来の仏がわが身にありながら、私どもはこの日常生活の煩わしさの中に、とかく目が奪われまして、いわゆる真実なる自己を見失いがちなんでございますけれども、いわば歩き、歩き、歩き、歩いた果てに、すべてが疲れてしまって、何も考える余裕もない。そういうようなところに、仏さまがある面では現前なさって頂けると、こういう喜びというものが法悦ではないかと、かように思っております。
 
有本:  よく歩いている姿を拝見しますと、いわゆる白装束で杖をついて、というようなことなんですが、やはりお歩きになる時はそういう出で立ちで、
 
松尾:  もう古参の人たちはみなさんその格好になっていますが、新しく参加なさる方にはなんの規定もございませんので、スポーツウエアで参加なさる方もあるんです。よくしたもので、だんだんだんだん着ておられるものが白いものになっていきまして、そのうちに「笠、杖を下さい」と、こういうふうになっていきますので、そこはいわゆる薫習(くんじゅ)と言いますか、丁度タンスの中に樟脳(しょうのう)を入れておきますと、自ずと匂いが染み込むように、やっぱりグループに入ると、朱に交われば赤くなるで、白に交わって白くなっていかれるような感じが致しますね。
 
有本:  お話を伺って、宗教、或いは仏教は、「歩く」という、或いは「動く」という、そうかと思うと坐禅のように「静かに坐る」という、或いは「拝む」という、いろんな形態がある、と思うんですが、こう一歩一歩歩きながら、観世音菩薩、或いは、自分の心の中のものを、自分で再発見する。とても素敵なことなんですが、なかなかそれを実感できるまでには、やはり相当歩かないと、そういう境地にはなれないんじゃございませんか。
 
松尾:  そうですね。毎日毎日がやっぱりいわゆる「朝鍛夕練(ちょうたんゆうれん)」と言いますか、朝に鍛え、夕べに練る、という思いがなければならないわけです。なかなかきれい事ばかりではいけません。なかなかグループの中にはいろんな思いも抱かれる方も、時にはあるように見受けますし、私自身がいわゆる煩悩の徒でございますけれど、しかし、何と言っても、一緒に汗し寝食を共にするという、その心の繋がりというものは、大変深いものがございまして、ほんとに親戚以上の心の繋がりが出来ておるんではないか、と。我々グループは左様に考えておるわけでございます。
『荘子(そうし)』の中に出て来る話でございますけれども、子貢(しこう)(孔子の門弟の一人)という人がたまたま旅をしておりまして、途中である老人に出会う。彼は水瓶でもって、畑に水やりをしておる。効率の悪いこと夥(おびただ)しい。「跳ね釣瓶を用いたらものの百倍も仕事が出来る」と言って、子貢がその老爺に訴えるわけです。そうしたら、その時に、この老人が答えた言葉が、
 
     機械を有する者は、必ず機事(きじ)あり
     機事有する者は、必ず機心(きしん)あり
     機心胸中に存すれば、即ち純白(じゅんぱく)備(そな)わらず
     純白備わらざれば、即ち神正(しんせい)定(さだま)らず
     神正定まらざる者は、道の載(の)せざる所なり
          (『荘子』天地篇第十二)
 
かようなことを言いまして、「自分は跳ね釣瓶を使う術は十分知っている。しか し、こういう思いから、自分は敢えて水瓶を使っているんだ、と言った。子貢は恥じてその場を去った」と。この話は終わっております。いわゆる機械をもっておる者は、どうしても「機心」と。なんか物事をすべて安直にしよう、という心が生まれてくる。その心が生まれると、本当の心が定まらない。こういうのがザッとしたこの老人の説であったと思うんですが、とかく便利がいいということは、一方において大きな失うものがある。そういう点では便利ということも手放すこと出来ませんし、一方、自然との共生も、これは絶対あって貰わなければならない。今の現代文明というのは、一つの股裂きの業を負わされているのではなかろうか。取りもあえず、私は徒歩巡礼というもののもっております機械を退けて、機心を退けて、神正定まることを祈っての旅、というのが、一応私共の歩いている者の結論でございます。
 
有本:  和尚さんはなかなかお話もお上手ですが、たくさん本も書いていらっしゃいますね。
 
松尾:  お恥ずかしいものでございますけど、
 
有本:  ここに『西国札所・古道巡礼』。これは最初満願なさった頃のお話をずうっと書いていらっしゃるわけですが、この本のタイトル、「母なる道を歩む」ということでもあるんですが、今度はその「母なる道と古道巡礼」。これはどんな関わりがあるんですか。お話を進めて参りたいと思うんですけれども、
 
松尾:  西国巡礼の縁起でございますけれども、長谷寺の前に法起院(ほっきいん)という番外札所がございます。徳道(とくどう)上人にご縁のお寺でございまして、徳道上人という方が、仮死状態と言われておりますが、今で言えば、臨死体験とでも言いますか、なさいまして、閻魔大王が、「あなたはこの世に来るのはまだ早い。この世に三十三所の有り難い観音霊場というものがある。これをあなたは宣布(せんぷ)しなければならないんだ」と言って、三十三所のご宝印を、徳道上人に託され、この世にお帰りになりまして、三十三所を開かれた、という縁起物語がございます。一見荒唐無稽のようにも考えられる節もあるわけでございますけれども、しかし、よくよく考えて見ますと、かなり深い意味合いが隠されておるんではなかろうか、と。申しますのは、この巡礼の旅に出ます時の思い、或いは考え方は、いわゆる死出の旅路の衣装そのものでございます。まあ極端に言えば、あの姿のままで鼻の中に脱脂綿を詰め込んだら、それであの世へ行けるような形の姿でございまして、しかも、昔は往来手形というものを持ちました。これは非常に非情な片道切符とでも申しますか、「もし万一途中で事あって、事切れるようなことがあった場合は、どうかその土地の作法によって、その遺体を処置して貰って結構です」という条りが必ず書き添えられることになっておりました。そういう意味では、いま申します通り、非情というか、無情な片道切符を持って、人は旅に出たわけです。そういう思いを抱いている心の反面には、一方、「死して生(な)る」と言いますか、今までの悩み多い、或いは苦しみ多い、或いはまた追い込められた、この人生をいま一度生まれ変わりたい。こういう気持が一方にあっての所以でございます。まさに、徳道上人は一旦死を目前になさって、この世に帰って来られた、その寓意(ぐうい)がそういうところにあるんではなかろうか、と。いわゆる「胎内くぐり」というのがよくございますけれども、あれはお母さんのお腹に一遍入って、生まれ変わるという、そういう知恵が背後にあるわけでございます。観音霊場そのもの、道そのものが、長大な一つの胎内くぐりなんだ、と。そこにいろんな思いを一旦は抜いてしまって、そしてもう一度生まれ変わるというような意味がある。そういう道を歩くんですから、お母さんの中にもう一遍入って、そしてまた生まれ変わろう。まさにこれが「母なる道」と、こういう意味合いでこの名を付けさせて貰ったわけです。譬えて、こういう遍路を経て、なさいました方の中に、こういう体験をお話なさった方がございまして、「若い日に、必ずしも両親の意に添わざるような結婚をした」と。「年を経て、そして、巡礼を経て、まざまざと分かったのは、親の気持ちだ」と。「自分はお葬式にも、それから供養にも出ては行かなかったけれども」ということで、敢えてそのお寺にこっそりとお詣りになって、そしてその骨壺を手に提げて、「今にして両親の気持ちが分かります」と言って、泣いたんです。やはり一つの新しいものの見方が、そこに生じたわけでございます。やはり胎内くぐりということも、これも一つの大きな意味ではないだろうか、と。その他、単にそういう思いの面だけでなくて、やはり健康の面でも思い掛けず、今までの持病がよくなったとか、或いはまた逆に我が子を亡くした悲しみが、観音様に頼ることによって和らいだとか、こういうような方がたくさんございますので、これこそやはり母なる道を歩んでこその新しい人生、「新生、回生」と言いますか、そういうことではないかと、かように理解をしておるわけでございます。
 
有本:  これも和尚さんがお作りになった「アリの会」の歌がございますけれども、一番が、
     落葉しく道 花の道
     山道 野道 峠道
     玉なす汗の けもの道
     歩もう歩もう ただ歩もう
     我らは行(ぎょう)ず アリの会
 
ただ、ひたすら「歩こう歩こう」ということで、果てしない旅に今おっしゃった「回生と死」を見つめると、何か今まで見えなかったものが見えてきますよ、ということですね。
 
松尾:  そういう願いが込められています。「死して生(な)れ」という言葉がございますけれども、やはりそういう片道切符の旅だという、古来の厳しさが一面において、新しい人生を約束してくれる、ということではないかと思います。
 
有本:  本当に四回目、間もなく満願。四千キロということですが、まだまだ歩こう歩こうというお考えだと思いますが、ほんとにもうエンドレスと申しましょうか。
 
松尾:  まあ、今や歩く宗教、拝む宗教、坐る宗教がございますけれども、私の生き甲斐は歩く宗教に自分を賭けると、こういうのが私の思いであり、願いであるわけでございます。
 
有本:  確かに我々の人生を果てしない旅に「回生、起死回生」と、死をこう見つめつつ歩く、ということ、本当に経験なさった方は素晴らしい、と思うんですが、この番組をご覧のみなさんの中で、手初めに、私もちょっと歩いてみようかなあ、という方がいらっしゃるか分かりませんので、是非伺いたいんですが、先程、ちょっと精神的、或いは肉体的なトレーニングというようなお話がありまして、和尚さんは境内三十三段の石段を何回も何回もこうお歩きになるというお話がありましたけれども、やはりいきなり歩くというのは、いくら何でも、
 
松尾:  個々の、いろいろなご注意は、新しくご参加なさる方には必ず申し上げておるわけでございますが、仮に履き物なんかは、その日のために新しく調達して来られる方が多いわけです。足に馴染まん靴でございますから、そういう方はよくまた足に豆が出来たり、皮が擦り切れたり致しまして困るので、「どうぞ慣れた靴で是非お出で下さい」と言っております。また、この雨具は必ず持たなければなりませんけど、私ども少々の嵐でも、歩いております。必ずこの靴の中が水浸かりになりまして、靴下が軋みまして、豆ができ、そしてその豆が潰れるというようなことがありますので、出来れば靴には出来るだけ防水を施しておいて貰って、そういう難を避けるということも大事ですし、それから何でもない道でも、必ず電池は持って歩かなければダメだ、と。実は私も熊野の古道で失敗したことがございます。ご案内の方がちょっと道を間違われて、間違われた挙げ句の果てに、私ども二、三人のグループがちょっとものの着替えをしておる間に、ドンドンいま一つ間違ったグループが先へ行ってしまいまして、三つに分かれてしまいました。しかも秋の釣瓶落としの暗さでございます。さて、地図を開いて見るんですけれども、全くものの文目(あやめ)も分からんようになってしまいまして、今日は早く向こうに着けるから電池なんか要らんと思って、伴走車の方へ乗せて置いた為に、大変困ったことがございました。やっぱり電池は持って行く。そういうような基礎的な一つの準備というものは、是非必要だと思うんです。やっぱり道を歩むということは、油断してはならん。これはみなさん方にいつも申し上げていることでございます。
 
有本:  そう言った準備もさることながら、心の準備と申しましょうか、やはり信仰心というようなことがとっても大事だと思うんですが、現代人はとかく科学万能と言いましょうか、信仰のことについては、否定的な方、或いは無関心な方がたくさんいらっしゃるんですが、その辺はどんなふうにお考えでございますか。
 
松尾:  あまりにも今日は満(みち)たり過ぎまして、本当の味わい、と言いますか、本当の勿体なさ、感謝というものを忘れている。そういう心の一端がそういう形でも現れているんではなかろうかと思います。夢窓国師のお書きになりました『夢中問答』という本の中に出て参ります言葉でございますけれども、「恩の力」と、「恩力(おんりき)」という言葉がございます。人間にはいわゆる神通力、「六神通」なんていうことを申しますけれども、それ以上にみんなが持たされておる有り難い通力がある。それは恩力なんだ、と。こういうお教えのように理解したんでございます。よく考えて見ますと、本当に爪が一、二ミリ伸びるのも、髪が一、二ミリ伸びるのも、自分の意志、自分の力で伸びているものは何に一つもないわけでございます。心臓の鼓動も全部打って貰っている。生かされておるんだ、と。その恩力というもの、これを考えますと、自ずと有り難い、という感謝が湧いてくるわけでございます。「自分が」というところから、とかくそういうようなご指摘のような思いがきざすわけですけれども、人という者は、幸せは失われた時に初めて感じるものでございますので、こういうご縁をいろいろ頂いて、そういうところから一つ信仰の心の萌しを育てていって頂きたい、かように思います。同時に私ども一緒に歩いておりまして、感じますことは、今はどこのホテルに泊まったり致しましても、個室でなければ厭だとか、そういうのが多いんですが、私どもはほんとに雑魚寝でございまして、昔の小学校の修学旅行並の旅で、それでもみなさん不平を漏らすことなく、むしろそのことに喜びと生き甲斐を覚えるような形でございまして、私もこういう旅を経験せん迄は、とかくなんか個室とかでないと喧(やかま)しいとか、そういう思いを持っておりましたけれども、共に行き、共に歩むという、そこに本当の楽しさがあるんではないかと、かように思っております。
 
有本:  そう致しますと、「アリの会」のみなさんの中にも、最初は必ずしも信仰心からということではなくて、ハイキング気分であったり、というようなことからスタートなさって、人とのご縁、或いは歩きながら自然との出会いで、知らず知らず信仰心が芽生えてきたというふうなこともおありなんでしょうかね。
 
松尾:  私の幼稚園以来の友人も、小学校以来の友人も、中学校からの友人もそういう人たちみんな一緒に歩いてくれていることに、本当に心の繋がりがあるわけですが、「歩けるという、歩かして貰うという、この機会を持って、自分の人生は変わった」と、よく言うてくれますので、本当に嬉しく思っております。また、幼稚園以来の友だちがたまたま細君を思い掛けない形で亡くしまして、以後、彼は旅に出ます時に、必ずその奥さんの写真を胸から吊るしながら歩いている。その姿を見ました時に、彼の心がこれまで深まったのかと、そういうような思いが、切に感じるようなことがございました。
 
有本:  よく登山家の方が、「何故そんな苦労して山に登るんですか」と聞かれて、「山があるからですよ」と答えるやに、よく伺いますけれども、そうしますと、みなさんも、「何故歩くんですか」と言えば、「道があるから歩くんですよ」ということになるんでしょうか。
 
松尾:  そうですね。私が歩きます時に、今のことを含めて三つばかりの条件があったと思います。一つは、やはり札所の住職として、本来の巡礼の姿に戻ろう、と。これが徒歩巡礼。それから、今一つは、心の中にはこの巡礼によって、やはり御利益を観音様から頂きたい、幸せを頂きたい、と。まあ端的に言えば、長生きもしたい、と。こういう思いもございました。第三番目の理由は、只今ご指摘のように、何故ならそこに道があるから、という思いでございまして、先程触れました自分の人生変わったって、じゃ、変わったというのは、具体的にどう変わったのか、と。まあ個々に現象的なことを一つ一つ拾うことは出来ますけれども、やはり何か大きな心に沁みるもの、これがいわゆる変わったという大きな理由ではないか、左様に思っております。
 
有本:  此処のご本の最後の方に、和尚さまが、「みんな畳の上で死にたい。でも、私は観音様の道、この歩いている道でいのちを全うしても惜しくはありませんよ」というふうな意味の歌をお創りになっていますね。素晴らしいことですね、これは。
 
松尾:  私、旅の中で創りました短歌でございますけれども、
     畳の上の命終(みょうじゅ)を衆(ひと)ら願ふれど
       我は観音道(みち)にて果(は)つるも悔(くい)なし
 
道は観音道でございますが、こうした歌を創りました。些かちょっと何か肩に力が入った言葉でお恥ずかしいんですけれども。これはこういう話を聞いたことがございます。
ある老人が箱根の山中の道端で、病のために臥しておった。歩いて来た人が薬をあてがおうとしたら、その老人が首を振って、実は、「この大きな大空が私の棺桶なんだ。そこにいろいろ咲いて山の彩りを添えておる草花が、自分のお供えの花なんだ。何もかも準備整っておる。薬はご無用に願う」と言って、また、臥した、という話ですが、まさに大空を棺桶とし、草花を自らの供花と見なして、大自然の懐に戻っていこうという、この思いは素晴らしい往生だ、と思うんです。まあ請い願わくば、自分もそういう気持になりたいと思って、ちょっと書いてみたんです。併しこれは自らを省みた時、少し肩に力が入り過ぎてお恥ずかしい限りです。
 
有本:  いや、とんでもございません。しかし、西国巡礼三十三カ所、およそ一千キロ、四回目を間もなく満願ということで、いわゆるよく歩いたなあ、と感じでございますね。
 
松尾:  まあ、それだけは何か一種の有り難い喜びが沸々と湧いてくることはございます。同時にまた、新しい方が次々と申し出がございまして、「是非そのご縁に預かりたい」というお言葉を頂くのも、大きな励みでございまして、今後ともそういう人たちにたくさん歩いて頂いて、まさに「蟻の西国詣で」というふうに、西国徒歩巡礼の方で巡礼道が満たされるような、その日を夢見て、今後とも歩いて行きたい、というのが、私の希望でございます。
 
有本:  和尚さんとご一緒で歩く方々、「アリの会」という会のようですが、この「アリの会」という命名はどんなところからお付けになったんですか。
 
松尾:  何と言いましても、この道中で一番感動しましたのは、熊野の古道でございます。西国第一番、那智山を出まして、和歌山の紀三井寺に至ります。紀伊半島を横断しまして田辺へ出て、そのまま北上して和歌山まで、これがほぼ二百キロございます。かつてはこの道を逆のコースで熊野詣をしたのが順路。我々は西国巡礼でございますから、逆路を歩くわけでございます。「蟻の熊野詣で」、熊野信仰が非常に深く、アリが次々とくびすを接して歩く程に、参詣人が多かった、という言葉でございます。これに因みまして、我々の会も、「アリの会」という名前にしようと、こういうことで決まったわけです。平成元年でございますが、熊野の古道を初めて歩きました時、殆ど他人(ひと)様に会うということはございませんでした。実は幽邃(ゆうすい)な感じが致しましたけれども、やはりこうしたところにも開発の歩みが、何となく近付いているような気が致しまして、より早い機会に、より若い時に、ここは是非歩いて巡礼する、ということを、機会ある毎に、私はお勧めしておるわけでございます。
 
有本:  本当にお忙しいところ、今日はいろいろ有り難うございました。
 
松尾:  有り難うございました。
 
 
     これは、平成十一年十二月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。