コウノトリとともに生きる
 
                 兵庫県立コウノトリの郷公園園長 増 井  光 子(ますい みつこ)
一九三七年大阪府生まれ。麻生獣医科大学卒業。獣医学博士。井の頭自然文化園園長、多摩動物公園園長、上野動物園園長を歴任。現在はよこはま動物園ズーラシア園長、兵庫県立コウノトリの郷公園園長(非常勤)。著書に「動物の親は子をどう育てるか」「野生動物に会いたくて」「都会の中の動物たち」ほか多数。
                 き  き  て          西 橋  正 泰
 
ナレーター:  今年の九月、兵庫県豊岡市の「兵庫県立コウノトリの郷公園」で、人工飼育した国の特別天然記念物コウノトリが大空に羽ばたきました。コウノトリを自然に帰す運動は、地元の人々をはじめ、兵庫県や豊岡市が中心になり、その最前線に立つのが、「コウノトリの郷公園」です。園長の増井光子さんも長い間、コウノトリが大空に舞う姿を夢見てきた一人です。
 

西橋:  この九月二十四日に放鳥した時のお気持ちというのはどうでした?
 
増井:  そうですね。いやぁ、この事業始まって、ちょうど半世紀ですよね。
 
西橋:  あぁ、そうですか。増殖の、
増井:  保護運動がね。五十年目のその瞬間ですからね。それはまあ「よかった」という気持ですね。
 
西橋:  ドキドキなさいました?
 
増井:  ドキドキというか、「ああ、ここまできた」という感じですね。
 
西橋:  そうですか。そういう絶滅した野生動物を人里に放すというのは、世界でも珍しいんだそうですね。
 
増井:  そうですね。大体多くの生物は人の影響で絶滅に追いやられていきますので、人が住んでいるところにまた放しても、また滅びるんじゃないか、という心配がありますね。ですから、大抵は人里離れたところに放されるということが多いのです。或いは人が住んでいない国立公園の中とかね。そういう件はたくさん外国にも例があります。でも、コウノトリというのは、昔から人里で、人と一緒に暮らしていた鳥でね。それを復活させるため人の住んでいない山奥へ持って行って放そうというんじゃ、またちょっと意味が違うんですよね。要するにこのたびの事業は人と鳥とが共存できる環境を創造していこう、という試みですから、これはやっぱり人のいるところに放して、そしてそれがずっと維持されていく状況を作っていく、ということですのでね、こういうことをやっている例というのはあんまりないんですね。
 

 
ナレーター:  コウノトリは、昭和初期に兵庫県北部で百羽ほどが確認されるなど、かつて日本全国で見られました。しかし、その後農薬の使用などで、減少の一途を辿り、昭和四十六年、保護運動の甲斐もなく、日本の野生のコウノトリは絶滅しました。この間、昭和四十年から人工飼育が試みられます。長い試行錯誤の末、旧ソビエトから贈られたコウノトリに、平成元年、雛が初めて誕生し、その後は毎年繁殖に成功、コウノトリの野生復帰の光が見えてきました。平成十一年には、兵庫県豊岡市に「コウノトリの郷公園」が開園しました。コウノトリに住み易い環境作りも進められ、野生復帰の準備が調っていきました。増井光子さんは、開園時から、「コウノトリの郷公園」の園長として、地元の人々とともにこの運動を進めてきました。
 

西橋:  ところで、増井さんとコウノトリとの出会いというのはけっこう古いそうですね。
 
増井:  そうですね。動物園でも、コウノトリは展示動物の一つとして飼育してきました。私は最初東京都の上野動物園に奉職しまして、十一年目に同じ東京都の多摩動物公園に転勤したんです。多摩動物公園は成り立ちからして、動物の繁殖というのに重きを置いていましたし、コウノトリの飼育も早い時から手がけていたんですね。私が多摩へ行ったのが一九七○年で、日本のコウノトリが絶滅する前の年ですね。その一年後ぐらいでしたからね、中国からきたコウノトリが飼育されるようになってきて、
 
西橋:  多摩動物公園で?
 
増井:  多摩動物公園でですね。やはり多摩でも繁殖にみんなすごく努力したんですけど、なかなかペアリングが難しい鳥で、私がいる間には上手くいかなかったんですね。どれでもクラッターリングとかね、なかなかペアになれなくて、一羽で飼われているオスがいてね、けっこう気性の激しい鳥だったんですね。それがいつもシーズンになると一羽でクラッターリングして、
 
西橋:  嘴をカタカタカタカタと、
 
増井:  やってですね。それで巣作りの真似事みたいなこともやっているんですけど、いつも完成しないんですよ。で、これはやっぱりペアになって、二羽で協力して巣を完成させていくんだなあ、というふうに思ってね。まあそんなことをしているうちに、また転勤になりましてね。ちょっとまたコウノトリとは外れるということになったんですけど。それがね、とても一人暮らしのオスが印象に残っていたんですよ。そうしたらやがて、そのオスが豊岡に移籍してきて、それでこちらで、最後に福井県の武生(たけふ)というところで保護されたメスと一緒になってね、
西橋:  此処で?
 
増井:  そうです。野上というところに作られた飼育でです。
 
西橋:  あ、そうですか。
 
増井:  それで雛が孵(かえ)りました。そのオスは多摩から来たんで、「多摩、多摩」と言っておりましたけども、武生も多摩ももう居なくなりましたけど、その子孫がずっと残っているんですよ。
 
西橋:  残っているわけですか。じゃ、増井さんが最初に気になったオスの子孫がいるわけですね。
 
増井:  いるんです。この「多摩」と「武生」のペアは、節目節目で喜ばしいことをしてくれましてね。野生復帰事業も次第にみんなに伝わるようになってきましたが、それでももっと理解度が高まって欲しいなあというわけで、豊岡市は国際フォーラム(forum:公開討論会)をやったんですよ。その第一回目の国際フォーラムをやる直前に、その待望の「武生」の雛が孵ったんですよ。
 
西橋:  そうですか。なんか象徴的ですね。
 
増井:  そうなんですね。象徴的でね。コウノトリというのはほんとに 象徴的な生き物だと思うんですけど、それでその時孵った「武生」の雛がメスだったんですけどね。そのメスが大きくなって、今年放鳥する年の春にまた雛を―「武生」と「多摩」の孫が孵ったんですよ。
 
西橋:  そうですか。
 
増井:  それとまた野生のオスが一羽、三年前から飛んで来ているんですね。
 
西橋:  「八五郎(はちごろう)」という。飛来したのが二○○二年八月五日ですね。
 
増井:  それも「野生復帰連絡推進協議会」をやる前日だったか、なんかそんな時に飛んで来たんですよ。「あ、コウノトリが飛んでいる!」、部屋でみんなわぁっと見たんですよ。そうしたら会議場の外をズーッと野生の鳥が飛んでいたんですよ。
 
西橋:  八五郎が祝福するように、
 
増井:  ええ。それでもうみんな、「あ、なるほど、コウノトリが飛ぶというのは、こういう感じなのか」と、みんな一回でわかりましたね。
 
西橋:  けっこう羽を広げると大きいんでしょう?
 
増井:  大きいんです。二メートルぐらいありますから。
 
西橋:  そうですか。
 
増井:  美しいものなんですね。これがまた再び自分たちの身近に暮らせるようになったら素晴らしい。余計に熱が入りますよね。
 
西橋:  それはそうですね。
 
増井:  コウノトリは本当に節目節目でね、不思議に良いことをもたらしてくれるんですね。
 
西橋:  そうですか。この地域の人たちのいろんな協力があるでしょう。
 
増井:  勿論、それがなければ、こういう事業は一つのグループでできるわけではありません。先ず「いよいよ野生復帰を目標にした郷公園という施設を作るよ」という件、豊岡市のほうから地元の人たちに説明会が行われました。その説明を聞いた地元の有志の人が、「それじゃ、自分たちも協力しなければいけない」というんで、有機農法でやるような農業、農薬を使わない農業です。コウノトリが滅んだ原因というのが、最初は狩猟ですね。その次が大量農薬使用による環境汚染と生息地の破壊です。営巣に適した木が無くなったとか、里山の荒廃ですね。そういうことですから、コウノトリを野生復帰するためには、その原因をまず取り除かなければいけないわけですよ。狩猟のほうは禁猟にすればいいわけですし、あと一番大変なのは、環境をコウノトリが棲(す)めるような環境に作り直さなければいけない。それはやっぱり地元の方の協力がなければとてもできません。ですから、もう九十四年にこういう話が起こった時に、地元ではすぐにそれに応じて、いろんな方々が協力体制を取られたわけですね。
 
西橋:  「コウノトリを野生に復帰させる」ということの意味は、単にコウノトリにとって良いだけじゃなくて、やっぱり地域の人にとっても、ということですか?
 
増井:  そうですね。それは地域―もっと広げれば、日本、私たち市民みんなにとってですね、たくさんの生き物が暮らせるような環境というのは、人にとっても悪い筈がないわけですよね。今まであまりにも人の経済活動優先で、都会の中には緑もないし、コンクリート・ジャングルみたいになってしまっているし、そうなるとやはり森の動物である私たち、人にとっても良い環境とは言えないわけですよね。やっぱりこの動植物が豊富にあって、生きもの同士がお互いにネットワークで結ばれているような環境というのは、これは人にとっても暮らしやすい環境だろう。なんか「野生動物の保護」というと、すぐ「人か、動物か」という二者択一になってしまうんですが、そうじゃないんですよね。人も動物もなので、どっちかに比重が偏っているというのは良くない、と思うんですよ。
 
西橋:  「共生」ということの意味は、そういうことなわけですね。
 
増井:  そうですね。ですから、鳥だけを保護している事業ではないわけです。鳥が棲める環境を作っていく、というのは、その地域の私たち人間の暮らしも、また良いだろう、ということ。私たちのための事業でもあるわけですね。
 
西橋:  ここを見ますと、ケージ(檻)の中のコウノトリのほかに、いろんな鳥が飛んできているんですね。
 
増井:  そうですね。カモも今来ていますし、まあアオサギとか、サギ類も来ていますね。これもまたいいんですね。保護しようという鳥だけじゃ、保護しようと思ってもなかなかそうはいかないしね、それは上手くないと思うんですよ。要するに鳥たちはその周辺が平和で落ち着いて暮らせるな、というのを、どこから認識するのかというと、他の生き物の動向を見ているんですね。ですから、自分たちだけじゃなくて、カモもいる、サギもいる、それらがみんな落ち着いているな、ということは、その環境が安心して暮らせる環境というふうに評価すると思うんですよ。
 
西橋:  その中に人間もいるけれども、自分たちには危害を加えない、という。
 
増井:  ええ。それで人間の経済活動というか、人間の日常活動というのは大変なものでね。私もよくいろんな動物を見に自然の中へ行きましたけども、人里の近くのほうが奥山よりか、動物の種類が多いんですよ。
 
西橋:  あ、そうですか。
 
増井:  ええ。それはカモシカにしろ、タヌキ、キツネ、アナグマにしろ、みんな人の暮らしの周辺部にいるんですよ。山奥へ行ったって何も見えないです。
 
西橋:  そうですか。それはなんか餌の関係なんですか?
 
増井:  餌の関係と、やっぱり向こうは向こうで人の日常生活を観察しているんじゃないか、と思うんですよね。カモシカなんか、いろいろ林業で木を切ったりするところを見に来ているんですよ。対岸の山からね。人の働いている姿を見に来たりね。村の外れなんかだと、夜になるとしょっちゅうタヌキやキツネが出てきたりします。それからみると、私たちは自分たちが消費する以上の余剰物をけっこう出していると言えば、出しているのかも知れません。それが周りに棲んでいる動物の日常生活に影響を与えているのかも知れません。昔から人と野生動物とは共存してきたんですね。その数のバランスで、それはシカにしろ、イノシシにしろ、数が増えすぎれば、農作物に害をするとか、いろんなことが出てくると思いますけどね。上手く均衡をとれば、いろんな生物が一つの地域の中に一緒に暮らしていける筈なんですね。
 
西橋:  コウノトリが生きられる環境というのは、なんか非常に底辺が広い、広く良い環境を保たれる。
 
増井:  はい。いろんな生き物が自然界に暮らしているんですが、その中でも肉食性の大型の生き物というのは、その生命を支えるために、たくさん底辺が要るわけなんです。ですから、大型のものはもともと数が少ないんですね。一羽のコウノトリが生きるためには、それはもう何万匹という魚、或いはカエル、コウノトリの餌になるものがたくさんいなければ生きられないわけですね。多くの生き物が豊富な環境というのは、またそれぞれの生き物が自分たちの持ち場で自然の維持に働いているわけですから、それは人間にとってもいいんだ、ということですね。コウノトリ一羽を保護する、ということは、その下にそれは何万という、何万ではきかない、もう何十万、何百万という、多くの命を支えているということです。
 
西橋:  何十万、何百万という命を、それの頂点にコウノトリがいる、という。
 
増井:  コウノトリはアンブレラ動物の一つといえます。
 
西橋:  傘の?
 
増井:  コウノトリの傘の下に、とってもたくさんの生物が生きられるということになりますね。
 
西橋:  それだけいい環境が広がっていく、ということですね。今回放鳥した五羽、それから八五郎ですね―野生で飛んできた―含めて、それにまた段階的に放鳥していく計画も実践に移されているようですから、そういうものを含めてだんだん野生にたくさん戻していく。
 
増井:  そうですね。鳥を放鳥しても何羽此処で棲めるか、という、やっぱり上限がある、と思います。やっぱり一つの環境の中で、どのぐらいの数の鳥を養えるか、ということは考えておかねばならないことですから、この事業というのは豊岡市だけの事業ではあり得ません。増えた鳥は分散して、周辺へ出ていく、と思いますから、豊岡市周辺の地域も、こういった循環型の社会を作ってくださり、さらにそれがずっと日本全国に、そういう環境が広がれば、コウノトリもまたかつてのように、全国に広がっていくんじゃないか、と思いますね。
 

ナレーター:  大阪に生まれた増井光子さんは、小さい時から動物が大好きで、犬と野山を駆けめぐる少女でした。将来は動物園で仕事をしたいと考えた増井さんは、大学の獣医科を卒業、上野動物園に入り、女性獣医の草分けとなりました。増井さんを一躍有名にしたのは、日本で最初のパンダの誕生に立ち会ったことです。その後は上野動物園の女性として最初の園長になりました。
 

 
西橋:  増井さんは、小さい頃の野生動物との最初の出会いというのは、いつ頃、どんな形だったですか。
 
増井:  それはね、最初は虫ですね。私は大阪市内におりましたので、一番最初に目に入るのは、自分の家の縁の下のダンゴムシ(さわるとクルッと丸くなる無脊椎動物)とか、軒下なんかに毎日夕方になると、けっこう大きいオニグモが出てきて巣をかけるんですよ。そういうのを見ていました。当時はまだ路地に出るとヤンマが飛んできたりね。子供たちが紐の先に小石を結び付けたのを放り上げて取ろうとしたりね。またコウモリも飛んでいましたね。
 
西橋:  でも普通男の子がそういう生き物なんかに割合関心を持つんですが、女の子では珍しかったんではないですか。
 
増井:  どうでしょうか。小さいうちは男女問わず、生き物に関心が高いんじゃないか、と思いますけどね。周りがいろいろ、「そんなの女の子らしくない」とかなんとか言って、止めちゃうんじゃないですか。
 
西橋:  もう少し経ってから、生駒山の麓のほうに引っ越されたわけですね。
 
増井:  ええ。それは小学校二年の時ですね。その時は―今は東大阪市になって、人家がいっぱいですけど、その当時は、前に生駒山があって、後ろはずっと水田でしたから。川も綺麗でしたしね。山有り川有りの村でしたね。
 
西橋:  そうすると、動物の種類も変わってきましたね。
 
増井:  ええ。まわりもほんとに命に満ち溢れているというか、夏になればトンボも蝉もわんわんいましたし、田んぼに行けばカエルの大合唱でね。山のちょっとした流れにも沢蟹とか、生き物がたくさんおりましたね。
 
西橋:  獣医師になろうという志というのは?
 
増井:  そうですね。私は小学校の六年生の時に犬を飼って、その犬を通して、いろいろ村の日本犬好きの人たちと交流するようになって、自分でも中型日本犬を飼育したりし始めたんですよ。その当時はまだ昭和二十年代ですので、日本犬の保存運動なんかも始めたばかりの頃でね。みんな愛好グループは、いい日本犬を作ろう、というような、こう意気に燃えるような気持が強くてね、みんなと一緒に犬を見に行ったり、また繁殖して生まれた子犬を見たりいろいろしたんですよ。ところがみんなが、「この犬は将来いい犬になるんじゃないか」と期待した犬ほど病気に弱いんですね。
 
西橋:  そうですか。
 
増井:  幼犬時代に早く病気で死んだり、或いは後遺症が残ったりね。私自身も飼っている日本犬が病気になったり、いろいろしましたんでね。これはやっぱり犬の―動物の治療ということも、これは大事だなあ、と思うようになったんですよ。中学時代から将来は動物に関わりのある職業に就きたいと思っていたんですけどね。動物関連の職業は、動物学者とか、動物の画家とか、訓練士とか、いろいろありますね。どれも関心がありましたが、そこへ持ってきて犬の病気というようなことが身近にありましたんで、それじゃ診療的なことも勉強できる獣医のほうにいこう、と決めたんですね。
 
西橋:  そうですか。それで大学へいらっしゃって、今度は就職ですね。
 
増井:  そうですね。
 
西橋:  動物園の就職を最初から考えられたんですか。
 
増井:  そうですね。その獣医といっても、その当時は大動物を専門にする獣医師が多かったんですけど、私は一般的な飼育動物については、たくさん研鑽している人がいるんで、小さい時から野生動物にとても興味があったんで、獣医師になるなら、野生動物専門の獣医師になろう。そのためには動物園へ入るのが一番近道じゃないか、と。小学校の頃は、動物学者になりたい、という夢もありましたんで、動物学者になって世界へ出て行って、世界の野生動物を研究するんだ、というふうに思っていたんですけど、動物園にいれば、向こうから動物園に来てくれるわけなんで、これは動物学者になりたいという夢と、野生動物の専門獣医になるという両方の夢が、一挙に叶えられるんじゃないかと考えました。それでもう大学へ入った時から動物園というふうに決めていましたね。
 
西橋:  現実には、その動物園に入ることは大変だったみたいですね。
 
増井:  そうですね。元来私は気楽なたちで、動物園といえば、すぐ「上野動物園」ときますんでね、その上野動物園が東京都が運営していることなんか全然気が付かなくていたんですけども、いろいろと調べてみたら、公立の動物園だ、ということが分かって、お願いに行ったんですけどね。「定数枠というのがあるんだ」という話で、「もう今は枠がいっぱいで、採用の予定はない」ということで、ずっと言われていたんですけどね。その当時は、自分のことしか考えませんから、いや、一生懸命頼んでいるうちになんとかなるんじゃないかなんて思って、もうねばって頼み込んで、お願いしているうちにとうとう「しょうがないな」というんで、「一年間だけ臨時の職員で雇うけども、一年の間にちゃんと就職先を見付けてそっちへいくんですよ」と言われて、一年間雇ってくださったんですよ。
 
西橋:  臨時職員として。獣医師として。
 
増井:  まあそうですね。飼育課の職員ですね。ですから、いろんなことをやるわけなんですけども。でも、もうその頃は、入れてもらった、ということだけで、舞い上がってしまってね、「一年間だ」という、そんな約束なんかもう全然忘れちゃって、もう入れたというふうに勝手に決めてね、毎日ほんとに嬉しくて、嬉しくて行きました。それでそうこうするうちに、あんなに一生懸命やっているんだから、というようなこともあったんでしょうけども、一年したら、「女性の獣医師が動物園にとって必要なんだ」という理由をいろいろ考えてくださいましてね、それで臨時職員は一年、翌年は正職員にしてもらえたんですよ。
 
西橋:  上野動物園の、そうですか。
 
増井:  その当時はね、動物園で働きたいなんていう人は、十年に一人出るか出ないか、というような、そういう時代だったんですよ。
 
西橋:  そうですか。
 
増井:  今は大変な人気職種になっておりまして、大体競争率百倍ぐらいあるんですね。みなさん、動物園で働きたいという方が増えたんですけど、私が就職する頃は、「動物園なんて」というような感じで、滅多にいなかった、ということも幸運だったのかも知りませんね。今だったら、百倍の競争率では受からないんじゃないか、と思うんですよ。その代わり今は粘り込みなんていうことは通用しないですね。
 
西橋:  当時としては大変珍しい存在だった。
 
増井:  そうですね。ですから、「うちには珍獣がいるんだ」というみたいなね。
 
西橋:  あ、動物園の偉い人たちが、
 
増井:  よく言われました。
 
西橋:  そうですか。上野動物園時代にはパンダの出産を日本で初めて成功させた。
 
増井:  ええ。これは二回目に上野に戻った時です。多摩動物園に九年いて、それでまた上野に戻ったんですね。その時にパンダの担当を一緒にやりました。最初にきたランラン、カンカンは、私が上野に戻って一年ぐらいに相次いで亡くなったんですけども、そのあと、二代目に、フェイフェイとホァンホァンというつがいがきましてね。その間に子どもが三回生まれたんです。一回目は、お母さんが不慣れだったもんですから、生まれて四十三時間後に死んでしまったんですけどね。二回目、三回目は上手く育ったんですよ。
西橋:  日本ではじめてパンダの赤ちゃん、みんなから注目されて期待されていたでしょう。生まれた時どうでした?
 
増井:  そうでしたね。一回目生まれた時はね、それまで「なんで生まれないのか」ということで、周りからいろいろ上野動物園批判されていたんですよ。「上野の環境が悪いんじゃないか」とかね、「飼い方に問題があるんじゃないか」とか、まあ周りはいろんなことを勝手に言い立てるわけですね。ともかく生ませてみないことには何とも反論のしようもないわけなんで、最初に生まれた時には、ちょっと傲慢な気持が湧いてしまってね、「見たか!」というようなね、「我々の力というのをね、世間がよくご覧になったか」というような、ちょっと思い上がったことを思ってしまったら、四十三時間後に死んでしまう、ということになりましてね。その時は、「生まれた!」というのが、凄いニュースになりました。すぐに上野動物園の近くに地元の観光連盟があって、そこが「さあ、生まれた!」というんで、いろいろパンダの縫いぐるみとか、関連グッズを用意してね、期待しておられたのに、それがみんなダメになったわけですよ。それで向こう一年、その地元の繁華街歩いてね、「まあ一回目はえらい迷惑かけたけれども、二回目はどうぞ期待して待ってください。二回目は必ず成功せてみせるから」という、そんなことを思いましてね。二回目は、私たちもかなり慣れたし、母親のほうも一回経験しているんで、私たちの期待通りに、子どもをとっても上手に育ってくれましたね。それからね、成功してもあんまりそういう傲慢なことを考えたりしてはいけないんだ、と。もっと自然体で、普通に世話をしていないといけないんだなあ、というふうにその時思いましたね。
 
西橋:  今日までずっとその道を歩んでこられたわけですけれども、増井さんにとって動物の魅力というのは、改めて伺うと何がありますか?
 
増井:  そうですね。いろいろありましてね。自分でもどうしてこんなに動物に興味があるのかなあ、なんて思ってもよくわからないんですけど、もうほんとに小さい時から生き物を観察したり、飼育したり、調べるのも面白いし、とても興味があったんですね。大抵の子どもはみんな動物好きですけどね。大抵はある年齢に達すると、動物のことよりか、もっと他の、また自分の身の周りのこととか、或いは他のことに興味が移って、そちらにいく人が多いんだ、と思いますけどね。ただ私の場合は、小さい時の興味そのまんまが今も続いている、という。そういう点では大人になっていないのかも知りませんですよ。
 
西橋:  でも幸せな人生と言いますね。
 
増井:  そうですね。
 
西橋:  増井さんもずっと動物と関わってこられて、動物の、「へえー!こんなことがあるのか」とかですね、不思議な面とか意外な面とか、というのを随分ご覧になったと思いますけれども。
 
増井:  そうですね。苦労して大きくなった動物は、ものわかりがいいな、というのはありますね。
 
西橋:  そうですか。
 
増井:  ケニヤから戦後はじめて来た野生のカバの一頭なんですけど、上野動物園に「デカオ」という名前のカバがいましてね。来た時、「十歳ぐらいじゃないか」と言われていました。大人できたんですね。これがね、上野に三十年いたんですけど、ほんとに私たちがデカオに何を望んでいるか、というのがわかるみたいなんですよ。先読みしてね。こっちがこうして欲しいな、というようにやってくれるんですよね。例えば古いカバ舎から新しいカバ舎に移動するということがありました。住み慣れたところから新しいところへ動物を移すというのは、動物にとってはあまり嬉しくないことです。慣れたところから知らないところへ行くわけですから不安に駆られるんですけど、デカオはサッサと移ってくれてね。ほんとになんかこっちの気持がわかっているんじゃないか、と思いました。そのデカオが元気な頃は、「虫歯予防ディー」―六月四日のイベントがありました。それでカバはしょっちゅうこう大きな口を開けますんでね、カバの大きな歯を大きな歯ブラシでゴシゴシ磨くというデモンストレーションをやってほしい、という話があって、それじゃ、デカオでやってみよう、ということになりました。デカオはちゃんとやらしてくれるんですよ。係がいて、呼ぶと、係の傍へスウーッときてね、プールの縁から顔を出すもんですから、デカオの鼻先をポンポンと叩くと、わぁって口を開けるんですよ。それで歯ブラシ持ってきて、ゴシゴシ磨く。その間、わぁっと口を開けているんですよ。それはデカオしかできなかった。
 
西橋:  他のカバじゃできない?
 
増井:  できない。だから今はできないんです。そういうことも嫌がらずにやってくれたりしたんですね。そんな話をすると、今でも、「ちょっと今のカバで」という話がありますけどね、それはできないんですよ。デカオじゃないとダメだったんですね。それでどうしてデカオはそんなに落ち着いて、いろんなことに対処できるのかなぁ、と考えてみると、やはり野生の時代に相当このカバは苦労してきたんじゃないかな。多分日本へ来る前には、旱魃もあってね、自分の棲んでいる川が干上がったとか、ワニだとか、いろんな敵がいたりね、いろいろあったんじゃないか、と思うんですよ。或いはオス同士の争いとかね。ですから、ちょっとした変化に動じないんですよね。
 
西橋:  苦労人なんですね。
 
増井:  そうですね。それがデカオの娘たちも、じゃ、お父さんに似てそうか、というと、そうはいかない。娘たちは動物園で生まれて育って、何にも苦労がないわけですよ。敵もいないし、いつだって人がいう通りに世話してくれるわけですからね。そうするとダメですね。
 
西橋:  我が儘娘になってしまって。
 
増井:  神経質でね。ちょっとしたことで驚くとか。
 
西橋:  驚いた、と。こんなことがあるのか、ということもたくさんあったと思うんですけれども、そういうことをもう一つ。
 
増井:  そうですね。まあ驚いた、と言えば、キリンのオスの意地ですよ。多摩動物公園にいて、六十六頭の子どもの父親になったケニアから来たキリンがいたんですね。それがやっぱりだんだん歳をとってきますよね。そうすると自分の息子なんですけど、長男で「タカイチ」という子どもが、普通はオス同士置いておくと将来喧嘩するだろう、というんで、小さい時に他へ譲っちゃうんですけどね。そのタカイチの場合は、はじめて多摩動物公園で生まれたキリンだったんですよ。それで何となく思い出があってね、自然に動物園に残って大きくなったんです。その父親とその息子がだんだんとライバル関係になってきましてね。
 
西橋:  タカイチの父親というのは何という?
 
増井:  「タカタロウ」。それがライバル関係になってきて、タカタロウが十六歳でタカイチが十一歳の時に、大喧嘩になったんですよ。二時間半ぐらいね、お互いに角で叩き合って、それはもの凄い迫力でしたよ。もう分けるにも普通の方法じゃ分けられなくて、消防車のホースを持って来てね、それで頭から水かけて分けたんですよ。もうちょうどヘビー級のボクシングの試合みたいでしたね。ではどっちが勝ったか、というと、父親のほうが勝ったんですよ。
 
西橋:  そうですか。タカタロウのほうが、
 
増井:  タカタロウのほうが。気力で勝ったんですね。いやぁ、それを見ていたみんな本当にキリンのオスというのはこんなに激しく喧嘩するのか、と思いましたしね、そのタカタロウの踏ん張りというのにも感心しましたね。みんな若いほうが強いんじゃないか、と思っていたんですけどね。タカタロウのほうが頑張っちゃったんですね。
 
西橋:  勝ったということは、分けた後になっての、タカイチの行動を見ていると分かるわけですか。
 
増井:  そうです。タカイチが避けちゃう。その後タカイチは他の動物園へ譲りました。とても一緒には置けません。その後またケニアから新しいオスが来て、それが大人になった時に、もうタカタロウは二十歳近かったんですね、その時は一回も喧嘩しないで、もう自分からサッと降りてしまいました。
 
西橋:  そうですか。多分自分の限界というのが分かっていたんだ、と思うんですよね。それでそれから三年後にタカタロウは死んだんです。
 
西橋:  そうですか。
 
増井:  ええ。思い切りの良さというのもありましたし、自分が「何を!」と思った時のあの踏ん張りというのにも感心しました。ああいう経験は、今はできないんじゃないか、と思いますね。大きなオスを一緒に飼うなんていうことを、今はもうやらないし、あの当時だから、そういうことが私の目で見られた、ということがありますしね。それからいろんな動物で、強いものは大人しい、というのも、私の持論でもあるんですよ。ほんとに強いものはおとなしい。ゾウにしろ、野生のヒツジにしろ、力がないものほど騒ぐし、それから若くて経験のないものほどちょっかいを出すし、ほんとにアルファというのは―一番強い固体をアルファというんですけどね―そのアルファの地位(第一位の動物をさす)にあるものはムダな喧嘩をしないし、ちょっとこう見ただけで、サッと相手が退きますよ。
 
西橋:  そうですか。
 
増井:  弱いものを相手にしないしね。要するに自分に自信があるから、そうやって平静にしていられるんだなあ、と思います。いろんな動物を見て、そう思いますね。それからデカオのような苦労している動物、自分に自信がある動物ね、そういうものは大人しい。
 
西橋:  なんか人間にも言えるかも知れませんね。
 
増井:  動物に限った話でもないんですけどね。
 
西橋:  動物園の動物が生き生きするためには、野生動物そのものが野生でこう生き生きする環境がなければいけないわけでしょう。そういう意味では今の地球の環境というのは野生動物にとってはどうなんでしょう?
 
増井:  野生動物も大変ですよ。国立公園の中で保護されている保護地でなければもう生きられないような状況になってきていますよね。考えてみれば、大きな動物園みたいな感じですよね。周りがもう市街地で取り囲まれて、そこから一歩でも出ればすぐ有害鳥獣駆除なんかで取り除かれたりしてしまうということは、限られたスペースの中でしか暮らせない状況になっているわけです。アフリカゾウにしろ、何にしろ、昔はアフリカ全土を移動して歩いていたのが、今はもう限られた保護区の中でしか移動できないわけですね。
 
西橋:  アフリカでも?
 
増井:  アフリカでも。だってすぐ町になってしまうわけですから。その向こうに国立公園があっても、町を通っていかなければならないから、行けないわけです。みんなこう島のように孤立しているわけですね。これだとやっぱりどんなに広いといっても、そこでは遺伝的な多様性というのはだんだんなくなっていきますよね。ですから保護区と保護区をグリーンベルトで繋ぐとか、なんか新しい手を考えてやらないと、その特定の地域の中で孤立した個体群になってしまう、ということがありますね。
 
西橋:  こうやって地球環境が、例えば温暖化などでだんだん砂漠化して、人間そのものの飢餓の状況が広がっていく、と言われますね。そういう中ではますます野生動物にとっても非常に厳しい状況でしょうね。
 
増井:  厳しい状況だと思いますね。しかも自然そのものであっても、今まで長い地球の歴史中で大絶滅というのは何回か経験があるわけですね。三葉虫(さんようちゅう)が絶滅したとか、恐竜が全滅したとか、いろんな経験があるんですけど、最近の全滅の特徴は全滅の頻度が早まっているということです。人間が出現したそれからの歴史と一致するということですね。私たちがやっている経済活動の影響というのは、自然の絶滅の範囲を遙かに越えて、生物に凄い影響を与えているのです。温暖化も私たちの使っているエネルギーの影響かも知りませんしね、砂漠化だってそうですね。気象全体がもう我々の影響で少し狂ってきているのではありませんか。それはもう全世界に影響を及ぼしちゃいますから。このままでいけば、ほんとに我々の生存そのものも危なくなっていくんじゃないか、と思いますね。
 
西橋:  そこをもう少しいい状況に変えていくためには、何をしなければならないですか。
 
増井:  価値の転換じゃないか、と思います。私たち人間の価値観の転換。今までは「早く早く、便利で」というようなことがいわれてきました。それをもう少しスローなテンポでいって、物を大事にしてゆくことが必要ではないでしょうか。そうすると、消費が押さえられますから、経済的な発展が、どうとか、こうとか、という話がまた出てくるかも知れませんけどね。今までともかく「早く早く、便利に便利に」といって、経済的に発展してきた結果が、今のような現状を生み出してしまっているわけですから、ここいらで少しスロー・ライフ(slow life)への価値観の転換というのをしないことには、このまま突き進んでしまったら、もう地球そのものがダメになってしまうんじゃないか、というふうに思います。
 
西橋:  増井さんご自身のスロー・ライフを少しお聞かせください。
 
増井:  私は、「化石人間だ」と言われるぐらい、家は骨董店のように古いものばっかりなんですよ。百年ぐらい前からあるような、日用品とかね、
 
西橋:  そうですか。
 
増井:  ええ。十分使えるんですもの。
 
西橋:  クーラーなんかあんまりお使いにならないんですか。
 
増井:  クーラーは今年の夏は一切使いませんでした。
 
西橋:  扇風機ですか。
 
増井:  扇風機というか、窓を開けるだけですね。電化製品もほとんどありませんから。勿論パソコンとか、そういうものはありませんし、インターネットなんていうのも全然使わない。
 
西橋:  お世話になっていない。そうですか。
 
増井:  家はほんとにこのままではやがて暮らしていけなくなっちゃうんじゃないか、というような状況で我ながら気になりますけど。
 

 
ナレーター:  今、増井光子さんは、忙しい仕事の傍ら、馬に乗って長距離を走る新しいスポーツ、エンデュランス(endurance:馬の長距離耐久レース)に熱心に取り組んでいます。エンデュランスは速さを競うだけでなく、馬と心を通わせ、馬のコンディーションを維持しながら走るのがポイントです。増井さんは、二○○一年にアメリカでのレースに参加。百六十キロを二十四時間以内で無事に完走しました。
 

 
西橋:  そのエンデュランスという競技の魅力というのは、何なんですか?
 
増井:  これはね、私の性分的なものがあってね、私は瞬発力というのは全然ダメなんですよ。だから敏捷に動いて早く決着をつける、というのはダメなんです。ただ一定リズムでこうずっといくのは、私の性に向いているんですよ。マラソンとか長距離走とか、いうのは陸上競技でも好きなんですよ。スタートは多少一分二分遅れたって、そんなのあんまり関係ないわけですよ。長距離走ではスタートで出遅れても十分途中で挽回できる。だから一定のレベルで、ずーっとコンスタントにいけばゴールに到達できる。途中で早くなったり遅くなったり、こういう波があるのはやっぱりやりにくいんですよね。一定のリズムでズーッと行くのが、私のいろんなことにも反映している、と思います。
 
西橋:  人生というか、生き方にも?
 
増井:  ええ。わぁっと凄く喜んだり、ドッと落ち込んだり、そういうことはあまりないんですよ。いつも、それはいろいろ言われたりするんですけどね。いつも変わらないよ、というふうにしています。或いは面白味がないかも知れませんが、いつも淡々とそういうマイペースで走りとおすというエンデュランスも好きなんです。それにそこに馬という動物が介在していて、動物と力を合わせて一つのゴールに向かっていく、ということも魅力の一つですね。それと、もう少し日本でスポーツホースを普及させたいということもあります。そんなの枝葉(えだは)のことですけども。
 
西橋:  「変わらずにズーッと」ということで言えば、動物との繋がりがまさに増井さんにとっては凄いと思うんですけれども、改めて何故動物に関わり、そんなに長い間関わり続けてこられたんですか?と伺うと。
 
増井:  それはね、次々と疑問が湧いてくるんですよ。動物というのは、私たちが予測するように動いてくれることもあるけれども、予測に反する行動もいっぱいあるんですね。どうしてこういうことをやるんだろう? その心理は?というのを考えていくと、次から次へと疑問が湧いてきて、今、ある動物について、こういう学説を言っているけど、それほんとなの? 例えば、「サル山のボスは一番偉い」という説もずっといわれてきていますが、そういうのも、動物園で観察していると、とてもそういうふうには見えないんですよ。でも学会もすべてが、「ニホンザルの集団にはボスがいて、そのボスが取り仕切っている、というような、こういう同心円状の構造になっている」ということが物の本にもいっぱい書かれている。ほんとにそうなの? どうも私が見るところと違うんですね。そのうち違う見方をする研究者も増えてきて、いろんな地域のサルの集団を観察していると、そのサルの集団にボスがいるというのはおかしいんじゃないか、という。まるっきり百八十度違う学説が出てくるんですよ。
 
西橋:  あぁ、そうですか。
 
増井:  ええ。今は「サル山のボス」というのは、あれは人間の幻想の産物だ、というふうに変わってきました。
 
西橋:  もう今はそうなっているんですか。
 
増井:  ええ。
 
西橋:  そうですか。
 
増井:  というふうに、動物の見方というのは、人がやっぱり見るものですから、自分の都合のいいように解釈したいんですよ。でも、それはいけなんだ、と。ついつい自分のほうに引っ張るんだけど、そうではなくて、本当のところはどうなのかな、という目で見ているとね、いろいろ面白いことが、次々と違うことが出てきて、見ていると切りがない。いつまでも興味が尽きないんですよ。もっとこれはどうなのか。更にこれはどうなのか、と考えていると、結果が出るまでに何年もかかるわけですね。ふと気が付いてみたら、もう五十年経っていた、というような感じになるんですよね。
 
西橋:  飽きないんですね。
 
増井:  飽きないんです。
 
西橋:  増井さんがお書きになった中に、「獣医師というのは、動物の心がわからなけれ ばいけない」。その動物の心のわかり方というか、
 
増井:  それはね、私が思うのは、観察に尽きる、と思うんですよ。毎日動物を見ていなければ、動物が何をするか、というのはわからないわけですね。その動物の癖みたいなのもあるし、この動物がこういう動作、表情をした時には、こういうことをして欲しがっているんだなあ、というのは一頭一頭違いますから、それは観察するより仕方がないんですよ。要するに動物の、何かして欲しいな、と思うことは必ずどっかに現れるんです。それを読み取って、動物の気持に沿って先にやってやるのです。そうするとだんだん動物は、この人は大した人間だな、というふうに、向こうが評価してくれて、扱い易い動物になりますよ。それはなかなか難しいんでね。私だって完璧にはできない。なかなか余計なお世話をしちゃたり、まあちょっと後の祭りになったり、いろいろするんですけどね、それはもう動物を観察しなきゃダメです。それは犬にしろ、猫にしろ、馬にしろ、動物園の動物にしろ、みんなそうですね。
 
西橋:  言葉掛けってするんですか。
 
増井:  言葉掛けはします。それは人間の言葉を彼らは理解できないけども、その言葉のトーンだとか、向こうは向こうでこっちを観察していますから。この人はこういう癖の人間なんだ、と。この人はこういうふうな言葉掛けをする時は、この人は平静であるなとか、今日は機嫌が悪いなとか、そういうのは向こうは向こうで読み取りますからね。黙ってブスッとやるよりか、「おはよう」とか、なんか声をかけて、大体みんな言わなくとも、自然に声掛けはやっていますけどね。
 
西橋:  そうですか。
 
増井:  ほんとに時々ソロモンの指環(ゆびわ)があればね、どんなに便利かな、と思うんですよ。
 
西橋:  「ソロモンの指環」というのは?
 
増井:  昔ソロモン王がはめていた指環で、それをしていると動物の言っていることがわかる、という。そういう伝説の指輪で、これはノーベル賞を取られたコンラート・ローレンツ(Konrad Zacharias Lorenz:1903〜1989:「刷り込み」概念を提唱したオーストリアの動物学者。動物行動学の創始者。ウィーン大学に学び、ケーニヒスベルク大学教授を経てドイツでマックス・プランク行動生理学研究所を創設。のち母国に戻り国立比較行動研究所を設立。動物の行動の子細な観察により比較行動学の基礎を確立。刷込み、攻撃性などの概念は広く影響を与えた。著書は『ソロモンの指環』『攻撃』『鏡の背面』など多数。1973年(70歳)ノーベル生理医学賞)博士が、『ソロモンの指環(ゆびわ)』という本を書いていられるんですよ。そのローレンツは、自分でハイイロガンを観察して、(孵化したハイイロガンのヒナが誕生直後に最初に目にした動くものの後にくっついて行くことに気づきます。そこで、孵化したヒナの目の前で長靴を動かしてみると、その長靴を履いたローレンツの後をヒナがぞろぞろついてきたわけです。ヒナは、長靴と母鳥の区別を、自分の意志で理論的に考えて納得しているのではないわけです。ヒナは、最初に目にした動くモノに本能的について行くことになり、ローレンツはこれを「刷り込み」と名づけました)そのハイイロガンの行動から、ハイイロガンの言葉というようなことね、こういう動作をした時は、こういうふうにガンはこういう気持なんだ、というのを、
 
西橋:  鳥のガンですか?
 
増井:  そうです。ハイイロガンのね。とても面白い本なんですよ。ソロモンの指環というのはありませんけど、もし本当にあるんなら、私もちょっと指輪嵌めて見たら、どんなに動物たちが、何を考えているかわかっていいな、と思ったりしますけどね。
 
西橋:  今まで一番そのソロモンの指環で欲しかったシーンというのは?
 
増井:  そうですね。まあいろんな場面でね、子どもを育てない親とかね、どうして子どもの面倒みない? その理由は?というようなのを聞かせてくれれば、どんなに楽かな、と思ったりもしますしね。またこちらが用意してやった餌を食べないとか、動物舎に入らないとか、巣箱を利用しないとか、いろんな場面で、何が気にいらなくて、せっかく人が用意した巣箱を使わないの?とかね、聞いてみたいなぁ、と思う時がありますよね。
 
西橋:  私にちょっと言ってくれたら、また考えてあげるのに、って。
 
増井:  作り直すのに、なんてね。まあそれもよく観察していれば、その動物の好みというのが、また長い間にはわかってくることだ、と思うんですけど。
 
西橋:  今、動物と接してきた中で、心にある思い、というのはどんなことですか?
 
増井:  そうですね。まあ、あんまりたくさんありすぎて、なかなか一つ取り上げて、というのは難しいんですけど、やっぱり自然の中で、動物たちの生き方、というのを見ていると、みんなが誰かのために役にたっている、ということですね。誰かのために命を投げ出している、という。逆に言えば、私たちはたくさんのものたちの命を頂戴して、今日あるわけですね。それがみんな巡り巡って、一つのネットになっている。これはやっぱり都会の中で暮らしていて、映像だけとか、或いは本だけとか、そういうことだけでは得られない実感だろう、と思うんですよ。やっぱり子どもの時に、自然界の中で、そういったもの凄く湧き上がるような命の誕生、それから冬になればパタッと死に絶えてしまう。それから、勿論夏の最盛期の時でも、誰かのために命捧げられて、その中でまた生まれ変わっていく、というような、そういった輪廻(りんね)というようなことを感じられた、ということも大きいと思いますね。
 
西橋:  今、日本では、子供たちの非常に残酷な事件などもよく起きますよね。子どもたちが育っていく環境も非常に変わってきている。その中でいのちに対する子供たちの捉え方と言いますか、そういうことも変わってきているんでしょうね。
 
増井:  そうですね。あまりにも実体験がない、と思うんですよ。都会の中で暮らせば暮らすほどね、バーチャル(virtual:仮想の)な世界の話になってしまうんで、だからもっと自然体験というんでしょうかね、自然の中というのは、いつもいつも安全なばっかりじゃなくて、危険に満ち溢れてもいるし、そういう中で、蜂に刺されたり、木から滑り落ちたり、そういうことを体験するのも、一つの勉強じゃないか。あらゆるところに生命があって、それがどのように人生を全うしているのか、というのを、やっぱり自分の目で見る、ということも必要だと思います。私も小さい時は、昆虫採集、魚採りに明け暮れましたんで、たくさんの虫やら生き物を殺しましたよ、昆虫採集で。殺して箱の中に標本を作ったり、それから魚やなんかだって、掬(すく)ってきちゃ殺し、ということを繰り返しましたけど、そうすると命の儚さだとかね、一生懸命さとか、そういうことも自然とわかって、じゃ、昆虫採集した人がみんな残酷な大人になるか、というと、そうじゃない。子どもはみんな昆虫採集なんか好きだけど、そういうことを経験することによって、また逆に命の尊さというのをわかるんじゃないか。そうしてみんな大人になっていくわけなんですけど、それが最近の都会育ちの子供たちにはないんじゃないか、というふうに思います。
 
西橋:  実際のこういのちとの触れ合い、
 
増井:  触れ合いというのが。そこら辺りがまあこれからの問題の一つじゃないかな、という感じがしますね。
 
西橋:  増井さん、「石の上にも三十年」とおっしゃる。これはどういう?
 
増井:  これはね、「石の上に三年」という、「我慢しなさい」という喩えに言われますけどね。三年じゃ、なかなか変わらないです。何か一つのことが変わるのには、私は少なくとも三十年はかかると思います。例えば、私が獣医大学に行こうと思った時には、女子学生の数なんて数えるほどしか全国にいなかったわけですね。それが今は全国の大学の六割ぐらいは、大学によっては六割以上女子学生なんですよ。
 
西橋:  そうですか。
 
増井:  ええ。いろんな職場で女性の獣医さんなんていうのは珍しくもなんでもない。当たり前に女性の獣医さんは働いている。そこへくるまでにやっぱり最低三十年はかかる。コウノトリのこの事業もね、五十年でしょう。
 
西橋:  そうですね。野生復帰にね。
 
増井:  ですから、その三十年なら三十年の間、自分がそのことを思い続けていれば、時代は変わっていく、と思いますね。
 
西橋:  「石の上にも三十年」。ありがとうございました。
 
 
 
     これは、平成十七年十二年十一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである