わたしの全国托鉢行脚―対人恐怖が消えた―
 
                       大谷観音堂 小 林  義 功(ぎこう)
大谷観音堂修行者。昭和二○年神奈川県生まれ。四二年中央大学卒業。五二年日本獣医畜産大学卒業。五五年得度出家。臨済宗祥福僧堂に八年半、真言宗鹿児島最福寺に五年在籍。平成三年高野山専修学院卒業、伝法灌頂を受く。五年より二年間、全国行脚を行う。現在、大谷観音堂にて行と托鉢を実践。法話会にて仏教のあり方を説く。
                       ききて   金 光  寿 郎
 
ナレーター:  冬空に遠く霞む富士山頂。手前に丹沢の山並みを望む神奈川県海老名(えびな)市です。県のほぼ中央に辺り、古来交通の要衝(ようしょう)として栄えてきました。かつての農村地帯も今では急速に都市化が進んでいます。相模川(さがみがわ)の東を南北に走る県道添えにある大谷(おおや)と呼ばれる地域の一角に、大谷観音堂(おおやかんのんどう)と呼ばれる古いお堂が建っています。昔は大きな寺院でしたが、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、今ではこの観音堂だけが残されて、安産と子育ての守り本尊として土地の人々の信仰を集めています。今日はこの観音堂に住む小林義功さんをお訪ねします。小林義功さんは、昭和二十年、神奈川県の酒屋の長男に生まれ、家業を継ぐ筈でしたが、高校時代から人生問題に悩み始めて、次第に深みにはまり込み、大学時代になって、対人恐怖症になっている自分に気が付きました。大学を出た後も、心の不安が消えないために苦しみ、解決の道を求めて臨済宗の禅堂で八年半、さらに真言宗の護摩(ごま)の行(ぎょう)に入ります。また高野山専修学院も卒業し五年の修行を経て、まだ心の中に不安が残っているので、思い切って日本全国托鉢行脚の旅に出る決心をします。食事も夜の宿も予約なしの托鉢の旅、二年かかって鹿児島から北海道までの全国行脚を終えることができました。全国行脚の後、縁あって、この観音堂に住むことになった小林さんは、いつの間にか対人恐怖症が治っており、今はこの地で托鉢と法話の集まりを持つ日々を送っています。
 

 
金光:  和尚さんは、臨済の僧堂で八年ほど修行されて、それから真言の護摩の道場でも五年あまり修行された。その後にまた日本全国托鉢行脚をされたということなんですが、まあ普通のお坊さんだと、そういう修行なさる方は非常に少ないと思うんですが、どういうきっかけでその僧堂に入られて、しかも護摩の道場へ入られて、その後托鉢で全国行脚をされたのか、まず最初にその経緯から話して頂けませんでしょうか。
 
小林:  全国行脚をすると。そこまでずっといろいろなことをやってきたんですけれども、それというのが、そもそも自分の中に対人恐怖症という、そういう問題がまず前提条件としてあったんですね。それが出家して、それから全国行脚、それで今此処のお堂に来ているという過程があるわけです。対人恐怖症になったその原因なんですが、それは、私が高校に入学した時に、たまたま武者小路実篤さんの『真理先生』を手にして、あ、これは面白いな、と思いました。それがきっかけになって、志賀直哉とか夏目漱石、森鴎外、太宰治、伊藤整から、もうとにかく日本文学を乱読したわけなんですね。そしてそれが終わって、今度はロシア文学のほうへいって、それでトルストイとか、ドストエフスキー或いはチエーホフですね、そういったものを次々、とにかく読んでいったんですね。それを読み進める過程において、今度自分の中で、もう高校生になったんだからなんか人生のことをちゃんと把握したい、考えねばいかん、と。そんなことを考えはじめて、そして、「神があるのか、ないのか」とか、「真理はどうだ」とか、「どういうふうに生きるの」とか、そんなことを考えていたわけですよ。それで一番最初の段階では、まあ結論はそのうちわかるだろう。そんな気持があったんですね。ところがそれを考え始めたら、どんどんもうわからなくなっていってしまったわけですね。例えば昨今でいきますと、よく親が子どもを殺す。子どもが親を殺す。或いは旦那さんをそれこそ保険金付けて殺してしまうとか、まあそういう事件。或いは低学年の人たちが凶悪な事件を起こす。そういうのが次々起こっていますけれども、その時、私が一番思ったのは、「何で人間は人を殺したらいけないのか」、これがわからん。というのは、人間というのは生まれた時にもう死ぬと決まっているわけですね。
 
金光:  これは間違いないですね。
 
小林:  これ、間違いないですね。これがずっと生き続けているのに殺してしまった、というのなら、これはいけないだろう。でも人間死ぬんですね。それで江戸時代の人間が今日まで生きていたなんて話は、どこからも聞いたことがない。百パーセント確実だ。例えば私の先祖にしましても、江戸時代にいた人が、今、その人がどういう人だ、といったって、何にもないんですね。おそらく歴史上にここに残る人物、そういう歴史に残るような人の名前なんというのはほんのわずかな人で、九十九・九九九のほとんどの人は何にもわからない。殺人事件を起こそうが起こすまいが、そんな人だって全部何にもわからない状態なんです。なのに何でちょっとばかり短くなったとて、何でこの人が悪いんだ、というのがわからないんですね。ところが一方で、例えばNHKさんでも、大河ドラマをやっている。そうすると、その大河ドラマのところに出てくるのは、信長が出てくる、或いは秀吉が出てくる、或いは去年でいったら義経が出てくるわけです。そうすると、そういう人たちはこれ英雄なんですね。でも彼らは自分のもとに戦闘集団をちゃんと持ってね、それこそ一万人、数万人、場合によったら十万人単位で、平気で人を殺しているわけです。そしてこっちは英雄になっているわけですよね。ところが一方は何かといえば、一人二人の人間を殺した。これは殺人者だ。それで監獄へ放り込まれる。一体どこがどうなんだろうな。これがだんだんわからなくなってきた。それであれこれこう考えているうちに、自分で得た結論は、例えば神・仏というのが、例えばないとしたら、要するにこの世の中というのは弱肉強食。要するに強者の論理がすべてを決する。これがすべてなんだ、と。だからトップに立って采配して人を殺す。殺しても結局それが正当化される。そうしても許される。これが現実だ。それで例えば、まあ昔でいったら戦(いくさ)をする。その時に敵を滅ぼすという策略を弄するわけです。参謀が就くわけです。参謀と言えば一応格好いいようにつくけど、要は相手を騙すことですね。だから嘘を付いちゃいけないといったって、嘘を付いても許される。それが全部正当化される。或いは他のこっちの国が向こうの国を攻めて、それで向こうを―言うならば盗るわけですから、これは泥棒ですね。そういう道徳的なことは、すべてこの世の中では許される。つまりこの世の中というのは、弱肉強食で強者の論理がすべて支配している。ということになってくると、人間本来の意味からいけば、何をやっても許される。それでほんとの意味で自由なんだ。まあ一応はそうは思ったんですね。ところがこの次ぎに、じゃ、その人間でも、例えば豊臣秀吉が大阪城を造った。でも大阪城はこのまま残って、自分は要するに無に帰して無くなっちゃっているんですね。どんな人でもみんな死んでいって亡くなってしまう。だったら、じゃ、この世の中生きているなんの意味があるだろうか。その意味が結局全然わからない。
 
金光:  自分自身、じゃ、そういう方向で一生懸命考えてですね、「じゃ、自分はこう生きよう」ということは出てきませんでしょう。
 
小林:  それが出てこないわけですね。何のために、例えば受験勉強で知識を一生懸命詰め込むわけですね。そして何年も一生懸命学校で勉強する。それで夜も机に向かって勉強して、十時十一時とやるわけです。それでずっと勉強してきて、その果てにまあ、例えば合格する。でも合格した当日交通事故で死んでしまったとしたら、じゃ、この人一体なんのために生きてきたんですか。これが結局わからない。こんなことが高校一年から大学の二年まで続いた。
 
金光:  大学へは進まれたわけですね。
 
小林:  進んだわけです。とにかくそういう中でいつもわからない。やっぱり「神があるのかないのか」とか、「真理はどうだ」とか、そんなことをずっと考えていたんですね。そうした時に、フッと気が付いたのは、私は、人生がどうだとか、神があるとか無いとかいろいろ考えているけど、考えているのは私の中にある知性が考えている。じゃ、この知性が何だ、ということですね。この知性が正しくなかったら、結論も正しくないわけですから。ですからまず知性がなんかちゃんと観察しなければいかん。それで知性を一応目の前に置くようにして、それでそれを考え出したわけですね。そうしたら、妙なことに気が付いた。つまりこの知性はなんだ、と考えているもう一つの知性がこっちにあるわけですね。
 
金光:  観察する本人がいるわけですね。
 
小林:  いるわけです。そうすると、この知性というのがなんだ、といって、その知性がわからん知性が知性を考えているわけですから。そうしたら、あぁ、これは結局何にもわからんのだ、ということになっちゃったわけです。
 
金光:  こんがらがってきますわね。
 
小林:  そうなんですよ。ちょうど断崖絶壁に自分が置かれたような立場になって、もう前も進めない、後ろも進めない、そういう状態になった。
 
金光:  そういう時期に、例えば子どもの頃自分はどうだったとか、そういう幼い頃のことなんか思い浮かんでくる余裕はないですか。
 
小林:  もうね、その後がそうだったんですけどね。そこの時点はもうそういう状態で、毎日毎日生活していても何のために生きているのかわからない。幽霊みたいな感じで。
 
金光:  学校なんかへ行って勉強する気分になりませんね。
 
小林:  一応は行っているんですけどね。行っているんですけど、勝手に本を読んだり、そんなことばっかりずっとやっていたわけですね。それでちょうど藤村操(みさお)(1886-1903:一九○三年に日光の華厳滝において、「厳頭之感」を書き残して厭世観より自殺)が、人生不可解というような心境で華厳の滝で自殺しましたね。私ももうそういう状態でずっといたわけです。その時に、私が中央大学へ行って、中央大学の地下に長椅子がありました。そこへこう座って、当時ですからみんなタバコを吸って煙がムンムンしているんですよ。その青白い煙を見ながら、なんで自分はこんな気持が重たいのだろう。自分は自由で、なんでもできるといっていながら、なんでこんな重たい気持がどうして取れないんだろう。そんなふうな心境になっていた。その時フッと思ったのは、私が保育園に行った頃に、砂場があって、そこでよく砂山を作るわけですね。それで道を作って、ボールを作ってコロコロ転がしていた。それが面白くて、もう暗くなるのも忘れて遊んでいたことがあったわけなんですね。それでその時のことをフッと思った時に、あ、自分の本心というのは、人生を楽しみたいんだ。ほんとはそこにあって、人生がどうたら、こうたらと言って、理屈をいうのは次の問題なんだ、と。まあここが肝心なことだというんで、それをパッと止めたんですね。それで止めた時に、やっぱり大学のすぐの前のところに、G・ネランという神父さんが布教活動をやっていた。そこへよく行っていたんです。それが四階なんですね。それで三階から四階へ上がる時ですけどね、その階段をポンポンポンと上がって行ったら、上がる最中に心臓がドキドキするわけですよ。あれこれどうしたんだろう、と。今までそんなこと一遍もなかったのが、なったのでどうしたのかなあと思って、それでもなんとかかんとか上って、それで椅子に座ったんです。横にあった新聞をパッと広げて見たんですね。そうしたら活字が読めないわけですよ。
 
金光:  あらあら
 
小林:  ちょうど定規で線を引いたように並んでいる。それだけでいくらこう見ても活字が見えないわけです。あら、これは完全に自分は廃人になってしまった。まあしょっちゅうしょっちゅうそんなことばっかり考えていたもんでね。だから頭がそっちのほうへいっていましたから、いつの間にか寝ても考えている、起きても考えている。そんな状態で五年間やりましたから。もうやっぱり自分はおかしくなっていたんです。それでそれからまあ断食をしたりとか、それから玄米食とか、まあそんなことをして体は回復したのですけれど話しができない。話の合う人とは話ができるんですが。一般の学生はそんなことないわけですよ。まあスキーに行きましょうとか、スケートに行きましょうとか、旅行はどうだとか、車がどうだとか、まあそういうふうな話題が大体中心なんです。そうすると、私も一緒に話しはする。しかし、話を―とにかく向こうが話をするから、私も合わせようとするんですよね。合わせようとするんですけど、やっぱりそこに仕切れないわけですよ。違和感がどっか出てくる。でも合わせようとするんです。それがどんどんこう積み重なってきて、これが対人恐怖症に。
 
金光:  違和感がだんだん膨れてくるわけですね。自分は他の人とは違っているという違いを、
 
小林:  合わせようとするんですね。無理に合わせようとする。
 
金光:  無理をすればするほど、落ち着かないという。
 
小林:  落ち着かない。
 
金光:  人間に近づきにくいというか、
 
小林:  近づけないんですね。合わせられなくなる。だんだん人と会うのが苦痛になるんですよ。苦痛になるけど、会わざるを得ない。そういうところに私の中の対人恐怖症というのが、その時できたんです。
 
金光:  そうすると、現在でも家の中に籠もりっきりの人もいるわけですが、或いはその心境に近いわけですね。
 
小林:  まあそれに近いですね。
 
金光:  努力して出ていこうとはなさるけれども。
 
小林:  出ることは出る。出てとにかくいろんな人に会うんだけど、でも苦しいんですね。
 
金光:  それでそこからですか、なんとかするために禅の道場へ行こうというのは。
 
小林:  あ、そうなんですね。そこで結局私自身もこういう状態で、例えば私の家は、―私長男でお店やっていますから、それをやらなければいけない。だけども私がやっても、できるとは思えないわけですよ。人と接触してそういう状態ですから。まあそういう点もあって、それから二十代からまあとにかく三十五歳まで、もうゴタゴタいろいろ続きました、その間。
 
金光:  あ、何年も続いたわけですね、大学は卒業されても。
 
小林:  卒業してからも。ずっと続いているんですね。家の仕事に対してもいろいろゴタゴタがある。そして三十五歳の時、とにかく自分がほんとにやりたいことをやろう、と。他のことをやってもどうせダメだから、とにかくこれをやるしかない。それで母に言って、勿論母は反対ですけども。
 
金光:  それはそうでしょう。
 
小林:  ですけど、これしかないから、ということで、私は出家したわけです。それでまず臨済宗祥福僧堂へ入ったわけですね。入ったら、もう楽になっちゃったんですね。というのが、ああいう僧堂というところは、大体雑談を嫌うわけです。とにかく人と喋ったり、勝手にベラベラ私事で喋るようなことを全部嫌いなんです。そうすると喋らんでいいわけなんですよ。それがすごく私にとっては楽だったんですね。それで上司の命令に従って、「はい、はい」といって、自分の身体を動かして働けばいいだけですから、もう楽です。後は坐禅をしたり、夜坐をしたり、作務(さむ)したり、そういうことをずっと続けていたんです。
 
金光:  そうすると、よく己事究明(こじきゅうめい)といいますね、自分とは何ぞや、ということを。ということは、高校生の頃から考えていらっしゃったことの延長戦で、坐禅によって、そこのところを追求するという、そういう意味では本来疑問に思っていらっしゃったことの解決に取り組めたということですね。
 
小林:  そうなんですね。ところが公案というのは、向こうが問題を出すんですね。私のほうでやらないんですよ。だからそこがちょっと違うんですね。だから私の一番の問題はこっちにあるんだけど、公案の問題は公案の問題なんですね。でもまあ此処でなんかお悟りが開ければ、お釈迦様は人生苦だと言った。その苦から逃れる道がどっかできるんじゃないか、というようなことがあったんですね。ところがずっといたんですけども、いっこうに心の問題の解決にならない。それでなんやかんだ八年間ずっと此処にいましたけど、そこでたまたま本を見付けて、その本が鹿児島の最福寺で護摩を焚くという。護摩を焚くんだが、焚いてその行を一生懸命すると、そうすると病気が治る、或いは心理的な意味で困っていたようなことが解決するんだ、と。あ、それだったら、これをやってみるよりほかないということで、今度は禅宗から真言宗のほうへ移ったわけですね。その真言宗に移って、やっぱり火がすごい勢いで一メートル五十ぐらいのもの凄い火なんです。その火の傍でもって、こう印を組んで真言をずっと称えるわけです。それはもう熱いですね。でも額とか、鼻とか、はじめての方はみんな火傷します。それでも師匠も「前へいけ、前へいけ」って言うんで、火の近いとこへ行くわけですね。それでまあそんな行をずっとさせて頂いた。それでたしかに禅宗にいた時も、やっぱり臘八摂心(ろうはちせっしん)とか厳しい行がございます。こちらの最福寺(さいふくじ)の荒行も全部行としては大変厳しいですね。ところがずっとその行をやってきたが、でもなんかまだまだだな、というところがあったわけですよ。
 
金光:  その問題がね。そこのところを、じゃ、どうしようか、という問題が残ったまま僧堂でも、護摩のほうの道場でもなさったということですね。
 
小林:  そうですね。
 
金光:  高校一年の頃から問題が生じてきて、それで僧堂に入られたのは三十五歳頃だということですから、そうすると、二十年ほど、いろいろ「ああか、こうか」考えられたその問題というのは、禅宗の僧堂で八年、護摩の道場で五年というと、十三、四年経っても、まだどっかに問題がきっぱり解決したというわけではなかったというわけですね。そこでどういうふうになさったんですか。
 
小林:  はい。それで結局禅宗の行、鹿児島の最福寺の行―まあそれはそれで私にはマイナスではなくて、少しずつ良くはなっていたわけなんです。それはもう自分でもちゃんとわかるわけです。でもまだ本心から納得していないわけですね。たまたま最福寺にいました時に、私、怪我しまして入院したんです。入院した時にもう寺のこと考えないで、自分のことだけ考えたらいい時間ができたわけですね。その時に、どうなんだ、ということを考え出したんですね。そうしたらやっぱり心の中でもう一つ答えが出てこない。じゃ、これどうするんだ、という時に、フッと全国行脚ということがパッと浮かんだわけなんです。
 
金光:  フッと浮かんだわけですか。
 
小林:  フッと浮かんだんです。それで全国行脚か、と思って。これやったらどうなんだろうと。そうすると、今まで禅宗で修行する、或いは最福寺で修行する。これはたしかに行としては厳しいかもしれない。でも衣食住は全部保証されている。ですから、どんなに厳しくても、そこにいる限りは衣食住の心配はなんにもないわけなんですね。今度これを一回全部取っ払って、それで全国行脚して廻ったら、今まで目に見えなかった仏さんというものが、目の前にはっきり見えてくるんじゃないか。或いはさっき言いましたお釈迦様が人生苦だと言われた。その苦から解脱。それが取れるか取れないかわからんけれども、なんか道筋が掴めるんじゃないか。
 
金光:  今までなかった新しい土台の上に一歩踏み出すということですね。
 
小林:  そういうことですね。それで、できるかできないかというのは当然不安でなんとも言えない。でもやれるかも知れない。しかし、やると言ったらこれしかない、と。それで師匠に話したら、師匠が、「結構ですよ」ということで、じゃ、始めよう、と。それで平成五年十月二十五日に鹿児島を出発しました。それからずっと上がって北海道へ行って。
 
金光:  鹿児島からどういうコースで行かれたんですか。九州の最南端から福岡を通って、門司を抜けて行くわけですね。
 
小林:  門司を抜けてね、ずっと淡路島から四国の八十八カ所を回って、それから今度、伊勢のほうへ出て、名古屋から北の富山へ出て、それからずっと北の秋田、青森へ出て、それから北海道へ行ったわけです。それで北海道を歩いていたら、町と町との距離が全然違うわけですよ。まず水がない。家がない。ただ歩くだけなんですね。托鉢一つできない。これどうみても托鉢できようがないんで、ここだけは交通機関を利用して、それで托鉢をする。
金光:  でも病院で托鉢行脚してみたらと思われて、それで鹿児島を出発されますよね。
 
小林:  はい。
 
金光:  それで出発する前は多少托鉢で不安だとおっしゃりながら、どのくらい歩いて、宿をどこに取って、みたいということをある程度お考えになるんじゃございませんか。
小林:  大体そう思うんですが、でも結局それも止めたんです。もう全部何にも考えないで、そのまま托鉢をしながらの流れで行って、「ちょっとお茶でも飲みませんか」とか、「ご飯食べませんか」と言われたら、「はい、はい」と言って、そこで頂いて、そのまま行くんですね。そうしないで、例えば次は此処、明日は此処のところへ着いて、そこのところへ何時まで行かなければならないと決めちゃうと、もう此処でせっかくご縁があった人のことも、好意も全部無にしてしまう。
 
金光:  頭の中、次のところが入っていると、応対できませんよね。
 
小林:  できないんですね。だから私はその流れの中で、それで午後三時過ぎになったら、次の宿はあるかな、と。「こちらの先でもって泊まるとこありませんか?」と聞きながら、で歩いていたら、じゃ、こちらのほうで聞いてみるとか、もうその時その時が全部勝負ですね。だから頭空っぽにして行くわけです。
 
金光:  でもいつもそうやって、「この辺に泊まるとこありますか?」と言ったら、「はい、あります」という答えばかりじゃないでしょう。
 
小林:  もうないわけですね。だからずっと私も行脚して、北海道の礼文島(れぶんとう)まで行って、ずっと帰って来て、石垣島まで行って、鹿児島へ戻ってきた。平成七年の十月二十四日です。ほんとにピッタリ二年間になります。その間に何を一番苦労したか、というと毎日毎日泊まる宿なんですね。その泊まる宿をどういうふうにしたか? そうすると、広島から東広島へ行く間に八本松という駅があるんですね。そこへ来るうちに、やはり人に聞くわけですよ。「八本松に旅館ございますか?」というと、「あります、あります」というんですよ。一人だけ聞いてもやっぱりなかったり、いろいろするわけですよ。だから何人もこう聞きながら来るんですね。そうすると、あるんだな、と思う。それでそこの八本松まで来て、もう夕方になりました。とにかく泊まる時は素泊まりで泊まりますから、とにかく托鉢したからといって、そうどんどん入るものじゃないですから、とにかく切りつめるところは食事しかないわけですね。それで大体そこのおうどん屋さんに入って、普通のご飯とかなんとかいうと六百円七百円します。今みたいにコンビニでおにぎりなんか売っていなかったですから。だからそこで五百円以下というと、もうおうどんしかないんですね。そこのうどん屋さんでうどんを食べながら、「この近くにどっか泊まるとこありませんか?」と言ったら、「ありますよ。すぐそこにビジネスホテルがありますから」というんですよ。「ああ、そうですか」。やっぱりあるな、というようなことで、そのビジネスホテルへ行って、「すみません。今日泊めさせて貰いたいんですけど」いうたんです。そうしたら、「ああ、どうぞ」というんですね。「あの、おたくさん、お名前なんですか?」というから、「小林義功といいますけど」。「あれ? 予約しましたか?」というんですよ。「いや、予約していませんけど」。そうしたら、「あ、今日はね、もう予約の方で全部いっぱいなんですよ」とことわられる。そうすると、今までの経験で、とにかく一つの町でもって一軒がいっぱいだと言ったら、工事かなんかしていて、働いている方がみんな泊まっているんですよ。そうするとどこへ行ってもみんないっぱいなんです。これは危ないなと思いながら他へあたるんですね。あたっても案の定いっぱいです。ああ、これは困ったな。それでしょうがないから、八本松の駅へ行って、そこのベンチに座ったわけです。ああ、これから次の西条(さいじょう)の駅まで行くともう八キロあるし、もう一時間半以上また歩かないけない。今まで歩いてきただけでもクタクタになっていますからね。もう歩くのたくさんだと思うんですね。まあ日記書いたりしながら、此処のところで夜を過ごしていこうと。そんなことで目を瞑(つむ)っていたんですよ。ウトウトしていた。そうしたら、突然「もしもし!もしもし!」というわけですよ。「はぁっ!」と言ってこう見たら、駅員さんなんですね。「あの、あたくさん、お泊まりですか?」というんですよ。まさか泊まりだというわけにもいきませんもんで、「いや、あの〜」とか言ってね。そうしたら、「九時でもってシャッターが閉まります」という。それで時計をパッと見たら九時なんですよ。「ああ、申し訳ありません」といって、パッと外を見たら雨が降っているんです。ああ、しょうがない。レインコートを着て網代笠被って錫杖持って出たんです。外へ出て、もう情けなかったです。その時は歩いている道が、あちらの町よりも少し高いとこで、上から見ると、もうずっと家並みが見えるわけですよ。電気がみんな点いているわけですよ。こんなにたくさん家あるのに、でも自分の泊まるとこがない。しかも雨でしょう。冬で寒いじゃないですか。
 
金光:  冬ですか?
 
小林:  冬で寒いですよ。歩いていて、ちょっと休むこともできない。ただひたすら歩かなければいけない。次の西条の駅へ行ったからといって、じゃ、旅館が空いているかどうかなんてわからないんですよ。それで情けないなと思って、ほんとにその時は涙が出てきますね。汗や錫杖持って冷たいでしょう。下がどんどん濡れている。そこをトコトコ歩いていくわけです。そうしたら一軒あったんですよ、道筋に。
 
金光:  あ、宿が?
 
小林:  旅館が。それで、ああ、ここへ泊めてくれるかなあ、ともう祈る気持で、カウンターへ行った。「すみません。今日、泊めさせてもらいたいんですけど」「ああ、どうぞ、どうぞ」というんですよ。もう嬉しくってね、「チェックアウトは何時ですか?」と言ったら、「十時ですよ」という。「でもね、自由にあともっとゆっくり休んでいてけっこうですから」「ああ、これは有り難い」と思って。そして部屋に入って、ビショビショですから、手なんかかじかんでどうしようもない。荷物を置いたりして、それでお風呂へ入って、もうお風呂へ入ったらもう極楽ですよ。
 
金光:  それはそうでしょう。
 
小林:  それでベッドへいって、ベッドへ入るともう温かい。もうほんとにその状態が極楽極楽。まあそんなことですね。
 
金光:  そうすると、常に今晩どこに泊まるかというのは、午後になってやっと決まるということで。でも慣れてくると、それはそれであんまり気にならないもんですか。
 
小林:  いやいや。それはもう毎日が勝負です。毎日どうなるか。もう前にはわからない。
 
金光:  まる二年の間で、屋根の下に泊まれなかったこともおありですか。
 
小林:  それは実をいうと、三日だけなんです。野宿したのは。
 
金光:  七百日の間で、三日だけ野宿でしたか。
 
小林:  これは、そんなことをいうと不思議なんです。
 
金光:  冬だったら大変でしたね。
 
小林:  冬だったら大変なんですよ。だけどね、これやっぱり不思議でね。「どうぞお泊まりください」と言って、下さる方もおりますし、実際四国で高橋さんという方がおられます。今でもお付き合いしていますけど、その方のところへ一ヶ月ぐらいおったこともあるんですよ。
 
金光:  そうですか。
 
小林:  もう嫌な顔一つしないんですね。それで食事も頂いて。
 
金光:  そういう人情の篤い待遇も受けられたこともあるわけですね。それは嬉しいですね。
 
小林:  これは嬉しいですね。それで寝泊まりも自由に、それができるわけです。そっち側から見たらね、損するばっかりですね。
 
金光:  そういう意味ではね。
 
小林:  食事を出す、泊める、全部そういうことになっているわけですね。だけども私が後で思うんですよ、その人自身がもう仏さんだなあ、と。それで全国私がそうやって歩けたというのも、やっぱり少ないんですよ。でもポイントポイントでどういうわけかでるんですよ、そういう人が。これは、こっちの仏さんからこっちの仏さんに次々次々ずっと手渡しで渡されている、と後で思ったことですよ。それで今現在此処のお堂にいる。此処は三間半三間半の小さなお堂です。此処へ来た時、何にもなかったんです。此処に今、トイレとかお風呂とかありますけど、来た時は何もない。水道一本あるだけで。
 
金光:  炊事場なんか勿論なかった?
 
小林:  勿論ないですよ。その向こうの階段の下に、お店屋さんのトイレがありました。それをお借りして。
 
金光:  お店のトイレをお借りして。
 
小林:  それをまあ六年間ぐらい。ずっとそういう状態で。もう私十年ぐらい此処にいますけど、六年間ぐらいはもう托鉢へ行って帰ってくる。そうすると、水で身体を洗う。
 
金光:  お風呂じゃなくて、
 
小林:  水でね。いつもそれをやっていた。
 
金光:  それでも行脚された托鉢の生活に比べると、寝るとこは確定していますよね。
 
小林:  そうなんですよ。
 
金光:  食べるものもまあまあで、
 
小林:  何とかかんとかね。もう何がありがたい、と言ったら、屋根があって、それで布団があって、いつでもそこで眠れる。こんな有り難いことなかったんですよ。だから私、此処で端から見たら、あんな寒いところにいてね、と思うんです。それで実際ストーブとかカーペットとかありますけど、これは法話の時だけ使うんです。普段は一切使っていません。でも私の心の状態からみたら、私はけっこう満足している。やっぱりそういう全国行脚をしたその中から、やはり今の生活というのはほんとに有り難いものだなあ、そういう実感がやっぱりあるんですね。
 
金光:  それと我々日常普通の生活している者からみますと、将来どうしよう、とか、いろんな心配事とか手配だとか、いろんな苦労が―気苦労と言いますか、悩みがついそういうところから生まれてくるわけですが、その托鉢の時の悩みといいますか、「あんまり今晩どうしなければ困るとかということではなくて、その時の状況の中で一番いいものを選び取ると言いますか、与えられている条件で満足する。訓練を二年間なさったわけですね。
 
小林:  結局そういうことなんですね。まず此処へ与えられている。私は坊さんですから、仏さんがこういう場所を修行の場として与えて下さった。だったら此処で今やることをやらなければいけない。その状態でいますから、私の気持、精神的な意味からいっても、落ち着いているわけですね。それで先にいってどうしようとか、あんまり考えていない。とにかく今の生活。だから今此処にいても、さっき言われた仏さんのような方がやっぱりいるんですよ。それはどこにでもはいないんですが、やっぱりポツポツという。だから此処のお堂は檀家さんは勿論ないです。それで托鉢して、またご縁の方に会う。
 
金光:  此処でも托鉢なさる? 
 
小林:  やりますね。そういうことだけできています。
 
金光:  それで出発前にまだ対人恐怖的なものがもやもやなさっていた、それはどうなりました。
 
小林:  それが実は此処へ入った時も続いていたんです。それで入った時に、やはり私は禅宗にいましたから、『臨済録』であるとか、『無門関』がどっか心の中に引っかかっていたわけなんですね。その引っかかっていたものですから、やっぱりスッスッといろんな言葉を思い出すんですね。思い出しては本をひっくり返してやっていたわけです。そうすると、例えば通常こういう本の解説書がある。解説書を読むんですけど、やっぱり最後はわからないんですよ。途中まではよくわかるんですけど、肝心なところが全部わからないんですね。
 
金光:  なんか曖昧なというか、どうだろうか、ああだろうか、と考えさせられながら、問題が残るみたいなところがありますね。
 
小林:  問題がやっぱり出てきますね。そうするとやっぱりわからない。そんなことを繰り返していたんですね。そして考えていくうち、だんだん「あ、ここはこういうことじゃないか」「ここはこういうことじゃないか」というのがハラハラと見えてきたんですね。そこで法話会の中に『臨済録』を始めたわけです。
 
金光:  此処で法話を始められたわけですか。
 
小林:  そうなんです。法話会をやって『臨済録』を始めていたんです。そうしたらそのうちに対人恐怖が奇麗に治っちゃったんですね。おそらく頭の中のゴチャゴチャしていたのがスキッとおそらく纏まってきた。そこで自分なりになんか一つの答えというのが出てきた。そんなとこから『臨済録』の話を全部終わった時点ですけど、『義功和尚の臨済録』という本を出版させて頂いたわけですね。
 
金光:  『臨済録』と言いますと、私なんか読み囓っているところで、
 
     随所に主と作れば立処皆な真なり(随處作主。立處皆真)
 
という言葉、「随所に主となれ」という言葉は有名でございますけれども、一方では、
 
     仏に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し(逢佛殺佛逢祖殺祖)
 
みたいな大変物騒な言葉もあるわけですが、その『臨済録』には、臨済和尚はどんなことを述べていらっしゃるでしょうか。
 
小林:  私は、ずっと『臨済録』をやってみて気付いたのは、やっぱり「随所に主となれば立処皆真なり」と。要するに自分の心の中における主体性ですね、ほんとの意味での主体性を確立する。それがやっぱりここの『臨済録』全体に出ているんですね。その主体性を確立する。自分の心の中に疑いが差し挟まない、そういう確固としたもの。それを確立する。じゃ、その心というものをやっぱり作らなければならない。ところがこの『臨済録』がわかりません、或いは『無門関』がわかりません、ということになると、心にやっぱりキチッと確固とした信念というのがないわけですね。禅というものがちゃんと自分でもって把握できないで、じゃ、この禅を社会に出て、人のために役立てよう、とか言ったところで、禅を広めようと言ったって、これはとても無理なことなんです。まずこういうところがまずあったわけなんですね。そこでこの禅がなぜもてはやされたのか? ここのところが一つのポイントだと思うんですね。そのポイントになるところが、『臨済録』の最初のところに出てくる。そこで王常侍(おうじょうじ)という方が出てきます。
 
金光:  人の名前ですね。
 
小林:  人の名前ですね。この王常侍(おうじょうじ)というのは、東京都の石原知事とかいうようなもので、王知事という方がいる。昔はそういう人が臨済和尚という高名(こうみょう)なお坊さんを呼んで、目の前でこういう問答をさせるわけです。それを見ながら勉強するんですね、おそらく。そういう場面がここへ出てくるんです。そうすると、「座主(ざす)有り」というんですね。「座主」というのは、要するに仏教学者です。その仏教学者が臨済和尚に質問する。そこに、
 
    三乗十二分教(さんじょうじゅうにぶんきょう)、豈(あ)に是(こ)れ仏性を明(あか)すにあらざらんや
    (三乗十二分教。豈不是明佛性)
 
こういった。平たく言いますと、
お釈迦様がずっと説法して回った。それでその説法の中―それ経本になっている。
 
金光:  全部纏めたのが十二分教ですね。
 
小林:  十二分教。お経ですね。だからそのお釈迦様のお経というものは、これは仏性を明らかにするものではありませんか、とこういう質問をしたんですね。
 
金光:  もっともな質問ですね。
 
小林:  もっともな質問。そうしたら臨済和尚がどういう答えをしたかというと、
 
     荒草(こうそう)曾(かつ)て鋤(す)かず(荒草不曾鋤)
 
つまり雑草が生い茂ってしまって、何にもこう耕していない畑と同じじゃないか。
 
金光:  「こうそう」というのは、「荒(あ)れた草」と書くわけですね。
 
小林:  そうです。荒れ地ですね。だからそんなところへはまり込んだら、何にも見えなくなりますよ、と。こういう返答をしたんですね。そうしたら仏教学者が、
 
     云(い)わく、仏豈(あ)に人を賺(すか)さんや(云、佛豈賺也)
 
お釈迦様が人を救うために言っているんであって、人を騙すためにそんなことを言った筈がないではございませんか、とこう言ったんですね。そうしたら、それに対して臨済和尚が、なんと答えたかというと、
 
     仏什麼(いづれ)の處(ところ)にか在(あ)る(佛在什麼處)
 
そうすると、「仏什麼(いづれ)の處(ところ)に」、要するに、「仏は、じゃ、どこにありますか」。これは「仏だというのはどこに書いてありますか?」とこう言ったわけです。そうしたら、その仏教学者は黙ってしまったんですね。つまりここのところが禅のポイントだと思うんです。この『臨済録』にも出てきますけど、徳山宣鑑(とくさんせんかん)禅師という偉いお坊さんがいる。それで徳山宣鑑禅師というその方は『金剛経』の仏教学者で、大した有名な仏教学者です。当然他の仏教についても詳しく勉強なさった。そういう方がその『金剛経』を捨てて禅に入った。或いは?山霊祐(いさんれいゆう)禅師という方もやはり南方仏教、それから大乗仏教、これを大変詳しく経典を研究なさって、それでそういう人がやはり禅に入ってきた。或いは二祖慧可大師(にそえかだいし)、これは達磨大師のお弟子さんで、この方も三十歳超えるぐらいまでずっと勉強しているんですね。仏教の勉強をしている。それでもわからずに禅のほうに入ってきた。ということは、やっぱりこれら辺になんかあるんじゃないか、ということなんですね。つまりそこで、まずポイントになるのは、「仏とは何か」ということです。禅問答の本を読んでいくと、払子(ほっす)というのがありますね。こんな形で、これで蠅とか蚊とかを払うわけです。それが法具として禅の仏教のほうに入ってきたんですね。「仏とは何ですか?」という質問をする。そうするとその払子をパッと立てて、「これが仏だ」と。まあこんな答えが出てくるんですね。或いは香厳(きょうげん)和尚という方は掃除をしている時に、小石がポーンと飛んでいって、それで竹に当たってカッチーンと鳴った。そのカッチーンがつまり仏だと。それで悟るわけですね。それからこれはちょと違いますが、一遍上人が、
 
     となふれば仏もわれもなかりけり
       南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
 
と称えている。その「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えている。さっきの二つのこととこれは一つのことにしてとらえられないと禅になってこないわけですね。そうするとこの「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」ですが、この「南無阿弥陀仏」が仏だ、ということになると、そこに仏はない。これが禅の見方ですね。つまり「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えて、そこに意識が集中します。集中した時の自分の心―向こうじゃない。私の心の中に怨(うら)み、辛(つら)み、妬(ねた)みとか、そういう心が全部ここで切られている。それで百八煩悩が全部ここで断ぜられている。その心がつまり仏なんですよ。だから石がパーンと飛んでいって、竹に当たってカッチーンと鳴った、そのカッチーンが仏でなくて、そのカッチーンに集中している私の心の中に仏がある。だからこの払子にしても同じです。払子に集中する。その集中した時の心がつまり仏である。ここの見方というのが非常に大事なことなんですね。もし「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」を仏ととらえるとします。そうすると、「イエスさま、イエスさま」で手を合わす。これ実は同じでいいんですね。禅のほうからみましたら。「イエスさま、イエスさま」で十字切ろうといっこうに構いません。そうすると、「イエスさま」といっている時、仏はこちら側にあるんです。ところが仏をこちらに。そうすると、イエスさまが仏になる。そうすると、「南無阿弥陀仏」いっている人と、それでイエスさまといっている人とは交わらない。これはどうしても喧嘩を始める。世界にいろんな宗教がございます。その宗教でもって対立しているのは、結局そういうところで対立している。だからこれから日本の仏教というものは、やはりそういう意味で、これから世界に向かって日本が発信していかなければいけない。やはりそういうところがあるだろうと思うんですね。そういう意味において、まず『臨済録』とか『無門関』、これをやはりキチッとわかるような説明をしていかなければいけない。そんなことでこれからもずっとこれをやっていくつもりです。例えば、禅の場合で、「無」とか「有」とかいう。私は真言宗の坊さんなんですね。真言宗の坊さんが、なんでこういう『臨済録』をやった、と思うかも知れないんですが、私の見方からすると、真言は有で、禅宗のほうは無。有と無との関係。要するに表と裏の関係です。
 
金光:  表から見るか裏から見るかという。
 
小林:  表から見るか裏から見るかの差なんですよ。同じことを説いているんですね。私は両方の見方―禅も弘法大師さんのものもやっていくつもりでおりますけど。そういうふうに有と無の関係があるわけですね。そうすると、自分の心というのは目に見えないわけですよ。手に掴むこともできないし触ることもできない。「無い」と言ったら、無いようなのがつまりこれ無なんですね。じゃ、この無を現すにはどうしたらいいか、と言ったら、有を使ってでしか現せないんですね。だから自分の心を現す。例えば手紙を書く。そうすると、手紙に字を書かなければ相手に伝わらないんですね。或いはなんかものをもってきて、「どうぞ、これ召し上がって下さい」と言って、その時そのものと一緒に心を頂くんですね。或いはこう話をする。話をする時に相手に対して思い遣りのある心、それは言葉は通じて、心が向こうへ伝わっていく。ここのところが大切なんですね。
 
金光:  そうしますと、和尚さんが行脚なさっている時に、四国なら四国で接待を受けられる時に、その相手の方のそういうお気持ちが仏さんのご縁としてそうなんだ、と。
 
小林:  そうなんですよ。やっぱり私にしてもほんとに有り難いですね。その時には、何が仏かという、なんか頭のほうに描いていたわけですね。でも実際は目の前に仏さんがいっぱいいらっしゃる。そういう人たちの心を頂く。その時には、向こうは私に対して損得勘定ないわけですね。私にも何にもないわけです。そして私のためにお金を使い、何を使いして、ご飯をご馳走したり、お風呂へ入れたり、或いは寝泊まりさせてくれる。その人の心が仏なんですね。
 
金光:  そうすると、人間というのは、最初の頃おっしゃいましたけれども、必ず生まれた人はいつかは死なないかんわけですが、その生き死にという問題についての安心感、生きている時も安心。もう死が近くなったと言われてもやっぱりそこは安心ということでいけるわけですか。
 
小林:  いけるんです。そういう点は私も母にさんざん苦労をかけましてね。もう今八十五ですけれど、やはり私行きますでしょう。もうあの年になったら、何が食べたいとか、何か立派なこう指輪がほしいとか、お金積んでほしい。そんなことないんです。一番やっぱり喜ぶのは、私、息子ですから行って話をする。それが嬉しいんですよ。やっぱり人間というのは、やっぱり私たち心、この心がやっぱり宝です。例えば、全然行かないで、顔も合わせないですっぽらかしにしちゃったらやっぱり淋しいでしょう。だけど行って話して、そしてその中でやっぱり母というのは、心の中がなんとなく落ち着くだろうね。やっぱり人間最後に求めるのは人の心を頂く。まあそんなことだと思うんですね。
 
金光:  それでそういう世界と、さっきもちょっと申し上げましたけれども、臨済和尚が、
「仏に逢えば仏を殺す」なんていう物騒な言葉がありますね。あの表現なんていうのは、どういうところを言っているんでしょうか。
 
小林:  これは、例えば、「南無阿弥陀仏」と言いますね。「南無阿弥陀仏」って、仏さんと言えば、「はい、そうです」とみんな納得するんですね。だけど考えてみれば、「南無阿弥陀仏」って、人間が作った言葉じゃないですか。だからこの「南無阿弥陀仏」というのは架空のものなんです。「南無阿弥陀仏」と言えば、なんとなく「いいんだ」と思っている。その南無阿弥陀仏は外にある。仏を外におくと、そこに仏はない。キリスト教ならイエスさまを外におく。それ以外の仏を排除します。邪教として敵対する。仏はそこにはない。仏は自分の側にある。南無阿弥陀仏とかイエスさまとか名前のついている仏は仏ではない。名前のついていない真っとうの仏を見なさい。名前のついている仏を殺しさない。それが禅の見方であります。
 
金光:  要するに頭の中でいろいろ考えて、対象として考えているものは間違いですよと。
 
小林:  一応切っちゃいなさい、と。仏を外におく。自分の外に仏をおくと、その仏に執着(とらわ)れる。そこにイエスさまがあると、イエスさまにこだわりができる。仏だイエスさまだと喧嘩が始まる。
 
金光:  そうすると、そのとらわれていると、そこは随所に主となっていない、ということになるわけですね。
 
小林:  主となっていない、ということです。だから、「固定観念を作るな」というのが、「仏を殺せ」というところに繋がっていくんですね。
 
金光:  そういうふうな形で、現在の生活を、法話をなさりながら過ごしていらっしゃるわけですが、そういう生活と対人恐怖的な人間関係は、どういうことになっているでしょうか。
 
小林:  ずっと私そんなことで苦しんできましたけれども、自分で一番よく思うことは、対人恐怖症があったから今こういう道を歩いてきているんですね。要するに私の心の中で最後は仏さんのとこへいかなければ自分の心は落ち着かない。そのために対人恐怖症というものを私に与えてくださった。そのためにずいぶんいろんなことをやってきましたけど、その結果が今あるんじゃないか、と。そんなふうに思っています。
 
金光:  そうすると、その現在の日常でも、やっぱりすべてが思うようになるわけじゃないと思いますが、思うようにならなければならないところで、またその状況をみて次の一歩を踏み出すというようなことを続けていらっしゃるわけですか。
 
小林:  そうですね。今こういうお堂の中にいますから、お堂の限られた中で、生活というのも、はっきり言ったら、収入がどのくらいあるか、そのある中で生活したらいいわけで、それを飛び越えてやるとおかしなことになる。
 
金光:  ないものを欲しがるよりも、あるものをどういうふうに生きるか。
 
小林:  そうそう。それをどう生かしていくか。そうするとけっこうやることがあるんですね。いくらでもね。
 
金光:  そこに「日々是好日」みたいな世界が展開するということでございましょうか。
 
小林:  人間というのは一日一日の積み重ねが、結果的には一生ということになりますから、まあ一日の中にはいろんなことがあるわけです。そういう時の私の心というものを大切にしていかなければならない。ここのところじゃないかと思っているんです。
 
金光:  どうもありがとうございました。
 
小林:  ありがとうございました。
 
     これは、平成十八年二月五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである