生きることの意味
 
                     横須賀キリスト教社会館館長 阿 部  志 郎(しろう)
                     き き て         金 光  寿 郎
 
金光:  神奈川県横須賀市田浦から見た長浦港。海上交通の基地、造船所、軍港、捕鯨基地、自動車積出港などの歴史を刻み込んだ港町です。国道十六号線沿えに横須賀キリスト教社会館の建物が建っています。昭和二十一年に地域福祉に貢献する目的で設立され、その活動は五十年を超えました。今日は館長の阿部志郎さんをお訪ねします。
一歩館内に入ると子供からお年寄りまで賑やかな声が聞こえてきます。この社会館は地域の福祉活動の拠点として、高齢者や障害を持つ人たちが孤立することなく、自立した日常生活を送れるよう、さまざまなサービスを行っています。館内での食事会、来られない人には食事の配達、寝たきりの人を送り迎えするディーサービスもあります。高齢者、障害者、痴呆症の人たちへの健康指導、医療サービスなど、地域の人たちの必要に応じた幅広い活動が特色です。社会館の活動は職員だけでなく、ボランティアの人たちにもそれぞれの得意な分野で加わって貰っています。碁の相手をする人、昔話に耳を傾ける人、幼児の世話をする人などさまざまです。この社会館は五十年に亘る地域福祉活動を基盤にして、利用者、ボランティア、職員の区別が付かない程の親密さで、安心して子供が産める社会、誰もが共に生きられる社会、長寿を喜べる社会の実現を目標にしています。館長の阿部志郎さんは大正十五年、東京のお生まれ、昭和三十二年に初代館長トムソンさんに請われて、第二代館長に就任し、今日に至っております。
 

 
金光:  先程から、社会館の中を拝見させて頂きますと、随分、子供さん、幼児からお年寄りまで、しかも、いろんなご不自由な方とかがおられる。物凄く設備が整っている社会館だと思って感心したんですが、お小さい頃からこういうお仕事をなさろうと思っていらっしゃったんですか。
 
阿部:  人生というのは全く予想しないことが起きるものだと思いますね。私、戦争っ子なんですよ。小学校に入る時に満州事変。そして、「二・二・六」という事件もございました。それから支那事変になって、中学の時に太平洋戦争。私は十九歳で兵役検査を受けました。その後、自分で志願して軍隊に入ったんです。戦争が終わって帰って参りました。軍国主義、全体主義で育ってきましたので、一夜明けて、民主主義と言われても納得出来ないんですね。当時の言葉で言いますと、「虚脱状態」という言葉が流行(はや)りました。虚脱しちゃうんですね。まさに私はそういう状態で、それから逃げ出すのに、約半年かかりました。この間、随分本を読みました。その中で、強烈な衝撃を受けた言葉が二つありました。一つはシュバイツァー(Albert Schweitzer:フランスの哲学者・神学者。一八七五ー一九六五)の言葉なんです。シュバイツァーはこう言っているんですね。「人間の文化というのは進歩しているのか」と。「戦争があって、文化が荒廃したという。そうではない。人間の文化が衰弱したから戦争になったんだ」と。私は大変これには頭を打ちのめされるような言葉でした。戦争が終わって、東京で言えば、焼け野原。何にもないですね。そして、ペラペラな文庫本を求めて、神田の本屋を二重三重に若者が取り囲んで買いました。文化が欲しかった。読む物が欲しかったんですね。しかし、それが手に入らない。戦争の被害者だと思っていたんです。戦争によって文化がなくなった、と。ところが、シュバイツァーは、「文化が衰えたから戦争になった」という。この言葉でして、一体、「文化とは何なのか」「どうすれば新しい文化を創れるのか」という、私はそういう問題を自分に投げかけられたように思いました。もう一つは、ベルジャーエフ(Nikolai Aleksandrovich Berdyaev:ロシアの神秘主義哲学者:一八七四ー一九四八)という哲学者がいまして、こういう言葉を残していますね。「自分のパンを心配するのは物質的問題である。しかし、他人(ひと)のパンを心配するのは精神的問題である」。戦後の政治家のスローガンに、「鰯一匹に、米三合」というのがありました。実に貧しくて、何にも食べる物がない。せめて、鰯一匹のカロリーが欲しかった。そういう時代ですね。今、私どもは何十匹分のカロリーを採っているか、を考えますと、時代の変化を感ずるわけですね。そういう中で、みんな自分のパンを得るのに精一杯でした。他人(ひと)のパンの心配なんていうのは出来た者なかったんですね。一体、「他人(ひと)のパンを心配する」というのはどういうことなのか、という疑問を持ったんです。子供の時から、私、夢がありまして、実業家になりたかったんです。その夢は持ち続けていました。それで自分の中では、自分のパンと他人(ひと)のパンがちゃんと確保される。そういう社会をつくりたい。それが新しい文化ではないか、という、こういう気 持がありまして、漸く敗戦になって、半年後にまた大学に戻りまして、経済を専攻しました。その時出会った恩師が上田辰之(たつの)助(すけ)(一八九二ー一九五六)という教授でして、私はこの方が死ぬまで十年間師事致しました。そして、この方からいわば決定的な影響を受けました。いま私の持っております福祉の思想も、根底に、「その方の思想がある」と言っていいと思います。この上田教授が、私に、「この本を読め」と言って奨めてくれたのが、トインビー(Toynbee, Arnold, 1852-1883)という人の『英国産業革命史』(The Industrial Revolution ; Lectures on the Industrial Revolution of the eighteenth century in England )という歴史の本なんです。「その本を読め」と言われたんですけれども、私は産業革命史というのには興味がないんですね。その本の序文にトインビーという人の短い伝記がありまして、それを読んで感動したんです。トインビーというのは経済学者で、「産業革命」という言葉を言い出した人です。
 
金光:  歴史学者じゃないんですね。
 
阿部:  歴史学者のトインビー(Toynbee, Arnold Joseph, 1889-1975)はその甥御さんなんです。
 
金光:  ああ、そうなんですか。
 
阿部:  それで伯父さんのアーノルドという名前を歴史学者は貰っているんですが、叔父さんを見たことなかったんです、若くして死にましたので。そのトインビーという若い経済学者が英国のスラム(slum)に入って、私どもで言いますと、「セツルメント(地域福祉施設)運動」というのを興したんですね。スラムで困っている人と一緒に生活をして、人生を建て直しを図ろうという、こういう運動でして、私はトインビーに今尚傾倒し続けておりまして、「トインビーのお陰で」と言いますか、今日の地域の仕事に入ったんだと思います。
 
金光:  端書きにはどういうことが書いてあったんですか。その活動ぶりが書いてあったんですか?
 
阿部:  友人がトインビー(Toynbee, Arnold:アーノルド・トインビー:一八五二ー一八八三)の追憶を、十年後に追悼会で演説するために書きまして、トインビーの生い立ちから、思想から、彼がした実践を書いたものでした。私は大変心を動かされました。それでトインビーが若くして三十一歳で死にました。私は三十一歳になった時に此処の仕事に入ったんです。トインビーの後を嗣ごう、という気持があったんです。
 
金光:  その前、しかし、大学の先生をなさっていたでしょう。
 
阿部:  はい。それは大学を卒業する前に、静岡の御殿場(ごてんば)という町にハンセン病の病院がありまして、カトリックの施設で、そこを訪ねた時に、そこの看護婦(井深八重:一八九七(明治三十年)台北市に生まれる。一九一八(大正七)年同志社女子学校専門学部英文科卒業。大正八年、ハンセン病と診断され神山病院に入院するが、誤診と判り、当時の院長ドルワール・ド・レゼー神父に退院を促された。しかし、極貧の神山病院にあって老神父が異国の患者のために献身する姿に接し、そこに残り神父を助ける事を決心した。一九八九(平成元)年、九十二歳で逝去)さんに出会ったんです。私にとっては、天使のような方でした。その看護婦さんの姿を見て、どういうものか、私もこの人の後を付いていこう、という気持になりまして、卒業する前に実業家を志していたのを止めまして、福祉の道に入ったんです。「福祉」と言っても何にも分からないわけです。それでやむを得ずアメリカに勉強に行きまして、それで帰って来てからも勉強を続けるために暫く大学におりました。アメリカから帰る時に、もう一人の人に出会うんです。トムソンという方でして、この方がいま私のおります社会館を始めまして、十年此処で苦労して基礎を作った。私はその後レールに乗って走っているだけで、大変楽な役回りなんですけれども。そのトムソンという人にアメリカのサンフランシスコの街で偶然に会ったんです。私は日本へ帰る安い船を捜していました。路上で偶然会って、「横須賀へ来ないか」と誘われて、優柔不断でして、決心するまで五年かかりました。五年後にやっと此処へ来たという、こういう経緯でして、実業家になりたかったのが、いつの間にかこういう福祉の道に入り込んで、社会館という施設で長いこと働いて、もう他に行く所がないものですから、今、此処にしがみついているという、こういう次第なんです。
 
金光:  若い時に感動された文章で、「他人(ひと)のパンの心配をする」という、これは心の問題だと、これはここのお仕事にピッタリするところがありますね。もう一つの「文化の衰退」とここのお仕事との関係は、お仕事をずうっと進めていらっしゃって、どういうふうな感じをお持ちでございましょう。
 
阿部:  今、ますます文明が発達をしておりますね。実に便利で効率的になって参りました。ところが面白いことと言いますか、不思議なことに文明が発達をし、豊かになった国が悩んでいる問題が老人問題です。文明の発達が遅れたところは老人問題がないんです。それは社会の構造が生み出す社会問題だという考え方です。それに苦悩しているのがヨーロッパ、アメリカ、日本です。それ以外の国々は寿命もあまり長くない。そうすると老人の数も多くない。その方々は昔ながらの家族、地域で守られていて、問題として浮上して来ない。
 
金光:  家族、地域で守っている。みなさんがカバーして助け合っている。
 
阿部:  守っていますね。私どもはそれを守りきれなくなったというところに、今日の私ども社会、地域の問題があるんだ、と思います。
 
金光:  そうしますと、社会地域の問題として、改めて、そこでどうお互いに、どうやって生きるかという問題を、お年寄りの方だけではなくて、みんなで考えなければいけない、ということになるわけですね。
 
阿部:  そう思いますね。地域というのはいろんな方がいらっしゃます。
 
金光:  そうですね。
 
阿部:  昔から住んでいる方、新しく転勤で入って来た方、子供もいますし、女性もいます。年寄りもいるし、障害者もいるし、寝たっきりの人もいる。病気で苦しんでいる人もいるし、外国人もいる。実に多様な方々が住んでいるのが地域ですね。この地域で、昔は、農村で言いますと、庄屋さんが居て、地主が居て、小作が居て、田圃の田植えの時には手伝いに行く。刈り入れは手伝って貰うと、こういう纏まりがありました。都会で言いますと、庶民は落語に出て来ますように、知恵者のご隠居さんが居て、いろいろと人生の助言もしてくれる。そこへ熊さん、八っさんが集まって来るという、こういう親しい関係が結ばれたと思います。これが社会がだんだん変わりまして、そういう親密さが無くなって、バラバラになって来た。そのバラバラになって個別化された社会の中で新しい問題がやはり起こってくるんですね。それは、例えば、年寄りで言いますと、一人暮らしになる。
 
金光:  そうですね。
 
阿部:  だんだん夫婦のみ、さらに一人暮らしになる。今、もう半分のお年寄りは家族と一緒に住んでいらっしゃらないんですね。その方々に起こる問題は何か、と言いますと、これは英国の女性ですけれども、一人でひっそり亡くなって、日記帳を残された。その日記帳に毎日一行同じ文句があった。「今日は誰も私に言葉をかけてくれなかった」「今日もまた誰も私に言葉をかけてくれない」。毎日それを連ねながら亡くなった。これが今の問題だと思うんですね。一人暮らしのお年寄りの方の家に行きますと、カレンダーがない方が多いんですね。「カレンダーがない」ということは予定がない。「今日誰と会う」「明日どういう会合がある」。時間と言いますか、時の流れと無縁。ということは、社会とやはり距離が置かれて来ることでもあるんですね。こういう中で孤立をしていく、という問題がありますね。東京で言いますと、去年、孤独死が九百一件ありました。阪神淡路の震災の後、仮設住宅に移られた方々の二百七十名が孤独死されているんです。誰もそれを見付けられないという。一人で孤立をしていく、という問題ですね。孤立をすると、当然のこと孤独になっていく、と思います。
 
金光:  ということは、先程のイギリスのおばあさんの場合も同じですけれども、生きる目的が、「次の日に何をするか」という目標がないわけですね。「目標がない」ということは、誰も自分にかまってくれないというか、相手にしてくれない。ということは、「あなたは居なくてもいいですよ」というメッセージを貰っているのと同じようなことになって、自分が存在する意味が感じられなくなる、という情況が出てくるでしょうね。
 
阿部:  「孤独」というのは役割が無くなる、ということですけれども、同時に、「存在感、そのものが喪失することだ」と思いますね。おっしゃるように、「生きる力が無くなる。生きる力を失う」ということは、その背後にあるのは、「生きる意味を失うことだ」と思いますね。高校生の調査によりますと、明日に希望を持っている高校生は四割しかいないんですね。「明日に希望がない」と、どうしますかというと、「いま幸せであればいい」「今日、幸福でありたい」という、「現世幸福主義」というのが、今やはり高校生の中に非常に多いと思いますね。非常に悲しいことですね。
 
金光:  それが言葉だけで言うと面白いのは、道元さん(鎌倉初期の禅僧。日本曹洞宗の開祖。一二00ー一二五三)なんか、「今、ここを大事にしろ」と言いますね。ところが高校生の「今ここが幸せであればいい」というのと、言葉は似ていますけど、全然質が違うような気がしますね。
 
阿部:  「いま、ここ」というのは実存ですよね。それは、「先を見ながら、今ここだ」と思うんですね。「先が読めない」ということが起こっているんだ、と思いますね。だから、特に年寄りになって、一人ぼっちになる。そうしますと、私が受けた相談で、私自身立ち往生しましたのは、歳でいうと、今の私と同じ位の歳の方でした。その方がいらっしゃって、「昼間は車が走り、人の顔が見え気が紛れます。夜中、真っ暗な中で、ふと目が覚めると、骨が骨を刺し、心の凍る寂しさです。寂しくて寂しくて、どうすることも出来ません。死にたいんです。でも、意気地がなくて死ねないんです」。こういうことをおっしゃいましたね。私はもう立ち往生です、ほんとに。これが、実はここで一人暮らしの方の昼食会を始める動機でして、もうほぼ三十年近く、毎月一人暮らしの方がここへいらっしゃって、地域の人と一緒に昼食を食べているんです。それは「人と人の出会いを作りたい」という、こういう思いがあるわけです。それがなくてはやはり生きる目標というのは作れないんではないでしょうか。さっき申し上げましたように、だんだん便利になりました。便利になったのは技術革新で機械化されたんですね。コンピュータ時代を迎えているわけですね。そうしますと、今はスーパーマーケットに買い物に行く。一言(ひとこと)も言葉を使わずに買って出て来られる。
 
金光:  出て来られますね。
 
阿部:  挨拶もなければ、会話も交わさない、こういうことですね。電車に乗るのに改札口にいま駅員がいない。券売機にお金を入れて切符を買う。実にいま正確ですよ。どうしてあんな機械が出来るのかと、私みたいな古い人間は不思議に思うぐらい正確ですね。瞬時にして計算をしてくれる。あの券売機が出回り始めた頃、まだ性能が悪くて、お金を入れても、時々、切符が出てこない。駅員さんに、「切符が出ません」と言うと、言われたのは、「本当にお金を入れましたか」と。発達している機械は信用する。でも、人と人の関係はますます溝を深めていく。不信になっていく。これが今日(こんにち)の時代だと思うんですね。そして、まさに二十一世紀はそうなんではないか。ということは、私どもが手間を抜いて、すべて機械にやらせる。そろばんで計算している。ボタンを押せば、キーを叩けば直ぐに出る。
 
金光:  便利で正確で、
 
阿部:  そうです。
 
金光:  間違いがないから安心だ、という面は確かにありますね。
 
阿部:  手間抜きです。ところが、いまおっしゃった「人と人の触れ合い」というのは、手間を掛けなければならない。「手間を掛ける」というのは、あまり気が進まないんですね。手間を省く時代に、何故手間をかけなければならないのか、という疑問が、私どもの中にあるんでして、ますます手間を抜いていくだろう、と。一体、人と人の手間を掛けるという、この私どもの努力はどうなっていくのか、ということがあるんじゃないでしょうか。
 
金光:  ただ、人間というのは、自分一人だけで生きていくことは、これは絶対出来ない。いろんな人の関係の中で、よく言われますね、「人」と「間(あいだ)」と書くのは、「人間と人間の関係があるから、人間だ」という。そういう意味にもとれるわけです。その辺のところが抜けてしまうと、やっぱり全体的に人間それ自体が、生きること自体がだんだんおかしくなってくるということになるんじゃないでしょうか。
 
阿部:  「人間」の「間(げん)」というのは、「間(あいだ)」という意味ですね。そうしますと、「人と人には間(あいだ)がある」という字でもあると思いますね。昔から言われてきた言葉に、「隣りに倉が建てば腹が立つ」と言いました。お隣が栄えて、大きな倉が建ちますと妬(や)ける。妬(ねた)ましい。腹が立つんですよ。決して喜ばない。これが人間だ、と思いますね。いま、「年寄り」というのを、社会や、或いは子供たちがどう見て、どう扱っているか、と。私の友人が孫を連れて電車に乗ったんですよ。乗ったら空いているんですけれども、孫が、「お爺ちゃん、あっち」。指差した先がシルバーシート。老人はそこへ座るものだと、孫は思っているわけですね。その本人に言わせると、「シルバーシートというのは、一番隅っこにあって、ドアが近くて、風が入って来る。年寄りは隅っこでひっそり座ってろ、という。あれは我々区別されているんじゃないか。隔離されているんじゃないか」と本人言うんですよ。そういうところあると思うんですね。ですから、子供と年寄りを切り離す。子供は年寄りになんと言うかというと、「三K」という言葉があるんです。「三つのK」。それは、「臭い」「くどい」「口喧しい」。これが老人層なんですね。
 
金光:  成る程。老人の「三K」ですか。
 
阿部:  だから、「人と人の間」というのはある意味ではますます離れてきているのではないか、と。この離れて来ている人と人の間を一体どうするのか。これがいま私どもの社会の、或いは、地域の課題だ、と思います。
 
金光:  しかし、一面から見ますと、昔からこれはキリスト教でも「砂漠の修道士」とか、そういう孤独のところで自分を見たり、神との会話を交(か)わしたり、そういう今まで日常生活では気が付かない世界に気が付くような、そういう修行には便利な孤独さというものもあるわけですけれども、今のお話の孤独というのと、そういう意味での孤独とは、これも全然質が違うような気がしますね。
 
阿部:  人間というのは、一人で生まれ一人で死ぬんですから、本来孤独な存在なんですね。だから、孤独には耐えなければならないと思います。ところが、私にしましても、子供の時から今日まで必ずしも横に誰かいるんですよ。家族がいて、友だちが居て、軍隊では戦友がいて、という。人に囲まれて育ってきた。ヨーロッパ社会というのは、子供の時から、個室で育てる。そういう生活訓練をしてきましたね。ですから、ヨーロッパ人というのは、孤独に耐えるという人生のやはり自分で訓練を繰り返している、と言いますか、私ども、それが出来ないんですね。だから、家族から切り離されると、まさに孤独になるわけです。それになかなか耐えられない。そこで残念なことに自殺者が多いんですね。
 
金光:  ヨーロッパの場合はそういう「子供の頃からの個室で育つ」と言いながら、一方では社交的な、というか、社会の場合の「こうやって出掛けるんんだ」という訓練も、同時に行いますね。日本だと小部屋を、
 
阿部:  そこでバランスをつくっていくわけですね。
 
金光:  部屋だけ与えて、「これで独立しなさい」と言われてもなかなかそれは難しい。
 
阿部:  そうすると、また鍵をかけて、家族も入れない、ということが起こるわけですね。
 
金光:  その辺がなんかアンバランス。人間は独立しなければいけない、と。西洋のように自己主張もハッキリ出来なければいけない、と。そこばっかりやっていると、自分の言いたいことだけ言われると、相手が逃げてしまう、というようなことも出てきます。なんかその辺のバランスの難しさみたいなのが現実の問題の中にあるようですね。
 
阿部:  ニュージランドにあるウイリントンという町の郊外の村へ行きました。そこで一人暮らしのお年寄りのところにケースワーカーと訪問看護婦に連れられて訪問したんです。
 
金光:  一人だけ住んでいらっしゃるんですね。
 
阿部:  一人で。八十七歳の大きな身体の男性でした。また大きな農家でして、一キロ四方に家がないんです。ぽつっと一軒建っているんですね。一人でいらっしゃる。私はその方に、「寂しくないんですか」こう伺った。そうしたら、「見てご覧。猫は二匹、犬が一匹、外に馬が一頭いるだろう。いい友だちだよ。近所の若者たちがここに来て、話込んで帰らないので、迷惑しているよ」と言って、片目を瞑(つむ)って私にニコッと笑ってウインクするんですよ。実にユーモアな方で、私はこのユーモアがこの人の一人暮らしを支えているのかと思いました。この方がこうおっしゃったんです。「儂(わし)の父親はここで生まれ、ここで死んだ。儂もここで生まれ、ここで育ち、ここで働き、村に尽くし、ずうっとこの家にいる。儂はここで死ぬ」。断言するようにおっしゃるんですよ。この一人暮らしのお年寄りをケースワーカーとか、訪問看護婦が毎週行っています。ドクターが月一度往診をし、そして、ホームヘルパーがお二人交代でいろいろと援助する。そして、一日二食、食事が配られるんです。
 
金光:  一日二食ですか?
 
阿部:  一日二食配っている。配達をする方がその町のロータリクラブの会員でした。私はその晩、ロータリの方にお話を伺ったんですけれども、そうしたら、皮肉を混じえてですけど、私にこうおっしゃるんですよ。「日本のロータリクラブは金があって、金を配っているだろう。儂のロータリではお金がないから老人に弁当を配っているんだよ」とこういう非常にユーモラスな言い方でしたけれども。要するに、一人のお年寄りが、自分で一人で孤独で、そこに住んで、そこで死ぬ。そうおっしゃるんなら村を挙げて、それをサポートしましょう。こういうことなんですね。これは仕事をする人間として、非常に教えられました。私どもはどちらかと言うと、いろんなサービスをこう設けまして、「これだけありますから、どうぞご利用して下さい」と。
 
金光:  そうでしょうね。
 
阿部:  「生活はそれでお出来になりませんか」と、呼びかけるところがあるんですよ。
 
金光:  ありますね。これだけ用意してやれば、「どうぞ使って下さい」と。その考え、当然だと思います。それはそれで、
 
阿部:  でもね、逆だと思いました。一人のお年寄りがそこで孤独に耐えて、「死にたい」とおっしゃるんなら、この方のためにあらゆる資源を使って、この方を支える。それが本当の福祉のサービスだろう、と思いました。
 
金光:  そこは、しかし、みんなで相談して、「そうしましょう」というよりも、なんか自然におじいさんを中心に、そういう交わり、と言いますか、ある程度自然発生的に出来ているような、行政で、「こうしなさい」とか、どなたかが、「あの人のためにこうしてあげよう」というような感じではございませんね。
 
阿部:  そうかも知れませんね。それが、「コミュニティ」というものだと思うんですね。さっきおっしゃられたように、「人と人には間がある」と。しかし、「間(あいだ)」というのは、「人は人間関係の中に生きる。人と人の間に生きる」ということなんですね。「関係性」と言いますか、「関係付け」ということが大事だと思うんです。この「関係性」をどうやってつくっていくか、ということになりますと、まず、チャンスがいると思うんですね。今、私どもの社会ではどうなっているか、と言いますと、まず、男性と女性、そして、年齢別、学校も学年も一年ずつ違っていて、今の大学では三年生と一年生の学生では会話が成り立たないくらい違ってきているわけですね。横並びという。そして、年寄りは老人クラブ、子供は子供会、同好会の女性たちは仲間同士で旅行に行くという。こういう今、「機能的」と申しますか、自分たちで気の合った者が集団を作って、お互いにその関係を持っているわけですね。年寄りと子供が出会うチャンスを作って行く。或いは、健康な人と障害者とが一緒に何かするチャンスを作る。それが私どもの仕事だ、と思うんですね。
 
金光:  それが出来ると、殻も取れるわけですね。
 
阿部:  チャンスを作れば、ここに触れ合いが起こるんですね。「触れ合い」というのは何かというと、これは学習経験だ、と思いますね。「何を学習するか」というと、何がお互いを結び付ける同じものがあるのか。趣味が同じ。将棋を指す趣味が同じ。或いは、同じような経験をしているかも知りません。そして、お互い共通の友人を持っていたりすると、話が弾むということがあるわけですね。私どもは同じというのは大好きなんです。同じものを求めるんですね。同質のものを。「同じことを発見をする」というのが一つ。もう一つは、「違いを見え出す」ことですね。みんな違うんですよ。年齢も違うし、育った環境も違いますし、趣味も違うし、時には国籍も違い、皮膚の色も違う。その「違う」ということは嫌いなんです。違うものには近寄らずに、同じものだけが集まる、という。私はこういう性質を持っていると思います。「触れ合い」というのは違いを学ぶことだ、と思います。違いを学んで、それを認識する。「認識する」ということは受け入れる、ということですね。今、ここに四人の韓国の学生が一月ボランティアで来ています。言葉が通じないんですよ。少し英語は出来る。日本語は殆ど出来ない。言葉の障害です。ところが子供の中に入ると障害がない。子供というのは大人のような言葉の違いとか、民族の違いという偏見は全くない。小さければ小さい程いいですね。すうっと子供の中に入れる。ここから始めなければならない、と思いますね。「違いを知る」ということは、そこから違いを喜ぶ心を育てることだ、と思います。違いを喜ぶ心があれば、国際化が発展をしていくと思います。そうすると、そこに人と人の間の理解が生まれます。理解をつくっていくということじゃないでしょうか。
 
金光:  往々にして、その違いが目に付きますと、例えば、「あの人はお金を持っている」とか、「あの人はいろんな学識がある」とか、「自分にはない」「あの人は健康だけれども、自分は病気だ」とかというと、何かますます自分が生きていることが惨めになるような、そういう違いの認識の仕方じゃ具合が悪いじゃないか、と思いますが。
 
阿部:  そうですね。
 
金光:  こちらでこう集まっていらっしゃる時は、その辺のいろんな違いがどういうふうな形で受け取られて、了解されていくんでございますか。
 
阿部:  私どもにはやっぱり心に壁があるんですね。
 
金光:  ありますね。
 
阿部:  そうして、私のように歳を取るとだんだん厚くなりまして、なかなか自分からは人に入っていけない。大体、知らない人に声を掛ける、というのは勇気が要ります。なかなか出来ないですね。
 
金光:  出来ません。
 
阿部:  ひっこもってしまう。引っ込み思案になりますね。「その人と一体どうやって心と心を通わせるか」と言ったら、心の扉を叩く以外にない、と思いますね。心の扉を叩き続ければ、必ず開かれるものですね。一度開かれますと、これは非常に結び付くものです。これを積み重ね繰り返す、という過程で、コミュニティというのは、私は作られていくんだ、と思います。
 
金光:  北海道の家庭学校の校長先生なさっていました谷先生(谷昌恒(まさつね))の名言で、「心の扉は外からは開かない」という言葉があるんです。それから、「こうやって思いのたけを話してみよと、幾ら言ってもダメだ」と。それはそうですね。生活を一緒にしている中で、自然に自分の中から開いてくる、という。これはその通りだと思うんですが、今のお話ですと、何度か接触なさっていると、「開けなさい」と言われなくても、自然に開いてくるものですか。
 
阿部:  と思いますね。無理矢理は開けないですね。叩くだけ。叩き続ける。言葉をかけ続ける、ということだと思いますね。
 
金光:  そうすると、いろんな違いというのも、自然に解(ほぐ)れてくるものですか。
 
阿部:  はい。
 
金光:  そういうものも日頃は表に出ていなくても、人間の中ではやっぱり存在しているもんだ、というふうに、これもやっぱり実感してお感じになっていらっしゃいますか。
 
阿部:  やはり人というのはお互いに支え合うことによって、初めて立つことが出来る、という字ですから、それは私どもやはり心の深いところで求めていますね。人との繋がりを。支え合いを。それ無くして生きること出来ないわけですから。でも、いろんな条件があり、いろんな動機があって、閉じてしまう。でも、開く機会をまた求めているんですよ。
 
金光:  「自立だ」とか、「今は自立を尊ぶ時代だ」とか、「独立自尊だ」とか、そういう言葉もよく聞くわけですが、「自立」ということは、他の人の世話にならない、ということとは、また、ちょっと違うわけですね。
 
阿部:  と思いますね。
 
金光:  その辺が自分というものが、どういう土台の上に生存しているか、ということが分かってくると、その時その時の生き方みたいなものが、自ずから決まってくるみたいなところが、どうもあるような気がするんですが、こういう社会館のようなところでの「自立」というのと「助け合い」というものとの、その兼ね合いというのはどういうふうになるものでございますか。
 
阿部:  「自立」というのは一人で責任を持って生活をし、人生を歩んで行くことだ、と思いますけれども、もう一つ大きな意味は、「自立」というのは人生の山道を最後まで登り遂(と)げる。それが自立だと思います。ところが、私どもは人生を途中で躓(つまず)きますと、そこで挫折をしてしまう。今の社会が大変弱いと思うのは、挫折からの回復力が弱いんですね。七回転んだら八回起き上がればいい。そして、また歩き続けなければならない。それをずうっと人生の最後まで持ち続けることが出来るかどうかなんですね。今、「ポックリ信仰」という言葉を話題にしますね。お年寄りがよくお詣りに参りますね。「ポックリ死にたい」と。「ポックリ死にたい」というのは介護不信でもあるんですね。嫁や他人にホームヘルパーが入ってきて、介護なんかされたくない。お上の世話にならない、という意識がありますね。ところがヨーロッパでは、ポックリ死にたくないんです。それは何故か、と言いますと、人生の最後は、自分の生涯を一度ゆっくり顧みたい。家族に感謝したい。世話になった人にはしっかりとお礼を言って終わりたい。だからポックリ死にたくない。この延長線上に「ホスピス」という思想が生まれました。「ホスピス」というのは死ぬ場所ではないんです。死ぬのを助けるところでもなくて、生きることを助けるところですね。生きる為には人の助けがいるんです。人がそれに手を添えながら最後まで生き続ける。それが私どもの人生でなければならないと思うんです。私どもは躓くともうそこで結構という、こういう気持になりがちで、人の助けを求めないところがあると思いますね。でも、人間というのは助けたり助けられたりですから、その相互的な関係をどうしていくかということじゃないんですかね。
 
金光:  そうですね。それはやっぱり自分はある程度の恵まれた生活が出来ているとしますと、もう人の世話にはならないで生きていると、つい思いがちになるんですけれども、それでも常に食べる物にしても、何にしてもいろんな人の世話になって生きている、という事実を忘れてしまいがちですけれども、それは本当の事実ではなくて、やっぱり支えられているわけですね。
 
阿部:  無意識のうちに支えられている。
 
金光:  但し、そのことに気が付くと、また他の人との付き合いの仕方とか、その人間と人間の関係の持ち方も自然にあんまり片意地張ってバリケードを作らなくても、障壁を作らなくても生きて行ける世界があることにも気が付くみたいなところがあるんじゃないかと思うんです。なんか現実にこちらの社会館に集まっていらっしゃる方を見ていますと、割にみなさん方は肩の力を抜いて集まっていらっしゃるような感じですけれども、これも自然に出来てくるものですか。
 
阿部:  さっき申し上げたことですけれども、私は沢山の人と出会いました。特に若い時に。この出会いによって私自身育てられ、今日あるのです。それはもう偶然でした、どの方も。偶然の繰り返しで人生を送っていたわけですけれども、それを、しかし、私は偶然と考えないんです。私はそれを「神のはからいである」と。それを「摂理」という言葉で表しますが、「摂理なんだ」と。しかし、人と人の繋がりにおいて、私自身世話になり、教えられ、今日まで育ってきたわけですね。これを仕事の上でどう表現をするのか、ということになりますと、さっき言った「触れ合い」というのは、「同じことと、違うことを知ることだ」と申しましたけれども、理解をし合いますね。理解をし合うと、人間というのは信頼を生むんです。逆に言いますと、人間と人間が信頼するのには、共同の理解がなければならないですね。理解をし合いますと、それを自然に行為に現す。行動に示します。それがボランティア活動でもあるんですね。ここに沢山のボランティアの方が見えまして、月に二百名位の方がボランティアでいらっしゃるんです。ボランティアと利用する方と職員との区別が殆ど付かない、と言っていいぐらいに溶け合っていると思います。この間、一人の若い男子の高校生が言った言葉なんですけれども、「電車に乗って座っていて、お年寄りが前に来ると、どうしようかなあと思う。立とうか、立つまえか。でも、立つには照れくさい。だから、寝た振りしている。それがここでボランティアをするようになって、お年寄りの介護の手伝いをする。今は素直に立つことが出来るようになりました」。大変嬉しい言葉でした。ボランティアをし、年寄りから教えられながら、その青年がやはり大きくなっていく。こういうことだろうと思うんですね。車椅子の女性がボランティアに見えていますし、親子二代でボランティアに見えている方もあります。その方々が活動することによって、その方自身もまた励まされ慰められているんだ、と思いますね。それは何か身体を動かすということだけでなくていいんです。街で葬式に行きました。そしたら、その亡くなった方の奥さんがみなさんにこうおっしゃったんです。「主人が倒れてどうにもならない。病院にお願いする以外にない、とこう思っている時に、三軒先の奥さんと道で会いました。その奥さんが私に、『あなたのご主人はあなたによって支えられているのね』と言ってくれました。私はその一言に励まされて、六年間、主人を看病し見送ることができました」と。こういうご挨拶でした。隣の人が掛けた一言によって、その人の人生が支えられる。こういうことが起こるんですね。
 
金光:  その言葉によって、自分の存在する意味、生きる意味、目的も生まれたわけですね。
 
阿部:  そうです。
 
金光:  自覚出来たということですね。
 
阿部:  はい。
 
金光:  それがやっぱり本当の、自立への第一歩だった、ということも言えるわけでしょうね。
 
阿部:  「人間」という言葉は「間」があって、「支え合うことだ」と、こう申しましたけれども、もともとは「アントローポス」という言葉から出てくるんですね。「アントローポス」というのは、「上を仰ぐ」という意味なんですね。そこが動物との違いでして、動物というのは下を向いて餌を求めて彷徨(さまよ)い歩く。餌を得ることが目的ですね。人間というのはどんなにひもじくてもパンを得ることは目的に成り得ない。それを手段にして、より高い人生を求めて歩いて行くわけですね。ただ、動物の為に弁解を兼ねて言いますと、動物というのはその時腹を満たされればいいだけの餌を取ります。
 
金光:  それ以上は取らないですね。
 
阿部:  人間の欲望というのは切りがないんでして、人のものであれ、他の国のものであっても欲しい。こういうものだと思うんですね。ですから、人間というのはやはりその人なりに理想、夢がありますね。それを仰ぎ見ながら、人と人とは支え合いながら生きていく時に、共に生きる、ということでして、生きる意味というのが見出されるのじゃないか、と思いますね。
 
金光:  現実の世界を見ますと、自分たちが生きる為には、自分たちと違う「隣の民族は邪魔だ」とか、「あれさえいなければ、もっと自分は幸せになれるのに」とか、そういうなんか違いの認識みたいなものが割に強くて、その辺のところが、「文化の衰退」という言葉で言えるのかも知れませんけれども、本当に人間が生きているのは支え合って生かされているんだ、というところに、目がつかないで、一歩手前の違いのところで、右往左往、それこそ生き死にの大喧嘩しているみたいなところがあるような気がするんですね。
 
阿部:  やっぱり自己中心なんですね。自分だけを絶対化するというのも、人間存在の、
 
金光:  上は見ていないという、
 
阿部:  これは罪ですから、私どもから見ると。その罪をどうやってゆるされるか、どうやって自分自身を解放していくかというのが、人生の課題だと思いますね。それには人と人が交わって、人に対して自分が支えられていると同時に、何か人のためにする。人のために何かできる、ということが、自覚されるということが必要だと思うんですね。ここで申しますと、痴呆のお年寄りの方が毎日お見えになります。痴呆のお年寄りのところに、小学生の女の子が行って、お手玉の作り方を習うんですよ。
 
金光:  習うんですか?
 
阿部:  教えられるんです。それは若い時にしっかりと身に付けているわけですね。今はこうよく分からなくて、昔がちゃんと甦(よみがえ)ってきて子供に教えられる。だから、痴呆の方でも役割があるんでして、私どもはその役割を見付けるのが、私どもの仕事ですけれども。やはり人のために何か出来るという、それが私ども人生においては必要だと思います。
 
金光:  こういう社会館のようなところにはいろんな方が見えていて、そこへ入ると割に手を出してあげたり、声を掛けたりするのはし易いんですけれども、町中で声を掛けていいものだろうか、出しゃばりじゃないだろうか、ついそういうことを考えてしまって、引っ込んでしまうんですけれども、やっぱり今のお話を聞いていると、やっぱりそういう時は声を掛けてあげた方がいいんでしょうかね。
 
阿部:  町の方々が沢山ここにボランティアに、うちはボランティアとは言わないんですけれども、ごく自然に入っていらしゃるんですね。そういうことをずうっとして参りましたので、障害児が商店を通ると、言葉を商店の人が掛けてくれます。
 
金光:  例えば、どんなんですか。「何とかちゃん」とか、
 
阿部:  「なになにちゃん、今日、どうしたの!元気かい!」こういう。そして、知恵遅れの青年が買い物に行くと、まず最初は商店の方は言葉が分からない。お金の勘定出来ませんから、釣り銭もどう渡していいか分からない。戸惑いました。でも、今は歓迎されまして、温かく迎えて貰えるわけですよ。ですから、そういうことを地域にだんだんと浸透させて、広めていくということが、私どものいう地域福祉ということでして、そういう運動をやはり絶えず発展させるということを願っています。
 
金光:  そうすると、ここは随分立派な建物が出来ていますけれども、その建物の中だけが社会福祉の場ではない。活動も現実にここは確かに起点ではありますけれども、随分拡がっているんですね。
 
阿部:  最初申し上げたように、いろんな方が地域にいます。それを今まで縦割りに分断をして参りました。老人、子供、或いは、障害者というふうに。しかし、地域ではみんな共住をしているわけです。一緒に住んでいるわけです。一緒に住むだけでは不十分で、
 
金光:  全国どこでもみなさん一緒に住んでいるわけです。
 
阿部:  共存をしなければいけないですね。「共存」ということは助け合い、ということですから、それをこの建物の中で実現をしたい。それは地域の縮図のようなものでして、ここに地域の気持が代表されるんだと思います。ですから、ここは私ども地域によって支えられている施設ですから、地域の方々の気持次第でどう変わっていくかということでして、幸いに地域の人達が非常に温かく、ここを守ってくれておりまして、そういう輪が広がっていく。それが地域だと思いますね。
 
金光:  そういう人達の生み出す一つの波動がだんだん伝わるみたいな、そういう印象をお話を伺っているとありますね。
 
阿部:  伝わっているんです。
 
金光:  そうなると、しかし、一人暮らしの人も絶望することもないし、やっぱり自分も来て、その小さな子供にお手玉なら、お手玉の作り方を教えることが出来れば、そこにまた自分の生き甲斐、生きている意味みたいなものも見付けることが出来る。
 
阿部:  だから、沢山の一人暮らしの方がいらっしゃいますけれども、幸いにしてこの街では孤独死がないんです。亡くなっても必ず翌日、誰かが見付けるという、こういうことでして、一週間、一月、分からないということが、まあ此処では起こり得ないだろう、と。昼食と言って、いろいろと弁当を食べるのは食べることが目的でございませんで、人と人の繋がりを作っていくというのが狙いですから、それが拡がっていけば街らしい、地域が出来るだろうと、こう思っています。
 
金光:  今のお話を伺っていますと、現在の日本というのは確かに物質的には豊かになっていることは間違いないと思いますが、文化の衰退という面から見ますと、やはり現実にはそんなに高度な人間が幸せに生きるという文明の理想を満たしているような状況にはかなり遠いと思うんです。これからそういう文化の推移と、本当に満ちた豊かな文化を築く為にはどういうものが必要だとお考えでしょうか。
 
阿部:  長野で冬のオリンピックがありました。フィギュアで金メダリストになった十五歳のお嬢さんがいたんです。アメリカのお嬢さんでタラ・リピンスキー(Lipinski・Tara)というお嬢さんでした。英雄扱いになりました。このお嬢さんが沢山ファンから縫いぐるみを貰うんですね。それを持って病院に行きまして、小児病棟で寝ている子供たちに笑顔を振りまきながら、一つ一つ配って歩いた。取材に一緒に同行した新聞記者とか、テレビのカメラマンの人たちにリピンスキーはこう言ったんです。「これは私のプライベートな行為ですから、取材をしないで下さい」と頼んだ。とうとう一言も報ぜられなかったんです。私はこれが十五歳の少女の取りうる行動かと、驚きを覚えました。私ならば、縫いぐるみを貰って帰って自慢をしますよ。病院の小児病棟へ行くという発想はありませんし、テレビに映してくれれば美談ですから、大いに誇りたい。ところが、リピンスキーはしなかった。聖書に、「他人(ひと)からして欲しいと思うことをその通り他人(ひと)にしなさい」という言葉がありますね。して欲しいと思ったら、それをちゃんとしなさい、と。同時に、「己の欲 せざるところ、人に施すなかれ」という論語の言葉があります。一方は積極的に人のために実践をし、尽くしなさい、と。一方は自分をしっかりと規制をしなさい、と。私はリピンスキーという十五歳の少女にそれを見たんです。ですから、私どもは積極的に人に関わって、人と共に生きる。しかし、厳しい自己規制を、自省をしていかなければならない。この均衡をはかる時に、やはり人生というのは一つの道を作っていくだろうし、それが一つの全体的な社会を形成をしていくだろうと考えております。
 
金光:  どうもありがとうございました。
 
 
     これは、平成十二年二月二十七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。