命をみつめて
 
                               作 家 波多江(はたえ) 伸 子(のぶこ)
1948年(昭和23年)福岡市生まれ。西南学院大学文学部卒業後、九州大学大学院博士課程を単位取得後満期退学。専攻は倫理学。九州大学文学部助手を退職したあとは定職につかず、主婦業のかたわら、非常勤での講義、執筆、ボランティア活動などを行う。死ぬゆく人々や患者仲間との交流を通して、生きることの喜びとせつなさを学ぶ。二度の甲状腺がんと糖尿病の患者暦を生かし、患者の立場での医療倫理や生命倫理を専門にしている。著書に、母の在宅ホスピスの記録「モルヒネはシャーベットで」、自分の甲状腺がんの記録「からだに寄りそう〜がんと暮らす日々」など。
                               ききて 金 光 寿 郎
 
金光:  今日は福岡にお出でになります作家の波多江伸子さんにお出で頂いて、「命をみつめて」というテーマで、いろいろお話をお伺い致します。波多江さんは人間が如何に生きるべきかという倫理学、その中でも医療の場における倫理学、或いは、サナトロジー(死生学:thanatology)と言うんだそうですが、死と生の関係を研究するサナトロジーの研究をなさっていらっしゃる方で、医療の現場の人たちに医療の現場での倫理を教えていらっしゃったり、或いは、ボランティアとして、告知を受けた末期の患者の方たちの病床に付き添って、その人たちの心を和らげるようなお仕事をずうっと続けていらっしゃる方でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 
波多江:  よろしくお願いいたします。
 
金光:  波多江さんご自身もお若い頃、ガンに罹られていることが分かったんだそうですね。
 
波多江:  ええ。そうなんです。
 
金光:  その時のことから話して頂けませんでしょうか。
 
波多江:  私は三十三歳の時に甲状腺ガンというガンを患いまして手術をしました。
 
金光:  それはご自身は全く予想なさっていらっしゃらなかったことでしょう。
 
波多江:  そうですね。予想はしなかったんですけど、なんか子供の頃からガンに対する恐怖心というのは非常に強くて、それで、「自分がいつかガンになるんじゃないか。なるんじゃないか」と、気が気ではないような若い頃時代を送ってきたんですけれども、ほんとにビックリしました、その自分がガンになるというのは。
 
金光:  それだけ考えていらっしゃると、これはいざ、なった時、「ああ、なったんだわ」と、平然と受け止められるかというと、
 
波多江:  全然違います。それはまったく何の役にも立たなかった、というのが実状なんです。ちょうど、私は三十三歳の時に子供を産みまして、その子供がちょっと難産でしたから帝王切開をしたんです。その時、慌てて手術室に運ばれて、麻酔科の先生が喉を触ったら「何かおかしい」と思われた。それで、「出産が終わったら検査するように」ということを言われたんです。それで、私は子供が生まれて一ヶ月目に子供を連れて、一ヶ月検診と一緒に、母親の私も検診を、ということで、甲状腺の検査をしたんです。若いドクターだったんですね。その若いドクターが自分は甲状腺の専門家ではないので分からない。でも、「このハンドブック通りに」と言って、『甲状腺疾患のすべて』という小さな本を見せて下さって、「この上から順番にいきましょう」と。「まず、バセドウ病(Basedow)。「甲状腺機能亢進症」のことですが、これは無事にパスしました。その後は「ガン」。「そんなのある筈ないですよね」と言いながら、赤ん坊を夫に預けて、再び超音波の検査を受けに行ったら、それがあったんです。その若いドクターがモニターテレビを見ながら、「そんなものあるわけないですよね」と言って、はたと手が止まったんですよね。しばらく黙って、それから「ちょっとお待ち下さい」と言って、もっとベテランの先生を呼びに行って、二人で写真を撮って、こっちの方向から、あっちの方向からといろいろやっているんです。心臓がドキドキし始めて。それでその後、「廊下でお待ち下さい」と言われて、廊下で待ったんです。病院は午後でしたから、もう電気も消えているんですね。なんか薄暗い廊下のビニール張りの椅子。どこか破れているような椅子に座って、三十分待っても話し合いが終わらない。四十分経っても終わらない。「いったい何だろう」と待っているときの恐怖心。凄い、喉から心臓が飛び出すようなそんな感じの待ち時間を過ごして、先生がドアを開けて出て来られて、「ちょっとお話がありますから、診察室の方へ」と言われて行ったんです。私はその様子から、「もしかしてガンじゃないか」と思うような気持になってきたんです。それで先生から診察室でお話を伺ったんです。先生が言われるには、「甲状腺のところに腫瘍というか、塊があります」「それがガンであるかどうか分からない。それで詳しく検査してみないといけないので、別の病院に行って下さい」と言われた。で、私はその診断書を貰って、そこに行くことになったんですけど、最後に「先生、やっぱりこれほんとはガンなんでしょう?」と先生に言ったんです。心配でたまらないものですから。先生は、「分かりません」と答えたんです。でも、先生の足元をひょっと見たら、その若い先生がガタガタガタガタと貧乏揺すりをしていらっしゃったんです。その貧乏揺すりを見て、「貧乏揺すりというのは、緊張している時か、退屈している時か、どっちかだ」と思ってね。多分、この先生は非常に緊張されているんじゃないか、と。ということは、「私はガンなんだ!」と。
 
金光:  ご自身で判断なさった。
 
波多江:  ええ。(笑い)若いドクターの貧乏揺すりを見て、なんか閃いてしまったものですから。後は大変。来る時は綺麗な青空の拡がる夏の昼間だったんです。病院は街の真ん中にありましから、車がドンドン通っている。けれども、出て行く時にはもう辺りは真っ白で、何の音もない世界になっている。それで、「自分が激しいショックを受けているんだ」ということに気が付いたです。
 
金光:  やっぱりガンの本なんか読まれて、ある程度知識があればあるほど、自分をそういう症状に当てはめられるというか、悪いことを考えるとか、そういうことになる。
 
波多江:  そうですね。ただ、私はあんまり具体的な話をそれまで見たことも、聞いたこともないから。
 
金光:  ただ、もう真っ白、
 
波多江:  もう真っ白になった感じです。私は、「生死とは何か」とか、抽象的なことをずうっと研究していたんですが、そういった本は全然頭に思い浮かばなかったんですね。それでもっと具体的な、情報的なものが欲しいと思って、図書館がすぐ近くにありますから、図書館に行って調べたんです。「甲状腺ガンに付いて」とか、「甲状腺ガン」とか、何かそういう本を調べてみたんです。私はどちらかというと、物事を悪い方に悪い方に解釈する方の悲観的なタイプですから、一番悪い「甲状腺ガン」というのがあって、当時、甲状腺ガンというのは比較的治りやすいガンで、大体八十パーセント、九十、百パーセント治ったりするんだけど、一つだけ、「未分化ガン」というのはなかなか治らない難しいガンだ、と。それで、私は、「自分は未分化ガンだ」というふうに決めてしまうんです。
 
金光:  それは次の病院にいらっしゃる前にもう調べられた、
 
波多江:  診断をして頂く前なんです。だから、自分で勝手に決めているわけですね。それで図書館で調べて。今、いろんな方と知り合ってお付き合いしているんですけれど、「図書館に行って本を調べる。情報を得るタイプ」と。
 
金光:  集めるタイプですね。
 
波多江:  「全く何事もなかったかのように晩御飯の買い物なんかしてお家に帰る人」と、二通りあるんです。それで、「調べるタイプ」の人はやっぱり自分の方に告知もされたい。「調べないタイプ」というのは、自分の心の中でもうずうっと温める、抱えるというか、そういう方が多いんですね。
 
金光:  それで、「自分は未分化ガンだ」と思われて、病院に行かれたわけですか。
 
波多江:  そうです。
 
金光:  その後、病院でどうなりました。
 
波多江:  いや、病院でも多分問題ありの患者だったと思うんですけれども、CTの検査をして、それから専門のドクターと話をした時に、出てきた甲状腺のX線フイルムを見て、「先生、これはちょっとおかしいんじゃないんですか?」と言ったんです。
 
金光:  ああ、患者が、
 
波多江:  患者でありながら、「これはもしかして未分化ガンじゃないんですか」と言ったんです。先生はこうなんとも言えない表情をして私を見られたんですね。私は、「これはほんとに未分化ガンの気の毒な患者を見る目つきじゃないか」と思ったんです。それで、「先生、やっぱり未分化ガンなんでしょうか?」と言っても、先生は黙って、カルテにスラスラと何か書かれて、「これを持って外科に行って下さい」と言うんですね。
 
金光:  あ、返事は聞けなくて、外科にいらっしゃった。
 
波多江:  ええ。その途中に私はカルテを覗いて見たくなって、曲がり角の所でそっと見たら、「この患者は極めて神経過敏である」と書いてあったんですよ。それで、「あ、私はやっぱり神経過敏だった」と。その時は思いましたね。
 
金光:  それで外科にいらっしゃった、
 
波多江:  ええ。外科で手術をしました。それで先生が手術の前に、「一応、ガンか、そうでないか分からない。手術してみて、時間がかかるようだったらガンである。いろいろリンパ節の郭清とかしなければいけませんし、だけど、三十分で終われば良性のものですよ」というふうにおっしゃったんです。ですから、手術の後、すぐ私は先生に、「どの位時間かかりましたか?」と聞いたんです。「四時間罹りました」とおっしゃったんですね。ということはリンパ節、その手術と一緒に反回神経という神経を切断したんです。反回神経は声を司る、声帯を司る神経ですから、非常に後で声が出にくくなりました。殆ど声が出ない状態が三年間続いたんです。
 
金光:  そんなに。そうですか。
 
波多江:  それで、タクシーに乗っても行き先告げても分からないし、かすれ声なんですね。子供は小さいのに、子供に、「危ないわよ!」とか、そういうことは全然言えません。買い物も全部筆談で、というふうな感じで物凄く辛い思いをしました。今、甲状腺ガンなんかで神経麻痺、反回神経麻痺を起こした患者には直ぐにリハビリを、言語療法士みたいな方がされるんですよ。だけど、私の時代はまだそんなことより、ガンは治りさえすればいいという時代で、
 
金光:  でも、子供はいらっしゃると、ご自分の身体はそういう状況でもやっぱり子供さんの面倒はみなければいけないでしょうし、あんまり余計なことを考える暇がないんじゃないんですか。そういうことございませんか。
 
波多江:  そういうことはなくて、余計なことを考える暇がない人は割と実践的な人で、私はやっぱり「死ぬとは何か」「死ぬ時はどんなんふうに辛いのか」とか、そういうことを思い悩んでいて、ノイローゼ状態というか、鬱状態が非常に長く続きました。
 
金光:  でも、今、そういうふうに「鬱状態が続いた」と言われても、全然信じる気になれないような、
 
波多江:  みんなからそう言われるんですけど、やっぱり十分に鬱状態になって、嘆き悲しんで、そういう心の作業をして、やっとここまで来たのかなあという感じがします。
 
金光:  何かその途中で、「こういうことがあって、私はこうなった」とか、「これがあったから気が晴れた」とか、そういうことはございませんですか。
 
波多江:  そうですね。気が晴れることはないですね、ずうっと。
 
金光:  本なんかお読みになったわけでしょう。
 
波多江:  そうですね。あ、そうですね。そう言えば、一番心に残っていた本というと、もう随分前に亡くなられたんですけど、宗教学者の岸本英夫(きしもとひでお)(一九0三ー一九六四)先生をご存じですよね。あの方の『死をみつめる心』というのが一番心にしっかり・・・。
 
金光:  そうですね。ガンになられて心の動きをずうっといろいろ書いておられますね。
 
波多江:  そうですね。非常に悪性の皮膚ガンになられて、九年間も闘病されたんですけど、その方がアメリカでガンと診断された後に書かれた文章ですね。
 
金光:  その中のどういう、
 
波多江:  「私は幸いガンを除いては健康に恵まれていた」と書かれていたんですね。私は自分がガンの手術をして以来、世の中の人が、ガンを患ったことがある人患ったことがない、健康な人と、二分法で人を見るようになっていたんです。だけども、「ガンというのはやっぱり私の一部の問題である。私の全体が健康であれば、私は仕事も出来るし、生き生きと生きることも出来る」という感じで、これはもうどの本よりも自分の心にピタッと収まりました。
 
金光:  その目で見ると、「いろんなことが自分も出来る」ということを体験されたわけですね。
 
波多江:  そうですね。それと、私の個人のことではなく、「もし私が日本で死ぬとすれば、一体どういう死に方が出来るのか」ということを一生懸命調べた。それが仕事になってきたという感じなんです。
 
金光:  それを調べている間に、「ガンの告知を受けたりした方の悩みを聞かれる」という展開があったわけですか。
 
波多江:  そうですね。三十三歳でガンの手術をしまして、四十歳で母の死を看取ったんです。その七年間というのは、あんまり具体的な現場に立つことはなかったんですね。でも、「本当は死ぬ行く人と直接話したい」。
 
金光:  本なんか読むよりも、
 
波多江:  ええ。「死ぬ行く人から教えを乞いたい」と、ずうっと思っていたんです。ところがその時代というのはあんまりまだ死について語ることが、特に病院なんかではタブーの時代ですね。
 
金光:  日本でも、例のキューブラー・ロス(Kubler-Ross, Elisabeth)先生の『死ぬ瞬間(On death and dying)』が最初に出ましたね。それはその時期に出ていたんですか。
 
波多江:  出ていました。それを読んで、「私も死ぬ行く人から話を聞きたい」と思ったんです。
 
金光:  あれは大変ビックリするような、日本人にとっては、
 
波多江:  そうですね。キューブラー・ロスさんもまだアメリカでは告知が一般的でない時期の人です。『死ぬ瞬間』という本が出たのは。彼女も、「死にかかった人に話を聞かせて下さい」とドクターたちに頼んだら、「いやいや、とても会わせられな い」と言われた。でも、彼女は突撃的に行ったんですね。
 
金光:  それをご覧になって、自分も出来ればそういうふうに、
 
波多江:  そうなんです。それでドクターたちに、「済みません。先生の患者さんで、もしも私に話を聞かせて下さるような方がおありだったら、紹介してくれませんか」というと、みんなに断られてしまったんです。断られる言葉が私にとっては不思議だったんですけど、「私の病院には死にかかった人はおりません」とおっしゃったんです。
 
金光:  治療は全部快復するための治療している、と。
 
波多江:  ええ。「治療している」と。「だから、死にかかった人という形で見たことはない」ということだったんで、私はそんな方たちに出合うことが出来なかったんです。
 
金光:  そうでしょう。お医者さんの方に死は敗北という感じがあると、そうでしょうね。
 
波多江:  そうなんですよ。
 
金光:  それでお母様がガンになられた、
 
波多江:  そうですね。それまでは机上のコンファレンス(conference)というのをやっていて、終末期ケアをしているドクターとか、ナースの方たちと集まって、症例検討する時に、私も参加させて貰う。でも、その患者さんに一度も会ったことがないという、そういう時期を経て、私は初めて出会ったのは母の死だったんですね。これは、「母の死を今までの勉強を集大成にしよう」と。緊張と自負心と、「やるのだ」という感じでいっぱいだったんです。そこが今の出発点に直接的にはなっています。
 
金光:  それまで、机上と言いますか、紙の上で研究なさっていたのと、実際にお母様を看病なさるご体験の中で、やっぱり違いとか、何か新しく、「ああ、こうだったか」というような新しい発見みたいなものはございましたか。大体、予想通りという感じでございましたでしょうか。
 
波多江:  ええ。まあ予想通りというか、勉強したような展開をすることが多かったんですが、やっぱり亡くなっていく人の具体的な表情とか、最後に凄く汗をかくんですけど、その汗の臭いとかですね。
 
金光:  ただ、親子ですから、知らない患者さんと違って、やっぱりいろいろ「どうだ」とか、話し合いというか、心の交流というのは十分出来るわけでしょう。
 
波多江:  そうですね。随分いろいろ話しました。それで、もうみんな一生懸命母の世話を家族みんなでしたんです。母が最後に言ったことは、「みんなにいろいろよくして貰って、自分は幸せだけども、やっぱり死ぬというのは、自分ひとりのことね」と孤独感を表明しましたけれども。母の場合は膵臓ガンだったんです。父が前立腺ガンだったんです。どちらも痛みの強いガン代表で、在宅で痛みのコントロールが出来るかどうか、ちょっと私ども心もとなかったんですが、母が、「どうしても病院では死にたくない」というものですから、家に連れて帰って在宅で看たんです。家にいる間にさまざまな、病院と違って家にいるということは、何かその人のそれまでの個人的な生活をまた続けることが出来るということで、なにか死に方が在宅ですると具体的になるというか、優しくなるというか、その人らしくなる。どうしても病院だと出来ないことがいっぱいありますけど、家ですと、今まで寝起きしてきた寝室で亡くなるわけですし、非常に良かったと思うんです。
 
金光:  お母様だけでなくて、ご両親ともお宅で、
 
波多江:  そうなんです。父は母を最後まで看取ったんです。在宅での死を見ていて、何か心に思うところがあったんでしょうね。ずうっと母の死後七年間生きていましたけど、その間いつも私たちに、「お母ちゃんの最後はとても良かったから、私も家で死にたいなあ」と言っておりましたので、「父の場合も在宅だね」と兄妹で話していたんです。
 
金光:  そうやってご両親の最後までの看取りをなさって、という時期にはもう大分病院関係の事情とか社会の告知というものに対する考え方も変わってきていたんでしょうか。
 
波多江:  そうですね。母の場合はそれこそ文献的なというか、知識でしたけれども、父の場合はそれから七年経っています。医療の現場も変わっています。終末期医療に関しても非常に進んできておりますので、私もそこで場数を踏んで、随分、父の方が母よりもスムーズに展開したんです。
 
金光:  今、「場数を踏んで」とおっしゃいましたけれども、告知を受けているガンの患者さんで、お出会いになった方で、「ああ、こういう生き方があるのか」というふうに感心されたような方はお出でになりませんでしょうか。
 
波多江:  そうですね。私が今まで出会った患者さんはそれぞれその人らしい個性的な、豊かな死に方された方が多いんですけど、まだ亡くなってはいない、一緒にボランティア活動をしている患者さんで、末期ガン七年目という、
 
金光:  ほう、七年ですか。
 
波多江:  そういう小山(おやま)ムツコさんとおっしゃる女性がいるんです。
 
金光:  今、「末期」とおっしゃいましたけれども、七年前にどういう告知を受けられたんですか。
 
波多江:  乳ガンで骨転移をして、腰の骨が折れて、「もうあと半年だ」「余命半年だ」と言われたんです。しかし、その後七年も元気に仕事も十分にしてしていらっしゃる。だから、彼女は冗談に、「末期患者歴七年の末期ガンモニターの小山でございます」とか言っておりますけれども。
 
金光:  そういう方の、「あと六ヶ月」と言われた後の生き方というのは、これは随分参考になるような気がしますけれども、どういうところに感心されましたか。
 
波多江:  私は最初に出会った時に、彼女は車椅子でやって来たんです。髪を綺麗にソバージュヘアにして、栗色に染めて、白と黒のドレスを着て、「なんてエレガントな人だろう」と思ったんですね。彼女は車椅子でやって来て、「あなた、波多江さんですか」と言われて、「そうです」と言ったんです。そうしたら、「あなた、死の問題を研究している人ですね」と言うから、「はい。そうです」と返事をしました。「実は、私は余命六ヶ月と言われた末期ガン患者です。どういうふうな最後にしようかと、今考えているところなので、何かいい情報はありませんか」と彼女は言ったわけです。だから、情報以外のことはキチッとなにか収まっている感じがして、それで、「私の知っていることはすべてお教えしますから」と、
 
金光:  その情報というのは、死に方ということですか、生き方ということですか。
 
波多江:  彼女はやっぱりあと半年ということだったので、死に方を考えたんだと思います。「最後の過ごす場所はどこがいいのか」「ホスピスや痛み止めの上手なドクターはどなたか」とか、
 
金光:  ああ、成る程。そういう具体的なことなんですね。
 
波多江:  はい。そうです。それでそういう話をして、麻酔科のドクターを紹介しました。「あなたは最後までどうも仕事をされた方がいいような感じなので、麻酔科のドクターを紹介しますから、相談しながらご自宅で過ごされたらどうですか」というようなアドバイスをしたんです。その後、彼女は半年経っても元気なんです。「そろそろ半年経ちましたが」という感じです。免許更新みたいな感じで、更新しながら、半年半年ずうっと来て、もう十四回更新したみたいな感じなんです。ドクターたちに言わせると、「非常によくない状態なのに、こうやって元気にしている」ということで、末期ガン患者の希望の星みたいな人なんです。
 
金光:  そういう生き方が出来る方はガンになって、「私、ダメだ」という考え方ではなくて、「まだこれが出来る」「こういう情況だからこれが出来る」と、することを次々に見付けていかれるという姿勢があるんでしょうね。
 
波多江:  そうですね。小山さんという方によれば、「末期ガンというのは、例えば、水戸黄門の葵(あおい)のご紋が入ったご印籠みたいなもの」と言われるんです。
 
金光:  「これが目に入らぬか」ということですね。
 
波多江:  「末期ガンが目に入らぬか」という感じですね。それで誰でも、「ハッハアッ」と一応は注目してくれる、と。例えば、家族なんかには、「私は心おきなくあの世に行きたいんだけど」と言えば、大抵のことを許してくれるということです。彼女は、「海外旅行にちょっと行って見たい」ということで、腰から下は動かないですから、車椅子で、「末期ガン患者が海外旅行出来るか」というテーマで、海外旅行をしたんです。彼女の場合は、テーマをいろいろ自分で作るんですね。「末期ガン患者に似合うおしゃれ」「抗ガン剤で髪が無くなった人のための帽子」「末期ガンでも美味しく食べられる食べ物」とか、というテーマをいつも次々にみつけ出すことが出来る。
 
金光:  じゃ、そういう情況の中で、「自分にも今ならこれが出来るから、これをやってみて、これができますよ」ということをまた教えてあげる。閉じ籠もるんじゃなくて、随分、世の中に繋がりがかえって増えるわけですね。
 
波多江:  そうですね。「自分のためだけではない」というところが凄いなあといつも思いますね。
 
金光:  そうやっていると、最初の頃、波多江さんは、「私はまず、悪い方向を見る、というふうな見方をする癖がある」とおっしゃっていましたけども、今の小山さんのお話を伺っていると、悪い方じゃなくて、良い方良い方へ、
 
波多江:  だから、「快適な、自分らしい、個性的な、明るい」というのが、彼女のやり方で、私はやっぱり気が沈んだり、イライラする。怒りっぽくなったり、問題を過大に見てしまったりする。二人でボランティアの活動をやっていると非常にうまくいく。それぞれ資質の違う人間で、死に対する見方も違うんですけれども。
 
金光:  そういうお二人がご一緒になって、お話し合いなさっていると、「二人だけでは勿体ないから、もっといろんな人たちに、こういう情報を知って貰おう」というような活動が拡がるわけですね。
 
波多江:  そうです。私どもは、「ファイナルステージを考える会」という市民団体をやっております。末期ガンの患者さんを中心に、その家族であるとか、一度ガンの経験をした人であるとか、いろいんな方が一緒に市民活動をしているんです。末期ガンになっても、心地よく過ごすためのさまざまな職種の人、勿論、医者関係だけではなくて、色彩コーディネーターとか、女性が多いものですから、末期になっても綺麗でいたい。そうすると、顔色が土気色になっても似合う服とかをみつけてくれる・・・。あるいはジャーナリストであるとか・・・。
 
金光:  私も前にそういうグループの人たちの話を伺ったことがあるんですが、告知を受けた方がかえって明るく充実した生き方をなさっている方が結構いらっしゃるようですね。
 
波多江:  そうですね。充実される方もいるし、落ち込んでしまう方もいるんですけれども。充実される方は多分あと少ししか残りの人生がないということが分かると、自分が今までしたかったこと、やりたかったことの優先順位がバアッとついて、それこそ歌の番組なんかで今週のベストテンというのがありますけれども、上からバラバラバラと変わって、今までやり残した自分というのが出てくるんですよね。そうすると、非常に充実した感じを持たれますし、残りが少ないということが分かると、周りが輝いて見えるという方が非常に多いですね。
 
金光:  ああ、成る程。そういう場合は告知をハッキリされている方の場合は、今、おっしゃったようなことだろうと思うんですが、案外、まだ日本の病院では告知はしない方がいいだろうと思われるお医者さんもいらっしゃるようですし、家族には知らせても本人には知らせない、告知をされない患者さんもいらっしゃると思うんです。その辺は告知をされた方と、されない方の末期の情況というのは大分違うものですか。
 
波多江:  そうですね。やっぱり「告知するのも大変」「されるのも大変」「されないのも大変」。だから、どっちの大変さを選ぶかというようなことなんですけれども、告知をされなかった場合は、やっぱり疑いの恐ろしさというのがありますね。もしかして、「ガンだろうか?違うんじゃないだろうか?」と、先生の表情を伺ったり、やっぱり周りの反応、表情に非常に敏感になりますね。そして、イライラする。分からないものですから。イライラして当たり散らすとか、そういう苦しみがあるでしょう。だけど、告知された場合はやっぱり死に対する恐怖心とか、不安な感じ、特に苦痛に対する不安ですね。末期の最後の断末魔の苦しみって、どんなんだろうとか、想像することありますね。
 
金光:  ご自身そういうガンだと分かった時にいろいろ悩まれたというご体験がありますと、やっぱりそういう方たちに対する気持の察し方なんていうのは、そうでない人とでは全然違いますでしょうね。
 
波多江:  いや、どうなんでしょう。自分の死が近いということを知っていらっしゃる末期の患者さんと、それから私は治って、こういう仕事をしているというのでは全く同じではないですね。だから、「私もガンの手術をしましたから、経験あるんですよ」というようなことは言わないようにしています。
 
金光:  そうですか。かえってそれを言うと、
 
波多江:  「あなたはもう治って元気だからいいよね」という感じは、距離を作るということになるので。
 
金光:  随分、いろんな方にそういうところでお会いになっていらっしゃるようですが、いろいろなタイプの方がいらっしゃるでしょうね。
 
波多江:  そうですね。ほんとにいろんなタイプ、例えば、女性と男性とでも違うんです。乳ガンの手術を受けられた方たちにアンケートの調査をしたことがあるんですね。「乳ガンと言われて、最初にしたことはなんですか」と。私の場合だったら、多分、図書館に走って行って、或いは、インターネットでなんか検索したりすると思うんです。でも、多くの女の人は、「お家に帰って押し入れを片付けた」というんですね。「押入の中に冬物をまだ洗っていないのが突っ込んであったら、これはいけない。恥ずかしいことだ」と思って。だけど、乳ガンというのはそんなにすぐ亡くなるような病気じゃないんです。経過が長いですから、「その後何度も片付け直しました」という方が多いんです。それから、女性は自己表現というか、悲しみ苦しみの表現を上手に出来るのは女性の方が多いんです。男性の場合、「立派に、男らしく死ななければ」というような気持がおありの方は大変ですね。本を一所懸命読まれて、
 
金光:  そうすると、女性の方だと、聞いた途端に、「ああ、死ぬか」と思うと、もう泣けて泣けて、それで涙で何日か、二、三日泣いてしまうと、涙が涸れると立ち上がることが出来る。それをぐうっと男の方は我慢なんかしていると、モヤモヤがいつまでも続くわけでしょうね。
 
波多江:  だから、男性の中にはやっぱりガンだけではなく、そうやってモヤモヤを溜め込んでいるものですから、ストレス性の胃潰瘍であるとか、そういうものになってしまう方が多くいらっしゃるらしいですね。
 
金光:  やっぱりそういう時には発散した方がいいんですね。
 
波多江:  そうらしいですね。
 
金光:  見栄を張らないで、悲しい時には悲しいと、
 
波多江:  「悲しい」と言って欲しいんですけども、なかなか大変ですね。
 
金光:  それはやっぱり今までの生き方がそのまま続くということになるんでしょうね。
 
波多江:  そうですね。死ぬことというのは、例えば、これまで自分が大きな問題にぶつかって、挫折の体験とか、その時にどういうふうに自分が構え方でその問題に対処したか、ということと非常に大きな関連がある。
 
金光:  それはそうでしょうね。ある計画を立てて進んできたのが、計画が全部崩れた。そこでどう立ち直るかというのと、ガンで、「もうあと何ヶ月」なんて言われると、その計画は全部ダメになるわけですから、やっぱり心理的には似たような、
 
波多江:  そうです。非常に似ています。だから、多分、私ももう一度、「ガン」と言われれば、前と同じ反応をまず取り敢えずはすると思うんですね。その先はちょっと分からないんですけどね。
 
金光:  でも、それはそれでいいと思っていらっしゃるわけですね。
 
波多江:  そうですね。「もうあるがままで、しかも一番ましな自分であれば」というぐらいで、私自身はおります。
 
金光:  ポックリ死にたいとふうに希望する方もいらっしゃるけれども、ガンの場合は、「むしろあと何ヶ月と、その間、時間があるからポックリ死ぬよりも、いろんなことが出来てかえっていい」というふうな考え方も、
 
波多江:  そういう方は多いですよ。小山さんはガンで死ぬとして、いまの五十四歳とか、五十六歳とか、そういう年齢で死ぬと、「高齢になって、病気になったりとか、寝たきりになったりとか、心配は私はしないでいいよね」とか、それこそいま死ぬことの良さを見付けることが出来るんですけども、
 
金光:  そうですね。人間誰しもそういう病気になるかどうか分からないけれども、これまでのご経験の中で告知されて、「あと何ヶ月」とか言われた人の死、心の移り変わりですね、キューブラー・ロスさんの『死ぬ瞬間』というのは、いろいろ五段階に分かれて書かれていますけれども、なんかその辺の患者さんの心理で参考になるようなことがございませんでしょうか。
 
波多江:  はい。私の友人で三年位前に四十五歳で亡くなった人がいるんです。彼女は全部ドクターから自分の病状について聞いていたんです。乳ガンが子宮にも転移をして、それで腹水が溜まっていて、そういう状態になっても、全部、ドクターはこの人なら大丈夫ということで告知、インフォームド・コンセント(Informed Consent:充分に説明された上での同意)というんですが、それをしていたわけですね。それで私は彼女にずうっと相談相手として付き添っていて、いよいよ悪くなって、大晦日に紅白歌合戦を見ている時に倒れて病院に運ばれたんですね。そして、脳出血を起こしたんです。やっぱりガンでですね。その時始めてドクターは御連れ合いの方に言ったんです。「あと二週間でしょう」と。それを聞いたお連れ合いの方は彼女のところに行って、「いま、先生から言われたんだけど、あと二週間だそうですよ」と言ったら、彼女はもう黄色くなって、黄疸が出ていて、髪も抗ガン剤で抜け落ちていましたけども、ジッと窓の外を見ながら、「そう・・、そう・・、分かったわ」と言ったそうなんですね。その後、私が彼女から電話を貰って、「ちょっと来て」と言うものですから、行ったら、「一月二十日、空いている?」と言うんです。「ウン、空いているけど、どうしたの?」とこう手帳を見ながら言うと、「いや、それは私が死ぬ日なの」と言ったんですよね。「だから、あなたに頼みたいのは私の一周忌に本をみなさんに作って出して欲しいの」と。「遺稿集を」ということで、私は慌てて、「じゃ、出版社はどこにするの」「どうするの」と、その場で聞いて、一周忌に勿論その本が出たんですけども。彼女は二週間と聞いておきながら、そうして、私に死後のことまで頼んでおきながら、「来月とか」「桜の花が咲いたら」なんて言うんですよ。だから、人の気持というのは、告知をされても、なんか実感がないんですね。頭では納得するけれども、生命の細胞の一つ一つが未来を見ている。それはこの頃非常に強く感じます。ですから、末期の患者さんに、「何言っているの。あなた、今、あと二週間と言ったでしょう」みたいな雰囲気では絶対に対処しない方がいいと思います。
 
金光:  いや、それで先程、「今度、もしも自分がガンになったり、また同じ様なことになるでしょう。そっから先は分からない」とおっしゃいましたけど、私たちが、相手の方が病院に入院している方が、「ガンだ」ということを告知を受けて知っている人に対して、どういうふうに言いばいいのか、何を言っていいのか。こういう話をしても、ちょっと違うし、と思ったりするんですが、長い間のご経験で、そういう方にどういうふうな姿勢で向かい合えばよろしいんでしょうか。
 
波多江:  何も言わないのが一番なんですよ。
 
金光:  黙っている側にいる、
 
波多江:  「黙っていること」というのは、物凄く辛いんですね。何か言ってしまいますよね。だけど、何も言わない。何も言わないだけではちょっと間が持たないので、そのためにマッサージとか、さすったりとか、髪を梳かしてあげたりとか、何か体に気持いいことを一緒にすると気持が伝わっていく。
 
金光:  前からお知り合いの方の場合もあるでしょうし、それから時には初対面の方のところへいらっしゃる場合もあるわけですか。
 
波多江:  そうですね。ただ、初対面の場合は、私は楽をさせて貰っているのは、向こうからお声がかかるんですね。
 
金光:  成る程。そういう活動をなさっているということを分かっていますからね。
 
波多江:  だから、話がちゃんと向こうから切り出されるんですよ。
 
金光:  そういう場合にそれこそいろんな方がいらっしゃるでしょうけど、「波多江先生に来て頂きたい」ということで呼び掛けられた方は、例えば、どういうことを話そうとなさる。来て頂いて何を言おうと、
 
波多江:  やっぱり「死ぬことについて話したい。自分の死について話したい」という。ご家族とかはやっぱり話しにくい。「この話をすると相手が非常に悲しい思いをするだろう」という配慮もありまして、「お葬式はこんなにしたい」とか、必ずしもこんなに実際的な話ではないんですね。死に対するイメージを語りたい、と。「苦しむんでしょうか」とかね。
 
金光:  そういう時、一々、「でも、死んでどうなるんですか」なんて言われても困りますでしょう。
 
波多江:  困りますね。だから、私は「分からない」と。
 
金光:  あ、そうですか。それでいいんですか。「いいんですか」というのはおかしいですけども、
 
波多江:  亡くなっていく人のところに行って、「死んだらこうなりますよ」って言わなければいけないみたいに思ってしまいますね。
 
金光:  意外に思いがちですけども、それは、
 
波多江:  それは「分からない」。
 
金光:  ウソになりますね。
 
波多江:  「同じ、いずれ自分もそうなるであろう」という後輩の立場ですからね。そうすると安心される。「そうでしょうね」と言ったら安心される。だって、みんなに励まされ続けて、「頑張るのよ」「まだ生きるのよ」と、
 
金光:  そうですね。大体、「しっかり」とか言わざるを得ないような気分になりますからね。それはあんまりおっしゃらない。
 
波多江:  言えませんね。ただ、何か本人が「頑張らなきゃ」というふうにおっしゃったら、「そうですね。頑張らなきゃね」というわけですね。
 
金光:  でも、そうやって、「失礼ながら、私も分かりません」というような、お相手をなさっていらっしゃって、向こうの方はそれで安心なさるんですか。
 
波多江:  そうですね。「共に見る」と言うか、「何もしないけども側にいる」「逃げないでその時間を一緒に過ごす」ということで、やっぱりどうしても死ぬ人というのは、孤独な気持が強い。自分だけはスウッと遠のいてしまった。そんな感じされるみたいですね。
 
金光:  誰しも自分はいつかは死ぬと思っているんですけども、いざ、「何日」とか言われたら、途端に我が身のことになったら違ってくると思うんです。日頃から、あの世のことなんかを話していらっしゃる、そういう仕事になさっている偉い聖職の方はすんなりいくんですか。
 
波多江:  いやいや、一番最後が大変なのは聖職者の方ですね。私が知っている、あるお坊さんなんですが、大変立派なお寺にいらっして、檀家の方もたくさんいらっしゃるんです。その方がガンの末期になられて、「実はとても神経質な人ですから」と奥さんが言われるんです。「もう告知したんですけども、ほんとに大変なんです」と言われる。その方はちょっとシャワーが熱いともう「火傷する」という。「注射はダメだ」「痛い」とか言って凄く大騒動する。臆病な方なんですね。だけども、檀家の方が見えると、突然シャキッとされて、「私はもう覚悟をしておりますので、みなさん、後よろしくお願い致します」というような立派な態度だ、と。それで看護婦さんが、「私どもはいったいどちらが本当のその人として対応すればいいと思われますか」と聞かれるんです。私は、「それはどちらも本当のその人じゃないですか」と言って、本当に聖職者に限らず、先生であるといった場合は、あるべき姿というのはいつも頭にありますから、「あれに到達しなければいけない」という気持と、当然身体の細胞の一つ一つが「厭だ」と。幾ら自分では覚悟した積もりでも、「厭だ、厭だ」と言っている。その矛盾した状態が死を迎える人の心だと思うんですね。
 
金光:  そうですね。脳細胞だけが細胞じゃございませんので、全身に細胞がありますからね。
 
波多江:  でも、みんな一緒に私という存在が最後を迎えることについて、あんまり気構えしないで、きつい大変な心構えなしに、覚悟も一回すれば済むというものではなくて、何回も何回もやった方がいいように思うんです。
 
金光:  そうしますと、例えば、先程、女性の方だと、「まずどっか片づけて」とか、なんか日常生活の中であんまり心残りがないような始末をして、
 
波多江:  そうですね。でも、心残りというのは、押入片づけてもまた散らかるわけですから、やっぱり心残りがあるというのが当然で、なんかやりかけている途中で呼ばれて、「波多江さん順番ですよ」という感じで、「はい」とか言って、幾ら編み物があと一目盛、という時でも置いていかなければいけない。子供がちっちゃいと言っても、置いて行かなければいけない。呼ばれたら行かなければいけないというふうに、
 
金光:  ああ、そうか。自分も呼ばれたらいつでも行かなければいけない、という覚悟というか、そういうことをある程度考えておくということは大事なことですね。
 
波多江:  そうですね。だから、「一瞬一瞬がある意味で別れる時である」というふうにすると、それがグウッと裏返って、「光が輝いている世界になる」とか、なんかそういう感じだという気がします。
 
金光:  さっきの話の次いでで、そういう見舞いに行ったりした時に、何を持って行ったらいいのですか。
 
波多江:  一番今までしたお見舞いで喜ばれたのは手紙ですね。直接行かないで、メッセージのカードとか、手紙を書きます。そうすると、いつでも具合のいい時に、それを何度も読み返すことが出来るんです。お見舞いだと末期の患者さんというのはほんとにいろいろ気分、気持が良かったり、悪かったり、波が多いんですね。来られると困ったりするんです。手紙が一番ですね。
 
金光:  なんか自分の気持を書いたものをお渡しして置く、
 
波多江:  ほんとにさり気ないことでも、絵手紙でもいいです。それが一番喜ばれる。持って行くとすれば、私は新米の時期に小さなおにぎりを作って、ちょっと塩味をきつめで、キラキラ光るお米の一つ一つが立ったような、それを持って行くんです。小さい一口サイズで、海苔だとか、黄粉にお砂糖をまぶしたようなのをつけると、「子供の頃食べていました」みたいな感じで喜ばれることがあります。でも、末期の人が最後に食べたい物というのは氷なんですね。
 
金光:  氷の塊、
 
波多江:  ええ。最後の晩餐とか、いろいろ皆さんおっしゃっていますけれども、やっぱり最後は氷の塊というか、氷のかけらなんです。冷蔵庫にあるような、ああいう固い塊、丸いゴロッとしたんじゃなくて、かち割り氷。昔ありましたね。端っこの方が薄くて中が厚くなっていて、ちょうど口に入れるとスウッと薄いところが雪のように溶けるんですね。あの微妙な感じがいいんだそうですね。ですから、私は「氷割って」と言われますね。
 
金光:  ああ、成る程。でも、そういう形でいろんな体験をなさっていらっしゃるわけですが、先程は日頃宗教云々というような方でも、なかなかそうはいかないということですけれども、それともう一つ別に現代の日本だと一般の生活の中では死ぬ人がいる場所というのは、大体もうこの人が危ないとなると、病院に入って貰って、病院で、ということになると思います。死ということについて考えるチャンスが殆どないじゃないかと思うんです。ご自分がそういうふうな末期の方に付き添っていらっしゃったりする。その中で死というものをいつも考えざるを得ない情況に置かれているわけですが、そういう情況にいらっしゃる方の目から見て、もうちょっと今の日本の人たちが死ということを考えたらどうかなあ、という点で、もうちょっと、というようなことはございませんですか。
 
波多江:  そうですね。一つは家で死ぬこと。つまり在宅ホスピスですね。それはもう少しこれからいろいろの所で展開されていくべき運動だと思うんです。その一つの理由として子供たちが家で、祖父母が亡くなるのを見る機会があることは非常に大事なことで、死の準備教育とか、学習とか言われていますけれども、これはとても大事なことです。子供たちがいま死んでいく、命あるものが死んでいく、そのプロセスを見ることが出来ませんし、
 
金光:  現実に昨日までいろいろ話をしていた、血の通っていた人がこうなるんだという、見るのと見ていないとでは、随分違うらしいですね。
 
波多江:  そうですね。だから、子供たちがやたら恐怖心を持ったり、やたら死に対して安易な感じ方をしたりするのも、やっぱり丁寧に死にゆくプロセスと付き合っていない、というふうなことじゃないかと思うんですね。
 
金光:  これまでそういう体験をしていても、やっぱりいろいろ死について勉強していることと、現実の直面した場合は随分違うことですけれども、そういう中で「ゆとりのある死に方」と言いますか、「ゆとりのある生き方とユーモアを感じる」というか、そういう死について一種の距離の置き方みたいなものがあるんですか。
 
波多江:  そうですね。そういう距離をおける人というのは、これが一番死に方としては楽でもあります。周りの人も、そんなに本人も恐いという直接的な感情を持たないで済みますね。さっきからお話出ていますけど、小山ムツコさんという方はほんとにゆとりの人なんですね。彼女は献体(けんたい)というのを知っていまして、献体というのは医学部の学生さんとか、歯学部の学生さんが勉強のために解剖学習をするんですけど、「その為の体を提供致します」ということで、彼女は献体の申し出をしている、と。献体すると、一年位死体の養生というのをするんです。身体に防腐剤を入れて置いておく。その置いておく場所で、「慰霊祭をやるんで、一緒に行こう」と言って、二人で行ったことがあるんです。それで、彼女がいうには、「解剖実習に自分の身体を提供することはやぶさかではないんだけど、今時の学生はあんまり勉強しないという話だから、私は身体に入れ墨で、しっかり勉強するようにというふうな入れ墨を入れておこう」なんて言われる。いつもそういう感じでものを言うんです。やっぱり自分のことだけ一生懸命になっているとユーモアのセンスというのが、どうしても無くなるようですね。もう一つ別の話なんですけども、末期の患者さんが、「最後まで排泄を自分でしたい」と。オシッコ、ウンチを、「自分でしたい」と言われる。それをとっても大事にして欲しい、と思うんですね。
 
金光:  波多江さんは前に教えられた看護婦さんですか、若い人に、「紙オムツを自分でしてご覧なさい」ということでレポートを書かせたそうですね。
 
波多江:  そうなんです。「紙オムツ」もそうなんですが、「布オムツとどっちが快適であるか」というのもあるんです。要するに、「患者さんにオムツをあてるのであれば、自分もやるべきだ」と思って、試験のレポートのテーマにするんです。若い二十歳位の女の子たちですから、「何で私がそんなことしなければいけないんですか」と言うんですけど、最後ははまってしまって、細かく紙オムツした時の気持とか、それから、私が、「オシッコだけではなく、ウンチをしたら三十点プラスします」と言ったら、本当に、そういうこともしたんですね。
 
金光:  それは、自分が体験している人と、していない人では後の患者さんに対する態度とか、或いは、問い掛けなんかも全然違ってくるでしょうね。
 
波多江:  そうですね。「排泄を自分でしたい」というのは、やっぱり「生きる欲、生きる喜び」を支えているんで、これを「お任せします」「オムツにします」という時には、もう諦めた時じゃないか、と。だから、それくらい大切なものだ、と思うんです。
 
金光:  「たかが」じゃないですね。
 
波多江:  そうです。
 
金光:  「たかが排泄」じゃないんですね。やっぱり「人間の最後の尊厳」と言いますか、
 
波多江:  そうだと思いますね。
 
金光:  それに直結しているわけですね。
 
波多江:  はい。「人格の尊厳」というか、「深いところの誇り」というか、それに直結しているので、やっぱり医療関係の方はそのことを心して頂きたいなあ、と思うんです。
 
金光:  そういうふうな患者さんが「どう感じるか」ということを、排泄だけじゃなくて、いろんなところで、相手の方の立場になられると、告知にしても非常にスムーズにいくんでしょうね。
 
波多江:  そういう想像力豊かな医療者、それから私どもも死に行く人の気持を配慮出来るような、そういう学習勉強をしたいなあと思うんです。
 
金光:  「死に方と生き方」というのは、これは別々なものですか。
 
波多江:  いえいえ。それは「死に方は生き方」で、逆に、「生き方は死に方だ」と思います。
 
金光:  そうすると、死ということについて考えると、またそれが生き方にも反映してくるということにもなるわけですね。
 
波多江:  そうですね。「生きてきたように死ぬ」と言われますけれども、やっぱり私どもが考えてきた「死生観、人生観が結局私どもの死に方生き方になる」と思うんですね。
 
金光:  そういう意味ではもっともっと日頃から、「死ということは縁起でもないから言葉に出してはいかん」というような雰囲気がなきにしもあらずですけれども、そうじゃなくて、生き方と死に方が直結しているところで、もうちょっと考えた方がいい時代かも知れませんですね。どうも有り難うございました。
 
波多江:  有り難うございました。
 
 
     これは、平成十二年四月九日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。