おのれを無にして知る美しさ
 
                             日本画家 小 泉  淳 作(じゅんさく)
1924年 神奈川県出身。1943年 慶應義塾大学中退、東京美術学校(現東京芸大)日本画科入学。1952年 東京美術学校卒業、山本丘人に師事。1977年 第4回山種美術館賞展優秀賞。
                             ききて  加賀美 幸 子
                                  (アナウンサー)
 
ナレーター:  五月初め、一枚の巨大な龍の絵が完成しました。神奈川県鎌倉市にある建長寺の法堂(はっとう)と呼ばれる建物の天井画として描かれたものです。奉納に先立ち、制作を支援した東京の企業の玄関ホールで、特別公開が行われました。縦十メートル、横十二メートルにも及ぶ水墨画の大作「雲龍図」。制作したのは日本画家小泉淳作さんです。
この絵が納められる法堂は、住職が説法をする場所で禅寺では最も重要な建物です。その天井は龍が描かれ修行僧たちに法の雨を降らせるとされています。建長寺の法堂は現在修復中で、三年後の平成十五年に、この「雲龍図」が天井を飾ることになります。作者、小泉さんもこの特別公開に立ち会いました。
 

 
小泉:  こういうふうに、「一回見たい、見たい」と思っておったんで良かった。
大体、小下図(こしたず)で検討つけているから、小下図とそんなに離れていないですね、こうして見ると。
 

 
ナレーター:  日本画家、小泉淳作さん、七十五歳。五十代半ばから本格的に水墨画を描き始め、独自の世界を切り開いてきました。
山の姿は小泉さんが倦むことなく、描き続けてきた題材です。山の雄大な景観を前にして、小泉さんの胸には、「自然が創り出した見事な造形への畏敬にも似た思いが沸き上がる」と言います。「中国の唐や宋の時代の優れた水墨画のように、この自然の神秘を画面に写し取りたい」と、小泉さんは念じ続けてきました。野菜や果物など、ごく身近な題材も小泉さんは好んで描いています。どこにでもあるありふれたもの。しかし、深く静かに見つめると、これまで見たこともない不思議な世界が広がってくる。こうしてただならぬ気配を漂わせ始めた一個の蕪(かぶ)は、小泉さんにとって、山にも劣らぬ巨大な存在となるのです。対象を厳しく見つめて制作を続けてきた小泉さん、空想の動物「龍」を描くのも今回が初めてでした。小泉さんのアトリエは鎌倉の郊外にあります。巨大な龍の絵を、小泉さんはどのような思いで描いたのか。そして、半世紀に亘る画家としての人生を、どのような信念で生きてこられたのか。そのアトリエで伺うことにしました。
 

 
加賀美:  建長寺さんの法堂の龍を完成なさいましたけれども、もう二年近くかかったそうですが。
 
小泉:  そう。本描きに始めてから、二年位です。その前に「小下図(こしたず)」と言って、小さい下図を描いています。それは大体丸三ヶ月。此処の部屋で描いたんです。此処で描ける範囲で、もう一番大きくして描いたのが三ヶ月です。ですから、建長寺で本当に描いたのは二年位ですけどね。二年半位かかったんです、実際にね。だけど、あそこは大広間を使って描いたものだから、毎日描くというわけにいかないんです。大広間は建長寺でいろんなイベントがありまして、座禅会をやったり、一週間に精々二日位しか使えない。二日位行って、また、休んで、というふうに、やっていましたから、本当に作業した日は百十日位ですかね。
 
加賀美:  そうですか。建長寺さんの天井というか、法堂は十二メートルと、十メートルという、大変な画面ですけど、最初、お話があった時に、すぐ絵にかかることが出来たんですか。
 
小泉:  そうね。大きいということだけがまあ検討がつかないことですね。家で小下図なんか描く程度のものは実際に描いていましたから。だから、その面積から、更に四倍半位大きくなるということだけですね。大きさが考えられない程、大きいということで、後は描こうとするのは、龍一匹ですからね。
 
加賀美:  でも、龍というのはもともと架空の動物ですし、でも、古くから人間の心の中には、ずうっと存在し続けていた動物ですけれども、小泉さんは確かに、「対象を深く捉えて、見つめて」ということをずうっと大事になさっていますけれど、龍を描くということで、「どこを見つめられて描こう」となさったんでしょうか。
 
小泉:  「龍をとらえて」というのは、龍というのはもともと何万年も前からあるらしくて、世界中でそういう想像があるんですね。ヨーロッパなんかでも龍の非常にプリミティブ(primitive)な姿で、龍というものがありましたけどね。それが本当に、「龍というものの姿をああいう形に仕上げた」というのは中国です。中国の北宋、南宋の頃に、初めてああいう素敵な龍というのが出来上がってきたわけです。どうしても、僕らが龍を描こうというと、そういうものを参考にして描くより仕方がない。だから、自分の創意というものが、そんなに働く余地がないんですね。あんまり、「自分のものを描こう、描こう」なんて思っていると、なんかおかしなものになってしまうんですよ。それをちょっと大袈裟にいうと、「自分を無にして、それで客観的に龍というもののもっている性能というか、機能というか、そういうものを考えながら、それを出来るだけ表現するように描こう」というふうに考えて描いたわけです。
 
加賀美:  「客観的に」とおっしゃいましたけれども、それはかつて描かれた龍とか、いろんなものを研究なさったり、調べたりなさったんですか。
 
小泉:  そうですね。人が見て、「なんだこれ、龍じゃないじゃないか」と言われたくないので、そういう意味で、「普遍的な龍」というものを、それは古い資料を調べるよりしようがないんですね。
 
加賀美:  例えば、どんなものを調べられたんでしょうか。
 
小泉:  大体、中国の南宋頃に、陳容(ちんよう)という絵描きが居て、この人の龍が天才的に上手かったんですね。この人の龍がボストン美術館とか、日本にも伝わってきているんです。沢山あるんです。「沢山」と言っても、大したことないけども、まあ比較的多い。それがもうなんか見てきたように生き生きと龍の姿が描かれている。それで日本でも昔から龍を描いた絵描きさんというのは、殆どこの「陳容(ちんよう)を参考にした」と言われているんですね。陳容(ちんよう)を参考にしないで描いている龍なんていうのは、もっとダメですね。
 
加賀美:  ああ、そうですか。
 
小泉:  で、朝鮮なんかに残っている古い龍の絵なんかも、非常に陳容(ちんよう)に近いものを描いています。だから、そこから出られないんですよ、僕らは。
 
加賀美:  でも、小泉さんの龍を拝見しておりますと、目つきとか、顔付きはなんか人間っぽいですね。
 
小泉:  「僕に似ている」なんて言われますけどね。どうしても、自分の顔に似せるのかも知れないけどね。
 
加賀美:  なんか厳しいお顔なんですけど、優しいんですね。
 
小泉:  そうそう。だから、やっぱり何でもそうじゃないでしょうか。例えば、昔から人間でも、「立派な人というのは凄く厳しいけれども、また、優しいという、相反するものをいっぱい持っている人が人間として大きいんじゃないか」と思うんですね。だから、龍というのはそういうふうでなければいけない。つまり、「悪いものは何をも懲らしめる。その代わり弱いものには優しく包んでいく」というような二つのものを同時に持つということが、まあ龍に限らず、人間が理想として考えている生き物なんですよね。
 
加賀美:  大変大きな生き物なんですね。大きな力を持っている。
 
小泉:  そうそう。大きいし、まあ、人間が想像していることですから、何千年か、或いは、何万年か、何億年か、かかって、あれだけのものが育ってきた、というような考え方ですからね。一年や二年で育つ鯉とか、蛇だとか、そういうものとは違う筈なんです。だから、髭(ひげ)一つでも、これ髭じゃなくてトゲなんだ。それで、鱗(うろこ)も鱗じゃなくて、鎧みたいなものでなければいけないんじゃないかなあと思うわけです。それで、非常にそういう感じを持たせるように描きました。
 
加賀美:  じゃ、鱗は一つ一つが鎧なような、
 
小泉:  そうですね。龍というものは今、我々が想像しているいろんなあらゆる機能を備えている動物でしょう。動物だけれども、それはある意味でいうと、「神」なんです。「龍神(りゅうじん)」ともいうでしょう。「そういう気持で崇(あが)めて描かないと、なかなかいいものが出来ないんじゃないか」と思うんです。
 
加賀美:  それは先生はいろんなものに対して、龍だけじゃなくて、周りの自然とか、山とか、ものとか、それに対してもやっぱり同じようなお気持ちで、
 
小泉:  それは、「自分が大自然というものに対して、非常に限られた中で生きているんで、大自然の悠久なものに、自分が絵を描くことによって同化して、それで大自然の一部になりたい」という気持で絵を描くのが、古来の東洋のものの考え方なんです。西洋はそうでなくて、西洋の芸術の考え方というのは、「人間が描くんである」と。「人間の個性」を一番大事にしなければいけない。ですから、例えば、中川一(かず)政(まさ)さんが考えているのは、山を描こうとしている時に、「山と自分が同等」なんです。それで自分がこの山をどういうふうに見て描いているか。つまり、「自分がねじ伏せてやろう」という考え方が西洋の考え方ですね。
 
加賀美:  「自分が、自分が」という、
 
小泉:  「俺が、俺が」という。「俺が、俺が」で龍は描けないですよ。だから、そこに東洋と西洋の根本的な違いがあるんです。今、それが混同していますけどね。
 
加賀美:  先生ご自身は、「自然の中で、ほんとに一体となって、自然にものを描く」という東洋的な姿勢をずうっと貫いていらっしゃいますね。
 
小泉:  山なんかは、僕らは見ると非常に山を尊敬しちゃうんですね。そういう「畏敬の念」というものがなくちゃ描けないんです。でも、そんなものは無くても描けるんですよ、絵は。だから、その辺が、「どこまでみんなの考え方かどうか」というのは、全然なんとも言えない。ただ、僕はそういう考え方で仕事をするようにしています。
 
加賀美:  それは山とか、身の周りの白菜にしろ、身の周りのもの、みんなそうですか。
 
小泉:  それはもう花一輪でも大自然であることには変わりはありませんからね。
 
加賀美:  「見据える」ということをおっしゃいますね。
小泉:  「見据える」ね。勿論よく見るんですけど、それが例えば、洋画風な写実のように、光りと影の映像ではない筈なんです。優れた洋画の写実なんかを見ていると、写真だか何だか分からないような、非常にそういう意味で、ものの質感を出そうとしているんです。日本画、東洋画の場合は材料の関係から、そういう表現は非常にし難いんですね。だから、どうしても、目で見たものでなくて、それを材料の本質に置き換えたような、一つの象徴的な表現にならざるを得ない。日本画で油絵のように上手く光りと影の映像を描くと、何とも厭らしくなってしまうんですよ。これはどうしようもないんですね。殊に、水墨画のようなものは、これは黒と白だけですべてを表現しなければならない。そこで、いろんな思考的な要素というものが入ってくるわけです。だから、目で見て、それで自分でドラマを創っていくんですよね。そうでないと詰まらないものになっちゃう。
 
加賀美:  「ドラマ」というのは、
 
小泉:  「ドラマ」、例えば、山の中に杉なら杉の木がある。その並び方、そういうものにドラマがあるでしょう。リズムがある。そういうものを自分で拾って来て、それを誇張していくとか、不必要なものは取ってしまうとか、いろんなことをしていかないと。その辺が作家の力量になるでしょうけどね。
 
加賀美:  「写生」とか「写実」と言いましても、そうやって自分自身のドラマを創っていくという、
 
小泉:  「写実」というのは、「実を写す」ということですから、その「見た目のものを写す、というのとはちょっと違うんだ」と思いますよ。
 
加賀美:  でも、そうすると、ほんとにどんなものの中にも、内容的にいいものがあると、なんか、それが美しい絵に思われますね。
 
小泉:  「美しさ」というものなんですが、「美しさ」というものは、「綺麗さ」と違うんです。綺麗なものも含んでいるだけであって、綺麗な他に、醜さもある筈なんです。それから、真実というものがある筈です。だから、綺麗さだけでものを掴まえるんでは困るんですね。今、そういう綺麗な絵がよく喜ばれますけど、それは見る方もそれでは困るんですね。それは絵を見ているだけです。絵は、「見るんじゃなくて、絵を読むものだ」と思う。「絵を見る」というのは非常に僕は難しいことだ、と思う。「その人の能力でしか絵を見ることが出来ない」んです。絵を見ることで、絵を評価することで、その人が評価されてしまうんですよ。殊に、日本はそういう意味で、教育があって何でも知っている。知識はある。能力もある。だけども、教養がないんです、大体。それで日本の今の教育が、教養を高めるということでは非常に貧しい教育だ、と思いますね。みんな金儲けばっかり夢中になるでしょう。金儲けに夢中になって、今度はその儲かったお金で絵を買うんです。絵を買うのはいいんだけれど、「この絵は値上がりするだろう」と言って買うんです。金儲けやって、儲かったお金で「楽しもう」というんじゃないんです。それで「また儲けよう」というんですね。そういう人たちに絵を買われるというのは、絵描きにとっては不幸ですよ。
殊に、いま日本画というのは、こういうことをいうと、僕はみんなに嫌われちゃうんですけど、日本画というのは、「桜」を描けば売れる。「富士山」を描けば売れる。売れるものは決まっているんです。そういうものばっかり今度は描いている。例えば、人物なんかでもそうですね。人物というのは日本画では大体美人画というものしか存在していない。自分が遊んだこともないのに、綺麗な「舞子」ばっかり描いたりする。ヨーロッパなんかではあんなもの通じないです。例えば、ホルストヤンセンという人がいますが、この人なんかボロボロの運動靴を描いているんですよ。鉛筆で描いている。これが美しいんですよ。それが不思議なんです。「美」というものはそういうものだ、と思います。
 

 
ナレーター:  写実とは見た通りに描くことではなくて、その奧にある真実を捉えること」。 小泉さんがこうした厳しい制作態度を自分のものにするまでには長い時間が必要でした。それには師と仰ぐ二人の画家との出会いが大きく影響しています。一人は東京美術学校時代に師事し、その後も長く教えを受けた日本画家の山本丘人(きゅうじん)さんです。大袈裟に言わせて貰えば、「僕は毎回命がけで絵を描いている」。山本さんは弟子の小泉さんにそう語ったと言います。もう一人は洋画家の中川一政さんです。九十七歳で亡くなるまで、二十年近く親しく交わりを結びました。先生は、「長距離ランナーにならなければダメだ」。それが中川さんの口癖でした。
 

 
加賀美:  小泉さんは最初は画家が志望ではなくて、どちらかというと、文学を志望なさっていらっしゃったそうですね。
 
小泉:  いや、「文学を志望した」と言ったって、それこそ幼稚なもので、あの頃子供が、「大きくなったら陸軍大将になるんだ」という、まあ、そんな程度のことです。比較的小説を読むのが好きで、「小説家になりたいなあ」と思っただけですね。大体、高校位の歳で、自分の能力というものが、「俺はこれが向いている」なんか分かりますか。分からないでしょう。だから、「比較的好きだ」というところで、慶応の文科に入ったんです。文学は何にも知らないで入っているんです。その頃まだツルゲーネフ(ロシアの作家:Turgenev, Ivan Sergeevich, 1818-1883)なんかも読んだこともない。「小説家になろう」と言って、やったっておかしなものですね。
 
加賀美:  でも、それから芸大を受けられていますね。
 
小泉:  慶応に入ったんですが、友だちが出来なくて、酷く孤独な気持になった。それで、絵描きになろうと思って、美術学校へ行ったんです。
 
加賀美:  当時は、「卒業出来たから」と言っても、「絵がすぐ売れるか、売れないか」ということもありますので、絵で生計を立てていくということは大変なことですね。
 
小泉:  山本丘人さんがそういうことを平気で言っていましたね。「絵描きになろう」と言ったって、「美術学校出た、芸大出たって、そんなものは何にもならない」という。例えば、中川一政さんという人は絵の学校を全く出ていません。ただ、何にもならないということはないんで、僕も経験上美術学校に入っていましたけれど、凄くいい学校で、要するに、働かない、食う心配なくて、学校へ入って、モデルも使える。それから、凄い参考品がゴロゴロしている。その中で勉強出来るというのは本当に幸せだと思いますね。だから、学校を卒業して、「一人前になった」と思ったら大間違いですね。学校を出た時に、初めてこれから勉強が始まるという、そういうものですね。芸大を出た時から初めてその人の勝負が決まる。後は一生ですからね。一生かかってもダメかもしれない。やってみなければ分からん、という。やっぱりそうなったら、人生はもう腹据えるよりしょうがないですね。「一生、それを続けるということが大事だ」と思います。だから、「続かない人はダメ」ですね。何をやってもダメですね。
 
加賀美:  どんな状況であろうと、絵を描くということを続けていくということですね。
 
小泉:  そうですね。
 
加賀美:  小泉先生の場合にはデザイナーをなさったり、いろいろなさったそうですが、
 
小泉:  若いうち、初めのうちは、経験が浅いから、最初の頃は、絵を自分で描いてみると、手も足も出ないですよ。つまり、なんかすうっと描いて出来たものが、何だかよくない。よくないけれど、それをもうちょっとよくするために、「どうしたらいいかなあ」と考えると、手も足も出ない。だけど、なんかしなければいけない。そういう苦しみが非常にありました。それを描いて、描いて、描いて、描いたり消したり、気にいるまでやってみるんですね。そうやって、初めてちょっと薄紙を剥ぐように分かるんだ、と思いますね。最初から、パッと若いうちから描ける人はこれは天才ですよ。だけど、僕は天才じゃないから、そういうことは出来ない。毎日、毎日、そうやって、何年も何年も経って、「少しは出来るようになったかなあ」なんていう程度のものですね。それがある程度経験してくると、今度は絵をみると、絵の方から、「こう描け」と言って教えてくれるんですよ。それがだんだん教わってくるようになります。そうすると、自分でもそんなに苦しく無くなってくるんです。
 
加賀美:  そういうことがずうっと続いたんですね。
 
小泉:  「続いている」というか、まあ一番大事なのは、こういうものを見て、「感動するということが一番大事だ」と思いますね。だから、山なんか見て感動する。その感動が原動力になっていかないと、いくら絵を描いても、ろくな絵が出来ない。我々は長いことこうやって絵ばっかり描いていると、ちょっと惰性になってくるんですよ。それで感動しなくなってしまう。でも、感動しなくても、描かないとならない。いろいろ頼まれたりするとね。だから、その辺が非常に危険ですね。だから、だんだん「垢にまみれてくる」というか、そうならないように、自分でいつも気をつけていないといけないね。今度は進歩しないで、後退しますからね。
 
加賀美:  水墨画と出会ったのは、
 
小泉:   水墨というのは、墨というのは日本画の大きな材料ですから、最初から使っています。ただ、墨だけで描くというのを、若い頃から憧れていましたね。「いつかは水墨画を描きたいなあ」という気持はありました。描いてみると、上手くいかないんです。真っ黒になっちゃって、どうしようもないんです。何回もそういうことを考えていましたね。それでもある時、今から二十年位前でしたが、秩父の山奥へスケッチに行ったんです。何もない山なんですけれど、それをずうっと一日がかりでスケッチしていた。「ああ、この山を水墨で描いたらいいだろうなあ」と思った。それで、「いずれ水墨画で描こう」と思った。その時、描きながら、「いつか描こうとはなんだ」というわけで、急に、「今から描かなければダメだ」という気がしたんですね。家へ帰って、その時に直ぐに水墨の大作をやってみたんです。その時の一作というのが今ありますが、それが最初で、「まあ何とかなったかなあ」と思って、それから水墨に移るようになったんです。
 
加賀美:  「いつか」ではダメなんで、「今」なんですね。
 
小泉:  「今」と、突然思ったんですね。「俺はいつ死ぬか分からないのに、いつか描こうとは何事だ」と思った。そのことを中川一政さんに、ちょっとその経験を話したことがあるんです。「こういうことで急に水墨を描きたくなって、描いたんだ」と言ったら、それ聞いていて、「君ね、それが悟ったということなんだ」と言われたことがある。
加賀美:  そうですか。中川一政さんは、墨とか硯にも大変心をかけていらっしゃいますね。
 
小泉:  あの人はそういう点で偉いと思うのは、油絵、洋画ばっかり描いていたけれど、非常に東洋の、墨絵とか、それから、墨、文房具、そういうものを非常に大事にしました。若い頃から随分お金もないのに、高い墨なんか買ったりしてね。
 
加賀美:  墨というのはかなり絵に影響するんですか。
 
小泉:  いや。日本の墨というのはあんまりよくないんですよ。やっぱり中国の古墨にはとても敵わない。粒子も細かいので、そういうものを書家でも中国のものを欲しがったんですね。それが非常に高価で、中川さんも一本買って、小杉放庵(ほうあん)(春陽会創立等画壇に活躍したが、中国歴遊を機に放庵と号し、洒脱の境地を開いた独自の墨絵に転じ滋味溢れる幾多の名品を遺した。昭和三十九年没、八十二歳)と半分づつに鋸で曳いて分けた」なんていう話をされましたね。我々が知り合いになった頃は、墨だの、硯をいっぱい持っていて、それで、「遊びに来い」なんて行くと、それを見せてくれるんです。そういういい墨を、本物の墨を手に持たせてくれる、というだけでも大変な幸せだ。持って、これをちょっと磨ってみる、そうやってみないと、墨の本物、偽物というのはなかなか分からないんです。墨というものは、「あと型」と言いまして、もともと木型で作るんです。その時の型だけは今でも残っているんです。だから、今では香港辺りで新しい明時代の「程君房(ていくんぼう)」なんという墨をいくらでも作れるんです。ちゃんと「程君房(ていくんぼう)」と書いてあるわけです。だから、それを本物だと思ったら、大変な間違いです。新しいものと、古いものと違いがあるんですよ。それをちゃんと手で味わって、目で見て、それで重さも感じて、それでいろいろ経験することによって初めて分かってくるんです。
 
加賀美:  それではいいものを使うと、絵も違いますか。そんなに違うものですか。
 
小泉:  いやいや、違いません。「いい墨使ったからいい絵が描ける」とか、「悪い墨使ったらダメだ」ということはないです。ただ、自分が描いていて、「これは最高の墨で俺は描いているんだ」という、そういう安心感が大きいですね。
 
加賀美:  気持の問題ですか。
 
小泉:  ただ、事実、色はいいですね。「色はいい」と言っても、悪い絵のいい色じゃ何にもならない。いい絵の悪い墨の方がよっぽどいいです。
 
加賀美:  水墨については、どなたかに指導を受けたとか、習ったとか、ということはないんでしょうか。
 
小泉:  ちょっと分からない。本当の水墨というものは、今、日本には存在していない面もあるんですね。例えば、「墨絵、墨絵」と言っていますけど、あんなものは大体本当の墨絵じゃないんです。本屋に行くと、よく、『墨絵の描き方』なんという本がいっぱいあるでしょう。冗談じゃないというんですよ。「墨絵も描けない人が墨絵」と偉そうに言ったって、ダメなんです。「墨絵というのはこう描くものだ」と言って、「竹の描き方」とか、「風景の描き方」をこうやって描く。そんなものは墨絵じゃないんです。それは、昔、みんな習ったんです。「ランの描き方」とか、筆を付けておいて、すうっと。それを練習して描けるようになる。そういうのは墨絵じゃなくて、「席画」なんですよね。「席画」というのは、宴会の席なんかで、呼ばれて一杯飲んで、みんなの見ている前で、ヒョイヒョイヒョイとこう描いて、「上手だなあ」なんて言っている。そういうのは、「席画」と言うんです。墨絵じゃない。それで、後は、「文人画」ですね。「文人画」というのは、これはまたちょっと違っていて、日本で言えば江戸時代辺りに、池大雅(いけのたいが)(江戸中期の南画家。一七二三ー一七七六)とか、竹田(ちくでん)(田能村竹田(たのむらちくでん):江戸後期の文人画家。一七七七ー一八三五)とか、そういう人たちが描いていた。そういう文人画の流れを汲んだものなんです。今、非常に流行っているのは、そういう文人画風のもので、やっぱり本格的な墨絵とはちょっと違う。(それまで墨絵はほとんど無く、唐・宋時代に完成された)
 
加賀美:  そういう本格的なものは日本に入って来なかったんでしょうか。
 
小泉:  そうですね。北宋時代の墨絵、それから唐、宋時代の水墨というものは、一番墨の創始期で、非常に本格的なものの大自然に迫るような、そういう絵があったんです。その後、だんだん中国もいろいろ衰退してきまして、今度は、「木の描き方」「岩の描き方」なんていうのが出てくるんですよ。「岩の描き方」と「木の描き方」を組み合わせると絵になっちゃう。そういうふうなだんだん観念的なものになってきている。それで創始期の心の入ったものは無くなってきているんですね。それに近付いた頃に最初に日本に墨絵が入ってきているんです。だから、本当の北宋時代の墨絵を知らなかった。例えば、雪舟(せっしゅう)(室町後期の画僧。一四六八年、幕府の遣明船で明に渡り、本格の水墨画技法を学び、翌年帰国:一四二○ー一五○六)なんか全然北宋のものを知らなかった。それで南宋の末期になっていろいろ董其(とうき)昌(しょう)(明の文人。詩・書・画に通じ、文人画を絵画の最高の様式として南宗画の名を与え、書は行草を得意として一家をなした。一五五五ー一六三六)という人の勉強をして、日本へもって来たんですね。だから、その頃に、北宋の絵が入ってきていれば、日本の墨絵というのは違っていたと思うんです。これちょっと難しい話でね。
 
加賀美:  そうすると、小泉先生の墨絵というのは、どう考えたらいいんですか。
 
小泉:  僕は北宋時代の墨絵というものを尊敬していますから、ああいう見方というか、考え方を自分でやってみたいなあという気持で描いています。墨絵でどういうのをやったら勉強なるか。考えてみれば、それは何でもないんです。墨を磨りなさい。そして、花をそこへ置いてその通り描きなさい。それが始まりですよ。だから、僕が、例えば、北宋に憧れても、北宋時代の中国へ行って黄山だの、なんだのこう描いて、それに近付いたと思ったら大間違いで、やっぱり日本のいろんな山を訪ねて、それで自分の目で、その山に感動して描けば、それが墨絵なんだ。それが僕の墨絵なんだ。日本人の墨絵ですね。
 

 
ナレーター:  小泉さんはこれまで日本中の山を訪ね、絵にしてきました。山と向き合い、夢中になって、その姿を写している時、小泉さんは屡々「不思議な思いにとらわれる」と言います。今、自分は曼陀羅(まんだら)を描いているのではないか。人間の創造力では及びも付かない。自然の造詣の素晴らしさに接しながら、その遙か向こうに、この自然を創り出したものの存在を感じてしまう。それが自分にとっての「神」なのかも知れない。小泉さんはそう言います。
 

 
加賀美:  墨絵に関しても、中川一政さんのお話というのは随分伺ったんでしょうか。
 
小泉:  九十五位の時、「僕は歳をとったら、墨絵を描きたい」と言っておった。実際に描いていないんです。「墨彩」と言いまして、ちょっと文人画風で、墨ですうっと描いて、日本画の絵の具で色を塗る、というようなものを随分描いておられたけれども、本当の墨絵というのは殆ど描いていない。あの人はいい墨を持っていて、墨を使ったのは主に書が多いんですね。「いずれ歳をとったら墨絵を描きたい」なんて言っておりました。でも、書もいいですね。僕は好きだね。書のようなものはやっぱりなんか天分ですね。とても敵わないですよね、僕らは。書は大体、歳をとるほどいいですね。ということは、若いうちは筆でいざ書こうとした時に、自分が緊張しちゃうんですよ。例えば、カメラでもそうでしょう。レンズを向けられると、顔がちょっと変わっちゃう。それがだんだん歳をとるにつれて、そんなことどうでもよくなっちゃう。そうなった時に初めていい書が書けるんじゃないか。だから、絵でもそうだと思いますね。絵も、「いい絵を描きたい なあ」と、よく言いますけれども、「いい絵を描きたい」と言っているうちは若い奴ですね。いい絵も悪いものも何にもないんです。「自分の描きたいように、ものを描く」のが一番いい絵が描けるんです。その心境になかなかなれないんです、若いうちはね。
 
加賀美:  やはりいい絵を描きたいし、人に認めて貰いたいし、
 
小泉:  そう。中川さんの文章の中に、「絵描きの若いうちは、何でもかんでも取り入れ て、勉強するのがほんとの若いうちの勉強なんだ。それで歳をとったら、今まで持っていたものを、次第に不要のものを捨てていくのが勉強なんだ。それで純粋になっていくのが勉強だ」ということを書いてありますね。そういうところに到達する時に、最初から年寄りのような考え方で描いたってダメなんで、やっぱり若いうちは若い人らしいことをやる。それで歳をとったら、年寄りになったようなことで、やっとそういうものが出来るんでしょうけどね。例えば、鉄斎(てっさい)(富岡(とみおか)鉄斎:南画家:一八三六ー一九二四)なんか八十過ぎてからいい絵を描いたんですよ。鉄斎の展覧会を観に行ったりしても、五十歳の絵というのは詰まらないです。なんかキチッと描いている。だけど、中川さんは観て、「こういう本当の絵を勉強をしているから、後はよくなったんだ」と言うんですね。
 
加賀美:  一つ伺いたかったんですけど、「もともと素質というものは、生まれてもっているままで、下手な人はもう下手なりに描けばいい」というふうにおっしゃっていたのをとても心に沁みるんですが。
 
小泉:  それは僕が言ったんじゃなくて、山本丘人さんが、僕らが学生時代からそう言っていました。「人間なんかいうのは、オギャッと生まれた時に、この人は一流か、二流か、決まっちゃうんだ」「二流の奴は、いくら頑張ったって、一流になれない」と言うんですよ。だけど、「二流の中で一生懸命やればそれでいいんだ」。そういうことですね。だから、自分たちもそういう気持でやっていましたけどね。
 
加賀美:  結局、「何でも一生懸命やればいい」ということに、
 
小泉:  そうね。中川さんなんかもよくそういうことを言っていましたね。じゃ、「一生懸命というのは、どういうことかなあ」と思うんだけど、兎に角、一生懸命というんじゃなくっても、「自分に正直にやっておればいいんじゃないか」と思いますね。だから、右顧(うこ)左眄(さべん)しないで、「自分がこう生きたいんだ」とか、「こうやりたいんだ」ということを常に自分が知っていないと、何のために生きているんだかわけが分からなくなっちゃう。そういう人の生き方をみていると、絵描きに二通りいますね。一つは山本丘人さんみたいに、「絵しか俺は出来ない」。絵以外はまるで子供なんです。そして、一生懸命、一生懸命、絵ばっかり描いている。そうやってだんだん深みに入っていく人。中川一政さんみたいに絵を広げるために間口をどんどん広げていくんですね。文章も書くし、書も書くし、焼き物も作る。何をやらしても自分のものにしちゃうんですね。それで間口を広げることによって、奧も拡がっていくという。そういう二つの生き方があるみたいですね。僕なんかどっちかというと、何でもやりたい方ですね。自分の父親がちょっとそういうところがあったものだから、そういう血を引いているんじゃないかと思うんです。割合に何でもやりたい。例えば、文章なんか書くでしょう。そうすると、絵を描く時と、文章を書いている時とは、脳味噌の中の使う場所が全く違うんですよ。それが自分としては、文章を書くということで、もの凄い脳味噌のトレーニングになるような気がする。だから、出来るだけ文章は頼まれたら断らない。そういう考え方をもっているんです。
 
加賀美:  龍を描きあげられた今の心境はどういうふうでしょうか。
 
小泉:  別に、「一枚の絵が出来た」というような気分ですね。大きいというだけで、龍一匹ですからね。よく抱負を聞かれるんです。「これからどうしたいと思いますか」。そんなこと考えたことない。いま一枚あるものを、「どういうふうに、如何に最高に描けるか」。それだけです。僕は絵描きというのは、「一生入学試験を受けているようなものだ」と思う。そのものが、一枚がダメだともうすぐ評価されてしまう。「彼奴はダメだなあ」と言われる。そういう評価というものは、自分には入って来ないんです。誰も言いませんから。だから、一番怖いのは、「自分でその評価が出来る」ということが出来ないんじゃ一番困る。中川さんも、そういう意味で、「彼奴は自分に批評家がいないね。自分の中に批評家がいなければダメだよ」と、よく言っていました。誰も何とも言ってくれないものです。それは龍なんかでも一番気になったのは、「自分がいい」と思ったことが、第三者が見て、「いい」と思って貰わないと、ああいうものは困るんですね。だから、それを非常に気にしました。
 
加賀美:  いつもいつも絵を描く度に、入学試験を受けるような気持で試験を受けて、試験の点数というか、それを批評は自分でしていくという、
 
小泉:  いやいや、試験は通って普通なんですよね。それは絵描きの宿命だと思いますね。絵描きがもうズルズル後退しちゃう原因になりますから、そういうものは。随分、歳をとったら、「あの人は若いうちは良かったのになあ」なんて言われたくないですからね。
 
 
     これは、平成十二年六月四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。