臨終と信心
 
                           元龍谷大学学長 信 楽  峻 麿(しがらき たかまろ)
1926年広島県生まれ。1942年浄土真宗本願寺派得度。1949年龍谷大学専門部卒業。1956年龍谷大学大学院文学研究科真宗学専攻修了。1970年龍谷大学文学部教授。1989年龍谷大学学長に就任。1995年龍谷大学学長を退任、名誉教授に就任。宗教学者、文学博士、仏教伝道協会理事長、元龍谷大学長、浄土真宗本願寺派教円寺住職。著書に『浄土教における信の研究』『真宗教団論』『真宗入門』『近代真宗教団史研究』『親鸞における信の研究』『仏教の生命観』『龍谷の日々』ほか
                           き き て   峯 尾  武 男
 
峯尾:  今日のテーマは「臨終と信心」。元龍谷大学学長の信楽峻麿さんにお話を伺って参ります。どうぞ宜しくお願い致します。
 
信楽:  どうぞ、よろしく。
 
峯尾:  龍谷大学の学長を退任されたのが五年前で、
 
信楽:  もう六年になりますかね。
 
峯尾:  そうですか。今、どんなお仕事をしていらっしゃるんですか。
 
信楽:  はい。仏教伝道協会というのがございます。これは沼田恵範(えはん)(明治三十年ー平成六年)という人の発願(ほつがん)で始められたものでございますが、ご承知の方があるかと思いますが、世界のホテルの部屋に『仏教聖典』を入れようという運動を初めとして、世界に仏教を伝えるために、いろいろな事業をしております。いま、『仏教聖典』を四十数カ国語まで翻訳致しました。将来も続けてやろうというわけで、大体現在では七十万のホテルの部屋に置いております。日本のホテルも勿論そうです。そういう仏教を世界に広めるという仕事を、そのほかさまざまにしておりまして、私もお手伝いをしているということでございます。
 
峯尾:  そうですか。信楽さんは、お生まれは昭和元年ですね。
 
信楽:  そうです。
 
峯尾:  広島でしたか。
 
信楽:  広島の少し田舎、山間部のお寺に生まれたんです。
 
峯尾:  浄土真宗のお寺にお生まれになった。
 
信楽:  はい。もともとは次男坊だったんですけれども、兄が早く亡くなりまして、それで私が後の責任を取るという形になったわけでございます。
 
峯尾:  お兄さんはお若くしてお亡くなりに、
 
信楽:  はい。私が十四歳の時に、兄は京都の大学で勉強しておりましたが、結核になりました。あの時代もう六十年の昔ですから暫く療養していたんですが、田舎で間もなく亡くなったということでございます。
 
峯尾:  その少年時代の信楽さんが、言うなれば、お兄さんの死に立ち会われる、と。
 
信楽:  そういうことですね。もう昔のことですが、葬式のいろんな風景が懐かしく思い出されるようなことです。特にその兄が亡くなる時に、私に遺した言葉が二つございました。一つはそれ以前に、母が亡くなっておりましたので、私が頼んだわけじゃないんですが、兄が、「俺が死んだらお袋に会えるだろうから、お前がよろしゅう言うていたと伝えてやる」と、こう申しました。もう一つは暫くして、「また会えるわなあ。会おうなあ」とこう言ったのが、私への最後の言葉でした。
 
峯尾:  お兄さんがおっしゃった、「また会おうなあ」というのは、これは言うなれば、浄土で待っているよ、ということですね。
 
信楽:  そういうことですね。もともと浄土の教えに『阿弥陀経』という経典がありますが、その中に、
 
     諸(もろもろ)の上善(じょうぜん)の人は
       倶(とも)に一処に会(え)することを得る
            (阿弥陀経)
 
とあります。その「一処」とは、ひとっところという意味ですが、そこで「会う」という言葉がございます。そこで、この言葉によって、浄土教徒は昔から、死んでいく時に、こういう言葉をお互いが言い合ってきたんだと思います。親鸞聖人は九十歳で亡くなられるんですが、八十七歳の時でしたか、弟子に宛てた手紙を書かれており、それは今日残っております。その中にも、自分の弟子が死んだことを悼(いた)まれて、「私が先に死ぬるはずだったのに残念だ」ということを書いて、そのあとに周辺の弟子たちに対して、
 
     かならず かならず 一つところへ参りあうべく候
         (親鸞聖人消息)
         正元元年(一二五九)十月廿九日 親鸞八十七歳
 
こう書かれておりますね。これも同じように、今申した経典の言葉からきていると思います。「また会おう」というのは、死んでいく者にとっても、見送る者にとっても、昔からとても心の深い別れの言葉だと、私は思うんです。
 
峯尾:  お身内の話でまた伺うと、お父様はご長命でいらっしゃったんですね。
 
信楽:  ええ。父は随分長生きしまして、先年九十五歳で、最後まで、まあなんとか元気で生きて死んでいったんです。父も死んでいくちょっと前でしたですが、田舎に父と小学校の同級生がお医者さんになっておりまして、同じように九十四、五歳のお医者さんです。その息子さんが、実は父の主治医で面倒を診て下さったんです。それが伝えられたんでしょうかなあ、もう殆ど何もしていらっしゃらない九十幾つのお医者さんが、看護婦さんに連れられて、私の家に父を見舞いに来て下さった。そして、聴診器も付けられて、あれ、聞こえたのかなあと思いますが、兎も角、そのお医者さんが、私の父を聴診器で診て、聴診器を外しながら、私の父の顔をジッと見ながら、こうおっしゃったんです。「もうちょっとだぞ」。そして「わしも後から行くからなあ」と。これはお医者が坊主に引導を渡したわけですがね。父親も、その時は、あまり声が出なかったんですが、言葉はよく分かっていましたから、ニコッと笑って、片方の手をあげて、「有り難う、有り難う」と言って、挨拶したことがありますがね。こういう状況を、私はジッと見ていて、素晴らしいお医者さんだなあと思ったことですね。言う方も言う方ですが、父の方にもそういう雰囲気があったから、お医者さんがそうおっしゃって下さったんだと思いますがね。こういう死の看取り方、別れ方、告知の仕方、やっぱりあるんですね。
 
峯尾:  信楽さんはお身内の方だけでなく、真宗の僧侶として、身内以外の人の死に立ち会われたというか、そういう方を見舞われたというご経験も沢山おありになりますでしょう。
 
信楽:  私の田舎には、これは広島の田舎の地方だけではなくて、真宗の信心が盛んなところでは、案外そういうことがあったと思いますが、昔から死が間近くなると、お寺のご住職に来て頂いて、最後のお話を聞くという、そういう古い習わしが伝統的にありましたね。私も若い時から、父の代わりに何度か、そういうところに立ち会って、人の死んでいく最後を、いろいろと看取った経験がございますね。
 
峯尾:  お坊さんが枕元に来てくれると、大抵の方は安心なさるというか、
 
信楽:  そうですね。いろいろありましてね。私もいろんな経験をしているんですが、一つは、とても嬉しい経験を申しますと、「病院からどうしても自分の家に帰って死にたいという、老人を連れて帰ったから是非来てくれ」ということで参りました。その時、私は普通は、お数珠を持って参りまして、死んでいく病人の手に握らせる。もう対話が成り立たない場合がありますので、そういう時に、そういうことをしているんです。あるそう遠くない過去の経験ですが、そのお爺さんが酸素マスクをしていましたが、ちょっと外しましたんで、「爺ちゃん、どうだ」と言って、お念仏を耳元で唱えてあげましたら、「有り難うござうます」と、こう言いましたね。私が何しに来たかということが、向こうによく伝わっている。そして、私が少し一口、二口言いますと、「もったいのうございます」と言います。その爺さん、何を喋っても、「有り難うございます」「もったいのうございます」。この繰り返しです。お爺さんの兄弟やら、奥さんやら、娘さんたちがおりましたが、ジッと見守っていました。そして、暫くして、「明日またお爺ちゃん来るからなあ」と言って帰ったんですが、「その晩に亡くなった」と言ってきました。「とても喜んでおりました」と言う伝言がありましたね。或いはまた、私がこちら、京都に居って、最後に立ち会えない時に、手紙を誰かに書かして、「長い間ありがとう。お念仏とともにまいらせていただきます」と、最後のお礼の言葉を送ってくれた人もおりました。逆に、これは私のとても苦い経験ですが、若い時のことです、夜中に呼ばれて参りました。私が袈裟を付けて、その人の前に坐りましたら、これもお爺さんでしたけれども、私の顔を見るなり、「しまった!」と大きな声で言うんですね。それで私もどう対応していいか分からなかったんですが、そのままジッと坐っていたら、大きい声で、何度も、「しまった!しまった!」と言って、私が何を申しても、とても聞いてはくれないんですね。息子や娘が周りにいたんですが、死んでいくお父さんがそんなことを言うものですから、娘さんが大声で泣き出しますし、私もまだあの時は若かったので、どうしようもなく、何んの手も打てないで、その場を去った苦い経験があります。
 
峯尾:  その方の、「しまった」という言葉の後ろには何が、
 
信楽:  これは、私もよく分からないんですが、私の田舎の状況から言えば、死んで逝くのに、仏法をよくよく聞いて置けばよかった、という思いだろうと思うんですね。私がそういう僧侶の格好をしておりましたから、そういう思いであったのだろうと、私は受け取ったんですがね。何を言っても、手を握っても、「しまった!」と言って、大きな声で叫んで、全然対話が成り立たなかったのです。
 
峯尾:  今のお話も踏まえて、人間、私ども誰でも何れは死ぬものでありますけれども、その人間が死ぬものであるということに対して、仏教はいったい何を教えているんでしょうか。
 
信楽:  お釈迦さんは、基本的には、死とか、老(老いる)とか、病(病気)ということをテーマに道を求めたと言われますように、仏教は、「死」ということを、非常に大きなテーマとして取り上げております。そしてその死をどう解決していくのか、ということが、仏教の基本の教えだと思いますね。だから、経典にはそういう言葉がいろいろありますが、特にこれは皆さんご承知かと思いますが、仏教では、「生死(しょうじ)」。生きることと、死ぬることとは、「一如」、一つだと言うんですね。す なわち、本当に生きるということは、本当に死ねるということ。自己の死を計算に入れて生きる以外に、本当の人生の生き方はないということを、仏教は基本のテーマとして人間の生き方を教えております。仏教の先達(せんだつ)の親鸞(しんらん)、道元(どうげん)の生き方は、いずれも「生死を究める」という、そういう姿勢を貫いているわけで、それが仏教の基本の立場だと思いますね。
 
峯尾:  ただ、先程の「しまった」のように、死に臨んで初めて仏の教えに接する、或いは、そのお坊さんが来てくれて、お経を読んで下さった。それではやはり悔いが残ってしまうでしょうから。
 
信楽:  このことについては、昨今、デス・エジュケーション(death-education)、死に対する教育というような、そういうことが言われておりますが、どう死ぬるかという問題は、やはり人間が生きるについての基本のテーマだと思うんです。だから、身近かに死がやってきたから、死を問題にするのじゃなくて、生きている時に、元気な時に、死をどう自分の生きざまの中に取り入れていくのか。こういうことは、何れの時代でも同じで、いまに始まったことではありません。しかし、昨今、死の教育ということをやかましく言っておりますけれども、これは我々現代人がみんな考えなければならん人生の根本問題だと思うんです。花が咲けば散り、栄えた者が衰えていくという、この自然の道理の中で我々も生きているんです。一茶の句に、
 
     死に支度 致せ致せと 桜かな
            (一茶)
 
と言うのがありますが、死に支度をしなさいよ、しなさいよ、と言いながら、桜は散っていくんじゃないか、ということでしょう。まあ今も昔も変わらない。人生の真実だと思います。私の経験なり、考えでは、死が近付いてから、あわてて死を問題にしても、本当に解決出来るかどうか、それはとても無理です。仏教でも、インドから中国へ「看死」、人が死んで逝くのを看取るという思想は、ずうっと流れてきています。特に、浄土教がそれを大変喧(やかま)しく言ってきたんです。日本でも平安時代からずっと伝えられ、そういう看死のあり方を「臨終行儀」という言葉で、いろんな人たちが書物を書いて、死の看取り方を教えてきているんですね。しかし、親鸞はそういう死にざまを問題にしなかったのです。法然までは、臨終の善悪、そのよしあしということが、きわめて重要な意味をもっていた。浄土に生まれるか、生まれないかは、臨終の有りようによって決定するということを言ったのです。でも親鸞はそういうことを言わなかったんです。親鸞の言葉に、
 
     善信(ぜんしん)が身には臨終の善悪をばもうさず
              (末燈鈔)
 
峯尾:  善信とは親鸞、
 
信楽:  そう親鸞のことですね。親鸞は自分を善信とも呼ぶことがあります。親鸞は、人の死にざまは問うてはならないということを言ったんです。これは浄土教徒では親鸞が初めてそういうことを言ったわけです。親鸞は、日頃の自分自身の生き方こそが問われるべきであって、死にざまを問題にしてはならない、ということを言いました。そこで浄土教の中では、臨終のありようを非常に大事にする流れと、今の親鸞の方向で臨終の善悪を問わない、という流れの、二つの立場から看死のことが考えられてきました。しかし、いずれにしても、臨終は大きな事件ですから、坊さんが関わってきたことは事実ですが、真宗では、その善し悪しを問わなかった、ということでございますね。
 
峯尾:  親鸞聖人については、後ほど更に詳しくお伺いしたいんですが、仏教者の中には、まさに「死にざまで見事な死に方をした」と言われている、禅宗の坊さんが何人かいらっしゃいますね。
 
信楽:  そうですね。いろんな僧侶の死に方が見られますが、特に禅宗では、非常に深い悟りを得られた人が、中国から日本に居られて、凡人の我々にはとうてい達せられない、そういう深い境地で死を迎えられた方が多いんです。例えば、有名なのは、戦国時代の山梨県の恵林寺(えりんじ)というお寺の快川(かいせん)和尚ですね。快川和尚という人は、臨済宗の僧侶で、武田一族の保護を受けていたんですが、織田信長が武田家を滅ぼす時に、恵林寺の一帯に火を付けたわけですが、快川は炎々と燃え上がるその山門の上にあがって、山門と共に焼け死んだと言うんです。その時に、弟子に遺した有名な遺偈(いげ)に、
 
     安禅(あんぜん)必ずしも山水(さんすい)を用いず、
       心頭滅却(しんとうめっきゃく)すれば火もまた涼し
            (快川和尚)
 
という有名な言葉がございます。こういう言葉を残して、大火の中でそのまま泰然自若として死を受け止めたというのは、これは壮絶な死に方だと思いますし、禅宗の僧侶らしい最後だと思いますね。
また、これは曹洞宗の僧侶の良寛さんですが、良寛さんの死に対する姿勢も有名ですね。これは死ぬる時じゃなくて、その生前の話です。良寛というのは、江戸時代の末期の人です。越後地方に大きな地震があった後だそうですが、山田社皐(とこう)という、これは大きな酒造家の主人だと言いますが、その人が良寛に、地震の恐さを訴えて、「一体ああいう災難を逃れる方法はどうしたもんだろうか」と聞いた時に、良寛が手紙で応えたという、その手紙が今日残っておりますね。その一節に、
 
     災難にあう時節には災難にあうがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。
     これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
         (山田社皐あて)(良寛)
 
という。死ぬる時には死ねばいいじゃないか。このことこそが、死をのがれる妙法だというのです。これも大変な深い境地を言いあらわした言葉だと思います。
 
峯尾:  その仏教の信徒の方も当然のことながら、そういった影響で、言うなれば、天晴れな見事な死に方をなさった人もいるわけですね。
 
信楽:  今は、特に禅宗の僧侶の話を申し上げました。仏教の流れは、大きく分けて言いますと、釈尊が亡くなった後、出家者を中心にして仏教の教えを伝え学んだグループと、在家信者を中心にして、一般の庶民の生活の中で仏教を受け止めたグループの二つの流れに別れてくるんです。そして結論的に言いますと、禅宗あたりは出家者中心の仏教です。在家者中心というのが浄土教で、法然とか、親鸞まで流れた仏教です。親鸞は在家の仏教徒として、妻をもち、子供をもって、生きかつ死んでいったんですが、彼の死にざまというのは、そういう意味では、ちょっと同じ仏教徒でも違いますね。これも死ぬる時には、九十歳でしたから、安らかに素直に死んでいったと考えられますが、晩年に自分の死を見つめて言った有名な言葉が『歎異抄(たんにしょう)』に出ております。
 
いささか所労(しょろう)のこともあれば死なんずるやらんと心ぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫より今まで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養の浄土は恋しからず候こと、まことによくよく煩悩の興盛に候にこそ。名残りおしく思へども、娑婆の縁つきて力なくしておわる時に、彼の土には参るべきなり
           (『歎異抄』)
 
「いささかの所労のこと」というのは、身体の調子が悪くて病気になることを言います。それは晩年の経験でしょうが、そういう病気になると、「死なんずるやらんと心ぼそくおぼゆる」という、自分の死に対する不安というものを、そのまま告白、吐露しておりますね。しかし、彼は彼なりに、自分の深い信心の世界において、その不安を超えているんですね。「名残おしく思へども娑婆の縁つきて力なくしておわる時に、彼の土には参るべきなり」最後に死がおとずれた時には全く力無く、人間さからうことは出来ない。死が来たら終わりだ。死がやって来た時にはどんなに名残惜しく思っても、どうしようもない。しかし、私はもっと大きな生命(いのち)に生かされており、その生命の中で死んでいくんだから、何の心配もないんだ、と。それを「彼の土へ参るべきなり」と言ったわけでしょう。
 
峯尾:  彼の土とは浄土の土、
 
信楽:  そう浄土の土ですね。死に対して、素直に死んで行けるということを言った言葉でしょうね。そういう死に対する、さまざまな人間の凡情を吐露しながら、結局は、やっぱり素直に死んでいけるという心境ですね。このよう親鸞の教えを生きた人、これは昭和の初期まで生きた人ですが、鳥取県に足利源左(あしかがげんざ)というお百姓さんがおりました。彼は非常に深く真宗の教えを学び、念仏に生きた人なんです。彼の死に対する心の姿勢のことが伝わっておりますが、こういう話なんです。彼はあちこちのお寺に参って仏法を聴いていたわけですが、その仏法を聴く仲間に、隣村に直次という爺さんがおったと言います。同じような年齢だったんですが、かなり歳を取った時に、この直次さんの孫娘が、源左の家を訪ねて来て、直次というその爺さんが頼んだのですが、直次さんが言うには、「私はいよいよ老衰で死んで逝かなければならんけれども、どうも死ぬるについては怖い。先が真っ暗だ。死ねない」。そこでこの源左に対して、「このままでは死ねないから源左さん、もう一度よく私に教えてほしい」と、こう言って、自分が死の床に就いていますから、孫娘にことづけしたと言うんですね。実際は源左に来て欲しかったんでしょうが、源左も同じように死の床に寝ていたのです。けれども、その孫娘から、直次の悩みを聞いて、源左が、「それじゃ、直次さんに私の思いを伝えてくれ」と言って、孫娘にことづけた源左の言葉は、
 
     直次さん、死ねば良いがなあ
         (鳥取の足利源左)
 
源左は、何度も「死ねば良いがなあ」と、こういうふうにつぶやいた、と言います。このことを孫娘が伝えたら、直次がとても喜んで、やがて安らかに死んだ、という話です。ここらあたりの境地は、さっき申し上げた良寛さんの、「死ぬ時節には死ぬがよく候」という、その言葉と、どこか、重なっているんではないか。なにか大きな大きな生命に包まれている、自分の限りある生命が、永遠の限りない生命に触れている。その生命に支えられている。そういうたしかな実感をもっているものだけが、よくそういう言葉が言えるんだろうと思いますね。「死ぬ時節には死ぬがよく候」。死ねないという直次に向かって、「心配なしに死んでいけ、死ねば良いがな」と、こう言える境地ですね。私は仏教はこのことを教えているんだ、と思うことですね。だから、死にざまが良いか悪いかで、行き先が決まる、という問題じゃなくて、今日、ただいまをどう生きているか、ということが、死を解決する唯一の方法だ、ということを、この仏教の先輩たちは、よく教えてくれているように思います。
 
峯尾:  いまのお話の源左という人も親鸞聖人の教えを信奉して、そういう境地に辿り着いたんだとすると、親鸞聖人のおっしゃる信心というのは、今まで幾つかお話頂きましたけれども、もう少し、先に進めてお話頂くとどういうことなんでしょうか。
 
信楽:  仏教で、「仏さまに救われる」ということについて少しお話しましょう。今お話した快川和尚とか、良寛で言えば「悟り」と言うのでしょうが、親鸞のとこで言えば、「信ずる」ということです。私は「悟り」も「信心」も同じことだと思います。こういう「悟り」とか「信心」において、仏の救いが成立する。普通、一般に、私達が「宗教で救われる」というのは、救う神さまか仏さまがいて、救われる私がいて、この両者の関係の中で、すなわち、救われるものと救うものとの関係の中で、救いというものが理解されるんです。それは人間の世界でも同じように、助ける、助けられるという、そういう二元論的な関係の中の話なんです。しかし、仏教がいう「救い」というのは、そういうことをいうんじゃないんです。ここが仏教をご勉強の一般の方にも、正しく受け止められていない面があると思うんです。仏教で言われる「救い」とは、元のインドの原語に返せば、幾つもありますが、ハッキリしているところで言えば、「ウッタラナ」という言葉があります。これは「横切る」「超える」ということで、こ れが「救い」と訳される原語ですが、それは「済度」とも言われます。これは「済」も「度」も、どちらも漢字の辞書を引いて頂くと、基本的な意味では、「わたる」と書いてあります。その「済」という字は、水を渡るんですね。さんずい偏に旁の方は斉(ととの)えるという字ですから、水を斉えるということで、これは水を渡るということです。また「度」は明らかに度(わた)る。さんずいがなければ道を度(わた)る。谷を度るでいいわけですが、「わたる」ということです。だから仏教では、さまざまな障害を超えていく、わたっていく、そういうことを「救われる」と言うんです。したがって、そのことは、誰かが誰かをどうにかするということじゃなくて、私自身が、仏法を学び、人格的に成長を遂げるということの中で、今まで渡れなかった、飛び超えられなかったところを渡っていく。超えていくという、そういうことが成り立つことを、仏教では「救い」と言うのです。このあたりのところを、死をめぐって考える時に、十分に理解しておかなければならないと思います。ご承知のように、浄土教では、死んで逝くことを「往生(おうじょう)」と言います。往いて生きる、生まれるとも読めるでしょうが、往いて生きるという。この「往生」とは、死に対して救われた者、死を済度する。いわゆる、死を超えていく。渡っていくということの意味で、往いて生きる、とこう申したわけであります。だから、救われるというのは、なんか金魚掬いみたいに、気が付いてみたら別の楽しい場所に、お浄土へ行っていたという、そういう単純なものじゃありません。一人一人が、日頃の生きざまを通して、どれだけ確かな足腰を育てていくのか。今生からそうです。家庭の問題とか、職場の問題とか、人付き合いとか、さまざまなところで、私達は引っかかり、引っかかりして、前向きになかなか歩いていけない。まっすぐに歩けない状況の中で、兎も角も、一歩ずつ前に渡って行けるような、確かな強い足腰を育てていく。そういう人間に成長していく、ということを仏教は教えるんですね。そうして、現実のさまざまな苦しみを超え、悲しみを超え、死さえも超えていくのです。だから、「往生」として、死が超えられるならば、後はみんな超えられるのです。渡って行けるんですよ。昔から真宗では、「後生(ごしょう)の一大事(いちだいじ)」ということを言いますが、「後生」というのは後の生のことで死のこと、「一大事」とは一番大きい仕事のこと、課題。これは何も死んだ先のことを言っているんじゃないんです。「あなたは自分の死が超えられるか」という問いなんです。いつ死がやってきてもあなたは前向きに死ねるか、ということを問い続けることの中で、日々の私達のありようを教えたんですね。もしも、死が超えられるのなら、家庭のさまざまな問題も、世俗のいろんな苦しい出来事も、思うにまかせぬ出来事も、すべて超えていける筈ですね。そういう人間になれ、そういう足腰のしっかりした人格を育てよ、ということを仏教は教えている。禅宗の道元、真宗の親鸞も、そのことを教えていると、こう申していいと思いますね。
 
峯尾:  渡っていく為には足腰を強くする、とおっしゃいました。これはどういうことなんでしょうか。
 
信楽:  これについて私が思うことですが、宗教というものは、世界にさまざまな宗教があり、日本にもたくさんの宗教があるわけです。しかし、それらを大きく分けるとこういうことが言えると思うのです。一つは、力(パワー)を教える宗教、そして、もう一つは、道(人間の生き方)を教える宗教というものがあると思うのです。大変、大ざっぱな分け方ですが、現実の宗教はその二つが重なり合っていますから、簡単に、どの宗教がどうだと言えませんけれども、非常にハッキリ言いますと、本来の仏教というのは道を教えたのであって、力、パワーを教えたわけじゃないんです。パワーを教えるのが非常にハッキリするのは日本の神道(しんとう)です。神道と道(みち)という字を付けますけれども、ご存知のようにこれはパワーを語ります。風の神とか、雨の神とか、智恵の神とか、縁結びの神とか、さまざまなよろずの神が語られて、その神々は、みなそれぞれ専門の力、パワーを持っていて、それに人間がお祈りし、お願いすれば、その効果があるというわけです。こういういわゆる現世(げんせ)利益(りやく)と言われる宗教。今の日本の神道というのは、そのことが非常にハッキリしていますね。だから、ここでは宗教が沢山重なってもいいわけです。力、パワーは多い方がいいわけですからね。だから、日本人が、元旦に初詣にいろんなところへ詣るという。これは外国の宗教学者が驚いて、「日本の宗教はおかしい」と言いますが、日本人は、そういう神道を基本にして宗教を考えますから、そして重れば重なるほど、少ないより多い方がいいという、パワーの論理がありますから、初詣がにぎわうわけです。ところが、キリスト教あたり、或いは、日本でも、新しい宗教の中には、他の宗教をキチッと排除するという、そういう考え方があります。これはパワーでなくて道を教えているから、そうなるのです。道を学んで歩むとなれば、あの道も、この道もというわけにはいきません。仏教も、お釈迦様の教えの原点に立つ限り、道を教えたのです。真宗にも、「他力」とか、「仏力」というような言葉がありますが、それは本質的にパワーそのものを言ったのではなくて、やはり道を表現するためにそう言ったのです。ところが、仏教が日本へ伝来して、人々に信奉されている中で、神仏習合(しゅうごう)という、神さまと仏さまを重ねて考えるという、そういう重層信仰が生まれてきて、道の教えが力の教えに近づいて、だんだん曖昧になったんです。それが奈良時代から平安時代の仏教です。しかし、鎌倉仏教というのは、それを非常にハッキリと本来の仏教、道の教えにかえしたわけです。法然(ほうねん)は專修(せんじゅ)と言ったわけです。もっぱら修めるということです。親鸞は唯信と言いました。專とか唯というのは、一つの道を選んだということです。そういう形で明らかになるのが道なんですね。さっき申し上げたウッタラナ、「済度」救われるということは、足腰を強くして、悲しみも苦しみも超えていくことで、こういうことが、仏に救われたものの姿だと申したのは、このような道を学ぶ方向の中でこそ、そういう境地が開けてくると、こういうことを申したわけであります。だから、仏教では、そういうように道を学ぶことによって、人間的な成長を遂げること、或いは、もっと新しい表現で言えば、本当の自分自身を育てる、人格主体を確立するということをめざすわけです。すなわち、今までの自分の古い殻を脱ぎながら、本当の自分に育っていくという、こういう方向の中に人間成長を遂げていくことを教えるものが仏教です。
 
峯尾:  観念的にはなんとなく分かるような気がするんですが、では、実際にどういう生き方をしたらいいのでしょうか。
 
信楽:  それは一番問題のところですけれど、親鸞に引き寄せて申しますと、親鸞は、そういう足腰の強い人間になって、限りなく渡れる人格になるということを、「信心」という言葉で明らかにしようとしたわけです。この「信心」という言葉もまたいろいろ問題がありまして、鰯の頭も信心から、というわけで、「信心」という言葉がいろんな意味合いに取れるから、これもちょっと厳密に規定をしておかなければならんと思います。これを原語に返して申しますと、経典において、「信心」というように、中国で訳される原語は幾つかあるんですが、親鸞が問題にしている信心という言葉の原語は「プラサーダ」という言葉で、これは、例えば、濁れた水が綺麗に澄み透るというように、心が澄んでくるということ、そしてそこには安らぎが生まれてくるというような、こういう意味合いをもった言葉が「プラサーダ」という言葉です。それを「信心」と、中国で翻訳したわけです。普通、一般の人間におる「信頼」とか「信用」ということも、また一般の宗教がいう「信仰」という、神を信じ、仏を信ずるということも、これらはともに二元論的な構造をもっていて、信じられるものがあって、信ずる私がいる。この二つの関係の中で、二元的、対象的に何かを信ずることです。人間の境涯で、妻が夫を、夫が妻を信ずるというのはそういうことですし、また宗教的な世界で、人間が神や仏を信ずるということもそういうことです。この場合は、分からないから信ずるんです。分かっていたら信ずると言わないですね。理屈抜きに、証拠のないものを、それを正しいと信ずるのが普通の信じ方ですね。人間の境涯でも、人の心は本当に分からないのです。けれども、いろんな経験を通して、あの人なら大丈夫だろうと信頼するのです。しかし、ひょっとすればひょっとする。そのことは、宗教的にも、不合理なる故に、我信ずるというわけで、やっぱり知的には分からないものを、知性を放棄して何かを信ずる。これがまあ、一般の宗教の信じ方ですね。だから、これを「信仰」と呼んでいますね。これも英語のフェイス(faith)という言葉。神を信ずるというキリスト教のバイブルの言葉を、明治の初期に日本語に翻訳する時に、「信仰」という言葉を、新しく創り出したというんです。天に在す神を仰ぐことだから信仰と訳した。もともと古い言葉、古語には、信仰という言葉もあるんですけれども、ちょっと意味が違うんですね。まあ一般の宗教では、そういうような形で二元的、対象的な信を語るのが普通ですが、今申し上げたように、親鸞が言っている仏教の信はそうじゃなくて、まったく一元的、主体的なもので、「心が澄んでくる」ということです。そしてそのことは、「何かが見えてくる」ことです。濁っていて見えなかったものが見えてくること。だから、親鸞がいう「信心」というのは新しく「何かが見えてくる」ということです。ですから、私はこれを「目覚め」というように申しているんです。経験を通して何かが知られてくる。「ああ、そうか」と思い当たることだと思います。分かり易く言うと、例えば、「父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深い」。親の恩を教えた言葉ですが、これは誰でも知的には、対象的には知っているんですね。頭では知っているんです。しかし、人生を生きている中で、何かの物事の関わりの中で、「ああ、そうか」と、「母の恩は海よりも深い」と昔の人が言ったのは、こういうことを言ったんだなあと、思い当たるわけですね。その「思い当たる」という世界を、「目覚める」と言い、或いは今申し上げた「プラサーダ(信心)」と、こういうように申して良かろうと思うんです。親鸞が言っているのは、そういう境地を信心と言っているんです。だから、親鸞は、信心を二通りに言っているんですよ。人の話を聞いて、やっぱり私達は仏法を学ばなければならない。やがて死んで逝くんだから、死に対して何かを勉強しておかなければならないなあと、思った時に、仏教の学びが始まります。それは何かを当てにして信ずることからスタートします。それは人の言葉を、その教えを信じるのです。しかし、これは信心と言ったって、「目覚め」ではないんですね。思い当たっていないのです。知的に分かっているだけですね。だから、「父の恩は山よりも高い」という、その話をまず聞かなければいかん。その聞いた話が、具体的な人生生活の中で思い当たってくる、「ああ、そうか」と、思い当たる、「目覚める」という世界が本当の意味の信心なんです。だから、信心と、親鸞が言っているのは、深まりをもっているんですね。知的に概念的に知ることと、体験的、経験的に知ることとの違いを言うんです。この深まりが仏教を学ぶということなんですね。このことを、キチッと教学的に論理付けてお話しなければならないのに、それがうまくいっていないで、鰯の頭みたいな話をして、仏を「信じろ、信じろ」と言っているから、現代人には納得出来ない。私は、信心とは、そういうように、心のもっとも深いところで、「思い当たり、思い当たり」しながら、それをいっそう深化させていくことだと思います。そのことは、もっと別の表現をすれば、「腑に落ちる」ということだと思います。あんたの話は分かるけれども、どうも腑には落ちん、と言う。「腑」というのは、ご承知のように五臓六腑のはらわたのことで、その底にジーンと沁み透って分かってくることですね。そういうように何かが経験を通して、身体を通して、「ああ、まことにそうだなあ」と納得する。領解する。それを「信心」と言ったのです。だから、それは分からないから信じる、という話と違うんです。経験的に分かってくるんです。そしてそのような分かり方が生まれ出てくれば、必ず必然的に、人間の生き方がどこかで少しずつ一味違ってくる筈です。親の恩がしみじみと分かってきたならば、これは綺麗さっぱりといかないにしても、一皮くらい剥(む)けてきて、あれはすまんことをしたなあとか、今度はちょっと優しい声を掛けようかなあと、何か、人間としての生き方の変化が、内から生まれてくるはずですね。それを仏教では「脱(だつ)」という。「脱ぐ」ということ、「解脱」の「脱」ですね。皮を脱ぐということです。そしてその「脱ぐ」ことは、今度はそれと一つになって「成る」、「成長する」のです。いわゆる仏になる成仏の「成」です。この「解脱」と「成仏」というのは、これはセットになる言葉ですが、竹の子が皮を脱ぐということは成長する。成長するから皮が脱げるんです。こういう人間の基本的な生き方を、仏教は教えているのです。もちろん、私達は、生ま身をかかえているかぎり、この身においては、何ほども、解脱も成仏もできませんが、いよいよ仏法を学びつつ、「思い当たり、思い当たり」して、いっそう信心を深めながら、少しづつでも「脱ぐ」ことと「成る」ことを繰り返していかねばなりません。それを「道」と申し上げたのです。いま私達の家庭の中では、そういう道がだんだん見えなくなっているのではありませんか。私達老人を含めて、子供たち、孫たちにも、そういう生き方を、もっと大切にするということが、改めて求められていると思うことです。
 
峯尾:  繰り返しになりますが、知的に理屈の上で理解することがまずあって、それが深まったところで思い当たる。自分自身が、いうなれば主体的にそれが分かってくるというか、そういうふうに解釈してよろしいんでしょうか。
 
信楽:  そうですね。仏教を客観的に説明するなら、それは「力」の宗教ではなく、「道」の宗教だという話を申し上げたので、その方向にしたがって申し上げたのですが、宗教、仏教を学ぶについては、兎に角、この道を歩もうという、まず最初に選び、決断というものが必要だと思う。キリスト教であろうが、禅宗であろうが、真宗であろうが、それを学ぶにあたっては、その道、その教えについての、「信」というものが、信頼というものが必要だと思いますね。それは特に人間、人格に対する信頼です。そういうものにもとづいて、その道を歩いて行ったら、やがて心の深いところで、その教えが指し示しているものに、思い当たり、思い当たりしていくのです。そういうことが何度も何度も、繰り返されていく、大きく思い当たり、小さく思い当たりしながら、そのことを繰り返しながら深まっていく。そしてそのことは、そのまま人間が主体的に成長していくことであって、脱いでは成り、成っては脱ぐという、こういうことが成り立っていくのです。親鸞はこういう言葉を申しています。
 
     本願を信受するは前念命終(みょうじゅ)なり
       即得往生は後念即生(そくしょう)なり
          (親鸞『愚禿鈔』)
 
「本願を信受するは」、これは仏さまを信受する、信ずるならば、「前念命終(みょうじゅ)なり」、念というのは念(おも)うという字ですが、ここでは「時」という意味です。すなわち、前の時間に、「命終(みょうじゅ)」、命が終わると言うんですね。そして、「即得往生」、これはさっき申しあげたように、直接的には、浄土に生まれるということですが、この世から救われて、いかなる苦難の人生でもよく渡っていくという意味です。この世の話です。そのことは「後念即生(そくしょう)なり」、後の時間に、即ち生まれることだと言うのです。このことは、分かり易く言いますと、親鸞、真宗において信ずるということ、信心とは、古き生命に死して新しい生命に生まれるという。このことを繰り返し、繰り返し、すなわち、何度も何度も、脱皮しながら成長していくということを意味します。それを親鸞は信心の姿だと言っているのです。これは今申し上げた、思い当たるとか、腑に落ちるという。具体的な経験の世界を言うのであって、そこにこそ、本当の意味での人格主体が確立されてくると言いうると思います。そしてそのことにおいてこそ、さきほど申した快川和尚みたいに「火もまた涼し」とも言えるし、良寛の「死ぬ時節には死ぬがよく候」と言えることとなるわけでしょう。あるいはまた、親鸞みたいに、最後まで凡情を抱いて、「心細くおぼえ、名残惜しくとも、彼の土へ参る」という世界に立つことができる、また、源左さんみたいに、「死ねばいいがな」という境地に安住することができるのです。昔の歌にこんなのがありますね。
 
     蝸牛(かたつむり)何処(どこ)で死んでも吾が家かな
 
という。誰が詠った歌か存じませんが、いま申したことは、そういう境地だと思いますね。どこでどうなろうとも、どういう死にざまであろうとも、それでいいんだ、ということです。親鸞は、そのような生き方を「往生する」と言ったのです。「往生」とは、大きな生命に生かされて、安らいの境地に生きること、それにおいて限りなく渡っていく、超えていくことを申すのです。
 
峯尾:  最後に、信楽さんご自身の、死に対する気持をお聞かせ下さい。
 
信楽:  私は、子供の頃からとても身体が弱くて、田舎の医者に「二十歳までの命だ」と言われておりましたが、いろんな病気をしながらも、ここまで生き長らえさせてもらいましたが、それこそ、後もうちょっとなんですが、私はさっき申し上げたように、親鸞の教えを通してお念仏を申しながら、私なりに思い当たり、思い当たりして生きている今日なんです。そこで私が思うことは、死に対して、こういう思いなんです。それについては、二つの思いがあります。それはある意味では、矛盾するということかも知りませんが、一つは、私の知的レベルのところでは、死んだ先に、蓮の花が綺麗に咲いている浄土があるというのは、それは仏教の経典には説いておりますけれど、そんなものはどうだっていい、と思っています。行って見なければ分からんものを、見たことがない私は、そんなことを他人(ひと)にはとても言えません。問題は兎も角も、ここまで親鸞の教えを学び、その道を歩いて来て、お恥ずかしいけれども、それなりに育てられてきましたので、死がやってきたら、名残惜しいんですけども、大きな生命の中に包まれて、永遠の真理、真実の世界に触れているんだから、いつどう死んでも、どうということはないわなあと、思っております。これが私の一つの思いです。死んだ先に何かがあるから安心だということじゃなくて、このままどう果てようとも、「蝸牛何処で死んでも吾が家かな」という境地です。しかし、もう一つ、凡情の所で言えば、さっき申し上げたように、兄貴は、死んだら「また会おう」と言いました。また父親も遺言があるから死んだら開けて見ろ、といつも言っていましたが、父が死んでフッと思い出して、仏壇の引き出しにあったものを見たら、「元気で仲良く生きていけ。浄土で待っておる」とこう書いてありました。兄貴がそう言い、父がそう言って死んだのだから、私もまた逝ったら会えるなあという、そういう、もう一つの感情のレベルで、そういうことを時々思うんです。知的な意味では、そんなことを他人に言えるわけじゃありません。私はやっぱり、このまま死んでそれで宜しい。死ねば良いがなあという、そういう心境です。こういうところで、まあ最後には、身近な者には、「また、会おうなあ」と言って、死んでいきたいなあと、こんなことを思っております。
 
峯尾:  有り難うございました。
 
 
     これは、平成十二年九月十日にNHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである