今 子どもたちに伝えたいこと
        ーゲーテに学ぶ自然・生命へのまなざしー
 
                       フェリス女学院院長
                       ドイツ文学者 小 塩   節(おしお たかし)
                       き き て  金 光  寿 郎
 
ナレーター: 東京都杉並区井草(いくさ)。住宅街の中にある幼稚園に子どもたちが集まってきます。門で迎えるのはドイツ文学者で、現在フェリス女学院院長を務める小塩節さんです。小塩さんがひこばえ幼稚園の園長になったのは二十年前です。ゲーテやトーマス・マンなどの研究をする一方で、園長として毎朝門に立ち、子どもたちを握手で迎える生活を続けてきました。遠足や泊まりがけの旅行では、文字通り子どもたちと寝食を共にします。今日は子どもたちとの暮らしの中での発見を、ご専門のゲーテの思想と重ね合わせてお話を頂きます。
 

 
金光:  ここは東京の杉並区の井草というところでございますが、小塩先生は此処の井草で子どもの頃からお過ごしになったんでございますか。
 
小塩:  はい。ドイツ語でいうと、「ヤギ」という言葉があるんですけども、やや、イェスであって、ノーなんですね。生まれたのは此処じゃないんです。私の父は牧師をしておりまして、九州の佐世保に行っておりまいて、そこで私と妹が生まれて、また此処へ帰って来た。此処は祖父の代から住んでおりまして、
 
金光:  確かお祖父さまは、高恒(たかひさ)牧師さんは留岡幸助(とめおかこうすけ)(1864-1934)先生の家庭学校のお手伝いと言いますか、お仲間で、
 
小塩:  そうでございました。
 
金光:  東京の方で留岡先生はどっちかというと北海道で、東京の方はそのお祖父様がなさっていたんですか。
 
小塩:  はい。話が長くなっちゃうんですけども、私の祖父というのは明治の人間ですけども、アメリカへ留学致しまして、神学、つまり牧師になる勉強と同時に社会福祉の勉強をして帰ってきました。牧師でもあったわけですが、留岡幸助さんのお仕事に感銘を受けてお手伝いをした。ところが大震災の時に壊れます。北海道へお移りになった時に、自分は身を引いて、この土地で、ごく小さな少年たちの為の塾を開いた。寝泊まりを共にするという「小塩塾」と言っていました。それがこの土地なんです。
 
金光:  その小塩塾というのは今の学習塾ではなくて、家庭で育てられないような、昔で言うと、感化院的な非行の子どもなんかもいるし、孤児(みなしご)みたいないろんな方をあずかっていらっしゃった。
 
小塩:  一緒に育っていました。
 
金光:  それは、小塩塾というのは節先生が子どもの頃もあったわけでございますか。
 
小塩:  はい。ございました。ずうっとございまして。
 
金光:  こちらへ来られてからは、その子どもさんたちと学校なんかご一緒に、
 
小塩:  一緒でした。線路の向こうの桃井第五小学校へ一緒に通っておりました。
 
金光:  そうですか。
 
小塩:  東京に祖父たちがいましたけれども、父は牧師で、教会のお手伝いをしておりました。戦後、これはつぶれまして。こういう形ではなくて、幼稚園に。教会立幼稚園に変わりました。
 
金光:  確か、以前、この時間の前の番組で、小塩れい先生に、園長をなさっていたお話を伺ったことがあるんでございますが、今の節先生が園長になられたのはいつ頃からですか。
 
小塩:  二十年前でございます。教会立の幼稚園が出来まして、そして、母親がその幼稚園を負うことになりました。それで歳を取りましたので、「教会立ではなくて、学校法人として独立した方がいい」と。学校法人になったんですが、その為には教会から役員を出なければいけない。教育免許証を持っている者が出るように、と。私は自分で免許証があったものですから、出ることになりました。それで幼稚園の園長を引き受けました。その時に私は中央大学に務めていたんですけれども、文学部の教授会で、「幼稚園の園長を兼務でやっていいか」ということを審議してもらいました。みんな喜んでくれました。それから、私はドイツ文学の教師ではなくて、「エンチョ先生」と呼ばれることになって、二十年経ちました。
 
金光:  そうですか。
 
小塩:  今は中央大学から別に移って、横浜に通っております。
 
金光:  それで、幼稚園の園長さんをなさっていた時でしょうか、私は、節先生が長く何十年も講師としてやっていらっしゃったNHKのドイツ語講座で教えを受けました。
 
小塩:  汗が出てまいりました。
 
金光:  その小塩塾の子どもさんと一緒に学校へ通っていらっしゃった小塩節先生が、何でまたドイツ文学なんかをおやりになろうと思われたんですか。
 
小塩:  二つ理由がざいまして、一つは父が牧師でございました。日本の牧師というのはドイツ神学の影響が大きかったんです。特に、カール・バルトであるとか、ブルンナーとか、ブルトマンとか、父の書斎というと、ドイツ語の本がずらっとあるのが当たり前だった。父は音楽も好きでございますから、生まれる前から何とかバカで、生まれる前から枕元で手回しの蓄音機というもので、ブラームスのチェロ、シューマンだの、バッハとか、そういうものを、私は聞かせられたわけですね。ですから、何か自然にドイツ音楽や、ドイツ語が入ってきていた、ということが一つございます。もう一つは旧制高等学校の最後に何とか入りまして、松本の高等学校へ参りまして、そこの先輩で辻邦生さんとか、北杜夫さんがいらっしゃったんです。で、とても身体が弱かったんですけども、山に登るようになって、例えば、辻邦生さんは一年生の私をつかまえまして、「君」と、こう格好がいいんですよ、本をこんなふうに肩にこうまとわして、「君、いま、何を読んでるの?」とこう言う。白皙(はくせき)の美青年でした。去年亡くなりましたけどね。「ヘッセを読んでいます」。「君、ヘッセやリルケはね、原文で読まないといけないよ」こうくるんですよ。慌てて原文を図書館から借りて来て、懸命に読んだものでございました。それから、先生が非常に良かったですね。優れた先生が沢山いらっしゃいました。例えば、望月市恵先生、いろんな翻訳をお出しになっていらっしゃいます。或いは、小栗浩先生ですが、こういった優れた先生方がいらっしゃった。そして、いい友だちが沢山おりましたものですから、自然にドイツ文学やら、ドイツ思想、ドイツ音楽にすうっと引っ張っていって貰った、という感じでございます。
 
金光:  それでドイツ語の講座やドイツ文学なんかなさったり、随分あるわけですが、その間に此処の幼稚園に顔をお出しになっていたことはあるんですか。
 
小塩:  あります。すぐ近くが幼稚園ですから、時々、顔を出して、母の手伝いをしておりました。
 
金光:  ああ、成る程。その時はどの程度のお手伝いをなさっていたんですか。
 
小塩:  時々行って遊ぶ程度でございます。
 
金光:  そうですか。子供さんはお好きだったわけですね。
 
小塩:  自分の子どもみたいなものですから。
 
金光:  朝、先生は入って来る子供さんに握手をなさるんでございますね。ずうっと最初からですか。
 
小塩:  はい。ずうっと最初からでございます。二十年來。
 
金光:  随分子供さんの数が多いんですね。
 
小塩:  はい。二百人位おります。可愛いですよ。
 
金光:  草臥れた感じの子供さんと、目の色が輝いているような子供さんとは、その時にやっぱり分かるわけですね。
 
小塩:  おっしゃる通りですね。手の握り方が違います。それから、目を見ます。目がドロンとこうなっている時は、なんか病気があるんじゃないか。具合が悪いんじゃないか。或いは、今朝、お母さんに叱られたんじゃないか、と。「どうしたの」と、こうなりますね。これはお医者さまが触診なさると同じで、私どもやはりお子さんの手をちゃんと握らないといけない、と思っております。朝のご挨拶で、只、「おはよう」だけじゃなくて、手を握る。これはもっともゲルマンの習慣でして、昔、ドイツの祖先のゲルマン人が、お互いに手の中に武器を持っているかどうか、を確かめたんだそうですね。それが何千年も昔の話で、今、人間と人間が人間らしく挨拶をするという習慣ですから、私、子どもたちとやっております。ところがですよ、ご覧になりましたでしょうか。お母様方の中に、「私も」というお母様もいらっしゃるんです。何人か握手しましたならば、「園長は依怙贔屓(えこひいき)だ」と、こうきたんです。ですから、お母様全部と握手するわけです。お子さんが約二百二十人いると、お母さんもその数いるわけです。毎朝ということになります。嬉しいですよ。
 
金光:  何となく若いエネルギーがこう伝わってくるような感じがなさるんじゃないか、と思います。
 
小塩:  恐れ入ります。見抜かれたか(笑い)。
 
金光:  それで正式に園長さんになられて、その時に園長さんとしては何か抱負と言いますか、どういうふうにしようかと、お考えになるんじゃないかと思いますが、その辺は如何でございましたか。
 
小塩:  これは前からの伝統を引き継いで、遊び幼稚園でいきたいと、こう思いました。東京にはその受験勉強の幼稚園というのは非常に沢山あるわけです。ご父兄からも要望はありました。
 
金光:  そうでしょう。
 
小塩:  「あんたは語学の教師なんだから、英語をウンと教えてくれ。算数も教えてくれ。漢字も教えてくれ」と。「一切ダメ」と私は申しました。「子どもは本当に全力で遊ばなければいけない」と。「遊びの中で遊びをいろいろ展開していって欲しい」。創造力ですね。それから、「お友だちとぶつかったり、一緒になったりして社会性を学んでいって欲しい」。数の感覚だって、遊びの中で覚えるわけです。 今、日本の子どもは餓鬼大将もいなくなったものですから、遊びがないんです。やっぱり子どもは遊びをせんとて生まれけむです。遊びが命なんですね。それがお勉強ではいけません。
 
金光:  そうですね。ただ、現実にはやっぱりお勉強。なんと言っても、いい学校へ入れて、いい大学へ行ってとか、いい会社みたいなのが、今でも根強いんじゃないかと思いますが。
 
小塩:  根強いですね。非常に根強い。これは日本人に牢乎(ろうこ)としてありますね。しかし、有り難いことに、いろんな大学付属小学校で、今までのような知識をテストするんじゃなくて小学校の入学試験ですよ今までペイパーテストがあったんですよ。それを止めて、子どもたちが自然に遊んでいる姿を、先生たちが遠くから見ていて、「あの子は遊べるよね。初めはゆっくりしているけども、ちゃんと入っていける」と。そういう観察をして、それを入学試験にしているところが随分増えてきました。名前を挙げるとずうっと出ます。
 
金光:  そうですか。随分変わってきましたですね。
 
小塩:  日本も変わりました。嬉しいことだと思います。ただ、お子さんによっては仲間に入っていくのが、テンポの時間のかかるお子さんもいるわけです。それは早い子だけが受かるんじゃこれは困ると思います。遊びという話になって、余計なことになりますが、私の子どもの頃は、東京に子どもの遊びは大体四千種類位あった、と言われています。全部遊んでいるわけではないですよ。その幾つかは遊んでいる。子どもの遊びというのはそれ位あった。今の東京の子どもはなんと二十だそうですね。
 
金光:  ほう。
 
小塩:  しかし、後はテレビゲームなんです。しかし、その二十であっても、ちょっとヒントを与えたら、それから子どもはドンドン展開していくんです。それがもう二百になり、四百になる。それが独創性の開発というものだと思うんですね。子どもは遊ばなくちゃいけませんね。
 
金光:  やっぱりここでも三年制で、最初に入って来られた子供さんがその仲間に入るのに早い遅いはあるでしょうけど、やっぱり慣れてくると、子どもの遊び方みたいなものは前とは大分違いますか。
 
小塩:  変わりますね。初めはなんかおずおずしています。今朝だって、男の子が一人、「ああ、疲れた」とやって来る子がいます。
 
金光:  朝からですか。
 
金光:  朝からです。「どうして?」と言ったら、「昨日帰ってお勉強した。実は園長先生内緒なんだけども、英語の勉強に行った。そして、スウィミングに行った」と。「それで遅い晩御飯食べて、それからテレビゲームをやっていた。それで遅くなっちゃった」と。「だから、朝やっと起きてきたから、ああ、疲れた」と。お父さんの真似をしたかと思ったんですよ。真似じゃないんです。本音なんです。これはテレビゲームを止めて、ドンドン遊ぶ。その子は遊びだしたら元気になるんです。また、後で疲れたら昼寝をしたらいいんですから。しかも、そのお子さんにそこで初めに縄を一本あげたんです。「気持悪い」というんです。「蛇だ」と言うんです。
 
金光:  え!
 
小塩:  「いや、そうじゃないよ。これは縄跳びの縄というもんだ」。 「なあに、それ?」というわけです。
 
金光:  縄を知らないんですか。
 
小塩:  「こうやってご覧」と言ったら、「面白い」というわけです。 友だちがやってきて、二人でやった。そうしたら、三人、四人とみんなでこうやって縄跳びの遊びも幾つも展開していくわけですよ。
 
金光:  でも、それを知らないんですか。
 
小塩:  知らない。知らないからほっといたんではいけないんです。ちょっとヒントをあげる。ちょっとヒントをあげると子どもというのは適応性がありまして、初めはおずおずしているけど、すぐ入って、子どもがどんどん加わってくる。一つの社会が出来上がっていく。嬉しいですね。
 
金光:  そうすると、夢中になって遊ぶでしょうから。
 
小塩:  目がキラキラして。「ああ、疲れた」というのはどっかへ行っちゃうんですよ。
 
金光:  それがいいですね。
 
小塩:  子どもというのは非常に正直で、そして、総てのものに対して好奇心を持っている。今の若い学生たちが実は好奇心もあるんだけど、それを表に出さない。遠慮をする。ところが子どもは、「何故」と聞くんです。そこがとっても大きい違いだと思います。
 
金光:  「王様は何故裸(はだか)なの」みたいな、
 
小塩:  裸(はだか)かどうかは別として、(笑い)。「園長先生、お空は何故青いの?」とこうくるわけですよ。大変な問題ですよね。物理学的には答えられるでしょう。中学なんか習った物理学では答えられますけどね。光の具合ですよね、これは。それならまだいいんです。「木は何故緑なの?」。
 
金光:  ほう。
 
小塩:  「だって、茶色でもいいんじゃない」。秋になったら茶色だから、何故緑だ。これは葉緑素があって、緑があると一番お日様の光を受けやすい。それならまだいいんですよ。海に行ったんです。海が青かった。「ねえ、ねえ、園長先生、何故海は 青いの?」。こうですよ。今朝だって、お砂場でこんな小さな石見付けて、「園長 先生、この石、なあに?」。「この石何故茶色なの?」。この石が茶色だ。「何故だ」と聞くんです。だけどこれ、誤魔化しちゃいけない。全力で答えなくちゃいけない。だって、子どもがもっている、「何故」という問いかけって、根源的な問いなんですよ。人は何故生きているか、と。小鳥ちゃんが何故死んだんだろう。その「何故」に大人は答えてあげなきゃいけない。答えるためには絶えず勉強しなくちゃいけない。幼稚園の先生というのはとっても勉強が必要です。
 
金光:  しかも、「勉強する」と言ったって、「これは鉱物とはこうこうかくかくしかじかで」と、地球の歴史から話すというわけにはいかないわけですね。
 
小塩:  いかないです。自分のいのち、子供のいのち、世界との関連において学んでいないといけない。まさにゲーテ的な世界ですよ。
 
金光:  成る程。
 
小塩:  私の専門がゲーテなものだから、ついつい結び付けて考えてしまいます。
 
金光:  でも、ゲーテという名前が出ましたけれども、ゲーテのどういうところがお好きだったんですか。
 
小塩:  何もかも好きなんです。こういう目玉の大きい人で、ドイツ人でした。十八世紀の中頃、一七四九年に生まれて、一八三二年に亡くなった詩人で、さまざまなことをやった。ちょうど、レオナルド・ダ・ヴィンチとか、ミケランジェロと並んだような普遍的な人だった、という感じですね。大きい目玉していますでしょう。これで世界を見つめていたんですよ。
 
金光:  私なんか正直なところ、二百年程前に生きたゲーテという方は物凄く才能豊かで、何でも出来る行政官でもある。弁護士でもあるし、しかも、小説、詩も書くし、それから評論もする。何でもやる人、大巨人と言いますかね。小塩節先生にとってのゲーテさんという人はどういう感じの方なんですか。
 
小塩:  私にとっては非常に純粋な詩人だったと思います。世界や自然に対して素直に飛び込んでいって、その草の葉の先にちょっと付いた露、その露に世界が映っているよ、という詩を書ける、そういう詩人だった。
 
金光:  そうすると、子供さんの何故と同じなとこがある。
 
小塩:  同じですよ。千幾つもの詩を綺麗な詩を沢山書いて、詩人であることの上に小説が出来る。戯曲が出来る。そして、自分が好きでもないんだけども、頼まれて国政の顧問役になる。やがて行政官になる。おっしゃった通りですよ。政治に関わっていくようになる。だけど、今おっしゃいましたように、何もかも成功した人じゃなくて、失敗もあったんです。
 
金光:  そうなんですか。
 
小塩:  それはゆっくりお話するとして、私にとってやっぱり詩人として、とっても素直に詩を書いた。それは音楽家でいうと、バッハやモーツァルトみたいな人かなあという気が致します。それに触れると私の魂なんか明るく開けていく。世界が開けていくような感じが致します。
 
金光:  そうしますと、輝ける星みたいな遙か彼方という感じではなくて、その詩を読むとこちらにもなんか伝わるものがある。
 
小塩:  本当にそうです。
 
金光:  目が開けると言うか、
 
小塩:  まさに幼子の世界と同じで、その大ゲーテを赤ちゃんと同じにしては悪いけども、例えば、小さな詩がございますが、「野ばら」世界中で、この詩は百何十人という人が作曲している。十人か二十人位かと思っていたら、百何十人といるんですね。
 
金光:  でも、日本に入っているのは割に有名な、
 
小塩:  シューベルトの曲と、ウエルナーの曲の二つですが、あの詩もここにもっております。ちょっとご紹介しますが、
 
金光:  ちょっとドイツ語の感じだと、どういう感じになるんですか。元の詩は。
 
小塩: 
 

 

  野ばら

 野辺に咲く
 あかいばら
 朝日のような美しさ
 少年は見るなり駈けよって
 うっとり眺めておりました
 あかい野ばら
 野辺に咲くばら

 「さあ 折るぞ あかい野ばら」
 「刺してあげるわ
 わたしのことを忘れぬように
 ただ折られたりはしませんわ」
 あかい野ばら
 野辺に咲くばら

 でも少年はむごくも折ってしまった
 あかい野ばらを
 ばらはふせいで刺したけれども
 嘆きも叫びもむだでした
 やっぱり折られてしまった
 あかい野ばら
 野辺に咲く ああ あかいばら
 
 
野バラが咲いていた。少年はそれを見て、あまり綺麗なので、急いで走って行った。折ろうと思った。野バラがダメ。折ったりしたら刺しちゃうわよ、という。だけど少年は酷くも折ってしまった。ああ、赤い野のバラ、と。それだけなんですよ。それだけなんですが、もしもこれがハイネとか、後世のロマン派の詩人ですと、「おお、君は花のごとし」と、距離を置いて遠くから見ていて、ジッと憧れるわけですよ。ゲーテという人は痛くても折っちゃうんですよ。自然の中に自然に飛び込んで行っちゃう。子供の世界と同じでしょう。
 
金光:  やっぱりああいう大ゲーテでも失敗なさっているんですか。
 
小塩:  ええ。いいことを聞いて下さった。まさにそうですよ。それが人生だと思いますよ。例えば、行政官として成功したとすれば、例えば、彼が二十六歳でワイマルという小さな国へ、今でいうと、日本で約十万石程の小さな国のワイマル公国というところに招かれて、そこで行政官になってやった最初の仕事は、軍隊の数が多すぎる、と。軍人が多すぎるので、それを半分にちょんぎっちゃうんです。
 
金光:  リストラじゃないですか。
 
小塩:  リストラをやったんですよ。リストラをやって、赤字経営の国家財政を立て直す。そして、軍隊を半分にすると、失業者が出ます。この失業者を道路工事に廻すんです。当時の道路は酷かったんですよ。彼が乗っていった馬車が轍の泥に填って、大変だったという道路もあるわけです。今のドイツはアウトバーンが素晴らしいですよ。そこで彼は石を砕いて道路を舗装させたわけですね。普通のヨーロッパだったら、石を置いて舗装する。彼は石を砕いて舗装させた。そうすると、雨水が染み込む。しかも、固い土が出来るわけです。固い道路が。そして、水が染み込むので、道の両側に並木をずうっと造らせるんです。ゲーテの造った道は今でもいっぱいあるんです。
 
金光:  そうなんですか。
 
小塩:  はい。ワイマルからイェーナに至る道路とその並木なんか立派なものです。その並木もただ木が緑であればいいんじゃなくて、実の成る木を植えたんです。そうすると、また飢饉の時に助かりますね。そういう仕事をします。それから義務教育を完璧に導入するんです。
 
金光:  それまで義務教育なんてなかったんですか。
 
小塩:  無かったんですよ。教育制度はあったけども、日本が明治時代にやったような教育というのはワイマルがドイツで最初です。
 
金光:  そうですか。
 
小塩:  はい。それから畑の農地改革を。それから空いている土地には、当時は三圃(制)ですから、空いている土地には牧草を植えるんではなくて、クローバーを植えさせる。クローバーというのは日本の田圃のレンゲ草も同じですけど、
 
金光:  肥やしになりますね。
 
小塩:  根っ子が空中窒素を固定するんですね。土地がとっても豊かになる。それでクローバーを植えさせて、しかもクローバーの葉っぱというのは乾かして置けばとってもいい冬の牧草になるんです。そういうことを指導する。ところが失敗は農地改革をやろうとした。大変だったんです。例えば、戦後の日本は占領軍の威光を借りてやった。だけど、小さな国の中だけでやるというのは大変なんですね。小作人にも自分の土地を与えようじゃないかとやったんですが、官僚に裏切られまして、後ろからやられるんですね。政治家が頑張っても後ろから官僚にやられるということがあるんです。彼は失敗したのです。
 
金光:  これは出来なかった。
 
小塩:  出来なかった、未だに出来ていないんですよ。それからもう一つは国庫がとっても苦しかったんです。日本の米沢藩と同じですよ。ゲーテは鉱山の開発を考える。当時、あの頃、ワイマル近郊に古い銅や錫の鉱脈があった。マルティーン・ルターのお父さんという人も炭坑夫でしたから。彼はいつもハンマーを持って歩いていまして、午前中は『ファウスト』を書いて、午後になると昼寝なんかしていないんですね。ハンマーを持ちまして、ハンマーを杖代わりに持って山を歩くんです。コーン、コーンと岩を叩いて、そして、岩を欠いて持って帰って来て、自分で分析した。分析化学も彼はちゃんとやっているんです。やった上で、「分析だけで学問が終わっちゃいけないよ」と言ったのです。全体と関連して、彼は何でそんな鉱物学をやったかというと、そこで銅とか、錫がもしあれば、国庫の為に役に立つなあと思って、鉱山の開発を命じるんですよ。ところが水が出てくるんです。その水を汲み取るのがとっても大変で、失敗した例が幾つかあって、がっかりするんです。彼の生涯の最大の失敗です。
 
金光:  鉱石はあっても掘れない。
 
小塩:  掘れなかったんです。今だったらベルトコンベヤーなんかでやる。しかし、当時のことですから、どうやっていいか分からなかった。水がいっぱい出て失敗した。彼は相当ショックを受けています。それだけではなくて、彼はいろんなことをやっています。例えば、解剖学をやったり、顎間骨を発見しているんです。「ゲーテ骨」という、顎と顎の間に骨があるんです。昔はそんなところに、人間は骨はないと言われていた。しかし、軟骨がなかったら間接が外れちゃう、ある筈だと仮説を立てて、実際に頭蓋骨をこうやって見たならばあるんです。で、解剖学で、今でも医学部の人は習っていますよ。
 
金光:  医学も当然やるわけですね。
 
小塩:  そういう解剖学、光の学問、色彩学、植物の変態論。ダーウインより先に進化論をやっているんです。
 
金光:  そうですか。
 
小塩:  はい。そういう進化論をやりながら、いろんな自然科学を何故やったかというと、実際の行政に請われてやらざるを得なくなって。だけど、ただやらされてじゃなくて、いつも好奇心があったんです。ひこばえ幼稚園の子どもと同じですよ。何故、何故なんだろうと。何故水が出てくるんだろう、と。どうやって止めたら良いだろうと苦労する。その苦労が彼の時代には失敗したけども、後の時代にそれは受け継がれていった。十九世紀のドイツ科学がグングン進歩していった。そこにはゲーテたちの努力、失敗の努力があったと思いますね。
『ファウスト』のような大きな作品を、彼が六十年かけて創った。森鴎外の訳でよく知られております。これもなんかしち難しい作品というふうに取られがちですが、そうじゃなくて世界の中に飛び込んでいって、世界をどうかしてよくしたい。そして、人間が作り込まれている自然と人間が共に生きられるような、そういう世界を創って、自由な土地の上に自由な民と共に立ちたいなあという願いの大きなドラマなんですね。
 
金光:  どういうところがありますか。一、二、
 
小塩:  例えば、一、二ちょっとご紹介しましょうか。例えば、『ファウスト』の初めの方に、この世界の、大きな創造の世界を賞め讃えている天使の言葉がございます。例えば、こういうことがありますね。
 
     太陽は、太古のままの調べも高く
     兄弟の星星と歌を競い
     定められた軌道を
     雷鳴をとどろかせて歩み、
     それを見て私たち天使は力づけられる。
     何故なのかそのわけは究められないけれど
     はかり知れぬ尊いみ業(わざ)は
     天地創造の日と変わりなく荘厳である。
           (『ファウスト(天上の序曲)』
 
『ファウスト』とはメフィストーフェレス、悪魔といっしょに女の子を誘惑する悪い物語かと思っていると、全体はそういう大きな世界の賛美の歌なんですよ。
 
金光:  成る程。
 
小塩:  ところが、そういう中に作り込まれたのに、一体俺の学問は何なんだろう。ファウスト博士が怒り狂っている場面があるんですよ。おれは四つの学問を修めてきた。中世の大学というのは、まず最初に哲学、それから医学、法律学、最後に神学もあるんですよ。これをファウスト博士はハイデルベルク大学で学ぶ。これは実在の人物なんですよ。本当に生きていた人なんですよ。マルティーン・ルターとほぼ同じ時代の人なんです。それがその伝説の人物になったんだけど、それを取り上げて、いろんな先人がそれを作品にしています。音楽家でもたくさんいますけども、ゲーテが書いた『ファウスト』というのが一番有名になったわけですが。その四つの学問をやってきて、そして、例えば、ドイツ語でいうと、
     (ドイツ語で読む)
徹底的に学問をやってきたんだけど、どういうわけだか苦しくてしょうがない。自分の研究室で机に向かって坐っているんです。何故か分からないけど、不安が私の心を抑え付ける。神さまは我ら人間を生きた自然の中に作り込んでいて下さったのに、なんだおれの周りにあるのは紙と煙だけじゃないか。これで学問と言えるのか。
 
金光:  成る程。
 
小塩:  学問そのものを根源的にもう一遍問い直すわけです。
 
金光:  印象としては全部を読んでいないんですけど、ファウスト博士が悪魔に魂を売って、というようなところが、
小塩:  あります。そのところは、日本人によく受ける。
 
金光:  なんでですね、悪魔に魂を売ってまでそういうことをするのか。
 
小塩:  いいことを聞いて下さった。それで、ファウストというのは学者なんですが、孤独な学者で、徹底的に学問を究める。これはいかにもドイツ的でありませんか。
 
金光:  トコトンやる。
 
小塩:  アメリカの学者はチームを作るわけです。フランスの学者は議論するわけです。ところがドイツの学者は孤独にトコトンまで究め尽くす。ところがトコトンまで究め尽くす。学問は一体何なのか、と。で、やればやるほど、『ファウスト』の中に出てくるんですけども、この作品の中に、今の学問というのは細分化されて細かくなってしまった。いのち全体、自然全体と切り離された細かい分野医学でも、何か細かい分野だけ、遺伝子だったら遺伝子だけ、こう徹底的にやっていくものだから、人間の全体、自然全体との関連を見失いがちになってしまった。残念だ、と。でも、やってもやってもある限界を飛び越えられない。そこで悪魔の力を借りる。こうくるわけです。
 
金光:  超える為に、
 
小塩:  その悪魔というのは今で言えば、原子力であり、遺伝子工学であり、神をも恐れぬ業(わざ)と言われておりますでしょう。それを飛び越えてでも学問をやっていきたいという欲望があるわけです。それをゲーテは、メフィストーフェレスの悪魔、魔法という形で言い表した。今だったら自然科学の先端をいっている人たちが、ギリギリのところでこれでいいのかなあと躊躇(ためら)いながら、もう一歩踏み出す時のその感じだと思いますね。
 
金光:  それを書いてからもう二百年経ちますが、その時に細分化されていて、人間が本当に生きた自然全体を細かく細かくこう切っちゃって、というのは全く変わっていないんじゃないですか。むしろそのまま進んできている。
 
小塩:  つまり、ルネッサンス以来人間のやってきたことって、そうなんですね。たえずそれを反省しなければいけない。その反省を最初にやったヨーロッパ人がゲーテであると、私は見ております。それを受け継いだのが、例えば、アルベルト・シュバイツァ(Albert Schweizer:ドイツの哲学者・神学者。一九一三年医者及び伝道師としてアフリカへ渡り、黒人の医療伝道に従事:1875-1965)ですね。そう言ったわけで自然に対して畏敬の念を持たないのは何故なのか。普通、人間は自然の上に創られたんだ。人間が自然の中のさまざまなエネルギーを解放する。或いは、法則性を発見して、そのエネルギーを人間の為に役立てよう、と。これが自然科学ですね、技術ですね。そうじゃなくて、大きな自然の中に作り込まれた人間が、自然というものと共に生かされていることを感謝しながら、畏れをもって生きていこう、というのがゲーテなんです。
 
金光:  人間というのはどっちかというと、夢中になると視野が狭くなって、自分のやっていることをドンドン行きたい、という性癖がどうもあるようでございますから、いまおっしゃったような全体を見る目というのは、だんだん細かいところ、分ければ分けるほど見えない人が増えてきているということになるわけですね。
 
小塩:  両方をやっていかなければいけない。辛いところですけども。細分化されて、専門を徹底的に知りながら、しかも、全体をたえず見失わない。全体との関連をいつも失ってはならない、というのがゲーテの心情だった。それがやっぱり詩人として、世界全体の美しさ、この創られた世界の見事さ、それを感じ取っていたからだろうと思いますね。
 
金光:  その神が人間を生きた自然の中に、ちゃんと作り込んでくれたというのがありますけれども、やっぱり現代、近代の人間というのは、山を征服するとか、何かヨーロッパの考え方は、要するに、神さまは人間を一番上に置かれた、というふうに考えたのが、近代の表に出ている考え方だ、というふうに聞いているんですが。
 
小塩:  それを明治の初め、或いは幕末からの日本人は、ヨーロッパからそこだけ学んだ。神への畏れとか、自然への畏敬というようなものは、どっかへ置いて、人間が自然を征服するとか、利用するというところだけを学んだのではないか、という気がしますね。和魂洋才でね。
 
金光:  小塩先生も長野県の旧制松本高校出身ということで、山のお話がちょっと出ましたけれど、山に登られて、征服というような感じになられたことは、
 
小塩:  いや、ありません。
 
金光:  それはありませんですか。
 
小塩:  山はやっぱり鍛えて貰ったという感じですね。小さい時にとても弱かったんです。今でも弱いですけれども。小さい時には、「小学校六年までは保つまい」と、お医者さまに言われた位弱かったんです。それまで両親が一生懸命育ててくれたと思いますが。高等学校へ入りまして、面白い先輩がいたものですから、山に連れていって貰って、山登りをするようになった。いつの間にか自分の体重と同じだけの荷物を持って歩くようになりました。
失敗がございましてね、大分前になりますけれど。何年も前ですが、立山連峰の北の方に剣(つるぎ)(2996m)という山がありまして、これは何時だったか新聞に書いたことがあるんですけれども、先輩と二人で一番天辺まで登って、
 
金光:  あれは三千メーター近いですね。
 
小塩:  そうですよ。本当に三千メーターにあとちょっとですね。数メートルです。この剣というのは立山と違って、まさに男の山という失礼な言い方なんですが、岩とないんです。木が生えていない。草も生えていない。もう峨々(がが)たる山なんですね。渺々(びょうびょう)と風が吹いている。それについ登ったのが四月のまだ春浅い。まだ危ない時です。新雪が降った。そこで山の麓でジッと我慢して居て、最後の日に登ったんです。下りる時、この先輩はもう本当のアルプスで鍛えられている人で、ぴょんぴょん下りていくわけです。私は山の靴でもって、一つ一つと岩を踏み締めながら下りたつもりだったんだけども、フッと気が付いたら、夕暮れの、その大気の中に自分が浮いている。
 
金光:  え!
 
小塩:  浮かんでいたんです。ひょっと見ると、足が滑って、お尻で岩角をポンと叩いて、ピッケル持って、ピョンと浮いちゃったんです。落ちていくんです。ところが人間というのは落ちるんじゃないんですね。谷間とその大雪渓が飛び上がってくるんですよ。グワウッと顎を開いてね。昔の言葉で言って、あぎとを開く。飛びかかってくる。つまり、落ちるというのは大地が飲み込もうとする。そういう動作であると思いました。いや、しまった!、と思いました。思った瞬間もう遅いんですよ。前へだんだん倒れていくんですね。前へ倒れると頭から突っ込んでいきますでしょう。氷の上に頭をぶっつけますから、これは危ないと思って一生懸命姿勢は悪いですけど、一生懸命頭を反らす。椅子に腰掛けたような格好で、ピッケル持ってこう中腰。その時、面白い経験をしましたよ。人生には、そういうことあるものなんですね。雪渓がぐわあっと飛び上がってくる時に、幼い時の幼稚園時代の、そして、日旺学校時代の友だち、「しげるちゃんやしゅうちゃん」だのという悪童の友人がヒュッと出てきたんです。物凄いスピードでうわっと前を通り過ぎながら、九州弁で、私は生まれたのが九州でしょう。だものですから、「おーい、節ちゃん、なんばしちょるか!」と言って、スッと行っちゃったんです。返事のしようがない。その次の瞬間はあそこに見えるんですが、高い欅の梢に上って、うわっと木を揺すっていた少年時代。その頃、この杉並から筑波山が見えたんです。
 
金光:  ほう。
 
小塩:  富士山も見えたんです。少年の頃といったら、木の上に上って眺めることあるでしょう。その時、ピッケル持っているわけでしょう。仙台で作られた山之内の名刀ですよ。そのピッケルのお陰で助かったんです。ピッケルを持っている手がちょうど欅の間を握っている感触だったんですね。その幼い日、そして、フッと見たらちゃぶ台がありました。昔、丸いちゃぶ台があるじゃないですか。そこに死んじゃった親父、おふくろ、妹たちが座って居るんですよ。そして、妹がですよ、「お兄さま」と、また可愛い声出すんですよ。「遅いから先に食べちゃった」。僕の席が空いているんですね。本人は居ないんですよ。
 
金光:  それが見える。
 
小塩:  見える。それで、「ああ、済まない」。誰に、というんじゃないんです。兎も角、済まない、という思いで、「ああ、恥ずかしい。申し訳ない」と思って、「済まない」と、私は目の人間、目で字を見る人間なんですね。目が悪くても、目の人間、漢字が見えるんです。
 
金光:  字が?
 
小塩:  漢字が見えるんです。日本人ですね。
 
金光:  漢字ですか。ドイツ語じゃなかった。
 
小塩:  ドイツ語じゃなかった。ところがヨーロッパ人だったら、音なんだろうと思うんです。我々日本人は漢字で、「済」という漢字を見る。「済まない」と。その次の瞬間、もう気を失っていました。
 
金光:  ああ、そうですか。
 
小塩:  やっと目を開けましたらば、氷の斜面に雪が降り積もっていて、新雪がですよ。危ないんですよ。
 
金光:  そうですね。
 
小塩:  先に下りていた先輩が、何か異様な感じがして、ちょっと振り向いた、と。私が宙に浮かんでいた、と言うんです。落ちてくる!。もしも、私だったらですよ、「ああ、落ちる、落ちる、落ちた」で、お終いでしょう。ところが、その先輩というのは運動神経が発達していたのですね。無意識のうちに走ったと言うんです。雪の斜面の上に降り積もった雪、氷の上の雪は危ないんです。それをびーっと走って、ピッケルを下の氷のところまでグサッ!と刺して、多分小塩が落ちて来るだろうという地点に構えた。引っかからなかったら、これはもう仕方がない。引っかかったんです。私は大股開いて、ガァーン!ときて。私がやっと目を開けましたら、先輩は真っ青な顔で、唇が紫色になっている。ものも言えずに、ただ、ジッと見ているんです。驚きましたね。つまり、人は一生の、人生のある極点までいくと、それまでの短かった人生ですけども、いろんな局面を、「走馬燈のように思い出す」と言いますね。本当ですね。私の結論は、この山に登ったというのは、自分でも誇らかな気持があるわけです。よくやった、と。だけど、同時に、本当に済まない、と。厳密に言えば、先に行って、済まない。周りに失敗をして済まない。みなさんに迷惑をかけて済まない。いろんなことがあるんですよ。済まないの一言。日本人ですから。縮まった二つの思いがございました。山でこんな失敗がございましたね。
 
金光:  やっぱりそういう時は、「済まない」の中にいろんな意味が、おそらくいろんな言葉にならないように、あると思うんですが、自分というものがいて、その総ての周囲、しかも、今だけじゃなくて、これまでの一生と言いますか、そういうものを全部含めて、済まないという気持になるでしょう。
 
小塩:  気持になりました。私はそこで感じたのはもっと根源的な、人生を生きているということの根底のところに、済まない。或いは、罪を負って生きている。こういうものを世界の前に立たせていいんだろうか、というふうな思いですね。もっと言えば、宗教的な感覚なんですけども。それを私がその当時の、あの時の山の上での思いでは、「済まない」という言葉でひとまとめにしちゃう、という感じでございます。
 
金光:  やっぱり自分のそれまでの姿勢みたいなものを全部含めて、なんか総てのものに対して申し訳ない。自分の生き方は足りなかったとか、まあいろいろな思いが含まれている。すまない、という感じでございますね。
 
小塩:  だから、人生はダメだったというのではなくて、だから、人生を堂々と、世界に対しても奉仕しながら、生きていかなければならないという思いのバネとして、「済まない」という思いでございました。
 
金光:  そうですね。そういうご経験を積まれまして、ほんとにもう一瞬の中に、そこまで「すまない」というのが出てきた自分、そういうご経験がおありだと、それから後、例えば、同じ畏れについて書かれたゲーテの文を読まれても、なんか同じ畏れでも、畏れの内容が違ってしまってくることがあるんじゃないでしょうか。畏れを感じるのは、「自分が何者か」ということが分からないと、畏れと感じられないでいくんじゃないかと思いますが、その辺のところはゲーテという人はどういうふうに、
 
小塩:  そうですね。ゲーテ、或いは、ゲーテを非常に大事にして現代に生かそうとしたシュバイツァ(Albert Schweizer)、アフリカで死んだお医者さんですが、あの人たちが考えたことは、やっぱり畏敬、畏れということですね。私自身もそう思うんですが、私自身の人生を省みて、なんと恥多き人生であろう、と。このいのちを与えてくれた神さまに対しても、自然に対しても、或いは、多くの人々に対しても、傷だけ与えて、全くお恥ずかしい人生なんですけども、その恥、或いは、申し訳ないという気持と同時に生かされていることの喜び、感謝、それをもって、この世界全体に向かい合っていきたいという思いがございまして、そのゲーテの世界をこうやって彼の作品を開きますと、「おう、おう、これはゲーテ」、大袈裟でなくて、こうやって一生懸命言ってくれている人がいるんだと思います。
 

       (子供たちに絵本を読む場面)
小塩:  ノアさんという正しい人がいました。神さまはとっても可愛がっていらっしゃいました。でも、周りが汚くて汚くてしょうがない。悪い人がいっぱいいる。そこで神さまは大雨を降らせることにしました。そうして、ごうごうごうごう雨が降ったので、困ったなあと思っていると、神さまがノアさんに、「お船を作りなさい」とおっしゃいました。大きなお船を作ることにしました。トンカチトンカチ木を切ってきて、大きなお船を作り始めました。でも、町の人は、「あっはっは、バカだなあ、今頃お船なんか作ったってしょうがないじゃない。だって、川なんかないんだよ。海もないんだよ。お砂の上にお船を作ってどうするのだい。こういうのを阿呆(あほう)というんだ」と言って笑っていました。
 

 
金光:  日本の場合、今でもまだ確固たる一つの価値体系と言いますか、人間がこう大きくなるんだったら、こういう良い何が良いかというのは、これは非常に問題なんですけども、いい学校とか、いい会社とか、いいお家とか、なんか良いというのがみんなそんなに自分は賛成じゃないような顔をしながら、結局、その価値観がまだ大きいような気がするんですが、ひこばえ幼稚園の価値観というのは、それとは大分違うんですか。
 
小塩:  えらい違いですね。やはり神さまに創られた一つのいのち、今あるいのちを感謝しながら、自分自身になっていく。人間らしい人間になっていって貰う、ということを、何も私はこの幼稚園だけじゃなくて、総て日本の教育の根本であって欲しいなあというふうに思いますね。幼い時に、絵本を読み聞かせ、というのが大事だと思います。私たち幼稚園でもそうです。子どもたちに絵本を、帰る前にちょっと読んであげると、子どもたちの心が温かく豊かになるんですね。何故なんだろう。まず結果論から申し上げますと、申し上げて良いのかなあ、私の友人でお坊さんがいたり、牧師がいたりして、辛い刑務所なんかに入っている人たちにお見舞いに行く。或いは、教戒師になって行く。お話をしても、有り難いお話じゃなくて、聞いているような、聞かないような、みんな頭の上をいっちゃうんです。ところが絵本を持って来て、「ほらね」というと、フッと顔が上がる。これが 子どものお話でいいんだと言うんです。或いは、聖書の話でも、ギリシャの話でも、日本の古いお話でも、フッと聞くので、ゆっくり丁寧に読んであげると、目がランランとなって、聞いているというんですね。その目の輝きは二つあるだろう、と。一つは幼かった日々にお母さんが読んでくれた絵本を聞いた、あの寝る前の一時を思い出す。あの温かかった、世界がまだ丸かった、空が青く匂っていた幼年時代。いつの間にか壊れて、ボロボロになってしまったけども、自分の帰っていく所はそこなんだという思いがある。それから全然そういう思い出のない人もある。いきなり放り出されて過酷な人生に放り込まれる。でも、その人たちでも今改めて幼い時を繰りかえし、取り戻している。こうやって自分の心の中に何かを、温かいものを築いていくんだと私は思うんですね。
私は幼稚園でお話をしている時に、或いは、絵本を見せる時に、こういうことを考えるんです。まずおしゃべりなんかしているでしょう。テレビのいいことというのは、猛烈に情報が多いことです。一秒の間に実は目に見えない画面が幾つかあるんですね。あれがわあっと入っていて、意識して見ていないところの情報まで入ってくる。テレビというものは、電波というものは素晴らしい情報伝達の道具です。これは現代の革命ですよ。私はますます進んでいくだろうと思うんです。ところが絵本をこうやって、「ここにお家があってね」と、読んでいる時には、えらい手間暇かかる。しかもこれをめくりますね。このめくります時に、なんかテレビだったらこの間に二十いくつの映像がぐあっと流れてきて、我々見ていないような気がしているけれど、実はちゃんと入ってきている。ところが絵本の時は、めくる時は真っ新(さら)なんです。どういうことかと言うと、子どもはこの絵をめくって、「象さんがどうなったかなあ。えー、どうしたかなあ」と思っている。見ている間に子どもたちの創造力がこう掻き立てられている。自分で言葉を一生懸命に、「象さんが」「蟻さんが」と、言葉でもって、次の物語のほんのちょっとだけでも創っていくわけです。言葉をさがして、自分で言葉を創って、言葉を見付けて、創造していく。その「間(ま)」というのがこの絵本をめくる時にあるのだと思うんです。この「間」というのがとっても大事なんじゃないか。テレビの情報量というのは大事なんで、これを現代人としては是非必要なんだけれども、同時に一日三分でいい。五分でもいい。そういう「間」というものを子どもたちに持たせて欲しい。それは忙しいだろう、疲れているだろう。だけど、お母さんは寝る前に、「また、同じ本なの」なんて言わないで、子どもというのは好きな本、何十回読んでもいいんですよ。二十回読んでも、百回でもいいんですね。何十回も読む。「心を込めて丁寧にゆっくり「間」を置いて読んであげて下さいね」と、お母さん方にお願いしています。「間」というのは芸術にとってはとっても大事なんです。
 
金光:  そうですね。
 
小塩:  だから、大先輩の前なんですけれど、例えば、日本の芸術は特にそうですね。「間」がなかったら「間抜け」と言うんですね。
 
金光:  そうです。
 
小塩:  間の取り方でものが決まる。私は西洋音楽でもそうだと思うんです。よく管弦楽が終わりますと、或いは、音楽の演奏が終わると、終わるか、終わらないうちに、「ブラボー!」という奴がいますね。あれは分かっていない。一瞬沈黙があって、その僅かな一瞬の間に、演奏全体がもう一遍耳に甦って、魂の前に甦ってきて、そして、初めて拍手をする。その間の時に何かが心にもう一遍刻み込まれる。そういう「間」は、子どもたちが絵本を読んで貰う時にもあるのです。その「間」というのは、実は子どもが言葉を捜し、言葉を創っている。これ大事な瞬間なんですね。
 
金光:  テレビがなかった二百年前のゲーテ時代というのは、そういう「間」を十分味わうことが出来たでしょうね。
 
小塩:  それはおそらく幼年時代の、彼の家庭における両親の家における幼児教育だったと思います。幼い時に、ご飯が終わると、お父さんが彼の好きな本を読んで聞かせて、朗読する。自分で小さな可愛らしい詩を書いて朗読すると誉めてくれる。どうせ下手くそに違いない。三歳の時にお父さんが、お母さんとゲーテにイタリア語の歌を教えてあげた。みんなで一緒に歌ってイタリア語をマスターしちゃうんです。外国語をマスターしちゃうんです。英語もフランス語も。やっぱり幼い時の家庭で、大事なことなんだなあと思いますね。
 
金光:  子どもを愛するなんていうと、自分が一段高いところに、何か恵んでやるじゃないですけど、可愛がってあげるみたいな、
 
小塩:  そうじゃないんですね。いのちの畏れですよ。畏れであり、信頼である、という感じですね。それを例えば、どういうふうに育(はぐく)んでいったらいいだろうか。今、どこの家庭でもお母様方が苦労するところなんですね。育児法はどうしたらいいだろうか。私は育児の細かい技術よりも、もっと大事なのは、お母様が本当に人間らしく子供たちと向かい合って欲しい、と。お父様もそうですよ、勿論。お父さんは一般に日本の社会では忙しいですね。ですから、週のうちの五日はお母さんが主体になります。土、日はお父さんが加わって貰うわけですが、ざっくばらんに言っていいですか、テレビ番組ですけど。お母様と子どもたちがえてして全部じゃないけど、ご飯の時、テレビを見ているわけです。
 
金光:  はい。そうですね。
 
小塩:  お互いの顔を見ていないんですよ。そこで何が起こるかというと、子どもたちはお代わりを貰う時に、「パン」「お代わり」「ミルク」、この調子になる。つまり、今の日本語は非常に貧困になっている。文章になっていないんです。「お茶を下さい」「ご飯のお代わり頂戴」がないんです。
 
金光:  「お茶」。
 
小塩:  「風呂」。お父さんと同じなんです。「パン」「バター」、その単語だけ。名詞だけが飛び出す。お母さんもテレビ見ながら、「ううん」こう渡すわけですよ。お互いが目を見合った文章で、そして、「頂戴」の後で、きた時に、「有り難う」が出てこない。これが今の日本語の一番弱いところです。これはやっぱり家庭でやらなければいけない。それは幼稚園でもやりますよ。やりますけど、毎日毎日の朝のご飯、夜のご飯。その時に、「有り難う」「がとう」でもいいんですよ。一言、その一言が出るか出ないかで人間らしさというのが出てくると思います。
 
金光:  オーバーな言い方をすると、それが我々の、私たちの人間創造というか、世界創造なんですね。
 
小塩:  そうそう、そうですね。昔は何でも良かったとは申しませんけれども、かつての日本にはお食事の前に、「頂きます」と、ちゃんと礼があった。終わったら、「ごちそうさまでした」があった。これは天と地に向かって、作って下さった方々、何万人という人に向かって、「ありがとう」を言ったんですね。それが今無くなったんですね。「当然だ」と思ってテレビを見る。だから、私はお母様に言うんですよ。「ご飯の時はテレビを消して下さい」。私もテレビ人間ですよ。何よりもテレビですよ。朝から晩までテレビつけてね。だけど、そのテレビもご飯の時は切っている。どうしても見なければならない番組だったら、これはビデオを取る。その間にゆっくり目を見合ってお話をし合いながら。お話というのはベチャベチャ喋ることないんですよ。「下さい」「頂戴」「ありがとう」が出てくればもうしめたものなんです。人間として、目と目を見合って。それがないところでは、言葉がドンドン痩せ細っていく。外国の例を申し上げるのはとっても嫌なことで、「あちらで出羽の守(かみ)」になって終いますけどね。でも、「でわのかみ」に言わせて頂くと、例えば、ドイツの場合だったら、「頂戴」という言葉、センテンスではなく、「ビッテ(Bitte)」、英語の「please」に当たる言葉。これを例えば、「バター、ビッテ」「パン、ビッテ」と言えば必ずくるわけです。来たらすぐ、「ダンケ(Danke)」、フランス語の「メルシー(Merci beaucoup)」、イタリア語で「グラーチェ(Grazie)」。これがすぐでるわけですね。出なかったら、ピシッと叩かれて取り上げられてしまう。アメリカでもそうですよ。孫がアメリカへ行っていますけども、まさにそうなんです。そういう人間的な会話の一番基礎が食卓にある。そこをまず築き上げて頂きたい。だから、お父さんたちも夜遅く帰って来ても、土、日でもお父さんとお母さんが、「お茶頂戴」「ありがとう」を。「お父さん、お茶碗洗ってくれたの。ご苦労さん」とこう言って欲しい。当たり前だ、と思っては困ります。ちょっと余計な話になりました。
 
金光:  そうしますと、ゲーテのように総てのことが出来るようにはならないかも知りませんけれども、兎に角、子どもたちに家庭の中で、子どもたちに直接向かい合う。そういう時間を持つ。
 
小塩:  時間を持つ。そして、子どもたちが自分の言葉を持つように配慮してあげる。つまり、子どもたちに何か私どもの価値をなんとしてでも教え込むということではなくて、子どもたち自身が自分の言葉を見付けていく。自分の人生を見付けていくようにしてあげることが、今、私達が子どもたちの世代にすべき一番大事なことなんではないでしょうか。
 
金光:  それはもうゲーテの時代も現代も、
 
小塩:  変わらない、と思います。
 
金光:  変わらないことである、ということでございますね。どうも今日は有り難うございました。
 
小塩:  有り難うございました。
 
 
     これは、平成十二年九月二十四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。