悟りと慈悲
 
                           花園大学副学長 西 村  恵 信(えしん)
滋賀県の禅寺に育ち、花園大学仏教学部卒。南禅寺僧堂で修行後米国のぺンデルヒル宗教研究所に学び、キリスト教を研究。専攻は禅思想研究。
                           き き て   峯 尾  武 男
 
峯尾:   峯尾です。禅といえば、すぐ禅寺で若い雲水さんが修行する姿が思い浮かびます。しかし、禅で悟りを得るとか、悟りの後はどうなるのかなどとなりますと、私ども一般、なかなか理解の至らないところが多いわけです。今日はこの「悟りと慈悲」について、花園大学教授で、今は副学長もしていらっしゃいます西村恵信さんにお話を伺ってまいります。どうぞ、よろしくお願いいたします。西村さんは昭和八年に滋賀県でお生まれと伺っているんですが、お寺さんのお生まれなんで すか。
西村:   いえいえ。実は今のお寺から二キロ位離れたところにある臨済宗妙心寺派の檀家 の家に生まれました。しかし、兄弟が何しろ十人もいたんで、私は末子(ばっし)の者ですから、どうやら生まれる前からお寺行きが決まっていたようでして、母のお乳を 吸ったのはまる二年間で、お寺へ貰われてきましたので、それから、ずうっとどこへも行かずに六十数年同じところにおります。
 
峯尾:   大学は初めは花園大学、
 
西村:   そうでございます。どこにも行かずに、とにかく、「禅僧になるためには京都の 花園大学にいかないかん」という厳命でしたから、まっしぐらに学校に行きました。
 
峯尾:   そこで素晴らしい先生にめぐり会えたわけなんですね。
 
西村:   そうなんです。おそらく大学へ行っていなかったら、今日の私はどうしたか分か りませんが、あの頃、大学には山田無文(むもん)学長、柴山全慶(ぜんけい)という南禅寺の道場の老師とか、それから、伊藤古鑑先生、緒方宗博先生、それから、何よりも私がこの大きな世界的な視野をもたせて頂いたのは久松真一(ひさまつしんいち)(昭和五十五年没:「覚」体験によって徹見した禅思想家)博士でございました。
 
峯尾:   西村さんはアメリカへいらっしゃったのはその後でしたか。
 
西村:   そうなんです。これは全く思いもよらなかったことでございますが、たくさん外 国から日本へお見えになって、日本の文化の研究をなさる人が増えてきましたので、私も元来英語は好きでしたから、ここで一番英語の勉強をして、この東洋文化と日本文化、或いは、禅のご紹介をしようと思いまして、英会話をやっていたんです。ちょうどその時に、クエーカーの長老で、ダグラス・スティアという方が日本に見えておりまして、「キリスト教を勉強したいような若い禅僧の卵はいませんか」ということで、私の恩師の緒方宗博先生という方を通じて、捜しておられまして、私に白羽の矢が立ちまして、一九六○年、今からもう四十年前に単身で船に乗って、アメリカに出掛けて行きまして、ペンシルベニアのペンドヒル宗教研究所という所で、一年あまりキリスト教の勉強をさせて頂きました。
私は大学の学部時代から、久松先生の宗教哲学を聴きまして、先生に指導して頂 いて、キスト教を基盤とするキェルケゴール(デンマークの哲学者、神学者。現代実存主義に影響を与えた)の実存哲学を勉強して、それで卒業したものですから、キリスト教に対する関心は深いものをもっておったんです。しかも、卒業論文の口述諮問の時に、私の「キリスト教の理解・禅宗の思い上がり」というものについて、先生からほんとに厳しく叱られましたのが、一層私をキリスト教へ向けていったと思います。そうして、外から自分の宗教というものを冷静にみることができたわけであります。そして、それが反省となりまして、日本に帰りましてから、改めて大学院に入り直しまして、宗教哲学の勉強をいたしました。従いまして、私は従来禅門の中でやって来られなかったと思いますが、禅というものを開かれた宗教哲学、特にキリスト教的な救済宗教の立場から、禅を見ることができるようになりました。
 
峯尾:   さて、その禅ですが、私は、初めに禅といえば、雲水さんが修行している、或い は、坐禅を組んでいる姿だけは思い浮かぶんですが、そもそも禅の修行というものは、どういうもので、どんなふうに行われるか、その初歩的なところからちょっと教えていただきたいんですが。
 
西村:   そうですね。皆さんは、「禅の修行というものは厳しい」ということを一貫して おっしゃっております。キリスト教のカソリックの修道院を、例えば、マラソンにしますと、禅の修行はもう百メートル競争ですから、大変短期間で、インテンシブ(intensive)にやってしまおうというところがありまて、まあやっぱり厳しいわけです。生活は大変厳しい。粗食に甘んじ、暖房も一切なし。本を読んだり、ラジオを聞いたりすることも一切なしで、ただ、もう坐禅と作務(さむ)と托鉢と参禅と。これで毎日を過ごすわけですね。だから、西洋のカソリックの修道士たちが見ると、これはまあ大変厳しい。「こんなことでは一生暮らすことはできない」という。本当の厳しい修行は一応そうです。
 
峯尾:   その厳しい修行というのは、悟りを得るために、その境地に至るためにされるも のだ、と考えてよろしいんですか。
 
西村:   そうでございますね。特に、臨済宗はお悟り第一主義ですね。則(のり)という字は、法 則の則(そく)という、悟りをもって則(のり)となす。そして、「必ず一回は決定的な宗教経験悟りという宗教経験をしなければならない」と教えております。そのために古人のなされたエピソードを集めて、これを「古則話頭(こそくわとう)」といいますね。古い鑑(かがみ)となる古い昔のお話、こういうものを集めまして、それを「公案(こうあん)」といっておりますが、その公案というものを拈提(ねんてい)する。公案というものと一つになるほど、坐禅を、それを課題として坐禅をします。そのことによって、悟りへの捷径(しょうけい)を得る。悟りへ少しでも早くいけるという。そういう宋代の看話禅(かんなぜん)を、引き継いでおりますのが、我が国の白隠の公案禅でございますから、どうしても厳しい修行を通して、お悟りを開かなければ駄目だと、そういうことを強くいっておりますね。
 
峯尾:   その悟りというのはどういうものなんでしょうか。
 
西村:   悟りというのは、私もせっかく禅僧になったんですから、私も悟りたいと真面目 に思いましたね。そして、一生懸命坐禅もしてみたんですけれども、古人が書い ておられるような、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)するような悟りの喜びを感ずることはできませんでした。しかし、私の経験から申しますと、これ悟りを開けないままに、いつか悟りを得たいなあと。いつか古人がやったようなのを得たいなあ、と思ってやっていますと、その日を待っておりますと、人生を終わってしまいそうになってきましたので、しかも、この悟りというものを、よく考えてみますと、何か悟りというものがあるんじゃなくて、何かに対して深い疑問というものをもっていると、問題意識をもっていると、ある日、フッとその疑問が氷解するというようなものでありますから、悟りということを目的にしてやっても、それは駄目だと思うん です。悟りが開けるために、大きな疑問というものが、先ずないと、そこから解脱(げだつ)ということは起こらないから、やはり苦しみと、苦悩というものが、深くないというと駄目です。それを我々は、「この世は苦しみだ」と言って、逃げようとしますが、しかし、古人たちはその疑団、苦しみ、絶望というものがあったから、それによって、お悟りを開かれたわけですね。まあ、そういう構造になっておるということに気がつきました。そして、昔からこれは白隠さんが言っているんですけれども、大慧宗杲(だいえそうこう)という中国の人は、
 
     大悟十八遍、小悟その数を知らず
 
大きな悟りを十八遍開いた。そして、小さな悟りなどは、その数を知らず、と。その先ほどの、看話禅(かんなぜん)の大慧宗杲(だいえそうこう)禅師が言っていると、そういうふうに白隠禅師が言っておられまして、別に根拠が見あたりませんが、そのように悟りが目的であると─目的が一つだと思うんですが─ところがそういう古人が大きな悟りが十八遍もあるというと、どうも悟りが並んでいて、いつまでたっても、実は究極的な悟りというものは、本当はない、と言ってもいいくらいなものですね。ですから、この悟りというものが、そのように重ねられていっているうちは駄目なんで、実はそういう悟りというものが、一挙に無用になる時が、それが大悟徹底(たいごてってい)。大きいという字が書いてありますね。だから、悟りというものは迷いの対象としての悟りは駄目ですね。悟ったと思えば、これこそある意味でどうしようもない迷いですよ。悟りを得ようと思うのも迷いですし、「おれは悟ったんだ」というのも、これはまた手のつけられない迷いですね。そういう悟りを求める迷いから解脱(げだつ)することが、本当は「大悟」大きい悟りで、「徹底」とわざわざ言われていることだと思います。やっぱり禅は「己事究明(こじきゅうめい)」と言いますから、自己を追求するということです。
 
峯尾:   「己事(こじ)」は「己(おのれ)の事(こと)」ですか。
 
西村:   そうです。己の事を究明。禅とは何かというと、「己事究明(こじきゅうめい)」です。そうなりま すと、己事究明には坐禅が一番いいんでしょう。いいんですが、やっぱりそれは日常生活の中においてもできることですから、なにも坐禅を組んでいなくてもいいということと、お悟りということが、例えば、途中でフッと悟っても、それで人生終わるわけじゃないんですから。それで私の好きな歌は、
 
     昨日は悟り今日は迷いの秋の暮れ
 
と、こういうものだと思うんですね。人生そのものが、そういう悟ったり迷ったりしていくものだということであって、悟りが究極なら人生の途中で結論が出てしまうと思うので、そんな禅は嫌ですね。良寛が死ぬ時に、
 
     裏を見せ表を見せて散る紅葉(もみじ)
 
と言ったように、人間やっぱり裏表があるんで、やっぱりそれを大事にしながら泣いたり笑ったり苦しんだりしていけば、それで十分禅になると、私は確信しております。
 
峯尾:   その禅を修行をする人、その悟りの境地に至ろうと修行している人は、私ども一 般の人間から見ると、社会との関わりというのが、非常に少ないような気がするんですが、個人では大変厳しい修行をしていらっしゃる、或いは、その方が偉いか偉くないか、我々にははかり知れないものがある、というような方たちが、例えば、その多くの民衆を救う活動をなさるとか、というところが、我々にはなかなか見えてこないんですが、それは私がものを知らないからでしょうか。
 
西村:   いや、そんなことはありませんよ。先ほど申しましたように、私は国際の舞台に 行きまして、他宗教の人といろいろ今日的な話題について語りますが、大概宗教の集まりと言ったら、社会関与ですね。仏教でも、東南アジアの方、例えば、ベトナムのテクナト・ハーンという若い禅僧は、「engaged Buddhism」と 言いますね。社会関与している仏教でなければならないということなんです。これはそうだと思いますが、しかし、あの人たちがやっている禅の修行というものは、どの程度のものか私は知りません。知りませんけれども、まあ少なくとも、私は祖師たちが伝えてきましたこの日本の禅の伝統というものには、大変意味があると思います。これは将来も残していかなければならない大切な人類の遺産だと思います。従いまして、軽率に社会奉仕に出掛けるとか、それが宗教であることの基本 条件であるみたいなことに引きずられないで、やっぱり我々がやってきた山の中 に入って坐禅をする、世間を出て坐禅をするということは、大切なことであると思います。何故大切かと言いますと、世間的な奉仕、仏教的な慈悲ということがなされるための基盤が大事だと思うんです。それで坐禅ということはジッと坐って、一人自分と対決するわけです。何をやっているかというと、自分というもののこの生きた、この生身の自分というものの成り立ち、出来上がり方、それをジッとみているわけです。それを見つめないで、私というものの問題をほったらかして、「助けてあげましょう」とか、「お金あげましょう」とかいうのはおかしいと思うんで、自分というもの、人間としての個人、ひとりの悲しい器としての自分というものの出来上がり方を深く見つめる、これが坐禅の一番素晴らしいところだと思うんですね。総ての日常行為、社会関与をやめて、そして、手と足を組んで、眼を半眼にして、ジッと坐るということによって、初めて自分というも のに戻る。
 
峯尾:   まず、そこがあって、その次の段階ということになるわけですね。
 
西村:   だから、一般に考えますと、まず、「お悟りを開きましょう」と。そして、「そ の素晴らしい知恵で困っている人を助けましょう」、こうなるんですよね。これは全然違いますね。そんなのは全く思い上がりでして、よく坐禅をして、この人間存在の真実をみる。人間存在ばかりではありません。一切衆生ですから、犬でも猫でも鳥でも魚でも、総て一生懸命生きているものたちの、その真相をよく見つめてみるということですね。そうして、その生命(いのち)とか、生きるということの大変さを共有する。そういうところで、いわば慈悲というものは出てくるので、どうかすると悟った人はオールマイティで、神さまのように困っている人を救えるんだ、と。それは全然間違っていますね。ところが大乗仏教はご存じのように、 自分ひとりが小さな乗り物、ボートに乗って、彼の岸、彼岸へ渡るというのが、 小乗仏教、つまりお釈迦様の直接のお弟子さんたち、羅漢さんたちの修行としま すと、大乗仏教というのは、大きなお船─マハヤーナです─大きなお船、屋形船に、そういう修行する時間のない人たちも乗せて、そして、動物も乗せて向こう の岸へ行って、そして、他の人を彼岸のお悟りの世界、安らぎの世界に渡してお いて、自分は帰って来る、と。つまり、船頭さん、それが菩薩ですね。大乗仏教の精神は菩薩の精神であって、羅漢さんも一生懸命修行はしておられるけれども、小さいボートで、自分だけの到彼岸、ハラミッターということをやっておられますけれど、菩薩は、自分は彼岸へ渡りませんね。みな救われるまで。それで、
 
     人をのみ渡し渡しておのが身は
       ついに渡らぬ渡し守かな
 
とあります。この精神を表したのが大乗仏教の通願である「四弘誓願(しぐせいがん)」でありまして、「四弘誓願」をみなさんご存じですけど、私は久松先生に習いまして、初めて気が付いたんですけど、第一行目は、
 
     衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
 
ですね。「衆生」は苦しい、迷っている、こういう衆生ですね。「無辺」ということは数え切れない無数だ、と。けれども、誓願を立てて、誓いと願いをもって度(ど)す。済度(さいど)の度(ど)という字は、温度の度ですけど、さんずい篇を付けると渡るという字になりますね。済度というのは済も水際ということですから、済度というのは川を渡すことですね。衆生無辺誓願度、これが一行目ですね。そして、やっと二行目に、
 
     煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
 
自分を苦しめている煩悩というものは、量りしれないものがありますけれども、それを誓願を立てて断じる。この順序を見ますと、やっぱり第一は、大乗仏教は一切の衆生を、苦しめるものをまず救う、と。自分よりまず他を救うということがあるのは当然のことですね。
 
峯尾:   禅宗の僧侶の方々は厳しい修行で悟りを開く。で、私どもの方からすると、一般 社会との関わりがどうもあまりないように、というのは、やはり認識不足なんでしょうか、私たちの。
 
西村:   いえ。それが他の仏教宗教、特に、キリスト教とか、新興宗教 の人たちからいつでも批判される話ですね。一つそこのところをこの機会に、私はハッキリ申させて頂きたいと思っているんです。
南北朝時代に天龍寺を開かれた夢窓疎石(むそうそせき)という方がおられまし て、この方に、『夢中(むちゅう)問答』という素晴らしい語録がございます。その『夢中問答』は、足利(あしかが)尊氏(たかうじ)の弟さんで、直義(ただよし)という人 があって、その直義という人はかなり鎌倉で禅の勉強をしてき た人で、禅はよく知っていたのです。その人が夢窓国師に、知っていて質問するんですね。例えば、こういう質問です。
 
禅門の宗師の語をみれば、まず自身を悟りて後、やうやく旧習(くじゅう) をつくして、余力あらば他人に及ぼすべしとすすめられたり。若ししからば教 えの中に、自(みずから) はいまだ度(ど)を得ざるに先ず他人を度するは、菩薩の願 なりといへるにそむかずや。
 
つまり、禅宗のお坊さんのお話を聞いていると、先ず、「悟れ、悟れ」と。そして、「余力があったらば他の人も余徳に与(あずか)らせよ」と、そういうふうに聞こえるんですけれども、もしそうだと、大乗仏教では、「自分よりも先に先ず他の人を済度せよ、と書いてある。その大乗仏教の教えに背(そむ)くのではありませんか」とこう聞いているんですよ。今の峯尾さんの質問と同じですね。
 
峯尾:   南北朝時代、そういう疑問をもつ方がいらっしゃった。
 
西村:   すでに南北朝時代からの質問ですね。そうしますと、夢窓国師がこう答えている んです。
 
        慈悲に三種あり、
        一には衆生縁の慈悲、
        二には法縁の慈悲、
        三には無縁の慈悲なり。
 
        衆生縁の慈悲と云ふは、・・・生死にまよえる衆生ありとみて、これを度して出離せしめんと。
        ・・・利益の相を存するが故に真実の慈悲にあらず。
 
これは、このまま読むと難しいのですが、先ず、「衆生縁の慈悲」というのは、生死(しょうじ)に迷っている人々がそこに居て、苦しんでいる人が居て、それを済度しよう、と。つまり、衆生縁。「衆生」は苦しんでいる人ですね。それから、「衆生」苦しんでいる人が目の前に来たら救う、と。これは今のいろんな宗教が、苦しんでいる世界状況で、苦しんでいる人があったら出掛けて行って救う、と。これですね。これはなかなか結構なことであって、小乗仏教の慈悲であります。それは外道(げどう)の慈悲よりはましであるけれども、どうしても利益を求めていますね。助けて欲しい人に、お金をあげる。貧しい人にお金をあげる。お金を貰った人は嬉しいですね。あげた人は唯唯得々(いいとくとく)としますね。どうしてもその間に何か利益(りやく)、利益(りえき)というものが動いておる。こういうのは真実の慈悲ではない、と。
次に、「法縁の慈悲」。
 
     法縁の慈悲と云ふは、如幻の大悲をおこし、・・・如幻の衆生を済度す。
     ・・・如幻の相を存するが故に真実の慈悲にあらず。
 
二番目の慈悲は凄く仏教の分かった人が、一切は総て無で、空である、と。お釈 迦さんのいう無我である。まぼろしである、と。こういうふうに、「法縁の慈悲」ですから、あんまり仏教の教義を知りすぎての慈悲です。総てはまぼろしだ、と。「無常、無我だ」と、お釈迦さんはおっしゃったから、与える人もまぼろし。助けられる人もまぼろし。助ける行為もまぼろしで、ニヒリズム(nihilism)ですね。全部まぼろし、まぼろしでやってしまう。こういう済度の仕方ですね。これはやっぱり如幻(にょげん)の想、まぼろしという虚妄性を押し立てて、仏教を理解しているために、慈悲まで虚妄(きょもう)になるんですね。これはいけない、と。
そこで最後に夢窓国師が出しておられますのは、「無縁の慈悲」というわけです。「無縁の慈悲」というのは、読んで見ますと、
 
     無縁の慈悲と云ふは、仏果に到りて後、本有性徳(ほんぬしょうとく)の慈悲あらはれて、
     化度(けど)の心をおこさざれ共、自然(じねん)に衆生を度する事、
     月の衆水(しゅうすい)に影をうつすがごとし。
     ・・・是を真実の慈悲となづく。
 
とあります。「無縁の慈悲」というのは、縁の無い慈悲です。縁というのは、対象が目の前にあると縁が結ぶでしょう。「無縁」というのは、対象がないことです。対象がない慈悲ということです。「無縁の慈悲と云ふは、仏果に到りて後」というのは、「仏果」というのは、お悟りのことです。お悟りを開きますと、「本有性徳(ほんぬしょうとく)の慈悲あらはれて」もともともっていた人間性の愛が自然に出てきて、「化度(けど)の心をおこさざれ共」というのは、救ってやろう、という気持ちを起こさ なくても、自然にその周りの人の衆生が済度される、苦しんでいる人が救われて いく、と。私が救ってやろう、と思わなくても、自然に向こうの人が救われる、 と。それが無縁の大慈悲ということで、これはまことに真如(しんにょ)の月が映ろうと思わ なくても、「衆水」いろんな水、水たまりの水、お殿様の杯(さかずき)の水、家来の破れ 茶碗の水、どんな水にも真如の月は映りますね。
 
     映るとは月は思わず映すとも
       水は思わず広沢の池
 
と、こういう歌があります。そういうふうにいくのが本当の慈悲である、と。そこに救ってやろうとか、この人苦しんでいるから救ってやろうとか、救ってもらって有り難うとか、そういうのは愛見の慈悲であるし、救うも救わんもみんなまぼろしで、あったことじゃないというのは、大乗仏教の空ではなくて、いわゆる諸法無我という、その仏教の精神をあんまりこだわりすぎたもので、これはいかんと。それより先ず一生懸命に悟りの知恵が開ければ、人を済度しようと思わなくても迷っている人が総て救われていく。こういうのが本当だ、というふうにお答えになっております。そして、もっと厳しいことが書いてあるんですよ。
 
     衆生縁、法縁の慈悲にかかはる人は、
     其の慈悲にさへられて、無縁の慈 悲を発することあたはず。
 
さっきの悪い初めの二つ、「衆生縁、法縁の慈悲にかかはる人は、其の慈悲にさへられて」邪魔されて、ちっぽけな慈悲心に妨げられて、本当の「無縁の慈悲を発することあたわず」。ここが非常に問題ですね。ちょっと困っている人を見ると、助けにいく。そういう衆生済度のやり方は、結局本当の慈悲が出るための、本当の慈悲が発露するための邪魔になる、というんですよ。これどうでしょうね。こんなことをいっていると本当に叱られそうですね。今のいろんな人たちに叱られそうだ、と思いますが、本当にそうです。そこでお話を用意して来たんですが、こういうことがあるんですね。私は先ほど申しましたように、若い二十六歳の時に、アメリカにいたんですが、そこへ久しぶりに送られてきた日本語の本があったんです。それはみなさんがよくご存じの福井県小浜(おばま)の発心寺(ほっしんじ)というところに原田祖岳(そがく)という偉い老師がいらっしゃいまして、その人の自叙伝なんですね。『大雲祖岳(だいうんそがく)自伝』というんです。それがアメリカのペンシルベニアへ送られてきたんです。みんな日本語が読めないから、私が読ましてもらったんです。加藤晃(ちょう)堂(どう)という若い和尚がおった時の思い出話を、祖岳老師がおっしゃっているんです。加藤晃堂(ちょうどう)という和尚さんが、四国伊予の禾山(かさん)玄鼓という和尚に参じていた頃の逸話です。
 
加藤和尚は初めは天龍寺の峨山(がさん)老師に参じておられたが、老師が遷化(せんげ)さ れたので、次に誰に参じたものかと、道友同士が協議した結果、四国に おられる禾山(かさん)老師がよかろうというので、六人連れで出掛けた。禾山と いう方は有名な機鋒峻烈な厳しい老師であったから、遙々(はるばる)やってきた六 人に対して、けんもほろろに、「俺のところは貧乏寺だから置けない」 と断られてしまった。そこで一行は代わる代わるお願いした結果、「それまでいうんなら、独参(一人ひとり参禅)に通うだけなら許してやろう」と言われたので、六人はチリジリバラバラに各所に宿を求めて独参に通った。加藤和尚は村のお宮様の拝殿の縁の下に寝たといっていた。そして昼は六人が揃って托鉢して生命(いのち)を繋いだが、さすがの禾山老師も この真面目な道人達に感じ入ったものか、後には托鉢に加わって下さる ようになって、お陰で貰いが多くなったそうである。さて、話はこれか らである。ある日いつものように老師が先に立って、六人を引き連れて 托鉢に出掛けた途中、坂道にかかったところが重い荷物を山ほど積んだ 車が、その坂を上りかねている。荷物が重くて登れない。加藤和尚は無 意識に托鉢の列から離れて車の後ろを押してやった。その時、滅多に後 ろなど振り向かれたことのない老師がヒヨイと後ろをご覧になったかと 思うと、一人でさっさと寺へ帰ってしまわれた。そして、侍者を通して、「晃堂(ちょうどう)を下山させよ」とおっしゃった。下山は僧林の一番重い罰であるから、本人は勿論、道友たちも非常に心配して、「どういう理由で追放されるのか、せめて理由を」と、恐る恐る聞いたら、「修行者ともあろうものが人の車に気を引かれるようでどうする。そのような無道心(道心のない者)は修行する資格がないから叩き出せというのだ」と言われた。そこで訳が分かったが、此処で下山してしまっては一生戻れないから、加藤和尚は門宿と言って、山門のところで坐禅して、一週間粘り通した。そして、道友の五人も、「どうか許してやって下さい」と頻々(ひんぴん)と哀願したので、「それなら独参だけは許してやろう」と、漸くお許しが出た、という。実に良い話ではないか。こう話していても涙が出るよ。師家も偉いが修行者も偉い。これだけの親切な宗師家(しけ)、老師と熱烈な求道者が現在果たして何人ありや。おそらく皆無ではなかろうか。嗚呼。
 
と、書いてあるんです。いいお話ですね。
 
峯尾:   ほおう。
 
西村:   これを読んで私は非常に感動しまして、早速下手な英語でクエ ーカーの人々に話をしましたが、誰も理解出来ない。特に、クエーカーは社会奉仕で有名でありまして、第一次大戦にヨーロッパで難民救済をしまして、ノーベル平和賞を貰っております。そのお金をまたストレプトマイシンに換えまして、全世界の結核療養所に送ったという美談まで残っている。あの有名なクエーカーたちが誰も分かってくれない。私は私なりに分かったんですが、日本へ帰って来まして、たまたま鈴木大拙博士と南禅寺で湯豆腐を食べたんです。その時に、私は鈴木先生にこの話をしたんですが、「おっ、おっ、おっ」と聞いておられた鈴木先生が、突然黙られたので、見ましたら、下を向いて涙を出しておられた。私はあの時のお豆腐だけがグラグラと揺れているのを、今でも忘れないんです。何故泣かれたか。鈴木先生から見れば、長年海外で禅を説いて来られた鈴木先生が、「これがクリスチャンと雖も分からない筈はない」と。この「老師のお慈悲がわからん筈はない」というんです。しかし、その後も、私はこの話をあちこちでしますし、キリスト教の奥村一郎神父も、これをフランス語、ドイツ語に訳されて、世界的に有名な話になりましたが、やっぱり私は随分批判を依然として受けております。勿論、悟りの智恵の開けた人が、後ろを押さないわけはありません。ところが、その悟りの智恵も得られない修行中の人が、そういう愛見、法見の小さな慈悲にとらわれて、大きな慈悲の出どころを妨げられてはいけないという、老師のお慈悲ですね。そういうふうに受け取らせて頂いておるわけです。ですから、これは禅では非常に今日的世界状況から言ったら、やりにくいことですが、これをやらなければ、禅が千何百年持ち続けていたこの素晴らしい慈悲の追求ということは出来ないわけです。みんな小見に、小さな愛にほだされて、山を出てきたら、このダルマ以来伝えられてきた禅の、その本当の慈悲の根拠を失ってしまうじゃないですか。そういうふうに思いますね。坐禅して何をやっているか、と。すると、きらめくような悟りの境地と、みなさんすぐおっしゃる。そうすると、凄いオールマイティな境地が総ての人を救えるのだ、と思う。これは幻想ですよ。私は坐禅をすればするほど、自己を見つめれば見つめるほど、この限られた六十七年、七十年の人生と、車に突き当たればすぐに終わってしまう人生。こういう人生の脆さ弱さ。お釈迦様はそのことをどうおっしゃったかというと、「生老病死」という「苦だ」と。「この人生は苦である」といっているんですよ。その「苦」というリアリティというか、永遠不滅な真実。生まれたものは滅するんですよ。生まれた者は病み、歳を老い、というと、古くなるですね。自動車でもそうですね。古くなる。最後に亡くなる。滅びる、と。これぐらい真実はないじゃないですか。なんにもロマンはないんですよ。人生は絶望なんですよ。その絶望状況というものを、先ずよく見つめて、そして、その中で如何に生きるか、ということを教えたのが、お釈迦様です。ですから、やっぱり坐禅をするということは、そんな素晴らしい、輝かしい、お悟りを開くとか、人と違う境地を俺はもっているんだとか、とんでもないことです。なんと人間というものは、小さくて滅びやすくて悲しいものだろうか、ということを気づくのが、私は己 事究明ということだと思うんですね。例えば、一つ私の好きな人で、?蘊(ほうおん)居士(こじ)(唐時代の儒者、禅者)という人がいたんです。これは馬祖道一(ばそどういつ)という人の門下生ですけども、在家の人です。?居士と一般に言われております。その?居士は笊(ざる)を売って生活を立てておりました。そのお嬢さんに霊照(りんしょう)という人がいました。霊照女(りんしょうじょ)と呼ばれております。そこのところをちょっと読んでみますと、これは『?居士語録』に出ております。現代訳で読みます。
 
     居士がざるを売りに出たとき、橋を下りがけにつまずきころんだ。
     それを見た霊照は、父の側へ行って自分も倒れた。
     居士曰く「お前、どうしたんだ。」
     霊照曰く「お父さんが倒れたのを見て、助け起して上げるのです。」
     居士曰く「誰も見ておらんでよかったわい。」
 
こうあるんですね。これは凄いことですよ。居士が笊(ざる)を売りに行った時に、橋を下りがけにお父さんが転んだ。それを見た霊照が父の側へ行って自分も倒れた。普通だと人が倒れたら、「お父さん、危ないですよ」と起こす、と。そうでなくて、父の側に行って自分も倒れた。そうすると、お父さんが「お前、どういうことをするんだ。何をするんだ」と言ったら、お嬢ちゃんが、「お父さんが倒れたのを見て助け起こしてあげるのです」と言った。これは禅のデモンストレーションですよ。この?居士も霊照女も共に馬祖道一についてかなり修行が進んでおりました。助ける方法に二つありますね。倒れた人を、「危ないじゃありませんか」と言って、手を出して起こしてあげるのもあります。これは普通言われている慈善事業です。ところがそこへ行ってばったり倒れた、ということは、そのお父さんの老いの悲しさというものを、まず、共感する。それが一番嬉しい助けようだったんです。そう いうことです。その答えがまたいいんですね。居士曰く、「誰も見ておらんでよかったわい」。これはどういうことですか。
 
峯尾:   いや、さっきから考えているんですが、そこのところが、
 
西村:   これはね、娘の方も膝っ子擦り剥いて倒れたんですよ。そこでお父さんの老いと いうものに共感しているわけなんです。そうでないと、元気なお嬢さんが、「お父さん、駄目じゃない」と言って助けたら、お父さんは惨めになるんですよ。そうでなく、倒れたんですね。それに対する、娘の孝行に対するお返しとしては、禅から言えば、どうしたらいいかというと、「有り難う」では駄目なんですよ。「サンキュー(thank you)」は駄目ですよ。
 
峯尾:   ああ、そうですか。
 
西村:   それは駄目ですよ。「誰も見ておらんでよかった」という、この老いの悲しさを 出さないかんです。
 
峯尾:   はあー。成る程。
 
西村:   これはいい話ですよ。私は高校時代に柴山全慶老師が私のお寺に講演に見えてこ の話をなさった。私はこれを高校時代に聞いてなんのことかサッパリ分からなかった。でも、これはいいお話ですよ。もう一つですね。いい話があるんで、みなさんにお伝えしたいんです。もう二十年位前に亡くなりましたが、神戸の六甲山の麓に祥龍寺(しょうりゅうじ)というお寺がありまして、そこに私がとっても尊敬する菅宗信(すがそうしん)和尚さんという独身の和尚さんが住んでおられた。この方は戦後の神戸の三宮とか、神戸駅前へ托鉢に出掛けていくと、その辺にいる戦災孤児を連れてお寺に帰ってきたんです。だから、その祥龍寺というお寺は貧乏なお寺なのに、もう子供でいっぱいなんですね。キリスト教の子がいる時はクリスマスに、クリスマスツリー を本堂の真ん中に立てて、すき焼きパーティをした。私も招かれて行ったことが あります。或いは、熱の出た子供が、「どういうわけだ」と聞いてみたら、長い 間ウンチが出ていない。それを聞いた和尚はにわかにその子の尻を巻くって、後ろからウンチを吸い出したんですよ。そんな素晴らしい和尚がいたんです。その和尚のところに、私の教え子の鷲(わし)君という学生が、修行のために、四年間親父の言い付けで下宿したことがあるんです。「あそこへ行ってしっかり禅の修行して来い」と。その鷲君が、ある時裏の小さな池にいたカエルをバケツの中に摘んで入れておったんです。そこへ菅宗信和尚さんが帰って来たんですね。和尚さんが、「おい、鷲、何をしておるんか」と言ったら、「いや、オタマジャクシが多いと思ったら、たくさんカエルができまして、もううるさくてしょうがないから、これを六甲の裏へ捨てに行きます」と言ったら、「馬鹿なことを言うな。君は四年しかこの寺におらんがカエルは一生おるんだ」と言ったというんですよ。私はこの話を聞いて涙が出るほど嬉しいんですね。つまり、普通の人間から発想できないことですね。カエルは短いけど一生おる。何も六十年も生きる人間が四年位居って偉そうなことをするなと、そういっているんですね。そこにカエルの側に立っているでしょう。人間とカエルを比べて、人間が偉いという宗教もありますよ。それはとんでもない話ですよ。しかも、鷲君は四年で、カエルは一生なんですね。私はこんな言葉が出てくるという発想は、にわかづくりでは駄目なんです。この尊敬する菅宗信和尚さんの心って、なんという素晴らしい心であろうか、と。もう自分のお寺は貧乏で電気も払えない。水道も払えないから全部切られちゃって、真っ暗がりのお寺の中に、何十人も、おそらく全部で百何十人の戦災孤児をあの和尚さんは育てました。私はそれが本当に隠れた仏教の大慈悲心であると思っています。
 
峯尾:   先ほどの倒れた父親の側に横たわる娘さんにしても、今の孤児たちを集めた方に しても、それが禅というお話でしたけれども、そうすると、禅にとって、私たちが一般に言っている「福祉」というのは、どういうものだ、とみていらっしゃいますか。
 
西村:   それは有り難い質問でして、今日(こんにち)、福祉ということを、私の大学も、「社会福祉 学部」というのがありまして、福祉を世間並みにやっております。私はいつも社会福祉の学生に言いますことは、例えば、君の友達が病気で入院しているとする。すると、すぐに花束を持って、果物を持って見舞いに行く。これは見舞いに行かない人よりはうんと良いし、また他人目にも非常に愛情深い、友情深い人と見えるでしょう。ところが、あんまり元気そうな顔をして、お化粧して、綺麗な花束を持って行く。そして、「しっかりしなさいよ」と言って、激励するでしょう。けど、しっかりできるのなら、初めからしっかりしていますよ。出来ないから病んでいるんであって、しかも、自分は元気そうにトレパン履いて、そして、お化粧して、行ったと思ったら、「これから文化祭や、体育祭があるから急いでいるので」と言って帰ってしまったら、何をしに行ったか。おそらく寝ている人を非常に惨めにしただけじゃないですか。そういうことが表向き一つの愛、と。隣人愛かなんか知りませんが、愛というとしたら、とんでもないことですと、私はそういうんです。やっぱりそれはお見舞いをしている気持ちの出どころが悪いんです。例えば、その病院へゆっくり行ってあげること。そして、彼のベッドに、彼が便所に行った隙間をぬって一遍寝てみる。こんなところに一ヶ月も二ヶ月も寝ていると、これは大変だなあ、と。これを一緒に味わってあげないと、ほんとに見舞ったことにならないと思うんです。いいことだと思っていることが、実は相手を非常に庇付けている。或いは、老人福祉でもそうです。老人が来たから電車で席を替わってあげる時でも、自分は若いから替わってあげよう、ということで替われば、老人は庇付きますから断ります。自分もやがて老いていくということが、自分の中にもうインプットされているんですからね。それを、そいういう避けがたい自分の存在のリアリティを実現して見せてくれているのがお年寄りで す。これは尊敬すべき人ですよ。死の場合でも、私より若い人が死ぬ。私は死という避けがたい実存の事実を、まだリアライズしていない。自分のものにしていない。それを目の前で、私の同級生とか、小さな子供が死んで行ったら、それは元気な私に、私の避けられない、そういう真実を見せてくれたんですから、そういうところから弔うべきであり、老人なら老人を労(いたわ)るべきであると、私はそう思っているんですよ。どこが悪いかというと、やっぱり「助けてあげる」とかいう精神がいけません。そういうふうに私は常々考えているんです。そうでないと、なんか社会福祉と言っても、強者の、というか、若者のための、元気な者の立場からの発想でしかない。お釈迦様はそんなことは言っていませんね。「生老病死≠ニいうのが避けがたい真実だ」と言って、「誰もそういう必然性から免れることは出来ない」と言っていますから。やっぱり若い人、お年寄り、元気な人、病人というこういうレベルじゃなくて、もっと深いところに流れている、私が生まれてくるまでから、私が死んでからも続くであろうところの一つの真実ですね。老いるとか、苦しむとか、病むとか、そういう真実は、私が知らないだけで、私の底にごうごうと流れている真実ですね。罪でもそうですね。「私は罪を犯したことないんだ」と。「キリスト教はよく罪、罪と嫌なことをいうよ」って言いますけれど、罪ということは、人類の最初から、これから未来永劫に亘って罪ということはあります。たまたま私がそこへ関係しなかっただけで、私の生きている根拠になっているわけです。
妙好人で、浅原才一(さいち)だったかなあ、あの人は偉いと思うんですけど、ご近所に刑務所があったんです。その妙好人は散歩する時、その刑務所の塀の外を通ると、刑務所の方に向かって、「どうぞ堪(こら)えて下さい。御免して下さい」と。「この罪深い才一が外におります。どうぞ堪えて下さい」と、いつも言ったというんです。これは凄いですね。私たちがおしなべてもっている罪深さというもの。私たちの生存の根拠である罪というものがあるのに、私たちはそんなこと知らないで、「ああ、どうせこの中に入っているやつは悪いことしたんだ」「誰が彼をそうさせたか」とか、「悪いことしたら入るに決まっておる」とか、そういう形で私たちは、自分を良い方へ置くということはいかにも知恵のなささですね。だから、本当の福祉の精神とか、慈愛の精神というものは、自分をほっといて、世間的状況をみて、それをそこへ出掛けて行く、ということではなくて、自分をみつめて、自分の根底にある弱さ、悲しさ、孤独さというものをよく見て、そうして初めて出てくることです。出そうとしなくても。私が属しております臨済宗妙心寺派の「生活信条」は三項目あります。その二番目に、
 
     人間の尊さに目覚め、自分の生活も他人の生活も大切にしましょう
 
というのがあるんです。これは、「自分の生活の」が先にあるんですよ。ここが一番いいんですよ。やっぱり宗教は愚かな、孤独な、ということが先にありますから、自分の生活を大切にしなければ、他人の生活を大切にすることは出来ませんよ。
 
峯尾:   なんか自分の周りの世界が変わってきたような気がしてきたんですが。
 
西村:   いやいや。口幅ったいことを申しましたけど、私はほんとに堅くそう信じている し、そういうことに気付かせてもらっているということが、世間から、「社会運動しない」といわれて、批判を受けても、ここだけは守っていかなければならない禅の立場であり、それが、私はこうして禅の世界に一生を生きてきた者の発言すべき責任だと思っております。
 
峯尾:   有り難うございました。
 
西村:   どうも失礼いたしました。
 
 
     これは、平成十二年十一月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。