刻々を生きる 自分を生きる
 
                    ノートルダム清心学園理事長 渡 辺  和 子
                    き き て(アナウンサー) 加賀美 幸 子
 
ナレーター:  少年犯罪によって人の命が奪われる事件が相次ぐなか、二十世紀最後の年が暮れようとしていました。昭和女子大学では若い学生に向けて、命の大切さを問いかける授業が続けられています。授業を担当しているのは、カトリックの修道者、シスターの渡辺和子さんです。渡辺さんは、九歳の時に、二・二六(ににろく)事件(昭和十一年二月二十六日、陸軍の一部青年将校らが急激な国粋的変革を目ざし、部隊を率いて首相官邸などを襲い、叛乱を起した事件。内大臣斎藤実、大蔵大臣高橋是清、教育総監渡辺錠太郎を殺害、侍従長鈴木貫太郎に重傷を負わせ、東京麹町永田町一帯を占拠した。翌日戒厳令公布、二十九日には鎮定された。事件後、粛軍の名のもとに軍部の政治支配力は著しく強化された)のテロで陸軍教育総監だった父親を目の前で殺されたという体験をしています。何故人が人を殺してはいけないのか。人間の命の重さとは何か。渡辺さんは三十年以上に亘って、学生にこう問い掛けてきました。
 

(授業の場面)
 
学生:  おはようございます。
 
渡辺:  今、親たちがある程度、計算して子供を作っております。この「作る」という言葉は、私は嫌な言葉だと思っています。物を作る。これは構いませんけれども、命を作る。子供を作る。そろそろ子供を作ろうか。それとも、車を先にしようか。家を建ててから子供を作ろうか。そして、現実に卵子と精子を結合させて、試験管の中で、ある意味で命が作られております。だから、一昨日(おととい)、十七歳の少年が、「自分は人間をバラバラに壊してみたかった」と言いましたが、作ったんですから、壊してもいいじゃないかという、論理がそこにあります。そして、これはとても恐ろしいことだと思います。「一つの命は地球よりも重い」という綺麗な言葉があるんです。そして、例えば人質が取られたような時に、人命をまず優先する。どれだけお金を積んでも、相手のテロリストとか、ハイジャッカー、またバスハイジャッカーの言いなりになったとしても、命を優先する。でも、現実、計算して作った命、その命を壊してみたい。人を殺す体験をしてみたい。そういうことが今の、例えば、十七歳、あなた方でもほとんどの方が十八歳か、十九歳だと思うんです。だとしたら、それほど違わない年齢の人たちの思いの中に、言葉として、そして、行動として、もたれ、表されているということは、あなた方が考えなければいけないことだと思います。
 

(学生へのインタビューの場面)
 
学生A:  最近、知り合いとかが亡くなることが多かったんで、ちょっと事件とかも多いし、いろいろと考えようかなあと思います。
 
学生B:  神戸のこととか、あったし、思いますね。
 
学生C:  それは命が大事なんだなあと思いますから。
 
学生D:  ちゃんとした女性になるために必要なことをいろいろ教えて貰っているので、とても為になります。
 
質問者:  寝ていた人がいたけど、どうでした。
 
学生E:  ちょっと眠くなります。先生の声がとても綺麗なので、眠くなります、ちょっと。
 

 
加賀美:  命というものは、あまり自然で、つい忘れがちですけれども、こうやって命について考える時間があるということは学生さんにとっても幸せなことですね。
 
渡辺:  そうだと思います。今、恐ろしい事件がたくさん起きておりまして、偉い心理学者の方とか、精神分析の方たちがいろんな理由を考えていらっしゃいますけれども、今の学生たちは自信を持っていない子が多いんですね。そして、自信をブランド品とか、髪の毛の色をみんなと同じに染めるとか、それから、流行の靴を履くとか、そういうことで仲間にしてもらう。仲間外れにされるということを、とっても怖れているところがございます。結局、それはぶちまけてお腹を割って話す相手、それを本気で聞いて下さる相手がいない淋しさ。それから、これは文明というものがしからしむところだと思うんですけども、私は二十一世紀というのは、共に生きることがとても難しい世紀だと思います。それはどちらかというと、例えば、自動ドアみたいに、前に立てば独りでに開いてくれるし、エスカレーターみたいに、乗れば上に上がってくれる。つまり、手を貸してあげるとか、誰かの助けを必要としないで、独りで生きられる世代。独りで生きられる世代というのは、便利な世代ということが出来ますけど、淋しい世代であり、そして、言葉なしでもやっていける世代。それがやはり今の学生たちが賑やかで、華やかでおりますけれども、なんか心の中に、自分のことをほんとに分かってくれる、自分をありのままに、無条件に愛してくれる、そういう人を求めている理由になるんじゃないか、と思う時があります。私がお話していることを、非常な年齢のギャップがあるにも関わらず、学生たちが割によく聞いてくれて、そして、メモでいろいろ訊ねてくれたり、話してくれたりする、ということの中には、いまのこういう話が、家庭でも、またはお友だち同士の間でも、わりに表面的な話はするけれども、心を打ち明けて話せない、という状況があるのかも知れません。
それから、何人かの学生が書いてくれたことに、「シスターは私たちを大事に思ってくれる」。ほんとに二百人から聞いていてくれるんですけれども、そんな学生たちの声と、もう一つは、「シスターは本気で話してくれている」という言葉を、今まで何人かの学生が書いてくれました。だから、今のこの若い人たちが求めていることというのは、自分たちをありのままで受け入れてくれる人、そして、自分もまた飾らないで、学生たちに自分の失敗も、弱さも、そして自分の喜びも、幸せを見つけた道も、本気で話してくれる、そういう話を求めているのかも知れない、と思う時があります。
 

 
ナレーター:  渡辺さんが生まれたのは、昭和二年。陸軍の第七師団長だった父が五十三歳、母が四十四歳で生まれた末娘でした。昭和十年七月、陸軍大将だった父・錠太郎(じょうたろう)さんは陸軍を統率する要職の一つ、教育総監となります。この時、愛娘の和子さんとともに、父は自宅の庭で晴れの日の記念写真に収まりました。しかし、半年後の昭和十一年に起きたクーデター、二・二六事件で、父は九歳の渡辺さんの目の前で、青年将校たちの銃弾に倒れたのです。戦後、軍人恩給が途絶えた一家の家計は、渡辺さんが支えました。大学院で学びながら、上智大学に出来た国際学部の学部長秘書として、教務や経理を担当していました。二十九歳の時、思うところがあって、カトリックの修道者を志ました。やがて、ただ一人の日本人として、アメリカにある修練院に行くことを命ぜられます。私物を持つことは許されず、ひたすら単純労働と、祈りを続ける日々でした。五年間のアメリカ生活で、教育学を修めたのち帰国。三十六歳で岡山のノートルダム清心女子大学の学長に抜擢されました。生涯のテーマとなった命についての講義はこの頃始まりました。
 

 
加賀美:  先生、ご自身は、小さい時、早くにお父様の死に、しかも、壮絶な死に出遭ったそうですね。
 
渡辺:  はい。私が九歳の時でございますけれども、二・二六事件というのが起きまして、私の父がたまたま殺される側の一人になりました。朝の六時頃でございましたでしょうか、前の日から雪がとてもたくさん積もっておりまして、静かな朝でございました。私と父は並んで休んでおりましたら、トラックで三十数名の青年将校と、兵隊さんがお出でになって、そして、アッという間に、私の目の前、一メートルもないところで、父を殺して引き上げていらっしゃいました。その時から、あんなに元気で、そして、どちらかといえば、しっかりとした父で、まだその時、六十二歳でございました。その父がほんの数分間の間で、呼んでも答えない人になった。それは私にして見れば、「命の儚(はかな)さ」と言いましょうか、人の命は失われてしまったら、戻らないというような、そういうものを、九歳の時に現実に体験した。それは有り難いことだった、と今は思います。
 
加賀美:  それは有り難い?
 
渡辺:  ええ。その時はやっぱり悲しかったですし、育っていく間でも、父が生きていてくれたら、どんなにいいだろう。こんな時に相談に乗ってくれるのに、と思いました。けれども、今のように死を間近に見る経験のない人たちが増えております時に、私は自分の目の前でだんだんと失われていく命、それもある意味で非常に凄惨(せいさん)な状況の中で、人が人を殺していったという、また、父が殺されたという体験は、したくても出来ないことだ、と思うようになりました。
 
加賀美:  「生きていくことは何なんだろうか」とか、「死は何なんだろう」とか、また、「人間て何なんだろう」とか、そういうことが見えるようなお話ですけれども。
 
渡辺:  命というと、つい私たち、「誰が誰を殺した」とか、または、「こういう子供たちが生まれて、未熟児で一生懸命育てよう」とか、そういう命の初めと、それから終わりの「尊厳死」とか、「人工延命」とか、「臓器移植」とか、そういうわりに突出した、と言ったら、言葉が悪いかも知れませんけども、出来事として、とらえることがあると思うんですね。今おっしゃったように、とらえどころがなかなかないですから、つい出来事としての命を捉えがちでございます。けれども、やはり「毎日よく生きる」といいましょうか、ちょうど生まれた時から死ぬ時までの間を、「どう生きていくか」ということが忘れられがちで、そして、もしそういう生まれてから死ぬまでの自分の生き方を大切にすれば、それは自分を大切にすることであり、従って他人(ひと)様のニード(need)に目を向けて差し上げられるゆとりが出来るんじゃないか、と思っています。
 
加賀美:  そうやって生きていくことが、それが命。最初、私たちは、生まれる時は何の意識もなく、生まれるわけですが、時間と、どう向き合いながら生きていくか。
 
渡辺:  私は三十歳で修道院に入りました。軍人の家庭だったものですから、経済的に逼迫しておりました。私が唯一の働き手だったもので、三十歳までキャリア ウーマン(career woman)を致しました。その頃、アメリカ人のところで働いておりました。その頃では珍しく男性の上に立ってするお仕事をさせて頂いておりました。その時やっぱり私が考えていたのは、今、おっしゃったように、これだけの時間の間に、どれだけ能率的に、効率的に、合理的に仕事をしようかという、いわゆる英語の、「to do, doing」と言いましょうか、そればかりを考えていたと思うんです。それが思うところがあって、三十歳近くで、修道院に入れて頂きました。私はすぐアメリカへ一年間程、修練という、修道者になる前の訓練のために送られました。その頃は修練者が百名以上いたと思います。私たち修練者が、結局、世俗的な考え方を叩き直される期間だったと思います。それで朝五時に起きまして、することと言えば、いわゆる単純労働が多うございました。百十数名の人たちのお料理の下拵えとか、お洗濯したり、洗濯物を干したり、アイロンをかけたり、広い庭の草取りをする。お食事が済めばそのお皿洗いをする。それをまた次のお食事のために配膳する。そういうことをしておりました時に、ある日、私はちょうど配膳のお仕事をしておりました。次のお食事のために、百数十名のお皿とコップ、ナイフ、スプーンを、それぞれの椅子の前に置いていくお仕事を一生懸命していたわけです。今まで働いていたことがございましたから、仕事の仕方とか手早く、お喋りもしないでしておりました時に、修練長という私どもの目上の人が、私の肩を後ろからお叩きになって、「シスター、あなたは何を考えながら、お皿を並べていますか」とおっしゃったんです。英語でございますけれども。で、私は、「別に何も考えておりません」と、お返事を致しましたら、その方が、「あなたは時間を無駄にしています」とおっしゃったんです。「You are wasting time」と英語でおっしゃったのを、今でも覚えています。私は一瞬怪訝な顔をしたんだろうと思うんです。言われた仕事を、言われたように、お喋りもせずに、手早くしている。それなのに、何故時間を無駄にしているか、分からなかったんですね。そしたら、その修練長が、私に、今度は笑顔で、「同じお皿を並べるんだったらば、やがて夕食にお座りになる方たち、おひとりお一人のために、祈りながら置いていきなさい」とおっしゃったんです。それまでは、「詰まらない、詰まらない」と。「まあ、どうして私がこんなことを」と思っていたかも存じません。その「詰まらない、詰まらない」と置いていたのを、「お幸せに、お幸せに、お幸せに」と、この夕食にお座りになる方、「おひとりお一人のために祈りながら置いていったらどうですか」と。ほんとに短いお言葉でしたし、短いお時間だった、と思いますけれども、なんか私のそれまでの生き方を変えてくれたような気がします。それまで、「この仕事は詰まらない仕事だ」「この仕事はやり甲斐がある仕事だ」「この仕事は大事な仕事だ。だから、大事にしよう」とか、「詰まらないから、いい加減にしよう」という気持で、キャリア ウーマンの時に生きておりましたのが、そうじゃなくて、仕事に貴賎(きせん)はないし、用を雑にするから、雑用になるのです。
 
加賀美:  ああ、成る程。大事にすれば雑用じゃないわけですね。
 
渡辺:  ええ。お茶を汲む仕事でも、コピーを取るお仕事でも、それこそお皿を並べるお仕事でも、草取りでも大事にする。これも教えて頂いたんですけれども、「草を根っ子から取りなさい」と言われたんですね。私たちはむしっていたわけです。
 
加賀美:  ついむしりますね。
 
渡辺:  むしりますね。そうしたら、修練長の方が、「根こそぎ一つ草を抜くことで、世の中から少年少女の非行が一つ根こそぎ取られますように、と願いながら、抜いてご覧なさい」と。「同じ抜くにしても、詰まらない、面倒くさい、と言って、抜くのではなくて、意味が出来るじゃないか」と。
 
加賀美:  考えながらする。
 
渡辺:  そうですね。それから、一つは、「祈りながら」と言いますか、それがあったから、非行が減ったかどうかは分からない、と思います。ただ、同じ時間を使うのなら、それを詰まらないとか、不平とか、不満で過ごす二十分、三十分にしないで、自分の足跡の付いた、自分でも納得のいく、人の幸せを願う、どこかで非行が減りますように、という、そういう思いで、同じ二十分、三十分使えば、それがあなたの人生に刻まれていく。
 
加賀美:  そうですね。そういうことは、何を大事にしたらそうなれるんでしょうか。
 
渡辺:  結局、自分を大事にするんでしょうね、ある意味で。
 
加賀美:  自分を大事にするということは、どうすることでしょうか。いろんな大事なしかたがあって、今の若い人は、「自分が大事だ、大事だ」「自分、自分」ですけども、それとは当然違うわけですね。
 
渡辺:  今、おっしゃったように、とかく、私もそうですけれども、私たちは、自分が可愛い、自分を出来るだけ目立つところに置いて、人よりも易しい仕事をして、スポットライトを浴びて、という、その利己主義というのは、結局、ほれぼれとした自分しか愛せない人だ、と思うんです。
 
加賀美:  自分の中でも、ほれぼれとした自分、ほれぼれがあるんですね。
 
渡辺:  はい。ところが、ほんとうに自分を大切にして、自分を愛する人というのは、どんな自分でも、ほんとに惨めな目に遭った自分、自己嫌悪の塊のような自分。それから、縁の下の力持ち。他の方はみんな輝いて見えるのに、そうでない自分。他の方はバラやカーネーションや百合に見えるのに、タンポポでしかない自分。その自分を嫌わないで、虐(いじ)めないで、これが私なんだ、と。この私が、私らしく生きればいいんだ、という。他人(ひと)様と比べないことがとても大事なように思います。
 
加賀美:  そうですね。先生のお話や授業の中でも、「愛」という言葉をおっしゃっていますが、「愛する」ということは、自分のことも愛する、という、自分を愛する。
 
渡辺:  はい。とっても大事なことだ、と思います。「愛する」というのは、「価値あると思うものに引かれていくことだ」と、百科事典に書いてありました。今、偏差値とか、能力社会、利益社会、商品価値、そういう時代だと、とても惨めな人が増えていると思うんです。リストラにあった方なんかは、「ああ、自分はこの会社にとって要らないんだ」というお気持ちをお持ちになるだろうと思います。私どもの大学に来る学生たちでも、こう輪切りにされて、「あんたはここの大学しか受けてはいけない」とか、そういう自分に対しての他人の評価というもので左右されていることが多いような時に、やはり自分を愛するというのは、利己愛でなくて、ほんとに自らというものが、たった一人のかけがいのない自分だ、という、その感覚を持つことです。
 
加賀美:  かけがいのない?
 
渡辺:  はい。私が生まれる前、私と同じ人は一人もいなかった。そして、私が死んだ後、私と同じ人生を送れる人は一人もない。今も赤ちゃんが世界中、日本中で生まれていると思いますけれども、その赤ちゃんたちが、何故生まれているか、というと、後にも先にも同じ人がいないからだ、と私は思うんです。
 
加賀美:  そうですね。かけがいのない、というのは、自分ではなかなか思えなくて、人が、他人(ひと)の何か優しい言葉に出逢うと、「あ、もしかしたら、自分はそんな自分であったかなあ」と思うことがあるんですけれど、自分がかけがいのないとはなかなか思えない。
 
渡辺:  思えませんね。私はとても劣等感の強い人間でございましてね。
 
加賀美:  そうだったんですか。
 
渡辺:  そうなんです。今、少し自分でも克服した、と思いますけれども。私は、それこそ父の五十三歳、母の四十四歳の時の子供でございまして、師団長という立場に父が就いておりまして、師団長に、「孫が生まれることはあっても、子供が生まれる、ということは、あったことがない」と言われて、私の母が、生むのに躊躇い(ためら)があったようでございます。
 
加賀美:  あ、そうでしたか。
 
渡辺:  私が大きくなってから、母が話してくれました。でも、「生んでおいて良かった」と言ってくれました。その母がそれほど生みたがらなかった私を、「生んでおけ」と言ってくれたのが、父だったんですね。私の父というのは、私の口からいうのはおかしいですが、陸軍でも、「文学博士」と言われたほどに、本をよく読んだ人で、そして、「給料の半分が丸善にいっていた」というようなことを聞いております。その、わりに理性的な父が、「女が子供を生むのに、何の恥ずかしいことがあるものか。生んでおけ」と言ってくれて、生んで貰いました。ただ、加賀美さん、私は学生たちにもよく言うんですけど、「もし、子供がお腹に宿ったらね、祝福して生んでやって頂戴。躊躇ったり、生まないで済ませたいと思うと、それは子供に伝わるのよ」と。私にはやっぱり伝わりました。私は生まれつき、父がとっても好きで、母がどういうわけかあまり好きでなかったんですね。
 
加賀美:  そうですか。
 
渡辺:  それはほんとに不思議なんです。何にも知らなくても。父にほんとにくっついて歩いておりましたし、父も目の中に入れても痛くないほど可愛がってくれました。今になって思えば、三十数人の敵と呼ぶ人たちに囲まれて、父がたった独りで死んで逝かなくて、私という、まあ父にしたら愛娘と言うんでしょうか、その娘が終始自分の死を見届けてくれた。それはもしかしたら九年前に、「生んでおけ」と言ってくれたことの意味だったのかなあと思うことがあります。そんなことで、私は、「生まれてきて済みません」という気持が、今でもございます。だから、なんか生きていくうえには、他人(ひと)様のお役になっていなければいけない。他人(ひと)様より優れていなければいけない、という勝ち気なものに転じたことがございます。そういう点で、やはり人間というのは、生きていくうえで、自分の自信というものをもつことがとても難しい時がございますね。
 
加賀美:  それがどう変わったんですか。
 
渡辺:  それは一つには、父が九年間に一生涯分の愛を私に注いでくれたような気がするんです。それで、愛というものがほんとに素晴らしいものだ、と思っております。それから後、特に二十代になりまして、私は一人のとても素晴らしい宣教師の方に出会う機会がございました。その方が私のような者であるにも関わらず、「あなたは宝石のような人だ」と言って下さったんです。自分では石ころとしか思っていなかった自分を、「宝石のような人だ」と言って下さった。つまり、無条件に愛して下さったわけですよ。「愛する」というのは、「無条件にあなたは価値があるものだ」「ご大切なものだ」ということを、私におしゃって下さった。それを聞きまして、「ああ、私も生きていいんだ」と思いました。そして、そのお言葉に応えるために、「宝石になろう」と思いました。
 
加賀美:  そうすると、愛されるということが、なにより大事だ、と。ご両親から愛を頂く。愛してもらう。そのことがとても生きる力になる。それが少ないと、みんな淋しくなるということですね。今、あまりにもそういうことがなんか少ないような気がしてならないんです。
 
渡辺:  そうですね。私は、その宣教師の方が、私に、「あなたは宝石ですよ」と言って下さって、それで救われたわけですね。その「恩返し」と言いましょうか、それを今の学生たちひとり一人に、「あなたは宝石なんです。私にとって、とっても大事な宝石だから、ぞんざいに生きないで下さいね。自分の身体も、心も、いい加減にしないで、大切に生きて下さい」というのを、私が授業の言葉の中で、姿の中で伝える。そして、こういうメモを書いてくれる。そのひとり一人に、こちらがまた名前を書いて、返事を書いて渡すことによって、「ああ、私は数の中の一でなくて、名前をもった一人として考えてもらっている」というのが、ちょっとでも伝わったらもう私はほんとに教師冥利に尽きる、と思います。
 
加賀美:  そうですね。先生は全部ペンで、自筆でお書きになっておられますね。
 
渡辺:  私はワープロでするよりも、自筆の方が早いものですから。それに学生たちにしてみたら、最近メールにはとっても慣れて、携帯も使っているし、パソコンも使っていますけども、やはり肉筆からくる温かさって、違いますよね。
 
加賀美:  違いますね。もうやっぱり自分だけに、私に下さった、ということがよく分かりますね。
 
渡辺:  ありのままで書いたことの中には、ほんとに道徳的に言ったら、「えっ!」と思うようなことも書いてあるんです。でも、それを書いてくれた。書けた。それに対して、私が批判的なものを書かないで、そういう気持をまずそれなりに受け止めてあげる。でも、「私はこう思う」と。また、「こうしたらどう」という、その繋がりが二十一世紀を迎える日本の国で欠けているような気がします。
加賀美:  ほんとにそうだと思いますね。
 
渡辺:  私たち、手紙の最後に、「お大事に」とよく書きますね。
 
加賀美:  ええ。書きますね。「お大事に」と。
 
渡辺:  あれは読み方によると、「お大切に」とか、「ご大切に」となります。「どうぞ、御身お大事に」と。実はこれは四百五十年ほど前に、キリシタンの宣教師たちが使った言葉なのです。日本に初めて、フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier:日本におけるキリスト教の開教者。スペインに生まれ、一五四一年東洋伝道のためインドからマラッカなどを遍歴、一五四九年鹿児島に来たり、日本各地に伝道)が参りまして、布教をいたしました時に、「神の愛」という、キリスト教の宣教師にしてみたら、これだけはどうしても日本人に伝えておきたい。自分たちが迫害されて、殉教するようなことがあっても、または、国外追放を命じられて、日本を離れなければいけないとしても、神さまはあなた方を既に愛していらっしゃるんですよ、と。神さまはそんなに愛の深い方ですよ、ということを伝えたかったらしかったんですね。それで、愛に当たるところにローマ字で、「GOTA IXET(ご大切)」と書いてございます。
 
加賀美:  ローマ字で、
 
渡辺:  「GOTAIXET」というスペリングなんです。「ご大切」という言葉が、「愛」の代わりに、宣教師たちが使った言葉なんです。それは多分仏教的に、「愛」という言葉の中に、「物事に執着する」とか、「人に愛着する」という欲望。仏教では、「欲を無くすように」という。「成仏するために必要だ」というような教えがあるようですから、多分、宣教師たちは、言葉を避けたんじゃないか、と思います。そして、「ご大切」という言葉を、「愛」の代わりに使っております。これは歴史的に。
 
加賀美:  とってもいい言葉ですね。
 
渡辺:  いい言葉ですね。私はとっても好きなんです。日本語だと、「愛」という言葉は、若い方たちの感覚はよく分かりませんけれど、なんとなく、気恥ずかしい。
 
加賀美:  そうですね。
 
渡辺:  「大好き」という言葉は使いますが。
 
加賀美:  そうなんですね。使いたいけど、ちょっと気恥ずかしい、というのはありますね。
 
渡辺:  ございますよね。それが言葉として、「ご大切」でなくても、思いとして、やっぱり親には、我が子を、その子がどんな子であろうとも愛して欲しい。「愛して欲しい」という言葉が気恥ずかしければ、大切に思って欲しい
 
加賀美:  大切にして欲しい。
 
渡辺:  宝として抱きしめて欲しい。どんな子でも居場所を作ってやって欲しい。
 
加賀美:  そうすると、子供は安心しますね。
 
渡辺:  そうです。それを今の教育は家庭教育にせよ、学校教育にせよ、社会教育にせよ、取り戻さないと、とても大変なことになると思います。
 
加賀美:  ゆとりがないんでしょうかね。そこを大事にする心のゆとりがない、優しさがないというか、そこまでいっていなんですね。
 
渡辺:  そうですね。忙しすぎますね。「忙しい」という字は、「?(りっしん)」偏に、「亡(ほろ)ぶ」と書きますから、あんまり忙しいと、心を亡(な)くしてしまうんですね。私たち人間は本来きっと優しい心をもっている、と思うんです。「優しい」という字が、ご存じと思いますが、
 
加賀美:  「人偏(にんべん)」に、「憂(うれ)う」という字ですね。
 
渡辺:  ええ。ですから、私はこじつけかも存じませんけれど、自分の父が死んだこととか、自分が抱えている問題。その問題をもっていることによって、優しくなるような気が自分では致します。
 
加賀美:  「憂う」ということですね。「憂いをもつ」こと。
 
渡辺:  憂いから逃げないで、憂いの傍らに自分が佇(たたず)んでいる。例えば、私が病気をもっているとすれば、その病気と仲良く生きている。その私は以前よりも優しくなっていると思うんです。
 
加賀美:  ああ、なるほど。
 
渡辺:  それから、今度は他人様(ひとさま)が憂いをお持ちの時、困っていらっしゃる時、悲しみをお持ちの時、病気をお持ちの時、その方の傍らを離れない。同伴者となる、というような言葉で表してもいいかと思います。その人の病気を治してあげるわけでも、悲しみを取り去ってあげる、問題を解決してあげるわけでないけれど、「大変ね」と言って、「でも、側にいるからね」と言ってあげる。それがほんとに優しい方のお姿じゃないかしら、と思う時があります。
 
加賀美:  側にいるということですね。
 
渡辺:  私の好きな愛の定義は、「見捨てない」ということなんです。「愛する」というと、今の若い人たちは、とかく「接吻する」とか、「抱きしめる」とか、「一緒に住む」という愛をお考えになります。それも決して悪いことでないけれど、ほんとの優しさ、ほんとの愛は、「大切に思う」。それは「見捨てない」ということだと思うんです。
 
加賀美:  「見捨てない」ということは、大事にするということなんですね。
 
渡辺:  そうだと、私は思います。「大事にする」というのは、何も自分の手の中で、ということでなくて、その人を心に掛けている。その人の傍らに佇んでいる。つまりその人に価値をみている。ご大切に思うんです。
 

 
ナレーター:  学長だった凡そ三十年間に、渡辺さんは一万人あまりの卒業生を送り出してきました。渡辺さんの授業での問い掛けに、学生たちはしばしば質問や悩みを書いた手紙で応えてくれました。学長室を訪れ、話し込んでいく学生も珍しくありませんでした。そんな交流のなか、渡辺さんが一番辛いと思うことは、自ら死を選ぶ学生がいたことでした。しかし、自ら死を選ぶことは、渡辺さんにとっても人ごとではありませんでした。学長として、働き盛りだった五十歳の時、鬱病(うつびょう)となり、死を考えた経験があるのです。若くして学長となり、新しい学部や付属幼稚園、小学校の新設に力を傾けて十数年、修道会の管区長という重責も担うようになって、疲れ果てていた、と言います。
 

 
渡辺:  大学におりました時に、在学生、卒業生、合わせて十数人、私が知っているだけでも、自分の命を絶った人たちがおります。私にとっては、「何が一番悲しかったか」と聞かれたら、やはりあれだけ私が、「ご大切に」「あなたは私の宝だ」ということを話したり、伝えようとしたにも関わらず、自分がほんとに無力だった、と思います。やっぱり死んだ方が楽だ、という気持が強かった人たちなんでしょうね。
 
加賀美:  でも、どうすることも出来ないものなのか、或いは、どうにか出来るものなのでしょうか。
 
渡辺:  私は、私自身が今から二十年ほど前でございますけれども、ちょうど自分の更年期と重なっていたと思います。学長のお仕事と、修道会の方のちょっと責任あるお仕事を頂きまして、疲れ切っていた時があるんです。その時に、「心に風邪を引いた」と言いましょうか、はっきり言えば、鬱病になったことがございます。それで、その時のことを思い出してみますと、修道者であり、従って、信仰をもっている筈の人間でございましたけれども、信仰とか修道者であるというようなことは関係なかったんですね。とにかく苦しい。これは鬱病におなりになった方でないと分からない、と思います。だから、私は学生たちや卒業生たちが自らの命を絶った時に責める気持がないんですね。済まないという気持はあります。だから、私はなんかもっと優しい言葉をかけてやれなかっただろうか。何か私が話を聞くことによって思い止まって貰えなかっただろうかという気持より、済まないという気持はございますけれども、自分がそういう思いを抱いたことがあるものですから、責めることは出来ないんですね。私もその病気をしておりました時は、他人様とお目に掛かっていても、いつの間にか寝てしまっているんですね、自分が。
 
加賀美:  そうですか。
渡辺:  はい。それから私はこう笑顔をわりに大事にする、ということを、自分にも課して、また、学生たちにも、「そうしましょうね」って、廊下ですれ違ったりすると、挨拶したり、微笑んだり、それが出来ませんでした。
 
加賀美:  そうですか。
 
渡辺:  はい。そういう自分の状態というものを経験しているものですから、なんか辛かっただろう、という思いがあって、その経験は無駄でないと思うんです。
 
加賀美:  その辛い思いが分かってしまう、ということですね。
 
渡辺:  分かってしまいは致しません。人は違いますから。私の苦しみと、今ここで苦しんでいらっしゃる方の苦しみは、どこかで似通ったものがあり、接点がある。それからそういう苦しみを経験なさらなかった方に比べれば、私の方が少しは分かると思います。私も心の風邪を引いておりませんでした時には、ほんとになんてだらしがない人たちだろうとか、ちょっとのことですぐ疲れて情けない、というふうな、審く心を自分がもっていたと思うんです。他のかた、特に若い人たち、同じ修道者に対しても。それが自分がああいうほんとに何をしようにも、する気がないし、起きるのは辛いし、寝ていても辛いし、そういう思いを致しましてから、他人様に少しですけれども、優しくなったと思います。
 
加賀美:  そのことがあったから、今がある、とおっしゃいましたけども、やはり苦しみを乗り越えることが出来なくて、命を落としてしまう人たちを考えますと、特に若い人のことを考えると、ほんとに最後まで、兎に角生き抜いて欲しい、欲しかった。どうしたらいいんでしょうね。何か出来るものなんでしょうか。
 
渡辺:  さっきちょっと申し上げたように、死にたい、と思った人を止めることは出来ないかも知れない、と私は思うことがあるんです。
 
加賀美:  かも知れないとは?
 
渡辺:  つまり止めるなんていう思いあがりをもってはいけないと思うんですね。私は学生たちが死にたいと思っていても、私と話せば止められるとか、私が止めてみせる。そんな思い上がりは決してもってはいけないと思います。一緒になって、「そんなに辛いの」と。ちょうど私が立ち直ることが出来たのも、周りのシスターたちが、「シスター、頑張ってね」なんておっしゃらないで、「シスターはそれでいいのよ」と。「今までもたくさんお仕事したんだから。今、病気になっていいんだから、十分病気になっていて頂戴」と言ってくれましてね。そういう人の優しさというのに支えられたことと、もう一つは、ある一人の方が、私に、「この病気は信仰とはまったく無関係なんですよ」と言って下さって、「運命は冷たいけれども摂理は温かい」とおっしゃったんですね。その時は、自分ではあまりよく分からなかったんですけども、どうして私はこんな、まだ五十の働き盛りちょうど五十歳でございましたから五十の働き盛りで、もうこれでもう一生終わるみたいな思いをしなければいけないだろう。私は神さまのために、一生棒に振ったのに、って─そんな振っても大したことはない一生だったと思うんですけども一生棒に振ったのに、神さま、どうして私、こんな苦しい思いをしなければいけないですか、って、思ったことがございます。ある意味で運命を呪うような。そうしたら、その方が、「運命は冷たいけれども摂理は温かい」。摂理というのは、「プロビデンス(Providence)」と、英語で言いますけれども、「おはからい」でございますよね。人間よりも、大きな方が、何もかもご存じで、ちょうどこの時にこの病気をあなたに下さったんですよ、という。そういう温かいものが、この病気の奥にはあるんですよ、ということを教えて下さった。それで、今になって、ほんとにそうだったと思います。
 
加賀美:  よくそう大きなもの、何かですね。そういうことをやはりお伝えするのはやはり人であるし、先ほど優しさというのも、人が何もすることは出来ないけれども、優しく側に佇むということがあれば、どうしても命を落としてしまう人の側で、どうすることも出来なくとも、優しさというのはやっぱり大事だと思うんですが、どうなんでしょうか。
 
渡辺:  そうですね。ほんとの優しさ、そして学生がときたまですけれども、落ち込んで自殺をしようかと思う、というような話をしに来てくれることがございます。そういう時に話をじっくり聴いてやりますと、少なくとも、「誰かが聴いてくれた。私も満更捨てたものじゃない」という気持をもってくれたり、「あなた死にたければ死んでも」私はときたま素っ気ないことを言うんですけれども─「死にたければ、死んでもしょうがない。私、止められないから。でもね、死ぬ前に一度挨拶に来なさい」というんですね。(笑い)そうすると、なんかそれが相手の学生にとっては嬉しかったみたいで、「分かりました。じゃ、死ぬ前に挨拶に来ます」と。今のところ誰も挨拶に来てくれませんから、大丈夫だと思うんですけれども。やっぱり死にたくなる。病気で死にたくなる。そういうこともございますでしょうけれど、その時に、見捨てないでくれる人、「あなたは今のままで病気のままで大事な人なのよ」と。
 
加賀美:  一言、
 
渡辺:  一言が大事だと思います。
 
加賀美:  自分ではなくて、やっぱりそれは他人(ひと)から頂くものですね。
 
渡辺:  ええ。他人から頂くもの、自分ではそんなことが言える状態でないですね。それがあったら生きると思います。
 
加賀美:  私たちは生まれてから死に至るまで、命の旅、時間の旅をしていくわけですけれども、一生懸命生きましても、命の終わりの間近にになりますと、それだけ大事な命ですから、惜しくて、掛け買いなくて、なんかこれをなくしてしまうのがとても怖くて、怖さというのを感じられると思うんですね。
 
渡辺:  私自身は幼い時に、父の死を見てしまっておりますので、あんまり血が流れるとか、人が死ぬということに、怖いという思いを持たないで済んでいるんです。でも、自分の死というものを、どんな形で、何時迎えるかは誰にも分かりませんよね。それだけに、これは私が自分の生活の中でしていることなんですけれども、「死のリハーサル」と言いましょうか、毎日の生活の中で、自分というものに死ぬ。自我に死ぬ。それを実行することによって、いつか大きな死を迎える時に、「ああ、どうぞ」と言えるのかも知れないと思うことがあるんです。「小さな死」という。
 
加賀美:  「小さな死」、それはどういうことですか。
 
渡辺:  例えば、自分の嫌なことをこれからしなければいけない。どうしてもしなければいけない。その時に、「小さな死」とこう口の中に呟(つぶ)いて、ああ、私はこれに立ち向かっていくんだ、と。そして、それは私にとっても、決して嬉しいことでないけれど、その時、さっきのお皿並べとか、草取りのことが頭をよぎりましてね。「神さま、どうぞ、私が死にますから、どこかで誰かを生かしてやって下さい」と。
 
加賀美:  ああ、なるいほど。
 
渡辺:  これは、「一粒の麦」という有名な喩えが、聖書の中にございますけれども、「一粒の麦が地に落ちて死ねば、豊かな実を結ぶ。だから、私は喜んで今から地中に落ちて死にます」。つまり、「本当はしたくないことをします。聞きたくない話も聞きます。ですけども、この死をどうぞ無駄にしないで下さい。どこかで誰かに命を与えて下さい」と。そうすることによって、何か死ぬことが怖くなくなるような気がするんです。無駄でない。それこそ無駄でない。私が、マザー・テレサ(一九一〇年、アルバニアのスコピエ(現マケドニア領、当時はオスマントルコ帝国領)で生まれた。『カルカッタの聖女』と呼ばれ、インドのカルカッタを拠点に世界の貧しい 人々やハンセン病患者の救済に生涯をささげた。一九七九年にはノーベル平和賞を受賞している。八十七歳で死去)の通訳を日本にお出でになった時に、させて頂いたことがあるんです。マザーが岡山の駅にお着きになりまして、その頃、私は岡山におりましたものですから、お出迎えを致しまして、夕方の五時頃でございましたでしょうか。ご一緒にお食事をして、「祈りの集(つど)い」で、二回程お話をなさって、その後、私どもの学生たちにお話をして下さって、それから、修道院にあの方もカトリックの修道者でいらっしゃいますから修道院にお連れ致しましたけれども、七十四歳でいらっしゃったと思います。朝早く、東京をお発ちになって、広島にいらっしゃって、大きな講演をなさって、岡山にお戻りになって、そこで、また三つ程大きな話をなさって、漸くその修道院にお連れして、夜の九時近くだったと思いますけども、休んで頂こうと思いました。それまでほんとにカメラの放列と申しましょうか、夕方でもございましたし、フラッシュが絶えずたかれたわけですね、マザーに。そして、私がこう側でお見かけしておりましたら、マザーはとっても素敵な笑顔をなさるんです。フラッシュの度に、カメラの方に向かって。で、私はマザーはほんとに愛想のいい方、カメラがお好きなのかしらと、私が思うほど、いい笑顔をなさいました。最後、修道院にお連れして、お帰りになる時に、傍らを歩いておりました私に、ちょうど私の心をお見透かしになったように、「シスター、私ね、フラッシュが一つ焚かれる度に、今しも息を引き取ろうとしている人が、安らかに神さまのみもとにいくように、笑顔をするのですよ」と、おっしゃったんです。つまり、自分があまり好きでないカメラに、それでも撮している方に向かってニッコリ笑う。それは無駄でない。今、申しましたことが、私の言葉で言えば、「小さな死」にあたるのかなあと思います。それが、どこかで誰かが生きるという。
 
加賀美:  先生がおっしゃったことは、命を一生懸命使うという。一生懸命生きる、という。
 
渡辺:  ええ。時間を大切にして、自分の命を生きるということにも関わっていくと思うんです。時間の使い方は命の使い方。だから、命の使い方は時間の使い方。命を使う。「使命」というのは、自分がどれだけ上等な時間を使うか。出来ることなら、自己実現の時間。そして、他の方をお助けする時間。他の方の喜びとなるような時間の使い方。だから、使命はいろんな命の使い方があると思うんですよ。お医者さまの使命とか、看護婦さんの使命とか、教師の使命。しかしながら、一人ひとりの根源的な使命の意味というのは、どれほど重度のハンディキャップをお持ちの方、ただ、生きていらしゃるだけの方でも、その命が終わるまでは使命を生きていらっしゃる、と思う。途中で、「断ちたい」と思った方は、そこまでの命をお使いになったと思う。その途中で命を絶つことが、いいことか、悪いか、キリスト教で言えば、それは罪だというふうに、ハッキリ言っておりますけれども。そこまで一生懸命使ったんだから、そのことを認めてあげましょうよ。ほんとに心から祈ってあげましょう、というのが、私の気持です。
 
加賀美:  ああ、なるほど。
 
渡辺:  私なんかでも、修道者になって、一生懸命、今までも働いてきましたし、生涯現役のつもりで働かせて頂くつもりだけれど、だから、じゃ、私は、「使命を使い切ったか」って言われると、「分かりません」としか言えないように思います。
 
 
     これは、平成十三年一月十四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。