安らかな旅立ちをー「看病用心鈔(しょう)」の教えー
 
                            仏教大学教授 藤 本  浄 彦(きよひこ)
昭和十九年生まれ。現在は、知恩院浄土宗学研究所の嘱託研究員を兼ねて、内外の高齢者福祉問題の研究に取り組む。
                            き き て  峯 尾  武 男
 
峯尾:  鎌倉時代に日本で描かれた仏涅槃図(ぶつねはんず)。仏典では、「お 釈迦様は八十歳の時、インド娑羅(しゃら)の木の元で涅槃に入られた」と、今から二千五百年前の史実をつぶさに伝えています。そして、「涅槃とはすべての煩悩から抜け出ること、即ち完全な悟りに至ることである」と説かれています。お釈迦様の枕辺には最後まで看護に尽くした阿難尊者(あなんそんじゃ)を初め、大勢の弟子や村びとたち、さらに鳥や獣や虫たちに至るまでの総ての生き物が、お釈迦様の旅立ちに臨んで別れを惜しむ様子が描かれています。さて、現代の私たちは最後に訪れる臨終(りんじゅう)の時を免れることは出来ません。お釈迦様のような臨終の手厚い看護が平等に施されることを誰しも願わずにはいられません。では、日本の代々の仏教者は臨終の看病を一体どのように考え、また、教えてきたのでしょうか。今日は仏教大学教授の藤本浄彦さんに臨終の看病の行事、言うなれば、現代のターミナル ケア(terminal care:終末期医療)と僧侶との関わりについてお話を伺ってまいります。どうぞ宜しくお願い致します。
 
藤本:  宜しくお願い致します。
 
峯尾:  まず、藤本さんご自身のことから、まずお伺いしたいんですが、お生まれは昭和十九年、山口県ですね。
 
藤本:  そうです。
 
峯尾:  山口県はどの辺りですか。
藤本:  周防(すおう)大島と言いまして、瀬戸内(せとうち)の小島です。
 
峯尾:  自然がいっぱいな所ですね。
 
藤本:  そうですね。自然海と山、そして、空が大変綺麗で、私はそこに多情多感な時代を過ごしたわけです。
 
峯尾:  そうして、大学へ入られて、東京へ出られた。
 
藤本:  そうです。
 
峯尾:  何を専攻なさったんですか。
 
藤本:  まず、西洋哲学を学びました。
 
峯尾:  早稲田ですね。
 
藤本:  そうです。
 
峯尾:  もともとお寺さんのお生まれでいらっしゃるわけですね。
 
藤本:  ええ。お寺の生まれです。
 
峯尾:  その西洋哲学というのはお寺さんを継がれるおつもりが無くて、ではないんでしょう?
 
藤本:  それを分かりながらに、自分の考えは哲学を学ぶ、ということから、仏教への素地を作りたいということが一つありました。
 
峯尾:  それが現在の藤本さんご自身のお考えなり、行動なりに非常に深いところで反映していると考えて宜しいでしょうか。
 
藤本:  それは大変大きくあると、今振り返って感じております。例えば、やはり哲学的な思考、さらにはもう一つ大事なことは、仏教に対するいろいろな意見、批判を込めた意見をかなり客観的に学部時代に周りから頂いた、というような経験は、今も私には大事なものとして残っています。
 
峯尾:  そして、西洋哲学を早稲田で勉強された後、今度は仏教の本格的な勉強に入られたわけですね。
 
藤本:  ええ。とは申しましても、私の関心は宗教哲学というところにありまして、京都に参りました。と、同時に、宗派学の研究所が京都にありましたもので、そこで十年間仏教について、また、教義的なことについて、かなり訓練をさせられました。
 
峯尾:  それが実践面にも反映されているということでしょうか。
 
藤本:  はい。そこで宗教哲学という領域は、宗教というのは一体何か、という問題を深く思考し具体的に追求していく学問ですね。そして、また、宗派の教義、思想と言いますのは、やはり日本仏教の伝統的な教義、また、特に教団というものを背景にした展開がありますから、そういうところでの理解というものを若いながらに、身につけるうちに、そのような教義理念と現実とがどう出合うだろうか、ということが大きく私自身の課題になってきました。
 
峯尾:  まさに、現実とどう出合うかを模索しながら、さまざまなことをやっていらっしゃった、ということですね。
 
藤本:  はい。そうですね。僧侶であるというのが、私の原点でありますから、今申したようなことが私自身の課題としてどんどん膨らんでくる、と言いましょうか、いささかそれに押し潰されそうな気もないではありませんけれども、やはりそのことを正面から考えていくということ、このことが現代にまで続いています。
 
峯尾:  今日のテーマが、「安らかな旅立ちを」。私ども、これ位の年齢になりますと、「どんな死に方が自分は出来るかなあ」というようなのが、ごく日常の会話の中にも出てくるんですが、現代の私ども、なかなか安らかには旅立てない。「楽に死ねないなあ」などという言い方までするんですけれども、まさにそれが現代社会の大きな問題ですよね。
 
藤本:  そうですね。そういう問題に応答していく、また、実践をしていくという役割が、僧侶にはあるのではないか、ということを思います。例えば、現代、「仏教」、または、「僧侶」という言葉の中で、みなさん方がどのようなイメージをもっておいでか、と言いますと、やはり「理解に苦しむお経を読む」「儀式を勤める」というような、または、「死ということを巡るいささか形式的な営み」というような、そういう感想をもっておいでの方が多いのではないか、と。しかし、僧侶という役割は、それで済むのではなくて、やはり自分の前においでになるお方のお話を聴き、思いをやはり込めて、例えば、ご老人であれば痛いところをさすってあげるとか、手を握ってあげるとか、また、そういう手助けをしてあげる。そういう心の安らぎを少しでも感じ取って頂くような、そういうことが大事なことではないだろうかということなのですね。現代も頑張っているお方は多くおいでですけれども、なかなかその点についていえば、日暮れて道遠し、というような感がないでもありません。
 
峯尾:  「頑張っておられる方がいらっしゃいますけども」というのは、実際に藤本さんがそういう人たちと交わり、そういう状況をさまざまなところで見て、そうおっしゃるわけですよね。
 
藤本:  はい。そうです。
 
峯尾:  若い人に限りませんか、そういう状況の中でなんとか社会の、普段、宗教とは関係のないような人たちにも、さまざまな形で手を差し伸べようという動きというのは、
 
藤本:  ええ。それはここ十数年、非常に意識が高まってきている。そして、またそのことを期待されている、ということは、私はかなり直接的に感じ取っています。
 
峯尾:  確かに一般の人の間でも、そういう「心の安らぎ」というか、「安らかな旅立ちをするために一体どこに何を求めたらいいのか」というようなことを、期待している部分というのは確かにありますよね。
 
藤本:  そうです。具体的に言えば、やはり寺院という空間、そして、僧侶という存在が、今ご指摘のようなことに対して、どう応答し、機能を果たすか、ということではないだろうかなあと思います。
 
峯尾:  さて、今日は最初に、お釈迦様が涅槃に入られる姿を紹介して入ってきたんですが、そもそも仏教の歴史から見て、やはり人が死に臨んで心の安らぎを得るために、どうあるべきか、或いは、実際に僧侶たちは、どのような形で自らの死を迎えたか、それを周りの人たちは、どう受け止めたか。ちょっと歴史的なことからお話頂きたいんですけれども。
 
藤本:  はい。お釈迦様の出現は、今から申しますと、二千四、五百年前ということになりますけれども、その時代のインドの有り様ということを背景にしなければ語られない部分もありますが、要するに、私ども人間が生老病死の苦を避けることが出来ない。これをどうすれば解脱(げだつ)と申しますけれども、そこから解き放たれ、逃れることが出来るか、というところに発する教えである。また、修行である、ということが言います。従いまして、生老病死の一つ一つを、私どもは真剣に出合いながら、取り組みながら、そして、死を全うしていくということにつきるのではないかということですね。
 
峯尾:  お釈迦様ご自身が涅槃に入られるに際して、先程、阿難尊者の話が出ましたが、さまざまなことを言われた、教えられた、説かれたわけですよね。
 
藤本:  そうです。従いまして、お釈迦様がお説きになった教え、その一つ一つは、如何に生きるか。そして、また、与えられた命を如何に全うするか、という人生の一大事に注目される。また、その解決を表し、示されるということであられ、そのお釈迦様の生き方の一つの大きな意味合いの中に「涅槃」ということが語られると思います。
 
峯尾:  さて、仏教が、これはもう二千数百年前のものが日本に入ってきて、そこでまた、さまざまな形で、人がその生を終えるに際してのことが語られてきた。今度はその辺のお話を少し伺いたいんですが。
 
藤本:  お釈迦様の時代の仏教のありようは、いわゆる出家教団です。この出家教団と申しますと、共同生活を出家者がしております。修行者がしております。そこには自ずから「律」と申しまして、約束事が出てきます。その「律」などを読んでみますと、そこに同じ修行しているものの誰かが病に罹れば看病をすること。さらに言えば、その表現が、傍らに立って世話をしてあげること、そのような記述も出てまいります。それは命を長らえるとか、または欲望を満たすとか、という意味合いではなくて、やはり修行をするということに価値を置いた考え方がそこにあることが伺われますね。
 
峯尾:  では、かなり跳びますが、日本に仏教が入ってきてからのお話を伺いたいんですが、まず、そうしますと、当然のことながら、その生老病死というのについての考え方が、日本の仏教ではどんなふうに変容を遂げたり、発展をしたりしてきたか、その辺からお話をして頂けませんか。
 
藤本:  インドで生まれた仏教は、ご存知のように今でいうシルクロードを通りまして、中国に入ってまいります。中国では、中国の風土、中国人の思惟方法等々にやはり根ざす受け入れられ方をしていると言いますね。そして、朝鮮半島を経由して日本に入って来ます。宗教というのはどの宗教もそうだと思うのですけれども、やはりその国の言語になり、その国の風土、思惟方法、習慣、さらには価値観等々の中に、やはり根を張っていく。また受け入れられていく、ということがあると思っております。そう致しますと、日本に入って来るというその仏教は大きく変容する。仏教という名のもとでも、今申したような内容を付けていくということがあると思います。その中でまず大事なことは、お釈迦様が亡くなられて時間が経った状態で入ってきている。これは中国の仏教者の言葉ですけれども、
 
     大聖(だいしょう)を去ること遙遠(ようおん)なり
 
と。お釈迦様がお亡くなりになってから、遙かなる遠い時間がかかって今がある。こういう発想があります。従いまして、日本に入って来た仏教は一方でそういう思いのもとで、お釈迦様の時代であれば良かったなあ、というような思いで受け入れられた出家者、僧侶もいます。一方では、それ程に離れているということは、お釈迦様の御教えがやはり薄くなって、この世というのが混乱している。または、お釈迦様の御教えの力を、今一度私どもは頼りにしなければ生きていけない、というような考え方ということがあろうかと思います。一方が、教義、理念と言いましょうか、学問的な方向にどんどん展開し、一方は日本における人々の魂の救済と言いましょうか、そういうこの一つ一つをもたらす働きとして受け入れられていく、という方向とがあろうかと思いますね。
 
峯尾:  それは、例えば、庶民の心に出あった。その時に、庶民を救わなければいけない、というような形で現れた宗教界の方というのは、例えば、どういう人が挙げられますか。
 
藤本:  いろいろ挙げられるとも思いますけども、私は法然(ほうねん)(鎌倉時代に浄土宗を開いた。源空と称した。:一一三三ー一二一二)というお方の、法然上人のやはり御教え、着眼点というのは、今ご指摘のようなことを物語っていると思います。一般的に言えば、日本仏教の改革者と言われるほどの大きな意味をもたらしていると思います。
 
峯尾:  法然上人がいうなれば今日のテーマである「心の安らかな旅立ち」に関連しては、どのようなことを説かれ、どんなことをおっしゃっているんでしょうか。
 
藤本:  はい。先ず法然上人はこのような言葉をおっしゃっています。
 
     我、浄土宗を立つる意趣は、凡夫の往生を示さんがためなりけり
 
自らが浄土の教えを立てるのは、凡庸な人間平々凡々とした、いわば庶民ですねが浄土に往生出来る教えを立てるのだ、と。そういう言葉でもって象徴されると思います。従いまして、人間であれば、誰もが阿弥陀様の本願を信じて、そして、お念仏を申すことによって、その日その日をお念仏の心で過ごし、そして、自らの寿命、命の終わりには阿弥陀様のお迎えを得て浄土に往生していく、という教えであると言えます。
 
峯尾:  では、法然さんの残された言葉をもう少し紹介して頂きながら、お話を進めたいと思いますが。
 
藤本:  法然上人の教え、いわゆる教義、思想の資料と、一方で多くの方々に差し出されたご書簡、お手紙等々があります。または、多くの方々にお説法されたご法語、そういうふうに分けられますけれども、此処ではお手紙を少しご紹介しながら、法然上人の「浄土への旅立ち」ということを噛んで含めるようにお言葉で述べられている、それをご一緒に味わってみたいと思います。多くのご書簡の中で、これから言おうとしておりますのは、後白河天皇の第三皇女であられ、和歌をよく嗜んだと言われています正如房(しょうにょぼう)という法号をもつ、この方は式子内親王(しょくしないしんのう)であろうというふうに言われており、建久(けんきゅう)八年(一一九七)頃に出家し、五年後に亡くなられたお方だと言われておりますけれども、この正如房(しょうにょぼう)へ遣わすお文を紹介したいと思います。そのご書簡の中でこのように述べられている二、三の点です。
 
     正如房(しょうにょぼう)への法然の書簡(『和語灯録』(大橋俊雄訳による)
 
このたびのような場合には、結局この世での見参(けんざん)は、どうでもよいことなのです。見参することによりかばねに執着することにもなりかねません。誰しもいつまでもこの世に留まっていることはできません。私も人もただ遅れるか、先立つかの違いがあることだけのことです。
 
このようにおっしゃっているお言葉ですが、ご書簡でありますから、相手の、この場合には、病に臥しておいでのお方へのお手紙でありますから、相手への思いを込めまして、法然上人は次のようにおっしゃっておられますね。
 
うけたまわったように、このたびほんとうに先立たれるにしましても、また思いもかけず私の方が先立つといったことになりましても定めないのがこの世であり、ついには阿弥陀仏のまします浄土に参り、お会いできるのは疑いないことなのです。夢・幻のこの世で、今一度お会いしたいなどと思いますことは、どのように考えても、かなわぬことなのです。このように考えることを、ひたすら捨ててしまい、ますます深く往生を願うお心を増し、念仏をも励まし、かの浄土でまっていましょうというようにお考え下さい。
 
法然上人の特にお手紙は、今申していますように、相手の状況から発せられる言葉を相手の立場に立って受け止められる。そして、相手の心の中へ入っていく。そして、自らを語る、という世界が開かれているように思います。これはまさに宗教的心情の熟している、または宗教的心情においてしか開かれてこない世界が語り出されているように思います。
 
峯尾:  では、その法然上人のご臨終というのは、どういうものだったんでしょうか。
 
藤本:  法然上人の伝記はたくさんあります。その伝記を一つ一つ検討と言いましょうか、比較するといろいろまた話題が広がってくるわけですが、此処では一番よく読まれ、また、法然上人を理解する場合に重要だ、と言われております『法然上人行状絵図』というお伝記があります。このお伝記を辿ってみますと、次のような描写があります。法然上人は建暦(けんりゃく)二年、一二一二年の正月二十五日に入滅、お亡くなりになりますけれども、その年の一月、正月の二十日頃からの記事を紹介していきたいと思います。
 
二十日の午後二時ごろ、上人は空を仰ぎ見て、しばし目(ま)ばたきなさらないことが五、六遍ほどあった。看病していた弟子たちが不思議に思い、阿弥陀仏がお迎えに来られましたか」とお尋ねすると、「そうだ」とお答えになられた。
 
以後、お念仏を申す時間をお持ちになりながら、日にちが過ぎていくわけですが、
 
二十五日の真昼頃からは、次第に念仏の声が弱まったものの、時おり高声の念仏が混じっていた。いよいよいまわの時を迎え、・・・
頭を北に面を西方に向け「光明は、遍く十方の世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」の文を唱えて、眠るように息を引き取られた。顔色はとりわけはっきりと美しく、お顔は微笑んでおられるようであった。
(大橋訳『法然上人伝記』より)
 
というふうに残されています。今のことで大事なことは、阿弥陀様がお迎えに来られた、ということ。そして、また次第に念仏の声は弱まるけれども、時折、高声の念仏、高声と申しますと、周りの人に聞こえるお念仏、声の念仏、という。そういうご臨終、臨終と申しますのはまだ終わりに臨む時のことでありますから、そして、いまわの時にはこうであった。眠るように息を引き取られた。顔色ははっきりと美しく、お顔は微笑んでおられるようであった、という法然上人ご自身の死を迎え、安らかな旅立ちを、私どもは大変大きく注目をすることが出来ると思います。
 
峯尾:  今日、藤本さんにお話を頂いている「安らかな旅立ち」のもう一つのテーマが、『看病用心鈔(ようじんしょう)』の教えですが、この『看病用心鈔』を表された良忠(りょうちゅう)上人(浄土宗の第三祖。記主禅師とも呼ばれる:一一九九ー一二八七)という方は、この法然上人の孫弟子にあたる方なんですね。
 
藤本:  そうですね。
 
峯尾:  どういう方だったんですか。
 
藤本:  良忠上人は今でいう山陰ですけれども、島根県の三隅(みすみ)というところにお生まれになりまして、そして、十五歳で出家されまして、天台の教えや、また、奈良の南都の仏教を学ばれるわけです。三十七歳で法然上人の弟子に聖光房弁長(しょうこうぼうべんちょう)という法然上人の二代目になります。この方の元に入られまして、浄土の教えを研鑽されます。この良忠上人の特徴は、中国の唐の時代の善導(ぜんどう)という人の著作を詳しく注釈をしておいでです。従いまして、善導という人が残されました『臨終正念訣』とか、『観念法門』という著作には、今話題にしようとしております臨終の看病の、さらには臨終行儀と申しますが、そういうことに纏(まつ)わる記事が色濃く述べられております。で、そのことを勉強なさって、さらに日本の浄土教の大変大きな業績であります恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)の『往生要集』をよくこなされております。そして、その中で特にこの臨終行儀ということを、その当時の、例えば、東大寺の湛秀(たんしゅう)という人の『臨終行儀注記』というふうな臨終に纏わる著書がありますけれども、そういうものなどを入れながら、実は、『往生要集義記』という書物を表されまして、良忠上人自身、臨終行儀の捉え方を深く語っておられます。従いまして、そのような良忠上人の関心の中で纏められていったもの。もっと言えば、良忠上人以前の善導を初めとする源信、湛秀、そして、貞慶(じょうけい)というような多くの人々の説を下地にしまして、それまでの日本仏教における臨終行儀を集大成した。そういう書物として、この書が評価されています。現代では看護婦さんを養成する養成所のテキストの中にも、この書物のことが述べられるというふうな現象もあります。
 
峯尾:  では、その『看病用心鈔』にどのようなことが記されているのか少しご説明下さい。
 
藤本:  良忠上人は一一九九年にお生まれになられまして、一二八七年に入滅、亡くなられておいでです。この時代と申しますのは、既にご存じのように鎌倉期以後の日本の社会ということが予想されます。そういう中において、良忠上人がこの『看病用心鈔』というのを残しておいでになるということの持つ意味が先ず大きくあろうかと思います。さらに読んでみますと、非常に体系だっている、というのが特徴だと思います。以下に、私の理解に基づいて整理し、項目を立ててみました。資料としましては、『安土浄厳院本(あづちじょうごんいんぼん)』というのがございまして、玉山成元(たまやまじょうげん)先生の訳、及び長谷川居r(きょうしゅん)先生、その他三人のお方がなされている現代語訳を参考にしながら、私自身の拙い訳を加えながら表記をしてみました。先ず、全体の構想を見ますと、「序」があります。そして、十九の条に分けまして、看病人の心得や、また、病人の心得というふうに言える事柄が述べられています。先ず、最初には、
 
     良忠上人著『看病用心鈔』の概要「序」看病御用心
     一、病室のしつらえ
     二、看病人の心得
     三、看病人の作法
     四、看病人の役割分担
     五、病人の治療と祈祷
     六、死の縁のうけとめ方
     七、病人の食べ物
     八、死後のこと(これは遺言等のことです)
     九・十、大小便の排泄とその世話
     十一、病人の心の持ち方を導く
     十二、病人が見た夢の対処
     十三・十四、聞法と説法(これは仏の教えを聴くということと、
        仏の教えを説くということです)
     十五、病人の臨終の心得
     十六・十七、臨終の苦痛の対処
     十八、命終(みょうじゅう)の看取り
     十九、命終時と命終後の作法
 
そして、簡単に「後記」が述べられています。この中で特に関心が寄せられる事柄をご紹介をしておきたいと思います。先ず、「序」におきまして、このように述べておいでです。
 
『看病用心鈔』「序」
 
往生浄土への導き手である善知識と病人を看護する人とに申します。極楽浄土へ往生することは人生の一大事です。もし、善知識の慈悲の心による勧め導きの力に預からなければ、この一大事は成就することができないのです。それゆえに、病人は善知識に対して仏の思いを抱き、善知識は病人に対して一子へ慈しみの心を注ぐべきであると言われます。したがって病人の思いを知って、病床に臥すはじめから命の尽きる終わりまで、心を配り慮(おもんばか)って行なうことなどを述べたいと思います。
 
このところで述べられていることは、看病人は善知識であるという見方です。善知識と申しますのは、僧侶が善知識であるというふうにも言われますように、その方を浄土往生へと導く手だてをすることの出来る人、つまりこのことが看病人の役割でもあるという見方が、先ず全体としてあるということです。そして、項目を二、三挙げて紹介しますと、例えば、「病室のしつらえと看病人の心得」につきましては、このように指摘しています。
 
『看病用心鈔』「病室のしつらえと看病人の心得」
 
家族とは・・・離れた所に病人の部屋をしつらえ、病人が臥(ふ)せっていても拝める位置に仏像を安置し、仏様と病人の手の間を五色の幡(ばん) で結び、病人が仏様と結ばれている実感を与える。お香を焚き花を飾って、病人が落ちつくように、病人が念仏を称えやすいような部屋の雰囲気を作りなさい。人の命の終わりというのは刹那(せつな)、アッという間であるから、看病人は病人から目を離してはならない。看病人は交代して世話をしてよいが、・・・病人の息をする様子が聞えるほどの所で休憩するのがよい。日が暮れれば、灯(ともしび) をともして仏様をハッキリ拝ませるようにして、病人の気色(顔色や状態)をよく観察すべきこと。病は夜に重くなるといわれる。
 
という項目です。この「病室のしつらえ」というのは、ひょっとすると、現代では奇異に感じるかも分かりませんけれども、しかし、例えば、私どもの家庭、家には古い伝統から言えば、仏壇があるとか、仏間があるとか、というしつらえをもっておりますので、そういうことと、看病、または病に臥すということとが重なり合っているというふうに捉えることも出来るように思います。それから、「看病人の作法と役割分担」につきまして、
 
『看病用心鈔』「看病人の作法と役割分担」
 
看病に当たっては・・・三人ほどの善知識・看病人の他には、妻子といえども近づけてはいけない。善知識・看病人の一人は病人の枕元にいて鐘を鳴らして念仏を勧め、もう一人は病人の目の気配や息づかいの様子を注意深く見守る。いま一人は、病床の端にいて雑用を伝達する。・・・病が長引いたり、重病になれば、看病人を四、五人に増やす、三人のうち一人は病人の息に合わせて耳に聞こえるほどの念仏を称える役、あとの二人は看病の心得のある者でよい。外部からの面談については「病の姿は見苦しいので」と病人が言っていると伝えて、病室には入れないことです。
 
とあります。ここで一つ思いますのは、「妻子といえども近づけてはいけない」とあります。現代の風潮でいくと、家族みんなで、というふうな看病が普通のようですけれども、これはやはり世俗的なこと、または煩悩に振り回されることによって往生の心が揺らぐ、というようなことを意味しているのではないかと思います。それから、その次でありますが、五番になりますが、「病人の治療と祈祷」ということについて、興味深いことが語られています。
 
『看病用心鈔』「病人の治療と祈祷」
 
病の治療は命を延ばすためではなく病の苦しみを除くだけのことであり、祈祷などはしてはならない。生を貪り死を恐れるのではなくて、病を往生のための善い機会と喜んで、一心に来迎を期待する心情へと病人の気持を導くことである。
 
このようにおっしゃっています。それから、「大小便の排泄とその世話」についてですが、
 
『看病用心鈔』「大小便の排泄とその世話」
 
自分でするように無理に強いてはいけない。病人に楽な姿勢で行わせる。オムツを当てる場合には、いつも取り替えて臭さを除き、病床を清潔にする。排泄は屏風や障子で仏前と隔離すべきであるが、臨終近くになれば、仏様と病人との隔離をせずに排泄させて、仏様を拝ませるようにする。また、紙に水を含ませて病人の口と喉とを潤して、念仏を称えるように勧めなさい。
 
それから最後でありますが、「命終の時と命終後の作法」というのも述べられています。
 
『看病用心鈔』「命終の時と命終後の作法」
 
病人がまさに息が絶えようとする時は、病人に触れたり動かしたりしてはならない。病人の息が絶えてしまった後も、騒がしくしないで心を澄まして念仏を称え続けて、二時間から四時間のあいだを、過ごさせてあげるのが良い。また、この念仏の功徳によって死者が、中有すなわち現世から次の世に生を受けるまでの間に、往生できるようにと心を込めて念じるように。
 
このように述べられています。今、指摘しましたような事柄は、単なる看病ということではなくして、やはり私どもの命の看取り、さらには安らかな旅立ちを、ということが込められているというふうに理解出来るでしょうね。
 
峯尾:  これが鎌倉時代に書かれたものである。藤本さんはこの『看病用心鈔』が現代に、どのような意味をもつとお考えになっていらっしゃいますか。
 
藤本:  はい。私たちは現代医療の進歩、さらにはいろんな生活様式の中での便利さを享受しておりますけれども、私どもが死を迎えるということについていうならば、やはり時空を超えて、ここで述べられているようなことが大きく注目され、また大事なことであるように思います。それはどういうことであるかと言いますと、人として生を受けたということは、何ものにも代えられない尊さゆえの喜びを示している。私たちひとり一人が人生を全うするということは、この尊さゆえの喜びを培いながら、養いながら過ごすことである。それが実は人として生まれてきた甲斐というふうにいうことが出来ると思うんですね。今日の医療、看護は、このレベルにおいて大変機能していると思います。このことに加えて、人として生まれてきた尊さ、喜び、それはそこで完了するのではなくて、やはり仏様の迎えを受けて浄土に往生する、往き生まれるということによって、人として生まれてきた本当の甲斐が成し遂げられていく、ということを語っていると思います。今日の医療行為ということに関していうならば、私たちは、「ケア(care)」と、そして、「キュア(cure)」と、そして、「ヒール(heal)」というふうな言葉を使います。「ケア(care)」というのは世話をするという意味。今この世話という言葉も語源がどこにあるのだろうか、ということで、いささか詮索したことがあるのですが、「セーワ」というインドの古典語があるのですね。この「セーワ」という言葉がそのまま、耳に入って来て、「世話」というふうに、私たちの日本語になったのではないか。この「セーワ」という言葉は、「サービス(service)」という英語の語源であるというような説もあるわけです。従いまして、「ケア(care)」というのは世話をする、ということ。むしろ奉仕する、というような意味合い。そして、また、「キュア(cure)」というのは、治療する、というふうなこと。これが人間の営みとしてあると言いますけれども、さらに、「ヒール(heal)」、つまり癒す、というこの営みは、やはり私はスピリチュアル(spiritual)な、「霊性」というふうな言葉を使うと語弊があるかも分かりませんけれども、そういう領域、宗教的な領域を深く持っている、と思うんです。この「ヒール(heal)」に「TH」を付けますと、「ヘルス(health)」になるわけです。ですから、「健康」というのは、そういう意味合いをもっているのではないかなあ、というところまで、私はこの『看病用心鈔』から受け止めております。
 
峯尾:  それにしても、現代社会、多くの人は神や仏を深く信ずるということからはかなりかけ離れていて、心の痛みの癒しを得られぬままに、死を迎えてしまうということが多いわけですよね。
 
藤本:  そうですね。
 
峯尾:  それに対して宗教者は、仏教者は、実際どのような働きかけをなさり、現場に臨んでどのようなことを今研究されたり、実践されたりしているのでしょうか。
 
藤本:  はい。一つは、今のお話の中で分かり易く言えば、「楽に死を迎える」というような場合の、「楽」というのを、どのように私たちは考えるだろうか、ということがあると思うんです。「心の安らぎ」という場合の、それ、同じように。やはり現代の文明が、例えば、欲望を満たす。さらには便利さを享受する。これが「楽」である、というふうにずうっと突き詰めてきているように思うのですね。そういうことと、「楽に死を迎える。安らかに死を迎える」ということとは、何か別な次元ではないだろうか、と思います。そう致しますと、やはり宗教者、僧侶の役割として、今ご指摘のようなことが、これからどんどんいろんなレベルでなされていかなければいけないというふうに思います。このようなことを進めている僧侶は、実はあちこちに現においでです。むしろ、それは草の根運動のようなことになるかもわかりませんけれども、大いに応答していく。そういう資質をもつ僧侶が多く出始めていることは事実です。
 
峯尾:  例えば、具体的に挙げて下さると、どこにどのような方々がいらっしゃるのですか。
 
藤本:  実は、平成七年頃から福岡の、これは浄土宗の若い僧侶方ですけれども、勉強会を始めまして、そして、老人生活の現実から心の痛みの癒しというふうなこと。そして、僧侶の役割をどう考えるか、というふうなことを多く学習し、シンポジウムなどを持ちました。そういうところで、一方ではソーシャル ワーカー(social worker)のお方が見る老人、さらにはリハビリテーションに従事している方が見る老人。さらに託老所(たくろうしょ)と申しますけれども、ご老人の寄り合いをお世話している方の見る老人。いろいろそこでご意見が出まして、それを受け止めながら、僧侶はどういうところに役割を持ち得るか、というふうなことを具体的に捉え、実践しているグループがあります。
 
峯尾:  それから『看病用心鈔』を見てもそうですが、医療と、それから宗教、日本で言えば、仏教等が全然違う領域であるというのは、今の理解ではそうですが、かつてはそうではなかった、ということが言えるわけですね。
 
藤本:  そうですね。
 
峯尾:  そうすると、それを今、再びオーバーラップさせよう、と言いますか、そういう動きも当然あるわけですね。
 
藤本:  七、八年前から、私どもの大学には、「仏教看護コース」というコースを専攻科に設置しまして、そういう人材養成を行ってきております。その卒業生などの一例を申し上げますと、例えば、老人病院で仏教的な心のもとで看護を実践している者、例えば、ご老人に昔話や、または御詠歌とか、そういうものを一つ一つを声に出して、一緒に実践して頂く。「その時のご老人の顔というのはもう輝いている」と言うんですよ。「そういう姿は家族の方に見て貰いたい」というふうなことを常々言っている者もおります。そして、またもう一つの例は、看護婦さんが、「本当の看護が出来るためには、自分は僧侶になって、そして、僧侶の感覚でもって看護していかないと、現代の看護というのは出来ないのではないか」ということで、実は十年位前にとうとう私の弟子になりまして、僧侶としての修行をなさって、今申しましたような志で、実際に僧侶としての看護活動を病院でなさっておられるお方もいます。そして、また、「仏教と医療を考える会」というのが全国的にありまして、そこでは、お医者さんが仏の心で医療を、というふうに捉えて実践されている事例もあります。そのように境目をなくして、仏教と医療が相互に役割を持つ、一つになるという、そういう動きが、全国的に見られるようになってきました。
 
峯尾:  この時間でも、以前にお話を伺ったことがあるんですが、「ビハーラの会」というのが、新潟県の長岡西病院の病棟の中に、仏様がいらっしゃる。そういう例も出てきているわけですね。
 
藤本:  そうですね。病棟の中に仏様を、というところにまでいかないに致しましても、老人病院、さらには、いわゆる老人ホームなどでは、そのことが必然的に必要とされてくるような状況をやっと迎えたかなあ、というふうに思います。その中で過ごしているご老人、そういう中で営んでいる僧侶の姿というのは、ほんとにこれからの仏教を大いに押し進めていく力ではないかなあ、というふうに思いますね。
 
峯尾:  それは一方で、私どもの近所にあるお寺さん、そこにいらっしゃるお坊さん方と、それから私ども一般庶民との関わりが、さらに変わっていかなければならない。変わっていくべきである、ということにも通じていくわけでしょうか。
 
藤本:  そう思いますね。先程、申しました託老所でお世話をしているお方の意見の中に、こういう意見がありました。「お寺を場所にしてお年寄りにおいで頂くと、お寺のもつ空間の、時間の流れが、世間の時間の流れと違う。そして、ご老人の体内時計というのは、お寺の時間の流れにピッタリだ。そういう空間時間の流れに包まれて、本当の癒しというのが実現するのではないか」ということをおっしゃっているお方がありました。私は何か大きな発見をしました。今、ご指摘のように、寺院という空間の中での癒し、そして、また僧侶が資質として持ち合わせている事柄を最大限に表現していく、ということの中に、大きな可能性をこれから見つけ出していくことが出来ると思います。
 
峯尾:  日頃のお坊さんとのお付き合いというようなものが、もっとたくさんあってもいいということになるのでしょうか。
 
藤本:  そうですね。ですから、そのために、と言ってもいいと思うんですけれども、僧侶の役割が、例えば、死を巡る事柄があって、先祖供養と、または平生(へいぜい)の行事ということがあるわけですけれども、その折々の出会いを僧侶の側から胸を開いて、そしてまた、僧侶自身の生き方をお話する。または、導いていく、というふうなことは難しいことではないと思いますけれども、その一歩を出来るだけ多くの方が試みる、ということが今求められていることのように思いますね。
 
峯尾:  寺院、僧侶の方の方からの働きかけ、一方では、旅立ちが近いな、と感じた方自身、或いは、そのご家族というのは、例えば、お寺さんに何を要求し、何を求めることが出来るでしょうか。
 
藤本:  実は、日本の仏教が檀家(だんか)制度というのをもっている。そのことに対する批判も多くあるんですけれども、私は実はその制度の中で、平生からお寺と檀家さん、信者さんとの間柄がしっかりと結ばれていく。そこに実は、生きているということのもつ意味が、または現実生活の中で、よろず相談でも何でもいいと思うんですね。そのような間柄が培われていく。そういう中で、今ご指摘のようなことも、心置きなく安心して、この間柄がある、という、そういう形成が出来上がっていくと思うのです。自分の前においでのお方との「親しさの濃度」を高めていく。ですから、ただ、お経を読むとか、儀式をする、ということだけで、終わらずに、やはり「如何ですか? 足はどうですか? 痛いですか?」。さすってあげるというふうな、むしろ人と人の出会いを、肌で感じあうというふうな営みが原点だと思います。と同時に、僧侶の読むお経というのは、読む僧侶が宗教的に感じ取った世界を言葉化していく、というふうなことを繰り返していくということが、大事ではないかなあと思います。
 
峯尾:  藤本さんご自身、ずうっと見ていらっしゃって、ご自分も実践していらっしゃって、これは次第にそういう雰囲気というのは、日本の社会に再び出て来るというか、新しい形で出てくるのかも分かりませんが、その点については悲観はされていらっしゃいませんか。
 
藤本:  というふうに聞かれますと、何と答えていいか分かりませんが、しかし、宗教のもつ役割、具体的には、現代日本における、僧侶、寺院のもつ役割ということが、今忘れられていない。むしろ、求められている、ということがあるわけですから、このことを大いに私どもは受け止めながら、そして、私どもの役割をいろいろと反映していくということは、それほどかけ離れたことではないように思います。つまり私どもの足元をしっかりと見つめて一歩一歩進んでいく、ということの中に、このような問題が含まれている、というふうに感じますね。
 
峯尾:  有り難うございました。
 
藤本:  有り難うございました。
 
 
     これは、平成十三年二月十一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。