主人は自分ー後生の一大事ー
 
                             華光(けこう)会代表 増 井  悟 朗(ごろう)
大正十四年生まれ。病気療養で休学中に十八歳で獲信。龍谷大学時代に得度。雑誌の『華光』を核に、五十年間伝道生活を送ってきた。本派本願寺布教使。
                             き き て 峯 尾  武 男
 
峯尾:  人が信仰に入るということは、どういうことなのか。人はどういう機縁で信仰に入るのかについて、今日は浄土真宗・華光会代表の増井悟朗さんにお話を伺ってまいります。どうぞよろしくお願い致します。
 
増井:  よろしくお願い致します。
 
峯尾:  まず、増井さんご自身のことについて少し伺いたいんですけれども、お生まれは大正十四年、大阪市でいらっしゃいますね。
 
増井:  はい。
 
峯尾:  商家のお生まれ?
 
増井:  商家です。十番目の子供で、末っ子として、母が四十二歳の時に生まれたんです。
 
峯尾:  お母さまが非常に熱心な浄土真宗の信者でいらっしゃった?
 
増井:  はい。よく手を引き連れて、お寺へ詣らせて貰ったことがございます。
 
峯尾:  日々の生活の中でも、宗教教育と言いますか、そういうものを幼い頃から受けられた。
 
増井:  そうです。朝晩の食事の前に、仏前に礼拝(らいはい)をしませんと、食事が取れないと。神仏に向かって、無理な願い、或いは、勝手な願いをしてはならない。こういうことを言われたんですね。
 
峯尾:  ほう。
 
増井:  何故かは子供心に分かりませんから、お母さんがどう言っておるんだというと、「有り難うございます。申し訳ございません」と感謝と懺悔(さんげ)の気持だって、というんですよね。
 
峯尾:  でも、それは幼い悟朗少年としては、ごく自然なことだったんですね。
 
増井:  そうですね。別にそれが他の家と比べるわけじゃないですからね。
 
峯尾:  大きな病気をなさったのは、お幾つ位の時だったんですか。
 
増井:  病気というよりも、戦争時分でございますから、それで学校を自分から休んだ。四年生の時でしたが。
 
峯尾:  旧制中学の、
 
増井:  旧制中学商業学校ですけれども、四年生の試験前だったと思うんですね。二学期の試験前の時に、自分から、これは身体を鍛えておかんと、応召されて戦病死にでもなったら、不名誉なことだということで休んだわけです。(肺結核の療養に励む増井さんは絶対安静を続けた)
 
峯尾:  そうすると、学校のお友だちはまさに軍事教練があり、それから自分たちはこれから戦いに出る身だという時に、増井さんご自身は、まずその身体を治す、作るということに専心されたということでしょうか。
 
増井:  はい。そうなんです。
 
峯尾:  特別な療法をされた。
 
増井:  それは、初めは自然療養だったんですけれども、母が、お詣りに行った先で、仏教を取り入れた健康法を、一切薬を使わないで、健康部位を極力動かして、という京都の薬師山にある国嶋病院での医療法を聞いて来たんです。それに飛び付いたんですよ。そのお陰で病気もよくなりましたし、さらに信仰面でも、私の人生を左右するほどの収穫があったんです。国嶋療法では、病気だけではダメなんで、心の安静もしなくちゃいかん、と。グッスリ眠ろう、と。それは手足を動かし、特別な腹式呼吸をやり、母に冷水摩擦をして貰うんです。それ以外に、何宗でもいいから信仰をもて、と。そして、心の安定をはからなければ、心の安静は得られない、と。合理的なんですよ。
 
峯尾:  それはどうなさったんですか。どなたかのお話を聞くとか。
 
増井:  それはお話を聞く機会がないんです。絶対安静ですからね。それでほとんど仏書を読んだんです。仏壇の引き出しを開けますと、油染みたお経の本の裏に、本屋さんの広告があったんです。売っているか売っていないか、今は無いかもしらんけど、と思いながら、何冊かそれを読んでいきましたね。
 
峯尾:  それで、頭での理解は、「仏教とはいかなるものであるか」「浄土真宗の教えとはどういうものであるか」というものは、どんどん吸収されていかれた。
 
増井:  まあ一応ね。そして、それが覆された書物に出あったんです。と、申しますのは、国嶋療法は伊藤康善(こうぜん)(『仏敵』の著者。真宗興正派学頭:明治三十年〜昭和四十四年)という真宗のお坊さんが、精神面の指導をなさっていました。そこから出版されておりました『仏敵(ぶってき)』という書物があったんです。
 
峯尾:  「ぶってき」というのは?
 
増井:  仏の敵ですね。
 
峯尾:  敵、味方の敵ですか。
 
増井:   それを注文したわけじゃないんです。もっと有り難そうなものを注文したんですが、値段の高いその本を送ってこられたんです。ところが読んでみると驚きました。自分の頭で作った信仰とはまるで違うんです。その伊藤先生ご自身の若き日の道を求める体験が綴られているんです。そして、その体験が身に得られた。これを「獲信(ぎゃくしん)」(信心獲得のこと)というんですけれど、その獲信の境地の素晴らしさ、というものに心惹かれたですね。
 
峯尾:  「獲信(ぎゃくしん)」というのは、「獲得(かくとく)」の「獲(かく)」という字に、「信仰」の「信」でしたですね。
 
増井:  この仏教書を読みしまして獲得(ぎゃくとく)信心獲得(かくとく)ということですね。
 
峯尾:  これはまさに、それこそ稲妻に撃たれたように、その『仏敵』という書物が、増井さんの心に響いた。
 
増井:  今までは、国嶋療法では治病、病気を治すことは大事業だ、と。「六尺病床これ道場」と。それに専念しておったところが、『仏敵』を読んでみると、世界が違う。小さな世界だ、と。人間に生まれてきたのは、信仰を得て、仏さまに成らして頂く。成仏させて頂く。それでないと、迷いの世界で治ったとか、勝ったとか、負けたとか、というのではダメじゃないか、ということに気が付いたんです。それで今度は、たとえ病気が治らなくても、信仰が得られなかったら、親不孝と言われようと、国に不忠と言われようと、絶対信仰が得られる、獲信するまでは求めよう、という気持に変わったんですよ。それが大きな変わり目でしたね。
 
峯尾:  その伊藤康善さんの『仏敵』という書物の題名ですが、『仏敵』というのは具体的にどういうことですか。
 
増井:  これは今だから言えるんですけれど、その時はそこまでいきませんが、誰にも仏さまが付いていなさるわけです。そして、幸せになってくれ、と願っているのにかかわらず、それとの出会いの出来ないようにしているのが仏敵。やっぱり無関心であったり、肯定して聞きにかかっても、すうっと受け入れられない。ああでもない。こうでもない、といったように、なかなか手強い心なんですよ。それを題名にしていなさった。
 
峯尾:  今はそれを、私がいきなり素人の質問で伺っても、分かり易く話をして下さいますが、ではまだ十代の青年である増井さんが、その『仏敵』をお読みになり、間もなく獲信、信心獲得なさるわけですね。その辺りのご自身の苦しみ、或いは、喜び、焦り、そういったものを少し教えて頂けますか。
 
増井:  読書聞法(もんぽう)だけだったんですが、ただ、一度だけ、母が昔お育てを頂いた大谷派のお坊さんが、近所にお説教にこられまして、「よかったら行ってあげる」ということで、病床説法して頂いたんです。ところが、『仏敵』を読んでおりますので、大抵本物は、お坊さんでは居らない、と。国に一人、群に一人というほど、獲信というのは難しいものだ、と。頂いたつもりの人はたくさんおる、と。心の中に焼きついていましたので、その先生がどれだけお話して下さっても、疑ってかかったんです。
 
峯尾:  この方(かた)は本物の方ではないかも知れない、という。
 
増井:  そして、熱を入れてお話をされるに連れて、「洗脳されたらいけん。騙されんぞ!」というような調子で反発しました。そして、親を見ておりますと、今度は、「子供の病気を治すのは、母親の義務じゃないか」とぐらいに思っておったのに、申し訳なくて、なんという自分か、と。頭が下がらない、文句ばっかり言うている恥ずかしい自分が、今度は見えてきましたです。大きな変わり目が一つきたんです。と、申しますのは、近くに同じ病気を長くやられた奥さんがございまして、ご夫婦二人の生活でした。ある日、母が玄関を掃いておりましたら、夫婦で出掛けられるのを見られて、「お元気になりましたね」と言った。「物のないときですけれども、何か祝いに、と思って買い物に参ります。足慣らしもありますしね」と。「お気を付けて、行っていらっしゃい」と言ったけれども、母はもう胸が張り裂ける思いで、私にそれを知らせにきたんですよ。涙をいっぱい溜めて、「必ず治してみせるよ」って言われた。「お母さん、僕も頑張るよ」と申しました。ところが、不慮の出来事が待ち受けていましたんです。そのご婦人の上にデパートの屋上から、飛び降り自殺する青年がおったんです。真上に落下したんです。そして、今度は変わり果てた姿で帰って来られたのを、母が玄関で見たわけですよ。その話を聞かされた時には、母も堪えたでしょうが、私としては、これから病気を治そうとしているのに、病気は治っても死なねばならん、と。ああ、無常とはまさしくこういうことを言うんだなあ、と。それは一つの大きな、決定的な出来事だったですね。
食糧難の頃で、嫁に行っておった姉が、たまたま正月にお肉を手に入れて、それを頂いたんです。ところが、どういうわけか、食中毒ですよ。夕飯食べて、間も無しに、吐くわ、吐くわで、もう吐く物が無いのに吐くんです。空嘔(からえずき)しましてね。それで終わったらそれまでなんですが、フッと身体を動かしますと、天井から、壁からづり落ちていくんです。回るわけですよ。これはどういうことか、と思って、また、試しに身体を動かすと、同じことが起こるんです。その時に、何とも、今まで経験したこともない恐怖感が起こった。これはほんとに一大事がある。後生には一大事がある、落ちていかねばならん、と。落ちたくない、という思いで、布団にしがみついたんですよ。どうあっても生きねばならん。この二つの出来事がたまたま前後して起こったんです。
ですから、私としては、ここ一つをハッキリさせていかねばならない、ということですけれども、同時に、身体の方が思わしくなかったんです。食事も進みません。夜も寝れませんから、ガリガリに痩せてきたんですよ。しかも、「死が近付いているぞ」というご催促のご法がございますですでしょう。そういう時に、たまたま見つかった本が、『宗教的反省』(真宗大谷派・広島文理科大学教授、調円理師の著書)という、広島文理科大学の先生で、大谷派の方がお書きになった書物です。序文を読んで見ましたら、私と同じ病気の娘さんが既に死んでいなさるんです。その方との会話が載っていたんです。例によって、疑い深い気持でおったんですが、その娘さんが、「お父さん、私は死ぬんじゃないですね。お浄土の花嫁になるんですね。もし目が開いておったら、瞼を閉めて下さいね」と、淡々として語っているんですよ。ああ、羨ましいなあ。こんな心境になれるのなら、ここまで娘さんを導いた人の本なら間違いない、と。一生懸命読み出したんです。ところが、身体が弱っていますので、一ページとして読めないんです。すぐ疲れてしまう。ちょっと分厚い本でもございました。頑張って読もう、という気持ちと、睡魔が襲ってくるんですね。うつらっとすると、「しまった。お前はなんだ。それでも道を求めているのか」と、自責の心でなくてですよ、恥ずかしいんですけれど、「ああ、良かった眠れたなあ。これで体力は少しは回復する」と。そういう自分が見えてきたんです。ですから、「ほんとに聞きたいのか、お前は」。「いや、聞きたい。どんなことがあっても」。「そう言うたのに、本心は違うじゃないか」という、このジレンマですね。これでだいぶ悩みました。そして、その『宗教的反省』のどこを読んでいる時か分からないんですが後で、何度見てもわからんのですが「ああ、そうか!」と逆転する。心境が一変する時があったんです。「ああ、自分は間違った聴き方をしておった。申し訳ない。ずうっと仏さまが、なんの条件もなしに、私を呼び続けて下さっておったんだ」と。と同時に、溢れる涙と念仏と共に、じっとしておれなくなったんですね。母に言いましたら、母が抱きついて喜んでくれました。そして、それまで半月位眠れなかったんですよ。今度は、有り難くて嬉しくて、一息一息がお浄土だ、と。寝ておられるか、というので、また、半月眠れないんです。でも、今から思うと、純粋な時に、よくぞお聴かせを頂いたなあ、と思いますね。
 
峯尾:  伊藤先生には、結局、その後、増井さんはお会いになって、そのご指導を頂きながら、龍谷大学へ入られたのが、昭和二十年ですか。
 
増井:  二十年です。
 
峯尾:  今、「華光会」の代表をしていらっしゃいますが、「華光」という雑誌がありますね。それも伊藤さんから引き継がれたのですか。
 
増井:  病院布教の延長だったんですよ。みなさんから手紙がきますからね。
 
峯尾:  増井さんご自身が、得度(とくど)なさったのは、二十六歳ですね。
 
増井:  そうです。
 
峯尾:  そして、浄土真宗本願寺派の布教使になられて以来、ずうっと多くの方に道を説いていらっしゃいました。その求道と聞法ですが、大体どんなふうにすればいい、と言っておられるんですか。その辺のお話を聞かせて頂きたいんですが。
 
増井:  やはり指導者に付くということですね。しかも、それが自分が求めた、体験をした、そして、実際にその体験を通して布教をなさる方に師事する、ということが一つですね。どうしても学問だけで終わっていなさる方が多いですからね。そうして、蓮如上人のお書き下さった、残されました御文書とか、『領解文(りょうげもん)』の中に、求める為の、聞く為のキーポイントがちゃんと示されているんです。どのように信仰を頂いたか、ということを、仏さまの前に申し上げるわけなんです。そういうことで、口と心が一つになる、と。体験告白なんです。ところが、全国に真宗の教えが広まると、地方の訛とか、自慢話とか、いろんなものが混じってきて、聞きづらいので、一つの型を作られたわけです。この型に合っておれば合格。さもなかったら、しっかり求めるよ、ということで、四つの分段があるんです。全部申し上げられませんが、前二つだけ申し上げますと、
 
     『領解文(りょうげもん)』(大谷派は改解文)蓮如上人作
 
     もろもろの雑行(ぞうぎょう)・雑修(ざっしゅ)
     自力のこころをふりすてて、
     一心に阿弥陀如来、われらが
     今度の一大事の後生(ごしょう)、
     御たすけ候(そうら)へとたのみもうして候ふ。
     たのむ一念のとき
     往生一定(いちじょう)御(おん)たすけ治定(じじょう)と存じ、
     このうへの称名(しょうみょう)は、
     御恩報謝(ごおんほうしゃ)と存じ、よろこび
     もうし候(そうろ)ふ、・・・
 
これが前の二つなんです。前が安心(あんじん)。信心のことですね。二番目は報謝。念仏の位置付けをなさったんです。三番目に、師の説くご恩得ですね。こうして、ご恩得のお陰だ、と。四番目には、法度(はっと)と申しまして、いろいろ御文書の中で出てくる、「こうするな」「ああしなさい」という生活規準を守ります、と。この中で、求道(ぐどう)の要点となるのは、前の安心(あんじん)のところですね。もう一度そこのところを申しますと、
 
「もろもろの雑行(ぞうぎょう)・雑修(ざっしゅ)自力のこころをふりすてて」ということですね。「雑行(ぞうぎょう)」といいますと、聖道(しょうどう)門の方たちが、自分の罪を破るために、煩悩と闘っていく行(ぎょう)ですね。いうならば、もろもろの善業なんです。決して悪いことではないんですが、凡夫の私どもには、それは出来ない。それをして、仏さまに救うて貰おうというてはダメなんだ。それを捨てなさい。善人にはなれないんだ、と。それから、「雑修(ざっしゅ)」と言いますのは、念仏一つで、南無阿弥陀仏一つで良いのにも関わらず、それではちょっと心許ないから、仏さまを拝むとか、お経を読むとか、下手な鉄砲も数打てば当たる、というような不純な気持で、それを「雑修」と申しまして、それも捨てなさい。雑行も、雑修も出来ないけれども、自力の心というのがある。自力の心は助かりたい。仏になりたい。有り難くなりたい。どうすればいいか。それがみんなはからい心だから、それを捨てなさい、ということを、まずおっしゃったんです。それが、「もろもろの雑行(ぞうぎょう)・雑修(ざっしゅ)自力のこころをふりすてて」と。そして、どうするか、というと、「一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみもうして候ふ」と。この阿弥陀様のお助けを信ずる一つで、助かるということです。その次に、「たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ」、そこまでがご安心(あんじん)なんです。それで、自力の心を、「雑行・雑修自力の心を捨てて」、そして、「後生たすけたまえと弥陀をたのむ」と、ここに、蓮如さまの独特のご教化(きょうけ)があるんです。それでは念仏称えて助かるんじゃないか、というと、「このうえの称名は、御恩報謝と存じ、よろこびもうし候ふ」と。お救いを頂いたら、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と溢れ出てくるんだ、と。物を貰わないで、「南無阿弥陀仏」を頂いたら、「南無阿弥陀仏」と出てくるのが当たり前。「南無阿弥陀仏」のお救いを、弥陀が、「南無阿弥陀仏」と一声称えてくれよ、と。称えていなさるのを頂いたら、これは称えずにはおれなくなってくる。念仏称えて助かるんではない。御報謝なんだ、ということをおっしゃったんですね。
 
峯尾:  この『領解文』の中に出てまいりますが、蓮如上人のおっしゃる、「後生」ということについて、今度はお教え頂きたいんですが。
 
増井:  はい。「後生」といいますと、「後」の上に「死」を付け、「生」の下に「活」を付け、「死後の生活」というふうにいえば、どうだろうと思うんですね。死んだら終いじゃなしに、死後にも、やはり生きていかねばならん、というもの。そういう意味合いですね。そうすると、前生の次に今生(現生)がある。そして、過去世(前生)ですね。それで、前生、現生、後生というふうに、過去、現在、未来に亘って、生活があるのを「三世因果」というふうに申すわけです。明治以後は、日本人は、そういう考え方を失ったですね。特に、戦争以後は、三世思想というようなものは全くない、といってもいいんではないか。それが今日の混乱の根源にある、というてもいいと、私は思うんですね。上っ面ばっかり、修復しても、人間の腹底が、それほど長い迷いを繰り返してきておった、ということですね。自分の責任の取り方の深さなんです。
 
峯尾:  一般的に、前生、或いは、後生という時に、私どもが考えるのは、前世というのは、自分自身が、現世、今この世に居て、ご先祖さまから、ずうっと伝わってくるものがあって、それから自分の子供や孫、子孫がその先にいる、という考え方をするんですが。
 
増井:  そうですね。それが現代人の考え方です。仏教のいう立場とは、親とか先祖、そして、自分があって、子がおり、子孫があるという縦の、過去、現在、未来ではなしに、仏教の場合は、横にいくんですね。自分の前は、過去も自分だ、と。親ではない過去も自分だ、と。そして、過去の原因が、責任が取らされた形で、現在の自分だ、と。自分の今度責任を取っていく未来というのは、やはり自分が責任を取っていくんだ、と。そういうふうな仏教の三世観というものです。これは、キリスト教ですと、過去は神さまが創られたから、ないわけですから。でも、仏教は、徹底的に、そこは自己責任。自分というものの責任を追及してまいりますから、神仏に依存している、神仏が創ったものだ、というふうな考えはないんですね。
 
峯尾:  「後生」というのは、先程、言葉を加えると、「死後の生活である」と。「一人の人間が、いわゆる死後と言われた後生にも、生きていかねばならぬ」という言い方をなさいました。それが一つ、私たちが世間一般で言っている、「過去、現在、未来」とは違う。自分が全部総ての責任をもって、ということになるわけですね。
 
増井:  そうです。そして、時間的に言いますと、過去世、現在世、未来世と続いて、一貫して自分が続いていくが、現在世でやった行為によって、未来世がどういう形をとってくるか。善悪因果の形で、因果の舞台が六道の世界をとっているわけです。迷いの世界としてですね。一番最低が「地獄」。そして、上が「餓鬼」。そしてその上が「畜生」。それを「三悪道」と申しまして、仏法が聞けない世界。そして、さらにその上が、「修羅」「人間」「天上」。この三つの世界は仏法が聞ける。でも、やはり迷いを繰り返していく。そこを輪廻していかねばならない。天上界は楽しみがあまりにも多いけれども、また地獄へ落ちていかねばならない、というようなことで、時間的にいうと、三世因果ですが、受ける結果からいうと、六道輪廻していくということです。仏法は、それを現在の自分において、迷いの流れを断ち切ってしまう。自己責任を果たすために、煩悩と闘い、罪と闘い、責任を取りきって、仏になっていこうというのが、お釈迦様のお説きなった本来の仏教の立場なんです。
 
峯尾:  そして、後生の一大事。「一大事」というのは、これはどういうことなんでしょうか。
 
増井:  今も申しましたように、一般的に、世間では、「死後の生活」と考えています。ところが、仏法では、仏さまの目からご覧になりますと、阿弥陀仏の救いを頂かなかったら、因果応報で、自分で作った責任は、自分が受けていかなければならん。六道輪廻していく、ということですね。一番酷いのは、地獄へ落ちて行かねばならん。それをお任せする。そして、それも後生の一大事なんです。一日一日がお浄土へ向かって進んでいく。だから、信前の一大事と、信後の一大事と、信心によって分かれてくるんです。片方は迷いを続けていく。片方は迷わないで、迷いの打ち止め、ということです。
 
峯尾:  「一大事」というのは、非常に大事なものである。一般的な語句の解釈の、それでいいんですか。
 
増井:  まあ、俗に、「すわ一大事」というのを申しますね。あれはもう一番大変なことが起こってきた、という意味なんです。今は、死語になりましたからね。「後生だからお願い」と言って、後生の、ものを頼む時にいうたりして、意味が全然違うんです。「後生が一大事」という意味は、やっぱりこれも三つあると思うんです。深まり方の違いです。まず、「後生も一大事」。数ある一大事の中の一つ。
 
峯尾:  後生も大切である。大事である、とする。
 
増井:  子育ても大事、金儲けも大事、仏法を聴くことも大事、という程度の一大事の考え方。だんだん聴いていきますと、それは間違いだ、ということが分かってまいります。今度は、「後生が一番大事」ということになってくるんですが、これは、お話を聞かせて貰っていくうちに出来上がってきた結論なんです。でも、どこまでも自力の心が破れずに聴いていますから、何か事が起こると、やっぱり今生が大事になってしまうんです。それに対して、本当の一大事。「後生こそが一大事」ということになってくると、人生の目的、生きる目的、そのために人生があるんだと、腹が据わってくるんです。ここでちょっと、庄松同行(どうぎょう)さんという方がおられて、非常に熱心な方ですが、文字も読めないような愚かな方だ、と言われていますが、信仰にとっては、すうっとした方なんです。その人が、お寺にお詣りに行こうと、途中で友だちの家に明かりがある。
 
     「どうしたか。まだまいらんのか」
     「参るどころの騒ぎじゃないんだ。腹が痛うて、便所へ通うておるんだ。
     お前がしっかり聴いて、帰りに教えてくれ」
 
と。まあ普通、そう言われたら、「大事にしなさいよ」と。これがまあ常識ですよね。
 
     庄松曰く、「それは一大事!。参ろう!」
 
と、こう言ったというんです。
 
     「いよいよ近づいてきているんだから、早う聴かねばダメぞ!」
 
と言った。何ものにも代えられない。だから、人生の目的というふうに申し上げたんです。そういうふうに、求めていけば、仏法はガツンと入るんです。
 
峯尾:  成る程。このままで、後生、死ぬわけにはいかない。聴かないうちには、ということですね。
 
増井:  まあ、そうですね。堺に吉兵衛(きちべえい)さんという方がおりました。この方が、みんなに嫌われるほど熱心だったんです。聴きが強い。兎に角、聴きたくて聴きたくてたまらない人なんです。もう同行(どうぎょう)もお坊さんも相手にせん。ところが、その人が綿を作っていらっしゃって、畑に行ってみると、綿がたわわに実っている。西の空を見ると真っ暗。雨が降ってくると一年の収穫がなくなりますでしょう。まさしく一大事でしょう。それを見て、「一大事」という言葉を残して、プイッと法を求める旅に出られた。妻と子を置いて。
 
峯尾:  綿を取り込むことをせず、収穫をすることをせず、妻と子を置いて。
 
増井:  今生で言われる一大事が、自分にとっては後生の一大事のご催促になったわけです。そして、三年間、聞き歩いて、「ダメだったあー」と言って、帰ってきなさった。その後に、法友の一人に「吉兵衛に信をとらす人が見つかった」と、村の仕舞い風呂に入っているとき教えられたんです。そういうお坊さんが近くまで来て説教しておる、と。「どこだ」。「住吉だ」と。堺の人ですから、住吉までそう遠くないんです。自分の今日までの悩みを、全部打ち明けたんですよ。ところが、黙って聞いていらっしゃったそのご講師が、「吉兵衛、そなたは、今、このままでは死なれませんというたね。じゃ、死ねたらいいのか」。その一言で、今までの自分の求め方が、いわゆる雑行、雑修自力のはからい心であった、ということに気が付いたんです。それがガランと崩れたんです。何とも言えない心境がそこから、吉兵衛におとずれてくるんですね。まさしく後生の一大事が的中したわけです。そういう逸話がございます。
 
峯尾:  では、その自力を捨てる仕組み、どうすれば捨てられるのか。或いは、自力というのが、そもそもどういうものなのか。その辺のお話を聞かせて頂きたいんですが。
 
増井:  これは、吉兵衛さんではないですが、ほんとに後生に一大事の思いをかける、ということ。それは死という問題。何時までも生きているんじゃないんだ、と。刻一刻、聞くのは、今ここしかないんだ、ということで、実は聞かないと真宗の教えはダメなんです。真宗の教えでなくとも、それは事実なんですよ。どんなことがあるか、お互い分かりませんよ。それで、そこのところを分かり易いように、先輩が苦心して、「三つの心」でもって説明して下さっているのがあるんです。まず、「黒い心」。これがテーマであります「主人の心」。「主人」ですね。自分というのは、ここに目覚めなければならない。「黒い」というのは、色で表しているんですが、洗っても洗っても綺麗にならない。今頃、「炭団(たんどん)」と言ったら、ご存じないでしょうが、炭の粉で固めた燃料ですね。それを洗うても綺麗にならない。そこは煩悩だと、聖道門のお坊さんたちが、それと闘って、それを無くしていこう、と。私たちは煩悩を垂れ流しなんですよ。それでは可哀想だ、というので、立ち上がって下さったのが阿弥陀様。「煩悩は引き受けた」と。「お前が無責任に、やるだけのことをやったのを、私が責任を取りましょう。そして、煩悩を引き受けただけだったら、仏にはなれない。仏になるための善根(ぜんごん)功徳も、全部私がやりましょう」といって下さった。それで、その黒い心は、お目当ての心なんです。仏さまから、私らに向かってはおゆるしの心なんです。断ちきっていかなくてもいい、と。しかし、それは実はやっぱり「主人の心」なんですよ。それに気付くか気付かないか、というは、なかなか大変なことですから、この三つの心をお話してまいりましょう。「黒い心」に対して、「白い心」というものがございまして、これは手垢の付かない純粋無垢な心。ということは、「黒い心」の私にはまったくない。どこを捜してもない。仏さまが作り上げて下さって、阿弥陀様となって、私らを救おう、と。その時に、阿弥陀様が、私に南無して下さって、「助けさせてくれ」こうおっしゃって、「あげましょう」信じる心なんです。南無の心というのは。その「信心をあげましょう」と言って下さる。それを頂くことによって、煩悩を断ちきらないで、仏になることが出来る。必ず仏にしてみせる、とおっしゃる心を頂くんです。信じるわけですから。こちらから信じようとするじゃないですから。これを「貰い物」と申します。「拾い物」「頂き物」と言ったりします。だから、「他力回向(えこう)の信心」と言ったりするのが、そういうこと。「信を得る」というと、何か手で掴むようですけれども、実は仏さまから与えられるわけです。ところが、話の上では、これで落ちていかねばならない悪業の私、煩悩の私と、助けようとおっしゃって下さる仏さまが作って下さった白い心。黒い心と白い心で、ちゃんとお救いが出来ているようなんです。でも、算用(さんにょう)出来ているけれど、銭(ぜに)がたらん、ということが一つあるんですよ。それが三つ目の「暗い心」。色じゃないんです。これは「白」「黒」じゃないんです。どうして暗いか、というと、自分が死んでいくとなって、後生は、とこうなった時に真っ暗。誰も一遍これは考えてみなければならないところなんです。ほんとに死んでいけるのか、と。この世のもの全部捨てていかねばならない。この世で身に付けたものは、みな捨てていかんならんものばっかりですからね。そして、それを得るために作ってきた罪、いわゆる主人公はどこへ行こうか。真っ暗な自分に直面してみることが大事なんです。この心があっては、お救いに預かれませんから、これを「捨て物」というんです。疑いは捨てなければならない。ところが、何とかして助かりたい、分かりたい。落ちたくないと、自分ではからっている心でありますから、捨ててしまったら救われんじゃないか、と。そうしたら、どうしたらいいか、と。どうしたらいいか、というのは、自分の頭で答えを出そうとするでしょう。それで、これは、「番頭さんの心」というんですよ。主人に対して。主人はなかなか表に出てこないで、番頭さんが一生懸命に取り仕切って、いい番頭さんほど、主人は楽ですよ。ところが、一切任せきって、番頭任せにしておると、「さあ、一大事、家に火でも付いた」と言ったら、番頭さんは、一番先に自分の荷物を持って逃げますよ。今までいろんな話を聞いてきているんです。番頭さんが返事しているんですよ。「死ぬぞ」と言われても、「死ぬんですね。人間は必ず死にますよ」。「生きていくためには、罪を作っていくよ」。「はい、その通りです」。「後生に一大事があるよ」と。「はい。後生に一大事がございます」。番頭さんが聞いておったんではダメなんです。助かりたい。何とか、というので、熱心さがそういうような形で、何も悪気があってやるんじゃないんですけれど、自分ではからうんです。
 
峯尾:  それこそ助かりたい。もっと仏さまの教えを知りたい。そのためには自分はこれだけのことを勉強してきたし、こんなこともやってきた。考えたり迷ったり、それ総て番頭さんの心、暗い心に繋がることなんでしょうか。
 
増井:  そうです。そこがとても難しいです。だから、その辺の機微というものを、「黒い心」「白い心」を、「暗い心」で表しているんですね。だから、「暗い心」は「捨て物」。少しでもあったらダメ。そして、「白い心」が「頂き物」。それを図に表して、「明来暗去(みょうらいあんこ)の図」というのを、作って頂いておるわけですけれども、この疑いの時、未心の時に、信じられない時には、矢のように光が家の中を照らそうとしても、真っ暗がりの中では、真っ黒な自性(じしょう)は知れないんです。黒い心が見えない。暗がりだからね。それで白い心を頂くしかないんですよ。頂くというのは、今度は頂いた場合、光が少しでも入ってきた場合、これはもう千年間、儂は暗がりの家を守ってきたんだ、と言っても、隙間でも開いたら、その千年の闇はさようならしていくわけです。そうして、見えてくるのがほんとうに主人の心。まっ黒な自性だったなあ。恐ろしい心だったなあ、というのが分かってくるんです。
 
峯尾:  その主人心。黒い心に気付かない、ということは、その気付かないその人は、いつまでも宗教とは無縁な存在だ、ということになるんでしょうか。
 
増井:  そういうことになりましょう。
 
峯尾:  増井さんは、これまでに多くの方を獲信させた、と伺っているんですが、先程もちょっとそのお話がありましたけれども、どんな例があるでしょうか。
 
増井:  暗い心が晴れて、暗い闇がはれて、自分の自性が知れてきたというと、大抵の人はやっぱり号泣しますね。仏さまへ申し訳なかった。いらざることをしておった、と。何の値打ちのない私に、「そのまま来い」と、よくぞおっしゃって下さった。今、初めて分かった、ということで、それは私自身もそうでしたけれども。私は一人ひとりに、仏の願いがかかっている。「本願」というのは本願寺は、「本願」という名前を付けていますけれども一人ひとりに、如来の本願があると思うんですよ。だから、本願の開かれて来よう、本願の頂き方は人によって違う。号泣する方もあるかと思えば、もう肩の荷が下りたとか、なんか笑えて仕方がないとか、それはさまざまです。私の娘は、四歳八ヶ月の時に聞いたんですよ。ちょっと常識では考えられませんね。でも、前生でほんとに聴いてきた子だと思いますね。子供は子供なりの表現の仕方をするんです。「私が針に刺されねばならんのに、如来さんばっかりが針に刺さってごめんね」と言っているんですよ。よく仏さまのお姿を見ると、光明が四十八本あるでしょう。それが自分なりに言うているんです。受けた表現がね。「お花にも、蝋燭にもなって、有り難う」。「南無阿弥陀仏にもなってくれて有り難う」。一昨年亡くなりました姉が可愛がっていたんです。それが側へ行って、あまり激しい懺悔ですから、止めさそうと思って、「これぐらいでいいわ。如来様はよう分かってくれていはるんだから」というと、また凄い念仏が出てくるんです。その状態がまあ一時間位ありました。その後、一ヶ月位経って、今度は仏さまの前で号泣念仏です。懺悔するんです。「いい加減なところで、仏さまを自分の心へ閉じこめておってごめんね」というんですよ。それも録音に取りましたよ。
そして、今度は、女子大生の方が、日曜学校の宗教教育に来てくれる先生、お寺の方でしたが、その人が、「わからん、わからん。その暗い心、番頭心が捨てられん」というて悩んでいる。その人に、今度は火を吐くようにして説法しました。「そこでグショグショ泣いてんと、泣いてたかて、信心は頂けん! 如来さまの前へ行って念仏し! 私も一緒にお念仏してあげる!」って、もう舌がもつれるんですよ。そういう例もあります。大学の先生で、お寺の先生ですけれど、この部屋で、この机の上に頭をぶっつけて、気付かれた方もありました。それはいろいろですよ。人によって、みんな違いますね。
 
峯尾:  ただ、一般的に、宗教的な生活というのは、神仏に助けてもらう道だと、多くの人はそうお思いだと思うんですが、いま、増井さんにお話を伺って、「後生の一大事こそ大切だ」というお話だったんですが、では、一般的に多くの人の考えていることというのは、やはり間違いだと、どうお思いになりますか。
 
増井:  言いたくはないですけれどね。そういうところを自分も通ってきたんでしょうね。だんだんお育てを頂いて、「後生こそ一大事」というふうに、気付かせて頂けるようになってきた。並大抵のことではなかった、と。仏さまのご苦労はですね。的外れをどれだけやってきたか知れないのが、自分だったと思います。
 
峯尾:  有り難うございました。
 
増井:  どうも恐れ入ります。
 
 
     これは、平成十三年三月十一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。