死者からのメッセージ
 
                        元東京都監察医務院長 上 野  正 彦
                        ききて(アナウンサー)広 瀬  修 子
 
 
ナレーター: 京都監察医務院。急死や事故死など変死体を調べて、その死因を明らかにするのが使命です。上野正彦さんは監察医として、二万件にのぼる検死にあたってきました。
 

 
広瀬:  この建物、監察医務院に三十年間通われたんですね。
 
上野:  そうです。此処は懐かしい私の三十年間務めさせて頂いた庁舎です。
 
広瀬:  朝、出勤なさると、どういうふうに、
 
上野:  黒板を見ますと、その日の検死の数が載っていまして、道筋に分類されているわけですね。
 
広瀬:  検死の経路が、
 
上野:  ええ。地域別に分け、そして、検死に出る車が、そこにありますけど、これにまあ四、五台の車に分乗して、一人の監察医が七、八件の件数をもって、都内を回って歩くわけですね。
 
広瀬:  東京二十三区が管轄なわけですね。
 
上野:  そうです。そこを検死して歩くんですけれども、九時半に出発して、やっぱり五時位まで時間かかりますよ。
 
広瀬:  いわゆる変死というか、
 
上野:  そうです。不審不安のある突然死を主に検死するわけです。
 
広瀬:  じゃ、現場で検死をしたうえで、行政解剖ということになりますと、やはりご家族の了解と言いますか、お話しなければならないわけですね。
 
上野:  そうです。行政官ですから、無理なことはしないで、十分な理解を含めて解剖するということを納得して頂くわけですね。
 
広瀬:  それも先生方のお役目なんですね。
 
上野:  そうです。
 
広瀬:  なかなか辛い場面もある?
 
上野:  そうですね。やはり肉親は亡くなった後、メスを入れるというのは、抵抗がある方もいらっしゃいますので、そこを理解を求めて、死者の人権を守るために、不審不安のある死に方ではなかったんだ、ということを明らかにするためにやっているわけですから、そこのところをご理解頂くんですね。
 

 
ナレーター: 監察医務院は、東京都の衛生局に属し、検死によって、変死体の死因を明らかにしています。昨年一年間に、東京都監察医務院が行った検死は、凡そ一万件。その多くは病死ですが、死の背景からは、社会のさまざまな断面が見えてきます。ここ二年程は、自殺が増えています。中でも、五十歳代の男性の自殺が目立ち、倒産、失業などの深刻な世相を反映しています。また、一人暮らしのお年寄りが、自宅で亡くなるケースも年々増え、高齢化社会の孤独死が垣間見えます。
 

 
広瀬:  監察医というお仕事ですけれども、少しずつ私たちの耳にもそういう名前が届くようにはなってきているんですけど、正確なところ、どういうお仕事なのか、ということがよく分からないんですけれども。
 
上野:  私たちは、司法解剖じゃなくて、行政解剖と言いまして、監察医の判断で死因を究明していく。当然亡くなっていますから、自殺なのか、本当の病気なのか、ということを究明していって、不審不安を取り除き、死者の人権を守ると同時に、社会の秩序を維持していく、という大きな意味があるわけです。
 
広瀬:  解剖をいざ始めるという時というのは、どんなふうな進行ですか。
 
上野:  取り敢えず、監察医は、何故この方が亡くなっているかは、全然病院の解剖なんかと違いますから、皆目分からないわけです。このご遺体は何故亡くなったか、ということを目標にやっていくわけです。頭も胸もお腹も全部解剖で開いて、どこにどういう病気があるのか、ということを解明していく。と同時に、胃袋とか、或いは、血液の中に、毒が入っているかどうか。そういうことも検査をする。総合的に、何故亡くなったか、ということを詰めていくわけですよ。
 
広瀬:  一番最初、ご遺体が横になっている状態で、
 
上野:  これから解剖させて頂きます、ということで、こういうふうに合掌して始めるんですよ。
 
広瀬:  亡くなった方を、勿論、目の前にしたお仕事ですから、そういう時には、どういうお気持ちでご遺体に接する、ということになるんでしょう。
 
上野:  私たちは、ご遺体は亡くなった方、というふうにはあんまり考えていない。つまり言いたいことを言い残して、この世の中を突然亡くなるわけですから、言い残した言葉が多いわけです。この死者の声を十分に聞くということですから、解剖なんかしている間は、そちらが何を語り出すんだろう、というところに焦点がありますので、ご遺体という感じは受けないんですよ。
 
広瀬:  ご遺体そのものが、身体そのものが語っている、ということなんですね。
 
上野:  そうです。いろいろな傷だとか、毒物が入っていないかとか、喋り出すわけですから、それを十分聞き取って、その人の人権を守るということですから、解剖中ご遺体とは思わない。臨床のドクターが、患者さんに接しながら診察していきますね。その心境ですよ。だから、私たちは死んでいる人を扱っている、という気持はないんです。
 
ナレーター: 上野さんは浅沼稲次郎(あさぬまいねじろう)刺殺事件や吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件、ホテルニュージャパンの火災など、戦後のさまざまな事件に遭遇してきました。
 

 
上野:  三十年間自分がやりたいなあというようなケースを、溺死なら溺死、或いは、脳死の問題、安楽死、老人の自殺、それぞれの死者を検死したり、解剖したりしますね。それと新聞記事だとか、いろいろなものを一緒にして、なんかの資料に後日使おうということで、保存したものなんですね。
 
広瀬:  これが火傷(やけど)をしたお子さんの記録なんですね。
 
上野:  そうですね。昔、検死した時に、スケッチして、この大きさは、どの程度なんだ。或いは、火傷の度合いは、二度とか、三度とかというのをメモって置いて、たまたま残っていた。
 
広瀬:  背中の部分がそういうふうなやけどなんですね。
 
上野:  そうです。これは火傷をしていた。
 

 
ナレーター: 上野さんが監察医になって間もない頃、二歳の女の子が熱湯を被って、病院に運ばれました。背中の広い範囲に酷い火傷を負い、翌日亡くなりました。誤って火傷をした死亡とのことでしたが、検死を担当した上野さんは、不審を持ちました。そのきっかけは丸く残った火傷の形でした。
 

 
上野:  子供さんが、冬這い這いをしていて、石油ストーブにぶつかった。その上に熱湯のヤカンが載っていて、ショックでひっくり返ってきて、彼女の背中にお湯が被って、大火傷をした、と。そういう事件があって、検死に呼ばれて行ったんです。検死をするために裸にしたら、背中に丸い火傷があったんです。
 
広瀬:  丸い火傷?
 
上野:  ええ。それで私は、「おかしいじゃないの。熱湯のヤカンがひっくり返ったんだから、お湯は不整形に散らなければならない」。
 
広瀬:  バラバラに、
 
上野:  ええ。撒き散るわけです。それが丸く背中に限られている。二度から三度位の酷い火傷で、それで入院して、二日目に亡くなった。
 
広瀬:  ああ、そうですか。
 
上野:  それで立会の警察官にいったんですよ。丸い火傷は、「これはおかしいじゃないですか」ということを警察に言ったら、「成る程、そう言われれば、状況と死体所見が合わない」ということに気が付いた。
 
広瀬:  捜査状況と死体の所見が合わない。
 
上野:  私たちは物言わぬ亡くなった方を見るわけですから、観察力は普通のドクターより鋭いんですよ。じゃ、この丸い火傷はどういう状況で火傷をしたんだろう、ということを思いつつ、警察の捜査を聞くと、熱湯のヤカンがひっくり返って、背中に落っこちたというんだから、状況と死体所見が合わない。これは真ん中に立って、説明している人が嘘をついている可能性が高いんですよ。ということで、「捜査をしなおすべきだ」ということを警察に言ったんですよ。言われれば、警察でも、「成る程、丸い火傷はおかしい」というので、厳しい捜査をしなおしたところが、口が重かったお袋から出た言葉は、「実は、この子は生まれつきの知恵遅れの状態だったので、下(しも)の世話から食事の世話まで、つきっきりでやらないと生きられなかった。だから、医者にかけても治る病気じゃありませんので、一家が幸せになるためには、その子が早く死んでくれた方がいいだろう」ということで、過失を装って、熱湯をかけたんですね。
 
広瀬:  それが丸くなったんですか。
 
上野:  丸くなった。ということは、お湯がたっぷりあれば、かけた湯は流れ出したのですが、お湯が少なかったから、着込んだ着衣に吸い取られて動かなかったんですね。
 
広瀬:  たくさん着込んだ上にかけられて、丸くなった。
 
上野:  丸のまま。もっとたくさんあれば流れ出して、不整形な火傷になった、と思いますけれども。だから、死体は語り出すんですね。私は、その子供さんは、「お母さんは嘘付いています。私を殺そうとして熱湯をかけたんです。何とか先生助けて下さい」と必死の叫び声をあげていたわけですよ。だけど、その火傷の叫びを一番先に聞いた人は、病院のドクターですよ。だけど、臨床のドクターは、死の崖っぷちにあるその火傷の子を手当し、生の方向へ引き戻そうと、それに一生懸命ですから、火傷の叫び声を聞き取ることは出来なかったんです。だから、そういうドクターに検死をさせないで、法医学者に検死をさせれば、死者の言葉を読み取ることが出来るんじゃないですか。他の医者は分からなかったんだけど、私にはその叫び声が聞こえた。この特殊な技術はもう監察医をやる以外にないな、というのが基盤になっていると思いますよ。
 
広瀬:  その場合、お母さんがやむを得ず、そういうことをしたということになるわけですが、事故で済めば、その人は殺人ということが分からずに済む。
 
上野:  そうです。完全犯罪というかね。
 
広瀬:  でも、そういう状況だ、ということが分かった時には、先生はどんなお気持ちだったんですか。
 
上野:  そうですね。幾ら知恵遅れの子供であっても、母親が自分の生活の邪魔になるというので、殺害するというのは許せない行動ですけど、今度はまた逆の立場で、母親が我が子を殺さなければならないという追い詰められた気持、両方の気持を仕事が終わった後、考えるわけですよ。
 
広瀬:  でも、真実の死因というのは、解明出来るということで、
 
上野:  死者の人権を守るということで、一生懸命やったんですけど、お母さんの行動も含めて理解すれば、もうやり切れませんよ。
 

ナレーター: 上野正彦さんは昭和四年生まれ。北海道で育ちました。僻地医療に携わっていた父親の影響を受け、医師を目指します。大学で法医学を専攻した上野さんは、昭和三十四年に、東京都監察医務院に入りました。
 

 
上野:  医者の立場に立って、もう一度人間にとって、死ぬということはどういうことなんだろう。トコトン考えてみれば、命の尊さ。如何に生きるべきか、という哲学が自分の心に芽生えてくるだろう。そういう哲学をもって、患者を診療すれば、自分は少しでも、名医というものに近づけるのかなあ、と思いまして、死の学問である法医学を、二、三年やってみようかなあ、というつもりで、法医学を選択したんです。それで大学の研究室へ入ったんですけど、なんか物足りない。動物の実験とか、そういうことばっかりやっていたものですから。それで監察医という存在を知りました。此処は実際の現場へ行って検死をしたり、解剖したりする。そっちの方が自分の性格に合うかなあ、と思いまして、大学に四年間研究室に居ましたけど、後は監察医になろうということで来ちゃったんですよ。
 
広瀬:  「性格に合うかなあ」というのは、どういう意味でしょう?
 
上野:  やっぱり実験じゃなくて、実務。
 
広瀬:  現場で、
 
上野:  ええ。現場で。そういうことが良いのかなあというふうに、私は思ったんです。やったら、二、三年経つうちに、結局物言わぬ方と自由に話が出来るようになった。変死体で物言わぬ死体がありますね。検死し、解剖していくことによって、「私は心筋梗塞の病気で亡くなったんです」とか、「いや、自殺のために青酸カリを飲んだんです」と言って、私に語り掛けてくれるわけです。それが非常に興味が湧いてきた。医者はたくさんおりますけど、死者との直接会話の出来る医者は、やっぱり監察医になって、何年か経たないと自由に話し出来るようになりません。自由に話が出来るようになった、というのが、興味を引き付けたし、これは医者の中でも、私にしか出来ないテクニックだ、ということを知って、辞めるわけにいかなくなったような感じもありましたね。
 

 
ナレーター: 日本で監察医制度が始まったのは、戦後間もない昭和二十一年のことです。その背景には、戦災で焼け出された人々の死がありました。行き場が無く、上野駅周辺など、路上で生活をする人が増え、大きな社会問題となっていました。そうした人たちの多くが満足な医療を受けることもなく、次々と亡くなっていったのです。
 

 
上野:  戦後、上野の地下道でたくさん焼け出された人たちが亡くなったんです。それで、「死の行進」ということで、朝日新聞に大きく取り上げられた。バタバタと上野の地下道で死んでいる。検死をした結果は、殆どが餓死である、と。食料難であった、ということで、都内では、餓死が非常に多かったんです。それでアメリカ軍は、「これは本当に餓死なのか」と。「どういう検死の仕方をやっているんだ」というので、東京都の衛生局に調べに来たんです。そうしたら、警察官と街のドクターが、シラミだらけの亡くなった方を見て、解剖もしないで、痩せ衰えているから、「餓死だ」という診断書を書いている。それを見たアメリカはビックリしたんじゃないですか。「とんでもない検死だ。解剖もしないで、何で死因が判るんだ。おかしいじゃないか」ということで、「アメリカでやっていたMedical Examiner's System(監察医制度)というものを、やってみたらどうだ」と。それで七大都市に導入されたんですね。それで東京もバッチリこれをやってみた。検死解剖をして見ると、餓死じゃなかったんですよ。肺結核なんですね。
 
広瀬:  病気なんですか。
 
上野:  病気です。結核が蔓延していましたから。
 
広瀬:  戦後間もなくですからね。
 
上野:  ええ。栄養が十分取れないから、結核が猛威を振るって流行しだした。殆どの人は、食べ物は少しは食べているんですよ。お腹を開けると、食べ物は入っているんですよ。にも関わらず、亡くなっているのは、肺結核だったんですね。
 
広瀬:  上野さんがお仕事を始められたのが、昭和三十年代ですね。
 
上野:  そうです。三十四年から監察医になりました。
 
広瀬:  そして、大きな事故も勿論あったわけですね。
 
上野:  ありましたね。三河島(みかわじま)列車衝突事故とか、全日空機羽田沖墜落事故とか、浅沼稲(あさぬまいね)次郎さんの殺傷事件、或いは、ホテルニュージャパンの大火災。ですから都内の大きな出来事は殆どやっていますよ。
 
広瀬:  二十三区内であればみんな関わっていたわけですね。
 
上野:  そうです。
 
広瀬:  そうですか。三河島事故というのは、随分たくさんの犠牲者が出たものですよね。
 
上野:  そうです。一度に百六十何名が亡くなられた大事件だったんですからね。
 
広瀬:  それも現場に行かれた?
 
上野:  行きました。
 

 
ナレーター: 昭和三十七年五月三日、常磐線の三河島駅 構内で、列車の二重衝突事故が発生しました。列車が脱線し、そこから降りて避難していた乗客の中に、さらに別の列車が突っ込んだのです。死者百六十名、負傷者二百九十六名を出す大惨事となりました。監察医となって、三年目の上野さんも現場で検死を行い、報告書を纏めました。これはその時のメモです。犠牲者の性別や、年齢を記録しています。上野さんたち、監察医は、百六十名の犠牲者、一人ひとりの死亡原因を確認していきました。頭蓋内損傷、圧死、窒息死、調査の結果、頭に損傷を受けた人が多かったことが分かりました。
 

 
上野:  その当時、手、脚が誰だか分からない二、三十本が出てきて、それはあるお寺に安置しました。そして、身内の方が来て、自分の家族の遺体を捜しますね。そうすると、右脚(みぎあし)が最後まで見つからなかったご家族がいらっしゃったんですよ。それで結局、最後まで待ったんですけど、右脚だけが出てこなかった。それで、やむなくお引き取りして茶(だ)毘(び)にふされたんです。それから一ヶ月位経ったある日、そのご両親から長い手紙を頂きました。それを読んでみると、たった一人っ子なんですね。それで地方に居たんですけど、高校卒業と同時に、一人で東京へ来て、そして、手内職の仕事を二年間覚えて、近々故郷に帰って、お父さんと一緒にその商売を続けていく、育った矢先に、事故に遭って亡くなっちゃった。しかも、右脚が根元から轢断(れきだん)されていたんです。それでお父さんとお母さんは、夜な夜な夢を見る、と言うんですよ。事故に遭われた人たちは、みんな極楽浄土へ、三途の川を渡っていくんだけど、家の倅は、右脚が根元からない。それから左脚は軽い麻痺があった人なんですね。
 
広瀬:  ご病気で、
 
上野:  ええ。だから、「自分は三途の川を渡れない≠ニ這いずり回りながら、お父さんお母さん、僕は三途の川を渡れないよ。脚を捜して!≠サのまぼろしが見える。倅(せがれ)の声が聞こえる」と言うんですよ。だから、「どうか先生方、倅の右脚を捜してくれませんか」という手紙を頂いたんですね。ショックを受けました。だって、最愛の一人息子に死なれちゃったから、幻(まぼろし)が見えたり、幻が聞こえる、というのは、ノーマルな状態でないんですよ。これは早く右脚を捜してあげないと、お父さんやお母さんも、精神状態が不安定になって、危ない状態に置かれている。何とかしたいなあ、ということで、警察と相談しました。しかし、事故から一ヶ月経っていますから、もう現場は完全復旧して、ダイヤル通り動いているわけですよ。それを止めて、現場を掘り返して、右脚を捜す、という作業は、ちょっと出来ないんです。それでご遺体の写真を警察に出してきて貰って、よくよく調べてみると、右脚がスポット轢断されてはいないんです。グジャグジャになって、此処が潰れているんです。ということは、列車の車輪に巻き込まれて、骨片肉片となって、現場に散っちゃったんではないか。右脚一本であれば、小さい腕先や足先が出ているわけですから、現場で発見されない筈はないんですよ。それが見あたらないということは、巻き込まれて、骨片肉片となって散ってしまったんで、これ以上捜しても無駄だろう、という結論になりました。だけど、そのまま返事は書けませんので、
 
広瀬:  そうですね。両親はそういう告げられても、
 
上野:  それで精神科のドクターと相談しながら、お父さんとお母さんのショックを和らげるべく、返事を書き改めて出したんです。文通はその一往復切りですよ。だから、私たちの手紙に納得されて、正常な状態に戻られたのか、或いは、もう返事も書けないほどの荒廃した人間になられたかは、知る由もありません。だけど、「人間の健康というのは何だ」と考えた時に、栄養のある物を食べて、体力を付け、病気にならない、ということだけが、健康ではないんだなあ。精神状態も快適におかないと、本当の健康というのはないんだなあ、というふうに思いましたね。
 

ナレーター: 昭和三十八年に起きた吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件。四歳の男の子が誘拐され、二年後になって、遺体が発見されました。吉展ちゃんの遺体は、時間の経過によって、傷みが激しく、鑑定は難しい状態でした。
 

 
上野:  個人識別というか、警察は、そのご遺体を発見されたら、吉展ちゃんかどうか。間違いないか、ご覧頂くわけです。だけど、朽ち果てているから分からない。ところが、お母さんが手編みで編んだ毛糸の靴下を履いていたんですね。それで、「これは我が子に間違いない」ということをご家族が確認したんです。それ以外は、吉展ちゃんを分からせるものがなかったんです。それで検死解剖したわけなんですけれども、その時に、吉展ちゃんの口の中から、ネズミモチという植物が、三本芽を出していたんです。それで、「この植物は一体なんなんだ」と言って、植物図鑑で調べて見ると、ネズミモチというのは、普通の植物とちょっと違うんですね。種が落ちると、その種は土の中で一年間過ごし、次の年の春、一年目の春には芽を出すのが普通の植物なんですね。ところが、ネズミモチは、二年目でないと芽を出さない、という特性があったんです。つまり、どういうことかというと、吉展ちゃんを殺害して、犯人が墓石の中に隠した時に、吉展ちゃんの口の中にネズミモチの種が落っこちたと思います。それを知らずに、犯人は墓石の下へ隠蔽した。二年経って、発見されたら、ネズミモチがそこから芽を出していたんです。従って、吉展ちゃん自ら、「犯人の供述に間違いない。彼奴(あいつ)の言っていることは本当だ。彼こそ犯人だ」と言って喋り出してしまったわけですね。という珍しいお話がその中にあったんですよ。だから、法医学というのは、死体現象だけではなくて、それに纏わる植物とか、いろんな付随したことも知っていないと、いい捜査というか、いい鑑定は出来ないんですよ。
 
広瀬:  特に印象に残った事件がおありでしょうか。そういう意味で、ご家族の辛さをまあたくさん見ておられるでしょうけど。
 
上野:  そうですね。交通事故でヨチヨチ歩きの子供が、車に轢かれて亡くなっている。それを警察官と一緒に検死に行きました。お母さんはその子供を抱いて、「誰々ちゃん! もう一回ママと呼んで!」と言って話していますから、そこへ、「検死に来ましたから、見させて下さい」とは、ちょっと言えないですよ。だから、もう一回出直すとか、そういうことになりますね。
 
広瀬:  お気持ちが鎮まるのを、少し時間をおいて、ということに。
 
上野:  ええ。だから、死ぬということは、医学的に、「脳と心臓と肺の機能が止まったら死ぬんだよ」というふうに、私たちは習ってきました。だけど、それは理屈であって、実際の社会情勢の中で、人間の死というのは、そういう理屈だけで捉えているわけにはいかないですよ。だって、我が子がダンプカーに轢かれて、頭が潰(つぶ)れているにも関わらず、死を認めないで、抱きしめて、話していますから。だから、死というのは、やっぱり納得出来るところまでもっていかないと、人間の死は、死ではないんではないかなあ、というふうに思えてくるんですね。
 
広瀬:  残された人の気持ちが納得出来る、という意味ですか。
 
上野:  そうですね。特にお母さんと子供の場合の関係は、非常にその絆が強いですよ。だから、理屈で死んでいますから、「検死に来ましたから、見させてくれ」というわけにはいきませんよ。
 

 
ナレーター: 昭和五十七年二月八日の未明、赤坂にある ホテルニュージャパンで、火災が起きました。ホテルの防火体制の不備から、火は燃え広がり、死者三十三名、負傷者三十四名を出す惨事となりました。一酸化炭素中毒や焼死の他、火から逃れようとして、窓から落ちて亡くなった人もいました。
 
 
上野:  私が監察医務院の責任者で、当日死亡した三十二体の検死が終わった時に、地検の検事さんと、警視庁の検死官がおられたので、「全員検死が終わりました」と報告致しましたら、検事さんが、私のといころへやってきまして、「私はこの三十二体の中から犯人を捕まえなければならないんです。先生、犯人を指名して下さい」と言われたんです。何のことかよく分からなかったので、「え!どういうことでしょうか?」と聞き返しましたら、検事さんは、「この出火の原因は、寝タバコが考えられる。その犯人を、私は特定しなければならないんです」ということで、「あ、そうですか。じゃ、分かりました。此処からこれまで真っ黒けのご遺体が九体ございますから、これを検事さんの指揮下で、大学で司法解剖をやってご覧なさい。その時に、血中アルコール濃度の検査をお忘れなく指示するんですよ。その中に、泥酔者が出てくると思いますから」と指示しましたら、検事さんは、「有り難うございます」ということで、その九体を、大学で司法解剖した。後日聞いた話ですけど、「泥酔状態の人が、一人発見された」というふうなことを聞いております。現場を私たちは見る暇は無かったんですけど、運ばれてくる順番に解剖していくと、火事の様相が分かってくるんですよ。最初の人たちは炎に煽(あお)られ、逃げ場を失って、もう外へ逃げざるを得ない。八階、九階ですから墜落死だった。次の人たちは真っ暗闇の廊下を伝え歩きしながら、逃げていくうちに、充満した煙を吸って、バッタリ倒れていく。最後に残った人は、部屋の中で寝たままの状態で真っ黒けに焼けていった。その火事の様相が検死をしていくだけで、手に取るように見えてきた、という感じだったですね。
 

ナレーター: 昭和四十一年に起きた羽田沖の全日空機墜落事故は、上野さんの法医学研究を深めた事件でした。北海道発東京便の全日空機が墜落し、百三十三名が死亡しました。機体は完全に水没し、事故原因の究明は難航、事故調査団の結論は原因不明でした。
 

上野:  まあ、当時のメモなんですけど、データを集めて、このように、
 

 
ナレーター: 遺体解剖に当たった上野さんは錐体(すいたい)と呼ばれる骨に 注目しました。此処に出血が見られるのです。
 

 
上野:  乗客の方は解剖しなかったんですけど、職員は解剖する、というようなことで、私も何体か解剖させて頂きました。見ると、頭蓋底の耳の骨の中に出血があったんです。これは溺死のサインなんです。従って、どういうことが考えられるかというと、羽田まで飛んできた飛行機が、此処で乗っ取り犯と格闘になって爆破されて、空中爆発したんではない、ということがまず分かります。それから、失速して、錐揉(きりも)み状態になって、飛行機が墜落したんでもない。着陸態勢に入って、陸地と海を間違えて、恰も着陸するような態勢のまんま、海に突っ込んでしまった。その突っ込んだ衝撃で、乗客はおでこの方に、頭部外傷がありました。それからスチュワーデスの方は、進行方向を背にして乗っていたために、後頭部を打っているんです。で、解剖してみますと、かなりの脳外傷はあるんですけど、即死のような脳外傷ではない。つまり次の瞬間、飛行機ごと海の底へ潜っちゃったために、乗っていた人たちは、この海の中で呼吸運動していた。だから、溺死のサインとしての錐体内出血、耳の骨の出血があった、ということが分かったんです。だけど、検死した時には、頭蓋骨骨折、肋骨骨折とか、胸の損傷だとか、という死因になっていますけど、実際解剖をしてみると、直接の死因は、溺れる方が圧倒的に多いということが分かりましたですね。
 

ナレーター: 当時法医学では溺死を鑑定する決め手は確立されていませんでした。上野さんは溺死した人の頭蓋骨を調べ、錐体(すいたい)の部分の出血で、溺死が判定出来るのではないかと考えました。そこで、三百あまりの溺死体を調べた結果、凡そ六十パーセントが、錐体に出血していることを突き止めたのです。それまで泳げる人が溺れた場合、原因は単純に、心臓麻痺とされてきました。しかし、上野さんは、それに疑問を抱いていました。溺れると、何故錐体に出血が見られるのか。そのメカニズムを解明しようとしたのです。
 

 
上野:  泳げない人が溺れれば、溺死でいいんですけど、泳ぎの上手な人が溺れちゃうと、ドクターは簡単に、心臓麻痺という診断を付けるわけですよ。心臓麻痺と言ったって、死んだ人は、誰でも心臓麻痺しているわけですから。
 
広瀬:  最終的には心臓が止まるわけですね。
 
上野:  誰でも心臓麻痺しているわけです。それを溺死のメインの死因として、心臓麻痺というのはちょっとおかしいじゃないか。何かもっと溺れる理由があるだろう、ということで、研究を始めたのが溺死の研究です。分かったことは、泳いでいる時に、鼻からスーッと水を吸って、耳の耳管(じかん)というところへ水が入っていって、
 
広瀬:  ツーンとすることがありますね。
 
上野:  そうですね。それが強く起きますと、耳の骨の中に出血が起きる。そうすると、その中心に三半規管がありますから、三半規管の機能がドロップする。
 
広瀬:  平衡感覚が無くなるわけですか。
 
上野:  失われる。脳は何でもないんですから、意識はあるんですけど、自分は逆立ちしているんだか、横になっているんだか、平衡感覚が取れないから、水の中で溺れてしまう、という凄いことが分かってきたんですよ。
 
広瀬:  その三半規管の近くの部分に出血が起こるということが分かったことなんです か。
 
上野:  ええ。それで如何に泳ぎが上手でも、背の立つ浅瀬でも、平衡感覚が取れないから溺れちゃう。水を飲んで、苦しくなれば、背の立つ浅瀬ですから、立ち上がれば、死なないで済むわけですよ。
 
広瀬:  そうですね。咄嗟にそう出来るような気がしますけど、そうはいかないわけですね。
 
上野:  平衡感覚が失われていますから、どっち向いているのか分からない。それで水を吸って、溺れてしまう、大発見に繋がったんですよ。
 
広瀬:  溺死した人は、必ずそういうふうな出血というのはあるんですか。
 
上野:  いや、必ずじゃなくて、六十パーセント位はそういう出血があります。そういう出血のない溺れる方もいらっしゃるんですよ。
 
広瀬:  ああ、そうですか。でも、出血があれば溺死だろう、ということは逆に言えるわけですか。
 
上野:  そうです。そういうことで、死因の分からない殺人事件とか、海へ突き落としたとか、ということで、何度も事件の真相を発見していますよ。
 
広瀬:  溺死なのか、既に殺されて捨てられたのかとか、それ区別出来るわけですね。
 
上野:  実際の犯罪の中に応用してやってきました。
 
広瀬:  じゃ、そういう研究も実務をなさりながら続けていらっしゃった、ということですね。
 
上野:  それが仕事以外の自分の興味で研究していましたから、監察医務院というのは、私にとっては宝の宝庫なんですよ。
 
広瀬:  ケースがいっぱいあるわけですね。
 
上野:  いっぱいあるわけです。
 
広瀬:  そして、もう一つ大きなテーマが、
 
上野:  老人の自殺。統計を取ったら驚いちゃったんですね。一人暮らしが侘びしく孤独だろうと思って、統計を取り出したら、実はそうじゃなかった、ということで驚きました。三世代で同居しているお年寄り。普通の家庭は上手くやっていらっしゃる家庭が多いんですけど、時に崩れた家庭では、年寄りは収入もない。体力も衰えている。我々の生活の邪魔になるだけだ、と家族から疎外されている。だから、信頼する身内から、一人だけ、除(の)け者にされるというのが、老人にとっては絶えられない孤独なんだなあ、ということに気が付いたんです。
 

 
ナレーター: 昭和五十年代に入ると、老人の自殺が目立ってきました。社会が豊かになり、日本人の寿命は延びていきました。しかし、その影で、家族のあり方が変化していったのです。上野さんは、九十歳、百歳を越えても、自殺する人がいることに衝撃を受けました。そこで、監察医の同僚らとともに、老人の自殺について調べ始めたのです。自殺した老人の家庭環境や動機を調査し、その背景を探っていきました。その結果、意外なことが分かってきました。侘びしいと思われていた一人暮らしの老人よりも、理想的な環境と思われていた三世代同居の老人の方が、自殺する率が高い、という事実が明らかになったのです。
 

 
広瀬:  自殺の割合というのは、そういうご家族と一緒の方が多いというふうなことが分かった?
上野:  自殺指数(一万人あたりの自殺率)を取りますと、遙かに多いんですよ。
 
広瀬:  絶対数だけではなくて、率も高い。
 
上野:  高いですね。それで驚いちゃったんです。それで、検死に警察官と行きますと、長男夫婦が対応しますね。そして、「お爺ちゃん、何で自殺したの」というと、「いや、幸せに暮らしていた筈ですから、理由は分かりません」というようなことを言うんですね。だから、「でも、昨日、今日、苦しいことがあったから、今日自殺する人は居ませんよ。長い時間、一年も、或いは半年も前から、生きるべきか、死すべきか、苦悩しながら、結論を出して、自殺しているんですから、一緒に生活していて、老人の苦悩が見抜けなかったんですか」と切り返しますと、「うーん、そう言えば神経痛で、痛い、痛いと言っていましたから、神経痛かも知れません」というような、まあ詭弁(きべん)と思われるような理由を出すわけですね。だから、もう一回切り込みますよ。「七十年、八十年と人生の荒波を乗り越えて生きて来られた方が、何故ここで神経痛で死ななければならないんですか。そういう薄弱な理由は、私はちょっと考えられないと思いますよ」と、突っ込みますと、私とこれ以上デスカッション出来ないと思うんじゃないでしょうか。「お茶を入れて参ります」と言って、奥へ引っ込んだきり出て来ないんですよ。つまり、私も分かりますよ。自分たちが、年寄りを粗末に扱っているということを、第三者の私たちには知られたくないから、格好いいようなことをいうわけです。
 
広瀬:  違う理由を、そうかも知れませんね。
 
上野:  そうだと思います。それはよく分かるから、それで警察も、「もう先生、止めましょう。自殺ということがハッキリしちゃった。殺人事件ではない。自殺だから、その動機は借金苦でも、事業の失敗でも、失恋でも何でもいい。自殺ということが分かったから、この辺で収めてくれませんか」というようなことを言いますので、「じゃ、この老人の自殺は、神経痛を苦にした自殺でいいんですか」と私は警察に言いますと、「やむを得ません。それで収めて下さい」と言われるから、それ以上、私も突っ張ることも出来ない。嘘だなあ、と思いつつも、神経痛を苦にした自殺である、ということで、事件を終結しますよ。老人の自殺を纏めて思うことは、虐(いじ)められっ子の自殺と、全くパターンは同じなんですね。つまり人間にとって孤独だ、ということは、どういうことか、というと、信頼する仲間から爪弾(つまはじ)きにされ、疎外されているのが、侘びしく孤独なんですね。だから、老人も信頼する家族から、「経済力がない」「頭が呆けちゃった」と言って、厄介者として、家族から突き放されるのが、侘びしく孤独なんですね。一人暮らしの老人が、侘びしく孤独ではないんですよ。むしろ豊かなんですね。だから、虐められっ子も、クラスという全体の中から一人だけ、ターゲットを絞られて、みんなから虐められちゃう。だから、信頼する身内から疎外された、というのが、我々人間にとって侘びしく孤独なんだ。それが老人にとっては絶えられない孤独だから、自殺になっていく。そういうことを調査していって、現場で、老人たちの遺書をたまに─二十五パーセント位の方は、遺書を書いていらっしゃるんですけど─それを読むと、老人たちの遺書は立派なんですよ。嫁さんに意地悪されたとか、息子が自分を疎外したとか、そういう不平不満は一切書いていないんですよ。「大変長らく お世話になりました」。その一言ですよ、遺書には。それを検死の現場で読んだ時に、老人たちは、この世の中に言い残していった言葉があまりにも多すぎる。だから、現職の時は、ベラベラそんなことを喋るわけにいきませんので、監察医を辞めたならば、その年寄りたちのその思いを、世にアピールするのも、自分の仕事の一環だなあ、とこう思いまして、『死体を語る』、その他の自分の作品の中には、老人の自殺について書き入れています。
 

 
ナレーター: 監察医務院を退職してから十二年、上野さんは執筆や講演を通して、検死の現場で得た死者からのメッセージを、世に伝えようとしてきました。その中で改めて、死者の声を聞き取る専門家である監察医の必要性を、強く感ずるようになってきたのです。
 

 
上野:  私は、「死後も名医にかかりなさい」ということをよく言うんです。そうすると、「じゃ、死んでから名医にかければ、その人は生き返るのか。生き返るならば、死後も名医にかけたいと思う」というような屁理屈を言う人がいます。これはそういうことではなくて、和歌山の事件を例にあげると、十年前に砒素を飲まされていたのが、急性白血病でいいんですか。駄目ですよね。やっぱりきちんとして、毒殺だ、ということを明らかにしなければ、死者の人権は守れないわけですから。やっぱり生き返らないんですけれども、死後も名医にかかって、「これは病気ではない。毒殺なんだ」と明らかにする必要があると、私は思うんですね。そういう意味で、「死後も名医にかかりなさい」とこう言っているわけですよ。だから、監察医制度というのは、私は全国制度にしなければいけない。五大都市にしか行われていないんですけど、完全に日本全国監察医制度で、変死体が発見されたら、街の開業の先生が検死に行くんではなくて、大学の法医学者の人たちが検死に行く。或いは、検死でもハッキリしなければ解剖していく、というようなことが、安易に出来るようになれば、犯罪の迷宮入り、というのはかなり防げるんじゃないかな、と思っていますね。だから、地方では、何年前は事故死で扱われたものが、最近になって、生命保険絡みの殺人事件だ、というのが、あっちこっちで、ポロッポロッと出てくるじゃないですか。それは事件が発生したその時点で、発覚するような制度、つまり、監察医制度が普及すれば、最初に発見されると私は思いますね。どうしても日本全国に監察医制度というものを普及したい。それが私の願いです。
 

 
ナレーター: 現在、上野さんは、都内の看護学校で解剖学を教えています。現役時代からもう三十年以上も続けています。自らの体験も踏まえ、講義を進めていきます。これから医療に携わる若者たちに、生と死について考えて欲しい、と願っているのです。
 

(講義の場面)
 
上野:  みなさんは看護だけれど、大きくいえば、これは医学の中の一つなんですよ。医学というのは何か、というと、方法の学問なんですよ。方法論なんですよ。どういう方法論かというと、分かり易くいうと、咳が出て、熱が出て、息苦しくなった。そういう患者を見たらば、肺炎という診断を付けなさい。肺炎という病気は、側へ行くと移る可能性もありますよ。しかし、治療には、抗生物質を初めいろいろな薬が有効です、と書いてあるんですね。みなさんの持っている教科書は、全部方法論が書いてある。つまり、テクニックを学ぶ本なんですよ。分かりますか? しかし、何故医療人はベッドサイドへ行って、感染の危険のある危険な患者さんの側へ行って治療し、看護をしなければならないのか。その目的については、一言も触れていないんです。原因と結果しか書いていないんですから。方法論しか書いていない。教科書はそれでいいんですよ。だけど、これは学ぼうとする医療人は目的を持たずに、安易に患者の前に立っていいですか。よく考えて下さい。だから、私はこの方法論を学ぶ前に、しっかりした哲学、目的、何故自分は看護婦になるんだろう。看護婦の職業というものを選んだのか、という哲学を持ち、考えを持って、ベッドサイドへ臨(のぞ)む。それが大切なことだろうと思うんです。
 

 
広瀬:  当たり前ですけれども、その看護婦さんなり、医学を学ぶ方々には、病人の気持というのは勿論よく知って欲しいし、亡くなった方の家族は、どういう気持でいらっしゃるのか、ということは、常に考えて、感じて頂きたいなあという気はしますね。
 
上野:  それを踏まえて、医療が成り立つわけですから、心豊かな医療人になって欲しいと思っております。
 
広瀬:  こういう解剖学で、死ということを学ぶということは、それは生を学ぶということになっていくんでしょうか。
 
上野:  そうだと思います。だから、私は講演会のタイトルは、「逆さの視点」、サブタイトルに、「死から生を見る」というふうに、タイトルを決めています。一般臨床の先生方は、生きている人に関わりながら、死を看取っていく。私は、なんだか分からないけど、亡くなった人がここにいる。警察は、その人は、何故、どこの誰なんだ、ということを調べていく。そこへ我々が呼ばれて行って、この人は、どういう形をとって死に至ったのか、逆に、死体を調べながら、生きていたところはどんななのか、逆さの視点で物を見ていく。行き着くところは一緒なんですけれども、見方が逆さである。
 
広瀬:  死からスタートして、遡って、どういうことがあってここへ至ったかを、逆に見ていくということですね。
 
上野:  だから、人生も時々、逆さの視点に立って見ると、視野が開けたというか、広い視野で物を見つめることが出来るんではないかなあ、と。一方通行だけではなくて、両方を見る必要があるんじゃないか。そういうふうに思うんですね。新しい発見があると、私は思っています。
 
広瀬:  ご自身は歳を重ねていらっしゃって、自分の死とか、いうことについて、何か思っていらっしゃることはありますか。ご自分が死ぬということについて。
 
上野:  あ、私自身の死ぬということに対しては、お別れする、ということだけで、死に対する恐怖とか、そういうことは一切ないんですよ。死ぬということは、お別れだ、という。明日から直接会えないなあ、という気持はありますよ。だけど、死が恐い、という気持はないですね。
 
広瀬:  それはお仕事を通して、死者とたくさん対していらっしゃったからなんでしょうか。どうなんでしょうか。
 
上野:  そういうことかも知れないですね。あんまり死を恐怖と感じたり、恐いとかという感じはないんです。ただ、明日から周りの方と会えないなあ。お別れだなあ、という淋しさはあるかも知れないですね。それだけだ、と思いますね。
 
広瀬:  そういう意味でも、亡くなった後は無になってしまうんだ、という感じに、やはり思いつつ、どこかに残された方の心の中に生きているだろうというのと、両方おありになるんですね。
 
上野:  そうですね。それでおかしいのは、ある新聞記者に言われたんですけど、「先生ほど、死者の人権を守ってきた人はいないでしょうね。先生にお世話になった人はたくさんいらっしゃるんだから、あの世へいった時には、その人たちが、花束を持って、先生を出迎えてくれますよ」と言われた時に、考えてもみない言葉にビックリしました。成る程、そう言われてみれば、そうなんだなあ。だから、あの世とやらへいく時には、その人たちとの再会を楽しみに出掛けてみようかなあと、そんな気持ですよ。
 
広瀬:  そういう意味では、あの世というところで、そういう人たちに会えるんじゃないかというお気持ちもおありになる。
 
上野:  そうなんですね。だから、ナッシングだ、と言いながら、自分の中にいっぱい矛盾をもって、死というものに対しては矛盾を感じますね。
 
 
     これは、平成十三年六月三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。