鬼を語る 自分を語る
 
                             女 優 萩生田(はぎうだ) 千津子(ちずこ)
                             ききて 山 田 誠 浩
 
ナレーター: 車椅子の女優として、年間百回近くの舞台を務める萩生田千津子さん。十九年前、自動車事故で瀕死の重症を負いました。首の骨を折り、以来、肩から下の感覚がまったくありません。事故の後遺症で肺活量は、かつての三分の一にまで減っています。本来なら、息をするだけで、やっとという状態を克服して、民話や童話の独り語りの舞台を続けています。
 

        (「ベッカンコおに」芝居の場面から)
 
神さまは、けっして、むだなものを、つくらぬはずじゃ。だけど、いったい、おまえは、どういうやくにたつのやら・・・しょうがないおにじゃのお。ホッホッホッホホ・・・。しっかり、おやり。いのちがけのしごとは、おにらしいしごとだよ。ウンウン。
 

 
山田:  事故でほんとに手の、肩の下ぐらいから、下がまったく感覚がないんですよね。
 
萩生田:  両手を大の字に開いた状態で、ちょうど中指筋、こういうふうに線を引いて、右から左と同じように、この間まで線を引いたような線の上、それから下という感じで、こっから下が無感覚ですよね。
 
山田:  そういうことも含めて、肺活量が元の三分の一になった、ということだそうですけど、その状態で語るためにいろいろ工夫していらっしゃる、と思うんですが。
 
萩生田:  肺がもう閉じているんですね。肋骨の間に、肋間筋という筋肉があるんですけど、その肋骨を、筋肉が収縮してしまったために、全部、こうもり傘が下に向かったような、こんな状態に、あばら骨が、
 
山田:  肋骨が横にいかないで、下に、斜めになった形になっている。       
 
萩生田:  ええ。傘を閉じたように。横からグッと肺を押していまして。私は、この身体なんですけど、この幅しか、今無いんですね。それでグッと押されているので、この肺の活動がかなり押さえ込まれてしまって、寝ていても漬け物石が載っているような重さが、今でもあるんですよ。ですから、この動きがないところをどうするか。横隔膜の振幅をより多くさせることと、あと背中の方に向かって息を吸っていく、というイメージ トレーニング、両方やったんですね。で、今は普通に。例えば、私が本来の姿ですと、多分、こういうふうに息を吸っていると思うんです、こうやって。それを背中の方と横隔膜で、前後で。あともう一つは、腹筋が働いていませんので、ここ肩から下の感覚が全然ありませんから、コンニャクの上に、頭が載っている状態で、お腹、つまり腹筋が働いていないために、腹筋の代わりに、こういうふうに拳をお腹の両側からグウッと押して、太い声とか、男の声とか、の時に、ここをこう押して、「わあっ」と、声を出すんですね。普通だと、その「わー」が出ないんですけど、「わあっ」とこう。
 
山田:  瞬間的に出すような声は、その手でグウッと押す力で、
 
萩生田:  ええ。グッとお腹を押して、「鬼というものは、人のしてはならんこと、ゆるしてはならんことを、きつく叱るのが役目じゃ」と、こうグッと、ここを押すんです。
 
山田:  これで援助してやるわけですね。
 
萩生田:  そうですね。そうしないと、「鬼というものは」出ないんですよね。「鬼というものは」と違ってくるんですよ。みなさん、お客さまが、「昔取った杵柄だから、流石に声量がありますね」と言って頂くんですけど、私にしてみたら、声を出す作業というのはかなり苦しいことで、いろんな、そういう意味での努力をしないと声が出ないんですね。
 

      (「ベッカンコおに」の芝居の場面から)
 
フエフキとうげに、一ぴきのおにが、すんでいた。おには、むかしから、おかしげなかおしていると、きまってたもんだが、このおには、とくべつ、おかしげなかおのおにでナ、口のわるいフクロウのじいさまが、
─あいつは、ベッカンコおによ・・・っと、あだ名つけたのが、はじまりでナ、リスやコマドリのぼうやまでが、
─やーい、ベッカンコおにイ!・・・、はやしたてたもんだ。つのは、ヤギみたいに、ねじまがり、ちぢれツ毛のあたまには、ボコボコと、ジャリッぱげが、あったと。
なによりも、おかしいのは、このつらでナ、ゲジゲジまゆ毛が、八の字に、ひらいていて、おまけに、ドングリまなごときたもんだ。そのうえ、下がわが、すごいでっぱだもんだから、なんにもしなくても、ベッカンコのかおになってしまうんだと。
─オニだぞオ!─、さとにでて、おどかすことがあったが、にんげんたちでさえ、このおにをみると、おっかながるより、あそひがしてしまって、さいごには、アッカンベーのベッカンコ。
ぎゃくに、アッカンベ、かえされるありさまだったと。
 
山をとりしきっている、山のあるじの山母(やまがか)さまに、ちょくちょく、おこられたもんだ。
おにというものは、人の、してはならんこと、ゆるしてはならんことを、きつくしかるのが、やくめじゃ。おまえも、神さまのおつかいなんじゃから、もうすこし、しまりのあるかおをつくって、人におそろしがられなければ、だめではないか!
神さまは、けっして、むだなものを、つくらぬはずじゃ。だけど、いったい、おまえは、どういうやくにたつのやら・・・しょうがないおにじゃのお。ホッホッホッホホ・・・。わらっちまって、あとが、つづかなかった、そうだ。

 
山田:  民話と言えば、山形は東北の中で、昔からいろいろ民話を聞く機会も多かったんじゃないかと思いますけれども、子どもの頃はかなり聞かれましたか。
 
萩生田:  はい。私の生まれた町、山形県の上山市(かみのやまし)という蔵王の麓に小さな温泉街なんですけれども、そこにもほんとに民話の宝庫というぐらいに、何冊も本が出来てしまう程、大抵囲炉裏(いろり)があって、そこの周りを囲んで、お爺さん、お婆さんが語りをしてくれた。それを見たり聞いたりするのが、私たちの唯一の楽しみだったんですね。私の家には囲炉裏はなかったんですけど、炬燵を囲んで、私の祖母から聞いたりとか、近所の友だちの家に遊びに行って、その家のお爺さんから聞かせてもらったりとか、そういういわゆる聞かせてもらう民話はそれぞれお爺さんの思い入れとか、こっちのお婆さんの生き様だとかが、その中に加味されて、同じ話でも、全然違う話かと思うように、「あれ! どっかでこの話、あれーっ」と思っていると、同じ話だったりすんですね。でも、それぞれの語り手によって、内容が違うように聞こえたりする楽しみを味合わせて貰った、という凄く素敵な経験があるんです。
 
山田:  その中で、特に、「鬼」というものに拘っていらっしゃる、ということなんですけど、鬼というのは、何故心を引くわけですか。
 
萩生田:  鬼というのは、私たち、子どもの頃に、「人間を戒(いまし)めるために遣(つか)わされた神さまのお遣いだ」と。「使者だ」といういうふうに、よく年寄りたちから教えられてきたんですね。だから、夕方、「早く帰って来ないと、鬼にさらわれるぞ」とか、「連れていかれるぞ」とか、脅かされて、「そうなんだ」と思っていたんです。だから、「鬼というものは、恐いものなんだ。人間を戒めるための存在なのだ」と思っていたにも関わらず、民話に出て来る鬼というのが、ほんとに間抜けだったり、どうしようもない鬼であったり、悪辣(あくらつ)だったり、〈何で両極端に、鬼っているんだろう〉と思っておりまして、ある時に、高校生の時なんですけど、国語の辞書を引いていまして、たまたまフッと見たら、「魂」という文字があったんです。見たら、「鬼」と書いてあるんですね。左に、「云」と書いて、「うん」と読むわけですけど、これ「云う、伝える」という意味ですよね。その右隣に、「鬼」と書いてあって、「魂」。意味を見ると、「肉体に宿っているとされているもの」と書いてあったんです。つまり、〈この身体を借りて、魂というものは宿っている。つまり、私自身なんだ〉ということに気付かされたんですね、鬼は。
 
山田:  そうすると、そんないろんな姿である鬼、それも総て、つまり自分と同じなんだ、というふうに感じ取ったということなんですね。
 
萩生田:  そうですね。だから、〈私自身を語ることなんだなあ〉と思えたんですね。それは大分後のことですけれども。
 
山田:  小さい頃、人前にあまり出たがらない少女だったそうですね。
 
萩生田:  はい。                  
 
山田:  そういう少女が、何故女優さんになりたい、というふうに思ったんでしょうか。
 
萩生田:  今からは、「ちょっと信じられない」とみんなに言われるんですけど、確かに子どもの頃、きっかな子ではあったんですけど、人の前で何かをすることが嫌だった。それは何故かと言うと、私の両親が、学校の先生だったんですね。それで、「先生の子は出来て当たり前」って、周りが思ったんですね。ところが、私は不出来な子で、誰も誉めてくれないんですよ。じゃ、誉められるためには、どうしたらいいだろうか。頑張っていい結果を出したとしても、「いや、先生の子どもだもの、当たり前だべえ」と片付くんですよ。出来て当たり前で、出来なかったら、大変なんですよ。「なに、先生の子どもでも出来ないこと、あるんのか。可笑しなこともあるもんだなあ。ハアッハアッハアッ」楽しそうに笑うんですよ、大人たちが。〈何でだろうか〉といつも思っていて、〈出来て当たり前、出来なければ可笑しい〉というのは、凄く理不尽な話で、私の心の中で、いつも、〈違う、違う、私は人間の子だ。先生の子じゃない。人間の子だ〉と思って、一所懸命自分を支えていたんですけれども、なかなか支えきれないところがあって、どうやったら学校に行かなくて済むだろうとか。国語の時間の本読みというのは、地獄の責め苦なんです。声が出なくなってしまうんです。首締められたように、「グッグッグッ」と、ほんとに。「ぎゅーっ」という声しか出ないんですね。独りで、「歌を歌え」と言うと、歌えないんですよ。みんなと一緒だと歌えるんですけど、合唱とかだと。ソロになると歌えない。そういう子どもだったので、学芸会なんてとんでもないことだったんです。小学校の三年生の時に、学芸会に出されまして、そして、何をやったか覚えていないんですけど、いわゆる、「袖(そで)」という舞台の横の方に引っ込んで来た途端に気絶をしてしまったんですよ。保健室のベッドの上で気が付きまして、〈えー、なんで、私ってこんな子になっちゃったんだろう〉。凄いショックだったんですね。で、もう一人自分が居てくれたら、私はこっちで見て居て、そっち側でやってくれるもう一人の自分に、自分のやりたいこと、歌とか、踊りとか、お芝居、朗読とか、そういうものを全部やらせてあげられる、って。そうしたら、私は、安心して私のやりたいことをさせてあげるところで、私は安心して見ていられる。だって、失敗したって、その子が失敗したんで、私じゃないんだから、って。
 
山田:  そう思っていたわけですか。
 
萩生田:  思ったんですね。
 
山田:  逃げて、何かそういうものが欲しい、という感じだったんですか。
 
萩生田:  そうですね。だから、変身願望ですよね。私でなかったら、という人間どなたも持っていらっしゃるようですけれども、変身願望の最たる状態になっていた、と思うんですね。三年生の秋に、秋田にあります歌舞劇団で、わらび座という劇団の舞台を見せて頂いて、生まれて初めて見る生(なま)の舞台に、兎に角、ステージの上は、もう噎(む)せ返るような勢いとエネルギーが溢れているわけです。それにも圧倒されたんですけども、百人位役者さんがいると思ったんですけど、なんと二十人位だったんですね。ということは、初めてそこで、メイキャップ─舞台化粧ですね─白粉塗って、そして、メイキャップを変えて、被り物や、それから衣装を変えて、違う人間になっていたんだ、という。だから、一人で何人者の役をやっていたということを。
 
山田:  「あ、これだ」という感じですか。
 
萩生田:  してあげるという。あ、そうか、と。私も、〈あの真っ白な白粉塗ってしまって、私も顔を分からなくしてしまったら、誰も私だって分からなくなるんだ〉と思ったんですよ。そうしたら、誰も、〈先生の子だなんて言わない〉って。馬鹿ですね。非常に単純にそんなふうに思っていたんですよ。それで、〈よし、私も女優になろう〉と。ほんとに単純に、大きな決心をしたのが、小学校の三年生の秋のことだったんです。
 

ナレーター: 高校は、演劇部の活動が盛んだった山形市立商業高校を選びました。周囲の反対を押し切って、卒業と同時に上京。三十倍を超える難関を突破して、文学座付属演劇研究所の第七期生となりました。文学座の研究生となってからは、憧れだった杉村春子さんの付き人をしながら、芝居を学びました。二十四歳で、研究生から劇団員に昇格しました。杉村さんや、太地喜和子(たいちきわこ)さんと同じ舞台に立つことになりました。
 

 
山田:  芝居をやりたい。女優になりたい、ということで、文学座の養成所に入りますね。目出度く合格されたわけでしょう。その後は、抱いてきた夢を実現するために、何も迷い無く突き進む、という感じでした?
 
萩生田:  そうですね。ただ、走るだけ走ってきた。女優になるために、文学座の劇団員になるために、とただひたすら走り続けて、そして、劇団員になった途端に、何かがポーンと音を立てて、抜けていった感じがしたんですよ。虚脱感とか、それから、何とも言えない喪失感、自信のなさ。〈何なんだろう、これ何なんだろう〉と、ずうっと思っていたんですけど、分からなくて、〈何なんだろう?〉。いろんな台本を読んでみても、「この役出来ないなあ」「あ、これは難しいな」「あ、これも駄目だわ」と、言って、総ての役に対して自信がないんですね。脚本を渡されて、その芝居のお稽古に入っても、何か自分で、〈違う、違う、違う〉と思い始めていたんですね。
 
山田:  だって、それだけ女優になりたい、なりたいと、なったら自分の思うことが実現出来そうだ、と思っていたわけでしょう。ところが、そういう思いがするわけですか。
 
萩生田:  はい。杉村春子さんに憧れて、〈あそこに行こう。杉村春子の側に行きたい〉と思って、あそこに行ったわけですから、そこへ行ったら、〈劇団員になれば、女優になれるんだ〉と思ったわけですよ。だから、私の中では、劇団員になった。つまり、女優になった、と思っただけで、じゃ、その先は、というと、何にも見えなくなってしまったんですよね。虚脱感。それから、ある種、達成してしまったわけですから、達成感の喜びも束の間、虚脱感にすぐ変わっていってしまって。
 
山田:  女優にはなったけど、
 
萩生田:  〈こういう女優になりたい〉というふうなのが、全然なかったんですね、きっと。〈こんなふうな女優になりたい〉〈こんなふうな芝居をしてみたい〉〈こんなふうな役をやりたい〉というふうなのがなかったんですよ。〈このままじゃ、私、駄目になる〉と。劇団員になったのに、「この役やれない」「あの役も難しい」と言って、居られないわけだから、〈劇団員になったんだ。何とかしなくては〉という焦りとか、いろんなものが、兎に角、私の存在をアピールする。こうやれば私を認めて貰えるのかなあ。何か認めて欲しくて、外側の見た目だけを、まず印象付けていたり、これ見よがしのことを随分してきたように思うんですね。
 
山田:  それは役の上ですか。
 
萩生田:  いえ。日常も含めて。
 
山田:  日常も含めて。
 
萩生田:  マキシのコート。まだ雑誌では見たかなあというファッションとしてあった時代に、もう私は早速マキシのコート。ギリギリの長さの、それにブーツ履いて、そして、何かホットパンツというと、短パンみたいな短いテニモのパンツを履いて、帽子を被ってね。上下も付け睫毛、これが私よ、という感じで、見せていた気がするんですね。
 
山田:  それは当然演技の上にも、そういうことが現れるわけですか。
 
萩生田:  そうですね。余計なことばっかりして、「それは要らない」「そんな動きはしなくていい」。ずうっといつもこう言われながら。
 
山田:  そういうことがあった中で、杉村春子さんや太地喜和子さんとの接触もずうっと送っていくわけでしょうか。
 
萩生田:  そうですね。杉村春子という存在は、もう何も言わなくても、黙っていても、もう一つ一つが影響を与えてくれました。私に直接何も言わないですけれども、その中で幾つか忘れられない言葉があるんです。「舞台は線ですよ」とおっしゃったんですよ。〈線?舞台は線?〉。片づけながら、〈線? 何だろう? 何だろう?〉と思って、そのお客様が帰られてから、「先生、先程、舞台は線ですよ≠ニおっしゃっていたんですけど、大変失礼なんですけど、どういう意味ですか」と聞いたんですけど、そうしたら、「要するに、要らないものを取り払って、残った、その線、つまり、余計なものを取り払う。余計なことはしない」。足痺れた顔をしてみたりとか、それこそお尻掻いたり、生活の中で確かにあるんですけど、坐っていれば、脚が痺れてきたりする時もあるでしょう。でも、今のこのシーンでは、それが必要かどうか、というのを考えないですよ。自分の与えられた役ばっかりに、いっぱいになってしまいまして。そうすると、ドンドン余計なことをやってる。つまり、着込むだけ着込んでいるんですよ。または、自分の中にある乏しい浅い知識とか、知恵とかを駆使しまして、ほんとに余計なことばっかりやっていたんだなあ、と思うんですね。そうしたら、太地喜和子が、「ロミオとジュリエット」という芝居で、私が、乳母で、彼女がジュリエットの役として、私もデビューの作品だったんですけど、一緒の舞台をやらせて貰ったんです。そして、彼女が、ある時に、私に、「うん、芝居というのはさ、着込むことじゃないんだよね」って。「うん」って。「どれだけ脱げるかということなのよ」って。「えっ」って。最初、意味が分からなかったんですよ。精神的な裸になる、ということを、彼女は言ったんですけど。精神的な裸ってどういうことなのか分からなかったんですね。「うーん」とは言ったものの、暫く〈どういうことなんだろう。どういうことなんだろう〉〈着込むことじゃない。私は着込んでいたか。着込んでいたわ〉〈確かにいろいろ着込んでいた。何故ならば〉そこが一番大きなポイントだったんですけど、何故着込んだか。それは〈自信がなかった〉からですね。先程言った、自分の中の蓄えが無くなって、どういうふうにしたら、私を維持出来るのか。私をどうやったら表現出来るのか、ということを思った時に、どんどん着飾って、着せて、そして、見て貰うしか、自分の中に無かったんだろうなあ、と思うんですね。つまり、〈人間としての心が豊かであれば、どんどん人間として、大きく成長していっていれば、逆に脱げるんですよ〉。自分では、脱いで脱いで、〈これでもかな、これでもまだかなあ、これでいいのかなあ〉と。〈これで全部脱いだんじゃなかろうか〉と、私は思っていたんですけれども、〈何か脱げ忘れていないかなあ。何かどこかに置き忘れていないかなあ〉というのが、凄くあったことは、あったんですね。それが怪我をして、こういう世界に入って、初めて分かったんですよね。
 

ナレーター: 舞台だけでなく、テレビドラマや映画にも出演するようになった萩生田さん。私生活では、結婚をし、二人の娘にも恵まれました。人生を一変される事故に見舞われたのは、三十四歳の時でした。育児のために、一時中断していた女優業に復帰しようという矢先のことでした。高速道路を運転中に、心臓発作を起こし、車が中央分離帯に激突したのです。
 

 
萩生田:  「貴女ね、一生歩けない」って。「そんな馬鹿な。私さっきまで歩いていたんだもの。乗っていたんだもの。そら! 動くよ!」、と手を動かそうと思ったんですけど、何にも動かないんですね。脚も動かなければ、腕は何となく動いたんですけど、指はかすかに左手の人差し指と中指がピクピクと動く程度で、後、握り拳状態で、まったく動かなかった。つまり、「起きられたとしても、全介助だ」というんですよ。「起こして貰って、着替えさせて貰って、顔を洗って貰って、ご飯を食べさせて貰って、車椅子に乗っても、押して貰って、全介助」というふうに言われたんですよね。「そんなことはない」と。「だって、私は舞台に戻らなければいけないのだから、そんなことやっている場合じゃないよ」。どっかで、高(たか)を括(くく)っていたんですよ。だから、まったく信じられないとか、そういうのではなくて、まったく違う次元の話のように、〈私にまさか起きるわけがないことを、この人たちは何を言っているんだろう〉というぐらいの、〈ほんとに夢の中にいるのかも知れない〉と思うぐらいだったんですよ。
 
山田:  ということは、やがてリハビリやって、何かすれば治っていく、というふうに思っていた、ということですか。
 
萩生田:  はい。リハビリを。ちょっと首の骨だから長くかかるかもしれないけれども。普通の骨折でも、二、三ヶ月位かかる。半年位、しょうがないかなあ、と、大変簡単に考えていたんですね。〈大丈夫、大丈夫〉という感じで。
 
山田:  それは、そういう状態を受け入れたくなかった、ということでしょうか。
 
萩生田:  ええ。受け入れられない、と。どういったらいいんでしょうか。要するに、まったく違うところの話。宇宙の誰かの、何かの話で、私が、ただ他人事(ひとごと)のように眺めている、という感じだったんですね。
 
山田:  だけど、現実はそうじゃなかったわけですね。それを思い知るというのは、いつのことですか。
 
萩生田:  いえーとですね、三つ目のリハビリテーション専門の病院に入った時に、最初、主治医の先生が、「あなた、もう一生歩けないよ」とまた言われたんですよ。前の大学病院の先生は、「一ヶ月を一日と考えましょう。大丈夫です」とおっしゃったんですよ。だから、私はまだ治る、と信じていたんですね。それで、その三つ目の病院へ行って、「ああ、一生歩けないよ」と言われても、それこそ信じられない、というよりも、「先生、でも歩けたらどうします」と言ったり、「歩けたら、めっけもんだ」「じゃ、先生、めっけもんやりましょう」なんて、そんな冗談を言っていたぐらいだったんですね。看護婦さんが、ビックリして、「威勢のいい患者が入ってきたから、見て来い≠ニ言われたから、見に来た」と言われた。まだ分からなかったんですよ。で、他の患者さんがいろいろ来られるんですね。「あなたですか。元気のいい患者って」。「はい」なんて言って、そこは役者根性で、元気のいい患者をずうっと演じ続けていたわけですよね。
 
山田:  ほお!
 
萩生田:  ギャラも貰わないで。ほんとにだんだん周りの病室の中の、他の仲間や訓練室に入って行ったところで知り合ったいろんな方たちと、話しているうちに、
「私、もう十五年になるのよ」
「え、十五年。もともとは何で?」
「事故で、頚損なったの。首の骨折っちゃってね」
「あ、そうですか。十五年」
「私なんか、二十年よ」
「え、なんです。原因は?」
「首の骨折っちゃって。屋根から落ちちゃって」
「ああ、そうですか。十五年、二十年」
「それで、この先は?」
「このままよ」
「このままって。ずうっと車椅子になっちゃうんですか」と言ったら、
「そうよ」
〈何で、どうしてこの人たち、歩けないの。何でこの人たち、動かないの。何で動けないの。どうして?〉と思うしかないんですね。それで、だんだん、もしかして、これ現実かなあ。今まで悪夢を見ていたんだ、と思ったんですよ。悪い夢を見ていて、それで夢がいつか覚める、と思ったんですけど、いや、これ夢ではない。夢ではない。現実だ、ということが分かってきまして、〈もう舞台に立てないのか。いや、そんなことはない。いつか立つ。いつか舞台に立つ。立ち上がる〉そう信じるしかなかったんです。無理矢理、自分を信じ込ませて、〈立つんだ、立つんだ。お前、頑張れ、立つんだぞ。いつかちゃんと舞台に立つんだから頑張らなければならないよ〉〈よし分かっている。分かっている〉と、もう一人の自分と、いつも演技やっていましたね。
 
山田:  これが現実かなあ、と認めざるを得ないかな、と思うけど、一方で、それが嫌で、頑張るんだ、頑張るんだ、という、そういう自分も居て。
 
萩生田:  はい。だって、一番最初に、リハビリ室に連れて行って頂いた時に、看護婦さんに、「わあ、凄い数の」いわゆる身体に障害を負った人たちが訓練しているわけですよ。何十人も、もう群という感じでね。ええ、涙がボロボロとこぼれてきまして、子どもたちと別れる時に、泣かないと約束をしたんですけど。
 
山田:  お子さんは妹さんのところに預けていらっしゃった、その時に。
 
萩生田:  そうなんです。五歳と四歳の娘を、最初の病院のところから手放す形になったんです。泣いていられないぞ、と思ったんですが、その病院のリハビリ室の前に行った時に、初めてボロボロと、涙が溢れて、何で私は泣いているのか分からなかったんです、最初。私も、この線を越えたら、向こう側の人間なんだ、ということを、否が応なく認めさせられた第一歩だったなあ、と思うんですね。
 
山田:  そういう中で、作家の水上勉さんが、お見舞いにいらっしゃって、お会いしますね。
 
萩生田:  はい。
 
山田:  その時、泣いてしまった、と書いていますね。それはどういう思いだったんでしょうか。
 
萩生田:  私は、自分で自分の現実が分かってきて、そして、舞台に立てないかも知れない、ということを、誰にも言わなかったんです。言いたくなかったんです。夫にすらも言わないできましたし、父や母にも、兄妹にも。夫の母にも。来てくれたどなたに対しても、「私、頑張るからね。いつか、私、舞台に立つからね」と。私がここで何か言ったら絶対に終わりになる、と思っていたんで、「駄目かも知れない」という言葉は、誰にも言うまい。口が裂けても言うまい、と思っていたんですね。今ならすいーと行ける廊下。長い長い廊下を、先生が待っていらっしゃる。エレベータホールの前まで行こうと頑張って、そして、廊下の角を曲がるまで、ニコニコしていたんです。きゅうっと曲がって、「先生!」と言おうと思ったのに、先生のほんとに何とも言えない優しい目が、私の中へ飛び込んできた時に、「せんせいー!」と声をあげて泣いてしまったんですね。「先生!私も女優出来なくなっちゃいました!」。泣いちゃったんです、手放しで。ほんとに、「おいおい」声をあげて泣いてしまったんですよね。
 
山田:  そこで、初めてそういうふうにきまったわけですか。
 
萩生田:  そうなんです。ほんとはこの言葉を誰かに一度言いたかったんだろう。ほんとはこの言葉を吐き出したかった、一回は、と。それを家族にも言わない。私は誰にも言わない。これを言ったら、私の人生は終わりになる、と。どっかで一生懸命言い聞かせていたものが、先生にお会いした途端に、箍(たが)が全部外れて、桶がバラバラと開いていく、あの状態になったような感じで、全部言ってしまったんですね。自分で言って、私は何を言っているんだろう、と一瞬思いましたけど、もう止められなかったんですよ。そうしたら、先生が、私の動かないこの手をぎゅうっと握りしめて下さって、「お前さん、なに言うておるのや。飛んだり、跳ねたりだけが、女優じゃないだろう。失ったものは考えるな。残されたものを活かせ。お前さんには、声が残っているやないか。その声を活かして生きろ。語りをやればいいやないか!」。その時、私が、「語り?}。呼吸することすら、精一杯の私に、「先生、語りだなんて」。ほんとにその時は、嬉しさ通り越して、どうしようと思ったんですね。どうしたらいいんだろう、と。何をすればいいんだろう。「先生、私に出来るでしょうか」。思いっきり馬鹿なことを質問してしまったんですね。「私に出来るでしょうか」。すると、先生が、「そんなもの、やってみな、わからんやないか。やってからやって!」。ああ、そうだったなあ、と。やりもしないで、私は、何を言おうとしたんだろう。何を聞いてしまったんだろう。それを言われた時に、初めて、そうか。この私が聞く言葉ではなかった。やってからか。そうだった。
 

 
ナレーター: 水上さんの「人形芝居」で、語り手を務めることが決まった萩生田さんは、声を出す訓練を始めました。肺の機能が十分でない萩生田さんが、一時間五十分を独りで語り切ることは容易なことではありません。頚髄を損傷して、体温調節が上手く出来ないため、気温が上がると、体温が四十二度にまで上がってしまいます。一週間、九ステージの舞台を自分の身体でどこまで出来るか。総てが手探りの状態でした。
 
(越前竹人形・種安の場より)
 
萩生田:   降り積もる、雪のしぶきで山は鳴き・・・(略)
 

 
萩生田:  上手く出来るの、出来ないの、というよりも、声が出せるか出せないか、という勝負だったんですね。もう賭でしたね、私の。ですから、そんなに訓練ということでいうと、声が出せるか、出せないかしかなかったんです。こう吸う量が少ないのに、台詞を言うと、「わあー」っと吐く量の方が多くなってくるわけですよね。そうすると、二酸化炭素が頭の中に無くなってきて、キーンと気絶しそうな状態になる。何度も何度もなりながら。
 
山田:  何で、そこまでして、語りをやり通そうというふうに思ったんですか。
 
萩生田:  最初は、勿論、子どものためにも頑張らなくちゃ、というのが、あったり、夫や、両親や兄妹のためにもとか、それから水上先生のためにもとか、いろんな「ため」を持っていたんですね。そして、此処で失敗したら、私自身も女優として、もう再起は出来ないだろう、という、もの凄い自分の中に課した部分があって、ある種のプレッシャではあったんですけれども、そのためにも頑張らなければいけない。倒れちゃいけない。で、千秋楽の幕が下りて、初めて拍手が聞こえてきて、ああ、終わったんだなあ、と思ったんですけど、私は、これは何のためにやっていたんだろう? 誰のために? 子どものためとか、いろいろ最初は思った。でも、頭の中でも誰のことも考えていなくて、ただ、やらなければ、ただ、やらなければ。倒れずに、兎に角、最後までやらなければ。言った約束は守らなければ、と。じゃ、何で約束を守らなければいけなかったんだろう? 誰に約束したんだ? 何のために、これを私はやったんだ? と考えていて、大事なことを忘れていたんですよ。それは、〈私が私であることを、私自身に証明するために、それをしなければならなかったんだなあ。私自身のためだったんだ〉ということに気付かされて、〈誰かのためなんて、烏滸がましい言葉なんだ〉と思ったんですよ。
 
山田:  そういう思いでやった、やり遂げた時、どういう感じだったんですか。
 
萩生田:  拍手が聞こえてきた後に、何を思ったか? というのは、一番最初に思ったこと は、実は、〈ああ、生きていて良かった。あの時に、死なないで良かった〉って。〈息をしているだけで精一杯の状態だったけれども、今、私にもやれることがあった。それだけで、私にとっては、ほんとに素晴らしい瞬間を味合わせて頂けたなあ〉と思ったんですよ。その日は、私にとっての、ほんとの意味で、〈ここからが車椅子からの出発かも知れない〉って。〈それまでは、前哨戦で、ここからが本番かも知れない〉と思えたんですね。
 

 
ナレーター: 舞台を終えた後、萩生田さんは、無理が祟って、腎臓を壊しました。その後、活躍の場はなかなか与えられませんでした。食べていくために、職探しもしました。しかし、仕事はありません。萩生田さんは、飛び込みで老人ホームや学校を回り、語りを聞かせることを始めました。舞台に坐ったままで、たった独りで演ずることが出来る芝居。それが民話や童話の語りでした。
 

     (「ベッカンコおに」の場面)
 
でっかいおにと、それにくらべたら、ウリコヒメコみたい、ちっこいユキはふうふになった─。ふたりは、しあわせだった。山母(やまがか)さまから、山の木のばんにんにしてもらったおには、あさくらいうちから、はりきって、でかけていった。ユキは、おにのこうぶつのイワナのしおやきやウリのしおもみをつくっては、おにのかえりをまっていた。おには、いつも、きれいな花をもってきてくれた。花ばかりではない。みやげばなし、山のなかのできごと、いっぱい、あった。
 
ゆうがた、おにが、かえってくると、ユキが、おかにすわって、つくねんと、とおくの空をみてる日がおおくなった。
「さと・・・でも、こいしくなったー?」
 
「ユキ、おまえ、目が、あきてえか、ユキ」
「ん、おら、おまえさまの、ベッカンコづらも、みたことねえから、さびしくって・・・。だって、みんなが、おまえさまのこと、ベッカンコづらだって、わやわや、うわさしているべ。だけど、おら、おまえさまの、そんなかおも、みたこともねえから、みんなのうわさのなかまにも、なれねえんだヨ。のけものに、されているみたえで、さびしくって、おら」
 
「山母さまア、山母さまア! おら、ユキの目をあけて、あげてやりてえんだ・・なあ」そうだんをもちかけると、山母さまは、キリッと、こわい顔をした。
「それは、やめたが、いい」
「おら、どうでも、ユキの目、あけて、あげてえんだヨ。たのむからヨ、おしえてくだされ、山母さまア・・よ」
「おまえ、じぶんのいのちと、ユキの目と、どっちが、たいせつなんだえ?」
「ユキの目だ!」
「そこまで、いうか・・。そんなら、おしえてやろう」
「谷間に、リュウガンぐさという、たった一ぽんだけある。このくさの根っコのしるを、目にぬれば、みえぬ目は、なおる・・・。しかし、しかしじゃ、そのくさには、のろいが、かかっていてナ、それをみつけたばっかりに、いのちをなくすやつも、おるということじゃ。それでも、よいか、おに?」
「かまわねえでがすヨ、山母さまヨ!」
「オホホ・・・おまえのベッカンコづらも、すこしは、おにらしくなったね。しっかり、おやり。いのちがけのしごとは、おにらしいしごとだよ」
 
おには、くさむらのなかを、はいまわって、なにかさがして、おった。えーエ、くさむらのなかから、でたり、はいったりするので、なかなか、てっぽのねらいが、さだまらない。─ちくちょう。いったい、ないしてやがんでえ! おとウは、じりじりしてきた。そのうちに、さがしもんが、みつかったのか、おには、「うおーッ!」と、すごいうなりごえを、はりあげると、ズンドコ、ズンドコ、はしりだした!
そのはやさときたら、イタチより、はやい。みうしなったら、いちだいじ!と、ひっしになって、おとウもあとをおいかけた。
 
─ずどオーん!
 
おにのかえりを、いまか、いまかと、まっていたユキは、じぶんが、うたれたみたいに、あたまが、グラッとして、こやのそとへ、ころがりでた。ねぐらを、とびたった、カラスのむれが、
─ギャオ、ギャオ!─と、けたたましく、なきながら、ユキのあたまのうえを、とびまわった。さわがしいトリのなきごえのむこうから、くるしそうなおにのこえが、かすかに、きこえた─。
「ユキ・・・おら・・・、もどったぞ・・・」
「おまえさまッ!おまえさまッ!ぶじかア!おまえさまッ!だいじょうぶかア!」
毛むくじゃらなうでが、ユキを、しっかりとだきとめた。おには、おちついたこえで、
「ユキ、うごくな・・・いま・・いま・・目を、あけてやっからの・・・」そういうと、リュウガンぐさの根っコのしるを、たらっ・・たらっと、ユキの目に、たらしこんだ。
ユキはぼあッと、まわりが、あかるくなりはじめ・・・もうじき、くらやみのそとにでられると、かんじた。
 
「おまえさまッ!おまえさまッ、おまえさまッ! あっ、おまえさまッ!なんで、おまえさまッ!・・・」
いくらさけんでも、どなっても、おには、もう、目をあけなかった。
ユキが、うまれてはじめて、みたのは、死んだおにのかおだ。じぶんの目をあけてくれた恩人の、血だらけの、死にがおだった。
 

 
山田:  語りというのは、舞台の上で独りでやりますね。
 
萩生田:  そうですね。
 
山田:  かつて舞台で女優としてやった時は、何人者の俳優さんと一緒にやったわけですね。そういう表現の違いがあるんですけど、ご自分一人で語っている自分は、舞台の上ではどういう感じですか。
 
萩生田:  例えば、限られた空間の中で、畳ちょうど二畳分位の「平台」という台の上に坐って、倒れないように後ろに座椅子を仕込んであるんですけど、そこで、語りをやらせて頂く。もしかしたら、たった座布団一枚位の空間の中で、私は心の中では、飛んだり、跳ねたり、それこそ空飛んだりして、いろいろしているわけですよ、気持の上で。今度はどういうふうに飛ぼうかなあとか、今度はどういうふうに歩こうかなあという。心の中の私のいわゆる想像、空想。ある意味では、嘘かも知れない。どれだけ嘘上手く付いて見せようかなあ、という楽しみがあるわけですよ。ある時に、私は凄く嬉しかった言葉として、小さなホールでやった時に、私の友だちが、前に坐って、後ろに親子連れがいらっしゃったんです、って。幼稚園位の子供さんで。私が芝居を終わった後に、車椅子に乗って、カーテンコールで、「どうもありがとうございました」という感じで、出て来たら、「何で、あのおばちゃん、車椅子に乗っているの」と聞く。「うーん、歩けないからよ」と言ったら、「違うよ。さっき歩いていたよ。歩いていたもん。なんで!」って言ったんですよ。それを友だちが聞いて、楽屋に飛んで来まして、「ちょっと聞いて」と言われて、その話をされた時、私はすっかり嬉しくって、「やった!」と思いましたね。どこの坊やか分からなかったんですが、抱きしめて頬ずりしたいぐらい嬉しかったですよね。〈歩いていた〉と思って貰えた、という。これで良かったんだなあ、と。これが私の喜びであり、ある意味での醍醐味なんだなあ、と。動けない人間が、動いているように見えるって、凄いことですよね。見て頂ける、ということで。
 
山田:  そして、事故後の生活が、自分の演技とか、表現ということに、何か影響しているというふうに思いますか。
 
萩生田:  怪我したことがですか?
 
山田:  はい。
 
萩生田:  もの凄く大きく変わりましたね、内が。見たところは何も変わっていないんですけれど、私自身という人間は、何も変わっていないんですけれども、深くなっていった、という感じがするんですよ。例えば、私の今の身体は感覚がない。そうすると、赤ん坊一人抱えているような気持なんですね。ちょっと脚を動かして、ドーンとぶっつかった時に、「あ、ご免ね。痛かったね。あ、ご免! ご免!」と脚をなぜたりするわけですよね。ちょっと何かした時にぶっつけたりしたら、「ああ、可哀想に! 可哀想に!」と。「痛かった! 痛かった!」と。痛くないんですけど、多分痛いであろう。「ああ、お利口にね、頑張っているのに、ほんとにね」と言って、誉めてあげたり、いろいろするんですね。あ、そうなんだ。こうやって身体を大事にする。こんなふうなことは今まで私にはなかったなあ、と。こんなふうな思いを抱かなかった。自分を愛してこなかったかも知れない。誰かを、一生懸命愛そう、愛そう、と思ってきたけれども、自分自身というものを、愛することをしてこなかったかも知れない。自分を愛さなくって、誰を愛するか。自分を信じないで、誰を信ずるのか。自分を大切にしないで、では、誰を大切に出来るんだ。そこに思いが至って、初めて、そうだなあ、と思ってから、凄く自分内省して、こう見られるようになっていったんですね。外側から見せるのではなくて。そうしたら、鎧も兜も何もない自分に気付いて、素っ裸の自分がそこにいるんだ、と。お漏らししても、これも私だし、萩生田が失敗しても、これも私だから、これ以上の何者でもないけれども、これ以下の何者でもない。私は萩生田千津子という一人の存在であり、一個人なんだ、ということを見せていこうとしたらば、それが、私にとっての総てなんだなあ、と。総てを見せることなんだなあ、と思ってから、凄く芝居に対する気持が変わりました。どういうことだ、と言ったら、ほんとの意味のことが、やっと分かった気がします。例えば、「ベッカンコおに」は年間何十回もやっていながら、例えば、もう千回以上超えているんですけど、千回たって、〈あ、そうだったんだ。このことか〉と未だに気が付くことがあったりするわけですよ。気が付くということは、自分が変わっているんですよ。自分が変わらなかったら、そこに気づけないわけですから。そういうふうに、今、思えるのが凄く嬉しいですね。
 
山田:  「ベッカンコおに」は、思い入れの強い話だ、とおっしゃっているんですけど、どうして、この「ベッカンコおに」が、そんなに好きなんですか。
 
萩生田:  最初は、「あ、可哀想」「鬼が可愛そう」とか、いろいろ別な形で思っていたんですけど、だんだん読んでいくうちに、ちょっと待て、と。この鬼は、可愛そうじゃないかも知れない。一番最高の幸せの中で、幸せの極地で、彼は達成して、笑って死んで逝った。最高の笑顔をして、多分死んで逝った。人間が必死になって、命がけで、何かをやって、こういうふうに、達成して喜んで、死を受け入れられたら良いなあ、と思ったわけですね。鬼に向かって、山母(やまがか)さまが、「お前もやっと鬼らしい顔になったね」って、「しっかりおやり、命がけの仕事は、鬼らしい仕事だよ」という台詞(せりふ)があるんですね。これをいう度に自分に言い聞かせているところがあるんですよ。
 
山田:  ああ、そうですか。
 
萩生田:  私自身が鬼だ、ということが分かった。「魂」という文字に出合った時に、その時に、〈自分が鬼なんだ。自分自身の中に、鬼がいるんだ〉という。つまり、その鬼に向かって、山母(やまがか)さまが、「命がけの仕事を、鬼らしい仕事で、頑張らなくちゃ」と、こう思うんですね。だから、お客さまに向けて、その言葉を発していますけど、私自身に向けて言っている言葉、というか、私自身もその言葉を受け止めている大事な言葉でもあるわけですよ。
 
 
     これは平成十三年六月二十四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。