回生の道を歩む
 
                              社会学者 鶴 見  和 子
                              ききて  迫 田  朋 子
                                  (NHK解説委員)
 
鶴見:  この車椅子からまず立ち上がるということが、リハビリテーションの一番最初の第一歩なんですね。ところが出来ないのよ。ここから立ち上がるということが。で、こう机に手をついて、こうして立ち上がろうとするんだけど、どうしても立ち上がれない。それで困ったなあと思ってね。その時は、リハビリテーションの病院に居て、ずうっと空を見ていたら、ちょうど五月で、ツバメがたくさん飛んできたの。それを毎日ぼんやり見ていたら、ツバメが、こう頭をシューッと下に下げて、こういうふうに上がっていくのよ。「あ、あれだ」と思ったの。それで やってみたの。こうやって、机に手をついてやったら、ちょっと立った。ああ、嬉しい、と思ってね。それで歌を創ったんだけど、
 
     舞い上がる燕(ツバメ)の姿勢想(おも)いみる
       立ち上がり訓練我ままならず
 
いまでも立ち上がる時、こうして立つのよ。そうすると、凄く楽にピューッと立てる。そうしてシューッと背筋が伸びるのよ。こういうふうに立ち上がるのよ。
 
     舞い上がる燕の姿勢想いみる
       立ち上がり訓練我ままならず
 

 
ナレーター: 社会学者の鶴見和子さんは、五年前、七十七歳の時に、脳出血で倒れました。以来、左半身の自由が利きません。
「一生歩くことが出来ない」と宣告されましたが、あるリハビリテーション医との出会いと、本人の強い意志で、杖を使って再び歩くことができるようになりました。今も、毎日一時間の歩行練習を欠かすことはありません。鶴見さんが倒れた五年前は、学者として、独自の理論を完成させる、まさに佳境の時期にありました。日本を代表するオピニオン リーダー(opinion leader)の一人として、国際会議や講演へと飛び回る日々でもありました。倒れた後、三つのリハビリ病院を転々とし、今は身の周りの手助けを受けながら、京都の街を望む宇治の山間で暮らしています。
 

 
鶴見:  あら、藪椿だ。蕾が赤くなってきた。
 
     楡(にれ)若葉そよぐを見れば大いなる
       生命(いのち)のリズム我もさゆらぐ
 
私ね、ちょっと今、手が離せないの。この杖を離したらバッタンなの。あそこに一段と高い杉の梢があるでしょう。
     杉秀(ほ)ツ枝(え)山雀(やまがら)一羽止(と)まりおり
       天を仰ぎて身じろぎもせず
 
私、感動したのよ。あそこに、山雀がちょうど天辺に止まって、ジッとして、暫く動かなかったの。そして暫く経ったら、急にパーッと飛び上がった。飛んでいった。「あ、私は間違っていた」と思ったのは、全然休まないで仕事していたでしょう。それで倒れたのよ。だから、自然というものは、休むことによって、働いて休んで、休んでその間にエネルギーを蓄えて、シューッと飛び立つものだ、ということを初めて教えられた。働いたら暫く休む。そのリズムを自分で作らなければね。山雀はちゃんと知っているのよ。私、いろんなことを教えられるわね。
 

 
ナレーター: 倒れて以後の体験を、鶴見さんは短歌の形で記録してきました。生と死の境を彷(さま)徨(よ)った時の心境や、不思議な夢も歌に詠みました。
 

     半世紀死火山となりしを轟(とどろ)きて
       煙くゆらす歌の火の山
 
     一条(ひとすじ)の糸をたどりて白髪(はくはつ)の老婆降(ろうばお)りゆく
       底ひより新しき人の命蜻蛉(とんぼ)の命登りゆく
         輪廻転生(りんねてんしょう)の曼陀羅図(まんだらず)
 
     さまざまな唸(うな)りを上げて病院は
        動物園のごとし夜の賑(にぎ)やかさ
 
     我もまた動物となりてたからかに
       唸りを発(はっ)すこれのみが自由
 
     手足萎(な)えし身の不自由を梃(てこ)にして
       精神(こころ)自在に飛翔(ひしょう)すらしき
 
 
ナレーター: 病気をした後も、鶴見さんの旺盛なエネルギーは衰えませんでした。京都に移ってきてから、これまでの仕事を纏めた全集『鶴見和子曼陀羅』全九巻を完成させました。
 

 
迫田:  鶴見さんは倒れられた後、「回生(かいせい)」という言葉を使っていらっしゃいますね。これは?
 
鶴見:  どういう意味? それはこういうことなの。倒れてから、最初は救急病院ですけど、お医者さんから言われたことは、「回復しません」ということなの。元のように戻れません。つまり、この半分はもう麻痺して、死ぬまで麻痺が治らないんだから、回復じゃないの。回復することはないの。
 
迫田:  元のようにはならない。
 
鶴見:  元のようには、後戻りできない。後戻り出来ないならば、前に進むしかないの。だから、全く新しい人生、新しい目標を立てて、新しい人生を自分で切り開いていく以外に道がない。それが回生なの。つまり回復じゃないの。アメリカ人のプリンストン大学の教授の方に『回生』という歌集をお送りしたら、これは、「英語の題は、REVERSEとしたらいいでしょう」と言ったけど、確かに新しく生まれ変わることなのよ。
 
迫田:  再び生まれる。
 
鶴見:  そう。再び生まれる。新しく生まれ変わる。新しい人生を切り開く、ということ。だから、回生は回復ではない。前へ向かって、新しい生命を切り開く。そういう意味で、「回生」と。第二歌集ですけど、倒れてからの歌の本を、『回生』というふうに名付けたんです。
 
迫田:  それまでの鶴見さんはどういうふうに、今から見えるんでしょうか。
 
鶴見:  馬鹿なことをたくさんしてきた、というふうに見えます。つまり今までしてきたことを、ここでもう一度新しく振り返ってみること。そういう季節を与えられたということなんです、今。それですから、著作集『鶴見和子曼陀羅』というふうに名付けて、全九巻を藤原書店から出して頂いて、それは全部倒れてから作ったものです。いままで書いたものを、ああいうふうに纏めて、後書きを付けて出したんですね。だけど、あれを纏める時間がなかったら、私はバラバラ人間です。何をしたか分からない。ああいうふうな形で、今、もう一度死んでから、死者の目を持って、生きていた時にした仕事をみると、こういうふうになる、ということを、自分で纏めることが出来たということを、ほんとに感謝しています。私は倒れたことを、今、とっても感謝しているんです。あのまんまで突き進んでも、何か枠の中に閉じ込められて、それで終わっちゃったと思うの。だけど、何か凄く自由になったの。魂が自由になった。身体が不自由になったことで、魂が自由になったの。そういう感じなの、回生というのは。そして、新しい宇宙に生きている、という感じがするの。
 
迫田:  今、「死者の目でみる」とおっしゃいましたね。それは、今の鶴見さんの目ということですか。
 
鶴見:  そう、そういうこと。つまり、生きている方は、私とは違う宇宙に住んでいるのよ。私はもう死んだ人に近いのよ。死んだ人にとっても親しみを感じるの。だから、死者の目とところが半分生きているの。こっちは完全に生きているの。こっち側右手半分は生きているの。それだから、
 
     身のうちに死者と生者が共に棲(す)み
       ささやき交(かわ)す魂ひそめきく
 
という歌も創ったんだけどね。死者と生者が、私の中で対話をしている、という感じなの。
 
迫田:  その死者の目というのは?
 
鶴見:  どういうことか? どういうことか、というと、生者というのは、いろんな欲望があるのよ。例えば、マックス・ヴェーバー (Max Weber, 1864-1920:社会学・経済学を筆頭とする社会科学・歴史学のあらゆる分野と,とりわけ戦後日本の社会思想に計り知れない影響を与えた。二十世紀最大の社会学者・思想家)は「権力欲」「金力欲」「名声欲」。基本的にはこの三つと言ったんだけど、その他にいろんな欲望があるでしょう。有名になりたいとか、お金を持ちたいとか、権力を得たいとか、そういう欲望が誰でもあるのよ。多かれ少なかれ。そういうものが無くなっちゃう。つまり何か書きますね。論文を書いていると、論争の相手がズーッと浮かんでくるのよ。私がこういうことを言ったら、あの人はこういうふうに攻撃するだろう。こっちの人はこういうふうにいうだろう。そして、そういう人の攻撃を考えながら、闘いながら書いているのよ。ところが、今は何と言われようと、もう構わない。死んだんだから。だから、そういう感じなの。名声とか、何とかそういうことと関係ない。それだから、ほんとに自由に、自分の言いたい放題言える。やりたい放題やれる。それは、身体が不自由になったことによって、魂が解放された。そういう気分なのよ。倒れることによって、私は魂の高揚(こうよう)を得た。「高揚」って、高くあがっていくということね。いつでも非常に高揚感があるの。それだから、不思議ね。この病気になると、「落ち込む」と普通言われるの。それから鬱(うつ)病になる。それで、私のここの診療所の主治医の先生に、「私、どういうんでしょうね。私、躁病(そうびょう)でしょうか」と言ったら、「うん。軽躁病(けいそうびょう)だね。軽い躁病だね」と言われたんだけどね。ほんとに高揚してきたのね。
 
迫田:  今、いろんなことを歌でおっしゃいますよね。
 
鶴見:  ええ。
 
迫田:  これもやっぱり変わったことですね。
 
鶴見:  そうですね。これはこういうことなの。倒れたのが、一九九五年十二月二十四日、クリスマスイブの午後四時、家の中でパタッと倒れた。そしてもう立ち上がることが出来なくなった。それですぐに救急病院に入って。そして、点滴してね。だから、七日七夜、ずうっと点滴。「動いちゃいけない」と言われた。その時に、もうベッドの上で、ドンドンドンドン夢を見るのよ。あれはほんとに「臨死体験」と言うんだ、と思うんだけど。いろんな夢を見てね。ところが、その夢を見ると、その夢が歌になって出てくるのよ。点滴で右手を取られているからそれを書けないのよ。だから、覚えていて、翌朝、妹が来た時に、大きな声で、その歌を歌うというのかなあ、叫んだの。それを妹がガリガリガリガリ書いたのよ。そうやって、『回生』という歌集の最初にある歌は、そうやって出来たの。それがとっても私は不思議な体験だったのよ。それがどうしてか、というと、私は十五歳の時に、佐佐木信綱(のぶつな)先生の「竹柏園(ちくはくえん)」に入門して、二十一歳の時に、第一歌集『虹』という歌集を、自費出版で出させて頂いた。それからすぐにアメリカに留学して、最初は哲学。そして、敗戦後は社会学に入ったの。それは非常に愚かなことなんだけど、自分が哲学とか、社会学とか、学問の道で生きていこうと考えた時に、「歌なんて」と考えたの。歌なんて詠っている暇はないわ。もう歌よりは、学問一筋でやって、それでもう一生の時間は短いんだから、この間に出来るだけのことを、この道でやっていこう。それで、「やめた」というより、歌が枯れちゃって、歌の別れをしたのよ。それから全然歌を創らなくなったの。そうしたら、自分が倒れて、死ぬか生きるかと瀬戸際になった時、急に身体の底から、こう噴き上げてくるのよ、歌が。歌の形で出てくるのよ。それが『回生』の、例えば、一番最初の歌は、
 
     半世紀死火山となりしを轟(とどろ)きて
       煙くゆらす歌の火の山
 
そういうふうに、歌が一晩中迸(ほとばし)り出てきたの。夢を見ると、すぐそれが歌が出来た。そして、散文の形にならないで、五七五七七の形で出てきた。それをもうとっても不思議に思うのよ。もし私がその時、歌を詠わなかったら、どうなったかというと、言葉を失っていたと思うの。だから、歌を杖として、私は生死の境を乗り越えたんだと思うの。なぜそうなったかというのは、自分でもほんとによく分からないの。そのことを、今でも、いつでも考えているの。歌と生命(いのち)と、どういう繋がりがあるのか、ということを。
 
     五七五七七のリズムよみがえり
       新しきわが生命(いのち)開きぬ
 
それは最近そのことをもう一度考え直して創ったんだけどね。
 
迫田:  やっぱり歌を封印していた五十年ですか。
 
鶴見:  歌を詠えたいのに、抑えていたんだと思う。自分で歌なんか創っちゃいけないという。自分で抑圧していたんだなあ。
 
迫田:  一緒に感受性もこう抑えて、
 
鶴見:  そう、そういうこと。それとともに感受性に蓋をして、理屈だけの世界に生きようと思った。それは凄い愚かなことなの。
 
迫田:  西洋の近代化みたいなことですか。
 
鶴見:  そういうことよ。そういうこと。だってヨーロッパの人だってバシュラール(Bachelard, Gaston, 1884-1962)みたいに、『火の精神分析』のように、つまり科 学ね、自然科学の仮説、自然科学の理論も閃きの中に、詩の中ね、「詩学(ポエティカ)」よ。詩の閃きの中から生まれる。そういうことを全然考えなかった。
 
迫田:  科学も詩の閃きから生まれる?
 
鶴見:  そう。詩から生まれるのよ。ポアンカレ(Poincare, Jules Henri:1854?1912)だってそうでしょう。最初閃いて、それを今度は理屈づけていって、検証するのよ。証明するのよ。証明はやっぱり論理的にやらなくちゃいけないけど、閃きはポエティカ(詩学)の中から、詩の中から生まれるのよ。それを、そういう本は読んでも、自分でそれをほんとにやらなかったのよ。もう抑え込んじゃったのよ。だから、人間というものを全人的に把握しない。つまり自然から切り離した自分というもので、いくらやっても、これは良いところへ辿り着かないじゃないか。それが今の私の非常に大きな反省なの。
 

 
ナレーター: 鶴見さんが生まれたのは、一九一八年。政 治家で作家の父・鶴見祐輔(ゆうすけ)は、「小さな子供でも自分の意見をもつべきだ」という考えの持ち主でした。生活のあらゆる場面で、何を選ぶのかは子供自身が決める。そんな家庭で育ちました。十代で、鶴見さんは、短歌の世界に興味を持ち始めます。歌人佐佐木信綱さんの本、『和歌に志す婦人の為に』に魅かれ、父に頼んで、佐佐木さんの元への入門を果たしたのは十五歳の時でした。軍部支配が強まる時代に二十一歳でアメリカに留学して哲学を専攻しました。しかし、日米の開戦で、学問の志なかばにして帰国。敗戦後は、生活記録運動に参加して、都市や農村で、人々の言葉に耳を傾けました。普通の人の考えや生き方を、哲学に汲み上げていくことを学んでいた鶴見さんは、信ずるものを失った敗戦後の人々が、どうやって新しい価値観を創造していくのか。実際にその生活の場に飛び込んで見つめようとしたのです。四十四歳で再びアメリカに渡り、社会学の博士号を取得しました。現実の社会にある貧困や、戦争の後遺症を解決するためには、もっと実証的な学問が必要だと考えたからです。帰国後、学者として本格的に活動を始めます。日本の民族学者柳田国男(一八七五ー一九六二)や南方熊楠(みなかたくまくす)(生物学者・民族学者。一八六七ー一九四一)の仕事を研究する一方、鶴見さんは実際の現場を精力的に歩きました。中でも決定的な影響を与えたのは、水俣(みなまた)での体験です。七年に亘った「不知火(しらぬい)海(かい)総合学術調査」の中で、自然破壊によって、人間や社会が壊される現実と、それでも立ち上がろうとする人間の底力とを強く受け止めました。そうして、築き上げた理論が『内発的発展論』です。地域や伝統に根ざし、自然と共生しながら、社会の発展を志すものでした。経済成長を指標とするのではなく、人間の成長を究極の目標とする鶴見さん独自の理論です。
 

 
鶴見:  「内発的発展論」なんていうことを言い出したのは、それはもともと水俣調査から得た教訓なんですよ。アメリカで、「比較近代化論」をやってきて─欧米の社会の変動論、欧米の経験から得た、それを理論化した理論です─それだけでは、日本だとか、中国だとか、第三世界を考えた時に、全部が欧米のような社会になることが進歩であるという考え方で割り切れないのではないか、ということから考え始めたことです。一番強くそれを感じたのが水俣調査です。水俣で得た教訓は、「人間は自然の一部である。だから、人間が自然を破壊すれば、人間自身をも破壊する。人間の作った社会コミュニティですね共同体を破壊する。家族を破壊する」ということを学んだんです。ところが、「人間は自然の一部である。人間が自然を破壊すれば、人間自身を破壊する」。そんなことは普通じゃないか、と。そういう理屈は、私は頭で分かったの。しかし、それが本当に自分の実感として分かっていたか、ということは、それは大変に疑問なの。分かっていなかったと思う。ただ、そういうことを理屈として言っていたの。それでいつでも、私が向き合った水俣の患者さんたちと、私の間には、隙間風が吹いている、という感じを拭(ぬぐ)うことが出来なかったの。
迫田:  当時もそう思っていた?
 
鶴見:  そう思っていたの。いつでもそう思っていたの。ところが、自分が倒れて、そして、半身不随になった時に、初めて幾分か繋がった、近づいた、という感じがしたの。
 
     片身(かたみ)麻痺の我とはなりて水俣の
       痛苦をわずか身に引き受くる
 
それだけの苦しみを、私は全部引き受けられないのよ、今だって。違うんだから。つまり、私の病気は自業自得で、他の人に原因があるのじゃないの。自分が自分の健康管理を怠ってこうなった。だから、愚かしさなの。だから、自分に責任があるんだ。それは水俣とは違うの。水俣の患者さんたちは、自分が悪いんじゃないの。窒素の垂れ流し、水銀の垂れ流しによって、あの病気が起こった。そこが違うからね。私が、全部痛苦が分かったなんて言ったら、これはもう愚かなことよ。だから、全部じゃないけど、ほんの僅か近づけた、という感じが、今はしているの。ただ、自然という、二つの感じで言っていたことが何か、ということも、だんだんに分かってきたの。感ずるようになったの。それはお話したいと思う。
 
迫田:  すごく言葉では自然というのは、分かった気になって使いますけれども、やっぱり分かっていないんでしょうか。
 
鶴見:  と、私は今は思うの。というのは、自然というのは、もっとも大いなる生命体だと思うの。その命の、もっとも大いなる生命体から、我々一人ひとりが、生命をその中から生まれてきたのね。だからその一部であることは確かなの。それはこういうことなの。初めこういう歌を創ったの。
 
     逸(いち)早く気圧の配置感知する
       萎(な)えたる脚(あし)は我が気象台
 
NHKの天気予報よりも早く感じるのよ。的確に感じるのよ、この脚が。明日の天気はどうなるか。というのは、低気圧、特に台風、それから寒気、それから湿度の非常に高い時には、脚がただ痺(しび)れているだけじゃなくて、痺れが強くなって、痛むの。それが毎日違うでしょう。そうして、その日にすぐに対応するというふうに、先へ先へ、明日はどうなるというのに対応していくの。それは不思議なの。それで最近創ったのは、
 
     微少宇宙我大宇宙と響き合い
       奏(かな)でる調べ日々新しき
 
毎日違うの。そうすると、自分がほんとに自然の一部だということが、この脚の半身片麻痺によって実感として分かるようになったの。それで、「人間は自然の一部である」ということがやっと分かるようになったの。
 

 
鶴見:  菜の花、いつ頃から植えたのかな。いつの間にか菜の花が咲いている。
これも歌に詠んだわ。白い花が咲くんだけど。
 
     白く小さき花は終わりてしゃりんばい
       濃(こ)き紫の実の豊かなる
 
今、実がなっているわね。
濃き紫の実の豊かなる。花は小さい白い可憐な花なんだけれど、実が凄く立派なのよ。小さなお母さんから立派な息子が生まれるみたいで面白いのよ、この命が。
 
あ、あそこに桔梗が咲いているじゃない。これは咲いている。この花を摘んできて下さったの。そして私がそれを壺に入れて置いたら、蕾が開いたのよ。もの凄く命が強いの。
 
     蔓桔梗(つるききょう)壺にさしたる蕾(つぼみ)伸び
       咲きつぐ花の日々新しき
 
     細胞の一つ一つが花開く
       今朝(けさ)の目覚めは得難き宝
 
自分は微少宇宙なの。
 
迫田:  蕾も、でも宇宙。
 
鶴見:  宇宙なのよ。
 
迫田:  小さいけれども宇宙。
 
鶴見:  そう生命体なのよ。ほんとに小さい生命体なの。宇宙は大きな生命体なの。だから、
 
     おもむろに自然に近くなりゆくを
       老いとはいわじ涅槃(ねはん)とぞいわむ
 
自分のただ感じを詠ったんだけど、自分が歳を取ったから、自然に近くなる、と。それは理屈よね。歳は取れば自然に還(かえ)っていくという、いつかはね。そういうんじゃなくて、老いというんじゃなくて、涅槃に近いという、そういう感じなの。
 
迫田:  もともと何かの宗教に?
 
鶴見:  私は如何なる宗教にも属さない。宗教を否定するんじゃないのよ。つまり宗教の定義というものがあるんだけど、宗教というのは、まず聖と俗との区別をする。そして、俗が聖についてのドグマを持つ。
 
迫田:  教条みたいな?
 
鶴見:  そう。それから聖に対する対し方、儀式をもつ。それから同じドグマを信じる集団をもつ。教会ですね。集団をもつ。この三つのものが揃った時に、それを宗教と呼ぶという。だから、アニミズムは宗教ではないというの。ドグマはないの。すべてのものに魂がある。生きているものも、生きていないものも、すべてのものに魂がある。人間が魂があると同じように、すべてのものに魂がある。それだから、人間は人間以外のすべてのものに、人間と対すると同じように対する。扱う。それがアニミズムの一応の定義ね。それから、それを信ずる集団が、教会みたいにちゃんと組織をもっていた集団があるわけではないの。そうすると、これは宗教じゃないということになる。非宗教ね。だけど、それは宗教ではないけれども、信なの。信仰、或いは信念なの。で、私はその宗教の定義を変えればいいというの。それはジョン・デューイ(Dewey, John, 1859-1952)の「コモンマンフィロソフィ(Common Man's Philosophy)」というの。これは、「普通人の信仰」。
 
迫田:  普通の人の信念、信仰?
 
鶴見:  普通人の信念。信じていること。それはどういうのかというと、自分より大きなもの、自分より高いものに、自分を一体化しようと、努力することであって、それが普通人の信仰だ。そうすると、自分という微小宇宙に対して、大いなる生命体というものに、自分を一致させよう。それがアニミズムだ、とすれば、アニミズムも、普通人の信として─宗教と言わなくていいのよ─信仰なのよ。そういうふうに考えているの。
 
迫田:  鶴見さんは、そのことを倒れる前におっしゃっていますね。
 
鶴見:  言っていますよ。言っていますけど、ほんとに分かっていないわけよ。私は言っていたの。いっくらでも言っていたのよ。だけど、ほんとに分かったのは倒れてからなの。
 
迫田:  今はおっしゃっていたことが、ほんとに身体の中から分かる?
 
鶴見:  感じているわけ。だから、それが私の内発性なのよ。内からわき上がってくる言葉なのよ。それを表すのに、短歌という定型。短詩、定型という形がちょうど相応しいのよ、今の私に。
 
     みんみん蝉生命(いのち)のかぎり鳴きつぐを
       わが歌詠(うた)うリズムとぞ聴く
 
     つつがなく今日の一日(ひとひ)を生かされて
       点となりゆく紅(あか)き陽(ひ)を見る
 
右手が残って良かったわ、ほんとに。そうでなかったら、字が書けなかったわね。
 
     ありったけの力ふりしぼり生きている
       我を元気と人はいえども
 
     夜毎夜毎痛みつのれる病(や)む足に
       力もつきて消えたくなりぬ
 

 
鶴見:  私がおしゃれでなくなったら、死ぬ時だなあ、と思う。でも、私、ほんとに若い時から死んだ顔はどんな顔になるだろうと、とっても気になった。というのは、お棺の中からこう人が覗くじゃないの。ああ、嫌だなあ。私はもうお棺の中を覗いて欲しくないなあ。でも、しょうがない。自分でコントロール出来ないからね、死んじゃったら。
 
     この日この刻(こく)よく生きなむと念ずなり
       いつとは知らずよく死なむため
 

 
鶴見:  花からも鳥からも虫からも、すべての生き物から教えられるの。生きていないものだって魂がある。石だって魂がある。川にだって魂がある。山にだって、すべてのものに魂がある。そこから自分の生き方を教えて貰う。そういうことが出来るようになったらとっても嬉しいわね。そして、今はこういうところに独りでいると、友だちが無くなると普通は思うでしょう。まあ手紙を頂いたり、いろんな贈り物を頂いたりするけどね。私は成る可く面会謝絶にしているのよ。論争歓迎、お見舞いお断りなの。というのは、もう生きている時間は限られているのよ。それですから、いつ死ぬか分からないのよ。こういう病気になると。だから生きている間は、ほんとによく生きて、時々刻々をよく生きて死にたい。もうそれを一生懸命考えている。だから、人と会う時間というのは凄く限られてしまう。ところが、こういう歌を創ったの。
 
     斃(たお)れて後覚えし木の名花の名を
        数(かぞ)うれば友のふえたるがごと
 
友だちが増えた、嬉しいなあ、という感じなの。それで、この花はどこで見た。場所を書いておくでしょう。この鳥はどこで見た。そうすると、住所録になるのよ。だから、住所録みたいになって、ああ、随分友だちが増えたものだと思うの。
 
迫田:  ほんとに自然とともにあるのが実感として分かる。
 
鶴見:  そういうことなの。
 
迫田:  もともとそうすると、感受性がおありだった。
 
鶴見:  そうじゃない。こういう歌を創ったの。
 
     感受性の貧(まず)しかりしを嘆(なげ)くなり
       倒れし前の我が身我がこころ
 
忙しかったのよ。つまり、好奇心が強いというのかね。ああ、やりたいなあと思うと、すぐ引き受けちゃうでしょう。だから、いつでも手一杯になっちゃうのよ。だからいつでも突っ走っていたわけ、生きている時は。夜も寝ないで突っ走っていたわけ。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、国際会議であっちへ行ったり、講演でこっちへ行ったり。それから原稿を引き受けたり、国際会議にいく時は必ずペーパーを英語で書いて、発表するために持って行かなければならないでしょう。そうすると、ほんとに時間がないのよ。だから、考えている時間なんか無くなっちゃうのよ。感じている時間も。考えている時間も。非常に心が貧しくなったわね。
 
迫田:  今も世の中を見ていると、そういう感じしませんか。
 
鶴見:  ああ、だけど、それは他人様(ひとさま)のことだから、なんとも言えない。自分がかつてそういう暮らしをしていたということに、自分の愚かさを今は感ずる。だから、この静かな時間というのはとっても嬉しいわね。
 
迫田:  今はそれと逆で、自然との繋がりを感じ、感受性も、そういう意味ではもの凄く溢れて、
 
鶴見:  今の方がものの気配(けはい)が鋭く感じられるようになった。
 
     生と死のあわいに棲(す)みていみじくも
       ものの相(すがた)のするどき気配
 
「気配」というのは、忙しい時に、自分の身体が健康であって、忙しく立ち回っている時には、気配というのを全然感じないのよ。ところが、こういう病気になると、つまり花がそこにあるというのは、気配を感じるし、春の気配と言ったら、風の中に匂いがどこからくるか分からないけど匂い立つという。春がもう風の中に入っているなあという、春の気配を感ずるわね。それから、そこに鳥がくると、とっても驚いたことがあるんだけど、夏になると、ここは葦切(よしきり)が来るのよ。子供の時に、軽井沢の山の中で、朝早く葦切(よしきり)を聞いたことがあるのよ。その声がここへ来て、ずうっと忘れていたのが、あら!あの葦切(よしきり)が鳴いている。そうすると、その次の夏もとっても待たれるのね。そうしたら、去年の夏は、窓のところへ来て鳴いているのよ。見ることは出来ないの。葦切(よしきり)というのはほんとに朝早いの。だから、まだ暗いうちなんだけど。前はずうっと遠くの方で鳴いていたの。それが去年の夏、気配がしたのよ。そこへもう来ているわ。私が待ちに待ったから来てくれたんだなあ、と思ったら、翌日からバタリと気配が無くなったの。それでほんとに悲しかったけどね。これは山に水が枯れたんだな、ということを悟ったの。そうすると、葦切(よしきり)の気配が無くなったことによって、山に水が、水の気配が無くなったということを感ずるのよ。そういうふうに、何かものの気配を感じ取るの。何といっていいか分からないけど、そこにいるなあ、という感じなんの。命に対して連帯というのかなあ、他の生き物との連帯というのかなあ。繋がっているという感じなの。例えば、
 
     陸(くが)にありて寒さ厳(きび)しきを海の底
       六百メートルに凍(い)てつくならむ
 
「えひめ丸」のこと。どんなに冷たかろうというふうに感じちゃうのよ。自分が寝ていて、朝、冷えるでしょう。そうすると、寒いのよね。脚が特に痺れる。そうすると、海の底、六百メートルはどんなだろうと、すぐ思っちゃう。呼び合うという感じなの。向こうの魂とこちらの魂が呼び合うという。何かそういう感じね。言葉で会話するわけじゃないでしょう。花とか雲とか鳥とか。だけど、呼び合うものがあるという感じね。
 
迫田:  それは何か魂がやり取りしているような感じ。
 
鶴見:  そうね。響きあうという。やり取りよりも響きあうのね。
毎日こうやって触って見て、これはもう湿っているから大丈夫。このシクラメンは一昨年(おととし)頂いたのよ。それで全部枯れちゃって、今年の春に花芽(はなめ)が出てきたの。もうビックリしたの。それで歌を創ったんだなあ。
 
     昨年(こぞ)給(た)びしシクラメンの花芽芽ぶきたり
       窓辺に置きて小春日を当(あ)つ
 
ただ、冬の間で小春日ね、その時ずうっと陽に当てていたの。そして、春になったらどんどんどんどん、まだまだ蕾があるのよ。
 
迫田:  まだありますね。
 
鶴見:  どんどん出てきてね。大体シクラメンは駄目になる時は広がっちゃうの。こういうふうに。それが盛り上がるのよ。で、花の色が良いでしょう。やっぱり命というのは、佐佐木信綱先生の「愛(め)ずる心」というのがあるんだけどね。やっぱり愛(め)ずる心、愛する心があったら、こうして命は次々に咲いてくるのね。命が噴き出してくるの、春になると。初めてよ、私。生まれて初めてシクラメンが、一度枯れて、そして、翌々年の春に芽吹いてきたというのは初めてだから嬉しくて、しょうがないの。そうしたら、私がこれを世話して、こうなったということ。だから、私がこちらに与えたんじゃなくて、これが自然に噴き出したこと。これそのものの内発的な力でこう盛り上がってくるわけ。生き返ってくるわけでしょう。
迫田:  「内発的な」というと?
 
鶴見:  そう。花の内発的な、花自身の内発的な力で、これが萌えたってくるわけです。そうすると、それを見る私が命を頂いて、元気なの。だから、お互いに元気付けあっているという関係になるのよ。それが嬉しいわね。私ね、病気というのは凄く大事だと思うの。
 
迫田:  今ですか?
 
鶴見:  病気になって、そしてそれでもまだ生きているということの値打ちというのは、凄く大事。そうすると、自分が今までとは違ったものが見えてくる。今まで見えなかったものを見るようになるのよ。だから、病気というのは健康な人にとっては非日常なの。日常からポンと飛び出してしまう。そうすると、毎日見えなかったものが見えてくる。私、老いというのもそうでしょう。老いることによって、時間の足取りが、非常に緩やかになるのよ。そうすると、自分が生涯いろんなことをしてきたことが、どういう意味を持つかということを最後に考える。そういう季節を与えられるのが、老いとか病気だと思うの。今、そういう季節に私はなっている。
 
迫田:  その季節でいうと、冬だというように?
 
鶴見:  そう。今は『回生』にも、春、夏、秋、冬があるのよ。春というのは、バタンと倒れて、その時にすぐ死なないで、肉体が甦(よみがえ)ってくる。それが春なのよ。ちょうど花芽が出てきた。それから、夏は初めてさっき歩いていたウオーカー・ケインという大きな杖をついて歩いて、歩き方を教えて頂いた。そして、この装具を付けて、毎日歩く。しかも今日はどういう歩き方で歩くか、自分で判断して、自己決定して歩いて。そうすることによって血行がよくなることによって、魂が生き生きしてくるのよ。もう毎日欠かさずどんなに脚が痛くても歩きます。歩いています。そうすることによって、魂が活性化してきて、『鶴見和子曼陀羅』九巻著作集が、ここへきてから完結したんです。それから、英語の一冊も出来ました。それから英語のシンポジュームと日本語のシンポジュームは一回ずつここへ来てからやりました。そういうふうに、仕事が出来るようになったんです。そして、『花道』という、『回生』の次の歌集、それが実りの秋なんですね。そして、今、今、ほんとに、また冬を迎えて、ということは、死の本当の死の方向に向かって、今、歩いているんですけどね。
 
     健康な病人となり健康な
       死に至らんと念じつつ歩む
 
つまり病人でも、健康な病人というのはある、と思うですよ。それから、死ぬのでも、健康な死に方というものがある、と思うんです。だから、本当によく生きたと、生き切った、と思うように死にたい。そう思っているのよ。そう思って、毎日本当にその日の力を全部出し切って、歩いて、そして疲れ切って寝るのよ。ほんとに疲れ切って寝ちゃうのよ。それが健康な病人でね。その先に健康な死がある。人間にとって、死ぬことほど、晴れがましいことはないと思うの。最高の晴れだと思うのよ、死というのは。それは民族学でも、「死は晴れ」というけどね。「最高の晴れ」ね。そういう「最高の晴れ」に向かって生きたいと思うの。それは本当に自分はよく生きた、と思って死ねたら、それが「最高の晴れ」だと思っている。
 
迫田:  それでなんか自然に還るという感じもあるんですか。
 
鶴見:  そうなる。ここに来て初めて空に近くなったのよ。それで、
 
     斃(たお)れて後元(はじ)まる宇宙耀(かがよ)いて
       そこに浮遊(ふゆう)す塵泥(ちりひじ)我は
 
もう小さい小さい塵泥(ちりひじ)の自分なんだけど、こういう大宇宙の中に浮遊しているという、そういう感じをうけたのね。「塵泥(ちりひじ)我は」というのは、ほんとに塵泥になって、宇宙に散って、私は水の中に流して貰いたいんだけどね。どうして水に還りたい、というかというと、水は水蒸気になって、また循環していくのよ、大気圏に。そして、また還ってくるのよ。水になって。雨や雪に。そして、循環しているからね。そういう循環構造の中に自分もいつかは入っていくということ。それまでに、自分が為すべきことをしておけば、それはまたいつかは新しい命の中に種を蒔いていくと思うの。だから、自分の持って生まれた可能性を、十分に使い果たして、そして、死ねば、またそういうものが甦る時があるであろう。そう思っているのよ。
 
迫田:  それは、いわゆる仏教の輪廻(りんね)とかというのとちょっと違う?同じんですか?
 
鶴見:  輪廻というのは、やっぱり循環構造の思考形態だと思う。つまり近代化論というのは、直線思考なのよ。進歩するって、前のものを切り捨てて、ドンドンドンドン上がっていくという。階段の上を一直線に上がっていくという。そうじゃないのよ、生命体というのは循環しているのよ。私たちは小さな小さな輪なのよ。その中の繋ぎ目があるのよ。そういうふうに考えたら、またそこへ還っていく。そして、循環して、また新しい命がいつかは生まれてくる。というのが、循環思考だと思う。
だから、「内発的発展論」をもう一度やり直したい、という気持ちはあるわね。
 
迫田:  それはどういうふうにやり直すんですか。
 
鶴見:  それは自分が分からないことがいっぱいあるわけ。だから、そういうのを教えて頂ける人と対談して、教えを受けて、自分の内発的発展論をもっと豊かにしていく。そういうふうに今考えているの。どこまで出来るか分からない。いつ死ぬか分からないけど、死ぬまでそれを私は言葉のある限り、認識能力のある限り、精一杯続けたい。そういうふうに思っているのよ。
 
     知らぬこと解(わか)らぬことのつぎつぎに
       夢にあらわれ死ねぬと思う
 
そう思うのよ。まだ解らないこと、知らないことがたくさんあるなあ、ということを夢にみて、明日まだすぐ死ねないなあ、なんて思って。
 
 
     これは、平成十三年四月八日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。