言葉の力 生きる力
 
                             児童文学者 松 居(まつい)  直(ただし)
                             き き て 迫 田 朋 子
 
松居:  言葉って目に見えないものです。活字になっているから見えるように錯覚するわけなんですが、言葉は目に見えない。ところが、言葉を聞いていると、目に見える世界が出来るわけです。昔話がそうです。昔話は冊子はなかったんです。語られただけです。でも、聞いていると、桃太郎の世界が見えてくるわけですね。言葉というのは、目に見えないのに、ちゃんと見える世界を作っていくわけです。そして、言葉が見える世界を作らなければ、子供達は入っていけないんです。だから、目に見えるように書くというのは、これは児童文学の鉄則なんですよ。しかも、人間にとって大切なものというのは、大体目に見えないんですよ。「幸せも見えませんし、心も見えませんし、愛も見えませんし」と、星の王子さまは言っていますけど(笑い)、「肝心なものは目に見えない。大切なものは目に見えない」と、星の王子さまは言っています。本当にその通りだと思います。ところが、目に見えるようにちゃんとサン=テグジュペリ(Saint-Exupery:1900-1944)は書いているから、星の王子さまは、僕に見えるんですよ。目に見えるように書いています、あれは。見事ですよ。
 

 
ナレーター: 戦後、日本に創作絵本を根付かせた松居直 さん。福音館書店の編集者として、絵本の世界を切り開く仕事を手掛けてきました。今も読み継がれる『スーホの白い馬』や『ぐりとぐら』などの作品は、四十五年前、松居さんが創刊した月刊絵本『こどものとも』から生まれました。当時はまだ珍しかった創作物語の絵本を、毎月出版するという画期的な試み、バラエティーに富んだ作家と画家の組み合わせで生まれる絵本は、現在五百四十六号を数えています。絵と言葉が一体となって作り出す、生き生きとした世界を、松居さんの絵本は目指してきました。
 
     どうぶつえんに あさが きた
     いちばん はやおきは だーれ
     いちばん ねぼすけは だーれ
     おきてくれ かばくん
     どうぶつえんは もう十一じ
     ねむいなら ねむいと いってくれ
     つまらないから おきてくれ
     や かめくん
     や かばくん
     かばより ちいさい かばのこ
     かばのこより ちいさい かめのこ
     かめより ちいさいもの なんだ?
     あぶく・・・・・
     かめくん きょうは なんようび?
     きょうは にちようび
     あ そうか
     なんだか うるさいと おもった
     きた きた きた きた
     きた きた きた きた
     くつした はいてる
     すかーと はいてる
     はんずぼん はいてる
     げたの こも いる
     どら ちょっと みてこよう
     ぞろ ぞろ ぞろ ぞろ
     わい わい わい わい
       (『かばくん』岸田衿子昨 中谷千代子絵)
 

 
松居:  私は、「絵本というのは、子供に読んでやる本だ」ということを、「子供に読ませるんではなくて、大人が子供に読んでやる本だ」ということを主張してきましたし、それが編集方針ですから。そうしますと、子供が目で絵を読んでいて、耳で読んでもらう言葉を聞いて、そして、それが子供の中でどういうふうに一つになって、どんな世界ができるか。どんな物語の世界ができるか、ということをかなり強く意識して仕事をしてきました。
 
迫田:  子供が絵を読んで、そして、大人がそれを文字を読んで、
 
松居:  テキストを読みますね、それが子供の中で一つになるんです。子供は絵を見るわけですけれども、絵は、全部言葉ですからね。お爺さんが描いてあれば、お爺さんということですから。熊が描いてあれば、熊だ、と。熊さんということで、それを子供は自分で絵を読みますね。そして、耳で読んで貰った物語を聞きます。そうすると、耳から聞いた言葉が絵を動かしてくるんですよ。絵本の絵は静止画で動きませんけれども、子供が見ている絵の世界というのは、動いているんです。お爺さんがかぶを引っ張ったりするのがちゃんと見えているわけですね。それは言葉がどんどん絵を動かしていく。それを子供が無意識のうちに一つにして、物語の世界を描いていくわけです。それが絵本体験なんです。
 
迫田:  絵本体験。松居さんご自身の絵本体験というようなものに基づいているところもあるんですか。
 
松居:  そうですね。私は、「絵本というものは、子供に読んでやる本だ」と。「大人が子供に読んでやる本だ」というふうに、かなりはっきり意識したのは、自分の幼児体験と言いますか、絵本体験が─幼稚園の頃ですけれども。母は、商家の女将さんで、忙しい人でしたけれども、それでも一週間に二日位は寝かせるために読むわけですよ。母親と一緒にいる時間なんか滅多にないですから。そして、読んで貰うということはもの凄く嬉しいことです。私の母は、僕が、「読んで」というところを読むんですよ。何度も読んでくれるんです。要するに、早く寝ればいいんですから。子供が喜ぶことをやってやれば早く寝る、と思っているんです。こっちは一番読んで貰いたいところを読んでくれ、と言っていますから、そう容易には寝ませんよ。大体読み手の方が寝ます。また起こして、読んで貰って、ということがありました。読んで貰いますと、最初は見ているわけですが、それが生き生きと何かほんとに迫ってくるんですよ。そして、その世界へ入っていけるんですよ。
 
ナレーター: 松居さんが、母に読んで貰ったという思い出の本は、現在、大阪国際児童文学館に収蔵されています。特別に見せて頂きました。『コドモノクニ』は、大正十一年に創刊され、昭和十九年まで続いた子供向けの絵雑誌でした。大正デモクラシーの高揚の中、欧米の新しい文化や教育の思想を基に作られた画期的なものでした。
厚手の紙に、五色刷りで作られた絵雑誌は、当時の子供向けの本の常識を破る立派なものでした。『コドモノクニ』には、北原白秋(福岡県出身:詩人、歌人:1885-1942)、西條八十(やそ)(詩人:1892-1970)などの詩人が童謡を発表し、竹井武雄など、当時一線で活躍したモダニズム(modernism)の画家が絵を描いていました。子供にこそ本物の文学と芸術を、という志に貫かれたものでした。
 

 
松居:  読んで貰ったという記憶が、フッと甦ってくる時、母の声が聞こえてくるような気がするんです。これは、歌ってくれたかも知れません。このメロディがあったんですよ。「ペタコお母さんに白い帽子もろた」(口ずさむ)とか、そういう。これはタイランドの話ですね。「ペタコ」という言葉が面白かった。そんな鳥がいるというんですね。これがペタコ。しょっちゅうこれを読んで貰ったんですよ。
 
     ペタコ お母さん に
     白い帽子 もろた。
     ペタコ 白い帽子
     かぶっている。
     ペタコ 啼(な)くとき
     白い帽子 ふった。
     ペタコ 白い帽子
     ふって啼いた。
     ペタコ 遊ぶにも
     白い帽子 かぶる。
     白い 小帽子で
     あそんでる。
 
だんだんペタコというのを見たくなってきたなあ。一度見てみたい、と思った。
 

 
ナレーター: 本物の芸術として描かれた絵と、母の声で聞いた美しい言葉。それが一体となった時、吸い込まれるように絵本の世界に入っていった記憶。それが生涯、松居さんの絵本作りの信念を支えることになりました。
 
 
松居:  絵本というのは、読んで貰うに限る。ですから、字が読めても子供に読んでやらないといけない。小学校の子供達でも、中学生でも、高校生でもいいです。読んでやった方がいい。大学生でも喜ぶんですから。しかし、字が読める子供でも、自分で読みますと、文章を読んで絵を読むか、或いは、絵を先に読んでいて文章を読むか、どうしても二つの世界に隙間が出来てくる。それを自分の中で一つにするというのは、これは相当な熟練を要する作業です。
 
迫田:  成る程。耳で聞いて、それである雰囲気というか、世界があり、尚かつ、絵でまた世界が出来て、子供の中で立体的に、こう形のある世界ができる。
 
松居:  物語世界が出来るのは、その二つを同時に体験しないと。絵の言葉と文章の言葉と、それを全く同じに体験しますと、ほんとにこの本の何倍も生き生きした世界が出来るんですよ。ですから、絵本は読んで貰うに限る。
 
迫田:  成る程。それを「絵本体験」という言葉を使っていらっしゃるんですね。
 
松居:  私はそう言っています。絵本の物語を体験する。
 
迫田:  つまり、「読んだ」「見た」ということではなくて、子供の中にある実感する世界として、確かにイメージの世界なんだけど、何か体験するものとして入っていく世界。
 
松居:  そうです。入っていく世界。ハッキリあるんです、その世界は。子供は、日常、今此処にいたかと思ったら、もう一つの世界へパッと入ってしまうんですね。
 
迫田:  子供にとって、非日常の世界というか、別のこういう世界をもっているということがとても大事だ、というふうにお考えなわけですか。
 
松居:  子供は大事だとか、そんなことは思っていないと思うんですよ。面白い世界があって、それが、大人からすれば空想の世界ですけれども、そこへパッと入ってしまいますと、動物と自由に口が利けるし、誰か不思議な人がいるわけですよ。私は、子供の頃、例えば、『どくとる先生』なんか読んでいると、そっちへパッと入ってしまって、動物のことは何でも分かるお医者さんなんかというのは、これは凄いですよ。
 
迫田:  そうですね。絶対どっかにそういう人がいる。そういう世界がある、という。信じる。
 
松居:  信じるとか、理屈じゃないんですね。そこにしか動物の分かるお医者さんいないわけですから、普段はいないんですよね。
 
迫田:  そういう世界を持っていると、何かとても子供も楽しくというか、自分の世界というか、充実した世界というか、それを自ら体験している感じになるんでしょうか。
 
松居:  非日常の世界に入って、空想の世界へ入って、いろんな体験をすると、逆に戻って来ますね。戻って来た時に、日常の世界が見えるんです。日常の世界で、いろんな出来事がある。そのことの本質と言いますか、真実みたいなものが見える、というふうに、私は感じるんです。
 

 
ナレーター: 松居さんが五歳の時に、満州事変が勃発。十九歳になるまで、日本は戦争の時 代を突き進みました。二人の兄は戦死。もう一人の兄も、勤労動員の時に患った結核で命を落としました。母に読んで貰っていた子供向けの絵雑誌も、戦争の激化と共に、次々と廃刊に追い込まれていきました。
 

 
松居:  小学校へ入ってから学校教育を受けますから。日本の、これは国家主義的な学校教育という体制がしっかり出来ていましたから、その中でいろんな言葉を体験するんですが、幼稚園の頃に聞いた生き生きした言葉の世界というのは、あまり国語の教科書にはなかったですよ。
     サイタ
     サイタ
     サクラ ガ
     サイタ
 
というのを一年生の時に習ったわけですけれども、サクラ読本の一番最初に使った世代ですから。それでも違うんですね。
 
     コイ
     コイ
     シロ
     コイ
     ススメ
     ススメ
     ヘイタイ
     ススメ
 
が出てくるんです。その言葉の、教科書の中の言葉の力というのと、子供の時に聞いた言葉のほんとに生き生きした喜びというのと。言葉って喜びですからね。でも、学校では喜びの言葉なんかあまり出て来なくて、或いは、ステレオタイプな言葉が出てくるわけですね。
 
迫田:  まさにスローガン的な言葉が氾濫していた。
 
松居:  そうですね。小学校、中学校。五歳の時が満州事変ですから、十五年戦争、それからずうっと続くんです。殆ど戦争の間に育ったわけです。そして、いろんなスローガン的な言葉が溢れておりましたね。その中で、そういう言葉を聞いて、そして、学校で教えられることは、国のために死ぬ、ということですよ。「何のために死ぬのか」ということをほんとに納得したかった。つまり学校で教えられることは、「国の為に死ぬ」とか、「天皇の為に死ぬ」とか、ということを教えられますけれども、それはまあ理屈としては分かりますけどね。実感として、命を亡くすわけですから、ほんとに何の意味があるのか、ということを知りたかったんです。それで、僕は、当時のかなりの少年がそうだったと思いますけれども、日本の国としてのイデオロギー、国粋主義とか、そういったことの意味というのをほんとに知ろうと思って、一生懸命自分で勉強しました。日本の国学の本なんかは、本居宣長(もとおりのりなが)(江戸中期の国学者)、会沢安(やすし)(江戸末期の儒者)、藤田東湖(とうこ)(幕末の儒者)とか、そういう人の本はかなり読みました。そして、国粋主義的な歴史家として代表的だった秋山謙蔵(けんぞう)の本は、殆ど読みました。納得は出来るんだけれども、何か共感というか、そこまでいかないんですよ。理屈はそうでしょうね、ということは分かるんです。しかし、それで、コトッと自分の気持ちが落ち着くとか、琴線に触れる、というふうな言葉は、なかなかなかったですね。戦争中、ほんとに天皇制の本も読みました。皇道哲学というふうな本も読みました。でも、やっぱり理屈はそうだろうね、というのは、だけど実感としては分からないんですよ。
 
迫田:  そうすると、敗戦ということが起きて、まさにそこで一生懸命考えておられて、その価値観みたいなものが崩れるというか、
 
松居:  まず、戦争が終わったというのは放送で聞きました。その時、あまり感慨がなかったです、私は。ああ、そう、という感じだったですよ。ところが、何日間かして、戦争が終わったということは、死ななくてもよくなったことですよね。もう死ななくてもいいですよ。それは、ちっとは喜びはあったんです。一番まいったのは、死ななくてもいいということは、生きて行かなければならない、ということだった。
 
迫田:  生きていかなければ?
 
松居:  「生きる」ということを教えられたことがないんですから、十八年間。「死ぬ」ということは教えられましたけど。「生きる」ということは、「死ぬ為に生きる」ということでしたから。ところが、死ななくてもよくなった、ということは生きるんですよ。生きるということは、どういうことか。それが、私にとっては新しい難問になりました。そんなことは、誰も教えてくれません。たまたま、八月十五日の三日か四日後に、いつも行っている古本屋さんへ行きましたら、戦争中に並んでいなかった本があったんですよ。たくさん並んでいたんです。こんな本出ていなかったよ、と思った。その中に、『大トルストイ全集』二十四巻があったんです。私は戦争中に徳富蘆花(とくとみろか)(小説家:1868-1927)を読んでいたものですから、トルストイという名前は知っていた。濾過に非常に惹かれたんです。蘆花はトルストイ(ロシアの小説家:1828-1910)をほんとに尊敬していましたでしょう。蘆花が尊敬しているトルストイという人は、どういう人だろうと思ったんです。そうしたら、その全集があったんですよ。戦争中は隠されていたのかも知れない。私はすぐ家へ飛んで帰って、父親に、「あれ欲しい」と言ったんですよ。親父は割合本の好きな人だったから、次の日に、一緒に付いて来てくれました。そして、それを二十四巻を買って、二人で風呂敷に包んで帰りました。その晩から、私は、『戦争と平和』を読みました。昨日まで戦争で、今日は平和だ。平和なんか聞いたことありませんでした。「平和」という言葉を口に出せませんから、戦争中は。『戦争と平和』って小説があるわけですから、それを読み始めたですよ。毎日毎日読んでいました。買い出しの汽車の満員のデッキに坐って読んでいました。切符を買う行列の立ったまま、『戦争と平和』を読んでいました。言葉の力を知りましたね。トルストイを読んでいて。ほんとに虚ろな言葉でなくて、スローガンでなくて、ステレオタイプな言葉ではなくて、ほんとに語り掛けてくる言葉。勿論、その中に思想あり、哲学ある、信仰あるわけですけれども。そういうものが言葉によって伝わってくるんです。読書ということの本質を、その時に知ったのかも知れない。その本を書いた人の世界へ、こっちは入っていくわけですから。そうすると、ほんとに生かしてくれる言葉、命を与えてくるような言葉というのが、その中にあるように思いました。感じとしてですね。
 

ナレーター: 一九五一年、大学を卒業した松居さんは、金沢の書店、福音(ふくいん)館に就職しました。出版業を始めるため、「編集者に」と請(こ)われたのです。会社は学習参考書の出版が成功して、東京に進出しました。ちょうど敗戦の混乱を抜け、子供の教育や家庭生活に目が向け始めた時代でした。松居さんも、この頃、初めて父親になりました。その年、一九五三年に、新たな企画の雑誌を創刊しました。月刊『母の友』は、新しい時代の子供の育て方を考える雑誌でした。児童心理学や医学の記事を掲載する一方、中心に据えたのは、子供達に話して聞かせるお話を、一日一話、一ヶ月分提供する企画でした。
 

 
松居:  子供のことには興味を持っていました。それから、私が育った時代の子供の育ち方と戦後、民主主義で、平和で、文化国家を造ろう、と。何もないところからもう一度日本を造ろうとみな思ったわけです。その中で子供の育て方というのも、戦前のものはお手本にならないわけですよ。
 
迫田:  そうでしょうね。
 
松居:  アメリカからどんどん新しい心理学のこととか、教育学のこととか、そういったことが入ってきますね。子供の育ちのプロセスみたいなことも、殆ど新しく考えていかなければなりません。そんなところで、子供に聞かせる「一日一話」というのを売り物にしながら、心理学のことだとか、子供の健康問題とか、そういうものを少し付けて、『母の友』という月刊雑誌を作ったんです。意外にそれが受けたんですよ。みんなが迷っている。何か手掛かりが欲しい、と思っているところでしたから。それが、割合急激にズウッと部数を増やした。増えていったところを、余所の出版社さんが、「母の友」というのが売れているらしい、ということを感付かれたらしくって、保育絵本とか、そういうものに付録に非常に似たものをお付けになったんです。そっくりだと思うものを。『お母さんの友』というのがありました。それにはさすがに僕はコチンときましたけれども。そういうものをお付けになったものですから、パタッと売り上げが止まってしまった。その時、冗談半分ですけど、「余所が絵本の付録に、『母の友』を付けるんだったら、『母の友』の付録に絵本を付けよう」ということを言っていたんですよ。ヒョウタンから駒みたいに、「じゃ、絵本やろう」ということになったんです。

 
ナレーター: 一九五六年創刊の『こどものとも』。創作物語の絵本を月刊に出すのは、世界でも例がない試みでした。三十歳になったばかりの松居さんは、文学や美術の世界で活躍を初めていた新進の芸術家を訪ね、共に新しい絵本を作り出していきました。

 
迫田:  これが創刊号ですね。
 
松居:  はい。
 
迫田:  絵が凄く綺麗というか、イメージが広がる絵というか、いわゆる説明的な絵というのではない。
 
松居:  はい。いわゆる童画と言われている絵本向けの絵とは違う。私は可愛いらしい絵は要らないと思っていたんですよ。
 
迫田:  可愛らしい絵?
 
松居:  大人の方が見て、可愛いなあ、と思われるのは、ほんとに子供から見てリアリティがあるのかどうか。子供から見て、ほんとに美しいと思うのかどうか、という疑問は、今でも持っています。私は、可愛い絵はあまり好きじゃないんです。
 
迫田:  可愛いんじゃなくて、何という?
 
松居:  美しいのと、本当の物が感じられる、という。そういう本を作りたかった。子供がそこに世界があって、そこへ入って行けるという。そういう本物の絵本と言いますか、それが作りたかったんです。
 
迫田:  これが毎月発行されるわけですね。
 
松居:  宮沢賢治を是非やりたいと思って、宮沢賢治を描いて下さるのだったら、茂田井(もたい)武(たけし)先生以外にはない、と。これも決めていましたので、茂田井先生に絵をお願いを致しました。茂田井先生の最期の作品です。これをお描きになって、間もなく亡くなってしまいました。病床でこれは描いていらっしゃったんです。
 
迫田:  毎号毎号、何か雰囲気が違いますね。
 
松居:  ええ。全部絵描きさんを変えて、いろんな絵の良さを子供達に伝えたいと思いました。これはシートンですね。動物物語を出したいと思って。これは寺村輝夫さんの王さまシリーズの一番最初です。
 
迫田:  私は、子供に全部読んでやりました。
 
松居:  そうですか。山中春雄さんは、全く初めての絵本です。これは南極観測が始まるころでしたから、どうしても社会性のある絵本を作りたい、と。その頃社会性のある絵本はなかったんです。でも、子供達は現在に生きているわけですから、今の大切な問題を、子供達にも伝えたいと思って、南極のアザラシを主人公にしたお話を、瀬田貞二さんに創って頂いて、『なんきょくへいった しろ』というのが出来たんです。西堀栄三郎先生にいろいろアドバイスを頂きました。動物を主人公にすれば、子供に親しみが持たれるだろう、ということで、アザラシを主人公にしました。
日本の昔話の絵本というのは、戦後出ませんでしたので、是非、昔話を子供達に伝えたいと思って、『てんぐのかくれみの』というのを選びまして、朝倉摂(せつ)さんにお願いをしたんです。ちょうどスクリーントーンという画材が発売されたところでしたから、それを使っています。絵本ですから、文章が物語を語ることは当たり前のことです。ですが、絵が物語を語る、ということ。絵で物語を語れる人ということになりますと、別に、漫画家でもいいし、デザイナーでもいいし、日本画家でも、油絵画家でも、彫刻家でもいいわけです。この物語に、この人の絵を付けると一番物語がよく表現されて、語れるかなあという。そういったことを考えながら選んでいたんです。当時の絵本の世界と言いますのは、名作物語のダイジェスト版、いわゆる「名作絵本」と言われていたものです。
迫田:  私の子供の頃そうでした。
 
松居:  それと幼稚園、保育園でお使いになっている保育教材的な「保育絵本」だったんですね。本格的な「物語絵本」というのは、ちょうど出たばかりだったんです。それは岩波の子供の本だったんです。岩波の子供の本というのは、絵本というより、むしろ低学年向けの読み物として、お出しになったんじゃないかと思います。それは絵本を翻訳して、日本で出されたわけです。それを見た時に、ビックリしたんです、私は。私もそういう絵本を見たことがないんです。オリジナルな、というか、創作の物語に非常に素晴らしい絵が付けてある。これが絵本か、というふうに、岩波の子供の本を手にした時に思いました。
 
迫田:  これをお子さんに読んで差し上げていくと、
 
松居:  一番最初は、七ヶ月位から、子供が一人で本を見ていましたのです。絵本がたまたまありましたから。こんな小さな子供が本を見るのかと、私はビックリしたんです。七、八、九、十ヶ月位の時から、そんなに絵本に興味があるんだったら読んでやろうかと思って、膝に抱いて読んでやりました。分かっているのか分からないのか、それはまだ新前の父親には分かりませんが、でも、最後まで聞くんですよ。そうすると、やっぱり分かっているのかなあ、というふうに思います。こんな小さな子でも分かるのかしら、と思う。それで、私は、自分の児童文学に対する考え方というのは、何にも分かっていないんだなあ、というふうに思ったんです。つまり、児童文学というのは、子供の文学ですね。ところが、日本の伝統をよく見てみますと、大人が子供に言いたいことを、童話という形で表現しているんですよ。つまり、大人の感覚で書いているんです。ところが、岩波の子供の本をお出しになったのを見ますと、子供の世界をほんとによく分かっていて、子供の気持が分かっていて、そして、こういう物語を子供にしてやれば、ほんとに喜ぶだろう、と言ったようなことが分かって、創作をしていらっしゃるということを感じました。
 

ナレーター: 子供の本とは何かが、まだ手探りの時代。松居さんは、創刊したばかりの『こどものとも』を持って、全国の幼稚園や保育園を歩きました。直接読者と話合う経験が、その後の松居さんの財産となりました。
 

 
迫田:  まだ当時は、そういう意味では、こういう絵本も草創期でしょうし、周りの理解はなかなか得られない?
 
松居:  はい。得られません。売れなかったんですよ。もうはっきり商品ですから、売れない、というところに出てまいりますでしょう。一番最初は二万冊創刊号を作ったのかなあ。売れたのは五千冊で、後は全部見本で差し上げました。幼稚園や保育園に、「こういう本を作りましたから」と言って。
 
迫田:  そうですか。
 
松居:  二号も既に作っていましたから、やっぱり売れなかったんで、残ったのは全部差し上げたりしました。
 
迫田:  そうですか。
 
松居:  たった五千部しか売れませんでした。一年位経った時に、「もう売れないから止めよう」という声が社内に出ていたんです。私はもうこれだけ一生懸命にやって売れないんだったら、これはやりようがない、と思って、僕はちょうど家で不貞寝していました。サボって。どうしようもないという。そうしたら、会社から電話が掛かってきたんです。「サンケイ児童出版文化賞≠ニいうのを、この『こどものとも』にくれるという話だけれども」ということでした。その賞のことは知りませんでした。調べてみたら、大変立派な賞なんですよね。「そんな賞を下さるんだったら頂きましょう」と。ところが、頂いた以上は続けなければならない。「止めるわけにいかないね」ということになって、それで先ず最初の難関をちょっとクリアして、「赤字でもいいから続けよう。みんな評価して下さるんだから」と。一番最初に分かって下さったのは、保育者の方何人かです。ほんとに素晴らしい保育者がいらっしゃって、「こういうものを求めていたんだ」とおっしゃった方もあります。そういう方が、「子供に読んでやると喜びますよ」と、おっしゃるんです。実は、子供が一番よく分かってくれたと思うんですね。そういうところから、「じゃ、これをお母さんにもっと奨めましょう」とうふうに言って下さったりして、だんだん広がっていくわけです。
縦版の『こどものとも』だったのを、これが初めて横長にした最初の本なんです。横長にしますと、絵がどんどん動くんですよ。
 
迫田:  長くこう続いているという感じですね。
 
松居:  どんどん絵が動くんです。連続性というのがほんとによく出るんです。
 
迫田:  絵が動いていくんですね。お話も動いていくし、
 
松居:  その為に、「とらっく」を主人公にした本を作ったんです。車だったら動くだろうと。そうして、やってみたら大成功だったんです。子供が喜ぶんですよ。で、横長ですから、文章を縦に入れますと、非常に絵と合わなくなってくる。それで、横書きにしてしまったんです。絵本を横書きにして、最初叱られましたよ、私は。
 
迫田:  ああ、そうですか。
 
松居:  「小学校の一年生の国語の教科書が縦書きなのに、どうして絵本を横書きにするのか」と。学校の先生からはよく言われました。でも、横にしないと、絵が動かないんです。今は、絵本は殆ど横書きになっています。私はしてやった、と思っていますが。私は、京都で育ちましたので、たまたま本物の絵巻を見る機会が多くありました。戦争中、「最大の絵巻物展」というの を、京都の国立博物館でやっていました。私自身中学生の時に、絵巻に興味を持って、物語を絵で表現するということが、ほんとに日本は豊かに、伝統があるということを知ったんですね。例えば、「鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)」というのがありますね。あれは色が付いていないんですよ。
迫田:  そうですね。
 
松居:  白黒なんです。それでも見事に物語を語っている。ですから、私はアメリカの白黒の絵本を見た時に、あ、これでいけるよ、と思ったんです。色がなくたって、子供はちゃんと物語を読めるんです。そういう絵巻物をかなりたくさん本物を見ていましたのでね。日本の物語絵の伝統というのは、どれほど豊かか、というのは薄々感じていたんです。それは絵巻の連続性というのがとっても見事なものだ、ということで、横にした時に、それを活かしたかったんですよ。これは絵巻と同じだ、と。絵巻の手法をうまく取り入れれば、いい絵本が出来るだろう、というふうに思いました。特に、これは、それを意識しました。日本の昔話ですから。それで、絵のスタイルも大和絵風になって。これは明らかにこういうふうになっていて、こういうところは絵巻の画面そっくり。赤羽末吉先生が絵を描いて下さったんですが、この本を作る時は、絵巻のことを、二人で一所懸命話し合いました。かなり長時間、絵巻の特色、信貴山絵巻がどうなっているかとか、或いは、鳥獣戯画がどうだとか、そういった日本の絵巻の表現方法を話し合って、この中に活かそう、ということになりました。たまたまテキストを、私が書きましたけれども。
 
迫田:  鳥獣戯画の白黒のところもそうですね。
 
松居:  そうです。これは舞台裏を申し上げてしまうと、制作費を節約する為です。その頃だって、まだ楽でありませんから、なるべく安く作ろうと思いました。そして、色の付いた画面と、白黒の画面が交互に出てくる時には、子供達は夢中になって、この世界に入っていきますと、全部色が付いているんです。子供の世界の中には。今でも時々、大人になった方(かた)に言われます。「大人になってみたら、これ白黒の絵があった。子供の時には、全部色が付いていましたよ」と言われたことがありました。そういうのが何冊かあります。その方の中では、全部色が付いているんですよ。それは、私はよく分かる。そのことも考えに入れて作っていましたから。
 
迫田:  これも松居さんが文章をお書きになっていらっしゃるわけですけれども、文章をお書きになる時は?
 
松居:  こういう日本の昔話の再話をする時でも、創作は少しありますけれども、私は必ずテープに自分の書いた原稿を吹き込んでいます。そして、聞いてみるんです、耳で。そして、文章を直していきます。子供達に読んでやるわけですから。だから、目で読んだ時と耳で聞いた時と、とっても違うんです。ですから、自分の文章でも、一度テープに吹き込んで、聞いてみますと、ああ、ここのところが、リズムが悪いとか、ここのところで、イメージが切れてしまうとか。自分では全部繋がって書いているつもりなんです。ところが、耳で聞くと、此処は見えないね、とかということに気が付きます。言葉というのは、目に見えないんだけれども、見える世界を作りますよ。そして、そこからいろんなものが生まれてくるわけです。絵だって、基本に言葉があるだろうと、私は思うんですね。言葉というのは、人類の歴史でもそうです。まず、誰かが語った。それを聞く人がいて、その次ぎに、文字を発明して、それを読むという。書くということをやったわけですから。言葉の体験で、一番大切なのは、「語り・聞く」ということです。声の言葉なんですよ。その声の言葉を耳から聞いて、言葉の世界へどんどん入っていく。昔話をお聞きになれば、お分かりになります。昔話の語り手は、ただ語るだけですが、ところが、ちゃんと世界が見えてきますよ。耳で聞いて、言葉の世界へ自由自在に出たり入ったり出たり入ったりする体験を持っていますと、文字というものを読んで、言葉を読んで、言葉の世界に入っていくということができるんです。
 
迫田:  松居さんは絵本を作り始めた最初から、そういうふうなお考えでやっていらっしゃったんですか。
 
松居:  いや、だんだん分かってきたんです。でも、耳で聞くということがないと、字を読んでも、文字になっている言葉が、生きてこない、と。ほんとに実感として感じられない、ということは、薄々感じていました。
 
迫田:  何か大きな特別なご体験みたいなものがおありですか。
 
松居:  ハッキリそれを感じたのは、昔話を聞くようになってからです。日本に語り手が何人もいらっしゃいます。私は遠野(とおの)の鈴木サツさんという語りを、長いこと聞かせて頂きました。二百は語りますからね。そういう方の話を聞いていますと、僕の中に生き生きと物語の世界が見えてきますよ。言葉というものの、ほんとに力って凄い、と思うようになりました。遠野の鈴木サツさんという語り手がおっしゃったんですけれども、サツさんは、お父さんから小学校の五年生まで、昔話を大体聞いているんです。それ以後は、殆ど聞いていないんです。サツさんが、ある時に、「語っている父の中には、絵が見えていたと思います」とおっしゃった。それが自分の方に、すうっと言葉と一緒に伝わってきて、自分の中に世界が見えるようになった。ですから、表情だとか、声の調子とか、そういうものを全部トータルして、お父さんの中に見えていた絵が、サツさんにわかったんですね。だから、サツさんは語る時に、「言葉で語るんではない」というような、ニューアンスのことをおっしゃったんです。「自分の見えている世界を言葉にするんだ」という。だから、二百話は語れるんですよ。
 
迫田:  文字として覚えているんじゃない、ということですか。
 
松居:  言葉を覚えているんじゃないんです。物語を自分の体験として持っているから、ああ、今度は、「一寸法師」の話をしようかなあと思うと、一寸法師の世界が見えてくる。それを言葉にしている。時々、話し方が違うことがあります。
 
迫田:  そうすると、それを文字にすると、単なる文字になってしまう。
 
松居:  文字にしましたけれども、百八十九話は。でも、それを読んだ人が、ほんとに豊かな言葉の体験と昔話を聞いた体験なんかがあれば、サツさんのお世界をもう一度想像することが出来るんですね。
 
迫田:  それがないと?
 
松居:  ないと、「そういう話か」ということでお終いになってしまう。聞くというのは、自分の中にイメージを働かせるということが、聞くということですから。ただ、言葉を聞いているだけじゃなくて─まあそういうことが多いですけれども─その語っている人の気持ちだとか、語っている人がどういうふうなイメージを描いて語っているのか、ということは、それがちゃんと聞ければ、これは聞けるということなんです。聞くということなんです。文字を発明したのは、精々で四千年。言葉は、何万年前からだと思いますから、長い間、「話し、聞く」ということしかなかった。声の言葉文化だったのが、文字の文化になってしまった。そして、もの凄く豊かになった面と貧しくなった面とがあるんです。豊かになった面は、それでいいんです。ただ、貧しくなった面を補っていかないと、子供の育ちに関わってくる。それがとても気になっているんですよ。字が読めても、本を読めないんです。字を読んで、本読んで、その言葉の世界にどれほど深く入り込んでいくか、ということが読書ですから。今の子供達も同じことです。
 
迫田:  聞いた言葉で、自分の中にイメージを作るようなことが、もっていないと、今おっしゃった、例えば、大人になっても、本が読めない。
 
松居:  読めないです。字を読むというのは、技術ですから。字を読むという技術を駆使して、言葉の世界へ入るということが、読書ですから。字を読むということは、みんな技術をもっているんです。ところが、言葉の世界へ入って、どんどん入っていくという体験を持っていないものですから、そこで、立ち止まってしまうんです。それが今、子供の体験の中に、決定的に欠けているんじゃないでしょうか。早くから字を教えて、読むということを主にしますでしょう。聞くことの方が遙かに大切なんです。恐いこと、悲しいこと、心が痛むということ、憎むということ、或いは、妬むということ、そういう人間の感情がありますでしょう。人間のそういう悪だとか、痛みだとか、恐れだとか、悲しみだとか、一方、勇気だとか、愛だとか、そういう素晴らしいことがありますけど、そういう人間の両面というのは、物語に殆ど語られています。一番昔話によく語られています。昔話の中には、残酷なのがいっぱい出てきます。恐いのもいっぱいあります。面白いのもありますけれども。そういうのを物語として体験していれば、それを聞いている子供達は、ああ、恐い、と思ったり、時には、これは可哀想じゃないの、と思ったりしますでしょう。そうすると、反発をしたり、憤りを感じたりという、心の動かし方が、動かしますね、心を。その時にほんとに豊かに、子供達の内面が、育っていくんだろうと思うんですよ。それが物語体験なんです。例えば、「三匹の子豚」という話の一番最後は、狼と仲良くしたりします。そんなことしたら、駄目ですよ。狼と仲良くしたら、狼がまたやって来ますよ。だって、狼は豚が食べたいんですから。ほんとはイギリスで語られていた「三匹の子豚」というのは、一番目の豚さんと二番目の豚さんが食べられて、三番目の豚さんは、レンガの家に住んでいて、食べられなくて、狼が家の中に入ってくると、その狼を沸騰しているお鍋の中にちゃんと落として、そして、蓋をして、コトコト煮て、晩御飯に食べてしまいました、という。これがイギリスの昔話です。ビックリしますけれども、子供は最初。でも、ほんとの面白さに笑います。してやったり、ということですよ。
 
迫田:  悪をやっつけた、と。
 
松居:  恐い狼は絶対出て来ないですから。目出度し、目出度し、ですよ。
 
迫田:  そうですね。それを、「いや、そんな残酷に、鍋に入れちゃいけない」と思うんですが。
 
松居:  大人が勝手に考える。だから、子供は残酷なことも、悪いことも知らないんですよ。悪ということを知らないんじゃないですかね。悪を知らなければ、善だとか、そんなことは分かりません。必ず、両面ですから。
 
迫田:  子供達は、私も含めてですけれども、例えば、もの凄い残酷なこととか、そういうたとえ物語の世界でも、それが現実と混同してしまうんじゃないか、と、逆に思ったりして、その残酷のところをカットしてしまったりするのでは?
 
松居:  昔話は一番最初に、「昔むかし、あるところに」って語るんです。これは昔話の鉄則です。「これは話だよ」ということを。ちゃんと、「現実のニュースとは違うんです。これはお話だよ」ということで、「昔むかし、あるところに」というふうに語り出すんです。これは世界的にそうですよ。つまり、子供をもの凄く信頼しているんです、昔の人は。「これはお話だよ」ということを、ちゃんと最初に言っておいて、最後に、結末の言葉を付けますね。「これで、お話はお終いなのよ」ということで。そこで、子供達は、「ああ、これはお話だなあ」ということで聞くんです。そこのところで、現実と物語、フィクションと現実のけじめというのは、子供はちゃんと出来るんです。どうして大人はそれを信頼出来ないのか、と。子供を信頼していない。子供というのは、信頼されるとちゃんと応えるんですよ。どんな恐い話でも、お母さんが語ったら、子供は安心して聞いていますよ。お母さんはいるんですから。恐い話は恐いと思いながら、済んだらちゃんとお母さんは横にいるわけですから。ああ、良かった、と思いますよ。そういう体験が大切なんです。だから、絵本を読んでやる一番いいのは、お母さん、お父さんですよ。恐い話だと、お父さんがいれば、絶対大丈夫ですからね。子供は安心して怖がっていますよ。安心して悲しがっていますよ。それから、喜びの言葉というのは、残るんですよ。その言葉を聞いたり、読んだりして、ほんとに共感したり、感動したりして、自分の心がほんとに動いて、喜びを感じるような言葉の世界というのは、いつまでも残るんです。ですから、今でも、母親が読んでくれた絵本の言葉の世界を覚えているわけですよ。ですから、言葉をほんとに豊かに持つということは、生きている力だ、と私は思います。それを子供達に、子供の時代にちゃんと体験して欲しいんですね。言葉というのは、こんなに不思議な力を持っている。こんな楽しいもので、こんな面白いものだ、と。そういう言葉を豊かに体験していれば、子供は、やっぱり新しいものを作っていくだろうと思うし、そして、生きるということも、作ることと同じですから、生きていく力を持つだろうと思うんです。その為に、子供の本というのを作りたい。
 

 
ナレーター: 松居さんは、今、新しい絵本作りに取り組 んでいます。千六百年前、陶淵明(とうえんめい)が描いた「桃花源の木」を題材にした作品です。
編集者は谷さん。松居さんは文章を担当しています。今、中国の女流画家蔡皋(さいこう)さんが描きました、国際的な絵本の原画展でも入賞した実力の持ち主です。物語は、川を遡って山奥に入った猟師が、桃の林の奥にある隠れ家と、桃源郷に迷い込むというお話です。五年前、松居さんは、物語の舞台とも言われる中国湖南省を訪ねました。谷さん、蔡皋(さいこう)さんと共に、人々が平和に暮らすという理想郷の面影を求めて、山道を歩きました。松居さんにとって、桃源郷は、幼い頃の思い出に纏(まつ)わる心に掛かる場所でした。
 

 
松居:  こういう絵は中国の人でないと書けない。子供の時に、「武陵桃源(ぶりょうとうげん)」という掛け物を、水墨画を見ていて、何か小さい人間が、桃の林を越えて向こうの方へ、山の中に入っていくような絵があったんですよ、私の家に。春になると、その絵を親父が掛けたんです。僕は何となくファンタジーを感じたんです。その向こうに、世界があるだ、というふうに思っていたんですよ。小学校の低学年の頃だけれども。「これは何という絵だ」と、親父に聞いたら、「武陵桃源という絵だ」と言ったんですよ。意味は分かりませんでしたけどね。それは意味を知ったのは、中学の三年生の時に、漢文を習っていたら、陶淵明(とうえんめい)の「桃花源記」というのがあって、それを読んだ時に、ああ、この話か、ということで、初めて知ったんです。それ以来、やっぱり陶淵明(とうえんめい)の「桃花源記」はとっても好きな物語。私のもう一つの世界というのがあるということを感じた非常に大きな体験だった。いつかそれを絵本にしたいなあと思っていましたけれども。
 

 
ナレーター: 少年時代に読んだ漢詩の思い出。壮大な風景を描いた水墨画。松居さんにとって、中国は常に好奇心を掻き立てられる豊かな文化の国です。今、松居さんは、絵本を通して、中国との交流を続けています。
 

 
松居:  やっぱり中国と日本との間の戦争のいろんなこと、歴史を考えますと、中国の出版が遅れてしまった原因は、戦争ですからね。十五年戦争、日中の。その侵略戦争の為に、中国の出版界はほんとに遅れてしまうわけなんです。出版人として、もの凄くそのことを僕は感じました。もし、一九二○年来のままいっていれば、おそらくアジアの出版の中心は、上海か北京だったかも知れません。とってもいい仕事をしていらっしゃったんです。特に、『小朋友(しょうほうゆう)』という雑誌は、見事な雑誌ですけどね。魯迅(ろじん)(中国の文学者:1881-1936)も関わりを持っていたような雑誌で、大変レベルの高いものです。そういうことを考えると、ほっとけませんもの。お隣の人の為に働かないと。聖書にそう書いてありますから。
 
 
     これは、平成十三年九月二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」に放映されたものである