陶 芸 ―わが魂の調べ―
 
                       人間国宝(陶芸) 藤 原(ふじわら)  雄(ゆう)
昭和七年、岡山県備前市に生まれる。昭和二十六年明治大学入学。昭和三十年出版社に入るも父の病のため帰郷、助手として備前焼の修業を始めた。昭和三十三年現代日本陶芸展と日本伝統工芸展に初入選以後陶芸一筋に歩んできた。平成十三年、七十歳で死去。
                         ききて      有 本  忠 雄
 
有本:   岡山県の瀬戸内海沿いにある備前(びぜん)市は、我が国伝統の焼き物の一つである備前焼の古くからの産地です。藤原雄さんはこの地で陶芸家、故(こ)藤原啓(けい)(1899-1983:昭和五十八年没)さんの長男として生まれました。雄さんは二十二歳の時、父の陶芸を継ぎますが、以後、長年の修業を経て、数々の名作を手掛け、人間国宝になった故啓さんに続いて、この春、親子二代目の人間国宝、つまり重要無形文化財保持者に選ばれました。今日はこの藤原雄さんを瀬戸内の海を見下ろすお宅に訪ねて、陶芸に賭けた自らの人生を語って頂きます。
 

 
有本:  お宅へお邪魔を致しまして、瀬戸内海の入り江を目に致しますと、先生の作品の素晴らしさというのは、やはりこういう自然環境もかなり影響しているんではないか、と。
 
藤原:   そう思いますね。やっぱり環境のいいところでなかったら、いいものもうまれないといったら、語弊があるかも分かりませんけれども、出来ればそういうふうにした方がいいと思いますね。
 
有本:   今年の四月でございますか、人間国宝―重要無形文化財保持者に選ばれたお気持ちは如何でございますか。
 
藤原:   丁度今年、プロになって四十一年になるんですよ。四十一年間あっと言う間に過ぎました。ただ、おおむこう張ろうとか、店をいっぱい作ろうというのではなくて、何か一生懸命焼き物をやっていたら、それが國によって認められたんで大変嬉しいし、それだけに責任を感じています。
 
有本:   毎日お忙しいと思うんですけれども、やはり一日一回は轆轤(ろくろ)の前で作品をお作りになるわけですね。
 
藤原:   前はですね、朝から晩までぶっ通しでやっていたんですけど、やっぱりいろいろ雑用が多くなったり、或いは自分が歳ですからね―まだ六十四ですけど―やっぱりある程度コントロールしなければいけない。余力を持たしておかなければいけないというので、今は午前中、基本的に仕事をします。ただ仕事をすると言っても、轆轤に向いている時だけが仕事ではなくて、轆轤(ろくろ)に向くのは午前中で、午後はデッサンをやったりします。そのデッサンは、昔、外国中を歩いたり、或いはいろんなところで焼き物を観たり、彫刻や絵画などいろんなものを観て、そういうものからイメージを湧かしてデザインして、そして高さとか巾とか大きさを決めていく、そういう仕事をしています。だから轆轤の前に向かっているのは、午前中ですけど、でも轆轤の前以外でデッサンをやったりすることを加えれば、大変な時間を費やしていると思います。
 
有本:   先生は一九三二年(昭和七年)の生まれですが、ここの家でお生まれになったんですか。
 
藤原:   いえ、違います。ここじゃなくて、生まれたのは此処から二キロほど行った井田(いた)というところなんです。私の父がその時分は東京におりまして、出版社の編集長をやっておりました。それで父は東京とここを往復しておりました。私は母とこちらに居ったり、時々東京へ行ったりしていました。私の父は昭和九年位から、正式に焼き物を始めました。全く四年間位は焼き物屋の息子ではなかったんです。だから、親父が正式にこちらに帰ってやりだしてからは、こっちにおりますけど、それまではあっちへ行ったりの生活でした。
 
有本:   そうですか。お父様も最初は文学に凝って、と言いますか、そちらの方にお進みというか。
 
藤原:   まあ、親父もね、ちょっと異例だと思うんですけど、最初は英文学を勉強して、シェクスピアの勉強をしたりなんかして、焼き物でなくて、文学の勉強をしました。そして四十位になって焼き物を始めたんです。我々の世界ではちょっと遅いのは遅いんですけど、でもそれまでにいろんな人と会って、文学のこととか、或いはいろんなものを吸収して、そういうものがただ単に道具としてではなくて、道具の中に仕込みというか、情念というか、そういうものを入れていったんじゃないか。それはやっぱり親父の一見無駄であったような四十までの生活がプラスになっているんではないか、と私は思います。
 
有本:   子供心にお父様から学んだもの、得たもの、と言いますと。
 
藤原:   私の父は「好好爺(こうこうや)」とみんなに言われ、本当に人の良い、世間にはもの凄く優しい人でした。
 
有本:   藤原さんは大学は文学部、そして出版社にお勤め、ということですから、お父様に弟子入りなさる前までは、もちろん出版社でお仕事、或いは将来、物を書こう、というようなことをお考えだったんですね。
 
藤原:   そうです。ちょっとお分かりならないと思いますけど、私は、生まれつき左目が失明しておりまして、右目が0・03という、早く言えば大変な障害者なんです。焼き物は轆轤をやるから、中心が立たなくてはいけないでしょう。だから、焼き物なんか出来るとは思いませんでした。だから兎に角、将来は詩を書くか、戯曲を書くとか、出来れば小説でも書いて身を立てようと思って、その方ばっかり自分なりに勉強して、感性を磨いてきたつもりです。それが親父が病気になって倒れました。今だったら胃潰瘍なんか大したことはないけど、その当時、胃潰瘍は命に関わるような病気でした。それを親父がしたものですから、親父の助手をしているうちに、自分が焼き物が好きになってしまって、「どんなに辛くとも、どんなに苦しくても焼き物をやらして下さい」と言うて焼き物を始めたんです。だから最初はおっしゃった通り、文学をやって、特に詩を書くとか、戯曲を書くとかというふうなことで、身を立てようと思っていた。自分で決してそのハンディに甘えたんではないけど、ハンディがあったことで、焼き物を始めたら、ただ親父は黙って美術館に連れて行って、焼き物を見せてくれたり、或いは料理屋に連れて行って、素敵な器に料理を盛って、においで食べるんではなしに、目で食べることを教えてくれました。それが結局、「焼き物をやれ」とは言わなかったけど、やっぱり焼き物をやるような端緒というか、きっかけを作ってくれたんではないでしょうかね。
 
有本:   私達素人が考えますと、弱視でいらっしゃると、粘土をこねて形にする。目で見て、「ああ、いい形だなあ」「悪いなあ」というようなことを判断なさる。だから弱視でいらっしゃると、そういうハンディが焼き物には向かないんではないかと考えがちなんですけど違うんですか。
 
藤原:   いや、だから、私、何時も自分でも考えているんですが、確かに左目が失明していますし、右目が0・03というのはかなり酷いと思います。で眼鏡掛けて、矯正して、右目が1・0ですからね。左目はこれはただほんとにこんなことを言ったら恥ずかしいけど、左目は格好で付けているだけですからね。ただ目が見えないけど、一生懸命になって壺を作る。その壺を一生懸命なぜるんですよね。なぜると、そうしたら、目というのは怠けもんですから、びょうっとやったら出来たと思う。ところが私はびょうっとやっても目を信じないから、何遍も何遍も作品をなぜる。なぜて作るうちに悪い線が肌にピーンとこう伝わって来る。人が三分かかるところを五分かかる。五分かかるところを十分。たしかに人より倍かかるかも知れないけど、それだけ作品と私とのコミュニケーションというか、作品の中に私の愛情というか、私の気持ちというか、そういうものが入って、入魂の作品が出来る。だから、ハンディをハンディとしないで、ハンディを跳ね返して、ハンディをビューティにするような、そういう逆の発想を私はしてきたと思います。私は大学を昭和三十年に出て、暫く出版社にいて、それから親父が病気になって帰って来て、それから親父の仕事を見ているうちに、何か知らんが一塊の土が手の中で―センチメンタルな言い方かも知らんけど、田圃の中にあれば単なる土でしかないものが、手によって掘り出されて、そして手の中で、轆轤の上でうごめいている。まあ子犬を愛する時、抱き締めるでしょう。もぞもぞと動くあの感じがね。とってもただ単なる土というより、生き物というふうな感じがして、私は親父に「出版社へ帰るのを止めて、出版社を辞めます。すみませんけど、お父さん、弟子にして下さい」と言って弟子にしてもらったんです。それまでの親父は優しい藤原啓。その時、父が「親父としての藤原啓と、先生としての藤原啓は違うよ」と言われたんです。私はどう違うのか分かりませんでした。ただ、親父に弟子入りしてから、朝から晩まで、朝は七時か八時頃から、轆轤の親父の助手をします。で親父の助手を夜の六時か七時頃までやって、そして親父が仕事場から離れて、ご飯食べるでしょう。で私の時間がきて、私は十一時頃まで轆轤をやる。十一時位まで一生懸命轆轤を回して勉強ですよ、トレーニングをやる。そして作ってやれやれと思って、草臥(くたぶ)れた体を横にする。朝仕事場に行って見ると有無を言わさずに、親父が私の作品をパーンと土間に投げている。それは無言の教育ですね。で、それが五年位続きました。それは「こうすればこうなるんだよ」とか、「こうやったらいいんだよ」と言うんじゃなくて問答無用です。とにかく一生懸命、私が作ったものを土間に投げて、形を無くしてしまう。その時は、「親父はもの凄いきつい親父だな」と思いました。そして自分が助手をしているうちに、親父が気にいらなかったら、轆轤を―今は電動轆轤を使っておりますけど、昔はこういう木の盤の轆轤です。四つ穴が開いていて、そこに棒を突っ込んでグルグルと回すんです。それを助手しているんですが、ちょっとスピードが上手くいかなかったりすると―上手く出来ないんです―そうすると、その回す棒を持って、私をボンと突いたり、パッと叩いたり、け飛ばしたりしてね、もう頭とか足とか、体中に二十五カ所位傷があるんです、今も。その時は、ほんとに「鬼みたいな親父だな」と思いましたよ。だけど今考えてみたら、それが素晴らしい無言の教育ですね。五年位経ってから、作品を一点残してくれ、二点残してくれ、三点残してくれました。要するに「いいよ」と言葉で言うんじゃなくて、作品を一点づつ、五年位から残してくれたんです。それがやっぱり素晴らしい教育だった、と私は思う。だから私は今、それを弟子にしているわけじゃないけど、そういう親父でした。世間では好々爺、師匠としたらちょっと厳しすぎる面もありました。私は、今でもこういうところにいっぱい傷があります。例えば手を親父に切られたところがありますけど、それはやっぱり素晴らしい私の勲章だと思います。
 
有本:   成る程。ほんとに体に染みついている。
 
藤原:   ええ。頭だけでなくて、体毎。それは憎たらしくて叩いたわけではないんです。憎たらしくて蹴飛ばしたわけではないんです。憎たらしくて、こういうところ切ったわけじゃないから。やっぱり一生懸命に「本物の陶芸家にしよう、陶工にしよう」と思って、一生懸命親父が愛の鞭を私にしてくれたんです。結局、今考えたら素晴らしい師匠だと思います。
 
有本:   備前焼は千年位の歴史があるんでございますか。
 
藤原:   ええ、平安末期にスタートしたんです。
 
有本:   田圃五、六メートル位の底に備前焼きの土があるんだそうですね。
 
藤原:   「干寄(ひよ)せ」という土ですけど。大体五メーターから十メーター位ですね。私が備前焼をやると言った時に、「お前、備前を知らないものが、土なんかどうするんだ」と言われました。だけど、もういったん無くなったら、また掘っていったら、また五メートルほど下に十五センチか二十センチ位の層があります。勿論、ちょっと五センチ、十センチ、或いは三十センチのところもあります。大抵その位の層が、山から流れて来た粘土層のものが田圃の底に溜まっている。それを掘り起こして、そして一年ほど雨風に曝して、不純物の小石や小砂を取って、そして水を加えて粘土として、今、私が使っている土は、大体二十年も寝かした土です。大抵二十年ほど寝かします。備前の土の中にバクテリアが住んでおりまして、バクテリアが脂気(あぶらけ)を出してくれて、凄く粘りの強い土が出来るんです。近代化、機械化されても、フィルタとか、そういうものは使えないんです。手でもう一々、こんな大きな壺でも、こんなものでも全部手で粘土を作る。面倒くさいです。だけど、フィルタなんか使うと、バクテリアが死ぬんです。死ぬともう脂を出してくれませんから粘り強い土が出来ない。そういう宿命をもった土です。そういう土を使っております。
 
有本:   この手の平で形を作る。何回も何回も時間はかかる。けれども、本当にこの土と会話をしながら、或いはコミュニケーションをとりながら、
 
藤原:   そうです。だから、壺なんか作っているうちに、壺の方で、「お前、大丈夫か?」「今日は気持は大丈夫か?」とか、「もしね、いい形を作ってくれなかったら、僕は形がある限り、何千年でも何万年でもこの形をさらけ出さなければいけないんだよ。だから、どうかいい形を作って、家宝と言えるような、或いは自分の分身と言えるようなものを提供して欲しい」ということを土が語って来ます。私はその時に、コトコトという轆轤を聞きながら、「大丈夫だ、一生懸命やるよ」ということで一所懸命作品に向かって祈るような気持で、一生懸命に作品を作るんです。だから、私の作品は単に、道具として、器用とか見せ場をいっぱい作るとかじゃなくて、轆轤に手を素直に添えて引き上げるだけです。だから、下手くそかも知れません。不十分かも知れません。ただ何か知らんけど安らぎを感じてもらえる作品、或いはその中から勇気や夢やいろんなものを持たせてくれる作品を作りたいと思っています。
 
有本:   田圃の底にある頃も、勿論命があるわけですが、轆轤の前に登場するまでに、何年も、或いは何十年も寝かして、また新しい生命を与え、かつ形になって、また素晴らしい命になる。
 
藤原:   水差しなら水差し、このようなものは、日本に茶道が発達してから、今日までみなさんの美意識というか、日本人の持っている感性というか、そういうものに支えられた美しさ、そういうものを。しかも松の木に桜の花を咲かすようなことでなくて、水指は水指で、現代の生活環境・生活感覚にあった水指。奈良時代にあったものを、今日まで日本人の美意識・感性で支えられて、みんなで愛されたものを、私なりに消化し、私なりに味付けをして、みなさんに見てもらおう、というふうなことをやっています。桃山時代とそっくりではない。桃山時代のそのままを守っているのではない。まあ平安・鎌倉時代、或いはもっと言えば備前以前の須恵器とか土器とか、あの土偶みたいなものの中から、普遍的な美しさというものをとって、そういうものを自分なりに消化して器を作る。日本だけではなく、世界中の美術館とか、世界中のいろんな焼物屋さんのところに行って、見て、そういうものから自分なりに消化して、長い間温める。それが備前焼の一千年の歴史の中で、どういうふうな位置を占め、どういう立場になるか、或いはそのことが違和感がないかということを考えて、自分なりにデッサンをする。だから、今、作っている作品のデザインは十年前、二十年、三十年、四十年前に考えたことを温めていたものを、今頃一生懸命に出している。だから、今日思いついて、明日作るものではない。勿論、例えば、こういう伝統的な徳利、これは変えようがありません。ただあんまり見せ場をいっぱいつくったり、捻ったりしません。
有本:   じゃ、ちょっと具体的に伺いますが、いまここに作品が五点程、テーブルの上にございますね。で、轆轤に向かって、形を作って、そして窯に入れるわけですね。
 
藤原:   はい。そうです。
 
有本:   で、窯に一回入れるのは、数にしてどの位焼くんですか。
 
藤原:   まあ、この小さいぐい呑みですね。盃よりちょっと大きいもの、ここにある大きい壺みたいなもの、そういうものを大小合わせて、大体六百点から七百点です。でもそれが全部取れるんじゃないんです。備前焼はご承知のように、釉(うわぐすり)は全然塗りません。だから灰がどういうように作品の上に飛んでいって付着するか、或いは炎の形をどういうように取るかということで、こういうように変化が出来るわけです。七百点入れても、半分位はポカンと割れたりします。特にこの小さいものは薄いでしょう。だからこういうところへ直接木をどんどんぶっつけますから、木がぶっつかって割れます。その作品だけが割れるんじゃなくて、割れたのが隣近所へくっついて、隣のものもペケになりますよね。そういうことは備前の宿命です。そういうリスクを怖がったら、面白いものが出来ないんです。
 
有本:   窯に入れるまでは、その六百点なり、七百点の作品、そのものはみんな命もあるし、子供のように多分可愛いに違いありませんね。ところで燃料は赤松でしたか?
 
藤原:   十トンから、十五トン位使います、一回に。
 
有本:   十日から二週間焼く?
 
藤原:   十日から十二日位ですね。
 
有本:   そうですか。
 
藤原:   短い時で十日、長い時で十二日、或いはちょっと湿気の多い時は十三日とか十四日かかることもあります。
 
有本:   その六百点なり、七百点の作品を十日なり十二日かけて焼きます。途中でほんとにパーンと跳ねるような音で、これはもうダメだと。
 
藤原:   もうそんなのいっぱい。変な言い方かも知れませんが、運命ですから。窯を焚き出すと、窯へ木を一本から二本、三本、四本、五本、だんだん増やし、十本にし、百本にし、終いに二百本にしていったりするんです。炎がパッと出ます。煙突からも、十メートル、十五メートル位炎がでますよ。全く祈る気持ちで一生懸命やっています。まあ、私がどの位一生懸命に祈っても、焼いた後、いいなと思っても割れたり、或いは焼きが悪かったりする。しかしそれは宿命です。そういうリスクを怖がったら、やっぱりただ単に面白いだろう、器用だろう、意欲的だろう、という作品が出来ても、やっぱり人が「触るな」といっても触りたいような、展覧会で「手を触れないで下さい」と書いているでしょう。でも触れたいような作品。そういう作品を作る為には焼き過ぎをやります。その代わり、沢山の作品は目の前でパンパンパンと、まるで戦争なんかみたいに割れたり、パッと落っこって飛んでいくことがあります。さっき言いましたように、その作品が粉微塵になって散っていって、そこら近所へくっつくから、他のものもペケになりますよね。ただ、それは宿命です。そういうリスクを怖がったら面白いものは出来ません。
 
有本:   運命というような言葉をお使いになりましたけれども、最善の状態で窯の中に入れると、出来上がるまでの十日なり十二日というのは、まさに自然と人間が一体になる。
 
藤原:   だから、もうこれは―センチメンタルな言い方かも知れないけど―やっぱり神様がわれわれ陶工だけではなしに、この地球上に住む動植物のために土を下さった。貴重な土を占有し、勝手に形作るんだから、そのいい命を与えて上げなければいけない。そういう宿命。そのために私はある意味で産婆役だと思いますよ。だからそういう意味で、いい形を作って、これは家の家宝にしたいとか、これで一杯酒を飲みたい、美味しいとか、そういうふうなものを作る。その為にはやっぱり一心不乱というか、もう本当にひょっとしたら、私が倒れるかも分からん。窯も割れるかも知れない。「十日、十二日」と口で言うと、簡単か知れませんけど、一晩徹夜しても、次の日に子供が遠足に行くので弁当を作ってあげるって大変でしょう。それを十日も、十二日も続けるんですからね。大変だけど、炎の出て行く姿を見て、またパンパンという割れる音を聞いたら、涙を流しながら一心不乱で窯を焚きます。一心不乱で仕上げします。それは宿命ですから。
 
有本:   土は神様が与えて下さったものだということ、本当に勿論、陶工の方にも動植物にも本当に神様が与えたもの。だから大事にしなければいけないんだ。新しい命を与えなければいけないんだ、と。
 
藤原:   そうです。ただ単に、陶工だけの為に下さったわけでない。地球上に住む動植物の為に、大勢に下さった土です。私の手を見られても、凄く自分で綺麗だと思います。本当に自分で「綺麗だ」というのはおかしいけど、清潔にしていますから。轆轤をやると、手に泥が付くんです。それを一遍また水の中に浸けて土を流して、そして土を固めて、もう一遍再生してあげる。ただこういう作品も窯へ入れる前にどんどん作るんだけど、窯に入れるまで、一つづつチェックして窯に入れてあげないと、形の悪いのをそのまま入れて形の悪いのが出て来たら気の毒ですから。形がある限り、表現は悪いかも知れませんけど、焼き物は自殺できないんですから。だから素晴らしい人生を、素晴らしい命を与えるのが私は仕事だと思います。いま言ったように、土を神様が下さっているのだから、それを生かすも殺すも、と言っては悪いけど、それを本当に素晴らしく仕上げるのは私たちの仕事ですから。その土を占有するお詫びの印というか、それは素晴らしい命を、素晴らしい形を与えてあげることだ、と私は思います。そういうふうに日々心掛けて物を作っています。
 
有本:   お父様に弟子入りをなさって、大変厳しい修業時代で、今の境地におなりになるまで、やはり厳しいお父さんから吸収したというか、「土には神様からもらった新しい命を与えなければいけないんだよ」というふうなお言葉、多分お父様から学んだというか。
 
藤原:   口では言いませんけど、何か父の言動を通して、やっぱりそうでなければいけないな、ということを自分で感じました。親父は、口ではそんなことを一々説明しませんでした。だけど親父のやっていることを見て、大事にしなくちゃいけないな、と。土で形を作り、ただ商品として作っただけではいけない。ただ、その中に込められた情愛というか、愛情というか、根性というか、そのいうものが何かほのぼのと伝わってくるような作品を作る。「花を活けて下さい」「お酒を飲んで下さい」「お茶を飲んで下さい」或いは「水指しとして使って下さい」というようなことを向こうから語りかけ、要求して来るようなものを作る。そういうことを親父は口では言わないけどやってのけたし、私もそうだなあと思って、共鳴してやっています。
 
有本:   それとお父さんがお書きになったご本なんか拝見しますと、文化人と言いましょうか。例えば北大路魯山人(きたおおじろざんじん)のお宅に遊びに行けよとか、或いは志賀直哉、その他の文人なんかも、よくお父様の関係なんでしょうけど、お会いになっているんですね。
 
藤原:   私の父は最初言ったように、決して私に「陶芸家になれ」と言わなかった。だけど、私を魯山人のとこへ行かしたり、志賀直也のところへ行かしたり、川端康成さんにちょっとお会いさせて頂けたのは、やっぱり彼等の口を通して、彼等の生活を通して、焼き物のもつ素晴さとか、面白さとか、そのものの存在感を教えて下ったと思います。私は目が悪いというハンディがあるから、口では言わなかったけど、でも期待はしていたのではないでしょうかね。手で作るんではなしに目で作る、或いは心で作る、という。そういうことを教えてくれたのは、やっぱり家の父であり、北大路魯山人であり、志賀直哉さんを初め、お父さんの友達の沢山の文人、そういう人達が教えてくれたと思います。ただ器用になれ、上手になれ、早く引ける、何か見せ場をいっぱい作る。或いは早くいろんな展覧会に入選して賞を貰え、とかということではなくて、何か知らないけど、心の器というか、心のこもった作品を作る。「触れないで」と書いてあっても、触れたいようなものを。徳利を見たとたんにお酒を飲みたい、或いは花器を見たとたんに花を活けたいというふうな気持を、そういう人達が間接的に教えてくれた。言葉ではなくて、態度で教えてくれた、と思いますよ。
 
有本:   私達の後ろの方に、作品を幾つか並べて頂いておりますが、大きいものから、小さいもの、それから皿、壺、花入れ、薄い物、厚い物、いろいろございますけれども、この作品の中から特徴的なものを。
 
藤原:   この特徴的なもの、この作品は大きい徳利ですけど、「胡麻(ごま)」と言って、木の灰が何遍も何遍もかかって、上にかかって、最後にこう流れているんです。ビロー状になって流れている。だけどあれがもう一時間も焼けば、下へ灰がポーンと溶けて流れてしまって、くっついてしまうんです。で、その壺の円やかさと、そして直線の灰の流れが面白いから、私はこれが大好きです。
 
有本:   そうしますと、高さは三十センチ位ですか。
 
藤原:   そうですね。三十センチ位。
 
有本:   下の方に五〜六センチこう灰が流れて行かないわけですが、流れて行かないところに良さというか。
藤原:   もう三十分、一時間も焚いたら、ポーと流れて行く。下とくっついてしまって作品にならない。ペケになります。もう焚くときも大事なんだけど、火を止めるタイミングも大事です。それを見極めなければいけない。それで、結局、色んな機械を使って温度を見るのでなく、目で、感で、そういうことを考えながら焼く。下に灰がかかって、その上に熱い灰がかかって、あれがなかなか絵は描かないんですけれども、絵以上の効果があると思います。食べる胡麻によく似た色ですから「胡麻」という。
有本:   その上の方は花入れ?
 
藤原:   いえ、水指。
 
有本:   水指。
 
藤原:   従来の水指とはちょっと違って、少し寸法は合っているんだけど、真っ直ぐして焼いたんではなく、横にこういうふうにして焼いたんですね。そうしたら丁度、この赤いところがあるでしょう。赤いところが灰が入らなかったんです。で、ああいう模様が出来たんです。これは水指ですけど、私は面白いんじゃないかと思っています。
 
有本:   そうしますと、いま飾ってあるように、みんな立ててありますが、窯の中では物によっては横にする。
藤原:   これもこう寝かせて焼いている。そうしたらここは灰がくっつかんでしょう。こちらは、中に模様がありますね。これは何かこういうものを入れている。備前は釉薬をかけないけど、それだけに、窯の中にどういうふうに置くかということが問題です。自分の知識はどこまで通用するか分かりません。
 
有本:   水指とですね、上は?
 
藤原:   上は、備前はご承知の通り、絵を描きませんので、或いは透かしというのを、穴を刳(く)っているんですね。上の方に穴を刳っている。下の方は「そぎ」と言って、木のナイフで削いでいるんですね。その模様が面白いと思う。いい土を使っているから、黒褐色に焼き上がるんです。れで口が上から見ると梅の形しているんです。梅形なんです。ちょうど花生(はないけ)を大きくしたような形です。これは鉢を大きくしたような、延ばしたような形。これは壺、ちょっと口をしっかり。ただ備前は、「鉢の形」「皿の形」「花生の形」「壺の形」この四つが小さくても、大きくても、基本ですから。この四つを私は薄いのや厚いのや、それぞれその時の雰囲気とか、その時々でこの位の大きさに対しては、これ位にしたらいいんじゃないかというふうに計算しながら作っています。いい悪いは別として、特徴がよく分かるのは、花器、そして水指、そしてこの徳利ね。いぼちんをこういう横っちょにつけている。或いは本当は擂座(るいざ)の大きいか―「大擂座(るいざ)」というんですけど、「大擂座(るいざ)」とは私は言わないで「擂座(るいざ)」。「擂座(るいざ)」というのは、「いぼちん」ですね。「いぼちん」のことを「擂座(るいざ)」と言う。これは「窯変(ようへん)」―窯の変わり、と書きます。
これは擂座(るいざ)の徳利ですね。それから窯変の水指、それから花器ですね。
 
有本:   いずれも備前焼、備前の土と火がこういう造形を、こういう模様を、という。
 
藤原:   これはご承知の通り、さっきから言っているように、作品の上に灰が付着してこういう色になったということです。
 
有本:   作品と言えば、イギリスの大英博物館を初め、海外でも藤原さんの作品が何点も。
 
藤原:   そうですね。イギリス、フランス、アメリカ、カナダ、メキシコ、ニュージランド、オーストラリア、ドイツにもあります。世界中におそらく百点以上あるでしょうか。国内だけでなしに、外国の美術館とか、外国のいろんなところへ納まっております。決して道具としてではなくて、一つの造形として、絵画、彫刻と同じような立場で置かれている。
 
有本:   その作者の気持ちが果たして作品を手にするわれわれ一人一人にうまく伝わっていくものかなあというふうなことをお考えになることはございますか。
 
藤原:   ありますね。私は勿論、実際鑑賞して下さる人の立場もあるんでしょうし、その人のもっている美意識とか、感性とかがあるでしょうから一概には言えません。ただ私が作るとき、一生懸命作って、何もこうやったら感心するだろうとか、拍手喝采してくれるだろうとか、そういうことは期待していません。ただとにかく、自分の命を燃やして、力ある限り一生懸命にやっている。そういう根性みたいなもの、熱情みたいなものが何か伝わらないかなぁ、ということは考えます。でも、一生懸命やるんだけれども、伝わらない場合もあるでしょうし、私が持っているよりも、もっともっとドキッとして頂ける場合があるかも知れません。それは宿命です。その人その人の顔が違うように、受け方の違いもあるでしょう。仕方ありません。だけど、私としては一生懸命になって作ったものが、それなりにその人の左右に置いて、或いは自分の両手で抱きかかえられるような、そういうものであったら嬉しいなぁ、という期待はあります。
 
有本:   一週間も薪を燃して、十二日間、本当にもう蒲団で寝るなんていうことはないんでしょうね。
 
藤原:   十二日間は窯の側で薪を並べてね。もう窯がワンワンワンと泣くんですよ。窯がワンワン泣くし、千三百度ですから窯の熱でサウナ風呂に入っているよう。赤い炎が煙突から、十メートルか十五メートル立つでしょう。それを見ながら涙を流しながら本当に一心不乱というか命がけで焼きます。だけど、そのことで恵まれることもあるし、窯焚き終わって、二週間して窯だしする。自然に煙突から熱気が出て行って、そして冷めた時に出すんです。出す時は二週間経っても熱いです。その結果、こういうところがポカンと割れたり、或いはくっついたりいろいろあります。でもそれはもう宿命ですし仕方ないと思います。ただ、自分が一生懸命にやり遂げた、自分も窯も一生懸命にやった同士という、そういう意識があります。そういうものが作品の中に込められたらいいな、と。観て下さる人がただ器用だなとか、面白いなとか、気が利いているな、ということだけでなく、そういう心魂というか、情念が分かって貰えれば嬉しいな、と思うことがあります。  
 
有本:   「心魂(しんこん)」とか、「魂」という言葉がたびたび出てまいりますけれども、確かにお作りになって出てくるまでの苦しみを考えたら、何でまあこんなことを始めた、こんなことをしているんだろう、と思いになることも。
 
藤原:   ありますね。だけどもう十二日間はほんとに窯の側で寝る。窯を炊き出したらベットで寝るわけにはいきませんから、窯の火の炎を見ながら涙を流し、窯のバンバン割れていく音を聞きながら心を痛め、しかし心を鬼にして窯を焚くわけです。一心不乱に窯焚けば結果が恵まれることもあるし、ダメなこともある。しかしそれは宿命です。一生懸命こっちが努力し、窯が泣いてくれ―「窯が泣いてくれ」という表現はおかしいかも知れませんが、ほんとに泣くんですよ、窯がね。丁度、子供が出来る時に、お母さんが苦しいから、産みの苦しさで声を上げるでしょう。ああいうふうに泣くんですよ。そういう声を聞きながら、何かもうやり切れない気持になります。だけど、平均して全部焼けているんだけど、だけどやはり六百点なり七百点というものが確率的にはとれるわけですが、やっぱり一点でもいいから。「俺の宝よ、家宝だ」というものを作りたいから、そういうものの為に焚き過ぎをやるんです。パンパン目の前で大きな壺がパーンと割れて落っこちているのが見えていても、それを心を鬼にして一生懸命焚き過ぎる。焚き過ぎると、それなりに作品はもう凄いリスクは覚悟しなければいけないんだけど、沢山のものが傷ついたり、割れますけどね。だけど、その中から窯焚きが十二日かかって、或いは十四日冷まして、「今生まれた」と言うて出てくる。ある日、「よかったな」と思ったら底が割れてたり、後ろが割れていたり、これも宿命だし、とにかくその技術を超えて、技術の向こう側にある人間の魂みたいなものを感じてもらいるような作品を作りたい。私は日常そう思っています。そういう姿勢で今も仕事をしています。
 
有本:   昔、NHKのラジオの番組で、「音楽は世界の言葉、世界を結ぶ愛情の言葉です」というタイトルで始まった番組がございましてね。今その句を思い出して、まさに音楽は世界の言葉だけれども、藤原さんにとっては備前焼きは世界の言葉ですね。
 
藤原:   そうですね。理屈ではないからね。実際教えられて分かるもんじゃなくて、何か凄いなとか、いいなとか、素晴らしいなとか、欲しいなとか、或いは抱きしめたいな、とかいうのを感じる。説得されるものでなくて、そういうふうに自分が受け止め、感じるものだと思いますよ。それがやっぱり備前焼の面白さだと思うし、特に私はそういうつもりで作っています。「こういうふうに使わなければいけない」とか、「こうしなさい」ということではなく、何かそれなりに生かして使って貰えればいい。今から四十年ほど前に、アメリカへ行ったんです。その時に私の作った鉢に「おしぼり」を入れているんですよ、いっぱい。我々の常識から考えたら、とんでもないと思うでしょう。現地へ行ったら、鉢に料理を盛ったり、花を入れたりするでしょう。「おしぼり」を入れている。こういう使い方もあるな、と思って、私は別に腹は立たなかったし、それはそれなりにいいんだと思いました。私は自分で作るものが主です。でも時々社会性を持たそうと思って、みなさんがお金を出さないでも見て貰おうと思って、例えば、東京の銀座に一個とか、岡山にも二、三箇所、広島、大阪にもあります。レリーフと言って、陶壁を作ったり、広島だったら広島の人が沢山原爆で亡くなったでしょう。だから七メータ位の鎮魂碑ですけど作って、そして社会参加というか、社会還元というか、自分の仕事を通して社会還元させて貰っている。それは大事なことではないか。ただ単に私物化し、自分のものとして大事にするのもいいけど、やっぱりそういう仕事を通して社会参加する。仕事を通して社会に還元することも大事な仕事ではないかと思います。と同時に私は外国から今まで百人位弟子にしました。勿論、起居を共にし、一緒にご飯を食べ、一緒に酒を飲み、一緒に怒り、一緒に泣き、笑う。日本の国際交流というのは、外国人を呼んできて、英語を上手にしゃべることではないし、外人を料理屋へ連れて行って食べさせることだけが国際交流でない。英語をしゃべることだけじゃない。勿論しゃべれた方が良いですよ。だけど、外国人と起居を共にし、一緒に怒り、笑い、一緒の釜の飯でご飯を食べる。そういう中から人間と人間の国際的な愛情と繋がりを作ったと思いますよ。私は昭和三十年から、平成八年まで約百人位の弟子を、勿論、南アフリカの人もいますし、フィンランド、デンマーク、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージランドとか、メキシコ、アルゼンチンの者など世界中から弟子が来て、長い人で六年、短い人で一年位いました。確かに、その国々の歴史とか、伝統とかあり、生活環境の違いがありますから、すぐ分かるというのは無理ですけれども、何かその作品の中に込められた情念というか、愛情というか、そういうものは、日本人であろうが、アメリカ人であろうが、フランス人であろうが同じことだと思います。だから変な話だけど、ここに私のお客さん来ていて、そして外人の弟子が来ますね。でたまたまその外人が日本語をしゃべる。その日本人が私に、「この外人は備前焼きが分かるんですか?」と言うんですよ。すると、その外人が、「日本人は備前焼は分かるんですか?」と言っているんです。だから、日本人とか、アメリカ人、フランス人でなくて、その人々だと思いますよ。その人々の心の中でどれほど大切か、どれだけ大きな位置を占めるかということではないかと思います。やっぱり日本人の中に沢山理解者がいる。外人より多いというのは、それだけ歴史があり、伝統なり、環境なり、が整備されているからです。そういうふうに教育されているから、そういうものが分かる。日本人の理解者が多いだけです。茶道とか、華道というのが日本にあるでしょう。そういうものの美意識が根底にあるので、日本人の理解が早いというだけです。日本人は分かる人より全然分からない人の方が多いです。日本人だったら分かる、外国人では分からない。そういう区別は私は違うと思う。
 
有本:   備前の土で焼き物を焼いて、そして命を与え、焼き物作家として、人生のメッセージと言いますか、我々へのメッセージと言いますか、どんなことがございますか。
 
藤原:   一番難しい質問ですね。ただ、私は自分で焼き物をやって、そういう言葉も要らない世界で。さっき言いましたように、世界中に百人位の弟子が、私の所へ来て、そして彼らが世界中へ散って、いま大学の教壇なんかで教えているし、或いは陶芸家として自立している人もいますよ。焼き物とか、平和とかいうのはちょっと不心得の者がおったら割れるでしょう。だから、焼き物も平和もちょっと不心得者がおったら割れるから、焼き物を大切にすると同じように平和も大切にし、不心得者がいないようにしなければいけない。と同時に自分の仕事を通して、自分の職場なり、自分の地域社会なりに還元する。日本中に、いっぱいモニューメント作ったり、レリーフを作ったりしているといったでしょう。それも自分で私物化し、秘蔵するんじゃなくて、職業を通して社会に還元する一つの方法だと思います。今言いましたように、焼き物と平和というのは、不心得者が一人でもいたら、エゴイストがいたら壊れるからね。だから大事にし、慈しむ、愛でるという気持ちを失って貰いたくないと思います。世界中にいい友達をたくさん持つことは世界平和に繋がることではないかと思います。それで、その人を通して、その国を思い、その結果、平和である。それからさっき言いましたように、平和とか、焼き物というのは、壊れるんだから、ちょっとした不心得で壊れる。それを慈しむ、愛おしむ、愛でるというものをお互いに共鳴することが大事なことでないかと思います。抽象的かも知れません、消極的かも知れませんけど、そういうふうに何時も考えて仕事しています。
 
有本:   私達ももしかしたら友情の焼き物のように壊れやすい、それだけにほんとに大事に愛でて。
 
藤原:   決して愛でるだけでなしに、焼き物も完璧ではなく不定形なんだけど、その中に込められた情念というか、心魂というか、そのものがいっぱいあげないと、もう何か人間の関係もギクシャクしてはいけない。何かしら余裕を持った関係になりたい。そういうことがお互いの國の摩擦を避けられる、或いはぶつかっても何か知らないけど少しちょっと引いてあげる、という。
 
有本:   素晴らしいお話をどうもありがとうございました。
 
藤原:   どうも至らぬ話ですみませんでした。
 
 
     これは、平成八年九月八日に、NHKの教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。