仏教の根底にあるもの
 
                       東京大学名誉教授 玉 城(たまき)  康四郎(こうしろう)
一九一五年(大正四年)熊本市に生まれる。一九四○年東京大学文学部印度哲学科卒業。一九六四年東京大学文学部教授。東京大学名誉教授。一九九九年没。著書「中国仏教思想の形成」「日本仏教思想論」「仏教の根底にあるもの」「東西思想の根底にあるもの」他
                       ききて      金 光  寿 郎
 
金光:  釈尊が仏教をお説きになりましてから、現代までおおよそ二千五百年経っておりますが、その間にインドからアジア諸国、日本にも中国、朝鮮半島を通って仏教が伝わってきております。時代により、風土により、非常にさまざまな展開をとげております。日本の仏教だけをみましても、禅宗あり、浄土宗なり、それから法華経中心とした教団あり、さまざまな形で展開しておりますけれども、その中に仏教としての根底を貫くものがあるように思います。今日は、東京大学名誉教授・玉城康四郎先生をお招きして、その辺のことをお伺い致したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。先生の長い間の仏教のご研究の中から、いまの仏教の根底にあるものをお伺いしたいと思うのでございますが、ところが聞くところによりますと、先生のお爺さまが亡くなられた時に、挨拶状に「おめでとうございます」という言葉があったそうでございますが、それはその通りなんでございますか。
 
玉城:  これは私がその時、まだ小学校の四年でしたから、まあいろいろ耳に聞きまして、人が亡くなった時に、悲しまなくちゃならんのに、逆に「おめでとう」という言葉が挨拶にきた、というので、子ども心にも大変衝撃を受けましたね。
 
金光:  そうでしょうね。
 
玉城:  今でもはっきり覚えています。
 
金光:  どういうことだったんでございますか。その言葉がきたということには、事情があることでしょう。
 
玉城:  私のまだものごころのつかないうちから、私の家だけじゃなくて、その故郷一円が大変仏法のさかんなところでして、それでお坊さんがしょっちゅう説教なさって、それに母や祖母に連れられて、何も分からないままお参りしておった、ということがありまして、それでだんだん祖父の姿が子どもの頃にも映って―今でも動いている姿が目に浮かびますけれども。実は、祖父が二十五の時に、病気になって、一度息を引き取ったわけです。
 
金光:  ほおー。
 
玉城:  お坊さんがきまして、枕経(まくらきょう)というのを、亡骸の前で枕経をあげて、そのお坊さんが帰った後で、爺は息を吹き返したんですね。その時彼が言っておった、というのを後で聞きましたけれども、「もしあのとき、そのまま息を引き取って命が亡くなっておったら、自分はもう地獄より他にいくところがない」ということで、息を吹き返したあと、大変聞法を始めたわけです。私は、最近臨死体験ということの資料がたくさん出てきている。みなさんもよくご承知と思いますけれども、私は興味があっていろいろ調べてみるところから考えてみましても、「あれは、祖父はあの時地獄を見てきたんだ」と。
金光:  現代、わりに花園だとか、小川だとか、綺麗なイメージの臨死体験が多いようですが。
 
玉城:  多いですかね。
 
金光:  そうでない臨死体験も。
 
玉城:  中には今いったような大変残酷なことも報告されています。だから、おそらく爺は地獄をみてきたか、或いは地獄にもう落っこちゃった、というふうに感じたのか。そうでないと、息を吹き返してから、あれだけまあ猛烈に聞法を始めた、ということは、私には理解できない。そういうふうに思いますね。
 
金光:  その聞法なさっている間に、結局亡くなられるのも、やっぱりお浄土にお参りになるからめでたいと、そういうことでございますか。
 
玉城:  そうですね。いろいろあちこちのお坊さんを訪ねて―以前は各地に偉いお坊さんがおられましたので、京都の本願寺だけでなしに、各地のお坊さんを訪ねては一生懸命聞法して、だんだんそれで自分ながらに落ち着いてきたんじゃないでしょうか。六十になるまでは、いろいろ聞法しながら仕事をしております。六十になってから全部足を洗って、一室に閉じ籠もって、いわゆるまあ今日でいえば、『聞法録』みたいなものをずっと書いて、八十三の時に亡くなったわけです。だから、いろんな先生方が、爺のことを知っていらっしゃった、と思います。で、そういう手紙がきたんだ、と思います。
 
金光:  そういう方の影響もおありで、玉城先生も仏教のほうへ進まれたということでございましょうか。
 
玉城:  まあどういう影響があったか、私はまったくわかりません。そういう家に生まれた、ということもそうでしょうし、
 
金光:  若い頃から仏法の話は聞いて廻られたということでございますか。
 
玉城:  ええ。もうわからんまま連れられて行って聞いておりましたけれども、はっきり意識し始めましたのは、爺が亡くなったのが五月で、八月に本願寺から是山恵覚(これやまえかく)(1857-1931)という方が、私の家に泊まって下さって、毎日一週間大きなお寺に行って説法があるわけですね。その方がたまたま一週間ほど泊まって、私は子どもながらしょっちゅう拝見しているわけです。そういうことで是山恵覚が朝の説法、昼からお坊さん相手のお話を始めて承りまして、「ははぁ、そういうことか」と、だんだん関心を持ち始めてきたわけです。
 
金光:  その辺はいずれも浄土信仰にとっては非常に大事なポイントということでございますが、それで中学校から高等学校へ関心をお持ちになりながらお進みになったわけでございますか。
 
玉城:  これはよく言われますように、「聞即信(もんそくしん)」と申しましょう。
 
金光:  「聞くことが即ち信ずることである」と。
 
玉城:  そうそう。お坊さんの言われたことを、「聞いておるまんまがご信心だ」と。こんな簡単なことはないわけですね。そういうことで聞いてきましたので、自分ながらに、「ああ、そうか」と頷いておったわけです。それが中学校から高等学校へ入りまして、始めて生物学の講義を聞きました時に、生物と無生物の間がはっきりしない、と。これは今でも問題になっておりますが、それを聞いて、それじゃこの自分自身、或いは魂といいますか、「自分自身が極楽に往生する」というのは、一体何が往生するのか。自分は生き物であって、無生物で往生するのか。生物で往生するのか。その簡単なことでガラガラガラッと崩れ去ってしまったんです。
 
金光:  人間ならわかるけれども、人間以外の無生物なんか、
 
玉城:  どうなるんだ、と。
 
金光:  それで、「聞即信」というのが、
 
玉城:  もう簡単に、今までの「聞即信」ということが吹っ飛んでしまいましてね。それでまあ考え始めたんじゃないか、と思います。
 
金光:  改めて。
 
玉城:  ええ。やっぱりこれは、できたら一つ仏教を学んで本格的にいったいどうなっているのか、と。
 
金光:  むしろ崩れないものを求めてみよう、と。
 
玉城:  そうそう。そうです。
 
金光:  それで高等学校から大学へ進まれれた時に、仏教学を専門に進まれたわけでございますね。
 
玉城:  それで、高等学校の時にたまたま縁がありまして、久留米(くるめ)の梅林寺(ばいりんじ)に接心(せっしん)にまいりましたのが坐禅の始まりなんです。ただ自分なりに腹を据えてやり始めたのは大学に入ってからでございます。
 
金光:  そうしますと、「聞即信」の「信」が崩れて、それで梅林僧堂という、臨済宗のお寺でございますね。ということは、臨済宗ですと悟りということがそこでは問題になるわけで、
 
玉城:  そうなんです。
 
金光:  今度は悟りを追求しようという形でお出掛けになったわけでございますね。
 
玉城:  ですから、頭だけで勉強したんでは、これは観念に留まるから、やはり身体で実証したい、という気持がありましてね。考えてみれば、ご信心だって、ただ観念とか、或いはフィーリングとかいうことじゃなくて、もっと土台がしっかりしたものに違いないので、身体で一つ覚えないことには始まらない、ということで、坐禅に入ったわけですね。
 
金光:  東京大学へ入られて、「仏教学」ということになると、これは頭のほうでございますね。でもやっぱり身体の追求のほうも続けておやりになったんでございますか。
 
玉城:  これはもう大学で「華厳」についての卒論を書きましたけれども、これはまだ目も口も鼻もわからないわけですから、とにかく身体で覚えることが先決だ、ということで、大学院に入りましてからも、ひたすら坐禅に打ち込んだわけです。たまたま大学の先輩に、奥野源太郎(げんたろう)という先生がいらっしゃる。この先生は出家なさっておられまして、たまたまその奥野先生に出会って、それで坐禅を仕込まれたわけです。この先生に出会わなかったら、今から考えますと、とてもこれまで坐禅が続いていない、と思います。非常に天才的で、在家から一生懸命入って出家なさった方ですから、その本心で本当のものを追求する、という、その身体から出てくる力にすっかりこっちは圧倒されて、この先生についたのが、何よりのいい因縁だったと思います。
 
金光:  で、臨済禅でございますと、公案があって、公案追求していると、ある熟してくると、見性(けんしょう)ということに至るというふうに聞いていますが、やっぱりそういう見性のご体験がおとずれてくるわけでございますか。
 
玉城:  これは数えの二十六歳の時に、大学院に入った明くる年だったと思いますが、一生懸命、それまで坐禅をやるでしょう。いくらやったって苦しいばっかりですね。坐禅をやって苦しむばかりでなくて、坐禅を出て日常生活に帰ってもしゅっちゅうその問題にぶつかりまして、もうほんとに悶々として日を送って、とっても仏教学の勉強なんていう問題じゃなかったわけです。そういう悶々として送っておった、その大学院に入った明くる年の二月七日、夕暮れに、東京大学の閲覧室で、たまたま『十地経(じゅうじきょう)』という、『十地経』の一番最初の「歓喜地(かんきじ)」というところを拝見しております時に、わぁっ!と、こうきたんです。この身体が木っ端微塵に爆発してしまった、という。それは後で反省してそう思う。その時はまったくわからなくなって、突然そういう状態になってしまって、どれだけ時間が経ったかわかりませんが、意識が戻った途端に、そこからもくもくと歓喜―歓びが出て、始めて意識に戻ったわけです。戻った時はその歓びが、「ははぁ、これで今まで求め続けておった道が開かれた」という、いわば感情のサミットに立っている状況が、それから一週間か十日ぐらい続いたんですね。だんだん冷めてくるんです。冷めてきて、結局冷め切ってしまうと故の木阿弥(もとのもくあみ)。何にも変わったことはない。依然として、我執(がしゅう)が起こる。煩悩は起こる。それでまた大変ビックリして、また一所懸命やるわけです。そうすると、一月ぐらい経ちますと、これはデカルトの『方法叙説』というのをたまたま読んでおった時に、また「うわぁっ!」と底が抜けるんです。第一回ほど激烈じゃありませんけれども、本質的には同じですね。うわぁっ!と抜けて、もう何もかも、疑いも何から全部抜け落ちてしまうんですね。その時はいいんです。また暫く経ちますと、故の木阿弥、これじゃいかんといって、またやって、またそういうことが起こる。こういうことを長い間繰り返してきて、まあその間にいろいろな臨済の老師の方々に巡り会って鍛えて頂いたわけですね。しかし、元へ戻るということは解決しない。
 
金光:  一度お悟りの体験があると、それからは何か別世界にずーっと進めるのかと思ったら、また元に返ることがあるわけですね。だから、「悟後の修行が大事だ」とかいう。やっぱりそこのところでございますか。
 
玉城:  そういうところだと思いますね。まったく別世界に入る。おっしゃるとおりです。全然その「安心の極」といいますか、「安らぎの極」というか、何か問題がなくなったところへ入る。しかし、また元に戻る、という。一体これは何だろう、ということで苦しみました。
 
金光:  で、今のはお悟りを追求なさっていた時のことでございますが、一方では「聞即信」の浄土信仰のほうの方にもお会いになっていらっしゃったそうですね。
 
玉城:  ちょうど奥野先生にお会いした、大学院に入った花の頃に、京都の足利淨円(あしかがじょうえん)という先生に巡り合うことができましてね。最初に先生をはじめて京都のお宅に伺いしました時に、これは予告なしにお訪ねしましたので、先生は着流しのまま玄関にお出でになったんです。その玄関にお出でになったお姿を、私拝見した時に、「ああ、この先生だ」と。その若い時の感じは、今でもまったく変わっていませんね。
 
金光:  それは言葉も何もなくて、要するに身体から発散されているもの、といいますか。
 
玉城:  そんな猛烈なもんじゃなくて、先生はただスッと立っていらっしゃるだけですから、何も発散するという、そんなことは感じませんけれども、そこにお立ちになっているお姿が、「もっともたしかなお姿だ」と。「安心」とかいう言葉でなくて、「もう安らっておられる」と。それに、私は感動したんだ、と思います。
 
金光:  そうすると、一方では坐禅をなさりながら、足利淨円師のところにも話を聞かれたり、いわば「信」と「お悟り」と、両方仏教の大事な流れでございますが、そういうのを学問のほうからも、それから生活の実践のほうでもずっと追求なさっていらっしゃった、ということでございますね。
 
玉城:  これは一方は臨済禅の禅宗と、一方は浄土教のご信心と、まるっきり反対のように思われますけれども、そうじゃないんですね。両方とも、いわば身体で本当のことを訴えておられる、というので、私には何もそれについての矛盾というのは感じませんでした。両方とも一つ一緒に行(ぎょう)じていこう、と。
 
金光:  よく「帰依三宝(きえさんぼう)」といわれますが、「仏」と「法」と「僧」、それは今おっしゃった、違っているように見えながら、そこのところには一つの同じものがあるから、帰依する対象は違うようでも、ご信心のほうも、お悟りのほうも、元は繋がっている、と。同じものだ、ということでございますか。
 
玉城:  そうです。そういうことは、実際坐禅をやって、それで坐禅の中で念仏すると。私は、古川尭道(ぎょうどう)老師に参禅した時に、「公案は要りません」と。「私は念仏で禅定(ぜんじょう)にいきたいから、どうぞ一つ念仏で、ご老師さまに見ていただきたい」ということを申し上げてやりましたぐらいですね。ですから、そういうことは全然矛盾は感じないどころか、それは一致していると思っておりましたけれども、しかし、実際は、坐禅は自力の行である。念仏は他力である、という感じが、また一方ではあって、それはずっと問題として、同時に繋がってきているわけです。それがはじめて心の底から、問題の繋がりが解けましたのは、六十近くになって、ブッダのお悟りの言葉に触れた時ですね。
 
金光:  よく十二月八日にお悟りになった、というふうに、聞いておりますが、その時のお言葉があるわけでございますか。
 
玉城:  そう。歌が残っております。「ダンマが顕(あら)わになった」という言葉に触れまして、「ああ、なるほど、見性ということもそうだったのか」と。
 
玉城:  その時の一晩明けた次の明け方に詠われた詩をご用意頂いたので、それを紹介さして頂きましょう。「明け方の詩」ということで、
 
     「明け方の詩」
     実にダンマ(法)が熱心に禅定に入っている修行者(ゴータマ)に
     顕(あら)わになるとき、そのとき一切の疑惑は生滅する。
     あたかも太陽が虚空を照らすように、悪魔の軍隊を粉砕して安らっている。
          (ウダーナ(自説経))
 
漢訳では「自説経」ということになっていますが、これは「明け方の詩」で、その前の夕暮れに同じような詩があるようでございますが、
 
     「夕暮れの詩」
     実にダンマの法が熱心に禅定に入っている修行者に顕わになるとき、
     そのとき一切の疑惑は生滅する。
     というのは、縁起の法を知っているから
 
というふうになっております。それから「夜中の詩」のところでは、
 
     「夜中の詩」
     実にダンマの法が熱心に禅定に入っている修行者に顕わになるとき、
     そのとき一切の疑惑は生滅する。
     というのは、もろもろの縁の生滅を知ったのであるから
 
ということになっております。これが「明け方の詩」になると、
 
     あたかも太陽が虚空を照らすように悪魔の軍隊を粉砕して安らっている
 
ということになるわけでございますね。
 
玉城:  これはご紹介頂いたように、夕暮れの時に、はじめてダンマがゴータマ―釈尊ですね―ゴータマに顕わになった、というのが、お悟りの始まりですね。で、その「ダンマ」というのは、いくら経典を見ても、「ダンマというのは何だ」ということは説いていないわけです。「ダンマ」としか言いようがないので、たまたまブッダは「ダンマ」とおっしゃったんで、実はだんだん仏典を頂いてみますと、「まったく形のない」、今日の言葉でいえば、「いのちの中のいのち」としか、「いのちの中のいのち」或いは「純粋生命」―「純粋生命」というと、すぐ「純粋」とか、「生命」にとらわれるけれども、そうとしか言いようのない、「形のない、いのちの中のいのち」というものが、突如としてブッダの人格体に顕わになった。これが始まり。顕わになったいのちがブッダの身体の中にだんだん浸透して、浸透していくうちに、最初は縁起ということが心にイメージされてきたんだろう、と思います。浸透して、その縁起も離れ、縁起もなくなっていく、と。とうとう最後に、先ほどお読み頂いた第三の詩では、もう全部が崩壊し、「悪魔の軍隊」というのは、「あらゆる煩悩」のことですね。ブッダの底に巣くっている、あらゆる煩悩が悉く粉砕されて―粉砕された―何が粉砕するか、というとその「ダンマ」。ダンマが形なき道が粉砕して、そしてそのブッダの全人格体から、ふあっと太陽が大虚空を照らしぬくように、ダンマの力がふあっと響いていった、ということですね。これは大変大事なことです。
 
金光:  これはそうすると、お悟りになった時のご体験を、「前の夕方はこうでした」「夜中はこうでした」。で、よくいわれる「明けの明星を見た時はこうでした」と。そういう形で表現されているわけでございますか。
 
玉城:  そうです。
 
金光:  後で、その時の体験を思い出しながら、表現された一番大事な根本のところが、この詩に出ている、ということでございますね。
 
玉城:  それが大乗経典になりますと、そこの本質がはっきりと形になって、例えば、ブッダの眉間からふぁっと光明が出た。或いは、最後に鼻からも口からも喉からもお腹、臍からも、或いは手足からも、ふぁっと光明が全宇宙に渡り合って、そして生きとし生けるもの、ありとあらゆるものを包括する。これはもうブッダのお悟りの時に、きちんとそれが出ているわけです。形となって大乗経典になる。それがはっきり示されている。
 
金光:  そのことは、日本仏教にも、そのことに関係した教えというのはちゃんと伝わってきているわけでございますか。
 
玉城:  それが不思議なことには、日本仏教の一番最初の開拓者であられる聖徳太子のお書きのものを拝見すると、「形のないいのちが」―「形がない」ということを、太子は一所懸命強調しておられる。「形のないいのちが、実は万法を照らす。ありとあらゆるものを照らす」と。これはいまの光明でしょう。「ありとあらゆるものを照らし、大悲息(や)むことなく」―それが大悲となっている。これはもう太子の簡単な言葉の中に、全仏道の基本を、
 
金光:  では最初からちゃんと入っている。
 
玉城:  そうおっしゃっておられる。それで太子の先生、高句麗(こうくり)の僧の慧慈(じえ)が、「太子はしょっちゅう夢殿にお入りになって、そして禅定に入っておられる。だから、一週間禅定に入っておられる。だから、決してこれを邪魔にしないようにしてください」ということをいっている。では、どういう禅定に入っておられるかということは、何も『維摩経義疏』はおっしゃっていないけども、これははっきりわかるんですね。
 
金光:  先ほどお言葉でもね。
 
玉城:  ブッダに直結するんですな。どうして直結するか、ということは、文献を調べてもよくわからない。
 
金光:  いわば、言葉にならないところ、という。そういうことで、「法」という、漢字で表すと、法はいろんな意味に使われているようでございますが、先生が「ダンマ」とおっしゃるのは、そういういろんな意味ではなくて、ほんとに「純粋な、形もない、言葉にもならない」ところを表すために、元の言葉の「ダンマ」という言葉と使っていらっしゃるわけでございますか。
 
玉城:  そうです。それはただブッダだけのご体験とか、或いは直結なさった聖徳太子だけのご体験というんじゃなくて、平々凡々の人間も、ブッダの教えをそのまま受け取って学んでいけば必ずこうなるんだ、と。これがブッダの経典の一番おっしゃりたいところです。それで一生懸命八十年の生涯に亘って、それを説き明かされたわけですね。
 
金光:  普通ですと、「お悟り」というと、別世界のことで、そしてお釈迦さんの、釈尊のお悟りなんかは、自分にはとても、という感じがあるわけですが。
 
玉城:  そうじゃないんです。
 
金光:  ダンマの世界から見ると、そんな離れたものでは勿論ないということですか。
 
玉城:  そうそう。それから、最初は釈尊も菩提樹の下で、ダンマが顕わになって、お悟りを開かれた時には、自分が最初だと思われたに違いない。このダンマにもとづいていくと。
 
金光:  躊躇(ためら)われますね。
 
玉城:  ちょうどダンマがだんだんのちには「如来」と言い換える。これは大変大事なことですね。ダンマ、私は「ダンマ・如来」と。ダンマと如来様を一つにして頂いているんですけれども、その「ダンマ・如来」―形のないいのちそのものが、如来となって、我々に働きかけてくる。或いはダンマとなってまた働きかけてくる。これは我々の受け取り方ですから。根本は、「ダンマ・如来」ということが基本です。それをはっきりと言葉でおっしゃったのは日蓮上人です。
 
金光:  何とおっしゃっているんですか。
 
玉城:  一つは、「仏より立てられて候」と。自分が立っている、立っている自分は、蛇のようにこうくねってどうしようもない性(さが)を持った自分だ。しかし、それが仏の中へ入ると、いつのまにかこの形が仏によって立てられてくる、と。シャンとなってくる、と。これは大変な言葉でしょう。それから、よくご存じの言葉としては、「師主親(ししゅしん)」ということをおっしゃっているんですね。「師」というのは先生≠ナす。「主」というのはあるじ=B「親」はおや≠ナすね。これはみんな仏さまのことです。『法華経』の根本精神です。つまり仏さまが主で、私どもはその主(あるじ)に仕えている師匠だ、と。それから「親」というのは親(おや)ですね。仏さまが親で、私どもは仏さまの子どもである、と。これは『法華経』の根本です。
もう一つ日蓮上人のいっておられるのは、「師」―先生ということです。仏さまだけが先生だ、と。これは、私、今までも一緒に同士の方々と坐っている時は、これが根本なんですわ。師匠と弟子という関係ではなくて、全部生きとし生けるもの、全部仏さまの中で対等だ、と。先生はただ如来・仏だけだ、と。その如来が先生となって、私の身体の中に入り込んで指導して下さる。これほどたしかなことはないじゃありませんか。
 
金光:  ただ、先ほどからのお話を伺っておりますと、ダンマと自分が一緒になって、これで間違いない、と思っていらっしゃったのが、だんだんもとの自分に、凡夫に帰るといいますか、一緒でなくなる、といいますか、そういう自分がまた故の木阿弥になったという、この辺はそれとどう繋がるんでございましょうか。
 
玉城:  「故(もと)の木阿弥になった」ということが、先ほどの「ダンマが顕わになった」ということを頂いて、はじめてわかったわけですね。それは体験をした時に、「ああ、これでいい」と思う。「これでいい」と思うのは、もうその体験から離れてしまっているんですね。
 
金光:  自分を思っている。
 
玉城:  そうそう。「正恁麼時(しょういんもじ)」ということをいう。
 
金光:  「まさにその時」という。
 
玉城:  禅語の、これ難しい言葉ですけれども、「まさにその時」ということです。そのいわゆる今日で言えば、現場ですね。現場でダンマが顕わになって、「あ、これでよかった。これで済んだ」と思ったら、その現場から離れているわけですわ。それであとへもどる。それは業の自分でしかありませんから、後へ戻るわけですね。
 
金光:  それは意識して戻るんではなくて、自然に戻りますね。
 
玉城:  自然です。そこが業ですね。この業のことを「ダンマが顕わになった」という言葉に触れた後に、もう六十を越えましてから「業」について、ブッダが「業熟体(ごうじゅくたい)」ということを懇切丁寧に説法しておられる。そこに触れまして、また一つ目を開かせて頂いた。
 
金光:  「業が熟する体」と書くわけでございますね。
 
玉城:  そうそう。これは古い訳では、「業異熟(ごういじゅく)」となっているんですね。
 
金光:  「業が異なって熟する」と。
 
玉城:  そうそう。「業がさまざまな形になって熟してきている」ということです。金光さんと私という二人だけ見ても、いろいろ違いましょう、いろんなことで。それはまさにそれぞれの営んできた業が、こういうふうな形に熟している、ということですね。
 
金光:  その場合は、一応、私という個体が業熟体であり、こう生きている場合には、食べ物を食べたり、空気も呼吸したり、そういうものも含めて、今のこの自分があるという、それを「業熟体」というふうに、そう考えていいわけでございますか。
 
玉城:  そうですね。それで、いろいろブッダの「業熟体」について説法しておられるのを掻き集めてきて、それほんとに頂いてみますと―そこまでのことは詳しく申し上げられませんけれども―それを本当に頂いていますと、無限の過去から、生まれかわり死にかわり、死にかわり生まれかわりして、その間に生きとし生けるもの、ありとあらゆるものと交わりながら、いまここに、金光さんは金光さん、私は私として―今ですよ―観念でなくて、今現実に、いまこうして、ここに現れている金光さん全体、或いは私全体のエッセンスというか、本質といいますか、それが「業熟体」なんですね。だから、金光さんは金光さん自身のこと、私は私自身、しかし無限の過去から営んできたものですから、私自身の業熟体でありながら底がないんですね。私はわからないわけです。同時に、生きとし生けるもの、ありとあらゆるものと交わりあいながら、こうして現れている統括体ですから、だから私自身であると同時に、宇宙共同体になるわけです。業熟体のもともとの姿というのは、ブッダの教えをよく聞いてみると、私自身のここに顕わになっている底の知らない姿であると同時に、それは宇宙そのもの、生きとし生けるもの、そのものの姿である、と。そういうことを教えて下さっている。
 
金光:  ちょっと今のところを、文字になっておりますので、ちょっとそれを読まして頂きます。
 
     「業熟体」
     無限の過去から、生きとし生けるもの、
     ありとあらゆるものと交わりつつ、生まれかわり、
     死にかわり、死にかわり生まれかわりして輪廻転生(りんねてんしょう)しながら、
     いま、ここに現れている存在の統括体である。
 
俗にいう「輪廻転生」とは、だいぶ意味が違うような気がするんですが、非常にいわば深い内観の世界で感じられた宇宙共同体との交わりの中での統括体という、そういうことでございますね。
 
玉城:  そうですね。無限の過去から今日、それから未来、尽未来際(じんみらいざい)にわたって、この経巡っている、大きな経巡りという。ブッダはそのことを無明によって、無明に覆われ―「無明」というのは、何にもわからん、ということですね。無明に覆われて愛欲に結ばれて流れ彷徨(さまよ)っている輪廻。この現在流されている、その輪廻の根本。根本はまったく分からない、と。そうでしょうね。わからないですよ。私たちは、母親の胎内からわかって生まれてきたんじゃない。
 
金光:  そうですね。
 
玉城:  分からないまま生まれてきた。そうすると、お母さんの胎内には違いないけれども、そのお母さんをズーッと遡っていくと、とうとう宇宙の誕生まで、その宇宙から我々は生まれてきた。何にもわからんままで生まれてきた。その「何にもわからん」というところが「無明(むみょう)」です。だから、「業熟体の根本は、まったく分からない」。そして、私どもは、「無限の過去から営んできた業のためにわからないばかりじゃなくて、さまざまな煩悩を起こして、我執に狂っている」。
 
金光:  現在世界はまさにその縮図みたいなところでございますね。
 
玉城:  我執に狂っている。自分自身の生活が無明に覆われ、我執に狂っているだけじゃなくて、自分そのものが同時に共同体である、と。それはもう区別がつかないで溶け合っている、と。そうすると、今日我々が経験している、さまざまなことを見聞している。たくさんの人が飢えて亡くなる。或いはたくさんの人がお互いに鬩ぎ合って、殺し合いやって血を流している、という現実体は、まさに業熟体。しかし、私どもは、それを他人事のようにしか感じない、感じられない。本体は業熟体の中に生きていることは間違いないわけです。それを一生懸命ブッダは教えている。現実の餓鬼とか、地獄とか、いうふうに言われている現実の状況そのものの中に、衆生―我々は生きているんだよ、ということを教えている。
 
金光:  またそれから、逃れる、逃れられる道といいますか、無明のままで苦しんでいるところから抜け出る道も説いていらっしゃるわけですね。
 
玉城:  それはもう今の仏道ですね。何にもわからん、何にもわからんままで、生まれてきて―無明だからね―何にもわからんために、いろいろ苦しみを経験し、鬩ぎ合いまでやっているという現実体までなっている。それじゃ、どうすればいいか、と。何もわからんままで生まれてきた、そのわからんままで生まれてきた元のいのちに帰りなさい、と。これだけなんですよ。そうしますと、「わからんから苦しんでいる」というその反面は、「何にもわからんからこそ、いのちがつるしてくる」と。何かわかっておったら、それが邪魔してつるしてこない。分別が出てきますから。わからんから生活している。私ね、大変尾籠(びろう)な話だけども、金光さんもご存じだと思いますが、「雪隠虫(せっちんむし)」―ウジ虫ね。今はもうすっかりなくなちゃった。
 
金光:  そうですね。水洗になるとわかりませんね。
 
玉城:  形も影もなくなった。その雪隠虫―ウジ虫です。まったく反省してみれば、ウジ虫から一歩も出ない。わからんまま蠢(うごめ)いているんですね。極端にいえば、私は、仏教の研究ということで、そういう仕事をやっていますから論文を書きますね。論文を書く時には、いろいろブッダの教えを頂いたことを構想して、そしてもっとも厳粛な、最高のブッダの教えを書こうとして、書きますね。書きながら、ひょいと自分が生きるという、何にもわからんウジ虫ですわ。これは離れられませんよ。そういう論文を書いている時は、なんか高遠な世界だけにいるかというと、そうじゃないんですね。平生がウジ虫ですね。それを教えて頂いたということ、つまり先ほどの業熟体。業熟体ということは、言葉を換えれば、ウジ虫ということです。何にもわからんね。それを教えて頂いた、ということが、もともと高慢心、或いはもともと我執の自分がそうならないで生きていける。仮にそうなろうとしたら、それをちゃんとならないようにしてくださる力を与えられている、ということが最高に有り難い。
 
金光:  そこのところでしょうか、親鸞聖人の場合も、「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」ということをおっしゃっていらっしゃいますし、それから仏教をずーっとそれまで学問のほうからも、実践のほうからも追求してこられた玉城先生ご自身も、先年大変地獄体験をなさったとか、伺いますが、そういうところと、今のお話とはどういう形で繋がってくるんでございましょうか。
 
玉城:  私は体が―病弱じゃありませんが―弱い体質ですけれども、三年ほど前、はじめて長い間入院生活を送ったんですが、その時に物が食べられないで、そして体はだんだん疲弊し、熱は三十九度前後、老人にとっては大変な重みですね。それに苦しくて苦しくて、もうしょうがないんですね、家で寝ておりましても。それで体はますます疲弊して、苦しいでしょう。苦しい時、ひょっと気が付いたら、「ご信心」とか「お悟り」なんて吹っ飛んでしまっています。一体自分は七十年の生涯をかけて、このことを求めてきたのに、それが吹っ飛んでいまう、ということに、今までは体だけの苦しみだったのが、精神的な苦しみが加わってきて、もうどうしようもなくなっちゃったんですね。どうしようもなくなって、苦しみの真っ最中に、ふと「業熟体」ということが、思い浮かんだと同時に、ふわぁっと苦しみがなくなった。そして、如来の大きな手でピシッと掴まえられて、親鸞聖人の教えの摂取不捨(せっしゅふしゃ)ということで、掴まえて、同時に苦しみがまったくなくなった。暫く経ったら、そのなくなったということも、今度は消えて、やっぱり故の木阿弥です。故の木阿弥のまま病院へ担ぎ込まれまして、その疲弊した体をベッドに横たえておりました三日目の夜中に、いつかわかりません。気がついてみた時に、右から左に向かって熱風じゃなくて、火風です。火の風です。熱風のようなもんです。火の風が―形は見えませんよ。赤いとか、そんな炎なんかまったく見えない。形がまったくない。右から左へということだけははっきりしているんです。火の風が、ふぁっと、全身を吹き抜けるんですね。吹き抜ける。これはどれだけ続いたかわかりません。後で看護婦さんに消えたら、三時間という人もあるし、五時間という人もある。その間、そんな五時間とか、三時間意識はない。とにかく火風がふぁっと吹き抜ける。吹き抜けていきますから、これは死ぬわけですね。もう死しかないわけです、私にしてみれば。しかし、死なないんですね。死ななきゃならんのが、死なないんです。子どもの頃から地獄の絵を見て育ってきましたけれども、地獄の絵の一番無間(むけん)のところでは死なないでしょう。あれ死んだら苦しみがなくなっちゃうから。死なせちゃいけない、ということで、とにかく苦しみを与え続けるということが地獄だ、と。私はそれまで思っておったわけですね、ついその時まで思っておった。それが無間地獄(むげんじごく)に落とされてみますと、まったく意味が違ってきた。つまり死ぬ筈のものが死なないという。もの凄い苦しみばっかりですから、苦しみということさえ顧みる暇のない苦しみでしょう。死しかないんですよ。死しかないものが死なないということは、まったく意味が違ってくる。そうすると、苦しみの真っ最中のまんま「不死」という。
 
金光:  死なない「不死」ですね。
 
玉城:  不死。これはブッダが最初説法になさった不死が与えられて、不死が得られたというあの不死。死ななくちゃならないものが死なないという不死、といううちに、苦しみの真っ最中のまま、いわば地獄の釜の裏っかわに、如来さまを感じだしてきたんです。苦しみは全然変わらない。変わらないまま、如来さまが裏付けになっている感じ。後で気が付きましたら、「ああ、やっぱり法を長い間頂いてきたために、如来さまが裏打ちになっていることまで気付かせてもらった」と。
 
金光:  そこのところでしょうか、親鸞聖人が晩年にうたわれたご和讃があるわけですが、その「地獄一定」とおっしゃった親鸞聖人ですが、有名な
 
     弥陀の本願信ずべし
     本願信ずるひとはみな
     摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)にて
     無上覚(むじょうかく)をばさとるなり
 
これは八十五歳の二月九日の夢の中に、夜の夢の中に出てきたご和讃だそうですが。
 
玉城:  もう身体でそれを詠っていらっしゃる。身体で詠っていらっしゃるとか、「地獄一定」と。「地獄一定」これはもうほんとに凄いお言葉だと思います。地獄一定の自分が身体で無条件に、
 
金光:  摂取不捨の利益で、無上覚をば悟る。
 
玉城:  そうそう。
 
金光:  そこの世界は、もう「何宗だ、何宗だ」というようなことではなくて、それこそダンマそのものに包まれて生きている世界、と。
 
金光:  そう。私が、これが人間の言動だと思いますよ。それをブッダは教えて下さっている。その言動をこれから復活すると。甦らせていく、と。
 
金光:  そこのところに人間の業熟体の、人間の救われる世界がある、と。そういうことでございますね。
 
玉城:  そうだと思います。
 
金光:  どうもありがとうございました。
 
     これは、平成六年二月六日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである