祈りとみのり
 
                    カルメル会司祭(カトリック) 奥 村  一 郎
旧制一高の時代に中川宗淵師について禅を学び、やがて学徒出陣。戦後東大政治学科を卒業ののち 宗教学科に学び、洗礼を受けて渡欧し修行。昭和三十二年ローマで司祭に叙せられ、昭和五十四年 からバチカン諸宗教対話評議会顧問。
                    き き て          有 本  忠 雄
 
有本:  私達は意識しないまでも、お祈りをする、或いはお詣りをするということを日常の生活の中に取り入れております。しかし神や仏にお祈りをする、或いはお詣りをする時、私達は気持の中に、神、仏にある願いを求めていることも事実であります。この人生の恵み、またはみのりについて、京都府宇治市のカトリック、カルメル会修道士奥村一郎さんにご体験を踏まえて、今日はお話を頂きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
奥村:  よろしくお願いします。
 
有本:  カトリックのカルメル会の修道士ということなんですが、そのカルメル会の特徴はどんなところにあるんですか。
 
奥村:  そうですね。カルメル会というのは、私のちょっと個人的な印象もあるんですけれども、このヨーロッパ、或いは西欧文化と言ってもいいんですが、その中で育ってきたキリスト教は典型的なのがカトリック教会だと思うんですね。ですからそのカトリック教会の中で、西欧的な文化の中にありながら、東方と言いますと、オリエントですか、そういうイエスキリストが居られた、そしてそこでイエスキリストの救いのわざがなされたというオリエントの文化、いわゆる東に近い西ですよね。そういうところからカルメル山というのは、聖地イスラエルにあるわけですから、そこが発祥地ですので、何かそこに起源をもつカルメル会は、西のキリスト教、そして東のキリスト教というものの橋渡しになっているようなものがある。そういう中に何か東方的な祈りと言いましょうか、そうしたものが根深くあるような気がするんですね。ですから今、私達、東方というよりも、極東ですけれども、アジアは。そうした中で、このキリスト教がカトリックの、それから西欧的なカトリックが日本で育つ為にも、或いは西欧のカトリック教会がもっと豊かになっていく為には、カルメル会が何か独特な使命を持っているような気がするんですね。
 
有本:  ところで、奥村さんは岐阜県のご出身と伺っておりますけれども、お生まれは大正でございますか。
 
奥村:  そうです。大正十二年、大震災の時、あれは九月でしたが、私は四月十六日ですが。
 
有本:  そう致しますと、七十五歳。
 
奥村:  そうですね。
 
有本:  岐阜でお生まれになって、中学は名古屋に行かれたようですね。
 
奥村:  そうです。あの頃、まだ交通機関がよくなかった頃ですけれども、汽車通学というんですか、岐阜から名古屋まで行きまして、そうして、いま旭が丘高校と言っているでしょうかね、あの頃は愛知中と言いまして、汽車通学で五年間通いました。岐阜からですね。
 
有本:  子供の頃を思いおこされまして、かなり奥村家というのは宗教的な背景というのはあったんでございますか。
 
奥村:  そう、特に仏教の信徒と言えば、おじいさんだったんですね。おばあさんと父はそうでもなかったんです。おじいさんは堂守と言いまして、ちょっとしたお寺、小さいお寺の責任を持っておりましたから、毎日毎朝と言うんですか、そこへお仏飯、お供え物を持って行く。それにいつも付いていくようなことですね。そんなことがおじいさんから貰った少し仏教的なもの。そして母は非常に熱心な仏教の信徒というよりも、私の亡くなった姉のことがきっかけになって、毎日毎日、小一時間、仏壇の前でお祈りはしておりました。いつも家には神棚と、それから仏壇がありましたから、それには父もちょっと祈る。そして、その時にちょっとしたことを今も思い出すのは、小学校三年生のころだったと思います。いつのまにか父母にならって、学校に出かけるまえ、ちょっと手を合わせて拝んでいく習慣がついていました。ある日のこと、父が「おまえ、何を祈っているのか?」と尋ねました。とっさのことで、すぐことばが浮かばなかったのか、「ウウン。ナンニモ・・・・」と首をヨコに振りながら答えました。「そうか、それでいい」。気の抜けたようなわたしの答えを意外に思う様子もなく、父はことばを足しました。「神さまの前で、一日のうち何分かでもいい。きれいな心で立ちさえすれば、それでいい」と。不思議なほど鮮明に思い出すんですけれどね。
 
有本:  一高にお入りになってから、仏教書なり、或いはキリスト教の勉強をなさったんですか。
 
奥村:  ええ。それからが本格的ですね。それまでは、やはりあのおじいさん、それから私の母、その後ろ姿を見ながら、そしてまたおじいさんと一緒のお寺に行きながら、まあ一つの宗教心が養われていたと思いますけれども、本格的に関心をもつようになったのは、旧制高校に入ってからです。とくに禅仏教に、
 
有本:  最初は禅、キリスト教じゃなくて、
 
奥村:  そうです。禅ですね。それに出会ったというのが、一高に入って間もなくです。というのはそれまでは受験で手一杯でしたから、そして年齢的にも若かったので、まあ人生問題ということは、その頃からいろいろと受験勉強しながらも、なんか受験勉強も虚しいような気がしながらやってはきましたけれども、本当に「宗教とは何か」「真理とは」「人生とは」というようなことに目覚めるというよりも、本格的にそれに自分なりにぶつかっていったのは、一高に入って間もなくです。四月に入りましたから、もうその時から先輩やら、そして教授というんですか、そういう道を本当に目覚めさせてくれるような立派な先生達もおられて、急速にそこから開き始めたということでしょうね。そこで中川宗淵老師(一九0七ー一九八四)という方と先ず出合ったわけですね。それで禅の方にグッといきました。しかし中川宗淵老師は臨済宗の方で、三島の龍沢寺におられたんですけど、まだ若い禅僧でしたが、我々の一高、東大の先輩でしたから、我々を育てる為に、向陵禅(こうりょうぜん)という禅をするグループを作って下さって、そして多分最近まであったんですけれど、東大のキャンパスに三昧堂という坐禅堂まで、大学で作ったんです。そしてそこに毎月来て頂いたりして、我々はそこへ行って、坐禅を学び始めたわけです。ですから学問的には道元禅師の、曹洞宗の方にグングングングン惹かれていって、そして実際の坐禅は中川宗淵老師に導かれたという、二つがこう重なり合っていたんです。私は別にお坊さんになるとか、そういう積もりはなかったです。ただ、「人生とは何か、真理とは何か」ということに少しでも光を与えてくれるものというのを、夢中に求めていたので、その時の一番最初の光、或いは力になったのが禅だったわけです。私にとっては、道元禅師の魅力は非常に大きかったんですね。勿論あのこなせない程の名文で、難しい内容でしたが、それなりに心を読み取ったと思うんです。非常に魅せられて、道元禅師の厚い『正法眼蔵』という本を、ずっと一人で読み続けました。毎日毎日ですけれど。そして自分で感じたことを書いたりして、そして宗淵老師には実際に禅の指導を受けてもいたわけです。しかし丁度両方が別に矛盾もせず、臨済禅と曹洞禅の区別なども、そんなにも問題ではなくて、そこでずうっと禅、そのものに非常に惹かれていったわけです。そうしたところで、今度、聖書を見ないと、やはりキリスト教は分からないだろうということで、それじゃ兎に角、『新約聖書』からでも始めなければと思って、そして渋谷の道玄坂というとこですが、今もありますが、そこの古本屋へ行って見て、初めて見付けたのが『新約聖書』でした。
 
有本:  それも一高時代、
 
奥村:  一高時代です。それを読み始めたのが、ある意味で不幸な出会いというんですか、禅とは幸いな出会いでしたけれども、聖書とは不幸な出会い。それが結局、キリスト教との不幸な出会いになっていったわけです。というのは『新約聖書』を見ると、イエスキリストの誕生というお話がありますね。そこでは母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身籠もっていることが明らかになったという有名な聖母マリアの処女懐胎のところです。でも、ここへくると、さっきのつまらないと思うことだけでは無くなって、なんという好い加減なおとぎ話だと思ったわけですよ。乙女で、そして聖霊によって子供を宿したなんていうのは、こんな作り話なんかなんだという感じになっちゃったんですね。もうあほくさいと言うんですか、馬鹿らしいと言うんですかね、こんな聖書を見ている私は、時間がない、暇はないというので、ポンと止めてしまったわけですよ。そして聖書を読むのは止め、そしてそれからまた禅の方にだけ一途に向かい始めた。それが二年目の四月ですね。その間に学徒出陣の問題が出てきて、十二月一日には学徒出陣するということです。
 
有本:  まあ不幸な戦争時代を一高、或いは東京大学の学生生活をお送りになるということですが、昭和二十年に日本は戦争に負けまして、で、お帰りになると言うか、また学生にお戻りになるわけですね。
 
奥村:  そうです。復学しました。それで東京に行ったわけですけれども、キリスト教をやろうとは毛頭考えてはいなかったんです。アメリカに占領されて、ちょっとキリスト教の香りがマッカーサー元帥の演説などからも広がってくるようなものがあって、キリスト教への関心がやや日本全体に起きてきたんですね。そこでバイブルクラスというものを、何しろ我々、大学生だという誇りもあるので、やろうじゃないかということになったわけです。その時に不幸なことに仲間の中に誰もクリスチャンはいなかったんです。誰が世話をするかというようなことになった時、誰も分からないし、興味もない。ところがお坊さんの息子が一人おりまして、私は会長だから司会していたんです。「お前、坊主みたいな顔をしているから、お前、やれ」と言ったんで、みんなも笑い出してしまったし、私も、「何を言ってんだ。お前、坊主のくせにして」と言って。仕方がないから会長の責任上始めようとして、そして今度はまさか私は嫌いな聖書をやろうとは思わないんですからね。仕方がないから、「誰か頼みにいこう」というので、カトリックの神父さんを紹介されて、そして吉祥寺というところまで行ったんです。そこで初めて私はカトリックの司祭という者に出会って、そして、「こういうような集いをしたいので、来て頂ければ幸いです」と言ったのが、ドイツ人の宣教師で、ナーベル・フェルトという、もう初老の神父さんでしたですが、私の願いを聞かれて、「一つだけ条件があります」と言われて、それは「何人位来るんですか」ということで、「まあ、せいぜい十四、五名じゃないでしょうか」と申し上げたんですね。そうしたら、「あなたが一人になっても続けますか」と、こう言われたんです。私はそこで、「止める」なんて言われないですから、「やります」と。そうしたら、「よろしい」ということで来られるようになったのが、先ず火の付いた最初の小さい火でしたけれども、それがだんだんだんだんと大きく燃えていくきっかけになったんです。そして来て頂いて集まりをしました。そうしたら、非常に喜んで下さった神父さんたちも周辺に居て、最初は三十名以上で満杯でした。私が司会して居たんですけど、お話が済んだところで、「質問を、皆さん、どうぞ」と言ったんですけど、誰も答えないし、言わないし、それで私はその時に神父さんに、「新約聖書を見ると、キリストはいろんな病気を治したり、そして死人を復活させたり、そしてしゃべれない者をしゃべれるようにしたり、さまざまな奇跡をしていらっしゃいますが、この奇跡はどういうふうに受け止めたらいいでしょうか」という質問をしたんですね。そうしたら神父さんは、「それはイエスキリストは本当の神 であり、本当の人間であったんだから、そういう神がこの地上に来られて、そしてご自分の力をお示しになる為に奇跡を幾つもなさったんです」と答えて下さったんです。その辺も私は若さに勢い余って、そして奇跡というのは大嫌いだったわけですから、奇跡というようなものは作り話ということですね。それでその方に、「今時」今時というのは、科学が非常に進んで来ている今ですね、「そんな奇跡を信ずるような人がいるということの方が、よっぽど奇跡ですよ」と言って、皮肉って反論しました。神父さんは勿論譲らないわけですから、結局そのまま別れたんですが、それで一回目は終わったんですけれど、案の定そういう変な終わり方をしたものですから、ドンドン来なくなって、二、三回目で、そして四回目位でほんとに三、四名になっちゃったわけです。しかし、三、四名のうち、時々休む人もいるので、ほんとに一人になったんです。だけど続けることは二人とも約束したんだから、それで場所もあの頃高円寺で、爆撃された跡がまだ惨めなくらいに見えていたんですが、そこの焼けたチャペルの中で二人で話をやっていたこともあるんです。そしてそのまま兎に角続けていって、私は奇跡というものは作り話でキリストが神だというのは、またそれもキリストを神格化した作り話だ。この二つを兎に角攻撃するということだけに夢中になってしまったわけです。なんで夢中になったのか、止めておけば良かったと思うんですけど、つまらないと思ったんだから、相手にしなくても良かったのに、なんかそれが相手にせざるを得ないような喧嘩みたいになってしまったんでしょうね。それで法学部に居ながら、もう授業なんかほっぽらかしておいて、その論文を、必ず成し遂げなければいけないということで、燃え上がっちゃったんです。それでちょっと書きましたけれども、法学部はそれこそギリギリで試験を通り抜けて、卒業証書を貰わないと、父に申し訳ないし、それでも終わらなかったから、またどっかに行かなければいけないというところで、また東大に再入学して宗教学科に今度入って、宗教学科ならもっと本格的にやれると言って入ったわけです。それが一九四八年の四月です。宗教学科に入って、それから二ヶ月経って、六月二十日頃その論文を書き終わったわけです。よし、もうこれでキリスト教に対して、挑戦できる一つの準備が出来たというところで、なんかホッとしたような、一つの仕事を成し遂げたような気持ちになった。そして書き上げたものですから、少し気を緩めて、ぼんやりと一週間位していたでしょうか。その時が一番問題になったのは、何もその時は、私は勉強をあまりしませんでした。終わったから。フッと思いがけず、今まで書き続けてきた論文が、〈根本的に間違っていた〉ということが、目の前になんか現れたんですよね。そして、〈キリストは神だ。奇跡がないキリスト教はあり得ない〉という大きな言葉だか、なんか書いたものでも目の前に、そういうのがグァッと、
 
有本:  否定なさっていたことが、
 
奥村:  それが完全に間違いだということが、グァッとなんか城が崩れるような感じになって、そして奇跡というのを馬鹿にしていたんですけど、〈奇跡がないようなキリスト教はキリスト教ではあり得ない〉というようなことが、バッと出てきて、また立て続けに、私は聖書に書いていない奇跡があっても信ずるまでに、そういう確信が逆転してしまったわけです。それで何だか呆然としたと言うか、放心状態になったと言うか、挫折感と言うか、分からなくなってしまって、殆ど三日間ですね。そして三日間程経って、その辺り記憶が明確なんですけれど、六月二十八日、偶々二十八日だったんですが、一体どうしていいか分からなくなってしまって、それでフッと宗淵老師を尋ねたい。中川宗淵老師を、というので、三島にいくことに決心して出掛けたんです。そうしたら老師は、「あなたはまだ頭でしか分かっていない。身体で分かろうと思えば、洗礼を受けるべきだ」とバッと言われたんです。それで、「洗礼を受けろ」ということで受けたということです。
 
有本:  中川宗淵老師が、「洗礼を受けなさい」と言ってから、数ヶ月、
 
奥村:  数ヶ月ですね。洗礼は十二月十二日ですから。宗淵老師にお会いしたのは六月二十八日ですよね。
 
有本:  その洗礼を受けた後、専門の、と言いましょうか、宗教者に、ということなんですが、それはやはり勉強、或いは聖書を読めば読む程、キリスト教にこうドドッと奥村さんがお入りになるというような感じになるんでございますか。
 
奥村:  それが一番初めにお話したようにカルメル会というものが、私達の東方と、ヨーロッパとの橋渡しになるようなものだったので、私はカルメル会の方に非常に早く、まだ卒業する前にもう入会を決めてしまったんです。そしてフランスに旅だったわけです。
 
有本:  フランスに留学なさるわけですか。
 
奥村:  そうです。日本には男子カルメル会が無かったものですから。女子はありましたけれどもね。それがカルメル会に入って、そしてカルメル会は祈りというか、沈黙の祈り、それを念祷と言うんですが、そのことを中心にした会であったので、私にとっては祈りの禅的なものがキリスト教の中で生きているもの、それがカルメルの霊性であるわけです。そのことから、私は今に至るまで、そのような祈りの道を歩み続けてきたということです。 
 
有本:  フランスへの留学、何遍位でございますか。
 
奥村:  フランスは最初は三年八ヶ月。で、それからローマの方に四年半というふうに、ヨーロッパではフランスとイタリアに滞在したわけです。そしてフランスでは、カルメル会の、いわゆる修練を受けて、そしてローマでは神学の勉強というのをしました。だから全体としては丁度約九年間です。そして日本に一度帰って来たわけですね。それからまたフランスにあと十年後戻りますので、それを合わせるとフランスは六年位です。
 
有本:  「自分のいく道は、この道しかない」というふうなお言葉が先程ありましたけれども、で、今日までカルメル会の修道士としてお出でになるわけですが、勿論禅からスタートしたと言いましょうか、ご自分のお気持ちを整理なさると言うんでしょうか、まあ自分の生活、来し方満足ということで宜しいんですか。
 
奥村:  そうですね。満足と言えば、いつまでも未完成なものだという意味において、満足ではないと思いますけどね。結局、〈死ぬまで未完成のまま歩み続けて行くんだ〉と思いますけれど、〈この道に疑うことはないというので、この道しかない。この道を行く〉ということですよね。その意味だったならば、満足と言っても宜しいと思いますけれど。未完成の道ということでしょうかね。
 
有本:  さて、最初に申し上げました、私達はお祈りするとか、お詣りするという時には、心の中で、あることを神様仏様に願っているというようなことが多分にあると思うんですが、ご専門の立場から祈りと願いの違いみたいなものはどんなふうにお考えでございますか。
 
奥村:  そうですね。〈願いというものが祈りの根底にはある〉と思うんです。どの祈りにも。しかし、「何を願うか」というところで、二つの方向があるんじゃないかなあと思いますね。一つは少し哲学的な意味になるかも知れませんが、私が若い頃、禅に向かっていったのは、「真理とは何か」「人生とは何か」「愛とは何か」とか、そういう〈自分自身の存在、そのものに関わっているような自己完成というのか、自己形成というのか、そういう内側に向かった問い掛け〉というものは、一体「願い」というんだろうか、それは「探求」というものだろうか。その道と、それからもう一つは、願い事。なんか病気になったら、「治りますように」ということもそうでしょうし、それから易しく言えば、いくつもの御利益、御利益と言ったら悪いかも知りませんが、「勉強が出来ますように」「試験を通りますように」「誰々が無事に旅をしますように」いろんなものが、いわゆる願い事ですよね。そう いうものがあると思うんです。だけども、〈祈りの根本には、やはり私達は自分にとってよいものというよりも、自分自身が自分となっていく〉ということを自ずと求めていると思うんです。そういうところが道元禅師の言葉とか、イエスキリストご自身の言葉の中に、非常にピッタリとするものが見えてくるんです。道元禅師のお言葉で言えば、
 
     仏道を習うとは
     自己を習うなり
     自己を習うというは
     自己を忘るるなり
       (道元禅師『正法眼蔵』より)
 
というような有名な言葉ですが、そういうものが出てきます。そしてイエスキリストの聖書の中の言葉でしたら、
 
     人はたとえ全世界を手に入れても、
     自分の命を失ったら、何の得があろうか。
     自分の命を買い戻すのに、
     どんな代価を支払えようか。
        (『新約聖書』「マタイによる福音書」より)
 
「自分の命」自分の命というのは、〈自分自身〉と訳してもいい場所だと言われますが、「人はたとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」というような言葉もありますね。だから自己というもの、自分というものに向かう一つの〈祈りの方向は願いという以上に、自己形成というか、自己探求というか、自分のアイデンティティーというか、そういうものが祈りの根っ子にある〉と思うんです。そしてそれは結局、「何を求めているか」というと、〈神と私との一体化〉ということがキリスト教的な言い方だと思うんですが、禅の方でしたら、神は出てきませんけれども、「大いなる自己」というのがありますよね。そういう「小さい自己」と「大いなる自己」の出会いというような形で、それもまた根源的な人間の願い事ですね。一時も私達がそれから切り離せないような大切な深い自分への問いですよね。それと今度は自分が生きる存在というよりも、生きる為にいろいろの多くのことを、力が私達は及ばないですから、何でも手に入るわけにいかないので、そういう意味での願い事というものもあるということ。ですけど、願い事というのを広い意味で使えば、自分自身を先ず願うじゃないだろうか。そして或いは神自身を願うんではないだろうかと言えば、全部願い事の中に入ってきてしまいますね。ですからその二つのものは一つにはなりますが、しばしば、「自分の命を捨ててまで、神を愛する、或いは人を愛する」という時は、〈自分を捨てる〉わけです。「友の為に命を捨てる程大きな愛はない」と言われるこの聖書の言葉でしたら、私は〈友を救う為に自分の命を捨てるというようなところまでいくのが、この祈りの力だ〉と思うんです。だけどそれは普段にそういう思いを深めていなければ、その場になってやろうなんて言ったっては出来ないわけです。
 
有本:  そうしますと、何の為に祈るのだということが、ここの心底(しんぞこ)と言いましょうか、心の底にあれば、時には現世利益的なものも決して否定は出来ないということ。
奥村:  そうですね。現世利益的なものは安っぽい意味で使いがちです。現世利益を自分のお金だとか、健康だとか、そういうことだけ頼んで、そしてまたそれが手に入れば忘れちゃうとか、というものではなくて、やはり現世利益というのは、この世に生きる為の私達の必要なもの、というのは、やはり身体がありますから、食べること、着ること、飲むこと、いわゆる衣食住ですか、簡単に言えば、或いは財産ですか、それは絶対に必要ですよね。特に健康もそうです。だからそれはどうでもいいということではなくて、それを必要とするんですけれども、それは目的とすると言っても、それは第二目的語にはなると思うんですよ。第一の目的語ではなくて。第一の目的語はいつも「神」、そして、〈神との出会いによって、自分が自分となる〉という根本的な出会いというものがあって、それといわゆるこの世の必要なものとの関わり方をしっかり受け止めていかないといけないと思うんです。「有ってよし、無くてよし」というもの、ある意味では、「有ってよし、無くてよし」健康を願って、結局健康は貰えなかった。しかし健康は貰えなかったとは言え、その中に、〈忍耐とか、それから人々の苦しみに対する理解とか、そういう一つのもっと深い精神的な、霊的なものを神は与えようとしています〉から、最終的には私達は第一の目的の〈神自身が私にとっては必要なのですという願い〉があるべき、それは神の望みというものはどこにあるかということ。私が死ぬことか、生きることか。或いは大切な可愛い子供が今死のうとしている時に、私は、「助けて下さい」と言って、神様に祈ったら現世利益かと言うと、そうではないんですよ。やっぱり願わなければならない当然のこと、しかし願いは叶えられないことがあるんですが、その痛みを今度神も仏もあるものかで、決して切ってしまうんではなくて、そこから〈立ち上がっていく力というものを貰う〉と言うか、願うことによって、この第一目的語はいつも第二目的語に血を通わせているものであると思うんですね。だから簡単に言えば、第一目的語は車の車軸みたいなもの。それから第二目的語は車輪のようなものですから、車輪は回転して走っていくんで、下りる方は聞き入れられなかったかも知れない。そして上がる方は聞き入れられる方でしょうけど、車輪というのはしっかり輪になって、軸にくっついていないとダメなわけですから、その軸にしっかりくっつく第一目的語と第二目的語が、自分自身というのが、第一ですけども、それから神が第一ですけども、その日々私達が身体を持った地上の生活に生きる者としては、この車輪の、この願いがやはり一緒になければならない。祈りという時には、ただ天の高いところを見上げて、そして何か神秘的な体験を持つというだけのものではない。
 
     神の愛を生きる、ということは、
     そして神の愛に愛されていることの自分の貧しい自分が
     身近な兄弟を愛していくことなんだ
 
神の愛は隣人愛を活性化するものであるはずです。その愛の願いをたえず深めること、それが福音に出てくる大切な〈祈りの魂〉だと思うんです。「絶えず祈れ」ということ。聖書の中に、
 
     いつも喜んでいなさい。
     絶えず祈りなさい。
     どんなことにも感謝しなさい
         (『新約聖書』「テサロニケの信徒への手紙一」より)
 
というのが、第一のテサロニケの手紙の五章の十六、十七、十八のとこに出てきますが、そこで大切なのはこの「喜びなさい」「祈りなさい」、それから「感謝しなさい」ですか、それだけが問題では分からないと思うんです。というのはそこにあるのは、「絶えず祈りなさい」で、「絶えず」ということです。「祈れない時でも祈りなさい」と言っているわけですし、そして、「喜べない時にも喜びなさい」。「いつも」なんですよね。それから「どんなことにも」。だから、〈良いことで感謝するんじゃなくて、もう悪いことであっても感謝しなさい〉ということでなければ、そんなことを書く必要ないわけですよ。みんな出来るんだから。だからそこの〈出来ないところが出来るようにならなければならない〉ということになるから、そこにその言葉が出るんです。その他のところを見ますと、またどうしてそんなことが可能かということを見ようとすると、また聖書の別のところで、「主において」という言葉が出てくるんです。「主」というのは「あるじ」という のですが、「主キリスト」ということですね。「主キリストにおいて常に喜びなさ い」ということなんです。だからキリスト者にとっては、自分だけでは常に喜べないわけですよね。〈自分では悲しむことしかないんだけれど、イエスキリストにおいて生きること、よろこぶことができるのです。〈主においてなら出来るんだ〉というので、〈主において常に喜びなさい〉というふうになるわけです。〈絶えず祈れも主において、絶えず祈りなさい〉〈祈れないのです。祈らせて下さいと祈れるじゃないか〉というとこですね。
 
有本:  今お話を伺っておりますと、紙の裏表、或いは逆説的な感じを受けるんですが、本当の祈りというのは、そういう逆説的なことを理解しないと本当の祈りには到達出来ないということなんでしょうか。
 
奥村:  そうですね。「本当の祈り」と言うか、一番元のところには行ききれないで、中途までになりますよね、どうしても。「神も仏もあるものか、祈るのなんか止めた」というふうなのは、先っちょの方でしょうけれども。そこに〈私達の力を超えたもの〉というのがあると思うんです。「力を超えたものというのは何か」と言えば、〈神であり、仏であり、そして、神から仏から、そちらから私達に絶えずその心を注ごうとして、天から雨が降るようなもの〉ですよね。だから私達は天から雨を降らせられないんですけれども、降って来る、そして今度、大地の中に染み込んで、そしてそれが泉になって出てくるということですね。泉になって出てきたら、その水を我々が取って、そして畑に水をやったりなんかしているのが、私達の普段の祈りですよね。だけどその花に水をやる水さえも元々天から雨が降ってこなければならない。神から。そして大地という大きなものがあって、人類というんでしょうか。社会というんでしょうか、そこに吸収されて、そこから泉が出来てきて、そして私達はその水を使いながら、飲んだり食べたり、ここにいたりするわけですから、そういう意味で祈りは神と、それから神とは天ですが、それから地と、それから人、「天地人」と言いましょうか、それが〈一体化した一つの巡りがある祈りだ〉と思うんです。だから小さい私達の努力ではなくて、小さい努力にはそういう大きな天からの雨、そして地の底にある地下水、そして泉というものが全部それが動いているわけです。だからそれは「天からの働き」と、それが〈神〉ですね。それから、「地」というのは私達の日常生活の大地ですけど、そして病気もあり、そして生きることもあり、生まれることもあり、その世界。そしてそこに毎日お乳をやって子供を育てたり、そしてお食事を作ったり、そうした中で愛の血が通っている。それがキリスト教の祈りと言えると思うんですね。
 
有本:  我々の心もそういう柔らかい土壌と言いましょうか、天から降ってくる雨を十分吸収するものを持っていないといけないということですね。
 
奥村:  そこが祈りという信仰の結び付くところでしょうね。「信仰」というのは、〈神に自分を委ねる〉ことです。それから自分で自分を作るということではなくて、今おっしゃったように我々の心が岩みたいだったら、水が染み通らないわけですけれども、
 
有本:  常に喜べというのは、私が、例えば、地面で日々の生活の中に、やまほども沢山あるけれども、それをこう裏返して、原因を究明をすると、苦しいことも時には喜びであるのか、それに気付けというようなことも、常に喜びの中にはあるんでございましょうか。
 
奥村:  それが入っていると思うんですよ。喜べることに喜ぶ。楽しいことに喜ぶということですか。試験に合格した、病気が治った、そして楽しい遠足をした。それは誰でも楽しい喜びですからいいんですけれど、楽しさのない場合に喜べるということは難しいですよね。ですから私、日本語で、「楽しみ」と「喜び」というのが、結構使いわけしている見たいですよね。例えば、辞書を見ると、「楽しい」というところは「喜ばしいこと」とか、「喜び」は「楽しいこと」になっちゃっていますけれども、しかし私達が、例えば、「非常に今、お金に困っているんだけれど、十万円程貸してくれないか」といった時にですよ、誰でも辛いでしょうけれども、その時に、「ああ、いいよ。楽しんで貸すよ」なんて、誰も言わないと思うんですよ。「喜んで」とは言うんですけれども、「喜んで」というのは、〈楽しみを奪われることの痛みがある〉と思うんですよ。だから〈喜びには痛みがある〉ということが大切だと思うんです。だから楽しんでは痛みがないですよ。所有すれば、自分が満足すれば、という意味で、だからそういう意味ではさっき満足のご質問もありましたけれども、その満足はないですね。喜びはある。修道生活とか、何かにはね。だから〈喜びはそのように奪われることによって現れるもの〉ですから、その点で、日本語の「喜び」という言葉はとても深い意味を持っていると思います。
 
有本:  本当の祈りを短時間の中に、我々一般のものが分かるようにお話頂くのは、大変難しいんですが、しかしそこでストップしたんでは先へ進まないわけで、何とか本当の祈りに近付く為に、私達は普段どんなことに気を付け、どんなことをやったらそういう入り口、スタートラインに立てるのか、その辺は如何でしょうか。
 
奥村:  それは私もちょっとした知恵なんというのは可笑しいですけれども、「寸観」ということですね。「寸観」というのは「一寸」の「寸」と、「観想」の「観」と書くんですけれども、これはある意味で思い付きでしかないんですけれども、なんか大切なことを学べるような気がするんですね。「寸」というのは〈ちょっと〉ということですから、〈ちょっと足を止めて、そして黙して、沈黙して、神なら神、仏なら仏に向かう〉ということですよね。このことが私達の生活の中に織り込まれていくこと、例えばお食事する時、私達は食前、食後の祈りを、「頂きます」「ごちそうさまでした」という。それも大切な感謝の祈りですよね。ですけど、そういう時でもいいし、それから自分が何か本を読もうとする時でもいいし、これから出掛けようとする時でもいいんですが、一時、〈それこそ一分足らず、そこに立つ。神の前に立つ〉こと。小さい頃、父に教えて貰った時が、またよみがえってくるんですけれども、「その一分でいい、その短い時間をそこにあなたが神とだけの時にしなさい」ということですよね。それは延ばせば〈沈黙の祈り〉ということですね。だから、「声の祈り」「沈黙の祈り」両方ありますが、両方をするのは良いことですけれども、〈沈黙の祈りはいつも無くてはいけない〉。〈声の祈りは無くても、沈黙の祈りはあり得るわけです〉から、〈沈黙の祈りがなかったなら、声の祈りは形だけになる〉ということですね。ですからその時間を決めて一日の間に、それをどのような形でするかということは、ご自分の生活の中に織り込める一つの方法ですね。一番普通だったら、一日終わって、そして寝る前になった時、そこで五分でも、一分よりも少し延ばしてですよね、五分でもそこに沈黙して、一日を振り返ってみる。そして自分の反省の時にもなりますね。そして別に特に反省しなくても、そこに五分という、或いは三分という、その沈黙の時、その〈静けさ〉というものは、必ずそこに〈私達が心の中に濁りが沈殿して、そしてそこに何かそういう水が清められていくというものを感じられる〉と思うんですよね。それは繰り返していかなければならない、毎日のようにですね。
 
有本:  それが絶えず、
 
奥村:  それが「絶えず」ですよね。やはりそれも八木重吉が言っておりますけれども、
 
     行きなれた道が堪らなく
     懐かしいように
     私の祈りの道を作りたい
 
「祈りの道を作る」ということは、絶えず行きなれた道が出来なければいけないわけですから、それは身体と私達にはありますので、その〈習慣付けというのが身につくこと〉です。ですから、そのことを、小さいことで出来ることを何か工夫していく。今申し上げた寸観は一例ですけど、
 
有本:  今、「身体」というお言葉が出てきましたけれども、私達は祈るということは心の世界、あまり身体ということを考えませんが、心と身体が一体になっての祈りということが大事ということになりましょうか。
 
奥村:  そうです。何か祈りと言えば心だけのようですが、人間のすることは、決して心だけのものではなくて、〈形が心を作ってくれる〉んですよ。そして〈心は形になって現れる〉わけです。〈両方がなければ、どっちもダメになる〉わけですよね。だから坐禅だって、黙っていますけれども、何もしないですが、ちゃんとした足の組み方とか、呼吸の仕方とか、立派に身体の工夫があるんですね。だからそこにもう一つは念仏のように、「南無阿弥陀仏」という言葉の形を使ってもいいわけです。
 
有本:  確かにこの忙しい現代、その「寸観」とおっしゃった、大変参考になると思いますが、ただ一分でも、或いは一日の限られた時間の中でも静かにという。でも目を瞑ってお祈りをする。その時にどうしても雑念と言いましょうか、全く自分を無にして、神様と一体にと言っても、一体のものは雑念雑念ではなかろうかと思うんですが、この雑念があっても、最初は構わないということでしょうか。
 
奥村:  そうですね。雑念があるままでやれればいいわけですから。雑念なしでやろうと思うのは欲ですからね。不可能なことを望んでいるわけですから。〈雑念があるというのは、当たり前のこと〉ですね。で、当たり前だから、そのままやったらいいということになるわけです。それで確かに簡単な問題ではないみたいに思われますけれども、考えてみれば、簡単だと思うんですよ。ちょっと分かり易いかどうか分かりませんけど、明恵上人という有名な方がいらっしゃるんですが、あの方の言っている言葉で、非常に考えさせられたのは、妄念、「妄念」というのは雑念どころではなくて、「亡びる」という字に、「女」と書くでしょう。
 
     妄念、我が心なり
 
と、言っているところがあるんです。あの明恵上人ですら、妄念ばっかりだというわけですよね。〈汚い雑念ばっかり、それが私の心だ〉と言ったということは、そのような心であることを自分で認めるわけですから、そこから脱出していると思うんですよ。だから「妄念があって、おれはダメだ」なんだ、なんだと言って、〈ダメに決まっているんだから、そのままでいいんだ〉というところで、「脱出する」と言いますか、そこが禅の悟りと似ていると思いますね。だから中川宗淵老師は、別の言い方をおっしゃいましたけど、
 
     煩悩なんていうのは、来るなら来い
 
と。「やっていればいいんだ」とかね。「来るなら来い」。うまくいくかなあという感じですが、兎に角、〈それにとらわれないで、それを超える〉ということで、〈退けるわけでもない。無くなることを期待するものでもない。来るなら来い〉ということ。そしてカルメル会のアビラのテレジアでしたら、「そういうものは馬車馬みたいなものですから、相手にしなければ宜しい。そうした雑念があるからと言って、ガッカリして、そして念祷を止めるなら、あなたは多くのことを失う」ということなんですよね。
有本:  結局、キリスト教は神を中心にという、或いは東洋の仏教初め宗教は、人間形成ということで言えば、ちょっとは違いはあるようですが、でも到達点は同じような気がするんですけども、本当に祈るということは、みのりのある人生をもたらすのか、その辺は如何でございましょうか。
 
奥村:  そうですね。ほんとの祈りというのが、みのりに到達すると言うか、祈る度にその祈りが本物であるということが必要ですよね。その時には祈る毎に、「絶えず祈れ」という言葉がありましたけれども、それは〈絶えず神に向かいなさい〉ということになりますよね。だから、〈絶えずということは神が不在な時がない〉わけですから、いつも神に向かっていく姿勢、例えば、〈転んだら、転び放しでなくて、立ち上がって、またその道を行く〉というような意味でですよね。いつもそこには祈りは本物で、そして祈りは神との出会いによって、そして私達はまた力づけられ、励まされして、また道を行くというような意味ですよね。しかしそこに到達点、最終的な到達点というものは、この〈神との一致〉という言葉で言われますけれども、しかしこの地上の生活において、「神との一致」というものは、先程、少し使った言葉ですが、〈未完成であって、いつもそれは深められ続けていくものだ〉ということですよね。そういう意味では、〈祈りは絶えず祈っていくことによって、私達が絶えず心は成長し続けていく〉。ですから聖パウロという方が聖書で言っておられるように、
 
     外なる人は衰えるけれども、
     内なる人は日々新たなる
 
「外なる人」というのは〈身体のこと〉ですよね、「は衰えるけれども」、「内なる人」というのは〈心〉ですよね、「は日々新たになる」という言い方をしていますよね。ですから祈りは、私達は死に至るまで、新たにされていく。若返っていくというのか、若返るというよりも、ほんとに私達はいつも成長する意味での逆戻りの若返りの若返りじゃなくて、〈前に向かっていく成長〉を意味していますよね。そして死という時は、私達のこの生涯が神との決定的な場所になるわけですが、それが祈りの完結ですか、それは完成というもので、そういう意味で祈りをすることは、私達がいつも心において、成長し続け、そしてそこでみのりをもたらすと言うんでしょうか。そのみのりが与えられてくる。そのみのりというものの中には何があるかと言えば、何よりも愛のみのりですね。
 
有本:  神は遠い存在ということですが、今のお話を伺っておりますと、「いや、いや、身近にいるんだよ」と。
 
奥村:  そうですね。「身近どころか、いつもおられる」ということですよね。神なしに、私達は存在も出来ないということですから、仏教の場合になると、もっと人間の世界に向いて、顔を向けてきた神になるので、仏様は。だから仏様というと殆どお釈迦様だったら、「私は神ではない、一人の人間だ」と言われますし、阿弥陀様になれば、非常に人間に近い、いわゆる「慈悲深い神の働きのようなもの」が、仏様になりますので、キリスト教ではそのような慈しみとか、慈悲とかという形よりも、本当にこの現実にそこに存在しているもの、私の存在を支えているもの。そしてこの大地のように、空気のように、もっと大きな宇宙を包み込んでいる神が、あなたをここに今、生かす、生かさせて下さっているんだという、その一体感が強いでしようね。
 
有本:  奥村さんはここ、ずうっと東西霊性交流ということで、ヨーロッパのキリスト教関係の方と、日本の仏教者、わけても禅の方を中心に交流を続けていらっしゃいますが、丁度、今年も十月、霊性交流が行われているようでございますが、霊性交流については、どんなお考えなんでございますか。
 
奥村:  あれは宗教の対話が、そういう対話というよりは、交わって生活を分かち合うというようなものですよね。それも修道生活、祈りの生活というものを場にして、ということで、非常に宗教の出会いの、非常に深く中に入ってきた交わりで、貴重なことだと思うんですね。動きが始まったのは、もう三十年も前ですけれども、今度あるのはまだ二十年位になりますか、丁度ですね。ですからこれからもそうした宗教がお互いの持っているものを学びあっていく。それは知的にも、そして霊的にも、特に霊的なものが大切なので、霊性交流というのは。だから実際の祈りの体験と、それから修道生活のお互いが学びあっていく場ということで、これからもずうっと続けていかれることになるようにと思っておりますけれども。
 
有本:  本当に有り難うございました。
 
奥村:  有り難うございました。どうも。
 
 
     これは、平成十年十月十一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。