いのちを描く
 
                          日本画家 上 村(うえむら)  淳 之(あつし)
昭和八年京都市生まれ。昭和三十二年京都市立美術大学日本画科卒。昭和三十四年京都市立美術大学専攻科卒。三六年京都市立美術大学助手、四一年講師、四七年京都市立芸術大学助教授、のち教授。平成一一年副学長に就任。春季展賞、新作家賞、創画賞、京都府文化賞、功労賞、日本芸術院賞、京都市文化功労賞。
                          ききて  峯 尾  武 男
 
 
ナレーター:  日本画家上村淳之さん。花と鳥を描く現代の代表的な花鳥画家です。鳥に魅せられた上村さんは、五十年にわたり、生き生きとした鳥の姿を追い求め、その美しさといのちの輝きを描き続けてきました。
 

 
上村:  花鳥画というのは、その中に出てくる鳥或いは花は、己の化身というふうに考えて頂いたほうがいいと思います。ですから己の思いを、自分の夢想した世界を鳥に託し、花に託して描く。そこからメッセージを見る人に送ってくる。その夢想した世界の中に見る人を誘(いざな)っていって、いい世界を夢見ませんか、というふうな誘いがなければ、私は嘘だと思うんですね。
 

ナレーター:  上村さんのアトリエは、京都府と奈良県の境に近い、小高い丘陵地にあります。上村さんは日本画家であるとともに、日本鳥類保護連盟の会員でもあります。絵の道に進み始めた頃から鳥を飼い始め、上村さんの家はいつしか鳥の楽園と呼ばれるようになりました。
 

 
峯尾:  入ってくると、鳥鳥鳥・・・その数の多さにビックリします。上村さん、今も盛んに鳴いていますが、此処には全部で何種類ぐらい、何羽ぐらいいるんですか?
 
上村:  野生鳥類だけで二百種類ちょっと越えると思います。で、千五、六百おります。
 
峯尾:  そうですか。
上村:  毎日生まれたりしていますのでね(笑い)、確定できないんですよ。
 
峯尾:  それではできませんね。もともとこちらはお父さまの上村松篁(しょうこう)さんが最初に?
 
上村:  そうです。何にもなかった場所でして、お隣というと村まで行かないと家がなかった時代に、割合にたくさん野生の鳥たちがいて、ウサギが遊んでいるというふうな場所だったので、父の友人が、「松篁さん、此処にアトリエを構えておけばいいよ」というふうなことで、野生をあまり知らなかった父でしたんで、「じゃ、是非そこにアトリエを構えておきたい」と思って、そして鳥がたくさんきてくれればいいなという思いから「唳禽荘(れいきんそう)(瑞鳥が鳴く)」という名前を付けて、そして場所を設定する杭を立てなければならないですよね、それにそういう名前を付けておいたのが始まりです。
峯尾:  そうですか。淳之さんがこちらへいらっしゃったのは?
 
上村:  私は、芸大へ進むことは両親が大反対でした。
 
峯尾:  あ、そうだったんですか?
 
上村:  そういうことで居心地が悪いんですよ(笑い)。それでたまたま此処が空き家になっているし、草ぼうぼうでもう大変なことになっていたんで、此処へいつとはなしに移り住んで手入れをしながら居着いたと言いますかね。
 
峯尾:  そして自然にやってくる鳥たちではなくて、だんだんだんだんこういう形になさっていかれたわけですね。
 
上村:  そうですね。ちょうど大学四回生の頃にはあまり大学へ行かなくてもいい。単位が全部取れてしまっているので、実技だけですから。むしろ家で仕事をしているほうが多くなって、鳥の世話が可能になったんですね、時間的に。それからどんどん増えていって、繁殖もし始めたんで、それを動物園と交換してもらったり、或いは友人から譲り受けたり、ということで増えていったんです。
 
峯尾:  普通私どもが、それこそ動物園でも滅多に見られない鳥も、今は此処にいるんですか?
 
上村:  そうですね。それは多いですね。生の餌ですから餌は腐りますんで、真夏ですと朝五時から餌をやらなければいけない。そして夕方遅くまで最後の面倒を見てやらなければいけない。それで漸く生命を保つと言いますかね、生きていられるんでね。いわゆる公の動物園の勤務状態では―こんなことをいうとおかしいけど、ちょっと無理なんですね。そして自分で虫をどんどん繁殖させて、それを飼料にすることによって、小鳥たちの繁殖が非常に容易と言いますか、可能になったというところでございます。
 
峯尾:  此処には鳥を世話をすることを専門にしていらっしゃる方もいらっしゃるわけですね?
 
上村:  八人おります。
 

ナレーター:  上村さんは画家であるとともに、鳥の研究者としても知られています。三十時間経っても殻を割れないでいるシロキジの雛を、上村さんは助けてやることにしました。
 

 
上村:  この薄い皮の中に血管がずっと走っているんです。それがこのヒナのお臍のところへ入っているわけですね。出血するとよくないんで。もう少し時間がかかりますけど、これで孵卵器に戻します。
 

 
ナレーター:  鳥を飼い、繁殖まで手がけることによって、本当のシロキジの美しさを理解できると、上村さんは言います。
 

 
上村:  子どもを生んだ小鳥たちを親から取り上げるという言い方でしょうね、それを「刷り込み」と言います。人間の力で餌を与えて、そして大きくして人間と鳥との信頼関係を十分保っていくと、次の世代はすぐ目の前で巣作りするような、そういう現象が起きるんですね。かつては多分人間と鳥とはそうであったに違いないと思われる節(ふし)があるんですね。花鳥画というものを作りあげた宗(そう)・元(げん)の時代の作品を拝見していますと、非常によく身近に観察されている。それは、今でさえ飼育するのが難しい鳥を、その時代に既に十分飼育できる技術を彼らは持っていたのかなぁ、というふうに思っていたんですが、実はそうではなくて、そういう鳥と人間との関係であった、というふうに理解したほうがいいかなあと思っています。
 
峯尾:  そしてご自身、毎朝必ずその鳥の顔を見に行ったり、
 
上村:  そうです。もうそれが唯一の楽しみというか、まあ生きがいみたいなもんですね(笑い)。
 
 
ナレーター:  上村さんの一日は、朝一番に鳥たちを見て廻ることから始まります。鳥の健康状態を見たり、この鳥は「今、何を考えているのだろう?」と想像する中から、花鳥画のイメージを膨らませていきます。
 

 
峯尾:  心配事であり楽しみであり、勿論ご自身が作品を生み出すその過程の一つでもあるというふうに考えていいですか?
 
上村:  勿論そうですね。物を描くというのは、自分が胸中に創りあげたイメージを具現化する。これが絵なんですよ。ですから、「最初にイメージありき」と、私の先輩の先生がお書きになっている本があるんですが、たしかにそうなんで、イメージがないと絵にならない。イメージ創りのために、ただ単にそこに遊びに来ている鳥ということではなくて、「どういうふうに今此処にいるのか、或いはその次ぎどういうふうな行動をして、どこへ行くのか」ということも、イメージを膨らませていく上の大変大事な要素になるわけですね。ですからそういうことが、私は幸いにして此処で大きくなって、そして大人になってきましたので、いろいろの過程を見せてもらいながら、自分のイメージ創りをしているつもりでおります。
 
峯尾:  鳥に限らず、鳥をきっかけにして、自然と接していられると、この自然界の不思議な力と言いますか、今まで思いもよらなかったことが見付けられる、感じられるというふうなこともおっしゃっていますね。
 
上村:  そうです。それが一番最大の喜びですね。自然現象の中で、不思議を発見して、文明も発達したのならば、文化もそうだ、と私は思います。自然の仕組みの中に、こんな不思議なことがある、こんな美しい現象が、或いはこんな悲しい現象が起きるんだ、というふうなことが、先ほど申しましたイメージの中にもなければいけない。そして、現象の奥にある自然の意思というふうなものを汲み取ることができれば、多少はましな仕事ができるのではないかなあというふうに思います。
 
峯尾:  例えば、不思議な現象というのはどんなものがあるんですか?
 
上村:  例えば此処でご覧になっているオシドリがたくさんいます。一番分かり易いんですが、これが季節になると全部メスと同じ色に変わります。秋になって全部オスはオス、メスはメスの色のまま、ということになるんですが、シーズンを越えて、メスがオスの羽根色に変わるんですよ。
 
峯尾:  ほお〜、
 
上村:  これは加齢のせいですけれど―ホルモンの関係ですね―女性ホルモンが減りますから、メスの羽根色がオスに変わるんです。全部変わっちゃうんです。卵を産まなくなったメス鳥が全部オスの羽根色に変わる。これはオスの機能を持っていません。それが何故そういうふうに変わるのかということは、「これはホルモンの関係である」というふうに学問的には終わりです。ところがオシドリの生態を見ていると、巣作りをしている時のオスの役目を見ていますと、逆にオスの羽根色に変わっていったメスが、じゃその時期どういうふうな使命を帯びて生きているのかとちょっと想像するんです。多分、カラフルですから自分が天敵のターゲットになって同族を守っていく。自分の命を捧げて同族を守っていくのではないかな、というふうな想像を私はするんです。
 
峯尾:  そうすると、そういう鳥の生き様にまで入り込んでいくことによって、それは上村さんの作品の中に?
 
上村:  生きていればよろしいんですが。そういうふうにただ楽しくて、可愛くて、ということではなくて、もっと厳しい自然の掟があって、それに清らかに潔く従いながら、彼らは生きている、というイメージがありますね。ですからどんどんどんどんいずれこうなるんだというふうな思いを持ちますと、そこで遊んでいる鳥たちも、ああするんだ、こうするんだ、というようなことで、イメージを膨らますことができる、ということではないでしょうか。
 

 
ナレーター:  昭和八年、京都に生まれた上村さんは、祖母と父も優れた画家という家庭に育ちました。祖母の松園(しょうえん)が描いた「序の舞」。松園は凛(りん)とした気品に満ちた舞姿に、女性のうちに潜む意志の強さを描きました。松園は生涯にわたり優れた美人画を描き、女性として初めて文化勲章を受けました。父・松篁(しょうこう)の花鳥画「春輝(しゅんき)」です。桃の花に囲まれた春を喜ぶ鳥たち、大らかに優雅な世界が描かれています。母に次いで文化勲章を受けた松篁は清らかな花鳥画を描きました。
 

 
峯尾:  日本画の道を歩まれようという方にとっては、理想的な環境の元に淳之さんは育たれた、と考える考え方もありますし、大変なプレッシャーの中で、という感じもするんですが、実際はどうでした?
 
上村:  みなさん、そうおっしゃって頂いているんですけれど、私は勧められてこの道に入ったわけではなくて、むしろ両親の猛反対の中で、自分が選んだ道ですから。ですからそういうプレッシャーってまったくない。
 
峯尾:  子どもの頃から絵はお好きだったんですか?
 
上村:  そうですね。なんかその辺りに白い紙があると、鉛筆でグジョグジョと鳥の絵を描いたり、そんなことをしていたみたいです。
峯尾:  そうすると、ごく自然に自分も日本画の道を歩むということになると思うんですが、ご両親が猛反対なさった?
 
上村:  そうですね。戦時中に大きくなりましたので、また卒業した頃には自然科学がどんどん進歩していっている時代ですから、当然その方にいくだろう、と。しかも非常に不況の時代ですから、息子がフリーターでは困るんじゃないかな(笑い)。そんなふうで自然科学のほうへいくであろうというふうに思われておりましたけど、私もそのつもりではいたんです。けれど気が付いたら、やっぱり描きたいなあと思い始めて、反対されながら、芸大へ進むことになりました。
 
峯尾:  なるほど。お父さまはそれこそこれからの世の中を生きていくには、画家では無理だ、と。そういうような思いで反対なさったんですかね?
 
上村:  それもあったと思います。と申しますのは、父が申しましたんですが、「同じ同級生で非常によくできた先輩後輩がいたのに、街でお目にかかったら、あまり良くない生活状況だなあというふうな人たちに会った」と言っていましたね。ですから必ずしも努力したから報われる世界ではないから心配だったんでしょうね。
 
峯尾:  それでもこの道に入られて、なおかつお父さまがなさった花鳥画、これもスタートの時点ではほぼ気持として決まっていたんですか?
 
上村:  いや、そうではないんです。一年生に入った時にはそういう思いはなかったんです。一年生の時にはずっと花とか―鳥はなかったんですが―果物とか、そういったものをずっと鉛筆でデッサンをして、着色をして、という一年間。そして二年になると風景、三年になると人物、四年になって始めて自由課題ということになるんですが、風景も好きだったですけど、私はどうしてもその当時の人物画というものには大変抵抗を感じました。と申しますのは、モデルさんが要るわけですよ。しかもヌードのモデルさんがいて、それをずっとデッサンを続けるんですが、実際に世間では通常あり得ない状況の中でやるんです。どうして此処にヌードの女性がいるんだ、ということがわからない。ましてや絵にする時に、今度はテーマとして「群像」と言われると、なんでそんなたくさんウロウロとしているという。ですからその時にフッと人物画というのはそうではないんだけどな、というふうな思いを持ちましたね。これが松園の人物画を知っているからですね。自分が好きな花鳥画というか、花や鳥をテーマにしたいと思い出したのは、実は自分がもともと好きだったというせいもあるんですけれど、「西洋画と東洋画の違いはどこなんだ?」というふうに、いわゆる学生時代の私どもの展覧会にお出でになった人たちに問われるんですが、きちんとお答えできないんです。「どこが違う?」と言われたって、その当時の絵は、どっちでも、どうとでも言えるような表現の仕方があった。けれど、私はどうしても「違う、違う」という思いがありまして、その違いをはっきりしたいと思った。その当時の花鳥画は好きだったんですが、大体世間に横行しているものは非常にリアリティーを欠く、そういう余白ですね。いわゆる具体性を伴わない空間を持っている花鳥画が横行していたんですね。その当時、外国からの情報がどんどん入ってまいりまして、我々はリアリズムという非常に分かり易い、入りやすい世界に魅力を感じて、そちらのほうへズズズッと流される気配がありました。ですけど、そういう世界で花鳥が描けない、ということに気がつくんです。どこが、どうすればそれができるのか?ということです。じゃ、ヨーロッパにそういう強い表現の花鳥画があるのではないか、というふうに思って、ヨーロッパへ出掛けたんです。三十五日ほどずっと有名な美術館を歩いたんです。ヨーロッパと言っても、イタリア、英国、フランスなどですが、花鳥画に出逢わない、一切ないんです。ただポンペイの遺跡の建物の裾のところに煤(すす)けてしまっているんですが、濃い色地に白く描いてある蓮の葉っぱとサギの絵がちょっとあっただけです。絵というよりむしろ装飾品です。これしかない。それからブリテッシュ・ミュージアムの地下に鶏のレリーフがありましたけれど、それは何かゴロンと転がしてあっただけで、人がその横を土足で歩いているんです。そういうふうな扱い方ですね。それでひょっとしたら、花鳥画という世界は中国が原点にあることがわかっているんで、そこのところを勉強していけば、東洋と西洋画の違いがわかるかもしれないな、と思って、暫く勉強するんです。しかし、どうしてもわからない。西洋の世界には、具体性を伴わない―いわゆる日本画でいう余白ですね―具象表現の中で余白のある絵って一点もないんです。半抽象表現になって出てくるんですが―多分ピカソじゃないかと思いますね。そういう体験があって、余白の意味というものを知ろう、と一生懸命勉強しているんですがわからない。どうしてもわからない。いま振り返ってみて、その頃の絵というのは、全部具体物で埋められています。あったとしても、もの凄く少なくは出てくるけれど、ほとんど木の葉っぱであったり、枝であったり、そういうふうなもので埋められている画面作りをしていますね。やはりそこを抜くことが非常に恐かった。恐いというよりも、そこに何を描き込むのか、ということが多分わからなかったんですね。なんか全部物に埋められている絵をずっと描いていました。そこで小品という出来上がった作品の名作を知っているんです。それは全部白なんです、余白なんですよ。ほとんどが余白で、例えば画面の横から枝がこう出ていて、葉っぱがこうあって、鳥が止まっていると致しましょう。そうすると、向こう側には山が描いてあるわけではない。白くポ〜ンと抜いてあるんですね。それにそういう形から入ろうとしましたから、そこがわからない。それで大変苦労したというか、やはり実感を持って、自分がキャッチするような感覚を持っていないんですね。やはりまだ西洋を引っ張っているというところがあったんじゃないかと思います。それが十年続きますね。そしてパッと気が付いたのが、ある明け方の苗代の用意してある田圃の情景に出遇ったその時に気が付きますね。朝早く、ちょうど五月だったと思いますが、下の畑のほうへ鳥たちのために畦道に生えている草を刈りに行きましたら、ちょうど靄(もや)っていました。もう人気のない。ただ一枚だけ田圃が苗代の準備ができていて、その面だけがキラッと光っている。
 
峯尾:  そこだけ水が張ってあったということですね。
 
上村:  そうです。キラッとしていて、他は靄っていて何がなんだかわからないところに、水辺でケリという鳥が三羽、フッと佇(たたず)んでいたんです。ああ、奇麗だなぁと思った。そのまますぐ引っ返して―ケリという鳥は家で飼っていましたんで写生はあったんです―すぐそれをそのまま絵にしたという経験がありました。それが「晨(あした)」という絵になりました。出来上がってから、あれ!ひょっとしたら距離感―勿論靄っていますから、距離も何も見えないわけで、靄っている状況そのまま描いていますんですが―水面に距離が見えない。ひょっとしたらこれでいいのではないかなと気が付いた作品です。それから漸く、なるほど、とわかって、それから割合に安心して余白を取り入れた絵ができるようになった。それまでは不安で不安でしょうがない。そういう経験がございますね。
 
峯尾:  その余白というのをもう少し説明して頂けますか。余白を認めない絵というのは、とにかく例えば目に見えるものを全てを描き込んでしまっている?
 
上村:  ということになるわけですね。でもすべてが描いてあるわけではないけれど、三次元の世界に物が存在して―まあ実際全部三次元の世界なんですが―それをきちんと再現するという。そこから絵という世界に、再現願望から始まっているといっても過言ではないと思うんですね、西洋画は。日本画は初めっから再現願望がないわけですね。だって色というものがありながら、いわゆる墨の濃淡だけで表現しようとしてきた水墨画の世界があるわけです。これは再現願望があるならばそういうふうに描かない、ということも言います。そして先ほど申しました余白部分ですが、実際にはない世界、余白なんてないんですね。物がいろいろあるんだけれど、それを全部押さえてしまったというか、象徴化してしまって、いわゆる余白という白い何も具体性を伴わない空間にしてしまった表現の仕方というのは、これは東洋人の感性、或いは先ほど靄の中で、というお話を致しましたけれども、そういう具体性があると、何か限定された空間になるんですが、描いていないことによって、いくらでも夢が広がっていく、或いは広がりを自分で作っていくことのできる世界というふうなことで、その余白というものが生まれたのかなあと思います。考えてみれば、いわゆる金屏風の前で踊りがございます。何の背景も何にもなしの、そこで上手な踊り手がやると、きちんと一つの世界をそこに演出することができる。能楽だって、鏡板全部一緒ですね。どんな曲でもそこで舞う。そしてその世界をちゃんとそこに作り上げていく。いわば象徴化された舞の中に、象徴化された世界を創り上げている。そこで松園の謡曲を主題にした絵とオーバーラップしながら、あ、こういうことをいうんだな、というふうなことに漸く気が付きます。だからかなり実感としてわかりにくい、入るの難しいんですね。
 
峯尾:  そうすると、まさに藻掻いている時代に、言うなれば、その道の先輩であるお父さまとそういう話をなさる、或いは悩みを打ち明けるなんていうことはなかった?
 
上村:  それは一切ありません。それは父も教えません。学校の絵の先生も教えない。外れていったら、こっちへいけばこっちへこう、と軌道修正はしますが、独自の世界を見付けなさいですから。ましてや、その頃は非常に日本画の世界って混乱をしておりましたんで、自信をもって、「こうだ」と教えて頂く先生は随分老齢の先生で、その先生は私どもが学校を卒業して現役作家になる頃には、お出でになりませんでしたので、直接お伺いするわけにいかなかった。ですけど、父の先輩である京都の徳岡神泉(しんせん)先生であるとか、福田平八郎先生であるとか、みなさん、いわゆる象徴表現、或いは具体性を伴わない余白の理解については大変にご苦労されている。
 
峯尾:  それが先ほどおっしゃった「三羽のケリが朝靄の中で周りが見えなくなった」というのが、私はお話伺っても非常に想像がつくんですけれども、淳之さんにとっては非常に素晴らしい場面に出遇われたということですね。
 
上村:  そうです。父も同様の経験をしております。「山鹿」という大作があるんですが、それは飛火野で取材したんです。実はその絵は間違っているんです。というのは、子鹿を動物園で写生して、そして飛火野にいる遊んでいる鹿を見て発想して描いたんですが、その時ちょうど雪で靄っていたらしいんです。それで雪の中って、ご承知のように距離わかりませんよね。その中に鹿が二頭、堂々たる雄鹿とそれに寄り添う子鹿を描いているんですが、実は雪の降っている時期には雄鹿に角はないんですよ(笑い)。そしてそんなに小さな鹿がいて冬越せないんですよ。だから雄は角がない筈です。ですけど、それは絵にならないですからね、やっぱり堂々とした雄に守られてというふうなイメージがあったと思うんです。その時靄を描いて、そして描き上げて、「あ、これで良かったのか、というふうに気が付いた」と父も後で申していました。それから父の絵がだんだん平面を説明しない絵になっていきます。それまではどうしても平面を説明しないと気がおさまらないといいますか、樹木が生えないとか、動物の足が地面を支えていないとかというふうな思いがあったらしゅうございます。まあ学生時代に父に、「どうして此処が地面なのに空気のようになっているんだ。地平線がないとおかしいじゃないか」というふうなことを言った覚えがあります(笑い)。
 
峯尾:  そうですか。でも、しかしそこには松篁さんの自然に対する慈しみとか愛とか、そういう気持は当然あるわけですね。
 
上村:  あります。とても親子の関係もいい関係の絵ですし、リアリティーある絵ではあるんですけど、そういう生態的にはちょっと誤りがあるかな。昔、円山応挙(まるやまおうきょ)が鶏の横に草花を描いているんですが、「この鳥の羽根は、この花が咲く頃にこんなふうな羽根はしていない」というふうに指摘されて大変恥じ入った、という話があるんですよ。それで応挙が初めて気が付いたという話があるんですがね。でもそれはほんと言えば、その花が咲いて、そこに鳥がいて、というリアリティーある空間をそこに合成しようと思えば、やっぱりきちんとしなければいけないかも知れませんね。
 
峯尾:  敢えて素人が強引にいうと、お父さまと淳之さんとの違いはそこですか?
 
上村:  いや、そうではありません。父にとっては、自然というのがあくまで優しくて優雅で大らかで、というふうな感性を持っている人なんです。私は、いわゆる鳥たちの凄惨(せいさん)な場面を知っている、或いは自然に命を落としていく状況もよく知っているんで、自然というのはもっと厳しいもんだという感覚があるんですね。それがもう一つ甘美な世界に浸りきれない部分があるのかも知れませんね。
 
 
ナレーター:  平成四年、上村さんはドイツの動物園から十羽のクロエリセイタカシギのつがいを輸入しました。試行錯誤を繰り返しながら、日本ではじめて人工孵化(ふか)に成功しました。十年あまりの間に此処から生まれたクロエリセイタカシギは千五百羽ほどになり、その一部は全国の動物園などに貰われていきました。
 

 
上村:  日本ではシギの絵はそれまでなかったんです。世界にもありません。ましてや東洋画には一度もシギの絵は出てこないんですが、私が餌付けに成功したことによって、飼うことが可能になって、シギの絵をどんどん描く。他に描いている人はありませんから、私は天下になって描いていますうちに、水というものが大変描きやすい、いわゆる余白を充たすという感覚ですね。その中で、水を背景にした水鳥の絵が多いんです。で、思い返してみれば、徳岡先生が一番最初の余白の部分がきちんと出てきたような「菖蒲」の絵があるんです。花菖蒲が何株か植わっている、周りが全面に描いてあるわけではないですが、シーンとした水面に花菖蒲がずっとある絵があります。それを私は拝見し、とても印象深かった。「あ、結局、徳岡先生もこうやったんや」というふうなことに気が付きますね。そこで開眼されたというか、或いは会得されたというふうな気が致しましたですね。今でも私は学生に、「水辺の花を描いてごらん」ということをよくテーマにするんです。或いは「靄っている時のアジサイを描きなさい。写生してきなさい。靄っている時だよ。朝早くだよ」というふうなことを言って、なんとか知って貰いたいと思っています。
 
峯尾:  花ですと学生には見られますが、生きている生命(いのち)のある鳥が息づいているのを目の前にしないとやはり鳥は描けない?
 
上村:  それは描けない。写真は静止画像であって、これは生きている画像ではありませんからね。まあ写真で物を描くというふうなことがあるやに言われていますけど、そういうことは一切ないです。
 
峯尾:  絵の中で生きていないということですね。
 
上村:  はい、そうです。物を描くということは、その鳥にしても花にしてもそうなんですが、現に生きているわけですから、そこに生命観がなければ、これは絵にならないのが普通でしょうね。
 
峯尾:  西欧の絵と実際に上村さんが追求して来られた日本画花鳥図との違いですが、例えば人間以外の生き物に対する人間の側の考え方というのが基本的に違うんですかね?
 
上村:  違いますね。これもヨーロッパをずっと回った時、「何故ないのか?」という疑問だけだったんです。それからいろんなことに出逢う中で―鳥を飼っている人との話し合いの中で、或いは動物園の有り様の中で、「あ、目線が違う」というふうに思いました。花鳥画というのは、花と鳥、人間も同じ目線の中で見た世界でないとできない。人間が一段優れた存在だというふうな自覚というか認識を持つと、観察画になる。そして生態画になってしまう。今でもアメリカを中心にヨーロッパでも昔からあるんですけれど、生態画の域を絶対出られない。博物画生態画から出られないですね。それは何故だろう、と思うと、目線が違うんだ、と。すべての自然現象に対する目線が、東洋人は―これが「自然と共生」という言葉を使っていいかどうかわかりませんけど―「花も鳥も同じ目線の中で、その世界に自分が浸り込んでいて、共に生きているんだ」という。そういう感覚を持ち得たらば、少しはましな絵ができる、と。目線が違えばダメですね。共に花の中で、或いは春が来て、鳥がパアッと騒いでペアリングしている時に、同じように、「あ、嬉しいね」というふうな気持になれないと、リアリティーある空間にはならないんですね。それはヨーロッパの人はなれないんじゃないですか。面白い例が、松篁と私の絵を持って、パリで展覧会を開いて頂いたことがありました。その時に列品解説を会場で致しましたところ、質問がありまして、「あなたの描く鳥は何故人の身近にいるように見えるんですか?」という質問があったんです。それは面白いな、と思ったんです。その時の解説の仕方は、「この鳥は父松篁の化身(けしん)です。人間ですからみなさん方と対等のお話ができるから、身近に見えるんじゃないでしょうか」という解説をしたように思うんです。その通りなんでね。人間と鳥との親しい関係というのは、ヨーロッパ人のほうが体験しているんですよ。公園へ行けばリスが降りてきますし、池には野生の雁や鴨がいっぱいいますからね。手から餌をやる。日本はそういうのがなかなか見られませんけど。ですからヨーロッパ人は近しい関係にあるのに、描けば遠い、ということですね。
 
ナレーター:  上村さんがロシヤから譲り受けた白鷹です。真っ白で風格のある若い鷹です。デッサンでは細部にわたって白鷹を観察し、その中から自分なりのイメージを心の中で創り上げます。デッサンの終わる頃には、手が白鷹の姿を覚えるまでになると、上村さんはいいます。
 

峯尾:  実際上村さんが制作をなさる時に、デッサンを非常にたくさんなさると伺いましたが、それが一枚の絵に仕上がっていくまでには、かなりの時間が必要なんですか?
 
上村:  そうです。すぐはダメです。でもすぐやってすぐ描くことはありますけど、過去にデッサンがあっての話ですよ。初めて出逢ったものに、それはやりません。やれない、絵にならない。それで今までの写生があって、そして記憶というか、イメージの中にきちんとインプットされていますと、写生は一切見ないで本紙を描くのが本来の仕事の有り様です。というのは、逆説的に水墨画というのは日本画の究極の表現だと思うんですが、一々横を見ながらしていては乾いちゃう。あれは濡れている間にしかできない。大観先生はたくさん富士をお描きになっているけれども、無茶苦茶の大作はありませんけれど、まあ畳一畳分ぐらいとしても、あれは一日かかっちゃダメです。全部濡れている間に描かなければダメです。ですから描きたい世界がきちっと頭の中にインプットされていて、イメージとしてキチッと出来上がっていてでないとできない。ということは、横を見ながら富士山の姿をもう一遍思い起こすなんてダメです。ですから現実の世界に引き戻されないように、写生は十分できたと思ってからしか絵は描かないんです。勿論不足はしていますよ。けれど、それは余所へ置いておいて、そして頭から真っ白な画面に、木炭でこういう枝ぶりで、此処にこういう鳥をこういう形でやろうというふううなことを思うわけですね。その時に写生は見ない。
 
峯尾:  写生はたくさんなさっているということは、例えばこれをテーマに描きたいな、という気持があって、それが暫く見ないにしても順調に絵に仕上がっていくのが普通なんですか?
 
上村:  そうですね。いろんな資料はたくさん入れておいて、何かの現象に出逢った時、花びらがふぁっと落ちた時に、あ、奇麗だ。此処にこの小鳥がいたら、ということです。別にそこに鳥が居なくてもいいんだけど、落ち葉がふぁっと散っているところに、この季節にはこういう鳥がいつも来ているよな、と思うと、此処にジョウビタキがヒーカッカッカヒーヒーとテリトリー宣言をしているその世界描けるな、あの世界いいな、ということで、落ち葉とジョウビタキという絵が出てくる。
 
峯尾:  それから西洋の絵が三次元だとすると、日本画、或いは花鳥画、これは四次元の世界だ、と。これはどういうふうな?
 
上村:  鳥が今そこにいる。これは現実の現象ですね。「どこからやってきて、どこへ行くんだ。この鳥の一生はどうなんだ」というふうなものがイメージの中に入ってこないとリアリティーある鳥にはならないんです。だから私が四次元というのはそこなんです。花が咲いていても、たまたま咲いたわけではなくて、しっかり蕾を育ててきて、そして漸く季節がきて花開いた。いずれ散っていくんだ。ある種哀しいような現象が次ぎに起きるということを知らないと、花の優しさは描けない、と私は思います。それを描き切れれば名作です(笑い)。
 
峯尾:  そうすると、それは生物学者、植物学者としての、ということではなくて、もっと一人の人間として対等の生き物である花であったり鳥であったりするからそういう形になっていくんですね。
 
上村:  そうですね。人物画にしても、ただ単にそこにお婆ちゃんがいるじゃなくて、長い苦労を重ねて今この高齢になられた。いずれ亡くなっていくであろうというふうなことがわかっているから、人物が絵になるんで、それを植物だから鳥だからそんなものどうでもいいというわけではない、と。
 
ナレーター:  制作を始めて二週間、白鷹の白は、温かみを感ずる胡粉(ごふん)をベースにして塗ります。最後に鷹の眼を描いて完成です。木の新芽が今まさに芽吹こうとしている季節。背景の余白には青みがかった墨を丹念に塗り込めて春間近の空気を表現しました。上村さんによって命を吹き込まれた若い白鷹は、貴公子のイメージといっても良いほどの姿に仕上がりました。

 
峯尾:  日本画の花鳥画というのはやはり勿論上村さんにとっても素晴らしいものですね。
 
上村:  それは根が深いですよ。あらゆるすべての分野が深いんですけれど、自然現象の中に、あ、美しいな、という世界を見つけ出す。そうすると少しましな絵ができる。さらにいい世界を見つけ出したい、と思うわけですよ。あるんですね。ですから先輩が描いているんですよ。それは先輩の見つけ出した世界であって、私の見つけ出した世界ではないから同じ世界を描けるわけがない。だからその自然現象をもっともっと深く見る、或いは鋭く見ることによって、もう一つ扉が開かれて奥の世界が見られる。もし開いてもらったんだと思えば、次の扉がある筈だ。だから昔から鳥も花も同じ形しているけれど、千差万別に描かれてきたし、それから私はまた他人(ひと)のまだ開いていない扉の向こうを描くことができればな、という。多分不世出(ふせっしゅつ)の作家というのは、凡人の知らない世界を表現した人を指しますね。そういうふうになりたいと思いますね。様式だとか表現の方法だとか、そんなものではなくて、人のまだ知り得なかったかも知れないような深い―深いというのはいろんな意味があると思うんですが―そんな世界を追求していきたい。そしてそこにある種の到達をしていきたい。絵描きというのは欲張りなんですね。だから一つ描いていると次の絵が頭の中にあって、一つ仕上がると、またもう一つ頭の中にこうこうこういう絵が描きたい、というふうにずっとあるんですね。ですから歳いって少しずつテンポが遅くなりますけれど止まることはないわけです。ですから割合みんな長寿なんじゃないですかね。やっぱり欲深く生きていかないとダメです(笑い)。
 
峯尾:  一つの作品が出来上がって、そこで満足してしまうと、止まってしまうんですね。
 
上村:  そうですね。満足する筈がないです。「いや、違うな。まだこういう方法があるな」とか、後で仕上がってから―もしも時間が許されるとするならば、同じ絵に何日もかかっていると思いますよ。それがまあ展覧会の期限とか、いろいろございまして、限度がきて、そうすると悔いが残る。必ず悔いを残しています。で、その時それで良いと思っても、二日後には、「あ、こうやったほうが良かったのと違うかな」と。自分の失敗をずっと背負っていますね。ですからまたやる気になるんですね。
 
峯尾:  苦しい世界のようにも思いますし、これはきっと凄く楽しい世界なんだろうな、という気もするんですが。
 
上村:  いや、楽しいですよ。とっても苦しい時って勿論あるんですよ。あるんですけれど、割合に上手くいっている時は楽しくてしょうがない。もうあれもやりたい、これもやりたいということですね(笑い)。私が鶴を描いていました。はじめて鶴を描いたんですが、その時に、父が出品画を同じこのアトリエで描いていたことがございまして、ポツンと、「牧谿(もっけい)(中国の画僧)の鶴は神の使いだ。応挙の鶴は仏の使いというのや」とポツンというんです。まあ言外に、「お前の描いている鶴は単なる丁稚の使いか」ということではないか(笑い)と後で思ってみたりね。それから亡くなる前にもう病床におりました。長い間、「白い鷹を描きたい描きたい」と言っていながら、とうとう描かずに亡くなっているんですが、その時に、父は、「赤松と白い鷹を描きたい」というんですね。写生もしていない。今頃から写生が始められるわけがない。もう九十八歳ですからね。その時に「どうしても赤松と白い鷹を描くんや」と。で、こう枝ぶりをヒュッとこういうふうに指先を動かしているんです。それは、「お前、描いてみろ」ということですよ。赤松と白い鷹なんて言えば、まず陳腐(ちんぷ)な絵になることは間違いない。「陳腐にならない絵を描いてみよ」と宿題をたくさんおいていくんですよ。それが私は、「師匠や」と思うんです。
 
峯尾:  その宿題は少しずつ果たしていらっしゃるんですか?
 
上村:  まだまだ。そんな宿題をやったら怒られる。やり直していらっしゃいと(笑い)。父が私に申しましたことがございまして、それは「作家には三度の壁がある。壁をきちんと真っ直ぐ乗り越えて、三度乗り越えたらば、ほんとの作家と言われるんだ」ということを聞いたことがある。で、「壁ってなんだろうな」と思い起こして見ると、やはり朝霧に出逢った時が一つの壁であった、と。それも真っ直ぐ越えたかどうかということよりも、漸く厚い壁を越えた、ということは事実だと思うんですね。もう一つございましてね―私は二度経験したと自分自身で思っているんですが、まだ世間から見れば一度も越えないじゃないの、と言われるかも知れません―もう一度は、何を見ても面白くない。何一つ描きたくない、という時期があったんです。それは順調にずっと絵を描いてきたばかりにその壁に当たったのかも知れません。あまりに勢いに乗っていると、ボーンと壁に当たる。それが当たらない人がいるとするならば、当たったほうが幸せです。そのまま流されないで、もうこんな絵を描いたことあるし、もう二度と嫌。これも描いた、こんな世界も描いた、という思いがどんどん高じてきますと描けなくなるんですね。ある夏、もう今年の出品は止めようと思った。もう描けない。止めようと思った時に、家の出入りのある画商さんが、「先生、いい絵を持っているんですけど、お見せしましょうか?」。車に積んであるというんですね。「見せてよ」と言ったら、五点持ってまいりました。その時には、(奥村)土牛(とぎゅう)、(小林)古径(こけい)、(速水(はやみ))御舟(ぎょしゅう)、松園も持っておられました。その中に一つ、「仏御前」を描いた絵があったんですね。菱田春草(ひしだしゅんそう)が描いた作品です。その「仏御前」というのは若い奇麗な美しいお方なんですが、夫の後を追って出家しようとする。ススキ野がこうあってお月さんが出ています。そこを被衣(かつぎ)を被ってヒタヒタヒタと如何にも哀れで美しさがある。私は非常に感動しまして、「その絵、ちょっと置いててくれる。暫く眺めていたいんで」と。その時に、「仏御前」と「シギ」を入れ替えたらいいな、と思ったんです。勿論ススキじゃなくて葦。葦の倒れている葦に、渡りという動物のシギの宿命ですね。シギの渡りというのは非常にリスクを承知しながら、必ずしも渡らなければならないものではないんだけれども、やっぱり私は神の指示、或いは命令に従って潔(いさぎよ)く渡っているような気がするんですね。ですからシギという鳥に対するイメージには私にとっては非常に潔(いさぎよ)い生き方をしている、非常に清らかな生き方をしている、というふうに思いますね。それと「仏御前」の宿命とオーバーラップさせる中で、パッとイメージができていく。そういうシギを描こうと思ったんです。出品まで一週間なかったんですよ、一気に描き上げました。それは、私は今でも大好きなんです。「渡る」という大作なんです。ほんとに一週間でダァッと仕上げました。思いがわぁっと湧いてきているから。そういうこともありましたね。その時に行き詰まったということが壁だったんだ、と思います。で、父が、「壁やったんや」と軽う言うでしょう(笑い)。それで三度目がまだないので、まだほんとの作家とは言えません。自分で壁作らないと。
 
峯尾:  なるほど。
 
上村:  で、その時に父が申しましたのは、「壁に添うて歩く」と。と言いますと、今までの仕事をそのまま続けていくということを意味するんですが、それを「絵師」というんです。それを乗り越えたのを「作家」という。絵師というのは、いわゆる職業画家。同じ絵を何枚でもこなしていける人を絵師というんです。そういうことを父に教えられました。
 
峯尾:  その生きている鳥を描く作者である上村さんが、その絵の中に同時に生きていて、初めていい絵になる、と。
 
上村:  そうですね。だから渡る気持にならないと、渡り鳥は描けない。渡っている自分になれないと―感覚的にですよ―でないと、渡りの気持、鳥の気持を現すことはできないし、「鳥に語らせる」というふうな言い方をしますが、実は自分が語っているんです。ですから花の中で鳥たちが春がきて楽しそうにペアリングしている時に、あ、楽しいな、良かったな、いいな、という、その目線も同じ、同じ雰囲気、その中の一つの生物として自分があるような錯覚に陥った時に、漸くリアリティーある、生命ある鳥が表現できるんではないかな、というふうに思います。
 
峯尾:  ありがとうございました。
 
     これは、平成十八年二月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである