詩に人生の喜びをこめて
 
                            俳優・演出家 長 岡  輝 子(てるこ)
明治四一年、盛岡市生まれ。父母ともに教育者の家庭に生まれる。東洋英和女学院卒、文化学院大中退。女学校時代から演劇に興味を持ち、昭和三年にパリに演劇修行で留学。しかし父の死により昭和五年に帰国し、のちに結婚することになる金杉惇郎とテアトル・コメディを設立した。昭和一五年文学座へ。昭和四三年、文学座を退団し、朗読を行う「長岡輝子の会」を発足、宮沢賢治の作品や聖書などの朗読をライフワークとしている。昭和五八年、NHKの連続テレビ小説「おしん」で加賀屋の大奥様役を好演してから、日本中の茶の間にも広く知られる。昭和五九年、勲四等瑞宝章、放送文化賞を受章。映画出演作は「本日休診」「にごりえ」「山の音」「キクとイサム」など。著書に「詩暦」「日向に落ちた種子」「父(パッパ)からの贈り物」「わが町溝の口」など。
                            き き て   加賀美 幸 子
 
ナレーター: 東京お茶の水にある文化学園。大正時代から続く文芸の専修学校です。俳優で演出家の長岡輝子さんは、この学校の卒業生です。今年、九十二歳。月に一度演劇の世界を志す後輩たちに朗読の授業をしています。長岡さんは学生たちに自分の好きな詩を選ばせて、詩に心をこめることの大切さを教えています。
 

 
長岡:  誰? 一年生で読みたい人。一年の角田さん。
 
生徒:  「ほほえみ」という。いいですか?
 
長岡:  いいですよ。
 
生徒:    ほほえみ
 
     ほほえむことができぬから
     青空は雲を浮かべる
     ほほえむことができぬから
     木は風にそよぐ
     ほほえむことができぬから
     犬は尾をふり─だが人は
     ほほえむことができるのに
     時としてほほえみを忘れ
     ほほえむことができるから
     ほほえみで人をあざむく
       (作・谷川俊太郎)
 
長岡:  そうね、空だのね、木だのね、大空に対する愛だとかさ、せっかくあの青空の広い空があるのに、雲が浮いて、そういうなんかもっと大自然の情景をもっと浮かばせて、それが声になってごらん。そうすると、その詩そのものももっと大きくなるし、人間というのは微笑めるのに、みんなしかめっ面して、こんな住み難い世の中にしているのも我々だ。これを良くするのも我々だ。そういういろんなものが入っているのよ、あなたの中に。それが入っているのが抜けているんだよ。分かるでしょう。すぐ入れられないよ、それは。あなたの日常生活の中で、少しずつ少しずつ溜まっていったものなんだから。すぐに出来るもんじゃないからね。そのつもりで読みなさい。
 
生徒:  (再度読む)
 
長岡:  ずっとよくなってきたけれど、あなた・・・ちょっと貸してごらん。いつも出る出だしの音が同じ高さなんだよ。(詩を朗読)
いろいろ出てくる音が違ってくるわけだ。分かったでしょう。いつも同じ高さで出てくると単調になっちゃう。
 
生徒:  感情がしっかりすれば、
 
長岡:  自然に音も変わってくる。
 
生徒:  はい。難しい・・・
 
長岡:  だからね、人の真似じゃないんだ。あんた、あなたのそういう気持ち、今、私がやったような気持ちで読めばいいんだよ。
 
生徒:  はい。
 
長岡:  歳が違うし、だから私の真似をしてはダメ。みんなその人その人でなければならない音があるんだから。
 
生徒:  (再度詩を読む)
 
長岡:  やっぱりまだ単調なのはね、いつも空を見た時の音と木を見た時とが、その間にあなたの心が動いていなければいけない。それはいつも同じところで見ているんだ。雲を見たり、木を見たり、犬を見たり。ある時は散歩の時に犬を見てそう思ったかも知れない。その間(あいだ)あいだがあなたの動きが入っていると、出てくる音がまた違うよ。分かるでしょう。青空が見えたり、森の樹が見えたり、犬を連れて散歩している人の姿が見えたり、いろんなことを想像しながら、それを読むと、みんな違った音で出てくるし、その違った情景がこっちにも伝わってくる。そうすると単調じゃなくなっちゃうね。そういうふうにやってごらん。
 
生徒:  頑張ります。有り難うございました。
 
長岡:  どう致しまして。
 

 
ナレーター: 長岡さんが何よりも大切にしているのは、自分らしくあること、そして言葉に心をこめることです。その言葉への思いは七十年以上に及ぶ演劇人生の中で培われてきました。昭和五十三年に放送された連続小説、「おしん」。長岡さんはテレビに映画に舞台にと幅広く活躍してきました。その一方で翻訳や詩の朗読といった活動も続けています。
今年九月には三冊目になる自伝『老いてなお、こころ愉しく 美しく』を出版。長岡さん自身が女学校時代から書き続けてきた詩も紹介されています。「日(ひ)の本(もと)のはらからよ」は、終戦後の衝撃の中で書いた詩です。
 

 
長岡:   日の本のはらからよ
 
     謙虚は美し
     日の本のはらからよ
     真理を求める人たちは
     何時の世も
     謙虚を忘れません
     謙虚知る人は
     永遠にのびて行く人
     あのダビデ大王の
     謙虚な詩聲(しせい)の
     何と永遠に 高らかに
     世界の果々にも
     なり渡ることよ
     どんなに悲惨の
     ただ中にも
     謙虚を忘れない人には
     必ず「希望」が
     衛星となって
     道しるべをするでせう
     卑屈(ひくつ)になるのは
     空威張(からいば)りしか
     出来ない人達よ
     謙虚には
     奥行きがあり
     ゆとりがあり
     決して絶望がないでせう
     日の本の
     はらからたちよ
     諦めや
     絶望や
     自棄(じき)や
     媚態(びたい)や
     自嘲(じちょう)をすてて
     心床(こころゆか)しく
     謙虚を身につけませう
     謙虚はやがては
     民族の偉大さをはかる
     大きな目盛りと
     なるでせう
       (作・長岡輝子)
 

 
加賀美:  演出家、俳優、脚本という演劇の世界と、詩を読む、また詩を書くという世界と、たくさん表現方法をもっていらっしゃる長岡さんですけれども、その中で詩を書くという、そのことはどういうふうに?
 
長岡:  私はいい加減な人で、何でも一つのことを徹底して、最後はどうなるなんてとこまで考えたことなくて、自然に詩が書きたくなれば書くし、自然に芝居のいい脚本にめぐり逢えば、そして頼まれれば演出するし、自分からこれをやりたい、あれやりたい、何にもない人なのよ。
加賀美:  ああ、そうですか。
 
長岡:  図々しいというか、もうほんとに怠け者なの。
 
加賀美:  でも、ここにあります「詩暦(うたごよみ)」は、これ随分早くに書かれた詩ですね。これは女学校ぐらいですか。
長岡:  女学校のも入っているかも知れない・・・入っていないわね、きっと。随分早くっても、昭和初めですね、文化学園かなんかに行ってた頃。私はその頃は詩というと、ハイネだとか、そういうふうな向こうの翻訳した詩がいっぱいありましたからね。何か大変勉強しなければダメなもんなんだなあという気もありましたね。だから自分の書く詩なんというのは、それとはまったく別格に、誰にも言わないで独り言みたいなものだったの。
 
加賀美:  独り言? でも、こんなにたくさんの詩を書かれて、
長岡:  いや、もっとあるんですよ。
 
加賀美:  ほんとはもっとあるんですか。
 
長岡:  あるんですよ。なんか今になって見るとね、大学を出て、役者になって、映画に出て、それで自分が役をもらって、なかなか自分の出番がなくて、それで若い人たちの人だかりがしているのに、自分はたったひとりで、こっちでポツンとして自分の出番を待っているという人の詩だものね。
 
加賀美:  じゃ、そういう時に、いつも気持ちを綴っていらっしゃったんですね。
 
長岡:  そうなの。私は、それが小説には書けないの。短い詩ならできるの。だから、そういうのがあっちの帳面、こっちの帳面に書き散らしてあるんですよ。ひょっと出てくると、「ああ、こういうのも書いたっけなあ」「こういうのをみんな纏めたら面白いかも知れないなあ」と思ってね。私は私だし、ほんとの専門的な詩人は専門的な詩人。室生犀星(むろおさいせい)にしたって、佐藤春夫にしたって、その人でないと詠めない素晴らしい詩がいっぱいあるんだもの。それがあることによって、詩の世界が凄く豊かになるでしょう。自分の詩だけだったら、とっても貧相で貧相で。だから私にとっては、みんなそういう方はいい栄養になっているわね。といって真似はしたくないわよ。違うんだもの。だから今の人ももっともっとそういう詩を、自分の生活の中に入っていたら楽しいんじゃないかと思いますよね。
 

 
ナレーター: 長岡さんは明治四十一年に盛岡で生まれました。両親は共に学校の教師という教育者の家庭です。八人兄妹(きょうだい)の四番目だった長岡さんは、大家族の中でのびのびと育ちました。父拡(ひろむ)さんは英語教育に生涯を捧げ、執筆した教科書はベストセラーになりました。母親の栄(えい)さんも教師で、当時としては珍しい共働きの夫婦でした。母親の栄さんは、友人達と盛岡で最初の幼稚園を作りました。そこで教えていたのは、オランダから来た宣教師のミセス・タッピングです。長岡さんはミセス・タッピングからキリスト教の教えやたくさん歌を学びました。
 

 
長岡:  でもね、幼稚園といっても、あの頃のミセス・タッピングとミスター・タッピングが作った幼稚園というのは、宗教と密接な関係があって、朝起きてから寝るまで、みんなイエスさまに感謝するような歌でしょう。それが染みついているのよね。子守歌にしたって、いろんな歌、みんな最後は、「ありがとうございます、神さま」ということになるんで。だから、神さまがいらっしゃるというのは、普通の人がいるように感じていたのね。だから今でも私、朝起きると同じですよ。「おはよう 太陽 君は醒(めざ)めて 月と星とは 眠りにつきね」とかね。それ幼稚園の歌よね。それから、「すやすや眠る可愛い子よ、あれはイエスさま、私のため生まれたまえぬ綺麗な星がピカリピカリと天に輝いた」。これほんの一つで、幾つあってもみんなこういう歌なの。
 
加賀美:  それ今でもお歌いになるのですか。
 
長岡:  全部今でも役に立つの。お天気が良かったりすれば。それで、「みんな西洋の農夫の種撒く様をば」ってね、お父さんが種を蒔いている歌だとか、お母さんが洗濯している歌だとか、そういうのがみんな生活の一部が歌になっていて、それで後の方はみんな「神さまありがとう」というふうになったりしているんですよ。だから宗教教育とかなんとかという面倒くさいことじゃなくて、今だって通用する大自然と人間の生きていく姿というのは。ほんとにどうしてみんなああやって、一々洋服に着替えて。あんなこと何にもなかったですよ。みんな自分の家にあるものを着てね。それでお弁当だっておむすびで、腰へ下げて、中に味噌漬けが入っていたり、塩漬けが入っていたり。誰か忘れた人がいると、「誰かさん、お弁当分けてあげませんか!」なんというと、「いやぁ〜!」という人もいるし、「あげる!あげる!」という子もいるし、もうそういうふうな自然な姿でしたね。
 
ナレーター: 長岡さんは大正十四年に東京の文化学園に入学します。男女共学で制服もない自由な校風の中、与謝野晶子(よさのあきこ)を初めとした文化人の指導を受けました。フランスの翻訳劇に興味を持ち、原書を読むことに没頭した学生時代、文化学園は長岡さんにとって、演劇の道を進むことを決心したとても大切な場所です。
 

 
長岡:  あなたの顔、全然見えない、見えるところへ来て。ちゃんとこっちへ来て読みなさい。ご自分の、何年生? 誰?
 
生徒:  二年生、冨田愛です。
 
長岡:  何を読むの。
 
生徒:  萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)の「旅情」という詩です。
 
長岡:  知っている、有名な。お腹で息をしてね、ゆっくりね。
 
生徒:  はい。
 
       旅情
 
     フランスへ行きたしと思えども
     フランスはあまりに遠し
     せめては新しき背広を着て
     気ままなる旅にいでてみん
       (作・萩原朔太郎)
 
長岡:  あのね、もっと楽しくていいんだね。
 
生徒:  楽しくて?
 
長岡:  だって、「フランスへ行きたしと思えども」というふうなフランスに対する憧れがお腹の中にいっぱいないと。行かれないから、せめて日本の中で間に合わせようというんでしょう。だからその汽車に乗っている時も、自分はもうフランスにいくようなつもりで乗っていていいんだよ。
 
生徒:  はい。分かりました。
 
       旅情
 
     フランスに行きたしと思えども
     フランスはあまりに遠し
     せめては新しき背広を着て
     気ままなる旅にいでてみん
 
     汽車が山道を行くとき
     水色の窓に寄りかかりて
     我ひとり嬉しきことを思わん
 
     五月の朝の東雲(しののめ)
     うら若草の萌えいずる心まかせに
        (作・萩原朔太郎) 
 
ちょっと楽しい自分では読んだんですが、
 
長岡:  あのね、新しき背広を着ているのね。それは嬉しいじゃない。そういうのもあっさり読んじゃうじゃない、あんたのは。そういうところだって、裏に気持ちが流れていればね。だからもっとゆっくり読んでごらん。
 
生徒:  もっとゆっくり。分かりました。はい。(再度読む)
 
長岡:  ずっと最初からみると良くなってきたよ。だんだん自分のものになってくれば、もっともっと楽しく読めるよ。まだね、字を追っかけているのね。
 
生徒:  この歌凄く好きな詩なんで、覚えたりした方が、
 
長岡:  そうそう。暗記していったら、なおやりいいよ。自分のものになるからね。活字を読んでいるということが飛んじゃうと、あんた、自分の言葉になっちゃうからね。その方がいい。気持ちも入るでしょう。今は誰でも行くけど、今と違って、この詩が出来た頃なんて、フランスへ行くなんてとんでもない大変なことよね。しかも詩人というのは食べていけないんだから、この頃はね。だけども行きたいよね。憧れはいっぱいあるしね。
 

 
ナレーター: 昭和三年長岡さんはパリに留学します。「演劇を志すなら、本場で芝居を見ておいで」と、父拡(ひろむ)さんは十九歳の長岡さんを送り出してくれたのです。当時のパリには藤田嗣治(つぐはる)や岡本太郎といった若き芸術家たちが集まっていました。長岡さんは彼らと交流を続けながら、たくさんの芝居を見る日々を送りました。劇団アトリエ座の研究生となり、演劇の研鑽を積んだのです。ところが昭和五年に父拡さんが他界し、長岡さんは日本への帰国を余儀なくされます。失意の長岡さんに、翻訳劇の上演を手伝って欲しいと持ちかけたのは金杉惇郎(かなすぎじゅんろう)さんでした。当時、慶応大学の学生で、演出家志望だった金杉さんは、日本の演劇に新風を巻き起こしたいと考えていました。その熱意に応えた長岡さんと、劇団「テアトル・コメディ」を旗揚げします。昭和六年、こうして長岡さんの俳優の人生がスタート。その翌年二人は結婚します。
 

 
長岡:  パリで芝居を見たり、ドイツでも見ましたよ。これは子供のやるもんじゃないと思ったの。大人のやるもんだと思った。日本へ帰ったら、何をするのも止(よ)そうと思っていた。だって歳をとって、爺さんみたいなのが、みんな二枚目したりさ。お婆さんがプリマ ドンナ(prima donna:花形の女性)をやったり、こんな年寄りが。日本じゃ若い人が一生懸命かつらかぶって年寄りやっているんじゃない。だから日本の新劇とあっちの演劇との違いね。絶対に私はこんなことは出来ないと思って帰ってきたの。それだのに、金杉が、「とにかく一度でいいから、慶応の野球部のお金が必要だから芝居をする」という。
 
加賀美:  金杉惇郎さんが、
 
長岡:  そうそう。それで、「パリで見てきた面白い芝居ないか?」というから、「こういうのがあるわよ」といったら、「それを訳せ、訳せ」というから、それを訳して、それで野球部の資金のために一回だけで止めるつもりで、私は書いたのよ。そうしたらば、それが凄く評判良くて、それでまたその次もやることになっちゃって、それで六年間続いちゃったんですよ。
 
加賀美:  ということは、その演劇も自然に金杉さんとの出会いでおやりになった。
 
長岡:  それもどうせ一回で済むつもりだったから。
 
加賀美:  最初そうだったんですか。
 
長岡:  勿論、そうだったのよ。それで有島さん、森雅之(もりまさゆき)だとか、十朱久雄(とあけひさお)さんだとか、みんなそういうのをいつまでも続けられない家なのよ。もう十朱さんなんか、お父さまがご自分の家に義太夫の舞台を作って、みんなお客さんを呼んで、ご馳走して聴いて頂くというお金持ちなのよね。それが、「なんだ、お前のような何にも分かんないやつが、切符を売って、芝居をみんなに見せるというのは何事だ」といって、お家から外へ出されなくなっちゃったの。私たち困っちゃってね。それでもうなんとかその日までには、と思って、窓の下にみんなで用意して、上から飛び降りて、やっと逃げ出させたりね。そんなふうにしてやっていたし、みんな私の訳したものなんて、なんだろうと思うのはね。その頃の翻訳劇というのは、みんな仏(ふつ)文学者だとか、そういう人たちが訳しているから立派な台詞(せりふ)なの。あれが私が書けないから、今のテレビやなんかでやっているような普通の言葉で書いた。
 
加賀美:  普通の言葉で、
 
長岡:  それしか出来ないじゃない。私はそれで書いたのよ。
 
加賀美:  それが良かったんですね。
 
長岡:  それが良かったらしいのよ。
 
 
ナレーター: 長岡さんはフランスのコメディを次々に翻訳し、演出する夫の金杉惇郎さんと二人三脚の日々を過ごしていました。ところが昭和十二年、金杉さんが病に倒れ、「今、死ねない」という言葉を残して他界してしまいます。千葉県の鱚(きす)ケ浦(うら)は二人で夏を休暇を過ごした思い出の地です。長岡さんは、「鱚ケ浦の賦(ふ)」と題した詩に、亡き夫への思いを寄せています。
 

 
長岡:    鱚ケ浦の賦
 
     去りにし日に
     君と相見し
     鱚ケ浦
     五度(いつたび)の
     夏は来たれど
     君は来まさず
     亡き人よ
     われもまた
     土になりたや
     君のごと
     浜茄子(はまなす)の咲く
     この砂浜に
 
     哀しみは
     白く光りて
     果てもなし
     われ埋れたし
     白砂に地虫(じむし)のごとく
     君恋うる思いのみ
 
     天翅(あまかけ)り天翅り・・・
        (作・長岡輝子)
 
加賀美:  金杉惇郎さんがもっと長くいらっしゃったら、「テアトル・コメディ」はもっと長く続いたのでしょうね。
 
長岡:  あの人が生きていた時には、私は芝居の世界が厭だから止めて、書く方の勉強しようと思っていたの。ところが彼が死んでみたらね、誰があの人が不断言っていたことを継ぐだろうと思ったら、私しかいないのよ。日本の芝居をつくっていきたいという彼の熱意ったら大変なものだったのよね。それだから私が止めたら、あの人可哀想だなと思って、それでそれから私は芝居をしようと思ったの。
 
加賀美:  そこからですか。
 
長岡:  その前は止めるつもりでいたの。だからあの人が死んだから、しょうがないから、私がやって、それでどうなろうと、あの人が考えていたことだけは、私が一生懸命やれば、と思ったの。
 

 
ナレーター: 昭和十九年の春、長岡さんは実業家の篠原玄(しのはらげん)さんと再婚します。玄さんに支えられ、長岡さんは演劇界で順調な再スタートを切ります。戦後は活動の場を文学座に移し、精力的に演出にあたり、そして舞台にも立ちます。「大麦入りのチキンスープ」では芸術祭文部大臣賞を受賞しました。昭和二十年代後半からは、映画出演も相次ぎ、樋口一葉原作の「にごりえ」などに出演。お金を貸して欲しいという女中につらくあたる女主人の役を歯切れよく演じています。昭和六十二年篠原玄さんが胃ガンで亡くなります。四十年以上に亘って長岡さんを支え続けてきた伴侶の死でした。
 

 
加賀美:  長岡さんを支えていらっしゃったのは、再婚なさった篠原玄さんでいらっしゃったというふうに伺っているんですけれども、七十九歳でお亡くなりになったそうですけれども、ご本の中にもありますけれども、その時は酸素が無くなるように、
 
長岡:  なんか息が出来ないみたいな感じだった。だけど私ってのはね、薄情なんか知らないけど、一人になってからの私の方が私みたいになってきたわね。やっぱり旦那が居ればその人と合わせなければならないところもあるじゃない。それが無くなったからね。金杉の時はまだ若かったから、もう綿々として、常に彼と一緒に居て、子供を世話をして、というふうに、だんだん歳と共に、こっちも変わってきて、それで戦争も凄くなったし、それで学童疎開というのも現れた。そういうふうに、私自身で極力力を合わせてそういう時代をつくったわけじゃないのに、みんな神さまが下さる、そういうふうになっちゃうのね。
 
加賀美:  神さまが下さる?
 
長岡:  としか思えないじゃない、人間のあれじゃない。
 
加賀美:  そうですね。ご自分で選ぶなんじゃなくて、
 
長岡:  ないんだもの、
 
加賀美:  そうしますと、長岡さんの前にどんなことがあっても、それはみんな自然だ自然だととらえていらっしゃって、マイナスに考えるということはおありにならないんですか?
 
長岡:  あまりないね。
 
加賀美:  それはどこから来ているでしょうか。いつもいつもそういうふうにお考えになるというのは。クリスチャンであったこともおありでしょうし。
 
長岡:  私は、いつも子供の頃、読んでいた『パレアナ喜びの本』(エレナ・ポーター著)という本があるでしょう。あれが私の中に入っちゃっててね、すべて喜ぶ遊びにしちゃうのよ。厭なことでも。
 
加賀美:  厭なことでも?
 
長岡:  そういう考え方が入っちゃっているのね。
 
加賀美:  すべてのことを喜びにしてしまう?
 
長岡:  喜びにするにはどうしたらいいか、ということ。『パレアナ喜びの本』を読めば、牧師さんと結婚したために、お家から縁を切られて、ずっといたご夫婦の中に生まれた子供がパレアナで、その両親も死んじゃって、それで彼女一人になったもんだから、そのお母さんの妹とかなんかのおばさまで、オールドミスで、お金持ちのところにいる方のところに預けられちゃう。そこへ来るんだけれど、随分いっぱいお部屋があって、綺麗なお部屋を通って来ると、「自分の部屋かしら?」なんて思っていくと、屋根裏部屋なの。そうすると、「わあ、景色がいい。こんないい景色のところだ」というんで、それをそういうふうに喜ぶわけ。それでおばさまにいろいろ反対されたり、虐められる。世間でいえば、そういう思いをしても、それをみんな自分のためにプラスになるように考える人。それが町中の人たちにうつって、町にもしょっちゅう文句をいう人だのいろいろいるおばあさんのところへいっては、いろいろ喜ぶ遊びを教えるの。それで町中の人が喜ぶ遊びをするし、そのうちに丘の上の家のお金持ちの一人で住んでいる偏屈なおじさんが居て、そこのおじさんとも仲良くなるんだけど、そのうちにそのおじさんがかつてそのおばさんの恋人だったということが分かって、その二人も結婚することになる、という話なんだけどね。その話が、もういろんな細かいことは忘れちゃったけれど、とにかく喜ぶ遊びだけが私に残っちゃったの。
 
加賀美:  ほんとに長岡さんそのままですね、そのお話は。
 
長岡:  そうかしら。まだなかなかそうはいかないけども。だからね、なんてみなさんいっぱいいろんな本を読んでいらっしゃるけれど、あんな子供の頃読んだ本が私の一生を左右するとは夢にも思わなかった。
 

 
生徒:   わたしと小鳥とすずと
 
     わたしが両手をひろげても、
     お空はちっともとべないが、
     とべる小鳥はわたしのように、
     地面(じべた)をはやく走れない。
 
     わたしがからだをゆすっても、
     きれいな音はでないけど、
     あの鳴るすずはわたしのように
       たくさんなうたは知らないよ。
 
     すずと、小鳥と、それからわたし、
     みんなちがって、みんないい。
        (作・金子みすヾ)
長岡:  可愛い詩だからね。もっと話をする話言葉のように読んでごらん。
 
生徒:  はい。(再度読む)
 
長岡:  「私と、小鳥と、鈴と」なんか本を読んでいるでしょう。「私と小鳥と鈴と」というふうに、あなた自身の声で読みなさい。
 
生徒:  (再度読む)
 
長岡:  余分な調子がいっぱいくっついている、終わりに。「私と」の「と」は要らないと思っていってごらん、ちっちゃい声で。
 
生徒:  (再度読む)
 
長岡:  それはね、音だけ小さくしただけでね、気持ちが入っていないんだよ。「私と小鳥と鈴と」そのものずばり。ちゃんと詰まっていれば、「と」はちっとも邪魔にならないんだけど、みんな凄く目立つの。「私と」というふうに、消す音と消さないで残して置く音と、自然に出てくる筈なの。本当にあなたのお腹の中からだとか、頭の中でそれを自分のものにしていっていれば。まだ活字にとらわれているの。それは読むからなの。自分のものにしていったら、自然にちっちゃくなったり、いろいろするの。
 
生徒:  (再度読む)
 
長岡:  よっぽどよくなってきた、最初の時から比べると。どこが違ったか分かる? 分かってきたでしょう。もっとよく読めるようになる。ちょっとしたことなんだよね。じゃ、また頑張っていろんな詩をやってごらん。
 
生徒:  はい。有り難うございました。
 
長岡:  後は、
 
生徒:  はい。
 
長岡:  何を読むの。
 
生徒:  谷川俊太郎さんの「だれでも」という詩を読みます。
長岡:  谷川さんね。
 
生徒:  はい。
       だれでも
 
     だれでも何か悲しいことをもっている
     それをだれにも黙って隠している
     はあはあはあ
 
     だれでも何か許されぬことをもっている
     それを許されぬままでもっている
     はあはあはあ
 
     夜、寝床にはいる前に
     だれでも一度は悲しそうな目つきをする
     ウサギのようなへびのような
     何も見ていない目つきをする
     はあはあはあ
         (作・谷川俊太郎)
 
長岡:  なんと言ったらいいかなあ。もっと落ち着いて、自分自身に対する笑いが、いろんな色の笑いがハッキリしてくると、もっと面白いね。感情の音。だからあなたの心理状態が一定なところで読んでいるでしょう。それがトギトギになったり、こんなになったりする。自分が嫌になっちゃったり、可愛そうになったり、誤魔化したくなったり、そういう自分自身を、もっと「はあはあはあ」に、いろいろな形で出てくると、もっとあなたがハッキリしてくる。それは声を出さなければ分からないことだからね。一人で読んでいる時には全然分からない。
 
生徒:  何度も何度も読んで、
 
長岡:  何度も読んで、自分自身を構築していくの、創っていくの。私の朗読というのはみなさん、聴いていると、凄く全部よく見えるんだって。その人物が動いたり、いろいろしているのが。そう言われてみると、「ああ、そうか、私、いつも自分で演出しながら読んだりしているんだなあ」と思って。その人物が動いたり、いろいろしているから、そういうふうに聴いている方も見えるんでしょう。それは想像力があれば、誰だって出来る。みんな、ただ字に頼って、ただそれだけを説明したと思っているでしょう。それじゃ、足らないのよ。まずそんなものよりも、あなたの心の中で、それを読んだ時に、あなたの心がそれをどう受け止めて、どういうふうに一体化、それがまず第一だよね。それがなくて、ただ読んでいたってダメなのよ。だから声出して読みなさい。何でもいいから。
 
生徒:  (再度読む)
 
長岡:  ずっと変わってきたけどね、やっぱり自分というもの、自分というか、そのつらいこと、我慢している自分とかね、いろんな自分がもうちょっと出ていいね。まだ山が薄い。だから、「はあはあはあ」「はっはっはっ」「ハァッハァッハァッハ」いろんな笑い方があるのよ。ただ、「はあはあはあ」でなくてね。「ウッフフフフ」でもいいでしょう。「はあーはあーはあー」顔は全然笑っていないでも、声だけ「はあっはあっ」と笑ってもいいんだしね。いろんな笑い方があると思う。それにはあなたの気持ちがいろんなふうに動かないと。それをやらないで、ただテクニックだけで、いろんな「はあはあはあ」をつけたりなんかしていたって、そういうのは人の心を打たないね。やっぱり一番元になるあなた自身というものの、あれがしっかりしていないと。
 
生徒:  はい。分かりました。有り難うございました。
 
長岡:  どう致しまして。
 

 
加賀美:  若い人たちにも、ご卒業なさった文化学園には月一回講義なさっていらっしゃるんですが、若い人にその思いを、
 
長岡:  だけどね、その時は分からないのよ、みんな。やっぱりある程度歳をとってきてね、「ああ、このことか」と分かる時があるのよ。私も文化学園のあれだけ素晴らしい先生が揃っていてね、いいことをいっていらっしゃったんだろうと思うけどね。堀口大学の詩なんか読んでも、ああ、あの先生は鼻めがねでさ、スパッツ(spats)なんか履いて、ハイカラな格好して、いまフランスから帰ったみたいな、そんなことばっかり見ていたのよ。でもね、その後ずうっとあの方がいろいろ苦労があって、今日(こんにち)亡くなったけど、ますます先生に対する尊敬とか、追慕(ついぼ)というか、懐かしいという気持ちは。私は何にも分からないで、そんなことばっかり見ていたような気がしますけれども、先生の詩を読む時に、いろんなことがもっとバックに出てきますもんね。
 
加賀美:  でも、読んだ本ということで、宮沢賢治の詩もやはり昔から読んでいらっしゃったんですね。
 
長岡:  そうそう。分かんない頃から読んでいましたけれど。だけどやっぱり歳とともに、昔気が付かなかったこと、例えば、本当の東北弁が書けないんですよ。字がないから。例えば、「長男」のことは「いんなさん」というんですよね。そうすると、こっちの本を見ると、「あいな」と仮名がふってあるの。「あいなさん」ということになっちゃう。「あいなさん」じゃ全然なんのことだか分からない。「いんなさん」なんですよ。その「いんな」という字がないのよ。そうすると、フォネティック(phonetics:音声学的に)だとあるの。
 
加賀美:  そうなんですね。それを今読んでいらっしゃるんですね。そうやって長岡さんの場合には。賢治の詩でも、息づかいとかはほんとに書けませんけれども、それを全部長岡さんは読んでいらっしゃる。
 
長岡:  出来るのはね。これは例えば、「チャンチャンマコ」「チャンチャンチャン」というのは鈴の音。それが花巻の方の人は「チャンナチャンナ」と書いてあるのよ。盛岡の方の人は「チャンヌチャンヌ」と書いてある。「ヌ」でも、「ナ」でもないの。その中間なの。「ちゃんちゃん」という。それが鈴の音なの。そういうふうなもの。それから太鼓の音なんかでも、「ダッダッダッダッスカダッダッ」あるでしょう。あれ「dah-dah-dah」と書いてある。まあこの人嫌にハイカラぶっちゃって、こんな横文字入れないでもいいのにと思っていたの。ところがやっぱり太鼓の音は、「ダッ(dah)ダッ(dah)ダッ(dah)ダッ(dah)スカダッ(dah)」後に「h」が入るの。その「h」が入るとリズム感が出る。
 
加賀美:  そうなんですね。
 
長岡:  ただの「ダダ」ではなく。
 
加賀美:  ダメなんですね。でも、それは長岡さんご自身が、
 
長岡:  自分で発見するの。家の兄やなんかが太鼓をやる時には、「ダッ(dah)ダッ(dah)ダッ(dah)ダッ(dah)スカダッ(dah)」とやっているなと思って。そういうふうに後から後から発見があるの。
 
加賀美:  そうなんですね。でもその根元を辿っていくと、盛岡時代の子供の時の、
 
長岡:  そうそう。いろんな人のことを思い出して。
 
加賀美:  長岡さんは宮沢賢治の朗読会を全国各地で行っています。十月に行われた札幌の講演には主婦を中心に根強いファンが集まりました。宮沢賢治と同じ岩手県出身の長岡さん。方言をいかした味わいのある朗読が、多くの人の心をとらえています。
 

(札幌市教育文化センターでの朗読会)
 
長岡:  まあ、私は今日は八年目、お蔭様で毎年毎年、それで日本中いろいろ回って歩いて、それで今年は八年目になります。まさかこの歳まで生きていると思ってもいませんでしたから、ほんとに有り難いことだと思います。では、みなさまどうぞくつろいで、ご自分のお家にいらっしゃる時のように、気楽に聴いて下さいね。
 
       雨ニモマケズ
 
     風ニモマケズ
     雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
     丈夫ナカラダヲモチ
     欲ハナク
     決シテ瞋(いか)ラズ
     イツモシズカニワラッテイル
     一日ニ玄米四合ト
     味噌ト少シノ野菜ヲタベ
     アラユルコトヲ
     ジブンヲカンヂャウニ入レズニ
     ヨクミキキシワカリ
     ソシテワスレズ
     野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
     小サナ萓(かや)ブキノ小屋ニイテ
     東ニ病気ノコドモアレバ
     行ッテ看病シテヤリ
     西ニツカレタ母アレバ
     行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
     南ニ死ニソウナ人アレバ
     行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
     北ニケンクワヤソショウガアレバ
     ツマラナイカラヤメロトイヒ
     ヒデリノトキハナミダヲナガシ
     サムサノナツハオロオロアルキ
     ミンナニデクノボートヨバレ
     ホメラレモセズ
     クニモサレズ
     サウイフモノニ
     ワタシハナリタイ
       (作・宮沢賢治)
 

 
加賀美:  長岡さんにとってその朗読を続けるということは、
 
長岡:  真っ裸で人の前に立っていることよね。だから、大変よ、毎日の生き方が。壇にあがった時だけじゃダメなのよ。だから本当にきちんとした形でなくて、モッサモッサで、なんかつっかえつっかえ読んでも、いい人はいいんですよ。それでも心をうつ人は打つんですよ。
 
加賀美:  なんなんでしょうね、それは?
 
長岡:  それはやっぱりその人のもっている、生きている姿勢が、そういうものをみんなに与えるんでしょうね。
 
加賀美:  存在そのものですか。いくらその読み方を勉強したってダメなんですね。
 
長岡:  ダメなことはダメなのよね。
 
加賀美:  いろんなことを経験なさって、なにもかもやっていらっしゃいましたけれども、今でも毎回、
 
長岡:  毎回素人ですよ。その場その場。ほんとに新しいのよ。
 
加賀美:  苦しいけど、楽しい、
 
長岡:  楽しいといえば楽しいね。
 
加賀美:  じゃ、限りなく続きますね。
 
長岡:  だから私も、岡本太郎が、
 
     うまくあってはならない
     きれいであってはならない
     心地よくあってはならない
 
これを読んだ時は、私はどういうように読もうかと思った。
 
加賀美:  そうですか。美しくあってもダメですか。心地よくでもダメ。
 
長岡:  心地よくあってもダメ。
 
加賀美:  どうしたらいいんでしょうか。ということは、そのことを毎回毎回考えながら、
 
長岡:  そうね。
 
加賀美:  そういうことというのが一番大事なんでしょうか。
 
長岡:  いや、人によって違うわよ。人によって。
 
加賀美:  でもやっぱり謙虚という言葉は、簡単過ぎて使うのはちょっと恥ずかしいですけども、でもそういうことですよね、いつも抑えながら。それがずうっと続いているんですね。この詩を書かれた時も、「恥ずかしいから」とおっしゃったんですけれど、今はやっぱり恥ずかしい?
 
長岡:  なんとなくね。その癖褒められると嬉しいんだけどね。
 

 
生徒:    最上のわざ
 
     この世の最上のわざは何?
     楽しい心で年をとり
     働きたいけれども休み
     しゃべりたいけれども黙り
     失望しそうなときに希望し
     従順に、平静に、
     おのれの十字架をになう─。
     愛するすべての人のうえに
     神の恵みを求めるために─。
     すべてをなし終えたら
     臨終の床に神の声をきくだろう。
     「来たれ、わが友よ
     われなんじを見捨てじ」と─。
 
長岡:  とってもよく読めた。とってもよく読めた。私もこれをいつもね、会の後に必ず読むの。だけどね、私は九十二歳の歳で読むから、いかにももう死の前に立っているでしょう。だから凄くみなさん感動して下さる。だけど若い者がこれを読んだの初めて聴いて嬉しい。やっぱり若者でないとね、ない素晴らしいものをもっているしね。変なものがちっともくっつかないで、この内容をきちっと出そうとしていたから凄く良かった。みんなも思わない? 何にもなかったよね。見せようと思うものもないし、純粋だったよね。じゃ、私が年寄りで読もうか。今度は同じものを。いかにこの若い人ののがいいか分かるよ。読みますよ。私がどんな会の時でも、終わりにはこれ読むの。それだものだからね、これだけを聴きに来る方もあるの。いいですか。
 
       最上のわざ
 
     この世の最上のわざは何?
     楽しい心で年をとり
     働きたいけれども休み
     しゃべりたいけれども黙り
     失望しそうなときに希望し
     従順に、平静に、おのれの十字架をになう─。
     若者が元気いっぱいで
     神の道をあゆむのを見ても、ねたまず
     人のために働くよりも
     けんきょに人の世話になり
     弱って、もはや人のために役だたずとも
     親切で柔和であること─。
     老いの重荷は神の賜物。
     古びた心に、これで最後のみがきをかける。
     まことのふるさとへ行くために─。
     おのれをこの世につなぐくさりを
     少しずつはずしていくのは
     真(まこと)にえらい仕事─。
     こうして何もできなくなれば
     それをけんそんに承諾するのだ。
     神は最後にいちばんよい
     仕事を残してくださる。
     それは祈りだ─。
     手は何もできない。
     けれども最後まで合掌できる。
     愛するすべての人のうえに
     神の恵みを求めるために─。
     すべてをなし終えたら
     臨終の床に神の声をきくだろう。
     「来よ、わが友よ
     われなんじを見捨てじ」と─。
        (作者不明:ホイヴェルス神父訳)
 
(参考)
ホイヴェルス(Hermann Heuvers)神父は、1890年ドイツに生まれ、1909年にイエズス会に入会、1920年司祭に叙階され、1923年来日。1937年から1941年まで上智大学の第二大学長を務められました。1967年に四十四年ぶりに故郷ドイツ訪問。この時のもので、南ドイツの友人から贈られた詩。ホイヴェルス神父は、歌劇などにもすぐれた作品を残されました。
 
 
     これは、平成十二年十一月二十六日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。