今という時と場所で―人間と自然―
 
                      自然農法実践家 福 岡  正 信
大正二年愛媛県伊予市うまれ。昭和八年岐阜高農農学部卒。昭和九年横浜税関植物検査課勤務。昭和十二年一時帰農。昭和十四年高知県農事試験場勤務。昭和二十二年帰農。以来自然農法一筋に生きる。著書に「自然農法わら一本の革命」「『無』神の革命」「『無』無の哲学」「『無』自然農法」「自然に還る」他。
                      き き て   金 光  寿 郎
 
ナレーター:  愛媛県伊予市大平。四国山脈の山麓、森川の流域に広がる農業地帯です。山間の道を上ると、自然農法を実践して五十年近くになる福岡正信さんの農園があります。福岡さんの農法は、種を撒くだけで、肥料や農薬を使わないばかりでなく、除草や耕すこともしないところにその特徴があります。福岡さんは毎朝早く家を出て農園を見回って歩きます。清々しい鳥の声に迎えられ、背丈を越すほどに伸びた大根の花や菜の花をかき分けて福岡さんを捜し出しました。若葉を伝う風に吹かれながら、農園の緑の上に腰を下ろしてお話を伺いました。
 

 
金光:  私が此処の自然農園に、「こころの時代」というこの番組でお邪魔するのは今日で五回目になるわけでございますが、最初はたしか「自然に仕える」というテーマで、その次は「地球に種を蒔く」ということでした。三回目は「自然は神である」で、四回目が「自然と人と神と」というふうに、テーマが福岡さんのお考えに応じてだんだん変わってきています。今日は例のウルグアイ・ラウンドの問題だとか、日本がお米の輸入をするような農業状態に今なっているわけですけれども、そういうことだとか、それからバブルがはじけて景気が非常に悪いとか、いま現在の日本の、農業を含めての状況を自然農法をずっと実践なさってきた福岡さんはどうお考えになっているのか、まずそのへんからお話を伺いたいんでございますが。
 
福岡:  今の金光さんの一言の中に、自分の五十年間の間の問題がずっと入っているような感じですね。自分は五十年前も今も同じことを言って、同じことをして、ただ平々凡々の百姓をやってきた。金光さんが来られたりしていたけれど、この十四、五年前まではほとんど世間のことに無関心できたんですよ。ところが十四、五年前ぐらいからどうもおかしいという感じがして、少しずつアメリカへ行ったり、アフリカやインドへ行ったりしている。ところがこの四、五年、加速度的にどうもおかしい。特に去年の暮れから、ご承知のように足腰が弱って、東京へ行ったりしていますが、去年の秋も行ってきましたが、正直一口で言えば、どう考えるかというと、「自然に還る」「自然を守る」という空気は加速度的に増えたけれど、それは加速度的に自然が崩壊したから、そういう空気が出てきていることであって、具体的に自然を守るとか大事にするという方向に一歩も前進していない。むしろ逆に加速度的に絶望的な状況に追い込まれているような感じがしますね。
 
金光:  最初の時から人智―人間の智恵というのは無用である、と。いわば自然である神の働き、自然の働きのままに生きていけばいいんだ、と。自然の本来の働きを発揮できるようにすればいいんだ、ということをおっしゃっておられますが、その点は現在もまったく変わりなしに、そういうふうにお考えでございますか。
 
福岡:  そうですね。前に来られた頃、この付近は木は一本もなかった筈ですね。これが四、五年の木ですからね。この前、話したのがこの後ろのほうの場所だったと思うんですね。五、六年前に此処の土地を近所の人から譲り受けたんですが、自分の四ヘクタールの土地というのは、五十年前には粘土団子に使う砂漠の土みたいな土で、サツマイモしか作れなかったんです。四十人の農家がサツマイモを作っていましたが、毎年一人二人止めていくものですから、その土地を拾い集めて面積が広くなった。そこで何したかというと、いろんな果物をちょっと植えてみたりですね、クローバーを撒いてみたりするようなことで、昔も今も自分の頭の中は同じなんですよ。緑だった時も、クローバーがなくて砂漠になっていた時も、五十年前も自分は此処はパラダイスだと思っていたんですよ。ところが今になってみると、ジャングルみたいになっている。この四、五年の間に果物のジャングルになった。放っておけば自然はパラダイスといえばパラダイスになるんです。此処でも自分が植えた木はパラパラと、まだ小さくて二、三メートルのものもありますが、そこらの木は三、四メートルの柿の木があって実がなっています。これとかセンダンとかみんな鳥が蒔いた木なんですね。センダンの木は春夏芽を出し、一節二節伸びて、二メートルも伸び、四、五年でこんなになるんですね。もうあと一、二年もすると森林みたいになってくるんですよ。そうすると、木の高さだけ根も伸びるから土が非常に深くなるわけです。みなさん、昔から土は深かったと思うでしょうが、そうじゃないんです。四、五年前は此処は砂漠の土ですよ。放っておけば、鳥が蒔いてくれた木でこんなにジャングルになって、緑が復活するんです。地球も放っておけば砂漠は緑化できるんです。 
 
金光:  ただ、放っておけば、といっても、砂漠になったままで放っておいてもダメなわけですね。
 
福岡:  そうですね。
 
金光:  例えば、此処の場合は、ミカンの木だけ植えていたときは砂漠のように土が硬くなっていた。そのままではミカンの木が枯れるし、ミカンの木を切っただけで放っておいたらいけないわけですから、やっぱり回復するための手伝いはなさったわけでございましょう。
 
福岡:  きっかけと言ったって大したことをやっていないんですね。ただ、普通の考え方と違ったと言えば、この赤土の粘土を普通は肥料がない、痩せた土だというわけですね。ところがこれが黒土になると、土が生かされて黒くなったと言うけれど、赤土も肥料成分がないんじゃないんですよ。寝ているだけなんですね。或いは怠け者でサボっているだけなんですね(笑い)。中に養分がないのじゃないけれど、水溶性になって、植物が吸収する格好になっていない。だから、寝ている土を起こしてやればいいんです。僕はアフリカへ行った時に、アフリカの子供たちに盛んに言ったんですけど、「これは若すぎるんだ。礫砂漠であってみたり、砂の砂漠であったりするのは若すぎるからだ。赤土の粘土の砂漠というのは寝ているんだから起こしてやればいいんだ。起こすきっかけを作るのが、インドあたりへ行くとニームの木というか、センダンの木であったり、ハゼの木であったりするんですね。ここでいえば、クローバーを蒔いておくというと、バクテリアが増え、また藁を上に振っておくだけで、それがきっかけになって土が生き返る、目を覚ます。それをやっているだけなんですね。これは人間がやらなくても、鳥とか蟻やミミズとかモグラがやってくれているんだけど、強いて言えばそれを邪魔にしないことですね。僕は自分が何をしたかというと、自然が復活するのを邪魔しなかっただけじゃないかと思いますね。
 
金光:  そうなると、復活してくると、それこそパラダイスになってくる。十年前に比べるとパラダイスの様相が変わってきて、本当のパラダイスに近付いてきているというふうにお考えになるわけですね。
 
福岡:  みなさんはそう言うんだけど、何にもない裸の砂漠でも、自分の頭にはこれはパラダイスになる、更生すると思うから、砂漠に寝ておっても、逆に夢を見ることができるんですね。
 
金光:  ここに、これは五十七年の『大法輪』という雑誌にある写真ですが、今から十二年前、ほとんど何にも生えていないところでございますね。やっぱりこの辺も現在は草とかがぼうぼうと生えていますが。
 
福岡:  僕は、ここへ四十年前、終戦の日に入ったんです。それで百姓を始めたけど、その時ここをエデンの花園なんて書いたんですが、いま十年前の写真を見ると、このへんに木が何にもないですね。今は藤の花が上にあって、キウイフルーツが巻き付いて、その下にある小屋はスモモとか果物のジャングルの中に閉じ込められて、もう潰れかけているんですよ(笑い)。今見ても、自分でもこんなに変わっているのかとビックリするくらいに、十年で変わっている。だから地球でもこういう速度で復活するはずなんだが、正直なところ、僕はあちこちの外国を飛び回ってみて、この十年間、世界中の砂漠化が加速されている速度は恐ろしいほどですよ。とても間に合わない。
 
金光:  砂漠化しているわけですか。
 
福岡:  ええ。その速度に間に合わないから、十年ほど前にNHK出版の『地球大紀行』の編集長がこの山に来られた時、「飛行機で上から粘土団子を種を蒔くよりしょうがない」というようなことを言ったりしたんです。しかし、あれから十年経っているが、もう砂漠化の速度が速くて絶望的ですね。もう本当に間に合わないんじゃないか、と思う。自然が滅びる速度が速いところへもってきて、いま人為的に農業が滅びつつあるということです。日本は五年前にはっきり畜産が滅びるという条件になってきましたし、ウルグアイ・ラウンドで果物がダメになるし、今年はウルグアイ・ラウンドで米などの輸入の自由化が決定したということでどうなるか・・・。家の竹の子やフキなんかでも金にならなくなってきたんですよ。
 
金光:  此処にフキとか竹の子が、この自然農園の中に生えているわけですか。
 
福岡:  生えておりましてね。山菜だけで四十万円、八十万円とれていたのが、あそこへ行ってみたらわかりますが、今は全部、市場に出す手間賃も出ないのです。
金光:  自然に生えているわけですね。それで市場に出していらっしゃったわけですか。
 
福岡:  ええ。それが今年から嫁や息子たちも、「もう止めた」と言い出したですね。
 
金光:  というのは、外国から入るほうが安いから?
 
福岡:  そうです。野菜でも中国からのものに圧倒されるんです。
 
金光:  そうすると、此処で自然に生えているものを採って、運び出して、市場へ持って行ってもその労賃も出ないぐらいの感じ?
 
福岡:  そういうことなんですね。米なんかでも、今年わいわい言って騒ぎましたけど、今年一年は米が足らなかったんで都会の人も少し米を大事にしてくれるけれど、来年になって余りだしたら、また、百姓どこにおるか、というようになってくると思うんですね。その時に日本の農業が滅びるでしょう。日本の農業が滅びたら、韓国も中国も将棋倒しだというのが今のアメリカあたりの見方だと思うんですよ。ウルグアイ・ラウンドで完全な自由化ということになってくると、自然農でやればただだから、タイで作ろうが日本で作ろうがインドで作ろうが米の値段は一緒なんですよ。ところが石油の価格が違う。農機具の価格が違う。肥料が違うでしょう。こういうところで自由競争されたら滅びるのはどこかというと、日本のように科学農法でやっていて、一番高い原価についている米が一遍に滅ぼされる。この次ぎにどこが滅ぼされるかというと、アジアの農業が将棋倒しになってくると思うんですね。その兆候がどうもはっきり出てきているんじゃないかと思うんですね。日本の農業の衰亡は、世界の農業の衰亡です。日本よりも先に滅ぼされているのがインドやアフリカですね。ここ八十年ほどの間に西洋の近代農業というか、企業農業というか、貿易を主体にした有利作物を作れ、という農法のために、アフリカもインドも農業が滅びているわけですね。自然が滅びて、農民が今のように窮乏している。日本は頭と科学の智恵で世界で一番進んでいる農業をしています。科学的に言って日本の農業ぐらい進んでいる農業はないと思うんですね。ところがその近代農法が一番脆いということなんです。資材と智恵を使っている農業でしょう。だから、その根底が崩れると、一番最初に滅びるのが日本の農業だ。それを知っているから、政治家、農協まで日本の農業をあてにせずに、外国の農業をあてにしようという空気になってくるんじゃないかと思う。しかし、そうかといって外国の農業に依存ができるかというと、どっこい、そうはいかない。向こうは日本以上に自然が滅びているんです。科学農法では見込みはなく、自然農法をやらなければ生きていけないような状況に追い込まれているのが余所なんですね。日本は、近代農法がダメになり、自然農法も今のような状態で、このへんのただの農作物は市場性がないというようなことになってくると滅びざるを得なくなってくる。近代農法も科学農法も同時に崩壊し始めているのが現在の状態です。
 
金光:  現在も、米とか他の農作物が日本に入ってくるとなれば、日本も大規模農業にしなければいけない、というような声も聞くわけですが、さっきからのお話を伺うと、大型農業と言いますか、機械化による大規模農業というのは、現在までのところ、むしろ失敗してきたというふうにお考えなんですか。
 
福岡:  初めから失敗なんですよ。失敗というより、人間が物を生産するとか増産する言葉自身がおかしいのであって、米でも野菜でも樹木でも、太陽の光線から計算すると一平方メートルに大体一キロ余りできるんですよ。米でいうと日本の生産量は一反に十俵だけど、本来なら十五俵も二十俵もできるんです。ところがその自然が滅びているから、此処でも痩せてしまったら何も育たない。ミカンもできなかった。サツマイモしかできなかったという土になるでしょう。田圃でもそれなんですね。自然が滅びてくるというと、肥料や農薬やってもせいぜい米だったら反当り十俵まで、他のものでも四、五百キロまでの生産になるんですよ。肥料や農薬をやって、四、五百キロで増産したというけれど、自然農法から見たら大体千キロから二千キロできるのが本当です。人間がやっていることは増産ではなくて減損防止なんですよ。人間の寿命が百二十歳を天寿とするでしょう。自然の中で育てば百二十歳まで生きられる人間の寿命が、都会生活して不自然な食物を食べるために四、五十歳しか生きられなくなる。そして薬漬けで、病院で守られて百歳になっているだけなんです。それと同じで、此処の大根だって、赤土で肥料分もない、養分もない、何にもない砂漠の土でこんなに大きな大根がニョキニョキできている。だから、肥料成分とか何とかでできているという考え方が間違いだったと思うんですね。
 
金光:  ただ、一人当たりの労働に対する収益と言いますか、作物をお金に換算すると大規模農業のほうが労働生産性は大きい?
福岡:  労働生産性ですが、一人が大儲けできるだけで、一定面積の収量は上がっているんじゃないんですよ。むしろ下げさしておいて、減損防止をしているだけです。この五十年間、自分が試験場におった若い時にから、生産量は一キロも増えていない。昔も一反から十俵、今も十俵で、むしろ減る傾向です。大規模農業をすれば、機械を使って、肥料と農薬をやって、一人が儲けられるようになっているだけで、他の人のクビ切りになっているだけなんです。一番安いのは人間の労働力ですよ。馬を使う、牛を使う、機械を使うよりも、精密機械で必要なエネルギーが一番少なくて、しかもエントロピーのないエネルギーで効率がいいのは人間なんです。人海戦術で作るのが一番生産性が高いという結果になってくるんですね。その証拠に、中国やインドの米は安くて、日本の米が一番高いということなんですね。大規模で高い米を作ることを生産性が上がっていると錯覚している。これは地球的にみて人類の食糧生産のとても大きな錯覚だと思う。
 
金光:  たしかに近代農法で土地が荒れている、ということであれば、自然の持っている力をもっとも生かす自然農法がいいということは、話を聞いてわかるんですけれども、現実には自然農法を実践しようと思っている人は、やってみたいと思っている人は随分いるようですけれど、日本ではここ以外のところで自然農法が成功しているという話をあまり聞かないんでございますが、その点は何かやりにくいところがあるんでございましょうか。
 
福岡:  日本はある意味でいったら自然に恵まれているんですね。この村でも十五年前にはこの付近の山全部が、村中が松の大木だった。それが無くなっても、十年経ったらまた広葉樹で緑になるでしょう。すぐ緑が復活するんですよ。自然に甘えているというか、自然をわかっている気になるんですね。見た目で日本人は自然がこんなものだと知っているけれど、知っていないということを知ることが先決なんですよ。数年前まで、いろんな神父さんと激論したことがあるんですが、キリスト教徒の自然観は、人間と自然を対比して、「われ思う、ゆえにわれあり」という考え方で、自然は相対的で、自然は悪魔である。人間が修正しないと、カルチャーで秩序をつけなければ、自然は人間の役に立たない、悪魔だ。砂漠の自然は人間に対して非常に危険なものである。子供も放っておいてはダメになるという思想です。その自然観がどうもおかしいということに気が付いてくると、聞く耳ができてくるんですね。日本人は自然観がわかっている、俳句も創る、絵も創る。すべてのことで感性的にキャッチする性質を持っていると思っているから、自然に対して傲慢なんですね。だから、自然にものができるなんていっても信用できないんですよ。科学的な知恵が優先する。先ほどいったように、樹木を作っても、大根を作っても、米を作っても、一平方メートルにできる生産量は同じだということがピンとこないんですよ。樹木のほうが早く太ってくるじゃないか。米や麦は自然にやって十俵できるんだったら、肥料や農薬をやれば十二俵できるんじゃないか、と言ってしまうんですね。自然の力に頼って、自然に作って貰って、そのお裾分けをもらうという気持じゃなくて、人間が自然を作っているんだから、人間が全部のものを収奪しても、鳥や獣のことを考えずに、人間のための食糧だと思って独占しても、それを商売の種にして売っても、貿易の材料にしてもいいじゃないか、と。日本人は日本人の米を食っていればいい、タイ人はタイの米を食っていればいいと自分が言っても、タイの安い米を日本人が買って食い、日本の余った米はアフリカの人に寄付でもしようというような理論のほうが通ってしまうんですね。
 
金光:  そういう自然に対する見方があって、自然農法の実践がうまくいかないということは、考え方が違うとうまくいかないという結果が出てくるわけでございますか。
 
福岡:  自然農法は誰でもやれる。粘土団子の種を作って蒔きさえすれば何でもできる。この一反のところに野菜も作る、米も作る。この山でもそうですが、二、三日前に粘土団子の籾を蒔いたんです。麦もできる、米もできる、野菜もできる、果物もできるとなれば、一反歩あったら一家が生きることはできるんです。ところが、それでは子どもを教育できないとか、生活する金がなかったら文化生活ができない、と言ってしまうんですね。聞く耳を持っていないんですね。自然農法を聞く耳を持っていないから、自分は終戦直後から三十年間、誰にも勧めるということはしなかったんです。自分で記録ぐらいの気持で失敗談を五、六冊の本に書きましたが、人に積極的に自然農法を勧める気がなかったんです。この頃特に去年ぐらいから急に習いたいという人が増えてきましたので、今年初めて、この四月から粘土団子の作り方を教え始めたんです。
 
金光:  今までは粘土団子の作り方を教えていらっしゃらなかったんですか。
 
福岡:  していなかったですね。一番簡単な粘土団子の作り方は、掻き混ぜて手作りぐらいでいいから、そういうことをちょっとしただけ、この前の放送のときにも金光さんに言ったりしていたんですが、広い面積で粘土団子を作るんだったらミキサーを使うやり方があるんです。ただ、粘土団子にしても、鳥を防ぐのはわけないけれど、ネズミとか蟻とかいろんな虫、昆虫類、牛、馬、山羊、こういうものを防ぐのにはセンダンの実とかアセビなどの薬草類も入れておかなければダメなんです。砂漠の土だったら、サハラ砂漠で松の種を蒔くだけではダメなんです。ソマリアへ行っても樹木を植えていましたけど、一日に十八回も水をかけて、森林を作るなんて政府自身が努力しています。そこでユーカリを植えたりしていますが、早く太る木を植えただけでは緑化はできないんですよ。サハラ砂漠でも、成功しているとは言えません。先般からいろいろ接触していますが、朝日新聞の論説委員の石さんは、世界中で砂漠を緑化に成功している例を見たことないというんですよ。ここで言えるころは、一つのものを植えるんじゃなくて、同時に微生物も植物も薬草類もミックスしておいて、あゆるものを同時に蒔いて、山羊が食おうが、牛が食おうが、砂漠の中で何がきても平気の格好の粘土団子を作ることです。ただ単に、肥料やらない、農薬やらない、耕さない、粘土団子さえ蒔けばできるというのは、この粘土団子の中にあらゆる病虫害の問題から、肥料、農薬の問題など、全部の近代農法の技術が含まれているんだ、と言っているんですよ。この粘土団子の作り方をマスターして蒔いてもらわなければならん。いま海外協力事業団でいろんな人が行ってやっていますけど、自分がどうも不安なのは、ただ、ヒマラヤやバングラデシュへ行って木を植えたりしてもダメなんです。砂漠化する速度と緑化する速度が全然違うんです。とにかくあらゆる植物、少なくとも百種類、二百種類の種を混合して、土壌微生物から、さっきのサハラの松だったら松茸菌を入れなくちゃいけないんですよ。培養した松茸菌を入れて蒔いたら、岩の上でも松が太り出すんですね。肥料分をやらないで、松の種だけ蒔いたって、枯れなくても太らないということなんですね。
 
金光:  『わら一本の革命』などを読みますと、何もしなくてもいいというところが非常に強く目につきまして、何もしなくていい、種だけ蒔けばいいのかと思ったら、やっぱり現実にいろんな生き物がいて種なんかを食べますから、それなりの防御策はしなければいけないんですね。
 
福岡:  科学農法が自然を滅ぼしているでしょう。だから、今までの科学農法ではない、科学を否定する科学を理論的に打ち立てなければならない。今まで人間は悪いことをして地球を滅ぼしているんだから、自然が死んでしまっているような状態ですから、地球を元に戻すきっかけまではつくっておいてやらんといけない。アメリカの土は死んでいる。ヨーロッパでも、ギリシャでも、イラン、イラクでも、地上一メートルは緑があるように見えるけど、下は死んでいるんですね。これを生き返らせておいたら、あとは自然がやってくれるけど、そこまで徹底的にやらなければいけない。僕は今までの農学を要らんと言っているんじゃない。農学者には今までと反対の自然を生かす研究をしてもらわなければいけないというんですよ。今までやっていたのは自然を殺す、反自然的な技術だけをやってきているわけです。
 
金光:  お話を伺っていると、自然農法は粘土団子というのが非常に大事だというふうに伺いますので、今日は具体的に粘土団子の作り方を教えて見せて頂けますでしょうか。
 
福岡:  それではやってみますかね。とにかく簡単と言えば簡単なんですね。機械で土を裸にして、お日さんに曝したということが、如何に人類のミステークの始まりか。錯覚ののスタートは耕したことからですね。鋤、鍬を発見したことがすでに大きなミステークです。耕耘機を使い出したら如何に加速度的に自然を滅ぼすか。耕耘機や機械が要らんようにするためには、まず何をしなければいけないかと言ったら、粘土団子の種を蒔いたらいいんですよ。
 
金光:  それじゃ、作り方の現場へ行って教えて頂くことに致しましょう。
 
福岡:  じゃ、そうしましょうか。
 

 
ナレーター:  福岡さんは、鳥やネズミや蟻などから種を守るための粘土団子を手で作ってみたり、金網を使ってみたり、いろいろ工夫した末、現在では改良したコンクリートミキサーを利用して作っています。コンクリートミキサーは自然農園のはずれにある空き地に置いてあります。今日使う籾は一つの穂に二百粒から三百粒の籾ができるという福岡さん自慢の稲です。団子に使う土は、水田の土のように肥えた土ではすぐ水に溶けて役に立たないので、福岡さんは自然農園の赤土を使っています。

 
金光:  この加減というのは暫くやっていないとわかりにくいわけですね。
 
福岡:  団子になる程度の水分があったらそれでいい。
金光:  なるほど。あんまり柔らかいよりも、ある程度硬いほうがいいわけですね。
 
福岡:  後でやり直しがききにくいからね。
 

 
ナレーター:  コンクリートミキサーの中にあるプロペラを外して、種の量一に対して粘土五の割合で混合させ、それを入れたミキサーを回転させると、種が入った粘土団子ができるのだそうです。このミキサーの傾斜角度を変えることによって、団子の大きさを調節できるのだそうです。二十分から三十分回転させると、土の中に種が入った粘土団子ができあがります。団子に混ぜるものは、鳥や虫が嫌う薬草の種などを混ぜることもあるそうです。また、日本で通用する粘土団子が、外国では簡単に穴を開けられて、団子の硬さを工夫したこともあったそうです。
 

福岡:  これでこれを田圃へ持って行って麦の中に米を蒔く。
 
金光:  中にちゃんと籾が入って、こういう固まりになっていますね。
 
福岡:  この小さい粘土団子の中に日本の種子発芽の技術が全部入っているとも言えますね。田植え無用、肥料無用、耕さない。この粘土団子を蒔くだけです。あとは粘土団子の中の水分で発芽するんですよ。

 
ナレーター:  四ヘクタールの自然農園は山の中ですが、裏作に麦を作っているこの田は集落に近いところにあります。先ほどの粘土団子をこうして蒔くことが田植えをしたことになり、この田圃には秋になると、一穂に二百粒、三百粒の稲穂が実るという実績があります。
 
 
福岡:  下手がやっても、米でいうたら八俵から十俵ぐらい穫れる。
 

 
ナレーター:  麦畑の隣にある冬の間の野菜畑にも同じように団子が蒔かれます。
 

 
福岡:  そこら向こうのほうにもっと大きい大根が出てきますからね。大根もいろんな種類があるんです。麦のほうが奇麗に見えるからね。
 
金光:  見えますね。これでほっといていいんですか。
 
福岡:  そうです。
 
金光:  いやぁ、OKですか。
 

 
ナレーター:  畑を見せて頂いた後、再び山に戻ってお話を伺いました。
 

金光:  今、拝見したあの粘土団子をバラバラと蒔くだけで、後はそのまま放っておけば稲が生えてくるわけですか。
 
福岡:  細かくいうと切りがないんですが、田植え無用。不耕起、無肥料、無農薬です。
 
金光:  大事なポイントだけを、
 
福岡:  例えば此処に野菜から夏の野菜と米や麦を蒔いたとするでしょう。そうするとうまく生えるのと生えないのが出てくるんです。それは大根の花が咲いて、それが終わりだというところに次の作物を蒔くと成功し易いんですね。
 
金光:  そのほうが成功し易いんですか?
 
福岡:  ええ。春草や夏草が太りかけているところに蒔いたら、草と競争するから負けることがあるんですね。だから同じように蒔いても、成功するのと成功しないのが出てくる。バラバラなんですね。だけど、それを一々言っていたらやれないから、とにかくたくさん蒔く。いろんな種類を一緒に蒔くことです。砂漠に蒔いても、こういう雑草のなかに蒔いても、たくさん蒔いておけば誰でも成功するということなんですね。有用な作物だからと言って一つや二つでは成功しない。インドやアフリカへ行くと、早く太るからとオーストラリアのユーカリをさかんに植えていますが、これは土を絞ってしまう、乾燥させてしまうんですね。日本のヒノキでも、ヒノキを三回植えたらあと山がやせて三代も持たんのです。土地を悪くしてしまうんですね。ユーカリはそれがもっと激しいんですよ。ユーカリの木を植えるということは、砂漠に緑を増やすつもりで逆に砂漠激化の方向になっているんですね。そういう場合にユーカリじゃなくて、もしやるんだったらユーカリとともにアカシアの木、果樹、大根とか野菜を一緒に蒔いておけば、けっこうみんなが共生してジャングルになるんですね。だから僕はインドでは、「象の棲めるジャングル作り」―象の棲めるような森を作りましょう、ということを言っているんです。象の森を作っておけばいいんです。例えばここでも食べるものがないかというと、ここにハヤトウリを一つ植えておくでしょう。キュウリも植えておけば、一夏中食べるウリ類ができるわけですね。下にトマトも植えておく、豆や茄子も植えておくというふうにして、あらゆるものを植えておけば、うまくバランスが取れて病虫害もこない。一番顕著なのは、ここの山は四ヘクタールに大根が何万本あるかわからないけど、こういうのを見ても、食べられない、病虫害がきている葉っぱなんていうのは何もないんですよ。普通だったら細菌性の斑点病なんかがいっぱいあるんですよ。都会の人が家庭菜園をしたら、いつも大根の葉虫をとっていなければいけないんですね。ところが此処には害虫も益虫もいっぱいおるのに、何のことはない、害の跡が見えないでしょう。モンシロチョウの幼虫は葉っぱを食う虫ですが、モンシロチョウがおたって害がないんです。人間の目につくような虫の食った跡がないんです。ということは、病虫害の菌や虫はおっても、昆虫がおっても、益だの害だのという菌や虫はいないということなんです。この中に飛んでいる蝶とか蛾だってみんな、昆虫学者によれば益虫と害虫に分類されるんですよ。だから、益だの害だのということは、人間の近視眼的な目からいっているだけであって、自然の目から見たら、益だの害だの、役に立つか立たないかなどということはないんです。この大根は時無し大根ですが、大根は小さいから食えんからこれはダメだというんで、人間は捨ててしまうでしょう。だけど、これは大きな大根を作るために交配したり何かするときの、野性的な時無し大根やナシ大根は退化を防ぐための役目をしているかも知れないんですよね。だから、良い悪いなんて一口も言えない。
 
金光:  でも、モンシロチョウがいるということは、その前の幼虫はちゃんと食べているわけでしょう。
 
福岡:  食べている。食べているのに目につくほどじゃない。こういう雑草だって、カラスノエンドウといってエンドウの原種みたいなものですが、こういうものだって何一つ食われていないんですよ。自分は農事試験場にいる時、病虫害を分類して、培養したりいろんなことをやってきた。どんな作物にでも、植物にでも、三十種類から五十種類ぐらいの害虫はおるんですよ。おるのにこの山には何もいない。害がないんですね。自分でもどうしてかわからないんですよ。どのようにバランスをとれば病虫害がないのか、良い悪いがない、というふうになってくるのかね。先日、土壌肥料学の学会で講演しろというので話をした時に、最後に、自分が言ったのは、「五十年間自然を見ていたつもりだけど、今になってみると、一平方メートルの土に、何が生えて、何が育って、何がどうなっているか、わけがわからなくなってしまった」と言ったんです(笑い)。
 
金光:  あ、そうですか。
 
福岡:  ものが言えなくなったのが五十年間の結論だった。結局、自分が書いた五冊、六冊の本が役に立たない。最初から人智が役に立たない、人間のやることは一切合切ムダだと言っているけど、自分が本を書いても、本が役に立たないことを書いているんだから読んだら捨ててくれ、と言ってきたんですね。文字通り、ものが言えなくなったのが現状ですね。
 
金光:  ただ、稲の場合は粘土団子の中に籾だけ入れていらっしゃるわけでしょう。
 
福岡:  そうです。麦の時にはクローバーの種を入れておくけど、稲の時には何も入れなくていいんです。
 
金光:  稲のときには何も入れなくてもいいわけですか。
 
福岡:  そういうふうな最小限度のことをちょっとやればやるだけです。それも現在はやらなければいけないということであって、おそらくあと十年、二十年、自然農法を研究されたら、それこそ何にもしなくていいという結果になると思う。何にもしない、do nothing が最高になってくるんですね。
 
金光:  文字通り、人間の知恵も何にも要らないのが本来の自然である、ということになるわけですね。
 
福岡:  粘土団子にもしなくてもいいような方法がある筈なんですよ。だけど、このごろ僕が粘土団子を作るのが嫌になっているのは、自分の代わりにインドへ行く、アフリカへ行くといって種を蒔いてくれている人がいるんですけれど、その中に価格の高い有用菌を入れたらなお良いだろうという。それで金を出して入れるような、粘土団子が商売の種になる危険性が出てきているんです。微生物も企業家の手にかかると金儲けの材料になる。微生物の知識とか知恵とかは要らない、ということを自分は言っているんですがね。本当の目標は、博物学の知識も微生物の知識も要らなくていいんですよ。粘土団子を作って子供が蒔いたらそれでいいんです。鳥になって蒔いたらそれでいいんですよ。キリストではないが、鳥のように種を蒔いたらいいんだ、と。
 
金光:  なるほど。そういう本来の自然の働きについてお話を伺っていますと、なるほど、その通りだろうなあという気はするんですが、一方でそんなに自然に委せてしまって、人間が何もしないところに本当の幸福があるだろうか、と。現代の私たちは、科学の発達した現代で、科学的なものの研究で自由と富を得て幸せが得られるというふうな考え方が、どうも根強く染み付いているような気がするんですが、そういう中には本当の幸福というものはなくて、間違った虚偽の幸福を追いかけているというふうにお考えでございますか。
 
福岡:  勿論そうですね。この五月の、この太陽の大変暖かい、ポカポカしているところでこうしていたらどうなのか。問題はここに幸福があるかないかです。緑が生えてきて酸素が増える。木の芽が出てきたら途端に炭酸ガスを吸収して酸素を吐き出してくれる。この冬から酸素が三パーセントも増えていると思うんですよ。そうすると何かウキウキしてくる。この花を見て、これが汚いとか見苦しいという人は一人もいないでしょう。真も善も美も自然の中にある。では、喜びがどこからくるかと言ったら、この大根からくるということが言えるわけですね。自然からくる、と。大根の花以外のところから、どんな喜びがくるのか、ということですよ。人間の指先ほどの喜び、食べる喜び、触れる喜び、見る喜び、感ずる喜び、すべての喜びの原点は自然からきているんだ、と。この一つの花からきているんじゃないか。これ以上のものがどこからくるのか、ということですね。
 
金光:  でも、普通はお金を儲けて、お金を貯めて、あれもほしい、これも買って、と思いますね。都会のごみごみした中で生活していると、ついお金がないと困るとか、物がなければダメだろうというふうな話を聞くと、そちらのほうもついもっともだなあと思ってしまうんですが、この花を見て、これが奇麗だと思うのにお金は一銭も要らないわけですね。
 
福岡:  金持って世界漫遊すれば面白いということもありますけれど、相対的な喜びよりも、本当の喜びとか、真とか善とか美はどこからくるのか。こういうことを人類が宗教的、哲学的に徹底的に追求しなかったらおさまらないと思うんですね。岡本太郎さんが僕に「この地上には自然なんてないから、自然農法なんて成り立たない。むしろ自然なんてぶち壊したら、本当の美が生まれる」と言われたことがあります。たまたまこうしておると、蟻がきて這いおるでしょう。僕は、「大根の花が神だ」という言い方をしている。だけど、ここにある蟻も虫も植物の花も同体だということを、僕は、今の技術者、科学者も芸術家もはっきりいわなければならない時期がきているんだ、と思うんです。今までは人に言っても聞かなかったから言わなかったんだけど、去年ちょっと上野の博物館へ行って見て、その時から、ダーウィン進化論の否定論を言っているんですよ。簡単にいいますと、逆から入って話を変えますけど、仏教で時間と空間を超えるというでしょう。悟りを開くという。時空を超越するということは、時間の長短とか拡大とか膨張する時間を超えたらどうなるかといったら、結局時間を知らない世界になってしまうわけです。
 
金光:  そうですね。長短だとか、そういうのがまったく関係のない世界ということですね。
 
福岡:  相対的な知恵が消えてしまうんです。そこまでいくと根本的なタイム(時間)の世界というか、宇宙の、それこそ神とか仏と言ってもいい世界になってしますんですね。時間と空間の概念を超えた世界からみると、ダーウィンの進化論は否定されてしまうんですね。
 
金光:  時空の制約の中で考えると、もっともだ、という点があるけれども、時空の制約を超えたところからみると、それは一面の真理にしか過ぎない、ということになるわけですね。
 
福岡:  ここにいる蟻の動いている時間と、太陽の時間とか、或いはガンジス河の時間などを比較してみればいいんです。日本人のせっかちな時間よりも、ガンジス河のタイムでインド人はやったらいいだろうというけど、それさえ相対的な時間ですね。それを超えてしまった時、はじめて進化論なんていうのが、全然ナンセンスだということがわかるんです。否定論をいよいよ言わなきゃいけなくなってきて、しかも言わないのが否定論になってきたんですね。説きようがない。書きようがない。だけど間違いだ、ということは確実です。どこで言えるかというと、実証ができるんですね。
 
金光:  そうすると、今までのようなお話は、五十年の自然農法の実践の中で具体的なものを育てながら、ますます確信が深くなった、ということだと思うんですが、我々も先ほどからのお話を伺っておりますと、金とか物中心じゃなくて、これから本当の自然を生かす生活をするとなれば、現代の日本人が向かっている生活の形自体も変えていかないと、そこへはなかなかいけないような気がしますが。
 
福岡:  現実的にいえば、変わってこざるを得ないでしょうね。あともう二十年もしたら、石油がなくなってくるとか、資源のことからいっても、自然からいっても、酸素が少し増えたり減ったりすると喜んだり悲しんだりしているような人類は、緑がなくなって、どこから喜びがくるかといったら、虚偽の、人工的に作りだした抽象的な概念の喜びしかなくなってくるわけですね。そうすると、このごろ殺人とか何とか、スポーツでも娯楽でも変なところへいってしまっているけれど、これがさらに激しくなってきて、人類が精神的に崩壊してくるという兆候が既に出ていると思うんです。それを食い止めるというのは何かといったら、何のことはない、みんなが粘土団子を蒔いて、昼寝しておればいいんです。その一例が、ここへ来ているドイツ人です。ハム、ベーコンの大会社の社長が、自分の『わら一本の革命』を読んだだけで、会社経営を止めた、といって、五千人の人の首を切って、小さい会社に分けてしまった。牛乳は殺菌なんかも止めて、牛乳が腐るまでに配達してしまいばいいんだ、と。
 
金光:  腐る前に飲めるように。
 
福岡:  飲める範囲内で商売したらいいんだ、と。だから、商売も小さい商売になる。それからレストランも大きなレストランを閉鎖してしまって、手作りの―自分の想像では、日本の茶店みたいなところで牛乳を置いて、峠の茶屋の主みたいな生活をしているんじゃないかと思うんです。自分のところへ送ってきた資料を見ると、衣食住すべてを芸術化してしまうというんですよ。芸術化というのはどういうものかというと、日本の茅葺き屋根みたいなところで、搾りたての乳を来た人に売って、それでいいことになってしまうんですよ。さっきも言ったけれど、家の山菜でさえ自分の足が弱ってよう採らん。自分でよう売りに行かれんようになったら、採りに来てもらうしかない。だから、僕は、「金を持って採りにこんでもよい。鳥になって採りに来い」というんですよ。「入山禁止」と書いてあるけど、鳥は放っておいても入ってくる。去年も一万個からのキウイフルーツが鳥の餌になってしまったですね(笑い)。
 
金光:  いっぱいなっているわけですか。
 
福岡:  なっている。採って売ることができなくなってきた。地球全体がこうなったらいい。自分の夢は、この山のように、山の上に米も麦もあるじゃないか。大根もあるじゃないか、果物もなっているじゃないか、となることです。僕は昔、東京の山手線の沿線に、大根、カラシナ、高菜などを蒔いたことがあるんですよ。NHKのところの代々木公園の入り口あたりに大根を蒔いておいたら、芝生の中にけっこう大根が生えているんですね。ところが、後で行ってみたら管理人の人が抜いておった(笑い)。
 
金光:  それはそうでしょう(笑い)。
 
福岡:  結局ダメだったですけどね(笑い)。聖蹟桜ヶ丘の農林省の大学へ行って講演した時に、「ここの大学生が一列横隊になって大根の種を袋に入れて、多摩川沿いに大国主命(おおくにぬしのみこと)のように種蒔いて歩け。そうしたら多摩堤が全部大根畑になるでしょう。東京都民のあの沿線の人は、野菜畑を作らんでも、買ったりせんでも、野菜は食えるようになる」と言ったんですよ。そういう運動をして世界中を緑にしたい。とにかく失業したら幸いなんですよ。就職できなくなったなんて悲観しているけど、彼女たちがみんな、種を蒔いて世界中を歩き回ってほしい。それをぜひ提唱してください。
 
金光:  なるほど。そうすると、生きていく生活の心配はなくなるわけですね。
 
福岡:  生きる心配は全然ない。生きる心配をするから生きられないんです。生きる心配をしなくて生きていける。
 
金光:  生きるためには嫌な仕事も我慢してしなければいかんと。
 
福岡:  そうじゃない。反対だ。生きることだけ専念したらいいんです。ダーウィンの進化論、自然淘汰を否定するということはこういうことなんですよ。物があって、作物があって、人間が繁殖しているんですよ。共生なんですよ。百億の民ができるんだったら、百億の民が生活できる食べ物が地球上にあるのが本来なんだ。バランスがとれて、あるようになっているんですよ。
 
金光:  それを人間が独占して売ったり買ったりしているとバランスが崩れる。
 
福岡:  売るための農業、食糧を作ろうとすることがすべてのミステークの始まりになっているんです。西洋人が八十年前にアフリカを占領した時に、「コーヒと紅茶を作れ」と言った。フィリッピンへ行けば、アメリカ人が「サトウキビと花だけ作っておれ」と言い、インドへ行けば、「綿だけ作っておれ」と教えるから、そのためにアフリカもインドもフィリッピンも農業が滅びてきたんです。元の通りだったら昼寝しておっても食べられたんです。フィリッピンのマグサイサイ財団に行った時、フィリッピンのホアンタマという民話を聞きました。昼寝して口を開けて寝ていればグアバが落ちてくるという民話です。フィリッピンの昔は、スペインやアメリカに占領される前は、果物天国で、食糧は口開けておったらいいんだ、というのが本来の姿だった。
 
金光:  そういう生活が本当に人間が一番安楽に生きていける生活ということになると、現代の日本人の生き方というのは、むしろそれと正反対の方向ですから、このへんで方向を変えて、それこそホアンタマを見習って、或いはイワンのバカのような方向にいけるような農業、或いは生き方、そういう方向を此処での自然農法の実践の中でやればできるとお考えですか。
 
福岡:  今日からでも、今即座に誰でもできる。この頃は一反の土地を借りるのに、米一俵あったら大体貸してくれますから、町の人が今日から自給自足生活することも、一反百姓になることも可能です。自分が一番悲劇的に思うのは、ラジオでもテレビでも、宇宙船に乗って外へ行って、海中都市を造るとか、空中都市を造ろう、と。そうしなければ、地球が滅びた時に生き延びられない、と言うでしょう。こういう科学的な方向にいく人が生き残るんだという考え、ダーウィンの進化論じゃないが、適者生存で優勝劣敗だという、競争原理で生き残る者が生き残るという思想が、人類をどれだけダメにしているかということですね。
 
金光:  そこのところは自分の国の足元、自分の生き方の足元を見て、自然とともに、自然の中の共生の一員であるということを自覚しながら生活の方法を考えていくことが大切だということではないかと思いますが、今日はどうもありがとうございました。
 
     これは、平成六年五月二十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである