現代の辻説法―釈尊の最後の教え―
 
                  南無の会会長竜源寺前住職  松 原  泰 道(たいどう)
明治四十年東京生まれ。昭和六年早稲田大学文学部卒。岐阜・瑞龍寺専門道場で修行。昭和二十六年臨済宗妙心寺派教学部長。昭和五十二年まで龍源寺住職。全国青少年教化協議会理事、「南無の会」会長等を歴任し、各種文化センター講師をつとめるなど、講演、著作に幅広く活動。著書に「松原泰道全集」全六巻、「般若心経入門」「観音経入門」「法華経入門」ほか多数。
                  南無の会事務局長実相寺住職 酒 井  謙 祐
                  ききて           遠 藤  ふき子
 
ナレーター:  毎週水曜日の夜七時から銀座の喫茶店でお坊さんが辻説法をしていると聞いて出掛けてみました。この喫茶店は百人ほど入れる普通のお店でした。入り口で五百円を払うとコーヒ付きで誰でもお話を聞くことができます。街中の喫茶店で辻説法を始めたのは、「南無(なむ)の会」というお坊さんを中心とする会です。今、東京で三カ所、日本全国で二十カ所、辻説法の会を開いています。その他にこの会では、いろいろな出版物を出したり、修養会を開いたりしています。辻説法を考えつき、「南無の会」を作り、ずっと運営してこられた酒井さんにお話を伺いました。
 

 
遠藤:  酒井さんはこの「南無の会」を始められたのは、今から何年前ですか。
 
酒井:  そうですね。ちょうど十一年ぐらい前になりますね。
 
遠藤:  始められた当時からやはりこういうふうな喫茶店を使って?
 
酒井:  そうです。この辻に立って、「南無」をみんなに伝えよう、というのが最初の主旨ですから。ところがこの大都会では辻に立つことはできない。それじゃ辻に代わるところはどこだ、というんで、それは不特定多数の方々が自由に気軽く来られるのは喫茶店じゃないか。現代の喫茶店というのは一つの辻と見立てていいんじゃないか、というんで、この喫茶店にしました。それ以来ずっと喫茶店で辻説法をやっております。
 
遠藤:  そうですか。当初からかなりたくさんの方がいらっしゃるだろうということは思っていらっしゃったんですか。
 
酒井:  そうですね。最初はなかなかそういうふうに思いませんでしたし、それに何とかして若い方たちの注目をあびようと思いましたから、最初の一時間はアトラクション(客集めのための催し物)みたいなものをしましてね、そして後の一時間に仏法といいますかね、仏さまの話をしようという、最初は考えていました。ところがアトラクション的なことをやっていた時は、例えばキャパシティー(収容人員)が百あるとしますね、そうすると五十位しか埋まらないんですよ。酷い時になると二、三十。どんなことをしても、みなさんがお出で頂けないんですね。どうせこんなことをするならば、最初から二時間みっちり法話をやろう、というんで、最初から法話を始めたんです。ところがその法話を始めたその日から、みなさんが、百、席があるならば百人ピシャッと来られた。私はその時にそれを見まして、これはもうほんとに真剣にみんなが何か求めているのに、こちらがなんか一時間アトラクションやって、一時間法話を、というのはふざけたことだ、そういう態度がもうみんなを来させなかったんだなあ、という大きな反省をしましたね。それから法話だけにしてからは、みなさんがちゃんと来て頂くようになりました。
 
遠藤:  やはり酒井さんご自身、何か伝えたいといいますか、何かこうしなければならないというふうなお気持ちがおありだったんですか。十一年前始められた時は?
 
酒井:  それはもうしょっちゅう何かそういうものを、我々はそれが使命ですから持っておりましたけどね。たまたま中学生だと思うんですけど、女の子が、四、五人来ましたね。それで「南無とは何ですか?」と尋ねられたことがあるんです。私はその時住職して三十年ぐらい経っているんですが、私は一度もそれまでに、「南無とは何ですか?」と檀家から訊かれたことがない。それと同時に私も実は伝えたことがない。それでビックリしたんです。それで、「それは学校の宿題ですか?」と訊きましたら、「いや、私自身の問題です」というんですよ、子供たちが。それで「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)とか、南無阿弥陀仏とか、上に書いてあるあの南無とは一体何だ?って、みんなで話し合ったんだ」と。それで私はもう非常に感動しましてね。その子たちを呼んで、「南無とは信ずることですよ」という話から始めたわけですよ。それでその話は、みなさん一応は納得して帰ってくださったんです。私は、その日に早速仲間を集めましてね、こういう若い人たちが真剣に何かを求めているんじゃないか。それを我々はそうした若い人たちに対応するだけの何かを持っているのか、という話し合いを、それこそ深夜に及ぶまで話し合ったわけです。その時に我々は辻に立って明日からもその南無を―やっぱり信仰の中心は南無なんですから―南無から始まらなければならないわけです。ですから南無をまずみなさんに訴えよう、というのが最初でしたね。
遠藤:  そうしますと、やはり信仰の糸口に、ともかく気軽に門を叩いてください、気軽に入ってください、というのが、おありになるわけですね。
 
酒井:  そうですね。やはりお寺といいますと、どうしても敷居が高いといいますかね、ちょっとお出でになりにくい。そこでそれならば我々から出るべきだ。そして我々から話すべきだ、というのが最初ですね。
遠藤:  ただここで信仰の糸口を見付けられた方は、その先というのはどうなんですか?
 
酒井:  やはりそれがだんだん何回かお出でになるうちに、ここのお話というのは、言ってみれば通仏教的なことですからね、南無を掘り起こそうというんですから、やはりもう少し私は日蓮さまのことをお伺いしたいな、もう少しお浄土のことが知りたいな、もう少し禅のことを勉強したいな、という方がいらっしゃるわけですよ。その方々のために、三つの集いを持ちまして、これは「縁の集い」「土の集い」「水の集い」と申しましてね。「縁の集い」というのは、禅系ですね。それから「土の集い」というのは浄土系、それから「水の集い」というのは日蓮系。この三つで、これはほんとに先生と膝を交えて一対一で話しあう、勉強をする。そういう集いを持っています。
 
遠藤:  ここの「南無の会」では、講師の方は必ずしもお坊さんだけではなくて、いろんな方がいらっしゃるんですね。
 
酒井:  そうですね。
 
遠藤:  それはどういう?
 
酒井:  それはやはり大体僧侶の方が講師になっておられる先生方に、「ご自身の信仰生活を通してごく日常的なお話をしてください」とお願いしているんですね。で、分かり易い言葉で、分かり易く伝えてほしいんだ、ということですので、ご自身がしっかりした信仰を持っておられる方は、もうそれは僧侶によらず、どういう方にでもお出で頂いて、ご自身の体験を通したお話をして頂きたい。そのほうが遙かに感動的といいますでしょうか、みなさんに伝わっていくんですね。ですからそういう意味では、どなたにでもお出で頂きたい。ですからこれは通仏教的なものですから、必ずしも仏教によらないで、仏教、神道、キリスト教、もうどなたにでもお出で頂くんですね。
 
遠藤:  ずっとやっていらっしゃいまして、なんか特にお感じになるということというのはどんなことですか?
 
酒井:  そうですね。やはりともかく日常何気なく生活をしていらっしゃる方でも、実際に個々にお話をしてみると、みんなこんなに悩んでおられる。こんなに心が何か病んでいるといいますかね、そういう方がこんなに多いんだ、ということにビックリしますね。それを感じます。それはご婦人だとか、子供だとかによらず、その歳その歳なりのやっぱり問題をたくさん持っていらっしゃいますよ。
 
遠藤:  ここにいらっして、何かみなさん見付けられるんでしょうか。
 
酒井:  そうですね。問題をご自身の生活の中に持っておられる方は何か必ず持って帰られると思うんですね。どんな話か聞いてやろうか、なんていう気軽なお気持で聞いている場合にはちょっとその引っかかりが少ないかも知れません。それでもどんな話か聞いてやろうか、って、下の看板を見て上がって来られる方でも、聞いておられる間に一つの問題を見付けて、それから必ず毎回来られるという方は随分いらっしゃいますね。
 

 
ナレーター:  ここにお話を聞きに来る方は、どんなきっかけから何を求めてくるようになったのでしょうか。
 

 
遠藤:  こちらへいらっしゃるのは何度目ですか?
 
聴衆A:  十回ほど参っています。
 
遠藤:  それは何か?
 
聴衆A:  二年前に毎月行っている大会がございまして、その会に参加させて頂きまして、こういう喫茶店でやっているというのを知りまして、時間のある限り寄らせて頂いているわけでございます。
 
遠藤:  会社にお勤めでいらっしゃいますか?
 
聴衆A:  はい。そうなんです。
 
遠藤:  そうしますと、今の時間集まるというのはかなり大変ではございませんか。
 
聴衆A:  普通こういうふうな勉強会ですと、六時だとか、六時半なんでございますけれども、この会は七時からでございますので、割合サラリーマンが出やすいということ、かなりみなさんサラリーマンの方が参加しているようでございます。
 
遠藤:  今までの中で、一番心に残ったというのはどういうふうなことですか。
 
聴衆A:  直接各宗派の僧侶さんのお話でございますんで、お陰様という、生きている関係のそういうようなお話を身近に分かり易くお話頂けますので、大変興味を感じております。
 
遠藤:  ご自分では宗教はお持ちでいらっしゃいますか。
 
聴衆A:  ええ。家庭の宗教としてはあるんですけども、これから子供が大きくなってきますし、自分もこういうところで話を聞いてみたいと思って。先生のお話が終わってから質疑応答等もありますので、ユニークな会で、十回ほど、先ほどお話通り参加させて頂いているわけです。
 

 
遠藤:  こちらにいらっしゃるきっかけというのはどういうことだったんでしょう?
 
聴衆B:  松原(泰道)先生の「仏教聖典を生活に活かす会」、ずっとやっておりましたものですから、それで「南無の会」があるというのを伺いまして、ほんとにこれからの時代に、とても大事だなと思ったものでございますから。やっぱり日本人は仏教のなんか常識というんでずっと育ってきていますから、とてもよくわかると申しますか、お話を伺っていて、本当に生活に活かせるということを感じるものです。それからまたいろんな方にお話するのにもわかって頂けるものですから。
 

 
ナレーター:  お名前の出た松原泰道さんは、会の創立の時から会長を引き受け、先頭に立って辻説法をしてこられました。この日の講師も松原さんです。
 

 
松原:  初め酒井さんから勧められた時に、どう考えたってなり立つ可能性は少ない。東京というところで、喫茶店というところで、若い人を集めて。ところがあんまり勧められましたので、ひやかし半分に来たらビックリしたんです。雨の日でしたけどね。その時の会場は原宿でしたけど、地下でしたけどね。もう水がどんどん入ってくる。その中で補助椅子を出して、若い人たちが非常に熱心に聞いているのをみて、実は恥ずかしく思ったんです。こんなにまで若い人たちが求めていたのか。こちらの怠慢だったですね。非常に教えられました。何故成功したかといわれるんですけどね、それはわからないですね。強いて結果論的にいえば、ここへ集まられる人は概してお寺へは集まらないですね。お寺で法事葬式というものをなさる真面目な方は、こういうところで自分を勉強しようということには、あまり縁がないように思われる。仏法離れはしていないが寺離れをしている人たち、こういうところへ集まる人。お寺は寺離れはしていないけれど、本当の仏法はあまり知ろうともしないという人。それから両方とも離れてしまっている人たち。そういう流れがあるでしょうね。だからそれぞれの人たちに応じて、結局こちらが教わるわけですよ。
 
遠藤:  そうしますと、松原さんは、「ほんとにみなさんがこんなに求めているとは思われなかった」とおっしゃいましたけど、一番伝えたいその真髄というものはどういうものなんでしょう?
 
松原:  私らは仏法思想になりますけどね。人間を救うものはオールマイティ(万能の、絶対の)の存在ではなくって、人間が人間であるということを自覚する以外に救われるものはない。だから人間を救うものは、最後は人間だ、ということだから、どんな場合でも、特にこういう時代であればあるほど、人間の底にあるものを信じるということ、それが一番大事だし、それを発掘したいということですね。
 

 
司会:  こんばんわ。
 
聴衆:  こんばんわ。
 
司会:  この会は最初と終わりに、「南無」というご挨拶を致します。よろしくお願い致します。「南無」。
 
聴衆:  南無。
 
司会:  ありがとうございました。「南無手帳」、今日は五十二頁をお開き頂きたい。私が最初の「一期一会(いちごいちえ)」と申しますから、後は南無からずっと続けてください。「一期一会」
 
聴衆:  南無、
     人の世は一期一会であるから
     何事も丁寧にしよう
     会ったときが別れのときでもあるから
     出会いを大切にしよう
     南無
 
司会:  ありがとうございました。「南無の会」でご挨拶にしておりますこの「南無」ですが、これは「お陰様」というふうに受け取らせて頂きます。
 
 
ナレーター:  夜七時、会が始まった時には、会場の喫茶店は満員になっていました。
 

 
司会:  大きな大きな力、それをお陰様というんです。それでは大きな大きな力というのは何なのか。それを第一線でご活躍になっている先生方にお出で頂きました。ご自身の信仰生活を通して、その大きな大きな力をお伺いしているわけです。
 

 
松原:  南無。楽に一つお勉強してまいりましょう。あまり難しい顔をして睨み付けないようにお願いを致しておきます。今日のお勉強のテーマは、ご案内のように、「釈尊の最後の教え」であります。ご承知でありましょうが、この二月十五日が、釈尊のお亡くなりになりました日であるとされております。この日のことを「涅槃(ねはん)」と申すんでありますが、お手元にお持ち頂きました川路柳虹(かわじりゅうこう)さんの詩をテキストとしてお話を申し上げてまいりますので、どうぞお手に置いてください。「涅槃」―この涅槃でありますが、難しい漢字が書いてございますが、これは当て字でありまして、言語のサンスクリット(梵語)で「ニルヴァーナ」と言っております。その「ニルヴァーナ」というサンスクリットを中国の学者が、当て字を致しまして、こういう難しい字を書きました。ですからこの漢字は意味がありませんのです。涅槃でありますが、まだ地方へ参りますと、「お涅槃団子」と言って、二月の十五日にお団子を作る習慣がまだところどころ残っておるようで、お馴染みの方もあると存じます。ニルヴァーナという言語の意味は、「吹き消す」。灯りをフッと吹き消す。転じまして、煩悩の火を吹き消す。煩悩の火を吹き消しますと、心が安らぎますので、「安らぎの心」。こんなふうにも翻訳をしてまいります。心が、身体が安らぐところから、最後は「解脱(げだつ)、悟り」という意味にも広がってくるのです。だから一面にお徳の高いお方が亡くなりました時に、文学的表現で、「ニルヴァーナ(涅槃)」と言っております。釈尊もお亡くなりになったのを、今申し上げましたような習慣に従って、「涅槃」と言っております。私がこの川路柳虹(かわじりゅうこう)さんの詩を読んでまいりますので、みなさまもまた黙読をしてください。
 
     仏陀(ぶつだ)が涅槃に入られた
     ゴータマ・シッダータが
     この世の生涯を終えられた
     比丘(びく)も比丘尼(びくに)も傍(かたわら)に侍(はべ)って
     みんな泣いた
     涅槃に入られたと言って。
 
     日が照りわたっていた
     木の葉がしーんとしていた
     沙羅双樹(さらそうじゅ)の上で蝉(せみ)がしいしい鳴いていた。
 
     日が照りわたっていた
     遠くでガンジスが光っていた
     静かな傍の小川では
     二人の子供が泳いでいた。
 
     子供たちは川辺の杏(すもも)をもぎとって
     また小川のなかへもぐっていった
     笑いながら、ふざけながら。
 
     沙羅双樹の上の蝉がしいしい啼いていた。            
 
「仏陀は涅槃に入られた」―「仏陀」というのは釈尊のことでありますが、これも「ブッダ」という意味の訳語です。「仏陀」或いは「如来」「仏」、いずれも一連の同じ意味でありまして、意味は、「真理を悟った人」という意味であります。真理を悟った人。この場合は釈尊です。中村元(はじめ)(1912-1999)博士の学説によりますと、釈尊がお亡くなりになったのが、紀元前三八三年の二月十五日の夜半であった、という。今から何年前になりますか、暗算でしてください。
「ゴータマ・シッダータが」―「ゴータマ・シッダータ」というのは、釈尊が出家される前の姓名であります。「ゴータマ」が姓、意味は「聖なる牛」というんだそうであります。それから「シッダータ」はお名前です。
「この世の生涯を終えられた」―三八三年の二月十五日、八十歳でいらっしゃいます。私も、さっきご紹介頂きましたように、歳だけはお釈迦様と同じ歳なんでありますが、まるっきり大変な違いでございます。釈尊のお亡くなりになりました状態が、『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』というお経の中に非常に細やかに書かれてありまして、読んでも胸が詰まるのであります。亡くなる前に細工を致しますチュンダという一人の青年が勧めました茸の料理に中毒をされるのです。そして今で申し上げれば赤痢のような状態で、下痢をしながら八十の老僧が伝道の旅を続けられる。はからずも、その足取りの先を辿りますと、故郷の方へ向かっていらっしゃるんですね。人間最後というのは、やっぱり故郷が恋しいことは、どなたも同じでありましょう。その『涅槃経』の中に、
 
さて尊師が、鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、激しい病が起こり、赤い血がほとばしり出る(下痢に血がまじっていた)、死に至らんとする激しい苦痛が生じた。尊師は実に正しく念(おも)い、よく気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んでいた。「さあ、阿難(アーナンダ)よ、われらはクシナーラー(クシナガラ)に赴こう
 
『大般涅槃経』は、〈「釈尊の大いなる死」のさまを叙する経〉というほどの意味ですが、さらにこの経は偈(詩)で重ねて、
 
     供養の茸をめしたまい
     おもい病を得させたまい
     腹くだりつつ世尊はいう
     クシナーラーにわれは行こう
 
鍛冶工チュンダの供養の食べ物を召し上がって、釈尊は死ぬばかりなる重い病に罹った。腹くだりつつ、釈尊は言われる。クシナーラーにわれは行こう、と。
詩に戻ります。
 
     この世の生涯を終えられた
     比丘も比丘尼も傍に侍って
     みんな泣いた
     涅槃に入られたと言って。
 
釈尊のお亡くなりになりましたのを、お寺によくお祀りされますけれど、それを「涅槃図(釈尊の入滅の楊子を描く絵画)」、或いはまた彫刻なんかになっておりますと、「涅槃像」と言っております。その「涅槃図」や「涅槃像」の周りには、たくさんの人たちが泣いているのは当たり前でありますけれども、動物まで鳴いているんです。「比丘も比丘尼も」―「比丘」は男の出家、「比丘尼」は女性の出家でありますが、みんな比丘も比丘尼も泣いただけではなく、動物も鳴いた。「涅槃に入られたと言って」。お亡くなりになりましたが鎌倉の円覚寺(えんがくじ)の前の管長さまの朝比奈宗源(あさひなそうげん)(1891-1979)さまがよくおっしゃるのです。
 
儂は子どもの時に田舎のお寺で、まだ坊さんになる前、お寺の涅槃会(釈尊の入滅を悼(いた)む法要)にお詣りに行って、涅槃像の前でお団子を頂きながら、ふと見たらお釈迦様の周りにたくさんの人が泣いているだけでなく、鳥に至るまで鳴いている。儂も亡くなる時に鳥にも鳴かれるような、そういう人間になりたいものだと、子どもながらにも、そういう気持が起きたのが出家の縁であった。
 
ということをよくおっしゃったのであります.
先年ある新聞の読者の入選の俳句に、涅槃図が詠まれておりました。
 
     涅槃図にハサミかざせる蟹もあり
 
蟹が両方のハサミをグッと上へ持ち上げている。この句を選ばれました鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)先生の評がまたいいんですね。
 
     泣く言葉を持たぬ蟹が、ただハサミをかざせる姿あわれ
 
声あるものよりも声なきものの悲嘆というものがさらに哀れだ。声を持ちます私たちなら、文字通り声をあげて号泣という悲しみの表現もあるんでありますが、声を持たないものの悲しみは、黙々としてハサミをかざしている。と適切な選評をされているのが印象的でした。
詩に戻ります。
 
     日が照りわたっていた
     木の葉がしーんとしていた
     沙羅双樹の上で蝉がしいしい鳴いていた。
 
日本で申し上げますと、ちょっと感じがでないんでありますが、二月はインドではちょうど日本の初夏の候であります。私も何回かこの地へお詣りをしたんでありますが、汗みどろにはなるんでありますけれども、ついに蝉の声を聞くことができなかったのが未だに残念に思っております。
 
     日が照りわたっていた
     遠くでガンジスが光っていた
     静かな傍の小川では
     二人の子供が泳いでいた。
 
夜が明ける。悲しみのあまりに弟子たちはわからなかったが、ヒョイと気が付いてみると既にもう夜が明けていた。釈尊がお亡くなりになってから、もう数時間して夜が明けた。お釈迦さまがお亡くなりになったということは、子どもにはまったく関係がないんです。みなさんもご覧でありましょうが、悲しい話でありますけれども、ご不幸の家をお悔やみにまいりました時に、いつも私は胸を詰まらせます。大事な親が亡くなっていても何にも知らない子供さんたちが、人がたくさん集まってくるので、嬉しくって、はしゃいでいる姿をみるのも、これまた涙の種でありますね。そういう姿をフッと思い浮かべるんです。私はこの詩を読んでいて。
 
     子どもたちは川辺の杏(すもも)をもぎとって
     また小川の中へもぐっていった
     笑いながら ふざけながら。
     沙羅双樹の上で蝉がしいしい鳴いていた。
 
この詩を福井市のお住いの米沢英雄(よねざわひでお)(1909-1991)先生という有名な精神科医の先生がいらっしゃいます。このお方は親鸞さまの本願他力の教えを頭でなくて本当に身体で受け止めている素晴らしい信者の方でありますが、この方がこの川路柳虹さんの詩を訳して、特に最後のところの「子供たちは川辺の杏をもぎとって/また小川の中へもぐっていた/笑いながら ふざけながら」です。
 
弟子たちは思った。今あの子どもたちは、小さい子どもだから川のほとりの杏をだれが採った、誰がしたと、まあ今でいうならば虐め合いしながらふざけあいしながらやっているんで、仏典は杏ですんでいる。だけどあの子供たちがだんだん大きくしてなっていくと、今度は杏ですまなくなってくるだろう。金だとか、地位だとか、名誉だとか、異性だとか、そういうさまざまな人生の問題で苦しむ時が必ずあるに違いがないんだ。その時のために、私らが学んでいた釈尊の教えというものを、必ずこれは続けていかなければならないと、おそらく弟子たちは、泣きながら子どもの笑いを見ながら誓ったことであろう。
 
と米沢先生は批評されておりますが、素晴らしい解説です。そして、そういう意味で、米沢先生は、「仏典事始(ぶってんことはじめ)」―仏教のお経の始まりだ。それは釈尊が、生前にお説きになっただけではなくて、本当のお経というものは、釈尊が亡くなった後の弟子たちの誓いから始まる。こういう意味に解されます。お断り申し上げることが遅くなりましたけれども、今日は、「釈尊の最後の教え」ではありますけれども、単なる歴史上の物語ではなく、釈尊の死というものを、もっと身近に控えて大変不敬の至りかも知れませんが、私もそうであります。釈尊の死だけではなく、私たちが、自分が本当に愛し、大事にしていた親であるとか、子であるとか、夫婦であるとか、そういうお方たちの別れということを偲びながら学んでいきたいと思っております。親に別れ、親しい者に別れた時に、本当に生きている人たちの新しい人生というものが始まってまいりますね。さて、釈尊の最後の教えは何であったのか? アメリカのヒューストン・スミスという哲学者が―かなり前でございます―テレビで、当時まだご生存でありました有名な鈴木大拙(すずきだいせつ)(仏教学者。禅と念仏を研究し、アメリカで教えを広めた:1870-1966)先生に質問しました。「お釈迦様―釈尊という世界的な思想家がお亡くなりになったが、その偉大な思想家の釈尊の最後の説法は何であったのか?」と。鈴木大拙先生は、淡々として答えられました。「他に頼ることを止めなければ人は救われない。これが釈尊の最後の説法だった」と。他に頼ることを止めなければ救われない。「依頼心を捨てよ、というのが最後の説法であった」と。質問者のヒューストンもビックリされたでありましょうが、私たちもちょっと意外に感じます。宗教というものは、何かに頼ることじゃないのか、と。たしかに私たちは、弱い存在でありますので、何かに頼らなければ生きておりません。ですから、釈尊が頼ってはいけないというんじゃないんでしょうね。「頼るべきものを頼らずに、頼ってはならないものを頼ってはならん」こういうことでしょう。「頼ってはならないものに頼る。頼るべきものに頼らない」ところに人間というものはますます苦しくなってくるのですが、鈴木大拙先生が、「他に頼る気持をなくさなければ救われない」とおっしゃったのは、決して鈴木先生の独断ではありませんのです。何かの機会にお話をお聞きになったと思いますが、釈尊がよく言われた言葉に、
 
     自らを灯とし
     自らをよりどころとせよ
 
これを「自灯明(じとうみょう)」と申します。「自らを灯りをし、自らをよりどころとせよ」と。『法句経(ほっくきょう)』の中に、「おのれこそ おのれのよるべ」という言葉がございますが、それであります。
 
     法を灯とし
     法をよりどころとせよ
 
「法を灯とし」この「法」は狭い意味では「教え」であり、「真理」であります。宇宙と人生を通ずる真理、それを頼れ。これを「法灯明」。易しい言葉で、「み法(のり)こそ われらのよるべ」と翻訳されております。「み法(のり)」というこの「法」の字は、「教え」だけではございません。「真理」もそこに入っているわけであります。この「自灯明、法灯明」が最後の教えのように言われておるんでありますが、私はふと思い出しますのは、日本の松尾芭蕉(まつおばしょう)翁(江戸前期の俳人:1644-1694)であります。あの俳聖(はいせい)といわれました芭蕉翁は、歳こそ若かったのでありますけれども、やはり放浪の―放浪といったら悪うございますか、旅を続けて旅路で亡くなった点においては釈尊も同じことなんですね。いよいよ亡くなる時に弟子たちが、それとなしに芭蕉に向かって辞世(じせい)を求めました。そうしたら芭蕉は、「日頃詠み捨てし一句、辞世ならざるはなし。昨日の発句は今日の辞世。今日の発句は明日の辞世だ」。もし人あって、辞世を、と問われたら、芭蕉は、日頃詠み捨てし一句、どれでも見せてこれが辞世だ、と。釈尊もそうだったと。毎日毎日が最後のご説法ではなかったんでしょうか。「自灯明、法灯明」が、特に言われますのは、釈尊が常におっしゃった言葉なんです。最初におっしゃったと思われますのは、釈尊には十大弟子という素晴らしい弟子が十人いらっしゃいます。その中で、右の腕、左の腕と頼まれたのが、「舎利弗(しゃりほつ)」―『般若心経』に出てまいりますけど、「舎利子(しゃりし)」。それから「目?連(もくけんれん)(目連(もくれん))」。この二人は、舎利弗は病気で、目連は伝道の旅で異国の異教徒に殺されております。ご想像ください。晩年になって大事な弟子を亡くしたということは、我々が子どもを亡くした以上に辛いことなんです。さすがの釈尊も周りを見て、「舎利子はいないか、目連はいないか」と、ご自分にいい聞かせるように言われた。ちょうどそれは、大木と枝に似ている。母体の大木が枯れて、枝が枯れることもあるけれど、枝が先に枯れて大木が後に残ることもある。愛する者といつの日にか別れなければならん。それ故に、「自らを灯とし 自らをよりどころとせよ。法を灯とし 法をよりどころとせよ」。釈尊がお亡くなります、つい前にも大病になられました時に、阿難(あなん)が泣き叫んで、「先生に先立たれたら私は誰を頼りにしたらいいんでありましょうか」。その時にもやはり自灯明、法灯明を言われておるのですね。だから私は、日頃詠み捨てし一句、同じように日頃お説きになったものが、すべて最後のご説法だ、と、こんなふうに受け止めたいんであります。そうはいうものの、芭蕉が、
 
     旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
 
辞世かな、いや辞世ではないかな、と言いながら、結局それが最後の句になりましたので、人はあの句を辞世としておるようであります。釈尊も同じであります。旅に病んで云々と同じように、釈尊は最後に言われた辞世ならざる最後の教えでないものでありながら、最後の教えであるというのは、人間というものはまことにいつでも変わり変わっていくんだから、時というものを大事にして、自分の人間完成に励んでいけよ。有名な言葉で、
 
     水の常によく流れて石に穴を穿つがごとし
 
誰が聞いてもわかります。そのように励んだならば、
 
     事として難きものなし。
     しかるがゆえに汝等、まさに努めて精進すべし
 
精進ということは励め、ということでありますね。この一言に尽きるんです。そのように骨をおられたんでありますが、また言葉を換えて、精進とは何か。
 
     私が教えた通りに従い。私が決めたとおりに、あなたたちは自分の身体を支持していきなさい。
 
言葉を足しますと、「私が教えた通りに、私が決めた通りに、自分の身体を動かし、行動をし、ものを言い、ものを考えるがよい。身のこなし、ものの言い方、ものの考え方、それを私が教えた通りにしていきなさい」。そこでいつもの対策はすむんでありますが、私が私なりにもう一つ深めさせて頂きたいんです。それはどういうことであるのか。釈尊がよく言われた「今ここ」ということを大事にすることであります。現代的に申し上げるなら、私たちは自分で「今、何をなすべきか」という、この自分で問題を自分に課します。そうして、自分に課した問題を、本当にそこに、今の言葉でいえば、「自分を完全燃焼」していくことですね。それが自ずから私は自灯明であり、法灯明に通じる、と思いますが、どんなものでございましょうか。「自分の、やるべきこと、あるべきこと、そこにまっしぐらに私たちは自分というものを決死こみ、燃やし尽くしていく。よく燃える」ということをいうんでありますが、仕事に燃え、自分の行いに燃えていく。特にこの自灯明、法灯明ということが考えられてまいるでありましょう。先ほど申し上げましたように、釈尊の死が、非常に大きなお仕事に、私たちは新しい人生というものを展開をしてくださるんでありますが、私も自分のことで恐縮でありますけれども、十七年前に初めて可愛い孫を授かって、それが二日と四時間で亡くなりまして、ついこの間も十七回忌の法事をしたのでありますけれども、今なおそのことが私の胸に焼き付いております。さっきの釈尊のお話ではありませんが、一人の方が亡くなることによって仏典事始、何か生き残っている人たちに大きな生き方を暗示してくれるようですね。だから一人が亡くなるということは、たくさんの人の中に、新しいこの人生というものを思い浮かべてくれるようであります。フランスのこの世紀の詩人でジャン・タルジューという人がございます。この人の詩をこれからちょっと短い詩でありますがご紹介致しますけれど、私はその翻訳を渡辺一夫(かずお)先生の訳で知りました。お読みになった方があると思いますが、『きけ、わたつみの声』。あの学徒が戦争で亡くなりましたその遺書に、巻頭に渡辺先生は感想を書いていらっしゃる。最後に、ジャン・タルジューの詩を引いて、結びとされています。長い詩でありますが、私はその一節で事足りると思うんです。
 
     死んだ人々は、還ってこない以上、生き残った人々は、何が判ればいい?
 
この短い言葉です。さっき申し上げたように死んだ人は―釈尊はもうちょっとお預かり致しまして―私なら孫であります。みなさんも大事な身近な人に別れた。呼べど叫べど死んだ人は還ってこない。「死んだ人々は、還ってこない以上、生き残った人々は何が判ったらいい?」。仏典事始ですね。その人が生きていたら、おそらくわからなかったことを、そのお方が亡くなったお陰で、初めて何か深いものがわかりました、わかりました、と。う〜んと頷く時に、私は姿形はないけれども、亡くなった人との対話ができ、対面ができるとこう考えております。私は死んだ孫から教わりました。それは金子大栄(かねこだいえい)(1881-1976)先生のおっしゃった言葉で、私はどうしてもわからないことがあったのです。
 
     花びらは散っても
     花は散らない
 
この花びらは散っても花は散らない。私たちは花びらが散るのを見ますと、途端に花も散るように思うんでありますけれども、そうではないんですね。「おじいちゃん、わかっておくれよ。花びらは散っても花は散らないんだよ」。それを私にわからせるために、あの子は生まれて二日と四時間で亡くなっていったのか。それがふとわからせて頂いたのは孫の死でありました。たまたま九州の太宰府(だざいふ)の天満宮にお詣り致しました時に、萩原井泉水(おぎわらせいせんすい)さんの句があの大きな樟(くすのき)の林の中に碑が立っておりました。
 
     くすの木先年さらに今年の若葉なり
 
樟の葉っぱが青々としておりますけれど、千年前の葉っぱは残っているわけじゃないでしょう。年々歳々葉は散っていくんですね。葉は散っていくがゆえに新しい若葉が出て、千年緑をしているんです。短い命が終わって、それがリレーされて、そして私たちの生涯というものが出てくるんでありましょうね。だから私は人生というものは、マラソンではなくて、メドレーリレーだとこう考えています。一人で全行程を走るんじゃなくて、メドレーで男女老幼いろいろの人たちが、自分の五十年、短ければ三年、短ければ三日という。長ければ八十年、九十年というように、長い自分の全コースを全力で疾走致しまして、そして、バトン、襷(たすき)を次の人に与えていくんですね。永遠のリレーでございますから、誰もがゴールすることができないわけなんです。だからといって怠けちゃいけませんので、自分の与えられた区域というものを全力疾走していくということでありましょう。そこに私は、この亡くなった人たちとの対話ができると思うんです。
数日前にちょっと原稿を書く必要がありまして、久しぶりで高村光太郎(たかむらこうたろう)の『智恵子抄(ちえこしょう)』を繙(ひもと)いたんです。今まではそこまで読めなかったんでありますが、やはりこれもお涅槃のご縁でありましょうか、智恵子さんを亡くした当初、私どもが親しい人と別れたのと同じことでありますね。
 
智恵子が死んでしまった当座の空虚感はそれ故殆ど無の世界に等しかった。作りたいものは山ほどあっても作る気になれなかった。
そういう幾箇月の苦闘の後、或る偶然の事から満月の夜に、智恵子はその個的存在を失うことによって却(かえっ)て私にとっては普遍的存在になったのである事を痛感し、それ以来智恵子の息吹を常に身近に感じることができ、言わば彼女は私と偕(とも)にある者となり、私にとっての永遠なるものであるという実感のほうが強くなった。
 
「智恵子が死んでしまった当座の空虚感は、ほとんど無の世界に等しかった。作りたいものはやまほどあっても作る気にもならなかった」―この気持がよくわかります。「そういう幾ヶ月の苦悩ののちに、何かが縁になって」―それは何であるかわかりませんが、その苦悩の中から光太郎さんにふっと教えられた。私は智恵子さんに教えられたとこう申し上げたらいいと思うんですが、「満月の夜に智恵子はその個的存在を失うことによって」―智恵子という一個の生物的なものを失うことによって、「却て私にとっては普遍的存在になった」―生きているうちはここにほか居なかった。ところが亡くなってみると姿形はないけれども、普遍的でどこにでも智恵子がいるということがわかった。「それ以来智恵子の息吹を常に身近に感じることができ、言わば彼女は私と偕(とも)にある者となり、私にとっての永遠なるものであるという実感のほうが強くなった」―私はこの「事実」と「真実」とを区別して考えたいんでありますが、「事実」は私たちの五官に訴えまして、この目で見て、この耳で聞くということで掴まえられるのでありますが、「事実」の底に目に見えない「真実」というものがありますね。例で申し上げますと、私がチョークを今落としたんでありますが、上から落としますと下に落ちます。これは事実なんです。その事実の中に、ある真実というものが、引力ということでありましょう。花びらは散るんです。葉は落ちるんです。その事実の底にその散ることによってリレーされて永遠なものがそこにいる。それがわかるということが真実でありましょう。
 
私はそうして平静と心の健康とを取り戻し、仕事の張合がもう一度出て来た。一日の仕事を終って製作を眺める時「どうだろう」といって後ろをふりむけば智恵子はきっと其處(そこ)に居る。彼女は何處(どこ)にでも居るのである。
 
この「彼女は何處(どこ)にでも居る」というのは、目に見える事実ではありませんね。親しい方を亡くされた方は、そういうご経験がありますと、必ず目に見えないところで一緒に守っていてくれるんだな、ということが感じられてまいります。私はそこにも「同行二人(どうぎょうににん)」ということを思い浮かべたいんでありますが、私事(わたくしごと)で恐縮でありますけれども、私は今時間が非常にほしいんでございます。もう閻魔さんから召集令がかかっておりますので、秒読みで、「ちょっと待ってください」とこういわんばかりでございますけれど、これはどうにも仕方がないんでありましょう。したい仕事がたくさんにございます。だから朝早く起きるほか時間がありませんので、寝るときに、孫のお位牌のあります仏間に、私はこの老眼鏡を置いて、「明日の朝起こしておくれよ」と言って、手を合わせて拝むんです。目覚まし時計を持っていませんから、私は目が覚(さ)めました時に、孫が残してくれた、と私は信じて疑いません。だから、「ハイ!」といって起きるんです。孫に返事して。そして眠たいから洗面器の中で目を瞬(しばたた)いておりますと、何とかかんとかこちらのものになるのであります。原稿が書けても孫に供え、本の校正刷りが出来てきても孫に供えます。これは私の一人の力でできないということを、私は孫から教わったわけなんですね。「ありがとう。坊やのお陰でお仕事が出来たよ。ありがとう」。端からみれば意気地がないかも知れませんけれど、私は嬉しいんですね。自分でした仕事が自分じゃなくって、それをどこかに大きなものにうつしていくところに我(が)が抜けてくるんです。我(が)が抜けてくると、南無でございますね。お陰様がわかってくるんです。お陰様がわかってくると、我というものが全部抜けていって終います。私は、それが「自らを灯とし、自らをよりどころとせよ」ということであり、「法を灯とし、法をよりどころとせよ」ということだ、と。こんなふうにこう受け止めさせてもらって、自分もまあこんなふうに生きていてよかったな、ということをつくづく感じます。釈尊の死を縁として、私自分も死が近いことであり、それからまた他人様の死もよくお迎えをするんでありますが、他人の死、それから自分の死、この自他の死というものを踏まえて、死を問いとして、その死の問いに応えるに至る生き方を教え学んでいくということが、私は仏教の思想の一番寛容なことだと存じます。死ぬ、大変嫌なことでありますけど、このくらい確立の高いことはないんですね。ほんとに百パーセント確実なんであります。その確実なことを自分は例外だと思って誤魔化そうとしているところにいろんな問題ができてくるんです。死は誤魔化そうと思っても誤魔化せられません。誤魔化せば誤魔化すほど、この虚ろなものが入ってくるんでありましょう。そういうことを私は見つめ見つめてまいりました時に、みなさまのお馴染みの一休(室町中期の臨済宗の僧:1394-1481)さん、あの一休さんにはたくさん歌がございますけれど、どれもこれも素晴らしい歌でございますが、これからご紹介申し上げる、私は好きな歌でありますけれども、この歌は歌集の中にありませんので、正しい意味で一休さんの作ではないかも知れないが、まあ一休さんの作である伝としてご紹介を申し上げたいんです。その歌はたとい一休さんの作でないと致しましても、そこにもられています心というものは、たしかにこれは仏教的なものなんです。ちょっとご覧にいれましょう。一休さんの歌というのに、
 
     いま死んだ
     どこへも行かぬ
     ここにおる
     たずねはするな
     ものはいわぬぞ
 
洒脱(しゃだつ)な歌でありますけれども、涙を経験されたお方なら、何か胸の中にジーンと入ってきて、よく私の気持を詠み上げてくれた、という共鳴をお感じになるかも知れません。「いま死んだ」四十年、四十五年前の戦争で亡くなったんじゃない。気が付いた時に、今、今なんですよ。いいですか。今なんですね。「いま死んだ どこへも行かぬ ここにおる」靖国神社の参拝が大変にうるさいけれども、靖国神社だけではないぞ、お寺のお仏壇の上でもないぞ、お墓の下だけでもないぞ。さっきの智恵子さんに対する光太郎さんの答えは、亡くなったけれども普遍としてどこにもいらっしゃる。「どこへも行かぬ ここにおる」いいですか。どこへも行かぬ、ここにおる。「ここにおる、ここにおる」ということがわかるということが、ほんとに死者との対話ができ、自分も亡き人の死を成長して、釈尊の涅槃を意として、やはり私たちの新しい人生というものが始まるんでしょう。それを望んでくださいますね。
「たずねはするな ものはいわぬぞ」たとい隣でありましても、襖一枚ありますと、姿が見えませんから、呼ばなければいけないし、返事もしなければなりませんのです。姿形はないけれども、こうして対面しているじゃないか。「たずねはするな」―だから尋ねるなよ。こちらもものはいわぬぞ、と。「いま死んだ どこへも行かぬ ここにおる たずねはするな ものはいわぬぞ」ここにおる、ここにおる。第一ヒントを申し上げますと、どこでありましょう。お気付きでありましょうけれども、やっぱり自分の胸の中ですね。こちらが泣く時は、亡くなったお方も泣いていらっしゃるんです。こちらが元気で働く時は、亡くなったお方も元気でいてくださる。死んだ人が迷うんじゃなくて、生きている人が迷うから死んだ人が迷うんですよ。こちらがちゃんとしていれば、迷うわけはないんでありますね。だから、亡き人を救うのは、結局私たちにあり、亡きお方への最上のご供養というものは、私たちの心の成長をご覧にいれることではないんでしょうか。子どもの洋服が間に合わなくなると、親は嬉しいんです。亡くなったお方も、生きている私の成長が何よりの喜びになる。そこに私は釈尊の涅槃を、お互い身近にこう当て嵌めて、お互いの成長を願っていきたい、と。この願いを込めましてお話をさせて頂きました。どうもありがとうございました。(拍手)南無。
 
 
ナレーター:  辻説法はこの後、後半の話に続き、さらにコーヒを飲みながら講師との自由な話し合いになりました。九時までの二時間、この喫茶店には、仏の智慧を伝えよう。そこから何かを得ようとする方々の静かな熱意が漂っているのを感じました。
 
     ここは、昭和六十一年二月二十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである